東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm. 作:時間ネコ
──幻想郷の地底にあるものとは違う。異界の底に切り拓かれた正真正銘の『地獄』。紅蓮の炎と深淵の闇が広がる奈落の世界にて死者の魂を浄罪する場。現実とも幻想ともつかぬ黒き領域で、幾人もの執行者たちが『それ』と向き合っている。
それは、その場に集った被験者たちを一人残らず薙ぎ倒した。体躯こそ片手に収まる程度だというのに、振るう力は屈強な男たちの肉を裂き、骨を砕き、命こそ奪わぬまでもその尊厳を容赦なく踏み
不意にそれは牙の矛先を変えた。己が守るべき一人の少女を目がけ、蒼白く噴き出す軌跡と共に。自身もまた、その矛先と向き合い、手にした大鎌を振り上げる。
ぶつかり合う闘志と闘志。青い大顎と鈍色の刃が
脳裏に過る記憶の鮮烈さに思考を焼き尽くされ、彼女はそこでようやく目を覚ました。
「…………っ!」
現世の世界と死後の世界──
死の色が満ちるこの領域には生者の声はない。川が流れる微かな音ですら、ここにはほとんどないのだ。
その静寂を伝うように、のんきで怠惰な溜息が一つ。
三途の川の水面を幽かに撫でる死の風は、死者を冥府まで導く船頭──幻想郷の『死神』である
肩まで伸びた朱色の髪を真紅の珠で二つにまとめて、髪と同じ色をした瞳を霧深い空に。死神の代名詞たる大きな鎌は舟の横に立てかけてある。切れ味に欠けるこの大鎌は純粋な殺傷目的で持ち歩いているわけではないが、ただ死神らしく在るために──彼女なりのアピールとして。
「ふぅ、やれやれ。なんであたいが資格者なんかに選ばれちゃったかねぇ……」
長い脚を組み替えながら、
天道総司が有するベルトとほとんど同じだが、選ばれし者の運命は大きく異なっている。
「お偉いさんの決定だって話だし……仕方ないけどねぇ。仕事が増えて大変だよ」
右手で掴んだライダーベルトをだらりと垂らし、訝しむように眺める。本来ならばこれを使うべき者は同僚の死神たちにも多く候補がいたはずなのに、『あの力』は並み居る死神たちを容易く薙ぎ倒してみせた。
資格者を選ぶ選定の儀。その場に召集され、目の前で同僚たちの覚悟が否定されるのを見て、自分はこの場所にいるべきではないと思っていたのに。
あの力は自分を選んでしまった。如何なる運命によるものか──万物を両断せしめんばかりの大顎を持つそれは、その場にいた
死者の罪を裁き罰を科すための地獄の組織──『
ただ死神と言っても死者を迎えに行く者とは役割が違う。彼女の仕事はあくまで幻想郷で死んだ人間や動物たちの霊を舟に乗せて、渡し賃を受け取り、彼岸まで送っていってやることなのだ。
「小町、またサボっているのですか?」
「きゃん!?」
微睡みの朝靄を払うように突きつけられた声に、小町は明鏡の如き正しさを見る。思わず零れた悲鳴じみた声は、それが組織の上司たる少女──地獄の『
「サボってなんかないですよ、ちょっと休憩してただけです」
渡し舟の上で横になっていた小町は、自身の顔を上から覗くように見下ろす少女に弁明する。三途の川の水より冷たい目線にいたたまれなくなって上体を起こし、座ったままの姿勢で手にしたライダーベルトを妖力で歪めた空間へと押しやって。
不安定な舟の上から此岸へ降りる。幻想郷の大地は小町の黒い下駄をしっかり受け止め、彼女に安定した足場を与えてくれる。
本体たる小町がいなくなったことで三途の川に浮いていた霊木の小舟は霧の中へ。死神としての妖力で形成されていたそれは彼女の意思のままに、役目を終えた弾幕のように消えていった。
「休憩時間は小半刻前に終わったはずですが……まったく仕方ないわね」
幻想郷随一の長身を誇る小町と同等、あるいは少し低い程度の身長を持つ少女は、仰々しい役人めいた濃紺の装束には似つかぬ童顔を呆れ顔に染め、溜息を吐く。
黒く短いスカートには誕生と死の象徴たる紅白の意匠を。右側だけを長く伸ばした短めの緑髪に装う厳かな帽子は彼女が死者の刑罰を司る閻魔という存在であると、否が応にも認めさせるような威厳を湛えていた。
楽園の最高裁判長、
鬼が造った地獄の組織において、死者が増えすぎて人手が足りなくなったために、地獄を収める十王たちはそれぞれ最も力のある『閻魔王』を名乗った。それにより七回に及んでいた審判を一度に収め、地獄の裁判を効率化したのだという。
閻魔は王に当たる十人だけではない。その役割を分担するため、様々な異界で信仰を受けた『地蔵』が閻魔の任に就くとされる。幻想郷の地蔵として選ばれ、幻想郷の閻魔となった四季映姫は、その名に
最高裁判長といえど所詮は小さな幻想郷の中だけにおける話。地獄の組織、是非曲直庁においては彼女とて一介の閻魔に過ぎない。だが、この小さな幻想郷の中においては絶大な権力と賢者に等しい叡智を持ち、その言葉には地獄の判決たる重さがある。
幻想郷の死後の罪を裁く重大な役職を持つ
「本部はすでに新たな資格者を発見したようです。小町、回収に向かうわよ」
呆れ顔の様相を霧の果てへと覆い隠し、映姫は真剣な顔で告げる。舟に立てかけてあった大鎌を右手で拾い上げ、右肩に掛けるように持った小町はその言葉を飲み込めず、困惑していた。
「えぇ……? 私もですか? あの青いクワガタ、全然言うこと聞いてくれないんですけど……」
「……当然でしょう。貴方の仕事への責任感の無さは、『戦いの神』には相応しくない」
ばつが悪そうに愛想笑いを見せる小町に対し、映姫はまたしても呆れた声で言う。
本来ならば彼女は『あの力』の選定候補にはおらず、それを見守る自身の護衛のために招集されたというのに、まさか被験者の死神が全員あのデバイス──『ゼクター』と呼ばれる機械仕掛けの昆虫一匹に敗北してしまうとは。
青い装甲を持つクワガタムシ型自律メカはその大顎で映姫を襲った。護衛の役割として、小町は大した切れ味を持たない大鎌でそれに応戦し、クワガタムシの攻撃を阻止した。あるいはその覚悟がゼクターに認められたのか、クワガタムシは小町を選んだのだ。
マスクドライダーシステム第1号と称されるカブトムシが『太陽の神』であれば、計画の最終段階に生まれたそれは『戦いの神』と呼ばれるだけの圧倒的な力を秘めていると伝えられている。その力の強大さは、映姫も小町も実際にその目で見た通り。
あの力は危険すぎる。是非曲直庁の決定でなければ、大切な部下にあまり危険な任を負わせたくはない。
だが彼女は選ばれてしまった。その運命はすでに決まっていたのだと思わせるほど呆気なく。多くの死神たちが大怪我を負ってまで行われた選定試験が、茶番だったのではないかと思ってしまうほどに──小町はあっさりと選ばれてしまった。
映姫はそのことにどこか疑問を覚えていたのだが、それもまた組織の意思だ。自身もまた是非曲直庁に『選ばれし者』であるように、閻魔らしく振る舞うのみと考え。黒衣の懐から『罪』の文字が刻まれた木製の平たい
「そう、貴方は少し向こう見ずすぎる。でも、だからこそあの力に選ばれたのかもしれません」
閻魔たる者は如何なる物事にも左右されることはない。自分の中に絶対の基準を有し、あらゆる是非の判決を言い渡す。それは決して何色にも染まることのない『黒』の如く。あるいはすべての色彩を拒み跳ね返す『白』の如く。
そう在らねばならないと自分に言い聞かせているからこそ。映姫は無意識に、小町への信頼と彼女の強さ。その正義が認められたことを喜ぶ小さな微笑みを悟られまいと、口元を隠したのだ。
幻想郷、太陽の畑。じりじりと照りつける夏の朝陽は向日葵たちを祝福する輝きとなるが、人間や妖怪にとっては過酷な暑さをもたらす灼熱でもある。
眩い黄色の中に人知れず建てられた館は、結界の中にまで太陽の光を差し込ませた。同時に涼やかな夏の風も運んでくれるため、近代的な冷房設備など存在しないにも関わらず、さほどの暑さは感じられない。
天道総司は風見幽香の館で新聞を広げていた。先日の夜に聞いた幽香の話と合わせ、彼女が気まぐれで受け取っている『天狗』の新聞に目を通しつつ、記憶を
──幻想郷。妖怪。太陽の畑。話で聞いただけではほとんど実感できなかっただろう。だが、天道は実際にその目で向日葵畑を舞う妖精を見ている。風見幽香が放った花のような弾幕の力も思えば、それが真実だと認めさせられてしまう。
この草原を照りつける夏の日差しも本来ならば在り得ざる光景だという。暦の上では春であるはずが、今の幻想郷には無秩序な春夏秋冬が節操なく繚乱している。その現象自体は過去にも一度あったようだが、今回は未知の怪物と仮面の戦士を伴う『異変中の異変』であるらしい。
「…………」
この館に予め用意されていた自身の衣服も不可解だ。夏に相応しい涼やかな装いながらも黒く揺るぎない自分自身を風に流されることのない馴染みある服装。紛れもなく自分の所有物であるはずのそれが、この未知の郷──幻想郷にすでに存在している。
先日は風見幽香にそれを問うた。だが、彼女もこの衣服を用意した覚えはないという。自分をこの地に招いた『妖怪の賢者』なる存在が用意したと考えるのが自然だが、やはり天道にも幽香にもその目的が分からなかった。
普通に考えれば、クロックアップを行うワームに対抗するには同じくクロックアップを行使できるマスクドライダーシステムが不可欠──というだけ。されど、二人は等しく、この地に『カブト』が招かれた理由はそれだけではないと。本能的なものが訴えるのを感じていた。
「あら、朝食の用意をしてくれたの? 自分の立場を忘れちゃったのかしら」
「そのセリフ、食べてから言ってもらいたいね」
小さな館に設けられた庭園の花々へ日課の水やりを終えた幽香。見慣れた食卓の上に見慣れぬ彩りが添えられているのを見て、その奥で新聞を広げる天道総司へと問う。
自分の家であるかのようにくつろぐ男は幽香を見もせず。変わらず真剣な表情で天狗の新聞に目を通す様は自分の料理に相当の自信があるようだ。
どれほどのものか、幽香はテーブルの上を彩る一人分の軽やかな朝食を前に座る。天道はすでに食事を終えているのだろう。右も左も分からないはずのこの幻想郷、妖怪が住まう未知の館で。それもこの短時間でこれだけの料理を用意できるということは、よほど手慣れているらしい。
「…………」
質素だが色鮮やかな花々と野菜の調和。里で購入したばかりの美しい絹ごし豆腐。どのような調理を行ったのか見当もつかないが、一見すれば地味に思えるこの料理たちは、窓から差し込む幻想的な真夏の日差しを受けてキラキラと輝いているようにも見える。
妖怪としての食事は人間の血肉を必要とするもの。このように人間が食べるような食材を使った料理を見るのは何十年ぶりだろう。
人間の里の名家が記す『
無意識に喉を通った唾液の感覚に、幽香はこの料理を『美味しそう』だと思っていることを気づかされる。外来の人間が作った人間の料理、人の血肉など入っているはずがない。何より妖怪として最も大切な人間の恐怖の感情が微塵も込められていない。
ただ花見の供として味わっていた酒の
「……大したものね。勝手に
「当然だろう。料理の腕で俺の右に出る者など……今はまだほんの数人しか知らない」
丁寧な咀嚼と嚥下の後、幽香は天道の料理の奥深さと味わいを素直に賞賛する。別段美食家というわけでもないし、食に特別なこだわりがあるわけではなかったが──少なくとも、その一口だけで人間の真似事の中では最も美味しい料理だと言えた。
無論、妖怪として喰らう人間の血肉や恐怖は美味しいとは別の概念で、妖怪の本能を満たすための存在意義めいた理念である。そちらとは比較ができないため、一概には言えないが。
天道は自分の料理に絶対の自信を誇っているが、それでも自分が作った料理を食べてもらい、その味を認めてもらえれば嬉しい。新聞越しに浮かべた不敵な笑みと共に、その思考にて寡黙で愛想が悪いが心優しい妹と、料理の師匠──人類の宝と呼べる老人の顔を思い描く。
スポーツも語学も音楽も何もかもを得意とする天道総司。だが、最も得意であるはずの料理だからこそか。彼は自分の上を行く存在を知っていた。
尊敬するおばあちゃんの教えに従い、揺るぎなき己の道──天の道を往く。そのために、天道は自身が唯一であると盲目に信じるのではなく、上を見れば上を知り、その強さと在り方を学んでさらなる高みを目指そうとする。絶えず自身が信じ続ける通り、常に最強の存在であるために。
「それよりこの家の食材はどうなってるんだ。正体不明の肉に正体不明の香草、まともに使えたのは春の野菜と豆腐だけだったぞ。新鮮なサバの一尾くらい常備しておいたらどうだ?」
「注文の多い料理店ねぇ。残念ながらサバはないわ。幻想郷には海がないもの」
「……例の博麗大結界とかいうやつか。まったく……厄介な土地に連れて来られたもんだ」
新聞を下ろし、天道は幽香に顔を向けて文句をつけるが、幽香の心に苛立ちは湧いてこなかった。彼女の心に芽生えたのは感心と疑問、そして興味深さだけ。その対象は、これほど無礼で傍若無人な男の料理の味が、なぜこれほど繊細で奥深いのか──というもの。
一切の歪みのない調和に加え、個性までもが失われず生きている。まるですべての花々を等しく太陽が照らすように、すべての要素が輝いている。
妖怪の家にある食材など外来の人間にはほとんど使うことができなかっただろうに、天道総司は自分が知り得る人間の食材だけを使ってここまでのものを作ってみせた。相応の食材と時間があれば、それこそ完成する料理は天上のものと呼べる味わいになってもおかしくはない。
試しに最高の食材を用意して最高の料理を作らせてみても面白いかもしれない。それを食べてみたいという気持ちもなくはなかったが、彼をこの家に泊めたのは彼の手料理を味わうためではなく、ワームやマスクドライダーシステムについての情報を得るためだ。
先日は幻想郷についてを教える対価として怪物の名と戦士の名を知ることができた。擬態やクロックアップというワームの性質、それに対抗するシステムの性能などについても理解できたが、あくまで先日起きたことについてだけ。
なぜ地球外生命体であるワームがこの星に存在しているのか、なぜ彼はそんな怪物たちと戦っているのか。マスクドライダーシステムは誰がどのようにして作ったのか。嘘を吐けば見抜かれると理解しているようで、彼は事実のみを語ったものの──まだ隠していることも多いはずだ。
「ごちそうさま。美味しかったわよ。これなら自分の店を持てるんじゃない?」
「遠慮しておくよ。俺は天の道を往く男。一つの大地に根を張るべき存在じゃないからな」
幽香は煽るように細めた目で微笑みかけるが、その心に偽りはない。されども、儚い花びらに風を吹かせるが如く、天道総司の反応を楽しもうという意思も嘘ではなかった。
「…………」
微かな静寂と虚ろに舞う風が窓の外の向日葵を揺らす。朝陽に照らされた向日葵たちは鮮やかな彩りを見せているが、その明るさには見合わない不気味さもある。雲一つない蒼天の如く、二人は互いの視線に込めた意味を剥き出しにしていた。
天道が読んでいた天狗の新聞はテーブルの上に畳まれ、幽香が手にしていた箸はすでに今朝の役目を終えた食器に等しく添えられている。
自分以外の者が用意した食事を終えた幽香は、心の中にかつて自身に『仕えていた』者たちを思い浮かべた。
夢と幻の館にて──湖の煌きを感じながら
己の名に『風見』の姓を抱くようになったのは──いったいいつからだっただろうか。
「風見幽香、だったな。お前、まだ俺に隠してることがあるんじゃないのか? どうやら嘘は言っていないようだが……すべてを語ったわけじゃないだろう」
「あら、奇遇ね。私もあなたに同じことを言おうと思ってたわ。……気が合うのかしらね」
先に口を開いた天道の言葉を受け止め、幽香は意外そうな顔で天道と向き合う。返す幽香の言葉を受けて、あちらも意外そうな顔を見せたのは如何なる縁であるのか。
どちらも嘘は言っていない。ただ言う必要がないと判断したことを伝えていないだけ。無意識に相手は外来の人間だと高を
二人の問いはどちらも互いの腹の内を白日の下に暴き出す光となる。少ない時間でもって、二人はそれぞれカブトとワームについて。幻想郷についての多くのことを知ることができた。それこそ、互いが語り得るほぼすべてと言っていい情報を。
幽香が知り得たカブトの世界の物語は、天道総司にとっての西暦1999年に東京の渋谷に落下した隕石、それに伴うワームの発生。1971年に現れたネイティブによって発案されたマスクドライダー計画の産物、カブトゼクターを用いてそれらを倒し。2006年から2007年までの一年間を戦い抜いたこと。
1999年のあの日──両親に擬態したネイティブの死から七年間、天道は幼き日に受け取ったライダーベルトを装う
そして最後の戦いから一年が経った日のこと。天道は西暦2008年の1月からこの幻想郷に招かれている。パリの市街から迷い込むようにして、この2020年の時空──彼の知り得ぬ元号、令和の幻想郷に誘われた。
この幻想郷で噂に聞く限り、異世界の存在が招かれているとしても。異なる世界の存在までは分かるが、異なる時間の存在を招く理由が分からない。幽香はそのことについて天道に問いかけてみたものの、彼が知っているのは己が世界のことだけであるらしい。
幽香とて天道総司をここに連れてきた者──おそらくは妖怪の賢者である八雲紫の目的までは知る由もない。そちらについて天道から問われても、彼女には答えることはできなかった。
「ワームもネイティブも、話で聞いた限りじゃ大した違いはなさそうね」
「ああ。だが、人間も同じかもしれないな。命そのものに、善も悪もあるものか」
幽香の言葉に対し、天道は一年前の戦いを思い出す。全人類がネイティブにされかけた、人類の否定、世界に対する天の道の否定。
ある男は人間でありながら人類に失望し、人間であることを辞めて自らネイティブとなった。ある男は人間でありながら人間の実験動物として使い捨てられ、ネイティブと成り果ててなお。最期には人間としてこの世界の未来を天道総司に託した。
とある女性に擬態したネイティブが、女性が身籠っていた胎児まで複製したことがある。生まれる前の人間だった胎児は、やがてネイティブの母胎からネイティブの子として出生し。誰の擬態でもない自分だけの記憶と人格を持ち、ネイティブながら人間として生きてきた。
あるいは全人類をネイティブに変えて地球を支配しようとしたネイティブもいる。あるいはZECTの一員として、部下たちを誰よりも思いやり、信頼し、心配する一人の人間の男として彼らを導いたネイティブもいる。
ワームとて同じことだ。たとえ人々を殺めたワームだとしても。人間に擬態した際にあまりにも強すぎる人間の人格にワームとしての意識を乗っ取られてしまうことがある。
自分が仇だと思い、追い続けたのは
サソリに似たワームは一度はその事実に絶望したものの──人間としての心を失わず。自分自身さえ含めた『すべてのワーム』を殲滅するため、あえて残存していたワームを率いて天道の前に立ち。いつか交わした
擬態元だった自分自身も、その姉も殺したワーム。他にも多くの人の命を手にかけた彼に慈悲を与えることはできず。天道は約束通り、彼を含めたすべてのワームに引導を渡した。
人間もワームもネイティブも、花々でさえも関係なく。この世界に生きとし生けるものすべての命が等しいのだと。
誰しも争いのない世界を望んでいる。ワームやネイティブは殺戮や支配という形でそれを実現しようとした。ただ方法を間違えてしまっただけだ。人間一人一人の力で、異なる種族とも向き合えるよう己を変えていけるなら。きっとそんな未来は遠くない。
太陽は如何なる存在をも等しく照らし出す。それが世界であり正義。それが天道総司だ。
「この
「ええ、私も実際に会ったことはないけど。ワームやカブトとは違うみたい」
幽香の話を頭の中で瞬時に整理し、幻想郷の在り方と現状を理解する。天道はその怪物がワームの変種の可能性を考えたが、彼女から聞く限りでは擬態やクロックアップという能力を行使していないらしい。
あくまで単なる噂だ。そこまで話が伝わっていないだけということもあるが、ワームと相対してそれらの情報が一切ないというのも気になる。
彼女の言葉通り、幻想郷といくつもの別の世界が繋がっているかもしれないということが事実であるなら、それらも別の世界の法則を由来とする存在であるのか。
ならば戦士というのもマスクドライダーシステム以外の技術である可能性が高い。並行世界と呼べる地平に如何なる存在がいるのか、天道は少しだけ興味があったが──それがどんな相手であれ、こちらにはクロックアップの能力がある。よほどの者でなければ苦戦はしないだろう。
「そっちについても詳しく訊きたいところだが……少し気になることがある」
天道はまとめていた思考を収め、日差しの照りつける窓を見やる。ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま窓際へと歩を進めては、その先の景色を見た。
朝方から太陽の畑の空を舞っていた小さな妖精たち。彼女らの羽ばたきが、何やら乱れているような。先ほどまでは楽しそうな様子だったが、今は何かに怯え慌てているように見える。
「あなたも気づいた? 妖精だけじゃない。花々や草木もざわつき始めてる」
「……どうやら、またワームが現れたらしいな。少し待っていろ、片付けてくる」
妖精たちの反応を見て、幽香と天道はそれを確信した。ガチャリと手にしたライダーベルトを懐にしまう天道を見やりつつ──幽香も立ち上がる。
軽やかに指を弾いては妖力を解き放ち。少し香しい花の色が舞うと同時、食卓を彩っていた花柄の食器たちは瞬く間に消え失せた。妖怪としての力か、魔法の力によるものか。それらはいつのまにやらキッチンのシンクへと移動され、一人でに水流によって汚れを洗い流している。
「一人で行かせると思って? あなたに散られたら、私が困るんだけどね」
「ずいぶんと見くびられたもんだ。……まぁいい。好きにしろ」
夏の朝陽は太陽の畑に建つ洋館を容赦なく照りつけている。ここに迷い込んだ際の冬服とは打って変わって、今の天道の服装は夏に相応しい軽やかな装いだった。相変わらず、誰とも知れぬ者が用意した自身の衣服には心地よいものを感じないが──致し方あるまい。
天道は小さな洋館の扉を開き、天空から差し照らす容赦のない眩さに目を細める。この地に踏み入る前の最後の記憶が冬のパリであったがためか。遮るもののない快晴の空から注ぐ光は、妖怪じみた気味の悪さをも感じさせた。
右手の平で瞳を守りつつ見上げた灼熱の太陽は自身を歓迎などしていない。当然だろう。一つの
自身が世界を照らす太陽であるなら、蒼天に輝くそれは単なる代行者に過ぎないのだから。
「…………」
不意に視線を下ろし、小さな館に振り返った天道は微かに目を見開く。自身の様子に首を傾げる風見幽香に対してではない。館の傍にて存在を主張する見慣れた『それ』に対してだ。
「なるほど。そういうことか」
太陽の光を受けて真紅に輝く一台のバイク。カブトの装甲に等しい緋々色金のボディはヘッドの先端にカブトムシめいた雄大な頭角を掲げ。纏うは漆黒、装うは白銀、それらはまさしくマスクドライダーシステムの──カブトのための特殊強化マシンとして設計されている。
本来ならば天道総司の衣服と同様、この地に存在するはずのないもの。カブトゼクターと同じくZECTによって開発された『カブトエクステンダー』は目も眩むほどに酔い痴れんばかりの陽光を鮮やかに照り返す。
それは天道総司がかつての戦いにおいて共に戦火を駆け抜けた友。マスクドライダーシステムの性能を殺すことなく、クロックアップにさえ等しくついて来ることができる機体。選ばれし者のためのマシンも、ゼクターと同様に天道と同じ道を往く。
ゆっくりと優雅に館を出た幽香も、天道が視線を注ぐそれに目を落とした。太陽を直接見たと錯覚してしまうほど激しい反射光に目を細めつつ、見覚えのないそれを眺めながら。その機体に妖怪のものではない──『神』たる存在の力、その微かな残り香を感じ取る。
天道総司の衣服に感じられた八雲紫の妖力とは明らかに違う。幽香も直接対峙したことはないが、かつての四季異変に際して幻想郷全域から感じられた未知の気配、秘匿された神秘。それに似た気配が、この真紅の乗り物から感じられた。
だがそれも一瞬のこと。天道の衣服に残っていた微かな妖力と同じように、カブトエクステンダーに残っていた神秘の気配もすでに消えてしまっている。気のせいなどではない。幽香の知覚は確かにそれを捉えていた。ただ──もはやそれを確かめる手段が失われてしまっただけだ。
「昨日まではこんなものなかったはずだけど……これも賢者の仕業かしら」
「賢者というのは都合がいいな。遠慮なく使わせてもらうとしよう」
カブトエクステンダーの座席に用意されていた黒いヘルメットはさほどの熱を帯びていない。この灼熱の日差しに晒されていたのなら、漆黒に染まったシートも同様に熱されていてもおかしくないはずだが、少し暖かい程度。
確かに暑さはあるが、幻想郷という不思議な環境の気候のせいだろうか。涼やかに吹き抜ける風は無慈悲に照りつける日差しほどの気温を感じさせない。
都会の街並みが起こす光の乱反射、その効果による気温の上昇現象がないことに加え、この洋館の周囲のみが独特の爽やかさ、妖しき水の気配を帯びている。どこを見渡しても水場のようなものは見受けられないのに、まるでここが『湖』の近くであるかのような奇妙な感覚。
天道はそのことには言及せずにカブトエクステンダーのシートに跨った。黒いヘルメットを被り、エンジンを入れると、太陽の畑に似つかぬ工業的な音と排気が空気を微かに黒く染める。幽香はその匂いに少しだけ眉をひそめていたが──
小さな溜息と共に、ワームに花々を蹂躙されるよりはマシか、と思考を切り替えて。頭の防護のつもりか。漆黒のフルフェイスヘルメットで顔を覆った天道が振り向く先で、幽香はカブトエクステンダーの後部に設けられた
「
風とざわめく向日葵の声に耳を澄まし、幽香は北西の空に
妖怪の身に頭部の防護は必要ないだろうが、それにしてもあまりに不安定な座り方だ。移動するだけならさほどのスピードを出す必要はないとはいえ、カブトエクステンダーの後部に人を乗せることに違和感を覚える。
そこに人を乗せたのは時空の彼方から『妹』を救い出した際のただ一度きりくらいのもの。かつては最高級のサバを一尾、箱ごと縛りつけて運んだこともあったが、それ以外には何かを乗せたことはない。
振り落とされるんじゃないぞ、と。忠告するように告げて。天道は黒いヘルメット越しに向日葵畑の先を見る。カブトに選ばれし者といえど、その身はただの人間でしかない天道総司に向日葵の声や妖力の気配などは伝わらない。だが、彼もその先に何かを感じていた。
幽香を乗せて唸りを上げるカブトエクステンダー。真紅の装甲に覆われた状態のそれは、変身直後のカブトの鎧に等しい『マスクドモード』と呼ばれる形態である。
太陽の畑の夏の日差しを受け、その機体は眩い煌きを返しながら向きを変える。これより向かう先は太陽の畑の北西。幽香にしか届かぬ向日葵の声、草木のざわめきはその先の草原地帯を示している。天道がそれを知る術はないが、逃げ惑う妖精たちを見てもそれは間違いないだろう。
「…………」
真紅の機体は幽やかに香る花と共に──天に等しき道を往く。結界で隠されているはずの小さな洋館の上にて『扉』を開く影は、その背を見つめていた。
「期待しているぞ。……
天空の玉座に腰かける様はまさしく秘神。左手の上に鼓を浮かせ持ち、誰にも知られることのない絶対の位相にて、金色の髪を揺蕩わせる幻想郷の賢者、摩多羅隠岐奈は呟く。自然の流れに聡い幽香にさえ気づかれることなく。
背後の扉へ戻ることもなく、隠岐奈は彼方の真紅を金色の瞳で見届けながら姿を消した。
疾走する緋色の煌きが向日葵畑の狭間を抜けていく。天道が繰るカブトエクステンダーの後部に腰かけた幽香は、草葉のような緑髪を薙ぐ風に顔色一つ変えず、優雅に夏の日差しを浴びる金色の向日葵たちを眺めている。
走れども走れども青空の下を満たす向日葵の景色に変わりはないのだが──幽香は見慣れぬバイクが唸り震える度に、この幻想郷に在らざるべき異形の気配が近づくのを感じていた。
太陽の光が屈折する。歪み切り拓かれた青空を越え、先日と同じ真紅のカブトムシが天道総司の意志に応え、この太陽の畑に姿を見せる。
カブトエクステンダーに並走するように緋色の甲殻を開き、翅を広げながら、六つの脚から噴き出す軌跡めいた『スラスタースリット』による推進力をもって──
天道総司の傍を舞い往くカブトゼクターは、昆虫の限界を遥かに超えた速度を出して飛ぶ。
「──変身」
『HENSHIN』
黒いヘルメットに風圧を受けながら、その下で口を開く天道。力強い宣言と共に、カブトゼクターはいつのまにか天道の腰に装われていたライダーベルトへと収まる。
鳴り響く電子音声を聞き、その身体は幾何学的な六角形、カブトというマスクドライダーシステムを構成する情報の構造体に包まれていった。
その身を包む漆黒の強化繊維──『サインスーツ』。同時に纏うはヒヒイロノカネ製のマスクドアーマー。強靭に強靭を重ねたマスクドフォームのカブトを乗せてなお、マスクドモードのカブトエクステンダーはスピードを緩めることなく太陽の畑に敷かれた土の道を駆け抜ける。
「…………」
不意の変身にも幽香は驚かない。その緋色の瞳の先に、討つべき虫を見ているがゆえ。同じく重厚な鎧に身を包んだ
左手はカブトエクステンダーのハンドルグリップを握ったまま。右手だけを離し、カブトの黒い手の中に時空を寸断するジョウントの波動を感じて。歪んだ陽光を切り裂いて現れた緋色と黒の短銃、カブトクナイガンを正面に構え、天道は前方の異形に向けて引き金を引く。
太陽の畑を超えた草原、向日葵畑を抜け少し見晴らしの良くなった地平にうごめく何体ものサナギ体。カブトクナイガン ガンモードの銃口は太陽に向かい光と閃いた。
ジョウントにより供給される真紅の光弾がサナギ体の緑色の甲殻に炸裂する。だが、やはりその一撃もアバランチシュートには満たぬ通常の射撃でしかない。重厚な鎧を撃ち破るほどの火力はないが、開戦の
一体のサナギ体が受けた銃撃に振り向き、その場にいたすべてのサナギ体が気づく。すでに彼らと戦っていた二人の妖精も同様に、カブトエクステンダーを停めてゆっくりと降りた天道総司──マスクドフォームのカブトと、その後部パーツから優雅に舞い降りた風見幽香に振り向いた。
「……っ! あれ? 太陽の畑によくいる奴……? 敵じゃないの?」
「そっちのゴテゴテした鎧の奴は……こいつらの仲間ってわけじゃないよね?」
広々とした草原地帯でワームと相対していたのは幼さの残る少女たち。自然の具現によって生まれ、消滅と発生を繰り返す妖精たちは、個体としての年齢こそ見た目に相応しいかもしれないが、自然そのものたる要素は悠久の時を生きていると言っていい。
氷の妖精であるチルノは一瞬、後方から飛んできた光弾に幻想ならざる異質さを感じたものの、目にした花が幻想的な妖怪──風見幽香であったことに安堵した。かつての四季異変における偽りの夏では日焼けを思わせる小麦色の肌をしていたチルノだが、今は氷の妖精らしく透き通るように白く美しい肌の色をしている。
同様にチルノと同じ方向を見たエタニティラルバもそちらに気を取られるが、彼女が乗っていた緋色の
「あの蝶に似た妖精は……昨日のワームが擬態していた奴か?」
天道はカブトの青い複眼に映るアゲハチョウの妖精──エタニティラルバの存在に疑問を持つ。その姿は見紛うことなく、先日撃破したワームが擬態していたものだ。
ワームは通常、擬態する対象を生かしておくことはない。当然だ。まったく同じ顔、まったく同じ遺伝情報を持つ個体が二人も存在すれば、あらゆる物事に齟齬が生じてしまい、ワームとしても動きづらくなるために。故に、ワームは人間に擬態した際に相手を殺害する。それは相手が妖精であれ、おそらく条件は同じことのはず。
見たことのない清涼な色合い──爽やかな氷の冷たさを思わせる妖精と共に戦っているラルバを、天道はその死体か、もしくは彼女が生きているうちか、奇しくも同じ相手に擬態してしまった別個体の
「たぶん、あれは本物のエタニティラルバね。前に会ったときと気配が同じだわ」
人間である天道には決して知り得ない神秘を放つ、神に近づく蝶の妖精。真夏の
それに確証を与えるものは何もない。ただ、そんな気がする──という程度のもの。幽香がそれを知る由もないが、常世神を調伏せしめた『本人』でさえ推測に留めたのだ。
自然の生命力の具現たる妖精たちはそこに自然がある限り、何度でも再生する。彼女らは見た目こそ人間の少女に近いものの、自然のエネルギーが物質化して擬人化されたようなものであり、生物ではない。幻想郷の妖精とはそういうものだ。
妖怪よりも純粋な神秘を帯びた自然の生命力そのもの。個体としての情報は何度消滅し『一回休み』を迎えても次の発生には持ち越され、個人として蘇るため、妖精に死という概念はない。
妖精の存在そのものと言える自然由来の妖力──自分自身の生命力を失わない限りは。
「……いい加減な存在だな。だが、それを聞いて少し安心したよ」
ワームの脅威によって失われた世界の宝物はいない。天道は幽香から伝えられた妖精という存在の在り方について心の中で胸を撫で下ろし、不快な軋みを上げてこちらに近づいてくるサナギ体の群れを青い複眼でしかと見据える。
地を蹴り駆け走るサナギ体を前にしても天道は焦ることはない。彼がゆっくりと歩を進めたのは、マスクドフォームの鎧が重すぎるせいではなく。その精神に余裕が満ちているから。
「おばあちゃんが言っていた。この世に不味い飯屋と……悪の栄えた試しはない」
右手に持ったカブトクナイガン ガンモードの柄を左手に持ち替えつつ呟く。続けてカブトクナイガンの銃身を右手に持ち替え、重厚な斧の刃を外に向けたアックスモードとして、それを構えることもなく歩みながら。
ひしめきあっていた数体のワームが一斉にカブトに襲いかかる。夏の虫が光に惹かれるように、幽香や妖精を無視して天道だけを狙ったのは、その腰に輝く真紅がためか。
横一閃に振り抜かれたカブトクナイガン アックスモードの刃がサナギ体の甲殻を裂く。単なる通常攻撃の範疇に過ぎないその斬撃はワームを撃破することはできない。だが、見た目以上に深く鋭く刻まれた斧の刃は、ワームたちを仰け反らせた。
キャストオフ──その一声と共に、右へ倒されたゼクターホーンが青白い電流を迸らせた。
天道も風見も、どっちも生まれ持ったものではない後天的な姓という地味な共通点が。
まったく関係ないですが緑・赤・白のカラーリングで風見の姓は仮面ライダーV3を思わせる。