東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第36話 輝ける音

 絢爛たる旧都の大通りを少し離れた旧地獄街道の真ん中で。闇夜の天蓋に煌く石桜と細雪を掻き消すように、地の底を満たす妖気の中、大蜘蛛の化生が怒号を上げる。

 京の怪、八束(やつか)(はぎ)()べ揃え。選ばれた一族に従わぬ『まつろわぬ民』の蔑称として、かの『ツチグモ』は京の都の伝承に名を連ねた。その恐れを由来とする自然の怪異、魔化魍。京都に伝わる妖怪でありながら、その個体は鹿児島の南にて生まれ育った『イレギュラー』であった。

 

「グォォォーーーォォォオオオッ……!」

 

 旧地獄街道の軒並みと敷き詰められた石の道。虎縞模様の大蜘蛛『屋久島のツチグモ』は紅蓮に滾る八つの目を輝かせて煌びやかな都の入り口に立つ。

 ヒビキはその怪物を知っていた。猛士のデータベースに残る魔化魍ツチグモとしてではなく、実際に己が屋久島の地で戦った個体として。かつて自らの手で打ち鳴らし、清め祓ったはずのそれが、かつてと同じ姿でここにいる。

 艶やかな紫色に染んだ鬼、響鬼の姿となっているヒビキはその無貌の下、固唾を飲んだ。放たれる悪意は明確に、ただ生まれ落ちただけの怪物ではなく。童子と姫より上の何かによって故意に性質を書き換えられた個体。それは黒衣に身を包んだクグツによるものなのか――

 

 童子と姫を必要としていたこの屋久島のツチグモは、今はまだオロチによる影響で発生したものではない。されど、何らかの悪意によって従来のツチグモとは異なった性質を持っていることもまた間違いはないだろう。

 ヒビキが気になったのはやはりその環境。京都に生じる個体も、屋久島で生じた個体も、どちらもツチグモは一定の気温と湿度を確保しなければならない。それはツチグモに限らず、あらゆる魔化魍に共通する事項だと猛士のデータベースには記されていたはずだ。

 しかし、ツチグモの生育環境は気温15度、湿度70%が要る。渇いた地に雪の降る旧地獄街道にはほとんど植物がなく、荒涼とした殺風景な岩肌に絢爛な都が建っているだけ。そんな地獄の土地でどうやって、自身が育つに必要な環境を用意できたのか。

 この旧地獄は地底世界の名の通り、地の底。森と呼べるような場所はなく、ツチグモが育つべき環境はここにはないはず。そこだけが──微かにオロチの可能性を脳裏に(よぎ)らせていた。

 

「お前、屋久島にいた奴だな? 明日夢(あすむ)と初めて出会ったときのことだから、よく覚えてるよ」

 

 ある冬の日のこと。屋久島行きのフェリーで出会った少年、後に鬼の道とは関係のない人生の師弟として、あるいは友として語り合う明日を共に歩む彼と初めて知り合った日。森で再会した彼に鬼の姿を見られたことが、始まりの君だった。

 ─―心が震える場所を探して、誰にもできないことを見つけ出せ。鬼になるということだけが自分の弟子であるということではない、と。ヒビキは少年に語った。

 それが君の『響き』。今、少年は鬼とも猛士とも関わりのない明日なる夢に輝いている。たとえ行くべき道が違っても、ヒビキは彼を、出会ったときから自慢の弟子だと想っている。

 

「……やっぱり、妖気も姿の特徴も土蜘蛛のもんだね」

 

「童子や姫よりも強い気配……こいつがヒビキさんの世界における土蜘蛛なのね」

 

 旧地獄街道の建物を高く並列(なら)ぶは三十尺にも届かんばかりの身の丈と、石の道に重く突き伸びる脚で示す、千数百貫はある目方。

 勇儀とパルスィは異形たるその姿を見て、やはり黒谷ヤマメの姿を連想した。それは彼女らの知る土蜘蛛とは大きく異なる姿と妖気。ただ土蜘蛛であるという気配だけは漠然と伝わってくるし、姿も伝承で語られる妖怪としての土蜘蛛のそれに近いもの。

 だが、どうしても。おびただしく歪んだ気配は異界の怪異と認識せざるを得なかった。

 一切の幻想を帯びぬ土蜘蛛。それは幻想郷に受け入れられ、地底世界に受け入れられた『幻想』としての土蜘蛛ではなく、響鬼の世界で生まれ歪み変じた魔化魍――ツチグモ(・・・・)。そこには妖怪らしい気配はなく、ただ穢れ乱れた自然の妖気と練り上げられた悪意と邪気が渦巻いているのみ。

 

「ああ、ツチグモだ。その反応からすると、幻想郷(こっち)にもいるみたいだな」

 

 赤い隈取りをあしらった無貌、紫色の鬼は勇儀やパルスィと共にツチグモの姿を見上げる。微かに顔を傾け、勇儀たちの言葉に返すと、ヒビキは己が腰の背へと両手を回した。

 腰帯として装う『装備帯(そうびたい)』と呼ばれる褌の一種。響鬼への変身に際して妖気と共に具現するそれは、変身前のヒビキが帯びていたベルトが変化したもの。その背には二振りの棒――屋久島の霊木を削って作られた立派な(バチ)が収められている。

 腰の背からそれを取り外し、手元に空いた輪に指を通してしっかりと保持。派手に振り乱しても手放してしまうことがないよう、鬼の握力を加えて握り締めた。

 

 赤く塗り上げられた柄が雄々しいそれは『音撃棒(おんげきぼう)烈火(れっか)』と称される、太鼓の鬼である響鬼にとってのバチそのもの。その先端に鬼灯の如く輝く真紅の石は『鬼石(おにいし)』と呼ばれ、薄く透き通った結晶じみた美しさを持っている。

 左手に握る音撃棒の先端には大きく口を開いた鬼の貌、()。右手に掲げるものの先端には硬く口を閉ざした鬼の貌、(うん)

 一対のバチはそれぞれ先端に紅い鬼の貌を象った鬼石を備え、響鬼の両手に紅く灯る。

 

「鍛えた甲斐を見せてやるぜ」

 

 抑揚のない、それでいて気合を込めた覚悟を胸に。音撃棒・烈火を構え、眼前のツチグモに向き合う。対する八つの目が輝いたかと思うと、勇儀もパルスィもすぐさまその動きを悟った。

 

「おっと……!」

 

 ツチグモの口から吐き出される蜘蛛の糸は、童子や姫などの比ではない。単純な大きさからもたらされるその太さは、一本一本が束ねられているせいだろうが、巨木にも匹敵する。そんな糸が怒涛の勢いで旧地獄街道の地面に叩きつけられたのだ。

 幸い咄嗟に左右に飛ぶことができたため、被害を受けた者はいない。容易く土の地面を抉るその威力は、蜘蛛の糸という粘着性の拘束力を無視しても単純な破壊力として脅威だった。

 

「はっ! 見た目に(たが)わず豪快な奴だね! 気に入ったよ!」

 

 蜘蛛の糸と呼ぶには激しすぎる奔流に見向きもせず、勇儀は高らかに喜びの声を上げる。ツチグモの八つ目と同じ真紅の瞳で見合い、虎の如き大顎を広げたその姿を見て。

 

 直後に再び吐きつけられた白い輝きはパルスィの正面に飛ぶ。これだけの質量、嫉妬の炎で一度に燃やすのは難しい。弾幕を射出して相殺することもできそうにない勢いで迫ってくるそれに、嫉妬の妖怪は密かに練り上げた妖力を心の中で桜と咲かせた。

 心象に浮かべるは一枚の札。攻撃のために考案されたそれを防御のために。愛犬の遺灰で枯れ木に花を咲かせんが如く、パルスィが抱く嫉妬は桜舞う弾幕としてその眼前に花開く。

 

「……華やかなる仁者(じんしゃ)への嫉妬……!」

 

 パルスィが広げた手の平からは嫉妬色に輝く緑の(たま)。見事な桜を咲かせてみせた仁者への妬みを抱いた狡猾な老人、己が灰によって桜を咲かせることができなかった無念は、橋姫の妖力を増大させる嫉妬の波動となりて。

 スペルカードと定義された【 花咲爺(はなさかじい)「華やかなる仁者への嫉妬」 】の軌道は桜色の光。蜘蛛の糸を前にして、その光は五枚の花弁と尾を引いた。

 いくつもの桜が乱れ咲く。薄紅色の輝きは淡く美しく、昔話に伝わる灰の祝福を思わせるが――その本質はそれを羨んだ者の嫉妬心。儚く見えても嫉妬を糧とした強靭な花びらとなる。

 

「……っく……!」

 

 パリン、パリンと次々砕けゆく桜色の花弁を見届け、パルスィは眼前に開く口に怯んだ。弾幕のおかげで一波目は防ぎ切れたが、ツチグモは再び蜘蛛の糸を吐こうとしている。

 今度はさらなるスペルでそれを凌ごうと力を込めた瞬間、背後に鬼の妖気を感じた。

 

「はぁぁぁぁああっ……はぁっ!」

 

 響鬼の両手に掲げられた音撃棒・烈火。左右それぞれの鬼石は内側から紅蓮に滾る妖光を灯し、鮮烈な炎の色に燃え上がる。

 ヒビキ自身の鍛え抜かれた心身から注がれた炎の気を込め、表出する。さながら松明の如き炎を湛えた音撃棒・烈火を虚空に振りかざし、ヒビキはその炎を左右二つの火球と成してツチグモへと叩き込んだ。

 蜘蛛の糸は焼き切れ、炸裂した炎によってツチグモは呻きを漏らす。鬼爪や鬼火と同様、魔化魍と戦うために編み出された響鬼の技、音撃棒・烈火を用いた【 鬼棒術(きぼうじゅつ)烈火弾(れっかだん) 】は、魔化魍に大しては効果的な攻撃と成り得るものではない。

 それでも、童子や姫ほどの相手であれば場合によっては一撃で葬ることもある鬼の術。たとえ魔化魍が相手だとしても、単純な威力でもってその動きを抑制するには充分だ。

 

 口の中に燃え移った炎を牙を擦り合わせて消す大蜘蛛。ツチグモにとってそれがどれだけのダメージかは分からないが、ヒビキはいずれにせよ、それだけで魔化魍を倒し切ることはできないと悟っている。鬼棒術・烈火弾の火力が足りぬこともあろうが、それ以上に役割が違うのだ。

 

「おっ、やるねえ。やっぱりその姿になると気迫が違うね!」

 

 ツチグモが放った蜘蛛の糸を避け、旧地獄街道の建物の上に立った勇儀。今一度、鬼のヒビキの力を楽しもうとしているのか、若き鬼たちの誘導で力なき人妖がいなくなった旧地獄街道を寂れた祭り場と見るかのように。

 もし自分も当事者でなかったらすぐにでも屋根瓦に腰かけ星熊盃を煽りたい気分だが――観戦するよりもっと楽しいことが目の前にある。今は酒の味わいに背を向けるとしよう。

 

「大丈夫か? えーっと……パルスィだっけ?」

 

他人(ひと)のことを心配していられるその余裕、妬ましいわ!」

 

 音撃棒を構えながらツチグモを警戒し続けるヒビキに心配され、パルスィは声を上げる。目の前に迫り来るツチグモの大脚は槍の如く研ぎ澄まされており、不用意にパルスィの方へ振り向いたヒビキの身を穿ち抜こうとしていた。

 パルスィは咄嗟にヒビキを突き飛ばし、残った妖力でスペルカードを発動する。振り抜かれたツチグモの脚が貫いた場所にはすでにパルスィの姿はなく――

 左右それぞれに、二人のパルスィ(・・・・・・・)として分かれた彼女がツチグモの横へと舞い浮いた。

 

「スペルカード……謙虚なる富者(ふじゃ)への片恨(かたうらみ)……!」

 

 まったく同じ気配を持つ二つの姿。鏡像めいた同一の妖怪が左右それぞれに現れ、さしものツチグモも困惑している様子。

 続けて放たれた【 舌切雀(したきりすずめ)「謙虚なる富者への片恨」 】の効果により、昔話の老夫婦が与えられた大きな葛籠(つづら)と小さな葛籠の選択権の如く、二人のパルスィはそれぞれツチグモに向けて、共に緑色に輝く大きい光弾と小さい光弾を放ち続ける。

 小さい光弾はツチグモの皮膚に当たっても小さく弾けるばかり。反対側にて炸裂する大きな光弾に苛立ちを覚えたのか、その射出者たるパルスィに向け、ツチグモは大顎を開いた。

 

 迫る大牙に微かに目を見開いた──大きい光弾を放っていた方のパルスィ。哀れにもツチグモの大口に飲み込まれ、いとも呆気なくその餌食となってしまう。

 その様子を目にしたヒビキは肝を冷やすが、勇儀は街道の屋根から飛び降りて笑うのみ。

 

 一人の少女が魔化魍に喰われた──という凄惨な光景。だが、血飛沫や悲鳴などは一切そこになく。ただ魔化魍の口から零れた微かな光だけが旧地獄街道に差し込んで。炸裂するは嫉妬の爆発、幻影のパルスィによる輝きの奔流。

 すかさずツチグモの背後に控えていた本物(・・)のパルスィが大きな光弾を放つ。二人分の嫉妬を一身に、波動に苛まれた屋久島のツチグモはぐらりと体勢を崩して勇儀に大きな隙を見せた。

 

「勇儀!」

 

「……見えた! その隙、もらったよ!」

 

 勇儀が響鬼の横を走り抜ける。美しく振り乱された金の長髪に揺れる黄金の妖気。その右腕に蓄えられた古の力は、鬼という絶大な妖怪の不条理さを込めた渾身の一撃。

 

怪力(かいりょく)――乱神(らんしん)――!!」

 

 弾幕ごっこという遊戯に抑制された『鬼』の本懐、スペルカードという枠組みに押し込んだ無秩序の具現。語られる怪力乱神(・・・・・・・・)そのものが、荒唐無稽な力の事象として勇儀の拳となる。

 鬼の身に秘める太古の妖気を宿し振り抜かれた【 鬼符(おにふ)「怪力乱神」 】の波動を掲げ、勇儀は屋久島のツチグモが見せた隙を射貫くように一歩を踏み込んで。

 

 ─―それは、殴打と呼ぶには圧倒的すぎる衝撃。勇儀の拳がツチグモの腹に叩き込まれたその一瞬、妖気そのものと言っていい自然の精霊の身を微かに歪めたほど。余波によって生じた波動は弾幕となりて紫色の大渦を撒き散らし、荒ぶ突風が周囲の家屋から屋根瓦を剥ぐ。

 

 そのまま殴り抜け、ツチグモは背後の大岩にまで吹き飛ばされた。スペルカードという仮初めのルールの形式を取ってはいるが、その本質は鬼である勇儀の本気を込めた技。悪意ある怪異に与える殺意と歓喜の証明――山を崩すほどの絶大な破壊力。

 地底の大岩に叩きつけられたツチグモは月面の穴(クレーター)めいた跡を岩肌に刻み込み、そのままだらりと動かなくなる。いくら強大な妖怪と言えど、鬼の本気の拳を正面から受ければ是非もない。

 

 ――それが『妖怪』であれば。

 

「……なるほどねぇ。そのひねくれた妖気は本物ってわけかい」

 

 動かなくなったと思ったのも束の間のこと。ツチグモはぱらぱらと小石を落としつつ、岩肌に埋もれたその身を起こしてみせる。普通の妖怪であれば肉塊と化していてもおかしくない一撃を受けてなお、魔化魍には致命傷足り得ぬのだ。

 若き鬼たちの言った通り、まるで雲か柔らかい布団でも殴りつけたような手応え。過去に八雲紫と手合わせしたときにも似た感覚を覚えたが、確かにこれでは暖簾(のれん)に腕押しというもの。

 

「いやはや……とんでもない力だな」

 

 ヒビキは勇儀が放った拳の余波で無惨な姿となった軒並みの一部を見渡す。魔化魍の攻撃でさえここまでの影響は多く見られるものではない。無論、猛士と鬼が在る限りそんな行いを許すつもりはないのだが。

 さながら嵐でも過ぎ去ったのかと見紛うほどの荒れ様を前に、鬼という存在の圧倒的な力を改めて恐れる。語られる地平が違えば自分も同じ怪異と恐れられたのだろう。

 否、戦国時代においてはヒビキの生きた世界でも。『鬼』とは化け物の象徴であったのだ。

 

「妖気からしておかしいと思ってたけど、想像以上の怪物(ばけもの)だわ……」

 

「確かに厄介な相手だが――」

 

 ふわりと着地したパルスィは異質な妖気を持つ魔化魍ツチグモに対して。突き出した拳を下げてそこに視線を落としつつ、振り返った勇儀はヒビキに対して。

 

「こんな奴らを相手にしてきたあんたなら、攻略の糸口くらいは見えてるんだろ?」

 

 蜘蛛だけに。と付け加えた勇儀は再び正面のツチグモに向き直る。変わらず咆哮を上げて威嚇するその様からは本体へのダメージが見て取れない。

 全くの無傷というわけではないようだが――身体の一部を破壊する程度が限界か。自然そのものに近い妖気は、単純な物理攻撃では根本的なダメージを与えることができないらしい。鬼の力を込めた拳ならあるいはと思ったが、やはり妖気に妖気をぶつけるだけでも妖怪とは異なる性質の歪みを祓うことはできない様子。

 

 ヒビキは勇儀の問いに少し考える素振りを見せつつ、音撃棒の柄を強く握る。猛士の定義に当たる概念とは異なるとはいえ、この幻想の地にて『鬼』と呼ばれる存在の力ならばと考えたものの、ヒビキの期待に反してツチグモが消滅の兆しを見せることはなかった。

 従来通り魔化魍の討伐にはとある波動(・・)が必要だと改めて思う。多少性質が変わったとて、相手が魔化魍である限り戦い方の基本は通ずるのだと、装備帯の正面に装う三つ巴の紋を想いながら。

 

魔化魍(あいつら)はちょっと特別でな。……清めの波動を込めた『音』じゃないと倒せないんだ」

 

 猛士において『鬼』が必要とされる最たる理由は、魔化魍の性質にある。彼らは力の極致とも呼び得る勇儀の一撃を受けてもなお砕けぬ身を持つ堅牢な──否、不可思議極まる歪んだ妖気によって成り立っている。

 ただ堅牢であるだけなら近代兵器によって破壊も可能だろう。それこそ勇儀の拳であえれば打倒は容易。それが叶わぬ理由は、それらが自然そのものの精霊ゆえに他ならず。

 

 人の恐れや負の想念が自然の力に宿り、生まれたもの。あるいは悪意によって育まれ故意にその在り方を歪めたもの。魔化魍と呼ばれた自然の怪異はその力の歪みが残り続ける限り幾度でも蘇る。それは何百年も昔から変わらぬヒビキの世界の法則だ。

 

 だが、魔化魍は永く見れば不滅ではあるものの、個体においては不死ではない。力をもってその形を砕くことはできずとも、歪んだ自然を浄化することで終わりなき再生を一時的に阻止することができる。

 その方法が――鬼の持つ『清めの音』による浄化。古来より受け継がれた秘伝の気を練り上げ、鍛え抜かれた特別な楽器によって響き奏でる『音撃(おんげき)』と呼ばれる技法。

 物理的な攻撃が根本へと通用しない魔化魍に対抗するには、古の鬼たちが編み出したその方法をもって撃破するしかないとされているのだ。

 響鬼が両手に握る音撃棒・烈火はその名の通り、音撃を伝えるためのバチ。先端に灯る鬼石から清めの音を発し、それを振り乱して魔化魍の身に『太鼓』を打ち鳴らすためのものである。

 

「音……? 音ねぇ」

 

「ああ、だから太鼓のバチなのね」

 

 勇儀はまたもや両腕を組んで深く思考する。パルスィはどこか納得した様子でヒビキが手にする二本の棒を見やり、その『音』という浄化手段に合点がいった表情を見せた。

 だが、山の四天王と呼ばれた鬼の拳を受けて未だ健在の怪。魔化魍を倒すにはやはりヒビキの言った通り特別な方法が必要らしい。勇儀の力が足りなかったわけではなく、魔化魍という存在そのものが『生き物』として物理的な構造をしていないのだという。

 妖怪とも妖精とも、無機物とも有機物ともつかぬ怪異たちはこれまでも、猛士が生まれる以前から鍛え抜かれた鬼たちによって魂を清められ――在るべき自然の姿へと還されている。

 

「俺の音撃なら倒せるはず……だとは思うんだけどな」

 

 長く猛士の鬼として戦いを続け、多くの魔化魍を清めてきた。それでもやはり一年前の戦い、悪意やオロチによって変化した特殊な個体なども視野に入れざるを得ない。

 

「――まぁ、やれることはやってみるさ。いざとなったら、フォローよろしくな」

 

 自分の音撃をもって確実に撃破できる保障はないが――元より魔化魍を打ち倒すには音撃をもって抗する以外にない。

 ヒビキは考えても分からないことは行動をもって求める性格だ。思考を染める穢れを振り祓い、左手の音撃棒・烈火を一度くるりと回してみせると、再び強く握りしめツチグモへと構えた。

 

「私たちはあいつを足止めしてればいいわけね。……勇儀?」

 

 どれだけの力をもってしても自分たちには魔化魍を倒すことはできない。それは幻想郷(こちら)側に定義される『鬼』でさえも例外ではなく。

 清めの音と呼ばれる力を持たぬ我々では荒れ狂う魔化魍の動きを抑制するのが関の山。ならば、確実――とは言えずとも、魔化魍に対して効果的なダメージを与えられる『専門家』に任せることとしよう。その理解を確認しようとパルスィは勇儀に振り返ったが、姿は見当たらず。

 

「…………」

 

 悠々とツチグモの前に歩み出る勇儀。その表情は不敵な笑みを崩さず、度重なる攻撃で苛立ちを募らせた紅蓮の八眼に晒される。剥き出された虎の牙は、それが元は自然の一部であったことなど白雪冴える忘却の彼方へ霞ませるような醜悪な邪気を放っていた。

 勇儀は両の拳を腰に据え、瞳を閉じて大きく息を吸う。肺に取り込まれた空気と共に炎と滾る地底の妖気。ヒビキの鬼火と同様の手順ながら、勇儀のその妖気は魂に灯る一枚の札と共に。

 

「――ヒビキさん、耳を塞いでおいたほうがいいわ」

 

 右手を前に出して淡い緑色の結界を張ったパルスィの声に、響鬼は紫色の無貌のまま不思議そうに首を傾げた。

 その言葉の意味もよく分からないまま、一瞬そのまま耳を塞ぐ素振りを見せる。が、ヒビキの両手には音撃棒・烈火が携えられている。耳を塞ごうにも、一度この音撃棒を腰の装備帯の背に戻さなくてはならない。パルスィにその意味を問おうとヒビキが口を開いた――その瞬間。

 

 ――音が、消え去った。

 

 ツチグモの声も、微かに吹き抜ける地底の風も。小さくとも確かにあった旧地獄の環境音が完全な静寂となり、無音の世界で嵐が巻き起こる。

 続いてヒビキが認識したのは、数十貫はある鬼の身体を吹き飛ばさんほどの爆発的な圧力そのものだった。それが『音圧』であると分かったのは、肌で感じる空気の振動が自分が馴染み知った音の波動によるものに似ていたがため。

 音撃棒を手にしたまま両腕を前に交差し、吹き飛ばされぬように大地を踏みしめて。顔を上げた先、少しづつ癒えゆく耳が聞き届けた轟音に意識を向ける余地もなく。

 

 勇儀が誇る【 鬼声(きせい)「壊滅の咆哮」 】が放つは、天蓋を割り砕くだけの息を込めた単純な大声。本来ならばその余波を妖気の弾幕と成して解き放つのだが、今は全てのエネルギーを空気を震わせる『音』とした。

 ツチグモに聴覚があるのかどうかは分からないが、その身に響く音は確かにダメージとなっている。もっとも、清められたわけではなく純粋な音波による衝撃。ただ相手を殴りつけるそれが拳から声に変わっただけで、ヒビキの語る『音撃』と呼ばれるものになってはいないのだが――

 

「……っと、効いてるんじゃないかい?」

 

「清らかさが足りなすぎると思うわ。そんなのただの大声じゃない……」

 

 ゆらゆらと立ち上がるツチグモを見て落胆する勇儀。パルスィが結界を張っていたおかげで音波によるダメージはこちら側へは届いていないが、ヒビキは鼓膜を打ち破るほどではないものの耳の機能が一時的に麻痺するだけの音を聴いて頭蓋が軋んでいる。

 勇儀とパルスィの会話が微かにでも聞こえたのは鍛え抜いた肉体の甲斐か。すでに取り戻した聴覚をもって、ヒビキは声という音の手法から自身も同じく声で戦えることを思い出した。

 

「(あの剣……どこ置いたっけなぁ)」

 

 オロチを鎮めてからはしばらく用いることがなかったため、失念してしまっていた。今は手元にないが、もしこの地に招かれておらずともディスクアニマルたちが猛士の関東支部から持ってきてくれるだろうか。

 響鬼の鍛え抜かれた肉体にさらなる『装甲』を加える猛士本部の技術の粋。鋼の鬼と呼ばれた男が鍛えた音撃を増幅させるための剣(・・・・・・・・・・・・)があれば、如何なる魔化魍にも対応できるはずだ。

 

 しかし――ディスクアニマルたちの増援と同様、幻想郷や旧地獄の地に外の世界からのサポートが期待できるとも思えない。衣服の替えや移動用の凱火だけが用意されてはいるが、その経路も不明。今はただ、限られたディスクと己の肉体だけを駆使して戦うしかない。

 ならばこの身に宿る炎の気を高め、本来は『夏』にのみ発現させる力を燃やし現わそうと試みようか。否、微かにそう逡巡したヒビキはすぐにその思考を捨てた。

 結果は分かっている。その姿への変身のためだけにさらなる鍛え方を要求される夏の時期限定の力。普段通りの鍛え方しかしていない今のままでは、真紅の炎(・・・・)に滾る境地には到底届かない。

 

「……っ! ツチグモが動くわ! こっちに向かってくるよ!」

 

 壊滅の咆哮の影響で停滞していた動きが変わる。肌に伝わる妖気でそれを感じ取り、脚を突き立てたツチグモの姿を見たパルスィは、勇儀とヒビキにそれを告げた。

 雷鳴に匹敵するほどの鬼の大声。それを超える自然の音など、本物の落雷くらいのものだろう。自然の具現たる魔化魍にはやはり物理的な音の衝撃など大した影響がないのか。微かに動きを鈍らせてはいたものの――

 振り乱される柱が如き蜘蛛の大脚を突き立てながら、ツチグモは大顎を広げて驀進する。

 

「グォォォオッ!!」

 

 鬼として地を駆け抜け、ヒビキは正面で交差させた音撃棒・烈火でそれを止めた。続けて振り上げた右の烈火でツチグモの脚を殴りつける。

 しかし、地底の妖気を喰った影響か。ツチグモの肉体はやはり彼が知るものよりも硬くなっている。無貌の下で強く気を引き締め、今度は左の烈火を振り上げて力を込めたが――

 

 ツチグモの脚が激しく振り乱されたことで、左手に握っていた音撃棒が打ち飛ばされる。強く保持していたつもりだが、鬼の握力さえ振り切るほどに、今のツチグモは力をつけてしまっているらしい。これ以上の力をつける前に、勝負を決めたいところだ。

 続けて吐きつけられた蜘蛛の糸の奔流を咄嗟に後退して回避しつつ、遠くに落ちてしまった左の烈火を一瞥。背を見せぬようあえてそれを無視し、ヒビキは右手に握った烈火に炎を込めて。再び鬼棒術・烈火弾を形成すると、片手のみの音撃棒でそれをツチグモの大口に叩き込んだ。

 

「……グゥ……」

 

 微かに怯みを見せたツチグモ。やはり口内への攻撃は致命傷にならずともそれなりの衝撃になるようだ。その隙を突き、ヒビキは装備帯から音撃の要となる『音撃武器』を取り外そうと、左手で三つ巴の鬼火を描いた腰の真円に触れたが――すぐに死角からの気配に気づく。

 

「……なんだ……? この気配……」

 

 ヒビキは本能的な判断力で装備帯から手を離し、ツチグモから距離を取る。勇儀とパルスィに並び、未だ動かないツチグモを警戒しつつも周囲の気配にも気を配り。

 魔化魍や童子たちのものではない。そのどちらもを兼ね備えているような奇妙な感覚。それに加えどこかクグツらしくも妖怪らしくもあるような、自然と恐怖と悪意が混沌としたような――それでいて極めて薄く隠れた気配。

 

 勇儀とパルスィは先日、地獄の深道で童子たちと戦ったときに、それと同じ気配を天蓋の先に感じていた。地底の妖怪かとも思ったそれは、童子たちとの戦いを『見ていた』のだ。

 ――気のせいではなかったのか。と肝を冷やすと同時、その気配は彼らの周囲に姿を現す。

 

「…………」

 

 地底の天蓋から音もなく降りた五つの影。旧地獄街道の瓦屋根に立ち並ぶは、さながら忍者めいた黒装束に身を包んだ人型の怪物。黒く模様を刻んだ白狐の面を装い、人とも獣とも、魔化魍とも妖怪ともつかぬ独特の気配でこちらを見下ろす。

 五体もの『魔化魍忍群(まかもうにんぐん)白狐(びゃっこ)』は――確かにそこにいるのにまるで何もいないかのような空虚な気配を放っていた。

 それは、ヒビキですら知らない気配。見たこともない魔化魍。少なくとも現代の世に現れたことは一度もなく。猛士の古い文献を見直せばそれが戦国時代にも現れた『化け狐』の由来となった魔化魍だと理解できたかもしれないが、少なくとも今の彼には見覚えのない存在だった。

 

「忍者……? これまたけったいな奴らが出てきたもんだね」

 

 勇儀は余裕を見せつつも行動を決めあぐねていた。ツチグモは未だ健在。加えてこの魔化魍忍群まで相手にするとなると、さすがに鬼の全力を出す必要が出てくるかもしれない。そうなれば最悪の場合、旧地獄街道が更地と化すことになる。旧都を愛する勇儀としても、それは決して望ましいことではない。

 魔化魍忍群・白狐たちはそれぞれ瓦の屋根から飛び降り、ツチグモの正面に並び陣取った。この大蜘蛛を守るかのように懐から取り出した小鎌を構え、真紅の爪を湛えた白い手でそれを握りしめる。下級の妖獣に近い気配だが、その立ち居振る舞いは忍者そのものだ。

 

「こっちも相手にしなきゃいけないのね」

 

 五体の忍者と一体の蜘蛛。それらをまとめて警戒しつつ、パルスィが言う。ヒビキはその傍ら、見たことも聞いたこともないはずのそれに疑問を感じていた。

 記憶を手繰れどもその姿はヒビキの見識にはない――そのはずなのだが気配が奇妙だ。一度も見たことがないはずのその存在、狐の面をした忍者の如き魔化魍――なのか。空虚な気配に本能的な既視感を覚える。戦国時代を生きた自分自身が、かつてそれらと戦っていたような。

 

「……戦うしかないってことだな」

 

 頭蓋を過った虚ろな記憶を誤魔化し、ヒビキは右手に握った烈火・吽を長剣の如く両手でもって構え立てた。

 先ほど放った鬼棒術・烈火弾と同様に、音撃棒・烈火に炎の気を込める。今度は鬼石に宿る炎を灯火として放つためではなく、紅く激しく燃え上がる火の柱をそのまま『刃』とするために。

 

「はぁぁぁぁあっ……!」

 

 発声と共に音撃棒の先から燃え上がるは熱く滾る炎の剣。ヒビキ自身の鍛錬に加え、音撃棒に備わる鬼石の改良によって実現した【 鬼棒術(きぼうじゅつ)烈火剣(れっかけん) 】を刀と携えて。

 舞い散る火の粉は地底を染める雪のように淡く。その妖気に呼応するかの如く大地を蹴った白狐を切り伏せ、炎の気を加えて振り払う。

 

「はぁっ!」

 

「えいっ!」

 

 勇儀が放つは青き光弾。大地に壁に岩肌に、跳ねて爆ぜては黄色く染まる。清廉な青と絢爛たる黄色、二つを織り交ぜた通常弾幕は魔化魍忍群に炸裂した。

 妖怪としての意地を込めたパルスィの光弾も同様に、禍々しい嫉妬心には似つかぬ美しい青と黄。環状に配置されたそれを正面へと収束させ、勇儀の弾幕に怯んでいた一体の白狐に鋭く注ぎ込むと――狐面に亀裂が入る。

 続けて放った光弾は魔化魍忍群・白狐の身を突き飛ばし、旧地獄街道の壁に打ちつけた。そこへ勇儀がさらなる追撃を試みようと拳を振り上げたが――

 魔化魍忍群・白狐の一体は淡く虚ろな緑色の炎と化して消えてしまう。人魂めいた灯火をふわりと昇らせ、そこに微かな妖気の残滓だけを残して跡形もなくなってしまった。

 

「……消えた? パルスィがやったのか?」

 

「いや、私は何も……」

 

 緑色の炎はパルスィの妖力に似ている。だが、やはり彼女の言葉通りそこに嫉妬の気配は一切感じられなかった。

 童子たちを倒したときの感覚ともまた違っている。どちらかと言えば妖精を倒したときに近い、妖気そのものが消滅したときのような感覚。違和感は残るが、無力化はできているのか――

 

「なるほど。奇妙な手応えだけど、倒せなくはないってことだね」

 

 ツチグモのような魔化魍とは異なり、それは音撃に頼らずとも撃破できた。幻想的な弾幕で倒せるのなら、勇儀の拳があれば取るに足らない相手だ。

 だが、同時にツチグモも警戒しなければならないとなると話は別。いくら鬼の頂点といえどこれほど力をつけた魔化魍に後ろから襲われれば治癒不可能な傷を受けかねない。ヒビキが烈火剣をもって二体の白狐を()き斬り、ダメージを与えて後退した瞬間を見て勇儀は声を上げる。

 

「ヒビキ、こっちは私たちが引き受ける! あんたはそのデカブツを頼んだ!」

 

 勇儀の声に小さく頷くヒビキ。されどこの手にある音撃棒は一本のみ。左手に携えるべき烈火・阿は今なお旧地獄街道の後方に落ちたままだ。

 不用意に取り戻そうとすればツチグモに糸を吐かれるだろう。まだ四体も残っている魔化魍忍群が邪魔する限り、そこに近づくことすらままならないかもしれない。それでも考えたところで状況は変わらず。ならば多少強引にでも、音撃に必須となるそれを取り戻すべきか。

 

「…………っ!」

 

 パルスィは白狐と戦いながら、隙を見てその場から離脱。逃げるためではない。ヒビキの無貌から微かな憂いを感じ取り、その視線の先に音撃棒・烈火を見つけたから。

 咄嗟の判断で魔化魍忍群の上を飛び越え、恐れ怯むことなく烈火・阿を拾い上げる。木製とは思えぬ神秘的な重さを両手で持ち上げると、自分ではツチグモを倒せない不甲斐なさを鬼への嫉妬と込め、振り上げた右手に掴んだそれを渾身の力でもってヒビキのもとへと投げ渡した。

 

「ヒビキさん、これを!」

 

 耳に届いたパルスィの声に一瞬だけ振り返るヒビキ。左手で受け取った烈火を強く握ると、そこには橋姫という鬼に満たぬ鬼の伝承が感じられた。

 隙を見せる前に再びツチグモに向き直り、左手の音撃棒に炎の気を込める。そこに現れたのは彼の属性たる赤き炎ではなく。パルスィの嫉妬として燃え上がる緑色の炎。ヒビキは淡く地の底に輝く嫉妬の色に少しだけ驚くが――その炎を己の知らぬイレギュラーな鬼棒術・烈火弾と成し。

 

「っだぁっ!!」

 

 発声、爆ぜる清濁。鬼の妖気による炎と、歪んだ嫉妬の爆発。二つの属性が備わった異質な弾幕はツチグモの顔面に激しく炸裂する。油断することなく未だ熱を帯びる音撃棒・烈火を腰の背へと戻し、気合を込めて顔を上げた。

 勇儀とパルスィの方に感じられる魔化魍忍群の気配に背を向けながら、ヒビキはぐらりと体勢を崩したツチグモを前に大地を蹴って高く跳躍。薪を割る斧が如く。鈴鳴る響きを高らかに。小気味良い音を奏で、紫紺の鬼は黒と黄色の虎縞模様を装ったツチグモの背へ。

 振り落とされぬようにしっかりと踏み止まりつつ、もう一度、腰に巻いた装備帯の正面に設けられた円盤、三つ巴の鬼火を描いたそれを右手で掴んでは、素早く装備帯から取り外す。

 

 取り外した円盤――響鬼にとっての音撃武器、太鼓と成り得る『音撃鼓(おんげきこ)火炎鼓(かえんつづみ)』をツチグモの背に()しつけると、歌舞伎めいた見得の声と共に妖気のオーラと化し、手の平大だったそれは実際の和太鼓と同等と呼べるほどに大きく広がっていった。

 赤い縁の中に(うるし)と塗られた真円、その正面に描かれた金色の三つ巴は鬼火と揺れ、それが炎の性質を持つものだと示し。

 音撃鼓・火炎鼓から鳴り響く独特の律動(リズム)。ヒビキはその音に精神を委ね、魂を持って鼓動に乗る。再び腰の背から引き抜いた音撃棒・烈火を両手に握り、浄化の祈りを炎の響きと込めて。

 

「いよっ!!」

 

 振り上げた二振りの烈火。音撃棒と呼ばれた鬼のバチを鼓動に乗せる。打ち鳴らされた太鼓の音色は万物を清め奏でる波紋となりて、ツチグモの身に叩き込まれた。

 烈火の鬼石が火炎鼓を叩く音にツチグモが軋みを上げる。巨大な八脚を振り乱して暴れるその身体から振り落とされないようしっかりと踏みしめ、響鬼は揺るがぬ意思で太鼓を叩く。

 

 ――(ドン)(ドン)打々音(ドドン)打鼓(ドコ)打鼓(ドコ)打鼓動音(ドコドン)

 

 軋む大蜘蛛の上で鬼火が舞う。清らかな律動に合わせて真紅の軌跡が地底に閃く。自然の妖気と自身の妖気、伝う力が燃ゆる音となり――悪しき歪みを清め祓う祈りとなる。

 それが『音撃』と呼ばれる鬼たちの祭儀。鼓膜と頭蓋を透り抜けて、魂に直接響かせる清めの音。勇儀の放つ大声のようにただ大きな音というわけではなく、全身を震わせる心音めいた落ち着きのある鬼の鼓動。

 

 天蓋(おおぞら)(あお)地底(だいち)には(ほし)。遥か遠くの地平線から、溢れ輝く未来(ひかり)の如く。たとえ傷ついても、強く立ち上がるため。自分だけに見える道、始まり走る明日のため――繰り返す『響き』。

 故に、そこに不快な(いびつ)さは一切存在しない。元より歪んだものを清めるための美しき音色。ただ純粋な浄化という想いだけを音と伝える、自然の代弁者たちによる神楽。大地に捧ぐ舞。

 

「はっ! せいっ! だぁっ!!」

 

 旧地獄街道の道において、高らかなる太鼓の音が響く。強き鬼の発声と共に、音撃の波紋は確実に魔化魍に清めの音を注ぎ込んでいく。

 両腕を大きく派手に振り上げるのではなく、手首をしならせることで軽やかに。刹那を刻む律動は、炎の如く激しく。

 呻くツチグモの前では魔化魍忍群・白狐を相手にする勇儀とパルスィ。ヒビキの儀式を邪魔しようとするそれらを阻み、慣れ親しんだ妖気による弾幕で魔化魍忍群への攻撃を続ける。

 

「はぁぁああああっ……!」

 

 一つ振るう度に全身の体力が持っていかれる。それでも決して音撃の手を緩めず、残る力を込めて両手のバチを素早く振るう。左右交互の連打を重ね、音撃鼓へと打ちつけて。音撃のリズムが最高潮に達したとき、ヒビキは両手の音撃棒をゆっくりと空へ掲げた。

 

 ――()ッ。

 

 己が頭上で二つの烈火(バチ)を打ち鳴らす。屋久島の霊木が奏でる清らかな音は、さながら戦いに赴く鬼たちの無事を願う火打石の如く。

 一瞬の静寂の後、ヒビキはそれを眼下の音撃鼓・火炎鼓へ向け、渾身の力で振り下ろした。

 

「――火炎連打(かえんれんだ)(かた)ぁっ!!」

 

 腹の底から滾る声でもって、ヒビキの両腕が炎の如き双棍を叩き込む。ツチグモに設置された音撃鼓・火炎鼓への連打が音撃となり、その清めの音が広げる大いなる波紋は旧地獄街道の彼方まで響く調べとなる。

 師を持たず独学で、さらに猛士において最年少で鬼となった彼が有する最初の音撃。刀を打つ炎と舞う火の粉のように軽やかに打ち鳴らすそれは【 音撃打(おんげきだ)火炎連打(かえんれんだ) 】と呼ばれていた。

 

「…………!!」

 

 清めの音を直接叩き込まれたツチグモは咆哮を上げることすら叶わず、内なる邪気を祓われたことで歪んだ妖気の肉体を維持できなくなり――

 その身は、骸と散り果てる。渇いた音を立てて炸裂した大蜘蛛、枯れ葉と土塊を舞い上がらせながら砕けた邪気は吹きゆく地底の風の中、微かに流れ虚ろに消えていく。ツチグモが爆ぜたことで足場を失ったヒビキはそのまま真っ直ぐに落下し、石の道に力強く着地を果たした。

 

 勇儀とパルスィが放った通常弾幕、青と黄色の光弾が残る魔化魍忍群を全て蹴散らす。緑色の鬼火となって消える様子はやはり奇妙だが――気配もすでに消えていた。

 音撃と同時に命中した光弾によってツチグモと魔化魍忍群は共に等しく祓われた。それを認識した二人はヒビキに振り返り、ツチグモの残滓たる木の葉を舞い受ける鬼の姿へと向き直る。

 

「……ふぅ……」

 

 修羅と見紛う無双の妖気。羅刹と違わぬ剛毅なる肉体。それらを備えた紫紺の鬼であれど、光差す旧地獄街道にて艶やかな紫色を照り返す響鬼は思わず疲労の声を漏らした。

 左手の音撃棒をくるりと回し、両手のそれを再び腰の背へと収めると、元の大きさに戻った音撃鼓・火炎鼓がヒビキの手に落ちてくる。再び装備帯に戻し、改めて勇儀たちに向き直った。

 

「良い音だ。……さすが『響きの鬼』だね」

 

「鍛えてますから」

 

 遥か彼方の記憶を覚ます、地上が楽土の祭囃子。鬼の律動を思わせる太鼓の音に、勇儀はヒビキに鬼としての――祭りを盛り上げるような和太鼓奏者への賛辞を送る。

 ヒビキもどこか鬼として彼女に向き合う意志を見せているのか。あるいは無意識に鬼の貌を解くことなく。紫色の無貌の状態、響鬼としての顔のままで。勇儀の言葉を受け止めてみせた。




鬼は嘘を嫌うので正直に言います。スペルカードも鬼棒術も描写したくて欲張りました。

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