東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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A.D. 2006 ~ 2007
それは、天を往く正義の物語。

天の道を往き、総てを司る



【 今昔太陽兜 ~ Flower Beetle 】
第43話 太陽男


 妖怪の山の反対側。博麗神社からそう遠くない南東の地には広大な自然に満ちた領域が広がっている。人間の里からはやや距離のあるこの場所も――異変の影響か。再び訪れた四季異変によって本来あるべき『春』の趣とは別に、秋や冬などの異質な装いを見せていた。

 だが、この一帯において何より強く輝きを放つ場所はどこまでも雄々しく揺るぎない。まるでそれがただ一つ、決して枯れることのない花であるのだと示すように。

 

 南向きの傾斜となったすり鉢状の草原には真夏の日差しを受けて金色に輝く向日葵(ひまわり)が狂い咲いている。草原の一面を黄色く彩る無数の花、嫉妬と羨望、あるいは憧憬の眼差しに満ちたそれらは、天に座す無双の輝き――真なる太陽を見上げて。

 吹き抜ける風もやはり夏の色。背の高い向日葵たちの隙間を縫い、器用に飛び回る妖精たち。彼女らが手にする小さな向日葵は自然の霊力が具現した彼女らの一部なのだろう。

 

 幻想郷の住人は、この地を『太陽の畑』と呼んだ。四季異変の影響で春には在り得ざる向日葵の繚乱が見られるものの、この地本来の妖気は失われてはいない。

 それは、『今の』幻想郷とは少し違う――『(ふる)き』幻想郷を思わせる残り香。結界に阻まれ、空からの視点をもってしてもそれを目にすることは叶わないが――彼女(・・)の館は、そこにある。

 

◆     ◆     ◆

 

 緩やかな夏の風は煌びやかな向日葵の花々を揺らしている。微かな妖力を帯びたその風は、この太陽の畑を誰よりも愛する一人の妖怪――若い女性の緑髪をも優しく撫でていた。

 肩までの長さに整えられた緩やかなウェーブヘア。やや癖のあるその髪に陽光を受け、フリルとレースを伴う白い日傘をくるりと回しながら。

 

 真紅の瞳を細める彼方の光、日傘を背へと傾けて―― 風見 幽香(かざみ ゆうか)は空を仰いだ。傘を持たない左手の平を天に向け、顔に落とした陰でもって鮮烈なる光から目を守り。

 白く装うカッターシャツには小さな汚れ一つない。さながら枯れることを知らない花の如く、ゆったりと広がる赤いチェックのロングスカートもまた彼女の悠然たる佇まいに等しく。スカートと同じ色と柄のベストを纏い、その首、胸元には黄色く可憐なリボンを結んでいる。

 

「眩しい太陽、一面のひまわり畑。……あのときの幻想郷を思い出すわね」

 

 四季のフラワーマスターとも称された春夏秋冬の花の妖怪。彼女は夏や向日葵に関わらず、すべての季節、すべての花々を愛している。

 幽香(ゆうか)の思考に浮かぶ花園はかつて目にした六十年周期の大結界異変だ。前回はたしか十年ほど前だっただろうか。その原因は外の世界から流れた幽霊たちが花々に憑依したことで、季節を問わずに幻想郷中のすべての花が繚乱するというものだった。

 無論、妖怪として長い時間を生きる彼女がそれを見たのは一度や二度ではない。六十年周期という期間の長さから忘却してしまうことも多かったが、花にまつわる大異変ということで事情を知らない若き少女、多くの異変解決者に黒幕と疑われたことも記憶には新しい。

 

 だが、今回のそれはどちらかというと比較的近年にも起きた四季異変に近いものだろう。咲き誇る花々からは死の香りを感じない。これらは春に降り注ぐ真夏の日差しが語るように、季節の異常によって活気づけられた草花本来が持つ力強さだ。

 中には妖精の憑依によって開花したものもあるようだが、幽香はこのように花の目覚める季節を無視した現象があまり好きではなかった。

 春の花は春に、夏の花は夏に。それぞれ咲くべき世界があるからこそ、花は美しい。千紫万紅を謳う百花繚乱もまた美しい光景には違いないが――それは本来あるべきものではないのだ。

 

「まぁ、それはそれとして。せっかくだから楽しませてもらうわ」

 

 季節外れに狂い咲く自然の美もある。それもまた愛しい。誰の手にも依らない自然現象であるのなら、花の化身たる風見幽香もどこかの地に仇花を咲かせたかもしれない。

 ここに在る無数の花はまさしく夏そのものの中に。季節外れでもなんでもない、春の境界を打ち破って現れた夏を想い、正しく咲いている。花も人も同じく、霊ある限りは力強く咲き誇り、やがて霊が去れば散っていくだろう。

 そこに花が咲くのなら己もここに在ればいい。花咲く園こそが己の居場所。幻想郷が再び開花を遂げたのなら、花の妖怪も幻想郷と共に目覚めを迎えるべきか。

 しばらく異変もなく退屈な日々が続いていたが――心の蕾が瞼を開ける。今一度、かつて目覚めた大結界異変と同様に。幻想郷中に咲き乱れた季節外れの花々を、愛でに行くとしよう。

 

「ふふっ、見ているんでしょう? こっちへいらっしゃい。怖がる必要はないのよ」

 

 湛えた笑顔を崩さぬまま、幽香は振り返る。いくつもの妖精たちが無邪気に舞う太陽の下、こちらを見ている存在に気がついたためだ。

 向日葵の隙間から顔を出したのは、夏の日差しに相応しい鮮やかな羽根、アゲハチョウの翅を携えた妖精の少女だった。水色のショートヘアには黄色く小さな幼虫めいた触角を持ち、(さなぎ)の意匠を持つ緑色の衣服を纏う神秘的な雰囲気を装うも、妖精らしく靴は履いていない。

 

「アゲハチョウの妖精……エタニティラルバだっけ? どうかしたの?」

 

 夏にこそ真価を発揮するはずの彼女――アゲハチョウの妖精たる エタニティラルバ にはどこか元気がない。美しい翅は力なく畳まれ、鱗粉も薄く色褪せてしまっている。気配こそ妖精だが、その本質は妖精以上の存在として幽香も特別視していたのだが――

 以前に彼女と出会ったときに見た『神』に近い原初の気配が感じられない。無論、妖精であるはずの彼女が神の力など持つはずはないのだが、幽香はアゲハチョウの要素に直感的にその素質を見ていたのだ。

 氷の妖精と比肩するほどか、それ以上の可能性が彼女にはあった。少なくとも幽香はそう感じた。幼虫の触角、蛹の殻、成虫の翅――その過程すべてを併せ持つ特異な姿は、単純なアゲハチョウの妖精としてのそれではなく。虫の身にして神と崇められた『常世神(とこよのかみ)』を思わせるような。

 

「なんか力が出せなくて……前に季節がおかしくなったときは凄かったんだけどなー」

 

「もしかして夏バテ? と言っても、今は春だけど。この日差しじゃあ仕方ないのかもね」

 

 太陽の畑における最も強大な妖気を追って幽香の元に辿り着いたのだろう。彼女の力はこの周辺の妖怪の中でも別格だ。もし地球に太陽がなければ、この向日葵たちはすべて幽香の方を向いていたかもしれない。

 ラルバの言葉に幽香はある可能性を考える。どの妖精を見てもラルバと同様──背中に扉らしきものはなく。前回の四季異変と同様のそれではないことは明らか。

 ラルバが語る想い出は、その扉があったときの強化、妖精としての能力の底上げを指している。彼女の背に扉がない以上は前回と同様の恩恵は得られない。そのことに気づいていないだけなのか、あるいは別の理由なのか。

 

 幽香はとぼけるように言葉を返し、ぐったりとした様子のラルバに苦笑を向けた。彼女の様子を見る限り、それは扉の有無に依らぬもの。扉があった頃どころか、普段よりも元気が足りていないように見える。

 もしかしたら本当に夏バテなのかもしれないわね、と考えた幽香は、漏らした苦笑を隠すことなく。夏に相応しい妖精になった(・・・)くせに──といった思考を込め、白い日傘を静かに閉じた。

 

「ああ、そうそう。さっきからずっと気になっていたんだけど――」

 

 ラルバから少し距離を取るように、その場を数歩。幽香は背後に感じる妖精の気配、妖精らしい気配の中に感じていた違和感に。背を見せたことで向いた悪意に対し、口を開く。

 

「――あなた、妖精なんかに化けて何がしたいのかしら?」

 

 幽香はふわりと振り返り、畳んだ日傘の先端を視線の先のラルバに向けた。

 アゲハチョウの妖精、エタニティラルバ。数いる妖精の中でもそれなりの高い力を秘めた存在として知っていたが、彼女から感じられる気配は彼女本来のものではない。

 妖精でも妖怪でもないような──幽香の知覚が捉えたそれは、感覚的な違和感として。

 

「……え?」

 

 ラルバはその言葉の意味が上手く理解できなかった。だが、それは『エタニティラルバ』という個の性質が想う一瞬。今のエタニティラルバは本能的な焦りを感じ、緊張を悟られないように幽香に困惑の表情を滲ませている。

 その反応が引き金となったのだろう。幽香はどうせ相手は妖精――消滅させてもすぐに蘇る自然の具現に過ぎぬ有象無象であると認識した上で、間違っていても普段から虐めているような存在だしいいか――と。未知の気配を放つ『妖精に極めてよく似た何か』を射貫く構えを取る。

 

「いったい何のこと──」

 

「言いたくないならいいのよ。中身まで一緒なのかどうか……私が確かめてあげる」

 

 問いの意味を聞き返す。ラルバの想いに反して、幽香にはもはや問答の意思はなかった。向けた日傘の先に弾幕の光が灯るのを見て、ラルバは思わず表情を変える。

 

「ちっ……!」

 

 少女は額に伝う汗も拭わぬまま。こちらを見下ろす花の妖怪に向けて手の平からいくつもの光弾を放った。少しの同様も見せぬ幽香はその攻撃を傘も開かず、閉じたままのそれを横に薙ぐことで呆気なく掻き消してしまう。

 幽香が微かに目を見開いて驚いたのはその攻撃の意図に対してではない。光弾を放って後退したラルバの姿が虚ろな光と共に歪み――歪な怪物の姿に変貌してしまったからだ。

 

 小柄な少女の姿は、もはやどこにも残っておらず。醜く膨れ上がった緑色の甲殻はどこか昆虫のサナギじみた異形と化し、少女だった姿の倍近くまで肥大化している。

 見ているだけで嫌悪感を促す不気味な骸。苦悶の表情を浮かべたような顔面には、まるで己が眼窩に両手の五指を突っ込んだような意匠を持っていた。

 

 それはこの幻想郷には存在しない異物。外の世界にも、まして『彼ら』が存在した世界の地球にも存在するはずのなかった――決して招かれざるべき来訪者たち。

 遥かなる宇宙の果てより舞い降りた侵略者たちは、地球の昆虫や節足動物に酷似したその姿――異形の様相から『ワーム』と呼称されている。

 幻想郷に接続された異世界、七番目の世界のとある時間軸において。それは二度目(・・・)の隕石と共に飛来した。厚い装甲に覆われた彼ら『サナギ体』のワームは、その見た目通り鈍重であるものの、堅牢な鎧に守られており並大抵の攻撃では致命的なダメージを与えることができない。

 

「あら、蝶が(さなぎ)に戻っちゃったわ。退化までできるなんて、さすが妖精ね」

 

 幽香は驚いた様子を見せたものの、すぐに余裕そうな笑みに戻る。異形の怪物、サナギ体のワームを目の前にしていても。肥大化したワームの右腕、その巨大な爪が迫り来てもなお悠然な態度を崩さず、花びらの如く緩やかに後退する。

 

 ワームの能力は『擬態』。それも昆虫の特性としてただ周囲の景色に溶け込むというものではない。直接対峙した生物の特徴を寸分の狂いなく自らの遺伝子に転写し、姿や声、思考や感情、記憶や能力。人格に至るまでの全情報を完全に模倣してしまう。

 完全なる同一人物の複製と言える擬態能力。幽香は向かう怪物の能力を看破することこそできなかったが、この怪物がエタニティラルバ本人ではないと気づくことができた。否、実際には微かに疑問を抱いた程度で、相手が本物だろうと偽物だろうと撃ち抜くつもりでいたのだが――

 

「…………」

 

 振り抜かれるワームの爪が空気を裂く。単調な攻撃を回避するのは簡単だが、太陽の畑(ここ)で暴れられるのは好ましくない。

 上手く引き付けてから攻撃を回避しなければ、怪物は遠くの標的を狙おうと無差別な攻撃を仕掛けてくるだろう。そうなれば――太陽の光を浴びて元気に育った向日葵(この子)たちが傷つけられてしまう。本気のスペルカードを放とうにも、自ら花を散らすのは忍びない。

 

 そんなことを考えられる程度には、幽香の思考には余裕が満ちていた。何せ、怪物の攻撃はあまりに稚拙で、本当に妖精を相手にしているかのようだったのだ。

 子供の遊びに付き合っているのと似た感覚がある。元より人間の子供と同程度の知性しかない妖精に擬態していたためか。今は紛れもない緑色の怪物の姿であるものの、思考の方向性や行動パターンはエタニティラルバのそれを思わせる。

 最初は未知の怪物に驚いて少し警戒していたが、これならスペルカードを使う必要すらないかもしれない。見たところ装甲の強度はそれなりにあるようだが、弾幕ごっこにおける遊びの弾幕ならいざ知らず。大妖怪たる風見幽香が放つ本気の光弾なら、穿ち貫くことなど造作もない。

 

 ワームは必死に幽香を追いつめようとしている。――その背中に、一つの石が投じられた。

 

「花に虫が引き寄せられるのは当然だが、少し品がないな」

 

 太陽の畑の丘の上。傾斜となった大地の坂の上に、太陽を背にした影が浮かぶ。背丈や声からそれが若い男であるのだと分かるが、幽香やワームからは逆光で顔が見えない。

 

「だ、誰っ!?」

 

 サナギ体のワームは喉を震わせて奇怪な声を漏らす。それに重なり、ワームが擬態したエタニティラルバの声が発せられた。その声はワーム生来のものではなく、ラルバという妖精の声帯を模して似た『音』を発しただけに過ぎない。

 されど、その音も、その音を発しようとした意思も擬態元たるラルバのもの。エタニティラルバ本人が持ち得ぬ悪意と殺意を湛えてはいるが、それ以外は紛れもなく彼女そのもの。記憶も人格もラルバと同じものである。

 ワームによって擬態されてしまっている以上、本物のエタニティラルバはこのワームに殺されている可能性が高い。幽香もすでにその事実に思い至っているが、特に気にせず。

 妖精など、普段から散っては生じる現象でしかない。早ければ二日か三日以内にはまた顔を出すだろう。

 

 妖精(ワーム)の問いに男は小さく息を漏らす。太陽の畑の坂の上から見慣れた緑色の怪物を見下ろしながら。向日葵を揺らす風に、短くもやや長く――癖の強い黒髪を靡かせた。

 眩い光を背にして、青年は風見幽香のそれをも上回る自信と余裕に口角を上げる。右手には一丁の豆腐を湛えたステンレスボウルを持ち、ズボンのポケットに突っ込んでいた左手をゆっくりと持ち上げて。その左手には力を込めず、胸の前へ、顔の前へと、少しづつ高く挙げていく。

 

「おばあちゃんが言っていた。世の中で覚えておかなければならない名前は、ただ一つ――」

 

 左手の人差し指をもって高く天を指す。青空に力強く輝く太陽を示すかのように、男は黒い作務衣めいた独特の装いのまま、高圧的に低く――自信に満ちた声で言葉を紡いだ。

 

「――天の道を()き、(すべ)てを司る男。天道(てんどう)総司(そうじ)

 

 光の陰りが男の顔を晒す。揺れる向日葵と夏の日差しの下、揺るぎない正義を己が胸に掲げた青年は、選ばれし者の名を花と虫に告げる。

 天道総司。その名は彼が誇りとする『おばあちゃん』の姓を戴くもの。生来の名とは異なるもう一つの名であれど、日の下にて輝ける名を失えど。天の道は常に彼の道としてそこに在る。

 

「なんだかよくわかんないけど……邪魔をする気なら相手になるよ!」

 

 サナギ体のワームは苦悶の形相めいた異形の顔面に、エタニティラルバの顔を映し出した。遺伝子に転写された情報がそこに浮かび上がっただけで、実際に顔だけをラルバのものに変えたわけではない。

 幻影めいた少女の苛立ちはすぐに消える。ワームの不気味な鳴き声と共に、その肥大化した右腕の爪が空へと振り上げられ、天道の頭上に灰色のオーロラを形成した。

 

 灰色のオーロラはこちらの世界とあちらの世界を繋ぐ。揺れる波紋から飛び出したのは、召喚者と同じ姿をした緑色の異形。やはり昆虫の蛹めいたサナギ体のワームである。

 その総数はエタニティラルバに擬態した個体を含めて計5体。天道の周囲に降りた怪物たちは一斉に爪を振り下ろすが――男は表情一つ変えず。

 長く鋭い脚をもって一体を蹴り飛ばす。左腕の肘をもって背後の個体と距離を取る。右手に持った豆腐を崩さぬよう静かに、それでいて力強くワームたちを退けていく。

 強靭な鎧を持ったサナギ体の装甲に打撃を与えるためではなく──ただ怪物と距離を取ることが目的。天道はそのまま大地を蹴りつけ、軽やかな甲虫の飛翔を思わせる動きで太陽の畑の坂からすり鉢状の傾斜を飛び降りる。それだけの動きをしてなお、豆腐には亀裂一つ存在しなかった。

 

「少し下がっていろ。知り合いと同じ顔で不気味かもしれないが、奴は人間じゃな――」

 

 五体ものワームと向き合い、坂の下にいた幽香に背を向け、顔だけで振り返り。ワームという存在の危険性を示そうと口を開いた瞬間。己の正面にいた一体のワーム──エタニティラルバに擬態していた個体が、その右腕から渾身の妖力(・・)を込めた光弾を放った。

 葉の形に似た黄緑色のエネルギー弾。その羽ばたきは天道が右手に持っていたステンレスボウルを直撃し、呆気なく跳ね飛ばすことで美しい絹ごしの豆腐を微塵に砕いてしまう。

 

 太陽の畑の土の上――ぐしゃりと音を立てて潰れる豆腐。カランと渇いた音を奏で、天道の手元から失われたボウルは落下を遂げた。

 光弾は妖精の妖力とワームが持つエネルギーを併せ持ち彼方へ飛ぶ。幽香の頬を掠めて飛び去ったそれは、彼女の身体に傷をつけることはなく。――しかし。

 

 高純度のエネルギーを内包した一発の光弾は幽香の背後に咲き誇っていた向日葵を直撃する。この地の妖力を吸い上げて強靭な植物となっていたのか、向日葵はそれを筒状花(とうじょうか)の正面で受け止めてしまった。

 ワームが放った光弾は妖力を解放し、その場で爆発(・・)を遂げる。周囲の向日葵も、豊かな土壌も巻き込みながら。妖精が放ったものとは思えないほどの衝撃と炎を撒き散らし、輝かしい向日葵畑の一部を派手に吹き飛ばす。

 白い煙を上げるワームの右腕は、誰に気づかれずもラルバのそれと同じ妖気を湛えていた。

 

「「…………」」

 

 天道の右手にはボウルがない。巴里(パリ)まで赴き入手した極上の豆腐は、哀れにも土の上で無惨な姿と朽ち果てている。それを見下ろす彼の視線には、誰よりも悔恨が強く。

 幽香の背後には立派に咲き誇っていた向日葵がない。溢れんばかりの日差しの下、一生懸命生きてきた花々は、焦げた花びらとなって呆気なく散ってしまった。その跡を見つめる彼女の視線には、誰よりも哀しみの色が強く濡れる。

 

 男の思考の中に、サナギ体のワームには光弾を放つような能力はなかったはず――などといった考えはない。女の思考の中に、妖精の能力を模倣したのならこれほどの火力を出せるはずはない、などといった考えはない。ただ二人の思考に宿り灯るは、哀しみと悔しさと、そして──

 

「あははっ! 油断したねー! 私が擬態した奴は、最初っから人間じゃないんだよ!」

 

 自分の行いに一切の痛みを感じていない、愚かで憐れで度し難い――(さなぎ)への怒りである。

 

「……おばあちゃんが言っていた。男がやってはいけないことが二つある」

 

 天道は怒りに震える声を胸に抑えつつ、伏せた目を己が右の拳に落として語る。もはやどこかも分からぬ秘境の地、向日葵の咲き誇る未知の草原であろうと。向き合う悲劇の象徴に対する想いを捻じ曲げることはないのだ。

 これまでも幾度となく相対してきた異形の存在。宇宙の彼方より飛来した隕石と共に現れた、招かれざる者たちを前に。天道総司は近づく者を焼き滅ぼす太陽の如き正義を掲げた。

 

「女の子を泣かせることと、食べ物を粗末にすることだ……」

 

 サナギ体のワームを射貫く視線はどんな包丁よりも鋭く研ぎ澄まされている。ただ冷たく静かに、大海原を裂く水魚を思わせるような冴えを宿して。

 

「……そうね。哀しくて泣いてしまいそうだわ。それとも、泣くのはあっちの方かしら」

 

 心の中で向日葵の死を弔った幽香も、ワームたちに向き直った。目を伏せて哀しみを見せるものの、胸の奥にしまったそれはもはや仮初めの色に過ぎず。続けて睨みつけた視線には太陽の日差しよりもずっと強い無慈悲なまでの殺意を込めて、地に向けた日傘の持ち手に両手を乗せる。

 

「え……えっと……私、女の子だよ……?」

 

 無意識のうちにラルバの姿へ戻る怪物。静かな笑顔を湛えながら一切の憐憫を感じさせない瞳の女に対し、妖精としての記憶が魂を怯えさせる。冷静な無表情ながら力強い視線の男に対し、かつて打ち倒されたサナギ体のワームとしての記憶が肉体を委縮させる。

 エタニティラルバは少女だ。天道の語る『男がやってはならないこと』には該当しない。そして今、まさしくそれを述べた彼自身によって泣かされそうになっている女の子である。

 

 ――彼女が本物のエタニティラルバであれば、きっとその認識は間違っていないのだろう。

 

「言いたいことはそれだけ?」

 

 最初は完璧に模倣された妖精の気配に騙されたものの、今なら分かる。幽香は純粋な笑顔を向けた相手を、もはや妖精だと疑うことはない。

 これらは自身の愛した花を蹂躙する、妖精以下の存在であると。この地球(はなぞの)に最初から居場所などない――虫けら(ワーム)だと。

 そんなこと言ったら世界に花を広げてくれる本物の虫たちに失礼かしらね。そんな思考を頭に、小さく開いた赤い瞳で偽物のエタニティラルバに向き合った。

 

 天道は豆腐を失った右手を顔の横に添える。その胸に宿る闘志を蜜とし、輝きの徒たる彼の力を自らのもとへ引き寄せるために。

 太陽の畑に差し込む日差しが空の光を屈折させた──ように見えた。きらりと反射したそれは、錯覚などではない。実際に空間を捻じ曲げ、時空を突き破って現れた『それ』が大結界さえも超越し。薄く冴える翅を震わせて風を切り裂いたのだ。

 幻想郷とも外の世界とも異なる地平、天道総司が生きた世界から招かれた来訪者。真紅の装甲は陽光を明るく照り返し、雄々しく立派に掲げた頭角を前にして──天道の右手に収まる。

 

「…………っ!」

 

 その姿、真紅のカブトムシ──を模した機械仕掛けの甲虫に、ラルバは見覚えがあった。否、それを知っているのはエタニティラルバの記憶ではない。彼女を模倣した元ある細胞、ワームとしての遺伝子が、その世界の情報を知っている。

 ラルバだったものはその力を警戒し、息を飲むようにサナギ体の姿に戻った。

 

 揺るぎなくワームに向き合い、天道は風を受けて衣服の下に装っていた白銀のベルトを腰と晒す。彼が幼い頃から有していたその『ライダーベルト』は、長き年月に渡る彼の鍛錬と共に、常に傍に置かれていた。

 バックルに当たる部分は空虚に平たく空いている。まるで来たるべき時まで鍛え続けていた天道総司の運命を予見していたかのように。

 だが、黒く染まったその領域に、今は成すべき正義がある。天道は右手に持った真紅の甲虫、カブトムシ型自律メカ『カブトゼクター』に選ばれた己の道を語るが如く、口を開いた。

 

「……変身」

 

 決意を宿す発声の後、手にしたカブトゼクターを右腰へ持っていき、右側からライダーベルトの正面に設けられた漆黒の領域へスライドして差し入れる。

 カブトムシの六つの足が帯を掴むと、ライダーベルトの正面にバックルとして固定された。

 

『HENSHIN』

 

 重く低く、力強くも無機質に。天道の腰に巻かれたベルトが電子音声を鳴らす。それを合図として、彼の全身は幾何学的な六角形に包まれていく。

 それはまるで昆虫が巣を作るように。あるいは未熟な己を堅牢な蛹に覆い隠すかのように。否、それは天道総司にとって、身を守るための盾でもなければ身を隠すための蓑でもない。

 

 六角形は重なり装甲を紡ぎ、漆黒の強化スーツを形成。その上から鈍色の甲冑を纏わせ、肩や胸、主に上半身に重厚な甲殻を装わせる。

 天道総司の姿は生身の人間という虚弱な幼虫から――強靭な鎧を持つ『蛹』となった。

 

 変身の衝撃は風圧となって向日葵を撫でる。その風に思わず顔を覆った幽香は、ワームが散らした花びらが土の上から舞い上がり、鈍色の鎧を纏う戦士の姿を彩る様を見る。

 太陽の光を強く照り返し、鈍色は力強く輝いている。触角めいた二つのアンテナを有する戦士の複眼は、天に広く晴れ渡る『青空』を思わせるような蒼穹の色をもって怪物と向き合った。

 

「……! 姿が、変わった……?」

 

 幽香の赤い瞳に映る戦士――宇宙の彼方より舞い降りたワームに対抗するべく、とある組織が開発したもの。人類の叡智の及ばぬ領域から、侵略する者と抵抗する者の源流を等しくして。人類の希望たる『マスクドライダーシステム』は作り上げられた。

 その最初の完成形。鋼の鎧に青き複眼、そして全身を走る真紅の意匠は、太陽に祝福された者の証。光を支配せし『太陽の神』と呼ばれたマスクドライダーシステム第1号――『カブト』の輝きである。

 彼が願うことならばすべてが現実になるだろう。カブトに選ばれし者ならば。それが偽りでないと思わせるほどに、カブトとして在ることを望んだ男の道は揺るぎなく。

 

「…………」

 

 重厚な鎧を帯びた『マスクドフォーム』と呼ばれる形態。カブトムシの蛹めいた姿となった戦士、天道総司はゆっくりと虚空に手をかざした。

 瞬間、カブトゼクターが現れたときと同じように太陽の光が屈折する。空間が歪み、そこから重なる次元を超えた『ジョウント』なる移動方法をもって彼の手に武器が出現する。博麗大結界さえも越え、世界と世界を隔ててなお、ジョウント効果は空間を跳躍させ、カブトゼクターやその武器を天道の手元に招き寄せた。

 

 カブトの手元に現れたそれは持ち手の下部に斧の刃が設けられた短銃だった。カブトのための武器として開発された『カブトクナイガン』を手に、天道は一歩踏み出す。

 彼が身に装う厚き装甲と同じ、漆黒と鈍色、そして真紅の意匠を持つ刃の銃口を向けて。引き金を引けば、ジョウントによるエネルギー供給を受けた赤き光弾がワームへと放たれる。

 

「シュギュルルル……!」

 

 エタニティラルバに擬態していたワームは顔面で受けた光弾に苦悶を零す。しかし、堅牢な鎧に守られたサナギ体は未だ甲殻を打ち破られてはいない。

 肥大化した右腕の爪で背後に控える四体ものサナギ体に合図をかけ、指導者を含む五体もの軍勢は一斉に天道(カブト)と幽香に襲いかかった。

 

 冷静にカブトクナイガンの『ガンモード』を構えるカブトは一歩も退かない。幽香はゆっくりと白い日傘を持ち上げ、その先端をワームの群れに向けて眉一つ動かさず。

 カブトとなった天道の黒い指先を伝い、カブトクナイガンの内部に圧縮された高密度のエネルギーが充填される。それに呼応するかのように、幽香が掲げた日傘の先端にも光の蕾を思わせる輝きが強く結びつけられた。

 天道はそのまま引き金を引く。幽香は日傘の持ち手に優しく指をかける。二人の意思は等しく混じり合い――片や超高圧のイオンビーム光弾、片や花開く幻想の光弾として解き放たれた。

 

「グギュアアアッ!!」

 

「ギュルルシャアアッ!!」

 

 マスクドフォームのカブトが放ったカブトクナイガン ガンモードの高圧光弾――通常の射撃をさらに超えた出力の【 アバランチシュート 】は迫る一体のサナギ体の甲殻へ幾度も炸裂し、流れるエネルギーによって堅牢な装甲ごと怪物を内側から爆散させる。

 対する幽香の光弾は、やはり通常の弾幕を超える力。不気味なまでに鮮やかな朱色の花はどこかガーベラの花の形に似ているが――

 その中心を染める黒はさながら虚空に穿たれた孔の如く。ふわりと風を切る【 幻想春花(げんそうしゅんか) 】は一つ、二つ、三つと。柔らかくも恐ろしく、優雅ながらも威圧的に。サナギ体に笑いかける。逃げ場などないのだと告げるかのように、幽香の意思を代行する弾幕は怪物を花と散らした。

 

「……ほう。物騒な手品、というわけではなさそうだな」

 

「手品でもなければ舎密(セイミ)でもない。これはただのガーデニングよ」

 

 天道――カブトの青い複眼が幽香の赤い瞳と視線を交わす。互いの目は、それぞれに対する好奇の色を示し。

 二度目の四季異変に際して狂い咲いた幻想郷。そこに異形の怪物と仮面の戦士がいると、風は噂を運んできてくれた。花を撫でるように、幽香の耳に届いた便りによって、彼女はその目で直接確かめずとも『怪物』と『戦士』について聞き及んでいた。

 怪物とは、目の前に蠢く緑色の異形、五体から二体を撃破して三体となった蛹たちが該当すると考えて間違いないだろう。となればやはり、隣に立つ鈍色の蛹こそが。無機質な鈍色の装甲を鎧と纏う男こそが──幻想郷に招かれた『仮面の戦士』に該当するのだと考えられる。

 

 日傘から光のエネルギーで出来た花を飛ばした幽香に対し、天道は動きにこそ出さずとも多少は驚きの感情を抱いていた。

 無力な少女に擬態したワームの思考が読めず、そのワームが光弾を放ったことも天道の思考を逸脱していたが、一見すれば人間にしか見えないこの女もまた似たような力を放ったことで一つの推論に至る。

 この世には宇宙から飛来した地球外生命体などという荒唐無稽な話があるのだ。事実、そんなおとぎ話のような空想は星を襲い、天道から家族も安寧も何もかも奪い去った。

 なればこそ、あるいは本当に――ヒトならざる力を持つ怪異の類も実在するかもしれない。

 

「ふっ、面白い奴だ」

 

「お互い様ね」

 

 仮面の下で小さく笑う天道へ返すように、幽香は口角だけを微かに上げる。互いにその存在は未知であり、常識を超えた力を有した者と認める一瞬。

 されど彼らはどちらも並みの存在を遥かに超えた精神性を持っていた。天に座す無二の光、あるいは決して枯れることのない花の如く。風に吹かれても大地に根強く、その太陽は揺るぎなく咲き誇っている。

 

 正面から迫る二体のワームを撃破した二人は、今度は左右から迫るサナギ体に視線を向けた。期せずして背中合わせの形となった天道と幽香のそれぞれの正面に据えられた二体のワームに対し、彼らは今一度同時に構えを取る。

 天道は右手に構えたカブトクナイガン ガンモードによる通常射撃でワームを牽制。幽香も同様に日傘の先端から放つ通常の光弾、弾幕と呼ぶには控えめな射撃で怪物を狙う。

 

「シュギュルルッ!」

 

 やはりサナギ体の甲殻は厚い。本気の光弾とはいえ、一度や二度の炸裂で打ち破れるほど脆くはないようだ。

 天道と幽香の正面からそれぞれ迫るサナギ体は爪を振り上げ、接近戦を試みようとする。

 

「甘いな」

 

 ――その動きも、天の道には示されている。振り上げられた爪に対し、天道は右手のカブトクナイガンを軽く真上へ放り投げた。すかさずそれを空中で掴み取るが、彼が手にしたのは短銃(ガンモード)としてのグリップではない。

 銃として機能していたカブトクナイガン ガンモードの銃身に当たるスプリング状のバレル。柄底に銃口の先が来るようにして持ち、逆に先ほどまでのガンモードにおいてはグリップであった部分を外に向ける形でそれを持ち替えたのだ。

 ガンモードでの柄底は正面に向けられ、その下部に設けられていた斧の刃が大きく広がる。射撃を目的とした形態から、ただ持ち手を変えるだけで、カブトクナイガンは斧としての機能を発揮する戦斧形態――『アックスモード』としての側面をもたらしていた。

 

 カブトクナイガン アックスモードの刃を振り上げ、ワームの爪を弾く。その僅かな隙を縫うように、ジョウントにより送り込まれるエネルギーを圧縮し。アバランチシュートの際と同様に強化されたエネルギーを斧の刃へ充填する。

 爪を弾いたままの姿勢からエネルギーの波動に包まれたカブトクナイガン アックスモードを袈裟懸けに振り下ろし、天道はワームの胸部を両断した。

 アックスモードによる【 アバランチブレイク 】の一撃はサナギ体の甲殻を破壊し内部にまでエネルギーを送り込み、堅牢な装甲ごと怪物を呆気なく爆散させてしまう。緑色の爆風がカブトの装甲を仰ぐが、その衝撃は妖力で育った向日葵の花びらを少し舞い散らせる程度のものだ。

 

「甘いわね」

 

 天道の背後を守るように立っていた幽香の正面、振り下ろされたワームの爪は、幽香がおもむろに開いた日傘によって防がれる。日光や紫外線はもとより、弾幕さえも遮ってしまう無双の花。彼女の日傘は、この程度の攻撃では傷一つつかない。

 そのまま日傘を肩に掛け、ワームに無慈悲な笑みを向ける。右手で優雅に日傘を差し、ただゆっくりと左手だけを持ち上げて――

 込められた光のエネルギーはいくつもの白い花となってワームに射出される。扇状に花開くように、五方向へと舞い散る花の弾幕。幽香のチャージショットたる【 フラワーシューティング 】は接近していたワームに直撃し、五方向の六連射──すなわち三十発もの光弾がワームの腹部へまとめて炸裂した。

 圧倒的な妖力は刹那の間もなくワームに流れ込み、即座に爆散させる。緑色の爆風はやはり幽香の鮮やかな緑髪を撫でるが、妖怪としての身は日傘を構える必要性すら見出さない。

 

「ギュルル……シュギュルルル……!」

 

 最後に残った一体のワームはエタニティラルバに擬態していた個体だろうか。もはやラルバらしさを見せることもなく、ただワームの本能に従った軋みを上げる。

 幽香と天道は背中合わせの状態から、再び共通の敵へと視線を向けた。初めに幽香が気づいたのは、ワームの変化である。サナギ体の不気味な緑色の甲殻が少しづつ赤褐色に変わっていき、体温が上昇しているのか白い蒸気を発しているのだ。

 ぐらぐらと昇り立つ陽炎(かげろう)は真夏の日差しによるものではない。赤熱したワームの甲殻が空気を熱し、大地を熱し、その温度差によって生じたもの。やがてワームの甲殻たるサナギには微かな亀裂が入り、亀裂はどんどんその隙間を大きく広げていった。

 

 天道は重厚なマスクドフォームの仮面の下で眉をひそめる。幽香が知らぬワームの特性、それは相手が可能性を秘めた成長期間(サナギ)たる所以。

 ワームの甲殻は高熱化に耐え切れず崩れ落ちる。ボロボロと剥がれるように、あるいは灼熱の温度に溶けていくように。サナギという堅牢な装甲を失って、ワームの内なる姿――不完全な鎧を脱ぎ捨てた『成虫体』の姿を晒す。

 蛹という段階を乗り越え、ワームはまさしく地球の昆虫と同様に『脱皮』を行うのだ。

 

「……脱皮したか」

 

 カブトの青い複眼が見据えるは、かつて一度倒したことのある相手。地球の節足動物、蜘蛛によく似た姿に、暗い青紫と赤色を放射状に混合させた不気味な色合い。いくつもの蜘蛛の脚が突き出す両肩を持つは『アラクネアワーム ルボア』と称される種だ。

 

 蜘蛛のワームは低く姿勢を屈めたかと思うと、速やかに大地を蹴り上げる。幽香はその反応を決して見逃さなかったものの──次の瞬間には、それを見失ってしまった。

 余所見をしていたわけではない。瞬きをしたわけでもない。しっかりと目を細めて動きを見ていたはずなのに、正面にいたはずの成虫体ワームの姿が──今はどこにも見当たらない。

 

「消えた……?」

 

 思わず一度は見開いた目を再び細める幽香。微かな残像だけを残して、その場から消えてしまったアラクネアワーム ルボアの気配を探る。

 気配はまだ残っている。が、それを掴んで知覚することができない。そこにいるということが分かるのに、ただその気配に集中するということだけで、箸で蝿を掴むような。

 

 そこへ知覚を超えた速度の爪が迫る。たまたま殺気を感じて日傘を構えられたが、それを見てから構えたのでは決して間に合わなかっただろう驚異的な速度。どこから攻撃が来たのかを確かめることさえできぬ一瞬。

 近くにいた天道も殺気を見て対処しているものの、変わらずそれ自体に反応できているわけではない様子。マスクドフォームの装甲に幾度も打撃を受けつつも、目では終えていない。

 

 成虫となったワームが発揮する驚異的な超高速移動能力──『クロックアップ』と称されるそれは、物理法則を超越せんばかりの相対性を持つ『時間』への冒涜だった。

 

 ただの超高速移動であれば、音速を優に超える速度の物質が通った空気の層が破壊され、凄まじい衝撃波が周囲の向日葵を散らしていただろう。しかし、怪物の姿を実際に捕捉することは叶わずとも、残像を見ればそれが奇妙な挙動をしていることが分かる。

 幽香が気づいた違和感は、ただそれだけであった。ワーム自体は鴉天狗の飛翔を上回る速度で移動しているのに、突風も起きなければ攻撃を受けた際の質量も変わらない。まるでワームの動きだけが不自然に早送り(・・・)されているような。

 天道総司の生きた『カブトの世界』の法則――ワームという存在の能力を知らない彼女には、その概念を推し測る術はない。自身にかかる時間流を捻じ曲げ、通常とは異なる時間の流れに突入するクロックアップの仕組みなど、一目見ただけで理解できるはずがないのだが――

 

 愛すべき向日葵たちへのあまりの影響の無さ。妖精の羽ばたきでさえ揺れる彼らの花びらが、目で追うことすらできない速度で動く生物の風圧を受けないなんてありえない。そんな猛烈な違和感が、風見幽香の記憶から。一度は手合わせしたことのある紅魔館のメイド長(・・・・・・・・)を連想させた。

 

「ギュルゥルルルル……!」

 

 不意に、アラクネアワーム ルボアの姿が幽香の目に留まった。先ほどまでのスピードでは移動し続けることができなくなったのか、隙を晒さぬように右腕の爪から蜘蛛の糸を放つ。今の速度ならば、幽香もふわりと避け切ることは容易だ。

 しかしいつまた怪物が規格外の速度で動き始めるかは分からない。幽香は自身の移動速度こそ遅いものの、飛び交う光弾を視認して回避する弾幕ごっこを幾度となく行ってきた。超高速の飛来物を視認することは不得手ではなかったはずなのだが――あの速度はさすがに異常としか言いようがなかった。

 

 そのとき、ワームが動きを止めた瞬間を見計らった天道は己の左腰に左手を添える。ライダーベルトの正面に備わったカブトゼクター、彼自身から見て左向きに突き伸びた、真紅のカブトムシの雄々しき頭角『ゼクターホーン』に触れつつ前へと起こす。

 激しく唸る駆動音と共に走る電流。加速度的に速くなる律動に重なり、天道が身に纏うマスクドフォームの装甲が少しずつ隙間を開いていく。重厚な音を立てて蒸気を噴き出し、腕から胸へ、やがて頭部を守る『兜』でさえも。

 その変形を待たぬうちに、天道総司はカブトとしての右手でゼクターホーンを掴み取った。

 

「……キャストオフ!」

 

『CAST OFF』

 

 力強い発声と共に右手で掴んだゼクターホーンを右側へ倒す。さらに激しく迸る青白い電流を伴い、カブトゼクターは背中の円を開くように腹部を後方へ展開させる。開かれた内部機関からは真紅の閃光を発し、これより発動する機能を掲示。

 奇怪な鳴き声を上げてこちらを威嚇するアラクネアワーム ルボアは右腕を突き出した。正面に佇むカブトに向けて、地球の蜘蛛に似た遺伝子から白亜の糸を鋭く射出する。

 

 天道の動きに一切の怯みはない。迫る蜘蛛の糸は、その直後。カブトのスーツから勢いよく解き放たれた装甲――『マスクドアーマー』の分離(パージ)によって掻き消された。

 腕、肩、胸、そして頭。カブトの全身を覆っていた重厚な装甲は、それ自体が重量級の飛来物としてアラクネアワーム ルボアに向かって飛んでいく。当然、怪物もそれを受け止めるつもりはない。成虫となってさらに強化された豪腕を振るい、襲い来るそれらを容易く薙ぎ払った。

 

「…………」

 

 飛び散ったマスクドアーマーの先に立つ(あか)き影。漆黒の強化スーツはそのままに、今まであった鈍色の鎧を脱ぎ捨てた、細身にして美しくそれでいて力強い姿。

 兜の中にしまわれていた真紅の角がカブトの顎を中心に持ち上がり、顔の正面を覆う形で額の先に掲げられる。雄々しく分かれた一本角となり、青い複眼に誇り高き光を灯して。

 

『CHANGE - BEETLE』

 

 その立ち居振る舞いは不動のままに。鈍色の鎧は流麗な輪郭を見せる真紅の装甲となり、青い複眼を分かつように突き伸びた角は先ほどまでとは大きく印象を変えている。

 カブトゼクターの操作により、天道は『キャストオフ』を果たした。その姿はワームの脱皮と同様、重厚な防御を誇る鎧を失うことで至る完全体。マスクドライダーシステムとして成虫(・・)への到達を意味する――『ライダーフォーム』と呼ばれる形態である。

 

 緋色に輝く装甲は、太陽の畑を染める黄色の中で眩く存在を主張していた。真夏の日差しを抱いたその在り様はまさしく天に無二たる光の如く。

 きらりと反射する陽光が幽香の緋色の瞳を眩ませる。思わず眉を寄せる胸中は、奇しくもカブトを見やるように風に煽られた向日葵たちの眼差しと同じ嫉妬と羨望によるものなのか。

 

 いったい誰の強さが信じられる? 己が道を決めるのは自分だけ。常に最強最速を求める者にこそ、運命は絶えず味方する。

 目に見えるスピードを遥かに超えて、心の時計を疾く走らせ、巡る明日のその先へ――

 

 天に咲く正義。太陽の如き道。選ばれし者は空を目指し、散りゆく花びらと共に翅を広げた。




おばあちゃんが言っていた。カブトと対応させるのは天子でもよかったけど……
天子だと『比那名居』で天道方式の自己紹介をさせるのがめちゃくちゃ難しい、ってな。

次回 44『誰よりも速く』
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