東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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【 KIVATRIVIA 】
みんな、知ってるか?
ホブゴブリンとは、悪戯好きで残忍な妖精、ゴブリンと似た妖精だ。
本来の獰猛なゴブリンとは違って、親切で気立てが良いらしい。
人間に友好的な種族なため、家事の手伝いをしてくれることもあるそうだ。


第55話 弦奏 ♪ エリュシオンに血の雨

 霧は晴れ、代わりに闇が真紅を包み込む。濡れた空は未だ雲がかかっているが、淡い月明かりと共に舞い降りた風がその嘆きを拭い去っていくかのよう。

 紅魔館がより強く紅さを主張する夜。人々が寝静まる今こそ──妖怪の時間である。

 

「…………」

 

 吸血鬼の居城に誘われた青年、紅渡は小さな友人と共に。客間のテーブルの上にて開いた大切なバイオリンケースの中へと視線を落としている。

 棺の中に眠るは、父が祈りを込めて完成させたブラッディ・ローズの輝き。シャンデリアの明かりを返し、艶やかに鮮やかな樹脂の色を見せる奇跡の芸術品。その美しさの真価は、見た目ではない。込められた想いが奏でる、己が誇りを燃やして生き抜いた男と、その血を継ぐ者の祈り。

 

「父さん……僕はこれからどうすればいいんだろう……」

 

 未知への恐怖。幻想郷という秘境に誘われ、紅魔館という屋敷に招かれ。行くべき道が見つからない。その憂いは──迷いは。渡らしさと言えばあるいは音色の一つに数えられるだろう。だが、渡は確かに成長していた。ただ悩むだけの闇の帳など、すでに打ち破っている。

 傍を舞うキバットがその弱さを叱責しようと口を開きかけた。その瞬間、渡は顔を上げた。

 

「ダメだ……! 僕は決めたんだ。僕は、僕として生きるって……!」

 

 時を超え、父と肩を並べ。共に戦った時間を──無為にしないために。渡は父と同じ祈りを胸に抱き、共に生きる。そうして父から受け継いだ命を受け取った。

 ブラッディ・ローズの音色は父の祈り。同時に、それは自分自身が込めた祈りでもある。

 

「(強くなったな……渡……! グレイトだぜ……!)」

 

 キバットはニヤリと口角を上げると、器用に翼を動かしてサムズアップめいたポーズを取った。渡はブラッディ・ローズを宿したバイオリンケースを閉じ、慈しむように革色に纏われた柔らかい毛皮を撫でる。

 不意に客間の扉がガチャリと開く音を聞いた。姿を見せたのは、自身をこの屋敷に招いた吸血鬼ではない。寝間着めいた薄紫色の衣を纏った七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジだ。

 

「げっ……! あの魔女……!」

 

 その姿に嫌悪を抱く。キバットが表情を歪めたのは、その少女が自身を研究対象として捕えようとした本人であったからだ。またしても捕まってしまってはたまらないと思い、慌てて渡の後ろに隠れる。日陰の少女は小さく溜息を吐くと、眠そうな目でキバットを見た。

 

「……パチュリー・ノーレッジよ。先日は失礼したわね。もう貴方を捕まえる気はないわ」

 

 そう告げる彼女からは警戒心は感じられない。キバットも同様に警戒を解くと、渡の背から姿を現してパチュリーを見る。

 渡はキバットの様子が気になっていたが、特に追及せずパチュリーに対して会釈する。

 

「紅渡、と言ったわね。それに、キバットバットⅢ世。話はレミィから聞いてるわ。ファンガイアとやらの破片を調べたから……貴方たちが持っている異質な魔力についてもすでに解析済み」

 

「俺様たちの異質な魔力って……魔皇力のことか?」

 

「……魔皇力っていうのね。あのエネルギー」

 

 パチュリーはキバットの問いに答えず、手にした本に筆を走らせる。パタンと本を閉じ、手元からそれを消失させる。こほんと一度咳払いをすると、パチュリーの背後の扉から彼女の半分ほどの身長を持つ緑色の怪物が姿を現した。

 小さな角に長く伸びた鋭い耳。子供じみた背丈をしているにも関わらず、厳つい顔は年老いているようにも見える。その歪で醜悪な怪物は、盆の上の紅茶をテーブルの上へと並べていった。

 

「な、何……あれ……」

 

 三人分の紅茶を置いて去っていく小鬼の背を見て、渡は小さく呟く。ファンガイア以外の魔族を知らないわけではないのだが、あのような生物は初めて見た。

 キバットも驚いているように見えたが──どうやらその驚きは渡とは少し違うようだ。

 

「あれは……ゴブリン族か? ファンガイア族が絶滅させたと聞いていたが……」

 

 冴える赤い複眼に映る姿は紛れもなく『ゴブリン族』と称される種族の特徴を有していた。キバの世界に存在する13の魔族の中でも彼らは極めて獰猛で好戦的な気質を持ち、同族間での争いも絶えることはなかったという。

 その性質ゆえにファンガイア族と対立し、彼らは絶滅してしまったはず。だが、キバットはすぐに思い出した。ここは自分たちが存在する世界とは別の地平。並行世界とも定義し得る場所である。彼らが絶滅を回避していてもおかしくはない。

 そもそも魔族の定義からして違うのだろう。キバの世界に存在するゴブリンと幻想郷に招かれたゴブリンは根本から意味が違うのか、残忍さやライフエナジーへの渇望が一切見られなかった。

 

「……ああ、あれはホフゴブリンっていう生き物らしいわ。座敷わらしみたいなものね」

 

 幻想郷の賢者によって人里へ招かれ、紆余曲折あって現在は紅魔館にて働いている醜く歪な小鬼たち。人に仕え、家事を手伝うその存在は『ホフゴブリン』と呼ばれる。

 見た目は小鬼そのものだが、仕事は丁寧で、妖精メイドたちよりも役に立っているようだ。

 

「どちらかというと、ホビット族に近いのか……?」

 

 キバットはパチュリーの落ち着きを見て警戒を緩めていく。もしキバの世界におけるゴブリン族と同様に、狩った他種族の肉を喰らい骨を集めるような蛮族であれば、いくら吸血鬼の館とはいえ使用人として雇うことなどまず不可能であろう。

 強者に隷従して絶滅を逃れる弱者。力こそないが、知恵でもって生存を選ぶその在り方は獰猛なゴブリン族とは正反対の臆病な性質を持ち、現在も存続している『ホビット族』に似る。

 

 あるいは、ホビット族とゴブリン族との血を継ぐ混血(ハーフ)なら、あの小鬼のような存在として産まれ落ちるのだろうか。

 キバットはそれを想像し、共に生まれ育った混血の親友──渡の苦悩を投影して涙を飲んだ。

 

「……そんなことより……あなたたちの世界についてもっと教えてくれるかしら?」

 

 パチュリーは紅いソファに座ってテーブルに向き合う。渡も同じく向き合い、ホフゴブリンが持ってきた紅茶のティーカップを持つパチュリーに視線を合わせた。

 未だ不審がっている様子のキバットは翼の先で自分の正面にある紅茶の表面に触れる。ぺろりと己の翼爪を舐め、紅茶に毒などが入っていないか確かめると、両の翼で包み込んで器用にカップを抱き寄せる。

 

 ゆっくりと紅茶を飲んでいくキバットを横目に、渡は静かに口を開いた。そして、自分が今までファンガイアと戦ってきたことを語る。

 偉大な音楽家と、誇り高き女王の子として生まれてきたこと。それは掟が許さぬ禁断の愛であったこと。母より託されたキバの鎧を纏いて、父の祈りのままに人の心に流れる音楽を守ってきた、キバの継承者としての──紅渡としての一年間の戦い。

 レミリアに語ったファンガイアの性質についてはパチュリーも聞いているらしい。そのため、渡とキバットは自分たちが生きた世界──キバの世界の魔族や在り方についてを深く語った。

 

「人間とファンガイアは、きっと共に生きていける。父さんと母さん……人間とファンガイアの血を受け継ぐ僕が……その繋がりになりたいんだ。そして、僕の音楽でみんなを幸せにしたい」

 

 パチュリーは渡の理想に幻想郷を重ねた。人間と妖怪が共に生きるこの郷。スペルカードルールという法が制定され、互いが必要以上に傷つけあい、否定し合うことがなくなった楽園。キバの世界においてその法則が宿るのだとしたら、それは誰もが等しく愛することができる音楽という一つの秩序──人の心に彩りを与える芸術なのだろう。

 されど、その道は未だ遠い。ファンガイアは今でも人間をただの食事と見ている者が多く、家畜と共に暮らすなどありえないと──渡の兄である王の言葉すら唾棄する者が大半だ。

 

 問題はそれだけではない。ファンガイアが渇望するライフエナジーに代わる新たなエネルギーを開発したとしても、王の法を認めぬ者が兄の王座を奪いに来る未来がある。

 時を超えて未来から現れた新たな勢力は『ネオファンガイア』と呼ばれていた。彼らは王の在り方を拒み、我らが理たらんと謀反を起こした現王否定派、ファンガイア至上主義者たちだ。

 

「あっちは今頃、どうなっていることやら……」

 

 キバットは不安そうに顔を伏せる。未来から来た渡の息子、素晴らしき青空の意志を継ぐ戦士たち。そしてファンガイアの王たる渡の兄と、その家臣たる従者たち。彼らの力があれば新たな敵を退けることもできるだろうが、自分たちがそこにいられないのが歯痒い想いを募らせる。

 

「……自分たちの世界が気になっているようだけれど……まだ帰すわけには……」

 

 パチュリーがそれを言い切る前に、その手の紅茶が波打ち揺れる。波紋を広げた残響は地震などではない。客間のテーブルに立てかけてあった渡のバイオリンケースの内側(なか)から、旋律ともつかぬ不思議な音が響いてきたためだ。

 頭の中に直接聞こえるようなブラッディ・ローズの弦の音。独りでに震えるその音色は、幾度となく渡が耳にしてきた──戦いの序曲。宿命を告げるオーバーチュア。

 

 怪訝な顔でティーカップをソーサーに戻すパチュリー。その音色がバイオリンのものであることくらいは分かるのだが、奏者がいないにも関わらず閉じたままのケースの中身だけが不自然に音を奏でている。

 湖の向こう側の廃洋館に住まう騒霊の仕業か──? と思考する間もなく、渡が席を立った。

 

「あっ……ちょっと……!」

 

 パチュリーの制止も聞かず渡とキバットは客間を飛び出していく。革色に毛皮を装うバイオリンケースを手に取って、渡は思考に巡る父の祈りに突き動かされるように部屋を出て行った。

 

「……そのバイオリンも調べておきたかったのだけど」

 

 閉じる扉を見送りながら、今一度ティーカップを手に取る。渡が持っていったバイオリンケースには、微かながら彼の身に宿っている魔皇力の残滓と呼べるものを感じた。

 残滓ながらその強さは尋常ではない。まるで呪いのように──棺の中に込められていたのだ。

 

◆     ◆     ◆

 

 渡は紅魔館庭園に停めておいた真紅の鉄馬、マシンキバーに跨り先を目指す。紅いヘルメットのバイザー越しに見届けるは、ブラッディ・ローズが導いた祈りの果て。月夜の下を疾走するバイクをもって、霧の湖を超えた向こう側へと向かっていく。

 ブラッディ・ローズのケースは、今一度マシンキバーのシャドウベールにしまってある。たとえ距離を隔てても、その音色は渡の思考に届き──父の祈りとして渡の胸に意志を刻む。

 

「キバット!」

 

 ヘルメット越しに声を上げる。マシンキバーの疾走に等しい速度で月下を舞う金色のコウモリは足の爪で渡のライディンググローブを外すと、その左手に噛みついた。

 キバットの牙から魔皇力が流れ込む。宿主の力を活性化させる『アクティブフォース』。王たる波動が紅渡の身に眠るファンガイアの血を呼び覚まし、その頬と首にステンドグラスの色を浮かび上がらせていく。

 

 静寂の夜に鳴り響く──禁忌を謳う笛の音色。渡の腰に走る鎖は紅くベルトを象り、キバックルとなって。キバットが翼をもって羽ばたき、自らその止まり木へと逆吊られ──

 

「……変身」

 

 渡の身は白銀の彫像に包まれる。やがて誇り高く砕けるその身は、キバの鎧を継ぐ者。マシンキバーと共に夜を走る。月の光を受けて、狂おしく真紅に輝くファンガイアの鎧。されどその心に奏でる音楽は紅渡自身のもの。彼だけの祈りと音楽。

 紅き残光が闇を斬る。マシンキバーの尾灯が宵闇の譜を刻み、その鉄馬は嘶きを上げる。

 

 ──霧の湖。月明かりに照らされた静寂の園は、妖精の住処とされる。その場に、冷ややかなる双眸で月夜を仰ぐかのように。白む霧色のドレスを纏う若い女性が立っていた。

 彼女の手には一挺のバイオリン。己が顎にてそれを挟み、右手の弓で弦を撫で弾く。奏でる音色は霧を伝い、美しい音楽を響かせていた。

 妖精たちは蜜に誘われる羽虫の如くその音色に引き寄せられる。長い茶髪を霧に濡らした、その女性が奏でる音色に酔い痴れる。やがて、女性は自らの顎に極彩色の悪意を映し出した。

 

 次の瞬間、霧の湖の空に浮かび上がったいくつもの牙。半透明の真紅をもって、妖精たちの首に捕食者の譜を刻みつけていく。

 女性── 宮澤(みやざわ) ひとみ は人間(ヒト)に非ず。空に浮かべた無数の吸命牙を導き、誘き寄せた妖精たちのライフエナジーをその身に喰らう魔族の頂──純血のファンガイア。バイオリンによる演奏を操り獲物を誘い出すことで捕食する、狡猾な狩人であった。

 

 首に半透明の牙が突き刺さった妖精は声を上げることもできず、己が命の色を失い、牙と同じく半透明になっていく。

 哀れにも命を吸い取られた自然の化身は、朽ちたステンドグラスの如く褪せ、力なく空を飛んでいたままに──パリンと渇いた音を立てて呆気なく砕け散ってしまった。

 月明かりを受けてきらきらと輝く妖精たちの破片。それらは吸命牙の行使に際して顎と首にステンドグラスの模様を浮かべて憂うひとみのもとへ降り注いでは、霧の湖の水面へと落ちていく。

 

「……足りない。この程度では」

 

 ひとみは弓とバイオリンを下ろし、首の極彩色を剥き出したまま呟く。不意に彼女が霧の彼方を見たのは──その耳にて不快なバイクのエンジン音、鉄馬の嘶きを聞いてしまったがため。

 

「あいつは……!」

 

「……ひとみさん……どうして……」

 

 マシンキバーを畔に停め、鎖の音を鳴らしてその地に降りる者。キバの鎧を纏った紅渡は、腰のキバットベルトから外れて宵を舞うキバットの声を聞き、複眼の下で目を見開いた。

 海外でも活躍を期待されたヴァイオリニスト、宮澤ひとみ。彼女は渡のもとへ破損したバイオリンの修復を依頼しにきたこともあった。音楽を愛する者に悪人はいないと、渡は穢れなき無垢な心で信じていた。

 

 彼女もまた、この地にて再び倒したホースファンガイアと同じ、すでに倒した相手。ファンガイアの遺伝子は無作為な神の悪戯によるものが多く、特性は遺伝することはない。あるいは一度倒した相手であろうと、似た特性の個体がどこかで生まれるかもしれないが──

 それはファンガイアとしての姿と能力のみ。宮澤ひとみという一人の姿、ファンガイアの人間態までもが同じ存在として蘇ることなどありえるはずがない。

 キバットもまた、渡と同様に狼狽えた。理性を失った生ける死体(リビングデッド)などではない。完全なる死者の蘇生など、ファンガイアの魔術すら遥かに凌駕した異常な技術力だと言わざるを得なかった。

 

「待っていたぞ……キバの継承者」

 

「渡……! やっぱりおかしいぜ……! こいつは、確かに死んだはずだ……!」

 

 不敵な笑みを浮かべて渡──キバへと向き直るひとみ。その手の弓とバイオリンを虚空に消し去り、顎と首、胸に刻まれたステンドグラスの模様をぼんやりと輝かせる。

 湖の畔に散った儚げな命の欠片を見た渡には、キバットの焦燥による声は届いていない。

 

「……あなたは……音楽を何だと思っているんですか……!」

 

 渡の張り裂けそうな想いが月夜に響く。それを聞いた彼女の表情は、ひとたび不意を突かれた驚きに染まり。すぐに興味深そうな笑みへと変わり、過去──1986年の時代へと思いを馳せる。

 それは忌まわしき記憶。大切なバイオリンを無力な人間の戦士に破損させられた屈辱。

 

「いつだったか……同じことを問われたこともあった」

 

 女性の言葉に滲む不気味な波動。やがて魔皇力が強くなり、キバの首へ影が迫る。それは彼女の背から突き出したステンドグラス状の体組織だ。

 硬質な細胞から成るにも関わらず奇妙な弾力と柔らかさを併せ持つ軟体動物の触手めいたもの。まさしく(タコ)の足と呼べるものが──キバとなった渡の首に強く巻きついたのだ。

 

「だが、答えるまでもない……!」

 

 ひとみの姿は月明かりに揺れる水面の如く。虚ろに波打ち光と歪み──その真躯を晒した。

 膨れ上がった真紅の体躯。全身に配された吸盤の意匠。見る者に不快感を与えるような蛸の姿の怪物──歪んだ異形たる『オクトパスファンガイア』であった。

 水棲生物の意匠を持つ個体はファンガイアの分類において『アクアクラス』と定義され、その名の通り水中や水辺での活動を得意とする。霧を帯びた湖の畔は、タコの怪物である彼女にとってはまさに絶好の狩場だった。

 

 タコの触手が引き締まっていく。かつて戦ったときよりも格段に強く、渡の首を絞める。丸みを帯びた柔らかさなれど、その無慈悲さは冷たい月の嘆き。満月に引き裂かれた貴婦人の肖像。キバの鎧はこの程度では砕けないが、これではまともに動くこともできない。

 キバットベルトから外れている状態のキバットは自由だ。忙しなく月下を舞い、渡の身体を拘束しているタコの触手にガブリと咬みつき牙を立てる。

 かつてと同じならばこの一撃で怯んでいたはずの怪物は一切の反応も見せずに拘束を続けた。

 

「このタコっ! 離しやがれ!」

 

 強く牙を突き立てても弾性のある触手は噛み千切ることが難しい。ぐにぐにと形を変え、上手く突き刺さらない牙の先からは血の一滴も出ない。

 オクトパスファンガイアは、煩わしげにさらなる触手でキバットを弾き飛ばした。

 

「キバット!」

 

 ちゃぽんと湖に落ちたキバットは慌てて飛び出し、水気に濡れた身を振るう。友の身を心配して余所見をしてしまった渡は、一瞬だけオクトパスファンガイアから目を離してしまっていた。

 

「渡!」

 

 首を縛られ動けぬ状態のまま、キバットの声が耳に届く。目の前に迫る魔皇力の塊、タコの墨を模した漆黒の光弾が撃ち出されては、渡の身にて小さな爆発を起こす。その衝撃で拘束からは解放されたものの、動けぬまま直撃を受けてしまった。

 キバの鎧は相変わらず傷の一つもつかない。だが、鎧を纏いし継承者への負担は考慮されていない。元よりこの鎧はファンガイアを統べる王が纏うべきもの。純血の継承者にこそ相応しい玉座。人間の血を宿し、長く人間として生きてきた渡は鎧の耐久力と肩を並べてはいないのだ。

 

「ぐぅっ……!」

 

 いくらキバの鎧を纏っていようと、ファンガイアの攻撃を受ければ痛みは必定。王を名乗ったことこそあれど、彼は純血のファンガイアとして玉座に座ったわけではない。

 ゆっくりと歩を進めるタコの異形を前にして膝を着き、その傍へとキバットが舞い降りる。

 

「こいつ、前よりずっと強くなってやがる! 気をつけろ、渡!」

 

 タコの口から吐き出される墨という漆黒の光弾。いくつもの爆発を生じさせ、キバはその隙間を縫うように転がって避ける。

 巻き上がる黒煙に紛れながらオクトパスファンガイアの目を欺く渡。咄嗟にマシンキバーに搭乗し、その勢いをもって怪物に突っ込んでいくが──怪物もまた機敏な動きでそれを避けた。

 

「シャァアアッ……!」

 

 オクトパスファンガイアは自らの両脚をぐるりと巻き上げる。すると、環状になったその両脚は生物としての骨格を捻じ曲げるように車輪の形を模した。

 通常の生物であれば異常とも思える変化だが、それは彼女がタコの意匠を有するがゆえか。軟体動物には骨格など存在しないのだろう。車輪となった己が両脚を自在に操り、オクトパスファンガイアは渡が繰るマシンキバーの疾走に並ぶ速度で車輪を回転させる。

 迫る触手を跳ねのけ、渡はバイクの手綱(ハンドル)を握り隙を探した。かつてはこの触手をバイクに括り、強引に自動車へと叩きつけることで運命の一撃をぶつける隙をもたらしていたのだが。

 

 霧の湖の周辺にはそんな都合の良いものはない。湖に叩き落とそうにも、相手はアクアクラスに分類されるタコのファンガイアだ。むしろ相手に利を与えてしまう可能性がある。

 いつまでもこうしてバイクを走らせているわけにもいくまい。何か解決策を見出さなくては。

 

「……っ!?」

 

 突如、渡の目の前に突き立てられる一条の蜘蛛の糸。真白く大地を抉るその一撃は、弾丸よりも力強く土煙を巻き上げた。

 思わずマシンキバーのブレーキを引いた渡。キバとしての複眼をもって見上げる月夜の空には、見慣れぬ灰色のオーロラが広がっている。──否。それは見たことがあった。ただの一度だけ、その視界の端にて瞬くように。一度だけ目にしたことがある。

 

 昼に戦ったホースファンガイア、馬の意匠を持つは哺乳類たる『ビーストクラス』と定義される個体。

 それを撃破した際、ライフエナジーの光球を掠め取っていった蜘蛛の糸が消え去った先。一瞬だったためにその全容を視認できなかったが、瞬く速度で放たれた白亜の光はまさしく──

 

「チューリッヒヒヒヒ……♪」

 

 オーロラより舞い降りるは黒いタキシードに身を包んだ若い青年。波打つ黒髪を霧に濡らし、その右手に携える奇妙なネズミのパペットを震わせては、左手の白手袋から伸びる蜘蛛の糸を己の指から切り離す。彼── 糸矢 僚(いとや りょう) もまた、純血のファンガイアとして生を受けし者だ。

 

「あいつ! まだ生きてやがったのか……!?」

 

 キバットの驚きも渡と共に。糸矢(いとや)もまた渡が戦ったことのある相手だ。黄金のキバの力をもってして致命傷を与え、その最期こそ見届けることはなかったが、もはや再起不能と言って良いほどに追い詰めたのだが──ファンガイアとしての再生能力が桁違いなのか。

 ──渡とキバットはその真意を知らない。キバによって致命傷を与えられた彼は、逃げおおせたその先で。紅渡が愛した女性──現代におけるファンガイアの女王に引導を渡されたことを。

 

「邪魔はさせない……貴様にも……クイーンにも……!」

 

 不気味な笑みを浮かべていた彼は不意にその笑みを拭い去り、自らの顎と首にステンドグラスの模様を浮かび上がらせる。

 その背に突き出すは月の足元に這い寄る八つの節足。さながら捕食者の威嚇をも思わせる八束の脛を夜に掲げ、奇人は右手に備えたネズミのパペットを夜霧の闇に消し去った。

 

「愛してるぞーっ! (めぐみ)ーーーっ!!」

 

 高らかに月夜へ叫ぶ糸矢は、またしても不気味な笑顔で空を仰ぎ。月明かりが彼の身を照らした瞬間、その身は彼の本質──ファンガイアとしての姿へと変化を遂げる。

 美しき七色の煌きを返す耽美的な悪意の具現。極彩色の捕食者。悪趣味な荘厳さを隠すことなく湛えた蜘蛛の如き異形。

 その背にいくつもの節足を長く突き出し背負う『スパイダーファンガイア』は、おぞましく膨れ上がった頭部の複眼をもってマシンキバーから降りた渡──キバの継承者へと向き合った。

 

「……マズいぜ……渡……!」

 

 背後には真紅の鉄馬に等しい速度で車輪を滑らせるタコの如き異形、オクトパスファンガイア。そして目の前には、節足動物の分類──『インセクトクラス』に定義される蜘蛛に似た意匠を持つスパイダーファンガイアが漆黒の体躯を鈍く輝かせている。

 思考は一瞬。その隙を突くように、白亜の糸と暗澹(あんたん)の墨が前後から飛び迫る。渡は咄嗟にマシンキバーのシャドウベールを展開することで、己が身を守りつつマシンキバーを降りた。

 

 爆風が晴れぬ間に、オクトパスファンガイアの車輪が空を裂く。キバの首を狙って放たれた飛び蹴りを咄嗟に避けると──マシンキバーは馬のモンスターの脳が埋め込まれた思考力をもって自律走行し、独りでにシャドウベールの狭間へ消えた。

 渡が避けた先にはスパイダーファンガイア。蛸の足が巻き上がった車輪の刃は、そのまま蜘蛛の怪物へと当たる。

 ステンドグラスの細胞が砕けることこそなかったが、衝撃は確かに伝わっているようだった。

 

「ぐぶっ……何をするっ!!」

 

「……貴様、人間の女を愛しているそうだな。掟に背くとは、愚かな奴だ」

 

 スパイダーファンガイアはその身に糸矢僚としての表情を映し出し、万華鏡の如く憤る。怒りに震える蜘蛛のステンドグラス。そこに向き合うオクトパスファンガイアもまた宮澤ひとみの表情を映し、愚かな同族への侮蔑を隠すことなくその瞳に込めた。

 その対話も刹那の間。二体のファンガイアは湖上の月を背にして。体勢を整えた渡、キバの鎧の継承者に向き直る。真紅の蛸の怪物は、車輪を元の蛸の足に戻しては長い触手を掲げていた。

 

「くっ……」

 

 渡は目の前の敵に構えを取る。──怪物たちが動きを見せた、そのときだった。不意に紅く強い魔力の波動を感じて、宵に染まった空を見る。

 狂おしく輝く光。その譜面に一滴の血が滴るように──永遠に紅い幼き月が舞い降りる。

 

「がっ……!?」

 

「うぁっ……!?」

 

 その波動に気がつくや否や、二体のファンガイアの背にて魔力が炸裂した。続けて放たれた真紅の魔力によるコウモリの如き使い魔。月夜に翼を広げる吸血鬼、レミリア・スカーレットが掲げる紅き魔法陣より、それそのものを弾幕と成したコウモリ型のエネルギーが飛翔する。

 レミリアが放った【 サーヴァントフライヤー 】はその一つ一つが独立してそれぞれ二体のファンガイアへと襲いかかっていき、再び紅く火花を咲かせた。

 

 渡とキバットはその姿に夜の王たる在り方を見る。ふわりと地に降り翼を畳み、夜天の下ゆえに日傘を持たずに悠々と歩むその佇まいは、伝承に語られる吸血鬼のカリスマを体現していた。

 

「待たせたわね。渡」

 

「お前、レミリア・スカーレットとかいう……! どうしてここが……!」

 

 不敵な笑みを見せるレミリアに対し、キバットは渡の腰にて逆さまになったまま問う。彼女にはブラッディ・ローズの音色は聞こえていないはずだ。

 ファンガイアの出現を知らせるあの音色が紅魔館の客間にて響いたとき、彼女はその場にいなかった。

 仮にその音を聞いていたとしても、そこに込められた祈りまでは伝わるまい。渡のようにいつどこにいてもブラッディ・ローズの叫びが聞こえたり、その音を聞くだけで目指すべき場所が分かるような者など。紅渡本人を除けば──ブラッディ・ローズの製作者である彼の両親くらいだ。

 

「これだけ強い魔力があれば嫌でも分かるわ。その波動……魔皇力っていうんだって?」

 

 レミリアは小さく溜息をつくと、キバ──渡に視線を馳せては二体のファンガイアに向き直る。彼女の身は月に照らされ夜霧に紛れる黒と散り、無数のコウモリとなってそれらの間を通り抜けていく。やがてキバの隣にて集ったコウモリの群れは──レミリアの姿を再構築した。

 

「それにしても、蜘蛛と蛸? 昼間の馬が神の軍馬(スレイプニル)ならビンゴだったのにね」

 

 紅と紅。キバとレミリアが対する怪物は、八つの足を持つ節足動物。光ある楽園の綺想曲。そして、八つの足を持つ軟体動物。満月に引き裂かれた貴婦人の肖像。

 奇しくも等しき足の数。少女はその共通点を見て、神話に名立たる八本脚の神馬を想う。

 

「その魔力……! 今この場で叩き潰す!」

 

 オクトパスファンガイアは茹だった蛸の如き真紅のステンドグラスに表情を浮かべ、再び地に立つ二本の脚を車輪と変えた。

 震う刃で地を削りながらファンガイアに匹敵するほど気配を放つ妖怪──吸血鬼たるレミリアに対して接近する。その口から漆黒の墨を吐き散らし、魔皇力による爆風を迸らせるも──

 

「遅い」

 

 月夜の下、少女は紅く舞いを見せる。オクトパスファンガイアの光弾を、その車輪による突進を、小さな翼のはためき一つで、風の流れに乗り(かわ)す。

 霧の湖の畔であれど、そこは彼女にとって紅魔館のダンスホールとも変わらぬ舞台。少女の紅い目に映った真紅はその視線に射貫かれ、自ら放った爆発による黒煙が掻き消える光景を見た。

 

「……っ!!」

 

 小さな翼は風圧を起こす。晴れゆく黒煙の中に見えたのは、レミリア・スカーレットの指先から閃く紅き光弾。それはさながら小さな槍。あるいは矢。真紅の爪を光と放つ、魔力の針とも呼べる鋭いエネルギーの刃。

 月夜の下にて放たれた光弾の群れ。彼女の通常ショットとして定義された【 ナイトダンス 】はサーヴァントフライヤーより威力は勝るが拡散性能のない直線攻撃として用いられる。

 

 炸裂する紅き光は血の如く。怯んだオクトパスファンガイアの隙を突いて、渡は軟体の身にキバとしての蹴りを叩き込んでは翻って距離を取る。

 レミリアはサーヴァントフライヤーの魔法陣を上空に留めて、自らは蜘蛛へと向き直った。

 

「さぁ、今度はあんたの番よ」

 

「くっ……来るな!」

 

 悠々と歩むレミリアは右手に束ねた紅き魔力で長槍を形成する。スパイダーファンガイアは後退しながら、蜘蛛の糸を吐きつけた。それは容赦なくレミリアの右手首を縛りつけ、構えられた魔力の槍は霧散してレミリアの手元から消えていく。

 好機と見たスパイダーファンガイアは躊躇なく襲い掛かったが──レミリアは退屈そうな表情で左手の指をパチンと鳴らした。

 夜空に留まった魔法陣が再び紅く輝きを増す。放たれたサーヴァントフライヤーはレミリアのもとからではなく、設置されたその場所からコウモリの光弾として怪物へと向かった。

 レミリアの使い魔たるこの魔術は本体の意思があれば遠隔武装(オプション)として第二の射出点となる。設置しておけば、固定砲台としても扱えるのだ。

 

 スパイダーファンガイアの身体に降り注ぐサーヴァントフライヤー。遊びではない本気の魔力を込めた吸血鬼の弾幕は、ファンガイアといえど堪えよう。

 キバの世界の魔皇力とは異なる幻想郷の魔力。馴染まぬ波動にステンドグラスの細胞が打たれて軋みを上げる。スパイダーファンガイアは蜘蛛の脚力でその場をすぐに離れた。

 だが、すぐにレミリアの手から放たれた紅い魔力の鎖が怪物を縛りつけ、強引に引き戻す。

 

「ぐぅっ……!」

 

 紅き鎖は蛸の触手よりも頑丈に。レミリアはファンガイアの身を縛っては吸血鬼の膂力をもって背後へと引っ張り上げた。霧の如き魔力を束ねた【 チェーンギャング 】は、運命という抽象的な概念を鎖の形に象ったものである。

 その鎖から逃れることは決してできない。それは、どこまでも対象を追いつめる運命そのもの。奇しくも渡が蹴り飛ばしたオクトパスファンガイアとぶつかり、二体は二人の前に落ちる。

 

「…………」

 

 レミリアの鎖は霧散する。純血の吸血鬼と混血のファンガイア。歩む威圧は王の如く。レミリアは己が左手に束ねた魔力で再び真紅の槍を形成し、渡はキバとして帯びる腰のキバットベルトから真紅の翼を象ったウェイクアップフエッスルを手に取った。

 交わし合う指先の調べは真紅と真紅。どちらも同じ──鮮血の色。レミリアの手元に輝く真紅の槍は純粋な魔力の塊たる『光弾』として在り、渡がキバットに咥えさせた呼子笛は──

 

『ウェイクアップ!』

 

 眠れる魔力を覚醒させる鍵。両手を開き、目の前で交差させると同時。キバットが吹き鳴らした禁断の旋律によって、霧の湖は変わらず月夜を湛えたまま。真紅の濃霧が立ち込める。レミリアはその白い肌に──己と等しき真紅を感じていた。

 人間とファンガイアの血を受け継ぐ渡はレミリアの鎖によって引き摺り出された蜘蛛の異形に。誇り高き吸血鬼の血を宿すレミリアは、渡の一撃によって突き飛ばされた蛸の異形に対して。

 

「必殺──」

 

 レミリアが宣言した紅き札の名。己が身に宿す魔力を左手の槍に込める。その胸に抱いた一片のカードを想い、幼きその身の背丈を超える長槍を掲げながら。

 その威光を見るように、渡は右脚の鎖を解き放つ。封印を解かれたヘルズゲートは、その内なる禁忌──『デモンズ・マウント』を晒した。本来ならばキバの世界における『トライシルバニア銀』によって白銀であるはずのそれは、満ち溢れる魔皇力によって真紅に染まっている。

 

「……この力は……やはり……!」

 

 オクトパスファンガイアが自身のステンドグラスに映すは焦燥の色。キバットバット家の嫡子が奏でる音色に共鳴したのか、幻想の吸血鬼が纏う真紅も魔皇力と同じ力を放っていた。

 あってはならない。キバの世界の法則に依らぬ者が、我らの力を宿すなど。怪物は自らの触手を硬質化させ、槍を掲げるレミリアに向けて鋭く伸ばし突きつけるが──

 

「──ハートブレイク」

 

 ふわりと左手を下ろすその瞬間、空に走る禍々しき風圧。紅き魔力を込めた光弾は、その速度を伴いさらに長大化し、加速を遂げながらオクトパスファンガイアへと突き進む。

 触手が伸びる速度よりも速く。その一撃は【 必殺「ハートブレイク」 】の名を冠す巨大な弾幕の一種として。

 旋風を巻き起こしながら疾走する真紅の槍。魔力そのものたるそれはオクトパスファンガイアの胸部の黒へと突き刺さり、パリンと小さくステンドグラスを貫いた。湧き上がる魔力の奔流がその身へと流れ込み、少しずつ極彩色が浮かび上がるにつれ、真紅の槍は魔力に還って霧散する。

 

「……ぐぅ……あ……」

 

 胸を押さえてよろめくオクトパスファンガイア。全力を込めたつもりはないとはいえ、殺すつもりで放った一撃を耐え切るその姿を見て、レミリアは微かに目を見開いた。

 レミリアはすぐに翼を広げて後退し、軽やかに飛び退く。蛸の触手が飛んでくる気配はないが、夜天にて湧き上がる絶大な魔皇力の気配──キバが放つ王の力に巻き込まれぬために。

 

 夜空を見上げるスパイダーファンガイアが見たのは、三日月に映る影。翼を広げた右脚を天へと掲げ、止まり木に宿るコウモリの如く逆さに吊られた王の鎧。

 キバはくるりと翻る。ヘルズゲートの切っ先、魔斬口の頂を眼下の蜘蛛へと向け直して。

 

「はぁぁああっ!!」

 

 紅霧の具現。運命の代行者。渡は月明かりと共に舞い降りる。夜風を切り裂き、静かなる墓標をスパイダーファンガイアへと刻み込むために──

 瞬間。夜霧に揺蕩う蜘蛛の異形は予期せぬ動きを見せた。己が指の先より迸る白き糸を伸ばし、巣を張るように広げてみせたのだ。それは、キバの一撃を受け止めるための盾などではなく。

 

「何っ……!?」

 

 蜘蛛の糸に捕縛されたのは胸に穴を穿たれた状態のオクトパスファンガイアだった。蛸の異形は同族たる蜘蛛の異形によって引き摺り寄せられ、身代わりとして捧げられる。

 スパイダーファンガイアはがっしりとそれを掴んで天へと掲げた。蜘蛛の糸と脚に拘束された彼女は、もはや動けない。ぎょろりと蛸の眼を向け直した夜空に輝けるは、遥かなる魔皇力を湛えたキバの右脚である。

 穿通。広げたヘルズゲートの名の下に、オクトパスファンガイアは紅き王の宣告を受け止める。レミリアのハートブレイクによって穿たれた胸の穴に、キバの魔斬口が叩きつけられ──

 

「────ッ!!」

 

 その身は深き七色に染まり。ダークネスムーンブレイクの一撃をもって賜った魔皇力の光に耐え切れず、儚くも美しく、ステンドグラスの欠片となって砕け散った。

 月光を返し耽美的に煌く命の破片。それはキバと等しくスパイダーファンガイアにも降り注ぎ、血の雨の如く無慈悲な楽園を象徴する涙となって。

 スパイダーファンガイアの咄嗟の行動に反応する暇もなく、渡は蜘蛛の脚に蹴り飛ばされる。ウェイクアップを行使した直後だったとはいえ、油断していたわけではなかったのだが。

 

「チューリッヒヒヒヒ……♪ ガーリックククク……♪」

 

 スパイダーファンガイアは淡く己を虚像と歪ませ、糸矢僚としての人間態に戻る。月夜の旋律(かぜ)に波打ち揺れる黒の長髪を靡かせ、不気味な笑顔でパペットを取り出しながら。

 右手にて嵌めたネズミのパペットの中へと、オクトパスファンガイアの亡骸から溢れ出た輝ける命の光──ライフエナジーの光球が吸い込まれていく。そして左手に嵌めたアヒルのパペットをもって、もう一つの光球を取り出した。

 

 右手に宿るはオクトパスファンガイアのライフエナジー。そして左手に宿るは、渡がこの世界に誘われて再び倒した馬の異形、ホースファンガイアが遺したライフエナジーの光球だった。糸矢はその二つを回収し、己が所有物として密かに隠し持っていたのだ。

 頭上に掲げられる二つのパペット。同時に、ライフエナジーの光球は霧の湖の空へと二重螺旋を描きながら浮かび上がっていく。砕け散った命の破片、ステンドグラスの欠片を伴いながら。

 

「渡っ! やばいぜ!!」

 

「え? な、何? 何が起こってるの?」

 

 天へ召し上げられゆく二つの魔皇力とライフエナジー。ステンドグラスの残骸を空の一点に集約させ、糸矢はそのエネルギーを月明かりの下で一つの力に捻じ曲げていく。

 キバットはそれを見て声を上げた。渡も息を飲み警戒するが、レミリアは絶大な魔力の反応こそ感じられどもそれが何を意味するのか分かっていない。

 

 霧の湖が波紋を広げる。濡れた風が震える。糸矢の頭上──遥か天空の月夜にて。死んだ二体のファンガイア、その残滓たるライフエナジーはさらなる魔皇力(ちから)をその亡骸()に宿していき──

 

「砕かれし我が同胞たちの魂よ、大いなる力となって甦れ!!」

 

 糸矢は空を仰ぐ。その瞬間──霧の湖に光が生じた。遍く夜を照らすが如く、魔皇力を解き放ちながら、霧の湖上に巨大な幻影(かげ)が浮かび上がる。

 月明かりを返すステンドグラスは七色に。あるいはシャンデリアにも似た意匠を抱く、歪な城塞めいた骸。それはファンガイアに伝わる死者たちの亡霊であり、同族たちの墓標でもあった。

 

「大きい……」

 

 レミリアはその巨躯を見上げる。古びた調度品を思わせるが、放つ威圧感と存在感はただのアンティークとは言い難い。

 奇妙な異形のシャンデリア──蒼きステンドグラスに極彩(いろど)られた『六柱(ろくちゅう)のサバト』に嫌悪感を抱くレミリア。人の顔や獣の骨、翼などの生物的な意匠を持つにも関わらず、剥き出しの歯車や骨組みは無機質な機械仕掛けの要素に満ち、そのアンバランスさが酷く不気味に感じられた。

 

「チューリッヒヒヒ……!」

 

 糸矢は六柱のサバトを顕現させた後、灰色のオーロラを現して消えてしまう。レミリアはその動きに気がついたが、六柱のサバトが放った青い光弾が大地を抉り、その回避のために糸矢に対して反応することができなかったのだ。

 本来ならば六体のファンガイアの生け贄を必要とするはずの六柱のサバト。だが、蘇ったファンガイアには一体で三体分のライフエナジーが宿っていたのだろう。

 鈍く軋みを上げながら、キバとレミリアに容赦なく魔皇力の光弾を放ち続ける異形。城とも呼べ得る大きさであるのに──何の浮力も感じさせず幽霊のように空に浮かんでいる。

 

 六柱のサバトはその巨躯のすべてが純粋なる魔皇力とライフエナジーの塊だ。大きさに反して、物理的な質量は一切ない。エネルギーから成るオーラの怪物。それがサバトの本質であり、死んだファンガイアたちの怨念が生みし意思なき亡霊であった。

 絶えず光弾を放ち続けるサバトの攻撃を避けつつ、レミリアもまたその手に現した真紅の魔槍を放ってサバトを狙う。しかし、込めた魔力が薄いためか魔槍は深き装甲に弾かれてしまった。

 

「面倒なものを(あつら)えてくれたもんね……」

 

 月明かりを返すステンドグラスは幻想的で美しいものだ。その芸術品が殺意を込めて自分を狙う異形のシャンデリアでなければ、その美しさを楽しみたいとも思えるのだが。

 夜空の月を仰ぐのは嫌いではない。しかし倒すべき敵が常に自分より高い位置に在るというのは不快だ。レミリアは小さな翼を羽ばたかせ、魔力をもって霧の湖上へと舞い上がっていく。

 

「レミリアちゃんっ!」

 

 渡はキバとしての月色の複眼で夜を舞う紅き吸血鬼の軌跡を追う。六柱のサバトは接近してきたそれに意識を向けているのか、彼女のほうに光弾を集中させた。

 いかに吸血鬼といえど六柱のサバトほどの魔皇力を直に受ければ致命傷は免れまい。キバの鎧を纏う渡であれば別だが、吸血鬼とはいえ生身の少女がそれを喰らって無事でいられるほど魔皇力は儚く弱いエネルギーではないのだ。

 

 憂いに反して、少女は不敵な笑みを崩さぬままサバトの周囲を旋回していた。光弾はレミリアの小さな身体を掠めるが、直撃するようなことは決してない。

 弾幕ごっこ。幻想郷に生きる少女たちの遊び。スペルカードルールに則った弾幕勝負に馴染んだレミリアにとって、この程度の光弾、この程度の密度では弾幕とすら呼べはしなかった。

 

「(でも……こっちの攻撃も通りにくい)」

 

 紅き光を鋭く放つナイトダンスをもってしても──やはり傷をつけられない。相応の威力を持つスペルカードを使えば霊体だろうと消し飛ばすことも可能だが、いつもの遊びの弾幕ごっこ以上の魔力を込める隙を狙われてしまえば、光弾を避け切れないかもしれない。

 六柱のサバトは質量を持たないにも関わらず、物理的な破壊を巻き起こしている。その身を構成する魔皇力とライフエナジーの塊でもって本能のまま暴れ、機械仕掛けの竜の首を思わせる両腕を振るい大地に土煙を上げる。

 霧の湖の畔を打ち砕く暴力的で無慈悲な膂力。死者たちの怨念が集約されただけの亡骸とは到底思えぬほど物質的な実体を持ち、ファンガイアのオーラそのものたる骸で地を抉っていった。

 

「デカいのが相手なら、あいつの出番だ! 頼むからちゃんと来てくれよ……!」

 

 レミリアとサバトの空の舞いを不安そうに見つめるキバットは祈るように目を細める。今までも幾度か相手にしたことのある六柱のサバトという歪な巨躯。それと戦うには、対するだけの巨大な戦力をこちらも招く必要があると判断したのだが──

 幻想郷(ここ)は自分たちの住んでいた世界とは隔たれた秘境の楽園。法則すら違えた未知の座標にて、キバの世界に存在しているであろう『あいつ』がこちらの世界まで来てくれるだろうか。

 

「…………」

 

 渡はレミリアが六柱のサバトの気を引いている隙に、落ち着いてキバットベルトの右腰、魔竜の頭を象った茶褐色のフエッスルを手に取る。

 それは昼にも使おうとした、ドランフエッスルと称されるもの。偉大なる竜の咆哮を模した音を響かせることで、かつてファンガイアの王が手懐けた最強の竜を呼ぶための笛だ。

 

 13ある魔族の一角、膂力においてはファンガイアさえ超える竜の種族たる『ドラン族』たち。力の象徴であった彼らはやはり他の種族と同様にファンガイアによって支配され、最強と呼ばれた巨大な竜さえ彼らの手に堕ちた。

 その脅威を、自らの力として呼ぶことができる笛が、キバの鎧には在る。渡はその笛──ドランフエッスルに設けられた小さな唄口を。腰の正面にて逆さに吊られたキバットに咥えさせた。




キバの13魔族の設定、結構好きなんですけど本編だとほとんど出てこなくて少し寂しい。

次回、第56話『ノクターン ♪ 君に捧ぐ』
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