東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第47話 天と地にて咲く

 清涼的な爽やかさを帯びたチルノが去ったことで、太陽の畑の北西の草原に夏の暑さが舞い戻った気がする。気温は変わっていないのだが、冷ややかなる氷の妖精がいなくなったためにその場の印象が大きく変わっただけだ。

 ラルバはチルノほどの体力がないのか、先の戦闘で疲れてしまった様子。暑さには強く、すぐに移動する必要もない。少しのあいだ休憩してから太陽の畑に帰るつもりのようだ。

 

 天道も幽香も、ワームを倒した以上はここに留まる理由はない。無から怪物を現していた灰色のオーロラについて気になるものの、もはや影もなく。

 ライダーフォームのカブトとしての緋色の煌きはそのまま。ラルバは変身前の天道を知らないため、その姿に違和感を持つことはない。そして、生身の彼を知っている幽香も。彼が変身を解かない理由に疑問を抱かず。

 それは幽香にとっても慣れ親しんだ妖気──もう一つの気配がこちらに迫っているがゆえ。

 

「……プットオン」

 

『PUT ON』

 

 天道は微かに陰った太陽の光に見向きもせず、腰のライダーベルトに装うカブトゼクターの頭を左手で押さえる。同時に右手でもって右へ倒された状態のゼクターホーンを左へ。裏返って金色を見せていた角を元の位置へと戻した。

 走る電流と共に響く電子音声は天道総司の意志のままに。どこからともなくジョウントによって空間を跳躍して現れた鈍色の装甲が、キャストオフに際し細身のライダーフォームを晒したカブトの身に迫り来る。

 現れたマスクドアーマーは再びカブトに重厚な装甲をもたらした。強い分子間力をもって強固に結合し、赤く流麗な装甲は鈍色の中へ。それは、一度ライダーフォームに至った状態からマスクドフォームへと形態を戻す『プットオン』と呼ばれるマスクドライダーシステムの機能だ。

 

「……っ!」

 

 太陽の照りつける天空から飛び迫った、地上の流星。真昼のホタルを連想させるような黒き瞬きは(はや)き影となりて、マスクドフォームのカブトへと飛び蹴りを見舞う。

 だが、天道はすかさず鎧を帯びた右腕を持ち上げることでその一撃を防いだ。カブトの右腕を叩きつけた赤いローファーは堅牢な防御を誇る装甲に傷をつけられず、重さをも伴うマスクドアーマーを纏う天道を仰け反らせることもできない。

 逆に反動で翻った少女は蹴りの姿勢からくるりと一回転し、後方に着地する。裏地を赤く染めた黒いマントを舞わせ、緑色のショートヘアから伸びる昆虫めいた触角を揺らしながら。

 

「昼間のホタルなんて──珍しいわね」

 

 黒い甲殻じみたマントに陽光を照り返すはリグル・ナイトバグ。幽香は夜に輝くべき蛍の妖怪が太陽の下に現れたのを見て興味深そうに微笑を零した。装甲への衝撃による風圧が花を揺らすが、天道はラルバの驚きも特に気にすることなく蛍の妖怪へとゆっくり向き直る。

 

「その力、どうやら妖怪らしいな。この俺に何の用だ?」

 

「あんたに恨みはないけど、組織の命令だからね。そのゼクターを渡してもらうよ!」

 

 カブトとしての青い複眼がリグルの夜空に似た緑色の瞳に向けられる。マスクドアーマーを傷つけることこそできなかったらしいが、その衝撃はワームの攻撃にも等しいだけの波動として天道の認識を揺るがしていた。

 この少女は妖精と呼べるほど儚い存在ではない。──すなわち『妖怪』の領域であると。

 

「組織だと……? ZECTならとっくに解散していると思っていたが」

 

 リグルは天道(カブト)が腰に装うカブトゼクターを指して強く答える。天道の認識通り、ワームの殲滅を目的として結成されたZECTは一部のネイティブたちから成る上層部の壊滅と同時に解散されているはずだった。

 もはや人類を襲うワームが現れることもなく、ネイティブも人類に敵意を持たない数人だけ。ZECTという組織はすでに機能を失い、存続させる必要がなくなったのだ。

 

 天道の記憶では、それは一年も前の話だった。今さらZECTがゼクターの回収を目的とするとは思えないが、一度倒したはずのワームがこの幻想郷と呼ばれる世界において姿を見せている。何らかの理由でワームが復活を遂げたのなら──ZECTが再結成されていてもおかしくはない。

 

「ぜくと? 何それ? 私は死神に……って、危ない危ない。その手には乗らないわ」

 

 天道の言葉に疑問符を浮かべるリグルは慌てた様子でそれ以上の情報に口を(つぐ)んだ。一応はその組織とやらを探られまいとしているのだろうが、すでに組織の存在を明かしてしまっている以上は情報の秘匿性に疑問を抱かざるを得ない。

 勝手に口走られた『死神』という言葉に幽香が微かに眉を動かす。幻想郷で死神といえば、かつて六十年周期の大結界異変に際して幻想郷の開花に深く関わっていた者。外の世界の幽霊の渡しをサボっていた女性の顔が思い浮かぶ。幽香は、そのときに彼女と戦ったことがあった。

 

「……やはり妖精だったか? 妖怪にしては……あまり知性が感じられないな」

 

「残念ながら、妖怪ね。あまり一緒にされたくはないけど……妖怪界隈(わたしたち)もピンキリなのよ」

 

 カブトの装甲を蹴りつけた衝撃と、幽香のそれに近しい妖力の気配から妖怪だと思っていたが、リグルの振る舞いはチルノやエタニティラルバに近しいものだった。

 そのお仲間かとも考えたが、どうやら当初の認識通り妖怪で間違っていないらしい。溜息混じりにそう答えた幽香は諦観(ていかん)したように「人間やネイティブと一緒ね」と付け加える。

 

「もしかしてバカにされてる? まったく良い度胸だわ! 妖蟲界隈(わたしたち)を舐めると痛い目に遭うって、思い知らせてやる!」

 

 リグルの表情に怒りの色が滲んだのを合図に、土の下に隠れていたムカデやダンゴムシが這い出してきた。太陽の畑の中心に比べると数は少ないが──この草原にもいくつか咲いている向日葵、その周囲を舞っていたミツバチなどもリグルの下へ集ってくる。

 白いシャツの懐から取り出した銀色の腕輪──ライダーブレスを左手首に当てると、黄色い帯がリグルの手首に合わせて調節された。

 左腕を正面に構えたまま、右手をそっと前に差し出し。空間を超えて虚空からこの場に現れた、黄色い薄羽のスズメバチ型自律メカ、ザビーゼクターの機体(ボディ)をその手に掴んだ。

 

「変身!」

 

『HENSHIN』

 

 高らかな発声と同時にライダーブレスの接続部へザビーゼクターを装着。右手でもって傾けさせることで、認識の完了を告げる無機質な電子音声を聞く。

 リグルの身体は左手首を中心として輝き広がった幾何学的な六角形に包み込まれた。やがて装甲の構築が完了すると、そこには華奢で小柄な少女の姿は存在せず。妖怪としては矮小な部類に当たる彼女の身体は重厚な鎧に覆われ、マスクドフォームのザビーとして変身を果たしていた。

 

「……ザビーだと……? なぜあの妖怪が……」

 

 先ほどまでの小柄な体躯からは想像もつかないほどの鎧。白銀の装甲に走る黄色いスズメバチの意匠と蜂の巣に似た胸部を見て、天道はZECTが抱く特殊部隊の先鋒としてその針を振りかざしていたマスクドライダーの栄光を己が脳裏に思い返した。

 組織のエリート部隊の隊長として活躍していたザビーというライダー。その性能自体は特出していないものの、ZECTが有する武装兵士たちを率いた集団戦法を得意としている。変身者の戦術もあり、何体ものワームを倒してきた。

 

 その変身者は一定ではない。ザビーゼクターの思考回路は、ザビーには相応しくないと判断した資格者を容赦なく切り捨てる非情さを持っている。

 開発を担ったZECTでさえも資格者を選ぶゼクターの意思を捻じ曲げることはできない。ザビーゼクターは幾度も資格者を転々と変え、やがて認められる者は誰もいなくなった。

 

 すべてのゼクターを束ねる最強の剣を強化するためのパーツとして、天道はその力を借りたこともある。人類のネイティブ化を推し進めていた最強のネイティブ──かつては人間だったあの男との戦いでその剣が砕けてしまったとき、ザビーゼクターも停止したと思っていたのだが──

 

「その反応……あの黄色いのもマスクドライダーシステムとやらのお仲間みたいね」

 

 重厚な兜に覆われた天道の表情は伺えない。しかし、青い複眼越しに白銀と黄色を装うライダーの姿を見て、彼が仮面の下で小さく呟いた言葉は幽香の耳にも届いていた。

 

 思考を巡らせる天道を他所に、リグルは左手首に装うライダーブレス──そこに備えつけられたザビーゼクターの黄色い薄羽を手甲側に展開して裏返す。

 白銀の装甲の各部が微かに浮き上がりつつ、電流を走らせては鈍い駆動音を響かせて。

 

「キャストオフ!」

 

『CAST OFF』

 

 発声と共にザビーゼクターの羽根を掴み、手甲側に来ていたそれを反対側へ。スズメバチの腹部から伸びる針を外側に向けることで、ザビーゼクターを半回転させた。

 再び鋭く鳴り響く電子音声。さらに強く迸る緑色の電流を走らせ、ザビーのマスクドアーマーはゼクターからの命令に従って勢いよく飛散する。その上半身を覆っていた装甲を捨て去ることで、ザビーはよりスズメバチらしい姿に。

 

『CHANGE - WASP』

 

 金色(こんじき)のボディは流麗なスズメバチの腹部を連想させる。琥珀色(こはくいろ)の複眼は獰猛な肉食昆虫のそれらしく鋭利に研ぎ澄まされ、まさしく『ライダーフォーム』に至ったザビーの誇りを眩く表しているかのようだ。

 細身ではあるが、その姿は昆虫としての完全体。頭部に掲げた触角状のアンテナから余剰電流を逃がすと、リグルはザビーの複眼にカブトゼクターの角を倒す天道(カブト)の姿を見届ける。

 

「……キャストオフ」

 

『CAST OFF』『CHANGE - BEETLE』

 

 向かう戦士と同じように、こちらの装甲も虚空の果てへ。等しくライダーフォームの姿を晒し合った二人のマスクドライダーは、それぞれ誇り高き蜂のように、天に輝く甲虫のように。

 リグルは思考に走る戦士の記憶に従うよう構えたが、天道は特に構えを見せず、それでいて一切の隙のない佇まいのまま──

 

 ザビーの左拳がカブトの装甲を掠める。続けて振り上げられた黄色い右脚を掲げた左腕で受け止めるカブト。それを払い、今度は正面へ拳を突きつけ。

 その一撃も後退で回避される。天道はその隙を埋めるよう、隙を狙って再び振り上げられた左脚に打ち合わせるように、ザビーのキックを目掛けてカブトとしての右脚を振り上げた。

 

「「クロックアップ!」」

 

『CLOCK UP』

 

 打ち合う互いの脚が衝撃を撒き散らす。そのまま天道はライダーベルトの左右に設けられたスラップスイッチのうち、右腰に当たる部位を叩いて声を上げる。

 同時にリグルもザビーの身に装われた銀色のベルト──正面にZECTの紋章が刻まれた『ゼクトバックル』の上部を撫でるようにスライドした。カブトのものとは違い、叩くのではなく指でなぞることで発動する『トレーススイッチ』を起動させ、二人は時間を超えた速度の中へ。

 

「消えちゃった……? 透明になったの?」

 

「よく見て。目で追えないけど、凄いスピードで動いてるから」

 

 向日葵の陰に隠れたラルバに対して、幽香は微かな残像と揺るぎない気配を感覚に捉えたまま告げる。ラルバがもし単なる妖怪であればその差異には気づかなかっただろうが、彼女は自然そのものの化身たる妖精だ。この草原の地に未だ残る二つの『不自然』が、目には見えないながら彼女の知覚には観測されている。

 不自然に揺れる向日葵や草原に咲いた小さな花の動きから、そこに何かがいることまでは確信を持てたようだが──やはり妖精の動体視力では物理的にその動きを捉えることはできない。

 

「全然見えない……鴉天狗よりずっと速いのかも」

 

 ラルバは向日葵の陰から目をこらしている。幽香の瞳には映る微かな残像も、ラルバには見えていない。妖精として自然の流れには聡い彼女だが、無知ゆえか音速を超えた質量による風圧の発生といった物理的な影響の齟齬には特に違和感を持っていないようだ。

 

 超音速の世界では、赤と黄色の装甲が太陽の光を反射して閃いている。晴れ渡る蒼穹、鈍く輝く褐色、それぞれの複眼がそれぞれの装甲の色を受け止め、向かう相手の拳を、脚を、風を切るそれらをライダーとしての性能で相手取る。

 カブトとして一年間の戦いを遂げた天道総司に比べれば、マスクドライダーシステムなど知らない幻想郷の住人であるリグル・ナイトバグの戦闘技術はあまりに拙い。弾幕ごっこに依存している彼女の戦力は、格闘戦という条件においては人並み程度のものでしかないはずだった。

 

「…………!」

 

 天道は無意識のうちに相手をザビーとして。ZECTの精鋭部隊の隊長だった完全調和を尊ぶ男、あるいはその後任者であった小心者ながら狡猾な男、そのどちらかを相手にしている感覚を蘇らせてしまっていたらしい。

 相手はそのどちらでもない。まして天道の友と呼べる暑苦しい男でも、ただ一度だけザビーを装ったことのあるZECTの幹部でもない。今の(ザビー)は──彼女(リグル)である。

 

 ザビーというライダーには備わっていない力が天道を襲う。それはリグルが自身の妖力を込めて放ったもの。蛍の妖怪として蓄えた煌びやかな緑と黄色の光弾が、ザビーの左手から地上の彗星を思わせる瞬きで撃ち放たれたのだ。

 微かな瞬間に込められた妖力で咄嗟に放たれたそれに大した威力はない。だが、予想外の攻撃に思わず後退した天道は、相手が妖怪であることを思い出す一瞬に微かな隙を見せる。

 

『CLOCK OVER』

 

 光弾の炸裂に距離を取られた天道のカブトゼクターから響く音。同時にリグルのザビーゼクターも奏でたそれは、速度を超えた時間の終焉を告げる音。

 

「ライダースティング!」

 

 ザビーとしての仮面の下でリグルは高らかに宣言した。スペルカードに等しい言葉。それ自体に意味のない、単なる攻撃意思表示。スペルカードバトルに慣れたリグルの本能がそうさせるのか、あるいは彼女の思考に流れ込むかつての資格者の記憶によるものか。

 その言葉を実現させるのはリグルの左手首に装われたライダーブレス──そこに輝くザビーゼクターの本領である。リグルはライダーフォームのザビーとして装うザビーゼクター、外側に腹部の針を向けたそれを正面に構えて。

 黒と銀を纏うボディの背部に設けられたオレンジ色の小さなスイッチ、ゼクターのエネルギーを解放するフルスロットルと呼ばれる起動キーを右手の平で叩きつけるように押し込んだ。

 

『RIDER STING』

 

 ザビーゼクターが放つタキオン粒子が、その腹部の針──鋭く伸びた『ゼクターニードル』の先へと輝き迸っていく。満ち足りた青白い波動を掲げ、リグルはカブトの腕力をもって虫たちを振り払った直後の天道へと──黄色い左拳、輝く針の先を振り抜く。

 

「はぁっ!!」

 

 紫電が如きタキオン粒子の閃光を纏うゼクターニードルによる穿孔の一撃。リグルが鋭く放ってみせた【 ライダースティング 】は迸るエネルギーを一点に集約させ、カブトの真紅の装甲を破り貫かんと一直線に迫り来るが──

 

 ──その一撃は、カブトに届くことはなかった。

 ゼクターニードルの先端が装甲に触れるや否やという直前、天より零れ落ちた光弾がザビーの左腕に命中し、そのエネルギーと威力をもって彼女の攻撃を強引に弾き伏せたのだ。

 

「────ッ!?」

 

 命中の直前に対象を逸れた左腕に鈍い痛みを覚え、仮面の下で顔を歪めるも束の間。リグルは空を見上げた複眼に映る、雨の如き光弾の群れ──弾幕に小さな悲鳴を上げる。

 

「ひぇぇ」

 

 花の香りを漂わせる金色の光弾が降り注ぐ一瞬。弾幕ごっこの範疇を超えた密度の弾幕に晒され、上空からのそれに成す術もなく。

 咄嗟に両腕で頭を守り、怒涛の如きそれらに備えるが、大地に爆ぜ散る土煙は瞬く間にザビーの姿を覆い隠していく。あわやその光弾は天道にさえ襲いかかろうとしたが、彼は持ち前の直感と戦闘経験をもって即座に地を蹴り後退し、一発の被弾も許すことなく、素早くその場を離れた。

 

「なんとなく分かってきたわ。クロックアップの対抗策。タネが割れれば簡単ね」

 

 草原を満たす土煙を見やる幽香は優雅に日傘を差し開いて天道の傍へ。この地は太陽の畑から少し離れており、彼女が愛する花々の姿は少ない。

 二人のクロックアップが果たされる少し前にすでに手を打っていたのだろう。彼女はその宣言の直前、天空に向かって弾幕の光を放っていた。その光が幽香の意思に従い時間差で舞い戻り、クロックアップが終了する瞬間を見計らって的確にリグルを狙ってみせた。

 

 クロックアップの最大持続時間は現実時間でおよそ10秒ほど。タキオン粒子の影響で僅かな誤差はあるかもしれないが、少なくとも幽香が二度の観測で得られた情報は天道の認識ともあまり相違ないものだった。

 幽香は自身の弾幕のことを誰よりも知っている。その時間の終わりに合わせ、一発の嚆矢(こうし)を皮切りに、破壊の光に瞬く雨を白昼の蛍に向けて流星と成すなど、彼女にとっては造作もない。

 

「大した洞察力だが、クロックアップ中に移動されたらどうするつもりだ?」

 

「さぁ、どうなるのかしら。ふふっ、今から対策を練るのが楽しみね」

 

 未だ濛々(もうもう)と立ち込める土煙を眺める天道と幽香。リグルの気配はまだ消えていない。殺すほどの妖力を込めたつもりはないため、ザビーというマスクドライダーの強度を知らない幽香でもそれが死んでないだろうことは容易に想像がついた。

 薄れ始めた土煙の中に見えるのは、そこに立つ人影。不動の立ち居振る舞いで佇む姿は──ザビーのものではない。

 

 やがて土煙は草原の風に吹かれて晴れ渡った。同時に眩く差し照らす日光に霞んだ、白昼の月明かりが空の彼方に虚ろに浮かび上がる。

 そこに禍々しく影を落とすのは、月光に死色の雫を煌かせる()()()()

 背後にリグルが変身したザビーを控えさせながら薄紫色の光を掲げる長身の女性。妖しく照らされる彼岸花色の髪を二つに結んだ死神は、幽香がかつての大結界異変に際して戦った相手。

 

「……よかったよかった。あんたもそいつ(ザビーゼクター)も無事みたいだね」

 

 三途の水先案内人、小野塚小町は小さく振り返る。力なく頭を抱えて震えるザビー(リグル)は小町が生じさせた光に守られており、一切の傷を負っていなかった。

 幽香の弾幕はこの程度の薄い結界に阻まれるほど弱くはない。小町は無限の川幅を持つ三途の川を渡す死神として『距離を操る程度の能力』を持ち、この薄紫色の光が空間を捻じ曲げ、上空から降り注いだ弾幕の着弾距離を無視させたのだ。

 迫る光弾は結界に触れ、結界の中を通ることなくその下の地面に直接炸裂する。地面は黒く焦げてしまっているが、跳躍した距離の中にいる小町とリグルには何の影響ももたらさない。

 

「お兄さん、悪いこたぁ言わない。黙ってそいつ(カブトゼクター)を渡してくれるかい?」

 

 新たなる来訪者に警戒の色を強めた天道(カブト)に対し、小町は鮮やかな朱色の瞳を向けて告げる。仮面の下に隠れた表情は小町には見えないだろうが、構えることこそないが他を威圧する佇まいからは友好的ではないものを感じたようだ。

 言葉にせずとも意図は伝わる。小町が指さし示したカブトの腰、ライダーベルトに(あか)く装われたカブトゼクターを一瞥(いちべつ)することもなく。天道は複眼の奥の眼光でその申し出を一蹴する。

 

「ま、そう言って簡単に渡してくれたら死神(おむかえ)はいらないってね」

 

 小町はやれやれといった様子で目を閉じ、ザビーの姿らしくもなく怯えた様子のリグルについてもか、静かに溜息をついた。

 右手に持った大鎌を豪快に振り下ろし、草原の大地に刃を突き立てると、溶けゆく妖力がその大鎌をどこかへ消失させる。距離を操る能力の応用なのか、自由に出し入れができる空間へとそれをしまうことで。

 空間を歪めて左手に現したライダーベルトを腰に巻きつけると、小町の腰の背で自動的に接続され帯として固定される。青いシグナルを帯びたベルトは、その差異を除けば天道と同じものだ。

 高く天へと伸ばした右手を掲げ、小町は頭上に輝く太陽と背中を見守る月の狭間にて──

 

「さぁ、出番だ! ()()()()()()とやら! ()()()()にその力、見せてもらうよ!」

 

 歪んだ距離の妖力が導く光。青空へ届く小町の高らかな掛け声に合わせ、月明かりが朧げな虹を生む。環状に広がるその輝きはさながら神の降臨に足る(GATE)が如し。

 

 白昼の月明かりを裂いて空間が捻じ曲がる。その光の先より現れしは──戦いの神。青い装甲を持つクワガタムシ型自律メカ『ガタックゼクター』の名を持つ破壊の化身は、小町の召喚に応じてその翅を震わせ大地へと飛び迫る。

 神は素直に小町の右手に収まってくれるほど従順ではない。音速に迫るほどの勢いをもって蒼き軌跡を噴き出し進み、小町の身を貫かんと大顎を開いて。

 

 ひらりとかわした小町を掠め、蒼穹を帯びた牙が草原の大地を穿つ。抉り散らした土を()ね、月明かりの虹(ムーンボウ)の光を返す蒼は再び空へと舞い上がり、今度は小町の首を断ってみせようと大鎌めいた牙を鳴らす。

 小町は紫色の光を切ってガタックゼクターの距離をずらした。その微かな間を掴み取るように、スラスタースリットを輝かせる蒼きクワガタムシの装甲を後ろから強引に抑えつける。

 

「ったく……! 本当に手がつけられない暴れん坊だね……!」

 

 ガタックゼクターは選定の儀において小町を資格者として選んだはずだ。だが、資格者として選ぶことと戦士として認めることは違うというのか。戦いの神は今なお小町の力を試そうと容赦なくその牙を振るってくる。

 死神の身を妖力で強化した腕でガタックゼクターを掴んだまま、右腕を右後ろへ高く掲げ。

 

「変身ッ!」

 

『HENSHIN』

 

 掲げた蒼を振り抜いて──腰のベルトに横から滑り込ませる。金色を帯びたその輝きは、マスクドライダーシステムの集大成たるもの。ネイティブたちがワームに対抗すべく発案したマスクドライダー計画の最終段階、戦いの神とまで呼ばれたその力。

 六角形の情報片が小町の身体を包み込んでいく。砦を思わせる白銀の鎧にはやはり蒼を装い。明るく晴れ渡る青空のようでも、夕暮れを追う夜空のようでもある深い群青色のマスクドアーマーとして、小町に戦いの神を纏わせていく。

 

 されどそれは未だクワガタムシのサナギに等しい姿。真紅に輝く複眼を頭部に湛え、両肩に巨大な二門の砲塔を構えた威圧的な装甲といえど、それは『ガタック』の真の姿には足り得ぬマスクドフォームの姿であった。

 それでも並み居るワームを殲滅するには十分すぎるほどの戦力を有している。彼女の背後に控えるザビー(リグル)も、向き合うカブト(天道)の隣に立つ幽香も。果てはさらにその後方から向日葵の陰に隠れてこちらの様子を伺っている妖精のエタニティラルバでさえ、絶大な気迫を感じているようだ。

 

「…………」

 

 青い装甲と赤い複眼。カブトとは真逆の配色を帯びたガタック。その名と姿を身に纏い、小町の思考には誰とも知れない記憶が満ちていく。

 少年に擬態したワームに月の虹を見せてやりたかった。その一瞬の想いはかつてガタックだった者の記憶だろうか。もはや夢の果てに掻き消えた淡き情景を振り払うと、小町はマスクドフォームのガタックたる己が両肩に力を込める。──それは、開戦を告げる合図として。

 

 天道と幽香に向かい撃ち出された超高圧のイオン光弾。ガタック マスクドフォームの両肩に備わった『ガタックバルカン』という砲門は、サナギ体の甲殻を打ち破るだけの火力を持つエネルギーを放つことができる。だが、それも今この場においてはただの牽制手段に過ぎない。

 

「くっ……!」

 

 たった二発の光弾で大地が巻き上がり、破壊の炎を爆ぜ散らす。幽香は咄嗟に左手を向け、花の妖力を込めた結界を張るが、身体を軋ませるような爆風の衝撃は完全には取り除けない。その一瞬の隙を好機と見定め、威風堂々たる戦士の気迫に息をつかせる暇もなく。

 

「キャストオフ!」

 

 小町は高らかに宣言する。腰に装着されたガタックゼクターの大顎、あるいは角とも定義し得るゼクターホーンと呼ばれるそれを黒い指先で掴み取る。

 クワガタムシの二本の牙のうち、横向きに装ったその身から見れば上側を向いた右のもの。それを外側へとひっくり返すことで背面へと回すと、連動した下側(ひだり)の牙も外側へ裏返った。

 

『CAST OFF』

 

 勇ましく鳴り響く律動と共に、ガタックのマスクドアーマーが弾け飛ぶ。上半身に厚く装われていた白銀の装甲が解き放たれたことで、内なる鮮やかな紺碧のボディと走る金色の意匠が美しく剥き出される。

 頭部は蒸気を帯びながら側頭部からせり上がる左右のクワガタムシの双牙を角として。熱く漲る真紅の複眼に光を灯し──ライダーフォームとしての蒼き姿をここに顕現する。

 

『CHANGE - STAG BEETLE』

 

 戦いの神と呼ばれし者の真の姿をここに。未だ帯びるキャストオフの熱と蒸気を払わぬままに、小町は虚空へ消えゆくマスクドアーマーを複眼の端に見届ける。

 太陽の光に輝くカブトと月の光に煌くガタックの装甲は、天と地にて咲く一対の花が如く。

 

「ほら、立てるかい? えーっと、蜂の妖怪だっけ?」

 

「蛍だってば!」

 

 背後のリグルに振り返ることもなく告げる小町。彼女の能力に助けられたことにより、リグルの身体にもザビーの装甲にも大したダメージは残っていない。ザビーの姿であるがゆえに蜂らしさを見せていた蛍の妖怪はすぐに立ち上がった。

 天道と幽香も戦意と戦意に対し、またその構えに等しく向き直る。幽香は戦うのに最適な位置を取るべく、草原の地を蹴って軽やかにカブトの背後へ控えるように下がった。

 

 リグル(ザビー)の構えは左腕の針を拳と共に掲げる蜂の姿。隣に立つ小町(ガタック)はクワガタムシに似た威圧感で拳を構え──大顎の如き威圧感で戦いの神たる名を証明する。

 天道(カブト)の構えは、一見すると構えとは呼べない。ただ堂々とそこに立ち、拳を向けることも武器を持つこともない構えなき構え。それでも、カブトムシめいた悠然さに隙などはなかった。

 

『CLOCK UP』

 

 三者三様の宣言と共に鳴り響く三つの音。天道と小町が素早く叩いたライダーベルトのスラップスイッチが起動するのに重なるように、リグルもまたゼクトバックルのトレーススイッチを撫でるように指を滑らせる。

 相変わらず幽香には超音速の世界に踏み込む権利はないが、もう何度目かの観測、実際に目視することは叶わずともその対抗策は彼女の中で盤石なものとなりつつあるようだ。

 

 ──カブトとガタックがぶつかる瞬間。そのとき、変化が起こった。

 

 空に輝く太陽とその光を返す白昼の月が緩やかに重なり合う。太陽の光は月の陰に隠れ、日中にも関わらず遮られた日差しは草原一帯を影に包み込む。

 それは外の世界でも幻想郷でも起こり得る『皆既日食』と呼ばれる現象である。だが、太陽と月の軌道を考えれば、今この瞬間にそれらが重なり合うことなどあり得ない。

 時間を超える世界の法則──それ以上の何かが、光の在り方に影響を及ぼさない限りは。

 

「ぐっ──!?」

 

「うわっ──!?」

 

「きゃ──!?」

 

 クロックアップの世界の中で、天道と小町、そしてリグルが感じたのはそれだけではなかった。赤と青、そして黄色の装甲を等しく薙ぎ払う絶大な風圧がそれらすべてを吹き飛ばし、十把一絡げにして草原の上に叩き伏せたのだ。

 圧倒的な衝撃は全員の変身を強制的に解除するほどの威力を見せ、それに伴い三人はクロックオーバーを遂げた。外部からの奇襲など考えられない。彼らは皆、時間を超えた速度の中で戦っていたはず。仮に速度を超えた攻撃が来たとしても、それは彼らと同じ速度のはずである。

 

「な、何が起きたの……!? 私たち、クロックアップしてたはずなのに……!」

 

 なんとか受け身を取りつつ草原に転がったリグルが目を回す。衝撃で外れてしまったのか、彼女の左腕にはザビーの資格者であることを示す銀色のライダーブレスがない。

 同じく生身の姿を晒した天道がその可能性に気づく。ひらひらと舞い落ちる花びらは周囲に咲き誇る向日葵や可憐な色のものではない。ここではないどこかを思わせる、禍々しく異質で不気味な薄紅色の花。

 彼はこの場所では手にすることができなかった『クロックアップを超えたクロックアップ』の概念を、この幻想郷において誰よりもよく知っていた。──そして、その絶大な力をも。

 

『HYPER CLOCK OVER』

 

 天道たちと同様に拭い切れぬ混乱に苛まれている幽香が、その気配に気づいた。太陽と月が重なる奇妙な光、皆既日食の空に照らされ──

 

 そこに現れしは、神々しくも見える白銀の鎧を纏うマスクドライダーだった。

 

 その姿は天道が変身したカブトによく似ているが──異なる点も多い。

 頭部に掲げる雄大な角は幽香が知っているカブトが持つものよりも強く大きく、遥かに雄々しく天を衝く。真紅であるはずの装甲も白銀を多く帯び、背中や両手足に装う翼に似た器官は無機質な音と共に静かに閉じる。

 腰に装うカブトゼクターはそのまま。だが、左腰にもう一つのカブトムシ型ゼクターを装備している。白銀に輝くその光は、見るだけで尋常ならざる力を秘めていると実感させるかのよう。

 

「こいつは……! さすがにあたいの手には負えないね……!」

 

 変身を解かれた小町はその表情と声色に焦りと驚きの色を滲ませる。ライダーベルトから外れたガタックゼクターは虚空の果てへと飛び去り、同じくカブトゼクターやザビーゼクターもジョウントによってどこかへ消えたようだ。

 手元に紫色の光を現し、先ほどしまった大鎌を手繰り寄せては、小町はそれを大きく振るう。横薙ぐ光の刃と共に、彼女は距離を飛び越え、ここではないどこかへと消え去っていった。

 

「なんなのあれ……! 聞いてないんだけどー!!」

 

 リグルも未知の存在に混乱しているが、ライダーブレスが左手首から失われていることに気がついて辺りを見回す。しかし、彼女の近くにそれは落ちていない。

 皆既日食の不気味さに伴うカブトに似た存在の気配に耐え切れなくなったのか、リグルは一度それを探すことを諦めた。未知なる白銀を睨みつけ、大地を蹴り上げ震う翅のままに飛び去る。

 

「…………っ!」

 

 時空の光を刻む水色の複眼が自身を捉える感覚。幽香は眩い輝きを放つそれにどこか既視感のようなものを覚えた。それは天道が変身したカブトに対するものではない。もっと遠く、かつて自身が失ったであろう何か──

 不意に、突風が吹き抜ける。小さな花や向日葵を撫で、甘い香りが空を舞う。幽香も天道もその風に煽られ──舞い上がった花びらに顔を覆い、視界を開けた次の瞬間には、すでに。

 

 未知の来訪者はただ幽香にとって()()()()()()()だけを残して、姿を消してしまっていた。

 

「あれは……カブト……? でも……」

 

 幽香は白銀の輝きを帯びた未知のマスクドライダーを想う。それが消えた瞬間、皆既日食によって暗く陰っていた空は光を取り戻した。白昼の月もすでに夕暮れに落ちつつある空にぼんやりと浮かび、太陽はオレンジ色の光をもって向日葵の影を高く伸ばしている。

 

 天道はその存在をよく知っていた。かつて手にした力──否。それはやがて手にする力でもある。すでに失われたものだが、彼はそれが再び生み出されるという事実を知っている。紛れもなくその手に一度、掴み取った未来であるが故に。

 幽香もまたその姿ではないにしろ心当たりがないわけではなかった。吹き抜ける風の色も、あの白銀に輝く戦士が帯びる妖気に似た気配も。どちらもかつて自身が失った旧き己の妖力に近いものだった。夢と幻の世界に君臨し、あるいは最強の妖怪とも称された──在りし日の己に。

 

「未来の俺か……?」

 

「過去の私なの……?」

 

 奇しくも重なり合うように呟かれた、天道と幽香の言葉。その心当たりはどちらも的を射ているが、二人は思考に走らせる記憶の想起に苛まれ、互いの呟きが耳に入らず。過去と未来、どちらとも考え得る『それ』は彼らにとって他人とは思えぬ存在。

 天道総司の出現に伴い、つい先日まで失われていたはずの『旧き己』の記憶が蘇ったのもあれが関係しているのか。幽香はすでに消え失せてしまったその気配と妖気を想う。

 

 夕暮れの風に撫でられ向日葵の花が揺れる。その背に隠れていたエタニティラルバは、目の前で起きた出来事に混乱していた。

 自然の具現たるその身は、向日葵の茎を両手でしっかりと握りしめて。不安そうに落とした視線の先に、ラルバは見覚えのない──否、さっきまでその目で見ていた戦士が身に着けていた腕輪のようなものを見る。

 恐る恐る拾い上げるは、ザビーへの変身に際して必要となるライダーブレス。未知なる来訪者の攻撃で外れてしまったリグルの装具だったそれは、この場にて、エタニティラルバの手へと。

 

「何だろ……この感じ……」

 

 少女の思考に流れ込む誰かの記憶。迅影が如き部隊の一員として戦っていたこと。隊長の失墜に乗じ、自らが新たなる資格者になろうとしたこと。

 ザビーへの執着に心を苛まれ、ワームに(くみ)してまでそれを追い求めた記憶。そしてあるときには誰かの誕生日を祝わされた嫌な記憶が。ラルバは無意識に、ライダーブレスを握りしめた。

 

◆     ◆    ◆

 

 幻想郷では数少ない、人間が安全に暮らせる場所──人間の里。その外れの空き地には、人間も妖怪も分け隔てなく受け入れる立派なお寺が建てられていた。

 仏教とは人間のためにあるもの。そんな浅く小さな固定観念を捨て去り、この『命蓮寺(みょうれんじ)』は人妖の平等を訴えている。人間と妖怪の共存など、千年前の幻想郷ではそれこそ幻想であったのかもしれないが──

 幻想郷は大きく変わった。人間と妖怪は完全に平等とまではいかないだろうが、スペルカードルールの制定により少しはそれらの双方が納得のいく形に保たれている。

 

 人間も妖怪も神も仏も究極的にはすべて等しい。命蓮寺の住職を務める魔法使いはそう語った。ゆえに遥か千年もの昔、彼女は妖怪に与している姿を人に見られ、悪魔と罵られて人間の手で魔の世界の果てに封印されてしまった。

 彼女はただ、人間も妖怪も関係なく──すべての命を平等に見ていただけなのに。

 

 今、この命蓮寺には彼女によって救われた妖怪たちと、そんな妖怪たちが彼女に抱く尊敬と親愛によって千年もの封印から復活することができた僧侶が住んでいる。

 千年前と比べて少しは平和になったものの、まだ人の心にも妖怪の心にも救いは必要だ。そんな幻想郷の痛みを救済すべく、命蓮寺の僧侶と妖怪たちは日々、御仏(みほとけ)の教えに従って修行を続けている。少しだけ、ほんの少しだけの破戒(おさけ)を伴いながら。

 質素で落ち着いた雰囲気を湛えた妖怪寺。本来は厳格な静謐(せいひつ)さに満ちているはずの空間なのに。その日はどこか──宴会とも見紛うような騒々しさを隠すことができないでいるようだった。

 

「何この状況……」

 

 ──命蓮寺の大広間。畳と障子に彩られた純和風の一室にて、濃紺の頭巾から爽やかな空色の髪を波打つように流した少女が呟く。

 雲を思わせる白い法衣はロングスカートの裾に富士山めいた青い紋様を。雷鳴めいた金色の袈裟(けさ)を身に着け、丁寧にその場に正座する 雲居 一輪(くもい いちりん) は幻想郷でも他に類を見ない『入道使い』と呼ばれる珍しい妖怪である。

 羽織るように肩まで伸びた頭巾の布は彼女の心を示すように深く青く、ずっしりとした荷を表すかの如く、一輪(いちりん)が己の肩を落としている様を視覚的にも分かりやすく伝えているようだ。

 

「こんな退屈なお寺、抜け出してさ。二人で美味しいお団子でも食べに行かない? 素敵なお店を知ってるんだ」

 

 一輪に寄り添ってそう告げるのは彼女の見知った相手。冷たい手で馴れ馴れしくも彼女の手を取り、()()とは思えない蠱惑的(こわくてき)な口調で少女に甘く囁きかけてくる。

 普段の青緑色とはまた少し違う海のように深い水色の瞳で一輪を見つめるのは、一輪と同じくかつてこの命蓮寺の僧侶に救われ、恩を抱いている『舟幽霊(ふなゆうれい)』の少女だった。本来ならこんな軽薄なナンパじみた真似をするはずがないのだが──

 水兵を思わせる白と青緑色のセーラー服はいつも通りの装い。春先ではあるが半袖のそれと、短い丈のスカートともズボンともつかぬ下衣。胸元には赤いスカーフを結びつけ、短く切り整えられた黒髪には幽霊舟の船長らしく、セーラー服によく似合う水兵帽を身に着けている。

 

 少女の名は 村紗 水蜜(むらさ みなみつ) 。その装い通り、あるいは『ムラサ船長』とも呼ばれる立派な人物であるのだが、今の彼女からはその誠実さが感じられなかった。

 舟幽霊の性質か、少し退廃的な湿度を帯びた黒髪には村紗(むらさ)本人のそれではない異質な霊力による青いメッシュが見て取れる。白い表情に装う黒縁(くろぶち)の眼鏡という知性の証明もそうだが、その口調も雰囲気も──普段の村紗水蜜を知っている一輪にとっては違和感でしかない。

 相変わらず水気を帯びた霊力からは不気味な気配を感じるが、微かに漂うこの磯臭(いそくさ)さは──

 

「え、ええっと……その……」

 

 同性である自分に執拗に情熱的な目を向けてくる、気でも触れたような友人。同じ寺にて修行する仲間の奇異な視線に耐え兼ね、一輪は言葉を濁しながら目を逸らす。

 

「……ムゥウ……」

 

 ちらりと見やったすぐ正面の領域には、入道使いである一輪の心強い相棒がいた。

 自在に形と大きさを変え、様々な姿を模倣することができる雲の妖怪。まさしく『見越入道(みこしにゅうどう)』と称されるそれは、厳つい老人めいた男性の顔だけを雲として現し、巨大な両の拳以外の肉体を見せない『雲山(うんざん)』と呼ばれる存在である。

 相棒である一輪の視線に気づくものの、彼としても動くことはできない。柔らかな雲の身体に体重をかけ、彼の身を背もたれ代わりにして深い眠りに落ちてしまっている者がいるからだ。

 

「……ぐぅ……ぐぅ……」

 

 豪快に腕を組みつつ雲山に背を預ける長身の女性が一人。雄々しい虎を思わせる金色の短髪には黒い色が混じっており、そこに神秘的な蓮の花の飾りを結んでいる。

 臙脂色(えんじいろ)の衣服に虎柄の腰巻、紅蓮の如きロングスカートは雄々しく広がり、白い袖と共に装う法力に満ちた環状の白き布は彼女が命蓮寺の本尊たる七福神が一柱、かの『毘沙門天(びしゃもんてん)』であると輝き示している。

 

 厳密には彼女── 寅丸 星(とらまる しょう) は毘沙門天そのものではない。彼女もまた命蓮寺の住職に救われた妖怪、日本には存在しない『虎』への畏怖から生まれた妖獣の一種だったが、毘沙門天の弟子としてその代理を担っているのだ。

 人間からも妖怪からも多大な信仰を寄せられる神の代行者、命蓮寺の本尊としてあるまじき醜態を晒し続け、(しょう)はまったく気にする素振りを見せず。雲山が遠慮がちに揺らしてみたり、声をかけたりしてみても彼女は起きる気配もなく、大きないびきを上げて眠りこけている。

 

「……なんや……もうこれ以上……食われへんて……」

 

 仮にも神の威光を代行する身であるというのに、先ほどからこの調子だ。気が小さい雲山は無理やり叩き起こすわけにもいかず、迂闊に動いて彼女を落としてしまうこともできず、ただ一輪と同じように相棒を見やることしかできない。

 星の金髪に隠れて目立たないが、その髪の一部にはやはり彼女のものではない異質な霊力による黄色いメッシュが生じていた。虎の妖獣であるため違和感こそないが、その妖力に混じって奇妙な獣臭さも感じ取れる。

 何よりやはり、村紗と同様に雰囲気が違いすぎる。星は寺の業務を放って眠ってしまうほど本能に忠実な妖怪ではない。規律と戒律を誰よりも正しく守り、命蓮寺の名に恥じぬ輝きとして誇り高く振る舞うような性格であるはず。それなのに──今の彼女には彼女らしさがまったくない。

 

「二人とも、いったいどうしちゃったの……? 聖様(ひじりさま)までいなくなっちゃうし……」

 

 頼みの綱の命蓮寺代表──この寺の住職を務める偉大な僧侶は不在の状況だ。一輪はまるで別人となってしまった村紗と星を交互に見やり、青空のように透き通った瞳に心細さを滲ませる。雲山もまた眉尻を落とし、どうしようもない不安と心配に苛まれているようだ。

 

「いなくなる……なくなる……『泣く』……?」

 

 一輪の言葉に反応してか、雲山の柔らかい雲の身体で眠っている星が虚ろに言葉を繰り返す。不意に彼女が動いたことで雲山はバランスを崩して雲の身を霧散させかけてしまうが、星はその前に自らの意思で彼の身体から飛び降りた。

 命蓮寺大広間の畳敷きの床に星の体重が落ちる。長身とはいえ、本来は在り得ざるほどの重さがずしんと床を軋ませる。

 まるで熊が冬眠から目覚めたかのような衝撃と共に一輪と雲山は互いに目を丸くして驚く。目を閉じたままの星が右手の親指で自らの顎を押し、力強く首を鳴らす様を訝しげに見届け。

 

「俺の強さは、泣けるでぇ!!」

 

 開かれた星の目は、普段の神々しい琥珀色とはまた少し違う、荒々しい金色。その気迫と共に、自信と度胸に満ちた山吹色の声が響き渡る。

 いつの間に取り出したのか──その手に握られていた無数の懐紙が無造作に舞い散った。

 

「うぅ……聖様……早く帰ってきてください……!」

 

 涙はこれで拭いとけ、と言わんばかりに視界を踊る白の群れ。意味の分からない混沌とした状況に疲れ果て、一輪は少しだけその懐紙を頼りたくなった。

 肩を竦めて溜息をつく青い瞳の村紗水蜜。声を張り上げた後はまたすぐ雲山に背を預け、何事もなかったかのように再び眠り始める黄色い瞳の寅丸星。どちらももはや、一輪と雲山が知っている二人の在り方ではない。

 命蓮寺の静謐な空気はいったいどこへ行ってしまったのか──入道使いの少女は、この寺の要とも呼べる住職の帰りと共に、あの落ち着きが戻ることを、ただ信じることしかできなかった。




舟幽霊だけに難破……ナンパ……なんでもないです。
東方的には『憑依』は夢の世界との入れ替わりなので霊体にも憑依できます。たぶん。

次回、第48話『俺、ようやく参上!』
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