とある教師の業務日誌 作:ダレンカー
◇◇◇◇
織斑千冬は、酒が好きだ。
それは単に酒そのものが好きというわけではなく、それによってもたらされる人の変化を見るのが好きだということもあった。
普段冷静な人物が陽気になったり。
抑圧された感情が爆発したり。
隠された本音が聞けたりしたり。
そういうその人本来の姿を見ることができる場として千冬は酒を、飲み会を好んでいた。
織斑千冬は酒に強い。
自らをザルと自認するほどに。
なので、唐突に交わした飲み会の約束で彼の普段は聞けない本音を聞き出そうと画策した。
あの柔和な笑顔の下にどんな考えがあるか聞いてみたいと思ったのだ。
休日、向かうは一般的な大衆居酒屋。彼以外とはまず来ない場所である。
後輩との飲み会は、見栄やら意地やらあるらしくこういう場所を希望すると途端に苦い顔をされてしまう千冬なのでそれだけでテンションが上がった。
ブリュンヒルデやら最強やら色々言われている千冬なのだがその実
弟の作る家庭料理をこよなく愛す庶民なのだ。
当然酒のあても気取らないものが好みだった。
ちなみに好物は揚げ出し豆腐だ。
席に着きとりあえずビールを頼む。
女性と二人きりだというのに気負わない彼を気にしつつも弛緩した空気に頬を緩める。
なんだかんだ、この空気が千冬は気に入っていた。
ブリュンヒルデではなく千冬を千冬として扱ってくれるこの空間を。
酒も進んで千冬は、気になっていたことを尋ねてみた。
弟との怪しげな写真もあり聞いてみたかったのだ。
こちらの様子を窺いつつ彼は自分の好みを言った。
年上の料理上手な管理人さんと。
確かに、と千冬は思った。
あの女性は、男の理想形だと。
欠点のつけようのない理想に、つい言葉をはさんでしまった。
料理は出来なくてはダメかと。
千冬とて女だ。自分には縁遠いものだと感じつつも興味はある。
結果は、お察しだが。
やはり胃袋を掴むものは強いということなのだろう。
答えを聞いた千冬は弟に料理を習うか真剣に悩むのだった。
余談だが、この時の彼はまったく酔ってなどいない。
千冬がザルなら彼は沼だ。
いくら飲もうが関係なかった。
そうとも知らずに、千冬は今夜得た成果にそれなりの満足を覚えるのだった。
◇◇◇◇
ある日学園内を歩いていると、生徒会長である更識楯無に声を掛けられた千冬。
それなりに面識のある二人だが、有事以外で会うのは珍しい事だった。
正直言って、どこかチェシャ猫のような印象を受けるこの生徒を千冬はあまり得意ではなかった。
隙あらば人をからかうのが好きな奴なのだ。
からかわれるのは嫌いなのである。
何の用か尋ねると、ふっ…と小さく笑ってこんなことを言いだした。
『なんだか、雰囲気が柔らかくなりましたね?織斑先生?』
は?と面食らう千冬に対し続けて、
『彼の影響ですか?』と。
どうやら更識楯無は、千冬の印象が前と違って見え声を掛けてみたということらしい。
そしてその理由を、川村恭一の影響を受けたからなのか聞きたいと。
なんだそれは、と千冬は思った。
自分が、そんなアニメや漫画のヒロインのような女であるはずがないと。
確かに、彼の事は気に入っているし、信頼もしている。
自分が思っている以上に心も開いているようだ。
だが、それで自分が変わった?
それではまるで、千冬が彼に恋しているようではないか。
まさか、そんな。
あり得ない、と千冬は思った。
織斑千冬は、そんなチョロインではないと。
黙る千冬に楯無はいつものようにニヤリと笑って。
『私も、彼の事は気に入っているんです。
もしかしたらライバルになるかもしれませんね?』と更に爆弾を放り込んできた。
それじゃ!とウインクを残しその場を後にするのを見送りながら千冬は
とりあえず考えるのをやめた。
◇◇◇◇
『織斑君のお兄さんか…』
職員室の扉を開けた途端聞こえてきた彼の言葉に、千冬の頭は一瞬にしてショートした。
そして、そのショートした頭は様々な光景を千冬に見せた。
それは、彼のために甲斐甲斐しく料理を作る自分の姿だったり、
彼の背中を流す自分の姿だったり、
彼と寝屋を共にする自分の姿だったり様々だった。
そんな桃色乙女脳を正気に戻され事情を説明される。
弟が、彼に対し父性を感じて照れているのだと。
とりあえずこの恥ずかしい事態を作り出した原因である弟には後で落とし前をつけることを決心しつつ、千冬は心を落ち着けた。
冷静になって少し自己嫌悪する。
この間さんざん自分で否定していたくせになんて様だと。
改めて彼への恋心を否定していると、笑顔を浮かべた彼に何を想像したのかと聞かれた。
聞かれた瞬間、顔に熱が戻るのを感じた。
そこから先は、体が勝手に動いた。
体を左側に大きく屈める。
溜まった力を解き放つように左足を踏み出す。
バネのようなそれはとんでもないスピードを生み出し、その勢いのまま左腕のフックを叩きこんだ。
顎を正確に捉えた一撃は彼を空中に押し上げた。
だが体は止まらない。
その流れで体を左右に揺らし∞の軌道を描く。
そこから繰り出されるのはまさしく必殺の打撃の暴風雨。
その名はデンプシー!!
『ストーップ!!流石に死んじゃいますよ織斑先生!!』
寸前で真耶に止められる千冬。
ようやく思考が追いついたところで大きく息を吐いた。
なんだかんだ、かなり彼に毒されている千冬なのだった。