東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第50話 そういう表情してるでしょ?

 静けさを取り戻した人間の里に、暖かな春の香りが吹き抜ける。バットイマジンの撃破を遂げて落ち着いた穏やかさを取り戻してはいるものの、この静寂は里の本来の在り方ではない。

 やがてざわざわとした喧騒が静かな里を包み込んでいく。避難していた人間たちが顔を出し始め、里に怪物が現れたことへの恐怖と不安感は一気に里全体へと伝染していく。こころが感じ取った感情の広がりは、緩やかな春風を超えて瞬く間に拡大していった。

 

 彼らのうち何人かは青空を見上げている様子。あのとき良太郎は咄嗟にデンライナーを走らせてしまったが、あれだけ大きな車両が上空から舞い降りれば、里にいた者たちにその姿を目撃されていてもおかしくはない。

 いくら無力な砂の身体とはいえ怪物そのものたるモモタロスもだ。この姿を見られたらまた彼らを不安な気持ちにさせてしまうだろうと考え、良太郎は見下ろした上半身に告げる。

 

「モモタロス……僕の中に戻ってて」

 

「……ああ、そうしたほうがよさそうだぜ」

 

 白い砂で出来た未契約体の身を崩したかと思うと、ふわりと舞った黄色い光球、幻影じみた赤い怪物の霊体が良太郎の身体に重なった。

 その意識を表層に出すことなく、野上良太郎という特異点の精神に隠れる。人格は良太郎のままであり、モモタロスは憑依ではなく潜伏という方法で静かに良太郎の精神の中へ紛れ込んだ。

 

(ここ)じゃ話しづらいな。……ちょっとこっちに来て」

 

 こころが感じる周囲の疑惑は収まらない。怪物でなくとも、現代的な衣服に身を包んだ外来人の良太郎はやはり里では目立つ。ざわざわと広がりゆく感情をその身に受け止めてしまっている彼に対し、この場で怪物について訊くことは得策ではないと判断して声をかけた。

 良太郎の腕を掴み、人々の間を抜けて里の正門へと向かうこころ。立派な門を抜け、踏み均された道に出ると、こころは駆け足を緩めて良太郎の手を離す。

 

 里の外に出れば飢えた妖怪が彼を襲うかもしれない。されど、こころは里の外ながら人間にとって安全な場所を知っていた。

 妖怪こそ確かに存在してはいるものの、人妖を問わず分け隔てなく接する静謐なお寺。あるいは妖怪寺とも揶揄されていながら、多くの人間たちに支持されている場所。

 同じく妖怪神社と称される最東端の神社──博麗神社とは違い、こちらは妖怪がいてなお人間の来訪者も数多く存在している。その理由は、里から遠く離れている上に道中が荒れた獣道しかない神社と比べて、里に近く道筋も整えられているためか。あるいは別の理由もあるのだろう。

 

◆    ◆    ◆

 

 人間の里の外れにある立派なお寺。かつて幻想郷の空に『宝船』が確認されたとき、三人の異変解決者がそれを追って多くの妖怪たちと弾幕の光を交えた後に建立されたもの。とある魔法使いが住職を務めるこの寺の名は『命蓮寺(みょうれんじ)』という。

 こころと良太郎は(おごそ)かな雰囲気を湛えた山門の前に立ち、その威光を高く見上げた。

 

「……ここならたぶん大丈夫」

 

 額に装った女の面と共に振り返るこころ。仏教の拠り所たるこの場所は、付喪神として修行する彼女の帰る場所とも言える──良太郎にとっての『姉が待つ喫茶店』に等しい場所。

 

「お寺……? あっ、ちょ、ちょっと待って……!」

 

 良太郎がその神妙な雰囲気と静かな霊力に気圧される中、こころはただついてきてとだけ告げ、山門を超えて寺の敷地内に入っていく。慌てて良太郎も彼女の後を追い、厳格な静寂に満たされた命蓮寺の参道に踏み込んだ。

 立派な瓦の屋根、等しく並べ揃えられた石灯籠に、広く設けられた長い石作りの階段。信仰する神仏たる『毘沙門天王』の名を御旗に掲げた木造建築の寺院を前に。

 良太郎はこころと共に境内へと歩を進め、慣れない空気に辺りを見回す。古びていながら重厚なオーラを秘めた巨大な鐘楼(しょうろう)に参拝客のための手水舎(ちょうずや)、それらが寺の敷地内に確認できた。

 

「いつもは人がたくさんいるんだけど、今は異変の影響で全然いないみたい」

 

 命蓮寺の広い境内には数珠を手にした数人の修行僧たちがいる。それ以外に人の姿は見当たらず、こころの言う通り、一般の参拝客らしき者は一人も見つけることはできなかった。

 丁寧に手入れが施された境内には質素ながら趣があるが、妖怪もいるのだと思えばただ神秘的なだけではなく──どこか禍々しさも感じられるような。

 

「(おい、良太郎……)」

 

 不意に思考に走った声を聴いて、良太郎は自身の内に想いを馳せる。里の人間に見つからないよう自身の中へと隠れていてもらったモモタロスの意思。その思念を聞き届けると、良太郎は自身が装うズボンの裾からさらさらと砂が零れ落ちていることに気づいた。

 白い砂は良太郎の中から舞い散り現れ、やがて双角を掲げたイマジンの姿を象る。それはやはり、上半身と下半身が逆転したままの未契約体──先ほどまでと変わらぬモモタロスの姿。

 

「匂うぜ……イマジンの匂いだ」

 

 砂の身体を揺蕩(たゆた)わせ、モモタロスは彼方に見える命蓮寺本堂を睨む。賽銭箱と本坪鈴(ほんつぼすず)を設けた古びた建物。その周囲には千体地蔵が立ち並び、本堂の奥からは人のものか妖怪のものかも分からぬ読経の声が聞こえてくる。

 イマジンが共通して持つ独特の気配──モモタロスはそれを『匂い』と形容していた。

 

「もしかして、さっきのイマジンの契約者?」

 

 良太郎はモモタロスに合わせていた視線を命蓮寺本堂に向ける。良太郎にはイマジンの気配は分からない。イマジンとの契約の証として、その身から白い砂──記憶の粒を構成する『時の砂』を零す者がいれば、それをイマジンが憑いた者の証明として見ることはできる。

 

 イマジンとの契約。それは、繋がらないはずの別の未来、自分たちの時間に本来あるべき時間の流れを繋げ、歴史を変えて捻じ曲げるための儀式。イマジンたちは、ただ未来に生じただけの自分たちに『過去』という存在証明を求めた。

 本来の時間も──イマジンたちが存在する時間も。時の流れという不安定な道筋に生まれた別れ道。イマジンたちの介入により、本来繋がるはずだった時間さえもがその影響を受けて曖昧な未来の中に取り残されていた。

 とある一人の男は、特異点ゆえに己の時間が繋がりを失っても存在を保っていた。ただ、過去を失ったことで空虚に落ちた記憶に寂しさだけを植えつけられて。

 

 自分たちの時間を無理やりにでも成立させるべく、彼は自分たちの時間に存在していた無数の精神を引き連れて現代──時の分岐点たる西暦2007年へと降り立った。精神は現代の人間の記憶を借りてそのイメージから仮初めの肉体を作り、イマジンと呼ばれる存在となって憑いた相手に契約を持ちかける。

 契約者の望みを叶える代わりに、その記憶を辿って過去へ飛ぶこと。イマジンはその先の過去で暴れ、破壊の限りを尽くして歴史を変える。当初、良太郎たちはその『破壊』自体が歴史改変のための行為なのだと思っていたのだが──

 その破壊はあくまでカムフラージュだったのかもしれない。イマジンたちが飛んだ過去には必ず良太郎がよく知る男がいた。彼らの目的は、その男を破壊に巻き込んで殺すことだった。

 

「ああ、俺も思い出してきたぜ。あのコウモリ野郎、たしか前に倒したときは──」

 

 モモタロスも良太郎と同じくバットイマジンの既視感が気になっていた様子。先ほど倒した怪物とかつて倒した怪物の共通性を想い、モモタロスは良太郎と同じ一つの可能性を憂う。

 

「おーい。何してるの? あなたたちについて、いろいろ訊きたいんだけどー」

 

 本堂の正面まで歩みを進めたこころは良太郎へ振り返った。良太郎とモモタロスは一度その思考を収め、互いに顔を見合わせて小さく頷く。

 かつて戦ったバットイマジンの記憶。確証はないが、あれがかつてと同じ個体なら。記憶に陰る懸念を胸に抱き、二人はこころの導きに従って命蓮寺の境内を進み、本堂へ向かっていった。

 

◆     ◆     ◆

 

 静かな落ち着きに満たされた命蓮寺の本堂。立派な仏像が鎮座する厳格な領域を超え、その先の廊下に出る。

 ただの廊下を包む木製の壁──板張りの床でさえどこか神秘的。良太郎が目にしたそれは何の変哲もない木の素材のように見えるが、この寺全体が古き法力を帯びているのだ。

 

 こころの案内に従って、命蓮寺の居間へと進んでいく。丁寧に掃除された床は埃や汚れといったものはあまり確認できないが、良太郎たちにとってよく知るものがあった。

 イマジンを形作る白い砂──記憶という時間を構成する粒。こころもその砂を訝しんでいるようだが、今はそれ以上によく知る襖の向こうに知らない霊力を感じ、そちらが気になる様子。

 

「良太郎……近いぞ」

 

「……うん」

 

 命蓮寺の廊下に時の砂が落ちているということは、この場所にイマジンかその契約者が存在することの証左である。

 廊下に落ちている白い砂は居間への襖の下へ続いている。

 ──イマジンの気配を匂いという形で感じ取ることができるモモタロスもまた、その感覚を揺るぎなく確信した。間違いなくこの先の部屋に、()()ものイマジンがいる。

 良太郎とモモタロスの雰囲気を察し、白い砂と未知の霊力を訝しんでいたこころも表情こそ変わらないながら居間を警戒しつつ、いつでも霊力の薙刀を現せるようにしながら襖を開いた。

 

「…………」

 

 ゆっくりと襖を開いたこころはその隙間から見える四つの影に一瞬だけ息を飲む。だが、すぐにそれが自分のよく知る命蓮寺の住人であることに気がつくと、強く引き締めていた警戒を微かに緩めて左手をかけた居間の襖を大きく開いた。

 こころの目に映ったのは自身と同じくこの寺の世話になっている者たち。住職たる魔法使いに救われ、彼女への恩義をもって仏教の道に進んだ妖怪たちである。

 

 濃紺の頭巾を纏った水色の髪の少女は、隣に浮かぶ薄紅色の雲の妖怪と共に怪訝そうな表情で正面の将棋盤を見下ろしている。だが、対局しているのは彼女でも雲の妖怪でもない。入道使いたる雲居一輪とその相棒たる雲山は──舟幽霊と虎の妖怪の対局を観察していた。

 一輪の視界に映る二人の少女が持つ異質な霊力を彼女は知らない。舟幽霊の黒髪に宿る青いメッシュも、虎の妖怪の金髪に紛れ輝く黄色いメッシュも──

 

 湿度を帯びた水兵服を装う黒髪の少女は知的な青い瞳を将棋盤から不意に開いた襖へと向ける。舟幽霊の村紗水蜜は次の一手を迷いながら己が顎先に指を当てていたが、廊下に立つ人物に対して眼鏡の奥の目を丸くした。

 同じくその相手であった虎柄めいた金髪の女性、寅丸星も優勢の余裕を帯びた振る舞いで腕を組んでいたのだが──村紗と同様に襖の先の来訪者へとその荒々しい黄色の瞳を向けて驚く。

 

「えっ……りょ……良太郎……!?」

 

「な……嘘やろ!? ほんまに良太郎か!?」

 

 村紗は丁寧な正座を崩して手にしていた駒を無作為に置き、将棋などしている場合ではないとばかりに盤面に背を向けて立ち上がる。

 星も楽にしていた胡坐(あぐら)を解き、村紗が適当に置いた駒で逃れようのない詰みを体現してしまった将棋盤にも気づかぬまま、それをひっくり返さんほどの勢いで立ち上がった。

 

 二人は良太郎を知っている様子であるが──良太郎のほうは二人の少女に心当たりはない。

 

「どうして僕の名前を……? えっと……君たちは……?」

 

「ああ、この身体のままじゃ分からないよね。っと」

 

 良太郎の問いに対して村紗は自分の身体に視線を落としながら濡れた声色で呟く。その言葉の直後、立ち上がった二人の服から見慣れた白い砂が零れ始めた。命蓮寺の居間の畳に容赦なく注がれるそれを黒い瞳に映して、良太郎は目の前に象られた砂に表情を変える。

 

「ウラタロス、キンタロス!」

 

 村紗の身体から溢れた砂はウミガメを思わせる亀甲紋様を帯びた怪物の姿に。星の身体から流れた砂はクマと斧の意匠を思わせる毛皮を纏った怪物の姿に。

 そのどちらもやはり、上半身と下半身を逆転させた未契約体の姿。白い砂の流れるままに二体のイマジン──モモタロスと同様に良太郎の仲間として一年間の戦いを共にした者たちの形を、この命蓮寺にて現し宿す。

 

 ウミガメの姿たるは浦島太郎の記憶(イメージ)から形作られた『ウラタロス』の姿。クマの姿たるは金太郎の記憶(イメージ)から生み出された『キンタロス』の姿。良太郎は視線の低い砂の身の彼らに対し、この地で再会できたことに喜びの感情を表した。

 命蓮寺の居間へと踏み入って将棋盤の傍に揺れる砂に向き合う。彼らもモモタロスと同じく本来は良太郎と共に戦った記憶と時間が証明する過去を得て、誰かの記憶に頼らない自分自身の肉体を持っているはずなのだが──やはりどういうわけか再び実体を失ってしまっているようだ。

 

「ふぅ……やっと出てくれた……」

 

「散々な目に()いました……うっ……身体が……」

 

 イマジンが身体から出ていった二人の少女は力が抜けたようにその場に腰を落とし、将棋盤のそれぞれ向かいに敷いてある座布団に座り込む。村紗の黒髪に宿っていた青いメッシュはいつの間にか消え、その海の如く青い瞳が元の翡翠色に戻ったと同時。彼女の表情を知的に飾っていた黒縁の眼鏡も消えてなくなった。

 星の黄色い瞳も毘沙門天の代理らしく神々しい琥珀色に戻る。金髪に帯びた虎縞模様の黒髪に紛れる黄色いメッシュも消え、寅丸星の虎の妖力から熊に似た気配は完全に消失した。

 

「ええ……? いったいどうなってるの……?」

 

「よくわからないけど、貧乏神や疫病神みたいに人妖(ひと)の身体に憑依するみたい」

 

 居間の奥で困惑する一輪に対し、こころはその傍へと寄り添いながら村紗と星の様子から先ほど自分の身にも起こった出来事を想起しつつ伝え、二体の砂の怪物を見る。

 

「怨霊の類ではないみたいだけど……」

 

 村紗は一輪に振り返り、こころの言葉に付け加えながらこめかみを押さえた。この身に憑依を遂げていた者は紛れもなく霊体──精神だけの存在でありながら、自らの存在を砂の塊としても現せるらしい。

 それは幻想郷にいる幽霊や怨霊の特徴とは大きく違う。見た目から考えるに、やはり幻想郷で噂になっている未知の怪物と考えるのが自然だろう。

 

 幻想郷に定義される『怨霊』とは、現世に未練を抱いた幽霊の一種だ。その霊体は冷たい幽霊とは異なり、炎のような高熱を帯びている。

 肉体こそが資本の人間や獣と異なり神や妖怪はその精神こそが主体となっており、物理的な損傷に対しては耐性があるものの、精神への干渉に対しては弱い。特に、その身を怨霊に憑依されてしまい、精神を乗っ取られてしまえば、妖怪としては死を迎えたに等しくなる。

 この霊体──亀や熊の姿に似た砂の怪物たちには妖怪の精神を奪おうとする意志がないのだろうか。ただ、己が肉体を持たぬがゆえに仮初めの居場所を求めていただけのようにも見えた。

 

「……毘沙門天様の代理として、一生の不覚です……」

 

 村紗と共にこころたちへ振り返る星。彼女もまた精神を憑かれ、肉体を疲れさせていた様子。彼女は命蓮寺の本尊たる神仏、毘沙門天の威光を代行する身でありながら、未知の霊体に容易くこの身体を明け渡してしまった己を深く恥じ入る。

 今までの自分の行動はあまりに自分らしくなさすぎた。それは村紗も同様だが、このような失態が毘沙門天様本人に、その使者である部下に見られたらと思うと、申し訳が立たない。

 

 意図せず勝敗の決してしまった将棋盤を境として、二組の纏まりに別れる。襖とは反対の障子側には一輪と雲山、こころ。そしてイマジンの憑依からようやく解放された村紗と星が集まり、自分たちが未知の霊体に憑かれてしまっていた事実を伝えた。

 四人の少女に加えて一体の雲の巨体が将棋盤越しに眺めるは、この幻想郷の地に見慣れぬ三体もの砂の怪物。鬼か亀か熊か、日本の童話を思わせる姿を模した怪物たちの砂時計じみた奇妙な出で立ち。そして──

 床から上半身を生やし頭上に下半身を浮かべた異形に対しても何事もなく向き合い、あまつさえ喜びの感情を見せながら対話する外来人らしき青年もまた、幻想郷(ここ)に在るべきではない姿だ。

 

「お前ら、なんでこんなとこにいやがんだ? ハナタレ小僧はどうしたんだよ」

 

 変わらず砂の姿のまま、モモタロスは自身と同じ未契約体の同族──ウラタロスとキンタロスに問いかける。

 等しく良太郎の仲間である二体のイマジンはモモタロスに向き合い直し、その姿がやはり自分たちと同様に実体を失っていることに気づいた。

 さらさらと流れる白い砂は絶えず命蓮寺の畳を染めゆくが、すぐに本体へ還っていく。

 

「モモの字も一緒やったんか。そんなら話は早いな」

 

「リュウタなら今も行方知れず、だよ。センパイと一緒かと思ったんだけど……」

 

 長大な一本角を掲げた熊。眼の意匠を持たぬ無機質な顔面に口角を下げた唇の形を湛え、キンタロスは己が砂を揺蕩わせて腕を組む。同じく三本の角めいた鋭角を戴いた亀、六角形の亀甲紋様に、やはりウミガメのそれに似た口を持つウラタロスが己が肩を竦めて問いに答えた。

 

「ウラタロス、この世界……幻想郷っていうみたいなんだけど」

 

 良太郎は樹海にて出会った少女の話を思い出しながら見下ろす砂色の亀に語る。人間と妖怪と、それ以外も共に生きる秘境。良太郎にとって少し気になったのは、幻想郷に流れ着く存在が『人々から忘れ去られたもの』──という点だ。

 すべての記憶から失われ、在るべき時間から零れ落ちたものは世界に存在できない。時間から居場所を失ってしまった者は本来ならばデンライナーの乗客となり、いつか思い出してもらえるまで時の中へと旅立っていく。

 似ているのだ。幻想郷という場所は──忘れ去られた者を乗せるデンライナーの在り方と。

 

「幻想郷のことなら一応分かってるつもりだよ。問題は、この身体だよね」

 

「良太郎がいれば変身はできるやろうけど、実体がなくなってもうた原因が分からんな」

 

 ウラタロスは砂の味しかしない渇いた唇を噛みしめて己の身体を憂う。命蓮寺の住人たちに憑依していたためか、キンタロスともどもすでに幻想郷についてのことは理解しているらしい。幻想郷全体の四季が乱れ狂っている現状もその目で確認しているようだ。

 

「やっぱり、ウラタロスたちも……」

 

 良太郎と過ごした一年間の時間で得た過去と実体。それらはやはり、ウラタロスとキンタロスからも失われてしまっている。ただ、言葉通りの意味で彼らの記憶がなくなっているわけではない。その身を証明するものがなくなっているのだ。

 だからこそ原因が分からない。良太郎かイマジンか──どちらかが彼らを忘れてしまっているなら分かる。だが、互いが互いの存在を覚えており、戦い自体も覚えているのに、なぜ──

 

「おい、ゲンソウキョウ……って何の話だ? 仲間外れにすんじゃねえよ」

 

「僕から話すよ。こころちゃんたちにも、イマジンについて知っておいてほしいし」

 

 不満そうに砂を零し、モモタロスが良太郎を見上げる。優しげな表情でモモタロスに向き直り、良太郎は続けて正面を向くことで、将棋盤の向こうの障子側に視線を送った。

 濃紺の頭巾を纏った少女と薄紅色の雲の巨体。無表情に装う能面の少女に加え、湿度を帯びた水兵服の少女と、雄々しき虎を思わせる金髪を持つ長身の女性。そのいずれも、きっと良太郎の想像通り、人間ではないのだろう。

 見るからに妖怪そのものである雲の巨体について、良太郎はまず何よりも気になったが──それはおそらく未契約体のモモタロスたちを見た彼女たちも同様のはず。

 

 できる限り彼女らを警戒させないよう、良太郎も小さな恐怖を抑えて向き合うことにした。

 

◆     ◆     ◆

 

 一人の特異点と三体のイマジンは幻想郷に導かれた物語と記憶を。一人の特異点と四人の妖怪は電王の世界に刻まれた因果と時間を。それぞれ理解し、誤魔化し切れぬ混乱の中に在りながらも今起きている事象と合わせ、それが紛れもない事実であるのだと判断することができた。

 

「あなたたち、イマジン……っていうんだ」

 

「よ、妖怪……だと……? こいつらが……!?」

 

 すでに雲山の手によって将棋盤が片付けられた命蓮寺の居間、人数分の座布団は容易されているものの、未契約体のイマジンたちは下半身が頭上にある都合上それに座ることができない。仕方なく座布団の上に上半身を湛え、幻想郷の妖怪たちと向き合う。

 こころは訝しげに砂色の鬼を見つめ、モモタロスは怯えながら少女の無表情を見る。他のイマジンも妖怪たちも、彼らほど態度には表さずとも考えることは同じのようだった。

 

「未来から現れた精神……ねぇ」

 

 一輪の呟きは良太郎が語った概念を反芻する。彼女の隣に控えめに浮かぶ雲山も、同じく難解な話の理解に少し時間を要している様子の村紗と星も良太郎の話を改めて確認しているが──過去や未来といった時間の複雑さには、主観的な解釈を入れざるを得なかった。

 

 良太郎が彼女らに話したのはイマジンという存在の基本的な情報に関してだ。未来に存在する人間たちが時間の繋がりを失ったことであらゆる過去を失い、精神だけの存在と成り果ててしまった者たち。

 今の姿も良太郎という宿主のイメージから形作られた仮初めのものであるのだが、時間の断絶を経た彼らにとって未来の人間であった頃の姿など最初から無かったに等しい。今は実体こそ失っているが、この姿こそが自分自身を証明する大切な記憶である。

 

 過去の改変を目論むイマジンたちとの戦いの本筋(・・)についてはまだ話さない。一度に多くの情報を開示してもさらなる混乱を招くだけだろう。

 それでも最低限知っておいてほしい情報はまだ残っている。良太郎は少しずつ慎重に、敵対するイマジンたちと戦う電王について、そして時を超える未来の列車──デンライナーについてのことを自分自身の言葉で語った。

 今はただイマジンが過去を変える目的で動いていること、そのイマジンたちを裏切って時間を守るために戦ってくれるモモタロスたちのこと。そして彼らと共に戦う電王についてを知っておいてもらう必要がある。一度その戦いを共にした以上、特に彼女(こころ)には知る権利がある。

 当初は自分も深く理解できる話ではなかった。デンライナーや時間のことについては今でもすべてを完璧に理解しているとは言えないため、自分の言葉でどれだけ伝わるかは分からない。

 

「ハナさんもナオミちゃんもオーナーもいないけど……デンライナーが無事なだけマシかな」

 

「モモの字がパスを失くしてへんかったらの話やけどな。ちゃんと持っとるやろな?」

 

「ば、バカ野郎! 俺がそんなヘマするわけねえだろうが! ……な、良太郎?」

 

 流れる砂の身のまま、ウラタロスとキンタロスがモモタロスに向き直る。デンライナーに誰もいない事情は彼らも知っていたようで、モモタロスは動じない。ただ彼らの言葉に少し狼狽えてしまったのは、彼らの懸念に心当たりがあったから。

 デンライナーを操るために必要なライダーパスはしっかりこの場に存在する。それを証明してみせようと、モモタロスはさらりと砂の流れる時を刻みつつ、良太郎のほうへ振り返った。

 

「パスならちゃんとあるよ。……僕は落ちてたのを拾ったんだけどね」

 

 良太郎は苦笑しつつ懐からライダーパスを取り出し、ウラタロスたちに見せる。一年前、最初にこれを拾ったのは運の悪さゆえに。凄絶な戦いの運命に巻き込まれることになってしまった呪いの片道切符としてこの手に与えられたのかもしれないと思った。

 だが今では違うと断言できる。これはきっと、彼らとの出会いを導いてくれた小さな希望。どこまでも運が悪い自分のために神様が与えてくれた──『幸運の星』だったのだ。

 

 一度はこれをオーナーに返却してなお、この地で再び手に取ることができたのも良太郎に残った小さな幸運のおかげか。

 ただ運が悪いだけではない。彼らとの出会いの切っ掛けも、彼らと育んだ時間も。良太郎の弱さと運の悪さを少しだけ──ほんの少しだけ克服させてくれている。良太郎はそう信じていた。

 

「……なんや、やっぱり落としとったんやないか」

 

「本当、良太郎がいてくれてよかったよ。時間がズレてることは少し気になるけど……」

 

「うるせえ! お前らだって自分のパスはどうしたんだよ?」

 

 呆れた様子で腕を組むキンタロスに続けるように、ウラタロスが肩を竦める。彼らもモモタロスと同じ時間から来ているようで、良太郎一人だけが2008年の1月から来ていることに違和感を覚えながらも良太郎との再会を素直に喜んでいるようだ。

 良太郎ほどではないが、モモタロスもライダーパスを失くしてしまったり、デンライナーから一人振り落とされてしまったり──幾度となく不運に見舞われていることは否めない。良太郎の不運が伝染したのだろうか。

 

 実体を持たなかった彼らは良太郎に憑依し、電王に選ばれた良太郎に便宜上の所有権があったライダーパスを共有することで、モモタロスたちはデンライナーに乗車していた。だが、戦いを超えて彼らは過去を手に入れ、実体化を遂げた。

 存在を成立させた彼らは良太郎とパスを共有することができず、デンライナーへの乗車権限を失ってしまったが──オーナーの計らいで全員分のライダーパスを用意してもらえている。

 

「正規の手続きが必要とかで、オーナーが全部持ってったやろ。忘れたんか?」

 

「えっ? あれ? そうだったっけ……?」

 

「そのとき、センパイはデンライナーに残ってて、一緒にいなかったからね」

 

 不幸中の幸いと言っていいのか、彼らは再び実体を失ってしまっている。ライダーパスが一つしかない状況であっても良太郎との乗車権限共有は問題なく機能し、彼らはデンライナーに乗車することができるだろう。

 オーナーが不在の状況ではルール自体が機能していないとも言えるため、その抜け道にも大した意味はないのかもしれないが、少なくとも不正な手段での乗車には該当しないはずだ。

 

 モモタロスが持っていたライダーパスはかつて良太郎が電王への変身に使っていたものと同じ。デンライナーの制御を司る本来(メイン)のそれを便宜的に預かり、モモタロスの乗車権限として与えられていたため、モモタロスが持っていたものだけは手続きが必要なかったのだ。

 そちらは今は良太郎の手に戻り、それとは別にあったモモタロス用のライダーパスは手続きのために別の場所で管理されている状態にある。

 オーナーが改めて用意してくれたモモタロスたちの分のライダーパスを『ターミナル』と呼ばれる時間の分岐点を観測する巨大な駅舎にて登録するため、オーナーは彼らから再びライダーパスを回収し、ウラタロスたちは一時的に列車から降りた。

 無期限の乗車チケットを有するもう一体のイマジンはライダーパス自体が必要なく、別の場所で時間を潰していたのだろうが、モモタロスが彼らの帰りを待っていたときだった。

 

 デンライナーにいたはずの自分は、客観的に見てそこから消えたのだろう。チャリンと落とした知恵の輪だけをそこに残し、モモタロスは──否、ウラタロスもキンタロスも別の場所にいたイマジンも。ターミナルにいたすべてのイマジンたちでさえもが例外なく。

 砂の一粒も零さずに一瞬にしてそこから消失してしまった。モモタロスが知るのは、気がついたら夢を見ているような曖昧な空間の中に漂う自分自身。彼はその場から見えた幻想的な景色に迷い込み、霊体化した状態で未知の空を飛び回り。時代錯誤な街並みにて人々を襲うコウモリを見て、咄嗟にそこへ飛び込んだのだ。

 そこから先は良太郎が知る通り。デンライナーを操って現れた良太郎の姿。モモタロスは良太郎に憑依して電王となり、そのコウモリ──バットイマジンを撃破することができたのだった。

 

「まだ分からないことも多いけど……良太郎さんだっけ? これからどうするの?」

 

「……それは……これから考えようかな……」

 

 外来人の青年に対し、一輪は憂うように問いかける。良太郎はウラタロスから聞いた奇妙な話に底知れぬ不安を感じていたようで、少し遅れて一輪に力なく笑いかけた。

 

「よかったら、命蓮寺(ここ)を使っていいわ。よく人間を泊めるし、部屋もたくさん余ってるから」

 

「えっ……でも……」

 

 こころが相変わらずの無表情で呟いた申し出に対して、良太郎は遠慮がちにイマジンたちを見下ろす。こころもこの命蓮寺の世話になり、寝床を与えられている身。半ば家族同様の存在として命蓮寺に受け入れられている彼女は星の表情を見た。

 星とてこころの表情からその意図を読み取ることはできない。だが、仏の教えを伝える寺、毘沙門天の威光を代行する虎の妖獣は、命蓮寺の本尊として彼を見過ごせなかった。

 

 命蓮寺代表である住職は不在の状況。されど命蓮寺が祀る神仏の代行者はここに。住職を担う魔法使いの信仰を一身に受ける本尊でありながら、彼女もまたその魔法使いに救われ彼女を尊敬する立場にある者でもある。

 星は己が尊敬している住職が信仰している毘沙門天の代行者に加え、今この場においては尊敬している住職の代理を務めている。その奇妙な関係性もまた命蓮寺の在り方であるのだ。

 

 怪物を連れた外来人など里には受け入れられまい。星は住職の意思に代わり、野上良太郎を命蓮寺に受け入れることにした。きっと、自身を救った住職──かの魔法使いもそう言っただろう。

 

「いいじゃねえか。それなら遠慮なく使わせてもらおうぜ!」

 

 良太郎のもとへ集う砂の姿。モモタロスたちは白い砂を零しながら少女たちに向き合う。こころから見ても、その異形は里で見たバットイマジンと変わらない怪物のもの。

 未契約体であるか完全体であるかという存在の違いを除けば、その見た目に大した差はない。

 

「えっと……その……申し上げにくいのですが、イマジンの皆さんはちょっと……」

 

「なんだよ、ケチくせえな」

 

 住職不在の寺で住職の代理を務める本尊という奇妙な立場の星が告げる。純粋な人間である野上良太郎だけなら泊められるが──モモタロスたちに対しては未だ懸念が残っていた。

 

「いくらここが妖怪寺とはいえ、その姿だとみんなが怖がるんだよ」

 

「あと砂で床が汚れる」

 

 理由は単純。村紗とこころが答える通り、怪物であることを自ら証明する姿は命蓮寺の修行僧たちに不要な警戒を抱かせてしまう。人間の里に代わる安息地としてここを訪れる無力な人間たちも、イマジンがいては不安に苛まれることだろう。

 人間と妖怪の共存は命蓮寺の──その住職の理想である。しかし、妖怪は人間を襲わなくてはならない以上、実現は遠い。あるのはスペルカードルールありきの表面上の利害の一致だけだ。

 

「そらしゃあないなぁ……」

 

「女の子に入るのは趣味じゃないけど、僕は君たちに憑いたままでもOKだよ?」

 

 キンタロスは残念そうに視線を伏せつつ再び腕を組む。その身からさらさらと零れる砂は彼らの意思に非ず、自分たちではどうすることもできない。誰かの肉体に憑依すれば未契約体の姿でいる必要もないため──ウラタロスは渇いた砂の身に似つかぬ濡れた声色で告げた。

 

「「却下!」」

 

 村紗と星の一蹴がぴしゃりと砂を震わせる。一度その身を明け渡し、長らく自由を奪われてしまっていた彼女らにとって、それは過去の呪縛を想起させる。

 舟幽霊の少女は入道使いの少女と共に、人間の手によって地底の世界に封じられた。毘沙門天の代行者はその立場ゆえ恩義に報いることもできず、ただ神仏として輝き続けた。救われるばかりの自分たちが、大切な恩人に何も返すことができなかった時間。その悔恨を。

 

 今の自分たちには自由がある。かつて幻想郷に間欠泉が噴き出した際、その流れに乗って地底の封印が解け、一輪や村紗たちが星と再会し、かの魔法使いの復活を求めたとき。彼女らは千年の絶望さえも強く乗り越え、ついに恩人の復活を果たした。

 イマジンの憑依はその暗き封印の時間を思い出させる。深淵の中で時が経つ痛みだけを感じることしかできなかった嘆きを。毘沙門天の代理という立場ゆえに、誰よりも大切な恩人が、自分たちを守るように人間の手によって封印される様を見殺し──千年間も何もできなかった苦しみを。

 

「なんて、冗談だよ。まぁ、僕たちにはデンライナーがあるしね」

 

「ほな、俺らは先に戻っとるで」

 

「良太郎! もう二度と一人で無茶すんじゃねえぞ!」

 

 それぞれの砂の塊は三者三様にさらさらと音を刻みながら立ち上がる。と言っても、彼らの体高は何も変わらない。組まれていた頭上の脚が真っ直ぐ伸ばされ、その下の上半身はそのまま彼らの感覚だけが命蓮寺の畳の上に立った。

 良太郎は幾度かイマジンに頼らず一人で戦おうとしたこともある。だが今は一人ではない。確かな繋がりをそのままに──束ねる仲間と絆の力として、彼らは精神(ここ)にいてくれる。

 

「うん。何かあったら、すぐに呼ぶよ。みんな、ありがとう」

 

 良太郎の言葉に三体のイマジンは砂の身体を頷かせる。砂の身体を一身に集約させ、一粒残らず精神に還すと、彼らはそれぞれ赤く青く黄色く、優しく光るオーラとなって命蓮寺の居間から姿を消した。

 憑依した特異点──良太郎がここにいる限り繋がりは残っている。彼らがデンライナーに戻ったとしても、良太郎の意識を通じて思念を交わすことができる。良太郎がかつての戦いで宿していたイマジンは四体だったのだが、今は残る一体とは繋がっていないようだ。

 

 たとえ実体化を遂げていたとしても、憑依したイマジンの契約が完了しない限り、宿主との繋がりは残っているはず。それなのにあの『龍のイマジン』とだけ繋がることができないということは、彼の身に何かあったのだろうか。

 時間さえ隔てていなければ彼らとの繋がりは揺るぎないはずなのだが、時間の狭間と呼ばれる空洞においてはその意識が阻まれることがある。それだけ深い場所──地の底の果てとでも呼べ得るような深淵に一人でいるかもしれないというのであれば、良太郎も心配が拭えなかった。

 

「(デンライナーのみんなに……リュウタロス……どこ行っちゃったんだろう)」

 

 モモタロスたちの話を聞いても掴むことができなかった、彼らの所在。オーナーはターミナルに向かったようだが、それ以外の乗客は『いつの間にか消えていた』のだという。

 その詳細はウラタロスやキンタロスも知らない。オーナーと同様にどこか別の場所に行っているだけということもあり得るが──

 自分たちもまたその場から消失し、未知の場所に現れていた以上。彼女らも同様と考えることもできる。イマジンでないにしろ、彼女らも時間の中にしか居場所がない存在であるのだから。

 

◆     ◆     ◆

 

 そこは暗闇の中。冴える細雪と虚ろな石桜の輝きが微かに照らす地の底で、一人の少女が空虚な笑顔を湛えながら軽やかなスキップを刻み歩む。

 荒涼とした地底世界──旧地獄にいるというのに楽しそうに、されどその笑顔にはどこか感情を感じさせない無機質で空っぽな精神を思わせるような歪さを纏わせて。

 

 淡い緑色に染まった髪は緩やかに波打ち肩まで伸ばし。黒く広がる帽子に黄色いリボンを装い、翡翠の瞳が闇を見る。

 少女の名は 古明地(こめいじ) こいし 。黄色い上衣と花柄を帯びた緑色のスカートを揺らし、胸元に掲げる青い(まぶた)第三の眼(サードアイ)の存在が示す通り、彼女は嫌われ者たちが住む地底世界において最も恐れられる地霊殿の主──古明地さとりの妹たる『(さとり)』の一種である。

 

 だが、姉と違って第三の眼(サードアイ)の瞼は開かれていない。黒く艶やかな睫毛を下ろし、固く閉ざされたその眼はもはや何も見ることはなく、誰の心をも読むことはできない。

 彼女は己が心を、自我意識を捨て去った。覚としての能力を捨て、無意識の存在となった。故に彼女には自分の意識が分からない。ただ流れるように虚ろに生きているだけ。路傍の小石を思わせる、誰の目にも止まらぬ無意識の具現。

 姉のさとりでさえ彼女の心を読むことはできなくなってしまった。だが、それでいい。彼女はその能力ゆえに疎まれることも嫌われることもなくなった。同時に好かれることもなくなってしまったが、後悔などはしていない。そう感じる心さえも、閉ざしてしまっているからだ。

 

「えへへ、お姉ちゃんとお揃い!」

 

 第三の眼を繋ぐ青い神経(コード)に包まれながらこいしはくるくると笑う。その手に持った機械仕掛けのベルトらしきものは、さとりが手にした『Gバックル』と極めてよく似ているものの──地底の怨念を抱いたかのような歪な想念は、希望の象徴であったさとりのそれとは大きく異なる呪いじみた執念として宿っている。

 どこで手に入れたのか──それにはやはりさとりのベルトと同じ『神の力』が宿っていた。

 

「うん、そうだよー! 君にも、ってことは、あなたにも?」

 

 ただ一人、こいしは誰もいない場所で誰にともなく答えを返す。楽しそうに嬉しそうに、振る舞う彼女に我はなく、その表情はただ、無意識に生きているだけの発露に過ぎず。

 

「私のお姉ちゃんもとっても優しくて、だーい好き!」

 

 手に持ったベルトを妖力の渦の中に消失させるようにしまい、両手を広げて姉への愛を誇示してみせる。

 話す相手はどこにもいない。彼女はいつからか聞こえてきた精神(こころ)の中の声と友達になり、いつの間にか仲良くなっていた。少年と思しきその声の主は姿が見えない。だが、それは無意識の住人となり果て、誰からも気づいてもらえなくなった彼女もまた、同じような存在かもしれない。

 

「え? 本当は僕のお姉ちゃんじゃないけど……って? なにそれー。変なの!」

 

 頭の中に聞こえてきた声の奇妙な言葉に無邪気に笑いながら、こいしは地底の岩場を下っていく。意識せずとも、考えずとも。ふらっとどこかに遊び向かっては、誰の目にも留まることなくいつの間にか帰ってきている猫のように。

 彼女は何度か地霊殿に帰っている。だが、存在を知覚されることすら滅多にない。姉のさとりに見つけてもらえることはあれど、彼女でさえ必ずこいしを認識できるわけではないのだ。

 

「……お姉ちゃん、会いたくなっちゃったなー」

 

 両手の指を腰の背で組み合わせ、黒いショートブーツを纏う右足の爪先を後ろに下げて、冷たい地底の大地へ乗せる。虚ろな光を湛えた瞳は彼方に朧気に──地霊殿の明かりを見た。

 

「そうだねー! せっかくできたお友達だし、あなたも紹介してあげる!」

 

 無邪気に笑うこいし。花柄のスカートをひらりと揺らし、その裾から白い砂を舞い散らす。軽やかに大地を打ちつける靴の音は、さながら思考に流れる旋律に合わせた舞の如く。

 その笑顔はただ無意識に在るもの。普通の人間が喜びから不意に笑ってしまうように、彼女もまた笑顔を形作ることを意識していないという点は同じ。彼女の場合、それは笑顔に限ることなく。躍るような動きも言動も、一挙手、一投足、その思考さえも。すべてが自分の意識に依らない不意なる行動でしかない。

 人格がないわけではないのだが──その喜びも悲しみも意識の外側にあるのだ。夢を見ているのと変わらず生きる。何も考えてはおらず、ただ行動のみがそこにある。

 

 自分自身ですら次に自分が何をするか予測できないだろう。表情はあれど己の中の心を閉ざしてしまったその在り方は、自分の中に揺るぎない心を確立しようとしているものの自らの表情がない秦こころと正反対の性質を持っていると言える。

 彼女の内に宿るイマジンもまた刹那的な感情に従って生きる無邪気な『子供』だった。憑依した相手の波長が似ているからこそ、それはこいしと心を通わせ、友達になることができたのだ。

 

「……早く会いたいなぁ。お姉ちゃん」

 

 こいしの空虚な笑顔に微かな我が灯る。それはこいし自身の心ではなく、翡翠の瞳を紫電の色に染め上げたイマジンのもの。

 緩やかなウェーブヘアには同じく波打ち揺れる長い紫色のメッシュが生じている。異質な霊力から成るそれは、こいしの指先を黒く丸みを帯びた帽子の(つば)へそっと導かせ──

 首元には微かに軽快な音を漏らし続ける、黒いヘッドホンめいた虚像(イメージ)が浮かび上がっていた。




平成ライダー屈指の大所帯の電王+幻想郷屈指の大所帯の命蓮寺=めちゃめちゃ大所帯。

自分の表情も自覚できておらず、ただ今在る気持ちだけで生きてるためさっきまで自分が考えてたことも忘れてしまう。そんなこいしちゃんの在り方、あの人に似てるかも……というサブタイ。

次回、第51話『感情騎乗 × 環状軌条』
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