東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第9話 大地の記憶

 灼熱の大気と核融合炉の駆動音に満たされた人工施設。間欠泉地下センターの最深部に、幻想郷には招かれざる二体の異形が存在している。

 一体は(ヒョウ)の姿をした怪物、ジャガーロード パンテラス・ルテウスと呼ばれるアンノウン。天使として神に創られたその怪物は、全身に神秘の装飾を纏っていた。

 特に赤いマフラーを留める左胸の羽根飾りと、渦巻く貝を思わせる独特の意匠が施されたベルト状の装飾品は、この獣が地底の動物でも地上の妖怪でもないことを示唆している。

 

 対して、向かう異形は光の戦士。黄金の鎧を纏うは、神に背いた天使によって与えられた人類の可能性。守るべき未来の居場所を導き照らす、『アギト』の姿である。

 それは神でも、天使として人類を統べる存在でもない。彼もまた、等しく神に創られた一人の人間として。地に足をつき、アギトである以前に人間として、同じ人間の未来を歩むのだ。

 

「…………」

 

 パンテラス・ルテウスはアギトを睨み、その姿を嫌悪している。彼が憎むのはアギトの力もそうだが、その器となる人間そのものだ。

 神は初めに光と闇を、そして宇宙を創り、星々を創り、分身である天使(マラーク)たちを模して地上に栄える動物たちを創った。やがて神は自らの姿を模して人類を創造し、神は自分の姿に似る人類を何よりも愛した。

 ――しかし。人類は傲慢(ごうまん)にも神の姿に似る自らを他の生物よりも格上だと増長し始め、天使の姿に似る動物たちを家畜と扱い、虐げていく。これに(いきどお)った天使たちが神に抗議の声を上げたにも関わらず、神はなお人類への愛を優先したのだ。

 神の寵愛(ちょうあい)を一身に受け、天使(アンノウン)たちにとって我が子に等しい動物たちを虐げる人類に対し、彼らは憎悪を募らせる。たとえ神の愛したものでも、アンノウンは人類を許せなかった。

 

 神代の当時、人類と天使の総数は共に二億。どちらも同じ数なれば、力で勝る天使にこそ勝敗の分はある。40年間に渡る戦争は、人類が圧倒的に不利だった。

 滅びゆく人類を(あわ)れんだのは神に最も近い七大天使のうちの一人。彼は地上に降りて人の女性と交わり、人が『ネフィリム』と呼ぶ異形の子を成す。この異形は荒れ狂い、敵対する天使の(ことごと)くを喰い尽くしていった。

 人類に争いの知恵をもたらした罪により、()の大天使は神の手によってその身を砕かれ、長く続いた争いは天使たちの勝利に終わる。だが神に背いた天使は今際の際、神の子である全人類へ自身の力を()き、遥か未来に遺志(アギト)を受け継がせた。

 多くの命が失われた争いを深く悲しんだ神は一度、地上の文明を回帰させるべく大洪水を起こして地上のすべてを洗い流した。その際、地上のすべての命を(つがい)として方舟(はこぶね)に乗せ、世界を初めからやり直したのだ。

 天使たちは憎き人類の根絶を願ったが、人類を愛す神はそれをしなかった。たとえそれが、やがて自分の愛したものではなくなる光――『アギトの力』を宿してしまっていたとしても。

 

「……え、え? 化け物が二体? どうなってるの?」

 

 神代から受け継がれた光。アギトの力を宿し、人を超えた姿と成り果てた翔一に相対するは敬虔(けいけん)なる神の使徒、アンノウンであるパンテラス・ルテウス。それらを見て、困惑の声を上げたのは八咫烏の力を持つ地獄鴉──お空こと霊烏路空だった。

 お空の隣で狼狽(うろた)える火車の少女、お燐こと火焔猫燐もまた、その状況を理解できていない。二本の黒い尻尾をぴんと伸ばし、その毛を逆立ててこの世ならざる超常の気配に震えている。

 

「どういうこと? お燐! あの金ピカの奴、さっきお燐と一緒にいたよね!?」

 

「あ、あたいにだってわかんないよ!!」

 

 光の戦士たるアギトも、ヒョウの姿をしたアンノウンも。どちらも幻想郷にあるべき存在ではない。お空にとってもお燐にとっても、それは異形と定義し得る。

 アギトの身体は今、大地の加護を受けた漆黒の強化皮膚と黄金の装甲に覆われている。これはアギトの姿の中で最も安定した力を誇る超越肉体の金、すなわち『グランドフォーム』と呼ばれる形態である。

 人類の祖先が一人の大天使より授かった力。それは火、知恵、あるいは文明と呼ばれるもの。大地と共にある人類が火の力を目覚めさせ、地の力として発現したのがアギトの基本形態、金色の鎧を持つこの姿だった。

 神は人類を愛していながら、彼らの成長を、その進化を望まなかった。人類に宿るアギトの力が覚醒し、自らが愛した人間の領域を超え、人間(ヒト)人間(ヒト)でなくなることを恐れた。

 

 幾星霜(いくせいそう)の時を超え、現代。長き眠りから目覚めた神は人間としての肉体を伴い、地上で人間たちを見守りながらアギトの覚醒を見た。

 神の使徒、人類が『アンノウン』と呼ぶ天使(マラーク)たちの使命は、アギトの根絶。人類を愛しながらもアギトを愛せなかった神に代わり、アギトに目覚める兆候のある人間を殺すために、アンノウンは地上に(つか)わされた。

 アギトに目覚めた人間の一人、津上翔一はアンノウンたちから人類の居場所を守るべく、アギトとなってアンノウンと戦い、やがて彼は長い戦いの末、神の現世での肉体を破壊する。その日を境に、人類が天使を見ることはなくなった。

 神への反逆。人類の親離れ。あの戦いからおよそ一年と数ヶ月。翔一は念願だったレストランを開き、慎ましくも平穏に暮らしていた――はずだった。

 翔一は見覚えのない灼熱の地獄に踏み込み、そこがどこかも分からぬうちに、気づけば再び光の力に導かれていた。向かう先に現れ、今、翔一と対峙しているのは紛れもなくかつて倒したはずのアンノウン。ジャガーロード パンテラス・ルテウスが、少女に牙を剥いていたのだ。

 

「どうして……また……」

 

 アギトとしての赤い複眼が怪物の姿を捉える。翔一は、やはりアンノウンの再来に対する疑問を振り払うことができない。

 大地を踏みしめ、悠然と構えを取るアギトを前に、パンテラス・ルテウスは間欠泉地下センターの地面を駆ける。振るう拳は(ヒョウ)の速度を伴い、アギトの身体へと振り抜かれた。

 

 今はアギトの姿となっている翔一は僅かに上体を逸らしてそれを避け、続けて振るわれた腕の一撃を受け止めると、くるりと(ひるがえ)って肘を打つ。

 敵に背を見せながらも、翔一は寸分の焦りも見せることはない。予想通り、背後を取って再び拳を振りかざしたパンテラス・ルテウスの攻撃を防ぎ、そのまま僅かな隙を突いてアギトの拳が怪物の顔面を捉えた。

 互いの間合いを保ちながら、二つの異形はゆっくりと位置を変えて好機を待つ。アギトはこの瞬間に至るまで一切の隙をも見せていない。ここで僅かに構えを解いたのも、あえて怪物の攻撃を誘うためだ。

 そのことにも気づかないまま、パンテラス・ルテウスはアギトの身体に覆いかぶさり、神に創られた万能の筋肉をもって翔一の息の根を止めようとする。

 その動きを見極め、アギトとなった翔一の黒い腕が怪物の身を掴んだ。超常的な筋肉を持つのはアンノウンだけではない。力の根源を同じとするアギトもまた、それに匹敵するほどの遥かな力を誇っている。

 大柄な体格を持つ怪物を容易く持ち上げると、翔一は突っ込んできた怪物の勢いを利用して正面に向けて強く投げ飛ばした。

 流れるようにしなやかで自然な動き。落ち着きすらも感じさせる一連の動作に、一切の無駄は存在しない。翔一はアギトと自身を一体とし、無我の境地とも言うべき(くう)の心で戦っている。戦士と表現するにはあまりに安らぎに満ちたその所作は、悟りを開いた賢者のようでもあった。

 

 パンテラス・ルテウスは苦痛を堪えるように立ち上がり、アギトを睨みつける。見た目こそ損傷を負っているようには見えないが、その身体には確かにダメージが入っているようだ。

 

「…………」

 

 一度、アギトの額に光る青き結晶『マスターズ・オーヴ』が小さく輝く。それに伴い、熱くなる肉体(からだ)(こころ)。翔一はその感覚に精神を委ね、ただ、本能に従う。

 流れ高まる光の力が昇華され、その全開を指し示す頭部の双角『クロスホーン』は三対の翼の如く、双角だったそれを六枚に開いた。それはさながら神話や伝承に登場する龍の角を思わせるような形に、後光の如く燦然(さんぜん)と光を湛えている。

 静かに息を吐き、広げた両脚で強く大地を踏みしめる。右手の平を天に、左手の平を地に向け、両腕を水平に開いていく。左手は腰に、右手は身体の正面に構え、ゆっくりと腰を下ろし、翔一は力を込めた。

 足元に広がる紋章は龍を模し、大地のエネルギーとなって渦巻きながらアギトの右脚に収束していく。右足は大地と共に。それを軸として、左足は半円を描いて後ろへと回す。

 

 溢れる光の力。神代より受け継がれる輝きを見て、パンテラス・ルテウスは翔一のもとへ走るが、アギトが右脚に込めるエネルギーはすでに臨界の光を放っている。抵抗など、もはや何の意味も成さない。

 地下深き核熱の旧地獄に輝く、頭部に掲げるクロスホーンの光。そのまま背負う龍の如き紋章を解き放ち、翔一は超常の筋肉に彩られたアギトの脚力をもってして高く飛び上がった。

 

「はぁっ!!」

 

 張り詰めた光を打ち破り、気合いを強く声に出す。翔一の身は、アギトの全身は。大地の加護を受けた光の矢となり、間欠泉地下センターの熱気を切り裂き、ヒョウのアンノウンに向けて一直線に蹴り放たれた。

 超越肉体の金(グランドフォーム)が誇る超常の蹴撃。天使の祝福がもたらした奇跡の身体から繰り出されるは、同じ天使の身さえ打ち砕く【 ライダーキック 】の一撃だ。

 突き進む右脚は闇の中に灯る火の如く、力強く(たくま)しい誇りに満ちている。足裏に光る紋章はアギト自身を示すものと同じ、六枚もの角を広げた龍の(あぎと)と呼ぶべきもの。

 

 人類の答え。研ぎ澄まされたアギトの右足は、パンテラス・ルテウスの胸に鋭く突き立てられた。怪物を蹴り飛ばし、その眼前に翻ったアギトは構えを崩さぬまま、手刀と伸ばした右腕が怪物と並行になるように着地する。

 ()けつく光と熱は確実な一撃を放った証として右足の底に残っている。頭部のクロスホーンが刃金(はがね)の如き金属音を奏でると共に、再びそれを元の双角へと閉じた。

 左腰に添える左手と正面に伸ばした右腕の構え。大地と共に人間(アギト)の時代を生きる者として、翔一はゆっくりと構えを解きながらアンノウンに向き直る。

 アギトの赤い複眼が宿すのは、その力をもたらした天使と同じ、滅びゆく者への憐憫(れんびん)か。それとも、人の未来を奪う神への怒りなのか。翔一の魂の在り方は、誰にも分からない。

 

「グゥ……ゥア……!!」

 

 胸を押さえ、激しく悶え苦しむパンテラス・ルテウスの呻き声が、地下深い旧地獄の間欠泉地下センターに木霊(こだま)する。

 頭上に浮かび上がる青白い光の円盤。彼らが超常の存在であることを示す光輪は、これまで何度も翔一が見届けた天使の死。アンノウンの命が散る際に、彼らが在るべき『本当の居場所』として開く、神の世界への道標(みちしるべ)である。

 パンテラス・ルテウスの肉体に打ち込まれた光は、内側からその身を滅ぼしていく。如何に天使といえど、肉体を失えば現世に留まることはできない。――肉体を失う、その瞬間までは。

 

「『人間(ヒト)は、人間(ヒト)のままでいればいい』……!!」

 

「なにっ……!?」

 

 アギトのライダーキックを受けながらも、パンテラス・ルテウスは口を開いた。それまでは獣のような唸り声しか上げていなかったはずのアンノウンだが、この瞬間、明確な意味を持つ人間の言葉を発したのだ。

 アンノウンの予期せぬ言動に驚き、翔一は不意に全身に力を込めてしまう。硬直した筋肉は咄嗟の行動を許してくれず、目の前の怪物に僅かな隙を晒してしまった。

 パンテラス・ルテウスはその場から動かぬまま、困惑するアギトに向けて右手をかざす。その手を中心に、渦巻く波動が強大な力場となって空間を歪め、翔一の身体に強引に干渉する。

 

「ぐぁぁぁあああっ!!」

 

 内臓を、魂を、自分自身を引き()り出されるかのような激痛に堪えかね、翔一は顔を歪めて絶叫した。微かに目を開き、なんとか視界の端に捉えることができた光景は、彼にとって一度だけ経験したことのあるもの。

 自身の内側から溢れる光は、かつては忌まわしさ故に自ら手放そうとした『アギトの力』そのものだ。光はやがて一つの塊に圧縮され、幼い少年の姿を象って具現する。

 光に包まれ、ぼんやりと輝く白い少年がゆっくりと浮かび上がり、パンテラス・ルテウスの右手へと吸い込まれていく。アギトの力を抜き出されてしまった翔一は光を失い、変身を維持できなくなったことで強制的に生身の姿へと戻された。

 頭上に光輪を浮かべたまま、こちらを睨むパンテラス・ルテウスの視線。琥珀色だった瞳は光を失い、どこか虚ろに――『闇』を湛えているように見える。

 その闇は、人類にアギトの力を与えた大天使を、仮に『光の力』と呼ぶのなら。それとは正反対にして、全く同一の性質を持つもの。さしずめ『闇の力』とでも呼ぶべき、神の意思。

 

「グ……グゥッ……ア……!!」

 

 もはやパンテラス・ルテウスの肉体は、裏切り者が(のこ)した『アギトの力』を受け入れられるほどの力を備えていない。

 その身に余る人類の可能性を、未来となるべき光を取り込み、アンノウンは先ほどよりも強く苦しみの声を上げる。生身となった翔一も、(わけ)も分からず動けずにいるお空とお燐も、ただそれを眺めることしかできなかった。

 翔一からアギトの力を奪い、(しゅ)である万物の創造主に――神の意思たる『闇の力』にそれを捧げようと、パンテラス・ルテウスは天を見上げた。間欠泉地下センターの上空に広がる、突き抜けるような縦穴。遥か地下深くであるこの場所からも変わらず地上の空は確認できる。

 

 よろけるように数歩、怪物はその場でたたらを踏む。アギトから受けたライダーキックのダメージに加え、闇を打ち払う光を体内に受け入れたことが(あだ)となり、パンテラス・ルテウスの頭上の光輪は明滅していた。

 パンテラス・ルテウスの意思は、闇の力に届かず。受け入れたアギトの力も重なり、その肉体はすでに限界を迎えていたのだ。

 己が仕える(しゅ)に助けを乞おうと空高く手を伸ばすが――その動きを最期に、頭上に輝く光輪が消えて無くなる。次の瞬間、パンテラス・ルテウスの身体は轟音を立て、大爆発を起こした。

 

「うわっ……!」

 

 爆ぜ散ったアンノウンの肉体は消滅し、その身に取り込まれていた『アギトの力』が光となって解き放たれる。間欠泉地下センターの最深部を白く染め上げる光は、太陽の誕生を思わせるほどに力強く、膨大だった。

 溢れんばかりの眩さに顔を覆う。浴びる光は翔一の身体に取り込まれ、彼が失ったアギトの力がその魂へと確かに戻っていく。

 目立った身体の変化が見受けられずとも、アギトとして戦ってきた彼には力の奪還が直感で分かる。怪物から『力』を取り戻した今なら、問題なくアギトの姿に変身できるだろう。

 

「うにゅ……!?」

 

「にゃ……!?」

 

 ─―光を浴びたのは、翔一だけではない。その場にいたお空とお燐も、パンテラス・ルテウスの内に取り込まれていた眩い光に顔を覆っていた。

 彼女らにとってはただ眩しいだけの光でしかないが、どこか身体に感じた変化は、気のせいだっただろうか。お空とお燐は、一瞬のうちに輝きが収まったのを感じてゆっくりと目を開く。

 

 広がる視界、見慣れた間欠泉地下センターには、もはや怪物の姿はなかった。

 

「倒した……の……?」

 

 お空は一言、不安の色が込められた言葉をもって怪物の死を認識する。肌を突き刺すように張り詰めていた空気は、いつも通りの核融合の熱気によってすでに蒸発してしまっているようだ。

 

「もう、なんだったのさ、いったい……」

 

 お燐も全身の力を抜いて警戒を解くが、その心は未だ落ち着いているとは言いがたい。未知の怪物の撃破を確認したところで、それを果たしてくれた存在もまた未知の怪物として拳を振るっていたのだから。

 灼熱地獄跡で介抱した茶髪の青年のことは人間だと思っていたが、どうやらただの人間にしておけるような単純な存在ではないらしい。

 彼もまた、お燐にとっては警戒すべき未知の異形。同時に、お空にとってはパンテラス・ルテウスと同様、この間欠泉地下センターに無断で踏み入った侵入者だ。

 

 しかし、今この場で彼を倒そうと思えるほど彼女らは動物的な思考を持ってはいない。生まれこそ旧地獄の動物たる身ではあるが、妖怪として人間の姿に至った以上、人間に等しいだけの知性は身につけられている。

 灼熱地獄跡や間欠泉地下センターの管理を任されているのは、彼女らが一定以上の信頼を得ている証拠。その信頼の寄る辺、彼女らの帰るべき居場所である『地霊殿(ちれいでん)』の(あるじ)は、お空やお燐がまだ動物であった頃からの飼い主として、彼女らの面倒を見てくれている存在だった。

 

「さっきの怪物やお兄さんのことも気になるけど、今はそれより……」

 

「……さとり様に報告、だよね……」

 

 自らの両手を見つめ、何か思い悩んでいる様子の翔一を見て、お燐が呟く。その言葉に対し、お空もこれから何をすべきかを確認した。

 地霊殿のペットである身の二人。彼女らにとって今できることは、自分たちの飼い主たる存在への状況の報告。

 この青年に問い詰めたいことはいくらでも思いつくが、彼の正体も依然として分かっていない状態なのだ。不用意な真似をして事態が悪くなる前に、今はとにかく信頼のおける主人への報告を優先するべきだろう。二人の判断は、翔一を地霊殿まで連れていくことを決断させた。

 

◆     ◆     ◆

 

 間欠泉地下センターを離れ、ここは旧地獄のほぼ中心に位置する場所。灼熱地獄跡の直上、燃え上がる炎に蓋をするように建てられた館は、ステンドグラスに彩られた天窓を持つ西洋風の巨大な屋敷、『地霊殿』と呼ばれる建物だ。

 中でも特に壮美な装飾を持つ鮮やかな部屋。市松模様の赤と黒が敷き詰められた床とゴシック調めいた様式の格調高い内装は、この地霊殿に招かれた来客をもてなすための一室である。

 

「……ええ。こちらでも間欠泉地下センターの異常は確認しているわ。送られてきた映像は一部不鮮明なところがあったから、詳しい状況までは把握できていないけど……」

 

 お燐に従う怨霊の報告を受け、静かに語るのはやや癖のある薄紫色のショートボブを揺らした幼げな少女。地霊殿の一室に設けられた窓に手を当て、外の様子を眺めながら何かを憂う姿は、大人びた落ち着きを感じさせた。

 いくつものハートがあしらわれた水色の服とピンク色のスカートは一見すると人間の少女のようだが、全身に絡みつく複数のコードと、胸の位置に繋がれた『第三の眼(サードアイ)』の存在が、少女を妖怪たらしめる最大の要因として不気味に動いている。

 旧地獄で最も恐れられる『(さとり)』と呼ばれる妖怪、地霊殿の当主である 古明地(こめいじ) さとり は、お空とお燐が連れてきた外来人の青年に向き直り、彼と同じように向かい合うソファに座った。

 

「いやー、本当に広いお屋敷ですね! でも、ちょっとだけ暗くないですか?」

 

 来客用のソファに座っているのは、お燐が灼熱地獄跡で見つけたという外来人だ。間欠泉地下センターに踏み入ったという話は穏やかではないが、当主であるさとり自ら淹れた紅茶に口をつける姿からは警戒心など微塵も感じられない。

 形式上は来客としてこの場にいる翔一だが、実際はその近くにいるお空とお燐によって未だ警戒されている。この男が少しでも不審な行動を見せれば、すぐにでも対処できるように。

 

 ――しかし、怨霊も恐れ怯む少女として知られたさとりにとって、従者による警戒など必要ない。彼女の怪異たる象徴は、さとりが持つ『心を読む程度の能力』にある。

 それは文字通り、相手が思っていることを何であろうと見透かしてしまう能力。彼女を前にしている限り、誰も隠し事をすることはできない。話したくないことも一方的に筒抜けにされ、相手に一切口を開かせることなく会話を進める。

 誰であれ生きている以上は話したくない秘密を持っているもの。それを無条件に暴かれてしまう妖怪は、嫌われ者にも嫌われる。この地底においても、地上においても、その能力を(いと)わず傍にいてくれるのは、人の言葉を持ち合わせず、心を読まれても問題ない動物たちだけだった。

 

 ぎょろりと赤い(まぶた)を広げ、翔一を見つめる第三の眼(サードアイ)。さとりが生まれ持ったその『眼』は、意識せずとも相手の心を『見て』しまう。その目に見つめられたが最後、どんな秘密も秘密でなくなってしまうだろう。

 流れ込んできた心の情報に意識を向けたさとりは優しく微笑んだかと思うと、翔一の背後に並び立つお空とお燐に右目でウインクをしてみせた。

 その合図を見た二人は張り詰めていた緊張を解き、胸を撫で下ろす。さとりが見た翔一の心にはこちらを害する意思はない。正当な来客として見ても構わないと、その目線で伝えたのだ。

 

「申し遅れました。私は古明寺(こめいじ)さとり。この地霊殿の(あるじ)です」

 

「あ、どうも! 俺、津上 翔一(つがみ しょういち)って言います! よろしくお願いします!」

 

 無邪気な笑顔でティーカップを置く翔一の言葉に、さとりは一瞬困惑の表情を浮かべた。聞き間違いかとも思ったが、津上翔一と名乗った男の心には、彼が名乗ったものとは『別の名前』が浮かんでいるからだ。

 相手を欺こうとしているわけではない。自らの名前を思い違えているなどということもあるはずがない。彼がこの場で『偽りの名前』を名乗るその理由を、さとりは確かめたかった。

 

「……本名ではありませんよね。沢木 哲也(さわき てつや)さん」

 

 その言葉を聞いた瞬間、津上翔一と名乗った青年の表情が明確に変わる。さとりにとって意外だったのは、その表情が心を暴かれた不快感や嘘を見抜かれた焦燥感などではなく、純粋にそれを言い当てられた『驚き』によるものだったためだ。

 さとりは相手の心を読むことができるが、それは相手が今思っていることにしか作用しない。本人が忘れてしまっていることや、今この瞬間に思い浮かべていないことに関しては見通すことはできないのだ。

 相手の記憶を探るには、会話や行動でカマをかけてその記憶を表出させるか、強い催眠術をもって深層心理にまで踏み込むしかない。

 間欠泉地下センターに設置された監視用の術式。そこから地霊殿に送られてきた映像記録はなぜか一部ぼやけてしまっており、詳細な情報は分からなかった。さとりが判別できたのは、突如として現れた『何か』が金色の輝きを放つ『何か』によって倒された、ということだけ。

 

「あれ? どうして俺の本当の名前を? ……もしかして、超能力者とかだったりします?」

 

 さとりの目論み通り、翔一は様々な可能性を考慮して思考を乱しているようだ。思考をモノに例えるなら、今の彼は複数の棚から無作為にモノを取り出している状態。一つの心に狙いを絞らずとも、相手の方からたくさんの思考を見せてくれる。

 あとは、さとりの能力をもってその心と向き合うだけ。何もせずとも、さとりの第三の眼は相手の心に意識を向ける。流れ込んでくる情報の波を見れば何かが分かるはずだ。

 

 光の力によって人類に撒かれたアギトの力。その力に目覚める兆候のある者は、念動力や透視、予知やテレパシーなど、様々な『超能力』を発現させることが多い。

 力を持つ者が超能力を行使すれば、アギトの力は見えざる光の波動となって放たれる。アンノウンはそれを感知し、見つけた超能力者――アギトとして覚醒する素質を持つ人間を、闇の力の命令に従って殺していくのだ。

 生きたまま樹の(うろ)に埋め込まれた者もいた。溶けた土の地面に溺れたように生き埋めにされた者もいた。何もない空に飛ばされ転落死した者もいた。あるいは高速で飛来した鋼の如く硬い何かにぶつかって、自覚なく殺された者もいた。

 アンノウンによる殺人行為は、そのどれもが常軌を逸した物理的にありえざるもの。警察はその犯行を『不可能犯罪』と呼び、犯人を明確に怪物と規定して対応に当たっていた。

 

「まぁ、そのようなものです。……と言っても、あなたの思っているような『アギト』なる存在とは関係のない能力ですので、その『アンノウン』とやらに襲われる心配はないと思いますが」

 

 津上翔一と名乗った男の思考から知り得た情報を、さとりはここぞとばかりに言葉にする。翔一はただ超能力者としか口にしていないのに、心の中で思っただけのことを次々に明かされ、呆気に取られているようだった。

 喉の渇きも忘れ、たださとりと向き合うことしかできない翔一。ティーカップの中の紅茶はまだ残っているが、今の彼にはそれを口にしている余裕すらもなくなっているのだろう。

 

「『アギトを知っているんですか?』……ですか。ええ。知ったのは『たった今』ですけどね」

 

「…………!?」

 

 翔一が口を開こうとするが、その言葉はさとりの言葉に遮られる。だが、それは会話を遮ったわけではない。翔一が言葉にしようとした質問をそのまま向こうから言葉にされ、あまつさえ質問の答えまでもが一緒に返ってきたのだ。

 否。返ってきた、という表現は適切ではない。一方的(・・・)に、こちらがする前から質問と回答を同時に投げてきた、と言う方が正しいだろう。さとりの持つ能力は、会話を成立させない。

 

「あははっ! お兄さんの心、今なら私にも分かるよ。考えていることを言い当てられてびっくりしてる、って顔だね。さとり様には、相手の心を読む能力があるんだよ!」

 

「ちょ、ちょっとお空! ……失礼じゃないかい? お客さんにも、さとり様にもさ」

 

 翔一が無害であると分かって安心したのか、さとりの傍で太陽のように無邪気に笑うお空が黒い翼をはためかせた。

 お燐はさとりが持つその能力に、どこか後ろめたさを感じているような素振りを見せる。お燐は優秀な子だ。自分たちの不用意な言動で、主であるさとりを困らせないように気をつけているのだろう。

 しかし、その言葉を聞いたさとりは表情に小さく影を落とした。最愛のペットの一匹であるお空の心には何の悪意もない。主であるさとりを心から尊敬し、信頼していることが、心を読めるさとりには分かってしまう。

 嫌われ者たちが集う旧地獄。中でも特に嫌われ者であるさとりの心は、深淵のように暗く染まっている。

 己の能力に自信がないわけではない。むしろ、他者の心を言葉もなく明かせるこの力は素晴らしいものだと思っている。……そうでなければ、自分の心を保つことなど到底できない。

 

「えっ……? それ、本当ですか?」

 

 露骨なまでに顔を引きつらせ、嫌な表情を隠そうともせず翔一が問う。さすがに気分を害されただろうか。

 ─―当然だ。そんなこと、心を読むまでもない。嫌われることは初めから分かっている。だからこそ、さとりは相手の心に土足で踏み入ることを躊躇(ためら)わない。悩む必要がないのだ。

 

「じゃあ、せっかく考えた俺のダジャレ、全部知られちゃってるってことだよなぁ……」

 

 さとりに見えた翔一の心は、これまでたくさんの心を見てきたさとりの眼をもってしても驚くほどのものだった。

 どこまでも際限のないその美しさは、太陽の如く眩く純粋なもの。さとりにとってはお空の心を読んだときにも似ている、純粋すぎて覗いているこちらが苦痛を覚えるほどの無邪気な心。裏表がない、とはまさにこのようなものを指すのだろう。

 さながら第三の眼をもって太陽を直視しているような。網膜(もうまく)()くような素直さが、さとりにとってはひどく眩しい。

 言葉通りの心の内。津上翔一の心は、たった今その口から放たれた言葉と寸分違わぬ意思を見せている。何も考えていない、というのとは少し違う。翔一の心は、光と共にあるのだ。地底には相応しからぬ太陽の輝き。この青年の在り方は、やはりどこか、お空によく似ている。

 

「……気持ち悪いとは、思わないんですか?」

 

 さとりは初めて、相手の真意を知るために『質問』をした。これまではわざわざそんなことをせずとも、相手の心を読めば済むことだった。それでもさとりが疑問形の言葉を口にしたのは、翔一の心をどこか受け入れがたかったから。

 こんな素直さは自分にはない。お空に対しても言えることだが、あまりに裏表がなさすぎて自分の能力が鈍ったのではないかと心配になるほど。実際には、完全に心を読んだ上で表も裏も見えないだけなのだが。

 正直なことを言うと、さとりはこういう相手があまり得意ではなかった。心を読まれることを否とせず、普通に接してくる。これでは、心を読めても何の優位性も持つことができない。

 

「俺もアギトですし、似たようなもんです。それより、どうです? 俺のダジャレ! いっぱい考えてたんで、ぜひいろいろ見てってください!」

 

 翔一の言うアギトとは、すぐに彼の心象に映る金色(こんじき)の戦士のことだと分かった。間欠泉地下センターから送られた映像にあった異形のうちの一つは、恐らくこのアギト――津上翔一と名乗った青年本人で間違いない。

 超能力者を狙うという超常の怪物、アンノウンのことも、さとりは翔一の心を読んだことで掴んでいた。

 遥か昔。有史以前に起きた光と闇の戦い。神に背いた天使の祝福。人類に『アギト』の力が与えられていたこと。そのアギトの力を根絶やしにするために、力の片鱗に目覚めた超能力者を抹殺しているアンノウンのこと。

 さとりが情報を整理している最中にも、絶えず流れ込んでくる翔一の心がさとりの思考を邪魔してくる。

 この壮大な神話の中に相応しくない翔一の想い。彼はさとりが考え事をしている間、ずっと考えたダジャレを──灼熱地獄跡の直上にあるこの地霊殿さえ寒気に包むようなくだらないものを次々と心の中に羅列している。あまりに場違いな思考に、さとりは思わず吹き出してしまった。

 

「ふふっ……」

 

「あっ、やっと笑ってくれましたね! どれが一番おもしろかったですか?」

 

 翔一は今まで真剣な表情で考え込んでいたさとりが笑顔になったのを見て、嬉しそうに笑う。傍にいたお空とお燐はその会話の意味が分からず、互いの顔を見合わせて首を傾げることしかできなかった。

 二人にとって、主であるさとりと会話する者が笑顔を保ち続けているのは非常に新鮮な光景だった。そもそも嫌われ者の居城と悪名高いこの地霊殿に、客人として足を踏み入れる物好きはほとんど存在しない。

 必然的にさとりと会話する者も多くはない上、どんな心も見通す能力を相手に笑顔で会話を続けられる者がどれだけいようか。

 彼女とまともに会話ができるのは、さとり以上に強大な妖怪くらいのもの。人間が彼女と話す機会自体がそうそうないが、あったとしても、ものの数分で逃げ出す者が大半であった。

 

「……ねぇ、お燐。あの人間、翔一って言ったよね。さとり様と話して平気なのかな?」

 

「うーん……あたいには何も考えてないように見えるんだけど、さとり様も笑ってるし……」

 

 さとりや翔一に聞こえないようにひっそりと耳打つお空とお燐。その声量は翔一らには届いていない。さとりの読心能力の範囲が傍にいるお空とお燐にまで及んでいることを、彼女らは失念してしまっているようだが。

 お空たちに聞こえるよう分かりやすく咳払いをするさとりに気づき、二人は話をやめる。優しげな微笑みを浮かべていたさとりは表情を変え、再び真面目な顔で翔一に向き直った。

 

「……言葉にせずとも分かっています。ここがどこかも分からず、帰り道すら分からなくて、困っているようですね。そして、あわよくばここに泊めてもらえないかなぁ……と考えている」

 

 向かう青年の心にある一つの思考に着目し、さとりは核心を突く。邪魔な思考を自らの言葉で表出させ、打ち砕く。

 言葉で直接訊いてもいいのだが、一対一のコミュニケーション能力が欠落しているさとりにはそういった発想は浮かばない。知りたいことがあり、それを知っている相手がいるのなら、わざわざ聞くまでもなく心を読めば済む話だからだ。

 さとりとしても、この青年を地霊殿に泊めることは(やぶさ)かではない。アギトやアンノウンについて、まだ知りたいことは多くある。ここでこの男を手放すのは得策ではないと判断した。

 

「いやぁ、そんな、ご迷惑になりますし……あっ!」

 

 翔一は一瞬だけ否定するような素振りを見せたが、すぐにさとりの胸にぎょろりと動く第三の眼に気づいたのだろう。

 遠慮がちに振っていた手を止め、ばつが悪そうに自身の後頭部へと右手を伸ばした。

 

「ず、ずるいですよ! そんなことまで読めちゃうなんて……!」

 

 迷惑になると言っていたのも口だけではない。本当に迷惑をかけたくないから、この旧地獄に迷い、未知の屋敷を訪れ、帰り道さえまったく分からない状態でなお泊めてもらいたいと言い出せなかったのだろう。

 この男が口にするすべての言葉は思考と一致している。本質的に、どこまでも嘘をつくのが苦手な性格なのだろうと思わせた。

 当初は間欠泉地下センターに現れた怪物について知るために、この男を屋敷に招き入れたつもりだったが、いつのまにかその不思議な魅力に惹かれている自分の心に、さとりはどこか皮肉めいた微笑を浮かべる。彼の持っている心の輝きは、お空やお燐と同様、不思議と不快ではない。

 

「……本当に、正直な人ですね」

 

 秘密や隠し事といった欺瞞(ぎまん)など、誰にでもあって(しか)るべきもの。さとり自身にもそれはあるし、それを否定するつもりもない。それでも、正直な人間というのはどこか言葉にしようのない魅力があるものだ。

 彼が人間であるということもまた、さとりにとっては興味深い。外の世界からの外来人が現れるとしたら、基本的に結界に近い地上の世界にこそ現れるはず。なぜ、わざわざ結界から遠いこの旧地獄に現れたのだろうか。

 お燐が地上から運んできた可能性もあるが、お燐の報告では彼は灼熱地獄跡で初めて発見したらしい。彼女の記憶を読んでもそれは間違いなかった。『無意識』でもない限り、あらゆる行動は深層の記憶に残る。さとりはその無意識に心当たりがあったが、今は考えないことにした。

 

「沢木さん……いえ、津上翔一さん。よければ、この地霊殿の客室を使ってください。ここは広いので、少なくとも衣食住に不自由はないと思います。……お空もお燐も、それでいいわね?」

 

 本人がそう名乗るのなら、沢木哲也ではなく津上翔一として。あえてすでに知られている本名ではなく、偽名だと看破された方の名前を使用するのなら。さとりもその意思を汲み、そちらの名前で呼ぶと決めた。

 そして翔一もまた、偽名を名乗っているという自覚を持ってはいない。本当の名前を名乗るのは都合が悪いというよりも、ただ『津上翔一』という名前の方がしっくりくるのだ。

 

 今は津上翔一と名乗っている青年、沢木哲也は乗り合わせたフェリーが局地的な嵐に見舞われたことによる『不可解な海難事故』に()い、そのショックで自分の名前を含む深刻な記憶喪失に陥ってしまっていた時期があった。

 流れ着いた浜辺で気を失っていたところを助け出された際、手に持っていた中身のない封筒に記されていた名前から、便宜上の名前として『津上翔一』の名を名乗った、というのが、記憶を失った彼が津上翔一として生きることとなった経緯である。

 今でこそ記憶は戻っており、本当の名前も思い出しているのだが、記憶を失っていた際に世話になった家族や、アンノウンとの戦いを共にした仲間からは依然として津上翔一の名で認識されてしまっている。

 呼ばれる度に訂正していたが、今では彼自身、こちらの方が自分らしくいられるようだ。

 

「さとり様がそう言うなら、私はいいと思いますよ! ね、お燐?」

 

「あたいもお空と同じ……というか、さとり様ならもう分かってるかもね」

 

 お空もお燐も、すでに心は決まっている。お燐の言う通り、わざわざ問う必要もなく、さとりにはそれが分かっていた。あえて言葉で訊いたのは、彼女らの意思を尊重するため。そして、翔一にもそれを伝えるため。

 二人はいつも通りの笑顔を見せ、同じく笑顔を返す翔一に悪意の一つもないことを理解する。心を読むまでもなく素直さに満ち溢れているのが分かるその表情は、見る者を安心させた。

 

「私、霊烏路 空(れいうじ うつほ)! お空って呼ばれてるよ! で、こっちが私の親友のお燐!」

 

「灼熱地獄跡では自己紹介もしてなかったからね。改めて、よろしく! お兄さん!」

 

 お空は持ち前の素直さ故に。お燐は灼熱地獄跡で出会った際に、翔一の明るさに悪意はないと信じられたがために。それ以上に、信頼する主人であるさとりの言葉のおかげもあって、二人は翔一と難なく打ち解けることができたようだ。

 翔一は一瞬だけお空の翼とお燐の耳と尻尾に気を取られる様子を見せたが、特に気にせず再び笑顔でさとりに向き直る。

 自身もアギトなる存在であるからだろうか。翔一は、お空やお燐、そしてさとりの特異性を気にしていないらしい。もっとも、疑問を抱かれたところで彼女らはこれが普通なのだが。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて! お世話になります! 金剛寺(こんごうじ)さん!」

 

「……古明地(こめいじ)です」

 

 わざとではない。というのが分かってしまうからこそ、なおのこと反応に困る。さとりが読んだ翔一の心は、一切の悪意なくさとりの名前を間違えて覚えている。

 確かに古明地と金剛寺では似ていなくもないかもしれない。しかし、さとりはどこかそういう問題ではないような、そんな方向性の話ではないような、言いようのない気持ちを覚えていた。




アギトは語られてない裏設定が多すぎて説明が多くなりがちですね……
前回もそうでしたが、かなり冗長気味になってしまったような気がします。

次回、第10話『暁の嵐、地獄の炎』

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