東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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【 第一章 『 九つの物語 2000 ~ 2009 』 】
第1話 始まりの刻 First Border


 ――幻想郷(げんそうきょう)

 それは、東の国の山奥に人知れず存在する小さな秘境。

 時は明治の世において、不可視の結界によって空間の一部を切り離し、外界から隔絶された領域として生み出された箱庭の世界。現代常識の裏側と呼ぶべき、失われた楽園である。

 

 存在を否定され、淘汰(とうた)され、人々の記憶から忘れ去られたものは『幻想』となってこの場所に流れ着く。

 畏怖を失った妖怪、自然を失った妖精、あるいは信仰を失った神々。居場所を奪われた彼らは常識の世界から追放されると同時に、非常識の楽園たるこの幻想郷に導かれ、新たなる住人として認められるのだ。

 

 やがて時は流れ、世は令和の始まり。人間たちは幻想郷に見守られながら、明治の文化を捨てることなく、妖怪の文化を取り入れた独自の発展を遂げてきた。

 

 人間と妖怪が共に生き、互いの意味を尊重し合って豊かな均衡を保つ幻想の(さと)

 しかし、恐怖も争いもない平坦な生活は妖怪の存在意義を奪い、彼らが持つ本来の力を失わせてしまう。

 強大な力を持つ妖怪同士の決闘による、小さな幻想郷の崩壊を危惧したとある人間の巫女は、妖怪の本能を抑えつけることなく平和的な決闘を可能とする、極めて幻想的なルールを制定した。

 

 命名決闘法『スペルカードルール』。

 

 相手の命を奪うことを目的とせず、幻想の力をもって放つ技の美しさを競い合い、相手を魅せる疑似決闘。

 プレイヤーは自身が持つ技を『スペルカード』という契約書に記し、それを提示することで持ち札とする。相手の技に一定数以上被弾してしまったり、提示した技をすべて攻略されてしまった者の負け、というものだ。

 スペルカードルールに則った一種の決闘形式の中でも、特に弾幕という形で技の派手さを強調したものは、娯楽の少ない幻想郷に生きる少女たちに『弾幕ごっこ』と呼ばれ、些細な揉め事も簡単な決闘で解決できる遊び、あるいはスポーツのようなものとして親しまれていた。

 

 妖怪が人間を襲い、人間が妖怪を退治する。平和な幻想郷を維持するための単純な繰り返し。そのために、妖怪が気軽に力を振るえるようになり、力の弱い人間でも妖怪と対等に戦えるようになるスペルカードルールは、今の幻想郷には必要不可欠である。

 ある者は、それを「『殺し合い』を『遊び』に変えるルール」だと称した。命を奪い合う争いを、誰もが楽しめるゲームに変えた幻想の法。故に、『ルールの無い世界では弾幕はナンセンスである』。

 ただ相手を殺すだけが目的なら、弾幕という美しさを用いる必要はないのだから。

 

◆     ◆     ◆

 

 西暦2020年。『平成』の時代を終え、次なる元号を迎えた新時代の春。

 幻想郷の最東端――内側と外側の境界に位置する小さな神社、『博麗神社(はくれいじんじゃ)』の境内で、二人の少女が弾幕の光を散らしていた。

 激しく飛び交う光弾は互いの肌を掠め、流れ弾は境内を覆うように生い茂る木々の隙間に消えていく。満開の花を咲かせた桜の木々は風に揺られ、気力と弾幕をぶつけ合う二人の決闘を盛り上げるかのようにひらひらとその花びらを落とし、境内の石畳を淡い春色に染めていった。

 

「ちっ、これでどうだ!」

 

 黒衣の少女が左手で魔女帽子を押さえ、振り向きざまに叫ぶ。金色の長髪を(なび)かせ、白いエプロンを揺らしながら走り抜ける姿に、いつもの余裕は感じられない。

 幻想郷に生きる人間の一人、魔法使いである 霧雨 魔理沙(きりさめ まりさ) は視界に迫るもう一人の少女に向かって右腕を伸ばし、手の平から無数の光弾を撃ち放った。

 流星群を彷彿(ほうふつ)とさせる青白い星屑(ほしくず)の弾幕はしなやかな軌跡を描き、紅白の巫女装束を纏う黒髪の少女に襲いかかっていく。弾速こそさほどでもないが、この至近距離で放たれた攻撃を回避するのは難しいはずだ。

 走りながらそう考える魔理沙をよそに、紅白の巫女はそれを視認するや否や軽やかに地面を蹴ると、黒髪を()わえた大きな赤いリボンを揺らしてふわりと宙に舞い上がり、魔理沙ごと弾幕を飛び越えてしまう。魔理沙は晒してしまった隙を最小限に抑え、巫女の反撃に対処すべく再び正面に向き直った。

 だが、自身を飛び越えた先、目の前にいるはずの巫女の姿はどこにも見当たらず、代わりに背後から殺気にも似た鋭い気配を感じ取る。

 背筋に冷たいものが伝うのを感じた魔理沙は、明確な戦慄を隠すことができなかった。

 

「降参するなら今のうちよ、魔理沙」

 

 この博麗神社の巫女を務める 博麗 霊夢(はくれい れいむ) は、魔理沙の背中に大幣(おおぬさ)の先端を突きつけ、強気な口調で静かに告げる。

 ある程度なら空間を無視した移動を可能とする彼女は、魔理沙を飛び越えたと同時にその先の着地点に別の空間を接続し、そこに落ちるという形で魔理沙の背後に瞬間移動したのだ。

 

 もはや観念したのか、魔理沙は霊夢を刺激しないようにゆっくりと両手を上げ、その手に何も持っていないことを証明する。抵抗しようとする動きを見せない魔理沙の姿を見て降参の意思を表明したと判断し、霊夢は魔理沙の背中に突きつけていた大幣を下ろした。

 

「……なんてなっ!」

 

 その瞬間を見計らい、魔理沙は手元に古びた竹箒を召喚すると、遠心力を込めて背後にいた霊夢を振り払う。巫女としての勘が働いたのか、霊夢はそれを難なく回避し、袖から博麗の加護が施された数枚のお(ふだ)を抜き取った。

 その場に箒を捨て置いた魔理沙は素早く地面を蹴って後退し、帽子の中から八角形の小さな火炉、『ミニ八卦炉(はっけろ)』を取り出すと、右手でそれを構え、反動に備えて左手で腕を支える。片手に収まるサイズながら最大火力に至れば山一つ焼き払うその武器を前にしてなお、霊夢は少しも怯みを見せない。

 魔理沙が狙いを定める僅かな間に霊夢は体勢を立て直し、ミニ八卦炉を目掛けてお札を投げつける。水平に飛んだお札にミニ八卦炉を弾き飛ばされ、魔理沙は尻餅を着いてしまった。

 霊夢はその隙を見逃さず、一瞬で魔理沙の目の前まで移動し、左手に持った大幣を彼女の眼前に振り下ろす。魔理沙は咄嗟に目を瞑るが、それ以上の攻撃が飛んでくる気配はない。

 

「これで王手ってところかしら?」

 

 霊夢は大幣の先で魔理沙を指したまま、不敵な笑みを浮かべる。弾き飛ばされたミニ八卦炉は魔理沙の手が届く距離にはなく、魔法で手元に引き寄せようにも突きつけられた大幣はそれすらも許してくれそうにない。

 完全に追い詰められたことを悟った魔理沙は小さく溜息をつき、今度こそ投了を宣言しようと再び両手を上げた。

 それを見た霊夢は一瞬だけ気を緩めかけたが、警戒を解かず怪訝(けげん)な眼差しで魔理沙を睨む。

 

「――降参だ。何度も同じ手は使わないぜ」

 

 やれやれ、と肩を竦ませ、霊夢を仰ぎ見るように呟く魔理沙。明確に降参の意思を告げられたため、霊夢はそこでようやく大幣を下げることができた。

 スペルカードルールにおいて、勝負に敗れた者はそれ以上の攻撃を行えず、余力を残していても負けを認めなくてはならない。たとえ王手を掛けられていても、逃げ場さえ残っていれば戦闘を続けられるが、いわゆる『詰み』の状況に陥ってしまえば戦闘の続行は不可能となる。

 定められた敗北条件を満たすか、一度どちらかが明確に降参を宣言すれば、その時点で弾幕勝負は決着したと見なされ、双方は追撃及び反撃行為を禁じられるのだ。

 

 勝敗が決し、緊張を保つ必要もないと判断した魔理沙は、冷たい石畳の上で痛みを感じ始めた腰を上げ、スカートについた汚れを軽く掃いながら立ち上がった。激しい戦闘で落ちそうになっていた帽子を深く被り直すと、魔理沙は霊夢と交わした約束を思い出して気が重くなってしまう。

 

「約束よ。宴会の準備、手伝ってもらうわ」

 

「やれやれ、今日こそは勝てると思ったんだがな」

 

 普段なら博麗神社で行われる宴会の基本的な準備は霊夢が担っているのだが、今年は幻想郷と外の世界を分け隔てている『博麗大結界(はくれいだいけっかい)』の小さな綻びが頻発しており、その修復作業や原因の調査などで多忙に追われていたため、ほとんど宴会を開催できていなかったのだ。

 

 宴会準備の手伝いを懸けた弾幕勝負が霊夢の勝利に終わると、魔理沙は渋々ながらそれを承諾し、霊夢を振り払った際に落とした竹箒を拾い上げる。

 箒がなくとも自由に飛行できるのだが、彼女はこれに乗って空を飛ぶことに(こだわ)っている。魔理沙曰く「魔法使いっぽいから」という理由で、普通の人間である自分が魔法使いらしく振る舞うためには必須だと思っているらしい。

 魔法使いと言っても、魔理沙は魔法が使えるだけのただの人間に過ぎない。成長を放棄し、妖怪じみた存在となった幻想郷的な『魔法使い』とは違い、魔理沙はまだ妖怪としての魔法使いの域には至っていない。

 食事を取らなければ衰弱するし、病気に(かか)れば命を落とすこともある。魔法を使うことができるということ以外は普通の人間と何も変わらない、至って普通の魔法使い(・・・・・・・)である。

 

「それにしても、こんなときに巫女が宴会なんてしてていいのか? 天下の博麗大結界が緩むなんて、六十年周期にはまだ早いぜ」

 

 魔理沙が魔法をかけると、その手に握られていた竹箒は煙のように一瞬で消え去った。

 長年に渡る魔法の研究の結果、魔力を帯びるようになったその箒は、魔理沙の意思一つで自由に出現と消失を行えるのだ。

 弾き飛ばされたミニ八卦炉も忘れることなく回収し、再び帽子の中へとしまう。

 彼女にとってそれは心強い武器としてはもちろんのこと、暖房から調理まで、あらゆる面で生活に欠かせない道具、あるいは大切な人から(もら)った想い出として、かけがえのない宝物だった。

 

「やっぱり、『異変』なんだろ? 今のところ被害は出てないみたいだが」

 

 悠々とお札をしまう霊夢を見て、魔理沙が問う。その言葉は、まさしく霊夢の考えていたことを的確に射抜くもの。どこか他人事のように考えていた霊夢も、その言葉を聞いてはもはやそう考えるしかないのか、と現実を突きつけられたような気持ちになった。

 

 ――異変。この幻想郷においては、人間もそれ以外もすべてを巻き込んだ大規模な異常現象が発生することが度々ある。

 過去にあった例を挙げれば、幻想郷の空が紅い霧で覆われ、日光が遮られてしまったり、五月になっても冬が終わらず、春の景色が雪に染まったままであったり。あるいは人も妖怪も問わず、そのほとんどが無意識的に連日連夜に渡る宴会を繰り返していたこともあった。

 

 人々はそれを『異変』と呼び、詳細な原因は不明とされているが、実際は強大な力を持つ一部の妖怪が気まぐれで引き起こしたものがほとんどである。

 だがその影響は大きく、最悪の場合は幻想郷の存続にも関わるため、異変と判断されれば幻想郷の調停者、妖怪退治の専門家である『博麗の巫女』が行動し、異変の解決、およびその首謀者である妖怪を退治するのが基本となっていた。

 しかし、当代の博麗の巫女である霊夢はあまり積極的に異変解決に(おもむ)こうとはしない。たとえ異変に気づいていても、実際に自分の周囲に被害がなければ行動を起こさない性格だ。

 

 (くだん)の博麗大結界は実体を持たず、現実と幻想を分け隔てる境界として成り立っている論理的な結界として定義されている。物理的な手段では干渉することさえできず、博麗神社とその巫女が幻想郷に存在しているだけで維持されるため、結界に揺らぎが生じることは滅多にない。

 数少ない例外は六十年周期で訪れると()われる異変、『六十年周期の大結界異変』による大規模な緩みだが、前回の当該異変からはまだ十年ほどしか経っていないはずだ。

 過去にも幻想郷に多大な影響を及ぼす異変は数多く存在したが、博麗大結界そのものに直接の影響が出るという事態は極めて珍しい。博麗の巫女たる霊夢も今は原因の調査が精一杯で、異変の解決に踏み込むには情報が足りず、手をこまねいている。

 もしこれが従来通り一部の妖怪によるものであるならば、その妖怪を退治してしまえばこの異変は収束していくだろう。だが、異変と呼ぶにはあまりに特殊かつ奇妙なこの事態に、幻想郷の賢者たちは最悪の事態を防ぐ『現状維持』以上の対策が取れず、膠着(こうちゃく)状態に陥ってしまっていた。

 

「ちゃんと仕事もしてるんだから、大丈夫よ。それに――」

 

「それに?」

 

「これだけ立派な桜が咲いてるんだから、楽しまなきゃ損でしょ?」

 

 霊夢は博麗神社の境内から幻想郷を一望する。小さな郷の至る所に咲き乱れる薄紅色は、春の目覚めを感じ取るのに十分だった。

 これまでも数々の異変を解決してきた霊夢は今回の異変も楽観視している。原因の調査を進めても現状以上のことは何も分からなかったため、いつも通り勘で適当に探し、現れた原因を退治するという方法で異変の解決に当たってみることにした。

 霊夢にとって、自分の勘より信頼できるものはほとんどない。あれこれ考えるより、まずはとにかく行動する方が性に合っている。そうすれば、必ず相手の方から顔を出してくれるはずだ。

 

「しかし、大結界の綻びか……ちょっと面白そうだな」

 

 興味深そうに魔理沙が呟く。彼女も霊夢と同じく異変の解決に出向くことがあるが、大体の動機は単なる好奇心によるものであるため、博麗の巫女としての職務の一環で異変解決を行っている霊夢には先を越されてしまうことがほとんどだった。

 魔理沙が地道な努力と調査を重ねている間に、霊夢は天賦(てんぷ)の才能と生まれ持った己の勘のみで異変を解決してしまう。認められずとも、魔理沙はその差を痛感していた。

 

 自嘲(じちょう)気味に小さく笑うと、不意に境内を照らす陽光が陰りを見せる。雲一つない晴天だったはずの空の下、遮られた日差しに違和感を覚えた二人は、無意識のうちに空を見上げていた。

 

「なんだ? 急に暗くなってきたが……」

 

 博麗神社の空から太陽を奪い去ったものは雲などではない。

 それは、虚ろな光の(とばり)にも、空の裂け目にも見える、禍々(まがまが)しくも神秘的なもの。

 

 ――『灰色のオーロラ』。

 

 霊夢たちが目にしたものは、そう形容する他になかった。

 

 境内に落ちた光は朧気(おぼろげ)なカーテン状の壁を象り、絶えず不規則に揺らいでいる。その妖しい輝きは、見ているだけで吸い込まれてしまいそうな錯覚にさえ陥るほど、深く、美しい。

 

 まるで異なる世界と世界が繋がるかのように。空気の流れが変わり、空間が不安定に歪んでいく感覚。霊夢と魔理沙はこの怪奇現象を前に、本能的にそれを感じ取っていた。

 間違いない。これこそが博麗大結界の綻びとなっていた原因。霊夢の勘が導き出した答えは、彼女が確信を得るのに十分だった。

 博麗大結界が綻んだ原因は外の世界からの影響や、大結界そのものに対する干渉ではない。霊夢たちの目の前で揺らぐ不気味なオーロラのようなものが空間を歪ませ、幻想郷に悪影響を及ぼしているのだ。

 それは何の確証もない直感。文字通り、ただの勘に過ぎない。それでも霊夢の勘はそれだけで異変を解決するための判断材料となるほど強く、十分な信頼に足るだけの重要な要素となる。

 

「……前言撤回。魔理沙、今日の宴会も中止よ」

 

 霊夢は真剣な表情で妖怪退治用のお札を手に取り、構える。異変解決モードとなった霊夢を見て、魔理沙も未知の脅威に備えた。

 灰色のオーロラが再び大きな揺らぎを見せ、それが波紋となってオーロラ全体に広がっていく。より一層強くなる空間の歪みを感じ、二人は自然と臨戦態勢に入っていた。

 

 直後、波打つ光の幕から吐き出される一つの塊。暗い緑色をしたそれは続けざまに二つ、三つと飛び出し、博麗神社の境内に着地する。

 丸めていた背を広げ、畳められていた手足を伸ばし、二本の足でゆっくりと立ち上がると、おおよそこの幻想郷には似つかわしくないような歪で醜悪な姿が明らかになっていく。

 

「妖怪、なの……?」

 

 妖怪退治を生業(なりわい)とする霊夢でさえ、その存在は見たことがないものだった。

 緑色の皮膚から薄く透き通って見える細胞群は顕微鏡(けんびきょう)越しに見る微生物を連想させる。その姿はまるで人の形を得たミジンコの怪物としか形容できず、人の言葉が通じそうにない原始的なおぞましさを感じさせた。

 中でも一際目を引くのは腰に巻かれたベルト状の装飾品だ。その中心にある青銅色の留め金(バックル)は悪魔の形相めいた不気味な意匠を持ち、威圧的な悪意を放っている。あまり質が良くないのか、劣化によって朽ち果てているものの、怪物にとってはそれが象徴的な装飾であるように思えた。

 

「ギィ、ギィィィ」

 

 剥き出しの闘争本能は相手を選ばず、獣じみた鳴き声を上げて二人を威嚇(いかく)する。

 腰に携えられた短剣を抜き、霊夢たちにその刃を向けると、博麗神社に招かれざる三体の怪物、ミジンコ種怪人『ベ・ジミン・バ』は俊敏な動きで刃を振りかざし、二人に襲いかかった。

 

「おわっ!? なんだこいつら、幻想郷のルールも知らないのか!?」

 

「話の通じる相手じゃなさそうね。その身に直接、叩き込んでやるわ!」

 

 幻想郷において、力のある存在、すなわち妖怪が無力な人間を一方的に攻撃することは禁じられている。その差を補うためにも、スペルカードルールは機能しているはずだ。

 しかし、霊夢たちの目の前にいるこの怪物は幻想郷の秩序に背き、博麗の巫女とはいえ人間である霊夢に対して弾幕という手段を用いらずに攻撃を仕掛けてきた。

 ルールに従わない存在は幻想郷に拒絶され、その意思たる『妖怪の賢者』によって排除されることになる。その前に、無知な怪物たちにこの郷の秩序を教えてやらなくてはならない。

 

「ギィィッ!」

 

 先頭のベ・ジミン・バが振り下ろした短剣を避け、霊夢は左手に持った数枚のお札を無造作に放り投げる。巫女の霊力が込められた霊夢特製のお札はどこまで逃げようが必ず追い詰め、対象を攻撃する必中の誘導ショット、【 ホーミングアミュレット 】となるのだ。

 相変わらず本人は真っ直ぐ放っているつもりなのだが、不思議なことにお札は曲線を描き、霊夢が狙ったものを的確に射抜く性質を備えていた。

 空中にばら撒かれた数枚のお札はそれぞれが独立して飛んでいき、怪物に対して攻撃を仕掛けるが、俊敏な動きの怪物は避けようとすらしない。霊夢のショットを正面から受けても怯むことなく攻撃を続けるその姿は、まるで自分が攻撃を受けたことにすら気づいていないようだ。

 

「ギィィィッ!」

 

 奇妙な鳴き声を発しながら三体の怪物は短剣を振るい続ける。回避経験に長けた霊夢たちにその刃が当たることはないが、霊夢のお札を受けても怯まないほどの精神力は厄介だ。スペルカードルールを教えようにも、幻想郷に馴染もうという意思が感じられない。

 霊夢のお札に加え、魔理沙も自らの魔力で生成した光弾、【 マジックミサイル 】を放つ。光弾はベ・ジミン・バの皮膚に命中し炸裂するが、それでも怪物が動きを止める気配はない。

 

 これだけの警告射撃を受けてなおスペルカードルールを逸脱した攻撃を続けることは、紛れもなく幻想郷の秩序に対する反逆行為だ。

 霊夢は博麗の巫女として、この存在を反逆者と見なす覚悟を決めた。

 スペルカードルール外の攻撃を続ける相手には、スペルカードルール外の攻撃を。幻想郷の秩序を乱す者には、相応の『不可能弾幕』をもって制裁を下す必要がある。命を奪わない平和的なルールの中で戦闘を繰り返していた少女は刹那(せつな)の間に葛藤を振り払い、やがて決断を下した。

 

「おい、効いてなさそうだぞ……どうするんだ?」

 

「……決まってるでしょ、本気で相手をするまでよ!!」

 

 俊敏だが単調な攻撃を回避し続け、霊夢は手に持ったお札に再び霊力を注ぐ。

 それは、いつものような遊びの『弾幕ごっこ』ではない、故意に命を奪うための攻撃。彼女の本気を込めたホーミングアミュレットはベ・ジミン・バへ向かって一直線に飛んでいき、その全てが命中した。

 緑色の皮膚に突き刺さった数枚のお札が青白く弾け、込められた霊力は怪物の体表で次々と炸裂する。怪物が腰に巻くベルトのバックルにも亀裂が入り、確実なダメージとして見て取れた。

 

「このまま一気に……! ――ッ!?」

 

 霊夢が追撃を試みようと、再びお札を取り出した瞬間――

 

「ギィィアアアーーッ!!」

 

 ――咆哮と共に、怪物は突如、内側(・・)から『爆散』してしまう。

 

 あまりにも呆気なく弾け飛んだ肉片や臓物は、凄まじい熱気と霊力の渦に掻き消され、跡形もなく消滅してしまった。

 突然のことに驚きながらも、二人は爆風から身を守るために咄嗟に腕で顔を覆う。幸い、爆発の規模は大したことがなく、弾幕ごっこに慣れていたおかげもあり、火傷などの被害は免れた。

 

「わっぷ! な、なんだ!? いきなり爆発したぞ、こいつ!!」

 

「やっぱりただの妖怪じゃないみたいね……! 手加減は無用よ!!」

 

 疑問は尽きないが、一体の怪物を葬り去っても油断はできない。残った二体のベ・ジミン・バは先ほどよりもさらに激しい動きで短剣を振るい、霊夢たちへの攻撃を続ける。

 霊夢の意図を察した魔理沙もスペルカードルールの範疇(はんちゅう)を超えた魔力を注ぎ込んでマジックミサイルを生成し、ベ・ジミン・バに向けて射出するが、仲間を殺されて危機感を覚えたのか、怪物は機敏な動きで光弾を回避してしまう。

 対象を追尾する性質を持つ霊夢のホーミングアミュレットとは違い、真っ直ぐにしか飛ぶことのできない魔理沙のマジックミサイルは地面に着弾して小さな光を炸裂させた。普段の弾幕ごっこでは出力を抑えた基本のショットとして放っている下級の魔法だが、相応の魔力を込めれば容易(たやす)く地面を抉るだけの威力がある。生身の人間がこの一撃を受ければ、まず命はないだろう。

 

「くそっ! こんなときに(ゆかり)は何やってんだ!!」

 

 焦らず、次なる魔力の光弾を放つ魔理沙。その声はどこへともなく張り上げられる。

 幻想郷の管理者、すなわち妖怪の賢者である 八雲 紫(やくも ゆかり) 。幻想郷に何か異変があれば彼女が気づかないはずはなく、ルールに背くような存在が現れたのならば真っ先に彼女が動くはずだ。

 だが、今は姿を見せないどころか、反逆者に対する処分さえ明らかにしていない。

 どこにいるのかさえも分からない紫の指示をただ待っているわけにもいかず、今は自分の身を守るために目の前の怪物を倒すべきだと判断し、本気の弾幕をもって応戦するしかなかった。

 

「グギャァァアアアッ!!!」

 

 背中合わせに放たれた二人の弾幕はそれぞれが対峙(たいじ)していた怪物に命中し、霊力と魔力が二体のベ・ジミン・バを爆散させる。

 博麗神社に現れた怪物は全て倒したが、怪物が現れた原因である灰色のオーロラも、空間を不安定にしていた不自然な歪みも、いつのまにか消え去っていた。

 

 不意に、霊夢の首筋に冷たい汗が流れる。当たってほしくない嫌な勘は、霊夢の視線を南西の空へと向けさせた。

 その方角には幻想郷において数少ない、人間が安全に暮らせる『人間の里』が存在する。本来なら人間を襲うことはもちろんのこと、妖怪同士の決闘も禁止されている不可侵の領域も、今となっては安心できる場所ではない。

 現に、さっきまで博麗神社に現れていた灰色のオーロラが、人里の上空に出現しているのだ。それを見た二人はすぐにその意味を察し、最悪の状況を予想してしまう。

 

「おい、あれって里の方角じゃないか……?」

 

「……っ!!」

 

 湧き上がる焦燥に()え切れず、霊夢は無言で空へ()び上がった。魔理沙も箒に(またが)り、霊夢を追って里の方角を目指す。

 もし、あの怪物が里に現れれば、おびただしい数の人間が犠牲になるだろう。幻想郷の秩序は妖怪と人間の間に結ばれた条約。危うい平和の維持。形骸化したシステムによる均衡は、少し傾いただけで簡単に崩れ去ってしまうほど、脆く不安定なものでしかない。

 幻想郷の秩序崩壊を阻止するのが博麗の巫女に与えられた役割であり、大結界の維持と並行して異変解決を行うことが、霊夢の巫女としての使命だった。

 

 霊夢と魔理沙が去り、誰もいなくなった博麗神社。その境内に鎮座する賽銭箱の前に、突如として小さな裂け目が現れる。深淵から無数の目を覗かせる不気味な裂け目の両端には赤いリボンが結ばれ、その異質さを際立たせていた。

 ふわふわと賽銭箱の前を漂う謎の裂け目は、その隙間(スキマ)から白く細い女性の腕を伸ばすと、手に持った一枚のカードを賽銭箱に落とし、再びスキマの中へと腕を()み込む。

 役目を果たした妖しげなスキマはゆっくりと閉じていき、やがて静かに姿を消した。




ベ集団のバックルの色は消去法で決めました。

次回、STAGE 2『現れるもの Encounter』

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