東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第24話 真っ白な洗濯物

 黒と銀をその身に装い、真紅の閃光を纏う戦士。乾巧が生きた世界における日本有数の巨大複合企業『スマートブレイン』社が開発した『ライダーズギア』と呼ばれる三本のベルト(・・・・・・)のうち、最も新しく作られたその力は先の二本に備えられた出力の高さを犠牲にし、代わりに優れた安定性と拡張性がもたらされた。

 ファイズフォンとファイズドライバー。運用の前提となるその二つに加え、ツールとなる複数のデバイスを含めた一式の総称は『ファイズギア』と呼称される。

 

「……おい、怪我はないか?」

 

「え? あ、はい……」

 

 巧はファイズとしての黄色い複眼で、夜空を舞い泳ぐスティングフィッシュオルフェノクから視線を外し。自身の傍に立っている文の身を気遣った。

 文は戸惑いながら答えるが、目の前にいる仮面の戦士が先ほどまで話していた乾巧であるとの実感がなかなか湧かない。言葉の刺々しさや荒っぽさの中に見え隠れる優しさ、何よりついさっきまで聞いていたその声から、この戦士が巧本人であることには間違いないのだろうが──

 

「……! どけ!!」

 

 再び上空から飛び迫ってきたスティングフィッシュオルフェノクを見て、巧は仮面の下で表情を変える。目の前の文を無造作に引っ張り上げ、彼女の前に出るようにしてオルフェノクの攻撃から文を庇った。

 ファイズの腹部にオルフェノクの鋭利な頭部が直撃し、巧は怪我を負っている腹へのダメージに思わず小さく顔を歪める。

 再び滑空してきたスティングフィッシュオルフェノクに対しては反射的に右脚を振り上げ、今度は返す形でその腹に渾身の一撃を見舞い、遥か上空まで打ち上げた。

 

「ちっ……!」

 

 スティングフィッシュオルフェノクは尾びれを器用に使い、巧と文に背を向けて逃走を図ろうとする。しかし、巧はそれを許してやるつもりはない。

 

「……っ! 逃がすか!」

 

 ファイズドライバーに装填されたファイズフォンを再び垂直に立て直し、ドライバーから引き抜く。巧はまたしても親指で携帯を開き、素早い動作でコードを入力。変身のときとは違い親指で複雑に『103』のコードを刻むと、(はじ)かれたように『ENTER』のキーを打ち込んだ。

 

『Single Mode』

 

 すかさずファイズフォンの上部を左手で持って斜め左に折り曲げ、その先端に伸びるアンテナの先を『銃口』とする。人差し指を引き金(トリガー)に置けば、さっきまで携帯電話だったそれは瞬く間に特殊な銃身を持つ光線銃『フォンブラスター』へと変形を遂げていた。

 

 単発式の『シングルモード』はフォトンブラッドを圧縮した高密度の光弾を放つことで、長大な射程と精密性を両立した射撃を可能としている。

 巧は上空を舞い泳いで逃げようとするスティングフィッシュオルフェノクに対し、フォンブラスターの引き金を引いて真紅のフォトンブラッドを光の弾丸として撃ち放つ。

 

「……ぐっ……!」

 

 光の弾丸によって尾びれの一部を焼き貫かれ、体勢を崩すスティングフィッシュオルフェノク。距離を取っては格好の的になってしまう。それを悟ったのか、今度は上空で旋回し、鋭利な頭部を振り上げて巧の方へと滑空してきた。

 巧はフォンブラスターのままとなっている状態のファイズフォンへと再びコードを入力。慌てることなく即座に『106』のコードを打ち込み、そのままエンターキーを打ち込む。

 

『Burst Mode』

 

 再び響く電子音声。直後に撃ち放たれた三点バースト(・・・・・・)の濃縮フォトンブラッド光弾が続けざまに発射され、ファイズへと向かうオルフェノクに炸裂した。

 連発式の『バーストモード』の機能は威力こそ十分であるものの、連射性能に特化しているため精密射撃には適していない。その分、対象を絞る必要のない場面においては標的に確実なダメージを与えることができる。

 ─―三発、六発、九発、十二発。四度の引き金で放たれたフォトンブラッドの光弾は、バーストモードの恩恵によって必ずその三倍が放たれた。

 

 たまらず撃ち落とされたスティングフィッシュオルフェノクはそのダメージから遊泳態を解かれ、大地に両脚を着く『格闘態』の姿へと戻されてしまう。

 巧のフォンブラスターはバーストモードの射撃を繰り返して一時的なエネルギー切れを起こしたため、引き金を引いても光弾は発射されない。それを好機と見たのか、スティングフィッシュオルフェノクは隙を見せた巧に対し、オコゼらしく棘の覆われた拳を振り上げてきた。

 

「…………」

 

 そこへ再び、巧はファイズフォンにコードを入力。コード『279』は、打ち込まれたエンターキーの入力をもってその認識を完了する。

 

『Charge』

 

 フォトンブラッドのチャージ。フォンブラスターへの残弾の再装填を果たし、巧は再びオルフェノクにフォンブラスターの銃口を向けると、自身に向かってきた怪物の身体を目掛けてバーストモードのままとなっているフォンブラスターの光弾を叩き込む。

 エネルギー切れと見て油断していたスティングフィッシュオルフェノクはまとめて放たれた光弾をまともに喰らってしまい、成す術もなく後方へと吹き飛ばされてしまった。

 

「くそっ……!」

 

 撃たれた胸元から白煙を立ち昇らせ、身体を苛むフォトンブラッドの衝撃に灰を零すスティングフィッシュオルフェノク。

 零れる灰を惜しむことなく灰の細胞によってその手に大型の三叉槍を形成。身の丈を超えるほどの大振りな槍を構え、スティングフィッシュオルフェノクは再びファイズのもとへと攻撃の意思を振りかざす。

 巧も応戦してフォンブラスターの引き金を引くが、放たれた光弾はスティングフィッシュオルフェノクの三叉槍にすべて打ち払われた。光弾の当たった三叉槍から灰が零れるが、距離を詰められればフォンブラスターといえど効果的ではない。

 

 ファイズフォンを折り畳み、再びファイズドライバーへと戻す。すかさず振り下ろされたスティングフィッシュオルフェノクの三叉槍を両腕で受け止め、巧はまるで不良の喧嘩のような、それでいて無駄のない動きで拳を振るった。

 全身を走るフォトンストリームから放たれた紅き光がオルフェノクに効果的なダメージを与えていく。疾走する衝撃はオルフェノクさえ屠る牙となり、纏う自身にも影響はあるものの、フォトンブラッドの輝きはオルフェノクにとって最も有害な光として灰の身体を苛む。

 

 ――

 

「あれが噂に聞く『仮面ライダー』というものなんでしょうか……! こんなところで巡り逢えるなんて、なんという幸運! このネタは見逃せません……!」

 

 文はその光景を手元のカメラ越しに観察していた。夜の山に映える赤い輝き、複眼が照らす黄色の光を垣間見て、ファインダーを覗く文の瞳は好奇心に溢れている。

 

 仮面ライダー。天狗組織において共有された情報の一部を、文は密かに手に入れていた。聞いていた情報とは少し違うものではあったが、仮面の戦士へ変じて未知の怪物と戦いを繰り広げる謎の外来人──という特徴は、今まさに目の前の男が該当している。

 文とてその名と特徴を微かに聞き及んだ程度であり、その力の正体などを知っているわけではなかったが、こうして直に出会えるとは。

 乾巧が異変の手掛かりになるかもしれないという自身の直感は正しかった。巫女の勘もかくやというジャーナリストの第六感を誇りに思うと同時、肉眼でも捉えたその光景をしっかりとメモに記す。こういうときのためにこそ、文はネタ帳――文花帖を常に持ち歩いているのだ。

 

「おらっ!」

 

 オルフェノクの槍を奪い取り、返す形で投げつける巧。オルフェノクは咄嗟にそれを打ち払ったが、その反応が思わぬ隙となって巧に攻撃の猶予(ゆうよ)を与えてしまう。こちらも負けじと素早く拳を振り上げ、巧へと突き出した。

 その一撃を掻い潜り、巧は鋭く右脚を振り上げる。オルフェノクの腹部を深く蹴り穿ち、巧はファイズの複眼をもって相手の腹に青白い炎が上がるのを確かに目にするが──

 

「(こいつ……あのときより……)」

 

 渾身の前蹴りを叩き込んだにも関わらず、オルフェノクの腹から青白い炎は消える。かつてはそれだけで撃破できていたはずのスティングフィッシュオルフェノクは、多少苦しみこそしたものの、致命傷と呼べるダメージは負っていないようだ。

 

 巧にとってファイズとしての戦闘はかつてと同じ感覚のまま。となれば、一度目の死を──否。オルフェノクである以上は二度目の死であろう。それを経験した後、さらなる復活を遂げたことで何らかの進化を遂げたのか。

 このスティングフィッシュオルフェノクは明らかに以前よりも強くなっている。耐久力もさることながら、先ほどから感じていた動きや攻撃の重さから見ても間違いない。

 

「…………」

 

 ならば──と。巧は密接していたスティングフィッシュオルフェノクを渾身のタックルで突き飛ばし、ファイズドライバーの右腰に備えた円筒状のデバイスに触れる。

 使えば必殺の一撃を放ち得るツールとなるファイズギアの一つ。巧にとってもそれはこれまで数々のオルフェノクを粉砕せしめてきた、まさに切り札。たとえ相手が強化されていようと、この一撃を受ければ消滅は確実だろう。

 

 故に、巧はそのデバイスを手に取ることを躊躇(ためら)った。

 相手はオルフェノクだ。人の夢を奪い、未来を灰に染める無慈悲な怪物だ。情けをかける必要などない、が──

 共に戦った仲間の夢を思い出す。――オルフェノクなんて滅べばいい。無残にもオルフェノクに殺された、いけ好かないが大切な仲間の一人だった男は『オルフェノクの根絶』という揺るぎない信念を掲げて戦っていた。

 一度は同じ理想を夢見たこともある別の仲間の夢を思い出す。――人間とオルフェノクの共存。信じていた人間に、人類そのものに裏切られ、叶わぬ夢を諦めて人の心を捨て去った男は、最期にもう一度だけ、巧に答えを求めて『人間』の側に立って散っていった。

 

 誰かの夢を守るということは、別の誰かの夢を穢すということ。守ることと戦うことの連鎖の果てに、終わらぬジレンマを感じながら。巧は最期に見つけた自分の夢にこそ、殉ずる覚悟を決めたはずだった。

 世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに、みんなが幸せになりますように。

 人間もオルフェノクも問わず、すべての人々が共に笑えるなら。黒いスーツの戦士も、灰と歪む怪物もいらない世界があるのなら──巧はそんな世界こそを守っていきたかった。

 

「ぐっ……馬鹿め……!」

 

「……っ!」

 

 刹那の逡巡を経て、ファイズの複眼に再び灰色の三叉槍が映る。一瞬の隙を突いて、スティングフィッシュオルフェノクは巧の心臓を狙ったのだ。

 判断の遅れを悔いる暇もない。咄嗟に両手を交差させようとするが──間に合わない。

 

「はっ!」

 

 ─―だが、ファイズの装甲がそれを受けることはなかった。

 背後にいた文が巧の反応を見て妖力を圧縮し、それを疾風の光弾としてオルフェノクに向けて撃ち放ったためだ。

 風と妖力を練り込んだ鴉天狗のエキストラアタック──【 天狗烈風弾(てんぐれっぷうだん) 】は瞬くような速度でスティングフィッシュオルフェノクの三叉槍をその手から弾き飛ばし、加えて文は右手に出現させた天狗の葉団扇(はうちわ)で風を操る。

 文は扇状の刃めいた光弾【 補扇(ほせん) 】を地面から竜巻のように巻き上げて怪物を上空へと打ち上げつつ、その身体を微かに切り裂いていった。

 

 オルフェノクが動きを見せる直前、先ほど放った天狗烈風弾が山の大樹にぶつかり、木霊(こだま)するように跳ね返る。背後から無警戒の一撃をその身に受け、オルフェノクは無防備な姿で文の方へと吹き飛ばされてしまった。

 文はそれを狙っていたとばかりに溜めていた妖力を解放する。その手に(あや)しく揺らめくただの紙切れ、この場においては殺意の証明でしかないスペルカードを掲げながら──

 

「――風符(かぜふ)風神一扇(ふうじんいっせん)!!」

 

 天狗の少女は高らかに。その名を尊く叫び上げる。

 スペルカードの宣言と共に巻き上がった風、山の加護がもたらす天狗の風が、オルフェノクの視界を紅き朽ち葉に染め上げていく。文の結んだ紅き風が、闇夜を切り裂く閃光となって。散った紅葉の一枚一枚が月の光に紅く、扇状に放たれた一部の葉は黄色く輝く。

 紅と黄色、ファイズのフォトンブラッドや真円形の複眼(アルティメットファインダー)が示す光と同じ色は、妖怪の山を染める夜色の中で燦然(さんぜん)と閃き散っていった。

 

 文が放つスペルカード【 風符「風神一扇」】はその妖力を吸収し、さながら降り注ぐ雨のようにスティングフィッシュオルフェノクへと向かっていく。

 オルフェノクが迫り来る妖力の弾幕──舞い散る紅葉の如き旋風を目にしたときには、すでに遅く。不意に眼前に現れた真紅の弾幕を全身に受け、フォトンブラッドで負ったダメージも相まったことで、その身体にはどうしようもなく灰の死を示す青白い炎が立ち昇ってしまっていた。

 

「ぐぁ……ぁあ……ァ……ァア……!!」

 

「…………!」

 

 空中で青白い炎に包まれ、スティングフィッシュオルフェノクはそのまま灰と朽ち落ちる。夜を迎えている妖怪の山にまた一つ、紅葉を染める灰の小山を増やして。そこに悪意ある怪物がいたという事実は、風に吹かれて消えた青白い炎と共に消し去られる。

 巧はファイズとしての姿のまま──その光景を眺めることしかできなかった。

 

 オルフェノクとの共存など所詮は夢物語だろうか。あの男が抱いた理想はやはり、あの男が辿り着いた通りに叶わぬ幻想なのだろうか。

 巧はそれを振り払う。この身がオルフェノクだからというわけではない。あの男がオルフェノクだからでもない。ただ『生きたい』のは人間もオルフェノクも同じ。ならばせめて、誰もが白くいられるよう、巧は『ファイズ』としての道を選んだのだ。

 

 死ぬのは怖い。一度の死を経験していても、それは変わらない。だからこそ──罪のない人間を守るために一生懸命生きている。

 人が人であり続けるのは、人としての心を失くさずにいられてこそだ。人でありたいという意思を捨てなければ、きっとオルフェノクとして蘇っても人として生きることを否定される(いわ)れはないと、今も信じている。

 一度抱いた覚悟を再び。巧は青い炎と共に散ったオルフェノクの死灰を湛えるファイズの右手を黒く握り、かつての誓いを思い出す。

 迷ってるうちに人が死ぬなら、もう迷うことは許されない。きっと、自分が自分を許すことができない。紅く閃く誓いを掲げ、乾巧は人間(ファイズ)として──再び『生きる』ことを誓った。

 

「――オルフェノク、と言いましたか。あの存在について、いくつか聞きたいことがあります。もちろん、貴方についても」

 

 手にした天狗の葉団扇をしまい、ファイズ──巧に振り返る文が言う。巧は灰に染まった右手から視線を外し、そのままファイズドライバーに装うファイズフォンに手をかける。垂直に立て直してベルトから引き抜くと、巧はそれを開いて通話終了のキーを押した。

 電子音と共にファイズの全身を覆う強化スーツ『ソルフォーム』は瞬時に電子分解され、やがて赤いフォトンストリームを覆う光の骨格(フォトンフレーム)を残して消失。巧の身体を覆っていた赤いラインもベルトへと戻っていく。

 

 生身に戻った巧は腰からファイズドライバーを取り外し、ファイズフォンともどもそれぞれすべてのファイズギアを元あったアタッシュケースの中に再び収納する。

 このケースにも思えば長い旅路に付き合わされた。九州で初めて出会ったときは、まさか自分が夢を持つきっかけになるとは──それこそ夢にも思わなかった。

 それでもこの希望を拒み捨て去る気になれなかったのは、この力が自分にとって何かを変えてくれると感じていたからなのか。世話になったクリーニング屋の男は、これは乾巧(たっくん)のものと言ってくれた。それがどこか嬉しく感じて、無意識に笑ってしまったのもよく覚えている。

 

「ああ。……分かってる」

 

 ファイズギアを収納したアタッシュケースを右手で持ち上げ、巧は素っ気なく答えた。

 この手にある人類の希望、オルフェノクの王を守護するためのベルト。これをこの場にもたらした存在には、微かながら見当がついている。

 一度倒したはずのスティングフィッシュオルフェノクが蘇ったのと同様に──あるいはこの身(・・・)も、オルフェノクとしての死から蘇ったのだとしたら。

 

 すでに灰と朽ちていった最期を見届けたオルフェノクたちも、蘇っているかもしれない。巧はその場で拾い上げた『折り紙のオオカミ』を見つめ、ある男の存在を想う。彼もまたオルフェノクによって人生を捻じ曲げられた被害者。

 一度はオルフェノクの本能に抗い切れず、多くの人間を手にかけてしまった彼も。きっと最期に見つけた希望を、ようやく掴んだ灰の如き夢を信じられるのなら。

 たった一つの善行からもたらされた──か細い蜘蛛の糸(・・・・)を、その手に掴む権利はある。

 

◆     ◆     ◆

 

 妖怪の山、天狗の領域。幻想郷の北西に(そび)え並ぶ山のとある領域には、天狗のみが立ち入ることを許されている人間禁制の隠れ里がある。その道をこっそりと抜け、文は鴉天狗として住まう自らの領域に乾巧を招いた。

 すでに幻想郷の日は落ちている。怪物騒ぎで殺気立った妖怪たちもいる中、外で外来人を野宿などさせれば瞬く間もなく彼らの餌となるだろう。

 

「ここなら妖怪も入ってこれませんし、安全なはずです。さぁ、こちらへどうぞ」

 

 文の部屋と呼ぶべきこの場所は──あまり片付いているとは言い難い。

 それでも鴉天狗としてそれなりの立場を持つ彼女の住まいは、巧を寝泊りさせるに十分なだけの居住スペースが備わっている。

 巧は文にせがまれるまま、オルフェノクやファイズギアについてのことを話すことにした。記者だと名乗る彼女には本当は話すつもりはなかったのだが、目の前でファイズに変身してオルフェノクと戦ってしまった以上、仕方あるまい。

 

 文は情報の対価として食事と寝床を提供すると約束してくれた。巧としても未知の郷において寄る辺などあるはずがないため、その申し出は本心からありがたいと思えるもの。

 目の前に差し出された来客用のお茶が、秋の涼しげな気温の中にゆらゆらと湯気を立たせる熱々の湯呑み(・・・・・・)──だったのが、微かな不満ではあるが。

 

 手で触れて湯呑みの温度を確かめる。─―熱い。巧の顔が一瞬ぴくりと引きつった。

 湯呑みを両手で持ち上げてゆっくりと唇に近づけてみるが、立ち昇る湯気は否が応にも巧の表情を引きつらせる。

 視線を上げた先では、文が満面の笑顔で巧の話を心待ちにしていた。このままじろじろ見られたままではこう──やりづらい。仕方なく、巧は一度湯呑みをテーブルの上に置く。たった一口お茶を飲むことよりも文への情報提供を優先するため、溜息混じりに口を開いた。

 

「…………」

 

 ─―オルフェノクとは、死んだ人間が怪物として蘇った、人類の進化形態である。

 

 彼らは当初、数で勝る人類に反逆するために水面下で殺人行為を行っていた。それもただ人間を殺すというわけではない。自らの細胞で形成した触手や武器などを用いて生きた人間に『オルフェノクエネルギー』なるものを流し込み、その心臓を燃やしてオルフェノクとしての心臓に作り変える行為──すなわち、人間のオルフェノク化である。

 人間をオルフェノク化する行為は『使徒再生』と呼ばれ、その力を受けた人間は死に、流し込まれたオルフェノクエネルギーに適合することができれば人類として進化を遂げ、オルフェノクとして覚醒することができる。

 もっとも、無事に適合できる者は極めて少なく、大多数はそのままオルフェノクエネルギーの力に耐え切れず肉体が灰化、死亡してしまう。

 そのためほとんどの場合それは単なる殺人行為と変わりなく、巧はそんなオルフェノクから人間を守るために、これまで何度もファイズとしてオルフェノクと戦ってきた。

 

 オルフェノクは彼らを管理する組織、表向きは大企業とされる『スマートブレイン』社によって命令を受け、人間に使徒再生を行うことによる勢力の拡大や、人間を襲うことを拒んだオルフェノクに制裁を下すなどして、自らの組織をより巨大化させていった。

 しかし、オルフェノクはその急激な進化に肉体が耐え切れず、一度蘇ったとはいえ、そう長くは生きられない不完全な生命(・・・・・・)だったのだ。

 

 死の運命からオルフェノクを救う方舟(・・)となるのが、『オルフェノクの王』と呼ばれる存在である。王はとある男によって存在を見出され、スマートブレインは王を守るために、王さえも超える三本のベルト──『ライダーズギア』を開発した。

 されど男は考えを改め、オルフェノクの未来を拒絶し、人間を襲う怪物でしかないオルフェノクは滅ぶべき存在だと答えを出す。

 男はオルフェノクとしての肉体の寿命が限界に近かった自分に代わり、王を見出す目的で保護した数十人の孤児たち、自らの子供も同然に愛し育てた彼らに三本のライダーズギアをそれぞれ送ることで、彼らにオルフェノクの王を倒してもらおうと考えた。

 そのうちの一つ─―三本のベルトの中でも最後に作られた『ファイズギア』が、その男に育てられた孤児たちの一人である少女の手に渡り、九州でたまたま出会った巧がそのベルトを受け取ってファイズとなったのだ。

 

 巧はそのほかに残る二つのベルトを知っている。一つは、王との決戦において破壊されてしまった。それを使いこなしていた男も、それを受け継いだあの男も、理想に辿り着くこともなく死んでしまった。きっと、もう二度と見ることはないだろう。

 もう一つは、共に王を倒した仲間が使い──今でもきっと彼が守ってくれているはず。当初は気弱で、戦う勇気も出せないような男だったが、最後には共に王と戦ってくれた。今の彼にならば、安心してあのベルトを託しておける。

 今この場にないファイズギア以外のベルトについては話す必要はないと判断し、巧はファイズについてオルフェノクについて、自分の知っていることを簡単に話してから口を閉ざした。

 

「……なるほど、人類の進化種にオルフェノクの王、それにファイズ……ですか」

 

 文は巧から聞いた情報を反芻(はんすう)し、考え込む。文と向かい合う位置に座っている巧からは確認できないが、彼女が睨みつけている手帳にはおびただしいほどの文字がびっしりと刻まれ、添付された写真には先ほど撮影されたファイズやオルフェノクの姿が写っている。

 不意に手帳から目を外し、文は部屋に備えられた窓から妖怪の山の景色に視線を向けた。

 

「(乾さんから聞いた話も気になるけど……やっぱりこの季節の異変は……)」

 

 本来ならば春であるはずの幻想郷に起きた二度目の四季異変──としか考えられない季節の異常。文はかつて四季異変が起きた際、調査の際に妖怪の山を離れている。そのときに見た四季異変の『主犯』は、二度と同じ異変は起こさないと言っていた。

 究極の絶対秘神。文たち天狗と同じ伝承を祖とする秘神の目的は、自らの存在を『背後から』知らしめること。妖怪や妖精の背中に『扉』を作り、供給される力を得た妖怪たちに自分を畏怖させる目的は、すでに達成されているはず。

 四季異変とは、かの秘神がその力を誇示するために妖精たちに力を与えたことで暴走した妖精たちの影響で自然が狂ってしまい、結果的に季節に異常が見られただけのものだった。

 

「(でも、今は妖精が暴走している気配はないし、扉だって……)」

 

 考えた結果、文は一つの仮説を導き出す。かつて発生した四季異変も、ある秘神が自分の存在を誇示するために扉から力を与えた結果、副次的に発生した影響に過ぎなかった。だとすれば、今回もまた単なる副次的な影響によるものではないか──と。

 文が調査した限りでは妖怪や妖精の強化や暴走は見られない。まして彼らの背中に扉も確認できなかった。自分の背中にも扉がないか姿見で確認してみたこともあったが、当然そんなものは見つけることはできず。

 

 巧や灰の怪物(オルフェノク)が纏う空気、外の世界と思しきそれも奇妙なもの。外来人であるのだから外の空気を纏っているのは必然とも思ったが──

 しかし、文は幻想郷が出来る以前からこの地に住まう最古参の妖怪の一人。かつての空気とは性質が違っていることにすぐ気がつくことができた。最初は時の流れによるものかとも思ったが、彼らから感じられた外の風は、根本から何かが違っている──ような気がする。

 

「(山の風もどこかおかしかった。……いや、山だけじゃない。幻想郷自体の風が……)」

 

 普段から鴉天狗として風と共に在る彼女は感じていた。この幻想郷に、いくつもの異なる風(・・・・・・・・)が入り込んできているということに。

 最初に感じた違和感は気のせいではなかったのか。幻想郷には、まるで異なる性質を持った数種類の『外の風』が流れ込んできている。妖精を暴走させることなく無意識的にその性質に影響を与える、奇妙な空気が。

 度重なる未知の怪物の目撃例、乾巧のような『仮面の戦士』の存在──

 文はそれらを外の世界、それも複数と定義できる別の世界(・・・・)からの来訪者だと考えた。この雑多に混ざり合ったような気持ち悪い外の世界の空気、まったく異なる複数の世界からそれぞれ流れ込んできたかのような空気の歪み、不自然な幻想郷の淀みを、風という観点から仮定してみた。

 

 ――並行世界、あるいはパラレルワールドとも呼ばれるもの。

 

 かつて一度香霖堂でそのような話の本を見たことがある。もしも仮に、現在の外の世界とは異なる歴史を辿った世界線があるのなら、それらの歪みが混ざり合うこともあるのか。

 幻想郷で考えられぬことも外の世界では起きるのかもしれない。外の世界で考えられぬことも幻想郷では起き得るだろう。此方(こちら)彼方(あちら)の境界が混ざり合ってしまったのだとすれば。そんな事態がもし、人為的なものであるならば。可能性は限られているのではないか──

 

「ふーっ……ふーっ……」

 

 思考を続ける文を余所にして、巧はひたすら湯呑みに息を吹きかける。お茶の表面を波立たせないようにそっと、優しく。白く昇る湯気を吹き消すかのように。

 湯気が小さくなってきたのを目にし、巧はゆっくり、湯呑みの中のお茶に口をつけた。

 

「……っ! ふーっ! ふーっ!!」

 

 巧は顔を歪め、反射的に湯呑みを口から離す。今度は優しさを忘れ、どこかムキになったような表情で息を送り込み始めた。

 

「あのー、つかぬことをお聞きしますが。乾さん、もしかして──」

 

「……うるせえな、ほっとけ」

 

 文たち天狗は人並み外れた思考速度で物を考えている。熟考していた間もさほどではなかっただろう。時間にすれば数分程度のものだ。

 それにしても、まさか彼はその間ずっとお茶を冷まし続けていたのだろうか──

 今度から彼に振る舞うものはできるだけ熱くないものにしてやろう。紅魔館のメイド長もかくやという巧の『猫舌』を考慮しつつ、文は疾風の速度で自らの考えをまとめるのだった。

 

◆     ◆     ◆

 

 妖怪の山の中、天狗たちが有する特殊な妖術で切り拓かれた領域に、幻想郷でも最高峰の組織力を誇る彼らの領域は存在していた。

 山を紅葉と共に染め上げる奇妙な灰。オルフェノクによって殺された者の証──あるいはオルフェノクとして死んだ者の証でもあるそれは、この妖気に満ちた山岳の中にも小さな灰の山と高く積み上げられている。

 だが、一部の灰は──そのどちらにも該当しない理由で作られたものだった。

 

「…………」

 

 天狗たちに囲われるように、山の中腹の地──闇夜に包まれた山林の中に立つ『何か』。それは、ファイズに極めて近いものだが、厳密には違う存在だ。

 黒いスーツに走る光のラインの色は『黄色』。二重になったその経路はファイズのものよりも高い出力を誇る『ダブルストリーム』と呼ばれるものであり、出力によって色を変えるフォトンブラッドの強さを示している。

 銀色の胸部装甲には(バツ)印状に流れており、似た外見ながらファイズ以上のパワーを備えていることが流動経路(フォトンストリーム)の違い──ダブルストリームの色という形で見て取れた。

 頭部はファイズに似た真円型の複眼、紫色に輝く『エックスファインダー』にはやはり胸部装甲と同様、X字に分断されている。口元の形状に差異はないはずなのに、喰いしばったような銀色の大顎はファイズ以上の凶悪さを放っていた。

 

 スマートブレインが開発した三本のベルトのうち、二番目のもの。ファイズギアよりも先に作られた『カイザギア』と呼ばれる力を使い、変身を果たした存在。

 ――本来ならば、その力はオルフェノクの王によって破壊されているはずである。にも関わらず、ベルトは確かにそこにあった。

 あるはずのない失われた力。破壊されたカイザギアは、この幻想郷において確かに実物として存在している。幻想としてではなく、揺るぎなく確固たる存在として。砕けた痕跡さえ残すことなく。それは開発された当初と同じく完全な形で黄色い輝きを主張していた。

 

 黄色いダブルストリームを湛えた『カイザ』の放つ輝きが、紫色の複眼と共に妖怪の山の岩肌をぼんやりを照らす。闇夜の中に、妄執に手を伸ばして死んだ男の怨嗟と、理想に辿りつけずに死んだ男の悔恨を塗りたくるかのように。

 周囲に立ち並ぶ天狗たちに見守られながら、自らの両手を恐る恐る見つめるカイザ。震える手で腰に装う『カイザドライバー』へと震える手を伸ばそうと、己の腹に視線を落とすが──

 

『Error』

 

「うっ……! ぐっ……ああッ……!!」

 

 無慈悲に鳴り響いた電子音声と渇いた電子音によって、カイザの全身に火花が走る。装甲の隙間から散った閃光は、周囲の闇をダブルストリームよりも激しく照らした。

 

 衝撃で腰からカイザドライバーが外れる。ベルトを失った戦士は再び黄色い閃光に包まれながら、生身の姿を明らかにして倒れる。

 ガチャリと無機質な音を立て、放り出されたカイザドライバーとそこに装填されていた携帯電話型トランスジェネレーター『カイザフォン』は、その光景に思わず目を逸らした天狗たちの前に投げ出された。

 カイザギアに拒絶された者の末路は、天狗たちも何度も見ている。それはこのベルトが本来あった世界においても同様に。ファイズほどの安定性を持たないが故にもたらされた、高い出力の弊害。だが、それは本来の装着者たるオルフェノクたちにとっては福音と成り得るもの。

 

 ベルトの力に適合することができなかった一人の鴉天狗は──暴走した体内の『記号』によって全身の細胞を破壊され、灰となって朽ち果ててしまった。

 流れる灰の雫。先ほどまでカイザとして戦っていた男はもはや、単なる灰の山でしかない。

 

「やっぱり、ダメか……」

 

 死灰の中から輝きを失ったカイザドライバーを拾い上げ、普段の明るさを陰らせ辛そうに呟くは鴉天狗の少女。栗の色に似た茶髪のツインテールを紫色のリボンで結び、白いシャツに揺れる黒と紫のスカートは市松模様を刻んでいる。

 射命丸文の同僚にして、彼女と同じく新聞記者を務める鴉天狗、 姫海棠(ひめかいどう) はたて はこの場に集うすべての天狗と同様、その身にオルフェノクの記号を宿した者の一人だった。

 

 たったいま灰と朽ちた鴉天狗の男は、このベルトが自らを死に至らしめる『呪いのベルト』と知りつつ、その勇気をもって山の中枢を守ろうと、強大な力を持つ一体のオルフェノクに立ち向かっていったのだ。

 彼の奮闘のおかげもあって侵入したオルフェノクは倒すことができた。――が、カイザのベルトで『変身』できる者自体、ここにはあまり多くない。

 

 妖怪の山に現れた一人の男──自身もオルフェノクでありながら、オルフェノクの滅びを願う者がいた。天狗の長は男の助力を受け、自らの妖術と男の技術をもってその遺伝子を──『オルフェノクの記号』を一部の天狗たちに埋め込んだ。

 オルフェノクの記号は、宿した者を疑似的にオルフェノクの一種だと定義する。故に、オルフェノクにしか扱えないライダーズギアを限定的ながら使えるようになる。

 

 彼らに記号を埋め込んだ男は他のオルフェノクと同様に、二度の死を迎えながらも何らかの原因によって再びオルフェノクとして蘇った。

 しかし男はかつてと同様、不完全な肉体のまま。ベルトを使って戦うことはおろか、ただ生き永らえることすら難しい状況だった。

 そのため、男は朽ちゆく身体で辿り着いた妖怪の山に情報を提供し──自身の代わりに戦ってくれる代理人として、かつての教え子たちと同様に幻想郷の天狗たちを戦士に選んだ。その身にオルフェノクの記号を刻みつけると共に、ライダーズギアの一つたるカイザギアを与えたのだ。

 

「この呪いのベルト……カイザのベルトを使える奴なんて……」

 

 拾い上げたカイザフォンとカイザドライバーを銀色のアタッシュケースにしまい、はたては怨嗟とも悔恨ともつかぬ目でケースを見る。

 ベルトを使わずしてオルフェノクと戦うことも一応はできるだろう。だが、カイザがいなければ戦力は大幅に落ちる。その分、オルフェノクの『使徒再生』によって多くの犠牲者を出してしまいかねない。

 それならば、たとえ確実な死が待っているとしても。誰かがカイザとなって天狗たちと共に戦ったほうが少ない犠牲で済む。それはきっと、天狗らしく合理的な判断なのだろう。

 

「…………」

 

 自分もこのベルトを使えば灰と朽ち果てるのだろうか。もしも使いこなせれば天狗としての立場はさらに上位のものとなるかもしれない。だが、出世に固執しない性格の彼女は命を賭してまで認められようと考える気になれなかった。

 白く細い手でケースの持ち手を握りしめる。再びオルフェノクが現れたら──自分は死のリスクを冒してでもこの呪われたカイザギアを使おうとするだろうか。

 戦うのは怖い。死ぬのは、もっと怖い。本来ならば自室に引きこもって鴉天狗の仕事に専念し、異変に関する記事を書いていたはずなのに――どうしてこんなことになってしまったのか。

 

「うーん、困ったわね。せっかくベルトがあっても、誰も適合できないんじゃ……」

 

 そこへ不意に、青く神秘的な声が聞こえてきた。声の主は、オルフェノクの男と共に記号の移植技術やライダーズギアに関する情報を提供してきた仙人の女だった。

 道士としての修行を積み、彼女は仙道を外れた悪辣な手段で仙人となった。故に、彼女は『邪仙』と称される。 霍 青娥(かく せいが) ――通称『青娥娘々(せいがにゃんにゃん)』とも呼ばれるその女は、1400年以上もの歳月を邪仙として生き続けていた。

 

 彼女が持つ仙術は『壁をすり抜けられる程度の能力』という形で具現している。その能力をもってして、天狗の妖術で阻まれたこの空間に踏み入ることができているようだ。彼女の手にかかれば、如何に強固な警備体制と言えど意味を成さない。

 青娥(せいが)は困ったように頬に手を当て、とぼけ顔で思案する。壁抜けに使った(のみ)状の(かんざし)を髪へと戻し、仙術の気をもって自らの青く美しい髪に蝶の羽根めいた(しと)やかな双輪を象りながら。

 

「こんなこと……いつまで続ければいいの?」

 

 はたては行き場のない苛立ちを青娥に対してぶつけてしまう。

 怒りの矛先は無力な自分であるはずなのに、この邪仙の余裕に満ちた微笑みを見ていると心が落ち着かない。どんな相手とも打ち解けられるはたてでさえ、彼女はどこか信用できないのだ。

 

「仕方ない……か。予定にはなかったけど、最速と名高いあの鴉天狗(・・・・・)に記号を……」

 

「…………!」

 

 青娥の言葉と共に。彼女によって穿たれた虚空の穴から吹き込んだ風が、はたてのツインテールとスカートをそっと揺らしていた。

 背筋に滴る冷たい汗を感じ、その言葉の意味を理解してしまう。はたての服と同様に揺れるワンピース状の青娥の服、中華風の意匠を帯びた空色の服が、揺れ動くはたての心に黄色い閃光を刻みつけてくる。

 はたては自ら手にしたカイザギアの収められたアタッシュケースに強く視線を落とした。

 

「……だったら、私がこのベルトを使うよ」

 

 勇気から来る意思ではない。ただ、心が焦ってしまっただけ。その理由を合理的に説明できるだけの言葉を、はたては持ち合わせていなかったが──青娥は自身に対して振り返ったはたての目を見て、本気を感じたようだ。

 はたては立ち上がり、カイザギアのケースを左手に持ったまま青娥に向き直る。その視線は先ほどまでの猜疑心(さいぎしん)から来るものではなく──相手に対する忠告に近い意味を込めたもの。

 

「何を考えてるか分からないけど……あんまり天狗(やま)社会(ちつじょ)を掻き乱さないでね」

 

「ええ、善処しますわ」

 

 はたての言葉に目を細め、変わらず胡散臭い笑顔でとぼけてみせる青娥。幻想郷の管理者、八雲紫のそれにも似た笑顔を信じられる道理はない。

 それでも彼女が持つ情報は確かなものだ。オルフェノクの記号が天狗たちの身体に埋め込まれなければ、それこそカイザギアは何の意味も持たなかったはず。

 たとえ使えば死ぬ呪いのベルトでも、オルフェノクに対抗するには不可欠な装備である。

 

 並みのオルフェノクであれば天狗の力だけでも戦えるが、一部の個体──オルフェノクの使徒再生に頼ることなく自らの死から自力で蘇り、自然にオルフェノクとして覚醒した『オリジナル』などはベルトの力が必要になる。

 もっとも、通常個体とオリジナルの差は見た目では判断できない。実際に戦ってみても、オリジナル相当にまで成長した使徒再生個体もいることもある。

 だからと言って、あまり悠長にカイザギアを使うことを躊躇(ためら)っていれば──

 

 オルフェノクの使徒再生能力は脅威だ。鴉天狗の動体視力をもってしても視認するのがやっとの速度で放たれる触手は、心臓を貫けば容易くそれを焼き尽くすだけのオルフェノクエネルギーを流し込んでくる。

 人間はそうやって使徒再生――オルフェノクによるオルフェノク化の洗礼を受ける。幻想郷においての前例こそないが、純粋な妖怪の身である天狗でさえ、オルフェノクエネルギーによって心臓を『リバースハート』に作り変えられればオルフェノクと化してしまうのだろうか。

 はたては自身が宿すオルフェノクの記号を恐れ、空いた右手で己の胸をぎゅっと押さえた。




秋めく夜の山に黒、赤、黄色のファイズのカラーリングがビジュアル的に映えまくる。

Open your eyes for the next φ's
第25話『夢の始まり』

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