東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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 私、水橋パルスィは、幻想郷で起きた異変に関わる不思議な男の人、ヒビキさんと出会った。
 ちょっと見た感じはとぼけたヒビキさん。でも、そのヒビキさんは私たちの目の前で、紫の炎に包まれながら姿を変えて、土蜘蛛みたいな気配を持つ二体の化け物と戦った――


第35話 見えぬ悪意

 荒涼とした奈落の大地――その深淵に、闇に溶け込む『黒』が一つ。降り注ぐ石桜と細雪の美しさを拒むように、黒衣を纏った無機質な人影はこの幻想の中でひどく浮いている。

 その身を覆う黒は肌の一切を覆い隠しており、深く被った帽子と顔を染める黒布は人影の目元を残しすべてを闇に包んでいた。

 

 それは影。右手に掲げた落ち着いた金色の錫杖に設けられたいくつもの計器をもって、影はこの地の気温と湿度を、あるいは満ちる妖気の濃度を計測している。

 地獄の深道にて土塊の骸と散った童子と姫の残滓と呼べる微かな邪気は、この錫杖の中に再び吸収された。吸い出された邪気はどこか実験器具めいた小瓶に宿り、漆黒の人影がその瓶を黒く染まった手袋を装う手でもって抜き取ると、影はそれをおもむろに自らの懐へと忍び込ませる。

 

「…………」

 

 ただ黒の隙間から目元だけを見せる姿。伺えるそれは極めて小さなものだが、虚ろに闇を見上げる痩せこけた頬と高い背丈は、ツチグモの童子によく似ているようだった。

 闇を見上げた影――童子と姫を『生み出した』存在。だが、この黒もまた『クグツ』と呼ばれる人形に過ぎず。彼らクグツを作りて童子と姫や魔化魍を操る悪意によって動かされるだけのまさしく傀儡(かいらい)。操り人形たる骸。

 大いなる自然の一部を使い、故意に邪気を込めて歪める悪意の指先――クグツは破壊されてしまった童子と姫が遺した彼らの『子』を、空なき幻想の闇にて想う。

 そこには、旧地獄の闇空を鈍く切り裂く灰色の極光、オーロラと呼べる幕壁が現れた。

 

「グォォォォオオオオッ……!!」

 

 (おぼろ)に浮かび上がる禍々しい大蜘蛛の化生は、この地の妖気を喰らった獣。本来あるべき京の都の伝承に依らぬ、南の島にて生まれた異端の個体と同じ力。

 虎縞模様を装う蜘蛛はやはり虎が如き牙を剥き──恨めしく咆哮する。従来ならば現れるはずのない場所、鹿児島県南西部の島にて生み出されたそれは『屋久島(やくしま)のツチグモ』と称され、かつて鬼に浄化されていた。

 されどクグツは親たる悪意が得たとある法則を手繰り、ここにまったく同じ怪異を従えた。この地の妖気を喰らいさらなる力を得た魔化魍、それらを用いて世界を歪めて弄ぶ。

 

「…………」

 

 金色の錫杖に備わった計器が示すは以前よりも高く強大な値。気温や湿度、その場の妖気に頼ることなく『過去』から作られた魔化魍。

 新たに生み出されたのではなく、ただクグツと同じ法則を持つ『世界』の記憶を引き摺り上げ、言わば清められた邪気をそのまま復活させ具現した──失われし妖気の亡霊と呼べる怪異。

 彼らクグツにも彼らを生み出した悪意たちにもそんな技術はない。それらは異界における殺戮の民族や獣の君主、鏡像の怪物や灰の使徒、不死の始祖と同様に『十番目の世界』が誇る叡智によって世界の記憶より生じた骸だ。

 倒された怪物を倒された後の存在のまま世界そのものの記憶から再現――具現化する。そんなことを可能とするのは、『九つの世界』のすべての記憶を備えた夢の揺り籠だけである。

 

 クグツは、無機質ながらもどこか寂しそうに、揺らめくオーロラの彼方へと消えていった。

 

◆     ◆     ◆

 

 忘れられた雪の都、旧都。地殻の下に栄える楽園に太陽の光が差すことはないが、豊かに活気づいた喧騒は昼と夜とで異なった顔を見せる。

 絶えず提灯と石灯籠(いしとうろう)が不変の輝きをもたらしていようと、今は地上は朝。地底では認識しづらい夜という時間が終わったことを、旧都の街並みはその喧騒の彩りをもって教えてくれた。

 

 闇を染める白は二度目の四季異変に際してこの旧地獄に舞った雪。かつての間欠泉異変と同様に煌く幻想、されどそこには本来同居するべきではない石桜の輝きがある。春と冬が入り混じる境界は、()しもの怪力乱神でさえ見るのは四季異変以来だった。

 

 この地に招かれたヒビキは、勇儀とパルスィに魔化魍についてを語り。おそらくは八雲紫が用意したであろう彼の私物――と言っても生活に困らぬだけの十分な衣服の替えだけではあったが、その新しい服に袖を通している。

 勇儀とは別の住居を持つパルスィは今はここにはいない。彼女は橋姫として旧地獄の橋の近くにいる自分にこだわり、地獄の深道に近い旧地獄街道に住居を持つようだ。

 

 旧都の中でもそれなりの大きさに目立つ勇儀の家、ヒビキは与えられた空き部屋にて朝を迎えた。されど、日差しと呼べるものがこの地の底に差し込んでくることは決してない。

 

「…………」

 

 受け継がれてきた鬼の証。ヒビキの手に鈍く輝く変身音叉・音角は鬼へ至るための波動をもたらす引き金に過ぎない。鬼の力の本質は、深き山にて(こも)り鍛えた勇士にこそ辿り着くことができる大いなる自然の代弁者たる心と身体。

 鍛えの足らぬ未熟者がこの音叉の調べを受けたところで、その身に余る波動に打たれるだけ。よほどの鍛え方をしていない限り、音角をもって鬼の姿に燃ゆることはない。

 

 鬼になる。それは、変身できるようになるということではなく。己の中に絶えず湧き上がる恐れと戦うことだと──ヒビキは二人の弟子に語った。

 何度も転んで傷つくことがあっても。(あざ)を作って打ちひしがれたとしても。身体の鍛え方が足りなかったとき、せめて心だけは強く鍛えて。自分自身に、負けてしまわぬように──

 

 音角をしまい、ヒビキは身体を慣らす。慣れない旧地獄の環境だが成すべきことを終え、勇儀の導きに従って朝食を取り、彼女に先日説明した魔化魍の話に続き、今度はヒビキ自身のことをある程度、説明する。

 簡単に話せば『鍛えて鍛えて鍛え抜いた戦士』――それが鬼。心も身体も自然と共に、炎と風と雷と共に。音を伝える響きとなりて、歪みし万象を奏で清めたらん者。

 ただ鍛えただけでは足りず。ただ強くあるだけでは不足。己が道を正しく清め、揺るがぬ鬼道に輝き燃える。故に、鬼は鬼であってはいけない。憎しみを心に燃やし響いてはならぬのだ。

 

猛士(たけし)……って言ったね。あんたみたいな鬼が他にもいるたぁ、驚きだね」

 

 勇儀は座卓に向かい合うヒビキの話を聞いて遠き酔夢の彼方を想う。鬼の国へと去ってしまった仲間たち。地上の空に霧と散る親友の伊吹萃香。そして、しばらく会っていないが、山の四天王に連なる勇儀自身と萃香を除く二人。

 彼らと共に強き人間たちと拳を交え杯を交えていた頃は日々が輝きに満ちていた。今は人も鬼もその繋がりを失い、もはや愛しき(たけなわ)は遥か幻想の果て。

 

 強き人の心。強き鬼の力。目の前のそれはそのどちらをも響き備えた猛き炎。加えて地上にて始まる未知の異変――祭りの象徴たる異界の外来人ともなれば、勇儀の興味は伊吹瓢より零れる酒の如く、尽きることなく湧きては絶えず溢れ出る。

 地の底、無間の日々に光を求めず。それでも腐らぬ勇儀の心に火を灯し。一度は拳を交えたこの男と杯を交えてみたいと想うも、ここには人の肝が耐え得るような酒など一滴もない。

 

「……それで、魔化魍とやらの居場所は分かってるのかな?」

 

 勇儀は真剣な表情で向かい合うヒビキに問う。童子と姫は向こうから現れたが、肝心の魔化魍の方は夜が明けても姿を見せなかった。この地底に満ちる妖気の中、慣れない異質な妖気が漂っているのは感じられるが、萃香のそれを思わせるような散り散りの妖気は深い霧めいており掴みどころがないのだ。

 奇妙だったのは童子と姫についても同様。ヒビキと出会った直後、まるで無から生じたかのように突如として異質な妖気を感じたかと思うと──すぐに目の前に現れた。

 

 一切の気配を完全に断てるのならわざわざ気配を剥く必要はないはずだ。それなのに姿を見せてからというもの、気配を隠す素振りはなかった。勇儀は、それらが気配を消して隠れていたのではなく。その瞬間にその場に現れた(・・・・・・・・・・・・)としか認識できなかった。

 地上に聞く噂において別の世界との繋がりがあるのだとしたら、あの暗闇の中で童子たちが現れた際、何らかの結界を超えて並行世界から出現した──勇儀の推測はその可能性を見ている。

 

「それなら心配いらないよ。俺には、頼れる仲間たちがいるからな」

 

 おもむろに立ち上がったヒビキを見上げ、勇儀は彼が叩いた左腰の円盤に注目する。重なり揺れる三枚の銀色には幾何学的な模様が刻まれており、煌びやかに光を反射していた。

 

「なんだい、そりゃ?」

 

「まぁ、見てな」

 

 自信を見せるヒビキの様子を訝しむ。歩み勇儀の家を出る彼についていき、二人の鬼は活気に満ちた旧都の軒並みに顔を出した。

 ベルトの左側に結びつけられた三枚の円盤を取り外し、ヒビキはそこに視線を落とす。それぞれ三枚の面が視界に映るように片手で広げ、空いた右手をもって右腰に備えた変身音叉・音角を取り外した。

 変身の際と同じように右手を振るって音叉を開く。金色の鬼面が顔を出すと同時、展開された鬼の角――銀色の双角が勇ましく突き伸ばされたのを確認し、ヒビキはそれで円盤を叩いた。

 キーン、キーン、キーン──と。三枚の円盤それぞれを一つずつ打ち鳴らし、清らかな音を聞く。すると、銀色だったそれらは赤く、青く、緑色に、色彩の波紋を広げていった。

 

「ピィィーイイッ!」「バウッ、バゥウウッ!」「ウォウッ、ウォオウッ!」

 

 赤く染まった円盤は刃の如き翼を広げ、鷹を思わせる鳥の形に。青く染まった円盤は四肢を地に立たせ、狼のような獣の形に。そして緑色に染まった円盤は大きな腕を振り上げ、さながら猿にも似た出で立ちで己の胸を打ち鳴らしてみせた。

 猛士が開発したサポートメカ。戦国時代より続く『音式神(おんしきがみ)』と呼ばれた陰陽道の使者を、現代の技術をもって再現した機械仕掛けの獣。科学と呪術を組み合わせ、鷹や狼といった動物の霊魂を宿すことで自立させる。

 それらは現代において『ディスクアニマル』と称され、童子や姫、魔化魍の情報を集める道具として、あるいは鬼たちの修行や戦闘のお供として、猛士の活動に貢献してくれているのだ。

 

「今はお前たちが頼りだ。魔化魍の気配を探ってくれるか?」

 

 ヒビキは自前のディスクアニマルたちに指示を出す。本来ならば魔化魍の大まかな場所は猛士の一員やサポーター、その他の人員がこれまでの出現記録などから導き出し、ある程度の予測を立てた上でディスクアニマルにも協力してもらうのだが――

 一年前のオロチ現象の兆候があった時期のようにこれまで通りとはいきそうにない。こんな地の底の洞窟に、ツチグモの童子と姫――すなわち魔化魍『ツチグモ』を育成する存在が現れているからだ。

 ツチグモの育成環境はおよそ気温15度、湿度70%ほどの気候。通常通りならそうあるべきだが、かつての異常事態においても、今においても。魔化魍の出現条件と合致しない。

 

 幻想郷なる未知の場所に迷い込んでしまっている現状、猛士の人員からのバックアップを受けることもできないだろう。荷物には着替えしかなく、ディスクアニマルの持ち合わせも今は緊急用に常備しているこの三枚分だけ。

 赤い鷹に似た『茜鷹(アカネタカ)』、青い狼のような『瑠璃狼(ルリオオカミ)』、緑色の猿を模した『緑大猿(リョクオオザル)』。ヒビキの言葉に小さく鳴いて了承しつつ、彼らは石桜の輝きに光を反射しながら軒並みを抜けていく。

 

「それじゃ、頼んだぜ」

 

 鮮やかな色合いの三色が飛んでいくのを見て、旧都の妖怪たちが驚くが、風のように空を翔け、軽やかに地を走るそれらは瞬く間に旧都を飛び出して魔化魍の気配を探りに行った。ヒビキはそんな彼らにシュッと顔の前を切る動きを見せ、笑顔で出撃を見届ける。

 

「動物霊の式神ってとこかい。旧地獄って言っても、畜生界(ちくしょうかい)とは無縁なんだけどねぇ」

 

 勇儀は銀色の円盤が鳥獣の形に開いたことには驚いたものの、その役割が初歩的な式神のそれであったことのギャップに愛らしさを覚えた。

 小さく苦笑し、ヒビキと共に(ひと)混みの中を器用に抜けていった彼らを見届けると、勇儀はその彼方に馴染み深い妖気を見る。

 見紛うはずもない。この旧都においてここまで純粋な嫉妬の波動を抱く者は多くなく。勇儀の広い人脈の中においても彼女にとって親しい友人と言える──水橋パルスィの姿だ。

 

「さっき派手な色合いの小さいのが飛んでいったけど……あなたの?」

 

「ディスクアニマルって言ってな。そうだな……まぁ、式神っちゃ式神みたいなもんかな」

 

 パルスィの問いに対し、勇儀の言葉を借りて説明するヒビキ。もはや闇の先へと見えなくなった彼らの気配はどこか伝統的なもののようでもあるのに、やはり外の世界特有の機械仕掛けの技術も感じさせる。その不思議な違和感は、これまでの外来品ともまた違っていた。

 

 生粋の現代人であるヒビキは戦国時代から受け継がれる音式神の術式――すなわち陰陽道に連なる呪術の類に秀でているわけではない。さらに言えば、現代の世では当たり前に普及している機械にさえ疎いのだ。

 自前のバイクや自動車どころか、携帯電話の一つさえ持ち合わせぬヒビキはディスクアニマルといった機械仕掛けの式神を構築する知識もない。それでも、長年付き添った仲間と言える彼ら。猛士の一員と言ってもいいディスクアニマルは彼の手に馴染んでいる。

 古くは平安の世、陰陽師によって組まれた式神は音の波長による呪術をもって火や紙などを操る秘術であった。それが長い年月をかけてより洗練されていき、戦国時代には構造こそ違うがすでに今のディスクアニマル──円盤の姿で眠る動物たちと同型の音式神があったらしい。

 

 多くのディスクアニマルは奈良県吉野郡にある猛士の本部で作られる。ヒビキが魔化魍退治の任において用いる移動用のバイク、サポーター用の自動車と同様、そのディスクアニマルも猛士本部からの支給品として関東支部で運用されているもの。

 新装備の設計や関東支部での調整などはヒビキの幼馴染である女性が行っており、猛士の一員である彼女の手に依る。ヒビキも変身道具や装備のメンテナンスなどで長く世話になっていた。

 

「あの小さい奴らが魔化魍の気配を探し出してくれるってさ」

 

「ふうん。役に立つといいけど……」

 

 勇儀はお手並み拝見といった様子で小さな期待を込める。パルスィの目から見ても、ディスクアニマルと称された式神(デバイス)は微かな妖気しか帯びぬ機械(からくり)の産物に見えた。古来から受け継がれたと言っても、それはあくまで手法と技術のみ。実際に戦国時代の鬼たちが使っていたものをそのまま利用しているわけではない。

 だが、現代の科学技術は古代の陰陽術に比肩するほど優れているものだ。幻想郷に、まして旧地獄に住む妖怪はあまりその恩恵を受けることがないものの、猛士が受け継いだ戦国の技術を再現した人類の叡智は、鍛え抜かれた鬼たちほどではないが、猛士の立派な戦力である。

 

 鬼について。魔化魍について。少ない言葉で勇儀とパルスィは情報を理解し合った。ヒビキから聞いた話は勇儀からパルスィにも伝わっている。

 猛士の関東支部に属する鬼は現在、十人。ヒビキを含めた彼ら鬼たちはそれぞれシフト表を組んで魔化魍の討伐に当たり、担当でない者は心身が衰えぬように鍛えておく。オロチ現象に際してはそれすら間に合わないほどに多忙を極めた一年間だったが、今ではヒビキ一人が抜けたところでさほど大した影響はない程度には落ち着いてきていた──はずだった。

 気掛かりなのは地獄の深道に現れたツチグモの童子と姫。猛士の記録にない性質と、屋久島で出会った個体に似た色合いから察するに、おそらくは彼らの子たるツチグモも。ヒビキの懸念には、童子たちを生み出す悪意の手か――あるいはオロチの再来という最悪の予想があったのだ。

 

「…………」

 

 戦国時代にその名を掲げ、この世のすべてを喰らい尽くすと伝わる災禍、オロチ現象。もし再びそれが起これば、どれだけの人間が犠牲になるのだろう。

 ヒビキの仲間である他の鬼たち、猛士に所属する戦士たちは幻想郷(ここ)には招かれていない。猛士のサポートも受けられない状況で、たった一人、自分の身体一つでオロチを浄化し鎮めることなど、本当にできるだろうか。

 一度オロチの脅威を目にしたヒビキはその恐ろしさを知っている。清めの儀式を行う際に現れた魔化魍の数は、十や二十を優に超え、百や千に至らんばかりの怪の群れ。

 

 仲間と弟子と守るべき人と。それらが語る明日を想えばこそ、命懸けで儀式を終えることはできたが、再びあの戦いに赴いたとして無事に生きて帰って来られる保障などはなく、あのときの勝利も半ばは奇跡と言っても過言ではない。

 加えて言えば、オロチの浄化には鬼の響きを重ねるに適した土地が必要になる。魔化魍の脅威が初めて確認されたと思われるこの異界の地に都合よくそれがあるとも思えない。この奇妙な胸騒ぎが気のせいであることを願いつつ、ヒビキはいずれ帰りを待つ仲間たちの記憶に祈った。

 

「さて、これからどうしたもんか……っと、うん?」

 

 深く思考するヒビキの右腰が馴染みある振動を受け止める。右腰に収めた変身音叉・音角が小刻みに示す響きは、ヒビキには共感し得ぬ携帯電話のバイブレーションにも似ていた。ヒビキがおもむろにそれを取り出すと、旧都の遥けき闇から先ほどの煌きが舞い戻ってくる。

 

「ピィィッ! ピィィッ! ピィィッ! ピィィイイーーイイッ!」

 

 甲高い鳴き声を上げつつ飛ぶ茜色の鷹に、強く唸りながら地を走る瑠璃色の狼。それらに続いて拳で駆け戻る緑色の大猿たちに、ヒビキは低く視線を落として訝しんだ。

 

「なんだお前ら、もう戻ってきたのか?」

 

 変身音叉が伝えるディスクアニマルの帰還の知らせはヒビキも馴染み知った機能である。しかし、今回は妙に早い。

 地殻の下の洞窟とはいえ、この旧地獄は地上に等しい広さが体感できる。満ちる妖気が肌に伝える感覚、虚ろな果てしなさはヒビキにもこの地獄の広大さを理解させた──にも関わらず。ディスクアニマルたちはなおも忙しなくヒビキの周囲を回って己の鳴き声で(まく)し立ててくる。

 

「ずいぶんと早かったじゃない。まさか、もう見つけたの?」

 

 訝しげに茜鷹たちを見るパルスィの傍らでヒビキが音角を開く。チャキンと鳴った金属音を合図として、茜鷹はしなやかに羽を畳み銀色の円盤――ディスクの姿へと戻った。茜鷹のディスクは慣性の法則に従ってヒビキの左手に収まり、それを音角へ。

 音角の柄底に設けられた接続部に茜鷹の中央に空いた穴を合わせ、ディスクを嵌める。左手でもって音角を再び閉じると、鬼面が掲げる銀の双角がディスクの面に微かに触れた。そのまま円の(ふち)に指をかけ、勢いよく回転させる。

 ディスクの面を音角で読み取ってはヒビキ自身の思考へと伝達する。鬼が習得する基本的な能力として、ディスクアニマルが記録した情報は五感を伝う波長となりて鬼の思考へと響くのだ。

 

「……当たりだな」

 

 どこへともなく視線を向けて、音角が奏でる音に集中していたヒビキが口を開く。間違いない。茜鷹が聞いた音、感じた気配はすべてヒビキの思考へ送られている。そこに紛れもない怪異――この旧地獄にて歪み変じた魔化魍『ツチグモ』の脅威を確認することができた。

 

「なるほど、どうりで早かったわけだ」

 

 茜鷹が察知した魔化魍はこの先――旧都の入り口である旧地獄街道に。つい先日も勇儀たちと歩いたそこに現れたのであれば、ディスクアニマルたちの帰りが早いのも納得がいく。

 だが、安心してもいられない。童子と姫を相手取った地獄の深道には剥き出しの岩肌と大橋ぐらいしかなかったが、旧地獄街道には地底の妖怪たちが構えた賑やかな軒並みが揃っている。旧都の一部と言えるその地の妖怪が勇儀やパルスィほどの者ばかりならいいが、妖怪といえど無力な子供もいるかもしれない。

 これまでは関東地方全域を活動範囲としていたため、この場所から旧地獄街道へは相対的に極めて近くに感じられるものの、ここへ来るまではそれなりに歩いたと記憶している。猛士のデータベースによる出現地点の予測と先回りが出来ていない以上、対応は遅れざるを得なかった。

 

「お疲れさん。しばらく休んでてくれ」

 

 音角からディスクのままの茜鷹を外しながら、それをベルトの左側に戻して言う。眼下の瑠璃狼と緑大猿にもそれが伝わったようで、二匹は軽やかな跳躍を見せると同時、茜鷹と同様に色を失った銀色の円盤の姿に戻ってヒビキの左手へ。そのまま彼の左腰へと収められる。

 

 ヒビキの視線は微かな咆哮を響かせる闇色の果てに。意識を集中させてようやく感じられる程度だったそれは、悪意を増して妖気をさらに高めている様子。

 地底に満ちる妖気を喰らったか、あるいは──

 静かな瞳に小さく宿す闘志。清らかなれど紅蓮と滾るその炎に、勇儀は紛れもない害悪の存在を確信した。

 橋姫という種族柄、悪意に近い波動を感じやすいパルスィもその不気味な妖気を掴んでいる。旧都の妖気を伝う歪んだ気配が嫌われ者の妖怪たちの肌に悪寒を走らせ、その感覚で見えざる彼方の怪物を認識したか、あるいはそれを目にしたのか、妖怪たちは表情を変えた。

 

 旧都の雰囲気が一変する。魔化魍が放つ妖気は幻想郷には馴染まぬ異質なもの。旧地獄の悪意に慣れ親しんだ妖怪たちでさえ戸惑い、旧地獄街道にてその姿を見た者の一部は慌てて旧都まで走ってくる。その騒ぎは、妖気と共に『怪物』の出現を何よりも証明しているように思えた。

 

「どうやら、あまり悠長にしてられる状況じゃなさそうだ」

 

「こんなに近くに出るなんて……ちょっと厄介ね」

 

 勇儀とパルスィは魔化魍と呼ばれる怪異、響鬼の世界の法則に依る怪物の姿を知っているわけではない。だが、この肌を伝う妖気は先日地獄の深道にて戦った童子と姫にも似ている――否、それ以上に強く醜く乱れ歪んだおびただしきもの。

 ここまで歪な妖気は幻想郷でも旧地獄でも他に類を見ない。自然らしさを残すそれは童子たちのものより幾許かは妖怪らしくあるが、その『質』自体が外の世界の自然。

 幻想郷の自然ですらない。木々や風の如く感じられる息吹に込められた呪詛、幻想などあるはずのない常識の世界、そこからもたらされた異界の怪異がこの旧都の近くにて渇き呻いている。

 

「…………」

 

 鬼となって走るべきか。生身で走り向かうよりは各段に早く着くだろう。しかし、わざわざ万全の体力を移動で消耗してしまっては、この未知の領域に現れた魔化魍ツチグモ、恐らくはさらなる力を備えているだろうそれに対してどれだけ戦えるか。

 思考は一瞬。ヒビキは己が横目を走り去る妖精や妖怪たち、鬼ほどの力を有さぬ無力な存在が彼方の気配に怯え逃げ去る様を見る。

 

 童子たちは勇儀とパルスィを見て魔化魍への餌と認識していた。ヒビキの推測通り、純粋な人間の少ないこの旧地獄において奴らが求める血肉は妖怪の持つ力。荒れ狂う厄災を前に何もできずに怯えるのは、ヒビキたちが守ってきた人間も、未知の妖怪も差異はない。

 猛士、そして鬼――それは古来より妖どもの悪意から人を守ってきた者たちの集い。されど同じく魔化魍の牙に怯える命があるのなら、妖怪であろうが人と変わらず。ヒビキの中にそれほど深い思考は元よりなく、ただ内なる炎が響くままに。人妖(ひと)助けのために――音角を握りしめた。

 

「ん?」

 

 ――その瞬間。妖気の満ちるこの旧都の中において。ヒビキはそれを塗り潰すほどの『鬼』の妖気を己の背後に感じ取る。

 勇儀もパルスィも等しく感じたその気配。咄嗟に背後を振り返ったヒビキの視界には、勇儀と同格と呼べるほどの妖気を帯びた白い霧――その中に鎮座する紫色のバイク(・・・・・・)があった。

 

「これって……外の世界の乗り物?」

 

 変身した状態の響鬼に通ずる紫色の光沢を放つ大型のアメリカンバイク。それはやはり幻想郷にあるべきものではないが、ふわりと晴れた白い霧が持つ妖気はこの旧地獄では馴染み深いと言える失われた鬼の力。

 パルスィの疑問はそれが外の世界の空気を帯びていたことにある。勇儀もそれを疑問に思っているようだが、彼女が感じた妖気が自分のよく知る『友』のそれであったことの方が気になる。

 

「こいつは……俺のバイクだな。なんでこんなところに……?」

 

 最も強い疑問を抱いていたのは他ならないヒビキだった。彼が目にしたバイクは、彼が猛士本部からの装備として支給されたもの。魔化魍討伐のシフト表に左右されず、柔軟な出動を目的とする『特別遊撃班』に任命されたヒビキのために用意された専用の機体だ。

 低めの車高に重厚な機関、紺碧に染め上げられたボディに走る銀色のパーツ。その身に刻まれた猛士の紋章は、それまでは大型二輪免許さえ持っていなかったヒビキが自慢とする相棒――猛士の備品である『凱火(がいか)』と称された炎の如き騎馬(バイク)の証。

 それそのものは力強いエンジンを持つ通常のバイクに過ぎない。国内で入手することは極めて難しい機体であれど、鬼の力を秘めることなく人のための乗り物として生み出されたはず。

 

 だが、ヒビキは──見慣れたはずのそれに、宿るはずのない清らかな鬼の力を見た気がした。

 

「……考えてる時間はないか」

 

 旧都の騒ぎはすでに大きく広がっている。魔化魍の持つ特殊な性質(・・・・・)は、この地に住む妖怪、ひいては幻想的な意味を持つ『鬼』でさえ手を焼くことだろう。

 勇儀の家に用意された自身の服。そして長距離移動手段を望んでいたところに都合よく現れた凱火。そのどちらもが自分を導いているような気がして尽きぬ疑問に頭の中を支配されるが、無辜の命の嘆きが響く炎となりて思考を燃やした。

 

 一度、己の心を静かに清め。揺らめく炎を打ち正す。刀剣を鍛えるが如く心を叩き、右手に持った音角を手首の振るいで再び開く。

 冴える双角、輝く鬼面。左手の指先で軽やかにそれを叩き、耳と魂に鬼の波動を聞いて。

 

「たぁっ!!」

 

 額に浮かぶ鬼面と、ヒビキの全身に燃え上がる清く妖しき紫色の炎。振り上げた右腕で炎を振り払い、そこには一人の鬼――またしても衣服を燃やし散らした『響鬼』が立つ。

 

「それじゃ、行ってきます! シュッ!」

 

 鈍く輝く紫色の肉体のままの姿。同じく紫色に煌く凱火に跨り、双角掲げる響鬼としての強靭な頭そのものをヘルメット代わりの兜として。背後に振り返りつつ──霧から現れた凱火に困惑する勇儀とパルスィに向け、己が眼前を右手で払う仕草を見せた。

 眠れる獅子を呼び覚ます。猛る炎が凱火に宿る。唸るエンジン音を聞き、ヒビキはそのアクセルを引き絞った。

 

 ――凱火、走る紺碧。その輝きが向かう先は旧都の入り口、旧地獄街道。いつもの感覚で走らせたつもりだったが、機体にどこか鬼の力が感じられたのは気のせいではなかったのか。普段以上の馬力と速度がヒビキを襲い、少し狼狽える。

 だが、好都合だ。旧都の真ん中を走り抜ける凱火に妖怪たちは驚き闇色の空へ飛ぶが、このバイクはかつてヒビキが乗っていたものと同じでありながら大きく違う。単なる特別遊撃班の移動用という範疇を超え、その性能は『鬼』が操るに相応しい怪物じみたものとなっている。

 もし仮に停車に失敗してしまっても、今の凱火ならばそう簡単には廃車(おしゃか)にならぬだろう。

 

「勇儀、私たちも向かうわよ」

 

「あ、ああ。そうさせてもらおうかね」

 

 想像以上の速度を見せた凱火に驚きながらも、パルスィは冷静に言う。答えた勇儀は、凱火をもたらした霧に馴染みある妖気を感じて思考を奪われていた。

 千年前に失われたはずの鬼の力。妖怪の山の力の頂点として君臨していた四天王、その一人である『彼女』の力――密を疎と散らしてもたらされたそれが、同じ山の四天王である勇儀には考えるまでもなく理解できる。

 おそらくは八雲紫が用意したであろうヒビキの衣服に加え、この場に霧と現れた騎馬(バイク)の存在。疑う余地もなく、幻想郷の賢者たちはあの男――ヒビキを何らかの要としている。

 

 地上にて噂される怪物どもの存在が魔化魍だけに限らないのなら、きっと繋がる世界さえも一つではないはずだ。旧都からでは距離があり正確に掴むことはできなかったが、地霊殿の方に見られた奇妙な気配も――今、彼方の闇から感じられる妖気とは異なっていた。

 地霊殿に現れたとされる怪物は魔化魍ではない。魔化魍ではない怪物が幻想郷に現れているのなら、その世界に対応する外来人も存在するのではないか――

 

 勇儀は己が邸宅の瓦屋根を一度振り返り、淡く抱いた想いを胸に、少し笑みを零す。

 旧都の入り口方向、旧地獄街道から感じられる不気味な気配、咆哮と共にさらなる濃さを滲ませてきた魔化魍の妖気を手繰り、パルスィと共に旧都の天蓋(そら)を舞い飛びながらその場を去った。

 

◆    ◆    ◆

 

 旧都の妖怪たちは漂う未知の妖気と鬼と化した人間らしき者に関して喧騒する。ある者は家屋の中へと隠れ、ある者は彼らの向かった旧地獄街道に興味を示し。この場において最も強い妖気を宿す勇儀の家の上に、視線を向ける者は誰もいない。

 失われた古の妖気は白い霧と(あつ)まり、瓦屋根の上に萃夢の鬼――伊吹萃香の存在を象る。鬼ほどの絶大な妖気であれ、霧と散らして内に潜めば同じ鬼にさえ気取られはしないのだ。

 

「……この私が飛車(サポーター)扱いたぁね。やれやれ、王将(けんじゃ)様はお忙しいこって」

 

 勇儀の家の屋根の上、古びた瓦屋根にて胡坐(あぐら)を掻きながら、萃香はざわめく旧都の街並みを見下ろす。自ら表立てない退屈さを噛み潰し、顔を曇らせて。

 賢者という存在は自ら表に立つことなく次の一手を思考する隠者たちばかり。紫の指示でヒビキのバイク、凱火をここに用意し、他の戦士の愛機(・・・・・・・)と並んで走ることがあっても劣ることのないよう鬼の力を込めたが――

 古代文明の戦士のために作られた、人には過ぎた性能のもの。神の力を受けて変質した超常的な龍の如きもの。あるいは鏡の世界を行き来する次元跳躍機能を備えたものに、紅き血と共に鉄人となるもの、不死なる記憶を覚醒させるものもある。

 本来は人々の世界において市販されていただけの極めて一般的なバイクに鬼の力を宿したものの、何れも化け物揃いのマシンに並ぶほどの性能をもたらせているかどうか分からない。

 

 そこへ、萃香の隣に羽ばたき寄り添う見えざる何かが一匹。それは微かな気配として萃香に己の存在を知覚させながら、次の瞬間には不可視であったその姿を現した。

 鮮やかな浅葱(あさぎ)色の(わし)を模したディスクアニマルの姿。茜鷹に似ているが、色の他に嘴などの細部が異なったそれは、自身を構成する円盤に光学迷彩の機能を設け姿を消すことを可能とした新型の音式神である。

 猛士関東支部の開発部、ヒビキの幼馴染たる女性が設計・考案した『浅葱鷲(アサギワシ)』――とその透明化機能。響鬼の世界の理に依るそれらディスクアニマルも、凱火やヒビキの衣服と同様に今回の計画のために賢者たちによって用意されたもの。

 茜鷹や瑠璃狼、緑大猿といった初期型のディスクアニマルにも光学迷彩の機能は追加で設けられたのだが、その先駆けとなったのが新型として開発されたこの浅葱鷲であった。

 

 萃香は控えめに羽ばたく浅葱鷲の嘴を軽くつついて小さく笑う。視界の端ににょろりと伸びた細長い金属を見ると、今度はその笑みを苦いものに変えて屋根の隙間からそれを摘まみ上げた。

 

「お前はまたそんなとこに入って……壊れても知らないよ?」

 

 瓦と瓦の隙間に挟まっていた鈍色(にびいろ)の蛇。コブラめいた腹の広がりを物ともせず、するりと姿を埋めていたディスクアニマルは水中での動作を可能とした『鈍色蛇(ニビイロヘビ)』という特殊な機体だ。河童の道具もかくやという防水性は元より、水圧を裂くような遊泳速度は水辺にて成長する魔化魍の探索に役立ってくれる。

 ディスクアニマルとしての機能か、込められた蛇の魂の本能によるものか、命令を実行していない際は目を離すとすぐ狭いところに入り込みたがる性質があるようだ。

 

 萃香は尻尾を摘まんだ鈍色蛇をそっと目の前の瓦屋根に降ろし、続いて遠方から伝わるまた別の音式神の気配を見る。旧都に並び立つ家屋の屋根から屋根へと器用に跳び移り、最後に大きく放った跳躍をもって萃香の正面に着地した橙色(だいだいいろ)の輝き。

 黄色く赤くその身を染める獅子の音式神は『黄赤獅子(キアカシシ)』と呼ばれ、瑠璃狼と同型の四足獣として活躍する次世代のディスクアニマル。鮮やかなその色合いは瑠璃狼よりも目立ってしまうが、透明化の機能は彼らにもある。

 萃香は自ら放った三つのディスクアニマルがすべて戻ったことを確認すると、指をパチンと鳴らしてそれらを再びディスクの姿に戻した。浅葱鷲、鈍色蛇、黄赤獅子は鮮やかな色だったその身を無骨な銀色に落とし、皆一様に円盤となりて萃香の手へと軽やかに受け止められる。

 

 三枚のディスクアニマルを腰に装った帯の左側へと結びつけ、萃香はおもむろに立ち上がり、腰の円盤が擦り奏でる音を耳に聞く。

 鷲と蛇と獅子の魂がそれぞれ込められた式神も、起動時以外は眠りについている。今はその見た目通り、精密な情報機器を畳んだ銀色の円盤――記録媒体となるただのディスクでしかない。

 

「華扇は上手くやってくれてるかなぁ。……ああ、今はたしか『茨華仙』だったっけね」

 

 瓦屋根に立ち大きく身体を伸ばす。両手首と腰に結ばれた三つの鎖、それらの先に結ばれた三つの分銅を揺らし。

 ディスクアニマルとは反対側――腰帯の右側に備わった金属製の小さな笛。片手で吹き鳴らすためのホイッスルじみたそれも、畳まれた状態で分銅と同様に微かな音を立てながら揺れた。

 

◆     ◆     ◆

 

 薄紫色に淡く染まる天蓋の下、旧都の大通りから離れた旧地獄街道は、都ほどの賑やかさはないもののある程度の軒並みが揃っている。

 そこにオーロラと共に現れた巨大な蜘蛛の化生――漆黒の身体に虎縞模様の毛皮を備えた魔化魍ツチグモ、中でも特異な『屋久島のツチグモ』と呼ばれた個体が吠え立てる。

 

 咆哮と震えた地底の妖気、それが異質なものであることは怪物と相対する数人の鬼たちにも肌で理解できた。彼らはそれぞれ己が力に覚えのある若き鬼たちだが、ツチグモの奇妙な性質に対応できていない様子。見知った土蜘蛛の妖気とは掛け離れた姿に、困惑の色を隠せていない。

 

「っだぁっ!!」

 

 光ある旧都の街並みを突き抜けて、(はし)る凱火から飛び出す紫紺。響鬼の肉体は強靭な脚力でもってバイクを立ち、ブレーキもかけぬままに勢いのまま飛び蹴りを見舞う。

 屋久島のツチグモの鼻面に渾身の【 猛士式鬼蹴(たけししきおにげり) 】を叩き込むと、予期せぬ一撃に怯んだ怪物が少し後退。続いて乗り捨てられた凱火が蜘蛛の脚を一つ打ちつけ──微かに体勢を崩させた。

 

「おうおう、やってるねえ。私も仲間に入れてくれよ」

 

 地の底に滾る力の象徴――勇儀の声。この場に現れた鬼と鬼、方や異質な妖気を湛えた見慣れぬそれと、この奈落の底、旧地獄に生きる者なら誰もが響く名として知る元『山の四天王』の一人。ツチグモと対峙していた鬼たちはその気配と声に気づき、安心したような顔を見せる。

 

「っと、勇儀の姐御! このバケモンはいったいなんなんだ!?」

 

「いくらぶちのめしてもビクともしねえ、まるで雲でも殴ってるみてえだ……!」

 

 鬼たちの焦りはツチグモの妖気、その異質極まる存在の力そのものに対して。鬼の拳は鍛えの足らぬ未熟者のそれであっても他の妖怪を超える純粋な打撃となるが、あくまでそれは純粋な打撃の域を出ていなかった。

 魔化魍とは自然の力が歪み変じて具現化した精霊の一種。人々の恐れによって生まれた妖怪というよりは、幻想郷においてはどちらかと言えば妖精に近いと言える存在。

 

 故に、その性質は自然そのものである妖精の如く。どれだけの拳を叩き込み撃破しても、遅くとも数日後には再生を果たしている妖精と同様、魔化魍を完全に滅ぼすことはできない。自然が歪んだままである限り、消滅の兆しを見せることはない。

 ツチグモもその例に漏れず、ここに歪んだ妖気が残り続ける限り――単純な通常攻撃をもって撃滅することは叶わず。ただ力だけが足りたところで、自然の歪みまでは拭い去れないのだ。

 

「蜘蛛だけにか? そいつは傑作だねぇ」

 

「笑ってる場合じゃないでしょ! こいつ、童子たちよりさらに異質な妖気だわ……!」

 

 余裕そうに笑ってみせる勇儀に対し、ツチグモを警戒していたパルスィが言う。悪意と呼べるほどに歪んだ妖気は、それがつい最近生じたものではないことを示している。まるで古来から語り継がれた妖怪たちの伝承――これが土蜘蛛の正しき在り方のような。

 この旧地獄においては土蜘蛛という妖怪は黒谷ヤマメという少女として存在するはず。この怪異、ツチグモと呼ばれた魔化魍の存在は、パルスィに異界の伝承を受け入れさせるに十分なだけの気迫を持っていた。

 猛士式鬼蹴を放ち後方に着地していたヒビキに振り返り、同じ法則の妖気を見る。ツチグモの身に突っ込んでいってはその脚にぶつかり倒れた凱火を見て少し焦りを見せた様子だったが、そこに込められた鬼の力のおかげか、大した傷が残っていないことに安堵の溜息をついていた。

 

「ここは私らに任せて、あんたらは街道(ここ)の連中を都まで避難させといてくれ」

 

 どれだけ殴りつけようが朽ちぬ妖精じみた妖怪に、体力自慢とはいえ疲労の色を見せていた鬼たち。彼らに振り返り、勇儀は成すべきことを告げてやる。

 妖怪の山の大将と呼ばれた四天王の一人、彼女の言葉は地底においても揺るがない。その意思を理解した鬼たちは小さく頷き、勇儀を案ずる必要もなくその言葉に従った。

 

「さて、と。見てくれは確かに大物だが……単なる力自慢ってわけでもなさそうだ」

 

 勇儀は旧都に生きる鬼。されど力のみに酔い痴れ生きてきた若き者、力のみを信じて生きてきた古き者のどちらとも違う精神を持つ。山を去って千年の時を超え、未だに鬼として心身を忘れず、力と共に心を鍛え続けることの意味を失わず。

 清らかなる鬼の魂。この身に燃え滾る熱き響きを息吹き抱き。悪しき力に染んだ化生を、古き鬼の力をもって在るべき姿に清めん。

 

 ─―打ち鳴らせ、遥か。地下深くから満たす音を。遠く聞こえた祭囃子に幻想を見る。高鳴る鼓動に心を震わせる勇儀の傍にもう一人、石桜の如き紫色の輝きを持つ鬼が立つ。

 響く鬼、咆える蜘蛛。見上げる無貌は二本角。共に仰ぐは一本角。後方に控え妖気を練り上げるパルスィを背後に。二人の鬼は妖しく歪んだ虚ろな妖気に気高く向き合い、咆哮を耳にした。




どうしても導入編の中だけで主人公のバイクを出しておきたかった。
山野を駆けて太鼓を叩く鬼でもちゃんとライダーです。ちゃんとライダーなんです。

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