大正浪漫斯電車   作:瑞穂国

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自分の心の中で「白かぐ大正パロ読みたい……読みたくない?」って声がしたので書きました。後悔はありません。
服装の考証とか甘いところはありますが本筋ではないのでお許しを


大正浪漫斯電車

 (わたくし)が女学生であった頃のお話でございます。通学に使う市電に、いつも一緒に乗っている、同い年くらいの学生さんが二人おりました。

 お一人は、きりりとした目元と、明るい髪色の男子学生でございました。黒い詰襟と学生帽、外套のよく似合う美丈夫でありました。

 もうお一人は、線の細い顔立ちと、雅な黒髪の女子学生でございました。矢絣の着物に女袴、革靴のまばゆい大和撫子でありました。

 雑多な市電の車内にあっても、はっと息を飲むような華やかさのあるお二人であったのです。ですから私は、名も知らぬお二人を、心の中で「光様」、「紫様」などとお呼びしておりました。

 

 私がお二人を初めてお見かけしたのは、忘れもしません、女学校四年の、冬でございました。

 その日は雪がちらついて、寒い夜でございました。誰もが身を縮め、手をすり合わせて寒さを耐えておりました。そんな冬の電車に、あのお二人も乗っておられたのです。

 椅子に座った紫様の、その前に光様が手すりに掴まっておりました。某かをお話になっているお二人の姿が、混み合う車内であっても、私には随分鮮明に見えたのです。雑然としたこの世界で、お二人の周りだけが、清らかなせせらぎのように、美しいものに思えたのです。それほどに麗しいお二人のご様子でございました。

 ええ、ですから、絵画や御伽話の住人のような美男美女のお二人に、私は一目で心奪われてしまったのです。

 市電に乗り込んでからというもの、私は終始、お二人の方を見つめておりました。声など聞こえたりはしませんでしたが、お二人はそれはそれは楽しそうに、お話をされておりました。

 すると、寒さをごまかすようにすり合わせていた紫様の手を、光様が両の掌で暖め始めたではありませんか。小さな紫様の手は、すっぽりと光様の手に収まっておりました。頬を染めて俯く紫様の横顔があまりにも艶やかで、激しい動悸がしたのを、今でもようく憶えております。

 お二人がお降りになるのは、私より四つ手前の停留所でございました。光様が差し出された左手に、紫様が右手を添えられて、お二人で降りて行かれたのです。ああ、それは正しく、話に聞く西洋の王子様とお姫様そのものでございました。

 西洋の文化が多く取り入れられたとはいえ、いまだレディファーストの意識が薄い日本でございます。男性が表立って女性をエスコートすることなどほとんどないことでございます。ですから、美男子が美少女の手を引いているという光景が、とても尊く、崇高なものに感じられて仕方がなかったのです。

 お二人の姿が車外に消えてからも、私はただ呆然として、あわや降りる駅を逃すところでございました。

 

 それからというもの、私は何かにつけて、お二人の姿を探すようになりました。

 一月もすれば、お二人がいつも同じ時刻の電車に乗っていることもわかりました。ですから私も、同じ時間の電車を狙うようになりました。運が良ければ、目と鼻の先に、お二人の姿を見ることができました。

 それから……実にはしたないお話ではございますが、お二人の会話の内容にも、耳を傾けておりました。どんなお話をされているのか、大変興味がありましたし、もしかするとお名前や学校などわかるかもしれないと考えたのです。

 お二人は、しかし電車内では常に、「貴女」、「あなた様」と呼び合っておられました。学校のお話もほとんど会話には登場せず、お二人の素性に繋がるものは何一つ得られなかったのです。

 諦めの悪かった私は、それまであまり興味のなかった、級友たちの社交界のお話にも耳を傾けるようになりました。あれほどの美男子、美少女ですから、社交界に出ていればさぞかし大きな話題となるはずでございます。

 それにもし、公的な婚約者の関係であれば、舞踏会では光様が紫様をエスコートなさっているはず。正装姿のお二人を想像するだけで、胸が高鳴って仕方のなかったものでございます。

 ……ええただ、ご想像の通り、この方法でも、お二人のことはわからず仕舞いでございました。私は最後まで、お二人の正体については全く掴めなかったのです。ひとたび電車に乗ってしまえば、お二人は確かに私の前におられますのに、現実世界でのお姿が全く見えないのです。その時は、実に大真面目に、御伽話から飛び出して来た方たちなのでは、と思ったものでございます。

 

 他にお二人のお話と申しますと、一つ特に印象深いエピソードがございます。とは言いましても、あまりに幻想的な光景で、いまだに夢だったのではと疑う時もあるのですが……。

 その日は、花火大会の日でございました。私は、川辺にお屋敷を持つ級友のもとで、花火を鑑賞しておりました。

 花火を見終わって、級友たちとお茶など楽しんでから、私は家路につきました。とは言いましても、さすがに夜も遅い時間でしたから、家の者が車で迎えに来てくれました。私は運転手に全てを任せ、座席でぼんやりと、花火の余韻に浸る夜闇を眺めておりました。

 丁度、どこかの橋に差し掛かった時でございました。川面に反射する月光の中、ふと、橋の上に人影が見えた気がしたのです。車窓から見えた二つの人影に、私の目は釘付けになりました。

 人影は一組の男女でございました。それはもう、お二人とも大変ウキウキとしたご様子で、花火を鑑賞した帰りなのだと一目でわかりました。特に女性の方は、まるでダンスのステップでも踏むように、橋の上で袴を翻らせ、リボンを揺らしておりました。男性はそんな女性に微笑みかけ、そっとその手を引いておられました。

 ほんの一瞬のことでございました。慌てて車窓に張り付き、私は可能な限り、お二人の姿を見ようとしたのです。ですが、車はすぐにお二人の横を通り過ぎて、その姿も見えなくしてしまいました。

 ですから、これは本当に、今でも我が目を疑うのです。花火に浮かれすぎて、夢幻(ゆめまぼろし)の類を見たのではないかと。とても幸福な妄想だったのではないかと。ですが……私が、あのお二人に限って、見間違えるはずがないというのも、正直なところでございます。

 確かめる手段はございません。ですから私は、あの花火の日、きっとお二人は一緒に過ごされたのだと、信じているのです。

 

 私がお二人にお会いしてからの一年は、本当にあっという間に、過ぎていったのです。ほとんど毎日、お二人を目にしていた私は、本当に心の底から、お二人のことを好いておりました。ただし、それは当世で言う「恋慕」というものではなく、ただただそこにあるだけでありがたいものとして、好きだったのです。神仏に近い存在とでも言いましょうか。この感情の名前を、ぜひともどなたかに教えていただきたいものです。

 ともあれ、お二人を初めてお見かけしてから一年が経った女学校五年の暮れも、私はお二人と同じ電車に揺られ、家路についておりました。その日はとても幸運なことに、並んで座るお二人の目と鼻の先に、私は立つことができました。

 お二人が降りる停留所へもう三つというところで、光様が呟いたのです。

「アメリカへの出立が、年明けに決まりました。いよいよ、アメリカの学校へ、留学して参ります」

 私は我が耳を疑わずにはいられませんでした。光様がアメリカへ留学される。そのようなお話は、これまでお二人の会話の中に、一度として登場していなかったのです。

「……はい」

 紫様は、ただただ穏やかに、微笑んでおられました。紫様はすべてご存じであったご様子でした。

「あなた様のことですから、今よりもずうっと立派になって、そうしてお国のために尽くしていただけると、信じております」

「はい。一所懸命、勉学に励み、この日本のために、力を尽くすと誓いましょう」

 お二人の会話に、私は感情を堪えるのがやっとでございました。

 旅客機などない時代でございます。日本国内を移動するのでも精一杯の時代に、海外へ渡航するのがどれほど大変であったことか。まして留学ともなれば、渡航費のほかに学費や生活費もかかります。ですから留学する学生のほとんどは、国に将来を期待され、国費や多額の寄付金で海外へと渡るのです。当然のことながら、帰国後は国のために働くことが義務付けられておりました。

 留学している間、数年は帰国が叶いません。場合によっては、その期間が十年に伸びたり、そのまま海外に赴任するということもあったと聞きます。ですからその間に、きっと紫様の結婚が決まってしまうのです。たとえお二人が婚約した仲であっても、いつ帰るともしれない光様を、紫様のお家の方が待っているとは考えにくかったのです。

 光様が日本をお発ちになれば、お二人はもう二度と、会うことも叶わないのでございます。端から見ていた私でもわかるほど、仲睦まじく、深く愛し合っておられたお二人が、これが今生の別れとなる会話を、それはそれは穏やかに交わされていることに、私は涙を禁じえませんでした。

 お二人とて、別れたくはないはずなのでございます。ですが決して、そのお心を口にすることは許されなかったのです。先ほども言いました通り、留学が許されるということは、国に将来を嘱望された証であり、大変名誉あることでございます。ですから紫様も光様も、笑顔で見送り見送られることしか、できなかったのでございます。

 停留所までの間、お二人は一言もお話になることなく、静かに電車に揺られておりました。ただお二人の間に、そっと繋がれる手がありました。揺れる電車に合わせて、紫様は時折、光様の肩に頭を寄せておられた、そんな気もいたしました。

 いつもと同じ停留所で、お二人はお降りになりました。初めてお見かけした時から一つも変わらず、光様が手を添えて、紫様が電車を降りて行かれました。私はずっとずっと、電車が走りだしてもなお、そのお姿を見続けておりました。やがてお二人のお姿が、街の闇に消えていくまで、ずっとずっと……。

 停留所で降りた私は、ついに堪えきれず、嵌めていた熱い手袋に向かって、泣いてしまいました。

 

 あの日以来、光様をお見かけすることはございませんでした。ただ、しばらくの間は、紫様をお見かけすることができました。紫様はそれまでと変わらずに、同じ電車に乗っておられました。ですがそのお側に、光様の姿はございません。紫様はいつもお一人で、椅子に座っておられました。鈴の声でお話されることも、優しく手を握ることも、桜のように微笑まれることもございません。星の宿る瞳を伏せがちに、時が止まったように静かに、時折リボンを整えて、電車に揺られておられました。そうして、私より()()手前の停留所でお降りになるのです。

 そのご様子が、私はどうしても痛ましくて堪らなかったのです。比翼の鳥、連理の枝とは、男女の深い結びつきを表す故事でございますが、私には正しく、お二人こそがこの比翼連理に思えてなりませんでした。紫様のご様子が、片翼を失った鳥、対を()くした枝に思えてなりませんでした。

 結局、私は紫様と同じ電車に乗り続けることができず、以来全く、お二人の行方は存じ上げません。

 

 ……あれから十数年が過ぎた今も、あの頃を思い出さずにはいられません。今頃お二人はどうされているのでございましょう。光様は日本へお戻りになったのでしょうか。紫様はどなたかとご結婚されたのでしょうか。最後までお二人の正体を掴めなかった私に、お二人のその後を窺い知る方法はありません。ただもし、お二人が誰か別の方と結ばれたのでしたら……そう考えると、今でも胸の張り裂ける心地がいたします。

 ええですから、私はせめて、あの輝きに満ちた日々のことをいつまでも胸に刻んでいようと思うのです。きっと……きっとお二人が、幸せであることを信じているのでございます。

 いつか――北太平洋航路に就役した〔なぎさ丸〕が、初航海から戻った時であったと記憶しております――横浜の港で遠くより見た男女のように、

「お勉め、ご苦労様でございました……御行様」

「ようやっと、貴女に会えました……かぐや様」

そんな奇跡が、あのお二人にないとも、限らないのですから。




全く関係ないですが、女学生服姿のかれんさん想像して、どっかで見たことあると思ったら……

あれだ、Fate/zeroの特典映像に出てきたアイリ師匠だこれ……

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