東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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A.D. 2007 ~ 2008
それは、過去と刻む時間の物語。

時刻を超えて、俺、参上!



【 俺たちのエモーション 】
第48話 俺、ようやく参上!


 人間の里に至る道は多いものの、中にはあまり用いられることのない寂れた場所もある。手入れのされていない地蔵や墓石が不気味な気配を漂わせており、その負の想念が妖怪たちを呼び寄せてしまうためだろうか。

 淀んだ雲が散りゆく空の下、じっとりとまとわりつく湿気を帯びた空気が流れる。失意に濡れた心を慰め、誰もいない道を一人寂しく歩むは、やはり妖怪の少女であった。

 

 空色のショートボブは雨上がりの空気に艶やかな色を見せ、同じく爽やかな空色のベストとスカートは彼女自身に空の在り方を表しているかのよう。

 その手に大切そうに持つ紫色の唐傘(からかさ)は、彼女自身が『唐傘お化け』と呼ばれる妖怪、唐傘の付喪神たる所以。少女としての 多々良 小傘(たたら こがさ) はこの傘こそが本質と言える存在だ。その本懐は己が能力たる『人間を驚かせる程度の能力』をもって驚いた人間の心を喰らうというものだが──

 

「はぁ……今日も驚いてもらえなかったなぁ……」

 

 この令和の時代──2020年にもなろうという世の中に、唐傘などで驚く人間は多くない。もっと物理的で直接的な方法で人間を襲う妖怪が跋扈する幻想郷において、ただ人間を驚かせるだけの妖怪が脅威と見なされることはなかった。

 小傘(こがさ)は肩を落とし、人間の驚きによってのみ得られる妖力が不足して切なそうに音を鳴らすお腹を押さえる。見上げた自身の唐傘には妖怪らしい巨大な一つ眼。だらんと伸ばされた赤い舌。ぽたりぽたりと滴る雨の雫は──あるいは自分自身の心が流す涙でもあるのだろうか。

 

 そこへ不意に、雨でも風でもないものが舞う。晴れゆく雲の隙間を縫って、微かに生じた灰色のオーロラ。その波紋から現れた黄色い光球が小傘の背中に飛び込んだ。

 身体(からだ)の中に何かが入ってくる感覚。同時に軽い衝撃が弾け、小傘の周囲に白い砂が散る。

 

「────」

 

 砂はやがて一ヶ所に集まり、両腕と両脚を持つ人に近い姿を象った。だが、それは人と定義するにはあまりに歪なもの。

 まるで身体を横一文字に両断したかのように、頭と腕を持つ上半身が地面から生え、その頭上に両脚を持つ下半身が浮いている。砂で出来た身体は白くさらさら流れ落ち、その度に循環して形を保っている。その不自然な在り方に加え、全体的な特徴はコウモリの姿にも似ていた。

 

「ひぃ!? な、何!?」

 

 自分の目の前にて怪物の姿を象った砂の塊に、小傘は素直に心から驚く。髪と同じ色をした空色の右目も、唐傘から垂れた舌と同じ真紅の左目も見開き、素足に履いた下駄をからんころんと鳴らして後ずさる。

 砂の怪物はじりじりと小傘に歩み寄った。頭上の両脚がゆっくりと歩を進める度に、腰から下のない怪物の上半身もこちらに近づく。

 コウモリの翼のように広がった袖から伸びた右手を持ち上げ、同じく翼に似た背中のマントから白い砂を零した怪物は、悪魔の囁きにも似た声を奏で──少女にある言葉を告げた。

 

「お前の望みを言え……どんな望みも叶えてやろう……」

 

 さらさらと流れる砂の音を含んだ声。小傘はコウモリの怪物の言葉を聞いて思考を曇らせる。妖怪とも思えぬ異形を前に、幻想郷で噂される怪物の存在を思い出した。

 だが、怪物は自分を襲う素振りを見せず、不安定な砂の身体は今にも崩れそうなほど儚い。

 

「私の……望み……?」

 

「お前が払う代償はたった一つ……」

 

 静かに流れゆく砂の中に精神だけが宿ったような歪な在り方。小傘はそこに、古びて捨てられ忘れ去られた哀れな置き傘──使われなくなった傘の未練が付喪神となった自分自身、唐傘お化けと成り果てた己の在り方を見た。

 人に忘れ去られる。あるべき時間から零れ落ちる。指先から流れていく砂のように、誰の記憶からも抜け落ちた存在はそこから前に進むことのできないまま──幻想となる。

 

 小傘は思考に雨を降らせた。自分の望みは決まっている。怪物が謳う代償とやらを聞き届ける間もなく、自分自身とも言える唐傘を握りしめて。

 自分のような哀れな捨て傘の付喪神を。これ以上、増やしてしまわないために──

 

 よりも、先にまず。このどうしようもなく切ない空腹を満たすために、少女は口を開いた。

 

◆     ◆     ◆

 

 鬱蒼と生い茂るはどこまでも続く深遠なる木々の群れ。肌寒い秋の風が撫でる紅葉は緩やかに舞い散り、獣の足跡が刻まれた土の地面に枯れ葉を積もらせていく。

 妖怪の山の麓には広大な樹海──『妖怪の樹海』とでも称すべき領域があった。昼でも薄暗くどんよりとした空気は、美しく舞う紅葉さえも異質に見せるほど醜くおびただしい負の想念の坩堝となっている。

 神々の住まう妖怪の山は人間が踏み入るべき世界ではない。人間の里との境界に広がるその樹海は、放つ禍々しさをもって力なき者の歩む未来(さき)を警告しているようでもあった。

 

「……ふぅ、今日はいつにも増して(やく)が濃いわね」

 

 この淀んだ空気を一ヶ所に集めるは、鮮やかな緑色の髪を赤いリボンで束ねた少女。首を覆うように胸の前に下ろしまとめた髪を右手で撫でながら、左手に浮かべた『厄』を周囲へと散らして自身のオーラと定義する。

 おびただしいフリルを装う真紅のドレス。そのスカートには緑色の渦めいた模様が刻まれ、くるくると回りながら厄を吸収していく彼女の優しげな不気味さを際立たせた。

 

 流し雛の象徴たる『厄神様(やくじんさま)』は厳密には神ではない。忌み嫌われるための偶像として、その存在は妖怪の一種と定義された。

 この妖怪の樹海に満ちる厄を担い、人間と妖怪の領域を二分する。近づくだけで人も妖怪も不幸にするほどの厄を請け負って、少女はただ一人。この妖怪の樹海にて厄を祓う。再び厄が持ち主の元へ戻らぬように、誰にも近づけさせない妖怪の領域で。

 妖怪── 鍵山 雛(かぎやま ひな) は誰もを不幸にする厄を一身に帯びていた。ただし彼女自身が厄によって不幸になることはない。あくまで周囲に湛えているだけで、彼女自身の内に取り込んでいるわけではないからだ。

 厄神として、それを処理するのが仕事となる。重ねて言えば、妖怪の領域である山へと向かおうとする愚かな人間に警告してやることも多い。ただでさえ山は妖怪が多いのだ。それに加えて近年では外から現れた神々までもが山に立つ。人間の居場所など──樹海(ここ)より先には存在しない。

 

「人間の気配……? また誰かが山に迷い込んだのね。まったくもう……」

 

 (ひな)は髪と同じ翡翠の色の瞳を気配のある方角に向ける。いつぞやの巫女や魔法使いのような強者などそうはいまい。不運にも山に迷い込んでしまった人間であるなら、帰らぬ人となる前に里まで追い返してやらねばならない。

 それにしても、こんな奇妙な異変が起きている最中に迷い込んでしまうとは。厄は樹海の外に漏れていないはずだが──極めて不運な人間もいたものだ。

 そんな不運な人間や妖怪から不運そのもののエネルギーたる厄を回収しているのに。世の中にはどうしようもなく不運な奴もいる。それはさながら、厄神の力さえ及ばぬ『特異点(とくいてん)』のよう。

 

◆     ◆     ◆

 

 肌にまとわりつくような不快な風の中、幻想郷に似つかわしくない近代的な服装に身を包んだ青年が一人。長めに切り整えられた黒髪の上に落ちた枯れ葉も気にせず、ただ鬱蒼とした樹海の道を不安そうな面持ちで進んでいく。

 両手で押し引く自転車は彼の記憶に宿る大切な一年間。大切な友と過ごした時間を走り抜けたかけがえのない思い出の品だが、そのタイヤは鋭い石を踏みつけて穴が開いてしまっている。

 

「ど、どこだろ……ここ……」

 

 空を見上げれば爽やかな青空が見える──が、見えるだけ。暗く淀んだ樹海の中には、その光があまり差し込んでこない。

 外の世界から迷い込んでしまった 野上 良太郎(のがみ りょうたろう) はどうしようもない心の不安を紛らわせるために独り言ちた。ポケットから取り出した折り畳み式の携帯電話を指で開き、容赦なく圏外と表記された画面に視線を落としては自身のあるべき時間を想う。

 

 不気味な虫や鳥の鳴き声が聞こえる奇妙な樹海に来て半刻。いつも通り自転車を繰り、落とした財布を求めて交番に向かっていたとき。

 良太郎(りょうたろう)は偶然落ちたビール瓶の破片を踏み、破れたタイヤは良太郎から自転車の制御を奪い、下り坂へ(いざな)っては彼を自転車ごと並木の中へと突っ込ませた。痛みを堪えて立ち上がり、顔を上げた頃には──

 そこに見慣れた景色はなく。どこを向いても木々しかないこの未知の樹海の中にいたのだ。

 

「携帯も繋がらない……どうしよう……また姉さんに心配かけちゃうな……」

 

 折り畳み式の携帯電話を畳んでは再びポケットの中へ戻す。これまでも奇跡的な偶然によって自転車ごと木の上に引っ掛かったり、三度連続して飛んできたボールに頭を打たれたり、ありえないような不運に度々見舞われてきた人生だった。

 たまたま自転車がパンクしてはたまたま不良たちのいるところに突っ込んで転び、財布を取られるだけならまだ良い方。拾った空き缶をゴミ箱に捨てようと思えば、上手く入らず跳ね返った空き缶が不良の背中に命中する。当然、不良の怒りを買って痛い目を見ることとなる。

 道に迷って長らく家に帰れないこともよくあったが、今回は場所が場所だ。暗くならないうちに帰ることができなければ最悪クマなどの野生動物に襲われる危険もある。そうなれば、もはや笑い話では済まされまい。

 

 自分が強くならなければ姉を悲しませてしまう。不安にさせてしまう。それだけが彼にとって忌むべきことだったが、不運ばかりは如何ともし難かった。

 あるいは、その不運こそが運命の分岐点だったのかもしれない。たまたま拾ったあの落とし物が、まさか未来を守る戦いの運命(レール)へ乗り入れる切符(チケット)となってしまうだなんて。あの頃の自分には想像もつかなかったことだろう。

 良太郎にとってその戦いはつい数日前までの出来事だ。長い戦いを終えたのち、彼は戦士としての役目を終えた。2007年の日々を駆け抜けて、未来へと至る『列車』を見送ったのが昨日までの記憶。きっとそのすべてが、必要なものだったと分かる日が来るはず。

 

 ──未来はこれからも続いていく。どこまでも続いていく。それを守り抜いた誇りは今も記憶の中にある。

 なればこそ、誓ったのだ。命懸けで守った未来で待つ彼らとの再会を。いつか、未来で。

 

「……おぉおっ!?」

 

 大切な記憶に想いを馳せていたのが仇となったか。良太郎は落ち葉を湛えた傾斜に足を取られ、見事に滑って転んでしまう。

 自転車はそのまま樹海の果てへと滑り落ち、良太郎の視界から消え失せた。だが、そんなことを気にしてはいられない。もう何度目かの転倒──傷や痣に加え疲労によってまともに踏ん張ることもできず、緩やかな傾斜をどこまでも転がり落ちていく。

 柔らかい落ち葉の上であったことに加えてさほど高い位置ではなかったためか、良太郎の身体はすぐに水平の地面に落ち着かされた。石片などがなかったのは不幸中の幸いとも言えるが、またしても愛用の自転車を失ってしまったのは手痛い。せっかくバイト代を貯めて買ったのに。

 

 慣れているとはいえ痛いものは痛い。お気に入りの白いセーターも派手に汚れ、赤いマフラーはボロボロの状態だ。

 姉が振る舞うひじきサラダや青汁は効いているのだろうか──などと考えながら立ち上がり、服についた汚れを手で払っていると、良太郎は視界の隅に見覚えのあるものを見つけた。

 積み重なった落ち葉の中に斜めに立つようにして埋まっていたそれを手に取り、確信する。

 

「これって……パス……? なんでこんなところに……?」

 

 鈍い黒色を帯びた長方形の板。やや厚みのあるそれは二つ折りの構造になっており、中にチケットを入れるための透明な板が貼られている。

 それは紛れもなく良太郎が一年間の戦いにおいて手にしていたもの。とある『列車』への乗車権限を証明する『ライダーパス』と呼ばれるものだ。黒い板状の箱にはレールめいた真円が刻まれており、さながら分岐点でも表すかのような特徴的な線の意匠が組み込まれている。

 

「そこの貴方、こんなところにいたら危ないわよ? 早く帰りなさい」

 

 不意に背後から聞こえた声に対して、良太郎は拾ったライダーパスをポケットにしまいながら振り返った。

 深い緑色の樹海に見合うような、目立つような。暗い真紅色のドレスは落ち着きを感じさせるものの、素人目に見ても分かる周囲のオーラは本能的な危険をも感じさせる。まるで人形を思わせるゴシック調の装いの少女を見て、良太郎は彼女が遠くから声をかけてきたことを訝しんだ。

 

「ええっと……できればそうしたいかな……」

 

「あっ、私に近づかないで。不運が伝染(うつ)っちゃうから」

 

 未知の樹海で人に会えたことに安心して少女──鍵山雛へと歩み寄ろうとする。だが、その一歩は雛の言葉で制止されてしまった。

 良太郎は自分の不運を幾度も呪ったことがある。この不運で誰かを巻き込むことを何より恐れていた。それでも、初対面の少女からの言葉と考えればそれは無慈悲に心を貫く。

 力なく謝る良太郎の声は小さい。少女に届いたどうかも定かではないが、良太郎は歩みを止めた。対する雛の方は良太郎の勘違いに気づいたのか、小さな苦笑を零してそれを訂正する。

 

「その格好……外来人(そとのひと)かしら。ちょっと言い方が悪かったわね」

 

 雛は幻想郷の妖怪を知らないであろう良太郎に自身の在り方を伝えた。厄を周囲に湛え、それを帯びることで人間や妖怪の不運を回収する。雛自身を不幸にすることなく幻想郷全体の不運を少しでも軽くするために。

 流し雛という儀式と厄神というある種のシステム。それを説明するために、雛は外来人の青年に幻想郷という空間についても説明した。

 一度に説明されては混乱するのも無理はないだろうと思い、丁寧に分かりやすく、かつ妖怪に対する恐怖を無視できぬよう。この幻想郷では妖怪は牙を抜かれて久しいが、無力な存在ではない。無知な外来人など、こんな樹海にいれば格好の餌食として二度と未来を歩めなくなる。

 

「よ、妖怪って……本当に……」

 

 良太郎は混乱と恐怖で目を回しそうになったが、記憶に新しい一年間の戦いで彼は格段に強く成長している。蒼褪めていく顔に説得力こそないものの、話を聞いただけで気絶することはなんとか避けることができた。

 難しい話にも恐怖にも、人智を超えた化け物にも慣れている。──慣れてしまった、というべきかもしれない。それほどまでに、野上良太郎が生きた世界での『物語』は凄絶なものだった。

 

「……それにしても、とんでもない厄ねぇ。よくここまで死ななかったもんね」

 

「あはは……こういうの慣れてるから……」

 

 少女の心配そうな表情に、良太郎はこれまでの経験を思い出していた。その始まりたるきっかけとなったライダーパスを拾ってからの一年間、多くの時間を救って多くの過去に触れ、彼の記憶を紡ぐ砂の一粒となっていった。

 その役目を終え、つい数日前の記憶。ライダーパスを持ち主に返し、良太郎は戦いのない時間を取り戻したはず。それなのに、なぜ返却したばかりのライダーパスがここにあるのか。

 

「大丈夫、貴方の厄も私が受け止めてあげるわ」

 

 雛から見た良太郎の不運は尋常ならざるものだった。厄と厄が重なる交差点の真ん中にでもいるかのような──不自然なまでの運の悪さ。

 最初は貧乏神(びんぼうがみ)疫病神(やくびょうがみ)にでも()かれているのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。異常としか思えぬほどの厄の強さに憐れみを感じ、雛はただ追い返す前に彼の厄を少しでも取り除いてやろうとした。

 両手を腰の前で合わせ、丁寧に立つ。そのままくるくると回り踊り、雛の回転に合わせて周囲に厄が漂い始める。不気味な紫色のオーラはただの人間にも目視できるほど濃く、ゆっくりと回る雛のもとへ良太郎の周囲から、木々の隙間から、その厄が吸い込まれるように集まっていく。

 

「一度に全部は吸い切れないけど、これで少しはマシになったはずよ」

 

「よくわからないけど……ありがとう」

 

 良太郎の目にも見える膨大な厄が雛の周囲に漂っている。あれが自分の不運の象徴なのだと思うと、そのおびただしいほどの負のエネルギーに眩暈がしてくるようだ。

 近づいただけで不幸になるというのも頷ける。それだけの禍々しさがそこに満ちている。その気に当てられたか、あるいは未知の樹海にいることへの緊張感と不安が積み重なったか。

 

「……まだ顔色が悪いわね。辛いならそこの山小屋で少し休んでいったら?」

 

「ご、ごめん……妖怪とか幻想郷とか、ちょっと混乱してて……」

 

 良太郎は雛が示した方向を見た。雛は自分が近づくことで再び厄を返してしまわぬよう、あえて距離を取った状態でいる。古びた小屋ではあるが、雛曰く立地や風水の関係で妖怪が近づきにくい安全な場所に建てられているらしい。

 強大な妖怪であれば踏み込める程度だが、知性なき妖怪ならばまず近づくまい。樹海に迷い込んだ人間が一時凌ぎに用いる仮初めの宿として用いられていたもののようだ。

 

「うん……ありがとう。でも、僕はもう行くよ。この落とし物を届けないといけないから」

 

 山小屋を見て、良太郎は蒼褪めていた己の表情を強く変えた。左手首に装う腕時計に視線を落とし──それが壊れていないことに安堵すると同時、今の時刻を確かめて。雛に感謝と別れの言葉を告げて、怪訝そうな彼女に背を向ける良太郎。

 ゆっくりと持ち上げた左手で山小屋の木の扉に手をかける。財布も自転車も失ったが、現代的なデジタル表記の黒い腕時計は今も良太郎の左手首にしっかりと着けられている。

 

 良太郎が扉を開こうと左手に力を込めたとき──時計は『10時10分10秒』を指し示した。

 

「えっ?」

 

 ぎぃ──と開かれた木製の扉の先に溢れる光を見て、雛は思わず小さな声を漏らす。その光の先に、無辺の砂漠と虹色の極光が広がる景色が見えたような気がしたから。

 鈍い音を立てて扉は閉じる。その光景の意味を確かめようと、雛は不快な神聖さの領域に強引に踏み込んで扉を開く。──しかし、そこには砂漠も光も、良太郎の姿さえもなかった。

 

「消えた……? 外の世界に帰ったの……?」

 

 山小屋の中に人の気配はない。もはや良太郎の姿は、ただ一人──鍵山雛の記憶に残るのみ。

 

◆     ◆     ◆

 

 ──人間の里。四季異変に狂った幻想郷で数少ない、本来の春の芽吹きに包まれた場所。美しく咲き誇る桜の彩りは、博麗神社に通ずる人間の居場所たる証明だろうか。

 この場所は妖怪にとって必要な存在である人間を守るために──その数を減らさぬよう管理するために在る。ゆえにここで故意に人間の命を奪うことや、巻き込んでしまう恐れのある妖怪同士の決闘も賢者に見過ごされることはない。

 

 だが、そんな人間の里も。閉塞的な厭世観(えんせいかん)に苛まれ、何もかもを忘れ去って刹那的な快楽だけを謳歌する人々で溢れ返ってしまったことがある。

 度重なる天変地異、抗えない自然の災害。それらへの恐怖がそうさせたのか。何をしても未来は変わらない。ならば何をしてもいいじゃないか。誰もが皆一様に『ええじゃないか』と(はや)し立てる様には──明日への希望もなく。

 自由に享楽的に生きる人間たちによって里の秩序は乱れていった。そこで立ち上がったのが人心を掌握し、荒れ果てた人々の希望と成り得る時代の象徴、幻想郷の宗教家たちである。

 

 八百万の神々を信仰する巫女、仏の教えに至らんとする修行僧。そして(タオ)の導きのもと不老不死を目指す仙人。それぞれ己が宗教を担い、幻想郷で最も活気に満ちた決闘法、スペルカードバトルという手法をもって人々の期待と人気を一身に背負う。

 後に『心綺楼異変(しんきろういへん)』と呼ばれることになるこの奇妙な異変は、幻想郷の宗教家たち──神道、仏教、道教のそれぞれの誇りを懸けて戦い合い。最後はそれらが一つとなって力を合わせ、元凶となる妖怪を打ち倒し、平和で堅実で、少しだけのんきな人間の里の営みを取り戻したのだった。

 

「────」

 

 賑やかな喧騒に満ちた人間の里において、開けた場所の一角に人だかりが出来ている。軽やかな旋律と共に面白おかしく語られるは、もはや過ぎ去った心綺楼異変のあらましだ。

 

 舞い散る桜の花に似た──淡く柔らかな薄紅色の長髪。妖艶とも可憐とも、あるいは勇ましくとも恐ろしくとも取れる不思議な舞い。チェック模様を刻んだ水色の衣服を装うは、件の心綺楼異変の元凶として宗教家たちに調伏された妖怪だ。

 丸く膨らんだ桃色のロングスカートには笑顔と泣き顔を表現した切り込みが施されており、細い脚を覗かせている。

 

 少女の名は (はたの)こころ 。妖力により周囲に浮かぶいくつもの能面が示す通り、彼女はお面という道具が妖怪化した一種の付喪神たる『面霊気(めんれいき)』という種族の妖怪である。

 飛鳥時代、聖徳太子から秦河勝(はたのかわかつ)に与えられた六十六枚の面は、長い長い時間をかけて妖力を溜め、妖怪となり。付喪神としてはまだ生まれて間もなかった彼女だが、その出自ゆえに他の付喪神とは一線を画すほど強大な妖力を宿すこととなった。

 

 心綺楼異変は彼女が意図して引き起こしたものではない。静かに生きていた面霊気は自身を構成する六十六の面のうち、『希望』の感情を司る一枚を失くしてしまった。それにより、聖徳太子と秦河勝という二人の偉大な人物の妖力を持つ彼女の力が、里に多大な影響を及ぼしてしまっていたのだ。

 面そのもの、感情そのものが本体と言えるこころはその存在を暴走させていた。里を調査に来た宗教家たちと矛を交えたのも、彼女らが集めてきた希望を自らの一部と加えて少しでも里に正常な在り方を取り戻そうとしていただけ。

 希望の感情を奪われた里の人間たちは、こころと同様に感情を暴走させ、結果として刹那的な厭世観に苛まれた。やがてすべての感情が失われてしまう最悪の状況になるというとき、異常に気がついた宗教家たちは力を合わせ、こころを調伏したことで一時的に場を収めた。

 

 そして秦河勝の面の製作者である聖徳太子、幻想郷の豊聡耳神子が新たな希望の面を作ったことで彼女の暴走も落ち着き、この異変は無事に終息を果たすこととなる。

 ただ神子が新しく作った希望の面はこころ曰く『あまりに完璧すぎる』らしく、感情が完全に揃って再び物言わぬ面の集合体(ただのどうぐ)に戻りたくないこころは滅多に使いたがらなかったようだが。

 

「これにて、第一幕は終了。ご観覧ありがとうございましたー」

 

 両手の扇は失せ、美しく舞っていたこころが頭を下げる。その表情は一切変わらず、ただ無機質に口だけを動かして礼を述べる。

 彼女は未だ感情というものを学習している身。やがて能楽の神とも称された秦河勝の面として生まれた出自に従い、これまでの経験を生かした舞踊と語り──能楽をもって人間の里を沸かす花となって。

 意図せず暴走した結果とはいえ、異変の元凶となったことは事実。彼女は人里近くの寺で世話になり、こうして里で舞いを披露している。彼女にとって、それは贖罪とも言えるのだろう。

 

「これが疲れと満足の表情。今日もたくさんの感情を学べたわ。やったね」

 

 細やかな拍手と共に声援を送られる。妖怪としてまだ未熟なこころは自身の表情というものを持たない。六十六のお面を付け替えることによって感情を表すことしかできず、彼女自身はいつだって無表情のままだった。

 お面に頼ることのない、自分自身の自我というものを確立させる。新しい希望の面を取り込んで、ただの道具に戻ることなく自らの表情として再定義する。

 無表情に装う無機なる面ではなく、面霊気という表情ある妖怪へと成長するために。

 

 希望を巡る宗教戦争から数多の感情を学び、彼女は格段に安定していた。だが、真なる己の表情を得るには未だ遠い。心綺楼異変が解決された際には博麗神社の敷地にて能楽を披露していたが、すでにそちらの営業も落ち着いて久しい。

 今はこうして人間の里に赴き、彼女のお面を制作した聖徳太子である豊聡耳神子、彼女に居場所を与える妖怪寺住職の二名による保護下で、己が()の修行に努めているのだ。

 

 先の宗教戦争を戯画的に表現した演目──『心綺楼(しんきろう)』の第一幕を終えたこころは華やかな舞台を降り、この場を提供してくれた里の人間たちに感謝を述べる。質素だが丈夫な舞台も修行僧たちの手によって片付けられた。

 

 ──不意に彼女の心が何かを感じ取る。様々な喜怒哀楽が渦巻く人間の里、平和な場所に似つかわしくないもの。道行く人間たちのざわつく声は、こころに不安と焦燥を感じさせていた。

 

「……はっ! 何かあっちから強い感情の波動を感じる……! これは……恐怖?」

 

 感覚の源は里の正門がある方角。妖怪に襲われれば人間は恐怖しよう。それを助ければ感謝をも覚えよう。こころはこれまでその感情を目当てに人助け紛いのことを行ってきたが、これもお寺の修行の成果だろうか。

 気づけばそんな打算もなく、ただ無意識に人間を救いたいがために、大地を蹴り上げていた。

 

◆     ◆     ◆

 

 人間の里の中心から外れた道。人通りこそ少ないものの、人間たちが平穏に暮らす家屋は多く存在し、当然ながら彼らのほとんどは妖怪に抗うだけの力を持たない。

 それを守るのが人間の里という領域そのもの。妖怪の行動を制限するという秩序をもってこの里そのものを守り、里の人間たちを人間の里という機能をもって保護している。妖怪が暴れることなどあってはならないはずだったのだが──

 

 しかし、その秩序ももはや意味を果たしていないと言わざるを得ない。当たり前のように働き、晴天の下を歩いていた男は、まさしく異形の怪物に襲われていた。里は妖怪からの保護を前提にしたもの。その『怪物』に対しては機能しない秩序である。

 今の幻想郷には妖怪とは別の脅威があった。目の前に舞い降りた濃紺は夜空を思わせる深さに満ちており、コウモリめいた漆黒の翼を広げて男の視界を闇夜に似た恐怖に染め上げる。

 

「ば、化け物……! 誰か……!」

 

「そうだ、もっと驚け。それが契約者の望みだからな……」

 

 蒼褪めた体躯を持つコウモリの怪物は、不気味な笑みを浮かべながら歩む。腰を抜かしてそれを見上げ、男は届くことのない祈りの声を上げた。

 今まさに刻一刻と、男の死の秒針は刻まれていく。命の灯火にも似た小瓶の砂が──さらさらと流れ落ちていく。響く自身の心音に重なり、そんな音を聴いた気がした。

 

 そこへ振り抜くは一陣の刃。青白い妖力の薙刀(なぎなた)を携えたこころが、怪物の眼前を一閃する。

 

「妖怪……? いや、もっと異質な……最近噂になってる未知の怪物ってやつかな」

 

 桃色のスカートをふわりと揺らしながら着地するこころ。警告の意を込めて刃を当てず、あえて後退を促す形で怪物に距離を取らせた。背後の男に振り向くことなく、男に痛み苦しむ感情がないことを感じ怪我がないことを悟る。

 自身の妖力を薙刀の形と成した青白いエネルギーのそれを構え直しながら、こころは目の前のコウモリの怪物を見つめたまま、男にその場から逃げるように伝えた。

 

 異形の怪物。それはコウモリの翼らしさを思わせる奇妙な形。両耳は長く突き伸び、些細な音も聞き逃さない鋭さを帯びている。強く噛みしめるような歯はどこか悪鬼の如くとも感じられ、さながら魔人とも言うべき禍々しい空想の恐怖を思わせる。

 こころの印象通り、それは人間のイメージから形を得た『イマジン』なる怪物だった。彼女が相対するは、かつて母親の形見として大切にしていたものを失い、魔人と契約してでもそれを探し出したかった男が想像した肉体。

 外の世界では有名な『卑怯なコウモリ』という物語から連想された、どっちつかずの卑怯者の具現。闇夜めいた濃紺の翼を持つ──『バットイマジン』と称されるイマジンの一種である。

 

「……この気配……妖怪か。こいつは都合が良い。驚かせる相手が増えた……」

 

 バットイマジンはこころに気づいた様子。周囲の人々は怪物を恐れ、こころが怪物と対峙している隙を見て安全な場所に避難する。

 今は心綺楼異変のときのような感情の喪失した状況ではない。誰もが恐怖を抱き、その戦いを観戦しようなどと思う暇もなく。ただ生きるために里の中心地へ近い場所へと。

 

 イマジンはすでに現在に繋がる道の途絶えてしまった『失われた未来』から時間を超えて現れた存在だ。彼らは未来の人間であったが、因果の断絶に伴い己の過去(すべて)を失ってしまっている。故に、現代の人間の記憶に触れてそのイメージから仮初めの肉体を形作る。

 かつてはただの可能性の一つに過ぎなかった己が未来を今と繋げるべく、様々な策を講じて未来への分岐点を自分たちの時間に繋げようとしていた。だが、同じく自分たちと同じ未来から時を超えた同族が過去の人間に力を貸し、あろうことか自分たちが存在する未来を否定したことで彼らの未来は完全に消滅した。

 如何に時間を超えようとも自分が存在する時間そのものが消えてしまえばイマジンたちは存在することはできない。本来ならばその時間が消えたことで、彼らイマジンはたまたま時の狭間に残留していたために消滅を免れた個体を除いては、二度と現れることはないはずだった。

 

 こころは自身の妖力で形成した青白い薙刀を構える。里での戦闘は避けたいところだが、未知の怪物が人間を襲う様を見過ごすわけにはいかない。意を決し、強く握りしめた薙刀を高く大きく振り上げる。

 袈裟懸けに振り下ろし、怪物の身を斬りつける瞬間──こころの背中に光球が飛び込んだ。

 

「見つけたぜ……! コウモリ野郎!」

 

「あっ」

 

 視界に白い砂が溢れたと同時、砂は()()()()()()()を形成した。だが、こころの目の前に生じたそれは対峙していたコウモリの怪物とは大きく異なり、地面から生えた上半身の頭上に自らの下半身を浮かせた奇妙な姿を象っている。

 その出現に気づいたこころは思わず声を漏らした。怪物と自身の間に積もった白い砂、悪鬼の如き形相の双角の怪物は、丁度こころの薙刀を受け止める位置にいたためだ。

 

 勢いよく振り下ろされた薙刀はそのまま白い砂の怪物を切り裂く。まるで砂上の楼閣を蹴り飛ばしたように、砂の塊は薙刀によって呆気なく形を散らした。

 だが、舞い散った砂はまたすぐに形を取り戻し、こころの眼前で上半身と下半身が不自然に分断された砂の塊──『未契約体』のイマジンとして成り立っている奇妙な姿へと戻っていく。

 

「何しやがんだてめえ!! 俺がせっかくかっこよく決めようと……!!」

 

 白く流れる砂は絶えず双角の悪鬼を象った形を保っている。器用に空中の下半身を動かして振り返り、腰から上の上半身を地面から生やした身体でこころを見上げながら憤る姿は、おとぎ話にでも登場するかのような空想上の鬼の姿に似ていた。

 身体の一部に刻まれた意匠は、あるいは『桃』の果実──だろうか。桃と鬼、そのどちらをも象徴する古き空想の物語を、日本中のほとんどの人間と同様にこころも聞いたことがある。

 

「砂の怪物……? いったいどこから現れたの?」

 

「はぁ? 砂だと……?」

 

 薙刀についた砂を軽く振り払いながら、こころは砂の怪物に表情なき困惑をもって問う。この怪物を形成する白い砂は、先ほど自分の身体から出てきたように見えた。

 まさかかつて自身も参戦した『完全憑依異変』の元凶──貧乏神と疫病神の最凶最悪の姉妹に等しいだけの憑依能力を持つ悪霊の一種なのか。だが、今の脆さを見る限り戦闘力は高くない。

 

「ってぇ! なんじゃこりゃあ!? 俺の身体はどこ行っちまったんだよ、ええ!?」

 

 悪鬼の如き砂の怪物は自身の姿に気づき、どうしようもなく狼狽(うろた)えているようだった。さらさらと流れ落ちては再び紡がれ、形を成しているもののあまりに儚い。ただ積もっただけの砂の塊に、戦う力などほとんどないのだろう。

 砂の中に精神だけが宿ったような歪な在り方は、奇しくも付喪神に似ていた。だが──

 

 ただ忘れ去られるだけのものではない。偉大な人物に愛されたお面の付喪神たる秦こころと同様に、この桃めいた鬼も。大切な誰かに『覚えていてもらえる』自分を知っている。己が持ち主と呼べる者を、相棒と呼べる存在を。過去と刻んだ、大切な──自分だけの本当の記憶と時間を。

 

「……つまらんお喋りはそのくらいにしておくんだな……!」

 

 バットイマジンはその在り方を羨んだのか。あるいは煩わしいと思ったのか。己が実体すら持たない未契約体の同族──イマジンに対して覚えた感情を拭うように、誰かと『契約』を交わすことによって『完全体』となったその身の力を振るう。

 右手から零した白い砂が形を成し、柄にどこか傘のそれに似た持ち手を備える白銀の長剣となる。連なる牙や翼のような刀身はさながら閉じたコウモリ傘のようでもあった。

 

「ちっ……! 仕方ねえ! ちょっとだけ身体貸りるぜ、お面女ッ!」

 

「……おお……!? なんだ……!?」

 

 砂の怪物は迫り来るバットイマジンを睨みつけ、今ある力で成せることを成すために。砂の身体を儚く崩し、その中から再び黄色い光球となって浮かび上がる。光球は荒々しくもどこか優しく、こころの胸へと飛び込んでいく。

 少女の身体から零れるように散る白い砂。悪鬼の如きイマジン──『桃太郎』の物語よりとある不運な青年のイメージによって象られた怪物は、こころの身体へと()()を遂げてしまった。

 

「…………っ!」

 

 鈍い音を立てながら、こころの蒼い薙刀がバットイマジンの剣を受け止める。そのまま乱暴な振る舞いでバットイマジンの腹を蹴りつけ、強引に距離を取りながら手にした薙刀の切っ先を振るい砂を払い落とした。

 水色の衣服の袖からさらさらと零れる白い砂が里の地に注がれる。そのスカートから落ちる砂もまた、少女の可憐なローファーの周囲を白く染めていく。

 淡い桃色の前髪には、彼女のものではない霊力から成る赤いメッシュが生じていた。

 

「ほう? 貴様、何のつもりだ?」

 

「今から見せてやるから、よく見とけ! えーっと……パス……パス……」

 

 イマジンに憑依されたこころの長髪は赤い電流を帯びたように無造作に逆立つ。荒々しく放つ妖力は優雅さなど微塵も感じさせず、彼女の瞳までもを赤く染め上げる。

 そして、普段のこころを知る者にとっては考えられないほどに。その表情には明確な『怒り』の感情が浮かび上がっていた。

 薙刀を持ったままの右手を下に向け、左手でバットイマジンを指差しながら吐き捨てる。

 

 お面に頼ることなく自身の表情をもって感情を表す。彼女が望んだ自我の極致だが、それは他者の感情である。

 こころ本人のものではなく、彼女の身体に憑依した者の人格。鬼と桃太郎のイメージを併せ持つイマジン──とある青年により『モモタロス』と名付けられた存在のものだった。

 

 モモタロスはこころの身に憑依したことで仮初めの肉体を得ている。本来ならば契約に頼ることなく自分だけの過去と時間を手に入れたことで本当の身体を備えているはずなのだが、どういうわけか今の彼には砂の器しか残っていないようだ。

 砂の身体のまま持ち出した『あるもの』をこの手に取り出そうと、自身の精神(なか)にしまっておいたそれを探る。たとえ実体を有していない姿だとしても物を持ち運べる身として、イマジンは他者に憑依したときでさえ自身の持ち物を憑依対象の持ち物としても定義できるはずなのだが──

 

「やべえ……! どっか落っことしちまったか……!?」

 

 確かに持ってきたはずのそれが無い。いつだって涼しげな無表情を湛えていたこころの表情にも焦りと不安が生じるが、やはりそれも彼女ではなくモモタロスとしてのもの。

 

「だったらこいつで……! ん……? お……!? あぁ……!?」

 

 頼りにしていた道具がないと分かるや否や、すぐさま思考を切り替える。右手に携えた薙刀には十分な切れ味があり、完全体のイマジンを相手にしても不足はない。モモタロスはこころの細腕が嘘のような腕力でそれを振るい、怪物に向き直った。

 ──しかし。モモタロスの意に反し、こころの身体は行動を拒むかのように硬く動かない。能楽を思わせる舞いにも似た奇妙な動きを見せつつ、少女は再び全身から白い砂を散らす。

 

我々(わたし)精神(なか)に……入ってくるな!」

 

「うおおッ!?」

 

 ──自身の身体を好きに操られる感覚に耐え兼ね、こころは衣服の間から零れる砂と共にモモタロスを叩き出した。肉体の主導権を奪い返され、モモタロスは再び白い砂の塊となって里の大地に放り出される。

 未契約体の姿のまま訳も分からずただこころを見上げることしかできないモモタロス。それを見下ろすこころの表情には何も宿っておらず、そこから感情を伺うことはできない。その表情の代わりとして、彼女の額には怒りと敵意と警戒心を表す般若(はんにゃ)の面が真紅(あか)く浮かび上がっていた。

 

「自力で俺を追い出しやがった……!? こいつ……もしかして……!」

 

 ただの人間であればイマジンの憑依に抗うことはできない。モモタロスがそれを知る由もないが、通常は妖怪であれその力には抵抗できない。一度憑依された者はイマジンの意思によってのみ肉体の主導権を取り戻すことができる。

 だが、その呪縛を自らの力で解き放つことができる者も存在した。如何なる時間の改変においても己を失わない揺るぎなき柱。彼らの時間より『特異点』と称される者は、イマジンの憑依を受けても己の人格を閉ざすことなくその肉体の本来の持ち主として君臨することができる。

 

「何が目的か知らないが、里で暴れるなら我々(われわれ)が相手になるぞ」

 

「バカ野郎! 俺は敵じゃねえ! あっちだ、あっち!」

 

「え、そうなの?」

 

 青白い薙刀を眼下に積もった砂の怪物に向け直して告げるこころ。表情のない顔から放たれる抑揚のない声に迫力や緊張感といったものはないが、額に斜めに装った面は神妙な霊力と厳かな雰囲気を漂わせる狐の面に変わっていた。

 六十六枚の面から成るこころの人格は無数の感情の集合体だ。一つの人格さえも感情が集まったものでしかなく、そのすべてが秦こころと定義できる個にして全の精神(こころ)

 そのすべてを己と呼び指す彼女たち(こころひとり)の一人称は『我々』となることがある。すべての感情が同じ方向を向いていれば、あるいは調和の取れぬ一つ程度の心など、追い出すことなど造作もないかもしれない。

 

 こころは知る由もなかった。その無数の感情こそが、互いを記憶する時間の証明。たとえ一つの心が忘れられても、自身に宿る別の心がそれを思い出してくれる。世界に定義されたものとは大きく異なれど、その在り方は、紛れもなく彼らが呼ぶ特異点の法則そのものだということに。

 

「この女……特異点か! 面倒なことになる前に……潰すしかないなッ!!」

 

 バットイマジンは再び長剣を構えてこころへと迫り行く。コウモリの翼で仰ぐ風圧をもって里の大地を駆け抜けることで、一瞬のうちに距離を詰めようとするが──

 

 そのコウモリじみた鋭い耳が逃さず捉えた音が、バットイマジンの動きを鈍らせた。

 

「何っ……!?」

 

 ──天空より響き渡る時を超えた警笛。イマジンたちの砂の身を震わせる音。バットイマジンもモモタロスも等しく、それを知らぬこころでさえも。あるいは忌まわしき、あるいは親しみ深き、あるいは聞き馴染みのない調べに空を見上げる。

 不意なる運行(ダイヤ)に足を止めたバットイマジンの頭上──人間の里の空には七色に滲む光の裂け目が生じていた。

 

 裂け目の向こうは光に輝く世界。ただ時の流れのみが存在する時空の狭間。それは何もない空間に線路(レール)を形成し、裂け目からどこか近未来的な意匠の『列車』を現す。

 白いボディに黒を装い、流れるように配された赤いライン。車体の前面に配された赤き桃の意匠は、さながら時間という川を流れゆく桃の果実のよう。

 

 空を引き裂いては地上へ舞い降りる龍が如く、白き列車は長く編成した車両をうねらせ、進む先にレールを生み出してはその上を行く。列車が過ぎ去った空にレールが残ることはなく、形成される過程をまるで砂時計をひっくり返すように逆に辿っては、また無へと消えていく。

 

「ちぃっ……!」

 

 怪物の眼前を過ぎる列車──『時の列車』と呼ばれるそれはその名の通り時間の流れを運行する一種のタイムマシンと呼べるもの。バットイマジンは忌まわしきその列車の経路から素早く身を退くが、視界に白き列車が満ちたせいで一瞬だけ特異点(こころ)の姿を見失ってしまう。

 

 列車はすぐに通り過ぎる。再び空へと舞い上がり、光の裂け目へ消える。ただそこに、この地に相応しくない現代的な服装の青年を一人残して。

 外来人の青年は右手に握りしめたライダーパスによって、かの『デンライナー』に乗車する権限を取り戻していた。今はその真価たる時間の超越を遂げることなく、彼がいた妖怪の樹海からこの人間の里へ赴くための単純な交通手段として、山と里を繋ぐ長い距離だけを遥かに超越した。

 

「良太郎! お前、なんでここに……!」

 

 里の地面にて上半身と下半身を逆転させた砂時計じみた姿のまま。モモタロスは驚く。それはいつか別れた友の姿。忘るることなき友の名前。たとえ幾星霜の時を迎えても、深く刻まれた記憶は決して零れ落ちることはなく。

 モモタロスの最初の依代となった青年──野上良太郎は、彼の姿をイメージした人間だった。桃太郎の物語から彼が名づけた単純な名前も、今ではかけがえのない『繋がり』の証として。

 

「……話はあと! モモタロス、行くよ!!」

 

「ああ! 今度こそ……! かっこよく決めてやるぜ!!」

 

 バットイマジンと向き合うようにして、良太郎は砂のモモタロスとこころに背を向ける形で立っている。長き戦いを共に過ごした相手に交わす言葉はそれだけで十分なもの。背後の(イマジン)に対して振り返ることもなく、ただ目の前の(イマジン)を見て。

 良太郎が右手に持つライダーパスに意思を伝えると、彼の左手には彼自身が備え持った霊力(オーラ)──あるいは『チャクラ』とも呼ぶべき身体の生命エネルギーが『フリーエネルギー』とでも称される超常の力となって具現した。

 白く溢れたフリーエネルギーは一本のベルトを形成していく。自動改札を思わせる機械的な銀色の帯に進入禁止のマーク、矢印が刻まれたそれを左手で軽やかに振るい、腰に装う。

 

 彼の腰に宿るはライダーパスの恩恵により自らのオーラで具現した『デンオウベルト』と呼ばれる解放器。赤、青、黄、紫の四色のスイッチを象った銀の帯に黒き意匠を刻み、霊力の駅に当たる中心部にはレールの意匠を持つ灰色に曇った真円が組み込まれている。

 

 モモタロスは良太郎の呼びかけに応じて再び砂の身体を崩した。舞い散る白い砂の中から黄色く輝く光球としての自身──『精神体』の己を現し、彼の生きた世界の法則により特異点と定義された青年、野上良太郎の身体に憑依を遂げる。

 彼の身に一つとなった現在(いま)と未来。赤く迸る電流と共にその黒髪には赤いメッシュが生じ、黒く未来を見据えていた両の瞳も揺るぎなき真紅の色を灯す。

 

 左手でデンオウベルトの中心部、そのすぐ傍に配置された四色の『フォームスイッチ』のうち、己が装う未来の色と同じ赤いものに触れたと同時。デンオウベルトの中心に設けられた灰色の真円、分岐器を思わせる『ターミナルバックル』には鮮烈なる赤の力が満ち溢れる。

 

 激しくも高らかに、己が想いの強さでもって導く未来──始まりを告げる旋律(ミュージックホーン)が響いた。

 

「変身ッ!!」

 

 良太郎とモモタロスの声は一つに重なり、その身を屈めては右手を高く掲げる。その手に持ったライダーパスを素早く振りかざし、ターミナルバックルの前を通過させて。

 

『ソードフォーム』

 

 無機質ながらも力強い電子音声が鈍く発せられた瞬間、ベルトを中心として良太郎の身体からは二人のオーラを由来としたフリーエネルギーの波動が満ち溢れた。

 眩い真紅のレール、そのパーツを思わせる金属片となって飛び散り、それらは再び良太郎の身へ舞い戻っては彼を覆うようにその身体に宿る。

 黒く強靭な霊力由来の強化スーツ──『オーラスキン』はあるいは鎧の如き皮膚として。そして腕や脚の一部には白い装甲を纏い、全身に走る銀色、頭部の天頂から胸を一文字に下る路線めいた意匠を伴い、列車の如き戦士の姿となってなお──その変化には未だ終わりはなく。

 

 その身を囲うようにして、また別のレールめいたオーラが浮き上がる。運行される数々の装甲は、どれも白を基調として鮮やかな赤色を湛えたもの。

 一つ一つが皆一斉に、戦士となった良太郎のスーツに連結する。どこか頼りなく弱々しい印象だった黒の戦士は、胸部や両肩、脚などに熱き強靭さを伴う赤き装甲を纏い、頭部のレールを伝って降りる仮面の到来を待つ。

 戦士の顔を覆う赤い複眼は在るべき位置(えき)へ停まり、一刀のもと両断された桃の如く別れた。

 

「桃の……仮面……?」

 

 不意なる未知の来訪者に対して、こころは混乱と困惑を表す猿の面を装って呟く。怪物に向き合う戦士について、自身と同じく『仮面』を宿す者の噂を聞いたことがあった。

 だが、それは仮面というただ一点においてのみ。その戦士の理は彼女の記憶にはない。

 

「俺、ようやく参上ッ!!」

 

 身体を慣らすように右腕を回し、右手の親指をもって己を指し示す。宣言と同時に右手を大きく横へ振り払い、見栄を切るように左手を開いて前へ突き出す。

 

 ──時の運行を守る戦士。その身の力こそ、野上良太郎が生きた世界における法則の守護者たる存在。彼は選ばれし特異点にのみ許された『電王(でんおう)』の権限(ちから)をもって多くの人々を救い、仲間と共に時の流れという揺るぎなき秩序を維持してきた。

 たとえ一度は返上した資格でも。未来が求めるのであれば戦おう。始まりはいつも突然であるのだ。流れる時間の波を捕まえたあの日の出会いも変わらず、幾度の過去を経てなお。

 

 忘れたくない時間。失いたくない記憶。誰にとってもかけがえのない、今までとこれからを守り抜くため。

 それを奪う未来からの侵略者に再び抗うべく、良太郎は望む。誰より高く、昨日より高く。

 

 過去と未来。重なり合う心と心。幻想の砂は杯を満たし、零れゆく時間(とき)を刻み始めた。




いろいろと書きたいシーンを全部詰め込んだら過去最大級に長くなってしまった。欲張ったぜ。

次回、第49話『レールの上の喜怒哀楽』
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