東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第2話 現れるもの Contact Encounter

 建物一つない荒野と化した人間の里。

 だが、それは決して怪物によって滅ぼされてしまったためではない。この里に住む一人の妖怪が幻想郷の『歴史』を喰らい、人里の存在を生物の認識から欺くことで隠しているからだ。

 過去の出来事を無かったことにし、偽りの歴史を正史だと錯覚させることで、人間の里を侵略者から守っている。

 妖怪の身にして人間を愛する彼女は、この里が蹂躙(じゅうりん)されることを許せなかった。

 

「ここを、通すわけには……!」

 

 女性は青い建物状の帽子を被り、蒼銀の長髪を揺らしながら息を切らしている。青い服と特徴的なロングスカートは彼女自身の血と土に汚れ、(かんば)しくない戦況を雄弁に物語っていた。

 半人半獣の妖怪である女性、 上白沢 慧音(かみしらさわ けいね) は歴史を司る『ワーハクタク』と呼ばれる種族の能力で里を隠し、怪物の侵攻を食い止めている。

 人間の里は物理的に消失したわけではなく、あくまで一時的な歴史の改変により生物の認識から外れているだけだ。怪物が無差別に暴れてしまえば、どれだけ歴史を変えようと人里が滅びる運命に変わりはない。

 彼女が持つ『歴史を食べる程度の能力』は、実際に起こった出来事や過去そのものを書き換えることはできないが、歴史を隠すという形で今ある現実にある程度の影響を与えられる。

 既に過去の出来事を知っており、そこに里があったという事実を知る者に対してはあまり意味がないものの、里の成り立ちを知らない若き人妖や、外の世界からの来訪者にとっては過去の改変と同等の効果を発揮するのだ。

 幸い、死傷者を出すことなく里の存在を隠せたが、彼らが帰るべきこの場所を、慧音はなんとしても守りたかった。彼女はそれを自らの責務だと考え、幻想郷の秩序を乱す者を敵視する。

 

「ギィ、ギィィ」

 

 慧音に対し、向かう怪物の数は三体。表情の伺えない不気味な姿で彼女を取り囲むベ・ジミン・バは、ミジンコのように(せわ)しなく飛び交い、慧音の首を()ねようと短剣を構えている。

 能力で隠しているとはいえ、多くの人間たちが生きる里でこの数を相手に戦うことは難しい。集中力を切らせば能力が解け、目の前の怪物は間違いなく人里に侵攻するだろう。

 スペルカードルールによる決闘なら余裕を保っていられるが、幻想郷の法に従わない者が相手ではそんな悠長なことは言っていられない。里を丸ごと対象とした大規模な術を維持しながら、命を奪い合う本気の戦闘を行うなど、争いを好まず、戦闘慣れしていない慧音にとっては容易にできることではなかった。

 まして半人半獣といえど、今の彼女は普通の人間と何も変わらない。獣人としての本来の能力、すなわち神獣『白澤(ハクタク)』としての慧音は、月に一度、満月の晩にのみ顕現(けんげん)する。今は人間としての能力を駆使し、人間並みの身体能力のままで未知の怪物と対峙している状況にあるのだ。

 

「ギィッ!」

 

「くっ……!」

 

 一瞬の思考が隙を生み、僅かに外敵への反応が鈍る。理性なき獣はそれを見逃さず、高く跳躍して慧音の首元に短剣を振り下ろした。

 判断の遅れを悔いる間もなく、空中に跳び上がったベ・ジミン・バの一撃が慧音に迫るが、その刃が彼女の身体(からだ)に突き刺さることはない。気がつけば怪物は虚空より飛来した一本の鋭い針に右肩を穿(うが)たれ、赤い血を散らせると同時に勢いを殺されて人里の地に叩き落とされていた。

 

「霊夢か! こいつらはいったい……!?」

 

「さぁね。こっちが聞きたいくらいだわ……!」

 

 里の大地に降り立った霊夢に続いて、魔理沙も箒から飛び降りた。

 怪物は己の肩に突き刺さった針を力任せに引き抜き、傷痕から血を滴らせながら霊夢たちを見据えている。

 形こそ人間に近い姿をしているものの、知性はそれほどないのか、直線的で単調な動きはあまり弾幕ごっこに興じない慧音でも簡単に避けることができた。が、やはり弾幕に慣れた霊夢や魔理沙と比べて動きが鈍いせいか、ベ・ジミン・バたちは再び慧音に狙いを絞って短剣を振り始める。

 

「この……! させるかっての!」

 

 人里を隠すことで被害の拡大を抑えている慧音が倒されることを危惧し、霊夢は袖から数本の針を取り出して慧音を狙う一体のベ・ジミン・バに向けて射出する。

 巫女の信仰心、その霊力が込められた【 パスウェイジョンニードル 】は怪物の(もも)を穿ったが、僅かに怯ませる程度の効果しかない。動きを止めることはできたものの、それ以上の深手にはならなかった。

 このショットはホーミングアミュレットとは違い、敵を追尾する性質を持っていない。魔理沙のマジックミサイルと同様、真っ直ぐにしか飛ぶことはできないが、その分、速度と威力は折り紙付きだ。霊的な意味を持つお札よりも物理的な殺傷力があるため、動物的な相手に対してはお札以上の効果を発揮することができる。

 霊夢は再び渾身の霊力を注いだ針をまとめて撃ち出し、ベ・ジミン・バを狙う。一直線に飛んだ針は怪物の腹に突き刺さり、怪物は流し込まれる膨大な力に耐え切れず、炎を上げて爆散した。

 

「これでも食らえっ!!」

 

 魔理沙は指先に魔力を溜め、一直線に放たれる光線、【 イリュージョンレーザー 】として撃ち放つ。光線は慧音を狙うもう一体のベ・ジミン・バの右腕を貫通し、その痛みに怯んだ怪物は短剣を取り落した。

 焼け焦げた腕の傷を一瞥(いちべつ)すると、武器を失った怪物は自らの牙をもって魔理沙に襲いかかる。ギラリと輝く怪物の牙は、短剣の刃にも匹敵する鋭さを見せた。

 咄嗟に魔法陣を展開し、魔理沙は怪物の牙を防ぐ。実体化した魔力で構築された即席の盾は魔理沙の身を守るが、怪物の牙は容赦なく魔法陣の輝きを削っていく。今にも砕け散りそうな頼りない障壁に隠れながら、再びイリュージョンレーザーを撃ち放つための魔力を蓄えていった。

 

「魔理沙! 後ろだ!!」

 

 十分な魔力を溜めた魔理沙に対し、慧音が告げる。少しの動揺はあったが、魔理沙は躊躇(ためら)いなく自ら張った魔力の盾を爆発させ、敵を怯ませると同時に、()ぜた魔力の風圧を受けることで前方のベ・ジミン・バと距離を取りつつ、その勢いを利用して背後のベ・ジミン・バに自身の体重を乗せた渾身のヒップアタック、【 マスィヴボディ 】の一撃を見舞った。

 間髪入れず、溜めておいた魔力を指先から解放し、高出力のイリュージョンレーザーで前方のベ・ジミン・バの心臓を貫く。全身を駆け巡る魔力に細胞を焼かれ、怯んでいたベ・ジミン・バは断末魔の叫びを上げることもできずに爆散した。

 魔理沙は一体の怪物を倒したことを確認する間もなく、一瞬だけ手元に召喚した竹箒で背後にいたベ・ジミン・バを殴り払い、軽やかに大地を蹴って再び大きく距離を取る。

 

「ギギ、ググ……」

 

「私の後ろを取ろうなんて、十年は早いぜ」

 

 ベ・ジミン・バは完全に魔理沙のみに注意を向け、怒りのままに短剣を振り上げた。感情に身を任せ、誤魔化しようのない隙を晒してしまった怪物に対し、魔理沙は小さく笑いを零す。

 スペルカードルールにおいても、ルール無用の殺し合いにおいても、最後に立っていられるのは我を忘れなかった者だけだ。怒りと焦燥から冷静さを欠いた愚かなる獣に、もはや勝利など残されてはいない。

 隙だらけのベ・ジミン・バは背後に接近していた霊夢の存在に気づけず、至近距離で射出されたパスウェイジョンニードルをまともに受ける。清雨の如く降り注ぐ信仰の針を叩き込むと、霊夢はベ・ジミン・バを蹴り飛ばす反動で爆発の範囲外へと退避した。

 

「ふぅ……これで全部ね」

 

「……すまない、助かった」

 

 霊夢たちの力がなければ怪物の侵攻を許していたかもしれない。最悪の結果を避けることができた旨を告げ、慧音は霊夢たちに感謝する。

 同時に、能力を維持しているとはいえ、自らが怪物を退けられなかったことを歯痒く感じた。里への被害を考慮せずに戦うことができたなら、あの程度の怪物に遅れは取らなかっただろう。責任感の強い彼女の性格では、そのような選択肢は有り得なかったのだ。

 

 長時間、能力を維持し続けることは慧音自身への負担が大きく、何より人里を不可視化したままでは幻想郷の妖怪、人間たちにとっても不都合が多い。怪物の脅威が去ったことを確認し、慧音は里にかけていた自らの能力を解こうとする。

 ――が、妖怪としての能力か、慧音個人の第六感か。彼女の知覚は、里へ来訪するもう一つの悪意を認識した。

 解きかけていた能力への意識を強め、里へ近づく邪悪な『何か』を警戒する。最初の怪物のときと同じく、空間ごと空気が変わるような不気味な感覚が肌に伝わってきた。

 

「いや、まだだ。まだ気を抜くな……!!」

 

 戦いはまだ終わっていない。慧音が霊夢たちにそれを告げた瞬間、一層強くなった邪悪な気配が霊夢たちの前に具現する。先ほどまでの怪物とは比べものにならない露骨で明確な悪意は、疑いようもない殺気として霊夢たちの身を貫いた。

 異形の身に纏う民族衣服めいた布は超古代の文明を感じさせ、複眼に押し潰された双眸(そうぼう)は醜く歪につり上がり、側頭部からは節足動物じみた細長い足が何本も突き出している。人の形をした蜘蛛(クモ)の怪物と形容し得るそれは、ベ・ジミン・バと同じように、灰色のオーロラから現れた。

 

 腰にはやはりベ・ジミン・バと同じ不気味なベルト状の装飾品が巻かれているが、彼らとは違い、バックル部分がくすんだ赤銅色となっている。ただ色が変わっただけだというのに、象徴的な意匠の変化は力量の差をも物語っているようだった。

 怪物はベ・ジミン・バのように忙しなく跳ね回るわけではなく、その鋭い視線で霊夢たちを見据えながら、悠然と里の大地を踏みしめる。土の地面はその重量に沈み、怪物の足跡を刻んだ。

 

 所詮(しょせん)は『ベ』か 役に立たない ザコどもが

「ショゲン パベバ ジャブビ ダダバギ ザボゾログ」

 

「……!? 言葉……?」

 

 蜘蛛に似た怪物が煩わしげに吐き捨てる。それは鳴き声と呼ぶにはあまりに複雑な音。人の言葉のようにも聞こえたが、慧音たちが聞き取れた言葉の羅列には意味を見出せない。

 だが、理解こそできないものの、言葉を話すということはある程度の文明を持っているはずだ。それは今まで動物的な鳴き声しか発していなかったベ・ジミン・バよりも遥かに高い知性を持つことの証左である。

 慧音はそのことに気づくが、仮に言葉が通じたとしても、平和的な対話など望むべくもないだろう。何せ、こちらは受動的な正当防衛とはいえ、既に相手の怪物を何体も殺しているのだ。これほど好戦的な怪物が、仲間を殺した相手の話を素直に聞いてくれるとは思えない。

 

 風が吹き抜ける静寂。一瞬の緊張を破り、先に動いたのは怪物の方だった。

 ゆっくりと歩を進めながら、蜘蛛の怪物は両の拳を握りしめる。手の甲から生えた鋭い鉤爪が一瞬で短刀を思わせる長さにまで伸びると、怪物は己が鉤爪を構えて大地を蹴った。

 跳躍した怪物はその爪を霊夢に向けて勢いよく振り下ろすが、この程度の攻撃は霊夢には当たらない。大地を砕き、土煙を巻き上げた怪物は一瞬だけその動きを鈍らせ、僅かな隙を見せた。

 

「そこっ!!」

 

 霊夢はそれを見逃さず、怪物の真横から強化されたお札の弾幕、【 博麗アミュレット 】を叩き込む。霊夢の手から離れたお札は瞬時に大型化し、怪物の身体に命中して次々と霊力を爆発させていった。

 博麗アミュレットはホーミングアミュレットに比べて射程と追尾性能が落ちるが、この距離ならば純粋に威力を上げたこちらの方が都合がいい。

 この怪物がベ・ジミン・バと同じなら、これだけのダメージで十分に倒せていただろう。必要以上の霊力を込めた弾幕をもって、確実に相手を仕留めたつもりだった。しかし、目の前の怪物は気にも留めずに手で傷を払い、石ころでも投げつけられた獣のような視線で霊夢を睨みつける。

 

「うそ、効いてないの……!?」

 

 掠り傷程度のダメージは即座に治癒し、霊夢を驚愕させた。恐るべきはその生命力か、あるいは驚異的な皮膚の強度か。ならばより強い攻撃をぶつけるまでだと判断し、霊夢は霊力を溜めながら怪物と距離を取る。

 慧音を守るように立ち回る魔理沙に目配せをすると、その意図を察してくれたのか、魔理沙は予め溜めておいた魔力で光弾を生成。放たれた【 マジックナパーム 】は霊夢に注意を向けていた怪物に炸裂し、物質化した粘液状の魔力を浴びせた。

 怪物がそれを怪訝に思う暇も与えず、魔理沙がパチンと指を鳴らす。その瞬間、付着した魔力が激しく燃え上がり、怪物の全身を魔力の炎に包み上げた。

 燃焼に酸素を必要とせず、術者の意のままに燃える魔法の炎は怪物にダメージを与え続ける。

 

「これで少しは(こた)えるだろ……!」

 

 燃え盛る炎に包まれてなお、怪物は絶命していない。魔理沙は追撃を早まり、今度は大技を決めてやろうと再び魔力を溜め始める。

 が、怪物はマジックナパームの焼夷剤(しょういざい)を呆気なく振り払うと、炎の呪縛から逃れてしまった。全身に大きな火傷こそ残っているものの、怪物にとってそれが致命的なダメージになっているようには見えない。

 魔理沙は焦って次の一撃を放とうとするが、それだけの魔力は溜まり切っておらず、ただ僅かな隙だけを晒してしまう。無防備な一瞬を見逃すことなく、怪物は口から白く光る一筋の糸を吐き出した。

 弾丸の如き速度で放たれた蜘蛛の糸は風を切り、魔理沙を目掛けて一直線に飛来する。蜘蛛の糸は魔理沙の全身を絡め取り、その身体の自由を完全に封じ込めていた。

 

「しまっ……!!」

 

「魔理沙!!」

 

 ある程度の距離が開いていたとはいえ、魔理沙は敵を目前に余計な隙を見せてしまったことを悔いる。

 かなりの強度を持つ粘着性の糸は少し身体を捻った程度では全く隙間を見せてくれず、魔法やミニ八卦炉の火で糸を焼き切れないか錯誤するが、頑丈に絡みついた糸の中では満足に手足を動かすことすらできない。

 それどころか、迂闊に動いたせいでバランスを崩して転倒し、受け身の取れない姿勢のまま地面に鼻をぶつけてしまった。意図せず溢れる涙を(こら)え、これ以上の状況の悪化を防ぐため、魔理沙は自分を心配して駆け寄る慧音と、蜘蛛の怪物を警戒し続ける霊夢に向かって叫ぶ。

 

「私のことはいい! 早くそいつを倒してくれ!!」

 

「言われなくても、そうさせてもらうわよ!」

 

 霊夢にとっても、魔理沙を救出している余裕はない。ベ・ジミン・バと比べて、明らかに怪物の判断能力や反射神経が増しているのだ。

 霊夢と慧音はクモ種怪人『ズ・グムン・バ』が再び吐き出した糸をそれぞれ左右に飛んで避ける。その一瞬で二人の動きを見定めたのか、怪物は霊夢ではなく慧音の方に蜘蛛の糸による追撃を浴びせた。

 直前の攻撃を回避して間もないため、体勢を整えられずにいたが、迫る糸をなんとか視認し、咄嗟に弾幕を展開して糸の勢いを逸らすことに成功する。

 弾道を曲げられた蜘蛛の糸は慧音の肩を掠めて飛んでいき、里の地面に力なく散らされた。

 

 狩りがいのある リントどもだな

「バシガ ギンガス ゾロザバ リント」

 

 相変わらず霊夢たちに言葉の意味は理解できないが、怪物はどこか嬉しそうな声で呟いた。

 己の爪を研ぐように撫でると、ズ・グムン・バは再び大きく跳躍する。最初の獲物と定められた目標は、蜘蛛の糸によって動きを封じられた魔理沙だった。

 

 まずは一人だ

「ラズパ パパン ビンザ」

 

 霊夢と慧音は目の前のズ・グムン・バが頭上に跳び、視界から消えたために対処が遅れ、一瞬だけその姿を見失ってしまう。魔理沙への接近を許してしまったことに気づいたのは、ズ・グムン・バが勝利を確信した後だった。

 動けない魔理沙には防御も回避もできず、ただ恐怖に目を瞑るしかない。(まぶた)の先に見えないながらも、迫り来る鉤爪に避けられぬ死を実感し、呼吸が止まる。

 ここまでか、と半ば諦めかけた魔理沙は、己の心を奮い立たせることができなかった。

 

 ――そのとき。

 

「…………?」

 

 霊夢も魔理沙も、慧音も、今まさに魔理沙に爪を突き立てようとしていたズ・グムン・バでさえも。その場にいた全員の聴覚が変化を感じ取る。

 地を這う唸り声にも、天を貫く(いなな)きにも聞こえる、激しい機械の駆動音。幻想郷には存在しないはずの双輪が、広い大地を駆け抜ける音。外の世界では『バイク』と呼ばれている機械仕掛けの鉄馬に跨る青年は、里の大地を疾走する。

 その背に快音を残し、白煙を棚引かせ、青年を乗せた『ビートチェイサー2000』が向かう先は人間の里。あの蜘蛛の怪物のもと。今は広がる無辺の荒野に、その疾走を阻むものは何もない。

 

「何の、音だ……?」

 

 未知の怪物を前にしているこの状況でも、その変化は無視するにはあまりに大きい。魔理沙は今なお動けない状況にあるにも関わらず、音の聞こえる方向に意識を向けた。

 人間の里があったはずの何もない荒野、一体の怪物と三人の少女が争うこの場に、知られざるもう一人の来訪者が現れようとしている。

 白銀のボディと青いラインを持つビートチェイサー2000は濛々(もうもう)と舞う土煙を掻き分け、霊夢たちの前に姿を見せた。

 青年は怪物の目の前でハンドルグリップを引き上げ、加速に乗せてビートチェイサーの前輪を持ち上げると、そのまま勢いよく前輪を振り下ろす。自身と車体の重量、さらにはマシンの速度を加えた前輪の一撃はズ・グムン・バの身体を踏みつけ、仰け反らせるように体勢を崩させた。

 

「グゥッ……!?」

 

 怪物が初めてくぐもった声を漏らす。この一撃によるダメージに怯んだというよりは、予期せぬ来訪者が攻撃を仕掛けてきたことに驚いているのだろう。

 この場に突如として現れた青年の姿はあまりに幻想郷らしからぬ、極めて『現実的』と言える服装だった。

 白いTシャツの胸には双角の紋章のようなものが(えが)かれ、その上から赤いチェックのシャツを羽織っている。動きやすそうな青のジーンズは幻想郷では珍しい素材だが、彼のいた場所ではどこまでも普遍的でありふれたものだ。

 青年―― 五代 雄介(ごだい ゆうすけ) はその場にバイクを停め、ゆっくりと降りると、被っていたヘルメットを外してビートチェイサーのグリップに掛ける。ズ・グムン・バの姿を見た五代は、信じられないような表情で。あるいは、酷く悲しそうな表情で。――ただ、そこに立ち尽くしていた。

 

「未確認生命体、第1号……どうして……」

 

 複雑な感情が入り混じった拳を強く握りしめる。

 ありえない。そんな思いが拭い去れない。どうしようもなく、そこに存在している現実から目を背けることができない。確かに目の前に存在しているのに、それが現実であると信じてしまいたくなかった。

 それほどまでに、怪物の存在は──否。その怪物の存在そのものではなく、今この場に『その怪物が存在している』という『事実』に、彼の心は強く揺さぶられている。

 

「おい、バカ!! 何やってんだ! 早く逃げろ!!」

 

 蜘蛛の糸に囚われた魔理沙は、自分が助けてもらうことなど考えずに、ただの人間でしかないであろうその青年を逃がそうと必死に叫ぶ。

 里の人間は今、慧音の能力によって一人残らず歴史から消えているはずだが、能力の影響から漏れた者がいたのだろうか。とにかく、ズ・グムン・バがいるこの場所に近づかれては青年を守り切ることができない。

 そんな魔理沙の願いも虚しく、五代はここから逃げようという意思を見せなかった。それどころか、少しでも早く糸の拘束から脱しようともがく魔理沙に対して腰を下ろして屈み、グッと親指を見せるポーズを取る。彼の笑顔は自信に満ちていたが、どこか寂しげな雰囲気もあった。

 

「……大丈夫。だって俺、『クウガ』だもん」

 

 五代はゆっくりと立ち上がると、足を開いて自身の(へそ)を丸く覆うように両手をかざす。

 その瞬間、彼の腰回りが一瞬歪んだようにぼやけたかと思うと、どこか有機的な素材を思わせる奇妙な『ベルト』が姿を現した。

 それは妖力の具現化やエネルギーの実体化などといった論理的な変化ではなく、腹部と衣服を物理的に突き破って現れた、としか表現できない。しかし、五代の身体に外傷と呼べるものはなく、あたかも元から身体の一部であったかのように違和感なく身に着けられている。

 

 現れたベルトは、とても万全と言える状態ではなかった。様々な紋様が刻まれた銀色の帯は、それがこの時代の物質ではないと一目で分かるほど遥か悠久の時間を感じさせる。だが、このベルトについた無数の傷は、経年劣化によるものではない。

 傷だらけのベルトの中でも特に目を引くのは、バックルの中心で鈍く輝く灰色の水晶石(クリスタル)だ。剥き出しの神経を思わせる生命力の具現は、砕けたように深い亀裂を負っていながらもこのベルト自体が生きているのではないかと錯覚させるほど強い意思の力を放っている。

 

 五代が身に着けるベルト状の装飾品。超古代の遺物、『アークル』と呼ばれるこのベルトに、ズ・グムン・バは見覚えがあった。

 忘れるものか。世界を(たが)えてなお記憶に刻まれた忌まわしき存在。かつて自身を含む同族の(ことごと)くを封印せしめた最大の仇敵、『クウガ』が持つ力。古き文明が生み出した、(さか)しき蛮勇。

 

 それはクウガのベルト……?

「ゴセパ デスドン クウガ……?」

 

 幻想郷とは異なる世界線において、未確認生命体第1号と称されたズ・グムン・バが(いぶか)しむ。この男が腰に着けているベルトは、間違いなくクウガの象徴たるアークルそのもの。

 五代の表情は魔理沙に向けられた笑顔から掛け離れた、眼前の怪物に対する強い決意の表情に変わっている。アークルに埋め込まれた霊石『アマダム』は五代の意思に呼応して彼の体内で力を高め、覚醒の時を待った。

 アマダムを中心に、五代の全身に満ちるエネルギーは徐々に確かな力へと変わっていく。全身の筋肉や体組織、あらゆる細胞や神経へと供給される霊石の力を解き放つべく、五代は右腕を自身の左正面に突き出し、力を抜いた右手の薬指と小指を少し曲げ、左手を右腰に置いた。

 

 身体の奥深くから(みなぎ)る熱。全身に伝わる戦士の鼓動。かつて宿敵に受けたアマダムの傷は未だ癒えていない。神経を断ち切るほどの激しい痛みは、今も身体の中で(くすぶ)っている。本来ならばとても戦える状態ではないが、彼の意思はその程度では揺るがない。

 痛みに震える足を奮い立たせ、歯を食いしばる。ここで膝を着けば、多くの血と涙が流れることになるだろう。

 五代は右腕を右へと滑らせ、右腰に置いていた左手を左腰に添え、拳と成した。

 

「……変身っ!!」

 

 五代は叫ぶ。己が魂に刻まれた遥かなる宿命を(ただ)すが如く。高く掲げた右腕を左腰へ引っ込め、左腰に添えられた拳という暴力を右手で優しく押さえ込む。

 霊石アマダムは応えた。その覚悟を見定め、五代雄介を再び戦士クウガとして認めたのだ。アークルの中心で輝く『モーフィンクリスタル』が朱色に染まり、力が(ほとばし)る。神経を伝い、アマダムから送られる力を全身に感じながら、振り抜いた左腕で目の前の怪物に非力な拳を叩き込んだ。

 

 衝撃。怪物の顔面を殴りつけた拳が歪む。五代の腕は黒い強化皮膚に包まれ、瞬く間に白い装甲に彩られる。それは、羽化直後の甲虫めいた頼りない白。それでも、五代にとっては怪物に(あらが)うことができる唯一の手段となる。

 さらに右拳を打ちつければ右腕が白く染まり、左脚を振り上げ、怪物の脇腹に横蹴りを見舞うと、今度は両脚が黒皮を装った。胸に両肩、腹に膝。少しづつ形成されていく黒い皮膚と白い鎧を纏いながら、五代は絶え間なく打撃を続けていく。

 最後にもう一度、怪物の顔を狙って放たれた拳は、ズ・グムン・バの片手によって容易く受け止められた。だが、その一撃を合図に、五代の全身は余すところなく異形の姿に変わり果てる。

 

「……ぐ……っ……!!」

 

 苦痛に歪む五代の顔は、もはや人間のものではなくなっていた。

 鋭く強靭な大顎に、短く伸びた金色の双角。両目は昆虫じみた一対の複眼と化し、曙光(しょこう)の如き朱色に輝いている。対峙するズ・グムン・バを蜘蛛の怪物と呼ぶなら、こちらは人の形をしたクワガタムシの怪物と形容できるだろう。

 この姿こそ、古代文明『リント』の戦士たる姿。争いを好まない民族である彼らが、暴虐の限りを尽くす戦闘民族『グロンギ』に対抗するために生み出した――戦火の象徴である。

 

「変わった……!?」

 

 目の前で一人の人間が別の姿に『変身』する様を見て、霊夢が驚愕の声を零した。驚いているのは霊夢だけではない。その場に立ち尽くす慧音も、糸に囚われ倒れ伏している魔理沙も、同じく目を見開き、異形と化した青年、白い鎧の怪物となったその姿を見る。

 人間と呼ぶにはあまりに歪で、妖怪と呼ぶにはあまりに異質すぎるその姿は、幻想郷に存在するべきものではないことは疑いようもない。

 対する怪物と同様、この白き異形の存在も、幻想郷の記録には確認されていないものだった。

 

「クウガ……!!」

 

 枯れ果てた偽りの大地で、二つの異形が相見(あいまみ)える。鋭く冴える視線は懐疑から憎悪に変わり、怪物は明確な殺意という感情をもって戦士『クウガ』を睨んだ。

 両爪は怒りに震え、もはやズ・グムン・バにとってクウガ以外の存在など眼中にない。霊夢たちを差し置いて、怪物は突然の来訪者に向き直り、(たぎ)る殺意のままにクウガに拳を振り抜いた。

 

 その隙を見て、慧音は魔理沙の全身に絡みついた蜘蛛の糸を解く。強靭な糸だったが、慧音の妖力を込めた光剣はなんとか蜘蛛の糸を切断した。自由の身を取り戻した魔理沙は慧音に感謝しながら、服についた糸を払って立ち上がり、困惑を隠せない表情で戦士の姿を目の当たりにする。

 

「どうなってんだ……!? あいつも化け物だったのか!?」

 

「……いや、違う。彼はきっと……味方だ」

 

 ズ・グムン・バがクウガに気を取られている間に、慧音たちは怪物を倒す手段を考える。

 魔理沙は怪物同士が仲違いを起こしているのだと解釈したが、慧音はそうは思っていない。もし本当に我々を欺き怪物としての本性を現したのだとすれば、魔理沙に対してあんなに優しい笑顔を向けられるはずがないと判断したのだ。

 化け物だと糾弾される苦しみを知りながらも人間を嫌うことができない慧音には、青年、クウガの姿が自分と重なって見えた。怪物に向けた己の拳をぎこちなく振りかざす姿は、暴力への躊躇(ためら)いを捨て切れていないように見える。それは慧音と同じく、争いを嫌う者の証なのかもしれない。

 

「……っ!!」

 

 五代雄介は葛藤する。終わったはずの醜き戦いに、再び足を踏み入れようとしている。

 怪物のせいで誰かが涙を流さないため。誰もが笑顔でいられるため。たとえ自分が傷ついたとしても、皆の笑顔のために戦ってきた。クウガとしての彼の戦いは、生身の少年を自らの拳で殴り殺す最悪の感触で幕を下ろしたはずだった。

 それなのに、倒したはずの未確認生命体が今度は彼が迷い込んだ最果ての郷で暴れている。因果は彼を戦いの渦、凄惨なる殺し合いの螺旋から、逃してはくれないのだろうか。

 

「はぁっ! はぁ……だあっ!!」

 

「グォ……グァア……!!」

 

 それでも、戦士は拳を振るい続ける。彼は永遠に、暴力で誰かの命を奪う感触に慣れることはないだろう。

 だが、それが見知らぬ里、見知らぬ人間だとしても、怪物に襲われている少女を見捨てる道理はない。思い出すことさえも辛く感じるこの姿になってでも、彼は見ず知らずの少女を助ける道を選んだ。――選んでしまったのだ。

 それは誰かに頼まれたわけでも、感謝や賞賛が欲しいわけでもない。ただそこにある『笑顔』を守りたいが故に。

 それは正義などとは縁のない、彼自身が戦う理由。自分にできることは限られている。ならば、今の自分がしたいこと、できる限りの無理を、全力で果たすまで。

 

 太古の意志を受け継ぎ、クウガとしての自分であり続けることが、この幻想郷に(いざな)われた五代の選択だった。

 並べる理想が綺麗事でも構わない。むしろ、綺麗事であるからこそ、それを現実に変えるべく戦うのだ。

 理想があるのなら叶えたい。希望があるのなら成し遂げたい。戦士クウガが、五代雄介がその胸に抱き続ける儚き願いは――『いつか、みんなが笑顔になれる日のために』

 

「……見てらんないわよ」

 

 苦痛と悲しみを堪えながら戦うクウガを見て、霊夢が呟く。その手には、争いを平和なものに変える法の証である『スペルカード』が握られていた。幻想郷らしい戦い方は怪物には通じない。それならば、せめて優しき法の全力を。

 戦士クウガが世界を笑顔にするのなら、クウガを笑顔にしてくれるのは、きっと、彼が信じた世界中の笑顔。それは五代雄介にとって、どこまでも広く晴れ渡る『青空』なのだろう。

 

 ――優しい戦士の戦いが、優しい世界で今、再び始まった。




スペルカード戦(物理)
グロンギの皆さん、ちゃんと弾幕ゲゲルに従ってください。

次回、EPISODE 3『戦士』
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