東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第57話 ピッツィカート ♪ 僕だけの音楽

 キャッスルドランの中、ドランプリズンと呼ばれる特殊空間。ここは間違いなくキャッスルドランという城の内部ではあるのだが、物理的な座標としてはどこにもないとも言える場所だ。ファンガイアの王が手に入れた『収集品』たちを置いておくための、ただの牢獄である。

 そこにはすでに牢獄としての機能はない。ただ座標として見つかりにくいだけの城の一室となってしまったその空間に、人ならざる者の気配は四つ。

 

 一人はタキシードを着崩した男。狼めいた蒼き気配で佇むは 次狼(じろう) という名を名乗る月下の獣であった。今この場においては人の姿をしているが、それはファンガイアと同様に古き遺伝子に刻み込まれた──別の肉体の様相でしかない、仮初めの姿として定義されるもの。

 もう一人は湿度を帯びた水兵服を装った少年。碧色の気配を場に満たし、どこか海にも似た底知れなさを感じさせる彼は、この姿においては ラモン と名乗っている。少女を見ながら楽しそうに振る舞うも、老獪な(したた)かさを思わせた。

 さらなる一人は岩の如くどっしりとした燕尾服の巨漢。紫電めいた気配をその身に抱き、石像とさえ思わせるような不動の在り方で腕を組むその男は、この姿では (りき) と名乗っているようだ。

 

「……ファンガイア、じゃないわね」

 

 この場に存在する魔たる者、その最後の一人。吸血鬼たるレミリア・スカーレットの紅き双眸が彼らを見渡す。紅渡にも同様に感じられた、異なる地平に在る法則なれど同じ血を思わせる気配。吸血鬼に等しき法則を備えた気配が、彼らからは感じられない。

 気配の色は蒼と碧と紫。どこか咲夜と美鈴とパチュリーを思わせる色の組み合わせ。紅渡の魂が紅色であるのなら、奇しくもそれは紅魔館の牙たる自分たちと同じ気配の色を宿す者たち。

 

「お前も、どうやら俺たちの仇敵とは違うらしいな」

 

 タキシードの男──次狼はズボンのポケットに乱雑に両手を突っ込み、少女を見下ろす。ラモンと力、二人の表情をちらりと見ると、彼は再びレミリアの瞳に視線を合わせた。

 

「名刺代わりだ。俺たちの姿を見せてやる」

 

 次狼は静かに息を吐き、両手をポケットから引き抜く。その身に蒼い電流めいたオーラが走ったかと思うと、彼の身は瞬く間に蒼穹の体毛を纏った獣へと変わっていった。着ていたタキシードをもその身に取り込み、二本の脚で立つ狼の怪物へと変貌する。

 双眸は、少女と等しき真紅となり。額に突き出した金色の一本角は、さながら月夜にて己を示す誇り高き血族の証。

 次狼と名乗る男はキバの世界に13ある魔族の一つ、狼男の系譜たる『ウルフェン族』の最後の生き残りである。真の名を『ガルル』といい、一族復興のためにと、彼は長らく尽力してきた。

 

「狼男……ってこと? 紅魔館(うち)じゃ咲夜の担当ね」

 

 レミリアはウルフェン族としての真躯を晒した次狼に対して、お返しとばかりに不躾な視線を向ける。ファンガイアほどではないが、秘める魔皇力はなかなかのものだ。迷いの竹林に似たような獣がいたわね、と思い返しつつ──続いて残る二人の魔族を見る。

 ラモンの身に走った緑色の光は泡を伴いながら彼の姿を変えていく。やがて光は収まり、そこに翡翠の鱗を纏った半魚人の怪物を映し出した。彼は半魚人たる『マーマン族』の最後の生き残りであり、真の名を『バッシャー』という。

 最後に残った(りき)の燕尾服には紫電のオーラが迸り、鈍く唸る雷鳴と共に彼の姿を変じさせていく。至ったのは、死体のように冷たい岩の巨像であろうか。棺桶めいた意匠に捻じれ歪んだ剛腕を有するは、人造人間を始祖とする『フランケン族』の最後の生き残り──『ドッガ』である。

 

「ねぇねぇ! キミ、本物の吸血鬼なんでしょ? よろしくね!」

 

「俺たち、渡、仲間……よろし、く……!」

 

 ロココ調の意匠を帯びた半魚人の怪物、マーマン族のバッシャー。ゴシック調の意匠を纏う人造人間の怪物、フランケン族のドッガ。どちらもレミリアと同じ真紅の眼で彼女と向き合い、冴えるような鋭い気配で互いの在り方を測り合うようにその場に佇む。

 一瞬の静寂。やがてバロック調の意匠を抱いた狼男の怪物、ウルフェン族のガルルが前に出た。収束していく魔皇力と共に、蒼きウルフェンの肉体はタキシードを装う男へと戻っていく。

 

「俺の名はガルル。ファンガイアに滅ぼされた、誇り高きウルフェン族の生き残りだ」

 

 哀しげに表情を伏せた男は、この姿では次狼と名乗ってる──と付け加え、ちらりと残る二人を見やった。溢れる泡沫と燻る紫電に包まれ、仮初めの人間態へと姿を変えたバッシャーとドッガ。二人を目線で指し示し、それぞれの名前と種族を告げる。

 どちらも次狼と同じく己が種族の最後の生き残り。ラモンと力、そして次狼は、それぞれマーマン族とフランケン族、ウルフェン族の絶滅をたった一体のみで免れた同じ境遇の三体である。

 

「お前のことは知ってる。レミリア・スカーレットだったか」

 

「あら、少しは有名になったのかな。ブラム・ストーカーに執筆の依頼はしてないけど」

 

 貴族の礼儀に則って名乗ろうと思った矢先のこと。自分の名を告げられ、レミリアは少し驚いた表情を見せる。次狼曰く、特殊空間であるはずのこの部屋──ドランプリズンの中からはキャッスルドランの外の光景が見られるらしい。

 城主を基準とした映像であれば、屋内であっても見ることができる。そうでなくとも、この城、キャッスルドランが放つ魔皇力による探知は、あらゆる場所を映し出すことができるようだ。

 

「……俺たちは、この城にある『時の扉』で()()を見た」

 

 真剣な声色で告げられた次狼の言葉に息を飲む。レミリアは運命という言葉に、他人事ではない何かを感じていた。

 ラモンと力も小さく頷いている。自分が運命を操る程度の能力を持つ吸血鬼であるということまで知られているのだとしても、それは決して相手を謀る冗談などではないと告げるような。

 

「運命……?」

 

「キバの鎧を継承する者。あいつの助けになれればいいが……」

 

 微かに目を細めたレミリアは思考に浮かべた青年の姿に紅色の波動を見る。次狼が見た運命とやらが何なのかは、彼女には分からない。ただ、彼女に見て取れるのは九つの世界と幻想郷とが交じり合った歪な法則の螺旋。捻じれ絡まった鎖の手繰る先でしかないのだ。

 静かに語る言葉を読み取るに、彼が見た運命もキバの鎧を纏う渡の辿る未来であろう。如何なる手段でその理を垣間見たかは知らないが──

 

 次狼は不意に己がタキシードの懐から一枚のカードを取り出した。それは占いに用いられる西洋の札。タロットカードと呼ばれるものだ。その一枚の札は、一般的に知られるような、ただ絵柄を宿すだけのものではない。

 車輪めいたものが描かれた札──『運命の輪(Wheel of Fortune)』。それを正位置の向きで手に持つ次狼が目を落とすのは、万華鏡の如く、渦巻くように変わりゆくカードの絵柄だ。

 次狼は揺らめく絵柄のカードを鋭く放り投げ、部屋の中心に在るテーブルへ落とす。表向きに落ちた正位置の座標、運命の輪。そのカードはすでに元の絵柄を失い、映像を映し出していた。

 

「どうやら、この城の主がお前を探しているらしいな。そろそろ奴のもとへ戻ってやれ」

 

 カードが映すのは見知った顔の青年。キャッスルドランと呼ばれる古城を受け継ぎ、キバの鎧の継承者となった男。彼はキバットバットⅢ世と共にこの城を歩きながら、ちょっと目を離した隙に見失ってしまったレミリアを探しているようだ。

 次狼は不意に右手を上げると、その無骨な指を弾き鳴らす。ドランプリズンの中に奇妙な魔力の波動が満ち溢れ、自分の周りに薄暗い闇の帳が舞い降りたと気づいたときには──

 

「じゃあ、レミリアちゃん。お兄ちゃんによろしくね」

 

「俺たちは、ここに、いる……」

 

 ──ラモンと力の声が遠く耳に消えゆく最中。レミリアは、その場に存在していなかった。

 

◆     ◆     ◆

 

 キャッスルドランの天守閣。城主の領域たる『マスターハウス』には、その下のどんな場所よりも豪奢な王のための調度品が揃えられている。かつてファンガイアの王だった男が己が居城としていた、まさに選ばれし者のための空間だ。

 真紅と黄金に彩られた玉座の下には薔薇の花弁が敷き詰められている。巨大な絵画や漆黒のカーテンの向こうから差し込む太陽の光。そのすべてが、王の存在を輝かせるためのもの。

 

「レミリアちゃん、どこ行ったんだろ……」

 

 厳かな玉座に腰を下ろしている者は、今はいない。この王座にあるべきは渡の兄たる、当代のファンガイアの王──すなわち『キング』である。渡と同じ母を持ちながら、異なる父を持つ言わば異父兄弟。どちらも女王たる母親の血を引いていることは同じだが──

 渡はとある人間の男を父に持つ。対してキングとなった渡の兄は、先代の王たる血を引く純血の継承者。本来ならばこの城もキバの鎧も、彼に与えられるはずのものだったのだ。

 

 誇り高き王の間にてキバットに向き合う渡。マスターハウスの権限であれば、キャッスルドランの全空間を知ることができる。レミリアを探すためにキャッスルドランの最上階たる天守閣、この場所へ赴き、王の部屋である一室に足を踏み入れていた。

 目の前にある玉座に目を落としては紅色の旋律を胸に抱く。かつては一度、渡自身もこの玉座に座ったことがあった。それはキングとなりながらも哀しい運命を背負った兄への贖罪。自分自身がキングの称号を名乗ることで、すべての敵から兄を守ろうとしたがゆえに。

 

 先代の王はファンガイアにとって偉大な存在だったのだろう。新たなる王を認めぬファンガイアたち、中でも女王に次ぐ権限を持つ『司教』は、自身が長らく仕えてきた当代のキング、渡の兄であるその男に失望した。

 あらゆる災いはキングである兄へと降りかかる。それはキングの宿命なのだ。それを悟った渡は黄金のキバを纏うその力を示し、我こそが王であると宣言した。

 複雑に絡み合ういくつもの運命の鎖。愛すべき者の死、一族の掟、腹違いの兄弟。すべての怨恨、憤怒と因縁。今でこそ手を取り合えるが、渡と彼の兄は長く辛い哀しみを連ねていた。

 

「渡……」

 

 キバットは渡の視線が玉座に向いていることに気づいた。気遣うように目を伏せるが、渡の瞳は哀しみに濡れたかつてのものではない。

 遥けき過去、1987年においては今は亡き父と共に。己が生き抜く現代、彼にとっては現代たる2009年においては、母の血を分けた兄と共に。同じく王たるファンガイアを打ち倒した。一族にとって聖獣たるコウモリの意匠は王の証。その宿命を──等しく蹴り砕いて。

 

 再びキバットに向き合った瞬間、渡は背後に不思議な気配を感じた。魔皇力の満ちるキャッスルドランの空間が捻じ曲がり、空気の流れが変わった感覚。

 違和感を覚えた渡はそのまま背後へと振り向く。キバットも同様に渡の背後に視線を向けた。

 

「……っ、ここは……?」

 

 魔皇力の波動と共に舞い降りたのはレミリア・スカーレット。次狼によってキャッスルドランの空間が操作され、レミリアは地下空間たるドランプリズンから天守閣たるこのマスターハウスへと瞬間的な転移を遂げていたのだ。

 互いの気配に二人は気づく。共に目を合わせた渡とレミリアは城主の領域にて再会した。

 

「あっ、レミリアちゃん。よかった……」

 

 渡は見失ってしまった少女が無事であることに胸を撫で下ろす。キバットも安心している様子だが、レミリアの思考には先ほど聞いた次狼の言葉が万華鏡の如く残響しているようだ。

 

「(運命……か)」

 

 一度目を閉じて再び己の力に頼る。紅き鎖を手繰るが如く、霧の帳を切り裂いて。そこに見えたのはやはり要領を得ぬ鎖の螺旋。ただ見えるだけで、何も伝わらない。不安定な未来という嵐の中を覗いただけの、自分の能力による光景とは到底思えぬ乱雑さ。

 いったいどれが正しい運命なのか──あるいはすべてが辿るべき可能性なのか。キバの世界の法則に由来する運命さえも、そこにキバやファンガイアがいるか否かでしか判断することができないほど。

 

 ──不意に城が微かに揺れた。地震の可能性を一瞬考えたが、この城の外観を今一度思い出す。巨大な竜と一体化したこの城は翼を持ち、空を舞うのだ。王の間を飾る豪奢な窓に目線を向け、この城がまさに空を飛んでいることを理解する。

 空に在れば地震などとは無縁だろう。この揺れは城自体が移動要塞たる証明。巨竜の翼をもって天を舞い、おそらくは渡の意思か──それを汲んだ竜の意思によって飛翔を遂げているのだ。

 

「そういえばこの城、飛べるんだったわね」

 

 マスターハウスに光差す窓へ歩む。レミリアは紅き魔力で手元を霞ませ、歪む空間から薄紅色の可憐な日傘を取り出した。

 少女の身には少し大きめな日傘を差し開き、キャッスルドランのバルコニーに出る。降り注ぐ陽光は吸血鬼の肌にとって天敵だが、それは日傘で防げる程度のものでしかない。

 

 巨大な時計台がそこにないという点を除けば紅魔館の屋上にも似た、キャッスルドランの屋上の領域。さすがに空を飛んでいるため風が強く感じられるものの、弾幕の直撃さえ受け止める特注の日傘は天空の突風を受けても軋み一つ上げはしなかった。

 キャッスルドランが目指しているのはレミリアの居城たる屋敷──紅魔館。鼻につく独特の匂いは、先ほどまで雨が降っていた証明だ。霧の湖の周辺、紅魔館の敷地内を含む大地には雨に打たれた痕跡がある。

 昨日のものではない。ついさっき降ったらしい新しい痕跡。されども上がったばかりであれば、空に雨雲一つないというのは奇妙だ。霧の湖の上空は眉をひそめたくなるような晴天である。

 

「……まさか」

 

 レミリアは先ほど見た運命の中に一瞬だけ見えた光景を思い出す。ただ見えるだけでいつ起こるかすら分からぬ因果。その鎖が指し示す理を悟り、望まぬ未来に眉根を寄せる。

 彼女を追って屋上へと出た渡とキバットは、今なお天空に在るキャッスルドランから飛び降りる彼女を見て驚いた。小さな翼でもってキャッスルドランから離れていき、レミリアは己が帰るべき紅魔館の正面へとふわりと着地する。

 渡もまた、キャッスルドランのマスターハウスへと戻ってはエントランスへと駆け下りた。鈍い地鳴りを響かせて地に降り立つキャッスルドランの揺れを感じると、彼も城を後にする。

 

「おい、なんだってんだ?」

 

「どうしたの、レミリアちゃん?」

 

 キバットと渡はキャッスルドランから出てレミリアに駆け寄った。レミリアは自らの能力で見た運命と勘が導く予感に焦燥めいた不安に表情を曇らせ、紅魔館の庭園へと踏み入る。相変わらず、紅魔館内には咲夜と美鈴、そして城戸真司の気配はないが──

 庭園の端に紫色の影を見つける。紅魔館の壁に肩を預けながら、呼吸を整えている様子のパチュリーであった。ゆっくりと歩み寄るレミリアが見たのは、庭園に残る『交戦』の痕跡である。

 

「……あぁ、レミィ。戻ってきたのね……」

 

 力なく顔を上げるパチュリーはレミリアを見て安心した表情を浮かべる。外傷はないが、顔色がよくない。調子の悪いときに無理をしたせいで、不健康で病弱な身体に負担をかけてしまったのだろう。息を荒げ、咳込みながらも、戦闘によるダメージ自体はほとんどないようだ。

 

「お、おい。大丈夫か?」

 

 キバットが心配そうにパチュリーを気遣う。一度は自身を捕えようとした魔女であれ、長く渡と共にキバとして人々を守ってきた意思は揺るぎない。足取りのおぼつかない様子のパチュリーを支えようとするが、キバット族の小さな身体ではできなかった。

 パチュリーは再び苦しそうに咳込むと、紅魔館の外壁に右腕をつきながら左手で自分の胸に触れる。ぼうっと淡い光が溢れると同時、パチュリーの蒼褪めた表情は少しだけ和らいでいく。

 

「……レミィ、少し面倒なことになったわ」

 

「ええ、わかってる。止めようとしてくれてありがと、パチェ」

 

 真剣な表情でレミリアに向き合うパチュリー。紫色の瞳でもって見つめる真紅の瞳には、すでに

彼女が伝えたいことは映し出されていた。もっとも、微かに一瞬、知覚できただけで、レミリアがその運命の到来を待つまでもなく一連の因果は過去となってしまったようだが。

 何らかの魔法を使ったのか、呼吸を整えたパチュリーは紅魔館の外壁から離れて自らの足で地に立つ。彼女が見渡した紅魔館の庭園は雨の痕跡で微かに泥濘(ぬかる)んだ状態になり、強い力が加わったらしき地面には抉られたような跡があった。

 

 弾幕ごっこの痕跡──というにはもう少し暴力的な様相。特殊な光子の残滓と強いエネルギーの影響。魔皇力ではない。レミリアの紅き双眸にも同様に見て取れたそれは、さながら吸血鬼としての在り方で永らく目にしてきた『血液』にも似た、光のエネルギーと呼べ得るようなものだ。

 

「……いったい何が……」

 

 渡は依然として不健康で病弱そうながら先ほどよりも安定したらしいパチュリーの表情を見やり安堵すると、紅魔館庭園に残る交戦の痕跡を見渡して呟く。

 妖精メイドたちの姿が見られないのも気がかりだ。紅魔館内にはあれだけの人数がいたにも関わらず、主人たるレミリア・スカーレットの友人に当たるパチュリー・ノーレッジの介抱に来る者が誰一人としていないのだろうか。

 自らの魔法で呼吸を整えることができる彼女には妖精の手助けなど不要ということなのかもしれないが──せめて一人くらいは付き添いの者がいてもおかしくはないだろうと、渡は思う。

 

「あなたには伝えてなかったわね。私には、血を分けた妹がいるのよ」

 

 レミリアが渡に告げる。すでにパチュリーが息を整えた今、雨で泥濘んだ庭園で立ち話をすることもあるまい。花壇や土は泥濘んでいるとはいえ、紅魔館庭園には石造りのタイルが敷き詰められている。レミリアは足を彩る小さな赤い靴を泥に汚すことなく、屋敷の扉を開けた。

 

「……フランドール・スカーレット。レミィの妹は、強大な能力に見合わぬ不安定な精神を持ってしまった吸血鬼」

 

 少女たちと共に紅魔館のエントランスに入り、真夏の陽光の眩さよりもなお鮮やかな真紅に目を細める渡とキバット。パチュリーが語るは、レミリアの妹たる恐ろしき波動、紅魔館地下室に住む吸血鬼の話だ。

 廊下を歩みながら少女は語る。すでに日傘を閉じて手元から消失させたレミリア自身が説明する必要もなく、友人の妹のことを積み重ねた知識と見識で丁寧に話していく。

 

 495年間幽閉同然に閉じこもっていた吸血鬼の少女。今でこそ安定の兆しを見せているが、此度の異変に際して彼女の肉体に奇妙な灰化現象が起きたことも告げた。

 渡には心当たりがなく、キバットもそんな現象は聞いたことがないという。レミリアとパチュリーも、フランドールの灰から得られる情報はキバの世界の法則とは違うことを知っていた。

 

「あの子が一人で外に出るのはまだ危険だから、雨を降らせて留めてきたんだけど……」

 

 紅魔館の応接室に渡たちを通し、パチュリーは真紅のソファに腰掛ける。吸血鬼の特性として、流れる水を渡れない。その弱点はレミリアの妹であるフランドールにも共通するものだ。パチュリーはフランドールが紅魔館を出ようとする際、彼女の精神や振る舞いから危険と判断した場合に魔法で雨を降らせてその道を断つ。

 いつもなら無益な戦闘を行うまでもなく、フランドールは雨を見て屋敷へ戻るのだが──

 

「それでも、あいつは雨の中を突っ切って出て行った、ってこと?」

 

 レミリアがパチュリーに問いかけながら、同じく応接室のソファに座ってパチンと指を鳴らす。その一瞬で、目の前のテーブルには人数分の紅茶が──現れない。すぐに咲夜が不在であることを思い出したようで、応接室に入ってきた妖精メイドに口頭で紅茶の用意を頼んでおいた。

 

「…………」

 

 深刻そうな表情で頷くパチュリー。続けて語る彼女の言葉からは、混乱と不安の色が滲む。フランドール・スカーレットは、外に出ようとしたところ、雨を見て眉根を寄せた。普段通りであれば、そのまま踵を返して自分の部屋へと戻っていたはずである。

 だが、彼女は見慣れぬ銀色のアタッシュケースを手元に取り出したかと思うと、その中に秘められていた『謎のベルト』を腰に装い、右手に持ったデバイスに『変身』と告げたのだという。

 

 渡とレミリアはパチュリーの言葉に聞き覚えがあった。渡がキバの鎧を纏うときにも、その言葉を口にする。渡は自身が長らく戦ってきた自らの言葉として、レミリアはその変身を僅かに一度、目にしただけであれど、運命の旋律が如き確かな言葉として己の耳に聞いている。

 さらに加えてレミリアにとっては、それはパチュリーと同様に仮面の戦士──城戸真司の言葉からこちら側で定義した『仮面ライダー』なる存在が自らを変える際に用いる言葉。その力を手にした十六夜咲夜も──異界の存在ながらその力を使う城戸真司も。変身の際には口を揃えていた。

 

「フランは、変身したわ。青白い光を放つ不気味な仮面の戦士に」

 

 それはキバの鎧などとは縁遠い無機質なもの。パチュリーは未だキバの鎧さえ目にしていないが、使い魔に観測させた咲夜と城戸真司が変身した姿、鏡の法則に依る騎士のことは知っている。フランドールが至った戦士は、そのいずれとも合致しなかった。

 失踪を遂げたフランドールの捜索に妖精メイドを向かわせ、パチュリーは自身への介抱よりもそちらを優先させた。レミリアは親友の身を案じていたが、パチュリーと同様に今のフランドールを一人にするのは危ないと判断したらしい。

 妹の身から零れゆく灰についてはまだ分かっていないことが多い。さらに加えて未知の戦士へと至ってしまった大切な妹──フランドールを野放しにしておくというのは危険すぎるのだ。

 

「青白い光、ね……そっちに何か心当たりはある?」

 

 レミリアは期待せずに渡とキバットにその戦士について問うてみる。やはり、二人はその戦士について知らなかった。

 幻想郷各地で確認される仮面の戦士、龍騎の世界における名からその総称を仮面ライダーと定義した存在。咲夜や彼女が見たルーミアと同様に、フランドールも外来の力を手にしてその存在へと変身してしまったのだろう。その詳細が得られないというのは不安であるが──

 

 灰化に関しては、まだモンスターのエネルギーは足りているはず。仮に尽きてしまってもしばらくはフランドール自身の生命力で肉体を維持できる。だが真に危険なのはフランドールと相対した者のほうだった。

 彼女は元よりありとあらゆるものを破壊する能力を持ち、思い立った時点で無差別な破壊を行うことがある。さらに加えて未知の戦士に変身するという新しい玩具を手に入れてしまったのなら、その衝動に歯止めが効かなくなるかもしれない。

 少し気が触れており情緒不安定とはいえ、フランドールは495年以上もの歳月を生きた吸血鬼。世間知らずなれども聡明で理知的な人物ではあるものの、秘めた狂気は誰にも理解できない。

 

「……こっちでも魔法で探してみるわ。少しだけ時間をちょうだい」

 

 妖精メイドが持ってきた紅茶のティーカップを手に取るパチュリーの表情は芳しくない。魔法で補っているとはいえ、本来ならばスペルの詠唱さえ満足に行えないほどの貧血と喘息、体力不足の三重苦であり、身体の調子が良いときでなければ滅多に戦ったりしないのだ。

 先ほどは未知の戦士に変身したフランドールを止めるべく、魔法で雨を降らせて彼女と交戦したばかり。彼女には姉の親友たるパチュリーを傷つける意思はなかったのか、パチュリーは疲労こそあったものの無傷であった。

 魔法の維持と不本意な交戦で体力を使い切ったパチュリーには、変身したことで流水を克服し、去りゆくフランドールを止める術はなく──そのまま彼女の外出を許してしまったのだろう。

 

「無理はしないで。パチェにまで何かあったら、とっても困るわ。とってもね」

 

 レミリアもティーカップを手に取っては静かに揺らす。心配を滲ませた言葉を紡ぐと、カップを傾けて妖精メイドが淹れた紅茶を味わった。不味くはないのだが、相変わらず咲夜に比べてパっとしない味である。

 咲夜や美鈴がいてくれたら、パチュリーに無理をさせる必要もなく妹を止められたか。あるいは自分が運命に惹かれて渡の魔皇力を追い、館を離れていなければ──

 

 過去を悔いるも詮無きことである。レミリアの紅い瞳が映すは歴史ではない。これから歩むべき運命なのだ。過ぎ去った歴史ばかりを見つめていても運命は変えられない。

 いつぞやの歴史家、うちにはもういる知識人に対して告げた自らの言葉を胸に刻み込む。

 

「(……流れる水を克服した……だって?)」

 

 霧のように消え失せる紅茶の味を忘却の(はて)へ押しやり、レミリアは深く思考した。パチュリーの言葉について想いを馳せる。吸血鬼の弱点たる『流水を渡れない』という特性は正確には体質ではなく、精神的なものだ。流れる水を越えて渡りたくない──そんな無意識のセーフティが吸血鬼の行動に制約をかけるというもの。

 言わば猫舌の人間が過去のトラウマから熱いものを口にできなくなったのと同じ、本能から成る防衛行動である。その場合、炎や熱いものなどに対するトラウマを忘れてしまえば一時的に猫舌を克服できてしまうように、吸血鬼の本能に何かしらの干渉があったとしたら。

 

 ただ変身しただけ、鎧を纏った程度で克服できるようなものではない。太陽光であれば鎧によって肌を隠せば日傘と同様に凌ぐことができるだろうが、流水に関しては精神的な問題であるため、変身した程度で無視できるようなものではなく、視界に映れば身体が流水と認識するはずだ。

 

「…………」

 

 フランドールが変身したその戦士は、彼女の精神に何らかの影響を及ぼしている──可能性がある。吸血鬼を含む幻想郷の妖怪は肉体こそを主体とする人間や動物と異なり、精神が主体なのだ。ゆえに肉体へのダメージには強いものの精神に対しては耐性が低い。

 怨霊による憑依が妖怪にとって致命的なのはそのためだ。未知の力を手にして流水という弱点を無視できるほど精神への影響を受けたのだとしたら、無事に連れ戻せてもその影響が残ったままになるかもしれない。

 

 ──紅渡は深刻そうな表情で思考するレミリアの様子を見つめていた。どこか見た目相応の子供じみた振る舞いをしているのに、その風格は500年以上の歳月を生きた吸血鬼そのもの。あるいは己が父親に似た心の音楽を奏でる紅き在り方の少女。

 渡には彼女の妹の事情は分からない。吸血鬼とファンガイアは異なる存在であるが、渡が生きたキバの世界においても、吸血鬼という伝承は古くから語り継がれ、その弱点も伝わっている。

 その吸血鬼が雨によって流れる水を無視して超えたという話は確かに奇妙ではあったが──

 

「まぁ、考えても仕方ないわね。そこのあんた、渡の荷物をまとめてきて」

 

 一度深く溜息を吐く。レミリアは運命を見ても答えの出ない思考に愛想を尽かし、ソファの傍に立っていた妖精メイドに声をかけた。

 彼女は一瞬戸惑った表情を見せたものの、礼儀正しく一礼して紅魔館の応接室から出ていく。

 

「荷物? どういうことだ?」

 

「あんだけ立派なお城があるなら、紅魔館(うち)に泊まる必要はないでしょ?」

 

 ぱたぱたと翼をはためかせながらレミリアに疑問を投じるキバット。少女は小さな魔族に等しき真紅の瞳を合わせ、屋敷の外で呑気にあくびをしているキャッスルドランを示す。空間拡張魔術の影響か、内部こそ城と呼べるほど広いものの、外観自体は紅魔館を上回るほどの大きさではない。それでも相当な巨体ではあるが。

 外の世界──元あったキバの世界においてはやはり魔術か何かで姿を隠していたのだろう。そうでなければあれだけ巨大な竜が人々の生きる現代社会で目立たないはずがないのだ。

 

 レミリアが紅き瞳をもって幾度か見た外の世界は、このような神秘を排斥する拒絶と否定の世界だった。それゆえに、妖怪の賢者である八雲紫は幻想郷を創り上げたのだから。

 かつてはレミリアも外の世界にいた。幻想を拒絶する外の世界では吸血鬼の存在が否定されつつあったために、遥か東の国、幻と実体の境界を越えて──この地に紅魔館ごと引っ越してきた。

 

「それに、あんたたちはあの城にいたほうが良い気がする。……勘だけど」

 

 運命を見ての言葉ではない。これまでに観測してきた無数の未来から500年の経験を乗せた感覚によるもの。勘の鋭さにおいては博麗霊夢には及ぶまいが、その何十倍もの年月を生きた吸血鬼の予測は、20年程度しか生きていない渡にとっても意味のある言葉となる。

 彼女は思考した。ファンガイアはキバの世界において『現実として』根付いているのか。キバの世界には、幻想を排斥する意思がないのか。彼らやキャッスルドラン、キバットといった魔族。こちらから定義する神秘そのものは、幻想郷という妖怪たちの居場所を必要としないらしい。

 

「……ふっ」

 

 自分たち吸血鬼とは違い、ファンガイアは人々を襲っているから存在の否定を免れたのだろうか。あるいは、そもそもキバの世界と外の世界は別々の並行世界であるがゆえに、まったく異なる法則によって幻想の否定が発生しないのか。

 常識と非常識の境界。幻想が常識であるなら、それは現実と変わらない。ならば自分たちもまた獣のように人々を喰らっていれば、幻想郷に踏み込むこともなかったのだろうか──

 

 らしくない思考に自嘲するレミリア。吸血鬼はファンガイアではない。奴らにどれだけの矜持があろうとも、怪物として人々を襲っているのであれば、その誇りとやらも程度が知れる。それに、幻想郷に来たことに悔いはない。

 神秘を否定する外の世界にいるよりずっと面白い。幻想郷(ここ)へ来た当初は、自分たちと同じ境遇でありながら腑抜けた妖怪たちに怒りを覚え、彼らを率いて幻想郷の支配を目論んだこともあった。後に『吸血鬼異変』と呼ばれたそれは、スペルカードルール制定の発端となったのだという。

 

「出ていけ、なんて野暮なことは言わないわ。ただ少し……そうね。部屋を変えるだけ」

 

 紅魔館からキャッスルドランへ。ただ渡とキバットには在るべき場所を移ってもらうだけ。妖精メイドが持ってきた渡の荷物を本人に投げ渡すと、キバットは訝しげにレミリアを見る。

 

「……その言い方、まるでキャッスルドランも紅魔館(ここ)の一部みたいじゃあねえか」

 

「まぁ、間違ってないんじゃない? きっと、そう遠くないうちに私のものになるんだし」

 

 どこか遠くを見つめながら呟いたレミリアの言葉に、キバットはない首を傾げた。パチュリーもまた、その言葉の意味が分からないでいたが、親友の在り方はよく分かっているつもりだ。運命が見えにくいと言っていたが、そのような片鱗を見て取ったのか。あるいは──

 ただの冗談ということも十分に考えられる。パチュリーが知るレミリアの在り方はまるで運命そのものによく似ていた。気まぐれで飽きるのが早く、それでいて永遠に底の見えぬ力を有する。

 

「なんだそりゃ? やらねーっての!」

 

 呆れたように怒るキバット。控えめに紅茶へと口をつける渡は、少女の言葉に妄言以上の何かを感じ、同じく紅き運命を憂うようにレミリアの表情を見る。

 ちらりとこちらに視線を向けた彼女の瞳には、気高い真紅に似つかぬ音色が込められていた。

 

◆     ◆     ◆

 

 ここはどこかの世界。幻想郷ならざる天涯の地平。かつて彼ら(・・)にキバの世界と呼ばれた場所は、選ばれし九つの世界の一つとして──その『座標』へと召し上げられている。

 巡る風の匂い、肌に伝う世界の音色。そのどれもが本来あったキバの世界そのものではあるが、そこは本来キバの世界があるべき座標ではない。

 ある者の意思によって『世界そのもの』が別の場所へと引きずり上げられた今、ここはまったく同一の法則を持つキバの世界でありながら、その複製とも呼べる仮初めの境界でもあった。

 

「ぐぅっ……貴様……なぜ……」

 

 高潔さと信念の強さを思わせる白いジャケット。さながら脱皮したての蛇にも似た美しさを抱いたそれは、短く切り整えた暗い茶髪の青年によく似合っている。だが、その表情も衣服も、向き合う相手によって傷つけられていた。青年は、ステンドグラス模様の瞳に怒りを込める。

 

「……それが『運命』だったのですよ。──『キング』」

 

 丸い眼鏡を指で押し上げ、漆黒の祭服を纏った長身痩躯の男は告げる。キングと呼ばれた青年はまさしく、その称号に相違なきファンガイアたちの王であった。

 左手にだけ着けられた黒い革手袋の下には、その手の平と甲にキングを表す紋章が刻まれている。先代の王と女王の血を受け継ぐ純血のファンガイアたる彼は、その座を継いで当代のキングとして君臨していた。

 かつての王たる父とは違い、人間を食料として支配するのではなく、異なる父を持つ弟──渡の目指した理想、人間とファンガイアが手を取り合って共に生きていける世界を実現するために。

 

「いや、キングには相応しくない……蛇め……!」

 

「がぁっ……!」

 

 黒衣の男は眼鏡越しの双眸にステンドグラス状の光を灯らせ、細く骨ばった腕を振るう。アゲハチョウの鱗粉にも似た魔皇力の波動は、美しくも雄々しく舞い上がり、触れたものすべてに激しい爆発を起こしては青年の白いジャケットを焦がしていった。

 力の差だけであれば、本来は青年のほうが上。青年はキングとして選ばれた純血の継承者であり、対する相手は過去の時代より先代の王に仕えてきた神官──司教と呼べる存在である。

 

「今の無能なキングを否定し、我らが王を取り戻す。真のキングはただ一人……」

 

 震える手で丸眼鏡を取り払いながら、漆黒の牧師服を纏う男、王に仕える三つの駒の一つであるファンガイアたちの賢者──『ビショップ』は神経質そうな早口で独り言つ。彼が理想とする真のキングは、渡の兄である今のキングとは程遠いのだ。

 目の前に在るはビショップにとって認められぬ当代の王。継承者たる青年の名は 登 太牙(のぼり たいが) 。彼が女王の(はら)より産まれたその瞬間から、彼に仕えてきた。王の振る舞いに傷をつけぬよう従者として真摯に努めてきたはずだ。

 

 だが、女王として相応しくなかった当代の女王を独断で処刑したとき、太牙(たいが)はビショップに激しい怒りを向け、感情のままに拳を振るい始めた。

 自分は王に仕えていたのに。王を傷つける存在を処刑してやったというのに。愛という不条理を理由に、これだけ敬虔に仕えてきた我が身に対して、どうしてこのような仕打ちを。ビショップはキングの甘さに失望し、キングさえもその座には相応しくないと判断した。

 掻き集めたライフエナジーをもって先代の王──今のキバの世界が刻む西暦2009年から見て22年前、西暦1987年に死んだ過去のキングを蘇らせ、自らはその糧となって散っていったが──

 

「私には……やるべきことがある……!」

 

 眼鏡を外したビショップは己の顎にステンドグラスの意匠を浮かべ息を吐く。一度は過去のキングの復活に己が全てのライフエナジーを捧げることで命を失った男。されど彼もまたキバの世界を含む九つの世界を束ねる意思によって『二度目の生』を受けた。

 ビショップの企みで蘇った過去のキング、かつての王であり太牙の父でもあった男は、不完全な復活で自我を失っていた。ファンガイアといえど死んだ者を完全な形で蘇らせることはできない。意思を持たぬ生きた死体(リビングデッド)となるだけ。

 それを承知の上で、ビショップは亡き先王を屍鬼(ゾンビ)めいた怪物に貶めてまで蘇らせたのだ。それを傀儡とし、憎き太牙をキングの座から引きずり降ろし、あるべき時代を取り戻すため。

 

「バカな……!」

 

 太牙は白いジャケットを汚す()()()も気にせず、今はここにはない運命の鎧と闇の鎧、それらを抱く蛇とコウモリに想いを馳せる。それは己の身を守るためではなく、大切な者たちを傷つけられないために。

 死んだファンガイアが人格をそのままに蘇ることなどありえない。それは太牙も理解している。実際にそんなことが可能ならば、とうに自身も渡も共に愛した女性──当代の『クイーン』として選ばれてしまった最愛の人を取り戻したいと願っている。

 

 だからこそ太牙は狼狽し、ビショップに隙を見せてしまった。一度は死んだはずのビショップが自分の知っているそのままの人格でここにいる。それは完全なる死者の蘇生。ファンガイアが持つ技術を遥かに超えた、未知の法則。それは喜ばしき事象では決してない。

 渡と自分が共に死力を尽くし、二つのキバの鎧、黄金の鎧と闇の鎧を纏って倒したはずの過去のキング、初代以上と呼ばれた怪物でさえ本来の自我を備えて蘇るということをも証明していた。

 

「くっ……渡……!」

 

 咄嗟の機転で致命傷こそ免れたものの、もはやファンガイアとしての姿を晒して応戦する余力もない。キングともあろう者が死者の亡霊に油断するなど──と己を恥じ入るが、今は無様を承知でビショップの攻撃から逃げ続けるしかなかった。

 太牙にとって気になったのは、死んだはずのビショップが復活したことだけではない。彼が姿を見せる前、自分はとある企業の社長として、ファンガイアが喰らうライフエナジーの代わりとなるエネルギーの開発──人間とファンガイアの新しい未来のために精進していたはずだ。

 

 渡の友たる戦士が、同じく青空の意思を宿した女性と結婚するのだという。その知らせを聞き、自身は社長たる立場ゆえに出席が遅れたが、そこへ現れた『未来からの怪物(ネオファンガイア)』に応戦、ひとまずはそれらを退け、対策のために仲間たちと相談しようと試みたところ。

 

 ──世界が崩壊を始め、建物も青空も自分たちでさえも、霧の如く消滅を始めたのだ。

 

 ネオファンガイアによる攻撃ではない。この時代、この世界そのものを消してしまったのなら、未来に続いている世界も消滅してしまうはず。それならば過去からの干渉か。キャッスルドランの深奥に備わった扉を使えば、過去の世界へ介入できるが──

 思考する間もなく、自分はただ何も存在しない無の世界を漂っていた。空も地面もない、まるで夢の中にいるような虚ろな場所において、目の前にあった薄光に触れた瞬間、自分はよく知る元の世界、己の会社の前にいた。

 死んだはずのビショップが現れ、自分は纏うべき『運命の鎧』も『闇の鎧』も有してはおらず、純血のファンガイアとしての能力もなぜか本来のものよりも落ちてしまっている。人間態のままで襲い来るビショップさえまともに退けられず、今に至るというわけだ。

 

 理由は分からないし、何が起きているのかも分からない。ここは本当に元あった通りの世界なのだろうか──考えがまとまらぬながら、太牙は咄嗟に目の前の空間に手を伸ばす。

 傷ついた身体で見た光景は幻などではない。そこには不意に灰色のオーロラが現れていた。

 

「なんだ、これは……?」

 

 自分が意図したものではない、謎のオーロラの出現に戸惑うものの、このままではわけもわからぬままビショップに殺されてしまうだけ。せめてこの状況を渡たちに伝えられれば。微かな祈りを込めて、太牙は揺蕩(たゆた)うオーロラカーテンの中へと踏み入った。

 脚を引きずりながらビショップの放つ鱗粉の爆炎に紛れるようにして光を超える。それがどこに繋がっているのか分からないが、柔らかく澄んだ風は、どこか幻想的なものを感じさせた。

 

「逃がすものか……捻り潰してやるよ」

 

 己が顎のステンドグラスめいた煌きを消し、眼鏡を掛け直したビショップ。閉じゆくオーロラを自らの干渉でもって強引に開くと、彼もまた光の帳へと踏み入り、その境界を超える。

 その先は、キバの世界とは別の法則を抱く因果。忘れ去られた幻想を宿す神秘の秘境だった。

 

◆     ◆     ◆

 

 ──幻想郷、妖怪の山。今は二度目の四季異変に際して、春にも関わらず見事な紅葉に彩られており、涼やかな秋の風が微かな灰の粒子を巻き上げては散らしている。

 その中腹に座すは──麓の博麗神社よりも少しだけ新しく立派な印象を受ける別の神社だ。

 

「桜が咲いても、紅葉が散っても、やるべきことは同じよね」

 

 白い巫女装束に走る青は誠実さと信仰の証か。健やかな木々の葉を思わせる緑色の長髪にヘビとカエルの髪飾りを装う少女は、手にした竹箒で境内の紅葉を丁寧に掃除していく。

 風に揺れる青いロングスカートには大幣めいた模様が描かれており、彼女の清き振る舞いと共にその身を『巫女』としての立場に在ると表していた。

 しばらく前にこの幻想郷に引っ越してきた、外の世界の神社である『守矢神社(もりやじんじゃ)』には二柱の神が存在する。山のパワーバランスの一角を担う天と地。それぞれ八坂神奈子と洩矢諏訪子。今はその神々はこの場におらず、その権能の一端を担う代行者がここに立つのみ。

 

 守矢の巫女──『風祝(かぜはふり)』たる 東風谷 早苗(こちや さなえ) は神々の力をその身に宿して奇跡の権能を行使することができる選ばれし人間であった。

 神の奇跡を代行しているうちに、やがて彼女自身でさえも信仰の対象となり、それは人間の身でありながら神としての側面も併せ持つ『現人神(あらひとがみ)』へと至ったのだ。

 外の世界の常識を捨て去り、幻と実体の境界を越えて。幻想郷の住人となった早苗(さなえ)は妖怪の山にて巫女を続け、麓の博麗神社の巫女と諍いになったり、異変の解決に奔走したりしていた。

 

「それにしても……神奈子様と諏訪子様はいったい何をなさってるんだろう……」

 

 幻想郷に来てからは親元を離れている。幼い頃から自分の傍にいた二柱の神々が言わば親代わりだが、その二人は自分に何も告げずにぱたりと姿を見せなくなってしまっていた。

 十中八九、この妖怪の山にも確認できる四季異変──ひいては幻想郷各地に怪物が出現しているという異変に関わることだろう。己自身も巫女であり、幻想郷の人間である。本来ならば彼女らに許可を取って異変の解決に赴くところなのだが。

 

 ──不意に視界の端に灰色の輝きが散る。視線を向けた先に広がっているのは、妖しく波打つオーロラカーテン。幻想郷の怪物はこの灰色の帳から現れると聞いている。早苗の心に張り詰めるような緊張と警戒が走るが──

 そこから現れたのは怪物などではなく、白いジャケットを纏った傷だらけの青年であった。

 

「えっ……! だ、大丈夫ですか!?」

 

 境内の石畳を巫女らしからぬ洋風のローファーで駆け抜け、竹箒を捨て置きながら傷ついた青年へと駆け寄る。鳥居の近くに倒れた青年は血──らしきものを流していた。だが、その血は早苗が見知った人間の色ではない。

 人ではないことを証明するかの如き『青い色』。一瞬、その不自然な血を見て早苗は足を止めてしまうが、すぐにオーロラから現れたもう一人の人物に対してさらに強い警戒心を抱く。

 

「神父さん……? ここは教会ではなく神社ですよ?」

 

 オーロラから現れた長身痩躯の男、漆黒の牧師服を纏う眼鏡の青年は早苗に気づく。すぐに彼女から興味を失い、境内の石畳に転がった青年、登太牙に向けて手に光を灯した。

 それが攻撃の意思であるということは傷ついた青年の状態や、男の滲み溢れるような悪意からすぐに理解することができる。早苗は咄嗟に手元に大幣──霊夢が扱うものとは少し違う、長方形の紙を一つだけ帯びたそれを現すと、その場に突風を巻き起こした。

 

「…………」

 

 風に煽られた黒衣の男、ビショップは軽やかに後退し、鳥居の外へと出る。その背後は参道たる階段であったが、彼は階段から落下するギリギリのところで踏み留まっていたようだ。

 早苗は太牙に近寄りながら傷を見る。爆発で焼けた肌や裂傷の痕、流れる青い血は境内の石畳を染め、ただでさえ悪い顔色がさらに蒼褪めていく。

 このまま放っておけば間違いなく──この青年は死んでしまうだろう。たとえ人ならざる存在だとしても、早苗は彼を助けたいと願った。右手に霊力を込めて傷に癒しの祈りを与えるが、早苗は知らぬファンガイアたる魔族の身に神の霊力は相性が良くないのか、治癒が遅い。

 

 そうしている間にも、ビショップは手に光を灯す。早苗ごと太牙を焼き払うつもりらしい。

 

「……逃げ……てくれ……」

 

 太牙はか細い声で早苗に伝えるが、彼女は逃げようとはしなかった。このままでは自分だけではなく、この少女までもが犠牲になってしまう。キングとしての力が不完全な自分では、以前よりも力を増しているビショップから彼女を守り切ることはできない。

 残る気力をすべて注ぎ込んで、搾り出した魔皇力をもってビショップに渾身の一撃を与えるべきか。──否、今の自分の力では怯ませることが限界だ。意識を保つのがやっとの現状においては、この少女を巻き込んでしまう恐れもある。

 そんなことを考えていた──そのときだった。巫女らしき少女は太牙の左手を掴むと、すぐ傍の神社へと避難させようとしたのだ。少女の腕力では成人男性を持ち上げることはできないながら、せめて少しでもビショップから距離を取らせようとした──その瞬間のことである。

 

「……っ!?」

 

 早苗と太牙の手が触れ合った瞬間。そこに眩い光が生じた。その両者も、ビショップでさえも、予期せぬ閃光に両目を覆う。溢れる波動は紛れもなく魔皇力らしき気配を帯びてはいたが、どこか八百万の加護を思わせる神々しさをも伴うような。

 ビショップと早苗が目を開けた瞬間──そこに登太牙は存在していなかった。彼の手を掴んでいた早苗でさえも困惑の表情を浮かべながら、掴むべき左手を失った己の左手に視線を向ける。

 

「……何が起きた? まさか『あの技術』が発動したというのか……」

 

 登太牙は消滅したわけではない。それはビショップも知っているキバの世界の技術。彼が生きた世界において、ファンガイアを実験体として弄んだ人間の男がいた。ある特定の生物の個体情報を別の生物の個体へと移植する技術──『個体能力移植技術』と呼ばれるもの。

 かつて太牙はその男── 神田(かんだ) と名乗る研究者の技術を己が物とし、自身の育ての親たる人間、青空の意思を持つ組織の長の命を救う際。彼をファンガイアと融合させて一つとしたのだ。

 

「ありえない……『奇跡』でも起きぬ限りは……」

 

 ビショップは早苗の身体に、登太牙のファンガイアとしての能力が個体移植による融合を遂げたことを理解した。だが、すぐに現実視できるわけでもない。本来、個体移植とは激しい苦痛を伴うはず。あるいは太牙が自らの研究で何らかの調整を施したのだろうか。

 人間の科学とファンガイアの魔術。それを加味しても、これほど容易く個体移植が成功するとは到底思えない。

 そこでビショップは魔族たる肌に感じた、魔皇力ならざる神の波動を思い出す。目の前の少女はただの無力な人間だと思っていた。だがもしこの少女が特別な力を持っていたのだとしたら。

 

「貴様……何をした」

 

 丸眼鏡を指で押し上げながら、冷静な声で問うビショップ。早苗には特に何かをしたという自覚はない。ただ死にそうになっていた青年の──片手にだけ黒い革手袋を着けた左手を掴んだだけ。太牙が有していた個体移植の魔術が発動したのは、偶然だったのだ。

 それを成功させたのはキバの世界や真紅の法則に依る『運命』ではない。確定された必然さえも神の祈りによって覆す『奇跡』という祝福。

 守矢神社の風祝たる東風谷早苗が生まれ持つ『奇跡を起こす程度の能力』が早苗の意思に依らず太牙の身に宿る魔術に作用し、様々な要因が重なって完全なる個体移植を成功させた。

 

 早苗は不意に消えた太牙に驚いていたが、個体移植の影響か。彼女の思考には太牙の記憶が流れ込む。翡翠の色を宿す瞳にステンドグラスめいた極彩色を浮かべると、視線を落とした己が左手、その手の平と甲の両方にある紋章が浮かび上がっていた。

 魔眼と薔薇。コウモリの翼めいた意匠。それは紛うことなく登太牙の左手、革手袋の下にあったはずの『キングの紋章』である。

 今、彼女の身体には当代のファンガイアの王たる者──登太牙の()()()が在る。キングとしての能力こそ純粋なファンガイアには及ぶまいが、彼女はもはや、ファンガイアに等しい存在だ。

 

「私にもよくわかりませんが……この幻想郷では常識に囚われてはいけないのですよ!」

 

 目の前に立つ黒衣、今の自分と同じ魔力を持つ者に大幣を突きつける。

 この身体の細胞(なか)には先ほどの青年が生きている。何が起きたのかは分からないが、早苗はそれを感覚で理解した。

 彼の意識は途絶えてしまったようだが、死んだわけではない。己の中で別の誰かが眠っている。奇妙な感覚ではあるが、神を宿しているのと似たようなものだろうか。これまでも守矢の神をその身に宿し、神の奇跡と権能を代行してきた早苗にとっては、すぐに馴染めることだろう。

 

 ビショップは早苗の身体に太牙が融合したのを見ても冷静な思考を崩さない。目の前の少女は紛れもなくキングの能力を宿した人間であり──同時にファンガイアでもある。死にかけの王ならば取るに足らないはずだったが、少し状況が変わった。

 幻想郷は未知の能力を宿す者が多く存在するのだという。聡明な彼は能力の判然としない巫女を警戒し、自身の背後にオーロラを形成した。

 ゆっくりと後退していくと、その身は灰色の幕壁の中へと消えていく。やがてその全身を飲み込み、灰色のオーロラはステンドグラスの意匠を浮かべた早苗の瞳──その視界から姿を消した。




「一度目偶然、二度奇跡。三度目必然、四、運命……」
Roots of the King。キングと守矢の純血の継承者。青くて白くて蛇っぽい、教会と神社です。

次回、第58話『ラプソディ / プレイ・オン・タイム』
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