東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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A.D. 2003 ~ 2004
それは、疾け抜ける夢の物語。

疾走する本能



【 妖怪の夢 ~ Mysterious Crimson 】
第23話 旅の続き


 狂い乱れた四季の異変。春にも関わらず紅葉の舞い散る妖怪の山は、秋めく風に吹かれて豊かに寂しく泣いている。

 幻想郷で『山』と言えば主にここを指すとされる、広大な山。ここには幻想郷でも名立たる古参妖怪たちが多く住んでおり、こと観察と情報網においては他の追随を許さない極めて高度な組織的種族、『天狗』と呼ばれる存在の根城もある。

 

 天狗の中でも特に速度に優れた種は『鴉天狗』という種族であり、彼らは幻想郷の情報を収集し、新聞(・・)という形で伝える技能を持っている。近代的な紙の精製や文字の印刷、写真の撮影などといった技術は、同じく山に棲まう『河童』の叡智を借りたものか。

 

 この妖怪の山は、人間の里とは比較にならない文明を持っているとされる。天狗と河童の存在に加え、近年この幻想郷に現れた二つ目の神社(・・・・・・)に祀られた二柱の神々によって幻想郷の技術水準は飛躍的な進歩を遂げている。

 八坂神奈子と洩矢諏訪子は、妖怪の山に神社を構えた外なる神々だ。

 されど、この妖怪の山を統べる者は彼女らではない。彼女らは、妖怪の山の(トップ)、天狗社会の長を務める『天魔(てんま)』に掛け合って幻想郷のパワーバランスの一角を共有しているだけだ。

 

◆     ◆     ◆

 

 秋めく風吹く妖怪の山──そこへ、一つの影が疾風と共に舞い降りてくる。

 黒い羽根を落とし、風と舞い上がった紅葉と──なぜか足元を染めていた白き灰に顔をしかめながら。一人の少女が妖怪の山を覆う肥沃な大地を踏みしめた。

 

 少女── 射命丸 文(しゃめいまる あや) は、この妖怪の山にて一人前の新聞記者(ジャーナリスト)を務める鴉天狗である。

 黒髪のショートボブと同じ色の翼を畳み、白と黒の装いをもったフリル仕立ての天狗装束を揺らしながら。妖怪の山の大地を踏みしめる一本歯の赤い下駄靴(げたぐつ)。さらには頭部に飾る同じ赤の頭襟(ときん)を真っ直ぐに被り直し、(あや)は怪訝そうな表情で懐から一冊の小さな手帳を取り出す。

 

「白狼天狗の報告によると……この辺りだったわね」

 

 弾幕や妖怪の写真が載った彼女の手帳──『文花帖(ぶんかちょう)』は、新聞記者である文がネタとして集めた情報を束ねておくためのもの。そこには彼女が発行する『文々。(ぶんぶんまる)新聞』に使おうと溜めていたネタや写真が豊富に書き綴られている。

 しかし今、彼女が自分の持ち場を離れて山の中腹の森林地帯まで降りてきたのには、本人の意思に()らない理由があった。

 

 本来ならば、今この幻想郷で起きている奇妙な異変──謎の怪物の出現や各地で確認される四季の異常、そして未知のオーロラなど──

 そういった異変を取材、観察し、新聞として幻想郷に報道する。そのために今日までたくさんのネタや情報を集めてきたのだが、今は天狗組織の上層部たる『大天狗(だいてんぐ)』によって、天狗(われわれ)の了承なく不用意に山に踏み入った『侵入者』の相手をしろとの命令を受けてしまっているのだ。

 

「ただでさえ異変が重なって慌ただしいってのに、迷惑な話だわ……」

 

 文花帖をパタンと閉じ、文は溜息混じりに秋めく空を仰ぐ。これだけの異変をすぐさま記事にできないというのは新聞記者として焦れるような想いだが、これも彼女が優秀であるがゆえに大天狗たちに決められてしまったこと。

 いつかの秋の日。山の上に出来た新しい神社の調査としてだっただろうか。この山に踏み入った博麗の巫女。彼女の相手をしろと、命じられたこともあった。

 

 今度の侵入者も博麗の巫女のように、強く聡明な人物であれば──などと考えていると、文は視界の灰と紅葉の隙間に一人の人間らしき青年が倒れているのを見つけた。

 文花帖を懐にしまいつつ、妖怪の巣窟と言っていいこの山に踏み入ってしまった哀れで愚かなその青年に。文は呆れた様子を隠すこともなく、ゆっくりと近寄りながら疑問を抱く。

 

「(人間……? 侵入者って……まさかこいつのこと?)」

 

 文が抱いた疑問は、倒れている者が人間であったことにあった。妖怪の山に許可なく踏み入る人間は多くはないが少なくもない。そのほとんどが山に住まう妖怪たちに襲われ、あっという間に帰らぬ者となる。

 博麗の巫女や魔法使いのような者ならばそうはなるまい。取るに足らない──むしろこちらから保護すべき人間とは違い、彼女らは妖怪を退けるだけの力を持っている。

 

 大天狗は確かに『侵入者の相手をしろ』と言った。その言葉は、侵入者と戦って追い出せ、あるいはその力量を確認して報告しろ、というような意味を持つ。

 天狗という組織に属し、天狗社会の規律を弁えている文はそれを理解し、実行するつもりで山の中腹まで降り、この青年を発見したのだ。

 

「…………」

 

 動きやすそうな暗めのシャツにコート、グレーのジーパン。若いながらも歴戦の風格を思わせる茶髪は肩まで伸び、荒々しさの中にもどこか繊細さを感じさせる。

 近代的な服装から考えるに、この男は外の世界から来た外来人と見て間違いない。なるほど、幻想郷の常識に疎い外来人であるなら山に踏み入ってしまっても仕方あるまい。

 

 十中八九、妖怪に襲われたのだろう。腹部に怪我を負い、苦しそうに顔を歪めているところを見ると、幸いまだ息はあるようだ。古来より人を(さら)ってきた天狗の身、この程度の人間を運んで里へ送るくらいなら造作もない。が──

 

 灰と紅葉の散った土の上に横たわる青年に近づき、文は未だ拭えぬ疑問を想う。大天狗の命令に、幻想郷で度々確認されている例の『怪物』たちの存在──

 そして、このタイミングで現れた外来人。ただの偶然であろうか。あるいは、この外来人こそが大天狗の恐れる侵入者なのだろうか。

 ただの外来人に対して、『相手をしろ』などという命令が下るとは考えにくい──

 

「……これは面白いネタになるかもしれませんね」

 

 そう言って、文は無意識のうちに愛用の写真機(カメラ)をその手に現す。それは妖怪の山の眼、古来より伝わる妖怪『鴉天狗』としての文ではなく、己が写真と記事に誇りを持つ『新聞記者(ジャーナリスト)』射命丸文としての癖と言うべきもの。

 

 意図せず丁寧な口調に変わった小さな独り言と共に──文は微かに、口角を上げた。

 

◆     ◆    ◆

 

 青年は思考の中に灰を見ている。白く濁った光の中に、さらさらと崩れ落ちるような、儚く小さな『夢』を見ている。

 共に旅をした二人の仲間と土手に寝転がり、爽やかな日差しを受けていると、まるで自分自身が真っ白な洗濯物になったかのような気分になれた。

 粗雑でうるさい美容師見習いの少女。真面目すぎて気持ち悪いクリーニング屋の男。それでも強く己の夢と向き合う姿は、彼にとってもどこか羨ましいものがあったのだろう。

 

 青年―― 乾 巧(いぬい たくみ) には最初、夢がなかった。されど、夢を追う彼らと過ごしているうちに、やがて自分の中にも『夢』と呼べるものを見つけることができたのだ。

 

 きっと、これから先の人生で、彼はその夢に向かっていったのだろう。幾多の喜びと悲しみの連鎖を乗り越えて、夢を叶えるために努力していったのだろう。

 しかし、彼はすでに知っている。

 ――『これから先の人生』なんてもの、自分には与えられていないということを。

 

「…………夢、か」

 

 (たくみ)は妙に冷え込む風を肌で感じ、目を覚ました。夢の中で夢を語るなんて、自分らしくないと心の中で小さく自嘲する。

 まず最初に目に入ってきたのは夜。月明かりに照らされた静寂の山。さっきまで自分が寝ていた道外れの土手などではないことはすぐに理解することができた。

 

 身体を起こし、右手の平を見る。しっかり力は入るし、指を動かすことも問題ない。まだ夢の中にいるのかとも思ったが、腹部に走った強烈な痛みに顔をしかめると同時、巧はそれによってこれが紛れもない現実であると確信した。

 服をまくって自分の腹を確認してみると、そこには丁寧に包帯が巻かれている。全身に響く打撲のような痛みも、これが夢の続きである可能性を捨て去るには十分である。

 

「……っつ……」

 

「あ、気がついたみたいですね」

 

 不意に、巧は自身の背後から声を聞いた。思わず振り返ると、そこには自分よりも少し若いほどの少女が立っている。

 白いシャツに黒いスカート。一見すれば普通の装いに見えなくもない。だが、彼女の風格が重なればそれは一般的な日本人からは遠くかけ離れた──むしろ伝統的な『日本』らしさを帯びているようにさえ感じられるようだった。

 その手には巧の腹に巻き付けてある包帯と同じもの、見たこともないような古めかしい薬品などがある。状況から察するに、自分に手当てをしてくれたのはこの少女なのだろう。

 

「安心してください。別に取って食ったりしませんので」

 

 そう言って笑う少女――文の顔は、巧にとってはどこか信用できない。世の中には甘い言葉や優しげな振る舞いで人に近づき、すべてを奪おうとする者が大勢いる。ましてや、それが人の皮を被った『化け物』であることも──

 これまでも巧は、まさに文字通りの『化け物』を見てきた。何より彼自身が『それ』を良く知っている。

 その点を加味しても、少女の笑顔には──この世のものではない妖しさが透けて見えた。

 

「……なぁ、一つ()いていいか?」

 

「なんでしょう?」

 

 巧は文に先ほどから抱いていた疑問の一つを向ける。

 無論、聞きたいことは他にもあるが、自分の身体に起きていること、そして夜の山にいるこの状況、様々なことを考えた結果、第一に聞きたいことはすでに決まっていた。

 

「ここは──『あの世(・・・)』ってやつなのか?」

 

 その言葉を口にした瞬間、巧は自分の中で感じていた恐怖が強くなるのを感じた。

 

 ─―

 

 乾巧は、すでにその生涯を終えている(・・・・・・・・・・)灰の怪物(・・・・)として蘇り、誰かの夢を守るために戦い抜いて。その身はとうに肉体としての寿命を迎えている。

 土手で夢を語り合ったときにも、その身体はすでに限界を迎えていたのだ。灰と朽ちゆく自分の手を見つめながら、巧は最期に見つけることができた『夢』を抱いて目を閉じた。

 

 それが『乾巧』としての最期の記憶――となるはずだった。

 

「……? いえ、この世だと思いますが」

 

 怪訝そうに事実を述べる文。それを聞いて、巧は安堵したような、困惑したような、奇妙な感覚が拭えないでいた。

 自分は確かに、あのとき『二度目の死』を経験し、朽ち果てたはずだ──

 それなのにこの身を苛む痛みに加え、紛れもなく現実の景色、この世そのもの。それらが今この場にあることは当たり前であるはずなのに。巧にとって──それは違和感でしかない。

 

 今この場に自分が生きている(・・・・・)――と表現していいのか分からないが、巧は少なくも生身の身体をもって動くことができる。あのとき、土手で感じた身体の不調も、灰と崩れる肉体の不快感も、もはやどこにも残ってはいない。

 目の前の少女が『あの大企業』の関係者で、この身の崩壊を止めてくれた──などとは考えられるはずもなかった。

 となれば、やはりこの身は二度目の死(・・・・・)を経験してなお、さらに三度目の生(・・・・・)を得たとでも言うのだろうか? 仮にそんなことがあったとしても、いったい誰がなぜ、何のために。

 

「…………!」

 

 ふと、巧は視界に『それ』を見つけ、息を飲む。今までは自分のことやこの場の状況に気を取られていて気が回らなかったが、この夜の森には紅葉以上に目立つものがある。

 肥沃な大地を染める灰──紅葉を白く穢すかのような命の残滓。それがただの灰などではないことは、巧ならばよく知っている。それは先ほどまで夢に見ていた怪物たちの血であり肉であり、その身そのものとも呼べる新たなる細胞。

 

 この肉体(からだ)に流れるものと同じ、『変わり果ててしまったモノ』の証だった。

 

 あれはただの夢ではなかったのか。忌まわしきあの姿に成り果て、自身と同じ灰の怪物を殺して回っていた記憶は、現実のものだったのだろうか。

 

 ――そうだ。思えば、この光景には確かに見覚えがある。

 白き狼として駆けていた場所。月夜の下で灰と紅葉を掻き分け、誰に感謝されるでもなく同族(・・)を狩っていた場所そのもの。

 死後の運命さえも戦いを続けるしかないというのか。否、これはかつて戦うことを罪と背負った自分への『罰』なのかもしれない。

 ならば受け入れよう。この身の夢は灰と共に。それでも誰かの、夢を守ることはできる。

 

「どこへ行くつもりですか?」

 

「山を下りんだよ。……俺にはやらなきゃいけないことがあるからな」

 

 立ち上がり、服についた灰を落とす。できることなら二度と『あの姿』にはなりたくはないが、今は共に戦ってくれた仲間もいなければあの力(・・・)もないし、この身一つですべての怪物を狩るのは難しいかもしれない。

 これは自分への罰なのだ。ならば贅沢は言っていられない。たとえそれが苦痛であろうと、その身へ至るしかないのならば仕方あるまい。

 

 本当は朽ちた灰の身体などではなく、仲間と共に見た紅き血の光をもってこそ、罪を(あがな)うつもりだったが──

 あの力を開発した企業は、もう存在しない。あれだけのことをしたのだ。倒産して当然だったのだろう。仮にあの力が巧の手元にあったとしても、その大元となる企業が倒産してしまった以上、さながら『数千円ほどで買い戻せる腹巻』程度の意味しか残っていないはずだ。

 

「そのことなんですが、下山するなら明日にしたほうがいいと思いますよ? 特に、最近は妖怪でさえも襲われる事件が多発しているようですから……」

 

 巧は、文の言葉を聞いて足を止めた。怪訝そうな表情で振り返り、その意味を問う。

 

「妖怪……? おい、そりゃどういうこったよ」

 

「言葉通りの意味ですよ。でも、安心してください。私たちのような天狗(・・)は人を(さら)うばかりだと思われがちですが、ちゃんと保護もします。貴重な情報源(ネタ元)を失いたくはありませんからね」

 

 変わらず煽るような妖しい笑顔を見せたまま、言葉を返す文。その代わり、あなたのことを取材させてください──と。

 妖怪だの天狗だの、巧には文が何を言っているのか理解できなかった。

 そんなものがいると本気で信じているのか? それとも、自分が知らないだけでこういう場所には本当にそういったものが現れるのか?

 

 民族めいた奇妙な服装に加え、こんな夜の山で見ず知らずの他人を助けるなど、あいつ(・・・)のように真っ白な洗濯物じみたお人好しかとも思ったが──

 どちらかというと、あいつ(・・・)のように何でもばっさりと裂くハサミめいた性格の持ち主なのかもしれない。巧は少女に対する考え方を改め、できるだけ関わらない方がいいと判断した。

 

「……冗談じゃないぜ。ったく、付き合ってられっか」

 

「まぁ、すぐには信じられませんよねぇ。では、これならどうです?」

 

 再び文に背を向けて山を下りようとする巧に対して、文は小さく溜め息混じりに肩を竦める。現代の人間社会に慣れ親しんだ外の世界の人間が、妖怪の存在をすぐには受け入れられないのも当然だろう。何せ、妖怪(われわれ)は外ではすでに『幻想』の存在なのだから。

 

 頭で考えても幻想は理解できない。口で説明するよりも、実際に幻想の何たるかを目で見せたほうが手っ取り早い。強引な手段ではあるが、文には彼が異変に関わる外来人であると確信めいた予感があった。

 文は一度背中にしまった神秘の具現──『鴉天狗』として生まれ持った漆黒の翼を再び現す。妖怪の山の灰と紅葉に彩られた大地に、黒い羽根がいくつか落ちたのを見届ける間もなく、そのまま巧の両脇を持ち上げ、背後から羽交い絞めにする形でその身動きを封じ込めた。

 

「……っ! おい、何の真似……!!」

 

 巧の狼狽(ろうばい)も気にせず、すぐさま文は大地を蹴る。儚く舞い上がった灰と紅葉、そして黒い羽根に包まれながら、文と巧は秋めく山の遥か上空へと飛び上がった。

 

「…………!?」

 

 月明かりに照らされ、紅葉に彩られた山の上空から。漆黒の翼で羽ばたく文に強引に連れ出される形で踏み入った『空』の世界。年若い少女が自分を軽々と持ち上げて空を飛んでいる、という状況、さらにはその少女に人ならざる漆黒の翼が生えていることも、巧に『幻想』を突きつけるのには十分なものだった。

 加えて目にしたのは山の外の景色だ。巧は自身が生きた外の世界において、『西暦2004年』の1月を最期の記憶としている。この山が秋めく景色であったのも、彼の記憶とは齟齬(そご)があった。しかし今、彼の目に入った光景はその程度の齟齬では済まない。

 

 春、夏、秋、冬。知り得る限りのすべての季節が、ここにはある。そのうえ巧は若くして全国を旅する生活を続けていたことがあったが、ここまで日本じみた(おもむき)の景色であるにも関わらず、この場所に一切の心当たりがないのだ。

 またしても夢の可能性が頭を(よぎ)る。その度に全身に響く痛みがそれを否定する。幻想という現実をその目で体感し、その身体で味わい──巧はようやくその『理』を認識した。

 

「どうです? これで信じていただけました?」

 

 黒い翼をゆっくりと羽ばたかせながら、文は混乱している様子の巧を地上に下ろす。自由の身になった巧に対し、自身の背にある黒い翼をこれでもかとアピールしながら。

 

「……お前も人間じゃないってのか」

 

「ええ、天狗です。鴉天狗。この幻想郷では……おっと、失礼」

 

 文はおもむろに翼を消失させる。妖怪という存在はその身の在り方を変えるなど容易い。空を飛ぶための翼は幻想的な意味、あるいは妖怪の法則によるもの、彼女の肉体的な部位としては定義されていないため、自由に出し入れができるのだろう。

 ただ妖怪の実在を証明しても、それは本来の意味の実在とは大きく異なる。現に、外の世界では妖怪は未だ幻想のままだ。

 それを説明するべく、文は『幻想郷』についてを語った。

 この空間、博麗大結界の中に設けられた『世界』と呼ぶべき場所――この場所を現実から切り離し、幻想の楽園と定義することで定着した箱庭。

 

 巧は文の話を聞いて頭の中が混乱の極致に達していたが、今しがた見た光景はまさしく事実。目の前の少女に感じていた違和感も、恐らくは彼女が妖怪であるという点にある。

 しばらく時間を要し、巧はようやく自分の中に納得のいく形で考えを整理できたのだろう。眉をひそめた仏頂面のまま何やら深く考え込むようにどこかを見つめているものの、幻想郷という法則自体はひとまず受け入れてくれたようだ。

 

 外来人や外の世界といったものも一応は理解してくれただろう。自分が外来人で、それがどれだけ妖怪にとって格好の餌になるか、未知の怪物に対してどれだけ無防備な存在か。その程度は知っておいてもらわなければ、ただ守り抜くことさえ困難になる。

 危機感が薄いのか自分に執着がないのか、妖怪や怪物に対しての説明には恐怖の顔一つ見せることはなく、一番に顔色を変えたのは『幻想郷に招かれるのは人々の記憶や世界から忘れられた者』と説明したときだった。

 招かれざる身にて幻想郷へと迷い込む者もいる、外来人の多くはそちらが該当するとも伝えたが、彼にとって『人に忘れられる』という事実は何かを感じさせるのだろう。

 

「申し遅れました。わたくし、清く正しい幻想ブン屋、射命丸文です。あなたのお名前は?」

 

 変わらず営業的な笑顔で文が名乗ると、巧は深く考えるような仕草を見せる。眉間のしわを一段と濃く頭を悩ませ、極めて訝しそうな表情で文の笑顔を見ていた。

 

 しばらくその思考を続けた末、巧はようやく深い溜息を吐き、無愛想に口を開く。

 

「…………………………………………乾巧だ」

 

「沈黙が長すぎません?」

 

 よほど人に裏切られるのが怖いのか、あるいはその逆か。文にとって、乾巧という男は外見から受け取れる刺々(とげとげ)しさでは隠し切れないほどの繊細さ、臆病なまでの優しさを感じさせる──ような気がした。

 まるで自信の無さをわざと隠そうと冷たく振る舞おうとしているかのような。自分の弱さを誰かに見せないよう、牙を剥いて周りを威嚇している子犬のような。

 

 少女のように見えても、射命丸文は天狗として千年以上の時を生きた古参の妖怪である。その観察眼は種族としても彼女個人としても妖怪(ひと)並み外れており、幻想郷の眼とも形容される天狗の名に恥じないだけの鋭さを持っている。

 その不躾(ぶしつけ)な視線に耐えかねたのだろう。巧はあからさまに不機嫌な表情を見せると、再び文に対して苛立ちを向けた。

 少し遠慮がなさすぎたかもしれませんね──と反省しながら、悪びれる様子もなく巧から視線を外し、周囲の景色を染める灰を見回す。

 

 いつからだろうか。少し前まではこの妖怪の山も、本来あるべき幻想郷の気候として春の暖かさに満ちていた。それが四季の狂いによって秋の涼しさを先取りし、あまつさえ紅葉と共に奇妙な灰が山の彩りを染めている──

 これが何なのかは分からないが、タイミングからして異変と無関係とは思えない。同じく無関係とは思えない外来人の乾巧にもそのことを確認してみる価値はあるはずだ。

 

「ところで、(いぬい)さん。この辺り、妙に灰が多いんですが……何か知りませんか?」

 

「……さぁな」

 

 思わせぶりな視線を投げかけ、灰についてを文が問う。巧は文から視線を逸らし、考えるまでもなくぶっきらぼうに答えた。

 その反応を見て、文は巧が『何かを知っている』ことを確信する。ただ答えたくないのか、それとも何か答えたくない事情でもあるのか。どちらにしろ、ますますこの男を手放すわけにはいかなくなった。

 向こうはこちらを信用していない──それは些細なこと。問題はこちらが向こうを信用できるのかどうかだ。不用意に信じ込めば、こちらの情報が漏れる可能性もある。ここは普段通り、相手の力量に合わせて少しづつ接触を試みるのが得策であると判断した。

 

 天狗とは、古来より極めて狡猾(こうかつ)な種族である。強大な力を持つがゆえに、強者には媚びへつらい、弱者には威圧的に振る舞い、時には相手の知力や力量に合わせてこちらの出方を調整する。特に天狗らしい文は、その狡猾さを誰よりも備えていた。

 

 文が次の行動を決めようとしていると、不意に巧の背後に茂る木々がガサガサと揺れる。山に棲む獣か妖怪か、文が感じ取った気配はそれが後者であると示してくれていた。

 

「……ウゥ……ゥ……ォオ……」

 

 木々の隙間から現れたのは、文の推測通りの異形。この山に住まう妖怪の一種、山の動物が妖獣を経て知性を獲得した、最も人肉に貪欲なタイプの妖怪だった。

 巧の身を守ろうと文は妖怪の前に立つ。この程度の妖怪なら弾幕ごっこも必要ない。

 

「乾さん、少し離れていてくだ──」

 

 せめて命を奪わず、撃退に留めようと手に妖力を込めた瞬間。目の前の妖怪が、おもむろに手を伸ばしてきたかと思うと──

 

 ─―妖怪は、伸ばした腕の先からさらさらと灰と朽ち、崩れ落ちてしまった。

 

「……!? いったい何が……?」

 

 文は目の前で妖怪が『灰化』したことに驚き、言葉を詰まらせる。その様を見たのは今が初めてだが、その場に(のこ)された灰は、まさしく妖怪の山の大地を染め上げている死の灰色と同じもの。幻想郷に起きている異変とこれらの灰、それらが示す答えは、まさか──

 

「……ちっ、こいつもハズレ(・・・)か」

 

 頭の中で思考を巡らせる文。そんなことなどお構いなしに、夜の山に踏み入るもう一人(・・・・)の人影。たったいま妖怪が灰と朽ちたこの場所に現れたのは、あろうことか乾巧と同様に現代的な服装に身を包んだ『人間』であった。

 ただでさえ危険の多い妖怪の山に、今まさに起きた未知の事象。そんなところへ踏み込まれてはもはや次の瞬間には死んでいてもおかしくない。

 文は巧と同様の外来人だと判断した青いジャケットの青年、井沢 博司(いざわ ひろし) という男を少しでも山の脅威から守ろうと、可能な限り不用意なことをさせないように警鐘を鳴らした。

 

「今度はまた外来人……? ここは危険です! 何か未知の存在が──」

 

 しかし、井沢(いざわ)は文の言葉に耳を貸す様子は見られない。それどころか不気味に口角を吊り上げ、さっきまで一体の妖怪であった灰の山を踏みつける。

 

 次の瞬間。井沢の顔には、灰色とも黒ともつかぬ『怪物』の影がぼんやりと浮かんだ。

 

「……お前も妖怪か。運が良ければ、俺たちと同じ(・・・・・・)になれるかもな」

 

 顔に映し出された灰の影は、心の悪意と戦意を押し広げるかのように。直後、井沢の身体は全身が灰色に無彩(いろど)られた異形の怪物へと変わり果てる。その姿はまるで人間の形を得た毒の魚──さながら『オコゼ』の怪人といった装いだ。

 

 白く濁った魚の両目。甲冑めいた姿には、やはり魚の鱗のような生物的ながら無機質な装甲の意匠が見て取れる。

 加えて腰に装うベルト状の装飾品。その中央に刻まれているのは、絡み合う輪の中から三方向に伸びた矢印の紋章──『オルフェノクレスト』と呼ばれる『死と再生』の象徴だ。

 

「か、怪物……!? じゃあ、例の侵入者って……!」

 

「…………!!」

 

 巧は、その怪物を見て瞳に激情の色を灯らせた。死よりも暗い奈落の淵。死灰の永遠を零す青く冷たい炎の色は、夜空に鱗粉を舞わせるモルフォチョウの如し。

 死より蘇った灰の怪物の姿。詩人と天使の名を併せ持つそれは人によっては救世主であったかもしれない。しかし──その本質は、救済とは名ばかりの一方的な『死』である。

 

「オルフェノク……!」

 

 憤怒と憎悪に塗れた巧の言葉に、文はその異形の名を知った。人の抱いた夢を奪う、無慈悲な灰色の使徒たちは──乾巧の世界において『オルフェノク』と呼ばれている。

 

 巧の生きた世界における、小さな地球(ほし)の意思による法則。一度は死んだ人間が『灰の細胞』を備えて蘇り、オルフェノクとして覚醒する。あるいは、オルフェノクの力を流し込まれて死んだ人間がオルフェノクとなる。

 それらの呪いはすでに消えたはずだった。巧は長い戦いの末に『オルフェノクの王』と呼ばれる存在を打ち倒し、オルフェノクの未来を閉ざしたはずだった。

 

 ――火事の炎に包まれてオルフェノクとなった、自分自身も含めて。

 

 しかし、倒したはずの怪物、旅の始まりの夜に戦ったあの男が。またしても巧の前に姿を現している。オコゼの特質を備えたオルフェノク、『スティングフィッシュオルフェノク』は、まさしくあの日の男と同じ目をしていた。

 人の潜在的な『戦う姿』が具現化した彼らオルフェノクという怪物に、同じ姿をした別人など滅多にいない。あの怪物は、正真正銘──巧がすでに倒したことのある相手だった。

 

「…………」

 

 一体の怪物と二人の人妖は気づいていない。山奥の林道、月明かりの影に潜むもう一人(・・・・)の青年の存在に。

 灰を撒き上げた夜の風に、深く被った帽子の(つば)を押さえながら。黒い服の青年は、その手に持ったアタッシュケース(・・・・・・・)を彼らのもとへと無造作に放り投げた。

 

 ガサリ、と。山の木々の中へそれは落下する。井沢──スティングフィッシュオルフェノクは、そのケースの存在にひどく驚きながらもそれを手に取り、英字の書かれた表面を撫でた。

 

「これは……!」

 

 スティングフィッシュオルフェノクは、特殊な字体で『SMART BRAIN(スマートブレイン)』と表記されたケースのダイヤルロックを解除しようとする。

 しかしその直後、死角から飛んできた一陣の風──と呼ぶにはあまりに鋭利なその刃に腕を裂かれ、傷口から灰と零れる痛みに怯んでケースを放り投げてしまった。

 

 怪物に対して鋭く視線をぶつける、山の守護者。射命丸文は鴉天狗として生来『風を操る程度の能力』を有している。真空状に束ねた刃をもってすれば、堅牢な妖怪の鎧であろうと切り裂くことは可能だ。

 相手が異変に関わる未知の怪物である以上、警戒を怠ることはできない。全力でないにしろ、本気で放ったつもりの一撃を、掠り傷で済まされてしまうとは。

 

 文は怪物が興味を示したケースが何らかの手がかりになると判断し、風を巻き上げることでそれを自分の方へと持ってきたのだ。

 怪物がどんな攻撃手段を持っていようと、この距離ならば。弾幕ごっこに慣れたこの身、たとえ常人には視認すらできない飛び道具が飛んできても、避け切れるだけの自信はある。

 

「動かないでください。侵入者(あなた)の処遇は大天狗様に報告の後、(しか)るべき──」

 

 ――最後まで言い切る前に、文は視界に灰色の触手が飛び迫るのを目にする。毒魚じみた怪物の指から突き伸ばされた触手は針のように鋭く、その先端が文の心臓を目掛けて飛来したが、幻想郷最速を誇る彼女はその一撃を辛うじて回避できた。

 自身の背後に突き刺さった触手の先端が山の草木に青い炎(・・・)を灯らせる。物理的なものではないのか、青い炎はそれ以上燃え広がることなく即座に消えてしまった。

 

「何のつもりだ? 『記号』を持たないお前では、ベルトの力(・・・・・)を引き出すことはできない」

 

 シュルシュルと触手を指に戻していくスティングフィッシュオルフェノク。月明かりに照らされた白濁の影が、裸身の姿で言葉を綴る。

 文が手に持つ銀色のアタッシュケースを見て、怪物は恨めしそうにそう吐き捨てた。

 

「……記号? ベルトの力? いったい何の話を──」

 

「いいから黙って……それをよこせ!!」

 

 スティングフィッシュオルフェノクは声を荒げ、人型の脚を持っていた下半身を虚ろに歪めてみせる。次の瞬間、さっきまで両脚だったそれは魚の『尾びれ』のようになり、さながら人魚のような姿を持つ『遊泳態』へと変化を遂げた。

 水のない空中を自在に遊泳し、何の苦もなく空を飛び回る。オルフェノクはオコゼめいた鋭利な頭部を武器として頭突きの要領で滑空し、凄まじい速度で迫ってきた。

 

 この程度の速度なら、回避するのは造作もない。しかし、この銀の箱(アタッシュケース)を手放すか否か、乾巧を守るべきか。それを考慮に入れるとなると、粗末な攻撃も厄介なものに思えてくる。文は舌打ち交じりに怪物を睨み上げた。

 

「おい! お前、文って言ったな! そのケースをこっちに渡せ!! 早く!!」

 

 切羽詰まった様子の巧の叫びを聞き、文は思わず足を止めそうになる。飛んでくる怪物を避け続けながら巧の方へと振り返るが、あちらも自力で回避を続けるのは限界のようだ。

 

「な、なんですかいきなり!」

 

あいつと戦う(・・・・・・)には、とにかくそれがいるんだよ! 急げ!!」

 

 巧はスティングフィッシュオルフェノクから文へと視線を下ろし、彼女が手に持つアタッシュケースを受け取ろうと手を伸ばす。その表情は、先ほどまでの死灰めいた仏頂面ではなく、まるで赤き血に満ち溢れた──『覚悟』の色を感じさせた。

 

「なんだかよく分かりませんが……! 怪物(あっち)よりは信用できそうです!」

 

 両手に構えたアタッシュケースを巧に向けて。文は渾身の力で放り投げる。放物線を描くケースの軌道に灰色の触手が突き伸ばされるが、巧はその一撃を肌に掠めてでもアタッシュケースを手に取ることを優先した。

 巧の右肩から血が滴る。紅葉と灰に満たされた地面に命の赤が灯る。だがこの程度の痛み、夢を奪われる者の苦しみに比べたら──

 

 忌まわしくもある、守護者のための力。されど巧は知っている。このアタッシュケースがもたらすのは、力なき人類にとっての守護者ではない。――彼らオルフェノクを統べる王をこそ守るための、言わばオルフェノクの守護者。

 その力は、人類が使うべきではない。なればこそ、オルフェノクである自分が。オルフェノクを(ほふ)るための牙と成す。夢を守るための罪としてこの身に背負う。

 

 アタッシュケースを開き、その手に馴染んだ『ベルト』を手に取る。カチャリと響く無機質な感触が、巧にありし日の戦いを思い出させた。

 

「……くっ……!」

 

 迷っている暇はない。頭上を舞い泳ぐオルフェノクは未だこちらに殺意を向けて突っ込んで来る。巧は飛来する怪物を避けるべく地面を転がり、灰と紅葉に塗れた黒いコートの上から銀色のベルトを腰に巻いた。

 ベルトの名は『ファイズドライバー』。これまで何度もその身に装い、オルフェノクと戦ってきた守護者の、あるいは処刑人であり、救世主となった戦士のベルト。

 

 銀色に輝く機械仕掛けのベルトには、中央に空いた長方形の溝を覆うように赤いラインが入っている。脈動する光の流れを感じ、巧はオルフェノクが放った触手の一撃によって散乱してしまったアタッシュケースの中身に視線を馳せた。

 

 足元に落ちていた円筒状の物体と正方形の物体を手に取り、それぞれファイズドライバーの両端、サイドバックルのハードポイントにマウントする。

 加えて再び手を伸ばし、空から飛び迫る怪物の猛攻を掻い潜って迷うことなく黄色いプレート状のパネルが取り付けられた折り畳み式の『携帯電話』らしきデバイスを掴み取ると、巧はそのまま立ち上がって親指を指し込んで携帯を開きつつ、慣れた手つきでコードを入力。

 

 ――『5』『5』『5』――

 

 携帯電話型トランスジェネレーター『ファイズフォン』への入力を完了するために、巧は通話ボタンの上にある『ENTER』のキーを力強く打ち込む。

 

『Standing by』

 

 ファイズフォンが入力の認識を告げる電子音声を発したのを聞き届け、けたたましい警告音を響かせるファイズフォンを人差し指で畳む。灰と紅葉に満たされた大地に強く両脚を広げながら、巧は右手に持ったファイズフォンを上空へと高く掲げ──鋭く怪物を睨みつけた。

 

「――変身ッ!」

 

『Complete』

 

 雄々しき発声と同時に、巧は掲げたファイズフォンを腰に装うファイズドライバーの中央へと叩き入れる。右端に突き立てたそれを左側に倒し、水平になるように傾けると、ファイズフォンは再び電子音声をもって認識の完了を告げた。

 

 直後、ファイズドライバーの赤いラインがファイズフォンから供給されたエネルギーを受け取ってより強く、紅く輝き始める。ドライバーから伸びた赤いラインが巧の身体へ、四肢へ、その全身へと広がっていく。

 一瞬のうちに月夜の山中を染め上げるほどの真紅の閃光が輝き溢れ、文とスティングフィッシュオルフェノクは闇を切り裂く光の眩さに思わず顔を覆っていた。

 

 やがて閃光は晴れる。紅き光が小さくなるにつれ、夜色の闇が再び舞い戻る。文が慣れ親しんだ暗闇にその目を開けると──

 そこには、見たこともない鎧が。機械仕掛けの意匠を持つ、仮面の戦士(・・・・・)が立っていた。

 

「い、乾……さん……!?」

 

 文にとっても、その変化は想定外のもの。――否。あるいは心のどこかで期待していたのかもしれない。幻想郷各地で確認される未知の怪物と、それらと戦う『戦士』の存在。

 乾巧がそのどちらか(・・・・)に該当するのなら、後者(・・)であってほしい──と。

 

「…………」

 

 巧は一度は失った紅き光の力を再び手にした。身体を覆う漆黒の強化スーツに走る、紅く流れる光のライン。スーツの全身を循環する『フォトンブラッド』の熱が、己の身体を微かに苛んでいくのを──どこか他人事(ひとごと)のように感じながら。

 右手首を軽くスナップし、変身(・・)の感覚を手癖でもって取り戻す。いつものように身体を鳴らし、そのスーツを自らの仮面(・・)と戒める。

 

 胸部や手足を保護する銀色の強化装甲。黒いスーツに配されたフォトンブラッドの流動経路。そして頭部は真円形に広がった黄色い複眼状のファインダーに、さながら電子のサメじみたヒレ状の触角、銀色の大顎。

 フォトンブラッドの流動を司るエネルギー経路、『フォトンストリーム』の色は赤。この輝きは最も低い出力ではあるが、安定性と拡張性に優れている。

 

 これまで何度も変身してきた、オルフェノクの王を守るための姿。されど、巧はその力を真逆の意図で用いた。王を守護することができるのなら、王を殺すこともできる。巧はオルフェノクのために作られた『ファイズ』の力を、オルフェノクから人間を守るために使ったのだ。

 

「貴様……! なぜ幻想郷(ここ)でベルトの力を……!!」

 

 紅き光を纏った巧──ファイズの姿を見て、夜空を泳ぐスティングフィッシュオルフェノクが声を漏らす。思わず上空を仰ぎ見た怪物の視線の先は、ただ夜の(とばり)が広がるだけの幻想の空。彼が訝しんだ『博麗大結界』の境界は、肉眼で目視することはできない。

 本来ならば、たとえベルトがあろうと『この場所』での変身は不可能なはず──

 そう聞いていたスティングフィッシュオルフェノクが動揺したのも当然、幻想郷には、ファイズへの変身に不可欠なものが存在しないからだ。

 

 とある大企業が有する軍事衛星、『イーグルサット』は、幻想郷には存在しない。されどこの場で巧が変身を遂げたのは、あるいは彼が存在した『ファイズの世界』との接続が果たされている影響だろうか。

 ファイズの世界を統べる法則が接続された幻想郷。今この世界には、本来備える法則に加えて三つの法則、ファイズの法則を含めれば五つの法則が宿っている。

 

 巧が辿ってきた旅路は決して消えず。彼が守り抜いた夢の道はきっと、今もどこかで誰かの旅路となっている。今度は、己が抱いた夢を叶えるために。信じた仲間たちと共に、それぞれの答えを見つけ出すために。

 

 世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに、みんなが幸せになりますように──

 

 今際の際に抱いた、儚く小さな、吹けば消え入りそうな灰の如き夢。だが、たとえ紛い物の命だとしても。再び芽生えたこの仮初めの身体をもって、巧は夢の旅路を刻む。かつて果たせなかった夢、かつて夢見た理想を求める。故に、乾巧はその身に『戦う罪』の証を背負うのだ。

 

 血染めの旅路。灰色の夢。終わらぬジレンマを歌う悲しみが、幻想の夜に疾走(はし)り出した。




井沢博司くんファンの方、解釈違いなどあったらすみません(いるのか?)
友達と一緒にいたときの性格より本性を明かしてからの性格をイメージしてます。

Open your eyes for the next φ's
第24話『真っ白な洗濯物』
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