死がふたりを分かつまで   作:ナイジェッル

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第26戦:守れなかった約束

 アスラウグは、物心がついた時から両親の顔も知らずに生きてきた。

 養父に小さくて狭い、竪琴の中に隠され、放浪の旅の中で育ってきた。

 行き先も、辿り着く場所も知れない不確定な旅路。

 分かっていたのは、後に告げられた事実。

 アスラウグの父がかの大英雄シグルドであり、母が元戦乙女(ワルキューレ)のブリュンヒルデだということ。

 

 『――ああ、そうなんだ』

 

 物心がつき、幼子から少女へと成長したアスラウグに養父のヘイミルはその事実を伝え、アスラウグもまた静かにそれを受け入れた。

 道理であったからだ。

 

 何故、一人の女でしかない自分は竪琴に隠されて育てられてきたのか。

 何故、人の目を遠ざけて生かされていたのか。

 何故、一つの場所に留まらず、旅をして居場所を転々としていたのか。

 

 簡潔に言えば、他者に知られない為だった。

 あの二人の血筋となれば利用価値など腐るほどある。

 その証拠にアスラウグに流れる血は北欧の神性と竜の因子が刻まれている。

 正しく育てば強力な兵器になろう。血筋を誇れば王女ともなるだろう。

 そのような手から、養父ヘイミルは遠ざけてくれていた。

 全てはシグルドとブリュンヒルデとの約束を果たす為に。彼らが帰るまでアスラウグを護る為に。

 

 ―――父と母はお前を迎えに来る―――

 

 養父はシグルドとブリュンヒルデの約束をアスラウグに打ち明けた。

 物心つく前に離れ離れになった血の繋がった親との約束。

 それが、アスラウグにとって生きる活力になっていた。

 会ったら何を言おう。何を聞こう。何をしよう。

 アスラウグに夢ができたのだ。

 それこそシグルドとブリュンヒルデと共に過ごせる日常に他ならない。

 

 尤も、その夢が叶うことなどなかったが。

 

 待てども、待てども。

 彼らはアスラウグの前に現れることはなかった。

 養父が死に、欲に塗れた老夫婦の元に身を置いた。

 両親から残された唯一の贈り物であるアスラウグという名もクラカに変えられた。

 

 波乱万丈な人生ではあった。

 しかしそこに本当に望んでいたものなどなかった。

 大国の王に惚れられ、試練をも乗り越え、子供さえ身籠り、産んだ。

 

 ≪蛇の目のシグルド≫

 

 愛しき我が子。

 終ぞ再会が叶わなかった偉大なる父の名を与えし(おのこ)

 その整った容姿、威風すら感じられる蛇の如き瞳。

 直感、本能で理解した。

 

 『きっと私の父はお前に似ていたのだろうね……ふふ。男前だな、蛇の目』

 

 己の容姿は恐らく母ブリュンヒルデに似たのだろう。

 そして自分の子供は父シグルドに似たとみた。

 皮肉だな。

 実際に会えなかったが、その生き写しの顔がそこにあり、疑似的に両親と逢ったかのような感覚を得るとは。

 

 力を手に入れた。

 男を手に入れた。

 地位を手に入れた。

 息子を手に入れた。

 

 これ以上何を望むのかと人は言うだろう。

 だが、それでも望まずにはいられない。

 自分を産んでくれた存在に。物心つく前から、自分を愛してくれていた存在に。

 一度でもいい。

 

 もし、機会があれば。

 もし、奇蹟があるのなら。

 

 『私は逢いたいです……父さん……母さん』

 

 幼い頃。

 星を眺めてそう願っていた。

 毎日、欠かさず。

 それが意味のないことだと知りながら。

 

 その時、アスラウグは思ってもいなかった。

 まさかその願いが死後に叶うなどと。

 それも、感動の再会などというものではない。

 母に仕える駒として呼ばれ、父を殺す為に送られる処刑台として。

 

 つくづく、神とは非情なものだとアスラウグは笑った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 酷い再会もあったものだ。

 シグルドは血の海で笑う、愛娘を見て目を細めた。

 本来であれば、生前で出逢わなければならなかった。

 本当であれば、武器を手放し、その(かいな)で抱きしめてやりたい。

 そんな感情を許さぬはアスラウグの瞳。そして明らかな敵意。

 彼女の手にあるは自身が持つものと同じ、魔剣グラム。己の死後、亡骸の後に手に入れたか?

 

 「ふん。娘との再会に驚くことなく、冷静に私の戦力を把握しますか」

 「驚愕はない。既に覚悟はしていた」

 「私が召喚されていたことを知っていたと?」

 「肯定する……親子、だからな」

 

 知っていたとも。

 同じ世界に呼ばれたならば、魂がざわつく。

 例えブリュンヒルデが、アスラウグが、どれだけ離れた土地で召喚されようとも、シグルドは気付くだろう。

 

 「……なら、もう一つの覚悟もしているのですね」

 

 アスラウグは魔剣グラムを握りしめる。

 これこそはシグルドとブリュンヒルデが火葬されたという墓場から掘り起こし、手にした宝剣。

 元は大神オーディンの愛剣が一振り。

 神の盾を切り裂き、竜を滅した魔剣こそ、シグルドを屠るに相応しい。

 

 「私に、この場で斬り伏せられることも!!」

 

 アスラウグは動く。

 竜の因子と大神の神性を持つシグルドと、セファールの欠片と大神の神性を持つブリュンヒルデ。

 共に窮極とも言える能力を持つ存在。そのサラブレットなれば、能力の高さは推して知るべし。

 

 「……!」

 

 流石に速い。

 あのシグルドが、一瞬姿を見失った。

 その一瞬が命取り。それが戦場の常。

 気付いた時には既にアスラウグは拳が届くまでの間合いまで近づいていた。

 彼女の手は炎を纏い、殺傷力を底上げした拳が瞬時に出来上がる。

 

 「ルーン魔術……原初のルーンではないな。独学で得たか」

 「侮るな。原初でなくとも、この魔術は神代のものなのだから!」

 

 焔を灯した拳が迫る。

 カノは拳の強化。アンサズは焔の発現。

 二つが折り合わされば、鉄を溶かし、岩をも砕く剛拳となる。

 さりとて所詮は魔術。如何にルーンであろうとも、対魔力Aを有するシグルドには効果は発揮しない。

 案の定、その強烈な拳はシグルドの身体に当たる前に蒸発し、霧散した。

 意味のない行動だ。三騎士相手に直接的な魔術など。

 

 「(いや、否だ)」

 

 意味のない行動?

 あの娘が、効かぬと理解して無作為にそのような動きを取るわけがない。

 事実、シグルドは効果がないと理解しながらも警戒せざるを得なかった。

 無力化できるとしても、曲がりなりにも神代ルーンによる攻撃だ。無防備に受けることは好ましくなく、それは対魔力に依存した慢心になる。

 故に、意識を少なからずその技の警戒に割いた。割かねばならなかった。

 

 「(本命はこの霧か)」

 

 カノ・アンサズと対魔力の衝突により生まれた霧。

 視界を曇らせる二次効果を利用した姿隠し。

 地の利を得ようとするその魂胆、戦い慣れの証左。

 

 「そしてこの奇襲を扱う者は、好んで背後を取る」

 

 上手く霧で身を隠しているが、気配を殺し切れていない。

 背後から感じるアスラウグをシグルドは―――斬ろうとした。

 世界を脅かすのであればブリュンヒルデであろうと斬ろうとする男だ。

 生前ならばいざ知らず、娘に対して躊躇する心も抑え込める力がある。

 しかし、アスラウグはその非情さも計算の内に入れていた。

 

 「な、シグルド!?」

 

 シグルドの剣先が捉えていたのは、アスラウグではなかった。

 いや、アスラウグではあるのだが、違う。トイネン・アスラウグだ。

 シグルドがアスラウグの気配を感じて斬りかかろうとしていた相手は、トイネンだったのだ。

 彼女は斬りかかろうとしたシグルドに驚き、シグルドもまた攻撃動作を止めることができた。

 

 「気配を移したか……!」

 

 ルーンによる気配移譲。

 己の気配を他者に付与し、視覚を封じた場所での同士討ちを狙った奇策。

 味方を殺させることで精神的なダメージと、戦力低下の二つの効果を齎す。

 上手くいかずとも、攪乱するにはこれ以上ない戦法だ。

 

 「トイネン、貴殿は妹御らを連れてここから離―――」

 

 離脱しろと言い終わる前に、アスラウグは次の手を取っていた。

 ゆらりとトイネンの背後に見える影。

 艶めかしく煌めく紅い刃。

 アスラウグが持つグラムの切っ先が、トイネンを捉えていた。

 

 「女によって破滅する。それが、貴方の起源なのかもしれませんね」

 

 アスラウグはそう云い放って、グラムを振るった。

 その結果が何を産むのか、何が起こるのかを理解して。

 

 全ては、シグルドを討つ為に。

 

 アスラウグはありとあらゆる手を尽くす。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 神霊ブリュンヒルデ。愛娘アスラウグ。そして、この悪竜現象(ファヴニール)が祖ファフニール。

 この世界はシグルドにつくづく手厳しい。

 怨敵でありながらも、人の心は未だ残っていたファフニールはこの先で愛娘と戦っているだろうシグルドの心中を察した。

 目の前で剣を振るい続ける勇者ジークフリートがファフニールの後継、悪竜現象(ファヴニール)と魂が強く結びついているように、ファフニールもまたシグルドと魂が結びついている。

 切っても切れない因果の果て。因縁の糸は互いの感情が共鳴しやすい。

 だからこそ、分かる。

 故にこそ、理解できる。

 

 【(揺らいでいるな、英雄シグルド)】

 

 シグルドの魂から絶えず伝わってくる微かな感情の波。

 あの男が冷静さを欠かさない英雄であることは知っている。

 鉄の心、鋼の精神。

 それがあるからこそブリュンヒルデを討てる。殺せる。

 かつての男ならば、だ。

 

 【(お前は女と関わりすぎた。シグルドよ……人の愛情に触れすぎたのだ)】

 

 (ファフニール)を討伐せしめた頃のお前は、まさしく機械のような男だった。

 不気味なほど感情を出さず、氷河の悪魔にも引けは取らぬであろう鉄面皮。

 その面のなかまでも冷たく閉ざされた、戦士のそれ。

 シグルドと対峙した悪竜は恐怖を感じた。

 オーディン、ロキ、ヘーニルの三柱でさえ捉えたこのファフニールが、確かに恐怖の感情を抱いた。

 しかし、こうしてこの世界で現界し、再会を果たしたシグルドは自分の知るかつてのシグルドとは大きく異なっていた。

 

 【(この者達が、まさしくそうだ)】

 

 孤高の戦士の王であったシグルドが、仲間を引き連れていた。

 背中を預け、頼り、そして任せて先を行く。

 あの頃のシグルドでは考えもしなかった変化。

 

 【これも、お前の目論見通りか? ロクデナシの大神】

 「さてな。なんのことかさっぱりだ」

 【狸爺め……では質問を変えよう。アレは、お前の望んだ英雄か?】

 

 ケルトの英雄の皮を被った大神に向けて剛爪を放ちながら、ファフニールは問う。

 女を知り、仲間を知り、娘すら授かったあの男は、一人の戦士としての純度を明らかに落としつつある。

 余分な感情を育み、生粋の戦士から一人の男へと変化し続けている。

 それはシグルドを生み出したオーディンが望んだことなのか。それともイレギュラーなのか。

 

 「アレは、能力においては最高傑作のヒトではあったが、その人生そのものは出来損ないであった。私が望む理想の戦士から脱線していたのも事実」

 

 だからヴァルハラに呼べなかった。

 戦士として戦場で果てるのではなく、愛憎故に殺されたのだから。

 

 「ただ、見届けたくなった。出来損ないの戦士と出来損ないの戦乙女……存外、計算外な価値を生み出すやもしれん。尤もその一つが、アスラウグではあったがな」

 【度し難い。やはり貴様は度し難いな、大神。人間の方がよほど可愛げがある】

 

 人の人生を神の目的の為なら容赦なく実験し、実験し、価値生めば讃え、価値なくば興味を失う。

 多少の道理を期待した此方がバカだったか。

 

 【……早く貴様らを片付けなければ間に合わんな】

 

 シグルドの心が揺れ続いている。

 なにせ愛娘との殺し合いだ。

 覚悟はしていても、殺す決意を固めても、その心の奥底にある愛情は誤魔化せない。

 ブリュンヒルデと出会う前のシグルドであれば心の揺らぎもなく殺せているだろうに。

 

 人の心を知ったが故に、シグルドは窮地に立たされるだろう。

 

 【―――!】

 

 何かが、大きく動いた。

 シグルドの魂に確かな亀裂を感じ取ることができた。

 

 【ちぃッ、阿呆め】

 

 ファフニールは焦燥を覚えた。

 早くこの者達を滅してシグルドの元に向かわなければ、奴を殺せる機会が、失われてしまう。

 いっそのこと、こいつらを放置して己もシグルドの元へ向かうか?

 そう思案した中で、ファフニールの顔面に巨大な木の拳がぶち込まれた。

 

 【ごッ!?】

 

 これは、ドルイドの魔術か。

 だがこの程度の魔術を今更―――!

 

 「さっきから意識をシグルドに向けすぎだな。足元がお留守だ、ファフニール。こっちにも竜殺しがいることを忘れちゃいないか?」

 

 ダメージが通らなくとも体勢は崩れる。

 体勢が崩れれば回避もまた難しくなる。

 巨体故に、それはより致命的になりやすい。

 そこを付け入らない英雄は―――いない。

 

 「邪竜、滅ぶべし」

 

 ああ、そうか。そうだったな。

 お前もまたシグルドと縁を結ぶものだった。

 ネーデルラントの竜殺しジークフリート。

 眼中になかった男が、今ここで初めてファフニールの眼に写る。

 

 「幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!!」

 

 その、黄昏と共に。

 

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