大正浪漫斯電車の別視点小説になります。
……しかしながら。それでも、ただお一つ、語らなければならないことがあるのです。彼女に仕えた侍従としてではなく、幼少よりともに育ち、誰よりも彼女を知る、友人として、語らなければならないのです。
それは、本当に、短い日々のお話でございます。長く時間は取りません。どうか、最後まで、語らせてくださいな。
これは、敬愛する主人の、短く、儚く、切なく、しかし、尊いほどに美しかった、恋物語でございます。
おそらく、主人の恋物語は、私が知るよりも幾ばくか前に、始まっていたのでしょう。ですから、これは、あくまで私の知りうる範囲のお話でございます。
主人の初恋を、私が知り得たその日は、予報にない秋の雨が、夕方にザーッと降った日でございました。
強まる一方の雨脚に、私は主人の身を案じておりました。間の悪いことに、その時刻は丁度、主人が女学校より帰宅する時間であったのです。朝に傘を持ってはいませんでしたから、これは市電の停留所まで、迎えを出さねばと考えておりました。
女中のまとめ役でありました私は、主人が住まいとしておりました別邸を、他の女中に任せ、主人を迎えに出ようと致しました。
私の分と、主人の分、二本の傘を携え、玄関の扉へと手をかけようとした時でございます。
「ただいま、帰りました」
なんと、今まさに迎えに行こうとした主人が、扉を開いて帰って来たではありませんか。電車が到着するのには、まだ少しばかり、時間があるはずでございました。ですから、あまりに突然のできごとに、私はぎょっとしたのです。
その主人はというと、私を見つけて、こうおっしゃったのです。
「雨が降りそうでしたから、少し早い電車へ乗ったのです」
主人の言う通り、いつもより二本か三本、前の電車に乗れば、到着の時間が早くなります。ですが、それにしても、停留所から別邸までを、雨の中どう帰って来たのかと、そう思わずにはいられませんでした。
そして、私の疑問の答えは、主人のすぐ後ろにあったのです。
主人の後ろには、傘を差す男性が立っておりました。外套を羽織り、制帽を被る姿は、いかにも流行りの男子学生という印象でございました。主人と対照的な、やや明るい髪色と、主人に似た、きりりと凛々しい目元の特徴的な青年で、年の頃は主人と同じくらいというところでございました。
青年は、目の合った私へ会釈をして、こう申されました。
「冷たい雨でしたから、勝手ながら、お送りさせていただきました。――それでは、自分はこれにて」
踵を返す青年へ、主人は、それは華やかな笑みを浮かべ、控えめに手を振っておりました。あたかも春の訪れのようなその表情は、十余年を共に過ごしてきた私も、一度として目にしたことのないものでございました。
私は確信したのです。主人は、傘の青年を、憎からず想っているのだと。
この時お見かけした青年のお名前を、私はそれほど時間をかけず、知ることとなりました。ですがもちろん、ここで語ることはできませんので……ここからは仮に、「光る君」と、お呼びしましょうか。
その日からというもの、主人は毎日が楽しくて仕方のない、という様子でございました。と言いますのも、朝の支度に掛ける時間が、以前よりも二十分ほど伸びたのです。
少し前より、身支度への申し付けが増えたとは、感じておりました。すっかりお気に入りの赤いリボンも、光る君を初めてお見かけするより二月ほど前から身につけておいででした。
髪は丁寧に絹でも扱うように。矢絣の着物と女袴には皺なく。きつくない程度に香を焚きしめて。主人の、あれやこれやという注文に、私は毎朝、付き合っておりました。
もちろん、その分、私の朝の仕事は、それまでにも増して過密なものとなったのでございますが……けれど、その苦労以上に、嬉しいこともあったのでございます。
朝の支度が伸びた分、主人と話す機会が増えたのです。幼い頃ならいざ知らず、女学校へ入ってよりは、常に口数の少ない主人でありましたから、この朝の一時が、私には何にも代え難い幸福だったのでございます。お互いにまだ無垢でありました頃のように、喜怒哀楽のはっきりとした主人の姿が、それは微笑ましくてならなかったのです。
主人とは、毎朝たくさんの話をしたものです。大抵は、例の光る君のお話でございました。どんなお話をしただとか、どんなものがお好きだとか、そういうお話を、来る日も来る日も、飽きることなくされるのです。
「あの方は、白馬に乗った、騎士様なのよ」
主人はよく、光る君をそのように例えておいででした。
明治が過ぎ、大正になったとはいえ、いまだ日本には、レディファーストの意識が薄かった頃でございます。女性は男性の三歩後を歩くものと、まだまだそうした、古い考えの根強い時代でございました。けれど、そんな中にあって、主人の語る光る君のお姿は、ええ正しく、御伽話に聞く白馬の騎士そのものでございました。私の主人を、それは大切に想ってくれているのだと、そう確信するに足るものであったのです。
主人は、とても聡明な方でございます。その主人が、これほどに恋焦がれるのですから、それは素敵な殿方なのでございましょう。
それから、またしばらくすると、主人はお忍びで、光る君と逢引きをなさるようになりました。本家に怪しまれないよう、月に一度ほどの頻度でございました。
今風の洋服を着て、髪型も女学校とは違う風にされて、「友人と遊んでくる」という体で、お出かけなさいました。そういう時は決まって、私が本家への隠蔽工作の協力者でございました。
夕方になってお戻りになると、主人はそれは上機嫌に、逢引きのことを話してくるのです。不忍池を散歩しただとか、隅田川へ桜を見にいっただとか、流行りの活動写真を観に行っただとか、やはり朝のお話と同じように、いくつもいくつも、楽しそうにお話されるのです。お二人の密会を知っているのは私だけでしたし、ですから一層、私に話を聞かせたくてしようがなかったのでしょう。
しかし、この逢引きというのも、いつも上手く行っていた訳ではございませんでした。特に、隅田川の花火大会の日などは、主人も私も、大変でございました。
主人の本家からは、時たま、何の前置きもなく、当主直属の使用人が、別邸へとやって参ります。そして、花火大会の日も、本当に突然、二人の使用人が現れたのです。さて、これはどうしたものだろうと、主人と二人、考えを巡らせて、何とか光る君との約束に、間に合わせたのでございます。あの時のことは、今でも、よい思い出でございます。
何度も繰り返すようですが……光る君と出会われて、主人はよく笑うようになりました。たくさんお話をされるようになりました。それはそれは、大層幸せそうなご様子だったのです。
妹とも、姉とも、友人とも思い、共に育ってきた主人が、そのように微笑まれてることが、私にとっては何よりも喜ばしいことでございました。
しかしながら……この恋が、永遠ではないことも、決して実ることのないものであることも、私も、そして主人も、よく理解しておりました。
男女間の自由な結婚など、まして恋愛結婚など、全くありえない時代でございました。加えて主人は、日本でも五本の指に入る、由緒正しい家柄の一人娘でございます。本家の方針で、いまだ正式に婚約者などもおりませんでしたが、主人の旦那様というのは、主人の意志に関係なく、当主の一存で決まるものであったのです。光る君が、どれほど素敵な殿方であろうと、どれほど主人が深く愛していようと、二人が結ばれることは、決して認められるものではありませんでした。
主人と光る君の日々は、それは美しく、きっとこの世界で一番幸福なお話でございますが、同時にいつ崩れるともしれない、まるで綱渡りのような、そんなお話でもあったのです。
そして、その日はとても唐突に、全く何の前触れもなく、私の前に現れたのです。ですが、その唐突さ以上に、私を驚かせたものがございました。お二人の恋物語へ終止符を打ったのは、私の想定していた主人の事情ではなく、他ならぬ光る君の方からであったのです。
その日は、穏やかな雪の降る、年の暮れの一日でございました。夕食の支度を進める厨房を監督しつつ、深々と降り注ぐ雪の花を見ていた私は、今頃お二人が、うっすら雪の積もった道を、仲睦まじく並んで、サクサクと雪を踏み締め歩いているのだろうと、そんなことをぼんやりと考えておりました。
丁度その時、玄関の扉が開いたのです。急いでお迎えに上がると、寒さのためか、やや鼻の赤い主人が、玄関へ立っておりました。
「ただいま、帰りました」
いつもと変わらない帰宅の挨拶が、なんだか少し、湿っぽい気がいたしました。それに、よく見ると、主人の後ろには、光る君が立っておられたのです。
お二人が、学校よりの帰りをご一緒されていることは、当然存じておりました。ですが普段は、何か特別の理由がない限り、光る君は別邸の正門の前まで送るのみで、玄関までお見えになることはありません。これは、家の者に、お二人のご関係がばれないようにと、私からお願いしたことでございました。
雪が降っているとはいえ、ここへまで光る君がおいでになったことへ、私は内心、何かあったのではと身構えたのです。
「送ってくだすって、ありがとうございます」
「お礼には及びません。それでは、自分はこれにて」
ですが、お二人は特に変わった様子はなく、お別れの挨拶をされておりました。制帽を浮かせ、会釈をして踵を返す光る君へ、主人は花のように微笑み、手を振っておりました。雪の向こうへと、光る君のお姿が見えなくなるまで、見送っておりました。
その時初めて、私は、主人の目に光るものがあったことへ気づいたのです。主人は、さめざめと、泣いておりました。紅玉のような瞳を潤ませて、真っ赤な頬へ涙を伝わせておりました。
「あの方は、アメリカへ留学をされるのよ。とてもすごいでしょう」
涙ながらの声は、とても誇らしげに、聞こえました。ええ、そうでしょうとも。財閥令嬢として、多くの教育を受けてきた主人は、本心と正反対のことであろうとも、実に気丈に、口にすることができるのです。ですからこれは、誰よりも多くの時間を主人と過ごした私にしかわからない、主人の声だったのでございます。
聞けば、光る君の留学は、主人も随分前から、承知していたようでございました。それを、これまで告げなかったのは、お二人の最後の日まで、どうかこれまで通りに過ごしていたいという、主人の意地であったのでしょう。そして、その最後の日が、今日であったのです。
留学ともなれば、短くとも数年の間、光る君は日本へお帰りにはなりません。あるいはそのまま、海外へ赴任ということも、珍しくはないと聞き及んでおります。そうなれば、もう、主人と会うことは叶わないでしょう。よしんば帰国が叶ったとしても、その頃には主人の婚約が、正式に決まっている公算が大きいのです。
主人と光る君の、今生の別れの挨拶は、たった今しがた、実に穏やかに、交わされていたのでございます。
多くを存じ上げている訳ではない私も、お二人の仲睦まじさは、それはよくわかっておりました。お二人は、正しく比翼の鳥、連理の枝であったのです。それほどに深く、愛し合っておられたのです。
この時のお二人に、私は、光源氏と紫の上の別れを、重ねずにはいられませんでした。最愛の人である紫の上を京へ置いて、遠き明石の地へと旅立たねばならなかった光源氏の、そのお二人の姿が、幾度となく頭を
光る君の去って行った夜闇を、主人はいつまでも、見つめておりました。音もなく伝う涙が途切れるまで、一つの嗚咽も漏らすことなく、ただ静かに、見つめておりました。
こうして、主人の初恋は、美しい姿のまま終わりを告げ、儚く切ない思い出へと変わったのでございます。
……主人の恋物語について、私が語れるのは、ここまででございます。もちろん、他にもお話というのも、あることにはあるのでございますが……こと、光る君の旅立たれてからしばらくの日々に関しては、主人も語ることを望みません。ですから、これについては、私が墓場まで、持っていく所存でございます。
……それに、この恋物語の続きは、私ではなく、主人が――いいえ、私の友人が、きっと、自ら紡いで、そうしていつかのように、語って聞かせてくれるのだと、私は信じております。
「ご覧になって、愛さん。船が来ましたよ」
友人が指さす先には、先日、北太平洋航路に就役したばかりの貨客船〔なぎさ丸〕が、今まさに、横浜の大桟橋へと、横付けるところでございました。
「行ってくるわ」
「いってらっしゃい、かぐや」
大桟橋へと、まるで在りし日の、恋をしていた少女のように駆けていく友人を、私は笑顔で見送るのです。私は今こそ、彼女の幸福を確信し、心の底から、寿ぎ、喜ぶことができるのでございます。
白かぐかと言われると、白かぐじゃないかもしれませんが、心の奥底から「いや白かぐだろ」という声が聞こえるので、これは白かぐです。