東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第4話 幻想

人間の里 歴史喰いの懐郷

05:38 p.m.

 

 春の夕暮れ。暖かくも涼しい風が、無辺の荒野を吹き抜ける。

 謎のオーロラも怪物の脅威も、もはやそこにはない。それを実感すると、急に疲れが押し寄せた気がした。

 霊夢は目の前で親指を掲げる白い戦士を前に、手にした数枚のお札をしまう。それを見て、魔理沙と慧音も全身に張り詰めた力をようやく抜くことができた。

 霊夢の直感ではこの白い戦士に害はないと判断できたが、頭で考えて答えを出せるほどの情報はない。今この瞬間、安心させておいていきなり襲いかかってくる可能性も完全に否定することはできないのだ。

 それでも彼の持つ雰囲気は、その親指の仕草は。相手を自然と安心させる何かがあった。

 

「あなたは、いった……い……」

 

 一時的とはいえ、戦士と共に戦い、怪物を退けることができた。が、慧音は戦士について訊きたいことがある。

 当然、疑問を感じているのは慧音だけではない。霊夢も魔理沙も、この戦士について訊きたいことは山ほどある。共に戦ってくれたことに感謝したい気持ちもなくはないものの、それ以上に押し寄せる疑問の方が遥かに強い。

 長時間の戦闘と能力の維持で慧音の体力は限界に達していた。ふらつきながら立ち上がり、頭を押さえたかと思うと、慧音はその場に倒れ伏してしまう。緊張の糸が切れ、疲労と消耗が重なって意識を失ってしまった。もはや、彼女には立っている気力さえも残されていないようだ。

 

「お、おい。大丈夫か?」

 

 魔理沙が心配して駆け寄るが、返事はない。五代も一瞬慌てるが、同時に気づいた周囲の変化に気を取られる。慧音が意識を失ったことで、里にかけられていた『歴史喰い』の能力の効果が切れたのだ。

 先ほどまで何もなかった荒野にはじわじわと色が現れ、地形が徐々に変わっていく。その変化に戸惑っていると、やがてまったく別の光景が視界に満たされた。

 並び立つ木造の家屋、歩き(なら)された土の道、さらに、行き交う人々は和装に身を包んでいる。そこに現れたのは、まるで明治時代の日本の街並みそのもの。過去の時代へタイムスリップでもしてしまったかのような状況に、今はクウガの姿となっている五代雄介は目が回りそうになる。

 

「魔理沙、あんたは慧音を送ってあげて。私はちょっと、こいつと話があるから」

 

 霊夢はそれだけ言うと、様々な感情が込められた視線で戦士を睨んだ。

 慧音の能力が切れ、人間の里本来の姿が現れる。当然、その能力で隠されていた里の人間たちも正史の世界に戻ってくる。彼らからしてみれば、急に現れたのはむしろ霊夢たちの方であっただろう。里の人間もそれ自体には慣れていたため霊夢たちが驚かれることこそなかったが、今は状況が悪かった。

 人間の里は妖怪の侵攻が禁じられている場所。本気の戦闘はおろか、人間同士の弾幕ごっこすら滅多に行われない。弾幕ごっこに慣れている少女たちならまだしも、里の人間は何の能力も持たない者が多いため、僅かな流れ弾で怪我を負い、命を落とす危険もあるからである。

 

 そんな安全なはずの場所に、今は白い鎧の異形が堂々と立っているのだ。それを見た里の人々は驚き、恐れ、ある者は逃げ出し、ある者は泣き出し、ある者は目を逸らしてそそくさと通り過ぎる。里を包む人々の喧騒は、瞬く間にその異形に対するものに変わっていた。

 里に足を踏み入れる妖怪は少なくない。妖怪でありながら人間の里に住まう者も存在する。半人半獣、ワーハクタクである慧音もその一人だ。

 しかし、それは変装や妖術による変化を駆使して人間に扮したり、妖怪としての正体を隠しているから許されているだけに過ぎない。妖怪として里に踏み入り、人間を襲えば如何なる者も処罰される。

 今の五代、戦士クウガは外見からして人間ではなく、あまりにも目立ちすぎていた。

 

「ああ。お前も気をつけろ。またあの変なオーロラが出てくるかもしれないからな……」

 

 魔理沙も同じく、クウガに追及したいことは沢山あるが、今は状況を(かんが)み、霊夢の言う通り慧音を家まで送ってやることにした。

 気を失った慧音の肩を担ぎ、歩いて目的の場所を目指す。箒に乗って飛んだほうが速いのだが、里で速度を出せば人にぶつかる危険性も高いし、何より意識のない者を乗せていては飛行のバランスが取れない。

 幸い、慧音の自宅はここからそれほど遠くない。慧音を担いだままでも、遅くなりすぎないうちには辿り着けるだろう。

 人間の里にさえいれば、日が暮れても堂々と人を襲うような妖怪は出ないはずだ。先ほどのような正体不明の怪物がまた現れたら厄介だが、どちらにしても今の状況ではまともな応戦はできそうにない。今はただ、オーロラや怪物が再び現れないことを祈るしかなかった。

 

「あんた、いつまでその姿でいるつもり? 目立つからさっさと人に戻りなさい」

 

 突如現れた人里に驚いているクウガに、霊夢がぴしゃりと大幣を叩きつける。混乱していた五代ははっと気がつき、慌てて姿を歪め変身を解いた。

 しかし、すでにクウガの姿は里の人間に見られてしまっている。人々は異形の怪物が人間の姿に化けたことに驚き、里を包む喧騒はさらなる波紋となって広がっていった。

 

 妖怪の存在は珍しくないが、それでも人間は妖怪を恐れるものだ。そうでなくては幻想郷のルールが成り立たない。里に人間からかけ離れた存在がいてはどうしようもなく目立ってしまうのが常識である。

 人間とは似つかない異形の妖怪が里で生きていくことは難しく、大抵は幻想郷のどこかで野良妖怪として生きることになるか、運良くどこかの勢力が受け入れてくれるのを待つしかない。

 

「……ここじゃまずいわね。ついて来なさい」

 

 できれば慧音の能力が効いているうちに話をつけたかったが、これ以上、彼女に負担をかけさせるわけにはいかない。騒ぎが大きくなりすぎる前に、この青年を別の場所に移動させたほうがよさそうだ。

 と言っても、人間の里よりも安全な場所など一つしか思いつかない。霊夢の管理下に置かれた彼女の自宅兼職場、博麗神社である。

 博麗神社は妖怪が集まりやすい場所ではあるが、それは人間を襲う類のものではない。霊夢の人柄に魅せられて集まってきた古参の妖怪たちばかりだ。幻想郷のルールを理解しないような下級の妖怪は、そもそも博麗の巫女を恐れて神社に近づこうなどとは考えないだろう。

 

 霊夢は周りの人間たちの疑念を愛想笑いで誤魔化すと、里の大地を蹴ってふわりと宙に舞い上がる。道案内のために多少高度を落として、空を飛べない者でも目で追える程度の高さをゆっくりと飛翔したつもりだ。

 彼女の持つ『主に空を飛ぶ程度の能力』は、文字通り空を飛べる能力だが、その本質はあらゆる法則から『宙に浮く』ことである。地球の重力でさえも、霊夢を縛りつけることはできない。

 

「あ、うん。……おおっ」

 

 五代はまたしても驚いた。人間が当たり前のように浮遊し、重力に逆らって空を飛んでいることに対してだ。

 少女たちが弾幕を散らしたり、いきなり里が現れたことにも驚いたが、またしても素直に驚くことになるとは。ここへ来てから驚くことばかり続いている。

 常識がついていかず、理解が及ばない。だが、なぜか自然とそれを受け入れてしまっていることに、不思議と違和感はなかった。

 少女が空を飛んでいる。五代はその光景をしばらく眺めていた。周りの人間たちはそれに見向きもせず、五代のほうにばかり注目している。彼らにとっては空を飛ぶ人間より自分のほうが珍しいのだろうか。

 じろじろと見られていることにむず痒さを感じながら、五代は軽く会釈をする。笑顔でいれば警戒はされまい、と思ったが、人々は困惑したような表情で互いの顔を見合わせていた。

 

「何してんの! 早く来なさい!」

 

 なかなかついてこない五代に対し、霊夢が遠くから呼びつける。

 五代はごめんごめんと謝りながら一度霊夢から離れ、停めておいたビートチェイサー2000の調子を確かめた。

 シートに跨り、スタンドを上げる。ハンドルグリップに掛けておいた黒いヘルメットを被ると、左足でギアを入れ直し、あまり速度を出しすぎないように霊夢の姿を追った。

 

 空を飛ぶ霊夢を避け、人々は道を開ける。バイクが珍しいのか、あるいは五代自身が珍しいのか。すれ違う度に感じる視線は、様々な感情を帯びているような気がした。

 やがて走行を続けていると、霊夢は門を潜って人里の外に出る。空はすっかり夕暮れが過ぎ、東の方はすでに暗くなり始めていた。夜は妖怪が活発になり、里の外ともなればいつ襲われてもおかしくはない。少し悩んだが、霊夢は夜にならないうちに急いで神社に向かうことにした。

 

「ここからは飛ばすわよ。しっかりついて来なさい」

 

 それだけ言うと、霊夢は一気に速度を上げる。人間の里を通り抜け、深い森に入ると、どんどん視界が悪くなっていく。

 五代は霊夢を見失わないように、ビートチェイサーのヘッドライトを点けて林道を照らす。ガサガサと木々を掻き分け、二人は鬱蒼とした獣道を抜けていった。

 

 博麗神社境内を覆う鎮守の森。青々とした木々は森を進むにつれて桜の芽吹きが増えてきており、春の季節を感じさせる。

 たまにすれ違う不気味な気配は気のせいではない。博麗の巫女である霊夢の存在と、見慣れぬ機械のライトを警戒してか二人の前には現れないが、様々な『何か』がこちらを見ている。霊夢とはぐれれば、知性のない妖怪などすぐに五代に喰らいつくだろう。妖怪の賢者が敷いた幻想郷のルールによってある程度は秩序をもたらされているが、妖怪の本能は常に人間を求めているのだ。

 

◆     ◆     ◆

 

博麗神社

06:42 p.m.

 

「――着いたわ」

 

 獣道を抜け、博麗神社に戻ってくる頃には茜空の大半が濃紺に染んでいた。

 ビートチェイサーのライトとエンジン音が妖怪を遠ざけていたのか、あるいは逆に彼らを刺激していたのか。どちらともつかないが、霊夢はひとまず、無事に青年を神社まで連れてくることができて安堵する。

 すでにヘルメットを外していた五代はビートチェイサーを手で押し、境内を覆う木々の隙間から顔を出す。木々を抜ける度にはらはらと散り、頭に乗っていたいくつかの桜の花びらを払うと、博麗神社拝殿の傍、参拝の邪魔にならない程度の側面の位置にビートチェイサーを停めた。

 

「いい神社だね。なんか、すごく落ち着くって感じ」

 

 裏庭の森から抜けてくる形で博麗神社の正面に回る。明らかに参道を無視しているが、霊夢曰くこちらのほうが近道らしい。

 五代雄介は冒険家だ。これまでも数多くの山々を登り、道なき未知を求めてきた。建造物でさえ、屋根や窓の縁などの足場を駆使して登りたくなるくらいだ。正面から真っ直ぐ入るより、こうして不安定な抜け道を通る方がワクワクする。冒険家の性として、ある程度の危険(リスク)を求めてしまうのは仕方がない。

 鳥居を潜ることなく神社の境内に踏み入り、石畳を歩いて拝殿の前まで来る。少し寂れているが丁寧な手入れが行き届いており、この神社が愛されていると伝わってきた。境内を見回しても他に人の姿は見当たらない。年季を感じさせる建物だが、あまり知名度のない神社なのだろうか。

 

「単刀直入に訊くわ。あんた、いったい何者なの?」

 

 五代に向き直り、霊夢は真剣な口調で問う。並みの妖怪ならその重圧を感じただけで逃げ出していてもおかしくはない。この場でこの男を『退治』してしまうこともできるが、霊夢の直感は彼を人間だとしか思えなかった。人間であるのならそれを守り通すのが霊夢の信条だが、彼はただの人間と呼ぶには(いささ)か以上に異質すぎる。

 服装や幻想郷の常識に疎い様子から察するに、おそらくは結界を超えて幻想郷の外から来た人物、すなわち外の世界から漂流した『外来人』なのだろう。

 幻想郷には、稀に何らかの原因で博麗大結界を超えてしまい、本来あるべきではない不正な手順で『幻想入り』を果たしてしまう者が現れることがある。そういった場合、妖怪の賢者や結界を管理する博麗の巫女の手によって、無事に外へと帰してもらうまで幻想郷で過ごすのが通例だ。

 

 見た目はまさに一般的な外来人としか言いようがない、ごく普通の青年。だが、忘れてはならない。この男は、霊夢の目の前で鎧の異形に『変身』してみせている。

 外の世界にも多少なりとも幻想的な能力を持つ者もいるかもしれないが、ここまで露骨に人ならざる姿へと至る人間など、霊夢は聞いたことがなかった。

 もしやこの男も、例の『灰色のオーロラ』から現れた存在なのではないか。我々を欺き、怪物と共に幻想郷を踏み荒らすつもりなのではないか。その意図がないにしても、本人が自覚していないだけで、あの怪物と――人里を襲った蜘蛛の怪物(ズ・グムン・バ)と同類という可能性も捨て切れない。

 

「あっ、ごめんね! 自己紹介してなかったっけ。えーっと……はい、これ!」

 

 張り詰めた空気を容赦なく打ち砕く、気が抜けるほど朗らかな声。五代はあっけらかんと答えると、浮かべた笑顔を崩さず自らの懐を探る。取り出した革の財布から一枚の紙を抜き取り、変わらぬ笑顔でそれを差し出した。

 霊夢はそれを受け取り、怪訝な表情でその紙を見る。書かれた内容は自身の名前を記した名刺のようだったが、そのデザインは奇抜なものだ。

 左右に横書きで並べられた『夢を追う男』『2000!の技を持つ男』の文字。それが何を意味しているのかはさっぱり分からない。その文字を押しのけるように、真ん中には一際大きく、縦に書かれた『五代雄介』の文字が記されている。左右の妙な肩書きと名前の他には、左端に描かれた顔のような絵。顎のほくろと掲げる親指は、この名刺を差し出した青年の特徴をよく捉えている。

 

「……なにこれ」

 

 顔を上げ、再び青年に問う。青年、五代雄介は名刺に描かれた絵と同じく、笑顔で親指を掲げた。あまりにのんきなその顔を見ていると、霊夢は自分の考えがバカらしくなってくる。真剣に考えていたはずなのに、気づけば霊夢は小さな笑顔を見せていた。

 あれこれ深く考えるのは自分らしくない。霊夢は当初の直感に従い、五代を人間であると決めつける。そのほうが楽だし、何より人間にしか見えない外来人を退治するなんて後味の悪い真似はしたくなかった。

 もし本当に人間を襲うような怪物だったとしたら、そのときはそのときで考えればいいだけだ。霊夢には、たとえもとは人間であっても、『人間だったもの』を葬る覚悟がある。

 

「今日はもう遅いし、あんたの処遇は明日考えることにするわ。しばらくはここに泊まっていってくれる? 一応、客間くらいならあるから」

 

 霊夢は名刺を懐にしまい、親指を背後に向けて博麗神社の拝殿を指す。

 神社といっても、ある程度の住居は設けられているし、霊夢は普段ここに住んでいる。人一人を泊めるくらいは問題ない。多少抵抗はあるが、その辺で野宿させて妖怪のエサになられるよりかはマシだ。

 人間の里では人目につくし、顔も知られているだろう。あまり騒ぎになられては困る。今は結界が安定しておらず、外の世界に帰すことは難しいかもしれないが、いずれこの異変も終わるはずだ。それまでには無事に帰せると信じて、監視も兼ねてこの男を家に泊めてやることにした。

 

「えっ? でも、迷惑じゃない? 神主さんとかは?」

 

「あー、いないのよ。そういうの。私一人でやってる神社だから」

 

 五代の疑問はもっともだ。だが、この博麗神社に神主はいない。霊夢はここに一人で暮らしており、巫女としての仕事も彼女一人で担っている。

 妖怪退治などの報酬があるおかげで生活に苦しむことはないし、霊夢が望もうが望むまいが、ここには魔理沙を初めとした沢山の来客が来るため、寂しさを感じることもない。これでここに来るのが普通の人間で、普通の参拝客だったら言うことなしなのだが。

 強い人間、特に霊夢のような人物は妖怪に好かれやすい。気がつけば、宴会を開いても、商売のためにイベントを初めても。ここに集まるのはやはり人ならざる『妖怪』ばかりだった。

 

「どうせ行くところもないでしょ? ここは素直に従っときなさい」

 

「……そっか。そう、だよね。うん、じゃあ、そうさせてもらおうかな」

 

 何やら悩んでいるようだったが、五代はここに泊まることを決めたようだ。

 霊夢としても里に置いておくわけにはいかないし、里以外の他の場所も安全が保障できないため、嫌だと言われようが無理矢理ここに泊めるつもりだった。本人が納得してくれるなら面倒がなくて助かる。

 あとは、巫女として異変の解決を果たすだけ。神出鬼没の怪物は常に結界めいた灰色のオーロラから姿を現していた。となれば、やはりそのオーロラのあるところにこそ自分が赴き、怪物を退治するべきだろう。

 幻想郷全体が広く見渡せる博麗神社から一通りの場所を確認してみたが、あの灰色のオーロラは今はどこにも現れていない。ひとまず安心すると、霊夢は振り返りながら口を開く。

 

「ちなみに、素敵なお賽銭箱はそこ――」

 

 言い切る前に。カラン、と。聞き慣れない音を聞く。軽い金属が硬いものを打ちつける音。その音から連想される事実に思い至るのに、霊夢は数秒の時を要した。

 

「――よ?」

 

 思えば、そんな音はしばらく聞いていなかった気がする。すぐ目の前に、いつでもそこに。変わらず傍にあったはずなのに。なぜか、それが当たり前だと思い込んでいた。

 咄嗟に拝殿の方を見る。賽銭箱の前に立つ人間は、まさしく先ほどまで会話していた五代雄介本人だ。二拝二拍一拝。瞳を閉じて祈りを込める。その様は疑いようもなく、この神社にお参りをする参拝客に他ならない。

 博麗神社は参拝客が少ない。その理由は、霊夢の性格が強い妖怪を惹きつけてしまうからだ。妖怪神社とも呼ばれるほど妖怪に好まれやすい神社に、まして周辺を森で囲われ、人里から歩いて来ることすら難しいこの場所に、わざわざ参拝に来ようなどという物好きはほとんどいない。

 

「…………よし、と」

 

 五代雄介は静かに祈る。もう二度と、あんな怪物――未確認生命体に。グロンギと呼ばれる化け物に、誰の涙も流させないため。みんなに笑顔でいてほしい、その小さな願いが、奉る神様に届くのならば。

 どうか、もう二度とあんな悲劇を起こさせないでほしい。戦う必要のない世界。自分がただの冒険野郎でいられる日常。ただ、五代の望みはそれだけだ。

 あとは少し、お世話になったとある店が潰れず繁盛してくれれば。おやっさんたち、元気にやってるかな、と。五代は雑念を抱きながら、名も知らぬ祭神に祈りを捧げる。最後にもう一度、強く両手を打ち鳴らし、祈りを終えると、どんな神様がいるかも知らない小さな神棚を見上げた。

 

「あ、あら。お賽銭、入れてくれたの? ええっと……ありがとう?」

 

 霊夢は困惑していた。参拝客は少ないなりに、来ないことはない。だが、お賽銭を入れてくれる者など皆無に等しかった。賽銭箱など、もはやただの置き物と思われているのではないか、と思うくらいに。

 金額は重要ではない。まともな参拝客として、祈りを込めてくれたことが嬉しかった。霊夢はどう反応すればいいか分からなかったため、自分でもよく分からず五代に礼を言う。もちろん彼は普通にお参りをしただけなのだが、霊夢はその意味が分からず頭に疑問符を浮かべていた。

 

「短い間だけど、ここでお世話になるんだし。神様にも挨拶しとかないとね」

 

「そ、そう? なかなか殊勝(しゅしょう)な心掛けね」

 

 屈託のない笑顔で答える五代を見て、霊夢は動揺が隠せなかった。ここまで素直で裏表のない人物は幻想郷では珍しい。

 何の皮肉も込められていない、ただ純粋な笑顔。今までひねくれた妖怪ばかり相手にしてきた霊夢は、その素直さに逆にやりづらさを覚えた。

 

「あれ? なんだろ、これ」

 

 参拝を終えた五代が、ふと賽銭箱の隙間に何かが挟まっていることに気づく。名刺ほどの大きさを持つ小さな紙片、というより、一枚の『カード』らしき何か。賽銭箱の奥まで落ちてしまわないようにそっと引き抜くと、五代はその絵柄を確認した。

 深い桃色に彩られたカードの(ふち)、その上部にはバーコードめいた黒い線が刻まれている。中心の絵柄には仮面らしきものが描かれているが、ぼんやりとした灰色の輪郭(りんかく)からはその全容が判別できない。目をこらせばバーコードらしき板状の意匠が組み込まれているようにも見えるものの、やはり抽象的な推測の域を出なかった。

 薄く見える一対の複眼、額に組み込まれた小さな結晶。見た目のデザインこそ大きく異なっているが、基本的な造形は五代が変身した姿にも共通するものが感じられる。

 

「……カード? スペルカードじゃないみたいだけど……」

 

 霊夢たちが弾幕勝負において用いるスペルカードとは似ても似つかない。そもそも、彼女らの持つスペルカードとは弾幕の発動を宣言するためのただの紙だ。それそのものには何の力も込められていない。

 だが、このカードは違う。五代は触れているだけで、霊夢は見ているだけで、説明のつかない何かが。怪しげな力が、カードの絵柄を通じて伝わってくるような気すらした。

 

 気のせい、なのだろうか。一瞬だけ感じたその不気味な感覚はすぐに消え、カードはただの紙片として霊夢の目に映っている。

 一見、ただ謎の仮面が描かれただけのカード。誰が何の意図でこの賽銭箱に入れたのか。いったいこのカードは何を意味しているのか。裏庭の森に住まう妖精が悪戯で入れたもの、と思ってしまえばそれまでだが、霊夢の勘は、どこか漠然とその可能性を否定しているようだった。

 

「ここのお供え物みたいだし、巫女さんが預かっておいたほうがいいんじゃない?」

 

 五代が霊夢にカードを手渡す。先ほど感じられた不気味な感覚はもはやそこにはない。やはり気のせいだったのだと納得して、霊夢はそれを受け取った。

 博麗神社に置いておいてもいいが、このカードは何か気になる。材質といい絵柄といい、幻想郷らしくないものが多すぎる。幻想郷を管理する妖怪の賢者、八雲紫ならこのカードについて何か知っているかもしれない。

 霊夢はこれを紫に見せる機会を待つため、そのままその謎のカードを懐にしまった。

 

「ああ。そういえば、まだ名乗ってなかったわね」

 

 五代が自分のことを一度も名前で呼んでいないことに気づき、霊夢はようやく思い出した。疲れの溜まった身体を伸ばし、一度深く息を吐く。

 思えば、魔理沙との弾幕ごっこに続いて、神社に現れた怪物から人里に現れた怪物と、今日は一日中戦いっぱなしだ。異変時におけるスペルカード戦ならこれくらいの連戦は珍しくないが、今回は未知の敵と本気の戦闘を続けていたのだ。いつも以上の疲れを感じるのは必然である。

 

 里に現れた未知の怪物は退けることができたものの、トドメを刺すことはできなかった。それだけではなく、オーロラが現れる原因も掴めていない。数体の怪物を倒せても、異変は何一つ解決していないのだ。

 これからもあれだけの怪物が次々に現れるのだと考えると、この程度で疲れてはいられない。気を引き締め直すと、霊夢は五代に背を向けて右手の親指を立てるポーズを見せた。

 

「――博麗霊夢よ。五代さん」

 

◆     ◆     ◆

 

「ほら、上がって」

 

 霊夢に言われるがまま、五代は博麗神社の玄関まで足を運ぶ。台所が備えつけられた土間を抜け、廊下を進んで来客用の座敷まで案内された。どうやら、外から見えた拝殿の大半は霊夢と名乗った少女の自宅らしい。

 拝殿の中に住居があるという構造自体はかなり特殊だが、内装はやはり神社らしく、外観と変わらぬ木製の壁。畳と障子の匂いに彩られた、古き良き日本の和風建築そのものだ。

 

「中は結構広いんだね。いや、外から見たときも広かったけど」

 

 この神社に来る前に見た場所の街並みもそうだったが、その内装はどこか前時代な古臭さを感じさせる。神社としては当然かもしれないが、これだけの設備がありながらどれも電気の使われていないものばかり。今の時代において、年端もいかぬ少女が一人暮らしをするに電化製品などを一切使わず生活する苦労はかなりのものがあるはずだ。

 相当な田舎に来てしまったのか、あるいは本当に過去へタイムスリップしてしまったのか。考えても何も分かるまい。今はただ、この未知の郷に、冒険家としての好奇心を満たす以外の答えは出せそうになかった。

 だが、あまり浮かれてもいられない。ここには自分以外にも、倒したはずの未確認生命体が迷い込んでいる。理由は分からないが、一度は奴らを葬った身として、五代は責任を感じていた。

 

「あんたの部屋はこっち。何かあったら、私はあっちにいるから」

 

 無意識に拳を握りしめていた五代は、霊夢の声を聞いてはっと気がついた。軽く返事をすると、霊夢は不思議そうな様子で五代の表情を見つめる。

 さっきまで見せていた心からの笑顔とは違う、無理して形作った悲しい仮面の笑顔。もしかしたらバレていたかもしれない。

 知り合ったばかりの少女を相手にしても、五代は心の涙を見せたくはなかった。

 

「それじゃ、私は夕食の支度をしてくるわ。あんたはそこで待ってなさい」

 

「あっ、だったら俺も手伝うよ」

 

 部屋の(ふすま)を閉めようとする霊夢を見て、五代が土間まで戻ってくる。本人に苦しんでいる様子がないため、詳しい怪我の状態までは分からないが、先ほどの戦いぶりを見る限りでは全身に相当なダメージを負っているはずだ。

 さすがに見過ごせず、振り返って五代を引き止める。じっと五代の顔を睨むが、とぼけた様子のその顔はなぜ止められたか理解できていないらしい。霊夢は呆れた顔で溜息をつき、座敷に用意した来客用の座布団を指さす。正確には、しまうのが億劫(おっくう)で出しっぱなしだっただけなのだが。

 

「あんた、さっき怪物にボコボコにされてたでしょ? おとなしく待ってなさいっての!」

 

「もう全然大丈夫だって! ほら!」

 

 朗らかな笑顔で服をまくり、身体を翻らせてみせる五代。いくら異形の姿に変身して戦っていたとはいえ、あれだけの暴力に(さら)されて平気でいられるはずがない。

 が、見たところ本当に大した怪我は負っていないようだ。ただ痩せ我慢をしているだけなのか、それともやはりあの怪物と同じように並外れた回復力を持っているのか。霊夢は驚きながらも、五代の様子を見て安堵する。

 五代は気づいた。この子には、人の痛みを思いやれる優しさがあるのだと。なればこそ、なおさら。この少女を、ここに住まう人々を。未確認生命体との戦いに巻き込むわけにはいかない。また再び、かつてと同じように自分が未確認を倒していけばいいだけだ。

 辛く苦しい戦いだが、未確認によって流されるはずだった血と涙を、元の笑顔に変えられるのなら。何度でも立ち上がることができる。もう一度、奴らに立ち向かうことができる。

 

「それに、霊夢ちゃんだってあいつらと戦ってたのは同じだし、俺もここに泊めてもらうんだから、手伝いくらいはしないとじゃない?」

 

 言いながら、五代は当たり前のように流し台で手を洗っている。とぼけた顔をしておいて、意外と食えない男だなと霊夢は思った。

 もはや何も言うまい。霊夢は反論できず、そのまま五代に手伝わせることにした。本人がやりたいと言っているのだから、わざわざ無下にすることもない。

 手元に食材を取り出し、霊夢は器用な手つきで調理を進めていく。やはり一人で暮らしている以上、自炊には慣れているのだろう。特に危なげもなく、一通りのことをこなせていた。

 

 一人暮らしならこのくらいは普通かもしれない。だが、それ以上に気になったのはやはりその環境だ。電化製品がないだけならまだしも、一般的な住宅におけるライフライン、すなわち生活に必要なインフラ設備がほとんど整っていないように見える。

 かまどや手押しポンプなどが置かれた台所は、現代の生活様式からは遠く掛け離れた光景だ。

 

「なんか、すごいね。まだ若いのにこんなに苦労してるなんて」

 

「見た目ほど不便じゃないけどね。一応、これでも妖怪の恩恵を受けてるし」

 

 霊夢は苦労する様子もなく当たり前とばかりにそれを行っている。五代はそれを不思議に思い、思わず声に出していた。慣れた手つきで調理を続ける霊夢は、何気ない口調でそう答える。

 

「妖怪?」

 

 つい聞き流しそうになったが、違和感を覚えた五代は気になった単語を霊夢に訊き返した。すでに粗方の作業は終わっており、五代は霊夢に言われた通り二人分の食事を座敷に置いたちゃぶ台まで持ってくる。

 質素だが、バランスの整った食事。この神社の景観に相応しい完全な和食である。白米と焼き魚、漬物と味噌汁。急須から注いだ湯呑みの中は美しく透き通ったお茶が満たされていた。

 

「人間の里なら食材くらいは揃ってるし、必要な道具は河童の技術でなんとかなるし。幻想郷って、外から来た人間が思うほど遅れてないのよ」

 

 座布団に腰を下ろし、それだけ言うと、霊夢は両手を合わせて「いただきます」と呟く。左手に箸を持ち、丁寧に魚の身を解す霊夢を見て、向かう五代も同じく繰り返した。

 

 幻想郷は人間と妖怪が共に暮らしている場所だが、その割合は妖怪の方が遥かに多い。人間の数が減りすぎると妖怪が人間を襲えなくなり、それを糧とする妖怪も減少の一途を辿ってしまうため、人間の里は妖怪たちによって保護されている。

 つまり人間は妖怪の脅威に怯えて暮らす身でありながら、妖怪の庇護(ひご)を受けて生きているということだ。

 例外的に人里を離れて暮らす人間もいる。霊夢のような妖怪退治を生業とする者だ。妖怪を退治するという名目上、妖怪に怯えることも妖怪に保護されることもないが、実際は妖怪と協力して幻想郷を維持するため、形式上の模擬戦闘(スペルカードルール)で決着をつけている。

 だが、もしもそのルールを守らず無秩序に人間を襲うような妖怪が現れた場合、幻想郷を守るために本気でそれを討つことも辞さない。それもまた、博麗の巫女の仕事の一つである。

 

「ごめん、幻想郷? 外から来たって……?」

 

「あれ? 言ってなかったっけ?」

 

 里に現れた怪物の対応や白い戦士の正体についてなど、異変のことでいっぱいいっぱいだったため、外来人である五代に幻想郷のことを教えるのを失念していたらしい。

 どう説明したものか、と霊夢は眉間を押さえる。一言二言で説明できるほど単純なものではないが、霊夢には一からそれを教えている精神的な余裕がなかった。

 妖怪、幻想、結界……どれを取っても分かりやすい言葉が見つからない。感覚的に物事を判断する天才肌の霊夢は、何かを人に分かりやすく教えるのは苦手なのだ。理解する側ならあっという間に分かってしまうのに、理解させる側になると途端に言葉が詰まってしまうタイプである。

 

「まぁ、厳密には違うんだけど、ここは五代さんがいた世界とは違うってことね。妖怪とか、妖精とか。そういうのがうじゃうじゃいるのよ。この幻想郷には」

 

「……妖怪……か……」

 

 霊夢の簡潔な説明を聞いて、五代は理解こそできずも納得しているようだった。荒唐無稽な話だが、今しがた弾幕の光や空を飛ぶ少女を見たばかり。ここへ来て未知の事象に度々見舞われた彼は自然とそれを受け入れていた。

 しかし妖怪とは。やはり人に害を成すのだろうか。未確認生命体の脅威に加えて、未知の怪異とも相対することになるかもしれない。未確認ならば五代もよく知っているため柔軟に対応できる自信はあるが、さすがに妖怪には出会ったことがなかった。

 五代は頭の中にぼんやりと、デフォルメされた妖怪、どこかキャラクターじみた姿を持つ天狗や河童のイメージを思い浮かべる。それくらい可愛いやつだったらいいんだけどな、と。

 

「まぁ、運が良かったわね。里に来てなければ、今頃その辺の妖怪に襲われてたかもしれないわよ。ただでさえ、今は異変に乗じて人を襲おうとする妖怪が増えかねないってのに」

 

 里の人間は妖怪に守られている。だが、里の外にいる人間はその限りではない。特に外から来た人間、外来人は幻想郷の均衡に含まれていないため、妖怪の保護を受けられずにそのまま帰らぬ人となってしまうことが多いのだ。

 霊夢の仕事は妖怪から人間を守ることではない。人間を襲った妖怪を退治し、人間の一定数を維持すること。それが幻想郷のシステムとしての博麗の巫女の役割だ。

 だが、霊夢は法則外にいる外来人といえど無視することはできない。たとえ幻想郷に何の影響ももたらさない外の世界の人間だとしても、たとえそれが幻想郷の脅威になりかねない存在だったとしても。妖怪や怪物に襲われる可能性があるのなら、放っておくことができない性格だ。

 

「異変って?」

 

 五代はすでに食事を終えている。茶碗に箸を置き、座布団の上に正座する自身の膝に手を乗せ、真剣に霊夢の話を聞いていた。

 彼の疑問に答えるべく、霊夢も一度箸を置く。霊夢の頭の中に浮かぶのは、博麗神社や人間の里に現れた謎のオーロラ。おそらくは結界に似た役割をするもの。

 見た目だけで言えば灰色のオーロラと形容できるが、実際は光の屈折などによって空間と空間の境界らしきものが可視化され、揺らめく光の幕のように見えているだけにも感じられた。

 

「五代さんも見たでしょ? あの変なオーロラに、そこから現れた怪物。見たところ、あれは妖怪に類するものじゃなかった。……あんた、あれについて何か知ってるんじゃない?」

 

 直感と推測による判断。目の前にいる男は、あの怪物を知っている。もしそうでないにしても、あの怪物と何らかの関係があるはずだ。

 そう考えた理由は五代が変身したあの姿。一見するとあの怪物とはまったく異なる姿だが、本質的にはどこか同じように思えた。調べてみないことには断定はできないが、霊夢はあの戦士と怪物を同じものだと考えていた。

 ただ静かに答えを待つ。五代は答えに迷っているのか、握りしめた湯呑みの水面に視線を落とした。微かに震えるお茶の表面は、揺れ動く五代の心象を映し出しているかのようだ。

 

「……未確認生命体」

 

「え?」

 

 お茶を見つめたまま、五代ははっきりと答える。不意に告げられたその言葉に、霊夢は意表を突かれた。

 おもむろに顔を上げた五代はお茶を一気に飲み干し、そのまま神妙な面持ちで話を続ける。

 

「あいつら、本当の名前は『グロンギ』って言うみたいなんだけどね。もう、すっごい昔の時代から復活した怪物で、とんでもなく強い奴らで」

 

 未確認生命体。ある研究者と警視庁によってそう定義された未知の生物群。長野県中央部の山岳地帯に位置する古代遺跡、『九郎ヶ岳遺跡(くろうがたけいせき)』から復活した彼らは『グロンギ』と呼ばれる超古代の狩猟民族だった。

 彼らはもともと、同じく超古代の民族である『リント』によって封印されていた。だが、九郎ヶ岳遺跡を発掘した調査チームにより、彼らを封印したリント唯一の戦士、『クウガ』の石棺が開けられてしまったのを皮切りに、最初のグロンギ──未確認生命体第0号が復活。最初に復活を遂げた第0号の手によって、200体以上ものグロンギが現代に蘇ることとなってしまった。

 

「俺のいたところでは、あいつらは今まで何千、何万もの人の命を奪って……すごくたくさんの人が亡くなった。それでも、いろんな人たちと協力して、なんとか全滅させることができたんだ」

 

 グロンギは破壊と戦いを好み、何より殺戮を好む。古代においても、復活を果たした現代においてもそれは変わらず、彼らは一貫して大量虐殺を繰り返していた。

 それを食い止めるため、五代は九郎ヶ岳遺跡から発掘されたリントの遺品を手に取った。超古代においてリントが作り上げた、たった一人の戦士。常人を超人に変える聖なる霊石の力。ベルト状の装飾品、アークルを身に着けた。

 そして、五代は現代のクウガとなってグロンギたちに立ち向かい、ついには人々の協力もあり、グロンギの族長たる『第0号』を討ち果たし、彼らを全滅させることができたのだった。

 

「(外の世界で、そんなことが……?)」

 

 いくら幻想郷が外の世界と隔絶されているとはいえ、本質的には地続きの場所だ。本来の意味で異世界と呼べるものではなく、外の世界に支えられて存在している副次的な閉鎖空間、箱庭の結界と言い換えてもいい。

 未知の怪物、グロンギのことといい、霊夢は何か違和感を覚えた。外の世界でそれだけ大きな変化があれば幻想郷にも何らかの影響があるはずだし、紫や賢者たちを通じてそのことがこちら側に伝わってきてもおかしくないはずなのに、そういった話は一切耳にしていない。

 

 にわかには信じがたい話だが、彼が嘘を言っているようには見えない。霊夢の勘も、それを真実だと認めている。それでも霊夢は、それが『外の世界』で起きたという一点のみ、疑問が拭えないでいた。

 五代の話によると、先ほど人間の里に現れた蜘蛛の怪物も、彼によって一度は倒されているらしい。それが何らかの理由で復活し、幻想郷に姿を現したのだろう。

 だが、そんな存在が人々の記憶からそう簡単に忘れられ、正当な幻想入りを果たすだろうか。それだけの殺戮を繰り返したのなら、人々にとって忘れたくても忘れられない恐怖の記憶となるはず。となれば、やはり奴らは何らかの手段で故意に結界を越えてきたと考えるのが自然だ。

 

「すごく辛くて、すごく悲しかったけど……やっと第0号を倒して、終わったー!って、思ってたんだけどなぁ……」

 

 言いながら笑う五代は、小さく手を震わせていた。無理して笑顔を形作っていることが傍目に見ても分かる。相当な覚悟を持って、その拳を血に染めてきたのだろう。相当な苦しみを背負って、その身を戦いに投じてきたのだろう。

 グロンギについても、戦士(クウガ)についても何も知らない霊夢には、五代がどんな思いでそうしてきたかは知る由もない。それでも、胸を震わせる思いは五代の姿から伝わってきた。

 

「……そう。話してくれてありがとう。今はゆっくり休んで。後片付けは私がやっておくから」

 

 正直、まだ訊きたいことはある。だが、ひどく辛そうな顔をしている五代に対し、それ以上は何も訊く気になれなかった。

 この幻想郷において、彼に必要なのは安らかな休息だろう。今はただ、グロンギのことなど忘れて、ゆっくり身体を休めてくれればそれでいい。

 霊夢は心に決めた。もう、彼を戦わせる必要はないと。彼は彼の世界で、十分戦ったのだ。博麗の巫女として、ではない。『博麗霊夢』個人として、そう決めた。

 いくら外の世界由来の怪物であろうと、幻想郷の異変は幻想郷の住人だけで解決すべき問題。外来の人間を巻き込むわけにはいかない。結界が安定したらすぐにでも外の世界へ帰そう。それまではどうか、この博麗神社で、戦いを知らずゆっくりと過ごしてくれることを願うばかりだった。




博麗神社の構造、どうなってるか分からなすぎる。
幻想郷なら拝殿と住居が一体化しててもたぶん大丈夫です!(笑顔でサムズアップ)

次回、EPISODE 5『霊夢』

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