東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第44話 誰よりも速く

 夏の日差しが降り注ぐ太陽の畑に、紅く光を返すカブトの装甲。それは伝説と称された幻の希少金属『緋々色金(ヒヒイロカネ)』と呼ばれる物質で出来ている。

 外の世界では失われたはずのそれはカブトの世界において、紛れもなく実在した。幻想郷にて観測される緋々色金と同じものが、あちらにおいては『ヒヒイロノカネ』なる金属としてマスクドライダーシステムの素材となり――その装甲の強化のために用いられている。

 

 幻想にして現実。だが、カブトの世界に存在する幻想は、それだけではない。外宇宙より飛来したワームに対抗するためにはただ強く堅牢なだけの鎧では足りず。万物を切り裂く刃だけではまだ不足。

 必要なのは、ワームのクロックアップに対抗し得るだけの圧倒的な『速さ』だった。

 

 特殊相対性理論において、光速を超えることができる物質は存在しない。だが、もし初めから超光速で移動する粒子が存在したとしたら。加速によって光を超えることは叶わなくとも、存在しているだけで常に光より速く動く粒子があったとしたら。

 人はそれを『タキオン』と呼んだ。光より速く駆け抜け、今も未来も過去にする。幻想郷の外の世界でさえ未だ発見されていない粒子の一つだが、カブトの世界ではそれさえもすでに運用され、システムに組み込まれている。

 タキオン粒子。マスクドライダーシステムの根幹をも定義する超光速のエネルギー粒子。異なる時間の流れを見出し、相対性理論の壁を超える。そのための機能が、カブトには備わっている。

 

「……クロックアップ」

 

『CLOCK UP』

 

 ひらひらと舞い落ちる向日葵の花びらの中、天道総司は小さく呟く。腰に装うライダーベルトの右側、サイドバックルとして設けられた『スラップスイッチ』を軽く叩くと、その意思を信号として受け取った自律メカ──カブトゼクターが電子音声を奏でた。

 その瞬間、カブトの全身にはタキオン粒子のエネルギーが駆け巡る。ワームのクロックアップと同様の機能を発動し、カブトはワームだけに許されたはずの『クロックアップ』の世界に人間として踏み込んだ。

 ――速度を超え、時間を超え、誰よりも速く明日を見に行く。その目から見れば、自分たちについて来れない世界の速度は止まってしまったように見えたことだろう。

 

 否、正確にはほんの僅かに、ゆっくりと動いている。風に吹かれて散った向日葵の花びらが空中に漂い、静止しているように見えるものの、極めて遅く緩やかに風に流されている。

 遥かなる空に舞う鳥たちの羽ばたきも、向日葵を求めて舞い降りた羽虫たちも。例外なくクロックアップの世界を認識できず、カブトやワームには止まって見えるほどゆっくりと動くことしかできない。

 それは風見幽香も同じだった。いくら妖怪として強大であろうと、クロックアップした存在を目で追うことができる者は、クロックアップが可能な存在だけ。

 

 向日葵の花びらが張りついたように浮かんでいる。そんな奇妙な光景の中で、ワームはカブトから見て等速で右腕を振り上げた。

 実際は目にすることも不可能な速度である。人間も妖怪も、その眼球では捉え切れない瞬間と瞬間の隙間を縫うが如く、クロックアップしたワームは活動することができるのだ。

 

「ふっ、はっ!」

 

「シュルルギュルルッ!」

 

 クロックアップしたカブトもまた、ワームの成虫体に等しいライダーフォームの機能をもって、人間を遥かに超えたスピードで活動することができている状態にある。

 音速を超えて風を切り裂いたワームの鉤爪は、同じく音速を超えたカブトの手刀に振り払われた。続けて放った右拳をもって、彼らにとっては等速と変わらぬ超音速の打撃を叩き込む。

 

「ギュルルッ……」

 

 同じ速度の流れにあれば、天道総司の右に出られる者はそうはいない。一番強いのは俺だからな、と言わんばかりの圧倒的な佇まいに、アラクネアワーム ルボアは思わず怯んだ。

 振り上げられたカブトの右脚によりワームは遠くへと蹴り飛ばされてしまう。開けた平原に叩き込まれつつも、ワームは蜘蛛の糸の如く粘り強く立ち上がった。

 

「…………」

 

 天道総司は常人を超えた速度の中、ワームの姿に過去を思い返している。

 彼の世界における西暦1999年。東京の渋谷区は、隕石の落下によって壊滅的な被害を受けた。衝撃は建物を粉々に吹き飛ばし、おびただしい数の犠牲者を出し、幼い頃の天道総司もまた家族を失ってしまった。

 だが、隕石が地球にもたらした災害はそれだけではなかったのだ。隕石に包まれるように付随していた地球外生命体――後にワームと呼ばれることになる生物の種が地球に蔓延り、その擬態能力とクロックアップをもって瞬く間に人類を脅かす存在となってしまった。

 1999年の『渋谷隕石』の復興も未だ途上。そんな中で、未確認の宇宙生物に対抗する手段など、そう都合よくあるはずがない。――あるはずが、なかった。

 

 天道総司が初めてカブトゼクターに選ばれし日、西暦2006年から35年前。渋谷隕石の28年前に当たる1971年にも地球に隕石が落下し、ワームが訪れていたのだ。

 否、正確に言えば彼らはワームではない。後に襲来する第二のワーム──1999年のワームとは敵対する種族らしく、人類にワームに対抗するための技術を提供してきた。

 1971年時点において、やがて来たると予言された1999年のワームとの区別のために、最初に現れたワームの種族は現地住民の意を込め『ネイティブ』と呼称される。ネイティブたちは敵対するワームを倒すべく、人類に協力を志願。やがて『マスクドライダー計画』を発案した。

 

 来たるべき災いに備えて、人類とネイティブは秘密裏に特殊武装組織『ZECT(ゼクト)』を結成。組織の結成に携わった二人の男のそれぞれの息子が、マスクドライダー計画の根幹を担う『資格者』として選ばれることとなる。

 天道総司が家族を失ったのは隕石による被害ではない。人類とネイティブの間に生じた亀裂を隠したかったネイティブによって彼の両親は殺害されてしまった。

 その17年後。ついに訪れた1999年の渋谷隕石で、両親に擬態したネイティブは命を落とした。その際に父と同じ顔をした怪物から、天道総司はマスクドライダーシステムの資格者として選ばれた者の証――ライダーベルトを受け取った。

 なぜ父を殺した怪物が、父のように振る舞い自分にライダーベルトを託したのか。あるいは父の人格を模倣した際、その遺志が怪物の思考に影響を及ぼしていたのだろうか。

 

 天道はそれから七年間。掴むべき太陽の神(カブト)の覚醒を待ち続け、己を鍛え続けてきたのだ。

 

◆     ◆     ◆

 

 クロックアップ。天道の口からその言葉が聞こえた直後、幽香の視界から二つの影は消え去った。瞬く間もなく残像だけを残し、音もなく気配だけが周囲で戦っている。

 

「今度は私だけ置き去り? 異界の虫はせっかちなのね」

 

 傍に立っていたカブトまでもがワームと共に超高速の世界へ消えた。幽香の赤い瞳には微かな残像しか映っていない。妖怪としての感覚は紛れもなくそこに悪意と妖力を帯びた怪物と、天道総司と名乗った外来人の男の気配が戦っていると示してくれているのだが――やはり目で見ることは叶わなかった。

 一瞬の後には影らしきものが視界の端に映る。瞬くよりも速く、次の瞬間には背後にて衝撃が走る。残像と呼べるものを視界に捉えることはできるが、それ以上は何も見えないのだ。

 

「……相変わらず残像しか見えないわ。いったい何が起こってるのかしら」

 

 ただ一人残されてしまった幽香は退屈そうに独り言つ。超高速の世界に至ったカブトとワームにはその呟きは悠久に等しく引き伸ばされ、決して届くことはない。

 同じくクロックアップしている彼らの息遣いも、拳や爪が空を切る音も、装甲を打ち合う打撃の音までもが。刹那の狭間に掻き消え、幽香の耳には一切聞こえることはなかった。

 

 本来ならばクロックアップした存在の『残像』を見ることすら、常人には不可能。されど幽香は常人を遥かに超えた妖怪である。時間の流れが異なる速度を認識することまではできていないが、その影響を残像という形で認識できた。

 彼女にとってはほんの一瞬。されど彼らにとっては長い長い時間の戦い。あちらを見てもこちらを見ても極めて微かな残像が映る程度。向日葵にはほとんど影響がないことだけが僥倖(ぎょうこう)だ。

 

◆     ◆     ◆

 

 異なる時間流へ突入してから、4秒は経過しただろうか。クロックアップによって引き延ばされた時間の中では、それがどれだけの時間になっているかは分からない。彼らにとっては銃弾も雨粒も静止した絵画のようなもの。

 超高速の世界では打撃の音がくぐもったように空間に響き渡る。音さえも静止したように飛んでいかず、しばらくその場に留まったのちに遅れて響き渡っていくためだ。

 

 天道は蜘蛛に似たワームと拳を交える中で奇妙な違和感を抱いていた。相手が未知の存在に擬態し、光弾を射出できるようになったという点だけではない。それを差し引いても、ワーム自体の強さが以前に戦ったときより格段に上がっていると感じられたが故に。

 先ほどまでは子供程度の知性でただ力を振るっているだけだったはずなのに、成虫体に脱皮してからは動きが変わったかのよう。マスクドライダーシステムを知っていると思わせんばかりに機敏な動きになっている。

 打撃の重み、装甲の強度。そのどれもが過去の同一個体(アラクネアワーム)よりも優れている。しかし天道はやはり一切怯むことなく。カブトの仮面の下で小さく口角を上げ、迫る鉤爪を避けて殴り返す。

 

「ふっ、ワームにしてはなかなかやるな」

 

「シュギュルルルッ!!」

 

「だが……せっかくの豆腐を台無しにした罪は償ってもらう」

 

 静止に近く遅延した世界の中で、天道は静寂に響くようにワームに告げる。至近距離で吐き出された蜘蛛の糸さえも首を微かに動かして回避し、迫る怪物の勢いを殺すことなく肘打ちをもって背後に叩き伏せる。

 アラクネアワーム ルボアは己が攻撃を鮮やかに受け流され、背後に追いやられていた。クロックアップを果たしたところで質量や衝撃は増大していないはずなのに、カブトが持つ本来の性能、マスクドライダーシステムの出力がワームに響く。

 

 草原に叩き出されたワームに背を見せつつ、天道の右手の指先が腰のカブトゼクターへと誘われる。カブトゼクターの三対の足でもあるその銀色は、マスクドライダーシステムに信号を伝えるキーの一種。自らの腰を見ることもなく、天道はその三つのキーを押下していく。

 

『ONE』『TWO』『THREE』

 

 一つ、二つ、三つ。親指の腹で確実に、ライダーベルトに横向きに装填されたカブトゼクターの左側に突き出した三つの足――この状態では上を向いている『フルスロットル』と呼ばれるキーを自身から見て左から順番に押した。

 重厚な鎧を纏っていたマスクドフォームからキャストオフを果たし、ライダーフォームとなった今の状態ではカブトゼクターの角――ゼクターホーンは反転して右側を向いている。角の裏地たる金色を正面に向け、カブトムシの背中側へ翻って後部へと倒されている。

 天道はフルスロットルを押下し終えた後、展開されたカブトゼクターの頭を押さえて正面の円を閉じつつ、右側に倒されていたゼクターホーンを右手で掴み、再び左側へと勢いよく戻した。

 

「……ライダーキック」

 

 背後から迫り来るアラクネアワーム ルボア。強靭な爪を振り上げつつ、こちらへ突っ込んでくる怪物に対してか。天道は誰にともなく静寂の中に死の宣告を謳う。

 ベルトから迸る青白い電流を装甲や頭の角に受けながら、ゼクターホーンを右へ倒した。

 

『RIDER KICK』

 

 カブトゼクターの操作と共に、低く響き渡る電子音声。カブトの頭角を巡る電流は瞬く間にその右脚へと収束し、タキオン粒子のエネルギーを走らせ光を放つ。天道自身はその場から動くこともなく、ただ勇ましく愚かに迫り来るアラクネアワーム ルボアの姿を背に立ち尽くし──

 

「はぁっ!」

 

 不意に振り上げたカブトの右脚が天を切る。閃光を纏い、風を貫き。左足を軸として翔け抜けた右脚をもって、背後のワームに対し渾身の回し蹴り――【 ライダーキック 】を見舞う。タキオン粒子のエネルギーを込めたその一撃は、ワームの装甲を切り裂いた。

 

 激しく迸る電流と共に、強さという自信が身体を溢れ出す。その強さを、己の誇りを信じることができるなら。きっと(すべ)てが力になる。

 絶えず自分の限界を抜き去って──昨日より速く。天を往く正義を右脚に乗せて、穿ち抜かれたアラクネアワーム ルボアは青白い爆炎を伴い、カブトの前にて天命を終えた花と散った。

 

『CLOCK OVER』

 

 静止した時間の終わりを告げる音。カブトゼクターが知らせた電子音声は、天道総司の意識をクロックアップの世界から通常の時間の流れに引き戻していた。

 空に張りついていた向日葵の花びらが風に乗って儚く地に落ちる。それは先ほどまで目にしていた絵画のような光景ではなく、紛れもない現実。時の流れに漂うように、散りゆく花は等速のままに舞い落ちていく。

 超高速の世界は限られた時間の中でしか使えない。ワームも同様に起こり得る『クロックオーバー』という現象がなければ、カブトといえど超高速の世界に閉じ込められただろう。それは超加速の制限時間でもあると同時に──彼らと通常の時間を繋ぐ命綱でもあるのだ。

 

 青白い爆炎が通常の時間流に揺蕩う空気を吹き飛ばす。濛々と舞い上がる白煙は夏色の日差しに照らされた風に掻き消され、そこに立つカブトの緋色だけを眩く刻む。

 天道総司はライダーフォームとしての姿のままに、ゆっくりと右手の人差し指で天を指した。

 

「……あら? もう終わっちゃったの? 散った花びらが地面に落ちるよりも早かったわね」

 

 風見幽香の目には一瞬。僅か5秒を数えるまでもなく戦いは終わった。幽香には引き延ばされた時間の中までは観測できていなかったものの、その戦いの残像だけは見えており──

 

「戦うのは久しぶりだったのかしら? 少し動きが鈍かったわよ」

 

 陽光に細められた(あか)い瞳がカブトの緋々色金の装甲を射貫くように見る。残像だけを見ても、あまりに長い時を生きた妖怪にはその些細な動きが悟られていた。天道総司という男のポテンシャルに相応しくないような動きの矛盾が。

 幽香とてついさっき出会ったばかりの男のすべてを知っているわけではない。ただ感覚的に理解できるのだ。この男は、あの程度の戦い方で満足するはずがない──と。

 それは、幽香が天道に自分とどこか似た部分──自由を求める道を見たからかもしれない。

 

「……見えていたのか?」

 

「いいえ? まったく」

 

 自らの背に伝えられる言葉に、天道は顔だけを少し傾けて幽香へ問う。ただの人間とは思えない相手ではあるが、それを考慮してもクロックアップを見切ることができる存在などこの世にそうそういていいはずがない。

 ワームの突然変異個体である『白いサナギ体』であれば、通常の速度からクロックアップを視認することもできるだろうが──彼女はワームのことを知らない様子だ。

 

 ゆっくりと振り返り、カブトとしての青い複眼で幽香を捉える。仮面の下で小さく溜息を零しながら、天道はワームやネイティブらしき様子もなければ人ですらない不気味な気配を帯びた女性を前にして。目の前の『怪異』に対する警戒をそのままに──戦う意志だけを胸にしまった。

 

「この一年間も鍛え続けていたんだがな。どうやら、その目は誤魔化せないらしい」

 

 天道の意思に従うように、腰に帯びたライダーベルトからカブトゼクターが外れる。足を伸ばして翅を広げ、飛び去る甲虫はジョウントによって空間を跳躍した。

 光の狭間に消えゆくそれを見やることもなく、天道はカブトの装甲が再び六角形の情報片となってベルトに集約していくのを感じる。低くも小さな音を立て、やがてすべてを受け入れたライダーベルトは信号を消し──天道総司をカブトの姿から生身へと戻していた。

 黒い作務衣は冬の日の異国から誘われたままの在り様。狂った季節の夏の色、照りつける日差しの下にはあまり相応しくない装い。それ以上に、幻想郷らしくもあり異端でもある服装。

 

「腕が鈍ったのね。でも……『しかたないじゃない』なんて言わないだけ立派だわ」

 

 飛び去ったカブトゼクターを彼方へと見やりつつ、消えゆく狭間を見送って。微かに髪を撫でた夏色の風を感じつつ、幽香は天道に向き直る。

 夢と幻の記憶に少し酔い痴れながら。門番には彼のような存在こそ相応しいと胸に想った。

 

◆     ◆     ◆

 

 やや夕暮れの色を見せ始めた太陽の畑は向日葵の影を伸ばし、幻想的な光景を見せている。この地には人や妖怪が住める建造物らしきものの影は見当たらないが──その妖気を誰よりも知る彼女は、そこに独自の結界を設けていた。

 妖精がいくら飛び交おうがぶつかることのない別位相の領域と呼べる場所。よほど妖気の流れに聡い大妖怪でもない限りは、太陽の畑に建てられたこの館に気づくことはないだろう。

 

 夢幻の色香を漂わせる不思議な館。そこに水辺はないはずなのに、どこか紅魔館にも似た独特の湿度を帯びている。

 今昔において揺るがず。それでいてどこか変化も感じられる幻想郷の在り方──(ふる)き気配を帯びたその屋敷は幽香ただ一人が住む邸宅として。太陽の畑の結界内に(かそ)やかに建てられていた。

 

「たしか、天の道……天道総司とか言ったっけ? あなた、人間にしては強いのね」

 

 艶やかな蜜の香りを漂わせつつも、無意識に他者を威圧する花弁の如く。幽香の瞳は結界内に建てられた屋敷に招かれた天道総司の表情を見る。

 奇妙な植物の意匠が施されたテーブルに向き合い、手元のハーブティーには手もつけず。天道は明らかに人ならざる者の不気味さを隠そうともしない風見幽香に言葉を返した。

 

「その口振り……やはり人間じゃないのか。……ワームの擬態というわけでもなさそうだが」

 

「私は……そうね。あなたの素敵な在り方に(なら)ってみようかしら」

 

 自分の在り様を天道の在り様に重ねるように、わざとらしく思考する素振りを見せる幽香。その振る舞いは花のように可憐でありながら、静かに獲物を狙う食虫植物のようでもある。

 

「風を見やり、(かそ)やかに香る女……風見幽香。一言で言うなら……『妖怪』ね」

 

 再びこちらを向いた緋き瞳が細められたのを見て、天道は微かに眉をひそめた。自分の在り方を模倣されたことに対してか、あるいは妖怪などという荒唐無稽な話で誤魔化そうとした女の態度か。すべてを見透かしているような目つきが天道総司を不快にさせる。

 万物を等しく見下ろす太陽が如き者の視線の中、彼は自分が花になったかのような気持ちを覚えさせられた。だが、この気持ち、自らの顔に滲む苦い表情は。これまで自分が対してきた相手とよく似ているのかもしれない。

 自分が無二の太陽であると信じて疑わないかのような。風見幽香と名乗った女の在り方は、自らを模倣するまでもなく自分と似ているのだ。そう思い、天道は小さな苦笑を零していた。

 

「あら、信じてない? あなたも見たでしょう? 太陽の畑(ここ)にいる小さな妖精の一匹や二匹くらい」

 

 太陽の畑に生じる自然の具現は、天道もしっかりと目にしている。あまり信じたくはない光景ではあったが、背中に羽を持つ人間の少女めいた存在は空を飛んでいたのだ。サナギ体の撃破に伴う爆発に驚いたのか、ほとんどは鳥と同様に逃げ散ってしまったが。

 ただの仮装──と笑えるほど拙いものではなく。少女の質量を支えるには明らかに不足と言える小さく脆弱(かよわ)い羽をもって、妖精と称された彼女らは空を飛んだ。それは物理的な意味合いにおける飛翔というよりは精霊や幽霊、まさしく『妖精』と呼ぶに相応しい幻想的な振る舞い。

 

 幽香の家から窓の外を見る。夕暮れに落ちた太陽の畑には、もはや忌むべきワームの影はない。その代わりに蝶のような羽を持つ妖精たちが楽しそうに遊んでいる。

 向日葵の花を手に空を漂う幻想的な少女たち。つい先ほど倒したワームは、彼女らによく似た特徴を持つ少女に擬態していた。おそらく、この地に住まう妖精とやらの一匹がワームの犠牲者となったのだろう。

 サナギ体のワームには光弾を放つような能力はない。だとすれば、その力は擬態元たる妖精と呼ばれる存在の力。見た目だけなら人間の子供にしか見えないが、あれだけの攻撃力を遊び感覚で放つことができるのは脅威と言えよう。あるいはワーム本来の力も合わさっているのか──

 

 たった今まで怪物が存在していた場所で変わらず遊ぶ様子からは危機感がまったく見られない。先ほどの戦いを見ていなかったわけではあるまいが、もう忘れているのか。どうやらワームが擬態した個体と同様、妖精というのは頭の中まで子供と同等らしい。

 目の前にいる『妖怪』が見た目の若さには相応しくない威圧感を秘めているから少しは神秘的な存在なのかと思ったが、見ている分には本当にただ普通に遊んでいるだけの少女たちだ。羽を持ち、空を飛んでいるという点を除けば、だが。

 ──人ならざる妖精とはいえ少なくとも一人がワームの犠牲になっている。天道はその事実に拳を固めながら想う。子供は宝物。この世で最も罪深いのは、その宝物を傷つけるものだ、と。

 

「……俺はパリにいたはずだ。この気温と湿度……まさか日本なのか?」

 

「少なくとも、モスクワじゃないのは確かね。その格好、あなたも外来人なんでしょう?」

 

 かつておばあちゃんより伝えられた教えを胸に抱きつつ、肌に張りつくような慣れ親しんだ暑さを飲み込んで口を開く。溜息混じりに口をついた疑問は向かい合う幽香に対して。

 

「…………」

 

 天道の記憶においては一年前の出来事。ワームの殲滅を目的に組織されたZECT(ゼクト)は人類の脅威たるワームを着実に減らしていった。ワーム襲来から28年も前にすでに地球に訪れていたワームの亜種──ネイティブの技術たるマスクドライダーシステムによって。

 人類とネイティブは協力関係を続け、共に1999年に現れたワームと敵対していた。だが、天道総司の父がネイティブに殺害された理由──ネイティブへの疑惑と不信感の通り、ネイティブは人類の味方などではなかったのだ。

 地球を襲うワームを殲滅し、先住民たる人類さえも『ネイティブ』に変えて。地球の支配権をネイティブが奪う。ZECT上層部は幹部組織にさえ極秘として──その計画を進めていた。

 

 ZECTの上層部たるネイティブが発動したのは、人類のネイティブ化。全人類にネイティブの繭たる隕石の欠片を配布し、そこに特殊な信号を送ることで全人類をネイティブと同じ存在に変貌させてしまうという計画である。

 その被検体として選ばれた少年がどれだけ凄惨な地獄を味わってきたか。自ら望んでネイティブとなった男がどれだけ人類に絶望していたか。人間の母親から生まれるはずだったネイティブの少女は、自分が人間ではないと知ってどれだけの葛藤を胸に抱いたことか。

 そんなことは天道にとってどうでもよかった。ただ世界に在るべき人類がネイティブなどという先住民気取りの余所者の手に落ちようとしている事実が許せず。天道総司という世界における『正義』そのものを無視したネイティブが気に入らず。

 人間もネイティブも関係ない。だが、自分のために世界を捻じ曲げるのは間違っている。世界を変えたければ、まず自分が変わることだ。その道を名に示し、天道総司はネイティブとしての道を選んだ悲しき男に引導を渡し。ZECTによる人類ネイティブ化計画に終止符を打った。

 

 その一年後、天道はその戦いを共にした『友』と別れ。天道の名の下に偉大な教えを受けて育った者、ネイティブとして生まれ人間として生きてきた者の二人の妹のために。最高の豆腐料理を味わわせてやりたいがため、フランスのパリまで足を運んだのだが──

 手に入れた豆腐は花と散ってしまい、未知の草原にて帰り道さえも分からない。俺としたことが不甲斐ない──と頭を抱えつつも、ワームの存在を想えばあまり楽観視もしていられなかった。

 

「……なるほどな。俺はまたわけのわからない世界に連れて来られた……というわけか」

 

 パリの歴史的建造物を前に豆腐を持ち歩いていたら、不意に自分の名を呼ばれたような気がした。それ自体は特に不思議なことではない。たとえ異国の道を歩いていても、天道総司の名を知る者は少なからずいるものだ。

 だが──声の主を見つけることはできなかった。振り返った直後、深くまとわりつくような不快な風に煽られ、咄嗟に手にした豆腐を守りつつ顔を覆ったが、視界を開いた瞬間にはパリの景色は幻の果てへと消え失せてしまっていた。

 夢を見ているのか。そう錯覚する間もなく、天道は向日葵を掻き分けた先の地平で見慣れた異形を見た。地球からほとんど一掃したはずのワームが女性を襲う様を。一年の空白こそあれど、なぜワームが再び現れたのかという疑問を抱きつつも、迷うこともなく天を往き。

 

 天道にとって、こうしてまったく未知の異世界に足を踏み入れるのは初めてではない。ZECTの研究か何だか知らないが、幾度も時空の彼方とやらに誘われ、自分と同じ顔をした青年──望まずネイティブにされてしまった人間の青年と拳を交わした経験がある。

 この地は時空の彼方ほど殺風景ではない。むしろ居心地は悪くないと思わせる暖かく優しい風と絵画のように美しく広がる向日葵畑は天道の心を落ち着かせた。

 外来人──幽香が放ったその言葉から考えるに、おそらくここに迷い込む『外』の人間はあまり珍しくないのだろう。なぜ自分がこんなところにいるのかまったく理解できないが、心地よい光景は窓の外ばかり。風見幽香の視線を一身に浴びるこの椅子の上は、ひどく居心地が悪かった。

 

「へぇ、飲み込みが早いのね。もしかして経験済みかしら? 説明が楽で助かるけど」

 

「……説明だと? あぁ、ぜひ聞かせてもらいたいね。俺をこんなところへ呼んだ理由をな」

 

 静かに目を閉じながら手元のハーブティーに口をつける幽香に対し、天道は彼女への不信感を隠すつもりのない口調でそう告げる。

 両腕を組み合わせたまま長い脚を組み、テーブルに向き合う姿勢を取るのが難しいがゆえ右肩を幽香に向き合わせる姿勢。椅子の横から脚を出す形となって、壁の窓には背を向けた。

 

「残念だけど、あなたを招いたのは私じゃない。まぁ、心当たりはあるわ」

 

 白い花柄のソーサーにティーカップを置きつつ冷静な口調で答える。幽香は同じく強大な妖怪と恐れられる幻想郷の代表者の顔を思い浮かべた。胡散臭い笑顔と纏わりつくような不快な妖気の気配は相変わらず好きになれないが、それはあちらも同じだろう。

 天道総司と名乗った男は、服装や気配から見ても間違いなく外来人だと断定できる。そして先ほど至った『仮面の戦士』と呼べる姿を想えば、今の幻想郷に起きている異変と関わりのある者だと推測するのは容易だった。

 幻想郷に現れた怪物とそれに対抗し得る戦士。まさしく幽香が聞いた話と合致するその情報から、彼が太陽の畑に現れたのは何かしらの理由があるのだと思い至る。それが賢者の采配によるものなのか、あるいは運命の巡り合わせによるものなのかまでは分からないが──

 

「誰だか知らんが、気に入らないな。この俺をわざわざ呼び出しておいて姿も見せないとは……」

 

 幽香は幻想郷の妖怪として長い長い時間を花と共に生きてきた。生きる者と死にゆく者への罪と罰を司る地獄の閻魔にさえ「貴方は少し長く生きすぎた」と忠告を受けるほどに。

 故に知っている。天道総司を幻想郷へ招いた紫色の花を。生と罪の色に満ちた桜の如く、紫色に香る花の名を。誰よりも幻想郷を愛する彼女が何の目的で彼を連れてきたのか、幽香にはやはり想像することしかできなかったが──あまり興味もない。

 花は咲き、やがて枯れる。その盛衰を見届けることができるのなら、多くは求めず。きっと数多の花々の生と死を見送るために、風見幽香は枯れない花の如き強さに至ったのだ。まるで静止した世界にてすべてを置き去りにしてしまったように、彼女は強く咲き続ける。

 

 世界の在り様に流されず、前に突き進む意志が天道総司の語る『天の道』という正義であれば、それを見送る幽香の意志はさながら『地の花』とでも呼べる正義。同じ大地に揺るがず咲き誇り続け、時には花びらとなって天を舞う風の如く。

 生きることも死ぬことも──咲くことも枯れることも、閻魔が裁くべき罪という。賢者の意思など知ったことではないが、幽香は刹那を楽しむ一輪の花として。

 正義を語る者の道、天の道とやらの傲慢さに。彩り咲くべき(つち)を見繕ってやりたくなった。

 

「あの怪物やあの力について、こっちにも訊きたいことはたくさんあるの。あなたさえよければ、この館を花瓶として使ってもらっても構わないけど……どうかしら?」

 

 柔和な笑みの中に冷ややかなものを秘め、幽香は両肘をテーブルに乗せながら言う。組んだ両手の指の背に顎を乗せ、向日葵の種のように細い瞳孔で天道を見つめている。窓の外から差し込んだ夕陽を取り込み、彼女の緋色の瞳は妖しく輝いていた。

 私の花になってみる気はない? と、天道総司に瞳で訴える。それは悪意や打算から成るものではない。彼女の本心は他者には理解され辛いが、ただ危険な妖怪であるがゆえに。一人の女性として当たり前に持つ優しさや暖かさ、陽だまりの如く人を思いやる心が伝わりにくいのだ。

 

「…………」

 

 天道はその瞳にゆっくりと向き合う。悪意と呼べるものは感じられないが、ただ純粋な善意で言っているわけでもない。

 だが、むしろそのほうがいい。見ず知らずの男を家に泊めようとする女よりも、来訪者が持つ情報を目的として引き出そうとする女のほうが信用できる。もし風見と名乗ったこの女が妖怪としての本性を現したとしても、この手にカブトゼクターを呼べることは確認済みだ。

 

「こんなところに迷い込んで、天にも地にも道はないんじゃない?」

 

 空はすでに群青の色が深くなり始めている。強者特有の笑顔は並み居るものを怯ませるだけの威圧感があるのかもしれないが、等しいだけの精神を持つ天道には鏡の如く。

 ――大丈夫よ、部屋なら余ってるし。と付け加えた幽香の言葉で、天道は幽香の口車に乗ってやることにした。

 幻想郷に誘われて、行く当てなどはない。さらにワームまでもが出現しているとなれば、夜を超えるべき宿は必要となるだろう。

 その対価としてワームやマスクドライダーシステムについての情報を、否が応にも提供することになってしまうだろうが──このわけのわからない場所についてのことも聞くことができれば幸いだ。嘘を吐けば必ず見抜かれる。風見幽香の瞳には、そう思わせるだけの妖気があった。

 

「まぁいい。しばらくここの世話になってやる。またあいつらが現れるかもしれないからな」

 

「ええ、しばらくお世話をしてあげるわ。たっぷりの水と肥料と愛情を込めて、ね」

 

 天と地の間に道はできた。細く小さく慎ましくも、繋がりたるは互いの利用価値を認める契約として。幽香にとっては妖怪だらけの楽園に放り出された外来人を保護するという意味もあり、天道にとっては未知の郷での宿という意味もあり。

 その本質は『知らなければならない』という想いを引き金とするもの。天を往く道は妖怪が蔓延る秘境の正体を。地に咲く花は彼が至った戦士や異形の怪物についての情報を。

 

 表面上は信用する。それを示すために、天道は手元に用意されたティーカップを手に取る。程よく暖かく優しげな香りを漂わせる黄金(こがね)色のハーブティーに口をつけ、天道は目の前の『妖怪』がもたらした条件(・・)を喉へ通した。

 様々な茶葉を知る天道でさえこれまで感じたことのない味。不快なものは一切ないのに、自分の知識にない『美味しさ』に微かに目を見開いたと同時。

 満足そうな笑みを浮かべる風見幽香に対し、少しだけ眉をひそめる感情を覚えさせられた。

 

◆     ◆     ◆

 

 草木も眠る丑三つ時。すでに秋へと至り始めた風が微かに漂う夏の夜。四季異変に際して歪んだ季節の色は、蒸し暑さの残る晩夏の月夜に儚い蛍火(ほたるび)を灯らせていた。

 博麗神社から近い場所の小さな道、人間の里へと至る方角に続くその道において、数多のホタルを引き連れた虫の妖怪──『妖蟲(ようちゅう)』の一種たる少女は己が身を震わせる。向かう相手は自分とまったく同じ顔と姿をした鏡映しの自分自身── リグル・ナイトバグ そのものだった。

 

「あんた、いったい何者なの?」

 

 額に汗を滲ませながら、(ほたる)の妖怪であるリグルは目の前の自分自身に問う。つい先ほどまでは醜悪な緑色の異形を持つサナギめいた怪物であったのに、それは自分の存在を確認するや否や自身と寸分違わぬリグル・ナイトバグへと変貌を遂げた。

 白いシャツに裏地を赤く染めた黒いマントを羽織るように纏い、丸く膨らんだ濃紺色のズボンを装う姿。少しボーイッシュな印象を受ける緑色のショートヘアを整えた頭の先からはホタルらしい触角が生え揃っている。

 

 水面に映るが如き自分の姿そのものを前に、リグルは小さく息を飲む。ただじっとこちらを見つめる相手は妖気の気配も微かな動きの癖も自分とまったく変わらない。この瞬間、悪意に満ちた不気味な笑みを浮かべるまでは、偽物は自分なのではないかと不安になってしまっていたほど。

 

「気味が悪いな……! みんな! あんな偽物やっつけちゃってよ!」

 

 リグルは黒いマントを夜風にはためせかせながら、周囲を漂うホタルや蛾に伝える。妖怪としては虫の特質を持つリグル、その存在はあまりに矮小で虚弱ではあるが──

 虫への恐れは彼女の力として語られる。リグルが有する『蟲を操る程度の能力』は自らの言葉をもって号令となし、同族たるあらゆる虫を自らに従わせることができるというもの。羽虫の一匹から世界最大の甲虫まで、妖蟲に従う手足となるのだ。

 

 だが、その場に集った虫たちは困惑したように周囲を蠢くのみ。地を這うムカデも空を舞うハエもがリグルの声を聞いているが、同じく目の前にいる者もまたリグルである。その事実が呑み込めず、わけもわからず翅を震わせている。

 目の前の事象が理解できないのはリグルとて同じことだ。あるいは、もしも自身の持つ能力までもが相手にもあるとすれば。見た目だけでなく力も同じだとすれば。この虫たちはそれぞれの能力の影響を受けて、どちらに従えばいいか分からなくなっているのではないだろうか──

 

「嘘……! そんな……そんなことって……!」

 

 混乱の羽音が頭蓋の奥を染める。それでも考えている暇はない。目の前の自分は、いつも自分がしているのと同じように。その手に緑色の妖力を込めて光弾を放ってきた。

 咄嗟にそれを避ける。こちらも同じように光弾を放つが、寸分の狂いもなく同じ動きで避けられてしまう。だが混乱している分、こちらのほうが動きが鈍っている。相手のリグルは普段のリグルよりも冷静な振る舞いで──こちらが避け転がった場所へと的確に緑色の光弾を放った。

 

「うぐっ……!」

 

 光弾がリグルの身体に炸裂する。マントを焦がした妖力のエネルギーが身に響き、弾幕ごっこ以上の力が込められたそれに本能的な命の危機を覚えさせられる。

 地に伏せたリグルを見つめるムカデやダンゴムシたち。普段なら友として接している彼らの視線も、今は敵意なのか心配なのかも分からず。目の前に迫る勝ち誇った顔の自分を見上げ、その手に光弾のエネルギーが輝くのを見て。リグルはただ歯を食い縛ることしかできない。

 

 ――そのとき、二人のリグルの間を縫って、一匹の『スズメバチ』が夜を切り裂き現れた。

 

「…………!」

 

 無傷のリグルは無機質な装いを持つ機械仕掛けの来訪者、黒と銀のボディに黄色い薄翅を備えるスズメバチ型自律メカ『ザビーゼクター』の鋭い針による攻撃に後退。三対の足で器用に腕輪型のデバイスを持ち、飛び運ぶように舞うそれは傷ついたリグルに優しく寄り添っていた。

 

「スズメバチ……? でも、生き物じゃない……の?」

 

 自身が操り招き寄せたものではない。こんな存在はこれまで目にしたことがない。どこから現れたのかも分からない未知の昆虫──機械仕掛けのスズメバチを前に、リグルは痛みの走る身体をなんとか立たせる。

 ザビーゼクターは立ち上がったリグルの左腕に『ライダーブレス』と呼ばれる銀色の腕輪型デバイスを装着させた。手甲部分を手首に当てるだけで、黄色く染まったベルトたる部分は自動的にリグルの手首に合わせられていく。サイズも長さも自動で調整され、手首に違和感などはない。

 

「な、何、これ……どうすればいいか分かる……気がする」

 

 ライダーブレスに視線を落とした瞬間、リグルの思考には奇妙な記憶が浮かんできた。豆腐を買った記憶、とある戦闘集団の部隊長を務めた記憶。そして、戦闘において最も重要なこと。一人一人の協調性を重んじる『完全調和(・・・・)』の理念を。

 自分ではない誰かの夢を、起きながらにして見ているような。まるでどこかで眠る誰かの想いが、己の中に流れ込んだような。

 リグルは無意識のうちに右手の平をそっと差し出す。スズメバチ型自律メカ、ザビーゼクターはゆっくりと翅を震わせ、リグルの手の平よりも少しだけ大きいボディを優しく乗せた。

 

 銀色の腕輪(ライダーブレス)を装った左腕を胸の前へ。そこへ、手に取ったザビーゼクターを持っていき──

 

「変身!」

 

『HENSHIN』

 

 力強い発声と同時に、背中を持ったザビーゼクターを斜めに接続。ライダーブレスの黒い円へと繋がったそれを垂直になるよう少し回すと、ZECTが開発したマスクドライダーシステムの起動を告げる電子音声が夜風に響き渡った。

 蜂の巣を思わせるような六角形の黄色い光がリグルの身を包む。ザビーゼクターの複眼やシグナルの輝きと共に、リグルの全身は漆黒のスーツと白銀の装甲に覆われていく。

 

 まるで蛹を思わせる強靭にして重厚な鎧。白銀の一部には警告色たる鮮やかな黄色が目立ち、その意匠も相まってこれがスズメバチの力を宿すものだと示している。

 胸部はやはり蜂の巣めいた形を思わせる独特の構造に。兜にも装う同様のそれが緑色に輝くと同時、マスクドフォームと呼ばれる形態の『ザビー』は、この幻想郷の地に変身を遂げた。

 

「…………」

 

 褐色の複眼でもって自らの両手に視線を落とすリグル──ザビー。頭の中を染める羽音が静まったことを自覚する間もなく、頭蓋に瞬くホタルの光の通りに仮面の下にて口を開いて。

 

「第一小隊は敵の退路を封じて! 第二、第三小隊はそれぞれ左右から強襲!」

 

 ありもしない記憶が蘇る。あるいは『影』の隊長として指導者を演じた男の記憶。だがそれはリグルのものではない。器物に宿る想念は、ライダーブレスとザビーゼクターの二つがここに揃ったがゆえか。

 リグルはまるで部下の『蟻』が如き兵隊にそれを告げるかのように、空を舞うホタルや蛾、地を這うムカデやダンゴムシたちに指示を出す。

 消えゆくカブトの世界から零れ落ちた記憶の粒が、女神の揺り籠を伝い。奇しくも同じマスクドライダーシステムを纏った少女に、かつてザビーだった男(・・・・・・・・・・)の戦闘経験をも与えた。

 

 妖気を帯びた虫たちはリグルの指示に従い、もう一人のリグル──再びサナギ体のワームの姿を晒したそれに襲い掛かる。

 それらも所詮は虫に過ぎない微々たる力。リグルから供給された妖力のエネルギーで強化されているとはいえ、その本人とてさほど強大な妖怪ではない。だが、その数を武器とした蟲の大群は、たった一体の怪物を確実に追い詰める『生きた弾幕』として機能する。

 光弾の如く輝くホタルや闇に紛れて地を這うムカデ。その隙間を縫うスズメバチの戦士は、マスクドライダーシステムとして選ばれし者の拳を。あるいは振り上げられた毒針の如き剛脚をワームにぶつけ、緑色の異形に覆われた不気味な怪物を的確に貫くような戦いぶりを見せていた。

 

 その様子を見つめる、一人の男らしき影。眼鏡と帽子、ベージュ色のコートを装う姿は幻想郷に似つかわしくない外来的な要素を思わせるもの。

 満足そうにザビーの戦いを見ていたようだったが、その表情は怒りの色に滲み始める。

 

「ついにカブトの世界までもが……おのれ……ディケイド……」

 

 拳を固く握り、怨嗟の言葉を紡ぎ漏らしながら。マスクドフォームのザビーが純粋な格闘、主に蹴り技(・・・)を駆使した戦いでサナギ体のワームを見事に撃破したことを見届け──

 背後に現した灰色のオーロラ、波打ち揺蕩うその境界へと。滲み溶けるように消えていった。




理論上は最も速いカブトと自機としての移動速度は最も遅い幽香。実は対照的な二人だった。

次回 45『俺が正義だ』
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