死がふたりを分かつまで   作:ナイジェッル

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アカイアの知将/トロイアの知将

 それは、圧倒的な力の蹂躙だった。

 相手はアカイア軍。ギリシャが誇るありとあらゆる歴史に名を連ねた英雄連合。

 オデュッセウス、大アイアス、パトロクロス、アガメムノン、そして―――アキレウス。

 彼らは我が国の王子パリスが略奪せし姫君を救うべく同盟の誓いの元にこの都市国家『トロイア』に攻め込んでくる。

 そう、正義の名のもとに。

 大義名分は彼方にあった。兵士の士気の高さも窺い知れる。

 

 「うおおおおおおおおおおお!!」

 

 そんな軍勢相手に、兵士の一人でしかない男は槍を以って突貫する。

 これでは死にに行くようなものだと彼は自嘲する。

 されども、戦わなければ滅ぼされる。誰か一人逃げだしたら、それだけで瓦解する。

 これはそういう戦争だ。

 綱渡りも綱渡り、首元にナイフを突き立てられたまま戦っているようなもの。

 馬鹿らしい。ああ、本当に馬鹿らしい。

 勝ち目のない戦い、死にに行く戦い、絶望的な戦い。

 兵士の命で紡がれた一日一日が、どこまでもか細い。

 普通の都市ならば一夜で終わるであろう戦力差。それを持ち堪えさせているのは、我らが総大将、輝く兜のヘクトール。

 無能の元で死に行くのは御免だ。だが、あの人の元でならば。

 一筋の希望を信じて戦い抜ける。そう思えた。だから戦えている。

 

 「おらァ!!」

 

 槍を(しな)らせ、アカイア軍の兵士を打ち倒す。

 屈強なアカイア軍の兵士は一人一人が精強無比。ジリ貧のアカイア軍とでは練度が違う。

 皮肉なことに、この劣悪な環境こそトロイアを強くさせた。

 どうやったら倒せるか。どうやったら有利になるか。

 それを訓練ではなく、実践で繰り返し、生き残った一握りの兵士は生中なことでは倒されない。

 

 「どうしたどうした掛かってこいやァ!!」

 

 アドレナリンが沸き立つ。

 血が沸騰する。

 今、自分は名無しの兵士ではなく、英雄の如き振舞いをしても許される。

 そんな麻痺すらも覚える。これこそが死臭濃き戦争。

 

 「おう、やってるなぁ命知らず!」

 

 仲間の兵士が自分と合流した。

 

 「生きてたか死にぞこない!」

 「まだ生き残ってるさ、死にたがり!」

 

 一介の兵士でしかない男達がこうして知人の仲間と戦場で再会できるのは本当に稀だ。

 なにせこの一瞬一瞬でも人が死んでいるのだから。

 

 「アカイア軍の奴らめ、性懲りもなく!」

 「正義を背にした軍ほど厄介なもんはねぇ」

 「違いない。まったくパリス皇子はとんだ災厄を運んできてくれた……!」

 「なっちまったもんは、しょうがねぇさ!!」

 

 そう、なってしまったものは仕方がない。

 戦争なんてどんな理由から発生するかも分からない。

 遅かれ早かれこうなっていたのかもしれない。

 なら、もう為ってしまったことに対して精一杯対処するしかない。

 それが兵士というものだ。

 

 トロイアの兵士は槍を振り続ける。近づいてきたアカイアの兵士を背中を合わせて屠りながら、終わりの見えない戦いを続ける。

 一体いつまでこの戦いは続くのか。一体いつになったら彼らは諦めてくれるのか。トロイアはどうなってしまうのか。

 恐ろしい。戦いの中でさえ、その不気味な気色悪さがぬぐえない。

 

 『アキレウスとオデュッセウスが出てきたぞォ!!!』

 

 伝令が大声で叫ぶ。

 絶望の鐘の音を鳴り響かせる。

 この合図は、まさしく撤退の意。

 勝てるわけがない。死神の鎌がすぐそこまで迫ってきている。

 

 俊足のアキレウス。この戦争最強最大の大英雄。

 彼と相対したトロイア側の英雄は等しく皆殺しにされている。

 ただ一人。知将ヘクトールを除いては。

 

 「ヘクトォォォォォルゥゥゥゥゥゥゥ!!!」

 

 ヘクトールに友を殺され、それでもなお殺せずに逃げ回られているアキレウスは声にもならない怒号を鳴り響かせて戦場を駆け回っている。

 その様はさながら芝刈り機。名有りの英雄も、名無しの兵士も、彼にとっては関係ないと言わんばかりに血祭りにあげている。

 あの男一人で戦場が滅茶苦茶になる。トロイア側の戦力が一気に削がれていく音が絶え間なく続く。

 まさしく無双。武力においては、この戦場で彼に敵うもなどいやしない。

 そして彼と双璧を為す英雄がもう一人いる。彼もまた、強大な力を、神の如き力を振るう者。出逢えば死を意味する。

 そんな英雄がまだ一人いる。

 

 「おい、やべぇぞ―――逃げ!!」

 

 先ほどまで背中を預けていた男が、光の中へと消えた。

 断末魔さえ許されず、魔力の渦に飲まれ肉体が消滅した。

 

 「あ、あああああああああ!!」

 

 こんなに呆気ないものなのか。

 あれだけ奮闘していた戦友が、こうもあっさり死ぬのか。

 魔力光で人間を蒸発させるなど、トロイア戦争が如何に人外魔境とはいえ限られている。

 

 「オデュッセウス……!!」

 

 鉄の男。鋼の男。鋼鉄の男。

 知略に於いてヘクトールに追随する軍師。

 それでいて戦いにおいても無類の武勇を刻み込む大英雄。

 その男が放つ魔力砲で、先ほどまで共に生き、喋り、戦っていた友を殺された。

 怒りが沸くよりも、その武力の差により恐怖が先に身を振るえ刺す。

 

 「許せとは言わん。これも、戦争。憎みたければ、存分に憎め」

 

 鉄仮面を装着しているオデュッセウスの表情は兵士には見えない。

 激情、憤怒ではなく、憂愁すらも感じられる。

 

 「……さっき、アンタが殺した男には帰りを待ってる妻がいた」

 

 優しいやつだった。そして強い兵士だった。

 

 「あんな、言葉一つも満足に言い切れない最期を迎えていい男じゃなかった!!」

 

 理不尽だ。理不尽がすぎる。

 男は槍を強く握りしめる。

 今すぐ逃げれば、それで済むはずなのに。

 本能はこんなにも震えているのに、なんで逃げないんだこの体は。

 

 「戦争とは、何処までも残酷だ。どちらが悪か善かではなく、譲れぬ信念のもとに相手を駆逐する。もし善悪があるとすれば、この戦争こそが―――度し難い、蟲毒」

 

 そんなことは誰もが知っている。

 この戦いは救いようがないものなのだと。

 それでも戦い続けなきゃならないのは、戦わなきゃ滅ぼされるという事実があるからだ。

 

 「戦場に出たその時から、我らの命は等しく等価。その背景に何があろうとも、殺し合いには意味を為さない。だからこそ、殺されてはならんのだ。死にたくなければ生きろ。護りたければ、守れ……殺した俺が言うべき言葉ではないのだろうがな」

 「そう言って、俺を見逃すつもりはないんだな」

 「お前を逃がせば、俺の仲間に被害が出る。戦争の常だ。無論、捕虜となるのならば話は別だが……お前は、そのつもりは全くないのだろう? 名も知らぬ兵士。その手の槍は、今も俺に向いている」

 

 ああ、本当に俺はバカだ。

 なんで逃げない。なんで背中を向けない。

 

 「ダチを殺されて、黙って命乞いしたら……俺は、生き恥だ」

 「殊勝な心掛けだ。俺ならば、例え生き恥を晒しても生き残る選択を取る」

 「生憎と、生き恥を晒してまで生き残る理由もないんでな」

 「………そうか。それは、悲しいことだ」

 

 オデュッセウスは腕に魔力を集中させて、一刃の光剣を生成する。

 

 「さらばだ」

 

 せめて苦しまずにと思ってか。それとも敬意を払ってのことか。

 オデュッセウスは自らの手で男を殺そうと直接剣を振り下ろす。

 

 「おいおい、そう簡単にうちの優秀な兵士を殺されちゃあ堪らん」

 「………貴殿は」

 

 オデュッセウスと名もなき兵士の間に、一人の男が割って入った。

 例え鉄であろうと容易に溶かすであろう魔力刃を難なく止めた不壊の槍。

 深緑の色素を埋め込まれたトロイア総大将の戦装束。

 黒漆の光沢を魅せる異形なりし右腕の籠手。

 

 「ヘクトール様!?」

 「なにボケっとしてんだ、早く逃げろ」

 「ですが、貴方は総大将なのですよ!? 何で俺なんかの為に!」

 「バカ野郎、お前もトロイアの民だろうが。その血肉は、云わば俺の血肉だ。自分を自分が助けて何が悪い」

 

 理由が無茶苦茶だ。

 

 「良いからはよ行けって。相手はオデュッセウス、いつまで食い止めてられるか分からん」

 「俺も戦います!」

 「言っちゃなんだが足手まといだ。俺のことを想うなら、はやく他の仲間を引きつれてトロイアの城壁まで全力で走れ! アキレウスとオデュッセウスが出てきた時点で、今回の戦闘は終わりだ!!」

 「――――――!!」

 

 【俺のことを想うならば】【足手まとい】

 そんなことを言われたら、引き下がるしかない。

 兵士は歯を食いしばった。

 ヘクトールに助けてもらったこの命、無碍にすることこそ彼への侮辱と理解したから。

 

 「………ご武運を!!」

 

 ただ、それだけしか言えなかった。

 英雄と英雄のぶつかり合いに、兵士の存在は意味を持たない。

 むしろ弱点ともなり得る。その事実が悔しくて、同時に情けなくて。

 兵士は槍を投げ捨て、撤退した。武器を手放し、自由になった両手で今も息のある仲間を担いで。

 少しでも多くの仲間を連れて故郷に帰る。それが、今自分にできる為すべきことなのだと。

 

 

 「いやぁ、待ってくれて助かるよ……オデュッセウス」

 「貴殿から目を逸らしてまであの兵士を始末する理由はない。隙をつかれるリスクを考慮すれば、見守ることしかできなかったと思ってもらえればいい」

 「ま、君がそう言うのであれば」

 

 果たして甘いのはどちらの方なのか。

 心も鉄と思いきや、存外慈悲深いところもある。

 

 「ヘクトール殿。貴殿がこの戦場に出てくるとは」

 「あんたらに兵士を蹂躙されちゃあ堪ったもんじゃないんでね。ここは俺の国だ。そう好き勝手させられない」

 「……貴殿を討てば、戦争は終わる。俺も妻の元にも帰ることができる」

 「俺も妻帯者なもんでね。簡単にはこの首はやれねぇさ」

 「儘ならないものだな」

 「戦争だからねぇ」

 

 先ほどの兵士も言っていた。

 オデュッセウスが殺した兵士には、帰りを待っている妻がいたのだと。

 

 「俺は、国と国の戦争が嫌いだ」

 「同感だ。狂人くらいだろうさ、こんな戦いが好きなんて抜かすのは」

 「……前々から思っていたが、貴殿とは気が合うな」

 「ああ、本当に」

 「今は立場故に無理な話だが、もし……共に語らえる日が来たら」

 「酒でも飲み交わそう……だろう?」

 

 ヘクトールの返しに、オデュッセウスは仮面の奥で静かに微笑んだ。

 惜しい。時代が時代でなければ、良き友になれただろう。

 アキレウスの親友にしてオデュッセウスの戦友であるパトロクロスを殺した男ヘクトール。

 こうして相対し、会話をすればここまで気が合う。

 戦争の恐ろしさはまさにこれだ。

 人間として憎めなくとも、好ましいと思えても、刃を向けねばならない。

 

 オデュッセウスは緩やかに拳を握り、構えを取る。

 ヘクトールはその長大な槍をオデュッセウスに向ける。

 

 両名共に知将ではある。

 そして同時に優れた武勇を持つ戦士でもある。

 こうして戦場で出逢えば、為すべきことは決まっている。

 

 アカイア軍が誇る知将オデュッセウス。

 トロイア軍が誇る知将ヘクトール。

 

 間合いを測り、相手の懐に踏み込もうとしたその瞬間。

 流星が、その場に着弾する。

 

 「見つけたぞォォォォ……ヘクトォォォォォォル」

 

 狂戦士(バーサーカー)

 華々しいはずの英雄の姿はソレにはなく。

 怒りに飲まれ、狂気すら感じる、破壊の権化がそこにいた。

 じろりとアキレウスの眼球はヘクトールを捕らえた。

 広大な砂漠から一個の宝石を見つけたような、十年来探し求めていた何かを見つけたような。

 そんな狂うばかりの執念が籠りし眼でヘクトールを映す。

 これには流石のヘクトールも唇を引き摺らせる。

 

 「……こりゃヤバイ。悪いなオデュッセウス、オッサンは逃げるわ」

 「逃がすとでも?」

 「さっきの兵士は逃がしたのに!?」

 「言ったはずだがね。この戦争を終わらせるには、貴殿の首がいるのだと」

 

 一対一ではなく、二対一。

 オデュッセウスは別にそれでもかまわない。

 あくまで戦士が本懐ではなく、知将としての在り方こそがオデュッセウスの役割。

 正々堂々などという言葉なぞ犬にでも食わせてしまえと言わんばかりに言い放つ。

 

 「ヘクトォォォォルゥ………!!!」

 「盟友の制御は俺がする。覚悟せよ、輝く兜のヘクトール殿よ」

 「憎たらしいほど有能な判断だなぁ、オデュッセウス……!!」

 

 格上の英雄二人から撤退を決意するヘクトール。

 今度こそ終わりにしようと責め立てるアキレウスとオデュッセウス。

 この似たような構図は、10年続いた。

 同じことを繰り返し、ジリ貧となり、疲弊し、それでも愚かにも戦い続けた。

 

 

 

 トロイア戦争。

 それは古今東西、あらゆる英雄が集いし大戦争。

 

 あるモノは大切な者を失い。

 あるモノは大切な者を護り。

 あるモノは大切な者を取り戻し。

 またあるモノは、大切な者の元へと還る為の戦い。

 

 半神が増えすぎたが故に決議された神々の代理戦争とも言われる、血塗られた歴史。

 それでもあの戦場で戦い抜いた者は皆、等しく必死だった。

 心も体も鋼鉄の男と言われた男でさえ。

 

 きっとあの戦争で何かを得られた者は少ない。失った物の方が多いだろう。

 

 「それでも、こうして貴殿と酒を飲み交わせる縁を結べたのならば」

 「無意味なものではなかった……と、思いたいねぇ。オジサンはもう懲り懲りだけど」

 「違いない。ああ、本当に違いないさ」

 

 今や汎人類史最後の砦、ノウム・カルデアの一室で酒を飲み交わす壮年の二人の男。

 彼らの何気ない飲み会は、あの血濡れた歴史の末に叶えられた何気ない約束。

 きっと果たされないだろうと諦めていた、他愛のない夢。

 憎しみもあり、蟠りもあり、そして達観もあった、あの戦争を経験した英雄達は今日も過去の話、召喚後の話、未来の話を語らう。

 

 この運命(Fate)に、感謝をと。

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