東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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2019.08.25
全平成仮面ライダーの本編完結記念。


【 序章 『 空っぽの時代(ほし) 2020 』 】
第0話 逢魔幻譚 The Fragments


 それは、西暦2009年。平成の半ば、師走(しわす)の終わり。

 ある写真家の男が二人の探偵と出会い、世界を救った少し後の冬の日のことだった。

 

 古く(さび)れた小さな写真館。人通りの少ない路地にひっそりと構えているため、この写真館を訪れる客はあまり多くない。

 老人は孫娘と二人、この『光写真館(ひかりしゃしんかん)』を経営している。

 あるときは訪れる『仲間』にコーヒーを振る舞ったり、孫娘と共に作った茶菓子をもって、彼らは『旅』の一時(ひととき)を過ごしていた。

 

 店主の孫娘である女性、 光 夏海(ひかり なつみ) が数枚の写真を手に取り、小さく微笑む。

 その写真はどれも手ぶれや逆光、ピンボケなどでろくに被写体を写せていなかったが、歪んだ光の中に映る笑顔は不思議な写り方をしており、見る者に芸術的な美しさを思わせるようなどこか奇妙な印象を与えた。

 

 夏海(なつみ)は長い黒髪を揺らして窓際の椅子に腰掛ける。向かいには黒いコートを纏い、明るい茶髪を整えた一人の青年が座っている。長い脚を組み、首から()げたマゼンタ色のトイカメラを撫でる青年の姿からは確かな自信が満ち溢れていた。

 夏海が持つ数枚の写真はすべて彼が撮ったもの。それらは、ここではないどこか別の場所。異なる『世界』を巡った証として、彼らが歩む終わりなき旅の1ページを彩っている。

 

(つかさ)くん、写真を撮るのが上手くなったんじゃないですか?」

 

「ああ。どれも俺の大切な世界だ。……しっかり向き合ってやらないとな」

 

 青年、 門矢 士(かどや つかさ) は旅人だ。いくつもの世界を巡り、その瞳に写したものは彼にとってかけがえのない意味を持っている。

 あらゆる世界から拒絶され、淘汰(とうた)され、忘れ去られた士が得た答え。それは、どの世界も自分の世界にできるという真理(しんり)だった。

 たとえ自分の世界でなくとも、たとえ自分を拒絶する世界であっても。その瞳でしっかりと向き合い、旅の想い出としてファインダーに収めるのだ。

 

「士ぁー! お前砂糖いくつだったっけー?」

 

 旅の感傷に浸っていた士の空気をぶち壊す、のんきで(ほが)らかな声。夏海と同じく、士の旅の仲間である黒髪の青年、 小野寺(おのでら) ユウスケ が四人分のコーヒーを()れている。本人の性格と同様、明るく晴れ渡るオレンジ色の服がどこか眩しい。

 

 夏海の祖父である老人、 光 栄次郎(ひかり えいじろう) に教わりながら、コーヒーを淹れる腕もかなり上達してきた。これなら、数少ない来客に出しても恥ずかしくないだろう。

 ユウスケの成長を孫のように嬉しく思い、栄次郎はやっと思い出す。ここは喫茶店ではないし、自分はマスターでもない。

 それでも、みんなが喜んでくれるならいいか、と。栄次郎は再び笑顔を見せた。

 

「三つ。……いや、四つ入れろ」

 

「む、そんなに入れたら甘すぎだよ」

 

 四本の指を立てて見せる士に、栄次郎が唇を尖らせる。そんなこともお構いなしに、ユウスケは士の分のコーヒーに角砂糖を落とした。

 

 栄次郎が作った上等な茶菓子と共に(いこ)いの時を楽しんでいると、カラン、と。不意に写真館の扉が開く音がする。

 背景ロールの正面、立派なカメラの向こう側――廊下を進んだ先の入り口が開くのは、数少ない来客の証拠だ。栄次郎は手に持っていたお盆を置くと、来たるべき客人に扉を開ける。

 

「あ、いらっしゃい!」

 

 ――しかし。栄次郎が出迎えた扉の向こうには誰もいない。入り口を出て確かめるが、客人はおろか、そこには通りすがる人々の姿さえなかった。

 あるのはただ、いつも通りの外の光景。人通りの少ない路地。閑散とした塀と木々。たまに訪れる客人がいるとすれば、近所の野良犬か野良猫ぐらいである。

 風の仕業と考えようにも、今はそれほど強い風は吹いていない。精々、夏であれば風鈴が揺れる程度のもの。写真館の扉を開けるほどの力はないし、何より扉はしっかりと閉められていたはずだ。

 

 栄次郎は(いぶか)しみ、扉を閉めて居間に戻る。首を傾げるが、答えは見つかりそうにない。目の前に置いてあるカメラとその先に広がった無地の背景ロールを見ながら、栄次郎は不思議な感覚が拭えないでいた。

 狐につままれたようでもあり、狸に化かされたようでもある。何とも表現できぬ、奇妙な感覚。そこに誰かがいたような気がするのに、誰もいなかったような気もする。

 

「……誰かの悪戯(いたずら)でしょうか?」

 

「うーん、風のせいじゃないかな?」

 

 夏海もユウスケもその感覚には気づいていない。栄次郎も気のせいだったと納得しているようだが、士はそうではなかった。

 微かに震える右手でコーヒーカップを置く。口の中に残る苦味は、コーヒーのせいではない。背筋を伝うような不気味な感覚が、士の心に雫を落としたのだ。

 

「なんだ……この感じは……」

 

 それは一陣の風などという生優しいものではない。この世のものではないような何かが、確かにそこにいた。現実のものではない何かが、間違いなく感じられた。

 だが、その正体が掴めない。これまで様々な世界を旅してきた士でさえ、まるで雲を掴むような感覚。

 自分の目の前に、この空間に、確かに何かが感じられるのに。それがどこにいるのか、何であるのかさえ分からない。こんな感覚は生まれて初めてだ。

 誰かに見られている? 振り返って窓の外を見る。そこには何もない。

 どこからか覗かれている? 写真館の天井を見上げる。そこには相変わらず、レトロな電灯が設けられているだけ。

 

「気のせい、なのか……?」

 

 不安を洗い流すため、士は再びコーヒーカップに口をつける。流れ込んでくる黒に心を委ね、ようやく落ち着いた心を取り戻せた。

 写真館の奥、背景ロールを見やる。今は何も描かれていない真っ白な無地。だが、端に取り付けられた留め具を外せば畳まれていたロールが開き、そこに写真を撮る際の背景となる一枚の絵を掛けてくれる。

 その絵には、ただの背景ではない不思議な力があった。

 一言で表すならば、『世界の移動』。無数に遍在(へんざい)する並行世界(パラレルワールド)を行き来するための引き金。この背景ロールに写し出された絵は、如何(いか)なる原理か誰にも分からないが、異なる世界と世界を結びつける力がある。

 士たちはこれまでもその導きによって数々の世界を渡り、旅を続けてきた。

 

 先ほど外から入ってきた風によるものか、あるいは単に引っ掛けが甘かったのか。背景ロールを()めておいた鎖が外れ、からからと音を立てながら畳まれていた幕を落とす。

 誰の手によるわけでもなく独りでに展開されたその絵は、士たちの心を凍りつかせた。

 

「……! こ、これは……!」

 

 栄次郎の顔が青ざめる。その場にいた夏海もユウスケも、同じく突如として広がった背景ロールに目を奪われた。栄次郎と同様、生気を失ったような顔でその絵を見つめ、これまでにない不気味な気配に(おのの)いている。

 その反応は、士も例外ではない。これまでも数々の世界を巡り、様々な経験をしてきたが、ここまで異様な空気は感じたことがなかった。

 背景ロールに写し出された一枚の絵。それは、まさしく『異界』と形容するに相応しい禍々(まがまが)しいもの。

 一面に染み渡る黒と紫色の闇の中に、こちらをぎょろりと睨みつける無数の目玉。突き出す数本の道路交通標識じみたものは、その異形の光景にさらなる異質さを与えている。

 

「な、なんですか……これ……!」

 

「なんか、すっごく嫌な予感がする……!」

 

 それを見て、咄嗟に立ち上がった夏海が怯える。ユウスケも額に汗を浮かべながら、(かば)うように夏海の傍に立った。

 栄次郎が夏海たちに駆け寄り、その不気味な背景ロールを確かめようと近づく。

 闇に無数の目玉が覗く絵の中心は、渦巻く紫色の雲を飲み込むような黒い穴を描いているようだった。

 

「…………っ!!」

 

 ありえない。士の心が声を詰まらせる。どれだけ不気味なものであったとしても、それはただの絵だ。ただの絵である――はずだった。

 闇の中心。紫色の雲を描く絵の真ん中の穴。そこに小さく白い影が浮き上がってくるのに気づいたのだ。白い影が少しづつ大きくなっていくにつれ、それが華奢(きゃしゃ)ながら妖艶(ようえん)な『女性の手』であることが分かった。

 ただの絵、ただの背景ロールであるはずのその闇から、おもむろに突き伸ばされた白い手が光写真館を闇に染める。

 世界が歪む光を見る。空間が切り替わる音を聞く。これまでも幾度となく経験してきた、世界と世界の『境界』を超える感覚。士は確かにそれを感じ取った。

 

「きゃあっ!!」

 

「夏海ちゃんっ!!」

 

 揺らぐ世界の狭間(はざま)に聞こえる、夏海とユウスケの声。闇に閉ざされた視界においては、何が起こっているのかは分からない。

 闇が晴れる。そこには、いつも通りの光写真館があった。背景ロールの不気味な絵こそそのままであるが、世界を移動した直後のいつも通りの状態。

 

 ─―しかし、士の心は依然として湧き上がる焦燥に満ちていた。さっきまでそこにいたはずの夏海とユウスケがいなくなっており、栄次郎の姿も見当たらなくなっているからだ。

 扉を開けて出ていった様子はなく、忽然(こつぜん)とどこかに消えてしまったとしか考えられない。

 

「夏海……? ユウスケ? ……おい! どこだ!?」

 

 撮影所兼居間である背景ロールの部屋を出る。奥に進んでキッチンを見るが、誰もいない。廊下に飛び出して写真館中を探す。されど、人の気配はどこにも感じられない。()えかねた士は焦りのままに、光写真館を飛び出した。

 背景ロールの導きのままに世界を移動した直後であるならば、そこに広がっているのはこことは異なる別世界。隣り合わせの過去と未来を持った並行世界の光景である。

 

 これまでも、世界を移動すれば並行世界の『どこかの場所』に、何かに代わるように光写真館が建っていた。まるでずっとそこに存在していたかのように、当然のようにそこにあったものを塗り潰して光写真館が根付くのだ。

 そこから一歩出れば、馴染みのない別の世界。ただ、別の世界と言っても、まったく常識が通用しない完全なる異世界というわけではない。

 もしもあの道を選んでいたら。もしもあの行動を取っていたら。無数の選択肢と同様に広がる、別の可能性。我々が当たり前に生きる一つの未来に分岐して無限の道を形作る、可能性世界。並行世界と呼ばれるif(もしも)の世界線。それらは、本来は決して交わることがないはずだった。

 

 超古代、殺戮(さつりく)を遊戯とする邪悪なる民族が未知の石を手にした世界。

 

 有史以前に、神に背いた天使によって人類に可能性の光が与えられていた世界。

 

 虐げられた兄妹の手により、鏡の中にモンスターが生まれてしまった世界。

 

 一度は死した人間が蘇り、新たなる人類種として灰の肉体を得た世界。

 

 太古から続く聖戦、不死なる始祖が争い合った果てに、人類が栄えた世界。

 

 語り継がれる魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)し、大いなる自然の猛威を振るった世界。

 

 人間の姿に擬態し、社会に紛れ込む侵略者が隕石と共に落ちてきた世界。

 

 消えゆく別の未来より、己の時間を手に入れようと過去を目指した男がいた世界。

 

 日常の中に住まう隣人に牙を突き立て、その命を吸って生きる種族がいた世界。

 

 世界は一つではない。当然、たった九つということもない。世界は無限に広がっている。世界は絶えず無限に生まれ続けている。今、この瞬間も。過去も未来も、すべての選択、あらゆる可能性が、別の世界となって因果のどこかに開かれている。

 それは互いに干渉することはできず、観測されることもない。あくまで可能性の話に過ぎない。だが、門矢士は確かにここにいた。世界を渡る旅人として、光写真館の導きに従って。

 ここは士のいた世界ではない。まして夏海や栄次郎の世界でも、ユウスケの世界でもない。

 

「……森……?」

 

 光写真館から出てきた士が目にしたのは、写真館を覆うように生い茂る木々の群れ。鬱蒼(うっそう)と広がる森の光景だった。

 正面には赤い鳥居。左右を向けば苔生(こけむ)した一対の狛犬(こまいぬ)が出迎え、下を見れば、足元には今にも崩れそうな木の階段と荒れ果てた石畳が敷かれている。

 ボロボロの石畳の上、歩きづらいその道を数歩だけ歩いて、後ろを振り返る。さっきまで写真館だったはずの建物は、何十年も放置されたような古く寂れた神社になってしまっていた。

 

「どうなってる……?」

 

 普段なら、世界を移動すれば光写真館はその世界の別の建物、おそらくはその世界の喫茶店などに置き換わるように存在し、外観こそ置き換わる前の元の建物となっていたが、中身は変わらず光写真館のままであった。

 しかし、今の士の目に映るのは写真館でも喫茶店でもない。まさに神社としての意味しか果たしていないであろう小さな(やしろ)。小さな拝殿と大量の葉っぱが敷き詰められた賽銭箱しか存在しないその構造は、どれだけ強引に考えても中に写真館があるとは思えなかった。

 

 士は呆れ、頭を()く。どう考えても頭で答えを出せるようなまともな現象ではない。こんな小さな神社、それも拝殿の正面から、ついさっき士が出てきたことがすでに奇妙だった。

 賽銭箱の向こうには参拝のための神棚しかなく、当然ながら人が入れるような扉も空間も備えつけられてはいない。

 なら、自分はどうやって光写真館──だったこの寂れた神社から、外に出てきたのだろうか。考えたところで分かるわけがないため、士はその思考を捨てたのだ。

 

 神社を背にし、一歩、また一歩と歩きづらい石畳を歩く。

 ところどころ赤色の剥げた鳥居を見上げると、扁額(へんがく)に文字が記されているのに気づいた。が、文字は経年劣化によって掠れ切ってしまっているらしく、まともに読むことはできない。

 

(はく)――? この神社の名前か?」

 

 この異常な状況にも慣れてきたのか、士が落ち着いた声で呟く。理解できないことには慣れている。これまでも数々の世界を巡り、その適応力は並外れたものになっていた。

 ふと、自分の服装を確認してみる。写真館にいたときと同じ、黒いコートのまま。その当たり前の状態に、士は違和感を覚えた。

 

 これまでは世界を移動し、光写真館の外に出れば、士の服装は様々なものに変化していた。それに伴い、その服装の通りの技能と役割が士に与えられ、その世界ですべきことのヒントとなってきたはずだった。

 だが、今の士は何の技能も与えられていない士本来の姿であり、その服装からは役割を見出せない。何の世界かも判らぬこの未知の森、未知の神社の境内で、士は途方に暮れるしかなかった。

 

 ─―そのとき。

 

「お待ちしていましたわ」

 

 突如として耳に響く、若い女性の声。背後から聞こえてきたその声は、澄んでいるとも濁っているとも言い難い、不気味な色を帯びているかのようだった。

 肌を撫でる生暖かい風。気温は低くないはずなのに、士はどこか寒気を感じた。

 

「――ッ、誰だ!?」

 

 咄嗟に背後を振り返る。その瞬間、士の視界は一面の闇に染まっていた。

 神社を、森を、世界のすべてを飲み込んで、見える景色に闇色の雲が広がっていく。

 ぎょろりと浮かび上がる無数の目玉。おびただしく突き伸ばされた無数の腕。現れては消える道路交通標識のようなものは、光写真館で見た絵と同じものだ。

 

「――――」

 

 そこでようやく、彼は気がついた。

 この闇に飲み込まれているのは、世界ではなく自分の方なのだと。

 無辺の深淵。境界に(たたず)む紫色の影。女性と思しきその姿に、士はどこか無意識のうちに魅入られていた。

 女性はゆっくりと振り向くと、微睡(まどろみ)の彼方へと失せていく士に小さく微笑む。

 

 その艶やかな唇が淡く紡ぐ言の葉は──(かそ)やかながらも、門矢士の耳へと届いていた。

 

 

─― ようこそ、私の世界(・・・・)へ ――

 

 

 門矢士の意識は、そこでぷつりと途絶えた。

 

◆     ◆     ◆

 

 それは、どこまでも深く果てしない混沌の中。無数の目玉がひしめく深淵に、一人の女性が佇んでいる。白い帽子にあしらわれた赤いリボンは年端もいかぬ少女らしさを感じさせるが、(たた)える微笑は悠久の時を生きた化生(けしょう)じみたものだ。

 絹の如く揺蕩(たゆた)う金色の長髪。あらゆる境界を見据える紫色の瞳。純白のフリルドレスの上から纏うは、瞳と同じ紫色の道士服めいた前掛け。すべてがこの不気味な空間には似つかわしくないほど可憐であるようにも見え、逆にその妖しさに見合う異質さを備えているようにも見える。

 

 常闇の(はて)。その全身に纏わりつく、不快な視線。このおびただしいまでの負の想念が渦巻く畏怖と拒絶の中において、静かに微笑む彼女はただ、居心地の良ささえ感じていた。

 

「…………」

 

 (いにしえ)の大妖、幻想の境界と称された妖怪の賢者―― 八雲 紫(やくも ゆかり) が微かに顔を強張(こわば)らせる。懐から取り出した白い箱状の物体は、つい先ほど自身が招いた青年から拝借したものだ。

 威圧的な雰囲気を放つ箱の中心には灰色がかった透明の水晶体(センターレンズ)が鈍く輝いており、その左右には緑、赤、青と、三対に彩られた六つの輝石が並んでいる。中心のレンズを囲うように配置された九つの紋章は一つ一つがそれぞれ異なった形を象り、黒く小さく、環状に刻まれていた。

 

 門矢士が所持していた道具。(ゆかり)は自ら望んだ『ディケイドライバー』と呼ばれるそれを見つめると、レンズがある方を外側に向け、それを自身の腰、丹田(たんでん)の辺りに押し当てる。

 すると、ディケイドライバーの左端から突如として伸びた銀の帯が紫の腰に巻きつき、それを特殊な『ベルト』として紫の身体に固定する。ただの白い箱だったそれは、気づけばベルトの留め金(バックル)となって身に着けられていた。

 同時に、紫の左腰に現れるもう一つの白い箱。こちらは箱というよりは本のように畳まれた薄い板の形をしており、斜めに引かれた黒い線の中にはバーコードじみた紋章が描かれている。

 

 ディケイドライバーの両端に設けられた鈍色(にびいろ)の引き金を両手に握る。左右に引くと、内部の機構が回転し、中心の白いバックル部分を直角に傾けた。横向きの楕円(だえん)形であったバックルは縦の卵型となり、引き金に隠れて見えなかった右端の溝が上部に現れる。

 細く小さな溝は、薄い紙が一枚分入る程度の隙間。カードスリットとなったそれを撫でると、紫は左腰の白い板――『ライドブッカー』を開き、中から一枚のカードを取り出した。

 カードに描かれているのは、破壊の化身。マゼンタ色の悪魔。世界を滅ぼす力となり得る災禍(さいか)の具現を、紫はその手に持っている。

 願わくば、この力を持って――来たるべき崩壊から、愛したものを救えるのなら。

 手にしたカードが微かに歪む。気づかぬうちに強く握りしめていたらしい。迷いを振り払い、覚悟を決めてそれを掲げる。人差し指と親指。二本の指でカードを支え、絵柄を闇に向けた。

 

「――変身」

 

 ただ一言。己を変える呪詛(じゅそ)を呟く。

 掲げたカードを(ひるがえ)し、白いバックル、ディケイドライバーのスリットに差し込むと、カードの裏側に描かれていた破壊の紋章が透明なレンズ越しに混沌の世界を睨みつけた。

 

『カメンライド』

 

 悪魔の箱。白い棺が無機質な電子音声を奏でる。破壊の序曲を耳に聞く。滅びの始まりを光と見る。

 もう、後には引けない。この道を、この方法を選んでしまったのなら――彼女はもはや、そうあることしか許されない。

 開かれたバックルの両端、左右に伸びた引き金に再び両手を添える。紫の心は、すでに決まっている。意を決し、両手に力を込めることで、開いたバックルを元の形に戻した。

 

『ディケイド!』

 

 バックルの中心、赤く染まったレンズの中に、バーコードじみた紋章が輝いている。鳴り響く破壊の宣告と共に、周囲に現れた九つの虚像が紫の身体に一つに重なっていき、その身体に漆黒のスーツとして固着される。豊かなドレスと女性らしい身体つきは虚数の果てへと消え、そこには無彩色の戦士だけが立っていた。

 ディケイドライバーから飛び出した幾重(いくえ)もの赤い板。それらは(せわ)しなく回転しながら前方を踊り、やがて次々に戦士と化した紫の仮面へと突き刺さっていく。角度を伴って組み込まれたそれぞれの板が戦士の仮面を彩ると、流れるように戦士の装甲を深いマゼンタ色に染め上げた。

 

 あまりの熱量に、周囲の混沌が、それを凝視していた目玉が吹き飛ぶ。そこに現れたのは、八雲紫の姿などではない。

 胸は肩にまで至る十字の鎧を模す。仮面はさながらバーコードめいた意匠を持つ。一対の複眼は緑色に輝き、額に光る小さな黄色は第三の眼の如く、無辺の混沌を睥睨(へいげい)している。

 悪魔と恐れられたその姿。破壊者と(さげす)まれたその戦士。

 紫はマゼンタ色の威光に染まり、世界から『ディケイド』と──あるいは『仮面ライダー(・・・・・・)』と呼ばれたその力を、(おの)が身に纏った。

 

 独りでに開いたライドブッカーが九枚のカードを吐き出す。それぞれ異なる九人の戦士。その仮面が描かれた九枚の『ライダーカード』が、混沌の境界へと飛び進む。

 一枚、また一枚と何もない闇色の空間に突き刺さり、溶けては虚ろに消えていく。

 その度に、混沌の中に浮かび上がる小さな光。黄金に輝く九つの紋章となって、カードは妖しくマゼンタ色の戦士となった紫の姿を照らし出している。

 九つの紋章。ディケイドライバーに描かれたものと同じ形の『ライダーズクレスト』は、紫を導くように優しく輝き、この不気味な空間の中において強く正しくそこに刻み込まれた。

 

「さぁ、時代をゼロから始めましょう」

 

 輝く紋章のうちの一つ。クワガタムシの大顎を雄々しき双角に見立てたようなそれに触れる。紋章は暖かく、優しさを感じさせる光に満ちていた。

 それは破壊者(ディケイド)の姿となった紫の指さえも青空のように受け入れ、少しづつその身体を光の中へ(いざな)い、紋章の向こう側へと受け入れる。

 その先にあるのは、暴力と悲しみ。破壊と殺戮に満ちた悪意の世界。あるいは、晴れ渡る笑顔の物語。その光は、その青空は、何よりも優しさに満ちているのに。紫には、溢れんばかりの涙を(たた)えているように見えた。

 やがて紋章の彼方へと消えた紫の後に残ったのは、その光の他に輝く残り八つの紋章。

 輝く龍の(あぎと)。燃える龍の頭部。斜め一閃された楕円(だえん)(つるぎ)の如きスペード。三つ巴の鬼火。英字の書かれたカブトムシの背中。過去と未来を示すレールめいた真円。コウモリにも似た高貴なる牙と翼。

 

 そして、最初に触れたクワガタムシの大顎。この九つの紋章はすべて、紫の知らぬ世界の物語。九つの世界、九つの物語。決して交わることのない並行世界。それらすべてが交錯した混沌は、ありとあらゆる因果において、誰にも予測することのできない結末をもたらす。

 彼女の愛した最果ての楽園は、すべての答えを受け入れる。それは何もかもを無に帰す、滅びの現象。避けられぬ崩壊さえも。

 歪む仮面。青空の涙。十字架の写真。虚像の笑顔は悪逆の破壊を写し出す。たとえそれが世界の選択だったとしても、彼女はあまりにも残酷なその終焉(しゅうえん)を、認めることができなかった。

 

──これは、決して交わらざる幻想の物語──




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