東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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【 KIVATRIVIA 】
みんな、知ってるか?
ドラゴンとは、ヨーロッパ文化圏で共有されてきた伝説上の生物である。
吸血鬼の始祖にも通ずるとされ、ドラキュラとは『竜の息子』という意味を持つ。
実際はドラキュラ公ヴラド三世の父がドラゴン騎士団に所属していたことからの異名らしい。
そしてルーマニア語で竜、すなわちドラクルは、残虐非道な『悪魔』の象徴でもあるのだ。


第56話 ノクターン ♪ 君に捧ぐ

 キバの黒い指先が湛える、透き通るような小さな呼子笛。その頂に、茶褐色を帯びた魔竜の頭を象って。

 その笛の名はドランフエッスル。キバットバットⅢ世が口に咥え、紅きベルトより飛び立ち渡の傍の空を舞い、月を抱く夜空を見上げて。七色の煌きを返すサバトに向かって息を吸う。

 

『キャッスルドラン!』

 

 強く高らかなる宣告と共に、魔皇力を伴うキバット族の息が小さな笛の管の中へと吹き込まれた。深く重厚な音色が霧の帳に響き渡り──月夜を震わせる魔力を解き放つ。

 その祈りは届くだろうか。因果の地平を違えた果て、()の竜が眠るキバの世界まで。

 

 月下の湖上で舞いを見せる二つの影。一つは霧の湖を照らす調度品。シャンデリアめいた異形の骸を晒す六柱のサバト。もう一つは巨躯に対して小さな翼を翻す吸血鬼であった。レミリアは青い光弾を難なく避け、剛腕による風圧さえ物ともしないが──

 絶え間なく放たれる光弾の隙間を縫いながら放つナイトダンスでは威力が足りない。僅かな隙を見つけて放つ魔力の槍さえも、ステンドグラスの装甲に小さな傷をつけるのが関の山である。

 

「……っ!」

 

 この巨躯をどう貫こうか、思考する刹那。レミリアは生暖かい夏の夜風に、震えるような魔力の昂ぶりを感じた。

 咄嗟に翼を仰いで風を切り裂く。空中にて後退するレミリアの前で、六柱のサバトが抱く中心の球体、宝玉と見紛う美しさのそれに青白い光が灯る。一瞬の判断で隙を晒した己が愚を呪うが、やがて間もなく解き放たれるであろう波動に備えて魔力の盾を形作ろうとした──その瞬間。

 

「グォオオオッ……!」

 

 少女の耳に届いたのは鈍き竜の唸り。歪んだ夜空の境界を引き裂き現れ、レミリアの視界に踏み込んだのは、その身に不釣り合いなほど小さな翼を──それでいてレミリアの身の丈の何倍もある大きさのそれを仰ぎながら悠々と天を舞う巨竜(ドラゴン)の姿だった。

 暗い紫色の鱗を湛えた竜は、その背に──否。その身を『城』に包み込んでいる。城塞そのものから四肢と尾を、翼と首を突き出して。己が背に中世欧州の意匠を持つ天守閣(キープ)を背負っている。

 

「キャッスルドラン……! よかった……」

 

「よっしゃあっ! いけいけーっ!」

 

 渡はキバットが咥えていたドランフエッスルをキバットベルトの右腰に戻し、夜空に座す巨竜を見る。それは、キバの鎧と同様にファンガイアの王が有していた財産だ。

 ドラン族最強の種である『グレートワイバーン』はファンガイアの王によって支配され、彼らの技術力をもって改造を施された。王の居城と一体化し、生ける城(・・・・)となり王の所有物としてのみ生きることを許された。

 ()の竜の名は『キャッスルドラン』という。王の死後に主が不在となった城を、渡は女王の血を継ぐ息子として受け継いだ。キバの鎧の管理を担うキバットと共に。

 父と母の愛を遠く想いながら──友とたった二人だけで、父が生きた紅邸で過ごしたのだ。

 

「城を背負った巨大な竜……ようやく来たわね」

 

 六柱のサバトと向き合っていたレミリアはその巨躯に目を奪われる。サバトもそうだが、これだけの巨体を浮かべるには小さすぎる翼をもってどうやって飛んでいるのか──などと些末な疑問が生じるが、それは歪な形の翼を持つ己が妹(フランドール)も同様であったか。

 幻想郷には翼を持たずに空を舞う者など多くいる。妹の翼について言及した博麗の巫女も翼なき身にて飛翔を遂げる人間なのだ。

 

 城塞と一つになった巨竜──キャッスルドランは月夜に吼えている。レミリアの身を守るようにサバトの前にて立ち塞がり、月を遮る影となりながら。

 レミリアが運命の中に垣間見たものと相違ない姿の魔竜。幻想なき身にして、幻想を体現するが如き(ドラゴン)の在り方。それはまさしく、キバの鎧と同じ因果より来たるもの。

 その咆哮もまたドランフエッスルに等しく。魔力に満ちた月夜の空を響き震わせていた。

 

「グォォオッ……!」

 

 キャッスルドランは己が主君たる王の意思に代わり、今はキバを受け継ぎし渡に従う。紅魔館に匹敵するほどの巨躯、生物とは思えぬ建造物の質量をもって、六柱のサバトへと渾身の体当たりを見舞う。砕け散ったガラスの音は、サバトを覆うステンドグラスから聞こえてきた。

 

「…………!」

 

 六柱のサバトはそれだけでは朽ちず。剛腕でキャッスルドランの側部を殴り、またしても霧の湖にガラスが砕ける音が響く。湖に落ちゆく破片は、キャッスルドランの身に備わるいくつもの窓が叩き割れたもの。──されどそれは、彼にとって鎧に過ぎない。

 青白い光弾はキャッスルドランの身を襲う。またしても砕ける窓の硝子。城塞にも軋みが生じ、魔皇力の爆発を受けたキャッスルドランは鈍い唸り声と共に、激しい飛沫を上げて湖の中へ。

 

「おいおい、しっかりしろ!」

 

 キバットの激励を受け、キャッスルドランは水中で眼を光らせる。湖から飛び上がり、雫を迸らせながら、身体に漲る魔皇力のエネルギーを光球と成して六柱のサバトに叩き込む。

 サバトも意思なき亡骸を震わせて光の壁を張った。魔皇力の光弾は防がれ、届かぬ爆炎が虚しく月夜の空を染め上げる。

 今一度、キャッスルドランは鈍き咆哮を上げる。霧の湖の水面を震わせる竜の響き。その音色は大いなる境界を越え、魔皇力を伴う旋律となって──同族たるドランの血を呼び覚ました。

 

「グゥルルッ!」

 

 再び歪む空。そして湖もまた光を屈折させ、空間が捻じ曲がる。結界を超える来訪者。その到来を告げる不思議な感覚。レミリアの肌に伝わった竜の咆哮は、先ほどのものと比べて遥かに小さいものだった。

 振り返ったレミリアが見たのは、霧霞む湖面から顔を出した小さな竜の姿。キャッスルドランの半分にも満たぬが、同様に城の意匠を湛えた紅き鱗の竜だ。

 金色の屋根に廻る風車を高く掲げながら、真紅の両翼を羽ばたかせてキャッスルドランの傍へと舞い上がる。グレートワイバーンの幼体を改造した『シュードラン』は、その身の親とも呼べるキャッスルドランと共に魔皇力の光弾を吐き出し、六柱のサバトが纏う光を打ち破った。

 

「おっ! シューちゃん! ナイスだ!」

 

 キバットは二体のドラン族の活躍を見上げながら忙しなく羽ばたいた。サバトとドラン。二つの魔皇力がぶつかりあい、幻想郷の夜空には凄まじい力が響き渡る。

 やがてシュードランはキャッスルドランの背中、城塞を湛える屋根にその足を乗せた。城と城の合体により、失われていたドラン族本来の力が目覚める。眠れる竜の真の力。キャッスルドランの完全なる力を呼び覚ます鍵となって、シュードランは己が魔皇力をキャッスルドランに捧げる。

 

「グォォオオオオオーーーッ!!」

 

 双眸を輝かせたキャッスルドランは一際大きく咆哮を上げた。同族との接続を遂げ、闘争本能を覚醒させたドラン族最強のグレートワイバーン。ファンガイアによって城に改造されてしまったとはいえ、その誇りは完全に死んでしまったわけではない。

 キャッスルドランの喉に湧き宿る力。絶大なエネルギーを秘めた魔皇力の塊。シュードランとの二体分の力を込めて、解き放たれた巨大な光弾は湖を震わせながら六柱のサバトに命中した。

 

 だが──

 

「…………っ!」

 

 六柱のサバトは健在であった。黒煙を掻き分け、悠々と空を舞う耽美なる煌きは、変わらずその美しさを月夜に湛えながら厳かにして不気味な旋律を奏でている。

 以前ならばこの一撃で致命傷を与えられていたはずだ。やはり蘇ったファンガイアだけでなく。蘇ったファンガイアのライフエナジーによって生み出されたサバトも進化しているのか。

 

「渡、あの竜も貴方の仲間なんでしょ? ずいぶんと手こずっているみたいだけど」

 

 レミリアはキャッスルドランの攻撃に巻き込まれぬよう、渡の傍に降りた。その左手から真紅の槍を消失させ、二体の争いを見上げたまま問う。

 渡は己が眷属たるキャッスルドランについてをレミリアに語った。ドラン族の中でも最強を誇る種の全力をもってしても破壊できない六柱のサバトの恐ろしさも付け加えるが、レミリアの表情に恐怖や憂いの色はない。

 蘇ったサバトは、キャッスルドランの力をもってしても完全なる撃破は困難なのだろうか。

 

「……だったら……」

 

 渡は月色の複眼に闘志を灯らせ、歪む夜空の異形を見る。キバットベルトの背部を探り、奏でるべき音色を手繰り寄せようとするが──使おうとしたフエッスルはそこにはなかった。

 

「ねぇ、キバット。あのフエッスルはどこに……?」

 

 友に向き直ってその呼子笛の在処を問う。キバの鎧のすべての(カテナ)を解き放ち、黄金のキバたる真の力を覚醒せしめる禁断の鍵。

 ファンガイアの王をして『魔皇竜(まおうりゅう)』と呼ばれた黄金の竜を呼び覚ます、かのフエッスルは、今はキバの身にはない。元より黄金のキバはその絶大な力ゆえに厳重に封印され管理されてきたものだ。その覚醒をもたらす黄金の竜を呼ぶための笛も、キバットが管理していたのだが──

 

「……あっ! やべえ……! あいつが持ったままじゃねーか!」

 

 かの魔皇竜はキバットの友である。もはや笛の音色を奏でるまでもなく、キバの継承者の意思に応じて現れた。それが今までの戦いにおける、信頼という繋がりだ。

 だが、ここはライフエナジーの回収でさえフエッスルの使用を求められた未知の郷。遠く離れた幻想郷なる地において、魔力を伴わぬその信頼が届くとも限らず。やはり、真のキバを覚醒させるための音色を奏でる必要があると判断したのだ。

 

 ──その笛はキバットの手元にもない。どうやら元あるべき形、魔皇竜の身体の一部であるそのフエッスルは、魔皇竜自身の身体へと戻っているらしい。彼を呼ぶための笛を彼自身が有しているという矛盾にしばし頭を抱えるキバットだったが、すぐに湖の上の怪物に意識を向け直した。

 

「他に手がないなら、一緒に行くよ」

 

 レミリアの紅い瞳は再び月夜の煌きへと向き直る。可憐な真紅の靴で大地を蹴り、小さな双翼で闇を切り裂いて。キバの鎧を打ちつけるような風圧を巻き起こし、吸血鬼の少女は六柱のサバトを欺くような疾走の影を残した。

 渡もまた少女に続く。その身に纏う鎧には翼こそないが、月を湛える夜の空は彼を受け入れる。ただ一度の跳躍をもってして、渡はキャッスルドランの背たる城塞の屋根に着地した。

 

 その血に刻んだ父の祈り。自らの祈り。渡の心の音楽とキバの鎧が一つになったとき、天を切り裂く真紅の翼を湛えることができ、夜色の空を自在に舞うことも可能となる。

 だが、それもまた、魔皇竜の羽ばたきを伴う覚醒の音色──黄金のキバの力を必要とするもの。黄金のキバに至ることができない今はその翼を得ることができない。

 

 渡自身の生身の姿から夜空への『飛翔』を遂げるあの姿へ変わることも不可能ではない。しかしその選択は極めてリスクが高いのだ。全身の魔皇力を一気に解放し、己自身の存在さえも生まれ変わらせる禁断の翼。ファンガイアの歴史に伝わる、あってはならぬ忌まわしき力。

 最悪の場合、理性さえも失わせ振るう魔皇力のままに暴走する危険性も秘めている。それはもはや、人間でもファンガイアでもない別の何か。さながら、鳥でも獣でもないコウモリ(かれら)のように。

 渡が望む両者の架け橋とは真逆の存在──どちらにも牙を剥く怪物と成り果ててしまう。

 

「グォォォオオオッ!!」

 

 キャッスルドランの咆哮が月夜の空に響き渡り、渡の思考を熱く断ち切る。その音を合図として、レミリアが弾かれたように六柱のサバトへと突っ込んでいった。無謀とも思える正面からの接近だが、彼女はその身を掠めるように光弾の嵐を避けていく。

 薄紅色のドレスに触れる魔皇力の光弾。何の音なのか、カリカリと奇妙な音を響かせながらその弾幕の雨を抜けていく吸血鬼の少女。

 万華鏡めいた鎧に靴を乗せ、その身を蹴り上げて垂直に上昇する。物理法則を捻じ曲げるような吸血鬼の身体能力をもって直角に急上昇し、レミリアはサバトの頭上にて翼を広げた。

 

「──天罰」

 

 小さな唇が符の名を紡ぐ。眼下のステンドグラスを見下ろし、その先に設けられた彫像めいた獣の顔と向き合う。

 その一言を導にし、レミリアを中心として巨大な魔法陣──六芒星を模した(あか)が広がった。

 

「スターオブダビデ!!」

 

 紅き光はレミリアの言葉と共に鮮烈な魔力を込めたレーザーとなって迸る。その熱は堅牢な鎖のように、六柱のサバトを取り囲む鳥籠のように。魔法陣に沿って流れゆく魔力のエネルギーをもって、サバトの動きを完全に封じ込めた。

 レミリアのスペルカードである【 天罰「スターオブダビデ」 】は、聖書に連なる文字を刻んだ神への挑戦状。十字の信仰を持たぬ吸血鬼である彼女にとって、洗礼など怖くはない。

 

 悪魔と呼ばれたその血の誇り。聖なる名さえ我が物に。紅き結界を貫くように、レミリアは蒼き魔力の弾幕を激しく解き放つ。一つ一つの力はさほどでもない。それでも六芒星の魔法陣によって拘束されたサバトは、そのすべてを受け切るしかなかった。

 キャッスルドランの吐き出す魔皇力の光弾も受け、六柱のサバトには確実なダメージが入っている。されどその身に滾るライフエナジーが膨大なためなのか、すぐに修復が始まってしまった。

 

「……ちっ、渡! 同時に決めるわよ!」

 

 レミリアは六柱のサバトの頭上にて高らかに声を張り上げる。渡はそれを月色の複眼で見上げ、キバとしての身で小さく頷いた。

 翼の如く両腕を広げ、斜めに高く伸ばしてはキャッスルドランの背を駆け抜ける。城塞の屋根を疾走する鎧から、この身を封じる(カテナ)の音が鳴る。一度(ひとたび)強く蹴り上げ、渡は魔竜の(あぎと)の前へ。

 

「ふっ……!」

 

 キャッスルドランの口から解き放たれる魔皇力。その奔流に乗り、キバは右脚を突き出し六柱のサバトへと突き進む。竜の咆哮に共鳴し、右脚のヘルズゲートは紅き翼を開いて。

 

紅符(あかふ)、不夜城レッド!!」

 

 レミリアは六柱のサバトの頭上にて、己が胸の前で手を開く。指先を広げ、自身の心臓を抱くようにして。さながら聖杯や翼を思わせる手の形。激しく湧き上がる紅き魔力の霧は集い、レミリアの周囲に絶大な力となって集約していく。

 高らかに宣言された【 紅符「不夜城レッド」 】の発動に際して、レミリアは両腕を広げてその魔力を解き放った。

 十字架の形に具現した紅きオーラの波動は、魔槍の如く六柱のサバトを貫く。滾る紅熱をもってステンドグラスを焼き払い、スターオブダビデの結界も合わせて獲物の逃げ場を完全に封じ込め。レミリアの真紅の双眸に映るのは、キャッスルドランより放たれたキバの鎧の継承者──

 

「はぁぁあっ!!」

 

 キャッスルドランの咆哮に伴う魔皇力の波動(ブレス)に乗った、キバの一撃。熱く迸る本能のままに、ウェイクアップフエッスルに頼らず覚醒を遂げた真紅の右脚。

 解き放たれたダークネスムーンブレイクは、六柱のサバトの結晶体を穿ち抜いた。

 

 六柱のサバトの背後より、キバの鎧は舞い降りる。霧の湖の畔に着地し、右脚のヘルズゲートは役目を終えてデモンズ・マウントを白銀の中に包み込む。再び封印のカテナに縛られた己が右脚を見やることもなく、渡は夜空に振り返った。

 亀裂より溢れる光。その収斂を待たず、サバトの魔皇力が行き場を失っていく。やがてステンドグラスの内より鮮烈に爆ぜ、夜を明るく染め上げるほどの炎と共にガラスの破片が飛散した。

 

「…………」

 

 少しずつ夜は闇を取り戻していく。激しい炎の光は失せ、静かなる月明かりが舞い戻ってくる。宵の空に、ぼんやりと輝く二つの光球──ライフエナジーの塊を浮かび上がらせながら。

 キャッスルドランは小さな翼を仰ぎながら、そのうちの一つへと喰らいついた。

 

「グォォオオッ!!」

 

「よーく噛んで、しっかり食えよー!」

 

 エネルギーの塊であるはずのそれを丁寧に咀嚼し、嚥下しては噯気(げっぷ)を放つ。渡のキバットベルトから離れたキバットも、キャッスルドランの食事を見届けていた。

 城塞の屋根より分離したシュードランもまた、残る一つのライフエナジーを捕食しようと舞い上がるが──疾風の如く闇を切る紅き影、吸血鬼のスピードにその光を持ち去られてしまった。

 

「あれ、あんたも欲しかったの? 悪いけど、こっちのは私が貰っていくわ」

 

 手の平の上に光球を浮かべてシュードランに振り返る。レミリアにとって必要なのは、自身の糧たるエネルギーではない。ミラーモンスターが喰らった命に代わる、フランドールへの力の供給源だ。咲夜が得たエネルギーのおかげで、彼女の身体にはまだ余裕があるようだが──

 

「グルルゥ……」

 

「……わかったわかった。じゃあ、半分こね。これならいいでしょ?」

 

 大切な妹の身が朽ちゆく事実は不安だ。それでもフランドール・スカーレットは強大な吸血鬼である。原因不明の灰化現象にもある程度抗うことができ、すぐに対処が必要というわけでもない。レミリアは口惜しそうにこちらを見つめる小さな竜に慈悲を与えることにした。

 光球を分かち、一つは己が魔力で別の空間に貯え。もう一つをシュードランへ受け渡す。施しを受けた幼竜はその光を喰らい、満足げに飛び去っていった。

 

 シュードランは宵に染まる空へと消えていき、やがて空間に走った波紋と共に消える。現れたときと同様に時空を超えたのだろうか。レミリアにとっては、それがファンガイアの技術による空間転移なのか、乱雑に結ばれた幻想郷と別の世界の繋がりなのかは分からず、興味もなかった。

 

 霧の湖は昼にこそ深い霧がかかる。だが、夜にもまったく霧がないわけではない。薄く霧がかった虚ろな空を見上げ、少女は小さく溜息を零しながらすぐに訪れる運命を憂う。

 紅き瞳が映す運命の観測に依らぬ視覚。渡も同様に見て取れた、東の空を灼く無慈悲な光。

 

「……このまま日傘を差して帰ってもいいけど……」

 

 レミリアは目を細め、彼方に見える朝焼けに眉根を寄せる。続いて地上に降り立ったキャッスルドランの地響きを肌で感じながら、その巨竜のつぶらな瞳を見上げた。

 シュードランとの接続を解除したキャッスルドランは闘争本能を抑えた温厚な気質に戻っている。巨大な足で大地を踏みしめ、キバの継承者を見下ろしている。

 巨竜は自身を見上げる吸血鬼のオーラに何かを感じたのか、レミリアに視線を合わせた。

 

「ちょっと疲れちゃったし、中に入ってもいい?」

 

 鎖と解れたキバの鎧を流し見る。生身の姿を晒した渡に対してレミリアは問うた。夜明けの日差しは少しずつ霧の湖に入り込んできているが、夜明けと共に満ち始めた霧のおかげでさほどの明るさは未だない。その霧こそが、吸血鬼にとっての安寧をもたらすのだろう。

 渡とキバットが微かに顔を見合わせた。それを見ることもなく、レミリアはキャッスルドランの鎧たる城──王たる者の要塞たる城壁に触れる。

 

 吸血鬼は太陽の光に弱い。それは渡が生きたキバの世界でも伝えられている概念だ。もっとも、彼女がキャッスルドランへの入城を求めるのは、単なる興味と好奇心からだろうが。

 一般的に語られる吸血鬼は『招かれていない屋敷には踏み入れない』という弱点を抱えているはずだ。されど、レミリアにはそんな概念は通用しない。たとえ敵地であろうと、如何なる場所にも問答無用で踏み込める体質だ。

 博麗神社に入り浸り、永遠亭に侵入し、人間と同様に他者の家に上がり込める。ただ、吸血鬼の弱点としてのその制約を持っていないというだけで、無条件で侵入できるわけではないのだが。

 

「グォォオオオッ……」

 

 キャッスルドランの正門に近づくレミリア。巨竜の咆哮は、己が守護する王の居城への侵入者を阻む威圧的な響き──ではなかった。

 共にサバトと戦ったことで仲間意識が生まれているのか。竜と等しき血を宿す吸血鬼の系譜がドラン族に何かを感じさせるのか。あるいは、少女が心に秘める音楽に惹かれたか──

 

「嘘だろ……? あいつ、キャッスルドランに懐かれてるのか……?」

 

 キバットは巨竜の振る舞いを見て意外そうに目を丸くしていた。高潔な誇りを持つドラン族最強のグレートワイバーン。たとえファンガイアの王の傀儡と成り果てたとはいえ、最強の生物であるドラゴンとしてのプライドは失われていないはずだ。

 その竜がファンガイアならざる存在に対して、何の警戒心も持たずにどっしりと構えている。王の居城たる巨竜に躊躇なく近づき、不遜にもその扉を小さな手で引っ張る者を前にしてなお。

 

「渡ー! これ、どうやって開けるのー?」

 

 中世欧州を思わせる城の意匠は紅魔館にもよく似ている。レミリアは幾重もの鎖に包まれた扉に手をかけているが、吸血鬼の膂力をもってしてもビクともしないらしい。

 彼女は数歩下がりつまらなさげに扉を見つめる。霊夢ならこの程度の施錠、得意のインチキ技で簡単に解くことができるだろうが──レミリアには破壊以外の開錠法は思いつかなかった。

 

「……キャッスルドラン、お願い」

 

 渡は巨竜を見上げてその瞳と向き合う。小さな唸りを聞き届けると、キャッスルドランの正門たる扉を縛る鎖は独りでに解かれ、じゃらじゃらと鈍い音を立てて竜の体内に消えていく。やがて重々しい音を奏で、巨大な扉はゆっくりと開かれていった。

 扉の中に見えるは暗闇。だがそれも一瞬のこと。すぐに廊下の両壁に配された燭台に火が灯り、ぼんやりと闇が照らし出される。古き魔力に包まれた城に踏み入り、渡はレミリアを招いた。

 

◆     ◆     ◆

 

 薄暗い廊下に灯る小さな炎。渡とレミリアが歩むはキャッスルドランの体内──と定義するにはやや不正確。グレートワイバーンたる彼と一体化した城そのもの、あくまで建造物たるその領域である。

 竜の鼓動や唸り声は聞こえてこない。この城は竜の肉体であると同時に王のために設けられた動く要塞。魔術的な方法で切り拓かれているため、外観以上に広く静寂さえも感じさせる。

 

「思ったより広いじゃない。これなら退屈しなさそうね」

 

「ファンガイアの魔術で無理やり広くされてるんだ。空間でも弄ってるんだろうな」

 

 興味深そうに辺りを見回すレミリア。歩むにつれて明かりと広さは増していき、その建造物が竜の纏っているもの以上の体積を有していることに気がつく。キバットの説明を耳にしたレミリアは納得した様子を見せた。

 外から見たときも確かに巨大な竜ではあった。背負うものも相応の建造物であったが、竜自体の大きさを含めてそれは倉庫と呼べる程度の大きさでしかなかったはず。だが一度入り口に踏み入れば、中はまさしく城と形容する他ない巨大な建造物であるらしいことが明らかになっていく。

 

「ふーん。咲夜の能力みたいなもんかしら」

 

 その法則を彼女は知っている。キバの世界の技術など知る由もないが、似たような技術は幻想郷にも存在する。彼女の屋敷たる紅魔館もまた、見た目こそシンプルな洋館だが十六夜咲夜の時間を操る程度の能力を応用した空間拡張能力によって物理法則が捻じ曲がっているのだ。

 内部の広さを拡張し、見た目以上の広さを持たせる。その能力は咲夜の力で維持しているのではなく、紅魔館自体に定義された法則であるため、咲夜自身が存在せずとも成り立っている。彼女が維持に割く力は必要なく、彼女が不在の今も維持されているはずである。

 

 この城にもたらされた法則もきっと同じく、術者の存在を維持に必要としないのだろう。ファンガイアの魔術師か何かがこの城に施した能力だろうか。あるいはこの竜自身の能力という可能性もあるが、レミリアにはさほど興味はない。

 それよりも、今はこの城を心ゆくまで探索したい。未知の城に踏み込む経験など、ここ数百年はまるでなかったことだ。

 永く生きるほど必要なものばかりになって困る。レミリアは咲夜にそう語ったことがある。日常のどうでもいいことが重要になってくると。咲夜は逆に永く生きるほど必要なものが減っていくと思っていたようだが──好奇心というものはむしろ長生きするほど必要とされるものだ。

 もっとも、500年以上の歳月を生きたレミリアとて妖怪としてはまだまだ若輩であるのだが。

 

「あの……レミリアちゃん……あんまり動き回られると……」

 

 渡はキャッスルドランの廊下を歩みながらレミリアに優しく忠告しようとする。この城は外敵を阻む要塞としての側面を持つ城。ファンガイアの女王だった母から譲り受けただけの王の遺産だ。彼とて城の機能をすべて把握しているわけではない。

 キバの鎧の継承者である自分の意思で招き入れた客人という扱いの彼女に対して、キャッスルドランの防衛が働くとも思えないが、それでも好き勝手に触られたら安全を保障できないのだ。

 

「……渡、もういないぞ」

 

「えっ?」

 

 キバットの言葉に振り返る渡。客間まで案内しようとしていた彼女の姿は、もはやそこにはない。たった今まで気配はあったはずなのに、すでにどこかへ行ってしまったようだ。

 

「だ、大丈夫かな……」

 

 見たところレミリアはキャッスルドランに懐かれている様子だった。よほどの無茶を働かなければ何かが起こるということもないだろうが──この屋敷には『彼ら』がいる。

 キャッスルドランの意思とは別の独立した種族。ファンガイアと同様に人間の命を喰らう種族の、それぞれの『生き残り』たちが、この城のとある場所で生きている。彼らの怒りを買わなければいいのだが──

 

 彼らも渡の、正確には渡の父親たる天才的な音楽家の仲間だ。彼らは渡の父との約束を尊び、ファンガイアの王が没して自由になった今でもキャッスルドランの牢獄に身を置くことで渡を守るという使命を胸に抱いている。

 ある者は牙を剥く狼の如く鋭く吼え、ある者は揺蕩う水の如く優雅に舞い。そしてまたある者は轟く雷鳴の如く大地を踏みしめる。それぞれが渡の──キバの力の一部となって戦うのだ。

 

◆     ◆     ◆

 

 キャッスルドランの内装は荘厳ながらどこか古びた印象を受ける。紅魔館の内装と地下室の意匠のおよそ中間といった、煌びやかさと退廃的な不気味さを掛け合わせたような印象だ。レミリアは帰るべき紅き居場所に似た美しさを見て、芸術作品を尊ぶように目を細める。

 ファンガイアにしてはなかなかセンスがあるじゃない──などと心に素直な感想を抱きながら、やや紅さの足りない古びた城を歩んでいく。

 

 不意にレミリアは人の気配を覚えた。暗闇に続く廊下の先、吸血鬼としての暗視能力をもって見えた灯火の先。その扉の彼方から人の気配──あるいは人ならざる者の気配を。扉は厳重に封印されていた痕跡があるようだが、今は鎖も鍵も何もかもが解放されている。

 歩むべき廊下には必ず魔力の灯火が闇を照らしているというのに、その扉へ至る道の壁にだけは燭台に光がなく、訪れる者を拒むかのような暗闇が広がっているという不気味な光景だった。

 

「……へぇ」

 

 そんな扉の先に何かの気配があるのなら、彼女は迷わず。絢爛な明るさに背を向け、ただ静かな闇へと歩んでいく。小さな手で重い扉を開くと、そこには地下へと続く階段があったのだ。

 

「本当に紅魔館(うち)と似てるわねぇ」

 

 物理的にありえざる構造。キャッスルドランは翼をもって空を舞う竜である。空を飛ぶ建造物のどこに地下空間を設けられるというのだろうか。

 考えられる可能性は一つしかない。キバットが語ったように、ファンガイアの魔術で空間が拡張されているのなら、この城もレミリアの居城たる紅魔館と同様に存在しない空間を切り拓いて地下空間としているのだろう。

 レミリアは地下空間の不気味な廊下を抜けていく。壁に灯る燭台は先ほどの内装のものよりもさらに古びて朽ち果てており、手入れがされていないにも関わらず、レミリアの歩みに応じて彼女が通った場所にのみ炎が灯る光景は、魔術的というより儀式的な雰囲気さえ感じられた。

 

「ここに渡の妹でもいたら……さすがに運命を感じちゃうわね」

 

 己の在り方とキバの継承者を重ねて笑う。薄暗い灯火の先にて辿り着いた扉を前に、レミリアは湧き上がる好奇心を抑えられずにいた。

 まるでクリスマスプレゼントを開封する子供のように。紅い瞳に揺らめく燭台の火を煌かせて。少女は扉の前でパチンと指を鳴らす。古びた魔力を帯びた扉は、ゆっくりと開かれていき──

 

「……っ」

 

 薄暗い廊下には見合わぬ明るさに、微かに瞳孔が収斂するのを感じる。扉の先にあった部屋は、レミリアが想像していたような陰鬱な地下牢ではなかった。

 部屋を照らす美しいシャンデリアやアンティーク調のテーブル、キャビネット。紅魔館の客間を連想させる調度品の数々を見て、ここが地下室であるという認識を持つ者は稀だろう。紅魔館の地下室、彼女の妹の部屋も薄暗さこそあれど客間と相違ない調度品に満たされた格調高い部屋ではあるのだが──

 

 一瞬の眩さにもすぐ慣れる。レミリアは妙に広いにも関わらず空虚な印象を持つその部屋を見て、すぐに理解した。この部屋はこれだけ豊かなものに恵まれているのに、その一切に自由というものがない。玩具を弄ぶための箱庭とでも形容できる冷たい牢獄だと。

 その空間は『ドランプリズン』と呼ばれる場所。大きな窓から差し込む光も、地下へと続く階段を下りてきたという事実に矛盾した奇妙な光景ではあるが、それ以上に気になるものがある。

 

「……ずいぶんと可愛らしいお客さんだな」

 

 正面のテーブルに備えつけられた椅子から低い男の声が聞こえた。椅子は背もたれがテーブル側に向いており、その顔を窺い知ることはできない。

 男はゆっくりと椅子を立ち、漆黒のタキシードを着崩した精悍な人間の姿を明らかにする。ドランプリズン内に踏み込んだレミリアを品定めするような不躾な視線は、男の粗野な振る舞いを感じさせた。

 

 餓えた狼めいた鋭い気配。微かに蒼く輝いた瞳に射貫かれるも、レミリアの紅い瞳はその荒々しい在り方に背くことなく向き合っている。

 どこかコーヒーの香りを漂わせる男へと歩み寄ると、豪奢ながら寂しげな部屋を見渡した。

 

「退屈な部屋ね。こんなところに一人でいるなんて……よほどの物好きなのかしら」

 

 レミリアは青年の目の前にあるテーブルに近づいてその表面を撫でる。アンティーク調の家具はどれも趣があるものの、ただ与えられただけといったもので、壁に架けられた絵画や燭台などもただ在るというだけ。貴族の一室を利用しているだけの牢獄に相違ないだろう。

 そんな場所に好き好んでいるというのであれば、あるいは筋金入りの引きこもりか。狼めいた若い男という存在自体はまったく似つかぬが──牢獄にも似た空間に閉じこもっているのであれば、やはり妹に似た立場だと思えた。

 

 文字通り幽閉されているのかとも思ったが、レミリアが見た限りではこの空間は施錠されていなかった。封印が施されていた形跡こそあったものの、すでにその重い鎖も解かれている。フランドールと同様に出ようと思えばいつでも出ることができるはずだ。

 見た目通りの性格だと決めつけるなら、この男は自由こそを尊ぶだろう。こんな退屈な場所に留まって束縛されることを好みそうにないと感じられた。

 ちらりと窓を見る。歪んだ空間の果てに辿り着いたこの場所に差し込む陽光も、どこか現実味のないもの。レミリアとしては肌を焼かぬ空虚な輝きとして、こちらのほうが都合が良いのだが。

 

「いろいろ事情があってな。あいつが招いた客なら信用に足るだろうが……まぁいい」

 

 男は溜息混じりにタキシードのズボンに手を突っ込み、光差す窓の方を見る。思考の中に響くは過去の記憶。強く生き抜いた人間の音楽。彼の血を継ぐその息子。王の血を引かぬ身でありながら女王の意思によりキバの鎧の継承者となった男。

 悩み多き人生を送るだろう、俺の息子(そいつ)を助けてやってほしい──その願いに応えるため、加えて王によって目覚めさせられたキャッスルドランの闘争本能を少しでも鎮めるため。

 

「それに、()()()は一人じゃない」

 

 鋭い眼光を持つ男は再びレミリアに視線を向ける。蒼く湧き上がる気配は人間のものではない。姿こそヒトであれど、レミリアにはその魔力の異質さが伝わってきていた。

 今この場に。ドランプリズン内に在る気配は、彼を含めて三つ。それに今まで気づかなかったのは、キャッスルドランの中に満ちている古き魔力が感覚を鈍らせていたからだろうか。レミリアがそこで目にしたのは、不意に姿を現したもう二人の人影だった。

 

 一人は水兵服に身を包んだあどけない振る舞いの少年。もう一人は揺るがぬ巨像の如き燕尾服を纏った巨漢。それぞれ翡翠色の気配と紫電色の気配を帯びているような感覚があり、レミリアは疑うこともなくそれらを人ならざる者と見る。

 彼らはファンガイアではない。ファンガイアによって故郷を奪われ、親や兄弟、仲間たちを殺され、己が種族の最後の生き残りとなってしまった魔族たちだ。

 一度は憎きファンガイアの王によって無機なる収集品として城に囚われてしまったこともあったが──王の死後は自由の身となり、やがてとある男との約束のため、ここへ舞い戻った。

 

 彼らにとって、ここは忌むべき牢獄でもあり、()との繋がりを証明する居場所でもあるのだ。

 

◆     ◆     ◆

 

 ──紅魔館、地下室。薄暗い部屋にぼんやりとした燭台の光が灯っているだけの世界。砕けたテーブルや引き裂かれた肖像画、ボロボロに破れたぬいぐるみが落ちているが、それは乱雑に打ち捨てられたものではない。

 荒廃した雰囲気の部屋とは思えぬほど、そこは埃一つなく綺麗に片付いている。牢獄と思わせる冷たい空間なれど、どこか血生臭い色と少女のあどけない柔らかさを兼ね備えているような。

 

「……退屈だな」

 

 歪な翼は灯火に煌く。宝石めいたそれらを揺らし、吸血鬼の少女は溜息を零した。

 白い右手の平からはさらりと灰が零れる。フランドール・スカーレットの灰化現象は未だ回復の兆しを見せてはおらず、供給されるエネルギーのおかげで進行こそ止められているものの、完全な解決には至っていないままだった。

 吸血鬼の生命力に加えてフランドールが吸収したミラーモンスターのエネルギーによる魔力の再生。未知のエネルギーによる肉体の灰化は追いつかず、肉体の再生速度の方が上回っている。

 

「……誰?」

 

 不意にフランドールが背後の扉に視線を向ける。薄暗い部屋がぼうっと灰色に照らされ、そこにありえるはずのないオーロラのようなものが浮かび上がっているのを目にした。

 その存在は、地下室の扉からではなく。オーロラの向こうから現れる。どこか亡霊じみた希薄さを有しているのに、揺るぎなく力強い暴虐性を秘めているような不気味な存在──ラフなグレーの上衣は着崩され、左肩を大きく露出させている若い少年。

 無骨に波打つ黒髪をオーロラから吹き込む風に靡かせた彼は、不敵な笑みを浮かべながらゆっくりとフランドールのもとへ歩み寄る。その手に、小さな銀色のアタッシュケースを携えて。

 

「へぇ。まだ生きてたんだぁ。……思ったよりしぶといじゃん」

 

 底知れぬ威圧感を感じさせる少年からは生気というものが感じられない。フランドールは食事として加工された状態ではない『生きた人間』を見ることはあまり多くないのだが、彼はかつて見たそれとは大きく異なる気配を持つ。

 生きていない──すなわち死んだ人間。だが明確に言葉を発し、動いている。ただ動いているだけの死体と定義するには、奇妙な話だが死んでいるように感じるのに命の炎さえ見て取れる。

 

「お兄さん……どこかで会ったことあるような」

 

 モルフォチョウを思わせるような青白い炎。その肉眼で見たわけではないが、少年の在り方から感じられる死せる生気に、フランドールは既視感を覚える。

 彼女は紅魔館地下室に幽閉されていた。あくまで過去形なのは、すでに彼女がその束縛を失い、紅魔館内を自由に出歩けるほど安定したからだ。今は未知の灰化現象の原因解明のため地下室での謹慎を命じられているだけであり、地下室の施錠には最初から何の意味もない。

 フランドールは『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を持つ。たとえどれだけ強固な鍵であろうと、その能力にかかれば壊せてしまうため、彼女を幽閉することなど不可能なのだ。

 

 彼女は鍵を壊すことができるにも関わらず。495年間、自らの意思で地下室にいた。外に出ることもできたが──居心地が良いという理由で閉じこもっていただけである。

 そんな彼女も外の世界の楽しさを知った。幾度か紅魔館内やその外へと赴いて未知を楽しんだことがある。外出した際に多くの存在と接触したが、この少年とも会っていただろうか──

 

「それだけ馴染んでれば十分かな。僕はもう……飽きちゃったから」

 

 少年は微かな笑みを浮かべ、手にしたアタッシュケースを乱雑に放り投げる。ロックすらされていないその箱は、落下の衝撃で開いて中身を散逸させた。

 フランドールはそれらに目を奪われる。霊夢や魔理沙たちと出会うまでは地下室に置いてあった古い本くらいにしか興味を持たなかった彼女は、アタッシュケースから零れ落ちた銀色のベルトとビデオカメラめいたそれに触れる。

 三つ落ちたうちの一つ、銃のグリップにも似ているが銃身のないそれを手に取ると、その冷たさからどこか虚ろな灰のイメージが感じられたが──それ以上に伝わってくるものはなかった。

 

「……何これ……」

 

 銃のグリップめいたそれは下部に音声認識器らしき穴が開いている。ケースの内部に残っていた紙切れはこの機械のマニュアルだろうか。そちらについても気になったが、今はそれ以上に意識を奪われる感覚が──この身の細胞を打ち奮わせる音楽として響く。

 フランドールの全身の血がざわつくような感覚。未知の現象により肉体が灰化していく感覚にも似ているものの、例の灰化はまだ起きてはいないようだ。

 灰色の細胞が訴える。この身を灰と朽ちさせようとしている何かが叫んでいる。それはさながら自然を超越した『龍』の如く。吸血鬼の始祖に通ずるドラゴンの咆哮が湧き上がるような。

 

「僕の『記号』に適合することができたのは……君が初めてだよ……」

 

 少年の言葉は虚ろに不気味。冷たく霞む灰の色。どこか嬉しそうにも聞こえたが、フランドールが顔を上げてその表情を確かめようとしたときにはすでに彼の姿はなかった。

 閉ざされた地下室に吹き込む風は止み、オーロラもすでに消えている。ただその場に微かに、少年が立っていた場所に。フランドールの身から零れるものと同じ──灰の粒子を残して。

 

「……ああ、そういうことね」

 

 フランドールはすでにこの場にいない少年への興味をすっかり捨て去り、アタッシュケースの中のマニュアルに目を通した。495年ものあいだ地下室で本を読んできた彼女には、実際に紅魔館の外で得られる体感的な経験があまりない。

 されど知識だけは、まだ100年あまりしか生きていないとはいえ、生粋の魔女たるパチュリー・ノーレッジにも比肩しかねないほどのものを有している。もっとも吸血鬼と魔女では魔法の扱いに差があるため、フランドールがその膨大な知識量を活かせたことはないが。

 

 ──その知恵が、知識が。未知の法則を脳内で収斂させる。この世界にない情報、幻想郷が存在する世界には存在しない知識を、一片のマニュアルから読み取って。

 記された内容と己の推測を含めて──彼女は己を『灰化』させる力の真実に辿り着いていた。




キャッスルドランともう一体のドラゴン。なんで彼だけ非実在生物モチーフなんでしょうね。

次回、第57話『ピッツィカート ♪ 僕だけの音楽』
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