その小さな集落をゾンビ達は通過していた。
向かう先に何が在るのか。
彼らは何も考えず、何も知らない。
しかし、突如として現れた“同類”によって群れの動きは誘導され、その先にある壁へと向かう。
だが、異常はまず南へと向かう先頭集団に起きた。
最初の一体の頭が爆ぜる。
そして、その次の刹那にも20近い頭が爆ぜた。
周囲に彼らが目を引かれるモノは無い。
揺れる樹の枝や彼らの視線の端で踊る仙人掌すら無い。
だが、同類の頭が爆ぜ、モノとなったソレが飛び散る姿は彼らの脚を止めさせる。
続けて20体。
更に20体。
ようやく、彼らの内の一人が空を見上げ、同時に彼の動作を真似た同類が同じように空を見上げ、上空から降り注ぐ弓を見て、爆ぜた。
「(全隊曲射を続行。オレはあの乳白色なガチムチ野郎共を死体に戻す作業だ)」
膨大な数のゾンビの群れ。
その中にいる一際大きな乳白色の巨人。
明らかに人間の残骸というよりは化け物と呼ぶべきソレは衣服も身に纏わず。
ゾロゾロと辺りを見回し、次々にクローディオの一際高く上がった矢の一撃を頭部に受けて貫かれ、頭部を爆ぜ散らせていく。
だが、終に曲射のカラクリが僅かな陽光の煌きから普通のゾンビの一体に看破される。
その個体が走り出した時、それに釣られた数体が同じ方向へと向かい。
更にその後ろにという数珠繋ぎの大行列となった。
そのバレた刹那にクローディオ率いる強行偵察ユニットの9割は持ち替えた対物ライフルを敵に向け、その横では残りの数人がとにかく弾丸をばら撒くサブマシンガンを両手持ちにして撃ち放つ。
一斉射。
爆音に釣られて群れの向きが一瞬で捻じ曲がる。
だが、その急激な方向転換でバタバタと倒れた群れの一部が仲間に踏みつけられて潰れていき自滅。
その合間にも対物ライフルの弾丸が高速で彼らに接敵しようとしていた培養ゾンビ達の頭部を視界誘導による正確無比の一撃で次々に消し飛ばしていく。
通常ゾンビ達もまた彼らに向かって来ていたが、秒間に数十体以上が頭部を貫かれ続けた結果、後ろ後ろへと立った群れは後退。
前には斃れたゾンビだけが散らばっていく。
相手を射程限界付近で押し留めている。
極めて彼らの持つ重火器と弾丸の性能が優れている事実はそれのみで十分に証明されたが、それにしても数が多いゾンビ達の行進は止まらない。
終にジリジリと立ったゾンビ達が彼らの射程へと瀑布のように進軍して倒れた同類を踏み潰して接近し始めた。
が、その時を待っていたように彼らの反対側で連鎖する爆音が響く。
ミニガンの掃射音。
そして、サブマシンガンが四挺同時に唸りを上げて、次々に敵の頭部を食い散らかしながら、集団の横を駆け抜けていく。
『第2大隊!! 射撃開始!! お客さんだぞ!!』
クローディオが上空に爆破矢を放ち、上空600m付近で起爆する。
途端、そちらに気を取られたゾンビ達をまたも別方向から無数の射撃が捉えた。
視線誘導の刻印弾を3点バーストで次々に撃ち放つ大隊がゾンビ達のいる平地を見下ろす小高い丘から姿を現し、横一列で次々にゾンビ達の頭数を減らしていく。
通常の術師でも同時に20以上の標的を魔術でターゲッティングする事が可能であったが、相手には培養ゾンビも混じっている為、より確実な撃破を望むならば、通常ゾンビには1発、培養ゾンビには3発という具合に射撃には制限が設けられる。
同時に3体ずつ×45人が掃討するか。
もしくは培養ゾンビを3発で打ち倒すかの二択。
これを上手く行いながら、彼らは誘因された群れの外縁を砕いて、後退していく。
この合間にもキャンピングカーが周囲を走り回りながらゾンビ達の群れをミニガンで細切れに分断していった。
傍に寄って来た殆どのゾンビはベルの弾丸による頭部の破壊とハルティーナの弾幕を前にして打ち倒され、彼らは見事に集団を分散させながら引き裂く役目を果たしつつあったのである。
『よーしよしよし。群れが分断されてきたぞ!! これより機動戦に移行する!! 各自、後退しつつ、弾幕を絶やすな!!! 通常個体は接近されても怖くない!! ヤバい培養共から先に片付けるぞ!!』
『了解!!!』
大勢の声が唱和する。
ゾンビに戦術は無い。
だからこそ可能な戦闘であった。
相手の数という最大の利点を半包囲から後方に退きつつ、距離を取って殺し、集団の分断と突撃の数と威力を殺す。
1万以上にも及ぶ大集団とて、三方向に3000程度ずつ分断されながら、絶対に頭部へ突き刺さる弾丸による後退しながらの引き撃ちという戦術を前にしてはジリジリと数を減らされ、その数を生かせる事なく大地の肥料となるしかなく。
戦闘時間40分を前にして高々100人に満たない彼らは凡そ100倍以上の物量を前に損害0という極めてオカシな値を記録しつつ、敵群集団を殲滅したのだった。
1時間後。
ゾンビを広範囲で殲滅した彼らが移動ルート上に集結した。
キャンピングカーでは結局、弾丸を撃ち尽くすという事も無かったヒューリとハルティーナが何か分かり合った様子で屋根の上で互いに握手している。
それを横目にクローディオとベルがフィクシーとチャンネルを繋ぎ、色々と報告を始めた。
「悪いが、このルートはダメだな。ゾンビの遺骸だらけでまともに歩けねぇ。残敵掃討はやってるが、この数の生死を確認して完全に殺すのは時間が掛かり過ぎる」
『そうか。まさか、死体が死体に戻ってまで生者の道を塞ぐとは……』
「フィー隊長。此処は迂回ルートの1つをショートカットしましょう」
『ショートカット?』
「僕達が迂回する道の1つには来る時に諦めた橋とその先の街があります。あの地点を制圧して、騎士団に護衛して貰っている隙に橋を掛けます。現在の行軍速度で行けば、2日後に辿り着くはずです。幸いにしてアンドレさんから貰った端末には此処1か月の天気予報もありました。晴天が続く今なら安全にあの場所を通過して70km程の短縮になります」
『分かった。橋を掛けるのにどれくらい掛かる?』
「1時間もあれば」
『決まりだな……ベル、クローディオ。先行して街を制圧。橋を掛けて周囲のゾンビへの強行偵察に移れ。こちらは食料も移動速度も問題ない。病人の容態も安定しているし、薬も十分だ』
「大隊長殿。こっちの武器は十分に通じるのが分かった。だが、敵は数で攻めて来る。弾丸は弾倉で山程持たせて貰ってたが、こっちは1戦闘で3割を使い切った。そちらも大規模な襲撃には気を付けろ。数を減らせなくなったら終わりだ。残敵や最後の方は近接でケリを付けて節約した方がいい」
『分かった。損害が出なくて何よりだった。ディオ頼むぞ』
「了解」
『ベル。大隊とその男を頼む』
「は、はい!!」
「はは、そりゃないぜ」
交信が切れた。
「さて、大隊長殿の指示だ。これからオレ達は街の制圧と橋の設営に向かう。その前に空になった弾倉を集めるぞ。全員集まれ~」
さすが慣れたものか。
クローディオが次々にベルの前に人山を造り、一斉に弾倉を導線の敷かれた地面に投げ入れさせる。
それから数秒で別の地面に広げていた導線から大量の弾倉がキッチリまとめられて出て来た。
それをワラワラと取った隊員達が次々に外套内部にソレを仕込み、括り付けていく。
「ベル。予備はまだあるか?」
「今ので全部です。橋の設営時にはまた造っておきます。今は夜になる前に街まで行って制圧を」
「だな。移動を開始する!! 車両に先行してもらうが、燃料はまだ大丈夫か?」
「さっき走ったので心もとないですけど、都市である程度は補給して来たので余計に走らなければ持つと思います」
「分かった。お嬢ちゃんと小さなお嬢ちゃんはこいつの護衛を頼むぞ。何かあったら、すぐに連絡するか逃げて来い。後から向かう」
「はい。クローディオ大隊長」
ハルティーナが敬礼して屋根から降り、再び車両内部へと入った。
ベル達も内部に入り、ゾンビ達の死骸を迂回しながら、目的地である街へと向かっていく。
その姿に男女問わず誰もが最敬礼で見送った。
*
キャンピングカーが橋のある街の付近に辿り着いたのは三時過ぎの事だった。
街が見えて来たのを機に不可視化の魔術で車両を隠蔽。
更に完全な電動駆動に切り替えて街へと近付き、街の端に留めて、更に不可視化の永続させる結界を敷設。
その後、ヒューリが弓に爆破矢を番えて空に飛ばし、街の中心部で爆発。
この音と光に反応したゾンビが次々と屋内や物陰から路端に走り出し、互いに交錯しながら外を徘徊するのを見て、屋根上に陣取ったヒューリとベルが同時にサブマシンガンを掃射。
2秒もせずに30体から50体程度の相手が打ち倒された。
そして、次々に小さな街の屋内からは外部の音に惹かれてゾンビ達が屋内から戸や窓を壊して迫り出し、彼らの乘った建物に向かってきたが、走っていてすら、遅いのは明白だ。
3点バーストを用いて、確実に敵の頭部が弾け散っていき最後には建物内から出られたゾンビは全て道の最中で死体の山となった。
建物内にいてまだ出て来られない相手をのんびりと待ちながら時折、ようやく壁を破壊して出て来たゾンビ達は一体残らず即死。
この状況で2時間。
ほぼ夕暮れとなった頃。
後続のクローディオの大隊が額に汗を浮かべながら到着。
野外で三人と合流した後、日が落ちるより先に部隊の全てをツーマンセルにして各家屋を端から制圧していく。
家屋内の探索のイロハはフィクシー達が確立したものだ。
初めての屋内制圧任務であったが、怯む者は無く。
冷静に銃と近接用のサバイバルナイフや手斧が彼らの道を阻む者の頭を一刀両断した。
屋内でフィクシーが大剣を使えず、通常の剣ですら使い難い事をしっかりと把握していた事は幸運だっただろう。
ゾンビが走り出すようになって以降の屋内戦闘では確実に取り回しの良い重火器や投擲武器や小ぶりな刃物が役に立った形である。
『集落北端の家を制圧致しました!!』
「ご苦労。引き続き東部端まで制圧しろ。内部に使えそうなものがあったら、教えた通り回収だ」
『了解致しました。大隊長殿』
魔術での通信が終わってから十数分で数十軒の家屋が完全に制圧。
戻って来た隊員達の手には缶飲料や非常食らしきもの。
他にも瓶に入れられた明らかにアルコールと分かる代物が十数本。
飲み掛けもあったが、未開封品もまた多く。
明らかに葡萄酒と分かるものも混じっていた。
「金庫類の数は総計で30前後。恐らく銃が入ってる奴だが、今はいい。ベル……もうすっかり夜だが、飯食った後に工事するか?」
クローディオが近くの川から汲んできた水のタンクをベルに渡し、樹脂でパック詰めにした芋澱粉を剥いで、先程出して貰った鉄製の大鍋に出しながら訊ねる。
「はい。工事そのものは殆ど川の付近の採掘とその採掘したものをブロック状に積んで接着するだけですから。アーチ状の橋なら前に工法に関する書籍をバージニアさんから頂いていたので大丈夫だと思います」
「お前、何でも出来るのな。つーか、工兵一人で橋掛けかぁ……もう賞賛する語彙も無くなってきたな」
「そ、そんな……昔の人達の知恵ですから。そもそも魔術で物凄く楽をさせて貰っての事ですし」
「そうか。でも、大丈夫か? あのディミスリルはまだポケットの中を占有してんだろ?」
「あ、はい。それはフィー隊長に貰った術式を使って、一端外で保管します。野営地の倉庫を此処にも造って、結界で拠点化を」
「そうか。じゃあ、しばらくは此処で休めそうだな。明日の夕暮れ時まで此処を護らなきゃならんのは変わらんし、頼んだ」
「は、はい!! その、それでさっきから気になってたんですけど、クローディオさんは一体何をしてるんですか? 澱粉の粉は水で練ってから焼いても十分、主食に耐えるかと思いますけど……」
「何、昔取った杵柄というやつだ。せっかく、澱粉と水と塩があるんだ。色々これでも戦地じゃ作ってたんだぜ」
「作る?」
「まぁ、見てな」
沙漠の似合うエルフがニヤリとして、いつも戦闘時以外はそのままである片手を魔術で復元し、粉に水を加えながら練り上げていく。
その大量の澱粉がポロポロになり、ゆっくりと纏め上げられて、一塊になったと思ったら、その手が僅かに生地の上に当てられる。
するとモコモコと白い塊が大きくなった。
「分かりました。クローディオさんて器用なんですね」
ヒューリが男が何をしているのかようやく理解した様子で手を叩く。
「お嬢ちゃんはこういうの好きか?」
「ええ、でも、中央だと魚の乾物が昔は結構希少だったせいもあってか。食べる機会はそんなに無かったんです」
「「???」」
ベルとハルティーナが小首を傾げる。
「麺料理ですよ。膨らませたものを何度も押し潰してから平べったく伸ばして縦長に切ってお湯で茹でるんです。中央の麺料理は細いですけど、東部式のはもちもちで太いんですよ」
「そ、そうなんですか。でも、伸ばすものなんて無かったような」
「そこはほら。まだ、あるだろ? 木材」
ベルが首を傾げた後、クローディオに手を差し出されて、苦笑しつつも言われた通りの長さの木の棒を出した。
「おお、これこれ。このくらいが丁度いいんだよ」
と言っている間にも急速に発酵させられた生地がグニグニと見えざる魔術による打撃でも受けたかのように形を変えられ、最後には何処から持って来たものか。
大きなテーブルの上で平べったく棒で伸ばされて、打ち粉をされてから折り畳まれ、クローディオのナイフによって斬られていく。
数十秒で大量の麺の塊が出来上がり、数十人分のそれが用意もよく魔術でサッと沸かされたお湯に放り込まれてから数分で茹で上げられ、器へと盛られていく。
「これはこのまま食べるんですか?」
「いいや、オイ。アレ持ってこい」
ベルが訊ねるとパチンと指が弾かれた。
すると、再び団員が大鍋を以てやってきた。
その中にはたっぷり乾し野菜が入れられた塩スープが入っていた。
「これをぶっかけて喰うんだ。市街地戦だったから、水はあったんだよ。本当は魚や肉があれば良かったんだが、出汁が取れそうな骨もゾンビ連中のしかないからな。これで我慢してくれ」
思わずゾンビの骨で取ったスープを想像したベル達だったが、首を横に振って、出来立ての麺にスープを注ぎ入れて、さっそくの食事となった。
周囲は結界で蔽い、光が漏れないようになっている為、明るい。
ふーふーしながら食べ始めた少年少女がチュルリと麺を啜って、目を丸くする。
もちもちとした歯応えとツルリとした触感。
そして、とてもシンプルなスープと野菜の甘味が彼らの胃には優しかった。
「クローディオさん。コレ、美味しいです」
「そりゃ良かった。お前らは育ちざかりなんだから、ちゃんと食え。食って少し休んでから仕事だ」
エルフの手が順繰りにヒューリ、ベル、ハルティーナの頭を撫でた。
「……クローディオさん。もし祖国に帰ったら、食事処でも始めたらどうですか? 私はこの味、とても好きですよ」
ヒューリに元英雄は肩を竦める。
「それもいいかもな。帰れなくたって困るわけじゃない。全部、終わったら食事処の大将でも始めるか。はははは」
現在の部下達が『その時は絶対贔屓にしますよ!!』『いや、毎日飲みに行きます』『いや、食事処と一緒に酒場もどうです?』等と盛り上げながら、クローディオの麺類は大盛況の内に無くなったのだった。
*
夜半過ぎ。
順調にベルによる街の外周での掘削は完了し、大量の金属と珪素資材が橋を掛ける場所のすぐ横に建てられた倉庫内部に備蓄された。
連続での戦闘でさすがに疲れた大隊と偵察機動隊は2交代制で5時間ずつの睡眠へと入ることになり、今は何処の隊も身体を休めて静かだ。
野外での野営も考えられたが、せっかく家屋があるのだからと彼らは街の外縁部の家々に数人ずつ纏まって一部屋を使い背中を壁に預けて眠る事となった。
ヒューリとハルティーナがそれに合流しようとしたが、クローディオがお嬢ちゃん達はちゃんと護衛して車両で眠れとの言葉に従い。
結局はベルと一緒にキャンピングカー内で睡眠を取るとの話となり。
少年が資材を全て必要量揃え戻って来たところで本日の業務は終了。
明日、本隊を迎える為にフィクシーと連絡を行い終えた後は体を洗って就寝する事になった。
この時点で夜22時を回っていた為、ヒューリもハルティーナも疲れこそ見せていなかったが、後方スペースに入ると僅かな間でも仮眠を取ろうと目を閉じていた。
少年が今日はシャワーだけにして烏の行水よろしくササッと上がり、二人の目が閉じているのを良い事に即座に早着替えして、あのしっかりした下着を決して見せぬようシスコで得た寝間着に着替え、こっそりと屋根裏の寝台に入る。
そして、ようやく一息吐いてから二人に声を掛けると明らかにヒューリは残念そうな顔になったが、気を取り直してハルティーナを起した。
「ハルティーナさん」
「は、はい。すぐに入ります」
「では、一緒に入りましょう」
「え?」
明らかに上司的な立場にいるヒューリの言葉に少女がポカンとする。
「騎士の嗜みですよ。傷や自分では分からない異常が無いか背中なんかを確かめ合うんです」
「え、え?」
「知りませんか?」
「その……初めて聞きました……」
「フィーもしてる事ですよ。ね、ベルさん」
『は、はぃ……一応……』
消え入りそうな声で相手は自分だった事もあるという事実は少年の口の奥に消えた。
「ベルさんはもう入ってしまいましたから、女同士で確認しましょう」
「わ、分かりました。それがフィクシー大隊長がしているような騎士の習いだと言うなら、が、頑張ります」
「頑張らなくても。一緒にお風呂に入って、ちょっとだけお話しながら、互いの無事を確認し合う。それだけですから」
恥ずかしそうなハルティーナの手を牽いてヒューリが入浴スペース前でパサパサゴトゴトと鎧と衣装を落して、生まれた姿のまま、湯船のある室内へと入っていく。
『ヒュ、ヒューリさんはフィー隊長ともこのような事を?』
お湯を優しく流し、手拭で優しく拭きながら、少女がはいと頷いた。
『ぁ、ハルティーナさんの肌、綺麗ですね』
『そ、そんな事は……』
『それに身体も凄くバランスが取れてて、さすが武術を習ってる事だけあります……体脂肪率とか低そうなのは羨ましいです』
『じょ、女性はふくよかな方がいいと父や祖父は言ってました。ですから、もっと食べるようにと……ですが、私は元来小食なので……後、身長もあまり……』
『ハルティーナさんはまだ育ちざかりなんですから、大丈夫ですよ。それにこの背中……フィーと何処か似てます』
『フィクシー大隊長と?』
頷いたヒューリがシャワーで自らの慎ましやかというよりは大きな胸元を優しく洗いながら、横の少女に微笑む。
『フィーの背中は背筋が凄く浮き上がってるんですよ』
『そうなんですか?』
『あの大剣をずっと振り回していたからだと思います。でも、それはただ強そうなだけじゃなくて、憧れちゃうくらい綺麗で羨ましい背中で……お父様に似ていたかもしれません……』
『お父様……それって……』
『はい。ガリオス皇太子……私の父です。父も剣を振う人でした……
『フィクシー隊長とお父様が似ているなら分かるかもしれません。でも、私とはさすがに……』
『フィーは私達と数歳しか違いません。でも、私達よりも遥か遠く先を歩いている。もしかしたら、走ってすらいるかもしれません』
『……はぃ。私もそのように思えます』
『でも……』
『?』
身体を洗ったヒューリが手を引いてハルティーナと一つの湯船に誘った。
恥ずかしそうにはしながらもそっと一緒に入った少女が向かい合うようにして体育座りの恰好となった。
頭にタオルで髪を束ねた少女達は何処か不思議な面持ちで互いの顔を見つめる。
碧玉の少女は目の前の金糸の髪に女神のような優しい微笑を宿した彼女を前に何処か心が温かくなる事を感じながら。
金糸の少女は幼いながらも己の肉体で戦う戦士にして真っ直ぐな瞳をした後輩の透き通った真面目な瞳の色を嬉しく感じながら。
互いの髪から滴る水滴が湯気の中で湯船に波紋を作る。
煙る水。
上気した頬。
姿も形も年齢も違う少女達だったが、一つだけは確かだろう。
項から滴る煌くものが魔力の灯りに照らされて。
対照的な胸元を隠すようにした彼女達は確かに一人の相手に憧れている。
『違うのは一つだけ。きっと、フィーと私達の覚悟なんです』
『覚悟?』
『大陸中央では無駄に大げさで馬鹿げた話に聞こえるかもしれませんが、フィーには何かを犠牲にする覚悟がある』
『何かを犠牲に……』
『そして、それと同じように自分すら犠牲にする覚悟もまたあるんです』
『そんな……ッ……フィクシー大隊長は……』
言葉にならない否定のようなものが口に出掛けて。
しかし、ヒューリの言葉を否定出来ない己の内心に少女は口を閉ざす。
『きっと、この世界に飛ばされて、一番悩んで、一番苦しんで、一番決断したのは彼女で……だから、一番煌いて輝いて見える……そういう事なんじゃないかなって、近頃は思うようになりました』
『フィクシー大隊長が悩んだり、苦しんだり……当たり前のはずなのに……今まで考えた事もありませんでした』
『ですよね? 私も前はそうでした。でも、ベルさんと向かい合ってる時、恐ろしい敵と戦っている時、私達を導いている時、あの人は……フィクシー・サンクレットはきっと全力です』
『全力……』
『悩んでも、苦しんでも、決めて前に進む。己の命を掛けて仲間を救い、誰かの命を掛けさせて後悔せず……いえ、後悔しないように戦い続けた……』
『……ヒューリさん……』
『人の上に立つって言うのはああいう事なんだと。私は教えられました。もし、もっと早くフィーに会っていたら……いえ、私が少しでもフィーのように生きられていたなら、私の人生はまた違ったものになっていたのかもしれません』
少年はその言葉にガリオスという国家の内部での暗闘の末、バラバラになった家族の事を思う。
それは恐らくきっとずっとずっとヒューリの背中の上に背負われていくものなのだ……それをもう会えなくなった家族当人が望まぬとしても。
『ヒューリさん。私は騎士の家に生まれました。だから、元王族の方のご苦労や生き方が分かるとは思いません。でも、同じ騎士として……フィクシー大隊長に憧れた人として……一緒にその道行きへ共に臨みたいと思う事は分かります』
『ふふ、ハルティーナさんはしっかりしてるんですね』
『そ、そうでしょうか?』
『はい。あ、でも、ベルさんの事はしっかりしなくてもいいところもありますから、そこは譲れません』
『ベル様の事で? あの、お話がよく……』
『ベルさんは皆のベルさんですが、私やフィーのベルさんでもあるんです。だから……』
ヒューリの指がすっと胸元をちょんと突いて。
『ベルさんの事―――』
そっと、前に乗り出した少女の声は小さな少女の耳に呟かれた。
『~~~ッッ』
顔を真っ赤にした少女が思わず固まるのを横に立ち上がったヒューリが『先に上がってますね』と悪戯っぽく言って、頭をシャワーで流し始める。
その間、ハルティーナはプクプクと湯船の中に沈んで動かなくなるのだった。
やがて、タオルで流れ落ちる雫を拭き取りながら、車両に備えてある下着を身に纏った少女が寝間着を着て、屋根裏に続く梯子をペタペタと昇り始める。
『ッ~~~』
さすがにプルプルしていた少年だったが、ハッと逃げるより先に狩人は少年の薄いブランケットの上に覆い被さった。
『ベールさん♪ 夜のお話しませんか?』
『あ、あの、ヒューリさん?』
『ふふ、ベルさん良い匂い……少し冷たくて、こうやってずっと抱き締めていたいくらい……』
いつもよりも何か妙な程に明るい少女の様子にようやく少年は本日殆ど外套の下に隠れて見えていなかった新型の装甲と衣装の事を思い出す。
『ええと、ヒューリさん……』
『何ですか? ふふ』
抱き締めて幾らか満足した少女は後ろから抱き締めたばかりでは飽き足らず。
屋根裏に畳まれていたブランケットをマットレスの上に引き寄せて己でも被りながら、少年の背中に寝間着越しとはいえ、ピットリと寄り添い、脚の間に己の脚を割り込ませ、絡めるようにして指先で少年の肌をなぞった。
「ひぅ?! そ、そそ、その? 装甲の話を覚えてますか?」
「装甲? はい。ベルさんが私に造ってくれた世界に一つだけの鎧です。嬉しくて嬉しくて実は待機任務中も野営地では着てたんですよ!!」
「ぁあ、やっぱり……」
一応、少女に忠告していたのだが、どうやらあまり守られてはいなかったようだと頬を掻いて、少年が思い出す。
フィクシー、ヒューリ、クローディオ用の新装備受け渡し時の事を……。
―――数日前。
『次はヒューリさんのですよ』
『は、はい!!』
少年がクローディオの装甲の横に並んでいた見た目だけで宝石のようにダイヤの如くキラッキラな衣装と装甲の前に移動する。
通常の装甲とは違い。
何処かドレスのようにも見えるソレは華美だ。
スカート状の剣身染みたパーツが腰回りから十本程伸びており、装甲も胸部から普通のものと違って腹筋を通り、腰回りまで連結されている。
『あ、あのベルさん? 派手過ぎません?』
『あ、いえ、僕もそうは思ったんですけど、技術的に装備そのものの色はこれ以上変更しようがなくて……』
『いえ、それもなんですけど、ド、ドレス型のような……』
『フィー隊長やクローディオさんは技量や魔術でカバー出来ますけど、ヒューリさんはそういう隊長クラスの技能は持って無いので、同じくらいの防御力にしようとするとこれくらいの厚さや装甲の幅が必要なんです』
『う……が、頑張って強くなります』
『べ、別に技量が悪いって言ってるんじゃないんですよ? ヒューリさんは癒し手でもありますから、真っ先に倒れられると困りますし……少し装甲は広くして、もしもが無いようにってッ、そ、それだけで!!』
『うぅ、その優しさが嬉しくもあり、ちょっと複雑……』
『ヒューリさんも銃の扱いには慣れて来たようですけど、やっぱり本領は近接戦だと思うので、か、活躍期待してますッ』
その言葉はつまり技量が無いのに最前線で出しゃばると痛い目を見るだろうと思われている事の裏返しでもあり、やっぱり少女は複雑だった。
『分かりました。やっぱり、努力します(´;ω;`)』
『は、はい……ちなみに塗装するなら出来るんですけど、魔力波動ですぐ剥がれちゃうので。それに単色塗装とかヒューリさんの趣味でもないですよね?』
『え、ええ、さすがにちょっと……』
『気になる場合は魔力で外見や色を変えるオプションパーツをその内に用意するので。ご、御免なさい』
『い、いえ!! こちらこそ!? 我儘を言って御免なさいッ』
2人が互いに謝るのを見て、フィクシーが少年の肩を突いて説明を促す。
それに少年の説明が再び始まる。
『ヒューリさんの装甲なんですけど、まずはこのキラキラしてる原因からお話しますね。これは今実験段階のディミスリルを圧縮した代物です』
『皮膜じゃないんですか?』
『はい。あのオーロラの騎士が話していた言葉をフィー隊長に聞いたので今試してるんですけど、人口のダイヤを造るのと一緒でディミスリルもギュッと凝縮出来ないか色々……一番上手くいったものを使ってます』
『それで出来たのがこのキラキラ装甲?』
『はい。あのオーロラの騎士の破壊した装甲を全部回収、解析したんですけど。それを再現する為に造ってみたものです』
『ッ、あの騎士の鎧を?』
さすがのヒューリも驚きで固まる。
『さすがにすぐ同じものは作れませんけど、回収出来た破片から推測するにこのキラキラした状態から更に何段階か加圧して凝集した状態があると踏んでます。大規模な施設も無いし、騎士対策であまり魔力反応を出せないので少量しか生産出来ませんでした。ヒューリさんだけなのもそのせいです』
『そ、それを私なんかの鎧に使っちゃっていいんですか?』
『フィー隊長と一緒に戦うのに強い装甲は必要ですよね?』
『ぁ……ベ、ベルさん……』
オーロラの騎士との戦闘でフィクシーが自身の魔術の結果とはいえ重症を負った時、少女は酷く自分の力不足を後悔していた。
それを少年は知っていたし、何とかしてやりたいとずっと思っていたのだ。
その心遣いに気付いたヒューリが感動した様子となる。
『この装甲は基本的に転化前の魔力に対しては高い吸収性を誇り、強度、剛性、靭性どれもかなりのものとなります。ただ一つ欠点があって』
『欠点?』
『はい。その……着て貰えれば、分かるんですけど……自身の魔力を使い過ぎるとちょっと装甲から特殊な魔力波動で肉体と精神が賦活、高揚するみたいで……』
『それ弱点なんですか?」
『あの騎士が物凄く人の話を聞かなかったのも興奮や賦活のされ過ぎだった可能性があります。さすがに冷静な判断が出来なくなる可能性があるかもしれないものなので、僕が最初に着て色々と確認しました」
『そ、そうですか。大丈夫ですよ。私こう見えて冷静な方ですから!!』
『そ、それならいいんですけど。もしも辛くなったら言って下さい。というか、あんまり連続して着ない方がいいかもしれません。必要が無い時はこの車両に入れておく前の装甲と装備の方が……』
『辛く? よく分かりませんけど。はい!! 分かりました!!』
少女がそれから少年の説明を聞いて、基本的な武装の作り方はクローディオと同じだが、やはり持って使うと高揚効果がある武器である事を告げられる。
『後、ヒューリさん用の装甲と武装には幾つか新しい機能を搭載しました。クローディオさんと違って、これから発展の余地があると思って下さい』
『べ、ベルさんの本気を感じますね!!』
少年がヒューリ専用としてやはり少しパーツの一部がキラキラしているサブマシンガンのバレルをよく見せる。
『普通よりもパーツが何か厚い気がします」
『はい。バレルに術式刻印用の溝と魔力を手から引き込む導線を彫ったので』
『術式刻印?』
『これから僕の装備だけじゃなくて、現場では色々な状況が考えられます。弾丸の口径や構造なんかはこの世界基準で造ってますから、現地で拾った弾丸も術式と魔力だけで能力を刻み込めるって事です。基本的に今は視線誘導用の術式しか出来ませんけど、銃身自体を幾つか用意すれば、ディミスリル由来の能力以外は複雑でなければ何とかなると思います』
『うぅ、ベルさんが神様に見えます(感涙)』
ブンブンと両手を振って握ってありがとうありがとうと感謝するヒューリに少年は照れた様子となった。
『とにかく、ヒューリさんの装備は発展の余地があると覚えておいて下さい。魔力もかなり貯蔵出来るのでフィー隊長が使う【
『うぅぅうぅ、ベルさんッッッ!!?』
感動のあまり、更にヒシッと少年が後ろから抱きすくめられた。
『はぅ!? え、ええと、あ、あっちに試着室がありますから!? 詳しいところは一緒に付けた仕様書を』
『はい!! すぐに着替えてきますねッ』
こうして衣装と装甲と重火器を携えて、ニコニコしながらヒューリが扉の外に消えていったのだ。
しかし、最後の忠告はどうやら無駄だったらしいと少年が頬を掻く。
(やっぱり、精神が高揚し過ぎて、いつもとは違うテンションに……ぅう、魔力波動のシーリングが課題にな―――)
「ベールさん♪」
キュッとヒューリが密着する。
大好きなぬいぐるみを抱くような可愛がり方に少年が逃げ出そうとするも、少女の絡めた脚も太ももに腕も巧みに少年の反抗を事前に抑え込んでしまう。
「本当はずっとずっとこうしてみたかったんです。あぁ、やっぱり、ベルさんちょっとひんやりしてて気持ちいいです。ふふ……」
大規模戦闘での緊張が切れて箍の外れたヒューリがクニクニと少年の寝間着の前のボタンを解す。
「ヒューリさん?! え、ええと、どうか落ち着いて!!」
「ベルさん。私はちゃんと落ち着いてますよ? ほら、だから、ちゃんとボタンだって外せちゃうんです」
それ絶対、後で後悔するのでは……という理性がある時なら確実にしないだろうヒューリの行動に少年が汗を浮かべる。
いや、その背中は柔らかなものに包まれて嬉しいやら、少女の身体の柔らかさが恥ずかしいやら嬉しいやら、そういうのはあるのだが、少年は基本的に紳士なのだ。
大陸地方が幾ら婚期適齢期が15くらいからだと言っても、少年とて年下の少女が自分の鎧のせいでおかしくなっているのに色々気持ちいいやら勝手に少女の身体のほっとするような匂いに溺れるやらはダメだと思うのだ。
目の前の少女が大切であればこそ。
「うぅ……でも、ベルさん良い匂い。それに……あ、ちゃんと今も穿いててくれたんですね? フィーも喜びますよ。このデザイン、今度、わ、私も着ちゃおうかな」
「~~~ッ、ヒューリさん、そ、そこはダメです。なぞっちゃ、あぅ?!」
2人がイチャイチャしている間にも下では思いっ切りブランケットを被って頬を真っ赤にしたハルティーナが耳も押さえられずプルプルしていた。
(あ、あの噂、ほ、本当はヒューリさんとベル様の事だったんでしょうか。ぅぅ……戦場の流儀ではこの状況に対処出来ませんッ?!!)
こうしてラブコメがキャンピングカーの中に吹き荒れた時。
ズシンッと僅かながらの振動が彼らの全身を襲う。
「え?」
「じ、地震?」
「ヒューリさん!! ベル様!! だ、大丈夫ですか!?」
2人が乳繰り合っている屋根裏に思わず昇ったハルティーナがその反脱げな少年の痴態と“しっかりした下着”やらに気付いてしまうが、今は非常時だと2人の傍まで行って怪我が無いか確認した。
さすがにハッと自分の行為を他者に見られて我に返ったヒューリが顔を真っ赤にし。
「わ、私は、な、何をッ―――(/ω\)」
プルプルしながら両手で顔を覆った。
少年が何とかボタンで衣服を止めて、二人に話し掛けようとした時。
また、ズシンッとキャンピングカー内が揺れた。
そして、その時にボヤァッと外部から僅かに緑黄色の光が射し込む。
それにハッとしたベルが二人に即座、装備を着込むように言って、共に下に降りる。
それに従った二人は数十秒で衣装を着込み、装甲を纏い、外套を羽織って武装を完了させる。
「ヒューリさん!! 僕達の傍から離れないで下さい」
「え? わ、分かりました!!」
「外に出たらまずは状況確認を!!」
その間にもズシンッ、ズシンッと音が定期的に車両を震わせていた。
「これ敵なんですか!?」
「この異常時にチャンネルから通信が入って来てません!! 恐らく騎士達が南部で使っていたようなジャミングです!!」
「「ッ」」
ハルティーナもまた他の騎士達と同じようにこの世界でゾンビ化した鎧の騎士の話を聞いてはいた。
その恐ろしい力故にフィクシーやクローディオなどがいなければ、絶対に戦わず逃げろと言われていたのだ。
「行きます!!」
「はい!!」
「お供します!!」
2人がキャンピングカーを飛び出した瞬間。
緑黄色の光が更に強まり、街全体を照らし出す光景を見た。
「な、何ですかアレ?!」
思わずヒューリが驚く。
「光の……巨人?」
ハルティーナもまた相手の大きさに背筋を震わせていた。
街の西側の野に巨大な動く光の塊が屹立していたのだ。
「もしかして!?」
ベルが恐ろしい状況を一瞬で理解し、戦慄する。
「あ、あれは北の人達が逃げて来た理由である光るヤツのフロッカーかもしれません!!」
「フロッカー? 確か、ゾンビ達の集合体……え、もしかしてあの大きい奴が光るゾンビで作られてるって事ですか!?」
その言葉にようやくヒューリも現在の状況を理解する。
「さっきから銃声が聞こえて来ません。恐らく、精神攻撃で皆ダウンしてるんです!! 僕達があいつを街から遠ざけないと!! すぐに戦闘準備をクローディオさんを拾ってそのまま街からあいつを遠ざけます」
ベルが即座に2人へ屋根の上に上がるよう言って、ゴーレムを生成して運転席を任せ、自身は車両のスライドドアを開け放ったままで発進させる。
キャンピングカーが電動で動き出し、音を出さずにすぐ横の外縁部の見張りがいる場所へと向かったが、見えたのは倒れ込んでいる部隊の人員だった。
その中に僅かフラフラしながらも立っている相手を確認し、ヒューリが擦れ違い様に手を伸ばす。
それを跳躍して取った男が屋根に上がった。
「ぅ……お嬢ちゃん達か。状況は……解ってそうだな。大隊は行動不能だ。このまま襲撃されたらヤバい。あの光る化けもんを街から引きはがさなきゃならん。手伝ってくれ」
「わ、分かりました!!」
「はい!!」
「それにしてもどうして無事なんだ。いや、オレも気分が回復して……」
『クローディオさん。ご無事でしたか!!』
「ベル!! これもお前の力なのか!!」
『い、いえ!! ヒューリさんの鎧のおかげです』
「え?」
当人が一番驚いた顔をしていた。
『
「おお、マジか。それなら戦えるな。よくやった。ベル!!」
『でも、恐らく半径で5メートル程度しか効果が無いと思うので傍から離れないで下さい!!』
「あいよ。で、だが……あのデカ物はどうやって倒す? 爆破矢で何とかなるもんなのか?」
クローディオが言う事は最もだった。
その巨大な光る巨人は全長で20m近くもあったのだ。
それもずんぐりむっくりしており、まるで融けたゴーレムような分厚い身体を持っており、動きは鈍重だが、生半可な重火器ではどうにもならないのは誰の目にも分かった事だろう。
『騎士の襲来を防ぐ為にも大規模な魔力を用いた戦いは出来ません!! でも、火力だけなら集中のさせ方はあります!!』
少年がゆっくりの外套との内側に手を突っ込み、ソレを引っ張り出す。
大規模な魔力の使用で騎士のような敵の誘因が懸念されてから、少年とて無策のままでいたわけではない。
「皆さんコレを」
少年が3つの弾倉を浮かばせて、屋根の上に上げる。
「こいつは何の弾丸だ?」
「今は省きますが、相手に打ち込めば、複数体の周辺ゾンビを細切れに出来ます。ただし、射程は僕から20m圏内。更にその弾倉分しかありません」
光の巨人が外縁部にそろそろ到達しようとして更にその歩く速度を上げていた。
「分かった。つまり、接近してコイツをしこたまぶち込めばいいんだろ?」
「は、はい!! 運転はこちらで。三人で相手の全身を捉えるようにして貰えれば!!」
「行くぞ。お嬢ちゃん達にもヒット&アウェイってのを教えてやる」
クローディオが自身のサブマシンガンの弾倉を交換し、ニヤリと少女達に笑った。
*
それと同時に光の巨人は彼らに気付いたようだった。
後方へと回り込んでいた車両が100m先から突撃してくる。
それに即座反応した身体がまるでそのまま組み替えたかのように背後が正面となって彼らの方を顔が睨んだ。
突撃してくる車両に向かって手が伸ばされる。
途端、その腕の複数の部分からまるで誘導弾でも飛ばすかのように次々、光ったゾンビ達が彼らの車両がいた周囲へと降り注いでくる。
車両の運転席でゴーレム達が左にハンドルを切りつつ、相手の右側へとそのゾンビの砲弾を回避する。
地表でベシャシャシャシャッと弾け散ったゾンビ達は緑黄色の光を最後に一際強く発光させた後、フッと蛍ように儚く燐光を飛び散らせて活動を停止。
その瞬間、ヒューリ以外の三人が猛烈な肉体のだるさと吐き気、更に精神を掻き乱されるような不安に駆られた。
「うぐ?! ありゃ、精神にダメージ与えて来る能力か!? クソッ、コイツはぁ、本当に単なるゾンビじゃねぇ!?」
「ぅ……」
クローディオとハルティーナが口元を抑える。
「お二人とも大丈夫ですか!?」
「お嬢ちゃんはその鎧のおかげで大丈夫なようだな。射程に入ったら撃ちまくれ!! そう何度も至近であんなの喰らったら昏倒間違いなしだ」
「は、はい!!」
「残り50m!!」
蛇行しながら相手のゾンビ弾を避けつつ、接近するキャンピングカーの後を次々に光の爆発と燐光が追い掛ける。
ゾンビに偏差射撃のような敵のルートを予測して攻撃するという知能が無かった事は幸いだっただろう。
だが、伸ばされた手が地面を叩き付けた瞬間、爆発的な土砂が雨霰と周囲に降り注ぐ。
「くッ!?」
ヒューリがミニガンの掃射で大きな土石を虚空で薙ぎ払う。
それでも抜けてきた礫をクローディオが瞬間的に爆破矢で射って、数本が礫の嵐の一部に当たって、爆発の壁となって相手の一撃を防ぎ切る。
だが―――。
「な!?」
ヒューリが目を見張った。
相手の腕が伸びたかと思うと横薙ぎにされたのだ。
如何な大質量も伸び切った腕ならば折れるかとミニガンが腕の付け根部分に掃射される。
しかし、その判断が遅かったのは明白。
腕が千切れても、その横薙ぎの腕に掛かった慣性から動きは止まらず。
あわや車体に直撃。
そう思われた瞬間。
クローディオが爆破矢で何とか軌道を逸らそうとするより先に影が走る。
ズダッと屋根を蹴った碧玉の少女の外套の内部が顕わとなった。
彼女の瞳と髪の色にも似た碧き翡翠の輝き。
通常の衣装とも装甲とも違う。
極端に装甲を削り、その分を腕部、肩、膝、脚、腰回りへと回し。
太い二の腕と足の装甲はまるで丸太を思わせて細い少女の四肢を太く見せる。
だが、その飛び出した少女の脚が地面を蹴り付ける時。
膝から下の装甲が展開した。
獣の爪の如き鉤爪が大地を掴み。
足先までも覆った強靭な装甲が地面を蹴り付けた刹那。
『―――ッ』
蹴り付けた少女すら驚くような加速。
音速を超えて少女は跳ぶ。
その蹴り付けた際の衝撃を膝から上の装甲が受けたかと思うと【日輪機構】が立ち上がったと同時に積層魔力が2本。
腰の後ろから展開され、その棒状の先から受けた衝撃そのものを排出し、少女の身体をズタズタにするはずだった力を転化して更に少女を加速。
その拳が振りかぶられた時、腕の装甲が拳を護るように上から被さり―――。
ドゴオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!
インパクトした瞬間。
時速数十kmで突っ込んできた10トントラック12台分の衝撃をガントレット状に展開された装甲が受け切り、肘の部分に再び【日輪機構】の棒状の積層魔力のパーツが展開、その先から受け切った巨大な衝撃を束ね上げ、放出。
航空機のジェットエンジンかというような出力で少女の拳を前へと撃ち出した。
少女の真正面の壁。
無数のゾンビ達の顔や肉体が一直線上に拉げて解け、恐ろしい事に逆方向へと吹き飛びながら、次々に光と燐光を吹き上がらせていく。
『行って下さいッ!!』
ハルティーナが叫んだ。
が、上空に撃ち上っていたゾンビの一体が彼女の至近に落ちる刹那、閃光と燐光を噴き上げて、その姿が掻き消される。
「ハルティーナさん!?」
ベルが叫ぶものの、もう相手との距離は詰められている。
残り30m。
「あの子が置いて行ってくれたこれも使いますッ!!」
「すぐに終わらせて助けに行くぞ!!」
「はい!!」
5、4、3、2、1。
クローディオとヒューリが同時にサブマシンガンを掃射した。
その弾丸は狙い違わず視線誘導によって次々に巨人の全身に撃ち込まれていく。
輝く腐肉と衣服と人体の集合体はそれを意に介してはいなかった。
『行きますッ!!』
両手でハルティーナの分のマシンガンも打ち続けていたヒューリが少年の声を聞いた時には異変が起きている。
相手に撃ち込んだ弾丸が内部から爆発的に何か細い糸状のものを大量に吹き上がらせていた。
だが、それだけではない。
その糸が振動しながら相手を切裂いていく。
しかし、それだけでは相手も斃れなかった。
幾ら切裂かれようとも、腐肉がまるで蠢く生き物のように再度結合されて、糸を取り込んでしまったからだ。
だが、ボギュッと最初の音がした時、巨人の胴体の一部がまるで達磨落としのように僅か消えた。
―――ボギュォオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!
連鎖する巨大な吸引音のような何か。
それが何をしているのか屋根上の二人には最初まるで分からなかった。
しかし、すぐに腐肉の濁流が細切れになる肉体から噴き出し、光を発しながら垂れ流され、瞬時に消えたり、虚空へと現れる肉体の様子から、それが転移現象が弾丸で撃ち込まれた糸の輪の内部で発生しているのだと気付く。
「こいつはぁ!? ベルのポケットか!?」
「ッ、こ、これいつもベルさんが使ってる導線じゃないですか!?」
「はい。相手を瞬時に出し入れして切り刻んでるんです。ただ、大質量を一瞬で高速で出し入れするのは近くにいないと不可能なので」
「ははは……空間制御系の魔術師だって、こんなの中々出来ねぇぜ」
「空間制御の刻印弾です。ただ、色々と問題もあって」
クローディオが巨人がボチャボチャと血の川になって崩れ去っていくのを見ながら呟く。
巨人はランダムな解体+巨大な質量の体内へと出し入れ+その圧力による爆発的な肉体の加圧を超高速で繰り返された結果、閃光も燐光もその大きさに比べたら、かなり控えめに崩れ落ちて血と肉の汚泥へと姿を変えて地表に広がっていく。
「ヒューリさん。ハルティーナさ―――」
ドスリと少年の腹部が止まり掛けていた車両内部で光る細長い触手の槍のようなもので貫かれ、胴体と下半身が真っ二つになった。
「かはッ?!」
少年が崩れ落ちる。
瞬間、槍が腐肉の泥の中から現れつつある人型がのっそりと起き上がる。
それは2m程もある相手だった。
しかし、ただのゾンビでない事は一目で明らかだ。
滑った表皮は乳白色だが、培養ゾンビとも違うのは能面のようなツルリとした顔。
そして、全身を光らせながらもそれをまるで後光のように広げる触手が背中から大量に生えていた。
ゾンビにしては極めて発達した四肢の筋肉からしても明らかに普通ではなかった。
「いやぁああああああああああああ!!?」
ぶちまけられた下半身が操縦の止まったゴーレムの運転のおかげで車内から外に弾け飛ぶ。
クローディオが爆破矢を瞬時に連射したが、その殆どが光る触手が鞭のように伸びて、虚空で弾き落とし、事前に手前で爆破していた。
「チッ!? オレが釘付けにしとくッ!! 今はベルを!!」
「は、はい!!」
すぐに止まった車両内部に入った少女は顔を青褪めさせた。
血の海の中。
少年の上半身はその場に倒れ込んでいた。
「ベルさんッ!? ベルさんッ!!? しっかりして下さい!! い、今、治癒を!!」
そうしようとした手が少年の手に掴んで止められる。
「僕は……大丈夫、ですから……今はクローディオさんと……」
「そんなわけッ!? そんなわけないじゃないですかッ!?」
ポロポロと少女の涙が床に倒れ込んだ少年の横に落ちる。
「―――ヒューリ、さん……僕は……死にません。フィー隊長やクローディオさん……二人にはきっとバレちゃってると……思いますけど」
「ベルさんッ、そんなのいいです!! 今はお願いですから治癒をッ!!」
「僕……死んでるんです」
少女の動きが止まる。
「僕は……単なる動く死体……人のように動けて話せて……でも、死なない……あのゾンビ達と同じ……不死者なんです……」
「そんなの―――そんなの知ってましたよッ!!」
少女の顔が笑みを作ろうとして歪む。
「え――――――」
少年の顔が見上げられもしない少女の瞳から落ちる雫だけを床に見た。
「そんなの知ってましたッ!! あのお医者さんが愚痴ってるのこっそり聞きました!! でも、ベルさんが大事なのは何一つだって変わりません!!」
少年は固まっていた。
「ベルさんが私に言ってくれた事!! 嬉しかったッ!! こうやって一緒に戦い続けられて嬉しかった!! ベルさんは何も悪くないですッ!! ベルさんはいつだって私達の大切なベルさんですッ!!」
「―――僕も……お役に立てて……嬉しく……」
少年が吐血した。
「ベルさん!?」
「今、は……クローディオさんと一緒に……南東から……大規模な反応……ゾンビが誘因さ……れッ、ゴホッ?! 僕は、死にませんから……だから、皆さんを……お願いします……コレを」
少年がまだ無事だった手で外套内から小さな指輪を取り出した。
「僕のポケットの、本体となる魔術具、です……僕との距離に気を付けて……延伸用のビーコンと合わせて、クローディオさんに……」
「―――分かりましたッ……絶対にすぐ戻って来ますッ!! ですから、少しだけッ!! 少しだけ待ってて下さいッ!!」
「はぃ……」
貰った指輪を握り締めて、少女が立ち上がる。
それを見た少年は優しく瞳を細めた。
「クローディオさん!! 南東からゾンビの大きな群れが近いそうです!!」
少女がすぐに屋根上に指輪を親指で弾き上げ叫ぶ。
「大隊の連中はまだ使い物にならないが、しょうがねぇ。此処で迎え撃つ」
それを掴み取りながら、クローディオが拳を握った。
「いえ!! クローディオさん。此処は私に任せて貰えませんか!!」
「何?! 正気か!? お嬢ちゃんの力じゃ―――」
クローディオが少女の肉体からゆっくりと立ち上る魔力の転化光に目を見張る。
「私は大多数のゾンビと戦う術は持ってません。それがあるのはクローディオさんだけですッ!! だから、ベルさんもその指輪を……私が此処でコイツを食い止めるッ。いえ、倒しますッ!!」
男は僅かだけ、その言葉に真下にいる少女の羽ばたく音を聞いた。
「―――あぁ、分かった。大隊長命令だ!! やっちまえ!!
「はいッ!!」
一人前と認められた少女が飛び出す。
それと同時に相手を信じたクローディオが南東に向かって跳躍し、家屋を蹴りながら加速していく。
そして、腐泥の中より現れたソレは新たな獲物を前にして何処に口があったものか。
巨大な獣のような吠え声と共に空を仰いだ。
触手が一斉に血肉の沼の内部より湧き出し、少女を狙って殺到する。
だが、緑黄の光に照らされて煌くドレス型の鎧が一回転した時。
スカート状の剣身が魔力の糸で腰回りの装甲と連結されつつ、射手されて触手を切裂いた。
再生しながら襲い掛かる無数の触手達は術師の視線誘導で高速で虚空を掛ける巨大な弾丸と呼べる剣と拮抗する。
「私はッ、今ッ、怒ってるんですッッ!!!」
ジャキリと少女はその己の装甲と同じく煌く帯剣を相手へ向ける。
ゴッとその刃が色を深く深く黒く黒く染めていく。
魔力の吸収。
それはディミスリルの本質を引き出す。
その物質は確かに魔力を吸収するが伝導性がそう良いわけではなく。
膨大な魔力を貯め込めるものの。
それだけではただ魔力の宿る金属にしか過ぎない。
しかし、加圧されて凝集する事。
そして、その魔力が人為的に積層化されていく事で原子結合状態そのものが変化してゆく。
まるで生きているかのように刻々と状態を変化させながら与えられた魔力そのものを最低単位から通常空間では考えられない程に取り込んで凝集するのだ。
「ッ―――」
少女の怒りに呼応して、剣の表層1μmという極薄の層が色を宿した積層魔力の皮膜として形成されていく。
「必ずッ、倒すッッ!!!」
大陸には様々な魔力があるが、それを光に純粋転化した時の色こそが、その人物にとっての魔力の色という常識がある。
パーソナルカラーとも言える為、ソレは言わば目印でもあるだろう。
戦場で同じ色の光を見れば、そいつと分かるのだから。
少女は今までずっと己の色を偽って魔力の転化光を意識的に純粋な光波に再転換して使ってきた。
単色があまり好きではなかった少女にとって、ソレはあの日……母が死んだ日以来、初めて剥き出しにする殺意なのかもしれず。
黒く黒く黒く黒く。
ガリオス王家が絶対者として君臨していた当時、その王権への反抗者達曰く。
あの黒き暴君を滅せよ。
そう言わしめたガリオス王家の血統由来の色が積層化してブラック・オニキスのような光沢でドレスまで染めていく。
「やぁあああああああああああああああああああ!!!!」
少女は駆け出す。
触手の群れは剣が切裂き。
その背後や側面を防御する。
己の五体でもまた触手を使わねばならないと理解したのか。
その光るヤツが両腕を前に突き出す。
それは一瞬で極細に分裂、瞬間的に視覚で捉える事が難しい糸―――否、錐の如く目の前の対象を貫通、出来なかった。
少女の両手持ちの帯剣と鎧。
その表層から発される魔力波動が極小の世界においては巨大な波の如く、分子を揺らし、あらゆる物質を一定以下の体積からは彼女の周囲から弾き散らす。
それはまるで結界。
毒ガス、ウィルス、細菌、炎、何一つ彼女を傷付ける事は能わない。
一閃。
その触手の多くが袈裟斬りにされた。
ゾンビの触手が今度は相手を打撃しようと凝集され、一瞬引っ込められてから乱打された。
少女の剣技など素人と玄人の境にある程度。
良く言えば3流。
そのような連打を捌き切れるような代物ではない。
が、強引に突き進む彼女の両腕の脇に二本ずつ積層魔力の小さな柱が突き出て、打撃を受ける度に切っ先からジリジリと消耗しながらも全ての攻撃を見えざる領域内での刹那の衝撃中和でいなしていく。
百撃。
二百撃。
しかし、少女は止まらない。
「はぁあああああああああああああああ!!!!」
初めて距離を詰められ続ける相手に焦りのようなものが見えた。
それは躊躇だ。
そう、そうとしか言いようの無い僅かな間隙。
攻撃方法を選択しあぐねたような隙が全ての勝敗を決する。
最初に何十mだった距離は少女の長いようで短い突撃で……もはや10mもない。
全ての触手が両腕に集束され、打撃の威力を増していく。
9m、彼女の脚は大きく一歩。
8m、彼女の腕は更に剣を構え。
7m、終にその強固な両腕の積層魔力柱が削り切れる。
6m、だが、継続される打撃はしかし全て鎧を腕を剣を強打しても少女は止まらず。
5m、剣に触手がめり込んで尚、突撃は止められず。
4m、3m、2m、1m。
触手を弾かれ、剣が降り上げられ、大上段から落とされ、剣先が己を割く寸前にソレは自身の全力での防御を選択し、両腕をクロスさせて間に合わせた。
その触手の硬度は極めて堅く。
捩じり合わせられ、凝集された細胞が硬質化し、培養ゾンビ達と同じように強固なカウンターへの布石を形成した―――。
斬ッッッ。
たった一太刀。
素人にしか過ぎない彼女の渾身が、まるで憧れたあの人のように、いつも守ってくれた誰かの背中にも似て、彼女の頭部までも地に這うように低く。
それを狙わずにはいられないソレだったが、その意識は確実にその瞬間だけは2つであったに違いない。
人間を二つに分けたなら、どちらが本物だろうか?
ゾンビと呼ばれるソレは別たれた半身を見る事なく。
ただ、最後に彼女の後ろにある光景だけをその触手の中に紛れている幾つかの瞳で見た。
大きな車両。
その中に上半身だけを横たえて、血と臓物を垂らしながら、それでも僅かに首を上向け、少女の姿を眩しそうに見て、唇の端を曲げた少年。
今、その瞳にはきっと敵など映っていない。
黒く研ぎ澄まされた一振りと。
ようやく護るべきモノを後ろにして成長した少女の艶やかにすら見える黒と金の色彩のみが、夜半に掛かる沖天の月の下、確かに煌いている。
きっと生きてはいないのに、死体の癖に、今斃れるソレと同じなのに。
そのソレにすら羨ましいという感情のようなものを、思い起こさせるような―――幸せそうな顔で『僕達の、勝ちだ』と
剣先から爆発した魔力の完全転化による熱量と衝撃。
それが何もかもを白く白く染めていった。