東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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A.D. 2000 ~ 2001
それは、晴れ渡る笑顔の物語。

A New Hero. A New Legend.



【 青空綺想曲 ~ Dream Smile 】
第3話 戦士


人間の里 歴史喰いの懐郷

03:25 p.m.

 

 最果ての楽園、幻想郷。忘れ去られた秘境の地で、二つの異形がぶつかり合う。

 蜘蛛の怪物はその爪を、白き戦士はその拳を。互いの意志は命を削り合い、その身を傷ましい鮮血に染めていった。

 白き戦士が拳を振り抜く。鈍く滞った動きは、またしても空を切る。脚を振り上げれば容易く止められ、地面に身体を打ちつけられる。全身に広がる激しい痛みに比例して、今は戦士の姿となっている五代の心までもが削られていくかのようだった。

 

 一度拳を振りかざせば、心を染める黒き慟哭。再び拳を受ければ、脳裏に響く白き享楽。吹雪の音。雪空に掻き消えていく二つの声。戦士と戦士の嘆きと悦び。男と男の哀と楽。

 目の前の怪物と拳を交える度、嫌でもそれを思い出す。

 殴る痛み。殴られる痛み。傷よりも心が痛む、暴力と暴力の応酬。互いの身体から血が噴き出し、白雪を赤く赤く染めていく。溢れる涙に映るのは、殺戮を楽しむ純粋な少年の笑顔。

 あの戦いからはまだ、半年も経っていない。五代にとっては、一時(ひととき)も忘れることができない悲しみの記憶。

 今でも、あのとき受けた一撃は深い亀裂となってこの身体に(くすぶ)っている。絶えず全身に走る激痛は、あの白い少年と戦ったときのそれに匹敵するほどにも感じられた。

 

 戦士クウガが身に纏う白い装甲は、見る見るうちに彼自身の血に染められていく。

 この姿は五代が心に思い描いていた本来の姿ではない。白く脆弱な鎧は、十全な力を出し切れていない『グローイングフォーム』と呼ばれる不完全な形態だ。

 五代は確かに、目の前の怪物と戦う覚悟を決めた。本来ならば、クウガは五代がイメージした通りの『赤い姿』でなくてはならないはずなのだ。

 まだ、心のどこかで戦うことを恐れているのか。それともアークルの中心、モーフィンクリスタルに残る深い亀裂が、クウガへの変身を阻害しているのか。どちらにせよ、今のクウガは本来の力の半分も発揮できていない『白い姿』であり、とても万全と呼べる状態ではない。

 

「がぁっ……ぐっ……うっ……!!」

 

 再度、クウガが拳を振り上げた瞬間、ズ・グムン・バの豪腕がクウガの首を握り締める。腹部に秘めるアマダムの力で全身を強化されているとはいえ、生身の人間ならばそれだけで首の骨を()し折られていてもおかしくはない。

 怪物の指が首に食い込み、黒い強化皮膚が抉れる音を聞く。ギリギリと肉が潰れ、骨にヒビが入る感覚。このまま力を込め続けられれば、間違いなく五代の命はない。

 五代は自らの首を絞めるズ・グムン・バの腕に手をかけ、引き剥がそうと強く掴む。渾身の力を込め、なんとかズ・グムン・バの豪腕を振り払おうとするが、未完成形態である白いクウガの力ではズ・グムン・バの片腕の腕力に抗うことすらままならなかった。

 やはり、この姿――白く不完全な姿のままでは、彼らに対抗することはできないのか。

 

 その小さい角のままで 俺を殺すつもりか?

「ゴン ヂギガギ ヅボン ララゼ ゴセゾ ボソグヅロ シバ?」

 

 遠のきかけた意識が翻転する。直後、全身が硬い地面に叩きつけられる激しい痛みを感じた。背中から伝わる衝撃が肺の空気を押し出し、呼吸ができなくなる。ズ・グムン・バがクウガの首を捻り上げ、勢いよく地面に叩き落としたのだ。

 酸欠と衝撃で脳が揺らぐ。視界がうまく定まらず、殴り合っていたはずのズ・グムン・バの姿を捉えられない。

 ズ・グムン・バは身動きが取れないようにクウガの胸を踏みつけると、両手を広げて雄叫びを上げた。弱り切った獲物には糸を使うまでもないと判断したのだろう。狩人の咆哮は空高く、人里の彼方へと吸い込まれる。

 異形と化した仮面、クワガタムシめいた顔の下で、五代の表情は激痛に歪んでいた。なんとか痛みを堪え、気を失うまいと必死に目を開ける。

 強化された視界に差し込む光はとても暖かく、懐かしさを覚えるものだった。絶え間ない暴力に曝されていてなお、そう思ってしまうほど、何よりも優しく、穏やかな光。

 

 ――青空。

 

 雲一つない快晴の空に、陽の光を遮るものは何もない。怪物を招いた灰色のオーロラさえ、もはやそこには存在していなかった。

 一瞬だけ、その美しさに魅入られる。迷い誘われ足を踏み入れてしまった最果ての郷。されど、彼が大好きだった『青空』の美しさは、この幻想郷においても変わることはない。

 

 ズ・グムン・バが鋭く伸びた鉤爪を振り上げる。いくら戦士クウガといえど、ここまで弱った身体に渾身の一撃を受ければ未熟な装甲など容易く貫かれ、致命傷は免れないだろう。

 どんな痛みにも耐えよう。どんな苦しみも乗り越えよう。だが、死だけは。ここで死ぬことだけは決して受け入れてはいけない。ここで自分が死ねば、誰の笑顔も守ることはできない。

 

 終わりだ クウガ!!

「ゴパシザ クウガ!!」

 

 クウガの顔面を貫こうと、振り下ろされた右腕を目の前で受け止める。力の入らぬ両腕でもって、なんとかその一撃を防ぐことができた。

 そのまま咄嗟の判断で右脚を振り上げ、怪物の尻を蹴り上げる。クウガの身体に足を乗せていたズ・グムン・バは体勢を崩し、よろめきながらクウガの身を解放した。

 立ち上がったクウガに向き直り、ズ・グムン・バは再び鉤爪を振るって攻撃する。クウガは両腕を上げて防御の構えを取るが、十分な力を込められず、腕の強化皮膚が鉤爪によって切り裂かれてしまった。零れる鮮血が白い鎧を汚し、里の大地に滴り落ちる。

 もはや、かつての仇敵を──否。弱り切ったこの『獲物』を狩るのに、そう時間はいらない。結果を確信したズ・グムン・バは、自身の背後に迫る小さな力に気づいていなかった。

 勝ち誇った笑みを零し、鮮血に濡れた鉤爪をクウガの心臓に突き立てようと、腕を振り抜く。

 

「……っ!?」

 

 瞬間、迫り来る爪の冴えを前にしてなお、目を閉じなかった五代の視界に閃光が走った。クウガの身体に一撃を見舞おうとしたズ・グムン・バの背中に一枚のお札が直撃し、その身を青白い光と火花に包んだのだ。

 爆発によって生じた煙を振り払い、余計な邪魔が入ったことに苛立(いらだ)った怪物は、煩わしげな様子を隠すこともなく、先ほどまで対峙していた三人の少女たちに向き直った。

 

「――ったく、なーに勝手に盛り上がってんのよ」

 

 右手に持った大幣を正面に伸ばし、蚊帳の外にされていた少女が不満げに声を上げる。霊夢が放ったお札は、やはりズ・グムン・バにとってまともなダメージにはなっていないようだ。

 しかし、それは明確な殺傷の意図。いつも通りの弾幕ごっこなら、相手の意識をこちらに向けることすらできなかっただろう。霊力には限りがあるが、今以上に込めることができれば怪物に対しても十分なダメージとなり得るはずだ。

 霊夢は静かに息を飲み、怪物の動きを待つ。蜘蛛の怪物はその場にいるだけで気分が悪くなるほどの露骨な敵意を剥き出しにしているのに対し、もう一方の怪物、白い鎧の戦士はこちらに一切の敵意を向けてこない。

 まだ確証を得るには至らないものの、霊夢は半ば彼を人間だと認め始めていた。仮に戦士の方が見た目通りの怪物だったとしても、少なくとも自分たちを傷つける意思はなさそうだ。

 今のところ、彼は今の自分たちと同じく、目の前の蜘蛛の怪物を倒すことを目的としていると判断できる。

 霊夢は彼が戦いの直前、魔理沙に見せていた『人間』としての笑顔を信じてみることにした。

 

「そこの白いの! 人間なら、今だけ力を貸してもらうわ!!」

 

 五代は霊夢の言葉に驚き、深く思い悩むような素振りを見せるが、ズ・グムン・バが霊夢たちの方へ注意を向けていることに気がつくと、両腕でズ・グムン・バの身体にしがみつき、背後から羽交い絞めにした。

 精一杯の力を込め、暴れる怪物を必死に押さえながら、名も知らぬ少女たちに右手の親指を強く掲げる『サムズアップ』のポーズを見せる。異形の仮面に阻まれ、表情を伺うことはできないが、その親指には見る者を安心させる不思議な魅力があった。

 霊夢はその仕草を承諾の意と受け取ると、それぞれの位置に控える魔理沙と慧音に目配せし、手に持った一枚のカードを見せる。それは今この場においては何の力もない紙切れだが、幻想郷に住む少女たちにはそれが何を意味するのか、考えるまでもなく理解できるものだ。

 

 二人は小さく(うなず)き、霊夢から離れてズ・グムン・バの視界から彼女を遠ざける。自分たちが前に出て戦うことで、霊夢に可能な限りの霊力を溜めさせる時間を稼ぐ作戦だ。

 彼女が放とうとしている技は、上手くいけば一撃で勝負の結果を左右できるかもしれない。だがその分、精密に霊力を整えなければ暴発の危険が伴うハイリスクなもの。普段の弾幕ごっこならそんな危険性は一切ないが、仮にも初めて、相手の命を奪う目的で使うのだ。周囲との連係が取れなければ、味方を巻き添えにしてしまう可能性が高く、さすがに慎重にならざるを得ない。

 

 先に怪物と戦っていた霊夢たちに加え、未知の戦士を味方だと仮定するなら4対1。たった一人増えた程度だが、その戦力差は先ほどまでより遥かに大きい。

 今までは能力の維持に必死で自分の身を守ることさえままならなかった慧音も、今ならば余裕を持って敵の攻撃を見切れるだろう。怪物の強さに焦ってしまい、攻撃にばかり気を取られていた魔理沙も客観的に戦況を把握し、動くタイミングを冷静に見計ることができるはずだ。

 

「いいか? 無理はするなよ。お前は能力の維持が最優先だ」

 

「分かっている。お前こそ、あまり前に出すぎるんじゃないぞ」

 

 魔理沙と慧音はとりあえずのところ、蜘蛛の怪物のみを優先的に警戒する。白い戦士への警戒が疎かになってしまい、最悪の場合不意を突かれて全滅という恐れもあるが、二人は歴戦の異変解決者である霊夢の判断を信じることにした。

 今、彼女らの目の前で戦っているのは二体の怪物ではない。人里を襲う一体の怪物と、それに立ち向かう一人の人間である。

 相変わらず何一つとして根拠は無いながら、霊夢の考えは、その仮説を信じていた。たとえ姿が異形と成り果てても、人ならざる異能を身につけても。人間でありたい、人間のままでありたいという想いを持つのなら、それは紛れもなく、幻想郷らしい『人間』であるのだ。

 

「ま、そういうわけだ。そのまま頼んだぜ、白いの!」

 

 クウガに羽交い絞めにされ、動けないズ・グムン・バの正面に立ち、魔理沙が言う。指を鳴らすと、彼女の傍らに二つの小さな魔法陣が展開された。

 光の魔法陣として召喚したのは、魔理沙が普段の弾幕ごっこにも使用している独立装備(オプション)の一つ、いわゆる『使い魔』の一種だ。彼女のものは単純な動きしかできないが、ある程度なら本体と同様の魔法を扱える。

 本体と使い魔による同時攻撃ならば、いくら強敵とはいえさすがに堪えるだろう。

 

「……光線(レーザー)は使えないか。だったらこいつだ!」

 

 光の魔法陣は輝きを増し、やがて高密度のマジックミサイルを撃ち放つ。緑色に輝く光弾は、速く鋭くズ・グムン・バに向かって飛び出した。

 魔理沙が愛用するイリュージョンレーザーなどの光線系ショットでは標的の身体を貫通してしまうため、ズ・グムン・バを背後から押さえつけているクウガにまで攻撃が当たってしまう。仮にも一時的な協定を結ぶのなら、不要な軋轢(あつれき)は生むべきではないと判断した。

 

 光弾は怪物に命中し、その身体に傷をつける。ダメージとしては微かなものの、この攻撃ならば背後にいるクウガにまで貫通することがなく、使い魔に頼っているため射撃精度に少々難があるが、これだけ近い距離ならば誤射の危険性はない。

 次々と飛んでくる蜘蛛の糸を走って避け、ズ・グムン・バに向けてマジックミサイルを撃ち続けながら、魔理沙はその間に溜めておいた魔力を自身の両手に収束させていく。

 

「そんな単純な自機狙い、私には当たらないぜ!」

 

 魔理沙は両腕を前に突き出し、流星群の如き光弾の雨を解き放った。

 撃ち出された【 スターダストミサイル 】は青白く輝きながら、ズ・グムン・バの身体に次々と着弾していき、星屑を散らして爆発する。使い魔から放たれるマジックミサイルも加えて、ズ・グムン・バには二種類の魔法が同時に炸裂した。

 防衛面も考慮し、必要以上の魔力消費を抑えるため、魔理沙は一定のところでスターダストミサイルを撃つのをやめ、マジックミサイルを放っていた使い魔への魔力供給を停止する。

 

「グゥッ……!」

 

 怒涛(どとう)の攻撃。魔力の奔流(ほんりゅう)に包まれ、ズ・グムン・バは(たま)らず呻き声を上げた。

 先ほどまでよりかは効果的なダメージを与えられているだろうか。不安になるが、迷いはない。ただひたすらに魔力をぶつけ、ズ・グムン・バへの攻撃と()す。今はただ、霊夢が十分な霊力を整えるまでの時間を稼げさえすればいい。

 スターダストミサイルを撃ち終えても油断はせず、魔理沙はすぐさま次の手を考える。この程度の攻撃で倒せるなどとは微塵も思ってはいない。せめて、怯ませるだけでも。続く霊夢の攻撃によって、もし倒せるなら。少しでもその一撃のために、怪物の体力を削っておきたい。

 

「私も、負けていられない……!」

 

 ズ・グムン・バが魔理沙に気を取られている隙に、慧音が溜めておいた妖力で青く輝く光の弾幕を生成した。細かく丁寧に練り上げられた妖力の光弾は、慧音の性格を示唆(しさ)するかの如く、寸分の狂いもなく配置され、独特なパターンを構築している。

 一斉に整列する光弾の波が慧音の正面に展開されると、ズ・グムン・バはようやくその妖気に気がついた。だが、体内に貯蔵していた蜘蛛の糸を使い切ってしまったのか、あるいは単に使う必要がないと判断したのか、怪物は慧音に気づいていながら蜘蛛の糸を射出してくる様子はない。

 

 力の弱い白いクウガでは、ズ・グムン・バを拘束しておくのにも限界がある。五代は自身の腹に肘が打ち込まれる苦痛に怯み、怪物の身を解放してしまった。

 再びズ・グムン・バに掴みかかろうとするも間に合わず、怪物は近くにいた魔理沙に爪を振るう。魔理沙は咄嗟に魔法陣で防御したが、込められた魔力は弱く、魔法陣は簡単に砕け散ってしまった。直撃は防げたものの、その衝撃によって弾き飛ばされ、地面に身体を打ちつける。

 

「痛ってて……」

 

「ご、ごめん!! 大丈夫!?」

 

 体勢を立て直しながら、魔理沙はズ・グムン・バに向き直る。五代は慌てて魔理沙の無事を確認するが、その様子は本気で魔理沙の身を心配しているようだった。

 返答を待つ間もなく、魔理沙への攻撃を続けさせないためにズ・グムン・バの背中に拳を叩き込む。狙い通り、ズ・グムン・バは再び五代に注意を向けたが、その対処のために魔理沙を気にかける余裕を失ってしまう。

 突っ込んできた爪を避け、その勢いに沿って背後を取る五代。拳を振るうが、振り向いたズ・グムン・バの爪によって拳が弾かれ、手甲に深い傷がつく。

 さすがに二度も背後を狙うことはできなかったが、上手く立ち位置を変えることができた。今、彼の位置はズ・グムン・バと魔理沙たちに挟まれる形にある。この位置関係ならば、もし再び魔理沙たちが襲われてもその間にいる五代が盾となり、彼女らへの接近を阻害できるだろう。

 

「いや、私が油断しただけだ。謝らなくてい……い?」

 

 今更ながら、魔理沙は白い戦士と会話をしている自分に不思議な感覚を覚えた。

 なんとなく分かってはいたが、やはり白い戦士とは人間と同じく普通に会話ができるのか。特に疑問も感じず言葉を返していたが、よく考えたら異形の姿の怪物と当たり前に言葉が交わせることに妙な感動が沸き起こる。

 幻想郷は、人ならざる存在が人と共に生き、人と同じように暮らす場所。当たり前だと思っていたそれがひどく奇跡的なように思えて、魔理沙は少しだけ嬉しくなった。

 

「よそ見をしている余裕があるのか? 怪物!!」

 

 自由の身となったズ・グムン・バに対し、動く隙も与えず慧音が叫ぶ。振り下ろされた右腕を合図に、青の光弾、慧音の妖力で構成された弾幕は怪物に向かって射出された。

 間髪入れず、続けて左腕を振り下ろし、今度は赤く輝く妖光の弾幕を生成と同時に射出する。刃のように鋭く研ぎ澄まされた赤の光弾は青の光弾の隙間を縫い、より速く怪物に向かって突き進んでいった。

 怪物の身体に命中した弾幕は小さく爆発し、妖気の煙に包まれたズ・グムン・バが小さな呻き声を上げる。やはり大した深手を負わせることはできなかったが、少なくともダメージにはなっていると信じたい。

 弾幕を撃ち終えた慧音が後退し、自身の妖力を整える。蜘蛛の怪物は幻想郷の歴史に詳しい慧音の知識をもってしても正体が分からない。白い戦士もそれは同じだが、怪物には明確な悪意があるのだ。正体不明の未知の怪物が里に侵攻しようとしている状況で、負けることなど何があっても許されない。――いざとなれば、怪物と刺し違えてでも里を守る覚悟さえ、慧音にはあった。

 

「まったく……前に出すぎるなと言っただろう」

 

 慧音は本日何度目かの尻餅をついた魔理沙に手を差し伸べる。その手を取って立ち上がると、魔理沙はばつが悪そうに笑っていた。

 二人はズ・グムン・バから一旦離れつつも、後方に控える霊夢との距離は怠ることなくしっかり取っている。落ち着いて呼吸を整え、それぞれ魔力と妖力を練り上げた。

 魔理沙の魔力は傍らに輝く二つの魔法陣に。慧音の妖力は彼女の両手に光と灯る。

 

「それっ!」

 

「はぁっ!」

 

 解き放たれたエネルギーが弾幕となり、ズ・グムン・バに向かって同時攻撃を行った。魔理沙は使い魔から赤く輝く双条の光線を照射し、慧音は自らの両手から青と赤の光弾を射出する。二つの力は同時に命中し、小さいながらも確実なダメージを与えていく。

 魔理沙の使い魔から溢れる光線、【 ストリームレーザー 】はイリュージョンレーザーのように高密度な収束率を持たないが、ある程度の距離から対象を焼き払うのに適している。たとえズ・グムン・バの身体を貫通したとしても、今ならばクウガに当たる心配はない。

 小賢しい連撃。悪足掻(わるあが)きに等しい抵抗。それでも、ズ・グムン・バにとっては無視できないものとなっている。本来ならば取るに足らない些細な攻撃だったが、油断していたせいか僅かに体勢を崩す。ズ・グムン・バは弾幕と爆煙によって視界を覆われ、一瞬だけ相手の姿を見失った。

 

「今だ!!」

 

 慧音が再び声を張り上げる。振り向く先は白い鎧の戦士。名乗りも交わさず、言葉だけで意思を伝える。それでも、慧音の想いは戦士へと伝わった。

 五代は小さく頷くと、右腕を左正面へ真っ直ぐ伸ばし、左手を右腰に小さく添える。右足の爪先を怪物に向け、両腕を振ってズ・グムン・バへと走っていく。右足の裏に感じる熱。本来灯るべきその力に比べると、ひどく心許ない。だが、それは今の自分にできる最大の一撃なのだ。

 

「はぁっ!!」

 

 大地を蹴り、空を舞う。両脚を抱え、空中で前転を加えると、その回転エネルギーを重力に乗せ、ズ・グムン・バへと鋭い飛び蹴りを放った。白いクウガが放ち得る一撃、渾身の【 グローイングキック 】が、ズ・グムン・バへと炸裂する。

 怪物の全身に響く衝撃。クウガの右足によって与えられるそれは、数値にして数トンにも及ぶ。まして魔理沙と慧音の弾幕が怪物にダメージを与えていたのだ。何も感じないはずはない。

 

 蹴り飛ばした反動でクウガが翻る。後方に着地し、右足の裏に焼けつく熱を感じながら、しゃがんだままの姿勢でズ・グムン・バを見た。ズ・グムン・バはゆっくりと立ち上がり、蹴られた胸の中心から白い煙を立ち昇らせている。

 右足に灯る熱、怪物を蹴り飛ばす感覚。紛うことなき、白いクウガのグローイングキック。その確実な命中を見届け、五代は待った。ただ静かに、望む結果を待ち続けた。

 

 怪物が呻き、その胸には輝く光の『文字』が――

 

 …………

 

 ――現れない。

 

 本来ならば怪物の胸に刻まれているべきその『文字』は、ついぞ現れることはなかった。それは力の欠片ですらない。光どころか、形と呼べるものは何もなく、文字を構成する線の一つさえ、そこには浮かび上がってこなかった。

 立ち上がってズ・グムン・バを見る。少なからずダメージは入っているものの、望んだ結果は得られていない。この右足に灯る熱、怪物への決定打となる力は、ズ・グムン・バには伝わっていないようだ。

 込められた力は怪物の厚い体皮に阻まれ、ほとんど発揮されずに霧散してしまっていた。

 

「……っ! やっぱり、まだダメか……!」

 

 五代は、キックそのものの威力で怪物を倒せるなどとはそもそも期待していなかった。

 肝心な力――クウガが持つ力の本質は物理的な衝撃ではない。クウガの足裏に刻まれたリントの文字。その干渉による特殊な反応。今まで『グロンギ』と呼ばれる未確認生命体、すなわち彼らと同じ怪物を倒してきた力は、まさしくその文字が引き起こすものだった。

 だが、今はその力すら満足に使えていない。かつて未確認生命体第26号(キノコの能力を持ったグロンギ)へと放ったグローイングキックは、弱いながらも確実にその干渉を与えていたはずだ。死の淵から蘇ったこの第1号(ズ・グムン・バ)が強くなっているのか、それとも今の自分が以前よりもさらに弱くなっているだけなのか。

 

 ならば、もう一度。五代は再び自身の右足に熱を込め始める。だが、いくら気合を入れどもその熱が蘇ることはなかった。力を込める度、全身に激痛が走る。アークルの傷が、モーフィンクリスタルの亀裂が、全身の神経を引き裂く痛みに()いている。

 痛い。辛い。苦しい。戦いの渦、悲しみの螺旋。己の嘆きを押し殺し、今にも引き千切れそうな身体を奮い立たせ、五代は再び、グローイングキックを蹴り放つ構えを取った。

 

 ――その瞬間、背後から感じる神秘の圧力。滲み溢れるその力に、五代雄介は光を見る。

 

「やっとかよ。待ちくたびれたぜ……!」

 

 魔理沙が呟く。視線の先は、何度も見慣れた霊夢の姿、その(たえ)なる霊光に。

 

「そこの君! 巻き込まれないように気をつけろ!」

 

 慧音が告げる。視線の先は、それを知らぬ未知なる白い戦士へと。

 

「えっ? 俺? ――えっ!?」

 

 クウガは、五代雄介は、理解していなかった。霊夢の力、一見普通の少女である彼女が持つ、意思の力を。

 左右に退避し、ズ・グムン・バへの道を開く二人に対し、五代は未だ困惑していた。いったい何が始まるのか、彼には検討もつかない。だが、それはグローイングキックの衝撃で僅かに動きを鈍らせたズ・グムン・バも同じだ。その意味を理解できるのは、弾幕ごっこに慣れ親しんだ幻想郷の住人だけ。今この場にいる中では、魔理沙と慧音、そして、霊夢だけがその光を知っている。

 

「――スペルカード」

 

 神に奉るが如き、清く透き通った声。博麗霊夢が手にする『スペルカード』そのものに、特別な力は込められていない。命を奪うことなく平和的な決闘を行うための札。スペルカードルールにおいて用いられる、単なる攻撃意志宣言に過ぎないもの。

 普段ならそれを示すだけのただの紙切れは、幻想郷を踏み荒らす知性ある獣に対する、最後の通告。その本質たる技は、霊夢自身によって発動される博麗の封印術だった。

 

 霊夢は目を閉じたまま、一枚の札を高く掲げる。励起(れいき)した霊力が、赤く、青く、緑に輝く。浮かび上がった霊力の塊が、三様に形成された七つの光球となって霊夢の周囲に漂い始めた。

 光球が揺蕩(たゆた)うだけで空気が張り詰める。神秘的な雰囲気がその場一帯を覆い尽くす。博麗の祈祷(きとう)。霊夢の十八番(おはこ)。これまで数多くの妖怪を退治せしめてきた、博麗霊夢の必殺技(ボム)

 

 一つ、深く呼吸をする。ただ一言、この場においては無意味な宣言をするために。弾幕は武器ではない。スペルカードは兵器ではない。そのことを自らに戒めるように。

 霊夢は目を開き、幻想郷の(がん)となった怪物をしかと見据える。掲げた札を振り下ろすと同時に、博麗の巫女は高らかに謳う。秩序の代行者として。幻想的な決闘法(スペルカードルール)の提唱者として。必要以上に美しく、機能以上に麗しい、艶やかな無駄に彩られた遊びの極致に、願いを込めて叫んだ。

 

霊符(れいふ)夢想封印(むそうふういん)!!」

 

 七つの光球が震える。(しと)やかに舞う光は、ズ・グムン・バの存在を確かに捉えた。緩やかな軌道を描き、光球はそれぞれが怪物に向かって飛んでいく。

 その光は、弾丸と呼ぶには遅すぎる。だが、この光に『速さ』など必要ない。一度捉えたものは、決して逃れようがないのだ。どれだけ避けても翻り、どこまで逃げても必ず追い詰め、如何なる相手にも『封印』という干渉を押しつける。それは霊夢が意図せずとも、彼女が生まれ持った天性の才能。博麗の加護という名の、あまりにも一方的で反則じみたルールである。

 

 クウガを掠めて横切る光球。そのうちの一つ、赤い光が僅かに瞬く。

 同時に、クウガが装うアークルの中心、朱色に輝くモーフィンクリスタルに微かな『赤』が灯ったような気がした。まるで霊夢が放った光に呼応するかのように、優しく暖かな光が身体の底から湧き上がる。

 加えて、右脚に(ほの)かな熱が宿る感覚。五代は、この戦いの中で確かにそれを感じた。ただ、一瞬のことであったため、その感覚を掴むことができぬうちに消えてしまったものの、この感覚には覚えがある。五代が至るべき本来の姿。戦士とあるべきクウガが持つ、本当の力。

 

 五代がその感覚に気がつくや否や、彼の目の前で大きな光が連続して炸裂した。一つ、二つ、三つ。光球は次々と着弾し、怪物の全身を霊力の爆発に包み込む。その力の奔流は、霊力など知る由もない五代でさえ、ただの風圧ではない何かが顔を打ちつける実感を得るほどに強く、激しい。

 

「グゥゥゥオオオッ!!」

 

 圧倒的な光の爆発。その一撃は、紛れもなく怪物に対する大きな一手。その結果は確認せずとも、耳を(つんざ)く怪物の怒号を聞けば分かる。

 霊夢が放つ【 霊符「夢想封印」】は、彼女が最も得意とする『誘導』の性質を最大限に活かした彼女愛用のスペルカードだ。相応の霊力を込める必要があるとはいえ、ホーミングアミュレットよりも遥かに高い追尾性能を持ち、パスウェイジョンニードルや博麗アミュレットを大きく上回る威力が期待できる。それはまさしく、霊夢にとって頼れる必殺技と言う他にない。

 

 一度に多くの霊力を消費しすぎた霊夢が肩を崩す。乱れる呼吸を整え、額の汗を拭って再び顔を上げた。ある程度の余裕を持って弾幕を放ったつもりだが、予想以上に霊力を使ってしまったようだ。普段ならここまでの力を込める必要はないだけに、精神的な負担が大きく感じる。

 突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)、白い鎧の戦士がこの場に入って来なければ、これだけの一撃を確実に与えられる隙は訪れなかっただろう。偶発的に万全の状態でスペルカードを発動できたが、この攻撃で確実な深手を与えることができなければ、霊夢たちの勝利はあまりに絶望的なものになっていた。

 

「グ……グゥオ……オオオ……ッ」

 

 爆ぜた霊力の煙が晴れ、甚大(じんだい)なダメージに激しくもがき苦しむ怪物が姿を現す。息を切らし、呻き声を上げるその様に、先ほどまでの威勢は感じられない。

 

「よっしゃ! 効いてるぜ!」

 

「どうやら、倒せない敵ではないようだな……!」

 

 致命傷とまでは至ってはいないようだが、ようやくまともな深手を与えることができた事実に魔理沙は無邪気に喜ぶ。慧音も警戒を怠らないながら、今までとは違う怪物の反応に確かな手応えを感じていた。

 これなら、この戦力でも奴を倒すことは不可能ではないかもしれない。その答えが、膝を突きかけた身体に再び希望を芽生えさせてくれた。

 

「すごい……」

 

 五代は、その光景を見て呆気に取られていた。拳を構えることも忘れ、目の前で起きた光の爆発を、ただただ茫然(ぼうぜん)と見ていることしかできなかった。

 この少女たちが不思議な力を持っているのは理解していた。五代もよく知る怪物――グロンギと戦っていたのには驚いたが、光を散らし、弾幕を交し合うその光景は、目で見てなんとなく理解して受け入れていたつもりだった。

 だが、その輝きはさっきまで共に戦い、隣で見てきた少女たちの弾幕の光とはまるで違う。溢れんばかりの輝きが、思わず見惚れんばかりの美しさが。そこにはあったのだ。

 

 この場に似つかわしくない想いはすぐに拭われる。ズ・グムン・バが腹を押さえる右手の隙間から、小さな光が漏れているのに気がついたためだ。怪物が手をどけると、その腹部には何らかの象形文字にも見える光の紋章が現れる。

 左右から力を加えられる人の形に似た紋章は微かに明滅を続けていたが、弱々しいその光はズ・グムン・バが大きく咆哮を上げると同時に(かす)み、やがて完全に消え去ってしまった。

 

「……っ! 今のは……!」

 

 五代がよく知るその紋章。クウガの足裏に刻まれたリントの文字。流し込まれた封印の力を表す刻印は、古代リント文明における『封印』を意味する表意文字だ。

 普段ならクウガの一撃によって刻まれる文字は、白いクウガ、グローイングフォームでは力及ばず、蘇った第1号(ズ・グムン・バ)には刻み込むことができなかった。

 しかし、たった今そこに浮かんだ文字は、間違いなくリントの刻印。五代が手を下したわけではない。クウガの力を継ぐ者が、この時代に二人といるはずもない。この文字は、紛れもなく霊夢が放った夢想封印の一撃によって、ズ・グムン・バの身体に刻み込まれたのだ。

 

 なぜ……

「バゼ……」

 

 ズ・グムン・バはただ、疑問に感じていた。自身がこれだけの深手を負ったことに対して、ではない。クウガならざるただの人間(リント)が、自身に『封印』の力を与えたことに対してだ。

 かつてクウガに受けたその力に比べると、今の力はまだ弱い。ただの気合をもって、ズ・グムン・バはその文字を打ち消してしまった。霊夢の夢想封印を受けたことで相当なダメージを受けているものの、この程度の封印ならば抗い切れるようだ。

 怪物は苦痛を押し殺して立ち上がり、再び霊夢たちに揺るぎなき殺意の視線を向ける。

 

「くっ……まだやるっての……!?」

 

 渾身の一撃を与え、確かに手応えはあった。だが、いくら周囲への被害を考慮して精密に霊力を調節したとはいえ、純粋に殺傷目的で放った夢想封印を受けてもまだ息があるとは。

 直感的に理解はしていたが、もはやこの怪物は人間の手に負えるものではないのか。今まで如何に強大な妖怪に対しても恐れることはなかった霊夢でさえ、今回ばかりは少しだけ気が滅入りそうになった。

 霊夢は弱気の自分を振り払い、いつも通りの自分自身で妖怪ならざる未知の異形を睨みつける。妖怪よりも物理的な怪物は、曖昧で抽象的な存在である妖怪と比較して、幾許(いくばく)かは戦いやすい。相手がどれだけ強大でも、それが生物であるならば単純な方法でも殺すことはできるはずだ。

 

 夢想封印によって与えた怪物の損傷は早くも癒え始めている。このままでは(らち)が明かない。奴を倒すには一撃をもってその身体を完全に破壊するか、肉体が再生するよりも早くその根源を断つ必要がある。

 だが、そもそも十分なダメージを与えるのにさえ一定以上の力を込めなくてならないし、次の攻撃を放つまでの隙を上手く埋めなければまた怪物の身体は再生してしまう。

 夢想封印以上の威力を持つスペルカードもあるにはあるが、通常の弾幕ごっこでさえ死者を出しかねないほどのものが大半だ。本気の霊力を込めれば間違いなく味方を巻き添えにし、さらには慧音の能力で秘匿されている人里にも被害が及ぶかもしれない。

 ならば手段はただ一つ。それぞれが持つ渾身の術技を連続でぶつけ、怪物の再生が始まる前にその肉体を破壊し尽くす方法だ。ダメージこそ与えられているものの、この驚異的な生命力を持つ怪物を確実に殺すことができる保障はないが、今はそれくらいしか思いつかなかった。

 

「魔理――」

 

 霊夢が魔理沙たちに作戦を告げようと、口を開く。だが、その言葉が紡がれることはない。突如吹き荒れた突風によって、視界の一切が巻き上げられた土煙に消えたのだ。

 咄嗟に腕で顔を覆ったため、目の前から怪物の姿が消える。この状況で奇襲を受ければ、甚大なダメージは避けられない。微かな焦燥が身を焼いたが、一瞬の憂いは杞憂(きゆう)と失せ、すぐさま土煙は晴れてくれた。

 突風の正体は、幻想郷の気象や天候の影響によるものではない。博麗大結界を隔てた向こう側の世界である、『外の世界』の空気だったのだ。

 霊夢はその空気を知っている。妖怪も神秘も、あらゆる幻想の一切を排斥(はいせき)する拒絶の渦。冷たく濁っているが、どこか怜悧(れいり)さを感じさせる、紛れもない外の世界の風。霊夢自身は今、幻想郷の中にいるにも関わらず、その空気を感じただけで妙な居心地の悪さを覚えていた。

 

「……っ!」

 

 ─―咄嗟にお札を構える。晴れた土煙の先の空には、やはり灰色のオーロラがあった。

 おそらく、このオーロラは博麗大結界を無視し、幻想郷と外の世界を直接的に繋げる力があるのだろう。

 性質こそ違えど、その実態は『結界』と呼ぶに相違ない。このオーロラの向こう側に繋がる外の世界から流れ込んできた空気が、突風となって幻想郷に入り込んできたのだと推測できた。

 

 どこか冷たく鋭い風が人里の空を仰ぐ中、晴天の下に現れたオーロラの彼方に朧気な人影が浮かび上がる。灰色の波紋を広げ、オーロラの向こうからゆっくりと歩いてきたのは、波立つ黒髪を湛えた長身の女性だった。

 (ひたい)の白いタトゥと唇と染める紅色は、二つの相反する意思を感じさせる。その身に纏う漆黒のドレスは風に揺られ、首に巻かれた深紅の花飾りと共に女性の威圧的な美しさを彩っていた。

 

「――グムン」

 

 ただ一言、女性は強い口調で発声する。その言葉を聞いて、霊夢たちと戦っていた蜘蛛の怪物、ズ・グムン・バは動きを止めて背後を振り向き、黒衣の女性を強く睨みつけた。

 

 勝手な真似をするな ゲゲルは まだ始まっていない

「バデデバ ラベ ゾグスバ ゲゲルパ ラザ ザジラデデ ギバギ」

 

 女性は表情を変えず、淡々と告げる。その言葉はやはり霊夢たちには理解できない。操る言葉は彼ら独自の文明から成り立っている『グロンギ語』と呼ばれる特殊な言語。霊夢たちはもちろん、グロンギと戦ってきた五代でさえ、その言葉の意味を知ることはできなかった。

 この女もやはり、常人ではない。操る言語もだが、放つ雰囲気が異様な殺気に満ちている。彼女の言葉によって動きを止めた怪物を見るに、怪物たちを統率する立ち位置にあるのだろうか。

 

 待っていろ お前を殺すのは この俺だ

「ラデデギソ ゴラゲゾ ボソグンパ ボン ゴセザ」

 

 ズ・グムン・バは再びクウガに向き直ると、グロンギ語でそれだけ吐き捨て、ゆっくりと後ずさる。背後に広がるオーロラに飲み込まれていき、沈むようにその向こう側へと消えていった。

 オーロラは波紋を揺らし、ズ・グムン・バを受け入れる。残された黒衣の女性も同じく、クウガたちに背を向けてオーロラの向こうへと消えようとしていた。

 それに気づいた霊夢は咄嗟にお札をしまい、無意識のうちに身体に霊力を込め始める。

 

「ちょっ……! 待ちなさい!!」

 

 逃がすまい、と。霊夢は慌てて走り抜けた。魔理沙と慧音の間を抜け、クウガの傍まで一瞬に等しい時間で移動する。霊夢が意識したわけではない。彼女は普段から、無意識のうちに瞬間移動を行うことがある。本人は真っ直ぐ移動しているつもりでも、他者から見たら空間を跳躍しているようにしか見えないのだ。

 風圧は起きない。文字通り、離れた位置から離れた位置に直接移動したためだ。霊夢にとってはただ、気がついたらオーロラの前まで来ていただけでしかない。五代は突如として現れた黒衣の女性に気を取られ、いつの間にか隣に来ていた霊夢の存在に気づかなかった。

 

 霊夢の接近に気づいたのか、黒衣の女性が振り返り、手をかざす。直後、巻き上がる薔薇(バラ)の花びらと激しい突風が生じ、霊夢たちは再び視界を奪われてしまう。一瞬、僅かに見ることが出来た女性の顔は、霊夢を見て微かに笑っているように見えた。

 濁った空気を鋭く切り裂き、鼻を(くすぐ)る独特の色。むせ返るような薔薇の香りが強く漂い、霊夢たちの脳を刺激する。気がつけば、目の前の空に広がっていた灰色のオーロラは、どこへともなく消え去っていた。

 オーロラから現れた女性も、外の世界の空気と共に姿を消している。そこにはもはや、霊夢たちを包む薔薇の香りと、舞い落ちた数枚の花弁の他には何も残されてはいない。

 不快ささえも感じさせる強い香りが身を包む。あの女の行動は、何らかの警告のようにも思えた。あの女もおそらくは蜘蛛の怪物と同じ存在なのだろう。ならば、なぜ奴は蜘蛛の怪物を引き止めたのか。理由は分からないが、こちらに好意的でないことは雰囲気から見ても明らかだ。

 

「もう、なんなのよ……」

 

 霊夢は肩を落として小さく呟く。その傍らで、白いクウガが地に落ちた薔薇の花びらを拾い上げた。五代にとって、あの薔薇の女を見たのは初めてだが、心当たりがないわけではない。かつて共に未確認生命体と戦った無二の相棒、警視庁のとある刑事から聞いたことがある。

 それは、未確認生命体B群第1号と称されていた。B群とは、未確認生命体と判断されながらも一度も『怪人態』を見せていない存在に対する呼称だ。

 その刑事からは『薔薇のタトゥの女』と呼ばれていたが、今の一瞬、あの距離ではタトゥまではよく見えなかった。だが、薔薇の能力を持った未確認生命体であるならば、かつて警視庁合同捜査本部で見せてもらった写真と合わせても、あの女がその『B1号』である可能性は高い。

 

 五代は左手に花びらを持ったまま何もない空を見上げる。広がる青空は、長い戦いの末にその表情を変えていた。すでに夕刻を過ぎ、沈みゆく太陽の斜光によって空は茜色に染まっている。夕陽を受け、クウガの白い鎧はオレンジ色に輝いていた。

 そういえば、初めてクウガとして戦ったときも、その戦いの終わりは夕暮れ時だった。五代はそのことを思い出し、振り返って霊夢たちを見る。怪物には逃げられてしまったが、無事にこの子たちを守ることができた。

 一応の脅威は去ったと安心させるため、五代は右手でサムズアップを決める。ズ・グムン・バとの戦闘で身体はボロボロになってしまったが、五代の心に、後悔などは微塵もなかった。




戦闘シーンを書くのが一番タノシーストライク。

次回、EPISODE 4『幻想』
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