東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第32話 切り札は自分だけ

 冥界と顕界の狭間、幻想郷上空の雲海たる幽明結界の領域において。妖夢と剣崎はバットアンデッドとプラントアンデッドを打倒した。

 しかし、コモンブランクをもって封印しようとしたとき、彼方の空から飛来した──剣崎のものではない空白(ブランク)のラウズカードが、二体のアンデッドを封印してしまったのだ。

 

 妖夢と剣崎が見上げた空。灰色のオーロラさえ晴れた青空には春と冬の入り混じった幻想的な風が吹いている。

 幽明結界の輝きを見下ろすように、アンデッドが封印された二枚のラウズカードを手にする存在は、剣崎にとっては未知の人物。されど妖夢にとっては馴染み知った妖怪の姿だった。

 

「ふぉっふぉっふぉっ。さすがの働きじゃな。いや、期待以上じゃ」

 

 豊かな尻尾を湛えた老獪なる化け狸――二ッ岩マミゾウ。空中に座するかの如く足を組み、左手に二枚のカードを持ったまま。右手でもって、腰元の徳利(とっくり)を朗らかに仰ぐ。葉っぱを乗せた茶髪に立つ狸の耳が、マミゾウの笑いに合わせて軽やかに動いた。

 

「…………!?」

 

 剣崎が見たのは空に座す化け狸が手にした二枚のラウズカード。先ほど倒したバットアンデッドとプラントアンデッド、それぞれを封印した♦8『スコープバット』と♥7『バイオプラント』はコウモリとツタ植物の絵柄を宿している。

 もし共通用のコモンブランクで封印したのであれば、それらはスートを持たないワイルドベスタとなるはず。しかし、マミゾウの手にある二枚のラウズカードは紛れもなく♦8と♥7のスートとカテゴリーが確認できた。

 それは対象のアンデッドに対応したプロパーブランクをもって封印したプライムベスタであるということ。剣崎の手元にはスペードスートに対応したものしかないが、ダイヤとハートのスートに対応したプロパーブランクまでもが──もし仲間たちの手から失われているのだとしたら。

 

「なんであんたがそのカードを持ってるんだ? 誰なんだ……あんたいったい!!」

 

 懐に二枚のプライムベスタをしまったマミゾウに対し、剣崎はブレイドの姿のまま声を張り上げる。狸のそれと思わせる豊かな尻尾に耳。何食わぬ顔で空に浮かぶ超常の力。人ならざる妖しき気配を放つこの存在こそが妖夢の言う妖怪だろうか。

 悪意の有無までは判断できない。こちらを試すような微笑からは邪気を感じ取れないが、彼女が厳重に管理されていたはずのプロパーブランクを持っている以上、一度はすべて封印されたアンデッドを再び解放せしめた張本人、あるいはその関係者という可能性は高い。

 

「えっと……たしか佐渡(さど)の……二ッ岩マミゾウさんでしたっけ?」

 

「知り合いなのか?」

 

 緑色の血を振り払った楼観剣を鞘に収めつつ妖夢が言う。見上げる化け狸の姿は、その名と共に幻想郷において強い影響力を持つ人物と知られていた。

 かつて幻想郷に無数の小神霊――まだ生まれたばかりの小さな神霊たちが大量発生した奇妙な異変、『神霊異変』。原因こそ外の世界の古き時代に『聖徳太子』と崇められた聖人、豊聡耳神子が幻想郷に復活する予兆、そのあまりの徳の高さから本人も意図せず神霊たちが集まっていただけのものだったが――

 その復活を危惧したとある大妖怪によって、外の世界から『妖怪の切り札』が招かれた。幻想を排斥する外の世界においてなお強大な妖怪としての力を失わず、無数の狸を従える古今無双の化け狸。彼女は、かの聖人への対抗手段である。

 

 本来ならば復活した聖人、妖怪の撲滅を(うた)う豊聡耳神子への対策として外の世界の佐渡の地より呼び寄せられたはずだったのだが、当の神子は神霊異変を感知した霊夢と魔理沙によって打倒され、すでに神霊異変に関わる事象は大方終息していた後だった。

 妖夢も神霊異変の際は異変解決に赴いたためにそのことはよく知っている。マミゾウは当初の目的を果たせなかったが、すでに神子と同様に幻想郷の住人となると決め、幻想郷の理に従って生きているようだ。

 その後は宇佐見菫子の計画によって博麗大結界が破壊されかけた大異変などにも関わり、計画の阻止や菫子への報復に一役買っていたらしいが、こちらについては妖夢は詳しくない。

 

「いったいどういうつもりですか?」

 

「なんじゃ、幽々子から聞かされておらんのか?」

 

 妖夢はマミゾウにその意思を問いかける。ブレイド──剣崎も相手から悪意と呼べるものが感じられないのもあり、妖夢が楼観剣を収めたのを見て自分もブレイラウザーを左腰のホルスターに戻した。

 ブレイドと妖夢の姿を見て訝しげな表情を見せるマミゾウ。妖夢が話を理解していなかったのか、あるいは妖夢には理解できないだろうと判断して幽々子が話さなかったのか。

 

「ま、(じき)に分かるじゃろうて。そんなことより、ほれ。次が来るぞい」

 

 ふわりと幽明結界の光に降り立ったマミゾウは剣崎と妖夢の背後に視線を示す。振り返った二人の視界には先ほどと同じ灰色のオーロラが広がっていた。

 放たれる気配と剣崎だけが感知できるアンデッドの闘争心は揺るぎなくこの境界の先から。この地に出現した何体ものアンデッドと同じく、再び新たなる不死の怪物が、このオーロラの彼方から現れようとしている。

 

 波紋を広げる灰の天幕から現れたのは、やはり漆黒の怪物だった。

 だが、それは今まで現れたどのアンデッドよりも深く暗く。あるいは剣崎のライダーシステムに通ずるような鎧じみた装甲を身に纏っている。

 漆黒の強化皮膚に走る金色の傷跡。胸部の装甲は銀色の心臓を模し、万物を嚙み砕かんと備わった頭部の大顎は力強く。ハート型の赤い複眼の先には獲物を見据える自然界の捕食者が如き双眸を光らせて。

 触角や大きな複眼を備えたこの怪物はまさしく網翅上目(もうしじょうもく)、カマキリの始祖たる怪物。一万年前のバトルファイトにおいて最強の不死者(アンデッド)と称された『マンティスアンデッド』だ。

 

「…………っ!」

 

 ハートスートのカテゴリー(エース)。伝説的な強さを誇るその存在を前に、剣崎はあるべき友の姿を否が応にも思い出してしまう。

 目の前のマンティスアンデッドの腰にあるのは紛れもなく双蛇の円環を象ったアンデッドバックル。それは仮に最強と謡われたとはいえ、下級アンデッドの一体、他のアンデッドたちと変わらぬ証明と成り得るもの。

 されど友――人の心を得たジョーカーは己が能力をもって他のアンデッドと融合を果たし、その姿と力を借りて剣崎たちと共に一人の『仮面ライダー』として戦っていた。その際に融合していたのが、この漆黒の捕食者──カマキリの祖たる不死生物、マンティスアンデッドだったのだ。

 

「剣崎さん、連戦になりますが……!」

 

「あ、ああ……! 大丈夫だ、まだ戦える……!」

 

 するりと抜かれた妖夢の楼観剣――刃金の擦れる音を耳に聞き、剣崎は気を引き締める。こちらも再びブレイラウザーを引き抜いては正面に構えた。戦闘直後の疲労はあるが、不死の剣士と不生の半人、どちらも人並み以上の体力はある。

 先ほどの戦闘ではプライムベスタを使う暇がなかったのは好都合だったかもしれない。最強のカテゴリーA、マンティスアンデッドほどの個体を相手にして、APを使い果たした状態で勝てるとは思えないからだ。

 一度はサンダーディアーのカードを使っているが、ブルースペイダーに搭載されたモビルラウザーとブレイラウザーはAPを共有していない。先ほどの戦闘ではサンダースペイダーを発動してしまっているが、ブレイラウザーが有するAPは初期値の5000のまま残っている。

 

「ハートのエース……待っておったぞ」

 

 マミゾウは二人の剣士と対峙するカマキリの祖を見て静かな笑みを浮かべる。懐から取り出した一枚のプロパーブランク、淡く輝き反応するプロパーブランク♥Aに視線を落とし、それが間違いなく己が目的としていた伝説のアンデッドだと確信を強めて。

 

「…………」

 

 マンティスアンデッドは静かに息を吐き、姿勢を低くして向かう剣士たちに構える。

 その身を覆う漆黒の装甲はマンティスアンデッドの固有の能力によって形成された有機的な外殻装甲だ。他のアンデッドと変わらぬ皮革の上から追加で『カリスベイル』という鎧を纏っているため、その姿は通常の個体とは一線を画す。

 カテゴリーAが共通して持つ『チェンジ』の能力の名の通り、アンデッドの身にして仮面ライダーに変身したかの如く。正確にはアンデッドを参考にBOARDが開発したライダーシステムの方が、ジョーカーの融合能力とカテゴリーAの特殊装甲を再現しているのだが。

 

 カリスベイルの名を由来とするのか、マンティスアンデッドは一万年前のバトルファイトにおいて、他のアンデッドから『カリス』と呼ばれていた。

 屈んだ姿勢から結界を蹴り、瞬くような速度で疾走する漆黒。さながら閃くカマキリの鎌と振り上げられた右手。

 音速に達し得るとも思えたそれは春の空気を一閃し、風を切り裂いて妖夢の首へ向かった。

 

(はや)い――っ!」

 

 咄嗟に身を退いてマンティスアンデッドの手刀を回避する。首の寸前をかすめた刃の如きそれが放つ風圧、感じる真空は妖夢の肝を冷やした。

 攻撃を外した隙を見逃さず、妖夢はそのまま正面へ楼観剣を振り下ろす。されどマンティスアンデッドは即座に左腕を掲げ、落ちる刀の一撃を防いでしまう。カリスベイルの装甲に覆われた腕は楼観剣を防ぎ、火花を散らした。

 こちらも攻撃を防がれた硬直で隙を晒す。気配こそ感じることができたものの、妖夢は自身の腹に迫るマンティスアンデッドの右拳を視認した上で対処が間に合わず。

 

「がはっ……!」

 

「――そこだっ!」

 

 妖夢が殴り飛ばされたことに焦燥を覚えるものの、臆することなくブレイラウザーを振るう剣崎。拳を突き出したままのマンティスアンデッドを側面から斬りつけることで、火花と散る装甲に傷を与えることができた。

 多少怯んだ様子を見ればダメージはあるはず。カリスベイルを纏っているおかげでアンデッドとしての緑色の血が確認できず、それがどれだけの損傷になっているのか分からない。

 

「…………」

 

 マンティスアンデッドはハート型の赤い複眼で剣崎を睨み、疾風の如き速度でブレイドに対して足払いを放つ。ライダーシステムを纏った剣崎の体重は相応のもののはずだが、マンティスアンデッドの脚力はそれを物ともせず、ブレイドに変身している状態の剣崎をいとも容易く転倒させてみせた。

 倒れたブレイドの胸部装甲を踏みつけるマンティスアンデッド。並み居るアンデッドたちを封印せしめてきたブレイドでさえ赤子を相手にするかのよう。

 

 妖夢は楼観剣に霊力を込めて駆け抜け、大きな隙を見せないように肘打ちを放つ。それはアンデッドの胸部を打ちつけるが、これ自体はあくまで連撃の要となる初撃。続けて放つ蹴り上げを当て、楼観剣の柄をさらに強く握り締めて。

 いざ、袈裟懸けに斬り込もうとした瞬間に――迫る左腕。妖夢は楼観剣でその手刀を防御。

 

「ぐっ……! マミゾウさん! なぜ見てるんです! 一緒に戦ってください!」

 

(わし)にも色々あってのう……話せば少し長くなるがよいか?」

 

 悠長に背後の空に浮き座し、煙に巻くような物言いをするマミゾウを他所に。妖夢は声を震わせながら楼観剣に纏わせていた霊力を解き放ち、幻想的な剣技と成した。

 

「じゃあいいです!」

 

 薄紅色に輝く剣、光と放った斬り上げは弓張る月の如く。強く声を張り上げ、妖夢は数歩下がった位置から【 弦月斬(げんげつざん) 】の一撃を見舞い、アンデッドの胸部装甲に散る火花を見届ける。

 

「…………ッ!」

 

 妖夢の剣技は斬撃という弾幕の一種。予期せぬ距離から放たれた攻撃に怯み、マンティスアンデッドは踏みつけていた剣崎の身を解放していた。

 自由の身を取り戻した剣崎は即座にスペードの6たるプライムベスタ、ディアーサンダーをラウズし、ブレイラウザーに蒼き電撃を宿らせる。即座にブレイラウザーを突き上げるも、雷鳴は虚空を裂いて春空の彼方へ消えた。

 5000を表記していたAPは3800へ低下する。されど効果を維持したままのディアーサンダーは、今なおこのブレイラウザーに有するカテゴリー6の能力として付与されたまま。

 

「やぁぁぁあっ!」

 

 気合を込めた叫びを上げ、妖夢は前方へ駆け抜けながら薄紅色の妖気を湛えた楼観剣を横一文字に一閃。突進に斬撃の要素を加えた【 生死流転斬(しょうじるてんざん) 】を見舞い距離を詰めつつ、再び楼観剣を構え直し、翻す。

 続いて放った二連撃の斬り上げは先ほどの弦月斬と同様に、弧状に斬撃を上げマンティスアンデッドの身を裂きつつ、怯んだそれを再び斬り上げる【 天界法輪斬(てんかいほうりんざん) 】だ。

 

「…………!」

 

「っ……はぁっ……!」

 

 怒涛(どとう)めいた妖夢の攻めに押されるマンティスアンデッド。相変わらず血を流さないためダメージのほどは分からないが、渾身の霊力を込めて放ち続けた斬撃は相手に攻撃の手を許さない波状攻撃として働いている。

 だが、息づく暇もないのはこちらも同じ。体力と霊力を注ぎ込んだ刹那の連撃は瞬く間に妖夢のすべてを奪い、怪物を前にしている状況で息が切れてしまう。

 このままでは来たるマンティスアンデッドの攻撃に対処できない。先ほど受けた拳の一撃は霊力で強化した身にも響く衝撃。鈍く根幹を揺るがす痛みは、妖夢の意識を薄れさせた。

 

「――妖夢ちゃん、伏せて!」

 

 背後から聞こえた剣崎の声に振り返ることなく──妖夢は咄嗟に身を屈める。直後、妖夢の頭上には蒼白く輝く雷鳴、ディアーサンダーが走り抜けた。

 妖夢を陰としてマンティスアンデッドの視界から隠れていた剣崎。構えるブレイラウザーから放つ蒼白の雷光で、妖夢の連撃に向き合っていたマンティスアンデッドを貫いた。衝撃に光が散り、アンデッドは堪らず呻き声を上げる。

 

 動きを見せた剣崎に気づき、妖夢は地を蹴ってマンティスアンデッドから距離を取った。先ほどまでのマンティスアンデッドであればそれすら許さなかったかもしれないが、ディアーサンダーを受けて全身を電流に苛まれている状態の怪物は、離れる妖夢を気にする素振りもない。

 

「……グゥウ……!」

 

 白い煙を上げるマンティスアンデッドを前に、剣崎はオープントレイを展開。開いた扇状のケースから迷わず二枚のカードを抜き取り、自らの手で封印したプライムベスタ──♠5『キックローカスト』と♠6『サンダーディアー』のカードへ微かに視線を落としながら。

 

『キック』

 

『サンダー』

 

 二枚のラウズカードを続けてラウズ。ブレイラウザーの溝に走らせるカードには、それぞれイナゴの祖たるローカストアンデッドとヘラジカの祖たるディアーアンデッド。二体のアンデッドの力を感じ、カードは青き光となりてブレイドの装甲へ。

 ラウズカードの中の絵柄が、封印する前のアンデッドの姿を映し出す。高く跳躍するイナゴの始祖と、蒼白い電撃を放つヘラジカの始祖。カードはそれぞれの動きを忙しなく再現する。

 

『ライトニングブラスト』

 

 この身に満ちるイナゴとヘラジカ。スペードの5とスペードの6。ブレイラウザーから響く無機質な電子音声は、単なるラウズのコールに非ず。定められた複数のラウズカードを読み込ませることで発動する『コンボ』の掲示。

 これまで多くのアンデッドを撃破し封印してきたブレイドのカードコンボは、カテゴリー6たるディアーアンデッドの電撃の属性を宿した、まさしく落雷の如き衝撃を起こすもの。

 

「はぁぁぁあっ……うぇいっ!」

 

 剣崎は刃を下にしたままのブレイラウザーを高く掲げ、気合を込めて大地へ突き刺す。光を帯びた幽明結界の領域に、ブレイラウザーは雄々しく突き立てられた。

 この身に(みなぎ)る覚悟と勇気。たとえ嵐が吹き荒れようとも、恐れずそこへ飛び込んでいく。躊躇(ためら)う瞬間、きっとその闇はこの身を飲み込むだろう。故に――何も迷わずに。

 

「はっ! ……うぇぁぁぁあいっ!!」

 

 ローカストアンデッドの力を借りた跳躍力で高く跳ぶ。すでに電撃を受けて身体を硬直させているマンティスアンデッドに目掛け、ブレイドはディアーアンデッドの力を借りた蒼白の雷光を身に纏う。

 そして蹴り放つ、イナゴとヘラジカ双方の力を束ねた【 ライトニングブラスト 】の一撃は、強靭なる脚力と轟雷鳴り響く紫電の閃光をもって──剣崎一真の揺るぎなき意志のままに。

 

「グゥ…………ォォオッ!!」

 

 突き立てたブレイラウザーを背後に置き去り、雷光と翔け抜けたブレイドの飛び蹴り。マンティスアンデッドの胸を蹴り穿ち、電撃はカリスベイルを貫通して流し込まれ、キックの衝撃と合わせて不死なるアンデッドの身体には甚大なダメージが届いた。

 (ほとばし)る電光と溢れる力がマンティスアンデッドとその周囲を爆発させる。不死の身そのものこそ砕けまいが、爆ぜ散るエネルギーは幽明結界の光の中でなお鮮烈に。その爆炎は地上からでも観測できるほどだっただろう。

 

 鈍く黒煙を昇らせる胸を押さえ、マンティスアンデッドはふらつきながら後ずさる。膝を着いて肩を揺らすその姿は、血を流さずとも誤魔化しようのない傷を負っている証拠だ。

 

「……くっ……まだ戦うつもりなのか……」

 

 さすがに最強のアンデッドと呼ばれるだけの存在。今ある手札では最大威力を誇るライトニングブラストの一撃を受けてなお、相当の深手を負わせはしたものの、アンデッドバックルの展開には至らない。

 ブレイラウザーのAPはまだ残っている。息を整えた妖夢もマンティスアンデッドへの追撃を行うだけの余力を取り戻したようだ。

 不死身の再生能力を持つアンデッド、目の前の怪物が再び万全の力を取り戻す前に、剣崎は背後の光に突き立てたブレイラウザーを取り戻そうと焦ってしまう。目の前の相手がかつての友と同じ姿をしていたからだろうか。咄嗟に背後の剣に手を伸ばし――思わず怪物に背を向けて。

 

 ――甘い!

「――Iama!」

 

 瞬間、膝を着いていたマンティスアンデッドが鎌の如き手刀を振りかざす。引き裂かれた空気が突風の層を作り出し、ブレイラウザーごと剣崎を吹き飛ばした。

 

「ぐっ……うわぁぁああっ!!」

 

「剣崎さんっ!!」

 

 幽明結界の領域は無限に広がっているわけではない。突風に吹き飛ばされた剣崎は、結界の外にまで追いやられてしまう。

 油断していたわけではないが、踏み止まることができなかった。飛行能力を持たない剣崎ではリリーホワイトのようにはいかないだろう。いくら不死身の肉体を有するとはいえ、目線の高さに雲が浮かぶこの場所から自由落下すればどうなるのか。できれば想像さえしたくはない。

 

 妖夢は慌てて落下した剣崎を追って光の足場を飛び立つ。ふわりと地を蹴り、楼観剣を鞘に収め、怪物に背を向けて幽明結界の場を後にした。

 マンティスアンデッドは不用意に隙を晒した妖夢に追撃を仕掛けようとするが――

 

「…………ッ」

 

 背後に感じた絶対的な気配に足を止める。疑いようもなくその身を貫く原初の本能。最強と呼ばれたハートのカテゴリーAには、恐れるものなど存在しない。

 ただ一つ、すべてのアンデッドにとって『終焉』足り得る『切り札』を除いては。

 

「ふむ、まだ調整が必要じゃが……ひとまずはこれでいいじゃろう」

 

 振り返ったマンティスアンデッドが見たのは、眼鏡の奥の双眸に妖しげな光を湛えた化け狸、二ッ岩マミゾウの姿。されど、その身には幻想郷に在り得べからざるもの――異形の『ベルト』が備わっていた。

 腰に走る銀色には深い緑に染まった心臓めいた意匠。中心に溝を持ったそれは、この幻想郷においては剣崎一真だけが有しているはずの――『ジョーカーラウザー』だった。

 

 ……バカな……なぜ貴様が……

「……Agamasik ezan……Anakab……」

 

 切り札たる象徴は腰に装うジョーカーラウザーだけではある。しかし、マンティスアンデッドはかつての戦いを思い出し、目の前の化け狸に本能的な恐怖心を覚えざるを得なかった。

 

「ジョーカーの細胞と(わし)の幻術――これで実験は成功というわけじゃ」

 

 マミゾウはジョーカーラウザーを優しく撫で、視線を上げてマンティスアンデッドを見る。

 先ほどの戦闘で剣崎一真が流した緑色の血液を採取し、二人が戦っている隙にそれを解析していた。マミゾウは自らの幻術と剣崎一真の血を組み合わせることで、疑似的ながらジョーカーとしての力を再現したのだ。

 ただ化けただけでは力の本質を模倣できない。本当の意味でジョーカーの力を再現するには、紛れもなくジョーカーそのものである剣崎一真の細胞が必要だった。

 

 無論、それはこの身にアンデッドの──ジョーカーの細胞を取り込むということ。如何に幻想の排斥を乗り越えた大妖怪といえど、生物としてはあまりにイレギュラーなその力に馴染めず、マミゾウは細めた目の中に老獪な笑みを浮かべつつも、額に滲んだ汗を拭う余裕もない。

 

 マンティスアンデッドが感じる気配は第二のジョーカーである剣崎のそれではなく。有史以前からこの星のバトルファイトを活性化させる舞台装置として生きてきた、正真正銘の『最初のジョーカー』に近い原始的なもの。

 純粋な妖怪であるマミゾウは人間の遺伝子を持たぬがゆえ、そちらの方に波長が近かったのだろうか。剣崎一真のように根底に人間としての情報を宿すジョーカーとはまた異なった気配。

 

 忌まわしきその力……ここで封印する!

「Urus Niuuf Edokok……Arakihc Onos Ikihsawami!」

 

「おっと……っ……血気盛んじゃな……! お互いそろそろ無理はできんじゃろ……!」

 

 疑いようのない傷を負ったマンティスアンデッドは古代語で言うや否や、鎌と振り乱した手刀をかざしてマミゾウの首を狙う。全身の細胞が、妖怪としての自分自身が不死の法則に飲まれそうな錯覚を覚える中、マミゾウは逼迫(ひっぱく)しながらもその攻撃を凌いでいた。

 

「…………っ!」

 

 不意に掠めた一撃がマミゾウの頬に傷をつける。ほんの少しずれていたら、マンティスアンデッドの手刀はマミゾウの首を斬り落としていたかもしれない。馴染まぬジョーカーの力に身体を苛まれ、動きが鈍っているが、それは先の戦闘で消耗した相手も同じ。互いに少し気を抜けば勝機を失うということを、本能から理解している。

 さらりと零れる化け狸の血。頬を伝うそれを拭い、マミゾウは己が右手に付いた『赤』を見た。この身に宿すジョーカーの力の片鱗、幻術をもって再現したジョーカーラウザーの本質とは異なる血液の色。

 

 二ッ岩マミゾウは人間ではない。しかし、外の世界の人間社会において共に生き、ブレイドの世界とは異なる紡ぎ、人類の祖先がヒューマンアンデッドであるという事実が存在しない並行世界の地球で。彼女は長らく『人間』の姿に化けながら、幻想なき現代の世を生きてきた。

 生き方は大きく異なれど、それはまるで友によって救われ──人間として生きることを許された、かつてのジョーカーの如く。

 人間の中で生きてきた者にだけ宿る人間の心。この血の赤は狸としての、妖怪としての肉体を証明するものだが、同じく地球に生きる人間の血の色と共通した、限りある命の証。

 

「……『本当に強いのは人の想い』……じゃったな……」

 

 内なるジョーカーの力が伝える意識、剣崎一真ではない本来のジョーカーの意思が、自分の心に何かを告げた気がした。

 向かうマミゾウの気配が一層強まったことに気がついたマンティスアンデッドが地を蹴って距離を取る。ジョーカーの波長がさらに強まり、マンティスアンデッドはマミゾウの姿に重なる緑と黒のジョーカーを、あるいはヒューマンアンデッドの幻影を垣間見た。

 

 両手を正面で組み合わせ、立てた中指と人差し指。解き放った妖力はマミゾウの周囲に無数の葉っぱを散らし、一斉に煙に包まれたそれらは瞬く間にヒトの形を取った。蒼く輝く妖力の光弾は無数の人型に――霊長の象徴を掲げるものとして。

 

「その言葉にしばし付き合ってやるぞい……! 壱番勝負(いちばんしょうぶ)霊長化弾幕変化(れいちょうかだんまくへんげ)!!」

 

 ジョーカーの語る人間の強さを乗せて。いざ尋常に、マミゾウはその札の名を叫ぶ。発動されたスペルカード【 壱番勝負「霊長化弾幕変化」 】は蒼く力強く、勇猛なる魂の色の如くマンティスアンデッドに襲いかかっていった。

 蒼き光弾、小さな人の形をしたそれらが放つ弾幕に怪物が呻く。同時に、マミゾウが腰に装うジョーカーラウザーに『人の強さ』と呼べるような赤い光が満ちていく。

 アンデッドの血の色を思わせる緑色の心臓を模していたそれは──マミゾウの放った弾幕、人間の強さに呼応するように。緑色の心臓は、優しく力強い真紅の心臓へと染まっていく。

 

「グゥ……! ォォオ……ッ!」

 

「……! 今じゃ!!」

 

 マンティスアンデッドのバックルが開き、そこに『♥A』の刻印が現れたのを見逃さず、マミゾウは懐から一枚のカードを放った。

 胸にも装うカリスベイル、その中心に突き刺さり、ハートスートのカテゴリーAに対応するプロパーブランク♥Aは、対象となるマンティスアンデッドを封印した。手元に飛び戻ってきたそれを掴み取り、薄紅色のハートの中でカマキリが鎌を広げる絵柄に視線を落とす。

 

 プライムベスタの名は『チェンジマンティス』。マミゾウはそれを懐へしまい、今度は自らが腰に装ったベルト──ジョーカーラウザーだった(・・・)それを見た。

 緑色の心臓は真紅の心臓に変わっている。右腰に備わっていたラウズカードのホルダー『ラウズバンク』も中心にも黄色いハートの意匠が象られ、禍々しい雰囲気を放っていたジョーカーラウザーは印象を変えていた。

 心臓の意匠の周囲を走っていた鈍色は美しい金色に。宿すアンデッドの血ではなく、人間としての、この星に生きる生物としての赤い血を示す『カリスラウザー』に。マンティスアンデッドの呼び名を掲げるそれは、ジョーカーがカテゴリーAとの融合を前提に書き換えた力だった。

 

(わし)だって、仮にも切り札(・・・)と呼ばれたんじゃ。……期待には応えてやらんとな」

 

 世界に対する『統制者』の切り札、ジョーカーの力を宿して。かつての神霊異変において妖怪の切り札と招かれたマミゾウは、この幻想郷におけるたった一枚の切り札に。いつか、どこかの未来に、悲しみが終わる場所を目指せるなら。

 心に剣、輝く勇気。奇跡と纏う切り札は自分だけ。もし剣崎一真が──54番目の存在である第二のジョーカーが幻想郷から消え去ったとしても。その法則は、マミゾウの手に残るのだ――

 

◆     ◆     ◆

 

 秋めく紅葉、妖怪の山。その麓、間欠泉地下センター入り口付近に噴き上がる灼熱の泉は大地を硫黄(いおう)の煙で満たし、地底世界の旧地獄から溢れた地霊の残滓を湛えている。

 溢れる妖気と地霊によって変質してしまったのか、あるいは臭気を放つ硫化水素の影響か。この山に住む仙人――茨木華扇が立てた『キケン! 有毒ガス充満につき死にたい奴だけ近寄ってよし』の立て札は朽ち果てていた。

 

 間欠泉は地熱由来の天然温泉を地表にもたらす。されど発生するガスは人体に悪影響を及ぼし、旧地獄に封じられた怨霊たちは取り憑いた妖怪の精神をまったく別のものに変えてしまう。加えて、怨霊は内なる欲望から様々な金属を生み出すのだ。

 富への欲望からは金が。生きたいという欲望からは水銀が。そして、人を殺したいという欲望からは砒素(ひそ)が。

 かつては霊夢や魔理沙もその欲望に魅入られ、河童を利用して金を採掘しに来たことがあった。華扇の言葉で怨霊の欲望から溶け出す金属には水銀や砒素という猛毒の物質も含まれていると知り、それらを恐れて手を引いたのだが。

 華扇が危険の立て札を設けたのは硫化水素に関してでもある。が、実際に漂っている有毒ガスの濃度はさほどのものではない。真に危険なのは、人間も妖怪も問わず精神に悪影響を与え、存在を狂わせる怨霊。華扇はそれを危惧し、誰も近づけないようにしたかったのだが――

 

「ブレイドの世界の楔も組み込めた……か。今のところはまだ順調と考えていいのかな」

 

 死なない人間なんていない。だからこれは近寄っていいという立て札だ。そう解釈した霊夢の言葉を思い出し、華扇は朽ち果てた警告の立て札を見下ろす。

 霊夢の言葉通り、死なない人間なんていない。それが普通だ。幻想郷でさえ蓬莱人という存在は異質なもの。月の都における永遠の法則を体現してしまった彼女らはもはや、人間どころか生物の領域さえ超えている。

 八雲紫が招いた『ブレイドの世界』の楔、剣崎一真も同様に――不死の法則を身に宿す。永遠に生き続ける呪われた運命を背負う彼に、もはや生死の概念はなくなっている。

 

「気掛かりなのは世界の接続……この程度なら修正は効くけど……」

 

 ざわめく不安を胸に、華扇は空を見上げた。間欠泉がもたらした温泉の湯気、その煙が覆う空は白く虚ろに地霊の影を映し出す。

 アンデッドの存在も不可解なもの。グロンギやアンノウンは倒された怪人が時空のズレで復活した可能性もあるが、アンデッドに関してはラウズカードから解放されない限り同種の個体が現れることはない。

 あるいはマミゾウの言った通り、具現化された同一存在が矛盾回避のために統合されたのだろうか。紫の言葉を借りるなら『同名の同一ファイルを同じフォルダにコピーした』ような状態。具現化されたコピーとオリジナルの情報がまったく同じで、後に追加されたコピーの側にオリジナルの情報が統合、同一存在と定義されたのだとしたら。

 ラウズカードから封印を解くことなくアンデッドが存在し、かつすべてのカードがプロパーブランクと化した理由にも納得がいく。

 しかし、本当にそんなことが可能なのか。できたとして、いったい誰が何の目的で。

 

「貴方はどう思う?」

 

 間欠泉地下センター入り口付近、濛々(もうもう)と立ち込める白い霧。失われた古の妖気を感じるそれに、華扇は問う。

 白い霧は天然温泉の湯気と袂を分かち、やがて一ヶ所に(あつ)まり小さな背丈の少女の形となっていく。幻想郷から失われ、忘れ去られた太古の妖気。それらを湛えた霧が密となると、そこには一糸纏わぬ姿で温泉に浸かる――幼げながらも剛健なる一人の少女がいた。

 

 絢爛(けんらん)たる橙色の長髪は天蓋(てんがい)に映る月が如し。そこから突き伸びる(ふた)つの角は力強く、彼女が遥か古の幻想郷に名を響かせた『鬼』であることを証明してくれる。

 頬に差す赤色は人智を超えた酒気に。温泉に浸かりながら鬼の秘宝たる酒器、『伊吹瓢(いぶきひょう)』と呼ばれる紫色の瓢箪(ひょうたん)を傾け。杯に注ぐこともなくそこから流れる酒を仰ぎ()み下した。

 

(あいつ)の計画は小難しくてよくわかんないけどさ。せっかくの春が台無しにされるのはねぇ」

 

 萃まる夢、幻、そして百鬼夜行。一度は幻想郷の地を離れた鬼たち。されど彼女だけは幻想郷を忘れられず――幻想郷に忘れられてなおこの地を愛した。

 少女の名は 伊吹 萃香(いぶき すいか) 。かつての華扇――『茨木童子』と同様、千年前の妖怪の山を支配していた『山の四天王』の一人である。

 鬼の肝臓は人間、ひいては酒豪とされる天狗のそれとも比較にならない。温泉に浸かったままの状態であるというのに、伊吹瓢に満ちていた酒はあっと言う間になくなってしまった様子。滴る酒の雫を舌に、萃香(すいか)は口惜しそうに眉を歪め、伊吹瓢の中身を覗き込む。

 

「こんなんじゃ花見もできないよ。また幻想郷のみんなを(あつ)めて宴会させようかな」

 

 両手首に巻きついた枷とそこに繋がる鎖を鳴らし、空っぽになった伊吹瓢を揺らす萃香。中身は底を突いてしまったため、水音の響きはない。

 しかし、たった今なくなったはずの中身はすぐに伊吹瓢に重みをもたらし、ちゃぷちゃぷとした水音を取り戻した。続けて揺らせばとぷんとぷんと重みを増し、萃香の手には充分に満たされた酒瓢箪が蘇る。

 温泉のお湯が入ってしまったわけではない。伊吹の名を持つ鬼の秘宝、伊吹瓢には無尽蔵に酒を湧き出させるという特性があるのだ。

 内側に施された『酒虫(しゅちゅう)』という精霊の分泌液が消えない限り、この伊吹瓢に酒が尽きることはない。と言っても、転倒防止のため一度に出る酒の量は伊吹瓢の体積までなのだが。

 

「貴方はいつだって呑んでるじゃないの」

 

 華扇は溜息を吐きつつ、呆れた様子で萃香を見下ろす。同じく山の四天王だった身もあって萃香のことは昔から知っているが、彼女が素面だった姿など数百年以上前の記憶。常に酔夢を想う姿こそ、鬼の本懐なのか。

 瞬間、萃香の姿は再び白い霧と散った。彼女が持つ『密と疎を操る程度の能力』は自らの存在、さらにはあらゆる物質や事象の『密度』を操ることができる。

 

 それは凝集と散逸、集合と散開。物の集まりという概念を自在に変え、人妖の精神さえも萃めて散らす能力。

 自らの密度を疎と散らして。萃香は分子の一つ一つが妖力の塊たる『霧』として幻想郷に散っていた。故に、幻想郷全域を活動場所とする彼女に決まった住居はない。あるいは、結界に覆われた幻想郷という秘境そのものが、密であり疎でもある伊吹萃香の居場所なのかもしれない。

 

「酒気帯び運転(ライダー)ね。外の世界じゃ罪に問われるわ」

 

「そっちこそ、そのうち鬼の『酒気(シュキ)』を帯びることになるんでしょ?」

 

 妖気を放つ霧は再び萃香の姿に戻る。今度は温泉の中ではなく、華扇の隣に立つように。身体を再構築する際に妖気で具現化された袖のない衣服は白く、膝下まで届くロングスカートは白く波を走らせた紫色のもの。

 両手首と腰の枷に繋がる鎖の先には三つの分銅を結び──頭と胸には赤く大きなリボンを、左の角には紫色のリボンを結んでいた。

 

 幻想的に赤らんだ萃香の頬。されどその視線は夢幻を貫く鬼の威光。吐き出す息こそ酒色の呼気なれば、萃香は華扇に告げられた言葉を皮肉げに笑って受け流す。

 嫌なこと言うわね――と。華扇は萃香に眉をひそめた。袂を分かった鬼の力、茨木童子としての右腕は今も華扇の屋敷に封じてある。されど、この懐に眠る鬼の力は自ら宿したものとは異なるもの。いずれ纏う朱色(あけいろ)の鬼は、あるべき己を見失い、外道に堕ちた『悪鬼』の象徴だ。

 

「……次に招く楔は今までより幻想郷(こっち)に馴染みやすいかもね。相変わらず、世界自体の法則はもう繋がってるみたいだけど」

 

 視線の先、華扇が見上げた空の中には白い湯気。流れ込む異界の法則は鬼としての生来の感覚でもって本能的に理解できてしまうもの。大自然の妖気が虚ろと歪み、醜く歪んだ『妖怪』のありえた可能性。

 大自然の力が醜く歪み捻じ曲げられた怪異、さしずめそれは魔と化した(すだま)。幻想郷の妖怪たちに余計な影響などを及ぼさなければいいのだが――

 

 仙人として賢者として、何より『鬼』としての仕事を果たすべく、華扇は動く。八雲紫が導く第六の楔の繋がりを強固にするため、ふわりと地を蹴って。白い湯気と地霊の残滓が漂う間欠泉地下センター入り口付近、通称『地獄谷』と称される地を飛び去っていった。

 

「それにしても、人でもあり鬼でもある奴がいるなんて……大した世界があったもんだぁね」

 

 萃香は今一度伊吹瓢に口をつける。酒虫の体液が生み出した鬼の酒。酒気の度数こそ人間の酒を遥かに超えた豪酒だが、酒虫本体を伴わない伊吹瓢では酒の質がやや落ちる。瓢箪に施された分泌液によって生成されているため、その味は大したものではない。

 無限に酒が湧く鬼の秘宝、萃香の伊吹瓢。いつでも酒が飲めるという利点こそあれば、多少酒の質が低かろうとも、酒器としての価値は落ちず。

 しかし、それでもやはり──たまには、天下一品の銘酒を味わいたい気分にもなる。

 

「そいつがもし本当に、我々と並ぶほどの存在なら……あいつ(・・・)の血が騒ぎそうだ」

 

 かつて幻想郷には多くの鬼がいた。鬼たちは人を(さら)い、人々は鬼を討つ。人と妖怪の循環は古くは鬼と共に。されど鬼の圧倒的な力を前に、人はいつしか正面から戦うことを忘れ、策を弄して鬼たちを葬っていった。

 鬼は狡猾な者、姑息な者、卑怯な者――そして何より『嘘』を嫌う。鬼たちは人から誇りと勇気が失われたことを嘆き、地上を去り、遥か遠くの『鬼の国』へと移り住んだ。

 

 長らく幻想郷から鬼がいなくなったことで、人々は鬼の存在を忘れてしまっていた。鬼退治の方法さえ忘れ去られ、幻想郷から失われた鬼の力は忘却の果て。

 それでも萃香だけは人を見捨てられず、幻想郷に戻って来ていた。自身の能力で己を霧と散らし、幻想郷中に広がることで宴会を見守っていた。

 鬼である自分が宴会に加われば、また恐怖されてしまう。拒絶されてしまう。鬼と人間の恐怖の循環は人々が手放した関係。萃香はそれを心の底で恐れ、幻想郷の宴会を遠くから眺めることしかできなかった。

 

 そして、いつかの春。かつて西行寺幽々子が西行妖の解放のために、幻想郷中の春を集めた春雪異変により、春が失われ冬が続いたとき。幻想郷の桜は咲いた端から瞬く間に散り、あっという間に春は終わってしまい、宴会もほとんど開催されることもなく、暑い暑い夏の到来を見ることとなった。

 こんなに悔しい年もない――と。萃香は己が能力をもって幻想郷の人妖の想いを(あつ)め、宴会に次ぐ宴会を催させる『三日置きの百鬼夜行』なる異変を起こす。願わくば、もう一度。鬼と人の信頼を、勝負と恐怖の循環を取り戻せれば――

 

 萃香の望みは叶うことはなかった。されど、宴に漂う霧を怪しんだ霊夢たちが萃香の存在を突き止め。紫の手引きによって萃香は幻想郷の人妖から洗礼を受けた。

 幻想郷の鬼退治。失われた真剣勝負ではなくスペルカードルールによる人と鬼の決闘。こうして萃香も幻想郷の一部と認められ、幻想郷に鬼を呼び戻すことこそできずとも、伊吹萃香という鬼はここに揺るぎなく。

 もはや姿を消す必要もない。幻想郷の住人として、萃香は受け入れられた。かつてのような関係こそもはや幻想の果ての記憶なれど、『すべてを受け入れる幻想郷』の想いのままに。

 

 伊吹萃香は異変を起こし、誰に負けることなく弾幕勝負を制したはず。それでも人を攫うことをせず、鬼の時代を取り戻すことができなかった理由は──

 幻想郷と共にすべてを受け入れる要として在る、博麗霊夢の力によるものであったのだ。




2021.04.03
『仮面ライダー』、50周年おめでとうございます!
昭和、平成、令和と続く仮面ライダーシリーズそのものの50周年でもありますね。

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