東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第15話 巨大クモ再生

 外観に違わず、内装までもが真紅に染まる紅魔館の客間。必要以上に荘厳な装飾が取り入れられた吸血鬼の屋敷には窓が少なく、日光を抑える作りとなっているために、ぼんやりとした屋敷の影も相まって日中にも関わらずほとんど光が入ってこない。

 悪趣味な装いの調度品や血の色めいた花々の彩り。それらすべてが不気味であるのに、悪魔じみた屋敷の紅さと陽光を知らぬ薄暗さは、どこか気品に溢れた落ち着きを感じさせた。

 

「いや、全然落ち着かないって……」

 

 なぜかこの紅い屋敷に踏み入り、当主の許しを得て正式に招かれた真司が呟く。立派すぎる椅子にはOREジャーナルの職場のものとは比べものにならない高級感があり、無意識のうちに真司の身を委縮させるのに十分な気高さを持っていた。

 ここのメイドらしき少女たちに客人として案内してもらったが、彼女らに見えた羽らしきものは作り物ではないだろう。

 妖精とは無邪気で子供じみた自然の具現である。しかし、紅魔館に仕える妖精メイドたちはある程度の教育が施されているためか、他の妖精よりは少しばかり知性的な個体が多い。もっとも、妖精にしては、と言った程度で、ほとんど人間の少女と大差ない者ばかりだが。

 

 気品ある紅さも真司には無縁のもの。アパートの家賃すら払えず、職場に寝泊まりしたこともある彼には、むしろこの『落ち着き』こそが落ち着かない。

 正式に招かれた身分ではあるが、真司はどこか居心地の悪さのような──自ら望んで踏み入ったはずなのに、取って喰われるのではないか──という静かな恐怖に支配されつつあった。

 

「……やべ、ちょっとトイレ行きたくなってきた」

 

 吸血鬼が住まう館に招かれ、緊張から身体が強張(こわば)る。実際にはそこまで用を足したいわけではないが、悪魔的な屋敷であるのに教会じみた雰囲気を持つ部屋に気圧され、身体中の本能がここを立ち去りたがっている。

 椅子を引き、立ち上がった真司は扉を開けて廊下に出た。しんと静まり返った来客用の部屋を一歩出ただけだというのに、廊下はメイドたちの声に満ちている。

 妖精らしからぬ女性的な身長を持つ紅魔館の使用人。装うメイド服は基本的には水色のものが多いが、メイドとしての階級か何かだろうか。中には赤い服を着ているものや、白い服を纏っているものもちらほらと確認できる。

 その多くは妖精メイド同士で談笑しながら廊下を歩いていたり、おそらくは紅魔館の住人から命じられた業務のために奔走しているのか、慌てた様子であくせく働いている者もいた。

 

「本当に俺の知ってる場所とは違うんだな……」

 

 当たり前のように羽の生えた少女たちが廊下を行き交う。それに加え、真司の目の前を横切っていった異形の小鬼らしき妖怪の姿も見間違いではない。この館そのものもそうだが、美鈴から聞いた通り、幻想郷なる場所は真司にとっての非常識に満ち溢れている。

 天狗や妖精、吸血鬼。妖怪さえも珍しくない。しかし、ミラーワールドという世界の肯定にすぐ馴染んだ真司は幻想郷のことも受け入れ始めていた。

 誰も知らない鏡の中の世界があるのなら、あらゆる幻想を閉じ込める楽園があってもおかしくはないのかもしれない。それは深く考えた結果の思考ではなく、ただ城戸真司という男の性格からして、こういった複雑な世界の法則を上手く捉えられていないだけのことである。

 

 両端に真紅のカーテンを束ねた廊下の窓を見つめていると、不意に真司の耳に聞き慣れた耳鳴りが走った。一瞬だけ窓ガラスに映った歪みは、決して気のせいなどではない。

 鏡の世界から溢れた現実世界への干渉。ミラーモンスターの出現音にも似ているが、どこか不思議と決定的に違いが分かる。それは真司も幾度となく聞いた宣告。いつもガラスや水面などの鏡面から、神出鬼没に姿を現す戦いの主催者の気配。

 真司は自身がさっきまでいた部屋――紅魔館の広い客間を振り返った。年代物の調度品、丁寧に磨かれたインテリアの数々に映り込む男の影が視界に入る。

 男はやがてアンティークな意匠を持つキャビネットのガラスにその身を映した。コートを纏い、生気の失われた表情でこちらを見つめる男の顔は、真司の記憶にも強く刻まれている。

 

「神崎、士郎……!」

 

 ガラスの反射に映る男の姿は現実世界には存在しない仮初めの鏡像。呪いじみた妄執に囚われ、ミラーワールドの住人となったライダーバトルの主催者。自らの願いのために13人のライダーたちに殺し合いをさせた張本人である。

 真司は『前回の』戦いの結末を見届けることなく、ミラーモンスターの一撃によって命を落としてしまった。されど、この男の願い──彼の妹が消える瞬間は、この目で見たはずだ。

 

 鏡像と消えた願いの亡者、神崎士郎は最愛の妹にライダーバトルを否定され、彼女のためにやってきた行いのすべてを否定された。叶えたい願いを抱く騎士たちが殺し合った先の『新しい命』を拒み、彼女は定められた通りに消えゆく運命を選んだのだ。

 その命を守りたかったのは真司も同じ。それでも、他の命を犠牲にした未来など決して求めたりはしないと。少女は血に濡れた希望を糾弾した。その果てに、愛した兄への祈りを捧げて。

 

「……城戸真司。仮面ライダー龍騎。やはり、お前が俺の邪魔をするのか」

 

 何度、輪廻を繰り返しても。終わらない戦いの先に求めた命を与えるために。神崎士郎はただ、妹のためだけに。何度も、何度も、無限に。時間の概念を超越した力で因果を巻き戻し、ライダーバトルを永遠に繰り返し続けるだけの亡霊となっていた。

 客間に戻った真司はキャビネットのガラスに映った神崎と向き合う。震える拳は怒りと悔しさを乗せ、腰のポケットから龍騎の紋章入りのカードデッキを取り出して見せつけた。

 

「お前……! なんでまたこんなこと始めたんだ!! 戦いはもう終わったはずだろ!!」

 

優衣(ゆい)の願いのためだ。すべてはもう一度、あの『祈り』を蘇らせるために……」

 

 神崎士郎の妹―― 神崎 優衣(かんざき ゆい) 。幼い頃に落とした命を再び灯らせることができたのは、鏡の中のもう一人の自分によって仮初めの命を与えられたため。10歳の少女は、鏡の中の10歳の少女と一つになり、20歳までの命を約束された。

 鏡像の少女は自身に告げる。『20回目の誕生日が来たら、消えちゃうよ』――と。

 刻限は訪れた。やがて20歳を迎えた優衣は約束通り消滅する。それを阻止しようと、神崎士郎は自分たちを守ってくれる存在として幼い妹と共に描いた守護者(モンスター)たちと契約した。

 

 守護者(モンスター)騎士(ライダー)と契約する。そして互いに殺し合い、最後の生き残りを賭けて戦う。己が願いを叶えるために――他者の願いを蹴落としながら、神崎士郎が願いのために仕組んだライダーバトルの勝者を目指す。

 何度戦いを繰り返しても優衣は必ず新しい命を拒んだ。その度に結末をリセットし、また一からライダーバトルを始めた。

 だが、優衣は最後の円環で士郎と共にあることを望んだのだ。誰かを犠牲にして生きる未来よりも、たとえ想い出に消えても兄の傍に。神崎士郎もそれを受け入れ、永遠に続くライダーバトルの輪廻は終わった。繰り返される悲しみの連鎖は、ようやく断たれた──はずだった。

 

「まだわかってないのかよ……! 優衣ちゃんはそんな命なんか望んでないんだよ!!」

 

 神崎士郎は幾度も行った時間の逆行を最後に一度行い、繰り返すのをやめた。命を落とした神崎兄妹はミラーワールドを観測することもなく、モンスターたちを生み出すこともない。ライダーたちの戦いにも終止符が打たれ、妹の祈りは『戦いのない世界』をもたらした。

 始まらなかった戦いには記憶も犠牲も残らない。13人の騎士たちはそれぞれ戦いのない世界において別の因果を生き、ライダーとしての宿命から解放された。

 そこで、幻想郷に招かれた真司は再び手にしてしまう。あるはずのない宿命を、仮面ライダーとしての記憶を。龍騎のデッキは真司の手の中で、呪われた因果の炎を灼熱(あつ)く吼え立てる。

 

 兄の願いは鏡像を超え、幻想に具現した。あってはならないはずなのに、合わせ鏡に歪んだ男の願いは、再びこの世界を──終わらぬ悪夢(いま)に染め上げようとしている。

 戦いはまだ終わっていなかったということなのか。真司は燃える葛藤にガラスの中の神崎士郎を睨みつけながら、その意思を鏡に叫ぶ。

 優衣の言葉を受け入れたはずの神崎士郎は揺るがぬ視線で真司の顔と向き合った。新しい世界への一歩を踏み出した幼き少年の持つ瞳ではない。それは、妹のために無限の円環を求め続ける亡者じみた執念。幻想と蘇った願いと共に──ミラーワールドは再び開かれてしまった。

 

この戦い(ライダーバトル)に終わりはない。戦え。最後の一人になるまで、戦いを続けろ……」

 

「おい、待てよ! まだ話は終わって……おい!!」

 

 真司の頭に響く耳鳴りが静かに消える。それに伴い、ガラスに映っていた神崎士郎もいつの間にか姿を消していた。キャビネットのガラスに映し出されているのは真司自身の姿だけ。その顔は焦燥と葛藤に満たされているが、憤怒や憎悪よりも悔しさの色が強い。

 守りたかった命が消えていくのに、それを見ていることしかできなかった自分。それを望んだのが本人ならば、せめて自分にできることは一つしかない。

 これ以上の犠牲者を出さないためにミラーモンスターと戦い続ける。そして、誰の命も失わせずに戦いを終わらせる。ライダー同士の戦いなど、神崎優衣は決して望むはずがないのだ。

 

「真司さん? どうかしました?」

 

 紅魔館の客間に響く真司の声を聞き届け、訪れた美鈴が訝しげに声をかけた。

 扉はすでに開いている。先ほど廊下に出た際に、神崎士郎の気配に振り返った真司が扉を閉めていなかったからだ。

 美鈴が招いた真司以外の人物は客間のどこにも見当たらない。彼女もブランクとはいえデッキを持っているが、どうやら鏡の世界に現れた神崎士郎の気配には気づかなかったようだ。

 

「誰かと話していたみたいでしたけど……」

 

「だ、大丈夫、大丈夫! なんでもないって……!」

 

 愛想笑いで美鈴の疑問を誤魔化しながら静かにキャビネットを離れる真司。不思議そうにガラスを見つめる美鈴の目にも、やはり神崎士郎の姿は映っていない。

 真司の知覚からもすでに気配は消えている。ミラーワールドを移動し、別のライダーのもとへ向かったのだろうか。

 鏡の世界を自由に行き来できる鏡像そのものたる男。神崎士郎にとってその世界は自らの領域にも等しい。ミラーワールドへの侵入を可能とする仮面ライダーの能力を持ってしてもその足取りを掴むのは難しいだろう。何せ、彼には実像と呼べるものが存在しないのだから。

 

「…………」

 

 テーブルを挟んで向かい合う真司と美鈴はそれぞれの正面に二つのデッキを置き、客間の椅子に腰かける。真司の前にあるのはドラグレッダーとの契約の証たる龍の紋章が入った『龍騎』のデッキ。美鈴の前にあるのは何の意匠もない未契約(ブランク)のデッキだ。

 何の因果か、失われた幻想の楽園に迷い込んでしまった真司は再び仮面ライダーとして──龍騎のデッキを手にしてしまっている。

 それはこの幻想郷においてもライダーバトルが継続されるということ。すでに真司の仮面ライダーとしての姿は美鈴に知られてしまっているため、このまま隠し通せるとも思えない。

 

 真司は美鈴にすべてを話すことにした。ミラーワールドと呼ばれる世界のこと。人を襲って餌とする鏡像の怪物(ミラーモンスター)のこと。そして神崎士郎によって作られた仮面の騎士たち――仮面ライダーと名乗る者たちの、正義なき願いに血塗られた戦いを。

 最後の一人になるまで殺し合う、13人の騎士(ライダー)たちによるサバイバルゲーム。たった一人の生き残りを賭けたライダーバトルは神崎優衣の祈りによって、二度と行われないはずだった。

 

「ミラーワールドにモンスター……それに仮面ライダーですか……」

 

「俺だって最初は信じられなかったけど、どうしようもなく現実みたいで……」

 

 いくら荒唐無稽な話でも、事実としてミラーワールドは存在している。誰が信じようが信じまいが関係なく、ミラーモンスターは人を襲うのだ。

 なればこそ真司は仮面ライダーとして誓った通りに。ライダーと戦うためではなく、モンスターと戦うためだけに龍騎に変身する。

 思えば、最初に胸に抱いた志は初めてライダーとして戦うことを決意したときから何も変わっていなかった。消えた因果に己の死を見ても、その願いは曲げられない。

 

 真剣な表情でテーブルの上のブランクデッキを見つめる美鈴。ライダー同士の戦いとまではいかないが、ミラーワールドとモンスターの存在まではその目ですでに見ている。

 あれほどの怪物が一体や二体ではない。それに加え、鏡の中から一方的に人を襲うのならば生身の美鈴には対処できない。

 モンスターの存在もそれほどまでに厄介だが、美鈴が最も衝撃を覚えたのはやはり仮面ライダー同士の戦い――ライダーバトルと称される殺し合いだった。

 幻想郷は争いを平和なゲームに変えるスペルカードルールが秩序を保っている。そんな環境に慣れてしまったからか、多くの人間が犠牲になるなど見過ごせない。たとえ死にゆく覚悟があったとしても、そんな殺し合いが正しいなどと――美鈴はそう簡単に認めてしまいたくなかった。

 

「願いを叶えるために、人間同士で殺し合うなんて……そんな戦い、間違ってます!」

 

「……うん。俺もそう思う。だから頑張って止めようとしたけど……ダメだった」

 

 真司とてそれは美鈴と同意見である。神崎士郎が仕組んだ戦い自体は、願いを叶える手段として、きっと間違っていたのだと信じている。

 それでも、人が抱く願いそのものに善悪などはない。妹を救いたいという気持ちも、恋人を助けたいという気持ちも。騎士たちの戦う理由はそれぞれの願い。それぞれの理想。

 

 自分の結末は自分が一番よく分かっている。背中に受けた傷の痛みは過去の因果におけるものであるため、今の身体に痛みはないし、何より今日まで何事もなく生きてきた身だ。

 ただ、身体が覚えている。一度この身が『死んだ』ことを。前世の記憶のようというのも奇妙な例えだが、そうとしか言えないほどに真司はかつての自分が死んだことを実感している。

 

「でも、俺は絶対に諦めないし、認めない。矛盾してるかもしれないけど、俺もライダーの一人としての願いで、戦いを止めたいんだ」

 

 初めはただ巻き込まれただけの真司に、ライダーとして叶えたい願いはなかった。ただ傷つけ殺し合うライダーたちの戦いを見て、それを何の覚悟も持たず、ただ無邪気に止めたいと思っていただけだった。ライダーたちが背負っている願いを、知ろうともせずに。

 戦いを止めれば、恋人のために戦っていた騎士の願いは永遠に閉ざされる。それを理解した上で、今の真司は戦いを止めたいと願っている。

 きっと辛い思いをしたり、させたりすることもあるかもしれない。正しいかどうかではなく、他のライダーと同様に己が背負う覚悟として──真司は鏡の世界(ミラーワールド)を閉じたいと願った。

 

「甘いかもしれないけど、それでも俺は戦いを止めたい……それが俺の、叶えたい願い」

 

 向かう美鈴の表情を見つめる真司の瞳は揺るがない。そこに込められた想いは深く、烈火の如く鮮烈に、理想に燃えているのが分かる。戦いの否定もまた正義などではなく、純粋な願いの一つであるのだろう。

 美鈴は自身の前に置かれていたブランクデッキを手に取った。気を使う程度の能力で見て取れた波動は龍騎のデッキが放つ覚悟。真司が抱いた願いの炎による意志のオーラだ。

 されど、美鈴が手にするブランクデッキには未だ何の気も感じられない。何の覚悟も込められていない。このデッキは、真司の言う13人の騎士(ライダー)が使っていたものではないのだろうか。

 

「……真司さん、無理を承知でお願いしてもいいですか?」

 

 美鈴はブランクデッキを見つめたまま、真司に問う。重い口調で告げられた言葉を受けて、真司はどこか、その先に紡がれる言葉が分かるような気がした。

 再び顔を上げ、真司に向き直る美鈴の瞳には覚悟の色が灯る。門番として鏡の世界に立ち向かう意思。あるいは虹の如く騎士と騎士を繋ぐ架け橋として、願いを伝える境界の希望(いのち)

 

「私も人を守るために戦いたい。仮面ライダーとしてじゃなくても、モンスターを倒すことができるなら。だから、これは私が持っていたいんです。鏡の中の世界と向き合うために……」

 

 ブランクデッキを握りしめながら、美鈴は強く誓った。このデッキはミラーワールドを観測するために必要なもの。叶えたい願いなどなくても、ミラーモンスターは現れる。ならば、自身もまたモンスターから人を守るために、鏡像と向き合うこともできるはずだ。

 霧の湖でディスパイダーと戦った際は混乱もあって相手の力量を見誤ってしまったものの、美鈴の実力は決してこんなものではない。

 本気の力を込めた彩光の弾幕と鍛え抜かれた祖国伝来の武術。それに加えてスペルカードの威力をもってすれば、どれだけのモンスターが相手でも、ある程度は戦えるだろう。

 

「美鈴ちゃん……」

 

 自分には関係ないはずなのに、戦いの世界と向き合おうとしている少女。真司はそれを見て、どこか過去の自分を思い出した。

 たまたま手にしたカードデッキに導かれ、ミラーワールドへと足を踏み入れた数奇な運命。自身を狙うドラグレッダーと契約を交わし、真司が仮面ライダー龍騎として鏡の世界に立ち上がったのは、きっと、その世界を見て見ぬふりができなかったから。

 モンスターを退ける力を持つ封印のカードを破り捨ててまで龍騎となった真司と同じく、美鈴もまた、心優しいお人好し。明確に理解しておらずとも、真司も美鈴の持つ雰囲気から自分と似たところがあることには気づいている。

 あるいは燃え上がる炎のように鮮烈で、あるいは雨上がりの空に架かる虹のように優しい不思議な魂を持つ二人。鏡合わせに映った想いはどこか、自分自身を見ているようでもあった。

 

「私、なんか何にでも首を突っ込んじゃう性格みたいで! ちょっと関わっちゃうと、最後までやり遂げないと気が済まないんです。門番の仕事はたまーに寝ちゃいますけどね!」

 

「それ! すっげえ分かる! 俺もよく編集長に言われたなぁ……」

 

 親しみやすい笑顔を見せながら話す美鈴の言葉に、真司は深く首を頷けて共感する。

 今でも真司が務めているOREジャーナルの編集長からも言われた言葉。記者として祭りを取材しに行ったはずなのに、いつの間にか神輿(みこし)を担いでいるタイプと称された城戸真司の精神。その在り方は、やはり美鈴と通ずるものがあった。

 何もかもを抱え込んで受け入れてしまう強さには、弱さもある。何でも飲み込んでしまうから迷うんだ、と。同じくライダーの道を選んだ男にも言われた。

 優しすぎる真司には弱さを切り捨てられない。英雄には一つを犠牲にして多くを救う勇気が必要だと説かれたこともある。それでも真司は、一つと多く、そのどちらも救うことを選んだ。

 英雄になどなるつもりはない。ただ、自分が助けたいから――助けるだけだ。

 

 そこへ再び、思考を鋭く貫く不快な耳鳴りを聞く。それぞれのデッキを手にした真司と美鈴は表情を変え、互いの顔を見合わせた。

 龍騎のデッキを持つ真司にとっては、前の戦いで嫌というほど耳にした音。美鈴にとっては先ほど初めて感じたばかりの、ミラーモンスターの気配。神崎士郎の存在には気づかなかった美鈴だが、露骨に剥き出された悪意は、気を使う程度の能力に頼らずとも本能で感じられる。

 

「真司さん……この気配……!」

 

 椅子から立ち上がってブランクデッキを懐へとしまう美鈴と同様、真司もやはりその気配を確かに感じ取っていた。

 背後を振り返ってキャビネットのガラスを見る真司の目に、波打つミラーワールドの境界が映る。反射物の中のさらに奥、鏡像の紅魔館の向こう側から強く伝わってくる気配は、疑いようもなくミラーモンスターの存在を証明している。

 手に取る龍騎のデッキを美鈴に見せ、その在り方をライダーと定義する真司。一度はそのデッキを見知らぬ少年に持ち去られ、返してもらうために過酷な戦いを見せることになってしまったこともあった。

 ライダーの戦いは目を背けたくなるほど辛く凄惨なもの。途中で投げ出したくても許されない、望んで踏み入るべき世界ではないことを、真司は未来ある少年に伝えたかった。

 

「じゃあ、美鈴ちゃん。こっから先は俺に任せて」

 

 真司は冷静な表情で美鈴と向き合い、それだけ告げると、直後に爽やかな笑顔を見せた。これから踏み入る先は仮面ライダーにのみ許された領域。幻想郷の法則として開かれるはずのなかったミラーワールドの中である。

 小さく頷く美鈴。その手に持つブランクデッキを確かに握りしめ、キャビネットのガラスにデッキをかざす真司の傍から少し離れる。

 ガラスの中の真司の腰に銀色のベルト──Vバックルが鏡像と現れるのを見た。そのまま実像としても形成されたVバックルは生身の真司の身体に装着され、ガラスに映る真司と同様に現実(こちら)側の真司も同じく、仮面ライダーの象徴たる銀色のベルト型デバイスを腰部に装っている。

 

「――変身っ!!」

 

 右手を左上に突き上げ、真司は慣れ親しんだ言葉を発した。左手に持ったデッキをVバックルへと装填し、重なる鏡像を纏って龍騎の姿に変身する。

 紅魔館を染める紅色の内装の中で、赤く鮮烈に燃え上がる炎の闘志。真司の身を包む強化スーツの色はどこまでも赤く。その意志を熱く表現しているかのように、強く雄々しい。

 

「っしゃあっ!」

 

 胸の前で右の拳を握る。己を鼓舞する掛け声と共に、真司はガラスの中へと消えていった。

 

◆     ◆     ◆

 

 現実世界とミラーワールドを繋ぐディメンションホールの空間(なか)にライドシューターを停め、真司は独特な環境音が鳴り響くミラーワールドの中へと突入する。

 見渡す限りの真紅色に染められた鏡像の紅魔館。現実世界でも広いと思っていた屋敷だったが、妖精メイドの一人も見当たらない空っぽの館はそれ以上に広く感じられた。

 

 モンスターの気配を追い、真司は客間を飛び出して長い廊下を抜けていく。窓ガラス越しに映る現実世界にはブランクデッキを持つ美鈴の姿があった。

 もし再び現実世界にモンスターが現れれば、奴らは美鈴を狙うだろう。真司としてはあまり望ましいことではないが、本人はミラーワールドに関わる覚悟を決めてしまったようだ。

 

「……逃げて、って言っても、聞いてくれないよな。たぶん」

 

 真司は美鈴に自分と似た性格を感じている。言ったところで簡単には諦めてくれないだろうことにも、大体の察しはつく。

 腰に手を当て、龍騎の姿のまま肩を竦める真司。いざとなれば、自分が彼女を守ればいい。龍騎のデッキは人を守るために手にした力。妖怪を守ることだって、できるはずだ。

 

「もっと上の方か……」

 

 反転した階段を駆け上がり、廊下から二階へと向かう。薄く気配を放つ扉を開け、やがて真司は紅魔館の屋上に備えつけられた立派な時計台のもとへと辿り着いた。

 ローマ数字を刻んだ巨大な時計の文字盤。当然ながら鏡映しのミラーワールドでは数字が左右反転している。やや薄暗くなってきた青空の下で見上げる時計は一見すると古びた様子ではあるが、時刻は正確なようだ。

 ガコン、と。真司は重く厳かな音を聞く。鏡像の大時計が半時計周りに時を刻んだ音。その音を合図として、さっきまで微弱だったモンスターの気配が急激に強くなるのを感じた。

 

「――――ッ!?」

 

 気配の強さに一瞬(おのの)き、咄嗟に背後を振り返る。そこにはモンスターはおらず、何らかの破片らしき物体の一部が転がっているだけ。奇妙な気配を放つその物体を不審に思う真司だったが、前回の戦いで培った直感と洞察力がある仮説を導き出した。

 金色の四肢を覆う銀色の装甲――その無機質ながら生物的な見た目に、真司は確かに見覚えがあるではないか。

 それは先ほど霧の湖で倒した蜘蛛のモンスター、ディスパイダーの特徴と合致する。おそらくはドラゴンライダーキックで撃破したディスパイダーが爆散した際、その破片の一部が紅魔館の屋上まで飛んでいってしまったのだろう。

 本来ならば死んだモンスターはすぐに消滅するはずだが、エネルギーを出していなかったこともあって、やはり完全には倒し切れていなかったのだ。

 ディスパイダーの破片は周囲に散った己の残骸を集めてより大きくなる。巨大な身体が再生を果たしたかと思うと、その姿は先ほど倒したときよりさらに強大な形に進化を遂げていた。

 

「こいつ、さっき倒したばっかりなのに……!」

 

 身の丈を超えるほどの蜘蛛の姿は変わらず金色に輝いている。人間の頭蓋骨にも似た腹部は低く押し潰され、強化再生に伴い頭部から新しく芽生えた人型の上半身を備えながら、その両腕に装う巨大な爪を振り上げて真司を威嚇している。

 一度は倒されながらも進化した姿で復活を果たしたディスパイダーも、真司は前回の戦いで倒した記憶を持っているはずだ。

 しかし、今回はあまりにも再生が早すぎる。かつては少なくとも撃破から再出現までに一日ほどの時間を要していたはずなのに、この個体は半日もしないうちに復活した。

 モンスター自体が強くなっているのか、あるいは幻想郷という未知の環境において特殊な効果が働いているのか。

 真司にはその原因は分からないが、今はただ目の前のモンスターを倒すだけだ。

 

 より強大な力を得て復活した『ディスパイダー リ・ボーン』を前に、真司は腰部に備えたデッキへと右手を持っていく。

 巡らせる思考はこれから引き抜くアドベントカードのために。どういうわけか、神崎士郎が作ったカードデッキには変身者の思考を読み取り、望んだカードを最上段に持ってくる機能が設けられているらしい。

 手にしたカードを確認することもなく、真司は素早く左腕のドラグバイザーに装填した。

 

『ストライクベント』

 

 龍の頭を象ったドラグバイザーの黄色い眼が光る。同時に発声される電子音声を聞き届けると、真司は空いた右手を虚空に突き出した。

 青空の彼方より咆哮を震わせるドラグレッダーの姿が鏡像と映し出され、その頭を模した武装が龍騎の右手へと収められる。

 赤く染まった龍の顎。黄色く灯る鋭い眼。それは一見するとドラグレッダーの頭部そのものに見えるが、龍騎の武装の一つとしてドラグレッダーが貸し与えた力の一つである。

 

 真司は右腕を強く引き絞り、構えた赤き龍の手甲――『ドラグクロー』の双眸をディスパイダー リ・ボーンの胴体に向けて気休め程度の照準とする。

 狙い射るは真司ではない。ましてその両目に捕捉能力がついているわけでもない。ただ、引き金と成すだけ。

 龍騎の背後に舞い降りるドラグレッダーが唸る。ミラーワールドの庭園に咲く花々がその風圧を受けて散れども、鏡に映る花が散ったところで現実世界には何の影響ももたらさない。

 

「だぁああッ!!」

 

 気合いを込めた咆哮と共に、右腕のドラグクローを正拳と突き出した。背後のドラグレッダーが吐き出す炎はドラグクローの顎に宿り、その力を受けて解き放たれる火球と化す。

 迫る龍の火球はディスパイダー リ・ボーンの上半身に命中し、激しく爆発する炎と黒煙の中にモンスターを包み込んだ。

 切り札となるファイナルベントには及ばないものの、近接武器を装備させるストライクベントにもそれなりの威力は期待できる。本来なら近接武器として定義されているドラグクローだが、宿す炎を放てば飛び道具として使うこともできるのだ。

 自身の右腕を龍と成し、龍騎が解き放った【 ドラグクローファイヤー 】の一撃はこれまでも数多くのミラーモンスターを撃破してきた。

 命中を見届け、確かな手応えを感じた真司は黒煙を吐き昇らせるドラグクローの構えを静かに解く。怪物の気配はまだ消えていない。警戒を解かず、黒煙の先を睨みつける。

 

 ――だが、その直後だった。モンスターを包む黒煙を突き抜け、無数の針が龍騎の身を目掛けて飛来してきたのだ。

 真司の記憶にある限りではビルのコンクリートすら容易く貫く威力を持つ針。杭と呼べるほどの太さを持つそれは、仮面ライダーが全身に纏う強化スーツの強度をもってしても串刺しは免れないだろう。

 決して油断していたわけではないが、ドラグクローファイヤーを放った直後の硬直を狙ったかのように連射された針に戸惑い、思わず横に転がってその攻撃から逃れる。背に鉄柵が当たる感触を覚え、真司はそこで自分が時計台から落ちそうになっていることに気がついた。

 

「あっぶね……うおわっ!?」

 

 隙を見せた真司に対して、ディスパイダー リ・ボーンは絶え間なく上半身の胸から針を射出してくる。ドラグクローを装備していては新たにカードを引き抜くことができないため、真司は自らの意思をもって右腕のドラグクローを消失させた。

 両腕で針を打ち払い、その攻撃を弾きつつモンスターと距離を取る真司。大時計の陰に隠れながら再びデッキからカードを引き抜く。

 見つめる絵柄はドラグレッダーの腹部装甲。本来ならば攻撃手段として与えられる武装ではないが、嵐のように連射される針の雨を突っ切っていくには最適な武装であると判断した。

 

『ガードベント』

 

「うぉぉぉぉおおおおっ!!」

 

 ドラグバイザーを開き、カードを装填するや否や、真司は大時計の陰から飛び出した。上空から飛んでくる龍の腹を両腕に装い、再び開始された針の連射の中へ突っ込む。ドラグレッダーの腹部装甲を模した二枚の『ドラグシールド』は龍の爪を備えた盾となり、乱れ撃たれる蜘蛛の針を弾きながら龍騎をディスパイダー リ・ボーンのもとへ接近させた。

 龍騎は紅魔館の屋上を軽く蹴って跳び、ディスパイダー リ・ボーンの下半身に飛び乗る。ドラグシールドを装備した両腕をもって、目の前のモンスターの上半身を殴りつけた。

 

 一発、二発、三発。堅牢なドラグシールドの防御力をそのままぶつけ、確実にダメージを与えていく。限界まで密着したこの距離ならば、針が放たれることはない。

 ぐらりと揺れる蜘蛛の下半身に足を取られ、真司は体勢を崩してしまう。動きを鈍らせているところを見ると、先ほどのドラグクローファイヤーもあって損傷は確かなようだ。

 

「そろそろ終わりにしてやるからな!」

 

 ディスパイダー リ・ボーンの上半身を蹴り上げ、その反動で距離を取る。再び開いたドラグバイザーに、あるいは目の前のモンスターに語りかけるように呟くと、真司は次の一撃で決める覚悟を持って巡らせる思考のままデッキからカードを引き抜いた。

 龍騎のデッキに刻まれた紋章と同じ、金色の絵柄を持つカード。紋章の背景には後光の如く差し輝く赤いオーラが見て取れる。

 それはライダーバトルにおいて最強の一撃を誇る切り札、ファイナルベントのカードだ。

 

「ギシャアアッ!!」

 

「あっ……!」

 

 いざそれをドラグバイザーに装填しようと翻したところ、放たれた針に腕を弾かれてカードを取り落してしまった。ひらりと舞うカードを手で追おうとするが、迫るディスパイダー リ・ボーンの巨躯に邪魔されて掴み取ることができない。

 やがて赤い鉄柵を越え、カードは紅魔館の屋上から落ちていってしまう。思わず鉄柵に身を乗り出し、切り札となるファイナルベントを失った真司は仮面の下に焦燥の表情を隠した。

 

「うそだろ……!?」

 

 小さなカードはミラーワールドの紅魔館庭園をひらひらと舞い落ちていき、やがて龍騎の仮面越しに眼下を見下ろす真司の視界から消える。

 余所見をしていたのが仇となり、真司は背後に迫るディスパイダー リ・ボーンの存在に気づくのが遅れた。振り向いたところに薙ぎ払われた巨躯の脚爪が容赦なく龍騎を殴り飛ばす。

 赤い鉄柵を突き砕き、紅魔館の屋上から落下していく龍騎。なんとか受け身を取ることはできたが、全身を打ちつける痛みは身体を軋ませ、身体に力を込めることができない。

 

「……ってえ……!」

 

 鏡面のない時計塔から落ち、紅魔館の庭園に身を伏せる。なんとか上体を起こして仰向けになり、ビリビリと全身を走る苦痛に声を漏らしながら空を見上げた。

 生身なら全身が砕けてもおかしくないほどの衝撃。仮面ライダーの姿といえど、致命傷にはならないもののモンスターの攻撃にも匹敵するほどの激しい痛みが真司を襲う。

 

 デッキに残されたカードはドラグセイバーを召喚するソードベントと、ドラグレッダーとの契約の証たるアドベントのカードのみ。他の武装となるストライクベントとガードベントはすでに使ってしまっているし、ファイナルベントは先ほど見失ったばかりだ。

 アドベントカードは一度使用すれば次の変身時まで使えない性質を持っている。カードによっては二枚以上あるかもしれないが、決定打と成り得るカードも、盾となるドラグシールドも、今の真司には使えない。

 されど龍騎のデッキには起死回生の一枚、ライダーバトルを円滑化する神崎士郎の意思で与えられた()()()()()が残っているはず。

 ライダー同士で戦うことを拒み続けた真司に業を煮やし、神崎がもたらした最強の力。龍騎に限界を超えた進化を引き起こす烈火の如きカード。

 真司は今この場において──なんとしてでも『生き残る』ために。

 巡らせる思考をもって、Vバックルに装うカードデッキに手を伸ばす。龍騎の指先がデッキの最上段にある一枚に触れた瞬間、真司はその意味を理解してカードを引く動きを止めた。

 

「……あのカードが……ない……?」

 

 龍騎の指先が真司の思考へと伝えるカードは彼が望んだものではなかった。

 望んだカードが最上段に来ていないということは、そのカードは『デッキに存在しない』ということを意味している。理由は不明だが、かつての戦いで確かに得ていたはずのその力は、今の龍騎には備わっていないようだ。

 戦いに敗れ、一度は死んだ自分には生き残る資格すらないということなのか。真司は強く心に抱いた。だったら意地でも、龍騎としての力だけで生き残ってやる――と。

 

 身体を苛む落下の衝撃に、微かによろめきながら立ち上がる。頼りにしていた烈火の力がないと分かり、戦力に不安を覚えるが、ないのなら仕方あるまい。

 あらゆる状況において使用者を生き残らせるほどの絶大な力を秘めたカードは今、龍騎のデッキには入っていない。ならば烈火と滾る炎の力なしで、この窮地を切り抜ける必要がある。

 

「――さん! 真司さん! 大丈夫ですか!?」

 

 紅魔館の外壁に並ぶ窓ガラスには美鈴の姿が映っている。

 心配そうな表情でブランクデッキを握りしめ、現実世界からミラーワールドに向けて声を上げる彼女の心は、高い屋上から落下してしまった真司の身を憂いているようだ。

 

「だ、大丈夫! これくらいなら全然平気だって!」

 

 ガラスに向けて答える真司。仮面で隠されているにも関わらず、真司は無意識に相手を安心させる笑顔を作っていた。

 本音を言うとまだ全身の骨子に響く痛みが身体を震わせ、立ち上がるのもやっとだったが、記憶に残る最後の戦いで背中に穿たれた痛みに比べれば屁でもない。

 モンスターが放つ強い気配は紅魔館の屋上から。庭園に落ちた真司を追い、巨躯に見合わぬ素早さで紅魔館の外壁を駆け降りながら龍騎のもとへと接近してくる。まだ軋みの残る身体を無理やり鼓舞し、真司は再び連射されたディスパイダー リ・ボーンの針から急いで逃げ出した。

 

 もつれた足が庭園の花壇に引っ掛かり、真司はその場に転倒する。視界が低く落ちたおかげで花壇の中まで視線が下がったため、花々の隙間に絡まるファイナルベントのカードを発見することができた。

 真司はそれを取り戻そうと花壇に手を伸ばす。ようやく手に取ることができたそれをドラグバイザーに装填しようと、カードを持ったままの右手を使って左腕の召喚機を開いた。

 

「――っ! 後ろです!!」

 

 現実世界から聞こえるガラス越しの声に耳を打たれ、真司は慌てて振り返る。目の前に広がるディスパイダー リ・ボーンの胸部装甲は龍騎の姿を完全に捉え、放つ針の射程圏内、確実に射殺せる位置に真司を迎えていた。

 モンスターの上半身に設けられた三つの赤い穴――おそらくは針の射出口となる構造が龍騎を睨み、ギラリと覗く数本の針が陰り始めたミラーワールドの陽光を反射する。

 

「やばっ──!」

 

 咄嗟に防御の構えを取ろうとするが、すでに盾となるドラグシールドは召喚できない。ただ両腕を正面で交差させ、顔を覆うだけ。

 避けられぬ激痛に備え、強く目を瞑る真司。心の中で友を想うが、きっと届くことはない。

 

 ――そのとき。

 

『ナスティベント』

 

 冷たく無機質な電子音声を聞いたかと思うと、直後に耳を(つんざ)くような鋭い超音波が激しく鳴り響いた。今まさに龍騎を貫こうとしていたディスパイダー リ・ボーンもその音に苦しみの声を上げ、悶えるように動きを鈍らせる。

 蜘蛛の上半身が両腕で頭を押さえている。下半身はすべての脚を縮こまらせ、うずくまるように小さく固まっている。

 もはやモンスターには真司を攻撃するという意図はないのか、ただ騒音(ノイズ)に震えるだけ。

 

「ぐぅ……っ!?」

 

 激しい超音波にモンスターともども頭を押さえる龍騎。超音波によって動きを抑制されているのはディスパイダー リ・ボーンだけではない。

 虚空より放たれる増幅超音波【 ソニックブレイカー 】の効果を受け、ディスパイダー リ・ボーンも龍騎も等しく、頭の中にけたたましく鳴り響く破壊の旋律に悶え苦しんでいる。

 

 ふと、ようやく激しい超音波が鳴り止み、思考を取り戻すことができた。

 脳髄を直接貫くような音波による頭痛は未だに収まらないが、そちらの痛みに引っ張られて全身のダメージが気にならなくなったような気もする。

 目の前で動きを鈍らせているディスパイダー リ・ボーンもまだソニックブレイカーの効果が抜け切っていないらしい。それを好機と判断し、真司は揺れる頭で掴んだカードを翻す。

 

『ファイナルベント』

 

 ─―しかし、その瞬間。続けて響く無機質な電子音声を聞いたかと思うと、ディスパイダー リ・ボーンの頭上から漆黒の影が飛来した。

 蒼天の果てを破り、ドリル状に束ねられた濃紺の槍。螺旋する暗夜の翼が鋭く捻じれ突き進み、ディスパイダー リ・ボーンの装甲を一瞬のうちに穿ち貫く。

 AP5000を誇るファイナルベント【 飛翔斬(ひしょうざん) 】は純粋な威力こそ龍騎のドラゴンライダーキックに及ばないが、その貫通力は数値以上のスピードをもって放たれる影の如き一撃だ。

 

「――ゴギャアアアアッ!!」

 

 直上から一直線に貫かれたディスパイダー リ・ボーンの身体は内側から爆散し、激しい炎を上げて跡形もなく消滅してしまう。

 その熱風を間近で受け、顔を覆った龍騎は仮面の隙間からある騎士を見た。モンスターが散った炎の中に佇み、陽炎に揺らめく濃紺色の強化スーツ。コウモリの意匠を持つ銀色の甲冑に、左腰のホルスターに携えるは西洋騎士のレイピアを思わせる細剣状の召喚機。

 見紛うはずはない。その姿は、真司の記憶に焼きついた友の鎧。真司自身の死を看取ってくれた最後の友が身に纏う『恋人を救いたい』という『願い』そのものであるのだから。

 

 神崎士郎が作り上げたデッキを使い、願いのために戦う仮面ライダーの一人にして、コウモリ型ミラーモンスター、ダークウイングと契約を交わした夜色の騎士。

 漆黒の夜空めいた鎧を纏うコウモリの仮面ライダー。陽炎の中から視線を上げ、蜘蛛の亡骸が残したエネルギーの光球を見上げる『ナイト』の兜の中には、青く光る双眸が冴えていた。




ミラーワールドに入ると東方キャラの活躍が全然書けなくなっちゃいますね……

次回、第16話 話61第『もう一人の騎士』

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