東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第27話 疾走り続けても

 季節は春、秋色に染まる妖怪の山。ゾウの特質を備えたエレファントオルフェノクとの戦闘に際して再会することができた愛機のオートバジンを手で引きながら、巧は文と共に妖怪の山の紅葉を見上げて山道を進む。

 この山全体に広がる秋の色――紅葉の彩り。気のせいか、巧は妖怪の山を進むごとにより一層それらが強まっているような気がしていた。

 それだけではない。死後の命をもって人間を超え、さながら狼の能力を備えたオルフェノクとして覚醒した巧は鼻腔(びくう)(くすぐ)る『匂い』として一つの変化を捉えている。一定以上の能力を備えたオルフェノクは、人の身のままでもある程度その恩恵を受けられるという特性のためだ。

 

「この匂いは……」

 

 白狼天狗ほどではないとはいえ、鴉天狗として相応の感覚機能を持つ文もその匂いに気がついたのだろう。

 山の奥から漂ってくる匂いは紛れもなく秋の風物詩を思わせる。妖怪にとっても人間にとっても変わらず『秋』を感じさせる季節の色。千年以上もこの山に住まう文にしてみればそれは秋の到来と同義たる、甘く優しい『焼き芋』がもたらす香りである。

 

 その先――妖怪の山の中で最も秋が栄えた場所には、秋の力が局所的に集中する紅葉と豊穣の園が広がっていた。

 一点の歪みもない完全なる紅葉。これが四季異変に際した偽りの秋であるなどとは誰にも思わせないほどの純粋にして力強く、それでいて儚く寂しい秋の山。紛れもなく、この瞬間、この場所においては、幻想郷に確かな『秋』が訪れていると思わせるほどの圧倒的な気配。

 実る木々にはリンゴやブドウなどの果実が成っている。銀杏や栗などの木の実も豊かに実り栄え、その周囲にはマツボックリやドングリまでもが転がり落ちている。

 

 山にせせらぐ川の流れの近くで、束ねた紅葉の中に火を灯し。暖かい色合いの装いに身を包んだ二人の少女は焼き芋の風情を楽しんでいた。

 一人は黄色と橙色の衣装を身に着け、より深い茶褐色のロングスカートを纏う少女。服には稲穂や五穀を思わせる意匠を持ち、輝く金髪に装う赤い帽子には精巧なブドウのアクセサリーが象られている。

 少女―― 秋 穣子(あき みのりこ) は幻想郷の秋を司る『八百万(やおよろず)の神』の一柱だ。己が存在たる『豊穣を司る程度の能力』をもってして、幻想郷の秋に果実や穀物、農作物などの実りをもたらしてくれる。神としては強大な部類ではないが――秋という季節においてはなくてはならない存在なのだ。

 

「まったく迷惑なもんね。こんなおかしな秋、二度も見ることになるなんて」

 

 穣子(みのりこ)は素足のまま地面に積もった紅葉の絨毯(じゅうたん)に座しながら、神としての能力で育んだ自慢の焼き芋を頬張る。

 かつてと同様に起こされた偽りの秋。本来の季節が春であるからか、矛盾した季節の乱れは秋を司る神々の活動にも多大な影響を及ぼしているようだった。

 これだけ確かな秋の山中においても、暦の上では今はまだ春。秋が訪れるには早すぎる。

 

「そう? 私はこういうのも嫌いじゃないけどね。ほら、紅葉もこんなに綺麗だし」

 

 静かな微笑みを湛え、控えめに焼き芋を口にしたのは同じく金髪の少女。茜色と黄色のグラデーションを帯びた衣装のロングスカートには(かえで)の葉を思わせる切り欠きがずらりと並び、さながら裾を秋色に彩るフリルのようにあしらわれている。

 装う髪飾りはやはり楓の葉の如し。三枚に連なった葉で髪を彩り、淡い金色の瞳で山を染める紅葉を楽しむ少女の名は 秋 静葉(あき しずは) 。穣子と共に秋を司る八百万の神の一柱であり、彼女はその姉でもある。

 静葉(しずは)がもたらすのは木々を染める秋の彩り。自らを象徴する『紅葉を司る程度の能力』により幻想郷の秋を美しく繚乱させる秋の風。

 されどそれは豊穣の秋を司る妹――穣子とは違い、朽ちゆく葉という終焉を表すモノ。秋の持つ豊かさとは正反対の寂しさを象徴する静葉はどこか妹に羨望の念を覚えていた。豊穣という生。紅葉という死。その対比はまるで、妖怪の山を灰と染める生死の境(オルフェノク)にも通ずるものがある。

 

「姉さんはいいわよ。作物の方は紅葉と違ってすぐには(みの)ったりしないの」

 

「でも、信仰のおかげかな。即席で成長したお芋にしては、ずいぶん立派だわ」

 

 静葉と穣子は談笑しながら焼き芋を食む。秋めく紅葉も豊穣も、本来の幻想郷にあるべきではない光景。ただ数ヶ月分、時期が早まっただけだが、最も秋の強い接続地点はこの妖怪の山の川の近くにあるらしい。

 普段なら山の(ふもと)に安置された秋の(ほこら)に宿る八百万の神々。姉妹で秋を司る彼女らは秋の気配に誘われ、妖怪の山の中腹にて秋を具現化したのだ。

 人々からの信仰はあまり多くない彼女たちではあるが、それでも神である以上は信仰によって存在が成り立っている。紅葉と豊穣への信仰、収穫祭や紅葉狩りなどの祭り事、祝福が彼女たちへの信仰に繋がり、本人への信仰でなくともある程度は神の力として定義されるようだ。

 

「これはこれは、秋を司る神様のお二柱(ふたり)。今は春ですが……紛い物の秋でもよろしいので?」

 

 焼き芋の香りに惹かれて、疾風の新聞記者は二柱の神に声をかける。見知った顔の鴉天狗を見て静葉と穣子は声を返そうとするが、その隣に立つ外来人らしき男が気になったらしい。二人はまず、その存在に驚いた。

 妖怪の山はその名の通り昼夜を問わず妖怪が活発的な場所。不用意に人間が踏み入れば瞬く間にその餌食となってしまうことを、古来よりの神々である二人は知っている。が――

 

 八百万の神と定義される存在ではないとはいえ、山の神の異名を持つ天狗とてそれは承知しているはず。幻想郷でも特に古参の鴉天狗である文と一緒であるならば。彼女が連れているのなら、妖怪に襲われる心配はさほどあるまい。

 そもそも山に人間がいるという事実自体が問題であるのだが――大した神格を持たない二人は山の管理に携わっておらず。山の統制を担うのは天狗であるし、山に宿る主格の神も秋を司る彼女たちではない。文が見逃しているのなら、わざわざ忠告をするまでもないだろうと判断した。

 

「紛い物でも秋は秋。たとえ狂った季節でも、秋と定義されれば信仰は宿るのよ」

 

「どんな形であれ、そこに秋への信仰があるのなら私たちの出番だからね」

 

 静葉と穣子はそれぞれ答え、服についた落ち葉を軽く払いながら立ち上がる。ふわりと舞った紅葉の中に漂う甘い香りは、彼女たちが手に持つ焼き芋から。加えて、穣子は自らが豊穣の神として豊かな果実と生焼き芋の香りを纏い放っている。

 里には秋が来てないみたいだから、ほとんど妖怪の信仰だけど――と付け足す穣子は不満そうに、本来ならばもっと大きく育ち得たであろう、立派な焼き芋を頬張ってみせた。

 

「神様……? じゃあ、ここら一帯が秋になってんのもあんたらのせいか?」

 

 先ほどまでの秋景色を塗り潰すほどの周囲の秋に呆気に取られていた巧が呟く。地面に落ちていたマツボックリを一つ拾い上げると、それが昨日今日で落ちてきたとは思えない哀愁的な秋の気配を持つように感じられた。

 天狗だの妖怪だの、荒唐無稽な話も今では受け入れている自分がいる。傍から見ればオルフェノクも似たようなものだと考えれば、あるいはそんな話もあるだろう。

 

「せいっていうか……私たちは秋の力に従って幻想郷の紅葉と豊穣を司ってるだけ。ほら」

 

 言いながら、静葉が手をかざした遠方の緑は紅に染まる。ここより遠い山の一部に残った緑は静葉の紅葉を司る力により、緑の葉を紅葉に朽ちさせた。まるで一枚一枚丁寧に葉の色を塗り替えるように、緑の葉は少しづつ色を変えていく。

 続けて山から離れた別の場所の木にもその力をもたらそうとするが――静葉の能力を受けて紅に染まった葉は即座に散ってしまい、代わりに生命力に満ち溢れた緑の葉が成る。

 

「秋の景色が見られるのは秋の間だけ。秋のないところには、秋の景色は訪れないの」

 

 静葉が紅葉を宿そうとした木は山の麓にある霧の湖に近い場所のもの。燦々と照らす太陽が夏の日差しをもたらす霧の湖には、秋が踏み込む余地はない。

 故にいくら秋を司る神の力であろうと――夏に秋を持ち込むことはできない。当然、それが春であろうが冬であろうが同じことだ。秋を司る神の力は、秋を秋たらしめるべくその季節をもたらすというものである。

 既存の季節を塗り潰してまで秋をもたらそうという意思は彼女らにはない。それは神として自然の均衡を崩す季節への冒涜に等しい。

 そんな真似ができるのは季節そのものを司る神の仕業、あるいは自然そのものである妖精が暴走したことで自然そのものが狂い、疑似的に秋が訪れた――かつての四季異変くらいのものだ。

 

「だから、この辺はどうしようもなく秋ってわけ。体感的には9月から11月って感じね」

 

「9月から11月……ですか」

 

 静葉に続けられた穣子の言葉を聞いて、文は少しだけ思案する。

 巧の話が事実なら、彼は西暦2004年の1月の世界――仮にファイズの世界と定義し得る外の世界の並行世界の1月の時間軸から来ているはず。

 1月は秋ではない――となれば、やはり推測通りファイズの世界以外にも異なる世界が複数接続されていると見るべきか。妖怪の山以外の場所は偵察した限り変わらず春のままの場所と夏や冬の様相を呈しているものがある。ここまではかつての四季異変、季節の乱れと同じだ。

 

 しかし妖精の背中に扉は確認できず、暴走もしていない。それなのに自然はこうして変化し、狂い乱れた四季が繚乱している。その原因として、文は複数の世界から流れ込んだ異世界の風とでも呼ぶべきものの影響だと考えていた。

 気になるのは文が感じ取れた複数の風は、どれも『冬』の気配を帯びていたこと。幻想郷のものではない外の世界の風が、それぞれ別々のものでありながら。それぞれ別の『冬の風』と定義できるものだったのだ。

 文が感じた『外の世界の風』には、秋の気配を宿すものはなかった。冬でないにしても精々春から初夏に至るか至らないか――という程度のものばかり。

 あるいは複数の世界の風が混ざり合った結果として、かつての四季異変と同様に季節に異常が生じているのか。妖精由来の内側の力ではなく、別世界からの外部的な影響であるなら――

 

「そんなことより、おひとついかが? 怪物騒ぎで紅葉(もみじ)狩りも楽しめないけど、焼き芋ならたくさんあるわ」

 

「――っと。あやややや、それでは遠慮なく……」

 

 不意に差し出された焼き芋は黄色い断面から白い湯気を昇らせている。文は一度思考を止めてそれを受け取ると、がさりと手に触れるのは馴染みのある紙。八百万の神でさえ紙と使うは天狗組織の新聞なのか──とやや思うところがあるが、それはそれとして。

 ある程度息で冷まし、口に含んだ際の味覚はやはり紛い物の秋に実った命とは思えないほど豊穣の力が満ちていた。

 

「偽りの秋とは思えない味覚です。これだけで記事が書けそうですね……」

 

 その言葉に穣子は納得のいったように頷き、未だ燻る落ち葉から突き出た枝を掴む。はらりと舞い散る楓と共に、取り出された焼き芋はやはり秋の風に白い湯気を昇らせていた。

 

「そっちのお兄さんもどう? 姉さんの落ち葉で焼いた私のお芋。火加減ならバッチリよ!」

 

「いや……遠慮しとくぜ」

 

 天狗の新聞紙で丁寧に包まれ、真っ二つに分割された焼き芋は相変わらず暖かそうに──巧から見れば、必要以上に熱そうに湯気を放っている。

 あれを冷ましていたら本当に日が暮れてしまいそうだ。まだ日は高いが、焼き立ての芋など圧縮された熱の塊そのもの。どれだけ表面に息を吹きかけたところで、芯まで冷ますには尋常ではない時間がかかる。

 かつての旅においては嫌がらせで熱々の鍋を食事に出されたこともあった──かと思えば、皮肉のつもりか旗つきのお子様ランチなどを出されたこともあった。こんなものが食えるか、とぶちまけてやろうとしたが──すぐに考え直して旗を叩きつけるだけに(とど)めたのだが。

 

「よろしければ、ふーふーして差し上げましょうか? 風の扱いなら自信ありますよ?」

 

「……お前……喧嘩売ってんだろ……」

 

「冗談です。そんなに怖い顔しないでくださいよ」

 

 未だ湯気立つ熱そうな焼き芋を食べている様子を見ると、羨ましいという感情よりも不可解さの方が勝る。妖怪という存在は舌先に痛覚を持たないのだろうか……いや、思えばかつての仲間たちも同じだったかもしれない。

 

 乾巧の猫舌は彼にとってあまり思い出したくない幼少期を由来とする。この身を灰燼(かいじん)とせしめた忌まわしき炎は──彼の命と同時に家族までもを奪っていった。

 火事に巻き込まれて一度命を落とし、オルフェノクとして覚醒したあの日の出来事。巧はその自覚を持たないが、彼の猫舌はそのときの炎に対する本能的な恐怖心から来ている一種の精神疾患と呼べるもの。

 あるいは何らかのショックによりそのときの出来事を忘れてしまえば、精神的な恐怖(トラウマ)を由来とする猫舌さえも忘れられるということになる。もっとも、あくまで理論上はそうかもしれないというだけで、そんな悪夢(のろい)を簡単に忘れ去れるだけの器用さを持ち合わせていたなら苦労はない。

 

「……ったく……」

 

 かつて戦線を共にした男――あるいは忌むべきスマートブレインの二代目社長もかくや、という文の粘着質な性格に肩がやや重くなる。

 その爽やかな笑顔から察するに、本当に悪意があるわけではないのだろう。優しげに笑うその姿は、弱者を貶める明確な意図を持っていた彼ら(・・)とは似ても似つかない無垢さがあった。やはり、どちらかというと彼ら(・・)に近い。

 巧の仲間(あいつら)も、巧と同じように素直になれないところもあれば──巧の猫舌を直そうと努力してくれたり、巧の強さを認めてくれたりもしてくれた。長旅の中間地点として、洗剤や整髪剤の香りが微かに漂うあの場所は自分にとって居心地がよかったのだ、と思わせられる。

 

 文がすでに一つの焼き芋を食べ終え、その詳細を手帳に記している中。焼き立ての芋を里にでも配ろうと考えつつ、静葉と穣子は不意に『その気配』に気づいた。

 やはり山の神と謳われた古き妖怪であろうと、こと自然への知覚に関しては正真正銘の神に一歩劣る様子。すぐさま続いて文も気配を悟る。それは名もなき妖怪やオルフェノクといった怪物ではなく、文にとっても見知った顔で佇む少女だった。

 ばさりと舞い散るカラスの羽根。文や巧、静葉や穣子よりも高い目線の先、妖怪の山の崖上に立つは──天狗組織において文と並ぶだけの地位にいる古参の鴉天狗、姫海棠はたてだ。

 

「こんなときに焼き芋なんて、ずいぶんとのんきなのねー」

 

「……やっぱり、あのときの攻撃は貴方でしたか」

 

 崖上から見下ろすはたてに返しつつ、文は先の黄色い光弾を思い出す。練られた妖力によって放たれたものではない。天狗が持つ妖力にしては異質な力だったと記憶しているが、はたても何らかの力を手にしていたのだろうか。

 とすれば、ゾウのオルフェノクの存在を知らせてきたのも彼女なのだと推測できる。文でさえ巧と出会うまでは知り得なかったオルフェノクについての情報を、はたてがすでに知っていたのだとしたら。彼女がここに現れた理由──確証こそないが、文にはその心当たりがなくはない。

 

「どういうつもり? 異界の外来人を報告もせず匿うなんて……」

 

「別に匿ってるわけじゃないですよ。ただ、妖怪や怪物から保護してるだけで」

 

 はたては不機嫌そうに問う。飄々とした態度で返す文はちらりと巧へ振り返った。交わす視線の先ははたてと同じ仏頂面。普段のはたては笑顔の似合う明るく素直な少女と知っているが、巧に関しては出会ったばかりで笑顔など見た記憶がないという違いはあるのだが。

 

「……そう。今の(あんた)はただの新聞記者(ジャーナリスト)ってわけ……」

 

 共に競い合って新聞を発行していた文とはたて。二人は対抗新聞同士(ダブルスポイラー)として良きライバルと言えるほどの関係だった。

 それ故に、はたては知っている。文が誰に対しても例外なく丁寧な敬語を用いるのは、天狗組織の一員としての鴉天狗ではなく──ただ一人の新聞記者としての射命丸文(・・・・)なのだと。

 

 真剣な表情で、はたては覚悟を決めた様子で目を閉じる。

 練り上げられた天狗の妖力は、はたての伸ばした右手の先にて空間を歪め──取り出されたのはファイズギアよりもややサイズの大きい銀色のアタッシュケースだ。

 やはりそこにはSMART BRAIN(スマートブレイン)のロゴが刻まれ、ずしりとした重量がはたての右腕に重く圧し掛かってくる。

 その(ケース)に込められているのは物理的な重さの他に、これまで多くの者が使い果てていった幾多もの怨嗟と悔恨、そして、塗りたくられた夢と呪いの黄色い血。黒く淀んだ弔いの記憶。

 

 大きさの差異こそあるが、文はそのケースに見覚えがあった。だが、天狗として知覚できる霊的な空気の歪さはファイズギアの比較ではない。ファイズギアにも哀しい灰色の空気が宿っていると感じられたが、あのケースは別格。灰色というより──ドス黒くさえも思える。

 

「…………」

 

 アタッシュケースから取り出した鈍色のベルト──カイザドライバー。はたては黄色いラインが走るそれを自らの腰に装い、右腰にはX字状の特殊武装、左腰には正方形に近いデバイスの重さを左右それぞれで感じる。

 ベルトの背には白狼天狗の視力に並ぶ性能のデジタル双眼鏡、カイザポインターを装備。はたては自らの覚悟が鈍らぬうちに懐からあるものを取り出した。

 携帯電話型トランスジェネレーター、カイザフォン。黒い機体に黄色いライン、そしてカイザを象徴するミッションメモリーを装ったそれは、はたてが持つ『カイザギア』の要である。

 

「……姉さん、あれって……」

 

「ええ……たぶん……間違いないわ……」

 

 穣子はそれを見て静葉に問うた。神である二柱はカイザドライバーを装うはたてに何かを感じ取り、小さく吹き抜ける風と共に紅葉を散らして姿を消す。

 いつの間にやら積もった紅葉の中に灯っていた火も消えており、信仰の要となる秋の神がいなくなったことで周囲の『秋』は山の他の場所と同じように落ち着いた秋へと変わった。

 

「……あいつ……なんだってあんなもんを……!」

 

 はたての持つカイザギア──その細腰に装われたカイザドライバーの存在に、巧は目を見開いて過去の記憶を想起する。

 それは間違いなくオルフェノクの王によって破壊されたはず。その身を挺して王の動きを封じ込め、自ら諸共(もろとも)に必殺の一撃を促したあの男と共に。王の放つ使徒再生の触手によって打ち砕かれる瞬間を──巧はその目で確かに見届けたはずではないか。

 しかし、それはこの場に舞い戻った愛機、オートバジンとて同じこと。スマートブレインが再建されているかもしれない以上、オートバジンと同様に破壊されたはずのカイザギアが復元されていることも不思議ではない。それどころか、巧はすでにその可能性に思い至っていたのだ。

 

「お前、それが何なのか分かってんのか!? 今すぐそれを外せ!!」

 

 巧はそのベルトが、カイザギアがもたらす悲劇を知っている。崖を挟んで向かい合う少女とは初対面だが、みすみすそのベルトを使わせてしまっては──

 声を張り上げる巧の焦燥を正面から受け止め、はたては深く息を飲む。されどその覚悟が揺らぐことはなく──カイザフォンに備わったスライド機構を半回転させ、それを展開。アンテナが上を向き、ファイズフォンと同様に現れたテンキーの上に、震える親指を置いた。

 

「呪いでもなんでも……! 私がやらなきゃいけないのよ!」

 

 このベルトが何をもたらすのかなど、はたてもすでに知っている。それでもこの呪いから逃げてはならない理由があるのだ。

 静かに滑らせる親指でもって、『913』のコードを刻む。そのままはたてはコードの入力を完了するべく、テンキーの左上に位置している『ENTER』のキーを力強く押下してみせた。

 

『Standing by』

 

 低く重苦しい電子音声を聞き届け、はたては重厚な待機音を響かせるカイザフォンを再びスライド、半回転して閉じる。

 そのまま自身の顔の左前まで持ってきたカイザフォンをくるりと翻し、カイザの複眼を模したミッションメモリーを正面に向けながら。はたては覚悟を込めた呪詛の言葉を声に乗せた。

 

「……変身っ!!」

 

『Complete』

 

 カイザドライバーの接続部、斜めに構えられたコネクタに。左上から叩き込まれたカイザフォンが水平に倒される。同時に発声された電子音はやはりファイズギアに比べて低く、放つ閃光も走るラインと同様に黄色い──より高出力のフォトンブラッドを示す色。

 黄色いフォトンフレームははたての身を包んでいき、やがて結界を隔てた先の軍事衛星から電送された強化スーツが形成されていく。

 

 一瞬の後、消え晴れた光の中に佇む影──X字状に分断された紫色の複眼を有するは、呪われたベルトの戦士『カイザ』だった。

 異界の力が宿す法則か。あるいはライダーズギアに渦巻く想念によるものか。はたてはカイザの姿のまま無意識のうちに自らのネクタイを、あるいは襟元を直すような仕草を見せる。

 

「は……はたて……!?」

 

 文は、馴染み知った友人が未知の力を纏い、変身を遂げたことに驚いた。それが今でも一緒にいる乾巧と──ファイズと等しい姿の仮面の戦士であればなおのこと。

 そんなことも構わず、はたて──カイザは右腰に装備したX字状の銃器『カイザブレイガン』をその手に引き抜く。引き金を引けば、ファイズの赤よりさらに濃縮された黄色いフォトンブラッドの光弾が、生身の巧に対して真っ直ぐに飛来する。

 

「……っ!」

 

 文は咄嗟に葉団扇で風を起こしてそれを防ごうとしたが、光弾の速度は見切れない。が、はたてには巧を撃つ意思がないのか、光弾は巧の足元を撃ち抜いて小さな土煙を上げる。

 

「これが……カイザ……」

 

 はたては右手でカイザブレイガンのグリップを握ったまま己の左手を見た。全身に走るフォトンブラッドの衝撃ははたての身に負担をかけているが、体内に宿すオルフェノクの記号のおかげだろうか。苦痛と呼べるほどのものではない。

 左手をぐっと握りしめ、はたては巧に向き直る。紫色の複眼(エックスファインダー)で捉えるは、このカイザギアと同じ法則の世界から現れた異界の外来人。そして、彼がその手に持つライダーズギアの一つ、ファイズギアだ。

 

「はたて! いったい何のつもり? そのベルトはどうやって……!?」

 

「お前の知り合いか? ったく、どいつもこいつも……!」

 

 文の言葉によって巧は相手がスマートブレインのオルフェノクではないと判断した。ある意味ではあのような少女がスマートブレインの傀儡ではないと知って安堵もするが、まさかあの私塾(・・・・)の者たちと近い存在なのか──

 ならばこそカイザギアの呪いは現実のものとなる。純粋なオルフェノクであれば問題ないが、中途半端にオルフェノクの記号を宿した者が、その記号に適合できなかった場合──

 

『Ready』

 

 巧の思考を切り捨てるように、低く重苦しい電子音声が鳴る。はたてがカイザフォンから紫色の複眼を象ったミッションメモリーを抜き、カイザブレイガンのグリップに挿入したのだ。

 直後、カイザブレイガンのグリップエンドに光が灯る。黄色く力強いそれは、すぐさま直線状に伸び──さながら光の刃として定着したフォトンブラッドの塊と化した。

 

 カイザブレイガンは銃撃を主とする『ガンモード』から刀身を伸ばした『ブレードモード』へと形を変える。フォトンブラッドを光弾として放つのではなく、その輝きを刃として斬りつけるための形態。

 はたては銃底から伸びた黄色い光刃をまるで刀剣を逆手持ちするように振り上げ、流れる黄色いフォトンブラッドの衝撃そのものを斬撃とするべく崖を飛び降り、巧の持つケースを狙う。

 

「せやぁああっ!」

 

「ちっ……!」

 

 咄嗟にケースを持ち上げて盾代わりとする巧。ファイズの装甲に等しい強度を持つこのケースは滅多なことでは破壊されない。

 そのまま生身でカイザの腹を蹴り飛ばし、なんとかファイズギアをその手に取る。

 

『Standing by』

 

「変身!」

 

『Complete』

 

 赤い閃光と共に送られてきた強化スーツを纏い、巧は再びファイズとなった。背後に控えるビークルモードのオートバジンに近づき、巧はその左ハンドルを掴む。

 ベルトのファイズフォンからミッションメモリーを抜き、左ハンドルのグリップ上部程度の位置へそれを差し入れると、ミッションメモリーはカチリと小気味よくそこに収まってくれた。

 

『Ready』

 

 はたてのカイザブレイガンと同様の電子音声が左ハンドルから鳴る。しかしカイザのそれとは異なり、重くもなければ低くもない、軽やかな声のもの。

 

「はぁっ!」

 

 巧ははたてに振り返ると同時に、オートバジンから引き抜いた左ハンドル──グリップ状の先端から伸びた真紅に輝くフォトンブラッドの刃を、迫るカイザブレイガン ブレードモードの刀身に打ちつけて切り結んだ。

 オートバジンの左ハンドルはミッションメモリーを挿入することで、フォトンブラッドの光刃を伸ばし現したエナジーハンドルブレード『ファイズエッジ』として使用できる。

 

 光の出力は基本レベルの『ミディアムモード』。並みのオルフェノクの身体を灼き斬るのに十分なだけのフォトンブラッドが込められた特殊強化ガラス繊維製の刀身をもって、材質こそ同じだがそれを超える出力の黄色い刃と向かい合った。

 

 弾き交えてはファイズエッジを右手に持ち替えて再びカイザブレイガンと切り結びながら向かう相手の真意を探ろうとする。

 純粋な力ではカイザの方が上だ。しかし中身が人間と妖怪という点を差し引いても、ライダーズギアを用いた戦闘経験の差はギアの性能だけで埋められるものではない。はずだったが──

 

『Single Mode』

 

「……っ!」

 

 ファイズエッジとカイザブレイガン ブレードモードの刃を合わせる傍ら、はたては咄嗟の機転で腰に装うカイザドライバーからカイザフォンを引き抜いた。即座に『103』のコードを入力し、ファイズの腹に密接した状態で引き金を引く。

 カイザフォンは銃の形にスライド変形されシングルモードのフォンブラスターとなり、巧の腹に黄色い光弾を撃ち放った。

 巧が怯んだ隙に正面からカイザブレイガンの刃を打ちつけ、銀色に輝くファイズの胸部装甲を切り裂く。さすがにファイズのスーツを破壊することまではできないが──ばさりと舞った『灰』の残滓めいたものが、そのダメージを与えたはたてのカイザブレイガンに付着した。

 

「ぐっ……う……!」

 

 巧は苦痛に胸を押さえて後退。ダメージはさほどでもないが、カイザブレイガンの刃が放つフォトンブラッドの熱がこの身の芯にまで届いたのだろう。

 オルフェノクの身にフォトンブラッドの衝撃は少し(こた)えるものがある。幸い灰の残滓は火花に隠れて巧自身にも気づけぬ程度のものだ。文やはたてがそれを不審に思うことはなく、巧は再び赤い光の刃を構える。

 

 しかし、はたて──カイザは再びカイザブレイガンを振り上げたのも束の間。傍らに舞い降りてきたカラスの鳴き声に耳を傾けると、カイザフォンとカイザブレイガンをベルトに戻した。

 フォンブラスターだったカイザフォンは閉じられベルトの中央に。カイザブレイガンからはミッションメモリーを抜いて、再び右腰のホルスターに差し入れるようにして。

 

「…………」

 

 震える右手でもう一度、カイザフォンを抜く。スライドさせて展開しては、恐る恐る親指を通話終了キーへと導く。

 そのキーを押した瞬間──はたては仮面の下で強く目を瞑り、カイザの変身を解いた。

 黄色い光が収まり、はたては生身の姿を再び巧に晒す。ゆっくりと目を開いたはたてに対して、巧はついさっきまで自分を攻撃してきた少女でさえ心配していた。

 

 はたての身体には灰化の影響は現れていない。カイザギアの呪いが示す変身者の末路はその身についぞ現れず。

 すぐさまカイザフォンを閉じ、腰から外したドライバーと共にケースに戻すはたて。再び妖力で歪めた空間へとケースをしまったのだろう。一本歯下駄で地面を蹴って後退し、再び背後の崖上に飛び上がったかと思うと、はたては右手に天狗の葉団扇を出現させて巧の顔を見る。

 

「…………っ!」

 

 巧が口を開く前に、はたては葉団扇を仰いで突風を巻き起こした。吹かれた風に舞った紅葉と共に、いくつか舞い散るカラスの羽根。文でさえ、カイザという未知の存在に対する思考をまとめ切れていない頭では──飛び去るはたてを追うこともできない。

 

「どうして……はたてが……?」

 

 文の疑問は、未知のライダーズギアに対して。そして、何よりなぜはたてがそれを使って変身できたのか──という点。

 そして同じく深い思考に囚われた巧はファイズとしての変身を解き、カイザという存在の本当の恐ろしさを想う。かつてカイザとして戦っていた青年、巧の仲間と呼べたあの男は。自らの妄執に裏切られた。

 たった一つ抱いた信念さえ、黄色く擦り減らして(・・・・・・)――最期の戦いに挑み、散華したのだ。

 

◆     ◆     ◆

 

 ――ここは『冥界』と呼ばれる場所。死後の霊魂が辿り着く輪廻の庭たるこの世界は、厳密には幻想郷ではないが、同じ法則に繋がる一つの『世界』として、幻想郷はその世界との繋がりを許容していた。

 時の流れは幻想郷と共通。そちらの世界が夜であるなら、当然こちらも夜となる。

 

 別の位相に繋がる場所であるというのに、ここにも四季異変の影響はあった。

 春にも関わらず降り積もる雪景色。一面を染める白雪は、魔法の森に通ずる冬の様相。無辺の広がりを持つ冥界にてなお広大な和風のお屋敷の屋根さえ白く――冥界の雪は染め上げている。

 

「まだ四人……先は長そうね」

 

 転生を待つ幽霊たちがふわりふわりと漂う中──冥界に建てられたお屋敷、『白玉楼(はくぎょくろう)』の中庭にて、冬の景色に似つかぬ従来の春の芽吹き、冥界に咲き乱れた桜の花々を見上げながら。幻想の境界は憂いがちに呟いた。

 彼女の右手には四枚のカード。それぞれの札に戦士が描かれた写真めいた歴史の欠片。物語を紡いできた四人の戦士、四つの世界の法則がその『ライダーカード』の一枚一枚に純粋なる力として込められている。

 左手で取り出した残る五枚のカードはこれから導く予定の戦士たちの仮面。紫が導いた戦士はまだ四人だが、彼らの世界とは別に繋がっている法則がないとは言い切れない――

 

 八雲紫は枯山水の上に容赦なく積もった雪と、白玉楼庭園の桜が散らした花びらの不揃いな共演に愛しく曖昧な境界を覚えながら。その手に持ったカードを懐へ戻す。

 

 風雅に狂い咲く季節を愉しんでいるのは紫だけの様子。花より団子と言わんばかりに、まさしく雪のように積もった団子の山から一つの白を摘み上げて──

 偽りの冬に明るく冴える夜空の月を見上げ、隣に座った女性が団子を頬張った。

 

「そういえば、例の世界はどうなったの? なんでも、死者が生き返るとか。怖いわねぇ」

 

 この屋敷の(あるじ)を務める女性。空色の和服に白いフリルを装い、淡い桜色のミディアムヘアには同じく空色の帽子。さらにそこには彼女がすでに生涯を終えた『亡霊』であることを示唆するかの如く、死者の象徴である天冠の意匠が見られる。

 幽冥楼閣の亡霊少女── 西行寺 幽々子(さいぎょうじ ゆゆこ) はこの冥界、白玉楼にて幻想郷の幽霊たちの管理を任せられている西行寺家の令嬢であり、同時に現在の当主として八雲紫の友人でもあった。

 

「それならもう大丈夫よ。ファイズの世界の『(くさび)』はすでに招いてあるから」

 

 あとは彼らがなんとかしてくれるでしょう――と、紫は手にした扇で口元を隠す。これまで導いた世界の楔は四つ。やはり想定していた通り、予定通りにはいかず。本来の計画では紫の導きで初めて法則を統合するはずだったが──

 ファイズの世界の楔となる男、乾巧を招来する前から幻想郷にはオルフェノクの残滓が発生していた。龍騎の世界の接続を果たすよりも少し前に、すでにファイズの世界が繋がっていた可能性があるのだ。

 妖怪の山への接触および紅魔館の吸血鬼に現れていた症状。幻想郷全域を偵察していた藍の報告が正しければ、オルフェノクたちは乾巧よりも早く幻想郷に現れている。

 

 楔となる者を導いた後であるならば理解できる。外界の怪物たちが元の世界の法則を辿って幻想郷に現れることは想定していた。すでに彼らが倒したはずの怪人が蘇っていることも、紫は世界の記憶の残滓として発生し得ると考えていた。しかし──

 無限に広がる並行世界の中から何の法則も辿らずに幻想郷の座標を特定できるはずがない。紫が楔を導くよりも前に彼ら怪人が現れているのなら、何者かによる手引きがあるはず。

 あるいは紫の行動に先んじて世界の接続が加速しているのも──その者の思惑だろうか。

 

「あっちへ行ったりこっちへ来たり。幻想郷の賢者様は大変ね」

 

他人事(ひとごと)だと思って……貴方にも仕事をお願いしているはずだけど?」

 

 幽々子(ゆゆこ)はまたしても団子を口に放り込みつつ、笑顔で紫の話を聞いている。その様子を見た紫は、かねてより彼女に頼んでおいた仕事について切り出した。

 

「慌てなくてもいいの。それにしても……」

 

 口の中に団子を入れたまま喋る幽々子。もぐもぐと丁寧に咀嚼(そしゃく)し、やがて団子(それ)嚥下(えんげ)する。

 

「勝手に世界を繋げられるのは困っちゃうわね。ああ、お団子の次はお茶が怖いわ」

 

 白玉楼の中に漂う幽霊に伝えながら、幽々子は団子の皿から次なる白を摘み取った。それが最後の一つだと分かると、名残惜しそうにしながらもそれを頬張る。あれだけ積まれていたのに、ものの数分で食べ切ってしまった。

 団子も命も世界でさえも、あっという間になくなってしまうのが摂理(ことわり)。亡霊として死後の世界を管理する幽々子は『永遠』というものがあまり好きではない。

 月から来た蓬莱人たちはその身に永遠を体現する不老不死の存在。あらゆる命をその手に掌握することができる幽々子の能力、『死を操る程度の能力』でさえ、その永遠(たま)には(きず)をつけることができないのだ。

 永遠たる蓬莱人は幽々子にとって天敵と言える存在だ。生も死もない者が相手では、そもそも幽々子の力は通用しない。故に、幽々子は生と死を内包する生命こそを尊ぶ。特に生と死の両方を持ち、そのどちらにも固執しない半人半霊の魂を宿す者――白玉楼の庭師を務める少女を。

 

「……残念だけど、もう繋がってるみたい。貴方とは相性の悪そうな世界がね」

 

「ええ、冥界(ここ)にいても感じられるわ。不死者(・・・)特有の、いやーな匂い」

 

 幽霊が持ってきたお茶を飲み、幽々子は胸の中の微かな(わずら)いを洗い流す。季節の狂いに白く染まる冬景色、霊体の身にも堪える肌寒さには、この暖かいお茶が何よりの癒しとして幽々子の身を温もりに満たしてくれる。

 

 亡霊は幽霊とは違い一見すると生きた人間とほとんど変わらない。体温も低くはなく、生身と同様に触れることさえも可能だ。

 通常は死を自覚せず彷徨う魂が亡霊となるのだが、幽々子の場合は特例である。とある事情により閻魔(えんま)から冥界への永住を許可されており、決して輪廻を迎えることなく死後の霊たちを管理している身。

 死してから1000年以上ものあいだ亡霊を続けている彼女にとって、生と死の境界(・・・・・・)などはもはや幻想の果てに等しい世界。仮初めの夢、刹那の錯覚。変化のない冥界の風情さえ、瞬くような人生の中に必要だ。もっとも彼女の場合――それすらすでに終わっているのだが。

 

「さてと……私はそろそろ次の『楔』を招こうかしら。今度のは骨が折れそうだけど」

 

 紫は立ち上がり、少し歩いた先の空間に閉じた扇を突き立てる。まるで柔らかい肉を裂くように、何もないはずの空間に裂け目を切り拓いた。

 

「次の一人で楔は五人。(ハンド)はようやく『ストレート』ってところね」

 

 その手に再び取り出した四枚のライダーカードにはそれぞれ四人の戦士たちの仮面が描かれている。紫はそれを軽やかに弾き翻すと、それらは手品の如く瞬きまったく別の絵柄を持つカードに差し替えられていた。

 ─―白い面に装う黒と赤。聖杯に(こころに)刀剣(つるぎ)貨幣に(かがやく)棍棒(ゆうき)。四枚の札にはそれを示唆する別の絵柄があり、それぞれ2から5までの数字とそれに応じた数の紋章(スート)が刻まれている。

 

 紫はそれを一つに束ねて翻した。カードはまたしても手品の如くその絵柄を変え、一枚になったカードが示す絵柄はたった一振りの(スペード)のみ。その端では、最強を表す『(エース)』の文字が雄々しく名を示す。

 紫が最後にもう一度だけ、一枚の(カード)を占うように裏返すと──スペードのエースだったカードは、元のライダーカードに戻っていた。

 だが、それは先ほどそこにあった四枚のカードのうちのいずれでもない。これから紫が招き寄せる法則の物語。運命の一手。切り札(・・・)と成り得る(つるぎ)。銀色の仮面に赤い複眼を持ち、さながら刀剣を思わせる角を有したカブトムシの如き戦士を表すカードである。

 微かに青く輝くそのカードを持ち、紫は自ら切り開いたスキマの中へと消えていく。やがて彼女の身を飲み込んだ闇と共に、スキマも冥界の風に吹かれて滲むように消え果てた。

 

「トランプ……って言うんだったかしら? 百人一首も花札も、もちろんスペルカードバトルだって楽しいけれど……やっぱり、外の世界のカード遊びは一味違うのかしらね」

 

 湯呑みを盆に戻し、幽々子は庭の桜を見つめる。白玉楼の庭園にはたくさんの桜が咲いているが、その中にただ一つだけ、まったく花をつけていないものがあった。

 かつて優れた歌聖であった幽々子の父がその樹の下で命を絶ち、それを追うように多くの者がそこで死したことで生気を吸収し妖怪桜と成り果てた樹。生前の幽々子はその桜と呼応するように、死霊を操る能力を有していた。

 命あった頃の彼女は人を死に誘うだけのその力を呪い(いと)ったのだろう。彼女は自らの肉体をもってその妖怪桜を封印するために、父と同じく命を絶った。

 

 白玉楼庭園にて根を張る大樹――『西行妖(さいぎょうあやかし)』。その土の下に幽々子の死体が埋まっている限り、満開に至ることはなく。故にこの桜によって誰かが死に誘われてしまうこともない。

 生前の記憶を持たぬ幽々子は自ら行ったそれを覚えておらず、かつてはその封印を解くことで満開した西行妖の美しさを拝んでみたいと思ったこともあったのだが――

 幻想郷中の春を集めて桜に供給しようと試み、幻想郷の春が失われた『春雪異変(しゅんせついへん)』も博麗の巫女と普通の魔法使いによって阻止され、幽々子の封印が解ける――すなわち亡霊である現在の幽々子が消滅することは免れた。

 白玉楼に遺されていた書物の内容から、幽々子も西行妖の秘密については気づいている。何が復活するのか楽しみではあったが、それはきっと幽々子の求めるものとは違うのだ。だからせめて、桜の下に埋まった己の亡骸を保存することを死後(いま)の微かな趣味としよう。

 

 ――見えざる月を無月(むげつ)と呼ぶなら、咲かぬ桜もまた幽雅(ゆうが)(たの)しむ風情が月でも花でも弾幕でも、お団子は美味しいものね――と。

 幽々子は縁側を立ち、そこにあった団子の皿と空の湯呑みを幽霊たちに片付けさせる。

 

「切り札……ね。うちの剣士(なまくら)とどっちが切れ味が良いのか……楽しみにしておくわ」

 

 障子の戸を白い手で開きつつ、背後に見やった西行妖。枝に積もる雪は冬の景色としては真っ当なものだが、周囲に咲いた他の桜との対比を見ればかつて自らが起こした明けぬ冬の春、春雪異変を思い出してしまう。

 春という生。冬という死。はたして、狂い咲いているのはいったいどちらなのか――幽々子は冥界の庭に吹き込む(はる)の風にああ寒い寒いと(うそぶ)きながら、白玉楼の中へと戻って戸を閉めた。




秋がゲシュタルト崩壊してきた。そして秋の次はすぐにでも冬です。桜も楽しめます。

次回、第28話『紫紺の剣』
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