ポケットモンスター虹 Petit Papillon   作:蝶丸蒾

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ロゼ、泡沫に秘密を吐く

 「どちらへ行かれるのです?」

 「ッ……退けッ!」

 細い路地の向こうから、男がひとり駆けていました。目を伏せたまま私が動かずにいると、男は私のすぐそばを駆け抜けていきました。彼の後ろからふたりの人物が追って来ていましたが、私を見ると立ち止まりました。彼らを一瞥して頷くと、彼らは私に頭を下げます。男は私の背後の角を曲がったようで。……ああ、哀れだわ。

 私は踵を返して、男の進んだ後を歩みます。

 

 

 「ウワァーーッ!!」

 角の向こうで、男の悲鳴が上がりました。じゃり、と足音を立てて角を曲がるとそこは、月明かりに照らされた袋小路。

 

 

 男は、腰を抜かして上を見上げていました。三階建ての建物でできた壁の上に、三つの人影があります。私の後方にも、したっぱふたりが控えています。

 「楽しいチェイスも、もうおしまいにしましょう?」

 男がゆっくりと私を見ます。怯えた顔で。

 「あ、アンタは……」

 私はフードを脱ぐと、にこりと笑ってみせました。足元に、物陰から出てきたサンダースが駆け寄り、遅れてブラッキーが歩み寄り、ひとつ伸びをしました。

 「ロ、ロゼさん……」

 「残念ですわ、団を抜けてしまおうなんて」

 私は首を傾げて男に近寄りますが、彼は私に向かって後退りながら怒声を上げ始めました。

 「もううんざりだ! ガーディアンに追われるのも!」

 あらあら。それを私に言っても仕方がないでしょうに。

 

 

 男はバラル団の逃亡者。名は忘れてしまったし、どこの所属かも私は知らないけれど、向こうは私を知っているようでした。

 私の任務は逃亡者の捕縛。必要なこと以外は知らなくたって支障はありません。

 

 

 「ガーディアンに追われたくないのですか? その割には犯罪の隠れ蓑にされていたようですが」

 「罪を重ねるつもりはなかった!」

 「……まあ。慈善事業か何かと勘違いしてらっしゃったのでしょうか」

 男はドククラゲをリリース。サンダースが私の前に躍り出ます。

 「言っておきますけれど、貴方と追いかけっこしたお二人は、私の部下ですわ。それでも……」

 正確には直の部下は片方だけだけれど、そんなことはどうでもいいのです。

 「うるせェッ! ライチュウ、『かみなり』!」

 私と男の間に突然の落雷。私と背後のしたっぱたちは衝撃を受けてもろに吹き飛ばされ、何とかして体勢を整えて男に向き直ると、どこにいたのか戦闘態勢のライチュウが姿を現しました。

 「『でんこうせっか』だ!」

 オレンジ色の弾丸が、まっすぐ私に飛んできたので、思わずバックステップ。ブラッキーが横から『たいあたり』で吹き飛ばしました。

 「まだだ! 『どくばり』ッ!」

 「いやだわ、私は人間ですの、にッ」

 ドククラゲの『どくばり』も私に向かって飛んできました。すんでのところで躱しても、勢いが余ってバランスを失ってしまいました。手持ちの二匹とアイコンタクト。

 「ブラッキー、サンダース! 任せるわよ」

 私は体勢を崩したまま前方へと手をついて、そのまま前方転回。ドククラゲの攻撃が追ってきます。……でも、まさか。

 「頭を狙うなんて、酷いです」

 『どくばり』は、すべて私の頭めがけて発射されていました。このまま体を戻してしまうと撃ち抜かれてしまうので、仕方なくアクロバティックに逃げ回ることにします。復帰したしたっぱのひとりがサイドンをリリースしました。

 「来るなァ!」

 「いい加減私を狙うの、やめて頂けないでしょうか」

 続いて飛んできた針を飛んで避けます。サイドンが視界の端で『じしん』を展開しライチュウを捕え、ブラッキーが喉に『かみつく』。私は飛んできた『どくばり』を左に避けると、もうひとりの部下がランターンをリリースしたのを確認して、トン、と男の至近距離に立ちます。ーーすなわち、ドククラゲの目の前に。

 「あまり動いたから」

 ぐらり、と上半身を倒し。

 「目が回ってしまいました」

 「ロゼ班長!」

 部下が私の名前を呼び。ドククラゲの攻撃準備が整っているようで。

 

 「はいな」ぐるり、と左足を軸に身体を捻り、「グアッ」男の左足頬に私の爪先がめり込んで、男が弾き飛びました。身体を低くした私のすぐ上を、雷電を纏う二体のポケモンが駆け、ふたつの『10まんボルト』が炸裂しました。帯電したドククラゲが墜落。

 

 

 「……こんなはしたないことさせないでくださいませ」

 男は完全に伸びていました。少しやりすぎてしまったかしら、靴の痕がしっかり赤くなってしまいました。ため息を吐いて、壁の上を見上げます。

 「レディが戦っているのを見ているだけなんて、格好悪いと思いません?」

 「先に手を出すなと言ったのはあんただろ」

 左端、しゃがんだ人影が、若い青年の声を発しました。癪に触るけれど事実なので、にこやかに笑いかけました。さすがに、ポケモン対人間の戦いは手を出して欲しかったのですが、助け舟を出さなかったのも自分なのでした。右の人影がくつくつと笑い声を上げます。

 「いい蹴りだったぜ」

 「ここからは貴方にお任せしますわ、ゲルハルト様。連れ帰るのでしょう?」

 「連れ帰るまでやってくれたっていいんだぜェ? 嫌ならここで捨てても」

 「ふふ、お戯れを」

 物騒な発言ですが、こちらも本心でしょうから困ってしまいます。

 私とは違う、男性用の班長服を纏った両端のふたりが、フードを取り払いました。ーーワース隊所属班長、ロアさんと、ハリアー隊所属班長のゲルハルト様。

 「……手を抜いたな」

 中央の人物が、一言。それだけで私は背筋が凍った思いがしました。この方にはいつまで経っても恐怖心が拭えないようです。私を見下ろしていて、目が合っているはずなのに、その瞳に私は写っていないでしょう。彼にとって直属の部下の存在も些事なのですから。

 「……申し訳ございません」

 「先に行く」

 彼が踵を返すと、フードの端から金髪がちらりと煌めきました。

 

 

 バラル団幹部グライド様。バラル団のNo.2であり、私の上司。

 

 

 グライド様はボーマンダを呼び寄せ、素早く背に乗るとそのまま飛び去っていきました。その姿が遠くなったのを見て、詰まっていた息を吐き出しました。

 「おつかれさま、でした!」

 ぷはぁ、と言いながらしたっぱがフードをぱっ、と脱ぎました。ふわふわした黒髪の青年……否、背が高いだけでまだ十一歳の少年がにぱっと笑みを浮かべていました。彼はスミンテウス。ゲルハルト様から借りているしたっぱです。

 「ええ、お疲れ様でした。シューはちゃんと止まれて偉かったわ。ふたりとも、怪我はありませんか?」

 「ない!」

 「大丈夫です。ロゼ様は」

 「それは良かったわ。私も無傷です」

 ふたりを労っていると、上にいた班長ふたりが飛び降りてきました。

 「俺達も戻らないと」

 ロアさんが男を担ぎあげました。それを見て、私は男の内情を思い出します。いわく、資金源との交渉に失敗した挙句の逃亡、その際に幾つかの持ち逃げ。彼がワース様の隊ならばこんなことをしようなんて考えなかったでしょうが、生憎クロック隊のしたっぱだったのでした。もっとも、クロック様のもとで些細な失敗したとしても、次の機会なんていくらでもあるでしょうに。

 ……要するに、元々器じゃなかったのでしょう。

 「ゲルハルト様、変わって差しあげては?」

 わたしがそう言うと、ゲルハルト様はにやりと笑いました。どうやら変わる気がないご様子。ついでに、こちらを向いたロアさんがとても嫌そうな顔をしました。付き合いたくないようですね。ロアさんの上司であるワース様はゲルハルト様のことをよく思っていないので、妥当な反応だと思います。部下がスミンテウスを連れて、男の落としたものをせっせと回収し始めていました。

 「嬢さんよ、あいつァ『消してもいい』ヤツだぜ? なぜ連れ帰る?」

 唐突にそう問われ、私は自嘲気味に微笑みます。

 「さあ」

 「ハァ」

 つまらなそうにゲルハルト様が眉を上げました。私はブラッキーとサンダースをボールに戻してあげます。

 「生きていれば役に立つこともありましょう?」

 ダウト。彼はまた逃亡するでしょう。次に追うのが私でなかったら、その時が最期になるでしょう。もし運良く生き残れたとして、彼に生きる気力などありましょうか。

 そもそも、私は基本的に逃亡者相手に連れ帰りなどしないのです。一般人を装って通報し、無力化したところで退散、後はPG拘束されネイヴュシティの監獄へ送るのが常。今回だって、グライド様とゲルハルト様がいなければそうするつもりでした。逃亡者の命がまだあるのは、私が腹を括ってワース隊の班長であるロケ様の手を借りようと頼み込んだから。結局ロケ様ご本人は駆り出さなかったものの、見かねたロアさんが来てくれました。

 「残酷だなァ」

 「そうでしょうね」

 

 

 ーー私だって、生かしたくて生かしているわけではないのですよ。

 一度殺してしまったら、次に命を落とすのが私かもしれないから。あるいは、私の双子の弟だったなら。私たち双子が欠けてしまうことが、何よりも恐ろしいから、他人を罰せないだけなのです。私たちが生きていければ、それが補償されていれば、私は他人のことなんてどうでもいい。誰かが地獄に落とされようが、関係ないのです。

 

 

 残酷。そうでしょう。だって私達に残されたものはお互いだけだったのだから、それを無くすわけにはいきません。

 

 

 バラル団No.2、幹部グライドの部下、私、班長ロゼは、虚勢でできています。

 

 

 「さて、行きましょう? 次はもっと穏やかな任務がいいのですけれど」

 

 

 きっと、叶わないでしょうけれど。

 

 

 ここにひとつ、望みを掲げるならば。私はこれ以上何も犠牲にすることなく生きていきたい。

 

 

 ええ、叶わないでしょう。

 

 

 

 

 夜明けまで数時間、静かに見慣れた扉を開けて、私は安堵の表情を浮かべることができたでしょう。

 「ただいま、ユリウス」

 すうすうと寝息を立て、穏やかな弟の横顔をしばし見下ろして、そして。

 

 

 ーーぱたん。


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