東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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A.D. 2008 ~ 2009
それは、受け継がれる音楽の物語。

ウェイクアップ! 運命の鎖を解き放て!



【 亡き父の為のコンチェルト 】
第53話 運命 ♪ ハートブレイク


 月夜を明かし、妖怪たちの時間に終わりを告げた霧の湖。冴える薄霧は陽光と共にその地を満たしては、紅く鮮やかな紅魔館の敷地を染めていく。

 じりじりと照りつけるは狂った四季における夏の朝陽。静かな湖を住処とする氷の妖精のおかげか、吹き抜ける風は夏の暑さに清涼的な涼しさをもたらしてくれる。

 差し込む日差しを抑えるように、仰々しい窓に設けられた真紅のカーテンは少しだけ開かれ、その陰にて、吸血鬼──レミリア・スカーレットは当主の間にて彼方に運命を仰ぎ見た。

 

 運命は絶えず霧の中。紅く交わる鎖は──九つ。今まで見えていた九つの世界の因果を繋ぎ留めるもの、その『最後の一人』がようやく彼女の目をもってして確認できたのだ。

 それが誰なのかはまだ分からない。だが、運命はきっと向こうからやってくるのだろう。

 

◆     ◆     ◆

 

 霧に包まれた紅魔館の敷地内、真紅の外壁を守護する門番は一人立つ。普段は白昼の夢を微睡みと見ているのだが、その日は妖怪特有の第六感か。奇妙な胸騒ぎを感じていたため、どうにも目が冴え立派に門番としての職務を全うしていた。

 紅美鈴は門前にて、外来人らしき見知らぬ男の不敵な笑みに警戒心を抱く。ただ迷い込んだだけにしては、滲み出る悪意と呼べるもの、気を使う程度の能力で感じ取れる張り詰めた威圧感。

 そういったものに加えて──ただの人間ならざる異質な魔力が伝わってきたがため。

 

「あの……外来人の方ですか? 要件ならば私が……」

 

 不敵に笑う若い男に対して問いかける。無意識に表情が引き締まり、身体が臨戦態勢に入るのを感じる。この男は、紅魔館に対する敵意を隠すつもりがないらしい。相手がどれだけ異質な魔力を備えていたとしても──見た目はただの人間。それでも、決して油断はしない。

 

「君の美しさに……乾杯」

 

 その身に黒いスーツを纏った若い男、 津上(つがみ) カオル は甘く優しい声で呟く。直後、彼の顎と口元、首にかけて、加えてその端正な瞳にステンドグラスを思わせる耽美的で鮮やかな紋様が浮かび上がった。

 瞬く間もなく男の身は虚ろな光と共に歪んでは姿を変える。霧を貫く陽の光、差し照らす朝陽に揺蕩(たゆた)う蒼穹の鎧。それはさながら、名高き芸術家によって生み出された神秘的な彫像の如く。

 

◆     ◆     ◆

 

 忌まわしき太陽に照らされ紅く輝く命の花。香る運命が嘆きを奏で、恐怖と屈辱の彩りが鼻をくすぐる。紅茶と呼ぶには鮮やかすぎるその紅は、彼女の心を満たす悪魔の嗜好品。この館にて食料と定義された哀れなる人間の鮮血を冒涜的にブレンドしたもの。

 

 城戸真司の血ではない。吸血鬼ほどの強大な妖怪は、単独で幻想郷の秩序を乱しかねない力がある。実際に、人間を襲うことが禁じられ矮小化した幻想郷にて、すべての妖怪を支配しようとした大異変──スペルカードルール制定の発端となった『吸血鬼異変』も、彼女ら吸血鬼によるものであった。

 吸血鬼が本気で人間を襲えば幻想郷の秩序は瞬く間に瓦解する。幻想郷に必要だったのは妖怪の本能を否定する抑止力ではなく、人間と妖怪の循環を重視した(ルール)だったのだ。

 

 そのために幻想郷の賢者は、外の世界にて存在を失った人間、死者や自殺志願者などを幻想郷の食料として引き入れ、幻想郷のバランスを維持。その恩恵を優先的に配給し、特に物理的な人間の血肉を必要とする一部の強大な妖怪たちに供給している。

 この血も、その人間のものだ。生きた人間の首筋に牙を突き立てるより遥かに鮮度は落ちるが、幻想郷の秩序を乱すわけにはいくまい。彼女は、賢者たちほどではないが──面白い運命を見せてくれるこの郷を愛している。

 

 高価な葉を()して()れた紅茶の中に、深く愛しい恐れを抱いて。生来の吸血鬼である誇り高き少女は、白いティーカップに小さな指をかけ、ゆっくりとその紅色を牙に染み込ませていった。

 

「…………」

 

 茶葉と温度と人間の血液──その美しい組曲を穢す、微かな不協和音。舌先を痺れさせる不快なノイズに眉根を寄せ、レミリアは自身の隣で瀟洒に佇む十六夜咲夜の顔を見上げる。

 

「……余計な苦みを感じたわ。今度は何を入れたの?」

 

「里で手に入った珍しい薬草を少々。いえ、毒草だったかしら。とにかく、貴重ですわ」

 

 いつも通りの笑顔で答える咲夜の言葉にこめかみを押さえ、レミリアは再びカップに視線を戻した。自慢の紅茶、上質な人間の生き血に妙なものをブレンドする癖さえなければ、咲夜はメイドとして非の打ち所がないのだが。

 カップを揺らして小さく溜め息を零し、残った紅茶を飲み干してカップをソーサーに戻す。

 

「それで、美鈴の報告ですが──」

 

 咲夜が真剣な表情で声色を切り替える。最も距離が近い美鈴に城戸真司の動向を監視させていたが、期待したような面白い動きを見せてくれない。彼をこの館に招き入れてからまだ数日しか経っていないものの、レミリアはその褪せた紅さに失望を覚えていた。

 あの男は運命を変える赤色ではなかったのか。変わらず日々の報告を耳に聞いても、募る想いは退屈ばかり。

 二度目の溜息を吐きそうになったところ──不意にレミリアは表情を変えて立ち上がる。

 

「お嬢様?」

 

 咲夜の疑問符にも振り返ることなく、レミリアは真紅のカーテンを微かに開き、吸血鬼の弱点である日光に顔をしかめながら窓の外を見る。この思考に退屈以外の高鳴りを与えてくれる、紅い旋律。不快であることは変わらないが──その『気配』は何をもたらすのか。

 咲夜の紅茶に似たノイズを感じる『それ』は、紅魔館庭園にてやはり美鈴と拳を交えていた。

 

「何あの馬みたいなやつ……またミラーモンスター?」

 

「いえ、その気配は感じません。美鈴の言っていたグロンギなる存在でしょうか……」

 

 レミリアと咲夜が見たのはどこかステンドグラスのような芸術的な彫像を思わせるウマに似た怪物だ。神殿か教会か、耽美的な美しささえ感じさせる漆黒の体躯に、深い蒼穹の装甲。二本の脚で立つその姿は『怪人』と形容するに相応しい。

 蒼褪めた馬──その姿が表す名を、レミリアは馬の怪物に見る。まるでそれは、終末の黙示録に現れる病苦の象徴。第四の騎士が己が使いと駆る死神のよう。

 

 少し前にも紅魔館にシマウマ型ミラーモンスターが現れているらしい。彼女はそのとき屋敷にいなかったが、咲夜の報告で聞いている。どうして私の屋敷には馬ばかり現れるのか──などと思考しつつ、レミリアは咲夜の言葉から、此度現れた蒼褪めた馬の正体がミラーモンスターではないのだと知った。

 美鈴と城戸真司が霧の湖にて交戦したグロンギであるならば、情報を得るには丁度いい。だが、紅色の直感が告げている。この馬の怪物は、まだ見ぬ未知の法則を有していると──

 

「…………!」

 

 その瞬間、レミリアは思わず息を飲んだ。馬らしくもなく鈍重な動きを見せていた怪物が、美鈴の背後に()()()()()()を浮かび上がらせ、それを彼女の首筋に突き立てようとしたのだ。

 死角からの攻撃といえど、気を使う程度の能力をもって周囲の気配を感じ取れる彼女はその牙を咄嗟の反応で回避することに成功する。

 蒼馬の怪物が放った『吸命牙(きゅうめいが)』による攻撃は、レミリアにとってそれが龍騎の世界ともクウガの世界とも違う──別の世界の存在であると確信させるに十分だった。

 

「咲夜、念のため城戸真司もあいつと戦わせなさい。面白いことになりそうな気がするわ」

 

 小さく口角を上げるレミリアには、相変わらず完全な形では運命は見えない。だからこそ、ただ直感だけを信じ、紅く譜面を紡ぐ感覚に愛おしさを覚える。

 瞼を閉じて広げた五線紙の上に、無作為に並べた音符はどんな旋律を奏でてくれるのだろう。静かに頷いては姿を消した咲夜の活躍を期待し──レミリアは孤独に針を進める時計を見た。

 

 ──そのとき。当主の間の扉がガチャリと開かれ、紅い部屋に友の気配が流れ込む。

 

「レミィ! 金色のコウモリ、見なかった!?」

 

 紅き少女は静寂を破る音を聞き、黒く小さな背中の翼をぴくんと震わせた。不意に開かれた扉の先に見るは、荒く息を乱して扉に片手を着くパチュリー・ノーレッジの姿である。

 

「どうしたの? パチェ。そんなに慌てて、珍しいじゃない」

 

「金色のコウモリよ! 魔法の森で捕まえたんだけど……館内で取り逃がしたみたい」

 

 陰鬱な雰囲気を拭わぬままに、知識と日陰の少女は微かに紫色の瞳を輝かせる。ダウナー気味な彼女の性格をよく知るレミリアはその在り方に少しだけ興味が湧いたが、月を隠す叢雲が如く、目先の事象に意識を向けられる。

 パチュリーが語った『金色のコウモリ』などという存在に心当たりはない。それより、レミリアは当主の間の窓から見下ろす紅魔館庭園──蒼褪めた馬と騎士たちの戦いに向き直る。

 

「残念だけど、見てないわね。それに……今はそれどころじゃないの」

 

「そう……見かけたら教えてちょうだい。あの異質な魔力は、きっと異変解決の役に立つわ」

 

 喘息を患う身に加え、ただでさえ体力が少ない。少し歩き回っただけで乱れてしまった呼吸を整える傍ら、パチュリーは思考する。

 紅魔館全体を対象とした感知魔法の反応を見る限り、まだ館内にはいるはず。妖精メイドや使い魔までも感知されてしまう上、相手が奇妙な魔力を持つため正確な座標までは掴むことができないが、この身に伝わる魔力は先ほど逃がした獲物のものに間違いない。

 

 実際にそれを見たわけではないレミリアと違い、パチュリーは気づいていた。奇しくもそれは、レミリアが興味を示す蒼褪めた馬の怪物と同じ法則の因果より来たるもの。

 幻想郷に結ばれゆく交響曲の第九番。招かれた楽章を紡ぐ音符の一欠片であることに──

 

◆     ◆     ◆

 

 紅魔館と魔法の森を隔てた霧の湖。そのうち、森に近い側には色褪せて朽ち果てた『廃洋館』が打ち捨てられている。

 外の世界から流れ込んだのか、元から幻想郷に存在していたのか。栄華に輝く紅魔館とは対照的に、手入れの成されていない古びた洋館には誇りや鮮やかさなど何もない。ただ退廃的で耽美的な終焉の象徴。紅魔館が生の美徳(カルペ・ディエム)に溢れているのなら、こちらは死の美徳(メメント・モリ)を思わせた。

 

「どうして僕は……こんなところに……」

 

 そんな廃洋館の正面に立つ青年は、漂う霧の中に虚ろな夢の跡を見ながら。ただ一人、夏の色に濡れた白昼の風にストールを揺らして不安の声を零す。

 気弱そうな表情に相反したパンキッシュなジャケットと、血染めの外套を思わせる真紅のボトムス。少し長めに切り整えられた茶髪の風貌は、彼が紛れもなくこの幻想の領域に在るべきではない外の世界の者であると示していた。

 

 青年── 紅 渡(くれない わたる) はついさっきまで自身がよく知る世界を見ていたはず。知り合いの結婚式に出席し、バイオリンの演奏を披露する直前。

 天空より遥かな時空を超えて現れた未知の存在と相対し、彼は仲間と共にそれらと激しい戦いを繰り広げた。

 兄と、友と、同胞と。(いさか)いを超えて手を結んだ者たちと共闘し、等しき敵を退けて。その翌日、未知の敵についての情報を得ようと、バイクに跨って道を疾走していたとき。視界を染める紫色の闇の中、無数にうごめく目玉に見つめられ、彼はこの地に誘われていた。

 

 その背後には彼が繰る真紅の鉄馬。先ほどまで自身が乗っていた大型のバイクだ。黒いボディに重厚感と威圧感を持つそれは『マシンキバー』と呼ばれており、その身にはコウモリめいた双翼の意匠が誇り高く刻み込まれている。

 その後部に手をかざし、渦巻く暗闇の波動から現れたシックなバイオリンケースを手に取って、(わたる)はそれを優しく開いてはその中に視線を落とす。

 棺の中に眠るは『ブラッディ・ローズ』の名前を与えられた世紀のバイオリンである。己が父と母の手により一から作り上げられたそれは渡が生まれる以前に完成し、渡の傍に在り続けた。そこに込められた想い、二人の奏でる音楽は、さながら渡と血の継承を同じくする兄弟のよう。

 

「……父さん」

 

 この身に流れる血は人間のもの。そして同時に、人間ならざる者の血。一人の男は人間でありながら三度(みたび)、闇の鎧を纏い。己の生き様を誇りと掲げて散っていった。一人の女は人間ならざれど、人間との恋に落ちる同胞を訝しみ──己も同じ禁忌を犯した。

 紅渡は人間ではない。同時に人間でもある。魔法の森の近くに建てられた香霖堂が人間と妖怪のどちらをも示す場所に在るように、彼もまた人間とそうでないものの混血である。

 そして、その愛は。紅渡という命と同じく、一つのバイオリン、ブラッディ・ローズと名づけられた芸術品としても生まれ落ちていた。

 

 どれだけ削り方をこだわっても、どれだけ塗装をこだわっても──届かなかった。生まれたときからずっと傍にあったこのバイオリンを、父の魂に至るほどの奇跡の逸品を。自らの手で超えることはついぞ叶わなかった。

 一度、この名器が自身の迷いによって傷ついてしまったこともあったが、渡は気づいたのだ。この音楽を完成させるのに必要なのは技術でも製法でもない。ただ、愛という祈りなのだと。

 

「…………」

 

 父と母の愛をその手に抱き上げ、傍らに寄り添う弓と共に握りしめる。聴く者はいない。ただ自分自身の祈りのために。どうか道を示してほしい。瞼を閉じては願いを込めて、渡はブラッディ・ローズの弦へと右手の弓をそっと乗せる。

 右手を心の譜面に沿わせる度に震える祈りが顎へと伝わってくる。低く胸に響き渡る己の音楽を奏で、最後に強く弓を引き絞り──薔薇を摘むように優しく右手で弦をつまみ、(はじ)く。

 

 心の涙を拭うその演奏で霧を払うことはできない。道は未だに見えぬままだが──廃洋館を背にしていた渡の背後から、控えめながらも賞賛の意が込められた拍手が届いた。

 観客など誰もいないと思っていた渡は少しだけ驚いたが、すぐにその音の方へと振り向く。

 

「……素敵な演奏ね」

 

 陰る表情に小さな微笑を見せるは、金髪のショートボブに三日月の意匠を湛えた黒い帽子を装う少女。黒と白の衣服を纏い、夜を思わせる静かな声で賛辞を送った。

 この廃洋館こそを居場所とする存在は人に非ず。ただ音という存在だけが気質として具現化し、物理的な事象を引き起こす現象そのもの。ポルターガイストとも称される『騒霊(そうれい)』は、音楽を愛する者たちとなって生まれている。

 騒霊ヴァイオリニスト、ぼうっと淡くその場に現れた ルナサ・プリズムリバー の手には丁寧に手入れが施された年代物のバイオリン。渡はそれを見て、彼女も演奏者なのだと悟った。

 

「ほんとほんと、プロのヴァイオリニストかと思ったわ~!」

 

「まぁ、ルナサ姉さんほどじゃあないけどねー」

 

 暗く陰鬱な雰囲気を纏うルナサのもとへ舞い降りるように、今度は絹のように柔らかな声が聞こえてくる。続いて、さらにその声に追従して跳ねる音符のように軽やかな声。二人の少女は自分たちの姉──長女であるルナサ・プリズムリバーの傍に立った。

 

 淡い薄紅色の服装に身を包む少女はルナサの妹。薄い水色のウェーブヘアを雲と和らげた、次女である メルラン・プリズムリバー だ。騒霊トランペッターとして知られる彼女はその手に立派なトランペットを持ち、笑顔で渡の表情を見る。

 赤く明るい衣服を纏う少女は二人の妹。短めに切り揃えた亜麻色の髪を揺らす騒霊キーボーディスト、三女に当たる リリカ・プリズムリバー はどこか悪戯(いたずら)っぽく呟き、近くにシンセサイザーを浮かべていた。

 ピアノめいた鍵盤の端についた小さな羽根をはためかせながら、そのキーボードはリリカに付き従うように宙を舞う。さらにそれだけではなく、ルナサのバイオリンも、メルランのトランペットも。彼女らが手放したにも関わらず──落ちることなくその傍の空中に漂っている。

 

「……えっ、あっ……ありがとう……ございます」

 

 渡は演奏を褒められたことに確かな嬉しさを感じつつも、不意に空から舞い降りた少女たちに驚きの心を隠せず。多くの悩みと戦いを乗り越え、成長はしているとはいえ、ただでさえ人見知りの激しい内向的な彼にとってはその光景は簡単には飲み込めそうにない。

 打ち捨てられた廃洋館──『旧プリズムリバー邸』に騒霊として生まれた三人は音の幽霊であるために血縁というものはない。ただ、彼女たちを生み出す原因となった少女の願いが、とある三姉妹の霊魂を模しただけだ。

 ゆえに彼女らはプリズムリバー三姉妹と称されている。ルナサ、メルラン、リリカはそれぞれが暗く陰鬱に、明るく楽しそうに、あるいはどちらともつかずに。一目で外来人と見抜いたその青年を必要以上に驚かせぬようにそれぞれの楽器の『幽霊』を指をパチンと鳴らして消失させる。

 

「演奏も素晴らしかったけど……その子、並の代物じゃないわね」

 

 ルナサは渡が手にするブラッディ・ローズに興味深そうな視線を向けた。

 弦楽器全般を得意とするルナサであるから気づけたのか、その楽器に込められた想いは、これまで自分が見てきたどんな楽器よりも強く気高い。

 ルナサ自身が愛用するバイオリンも、かのストラディバリウスも裸足で逃げ出す名器──の幽霊とされるが、彼が持つものは世界的な名声こそなくともそれらを凌ぐほどの逸材であろう。

 

「これは……父さんの形見なんだ。両親が二人で作った、世界に一つだけの祈り……」

 

 暖かい優しさを込めた瞳でブラッディ・ローズと向き合う渡。これまでも多くの道に迷い、その度にブラッディ・ローズの音色に導かれてきた。父の祈りが込められたそれは、渡にとっては自分自身の証明でもある。

 一度は絶えず戦いを促すその音色に忌まわしさを感じ、自らの手で叩き壊そうとしたこともある。それもまた渡の人生。受け継がれる音楽は、血染めの薔薇の如く、鮮烈で残酷で、儚い。

 

「……感じるわ。その子の幽霊から、貴方を見守ろうとする意思を……」

 

「幽霊……? えっと、それはどういう……?」

 

 ルナサの瞳に込められた慈しみめいた想いを見て、渡はその言葉の意味を聞き返す。

 気質の具現である幽霊は動植物だけでなくあらゆるものに宿っている。事象も概念も器物さえも問わず、渡のブラッディ・ローズにも気質たる幽霊は在る。

 その想いがルナサにも伝わってきていた。彼女が持つバイオリンは楽器としての実体を持たない幽霊のみの存在であるため、そちらから見れば渡のものは生者と言えよう。その魂が、在り方が。渡の生き様を最後まで見届けようと──まさしく幽霊じみた想いで彼の傍に存在している。

 

「私たち、騒霊っていう種族なのよ~。ポルターガイストってやつね」

 

「見たところ、君、外来人でしょ? 私たちが幻想郷について教えてあげるよ」

 

 天空を吹き抜ける金管楽器めいたメルランの声。軽やかに跳ね躍る鍵盤楽器めいたリリカの声。廃洋館を見上げては少女たちに向き直り、幽霊という言葉に湧き上がる恐怖と微かな親近感を覚えた渡──かつて『お化け太郎』とも呼ばれたその身に寒気が走った。

 それでもすぐにこの場から逃げ出そうと思わなかったのは、ブラッディ・ローズに導かれ、自らの意思で戦ってきた経験が彼を強くしたためか。

 ──あるいは、彼女たちが抱く音楽を愛する気持ちが、渡とよく似ていたからかもしれない。

 

◆     ◆     ◆

 

 紅魔館の廊下を通り抜け、小さな金色の翼をはためかせるコウモリめいた生物が舞う。行き交う妖精メイドたちに見つからないように、大きく輝く真紅の眼を不安に曇らせながら、立派な牙を湛えた、顔に翼を持つような一頭身のそれが深く溜息をついた。

 自分を捕らえた魔女の支配から脱出したはいいものの、ここがどこなのかも見当がつかない。周囲に漂う不気味な魔力は自身が生きた世界の遥か過去の時代を思わせる血生臭さに満ちているが、あの魔女が放った魔法は──

 金色のコウモリは小さな体躯からは想像もつかないような機敏な動きで魔女の拘束から抜け出すことができた。この未知の場所に迷い込んでから離れ離れになってしまった相棒を探したいのだが、薄暗い真紅の洋館には人ならざる従者たちが多く、迂闊に動けば見つかってしまう。

 

「あの女……とんでもない魔女だぜ……」

 

 コウモリは自らが生きた元の場所に想いを馳せる。その世界には13種類の『魔族』が存在していた。彼はそのうちの一つ──『キバット族』と呼ばれる種の誇り高き貴族の出身であり、歴史にその名を残す名門『キバットバット家』の嫡男(ちゃくなん)たる『キバットバットⅢ世』である。

 

「……っ! やべっ……! また誰か来る……!」

 

 キバットは鋭敏なソナーの役割を果たす両耳をぴくりと震わせて跳ね上がった。微弱に放っていた魔力の超音波が反響し、自分を狙っているであろうこの洋館の住人の接近に気がつく。多く存在する妖精メイドたちと比べて、その気配は強く感じられた。

 慌てて花瓶の陰に隠れ様子を伺う。現れたのは真紅の髪に黒いベストを装う有翼の少女。魔力の気配があの魔女に似ているため、おそらくは魔女に仕える使い魔か何かであろう。

 

「どこ行ったんだろ。金色のコウモリなんて目立つと思うけどな……」

 

 小悪魔は赤い髪の側頭部に突き出したコウモリの翼を揺らしながら周囲を探る。やはりキバットを探しているようだが、キバット族の特殊な魔力はそう簡単には魔力感知に引っ掛からない。ただやはり金色の翼は視覚的に目立つため、目視で見つかってしまうのは時間の問題であった。

 

「金色の……コウモリ?」

 

「あ、外来人の。館内で逃がしちゃったんですけど、見かけませんでした?」

 

 キバットが花瓶の陰で様子を伺っていると、今度は反対側からもう一人の人物の気配を掴んだ。こちらは感じられる魔力から見てどうやら純粋な人間であるらしい。

 城戸真司は小悪魔の言葉に興味を抱いた様子で聞き返した。ジャーナリストとしての好奇心が疼くのか、金色のザリガニや髪の毛が生えたカエルに類するその存在に取材者の目が光る。

 

「見てないけど……探すなら任せてよ! 俺、子供の頃はコウモリ捕りの真ちゃんって──」

 

 真司が自信に満ちた笑顔を見せつつそう語ろうとした瞬間、キバットのソナーには無から生じたとしか思えない唐突な気配が伝わる。小悪魔も城戸真司もそれを予測することはできず、まさしく時間を止めてその場に現れた──人間のメイド長に驚きの感情を覚えさせられた。

 

「城戸さん、怪物が出たわ。一緒に戦ってくださる?」

 

「うおっ……! 相変わらずいきなり……! ってか怪物!? モンスターか!?」

 

「さぁね。気配は違ったけど……あなたが霧の湖で出会ったグロンギとかいう奴かも」

 

 十六夜咲夜の言葉は冴えるナイフのように的確に要件だけを告げた。真司は不意に現れた彼女に大袈裟に驚いてしまうが、すぐに言葉の意味を理解する頭の回転を見せる。

 小悪魔も怪物については理解しているため、やはりモンスターが現れたのだと悟った。咲夜の言う通り、真司の近くにはミラーモンスターの気配はない。だが、彼とてモンスターならざる怪物と交戦した経験がある。力強く頷き、真司と咲夜は美鈴が待つ紅魔館庭園へと向かった。

 

「怪物……? もしかしたら、そこに渡も……!」

 

 キバットの耳に届いた魔力の波動ならざる声という波長。その言葉を耳に聞いて、彼の脳裏にはステンドグラスめいた美しき悪意が過る。

 自身が仕えた誇り高き血の運命。自身が友とする尊き親子の血統。キバットはもしかしたらこの地で離れ離れになってしまった彼のもとへ戻れるかもしれないと淡い期待を抱いた。

 小さな悪魔の少女に見つからないように、真司の背中にひっそりと息を潜めしがみついて。

 

◆     ◆     ◆

 

 霧の湖の畔──紅き館の反対側。幻想郷についての説明を受けた渡は先ほどまで手にしていたバイオリンを背後のバイク、マシンキバーの座席に乗せていた。

 マシンキバーの後部には翼めいた形状のパーツが突き出しており、バイオリンケースを括りつけられるスペースはない。それでもこの楽器を持ち歩くことができているのは、このバイクが人智を超えた技術を持つとある種族──渡の母と同じ一族、その王たる者の命令で造られた魔術的なものであるからだ。

 王の鎧と共に生み出されたこの機体は強大な魔力を帯びている。その波動は機体に『シャドウベール』と呼ばれる不可視の結界をもたらすことで搭乗者を疾走の風圧から守ったり、超自然的な魔術の力で虚ろに歪めた空間にはある程度のものを格納することができる。

 

「幻想郷……ここには君たちみたいな騒霊や妖怪が……?」

 

 渡はルナサたちが語った言葉を繰り返し呟く。一度はその存在に驚いたが、思えば自分が今まで戦ってきた敵や見てきた事象、幼い頃より母に聞かされた魔族の物語。そして己が身に流れる魔の者の血を思えば、あながち受け入れがたいということもなかった。

 きっと今まで自分が奏でてきた音楽も同じだったのだろう。魂を喰らう怪物が古来より人々を襲っているなど──実際にその目で見なければ到底受け入れがたい話であるのは間違いない。

 

「そーいうこと。今は異変の影響で、わけのわからない怪物もいるみたいだけどね」

 

「異変が落ち着いたら、ぜひ私たちのライブも見に来てほしいわ」

 

 得意気に答えるリリカに続き、柔らかな表情で微笑みかけるメルラン。音楽を愛する少女たちのおかげで、未知の場所に誘われてしまった渡の心にも少しずつ音が戻っていく。まるで音叉に楽器を合わせるように、三人の声は渡の音楽から不協和音を取り除いていった。

 

 ──微かな静寂が訪れる。その瞬間、渡の耳に響く弦の音色。忘れるはずもない、父の願い。渡が聴いたのはマシンキバーの座席の上にて悲痛に叫ぶ、革色のバイオリンケースであった。

 

「これは……」

 

 ケースを開けば美しい張りを見せるブラッディ・ローズの弦が独りでに震えているのが見て取れる。奏でる音に旋律はなく、ただ渡を鼓舞するように。歌うのではなく、訴えるように。それはいつだって渡を導いてきた魂の音色。人の心の音楽を守るために戦う、渡にとっての意思の譜面。

 

「いろいろと教えてくれてありがとう。僕、行かなくちゃいけないんだ」

 

 渡の顔つきが変わったのを見て、ルナサはブラッディ・ローズの音色に耳を傾けた。ルナサにとって、それは美しい音色ではあるものの、言葉として聞き取れるものではない。だが、彼女には理解できる。ブラッディ・ローズに込められた──渡の父の魂の願いが。

 ブラッディ・ローズの幽霊は器物としてのものを遥かに超えた熱い想いに満ちているようだ。どこか生き霊に近い、血の色さえも思わせるような真紅に滾る心の色。覚悟を抱く人間の音。

 

「その子の幽霊が言っているわ。戦え……って。それがあなたの……運命なのね」

 

 渡はケースを閉じ、ブラッディ・ローズをマシンキバーの後部に生じたシャドウベールへと包み込ませる。暗闇の波動は不可視の結界となり、それなりの大きさを持つバイオリンケースを魔術的な空間へと格納させた。

 ルナサに対して力強く頷き、同じくシャドウベールの中から取り出した真紅のヘルメットを被る渡。その両手にグローブを身に着けてはマシンキバーのハンドルを握りしめ、その心臓(エンジン)に気高く嘶く誇りと共に、炎の如き熱を灯らせる。

 真紅の鉄馬は主たる者の意思に応えた。馬のモンスターの脳が込められたフロントカウルをもって睨むは、霧の湖の彼方。ブラッディ・ローズが示す、この心が示す場所──紅魔館。

 

 強く(ハンドル)を引き絞り、紅き馬は甲高い音色を掲げて目指すべき終止符へと疾走していった。

 

「…………」

 

 霧の彼方へと去っていく渡を遠目で見送りながら、少女たちはそれぞれ懐から異界の力を纏ったあるものを取り出す。

 メルランが手にするのは淡い金色と微かな赤に彩られた──音叉のようなもの。鬼の顔を象ったそれは重厚な金属の質量を感じさせるのに、抱く音は天空を舞うように爽やかなものだ。

 

「姉さん、あの人がこの子たちと同じ世界の楔なのかしら?」

 

「……音の波長が違う。似ているけど……この子たちとは別の世界の存在ね」

 

 ルナサの手に宿るのは鈍く銀色にくすんだ音叉。やはりメルランのものと同じく鬼の顔を持ち、暗く静かながら強く秘める想いを持つルナサのように、地味な外見からは想像もつかぬほど激しく力強い音を抱き有している。

 そしてリリカが取り出したのは(たぎ)るように赤い鬼の顔に漆塗りが施された角と柄を持つ音叉だ。こちらは仰々しい色合いに反し、軽やかで親しみやすい──それでいて虎に似た強さを持つ音が宿っている。同時に、リリカらしい狡猾さ、まるで盗人のような太々(ふてぶて)しさをも感じさせた。

 

「あいつ……私たちに何をさせたいのかな」

 

 リリカは怪訝さを込めた瞳で自ら手に持つ音叉に視線を落とす。彼女らにそれを渡したのは、同じく音楽を愛する者として演奏を共にすることもある妖怪だ。

 かつて様々な道具が意思を持ち始め、空に逆さまの天守閣が現れた異変において、雷雲の中より姿を見せた和太鼓の付喪神。今では近代的な外の世界のドラムを依代としているようだが──つい最近会った彼女には、元あった通りの和太鼓に似た音の波長がより強く感じられた。

 

 それはまさしく豪華絢爛に花開く、鬼の舞を思わせるほどの──(かぶ)き唸る雷鳴の鼓動(ビート)。あるいは(やぐら)に灯る炎の如く、流る虹霓(プリズムリバー)旋律(メロディ)を輝かせる律動(リズム)

 戦国時代のそれを思い出させんばかりに原始的(プリスティン)な太鼓の音は、彼女らの耳に強く響いていた。

 

◆     ◆     ◆

 

 紅魔館の庭園にて、蒼褪めた馬の怪物──ステンドグラス状の体組織を備える異界の種族がその鼻息を荒立てる。

 剥き出す歯は草をすり潰すためのものであろう。されど十字に切れ込み四方へ開くその顎は馬の口とは似ても似つかない。一目で異形と分かる大口から吐息を零し、怪物と向き合う美鈴は先ほど目にした馬らしからぬ『牙』のようなもの──半透明の飛行物体を思考に浮かべて憂いた。

 

「咲夜さん! 真司さん! こいつ、吸血鬼じみた真似を……!」

 

「ええ、見てたわ。お嬢様が気分を害す前に、さっさと片付けるわよ」

 

「吸血鬼じみた真似? 何それ、こいつ、何してくんの!?」

 

 庭園へ駆けつけた二人に対して忠告を放つ美鈴。己が首筋を狙って放たれた二つの牙は、紛れもなく自身が(あるじ)と認める吸血鬼と同じ『血を吸い上げる』者の振る舞いだった。

 だが、実際に顎で噛みつくのではなく、エネルギーの牙そのものを遠隔で放ってくるとは。美鈴は反射的に避けられたが、人間である二人が喰らえば一瞬で命を吸い取られてしまいかねない。

 

「三人掛かりならすぐに終わるだろうから……気にしなくていいわ」

 

「な、なんだよ! 気になるだろ!?」

 

 咲夜は自分が見たものを説明しようとしたものの、やがて考えを改める。牙を背後に現して死角から吸血を行うなど、実際にその目で見なければ理解しがたい事象であろう。言葉で説明しても無意味だと判断し、懐からナイトのデッキを取り出す。

 慌てて龍騎のデッキを取り出しつつも、真司は咲夜の言葉に納得のいかない表情を見せた。説明を面倒がっている様子の咲夜に声を上げるが──すぐに彼らの表情は別の色に染まる。

 

「えっ……!?」

 

「な、これは……!?」

 

 不意に耳に届いたのは夏空に舞うカブトムシの羽音だろうか。重なり響くは大河を流れる桃のように、緩やかに迫る列車の警笛。遠く聞こえた重厚な竜の咆哮も同様に気のせいであったのかもしれないが──彼らの全身が捉えた『時空の歪み』は錯覚などではない。

 視界のすべてが乱れて捻じ曲がる。目の前にいる怪物も、庭園に咲く花々も。傍に立つ者たちもが歪んだ鏡に映ったように、その形を変えては思考を揺さぶる衝撃を散らす。否、それは時空の歪みに際する視覚的な影響に過ぎないものだった。

 

 美鈴と咲夜は周囲に起きた変化に狼狽えたまま互いの顔を見合わせる。三つの力が乱れた果てに、やがて耳を貫く軋みの中、カブトムシの羽音と列車の警笛と竜の咆哮は掻き消され──

 

「なんだ……!? ど、どうなってんだよ……!? ……っ! おい、ちょ──」

 

 真司の混乱が形を成す余地もなく。美鈴と咲夜を含め、彼らは蒼褪めた馬のファンガイアを前にして。乱れ歪んだ時空の奔流に巻き込まれ、紅魔館の庭園から──その姿を消してしまった。

 

◆     ◆     ◆

 

 紅魔館全体を震わせる力の乱れに表情を変えて、レミリアは己が部屋の窓よりその光景を目にした。庭園にて起きた先ほどの事象。それは、彼女が見た運命の中にはなかったもの。

 

「……! 咲夜たちが……消えた……?」

 

 時間と空間の流れが歪んだことは肌に伝う感覚から理解できた。咲夜が時間を止めて現れる際にも同じ感覚がある。しかし、今の事象は咲夜の能力によるものではない。もっと別の何か、別の力が相互作用し、咲夜たちを別の場所へと飛ばしてしまったのだ。

 三つの世界の軋みが時空を歪める力をもたらしている。レミリアが運命の中に垣間見たカブトムシと列車、そして城を背負った竜の中にあった──鎖に封じられた扉らしきもの。

 

 ()()()()()()という強大な力が一つの世界に束なったことで互いに影響を及ぼし合い、何らかの不具合が生じたということなのか。三つの力のいずれでもない龍騎の世界の法則、カードデッキを持っている咲夜たち三人だけがその影響に巻き込まれてしまったのだろう。

 その結果がもたらす事実は、紅魔館庭園に未知の怪物が野放しになってしまったということ。妖精メイドたちでは戦力にはなるまい。門番を失った門を見つけた侵入者が取る行動は一つだ。

 

「気は進まないけど……私が行くしかないみたいね」

 

 飲み込んだはずの二度目の溜息をついぞ吐く。城戸真司を向かわせたのが裏目に出たか──などと舌打ち混じりに思考を結び、レミリアは紅い魔力と共にその右手に現した特注の日傘、健康的な人間の柔らかい臓物を思わせる可憐な薄紅色のそれを伴い。

 少女は控えめに日光を差し照らす窓を忌まわしげに開きながら、その翼と日傘を広げた。

 

 紅い霧が彼女の左手にて結晶めいた長槍と成り、放たれる。悪魔の心臓をも射貫くその一撃は、中心(ダブルブル)を狙ったものではない。ただ怪物の足元を穿ち抜き動きを止める。役割を終えた真紅の槍は再び紅い霧と還り、文字通り霧散を遂げた。

 夜色の翼も、鮮血色の日傘も。彼女の誇りを演出する旋律の如くふわりと風に乗り。レミリア・スカーレットは紅魔館の当主として自らの足で降り立ち、不遜なる怪物に緋色の視線を向ける。

 

「どういうつもりか知らないけれど、吸血鬼(わたしたち)の同類にしては気品が足りないわ」

 

 槍を放った風圧によって舞い上がった庭園の花びら。淡い黄色と無垢な白。水色のものに紫色のもの。そのどれもが、唯一揺るぎない運命という真紅を飾るため、儚く愛しく舞い落ちる。

 

「私の屋敷に踏み入る気なら……相応の振る舞いを身に着けなさい」

 

 ──運命は言った。お前の居場所はここにはないと。幼く可憐な声色ながらも冷ややかな威圧を込めた忠告。

 だが、向かう相手もまた誇り高き血を持つ者。とある世界において13の魔族を超え、今やその頂点に立つ『ファンガイア』と称される種族の一体である。

 

 彼らの運命は他種族の命を吸い上げて己が力に変えること。あるいは芸術的とも思えるステンドグラスの如き身を備え、馬の彫像に似たその個体──『ホースファンガイア』は掲げた己の右腕を左手で叩くことで、砕け散ったその身の一部を零し。己が足元にて美しく煌く長剣を形成した。

 

「相応の振る舞いだと? 齢100にも満たぬお嬢さんが、面白いことを言うじゃないか」

 

 ホースファンガイアの全身に配された蒼穹のステンドグラスは万華鏡。悪意に歪んだ男の顔を合わせ鏡に映し出し、向き合う真紅に嘲笑をぶつける。

 足元に象られた長剣を右手で掴み拾い上げ、ホースファンガイアはそれを構えた。

 

「その目もガラス細工なのかしら? そんなに若く見えるだなんて、お世辞が上手いのね」

 

 真紅の言葉に蒼穹は曇る。互いに誇りを譲らぬ貴族の如きプライドを掲げ。見た目こそ幼子であれど、500年以上もの歳月を生きた吸血鬼にとって、容姿の幼さだけを蔑む悪意に意味はない。

 対する怪物の万華鏡(ステンドグラス)に映る姿もまた、若い男の外見に反して悠久の歳月を生きていた。

 

「……なるほど。その日傘……それにその魔力。我々の音楽を飾るには丁度いい」

 

 両肩に象られた翼の意匠を溜息と揺らし、ホースファンガイアはレミリアの種族を悟る。交わし合う言葉は運命を見る儀式。双子のペテン師が夢見る、誠実と憂鬱。怪物の狙いは分からないが、レミリアは太陽の光を返す蒼穹のステンドグラスに忌まわしさを覚えた。

 蒼褪めた馬は剛脚をもって疾走する。振りかざされた蒼穹の長剣に打ち合わせるようにして、少女は己が左手に紅い霧の魔力で象った真紅の長槍を形成し、牙剥く殺意の一撃を凌ぐ。

 

「(……殺すのは簡単……だが……)」

 

 肌身に感じる魔力の質は確かに強力なもの。されどこの程度ならば、レミリアにとっては退けることなど造作もない。あえて急所を狙わず足止めに留めたのは、未知の法則を備えるこの怪物から情報を得ようと思ったがため。

 日傘を差しながらでは本気の戦闘を行いづらいという弱点を差し引いても、吸血鬼は強大だ。左手だけで振るう魔力の槍にも相応の膂力が込められ、怪物の剣と不足なく渡り合う。

 

 不意に、甲高い剣戟の音を奏でる紅と蒼の狭間にまたひとつ。ホースファンガイアとは別の馬の(いなな)き──そこに蒼穹ならざる真紅が響き渡った。

 紅き槍と蒼き剣が弾き合い、互いに距離を取りつつ、少女と怪物は現れ来たる気配を見る。

 

「外来人……? でも、この感覚は……」

 

 耳に聞こえたのは機械的なバイクのエンジン音。そのノイズの中に、確かに宿るのは紛れもなく生きた馬の鼓動。流れるオイルは誇り高き血であるのだと証明するかの如く、真紅に染まった一台のバイク──マシンキバーは紅魔館の庭園にて力強く滴り落ちた。

 レミリアが見たのは現代的な衣服に身を纏った一人の青年。マシンキバーからゆっくりと降り、外したヘルメットをバイクに置いて、幼げながら精悍な顔つきで怪物のもとへと歩み出す。

 

「渡! 会えるって信じてたぜ!」

 

 青年のもとへ舞い降りる小さな翼に対し、レミリアは紅い視線を向けた。青年──紅渡はその金色が備える真紅の瞳と目を合わせ、小さく頷いてはそちらと等しく怪物に向き直る。

 

「金色のコウモリ……パチェが言ってたのはあいつか?」

 

 キバットバットⅢ世が放つ魔力は微かながら異質。なるほど、彼女(パチェ)が興味を持つのも納得がいく、と刹那の思考を過らせ、レミリアは周囲の空気が張り詰める感覚を覚えた。この場に現れた外来人らしき青年と金色のコウモリ、彼らを見る怪物の眼差し。

 ステンドグラスを帯びた蒼穹の怪馬は明らかに彼らを警戒している。確かに奇妙な魔力を備えてはいるものの、吸血鬼である自分を差し置き、生身の人間と矮小なコウモリに対してだ。

 

「……キバット!」

 

「よっしゃあ! キバって行くぜ!」

 

 渡はホースファンガイアから視線を外さぬまま、高らかに友の名を呼ぶ。歓喜に翻る金色の翼は旋回しながら、大きな口を開いては鋭く研ぎ澄まされた牙を見せ。

 バイクの運転に際して着けていたライディンググローブは渡の手から外されている。渡は右手を高く掲げて己が周囲を羽ばたくキバットの背を掴み、自らの目の前に差し出した左手に寄せた。

 

「ガブッ!」

 

 キバットの双牙は渡の左手に強く突き立てられる。されどその肌を傷つけることはなく、ゆえに血が滴ることもなく。

 ファンガイアの王族に仕えるキバット族の名門、キバットバット家。その使命を果たさんがため、継承者に噛みついてはその身に宿す神秘の波動──『魔皇力(まおうりょく)』を流し込む。

 渡の頬には誇り高きファンガイアの証たるステンドグラスの紋様が浮かび上がった。その極彩(いろどり)は牙、あるいは翼。瞳に現れる同様の意匠もまた、同族の血を受け継ぐファンガイアへの威圧。

 

「…………!」

 

 レミリアが感じたのは渡の戦意。それだけではなかった。彼の中に湧き上がる力、先ほどまで感じていた異質な魔力。微かだったそれが爆発的に増大し、さっきまでの弱々しさなど見る影もないほどに強く燃えるように活性化していったのだ。

 馬の怪物──ホースファンガイアはそれを知っていた。渡を見た瞬間から、それが王たる鎧の継承者であるということを。この矮小なるコウモリがそれを有しているということを。

 

 魔皇力と称されるエネルギーが渡の中で整っていく。気高く奏でられる笛の音と共に、渡の腰に幾重に連なる白銀の鎖が巻きついていく。

 鎖はやがて一つに混ざり合い、力強さと美しさを兼ね備えた真紅のベルト『キバックル』として具現化した。鎖の意匠を帯びたその帯は腰の両側にそれぞれ三つの呼子笛(よびこぶえ)を備え、正面のバックル部分には魔法陣めいた刻印と止まり木となるべき一条の橋が渡されている。

 

 鋭く高鳴る笛の音色。渡は静かに息を込め、右手に持ったキバットを正面へと突き出した。

 

「──変身!」

 

 紅く滾る宣言はここに果たされる。右手を翻しつつ、キバットを腰元に寄せる。キバックルの止まり木(パワールースト)へと彼の足を繋ぎ留め、さながら木に止まるコウモリの如く上下逆さまにその身を装填。キバックルは『キバットベルト』として完成を遂げた。

 同時に逆さになったキバットの紅い瞳が瞬く。瞼を閉じているのではない。瞳の輝きそのものが紅く明滅し、漲る波動と共に渡の全身に満ちる魔皇力が白銀の彫像として形成される。

 

 やがて彫像は砕け散った。掻き消えた魔皇力の残滓から姿を現したのは、すでに紅渡の姿ではない。ただ何も始まらぬ闇の中に隠れていた自分を脱ぎ捨てるように。閉ざされていた扉をその足で叩き壊すように。ありったけの強さで。

 目に見える不安を数えるよりも、目には見えない繋がりを信じていたい。自分の音楽(おと)が謎を解くイメージを、自分が世界に存在している意味を証明するために。運命(さだめ)因果(くさり)を──解き放つ。

 

「……これは……」

 

 レミリアの真紅の瞳が捉えたのは異世界の法則。白銀の彫像を破り現れたのは、人ならざる異形の血族。その王たる誇りを示す『鎧』だった。

 ()の者の肌を包む黒は竜の皮革(ひかく)。彼の者の双肩と右脚を守護する白銀は強い魔力が込められた砦。彼の者の胸に滾る真紅は心臓の具現たる力強さを誇り、漆黒の血管を伴い満ちる魔皇力の波動に熱く鼓動を続けている。

 月の光を思わせる金色の複眼は牙か翼の如く鋭く万象を威圧し睨めつけ。ただそこに存在しているだけで。佇むだけで。レミリアとホースファンガイアに底知れぬ魔力を感じさせていた。

 

「やはり……お前は……『キバ』……!」

 

 ホースファンガイアは蒼穹の剣を握りしめたまま震える。力の差を飲み込み己を抑え、忌まわしきその名を零す。

 渡が纏うは王のための鎧。ファンガイアの王のために献上された力の証。名を『キバの鎧』と称されるそれは本来、純血の継承者のために鍛えられたもの。だが──

 

 紅渡はファンガイアの血を宿す。されど、その身には同時に人間の血も流れている。ファンガイアが何より忌む穢れた血。ファンガイアの掟に背いた罪の証。

 ファンガイアと人間は愛し合ってはならない。決して交わってはならない。その禁忌を破り、生まれてしまった呪われた存在。

 女王の血を引く彼の者は、王に等しき力を備えた。一度は王座に君臨したとされるその愚かしき罪を座より引きずり降ろすべく、ホースファンガイアは己が王が纏うべき鎧に剣を向ける。

 

 紅き血が刻む運命の系譜。親から子へ渡る音楽。誇り高き旋律は、追憶の幻想と奏でられた。




キバっぽい音楽用語とか芸術用語をにわかなりに使っていくスタイル。いや、奏法。
スペルは違いますけど祈る(Pray)奏でる(Play)が同じ音なの素敵ですよね。

関係ないですが2022年は東方紅魔郷と仮面ライダー龍騎がどっちも20周年です。同期!

次回、第54話『交響曲 ♪ 紅のデュオ』
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