東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm. 作:時間ネコ
幻想郷ならざる別の時空。九つの物語に連なる『彼ら』にとって、それは十番目の世界と定義できる場所であった。
クウガ、アギト、龍騎――そしてファイズ、ブレイド、響鬼。それらに加え、残る三つを束ねた九つの物語がこの世界を座標として収束されている。九つの法則を宿しているという条件は現在の幻想郷と共通してはいるが、ここには紫が求める『楔』に当たる者はいない。
九つの世界が歪に混じり合った境界線。灰色のオーロラと似た現象か、寸断された空と雲、建造物の先にはまったく異なる景色が広がっている。
この境界の先には別の世界が続いているように見えるが、それはもともと別の世界だったものを強引に『この世界』へ押し込んだため。一つの世界の中に九つの世界が混ざり、十番目の世界はそこに紡がれてきた九つの物語を内包する混沌の様相を呈していた。
境界の先へ一歩踏み出せば、そこは別の法則に満ちた領域。同じ世界の中でありながら、別の世界に踏み込んだような。この世界という器に九つの世界という泡が漂っているような現状であれば、世界同士の接触による対消滅――
「…………」
人間と呼べるものはここには存在しない。世界の融合が成される前、元の世界にいた人間たちは世界ごと
ある者はそれを生け贄――『女神』への供物だと称したが、すでに人間としての死を迎え、人ならざる異形の怪物――オルフェノクとなったこの男はそうは思っていない。
ここはファイズの世界を基準とする領域の一角である。混じり合う九つの世界のうち、自身が生きた場所、自身が社長として君臨していた企業、スマートブレインの本社ビルにて。鋭角の意匠を持つ奇妙なオブジェの直下、男は上等な椅子に座って机の上のパソコンと向き合っている。
「こうなる気はしていましたよ。前社長。……やはり、貴方は邪魔な存在のようだ」
机にそっと拳を乗せる。口調こそ落ち着いたものではあったが、画面に映るヤギのオルフェノクに視線を落とす
震える拳を握りしめたまま視線を動かす村上。またしても三本のベルトをみすみす奪われた部下たちの愚かさ、自身の愚かさ。ひいてはスマートブレインという組織、オルフェノクという種族そのものへの怒りが彼の心を染めていく。
だが、その矛先はすべて一人の男に集約されていった。オルフェノクでありながら人類に味方をする異分子。スマートブレインの創業者にして村上の前任者を務めていた男に。
彼の視線の先に映るは幻想郷にて妖怪の山に助力する花形という男だ。ヤギの特質を備えた個体とは思えぬ超常的な力と速度をもって、かつてはスマートブレインが保有する三本のライダーズギアを強奪された。そして、またしても回収と修復を終えたそれらすべてがあの男の手の中へ。
「……だが、今はあのときとは違う。我々には心強い味方がいるんですから」
腹の上で指を組み合わせ、村上は自信に満ちた笑みで椅子の背もたれに寄り掛かった。
この世界に在るのはファイズの世界の法則に依るもの――死灰から蘇った彼らオルフェノクだけに非ず。
別の世界の法則を宿した様々な協力者が、同じ志を持ちてここに集まっている。殺戮を遊戯とする太古の民族も、神の勅命を受けた獣の君主たる天使たちも。果ては幼い兄妹の祈りによって生まれた鏡像世界の怪物から、動植物の始祖となった不死生物たちまでもが。
村上本人はその存在を信じていなかったものの、異世界には妖怪などというおとぎ話さえ実在の怪物として存在しているらしい。
幻想郷などという特異点を観測してしまった以上は自然の猛威が化け物となろうことも受け入れざるを得なかった。
自嘲気味に笑う村上の正面、この社長室の机の前。奇妙なオブジェを覆うように、灰色のオーロラがカーテンめいてゆっくりと降りてくる。
それは村上も与えられている『世界を超える力』の一端として馴染み深い。如何なる原理か誰にも分からないが、それは協定を結んだほぼすべての同士たちが扱える共通の能力だった。
「君たちオルフェノクのお仲間になったつもりはないけどね」
オーロラから姿を現したのは赤いジャケットと明るく遊ばせた金髪が目立つ少年だ。いくつものアクセサリーを装い、そう告げる口調にはどこか軽薄さが感じられるが、その眼光には歴戦の経験が宿っている。
少年の名は── キング 。彼は
ブレイドの世界の法則に由来する怪物。彼はコーカサスオオカブトと呼ばれるカブトムシの始祖として、遥か太古の地球に生み出されたアンデッドの一種だ。
ヘラクレスオオカブトの始祖であるビートルアンデッドとは近い種ではあるが、バトルファイトにおいてはそれらも敵同士。圧倒的な力で戦いを進めていたものの、一万年前の戦いでは人類の祖に敗北し、勝利者の座を明け渡した。
あれから一万年後。次に開催されたバトルファイトは、人類の傲慢によって引き起こされた偽りの戦い。本気で剣を振るう価値のない、まるで子供の遊戯のような退屈な儀式であった。
アンデッドや仮面ライダーたちは戦っているのに、ほとんどの無関係な人間は何も知らずのんきに暮らしている。そんなバカバカしい空虚な戦いに嫌気が差し、彼はその間違ったバトルファイトを滅茶苦茶にしてやろうとした。
目的など始めからない。誇りなんて誰にもない。勝ち残っても何も得られるものはない。なればこそ、この時代に解放されたことを利用して『面白い』ことを起こしてやるだけだと。
「そっちの君もそうだろ? みんなそれぞれ違う目的があるってことさ」
キングは同じオーロラからスマートブレイン本社社長室へと踏み入ったもう一人に声をかける。絢爛な和装に身を包んだあどけない少女は肩まで伸びた己が茶髪を飾る骨の髪飾りを優しく撫でると、敵意とも親しみともつかぬ視線でキングを一瞥する。
柔和な顔立ちながら無機質ささえ感じられる瞳を正面の村上に向け、少女は唇を開いた。
「わたしは、言われた仕事をこなすだけ」
少女のように見えても、彼女もまたここに在るすべての存在と同様に人ならざるもの。幻想郷の妖怪に似た気配を有してはいるが、それらとはまた違う異質な気。幻想の一切を帯びず太古から紡がれる原初の妖気だけが形を成したような、醜く歪な邪気に満ちた不浄の化生。
響鬼の世界の法則に由来する魔化魍という怪物――その一種として少女はおぞましい邪気を湛えて存在している。
この姿のままであれば、そのような邪気は誰にも感じ取られることはないだろう。されど彼女もまた自然の淀みたる魔化魍の本質として。戦国時代の響鬼の世界にて語られこの地に呼び寄せられた知性ある『ヒトツミ』の名のもと。古より共に生きる『もう一つの貌』を骸と晒した。
「俺ァ鬼どもの血を思う存分かっ喰らえりゃァそれでいい」
白銀の形相は魔化魍にして鬼の如く。
鈍く響くような声色と恐ろしき怪物の貌は、彼女がヒトツミと呼ばれたる所以。あるいは二口女とも呼ばれる伝承の妖怪、
それだけ告げると魔化魍ヒトツミの顔面は朧と消え失せ、再び少女の顔が現れる。
「ええ、もちろん弁えていますよ」
まるで客人の相手をするかのように計画の協力者に笑みを向ける村上。ゆっくりと椅子から立ち上がり、背後の大きな窓へと歩みゆくと、その外には混じり合った世界の景色が見えた。
「…………」
昼と夕暮れが寸断された空には真っ二つに裂けた雲が浮かぶ。人々の喧騒一つ聞こえない街並みには有象無象の怪物たちが蔓延り、その上空をトンボ型の青いミラーモンスターやエイとツバメを混ぜたような魔化魍が翼を広げて飛んでいく。
星々の瞬きの如く、地上にも上空にもいくつものオーロラが生じては消える。その度に怪物たちが現れては消え、人のいないこの世界では何をするでもなくただ在るだけ。
「ひっどい世界だよねぇ。まぁ、僕はこういうカオスな感じ、正直嫌いじゃないけど」
村上の隣に並ぶようにキングもまた窓辺に立った。ポケットに両手を突っ込みながら眼下を見下ろし、スマートブレインの社長室からこの世界の一部――ファイズの世界を『再現』した領域に視線を落とす。
本来あるべきファイズの世界は、幻想郷に接続された後、情報となって消滅した。厳密にはこの十番目の世界のとある概念――『女神』とも称されるものに吸収された。その上でファイズの世界の一部、このスマートブレイン本社が存在するとある一区域が再現され具現化されたのだ。
「こいつら全部喰い尽くせば、ちったァ腹の足しになるか?」
「うわっ、その顔でいきなり後ろに立つのやめてよ。結構びっくりするからさ……」
キングの背後にて魔化魍の貌を晒したヒトツミが重苦しく呟いた。背後に怪物の気配があることは分かっていたが、少女だと思っていたそれが異形の相貌を剥き出しにしていると予想外の光景に不思議と人間らしい感情を覚えさせられる。
すぐに少女の顔に戻ったヒトツミはつまらなそうに窓の外を見渡しながら、妖力で歪めた空間から白い
「我々の望みは、オルフェノクの未来。ですが、来たるべき破壊のためには協力は惜しまないつもりです。それはきっと、彼ら──他の世界の者たちも同じでしょう」
村上は眼下の世界を見下ろしたまま隣に立つキングに告げた。オルフェノクという不完全な命は、この世に留まるべきものではない。すでに死した人間としての命が長くは紡ぐことができないという呪いを帯びている。
だが、それを解決してオルフェノクを完全な存在にすることができるものもいた。それこそが村上が見定めた──彼らにとっての『方舟』となり得る存在。
人間が死して覚醒した不完全な命から人間という要素を捨て去り、純粋なるオルフェノクとして確立させることができるオルフェノクの王たる者。
その復活には多くのエネルギーが要る。そのエネルギーとはオルフェノク自身という生け贄である。多くのオルフェノクのために同族を犠牲にして王に捧げる必要があるのだが、自らの死を拒む者も当然いよう。
中にはその救済を恐れて王を殺そうとする者も現れるかもしれない。そんな蛮行を阻止するため、王を守るために作られたのが、オルフェノクの手でオルフェノクを殺すための力、スマートブレインの技術によって開発された三本のベルト──ライダーズギアであるのだ。
「オルフェノクの王……だっけ? 僕を差し置いて王様を気取られるのはちょっと気に入らないけど、たしかに寿命ってのがあるとめんどくさそうだ。君たちは普通より短いらしいしね」
村上の言葉に返すキングは、自ら『そのくらい強い』として名乗った
その子供じみた慢心によく知る王様気取りの同族を思い出し、苦笑すると、村上は彼がまさしく王を殺そうとしていた愚かなオルフェノクであったことに憐れみも覚えた。たとえ無双に近い力があっても、王を殺そうという思想を持っていては何の意味もない。
王の祝福に預からなければオルフェノクに未来はない。かつての戦いでは王が死に、すべてのオルフェノクが時を待たずして滅び去ることが確定してしまったようだが――今回こそは再びオルフェノクの未来を掴んでみせる。
二度と邪魔はさせない。かつてと同様に、この身を王に捧げてでも。そのために異世界の法則を宿した怪物たちと協定を結び、特に上級アンデッドと呼ばれる存在の力を借りている。
「……てん、てん、てん。てんじん、さまのお祭りで……」
表情もなく手毬を突きながら、和装の少女は歌う。その姿だけを見れば、彼女が魔化魍であるなどとは誰も思うまい。
窓辺の傍、ヒトツミのすぐ傍に再び灰色のオーロラが舞い降りた。そこから現れたのは、かつてヒトツミと同じ戦国の世を生きた骸、オロチの童子だ。
連獅子めいた白い毛と赤い仮面を装った派手な出で立ちの男。その気配を悟ったヒトツミは眉一つ動かすことなく、突いていた手毬を両手で持って──正面の窓へと顔を上げる。
「……仕事か?」
「我らが悲願……オロチの復活のためだ」
可憐な少女の声に返す、男の顔には似つかぬ細い女の声。ヒトツミはオロチの童子の言葉を受け、妖力で歪めた空間にそっと手毬をしまうと、童子が現したオーロラへ消えていった。
「…………」
オロチの童子はやはり表情のない無機質な顔で村上とキングをそれぞれ一瞥すると、自らも現した灰色のオーロラへと溶け──響鬼の世界を再現した領域へと戻っていく。彼らの居場所もまた、情報として吸収された世界のコピーに過ぎない。
洋館の男女が住まう場所と同じく、そこは響鬼の世界の法則を具現化させた場所ではあるが、彼らが向かう先は深い海の底。戦国時代の妖力を湛えた鬼岩城と呼ばれる居城だ。
彼らの目的は、やはり鬼たちに倒された魔化魍の中で、未だ復活の兆しを見せない戦国時代最強の存在を現世に現すこと。
世界を喰い尽くす『現象』としてではなく、その最果てに現れたるべき災い。あらゆる魔化魍を超越する単一にして無双の百鬼夜行――魔化魍『オロチ』の再誕である。
オロチの童子たちにとってはそれほど過去の話ではない。が、現世を生きる響鬼の世界の存在にとっては何百年も過去、戦国時代の戦い。当時、一人の鬼によって永い眠りにつかされたかの怪物を現代の世界に蘇らせるには、幻想郷の妖怪が持つ妖力やそれに類する力が必要だった。
「面白そうなこともなさそうだし……僕も自分の
キングは退屈そうにポケットから携帯電話を取り出す。外の世界では年代物とも思えるような折り畳み式のそれは、彼が偽りのバトルファイトに駆り出された2004年においてはごくありふれた最新式のもの。
世界こそ違えど時代の近い2003年を生きた村上もまた有するものは折り畳み式の携帯だ。最新の機器を模して開発されたファイズギア、そのうち携帯電話たるファイズフォンもその時代に相応しい機能と見た目を持っている。――しかしながら、ここに
十番目の世界そのものは西暦2009年の因果を示している。そしてクウガの世界は2000年から2001年を、アギトの世界は2001年から2002年を。それぞれ異なった時間の座標を示しているが、幻想郷に通ずる外の世界と同様の『西暦2020年』の因果を示す場所はどこにもない。
「あいつらの言う通り、こっちで無理やりジョーカーを復活させたら面白いかもね」
そう独り言ちたキングは相変わらず2004年――その歴史を戦い抜いて2005年を迎えたブレイドの世界、自らが生きた本来の世界の日付を示す携帯の画面を閉じる。
本来のジョーカーは人間に染まり、堕落してしまった。人間として生きようとするジョーカーまでもが情報となり、この世界のどこかにあるとされている『女神』の揺り籠に吸収されてしまっている様子。
オルフェノクやアンデッドたち、魔化魍と同様に、世界に刻まれた記憶からまったく同じジョーカーを具現化したら、いったいどのような振る舞いを見せるのだろうか。本能に飲み込まれてジョーカーとしての舞台装置となるのか、あるいは人間らしさを見せてくれるのか。
自分以外のアンデッドはバトルファイトの再開を目的に動いているだろう。キングの言うあいつらとは、それを目的とした同族――否、封印すべき競争相手たち。
アンデッドの中でも最強たるジョーカーに次ぐ能力を誇る12体もの上級アンデッド、その最高位に位置する四体は『カテゴリー
まさしくキングの名はその格の通り。彼はスペードスートに当たるカテゴリーK――トランプで表すところのスペードのキングそのものであり、コーカサスオオカブトの祖たる不死生物として多くのアンデッドを倒してきた。
本来のバトルファイトであればアンデッド同士の戦いで敗れた者は漆黒の石板、バトルファイトの統制者によってラウズカードに封印される。しかし、かつての偽りの戦いにおいても今回の戦いにおいても、統制者の意思を執行する漆黒の石板――モノリスは現れない。
アンデッドの総意として復活させるべきは、ジョーカーか。それとも統制者か。キングはただ面白いものが見たいだけ。多くのアンデッドたちのようにバトルファイトを再開させたいという意思はないが――彼ら全体のその目的は共通して『物語の終着点』を蘇らせることにあった。
「理由は異なれど、目指すべきものは皆同じ……奇妙な巡り合わせだ」
オーロラに消えゆく赤いジャケットの背中を見送る村上。キングは自ら現した灰色のオーロラをもってブレイドの世界の一部を具現化した領域へと戻っていった。
村上たちオルフェノクの意思は、その未来に王の祝福という安寧をもたらすこと。一度は倒産したスマートブレインをファイズの世界の記憶から具現化させ、自らの居場所として定着させることで、再びその理想に――灰に塗れた手を伸ばす。
人は泣きながら生まれてくる。だが、死ぬときに泣くか笑うかは本人次第。そう語った自らの過去に従い、二度目の死を笑って迎えてなお灰色の夢を見て。
方舟の名を冠したオルフェノクの王――『アークオルフェノク』の目覚めのため。村上という男は、スマートブレインという企業は。グロンギたちがン・ダグバ・ゼバを求めるのと同様に、アンノウンたちがオーヴァーロード テオスの肉体を伴う再臨を願うのと同様に。
彼らの未来を約束する王――アークオルフェノクの目覚めを、今一度夢と見ている。
オルフェノク、アンデッド、魔化魍。それぞれが因果を交わし合う法則は交わる座標の境界線、幻想郷に『目的』を重ね。
共に行動するは彼らが最強と認める存在の復活のために──幻想の物語を喰い破るのだ。
十番目の世界。束ねられた歴史は記憶の器となりて、九つの世界を具現するフィルムの役割を果たしている。
しかし、ここは九つの物語のいずれにも該当しない十番目。とある歴史が一つの区切りを迎えた転換点として──物語のない世界を成り立たせていた。
この地には九つの法則が収束している。この世界そのものに物語はないが、この世界は九つの物語を一切の歪みなく許容している。
グロンギ、アンノウン、ミラーモンスター、オルフェノク、アンデッド、魔化魍。そして今なお幻想郷にも接続されていながら、彼女らの前には姿を見せていない三種の異形も含めた九つの怪人たちが、この九つの世界を呑み込み拡張された十番目の世界に蔓延っている。
─―彼らは世界の記憶に過ぎない。一度倒された者、封印された者。それらすべてが元あった世界の記憶から具現され、死後の自分と統合されて。
死を持たぬアンデッドでさえただ解放されただけではない。ブレイドの世界の記憶を元に具現化された始祖たちが本来の自分と重なり、矛盾する自己を元の世界が否定している。
ブレイドの世界の自分と、具現化された記憶の自分。すでに封印された前者の自分とコピーによって生じた後者の自分が同一と定義されることで、弱い自分は元の世界から消え去った。
「ちっ……死に損ないが……」
彼もまたブレイドの世界に存在したアンデッドの一人。上級アンデッドと呼ばれる高位の個体であり、今ある姿が示す通りに人間態を持っている。
漆黒のコートとサングラスを装った男――
その手から放つ火球は同じく黒の装いを纏う男、ファイズの世界を生きた花形を狙う。極めて高い能力を持つオリジナルのオルフェノクとはいえ、不完全な状態のまま具現再生された弊害はその身の衰弱として。
人間の姿のまま身体から灰を零し、なんとかそれを回避することができたが、爆発の衝撃に吹き飛ばされて近くの岩場に肩を打ちつけてしまった様子。それでもなお、立ち上がった。
「あの男に従うのは癪ですが……これも我々の目的のためだ」
伊坂の隣で同じく高圧的な視線を向ける不死の男。灰色のスーツに黄色のネクタイを結び、短い茶髪を整えた知的な眼鏡を装った彼は、溜息混じりにそう呟くと、己の右手に鈍く輝く一枚の羽根を出現させる。
さながら
本来ならばこの程度の攻撃、意に介す必要すらない。だが、数十年の時を経て限界を迎えた状態――ファイズの世界における2003年の自分自身を元として具現されてしまったために、今の花形は上級アンデッドたちに抗えるだけの力を有していない。
ただでさえ朽ちかけた身体の上に龍のオルフェノクと交戦したことで、誤魔化しようのない傷を負ってしまっているのだ。
ボロボロと灰を零す身体に力を込めて、花形は死後に獲得した自らの戦う姿、オルフェノクとしての自分を現す。
今は人間の姿となっている二体の上級アンデッドに向き合い、花形の顔には黒い影の模様が浮かぶ。その直後、彼の姿は灰色に歪み変じ──捻じれ伸びた巻き角の意匠と柔らかな毛皮の意匠を併せ持つ、峻厳にして慈悲深き『父』たるヤギの特質を備えたオルフェノクと化していった。
「…………」
一度ならず二度までもスマートブレインの研究室を襲撃し、三本のベルトを強奪したオリジナルのオルフェノク──ヤギに似た『ゴートオルフェノク』。その強さはスマートブレイン現社長であり同様にオリジナルたる村上峡児でさえ手を焼き、取り逃がしたほど。
花形がその姿を晒した瞬間、アンデッドたちの視界から灰色の怪物は消えた。オーロラをもって別の場所――別の世界の記録へ逃げたのではない。不死の怪物の視力をもってしても捉え切れないほどのスピードを繰り、音を振り切って瞬く間にアンデッドたちの背後を取ったためだ。
「…………っ!」
迷いを見せることなく、伊坂と高原も本来の姿――アンデッドとして生まれ持った異形の肉体を晒す。二人は一瞬の光に包まれた後、青い羽根と黒い羽根をそれぞれ散らした。
「速すぎる……本当に死に損ないか……?」
漆黒の身体の右半身に金色の意匠を纏った禍々しい鳥人、どこかカラスのようにも見えるが、
高原は花形――ゴートオルフェノクの恐るべきスピードに驚愕の声を漏らしつつも冷静に対処する。黒く歪な翼で空に舞い上がりながら、両腕に装備した長大な爪をもって相手を引き裂く。
「怯むな。相手は所詮、死んだ人間だ。俺たち
低く冷静な口調で呟く伊坂の姿は蒼い身体に漆黒の装甲を帯びた、こちらも歪な鳥人。突き出た肩の装甲には目玉めいた意匠の派手な羽根が生え揃っており、胸元にぎょろりと睨む不気味な眼球も伴って、この怪物がクジャクの始祖たる不死生物『ピーコックアンデッド』たるを示す。
「喰らえ……!」
高原――イーグルアンデッドと同格たる、ダイヤスートのカテゴリーJに分類されるピーコックアンデッド、伊坂は自らの蒼く派手な翼を広げ、そこから無数の羽根手裏剣『アイダート』を射出することで花形の逃げ場を封じる。
避け切れなかったものの多くがゴートオルフェノクの身から灰を削り取り、蒼白い炎を上げさせるが、花形はそれでも足を止めず、速度を緩めずにピーコックアンデッドを狙った。
「……甘いな」
「ぐ……ッ……ぅう……」
伊坂の笑みと共にその手に長大な大剣『スウォーザー』が具現される。青い柄を握り締めては、クジャクの尾を模した漆黒の刀身で花形の腹を深く貫いて。
「ふんッ!」
すぐさまその剣を引き抜き、コート状の黒い下半身から右脚を振り上げてゴートオルフェノクを蹴り飛ばす。
深い傷を帯びた花形の腹からはおびただしく、血のように暗い死色の灰が溢れ出した。
「……こんなところでは……終わらせん……!!」
「何……!?」
ゴートオルフェノクは膝を着いた状態からなおも右手を前に掲げ、世界を引き裂かんほどの圧倒的な衝撃波を放つ。空気を揺るがす波動はピーコックアンデッドを容易く吹き飛ばし、叩きつけられた背後の木々を圧し折らせるほどの破壊力を見せた。
立ち上がる寸前に、伊坂は目の前まで花形が迫っているのを見る。スウォーザーを振るおうとしても速度が足りず花形の攻撃を許し、身体を持ち上げられて全身に拳を叩き込まれる。
「人間が……! 調子に乗るな……!」
ピーコックアンデッドはゴートオルフェノクに火球をぶつけ、爆発に乗じてその拳打から逃れる。翼を有し飛行を可能とする身でありながら、受けたダメージが想像以上に大きく、その着地には膝を着かざるを得なかった。
身体に刻まれたいくつもの傷からは緑色の血が流れ出る。もう少し反応が遅ければ、己が腰に装うアンデッドバックル──JからKの上級アンデッドだけが持つ金色のそれを開いてしまっていたかもしれない。
通常のアンデッドが持つものとは違い、上級アンデッドのバックルはただの蛇を表したものではなく、蛇の骨が互いを食い合うような意匠を持つ。下級個体であれば黒いバックルだが、彼ら上級の存在はアンデッドが共通して持つベルトの意匠さえ金色に輝く特別なものだ。
火球を受けて微かに退いたゴートオルフェノクに、今度は上空から羽根の雨を降り注がせるイーグルアンデッド。こちらも上級アンデッドたる身として金色に輝くアンデッドバックルを持ち、死に損ないであるはずの死人が見せた隙を目掛けて、上級アンデッドとしての全力を振るう。
「…………」
花形はもはや力も速度も発揮できず。ただ青白い炎に包まれゆく身体を微かに動かし、自らの背後に灰色のオーロラを形成する。溢れる死灰を抑え、花形はそのまま境界に消えた。
「逃げるつもりか……? 往生際の悪い……」
「まぁ待て。あの様子ではどうせそう長くは持たん。俺たちの仕事は終わりだ」
ゆっくりと舞い降りたイーグルアンデッドは虚ろに歪みながら眼鏡の男、高原としての人間態に戻る。その隣で長剣、スウォーザーを消失させたピーコックアンデッドも同じくサングラスの男、伊坂としての人間態に戻った。
生来のアンデッドたる彼らにとって人間の姿に『戻る』という表現は適切ではないが、人間社会に溶け込む必要がある現代のバトルファイトにおいては、それが正しいのだろう。
「まずはジョーカーの復活だ。奴がいなければ、バトルファイトは始まらないらしいからな」
アンデッドたちにとってジョーカーは最悪の障害物でしかない。しかし、バトルファイトを管理する統制者にとっては必要なシステムということだろう。
すべてのアンデッドの悲願である万能の力、バトルファイトの勝者の座を手に入れるには再びバトルファイトを開催する必要がある。そのためには、バトルファイトを真にバトルファイトたらしめるジョーカーの存在が不可欠のようだ。
上級アンデッドならざる身で人間に化けていたマンティスアンデッド──カリス。あの存在がジョーカーだったのであればすべて合点がいく。下級アンデッドであるカテゴリーAが人間態を持つことはないが、ジョーカーの力でヒューマンアンデッドに擬態していたなら。
「カリス……今度こそ約束を果たそう。今度こそ、偽りのない本当のバトルファイトで」
高原が思考に浮かべるは共に最後に戦うと約束を交わしたマンティスアンデッド。かつては憎きジョーカーに封印され、姿と力を奪われていたが――
たとえ今回の戦いにおいてすでに封印されていようと、再びそのラウズカードを取り戻そう。カリスの名は高原――イーグルアンデッドが友と誓ったマンティスアンデッドのもの。断じて仮面ライダー如きの真似事をするジョーカーが冠すべき名ではない。そう強く心に抱き燃やして。
統合された世界の境界、ファイズの世界として具現化された領域の中。スマートブレイン本社ビルの社長室で、村上は当面の障害と成り得る存在の排除を認めた。
花形前社長の居場所を突き止められたのは、幻想郷からこちらに情報を送る協力者のおかげである。村上は彼女のことを全面的に信用しているわけではないが、それはあちらも同じだろう。二人は互いに利用価値を見出しているだけだ。
灰色のオーロラが社長室に幕を落とす。九つの世界のいずれでもない世界座標の特異点、幻想郷が存在する一つの世界と接続された暗き帳は、二人の人影をそこに現した。
一人は、村上が選び抜いたオルフェノクの精鋭、オリジナルの中でも特に強大な力を持つ四人のメンバーで構成された『ラッキークローバー』の一人たる者。
他を威圧するワニの如き風貌で佇む黒人の男。大柄な体格に鍛えられた筋肉を帯び、青く神秘的な中華風の女性に付き添う彼の名は ジェイ という。
どちらも日本人ではないが、二人は祖国を離れてなお自らの力を一切揺るがすことはない。
「助かりましたよ。貴方のおかげで、予定より早くあの男を始末することができた」
村上は椅子に座ったままの態度を崩すことなく、幻想郷からの来訪者――青い髪に蝶の如き双輪を象った邪仙と向き合う。感謝を告げる相手は、逃走した花形を居場所を伝えてくれた人物――霍青娥であった。
彼女は幻想郷を裏切りこちら側についたと見なしていいのか。目を細めて妖しく笑う姿にどこか危うい深さを感じさせるが、元より村上は心の底では誰も信用などしていない。
「それは何よりですわ。それで、約束したものはちゃんといただけます?」
青娥は湛えた微笑を崩さぬまま羽衣を揺らして歩む。邪仙と称された由来は、その手法だけに非ず。彼女が志す善悪の境界によっても語られる。彼女は目的のためなら手段を選ばない。善も悪も関係なく、ただ自分がやりたいことを何よりも優先するのだ。
相手が望み、自分がそれを望むのなら、行きつく先が破滅でも。自分が『良い』と思ったことであれば、辿る未来が最悪の結末になろうと。彼女はその行いを躊躇することはないだろう。
「ええ、勿論。これは協力のお礼です。どうぞ、貴方の研究とやらに役立ててください」
デスクの引き出しから取り出したデバイスを見やりつつ、村上は椅子を引く。青娥に向けられた余裕ある微笑は、向かう彼女と同様に拭えぬ胡散臭さを滲ませている。
青娥はその顔と風格から、一瞬だけ村上が有するオリジナルのオルフェノクたる姿――灰色よりも美しい純白を見た。他のオルフェノクと違って全身の装甲は薄く生身に近い。さながら茨の如く突き出したいくつもの棘と、透き通った頭蓋を持つ怪物。
頭蓋の中に白く咲き誇る薔薇が示すは彼が『ローズオルフェノク』と呼ばれる強大な個体であること。村上の自尊心が現すのか、装甲や武器といったものをほとんど帯びぬ姿はバラの特質を備えたオルフェノクに相応しい。幻影と映った一瞬は、すぐに生身の村上に戻った。
「ふふっ……確かに、受け取りました」
ゆっくりと立ち上がった村上の手から青娥の手に渡されたもの。スマートブレインのロゴが刻印された銀色のデバイスは青娥の手よりもやや大きい。下部に設けられた三つのボタンのうちの一つを押すと、それはファイズフォンのように画面を開いた。
画面に視線を落として表面上の笑みに心からの笑みを微かに滲ませながら、スマートブレインの情報端末――『スマートパッド』から専用のメモリーカードを引き抜いては懐へしまう。
そこに込められた情報はオルフェノクの記号と呼ばれる遺伝子データの一種だ。オルフェノクをオルフェノク足らしめる要素として最も重要な因子であり、各オルフェノクの固有の能力を記録するものとしても機能する。
彼女が受け取ったそれは神子に宿る花形の固有記号――ゴートオルフェノクの記号と同様に、村上峡児という男だけが持つ特殊な記号だ。
ローズオルフェノクの記号とでも称すべきその因子はデータおよび灰の粒子としてスマートパッドのメモリーカードに記録されている。青娥は協力の対価として、そのデータを受け取った。
「そう睨まないでほしいわね。……心配しなくても、
青娥は自身を見つめる――睨みつけていると言ってもいい猟犬の如き視線に告げる。剥き出しの不信感を突きつけるジェイは、青娥に淀んだ悪意を見ていた。
そう思われても無理はない振る舞いであるが、彼女はそれを心外だと捉える。彼女に悪意はない。しかし、善意もない。村上は道教の思想に疎いため、彼女がそれを必要とする理由が分からなかったが、今は花形を倒せただけで十分だ。
もし彼女が見た目通り何かを企んでいるのだとしても問題はない。たとえオリジナルのオルフェノクの力が利用されようとも、本来の記号の所有者である自身に抗うことはできない。記号を埋め込んだだけの存在が、純粋なオルフェノクとして覚醒した者に及ぶはずがないのだ。
仮に三本のベルトが束になって立ちはだかろうと、村上にはそれを蹴散らすだけの力がある。
「Mr.ジェイ。彼女をあちらの世界――幻想郷まで送り届けてもらえますか?」
村上は花形の死から実行できる様々な未来を夢想しながら言う。青娥と同様に花形抹殺の任を担った異世界の怪物二体もまた信用できないが、この十番目の世界の総意に従う、九つの法則に連なる者ならばまだ安心できる。
それぞれの目的が果たされた後であればこうはいくまい。今はただ一時的な協定を結んでいるだけ。九つの世界を束ねる『あの組織』が自分たちに何を求めようと、それは変わらない。
「……Yes, Boss.」
ジェイはどこか不服そうに、それでも己が力を超える強者と認めた村上に従う。黒く大きな手を背後にかざすと、彼の後ろには再び灰色のオーロラが形成された。
世界を渡る灰色のオーロラは十番目の世界の『とある存在』の恩恵によって与えられた力。一度は倒され、あるいは封印され、あるいは浄化された九つの世界の異形の怪物たちがかつての記憶を持って蘇り――その身に宿し持った未知の異能。
故に、青娥はその力を有してはいない。万物の境界を操る八雲紫であれば単独で世界を越えることができるが、いくら道教の仙術に優れていようとまったく異なる法則の因果を辿った別の世界に赴くことはできない。それを補うには、彼らのオーロラの力を借りるしかないのだ。
オーロラの先に揺らめくのは青娥も見慣れた自然豊かな日本の原風景、幻想郷の景色。こことは異なる世界の、さらにその山奥に存在する結界の中の楽園に局所的にオーロラを繋げることができるのは、とある人物のおかげだ。
それは幻想郷からこちらに情報を与えた霍青娥でも、幻想郷に各世界の楔を招いた八雲紫でもない。組織の者はそう言っていたが、ファイズの世界に由来する存在――オルフェノクだけを統率する立場にいる村上には詳しい情報までは与えられていなかった。
別世界の状況は大まかにしか掴めていないものの、おそらくはアンデッドたちを統率する上級アンデッドという集団、魔化魍たちを統率する血狂魔党という集団も同様であると判断できる。
「それでは、ごきげんよう」
スマートパッド本体を蒼い中華装束の懐に収めながら、青娥は笑う。オーロラの波から吹き込んだ風が羽衣を揺らしつつ、空色の髪を靡かせた。
「引き続き
黒い靴をふわりと浮かせ、灰色のオーロラへと振り返った青娥に対して。村上は真剣な表情でそれだけ告げる。
青娥はその言葉に何も返すことなく、ただ首だけを傾けて振り返った笑みをもって頷き。村上とジェイのみが残されたスマートブレイン社長室の神秘の気配と共に、姿を消した。
「……
青娥を元ある幻想郷へと誘った灰色のオーロラに向け、村上は小さく独り言つ。揺らめく波紋の中に一匹の蒼い蝶――儚く舞う命の灯火が如きモルフォチョウが入り込む様を見届けながら。やがてオーロラも掻き消え、社長室にはただ静寂だけがもたらされた。
ラッキークローバーの一員たるジェイにはまだ別の仕事が残されている。彼はその遂行のために別のオーロラを形成した。幻想郷に接続されるものとは違う、この十番目の世界の別の座標に繋がるオーロラ。
三本のベルトの奪還もまたジェイの仕事ではある。しかし、今はそれより重要な目的のため。村上が彼にも伝えていない『王の目覚め』のため――必要な
「…………」
村上が自信に満ちた笑みを浮かべて見上げる社長室の二階、手すり越しに見える通路には一人の女性が立っていた。青と黒の近未来的な意匠を持つスーツにはスマートブレインのロゴが大きく刻まれ、彼女がこの会社のイメージガールだと示している。
短く切り整えられた黒髪に
個人の名前として自ら名乗るわけではない。ただスマートブレインから与えられた役職として、彼女は『スマートレディ』という製品に近い無機的な名で呼ばれている。
人間なのかオルフェノクなのか、はたまた生物であるのかさえ定かではないその女は、オーロラへと消えたモルフォチョウが見た膨大な情報を処理し。それをデータとしてまとめることで村上のパソコンへと送っていた。
青く、妖しく、どこか淑やかに麗しく。底知れぬ不気味さを湛えて微笑むその表情と服装の青さは、邪仙とも称された仙人――霍青娥に通ずるものを感じさせる。
表面上を見れば近しい雰囲気だが、スマートレディは親たるスマートブレインに揺るぎない忠誠を誓っていた。
たとえ如何なる命令が下ろうと、彼女は会社のためであれば眉一つ動かさずに実行するだろう。その精神もやはり青娥に近いのかもしれない。されど、彼女とは違い青娥には特定の拠り所に執着することなくすべての判断を自らの基準で決めるという蝶に似た自由意思がある。
善悪の境界を持たない点もどこか似ているものの──スマートレディはただ、スマートブレインという企業にすべての判断を委ねているだけ。必要なのはスマートブレインという会社そのもの、組織そのものであり、それを統率し得る『社長』の是非については拘りを持たないのだ。
伝わるかどうか分かりませんが、某オブザレイズのカレイドスコープ的な感じに似てるかも。