「………アレ?」
声を出した彼、白木二真が目覚めた時。
看護師が慌てて医者を呼びに行き。
視線だけで此処が病院だと気付いた少年はふと見知らぬ少女。
否、美少女が自分の胸にその白く柔らかそうな手を置いているのを確認して、思わず心臓を高鳴らせた。
金糸の髪と自分の顔を覗き込むような神秘的な瞳。
顔立ちだけで何処のラノベだよとツッコミを入れそうになった彼はしかし……フラッシュ・バックした地獄を前に一瞬で錯乱しそうになり、そっと自分の頬に触れる手の柔らかさと冷たさで我に返った。
『安心して下さい。此処には貴方を傷付けるモノはいません。私はヒューリア……貴方の身体の発熱を押さえる役をしています』
奇妙な違和感。
喋っているのに声が何か日本語とは違うような。
しかし、少女の慈しみの感じられる手に触れられて、起き上がろうとした身体はトサッと寝台に背中を投げ出された。
「ヒューリア、さん。オレの仲間……どうなったか知らねぇ?」
『……その事については事前に今から来る貴方の上司の方がお話すると聞いています。そろそろ……』
来ると思っていれば、確かに仮面の野戦服姿の男が病室内にやってきた。
そこでようやく彼は此処が個室だと気付く。
「気付いたか」
「教官……」
ヒューリとは反対側の椅子に腰を下ろした男がカズマを上から覗き込む。
「生死の境を彷徨ったにしては顔色がいいな」
「死に掛けた部下への第一声がソレかよ」
「ああ、そうだとも……お前は戻って来たんだ。彼ら善導騎士団のおかげであちら側からこちら側にな」
「善導騎士団?」
「今はいい。気分はどうだ?」
「悪くは無ぇよ……美人さんに看病してもらってっから」
「そこまでの口が利けるならいいだろう。気をしっかり持て、覚悟を決めろ」
「何だよ……急に……そんなんじゃ本当に教官みたいだぜ?」
「ああ、オレは……お前達の教官だからな……」
男が声を押し殺した。
初めてだろう。
その巌のようだと思っていた実力者の涙を見るのは。
仮面の下から流れたモノが髭に染みていた。
「………覚悟完了した。で、何だ? 教官」
「二人の腕だけは発見した。他の連中に関しては身体もだ……頭部を発見出来なかったのは全部で3人……ヴァルター・ゲーリング、ユンファ・ラオ、ユウヤ・ノイマンの三人だ」
「―――馬鹿だよなぁ。オレ達、あんなのと戦おうとしていたんだぜ?」
「カズマ……」
男が何とも言えぬ表情で寝台の上に声を掛ける。
「なのに、グダグダ愚痴ってさ。普通の学校みてぇに思ってたんだ……努力とか、根性とか、それでどうにかなると思ってたんだ……ホント……馬鹿だよなぁオレ……」
雫が零れ落ちる。
「もっと、オレが強かったら、少しでも誰かを護る術を持ってたら、あいつら……死なずに済んだかな……なぁ、教官……オレ、強く……成れる……か……な……」
溢れ出したものが少年の瞳の横を止めどなく流れ落ちていく。
「今は休め。お前の身体を安定させるのが先だ。その後の事は彼らと共に決めねばならない。お前達の肉体に使った技術及び現在進行形で使われている諸々の力に付いても話し合わねばならん」
「……そう言えば、オレ以外にもいたんだ。あの人に背負われて……」
「彼女はお前とは違い安定していて、先に目が覚めた。今はお前と同じで善導騎士団の方に付き添われている最中だ」
「そっか、助かったんだな……良かった……何だか疲れちまった……寝るわ」
「ぁあ、今は眠れ……お前が次に目を覚ますまでには色々と決まっているはずだ」
静かに瞳に涙を貯めて瞳を閉じた少年が確かに意識を落した。
それを見た少女が指の端で涙を拭う。
「ありがとうございます。本来ならば、関東全域の対策をしなければならない状況だと八木一佐から聞きました。この時期にこのような手間を……」
『いえ、私達の判断ですから。それにあの程度のお仕事ならベルさんは此処でお茶を啜ってる間に終わらせちゃいます』
「……頼もしい限りです。どうかカズマをよろしくお願いします」
『任されました。善導騎士団の名に掛けて……この方が安定するまでは必ず護り通しましょう』
頭を下げた安治が室内から出て行った。
「………それにしてもベルさんが心配です」
本当なら自分が女性に付くべきだと彼女は思っていたのだが、治癒の超常の力を一緒に重ね掛けしなければならない相手が少年だった為、彼女はこちらに付いているのだ。
(ああ、また女性とお近付きになってたりしないでしょうか。ベルさんは好かれ易いですから……心配です……本当に……)
少女の勘はよく当たる。
そして、同時に心配は杞憂でもない。
いつだって少年の優しさや穏やかさや強さは理解されるのだ。
本人は自分は大そうな人間じゃないと固く信じているが、女性の大半には少年のそういう微妙に天然だったり、死の観念が独特な為に奇妙な包容力を持つところがきっと取っ付き易いし近寄り易い。
聞き上手な少年がまた女性に対して物凄く納得させられてしまうような言葉を持って救ってやしないだろうかとハラハラするのは別に間違っていないだろう。
そんな、少女の懸念はその頃、別の病室で既に現実となっていた。
*
「――――――?」
目を開け。
キョロキョロと視線だけを彷徨わせて。
ふと目の留まった小さな背丈の少年。
それを前にしてルサールカ・グセフは自分は死んだはずだと首を傾げた。
四肢を完全にもぎ取られ。
最後を待つばかりだったはずで。
どうにもおかしな状況であり、生きているという実感を前にして、己の四肢に感覚があるという驚くべき状況を前にして……ただ、どうでも良くなった。
「あ、良かった。目覚められたんですね」
「………」
「えっと、此処は皆さんがいた場所から一番近い大病院だそうです。ええと、ルサーリュカさん」
「ルサルカ……」
「ご、御免なさい。新しい言語に慣れていなくて」
「君は?」
「僕は善導騎士団所属のベルディクト・バーンと言います。ルサルカさん」
「ぜん、何?」
「気にしないで下さい。自衛隊と協力関係にある組織から派遣されてるだけですから」
「……もしかして、手足を直してくれた?」
「あ、はい。僕の力じゃなくて、シスコの技術なんですけど」
「シスコ……北米の?」
「はい」
頷いた少年の瞳を覗き込んで。
ルサールカ。
あの師団において成績最上位優秀者だった存在は瞳を胡乱にした。
「あ、今、教官の方をお呼び―――」
ガシッとその少年の扉に向かおうとした手が止められた。
「いい。理解してるから……蒼褪めた騎士の馬の攻撃で死に掛けた。死ぬはずだったボクを君の組織が助けた。それでいい?」
「あ、は、はい。ご、ご冷静なんですね」
「……想像は付く」
何処か余所余所しくルサルカが呟く。
「その……お休みになりますか?」
「被害状況だけ聞かせて欲しい。生き残りは?」
その言葉にベルが僅かに逡巡するも真面目な瞳になる。
「ルサルカさんともう一人。カズマさんという方が助かりました」
「………」
「えっと、まだ点滴があるので水は飲ませられないんですけど。何か希望はありますか?」
実際、ルサルカの周囲に大量の点滴用のパックが吊るされている。
「事件発生から何日経った?」
「23時間と少しです」
その言葉にルサルカが息を吐いた。
「……何処の団体? MU人材なのは分かってる」
「え? あ、こっちだとそういう名前なのは知ってますけど、北米の方にいたので……その……」
さすがに異世界から直接来ましたとか言えない少年が半笑いで誤魔化す。
「………」
「え、ええと……何か希望はあり―――」
「それはさっき聞いた」
「ご、ごめんなさい!?」
「怒ってない。今の日本にこれくらい精度が高い義肢は存在しない。それに……この瞳も……」
ルサルカが少年の瞳の中に映る自分の瞳の灰色の虹彩を見て呟く。
銀髪のショートカット。
妖精のような顔立ちは丹精で体付きは陸自の隊員だと言われても絶対に信じて貰えそうにない程に細かった。
筋肉は付いているが、皮下から浮き出る程ではなく。
力強さよりも何処か小鹿を思わせるようなか弱さが滲む。
痩せっぽっち。
そう故郷で言われたものが今は僅か線の厚みを増しただけ。
其処にいるのは目付きも年頃としては悪いだろう半眼の乾いた瞳の少女で。
「ぁ、その……聴いた話だと助けられた時点で……」
「こんな高精度の義眼まだ米軍ですら開発途中……凄い処に所属してるね……」
少年が理知的な相手の回答で本当に優秀な人物なのだろうと理解する。
しかし、そっとそのブランケットの上に置かれた包帯で巻かれた手に手を重ねて微笑む。
「……何のつもり?」
「泣けない事は悪い事じゃありません」
「―――」
ルサルカの息が一瞬止まった。
「僕にはルサルカさんのお気持ちは分かりません。でも、貴方が今、悔しい気持ちで一杯なのは分かります……」
「何、を……」
「死から一番遠い顔をしてますから」
「死……」
「でも、今は休む時です。僕の上司の人が言ってました。休むのも時には戦いだって……」
「………………かもしれない」
ルサルカが瞳を初めて俯け、そう絞り出すように呟く。
「お食事は明日の検診が問題無ければ出るそうです」
「……解った。ありがとう……ベルディクトさん……」
何処か消え入りそうな声。
それはようやく見せられた弱みかもしれず。
「ベルでいいです。皆、そう呼ぶので……それに……」
「?」
「人を助けるのは善導騎士団の理念であり、任務ですから」
少年は笑顔だ。
そして、それは確かに人を安心させるようなホッとするような月灯りを想わせて穏やかさに満ちている。
「……ルルカ」
「え?」
「……嫌いだったけど、皆ボクの事をそう呼んでた」
「そうなんですか? あ、いえ、カワイイと思いますけど、ルサルカさんには確かに可愛過ぎるかもしれませんね」
「―――ッ」
驚くルサルカを前にして少年が自然にニコリとする。
「ルカ、とかでいいんじゃありませんか?」
「どうして……」
「?」
「どうして、そう思う?」
「だって、ルサルカさんは男性の方ですよね?」
今度こそ
「下着は……あ、一応支給されてるんですけど、女性用なのでもし良ければ、こっちでご用意します。ええと、僕の分を東京で大量に買い込んであるので未使用品が実は一杯―――」
サラッと少女達には秘密で買った男性用下着について暴露した少年だが、同性相手には遠慮する必要もないだろうという顔だ。
「どうして……」
「?」
少年が僅かに小首を傾げる。
「ええと、鳥が魚になる事は無い、ですよね?」
「――――――」
誰のどんな答えでも彼は納得しなかったかもしれない。
だが、少年の言葉は不思議と胸の底へ腑に落ちるものとして届いた。
「も、もしかして鳥も魚になるんですか?! いえ、ゾンビ化したら確かにそうなるかも?! だとしたら、ゾンビってお、奥が深いんですねッ」
怖ろしい事だと少年が何処か抜けて真面目顔になった。
「そ、そんな事は無い!?」
その言葉にホッとした少年が
「それじゃあ、一度起きてから眠ったって報告してきますね。そのまま寝ちゃってて下さい」
「……ありがとう。ベル君」
確かに今までとは違う心情の籠った言葉だった。
「いえ、ルカさんのような凄い方の看病が出来て良かったです……治療した時、見させて頂きました。貴方は主がいないとはいえ、あの蒼褪めた騎士の力を前にして、自分の身を護り切った。四肢が無いのは全ての攻撃を両手両足で受け切ったから、ですよね?」
「……誰も、護れなかった……ボクが組長だったのに……」
初めて、声は震えて。
「生き残った。まずはそれを喜びましょう。僕も仲間にあの騎士から助けられた時、そうしました……」
「ッ、君は蒼褪めた騎士と戦った事があるの?」
歪んだ顔に笑みが返る。
「戦ったなんて、そんな大そうなものじゃありません。前後の記憶も無いし、ただ生き残った……それだけです」
少年の言葉はカラリとした天気のように明確だ。
生き残る事。
それが勝利であると。
少年は身を以て示していた。
「……また、会える?」
「はい。しばらくは此処からカントウの隔離計画を行う必要がありますから」
「関東を隔離?」
「あ……ええと、どうせ後で発表されると思うんですけど、カントウ圏の大きな災害が更に拡大する可能性があるので……物理的に封鎖する事にしたんです」
その言葉はまるで目の前の少年の発案のようだ。
だが、ルサルカ……ルカの耳にはそれが真実と聞こえた。
「どうやら、君は……凄い人らしい」
「い、いえ?! 僕なんてとてもとても!? というか、ソレは無しの方向になったので!?」
思わず大きな声になった少年がまだ病院だという事に気付いて口元を手で押さえる。
「と、とにかく、また来ます。ルカさん」
「うん……また、ベル君……」
少年が病室からひっそりと頭を下げて去った後。
彼は自分の薄く僅かに膨らんだ胸元に包帯に巻かれた指先を微かに当てる。
(……今まで男なんて嫌いだったのに……この気持ち……悪くない……)
その日、日本政府によるパンデミックの隔離が日本中に通達された。
もしもの時、ゾンビを迅速に封じ込める為の議会の承認を通さない各地域の封鎖は内閣府及び総理の専任案件として法整備されており、国民にはこのように発表される事になる。
―――ゾンビと同等の未知の要因によるパンデミックの発生が確認された為、関東全域の物理的な隔離を実施し、正常化もしくは制御可能な状況になるまで関東圏の指定地域は2次封じ込めの対象として自衛隊及び警察による調査活動が終了するまでの間、全ての人と物の域外への移動を原則禁じる―――と。