神霊ブリュンヒルデによって創造された
ヴァルハラに選ばれし人間はその寿命が尽きるまで安寧の生を約束される。使命があるとすれば、相性の良い異性を苦労なく宛がわれ、獣の本能のように性交を行い、子を為すだけの簡単な仕事のみだ。それになんの不満があろうか。
喰い、寝て、子を増やす。その繰り返しを行うだけで生を全うできる。命を脅かされることなく、ヴァルハラで行き続けることができる。生命の危機から最も遠い場所。そこがヴァルハラだというのに。
「理解不能。貴方達はなぜ抗う」
「誰が好き好んで飼育小屋に行く阿呆がいるかってんだ、この野郎!!」
兵士は叫び、健気にも剣を振るう。その動きは実に単調。神代の魔術師による魔力ブーストは見られるが、動きそのものは一兵卒に過ぎない。だが、そこには自分達では計れない何かがあった。魔力でもなく、神気でもなく、もっと根底にある、計器では計れない何かが。
「無駄な過程です。無駄な抵抗です。大人しく我々についてくれば、痛い思いもせずに済むものを」
「ごッ………」
兵士は壁に衝突し、崩れ落ちる。
「臓腑にダメージ蓄積。肋骨二本に亀裂。加減はしましたが、やはりヒトは脆い」
「ぐ……ぬぅ………」
彼は両手を地面について体を痙攣させている。すぐに立って再度立ち向かおうという気概だけは伝わるが、ヒトの身体はそう簡単に思い通りに動いてはくれない。
「理解できたでしょう。これがヒトの限界です。我々が軽く突くだけでこの始末」
「なにを……まだ、まだだ!」
痛みを押して兵士は立ち上がるが、口からは一筋の血が垂れている。臓器にダメージがある証拠。
「我々が約束しましょう。今のような痛みも、これから先の貴方の人生において訪れることはない。辛いことも、痛いことも、未来永劫排除しましょう。貴方は大切な―――」
「資源だから、だろう?」
美女の甘言を兵士は切って捨てた。
「お前達は俺達をヒトとして最高の暮らしを提供してくれると宣うが、その実、ヒトとしてのあり方を一切見ちゃいねぇ」
「ヒトのあり方………?」
「そうだ、ヒトのあり方だ。確かに俺達は脆い生き物だよ。幻想種にだって食い殺されて当然のか細い命だ。あんたらみたいに不老でもない。時間が過ぎれば老いる。肉体も脆弱になるさ」
だからこそ子孫を残す。次へと繋げる命をこの世に産み落とす。男も女も、どっちも欠けてはならない。互いに寄り添い合い、助け合い、そして次世代へ繋げていく。
「その短い寿命と脆い肉体を背負ってるからこそ、人間は今を必死に生きてるんだよ」
誰しもが明日には呆気なく死ぬかもしれない不確定な生を理解しながら進んでいる。
誰もが病にしろ、殺されるにしろ、そんな理不尽な出来事を常に抱えて立っている。
「どんなに苦しい人生であろうとも、自分で決めた自分の道を行く。たとえそれが間違っている選択の連続であろうとも、それでもヒトは噛み締めながら進んでいく。その過程を得てこそ、ヒトの歴史だ。ヒトの人生だ」
間違った選択をしたから、次に活かそうという意思が生まれる。後悔があるから、その苦い記憶を乗り越えねばならないと思える。そしてそんな過酷な人生の中に、少なからずある幸せがあるからこそ、人はその一瞬一瞬を充実した記憶として刻むことができる。
「だから、あんたらの提供するヴァルハラってのには刺激がない。ただ飯を与えられて『生かされている』だけだ。少なくとも俺は『生きたい』んでね。自分に恥じない生き方をしたい。悪いが、最後まで抵抗させてもらう」
「愚か」
「おいおい、人間を集めているくせに知らなかったのか?」
剣を構え直し、
「人間は愚かな生き物筆頭だぜ?」
「――――」
その言葉を聴いた後、
尤も、そう少なからず思ってしまった兵士はなかなか能天気と言わざるを得ないが。
「勇士足りえるヒトの観察、終了。これ以上の会話は不要と判断。各種同固体、同調。対応変更。繰り返す。対応を変更せよ」
沈黙したかと思えば、今度は小さな声で独り言を喋り始めた。
「なにぶつくさ言ってるんだ……?」
「馬鹿者、あれは誰がどう見ても良くない予兆だ」
いったいいつの間に。この都市お抱えの大魔術師が自分の隣に立ってそう言った。
「大魔術師殿!」
「すまんな。早く助力してやろうと思ったが、流石に手が足りんかった」
大魔術師は負傷した兵士の肉体に治癒魔術をかける。先ほどまで疼いていた痛みが徐々に軽くなっていく。これが魔術師の扱う神秘。この身で受けたのは初めての経験だ。
「ありがうございますッ!」
「感謝など必要ない。それより、周囲の戦況だが」
「やはり芳しくないってところですか」
大魔術師が直接言わずとも、周囲を見渡せば分かる。この都市の地面に倒れ伏している多くの人影は此方の兵士であり、
「皆もよく踏ん張ってくれているが、どうにも、このままでは押し切られるのも時間の問題だ」
「瞬殺されてないだけマシとでも?」
「あの半神の群集相手にここまで粘れているのなら勲等賞ものだ。次の世代に語り継がせてもいいくらいだ。まぁ、一方的に圧されている負け戦であるからそこまで威張れはしないがな」
「もう十分この街の為に誠意は尽くした。逃げるならば、今しかない」
戦わずして兵士としての役割を放棄するばらば、卑怯者と罵られても致し方ない。しかしこの絶望的なまでの戦力差においても勇敢に立ち向かい、役目を果たそうとしたのなら、勝てぬと悟り逃げたとしても誰も非難はしないだろう。いや、する人間もいるかもしれないが、少なくとも義務は果たしている。それにこれは血みどろの戦ではないのだ。誰も死者はいない。それだけでも随分と優しい戦いだ。命を賭けるほどの理由が何処にある。このまま戦い続けたとしも勇敢ではなく、蛮勇。なんなら戦略的撤退という理由付けをしてもいい状況だ。
大魔術師は戦況をよく見ている。根性論ではどうにもならないものだと理解したならば、すっぱり諦めて次なる打開策を模索してこそ潔い生き方だと知っている。
しかし、哀しいかな。兵士はそこまで賢くは生きられない。特にこの一兵卒は、特別頑なだ。
「悪いが、大魔術師殿。俺はさっきこいつらにヒトの人生を何たるかを教えてやっちまった。まぁ俺流の主観による俺の理論だが……そんな偉そうなことを半神に言った手前、今更逃げられねぇよ。というか、民が攫われると分かっていて逃げるとか格好悪すぎて嫌だ」
「分かってはいたが、強情がすぎるぞ兵士君」
「俺は俺なりに自分の生き方に恥じない人生を歩みたいんでね。この大一番、胸を張れない選択肢なんてごめんだ」
「やれやれ。根暗な魔術師には理解できん」
「それで結構。それよりも大魔術師殿こそ逃げてくれ。役目を果たしたというなら、大魔術師殿こそ相応しい」
大魔術師も良く見れば満身創痍。顔色も優れていない。いつもの余裕綽々、飄々とした態度がナリを潜めている。今まで逃げず、隠れず、兵士全体をサポートしてくれた証拠だ。魔術師は卑怯で誇りも無いと言われているが、それこそまさか。この大魔術師のどこが卑怯者であろうか。
「私は逃げんよ。
「言い訳が下手すぎてこっちが恥ずかしくなるから止めてくれないか、大魔術師殿」
結局、互いに逃げる気は無いということだ。まったく笑えない。いや、ここは笑うべきなのでは? あまりにも馬鹿馬鹿らしくて笑わってしまえるのだから。
「そら、君がモタモタしているから囲まれたじゃないか」
「おおっと」
気がつけば兵士と大魔術師の周囲を10騎もの
「逃げ道は文字通り塞がれたな」
「ハラを括るしかないですなぁ」
「もうハラを括りすぎて捩れてしまいそうだよ、私は」
「おっ、それ魔術師ジョークですか大魔術師殿」
「笑えるかね?」
「笑えないです」
兵士と大魔術師はそんな会話を交えながら剣と杖を構えて背中を預け合う。退路を断たれたら覚悟もより決まるというもの。
「「「「もはや会話は不要。これよりヴァルハラにお連れします。優秀な
一斉に構えられた黄金の槍。矛先は迷い無く、兵士と大魔術師に向けられている。
それでも二人は怯むことを知らない。なればこそ、不敵な笑みを浮かべるのみ。
「生憎だが、間に合ってる。この答えは変わらねぇ」
「私も魔導の研究に忙しくてな。ヴァルハラでは、とてもじゃないが我が修行場としては不釣合い。丁重にお断りさせていただく」
「「「「拒否権、認めず。お覚悟を」」」」
10騎の
事実、二人はまるで意識が追いつかなかった。ただ分かったのは、自分達の動きでは到底彼女達には抗えないということ。せめて一太刀でも浴びせることができたならば、自分の無力さの慰めにもなるだろうにと無念を抱く兵士。
一秒後よりも更に速いコンマの未来。最後まで抗い続けた兵士と大魔術師は力及ばず
「多勢に無勢。貴殿らの行い、看過するに及ばず」
上空から聞こえた男の声。そして降り注ぐは短剣の雨。その全てが
「されども無用な殺戮も確認されず。故に、貴殿らを殺めるまでにも至らないと判断」
彼女達の武器を破壊した者は上空から地面に、音を立てずに着地した。そしてその男の後姿は、兵士から見ても異質な圧を纏っていた。まるでこの世のヒトではなく、されども亡霊と言うにはあまりにも存在感が強く。分かるのは圧倒的なまでの『強者』であること。助けてもらった礼すらすぐに言えないほどの、生物として別次元にいる存在だと本能が叫んでいる。
「まさか、そんな―――」
何者かも知らない兵士と違い、大魔術師はその存在を知るが故に呆気に取られていた。こんな奇蹟があろうか。こんな都合のいい話があろうか。まさか、伝説の魂が形を成して現界していようとは誰が思う。永き魔導に生きる大魔術師でさえ、書物でしか知りえず、実物を見るのは初めてなのだから。
「貴様……」
「同調開始。全
「武装破損確認。これより原初のルーンによるサブウェポンを展開する」
武器を壊されたとはいえ、
「敵味方識別確認」
男は腰にぶら提げていた短剣を引き抜き、構えた。表情はまるで読めない。黒く塗られた仮面の奥底にある瞳が蒼く輝くのみ。それがより一層、不気味な威圧感を醸し出している。
「此方の戦闘態勢は完全である……来い」
そして始まった。今までヒトに対して圧倒的な強者であったはずの
ヒーローは遅れてやってくる。