東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第59話 豆腐の如く清き道 / 熔ける太陽

 燦々(さんさん)と照りつける真夏の日差し。四季異変に狂い歪んだ太陽の畑は、本来の季節が春であるにも関わらず、その傾斜を眩く黄色に染め上げる向日葵の花々に満たされている。

 自然の具現である妖精たちも夏の影響を受けて強大な個体が育ち、その手に自らの写し身である向日葵の花を手にして空を舞っていた。

 

 そんな太陽の畑にて、結界に覆われた場所に建つ館が一つ。風見幽香は外来人である天道総司を泊まらせている自らの住居で食事を楽しんでいる。それを手掛けたのは、館の主人である幽香ではない。客人である天道の料理の腕を買い、用意された食材で相応の『美味しい』を求めて。

 

「……幻想郷には海がない、と言っていたな」

 

「そうね」

 

 テーブルに向き合い、天道と幽香は皿の上に漂う味噌の香りを楽しむ。幽香が味わうのは天道の得意料理の一つである和食であった。あまり西洋文化に馴染みのない幻想郷、明治時代の日本から隔離された秘境では、その食材を用意するのは難しいことではない。

 箸でもってその身を切り解し、欠片を乗せては口に運ぶ。二人はこの幻想郷では取れないはずの海の魚を煮込んだものである『サバの味噌煮』を楽しんでいた。天道はそのことに疑問を抱くが、この衣服も、自身でさえも──

 

 本来ならばここに在るはずのないもの。閉ざされた楽園といえど、外の世界と繋がりを持っているのは明確だ。幽香が語った幻想郷の賢者なる存在が関わっているのは間違いない。

 だが、今は思考の時ではない。食べ物を前に余計な思考を馳せていては、せっかくの料理が冷めてしまう。食事とは神聖な時間なのだ。サバの出所は気になるが、天道はその思考を収めた。

 

「……まぁいい。こいつをどこから調達したかは、今は聞かないでおこう」

 

 ほかほかの白米をサバの一切れと共に頂く。電気で動く炊飯器もないというのに、この幻想郷の技術は自分が生きたカブトの世界に等しいだけのものがあるらしい。

 妖怪の技術というのは不気味だが、見たところ明治時代後期程度の文明しかないにも関わらず、ここまで現代の技術を再現できるというのは天道にとっても驚くべきことだった。

 食事を終え、幽香は食器を魔法か妖怪の力らしき手品めいた方法で流し台へ持っていく。

 

「それで、あのとき現れた『もう一人のカブト』についてだけど……」

 

 軽く指を振るうだけで流し台に置かれた食器の汚れが水をもって落とされていく。幽香の思考に走るのは、先日の昼、太陽の畑から少し離れた平原で目にした──カブトらしき何か。天道総司が変身したカブトによく似ていたが、違う。

 緋色の装甲を帯びたそれとは明確に違うが、その意匠は極めてよく似ていた。頭角がより大きく突き伸び、全身に神々しい白銀の装甲を纏っているという違いだけを除けば、ほぼ同じ。

 さらに気になったのはその存在が自分の知っている妖気を持っていたことであった。外の世界の法則を抱きしマスクドライダー、カブトに幻想の力があるはずがない。それも、己がかつて失った旧き妖気など。

 

 天道総司はそのカブトを知っている。自身が至った──否。至るべき未来の可能性というべきか。万物を超越し、時空さえ覆すその力は、すでに本来の時代では失われた。だが──

 未来をすでに掴んだ男の手の中。天道総司が目指した時の果て。白銀のカブトムシを模したあのゼクターは天道の呼びかけに応え未来から現れるという性質を持っているのだ。それが選ばれし者の宿命。天道自身が紛れもなくそれを手にするという因果の証明。

 しかし、先日もその力を手にしようと天道は望んだはず。これまで通りであれば問題なく掴めていたはずの究極のゼクターは、一度はその手に現れたものの──すぐに消えてしまっていた。

 

「……あれは未来から来た俺自身だ。と言っても、信じられないだろうな」

 

「未来から……? それに、あなた自身……? 詳しく聞かせてもらってもいいかしら」

 

 幽香が耳にした言葉は奇しくも彼女の推測に近いもの。失われた旧き妖気を持つことから、この時代ではない──過去から来たものと思っていたが、むしろ逆。あのカブトは現在よりも未来から現れた者であるらしい。

 それに、天道総司自身だって? 幽香はあのカブトが旧き自分自身──風見の姓を抱く以前の自分、ただの『幽香』であった自分が有していた太古の妖気を持っていたため、遠い過去の時間より現れた在りし日の己自身の可能性を見ていた。

 無論、今の幽香自身にかつてカブトとなって未来へと赴いた記憶などはない。あるいは幻想郷に接続された並行世界と同様、あり得た別の並行世界からの来訪者という可能性もあった。

 だが疑問は残る。それが本当に未来の天道だったとして、なぜ旧き自分の妖気を持つのか──

 

「あいつの左腰にあった白銀のゼクター。あれは、時空を超えるほどの力を──」

 

 天道が重々しく口を開く。その力について語ることはあまりしたくなかったようで、渋々といった様子のまま未来から来たカブトについてを話そうとする。

 その瞬間だった。幽香の館に変化が起こる。あのカブトが現れたときと同じ、太陽の畑が湛える空気そのものが震えるような感覚。室内にいてもなお感じられる、不愉快な時空の歪み。

 

「……残念。お話はまたあとで聞かせてもらうわ」

 

 緋色の瞳で窓を見やる。椅子を立ち、幽香は期待を込めて館の玄関へと踏み出した。天道も同様にその感覚には気づいた様子。ライダーベルトを右手に取り、いつでも変身できるようにその腰に巻きつけると、幽香と共に館に備わった木製の扉を開き──太陽の畑へと出た。

 

「……っ!」

 

 天道と幽香が同時に目を細めたのは眩い陽光に対してではない。黄色い向日葵たちを抱く太陽の畑。その中心から、()()()()()()()()()が吹き込んできているからだ。

 何もない場所の空間。二度目の四季異変で今は夏のはずのこの場所において、あり得ざるほどの凍えるような風。それでも分かる。この冬めいた雪風は、ここと繋がったどこかの空気だと。

 

◆     ◆     ◆

 

 深々と降り積もる真冬の雪。地上世界と同様、四季異変の影響はこの地底世界にも現れている。やはり本来の季節は春にも関わらず、旧地獄の忘れ去られた繁華街、旧都の軒並みは冷えゆく冬の空気に満たされていた。

 その空を染めるは吹き抜けることなき地殻の天盤。如何に高く見上げるべき天涯であれど、地の底の世界に雪など降るはずはない。この現象も幻想郷の幻想たるが所以なのか。

 

 この地に住まう怪力乱神。説明不可能な事象そのものたる怪異。かつて妖怪の山の四天王として語られた鬼の存在が、この旧地獄、地殻の下にさえ煌き舞い落ちる細やかな雪の一片を認めているのかもしれない。

 あるいは、ここが単なる地の底ではなく旧地獄という一つの世界として定義されているからか。語られる怪力乱神が語る通り、この地が冬となれば雪が降るのは理由なく必然であるのだ。

 

「……ヒビキさんも、あのアギトとかいう戦士については知らないのね」

 

 星熊勇儀と肩を並べて歩くヒビキの隣、水橋パルスィは白い息を吐きながら問う。彼女らが先日の戦いで出会った未知の戦士、神々しい輝きを放つアギトなる存在は、どうやら響鬼の世界から来たものではないらしい。幻想郷に接続された並行世界が複数あるという噂の通りであれば、やはりそれは別の世界から現れた存在なのだろう。

 地霊殿周辺の荒れ地で遭遇した怪物は魔化魍ではなかった。パルスィはその際にアギトが放った眩い光の一部をその身に取り入れてしまったが──特に身体に異変などはないようだ。

 

「別の世界ねぇ……いったいいくつあるんだろうな」

 

「ま、今は考えたって仕方ないね。それより、温泉街(ここ)が無事で安心したよ」

 

 からんと鳴らした下駄の音。手首足首の枷は鎖を鳴らし、勇儀の足を止める。ヒビキの言葉に返した勇儀の憂いは、その視線を賑やかな歓楽街──『旧地獄温泉街』に向けさせた。

 旧都の大通りから中心近くへと向かった先、そこには忘れられた雪の街道の寂しさなど掻き消すような大きな温泉街がある。勇儀が元締めを務めるこの温泉街へとヒビキたちが足を運んだのは、そこが魔化魍の被害を受けていないか確認するためである。

 

 ついでに、変身の際に焼け落ちてしまうヒビキの衣服も何着か調達しておこうか、という勇儀の提案で彼もここへ来ることになったのだが、やはり燃やすことを前提に衣服を購入するというのは些か惜しく感じる。旧都のお金を持たない以上、厚意に預かるというのに。

 ヒビキは勇儀が温泉街の経営で得た稼ぎで何着かの衣服を見繕ってもらった。勇儀は竹を割ったように気にするなと言ってくれたが、この地ではヒビキといえど無力な外来人であるのだ。

 

「……この硫黄の匂い、温泉に来たって感じがするな」

 

 冬景色に染まる旧都の寒さを打ち砕く、白く立ち込める温泉の湯気。旧地獄の地熱で暖められた天然の温泉は、ゆで卵にも似た独特の香り──硫化水素の匂いを漂わせている。残り少ない自前の衣服のまま温泉街を見渡し、ヒビキは日本の名湯に想いを馳せていた。

 猛士の鬼として関東地方の魔化魍を相手にしていた際はよく現地の名産品を楽しんでいたものだ。従来であれば魔化魍の出現は年に数体程度で、鬼一人のシフトも多くなかったため、そのくらいの余裕はあったのだが──

 ヒビキの記憶に新しい一年前、オロチ現象が起きていた年においては一年のうちに尋常ならざる数の魔化魍が出現し、鬼たちを総動員してもシフトが間に合わないほどだった。

 

 今ではオロチも収束を遂げている。魔化魍の出現も従来通りには落ち着いていた。ヒビキ一人が抜けたとしても、猛士には優秀な鬼たちがいるため、人手が足りなくなるようなことはそうそうないだろう。

 それに今の猛士にはヒビキが弟子として育てた『強き鬼』がいる。消防士の父を失い、父を乗り越えるべく修行を始めた若き少年。かつては鬼の修行の厳しさに泣き言を繰り返し、言い訳と共にすぐに投げ出してしまうような男だった。

 今では彼も立派な鬼──猛士の一員として確かな成長を遂げた戦士である。もう一人、ヒビキが弟子としていた少年、医師を志した彼とは別の道を目指し──ヒビキの背中を追う鬼となって。

 

「お前さんも魔理沙と同じ勘違いをしているな。この匂いは怨霊の怨みがもたらすもんだ」

 

 硫黄そのものは無臭なんだよ、と付け加える勇儀は温泉街の顔馴染みに挨拶し、魔化魍の存在に注意を促すと、彼方に見える天然温泉の白い湯気に視線を馳せてはヒビキへと振り返る。

 

「せっかく来たんだし、温泉に入っていったらどうだい? 安くしとくよ」

 

「……こんなときにゆっくり温泉に浸かるだなんて、鬼たちの神経が妬ましいわ」

 

 旧地獄温泉街には目立った被害はない。それでも旧都の入り口、旧地獄街道に魔化魍ツチグモが現れたことはすでに妖怪たちの噂から伝わっているだろう。

 それでもなおこの温泉街が本来の活気を失わず、旧都の歓楽街としての賑わいを保っているのは、勇儀という柱がいるためか。

 山の四天王と呼ばれた星熊勇儀の存在はこの地底において語り合う明日の象徴。来たるべき明日を語らえば、鬼が笑う。この地の温泉郷は、湯煙の奥に揺らめく魂と鬼火の拠り所であるのだ。

 

「こんなときだから、だよ。身も心もさっぱりして憂いを洗い流そうってねぇ」

 

 はらり舞い散る雪の一片は旧地獄温泉街の熱を受けて幻想的に煌いている。勇儀はその冬の象徴に奇妙な共演を見せる春の彩り、天盤の岩から薄紫色の光を散らす石桜の美しさを楽しみながら、鬼の酒器である秘宝──自らの懐に妖力と宿す星熊盃に想いを馳せる。

 萃香の持つ伊吹瓢とは違い、こちらは空の状態から酒を生み出すことはできないが、それが酒でさえあれば注ぐだけで上等なものに変えてくれよう。

 旧地獄温泉街にて売られている酒の中で最も安いものをそれに注いだとしても、鬼の酒器の力で最高級の酒となる。ただ、その酒はすぐに劣化を始めるため、売り物にはできないのだが。

 

 ──魔化魍の気配はここにはない。平和そのもの。そう感じられたそのとき。

 

「……っ!」

 

 のんきに温泉に浸かっている地底の妖怪たち。地底に残った一部の鬼たちと同様に、パルスィは不意に旧地獄温泉街に走った異質な空気の歪みに違和感を覚えた。

 歪む波動。乱れる風穴。勇儀とヒビキも等しく肌身に感じ取ったそれは、旧都の空気と温泉の湯を震わせながらこの地に別の空気を流し込む。湯煙に満ちた冬の歓楽街は温泉の熱気で暖められているとはいえ、冷たい雪の空気。そこに、真夏を思わせる熱き風が舞い込んできた。

 

 時空の歪みは明確な乱れとなって冬と夏の空気を掻き混ぜる。ヒビキたちの脳裏に響くのは耳で聞いた音か否か、カブトムシの羽音と列車の警笛。そして竜の咆哮。三様に入り乱れた混沌の中、歪みはさらに大きく捻じ曲がり、旧地獄温泉街を包み込む。

 勇儀はパルスィを守るように立ち構えた。ヒビキはその歪みの原因こそ分からずとも、全身をビリビリと震わせるような異常な感覚に悪意を感じつつ、その胸に響く鬼の闘気を燃やし現す。

 

「おっと……こいつは……」

 

「悪いな、勇儀。温泉に浸かるのはまた今度になりそうだ」

 

 その歪みは尋常なものではない。歴戦を誇る鬼の二人でさえ、その正体を掴みかねている。遥か太古の時代を知る勇儀も、魔化魍に詳しいヒビキにも、時空の歪みなど知る由もなく。

 

「パルスィ! 来るな!」

 

「ちょ、ちょっと! 勇儀! ヒビキさん!?」

 

 勇儀が咄嗟に振り返り、時空の歪みの源流に顔を背けて声を上げた。パルスィが巻き込まれないように制止し、彼女が驚いて足を止めた瞬間。乱れ歪む時空の波動は温泉街の一部に集約し、その場に湛えた冬の空気ごと──勇儀とヒビキの二人を吞み込んでしまったのだ。

 一際強い突風に目を覆った隙に二人の姿はなくなっていた。歪む時空の彼方から吹き込んできた夏の風についてを考えれば、あるいは二人はこことは別の場所に転移してしまったのか──

 

「……消えちゃった……いったいなんだったの……?」

 

 夏の木々を思わせる青々しい香りだけを微かに残して、時空の歪みは収束する。冬の旧地獄には似つかわしくない、向日葵めいた夏の色。乱れた空気もすでになくなり、旧地獄温泉街にはいつも通りの冬の空気が満たされていく。

 温泉に浸かっていた妖怪たちもその異変に顔を見合わせて困惑している様子だった。パルスィもその歪みの原因が分からず、底知れぬ不安が心に芽生えさせられる。

 

 加えて、そこにあったのは微かな嫉妬心。彼らだけが真なる鬼の魂を持ち、必要とされたのか。そんな羨望と劣等感が、彼女の地殻(たましい)に宿った『光』に──ほんの僅かな『闇』を宿していた。

 

◆     ◆     ◆

 

 時空は乱れ歪み、太陽の畑に一条の冬が差し込む瞬間。夏の暖かさに満ちていたその向日葵畑に冴える空気を切り込むように、その風の中に温泉らしい硫化水素の香りを含めて。

 

「……来るぞ」

 

 天道は歪みの彼方にいつか自身が手にしたカブトムシの羽音を聞いた。傍らにて夏の眩さに目を細めた幽香も、日傘の下にてその音を聞いているだろう。聞き覚えのない列車の警笛と竜の咆哮も合わせて、それらは幻聴だったのかもしれないが。

 夏の園には在り得ざる凍てつく空気。向日葵の花々を冷たく揺らし、太陽の畑の傾斜の果てに、二人の人影が姿を現した。

 

 一人は現代的な衣服に身を包んだ人間の男。鍛えられた肉体は30代を迎えてもなお衰えず、響く鬼の名に恥じぬ魂を抱いている。混乱した様子で周囲を見渡しているところを見ると、どうやらこの太陽の畑に現れたのは彼自身の意思によるものではないようだ。

 そしてもう一人は──ヒビキと同様に戸惑いながら巨大な向日葵と顔を見合わせる大柄な体格の女性であった。こちらは幻想郷に馴染む妖気を持つ鬼──かつては山にいた星熊勇儀である。

 

「あら、旧地獄の鬼? 珍しいわね。地上に出てくるなんて」

 

「……お? あんたは確か……いつぞやのお祭り騒ぎで見た顔だね。って、地上だって?」

 

 同じく幻想郷に生きる幽香はその顔に見覚えがあった。秦こころの暴走により、人間の里から希望という感情が抜け落ちては、刹那的に生きるようになった彼らの厭世観から起こった宗教大戦。心綺楼異変の折、人々の騒ぎに乗じて彼女らも里などに赴いて戦いを観戦していたのだ。

 地底の鬼ほどの豪傑。花の大妖ほどの怪物。どちらも易々と人の前に姿を現せる存在ではない。異変によって人々が正常な判断力を失っていたからこそ、彼女らはそれを楽しめた。普段の里であれば、変装もなしに堂々と鬼や妖怪が立ち入ることはできないだろう。

 

 幽香の声に気づいた勇儀は、思わず空を見上げた。周囲の明るさから奇妙だと思っていたものの、実際に天を仰いでみれば真なる太陽の眩さに否が応にも目を細めさせられる。

 隣に立つヒビキも同様に空を見上げ、ここが天下の地上であると理解した。肌寒く冷える旧地獄とはまったく違う夏の暑さ。温泉街の熱もあったとはいえ、白雪に覆われた冬の都から夏の畑への転移は、その気温差もあって現実味を失わせる。

 ヒビキも幽香たちへと向き合い、等しく隣に立つ人間の青年──おそらくは自分と同じ幻想郷の外から招かれたであろう者の顔を見た。彼もまた、現代衣服を纏う自分を同じ目で見ている。

 

「なんで地上に……? 旧地獄温泉街には地上への道なんてないはずなんだけどねぇ」

 

「そういや、ここに飛ばされるときに変な音がしたなぁ。虫の羽音とか、電車の警笛みたいな」

 

 勇儀は不思議そうに頭を掻く。ヒビキも勇儀と同様に奇妙な三種の音を耳に聞いており、彼らはそれが関係しているものだと考えた。幻想郷の四季異変、この太陽の畑が夏の季節を帯びているのだとしたら、カブトムシらしき虫の羽音も不自然なものではないのだろうか。

 天道はヒビキたちが現れる際に微かな時空の乱れを感じ取っていた。カブトゼクターに選ばれた資格者である身、クロックアップを多用するワームを相手にしていればその変化には聡い。

 

「……その様子だと、敵……というわけではないようだな」

 

 いつでもカブトゼクターを呼べるようにと戦意を掲げていたその在り方を収める。天道は静かに口を開くと、彼らに語りかけた。

 幽香が大した警戒もなく話しかけた相手は、額に立派な角を掲げた鬼。見て呉れこそ若い女性であるが、その威圧感は若い女性に擬態した強大なワームに似た底知れぬ闘争心を滾らせるようなもの。高位のワームが擬態した女だと考えていたが──

 こうして距離が近づいた今でも、彼らは明確な敵意を向けてこない。特定の人間に擬態し続ける習性を持つ高位のワームであったとすれば、人ならざる敵意が滲み出しているはずだ。

 

「あのゼクターの影響か……? かなり時空が不安定になっているようだ……」

 

 天道と幽香が等しく目にした先日の光景。過去と未来を等しく覆すだけの力を持つ『あのゼクター』を持つ存在。あれがかつて目にしたものと同じなら、それはクロックアップを超えた更なるクロックアップの力を行使し、時空を超えて現れた未来の自分自身。

 時間への冒涜による時空の乱れか。しかし天道は過去にもその力を使っている。あの力単体ではこれほどの影響は出ないはず。あるいは別の力と干渉し、相互に影響し合っているのか──

 

「そんなことより、そっちのあなたも外来人? 今の幻想郷で外来人といったら……」

 

「おや、その口ぶりだと……そっちにいる外来人も、やっぱりあれかい?」

 

 幽香の問いは地底の気配を帯びた男、人の身でありながら鬼に似た妖気を持つヒビキに。そして幽香に返す勇儀の疑問は──幽香の存在に竦まぬ胆力を持つ男、天道に対する疑問。

 どちらも興味を抱くは接続された並行世界の、異なる法則を有せし『力を持つ外来人』だ。

 

「……っと、どうやらお喋りしてる時間はないみたいだな」

 

 互いの存在について、その世界について。知りたいことはある。しかし、ヒビキが感じた空気の変化、地底の旧地獄街道でも感じたあの感覚により、その場にいた4人の人妖は等しく自らが肌に感じた『それ』へと振り返った。

 太陽の畑に降り注ぐ陽の光を遮るは、気温の高い場には相応しくない極光の幕壁。本来は極点に近い座標で見られるべきであろうその空間の歪みは、オーロラの形を成した結界である。

 

「灰色のオーロラ……また現れたか」

 

 天道もまた目を細めてそれと向き合う。波打ち揺れる灰色の光は、彼にとってはこの太陽の畑で見た現象。ワームを出現させた未知の事象だった。そしてヒビキにとっては、旧地獄で目にしたもの。童子たちや魔化魍こそ出現の瞬間を見てはいないものの、それらを生み出し育てる、見えざる悪意の傀儡──クグツはあのオーロラから姿を見せた。

 そのどちらにとっても、それはこの幻想郷で初めて目にした現象である。カブトの世界におけるワームも、響鬼の世界における魔化魍も。どちらも灰色のオーロラなど介さない。

 

「あんたらもあれを見たことがあるって様子だね。だったら、するべきことは分かってるな?」

 

「ええ、お手並み拝見といこうかしら。そっちの外来人(あなた)も手伝ってくれる?」

 

 己の右拳を左手の平に叩きつけ、彼方に浮かび上がった灰色のオーロラを見上げる勇儀。遠目からではその規模は分かりにくかったが、その光に映し出された影は五つ。等身大の大きさから察するに、そこにいるのは童子と姫、あるいはクグツだけなのであろう。

 幽香は陽光を遮る白い日傘をくるりと回しては、彼方に見上げる灰色のオーロラを見上げたままヒビキに語りかけた。天道もヒビキもどちらも戦う意思は同じ。彼らは共に、光の下へ向かう。

 

 太陽の畑、その中心。幽香の館から少し離れた傾斜の先にぼんやりと輝く灰色の光。

 

 彼らはオーロラの直下まで辿り着いた。淡く不気味に輝くその光は、彼らの到来を待っていたかのように、緞帳の如くその身を落としては帳に波紋を広げる。

 一つ、二つ、三つ。続けて解き放たれた醜悪な緑色。成長途中のサナギを思わせるは、まさしくカブトの世界の遠い宇宙から地球へと飛来した遥かなる外宇宙の生命体。ずんぐりと丸みを帯びたサナギ体のワームを三体吐き出すと、オーロラはまた別の二体を産み落とした。

 

 漆黒の装束に朱と紫の衣を装う長身痩躯の不気味な男。痩せこけた頬に差す鋏の意匠は、同時に現れた朱と紫の装束に白い衣を纏う儚げな女とよく似た出で立ち。二人は虚ろな視線でサナギ体のワームたちの中に立っては、揃って己が左手の二本指を噛み合わせる。

 長い爪を帯びた人の手は歪に膨れ上がり鈍く殻を纏い始めた。しゃきん、しゃきんと、指を鋏に見立てて動かすままに、それは紛れもない蟹の鋏となって彼らの肘から上を覆い尽くしていく。

 

「うわっ、なんだこりゃ……虫か何かか?」

 

「妖怪か……? よく似ているが……何かが違う……」

 

 ヒビキが目にした異形は骸。三体ものサナギ体はワームの成長段階であり、彼の世界においては存在し得ぬ法則。共に立ち並ぶ天道が見るのは、傍目では人と同じ姿を持つ傀儡。若い男女の姿を模した不浄の人形たちは魔化魍の親たる『バケガニの童子』と『バケガニの姫』であった。

 

「鬼が二人に……(あやかし)一人。残る男は人間か……」

 

「ちょっとまとめて……我が子の餌となってもらいましょう……」

 

 姫が口を開けば、その声は低い男のもの。童子が返して言葉を紡げば、その声は高い女のもの。陰陽二元論の理は自然の在り方がゆえか。彼らはまるで男女の声帯を取り違えたかのように、己に見合わぬ声で語った。

 バケガニの童子と姫は掲げる異形の鋏を胸に添え、やがて纏う衣はするりと首へ移ろい、捩じれゆく妖力と共にその身を変じさせる。

 かつてヒビキも戦ったことのある魔化魍、磯の香りに不浄の邪気を宿す『バケガニ』の親たち。その身はやはり蟹の甲羅や鋏の意匠を思わせる人形の異形、怪童子と妖姫と成り果てて。

 

「ギシュルルルッ!!」

 

 迫るはサナギ体のワームたち。緑色の甲殻を纏ったその身の、肥大化した爪を振るい上げ、三体ものそれらはこの地で未だ互いを知らぬヒビキと天道、そして彼らと共に在る勇儀と幽香に対して襲いかかった。

 重い装甲がゆえか鈍重な彼らは天道の蹴りによって突き飛ばされて後退。続けて迫ったバケガニの童子が振るう鋏も、ヒビキの腕に受け止められ、返す回し蹴りで遠く後退する。

 

 天道が構える右手に向かいてジョウントを遂げた真紅。空間跳躍によってこの場に現れたカブトゼクターは彼の手に収まり、それを右腰へ持っていっては対するワームを見据えたまま。そして、ヒビキは右腰に結びつけた変身音叉・音角を手に取り、それを開く。

 指で弾いて鳴らした音叉に響くは純音。それを己の額に掲げ、その全身に紫の炎を纏い──

 

「……変身」

 

『HENSHIN』

 

「……たぁっ!」

 

 天道は右手に持ったカブトゼクターをライダーベルトに装填。ヒビキは右手の音角を腰へ戻し、滾る紫色の炎を右腕を振るって払う。

 六角形の情報片は瞬く間に天道の姿をマスクドライダーシステムの装甲に覆い、鈍色の甲冑となって彼をマスクドフォームのカブトへと変身させる。紫色の炎を払って鍛え上げたその身に鬼の妖気を顕現させたヒビキの肉体は、艶やかな紫の皮膚を持つ響鬼の姿へと変身していた。

 

「ほう……これは……」

 

「ま、やっぱお前さんもそうなるよな」

 

 天道は未知の法則を宿す鬼、響鬼の姿へ至ったヒビキを見た。互いに向き合うヒビキの無貌もまた、カブトが纏う鈍色の装甲──ZECTの叡智たるマスクドアーマーに向けられる。

 猛士が伝える誇り。ZECTが生みだした技術。そのどちらも彼らが知り得る世界の理にはない。されどヒビキはこの幻想郷、忘れ去られた旧地獄においてもう一つの未知を見ていた。アギトなる光の戦士もまた、響鬼の世界には存在しない法則である。

 対する天道は別の理を持つ戦士や怪物と遭遇してこそいないが、幽香の話からマスクドライダーシステムやワームとは別の理を持つもの、カブトの世界とは別の世界から現れ来たる者の存在を知っている。まさしく鬼と呼べるその姿からは、どこか幻想郷の妖怪に似た波動を感じた。

 

「ずいぶんと重そうな鎧を着込んだね。動きが鈍くなるんじゃないかい?」

 

「驚いたわ。それらしい妖気を持ってはいたけど……こうなると鬼そのものねぇ」

 

 勇儀と幽香もそれぞれ、夏の空の日差しに鈍色の輝きを返す装甲と紫色の煌きを帯びる肉体に、未知なる法則を見る。勇儀はカブトの装甲を一瞥し、すぐにワームへと向き合うと、表情も知性も伺えないその無機質な在り方に頭を掻いた。

 魔化魍ほどの化け物ならいざ知らず──童子や姫などの気配しかない。彼らと違い、知性の程も大したことがない様子を見ると、此度の戦いはあまり楽しめそうにないと感じられてしまう。

 

「まぁ、いいさ。さぁ、そこな緑のサナギども! 一つ手合わせ願おうか!」

 

 昂ぶる魂はヒビキが放つ鬼の妖気を受けてのものか。勇儀は久方ぶりの地上で右腕を振るい肩を慣らし、草原に踏み込んでサナギ体に接近。そのまま妖気を込めた左の拳を叩きつけた。

 

「ギュゥ……ゥオ!」

 

 サナギ体の重厚な装甲に対して、まずは軽い妖力を込めたジャブ程度の一撃。様子見のつもりで放ったとはいえ、鬼の力であれば並みの妖怪は大打撃を負うだろう。その衝撃によってサナギ体のワームは吹き飛んだものの、装甲を打ち破ることは叶わず。

 続けて、真横から振り下ろされたまた別のサナギ体の爪を持ち上げた右腕で受け止める。堅牢な装甲に特化しているためか攻撃能力は低いらしく、その打撃は容易く防御できた。

 

 バケガニの怪童子と妖姫はそれぞれ振り上げた蟹の鋏をもって幽香と天道に迫る。鋭く強靭な爪は蟹の鋏らしく内側に挟み込まなければ切断力はないのか、打撃武器としての性能のままその重みをマスクドフォームの装甲へ打ちつけた。

 されどカブトの装甲は、マスクドフォームにおいてはワームのサナギ体すら大きく上回るもの。如何に自然の妖力を集めた怪童子と妖姫の肉体といえど、マスクドアーマーに傷はつかず。

 

「……何?」

 

 打撃においては、その一撃は防いだ。だが。天道は怪童子の鋏から溢れた緑色の泡が、マスクドアーマーの厚き装甲に──白く煙を上げゆく様を目にした。

 高熱を発生させているのか、魔化魍の性質を帯びたそれは不快な音を立てて──

 

「ちょっと痛むぞ」

 

「ちょっと熱いよ」

 

 怪童子と妖姫の鋏より滲む泡は、ZECTが誇るネイティブの技術、地球上の技術さえ超えたヒヒイロノカネ製の装甲を微かに溶解させ始めた。重厚な装甲であるがゆえに、その浸食は天道の身にまで達してはいないが、あろうことかマスクドライダーシステムの装甲を溶かすとは。

 仮面の下で表情を変える。純粋な戦闘力こそサナギ体程度にしか持たぬだろうこの怪物たちは、どうやら人間の科学技術とは相容れぬ、未知なる超常の力を持っているのだ。それこそ、幻想郷の妖怪の如き、幻想──あるいは神秘と呼べる力。

 

 天道はすぐさま怪童子を蹴り飛ばした。マスクドアーマーは純粋な打撃に対しては極めて強固な装甲として機能するものの、ZECTはワームとの戦闘を前提としてこれを開発した。幻想郷などという未知の秘境、科学を超えた大自然の叡智、妖怪との交戦など想定されているはずがない。

 

「青年、あんまり近づきすぎないほうがいいぞー。そいつら、溶解泡を出すからな」

 

「……ご忠告、痛み入るよ。できれば、もう少し早く言ってほしかったがな」

 

 ヒビキが気の抜けるような声で天道に言う。マスクドフォームの硬く厚い手で装甲を撫でるが、幸い溶かされた装甲は一部のみ。表面だけを微かに溶かされた程度で、やや耐久性が低下しているようだが、この程度なら次の変身時には修復されているだろう。

 すぐ傍にいるバケガニの妖姫は再び溶解泡を散らしつつ、左腕の鋏を振り上げた。天道はジョウントによって手元に呼び現したカブトクナイガンの柄を掴むと、アックスモードで振るう。

 

「ぐぅ……っ」

 

 カブトクナイガンの斧としての刃で切りつけられたバケガニの妖姫は、白い体液を噴き出しつつよろめくように後退していった。

 そのまま再び接近しようとしてきた怪童子に対し、幽香が傘の先から光弾を放って牽制するのを見届けながら、天道はカブトクナイガンを反対向きに持ち替えて妖姫に向けてガンモードとしての引き金を引いて撃ち放ったイオン光弾で、妖姫たちの接近を阻止する。

 幽香の反応を見るに、この鬼らしき男の言葉から察するに。これらは幻想郷の妖怪ではない。

 

「そいつらは童子と姫っていうんだ。魔化魍って怪物を育てる親なんだとさ」

 

 勇儀は目の前のサナギ体を殴り飛ばして、ヒビキと背中を合わせて互いの死角を守りながら言った。背後のヒビキも同様にサナギ体を殴り飛ばした様子を見届けると、今はその魔化魍はいないみたいだけど、と付け加えて肩に腕を置きつつ腕を鳴らす。

 そろそろ飽きてきた頃合いだ。勇儀は右の拳を握りしめると、互いを守るように身を寄せ合ったサナギ体たちに紅い瞳を向けて威圧する。ヒビキもまた、響鬼としての無貌でそれらを見た。

 

「じゃあ、私からは先に言っておこうかしら。そいつらワームには、相手の姿に擬態する能力があるのよ。なんでも、遠い宇宙の果てから隕石と一緒に落ちてきた地球外生命体だとか」

 

「何? 擬態だって?」

 

 いざや一撃をもって粉砕せしめん。その気概で妖力を束ねかけたとき、幽香が日傘の下で小さく唇を開いた。眩い日差しに勇儀と等しき真紅の眼を細め、本来ならば尊き花々と共に生きる自然の一部であるはずの虫たちを憂う。

 同じ星にて生まれていれば、あるいは花の蜜を運び担う導き手となれただろうか。異なる星より現れたために花々を踏み荒らすのなら──その怒りを代行せざるを得ないと。

 

 勇儀が幽香の説明に問い返す。すぐに目の前のサナギ体に向き直ると、彼らは緑色の骸を真夏の日差しに捻じ曲げるように自らの細胞ごと歪ませていった。

 一瞬の間にて作り替えられた彼らの遺伝子。細胞の一つ一つに定義されたワームとしての能力。それらの真価を発揮して、今、勇儀たちの前に立つは──まさしく幻想郷に住まう妖怪たち。

 

「なるほどな。そういう類の怪異ってわけか」

 

「良い度胸じゃないか。私ら鬼を前にして、嘘と偽りで欺こうったぁねぇ」

 

 ヒビキと勇儀は姿を変えたワームを見て冷静に思考する。二体のサナギ体はそれぞれの姿を星熊勇儀と風見幽香の姿に。外見も記憶も思考も、すべてをコピーするワームの擬態能力。彼らが成り済ますは、鬼の一本角と花の如き日傘だけではない。

 滾る鬼の力。咲き誇る大妖の力。細胞レベルでの擬態を遂げた彼らは、彼女らの遺伝情報さえも正確に模倣しており、その肉体が宿す鬼の膂力と花を操る能力さえも身につけている。

 

 だが。それはあくまで擬態した瞬間のもの。自らに擬態されたことではない。擬態という欺瞞で鬼を謀ろうとした不義。勇儀たち鬼が何より嫌う──嘘。ワームが擬態した直後に芽生えた勇儀の魂の怒りまでは、勇儀に擬態したワームには宿っていない感情だ。

 ゆっくりと地を踏みしめ、幽香と己の姿に擬態したままのサナギ体たちへと接近していく勇儀。擬態幽香の能力で全身に纏わりつく(ツタ)を強引に引き千切り、鏡映しの己と拳を打ち合わせた。

 

「……っ!!」

 

「私に化けたと言ってもそんなもんか? これなら化け狸の方が張り合いがあるね!!」

 

 勇儀の拳は擬態勇儀の拳と激しくぶつかりあい、周囲の花々を風圧で揺らす。風に散りゆく花びらの美しさに似つかず、その剛毅な妖力の圧力は同じ膂力を有するはずの擬態勇儀を狼狽えさせ、怯ませた。

 ワームという種が持つ共通の擬態能力は等しいもの。されどその力をどれだけ我が物としているかはワームそれぞれの個に委ねられる。種を統べる位置に立つ高位のワームであれば、より高度な擬態を可能としていた。しかし、サナギ体程度の能力では──

 

 擬態勇儀の拳に亀裂が入る。そこから細胞の機能が死滅していき、慌てて腕を引いた擬態勇儀は擬態をやめ、元のサナギ体の姿に戻っていた。

 所詮は虫による擬態。勇儀という一人の鬼が持つ在り方、そのすべてを模倣することは能わず。彼女の表面しか見えていない虫如きに、四天王たる鬼の真なる拳が再現できるはずもなく。

 

「…………!」

 

 勇儀の拳一つでサナギ体は吹き飛び、擬態さえ維持できなくなった。それを見ていた擬態幽香も額に汗を浮かべ、手にした日傘を捨て去って全身の妖力を光弾と束ねて勇儀を射貫こうとしているようだ。しかし──その動きも本物の風見幽香が導いた太陽の畑のツタによって動きを抑制され、妖力を解放することができなくなる。

 擬態幽香が彼女を見たときにはすでに遅く。幽香の日傘の先に収束した妖力は太陽の如く輝き、解き放たれたフラワーシューティングは五方向への光弾を一方向に纏めて炸裂した。

 

 吹き飛んだ先の個体に対しては勇儀が追い打ちを掛ける。擬態幽香もまた擬態を維持できなくなり、サナギ体に戻っては甲殻から光を零し。先ほどまで擬態勇儀であった個体に対しては、勇儀が古来より受け継ぐ鬼の妖力をもって真っ直ぐに拳を叩き込むように、その緑の甲殻を穿ち抜く。

 

「「ギュシュルルルルゥウッ!!」」

 

 どちらも緑の炎を上げて、爆散を遂げるサナギ体。それらは太陽の畑に吹き込む夏の風によって仰がれ、欠片も残さず消滅した。

 勇儀と幽香が撃破した二体のワームを見届け、同時に動いていたヒビキと天道もまた、猛士にて鍛え上げられた鬼の肉体とZECTにて開発されたマスクドライダーシステムで向き合うバケガニの童子と姫に対し、それぞれ響鬼とカブトの力を解き放とうとする。

 

 魔化魍バケガニを育てる者たる童子と姫。彼らは怪童子と妖姫として、蟹の甲羅と鋏爪を帯びた異形の怪物となっている。その鋏から溢れる不浄の泡は、自然の妖力を帯びた溶解泡として触れた万物を容易く溶かしてしまうのだ。故に、接近して戦うことは極めて危険な行為と言えよう。

 

「近づかなければいいだけだ」

 

「ま、そういうことだな。ちょっと荒っぽいことするけど、驚かないでくれよ」

 

 天道は手にしたカブトクナイガン ガンモードを右手に構える。ヒビキは鍛え上げた肉体のまま地を駆け走り出し、あわや溶解泡が届こうかという範囲まで近寄りかけた。

 マスクドフォームのままのカブトの青い複眼で目にしたその行いは、自ら語った怪物の間合いに踏み入ってしまうようなもの。何を考えているのか──幻想郷に招かれたであろう異世界の戦士、その在り方を確かめるべく、天道は様子を見る。

 ヒビキはバケガニの妖姫が左腕の鋏を振り上げた瞬間を見計らい、紫の無貌に口を開いた。己が身そのものと定義し得る響鬼の身をもって、その口から滾る鬼の妖力たる紫色の炎を放つ。

 

「ぐぎゃあああッ……!」

 

「はぁっ!」

 

 紫色の炎に包まれて燃え上がるバケガニの妖姫。ヒビキが太陽の畑を駆け抜けながら、止まることなく放った鬼幻術・鬼火を受け、妖姫が動きを止めた隙に。そのまま疾走の勢いを殺さぬままに振り抜いた掌底を打ちつけてバケガニの妖姫の肉体を正面から打ち砕く。

 白い体液と共に砕け散ったその身は魔化魍を育てる者であれど、魔化魍そのものではない。自然の力が歪み生まれた存在ではないため、清めの力を持つ音撃でなくとも撃破は可能だ。

 

「……どちらが怪物か分からないな」

 

 天道は不動のまま。機動力に欠けるマスクドフォームの身で無駄に動くことなく、カブトクナイガン ガンモードの銃口をバケガニの怪童子に向ける。通常射撃の光弾は怪童子の蟹の甲羅を帯びた左腕の鋏によって防がれてしまったが──

 それはただの牽制に過ぎない。本命たるタキオン粒子の収束を終え、粒子から電離した高純度のイオンエネルギーを、カブトクナイガンの銃口より解き放つ。

 白く輝く光は怒涛の如く湧き上がるアバランチシュートの一撃として夏の風を裂き、バケガニの怪童子の左腕の鋏では受け止められず。圧倒的なエネルギーにより、怪童子は爆散を遂げた。

 

「シュギュルル……!」

 

 現れた二体のサナギ体は勇儀と幽香に倒され、バケガニの童子と姫はヒビキと天道に倒された。残った最後の一体、誰にも擬態しなかったサナギ体はそれらを時間稼ぎに用いていた様子。擬態にエネルギーを使うことなく、育ち切った全身の細胞に熱を込め始める。

 赤熱した甲殻は虫らしい緑色のそれを溶け歪めるように色を変え、迸る熱は真夏の太陽の日差しよりも熱く、太陽の畑に揺らめく陽炎を立ち昇らせた。

 

 崩れ落ちた甲殻の中より現れたのは、サナギの身を破りて脱皮せしめた成虫体。地球の昆虫たるホタルの姿によく似た『ランピリスワーム』である。その姿は漆黒の身に纏い帯びる蛍光色の緑を甲殻として灯らせるように己が全身に配して、不浄の骸めいた緑色の頭で見るは──

 さながらホタルの臀部にあるべき器官を拳と成したような右腕。ぼんやり淡く輝く球体を先端に有したランピリスワームの右の拳は、全身の発光エネルギーをプラズマとして放つ力を持つ。

 

「あら、またホタルなの? ……あのとき戦ったのはハチだったかしら」

 

 脱皮を遂げたワームに向き合う幽香と天道。幽香の思考に想起されたのは先日の記憶だ。二体のアラクネアワーム──蜘蛛のワームを撃破したあと、夏空の彼方より飛来したのは幻想郷の妖怪、リグル・ナイトバグ。彼女自身はホタルの妖怪であったが──

 マスクドライダーシステムなる力を手にした彼女はスズメバチを模したゼクターを使って黄色と黒の戦士へと変身を遂げた。それは紛うことなきハチのマスクドライダー、ザビーである。

 

「サナギが脱皮したってところか? 真っ昼間にホタルってのも映えないねぇ」

 

「……っと、それだけじゃあないみたいだな。この気配……奴さんが出てきそうだぞ」

 

 勇儀とヒビキもまた、地球の法則に依らぬランピリスワームのおぞましき悪意と向き合いながら。カブトの世界の遠き宇宙より舞い降りた怪物、脱皮を遂げたそれに加え、揺らめくオーロラの彼方に浮かび上がるは巨大な影。

 太陽の畑の花々を踏み荒らすようにその姿を見せたのは、紫がかった赤い体色を持つ巨大な蟹の怪異であった。

 背中の甲羅に無数のフジツボを背負うように帯び、全長8mはあろうかという巨体でオーロラを潜り抜け、夏空の下に現れた響鬼の世界の自然の具現たる魔化魍──『房総(ぼうそう)のバケガニ』。それは己が両爪の鋏をガチガチと鳴らし、童子と姫の仇のつもりかヒビキたちを見下ろす。

 

「これがあなたの言っていた魔化魍? ずいぶん変わった妖気をしてるのね」

 

「感じた通りだよ。こいつらはいくら殴っても、響鬼(あいつ)の音じゃないと倒せないんだとさ」

 

 軋みを上げつつ巨大な鋏を振り上げる房総のバケガニ。幽香と勇儀はその一撃を軽やかに避け、それぞれ天道とヒビキの隣に再び並び立つ。

 バチバチと放電を始めるランピリスワームの右腕を警戒しつつ、幽香は紅い瞳をヒビキと勇儀に向けた。ふわりと差した日傘を手にしたまま、優雅に花の香を纏いながら、彼らに忠告する。

 

「脱皮したワームもとっても厄介よ。カブト(かれ)ならついていけるから、見守りましょう」

 

 幽香がそう言った瞬間、ひまわり畑に風が吹いた。舞い散った黄色い花びらの一枚が揺らめくままに、勇儀とヒビキの視界からランピリスワームの姿が消える。それも、一瞬のうちに。

 

「ん? あれ? あのホタル……どこ行った?」

 

「……クロックアップっていうらしいわ。なんでも、時間の流れを変えて動けるんだとか」

 

 言い切る間もなく、幽香と勇儀の左右からほぼ同時に鋭い爪の一撃が飛んできた。ワームが二体に分身して攻撃してきたのではない。複数体いるのではないかと思わせるほどの超高速で、残像を振り切りながら二人それぞれに連続で攻撃してきただけ。

 その『連続』のタイムラグが限りなく小さいのだ。クロックアップなる力は、瞬きの間に時間を飛ばすようなもの。純粋な超加速能力というわけではないが、自身に流れる時間流そのものを捻じ曲げるタキオン粒子の干渉により、鬼と大妖の目にも留まらぬ速度で自在に太陽の畑を駆け巡ってワームの腕力を振り乱す。

 

 幽香と勇儀はそれぞれ日傘と己が腕でもって、それを受け止めた。クロックアップしたワームを視認していたわけではない。長き時を生きた妖怪としての経験による感覚。知性なきワームが放つ剥き出しの敵意を感じ取れれば、速度を追えずとも対応は難しくない。

 勇儀が疑問を抱く通り、幽香がすでに知っている通り。その速度はワーム自身にかかる時間流の変化。純粋に超高速で動いてるわけではないため、その疾走には大した風圧は発生せず、彼女らが受けたダメージも速度に伴わぬ小さな衝撃に過ぎなかった。

 ランピリスワームの行動が早送りされているだけ。超加速による運動エネルギーの増大もなく、音速を優に超えたその疾走を遂げても空気の層が破壊されて爆音が響くこともない。

 

 天道が感じたマスクドアーマーへの打撃も同じく大した衝撃ではなかった。バケガニの妖姫が放った溶解泡で耐久性が低下しているとはいえ、それでもなお強固な鎧。

 彼はそんな安全な鈍重を捨てる。カブトゼクターの角を起こし、一気にそれを右へと倒す。

 

「……キャストオフ」

 

『CAST OFF』『CHANGE - BEETLE』

 

 クロックアップを果たしたワームを常人の目で捉えることは、通常は不可能。だが、マスクドライダーシステムに備わる複眼であれば、成虫体ワームの複眼と同様にタキオン粒子の流れる目でもってその時間流を捕捉することができる。

 天道は不要となったマスクドアーマーをキャストオフによってパージ。ファンデルワールス力の結合が解かれた重厚な鎧はいくつもの部位に分かれながら、カブトの真の姿を晒した。

 

「ギギギ……」

 

 解き放たれたマスクドアーマーのパーツを受けたバケガニはンキィ、ンキィと軋みを上げつつ、目の前に立つ真紅を見下ろす。

 ライダーフォームとなったカブトの青い複眼、雄々しく抱く角の下で見るは、図体ばかり巨大で鈍重な動きの魔化魍バケガニではなく、知覚の外で駆け回る白昼のホタル。

 勇儀と幽香に向き直りながら、天道(カブト)は彼女らを狙い疾走するランピリスワームを警戒した。

 

「重たそうな鎧を捨てたのはいいけどなぁ。あの速さについていけるだって? 本当か?」

 

 鬼の拳を構えてバケガニと対峙する響鬼(ヒビキ)は横目でカブトのキャストオフを見届け、幽香の言葉を思い出す。確かに甲冑を脱ぎ去ればその重さの分だけ素早くなるだろうが、あの怪物は鍛えに鍛え抜いた鬼ですらその目では追い切れない速度。

 肌身に伝わる感覚においてはワームと呼ばれた怪物の存在を感知できるものの、風圧もなければ残像すら見えないその動きは、実際に接触されなければそこにいるのかさえも正しく認識しかねるほどだった。

 

 巨大な体躯を誇るバケガニが動く。肥大化した蟹の鋏を振り上げ、ワームの動きを探るべく静止していたカブトの身に振り下ろされるは、カブトの何倍もの大きさを持つ剛爪。ヒビキはライダーフォームのカブトの能力を知らず、背を向けて佇む彼に危険を告げようとするが──

 複眼に映る残像を追い、天道はライダーベルトの右腰に備わったスラップスイッチを叩く。

 

「クロックアップ」

 

『CLOCK UP』

 

 太陽の畑の大地に巨大な爪が抉り抜ける。土を穿ち上げ花々を散らすその膂力に、幽香は微かに眉をひそめた。それは、天道総司の命ではなく、花を心配しただけのもの。

 そこにカブトの姿はない。ヒビキも勇儀も幽香でさえも、共に等しく見失った真紅の行方。緋色の輝きを返すライダーフォームは、全身に満ちるタキオン粒子の導くままに異なる時間流へと突入した。それを認識することができるのは、クロックアップの世界に踏み入った彼らだけである。

 

「ンキィ、ンキィ……」

 

 房総のバケガニは鋏の矛先を見失って混乱している様子だ。ヒビキは先ほどのワームと同様に一瞬にして姿を消したカブトに驚いたが、すぐにバケガニの動きに気づく。背中のフジツボからじわじわと滲み溢れる泡は、童子と姫が有していた溶解泡と同じ能力。

 背中の甲羅を向けてゆっくりと歩み寄って来る怪物。巨大な蟹の鋏を振り回さずとも、その泡は肉体が変化した生体皮膚である響鬼の身を容赦なく溶かすだけの大きな脅威である。

 

「おっと……! 危ない危ない……あっちのすばしっこいのは青年に任せた方がよさそうだ」

 

 あの青年が変身した緋色の戦士はワームと呼ばれた謎の怪物と同じ能力を持っているのだろう。相対性理論を覆すだけの時間への干渉をもって、それはヒビキたちの認識の外へと消えた。なればこそ、こちらは元より鬼の音撃でもってのみ土へ還せる魔化魍へと向き直る。

 ヒビキは腰の背に携えた音撃棒・烈火を両手に抜き放つと、その先端に設けられた真紅の鬼石、燃ゆる闘志を体現したかのようなそれに響鬼が抱く炎の気を込めて──

 ぼうと灯った炎の塊を大きく振り上げ、バケガニに対し鬼棒術・烈火弾として解き放った。

 

「ンギギギィ……!」

 

「シュギュルルルゥ……!」

 

 蟹の甲羅にて炸裂する烈火弾の衝撃。いくつかのフジツボは剥がれたが、それでもバケガニの背より滲む溶解泡は止まることなくブクブクと溢れ出す。

 クロックアップを遂げた天道とランピリスワームはヒビキのその一瞬の動きの中、烈火弾がバケガニに着弾するまでの微かな時間の中で幾度も拳を交える激しい攻防を繰り広げていた。

 

「ギュルルッ!」

 

 ランピリスワームが突き出した右腕の球体は、ホタルの臀部の発光器官に似る。バチバチと紫電纏うそれは太陽の下、ぼんやりと輝いていたその淡い光を強めると、その先端から空気を切り裂くプラズマの電熱を解き放ってきた。

 しかし、如何に成虫体へと脱皮を遂げ、クロックアップまで使いこなす個体であろうと、所詮はただのワーム。歴戦の経験を積む天道は軽やかに首を動かし、その連撃を回避する。

 

「…………」

 

 接近してきたランピリスワームを回し蹴りで突き飛ばし、天道はジョウントによって手元に呼び寄せたZECTの兵器を起動する。

 片手で持つことができる小型武装。持ち手の上部のスイッチを押すことで四つの発射口を扇状に開いたそれは、対ワーム用として開発された『ゼクトマイザー』と呼ばれるもの。彼の操作により起動し、発射口から無数の誘導爆弾『マイザーボマー』を射出し始めた。

 

 小さなカブトムシを思わせる紅い爆弾はそれぞれが意思を持つように縦横無尽に飛び交ってはランピリスワームに立ち向かっていく。一つ一つは小さく弱いものの、無数に飛び出したそれらに翻弄され、ランピリスワームはプラズマの放射も満足に行えない。

 クロックアップを遂げた天道(カブト)とワームが肉薄する中でも機能する小さな爆弾たち。同様の機能を有したマイザーボマーは、異なる時間流の差に遅れることなく一斉に爆発する。

 大量の小型爆弾の炸裂を受け止めたランピリスワームが吹き飛ぶと同時、時間は元に戻った。

 

『CLOCK OVER』

 

「ギュゥ……ルル……」

 

 共にクロックオーバーを遂げ現実時間に戻ってきた天道とランピリスワーム。マイザーボマーの炸裂によってダメージを負っているが、今一度クロックアップを行使しようとする意思と、それを可能とするだけの体力は残されている様子だ。

 だが、その意思は叶わなかった。ランピリスワームは吹き飛ばされてクロックオーバーを遂げ、自身が房総のバケガニの正面に追いやられてしまっていたことに気づけなかったのだ。

 

「……ギュ……!」

 

 ぶしゅ、と嫌な音が響く。バケガニが甲羅のフジツボから零した溶解泡が、ランピリスワームの肩に滴り落ちた。軋むような不気味な音と共に、巨大な鋏が迫り──

 ランピリスワームは自身の甲殻が溶けゆく熱に苦しむまま、バケガニの鋏に挟み込まれる。

 

「あいつ、いったい何をしようってんだ……?」

 

「あのデカいの、ワームの仲間ってわけじゃないのかしら」

 

 勇儀と幽香がその行動の意図を掴みかね、バケガニを警戒しながら微かに後退。必死にクロックアップを遂げて脱出を試みるランピリスワームだったが、クロックアップはあくまで自身にかかる時間流の変化。速度や筋力が増すことはないため、バケガニの鋏からは抜け出せない。

 

「まさか……」

 

 ヒビキはバケガニの行動に覚えた疑問から魔化魍の性質を思い出していた。かつて自身が生きた響鬼の世界において、彼らを相手にしていた戦いの記憶。

 魔化魍は自然の妖力が歪み落ちて生まれたもの。しかし、童子や姫の導きによる変異は有るべき魔化魍の性質にも変化を及ぼしている。

 本来ならば太鼓ではなく『弦』での音撃が効果的な魔化魍バケガニ。太鼓の鬼であるヒビキは、房総半島における戦いまではバケガニとの交戦経験がなかった。それでも猛士のデータベースから情報は得ていたし、予め彼らの行動パターンもある程度は把握していた。

 

 その上でなお困惑したのは、海辺にて育ったバケガニが甲羅に宿すフジツボ。ヒビキが知り得た情報には、鬼の皮膚をも溶かすほどの溶解泡を持つ事実などなかった。過去の個体よりも進化し、房総のバケガニは新たな力を身に着けていたのだ。

 童子と姫による特性の付与なのか──それらを操る見えざる悪意の謀か。魔化魍は、彼ら親たる不浄の骸に導かれるまま。歴戦の鬼でさえ知らぬ未知なる能力を身に着けることがある──

 

「……ワームを……食っている……?」

 

 天道がライダーフォームの複眼で見やる魔化魍の行動。右の鋏で掴んだランピリスワームを蟹が如き口腔にて噛み砕き、ワームの甲殻をも容易く破壊していく。

 口からも溢れる溶解泡がその装甲を溶かし、バケガニの咬合力でもってワームはほとんど抵抗もできずに捕食されてしまった。天道は知る由もないが、魔化魍は成長のための栄養に餓えている。自らを育ててくれた童子と姫でさえ、何の躊躇も見せずに喰らってしまうほどに。

 

「ンギィ、ンギギギィ……!」

 

 溶解泡を伴う唾液を口から零しながら、両の鋏を掲げて軋む怪物。そのおぞましさに、ヒビキも天道も、勇儀も幽香もただ静かに息を飲むだけ。

 ヒビキにとっては未知の存在、カブトの世界の外宇宙より飛来した異物(ワーム)。そんなものを喰らった魔化魍がどのような成長を遂げるのか想像もつかず、音撃棒・烈火を握る手に力が入る。

 勇儀も拳を構え、バケガニの行動に備えるが──瞬間。見上げるほどの巨躯が、消え失せた。

 

「何っ……!? ぐぁっ……!?」

 

「勇儀っ!」

 

 燻る真紅の甲羅が一瞬にして目の前に現れ、勇儀は対応する間もなく巨大な鋏によって打ち上げられてしまった。しっかりとバケガニを警戒していたヒビキも、その動きを捉えることはできず、勇儀への接近を許してしまったことに気づいたのは、そのあとのこと。

 鬼の力をもってしてダメージは最小限に抑えた。高く空へと打ち上げられるも、幻想郷の少女たちが等しく備え持つ飛行能力によって空中で体勢を整え、太陽の畑の草原に着地を遂げる。

 

「……最悪ね」

 

「ああ、まさか……ワームの能力を取り込むとは」

 

 風見幽香の瞳にタキオン粒子の流れはない。それでも、カブトの装甲を纏う天道と同様にそれに気づけたのは、幾度もワームの動きを、天道総司の動きを目にしていたがゆえ。

 房総のバケガニは、ランピリスワームを喰らったことでその身にタキオン粒子を得たのだ。

 

「……冗談じゃないぜ……まったく……」

 

 ヒビキは無事に立ち上がった勇儀を見て安心するも、バケガニへの対処に頭を悩ませる。あの動きが先ほどバケガニに喰われたホタルの怪物、鬼の動体視力でも捕捉できないほどの動きを見せたワームなる存在の能力であると、彼らの反応から察することはできた。

 しかし、猛士の修行のもと鍛え抜いた響鬼(ヒビキ)であろうと、クロックアップなどできるはずがない。鬼の妖気を音撃棒・烈火に乗せるも、烈火弾の一撃は瞬く間に消えた怪物には当たらず。

 

「そっちの赤いの! あんたならさっきみたいに追いつけるんだろ?」

 

「バケガニに近づくなら、さっきの重そうな鎧を纏い直したほうがいいぞ、青年!」

 

 ライダーフォームのまま機を伺う天道(カブト)に対して、勇儀とヒビキが声を上げる。確かにマスクドフォームの装甲すら溶かす泡を思えば、ライダーフォームの薄い装甲で接近するのは得策ではないかもしれない。だが、ヒビキが語ったその選択肢を取ることは──もはやありえないのだ。

 

「悪いが、そうもいかない。あの姿のままだとクロックアップできないんでね」

 

『CLOCK UP』

 

 言うや否や、天道は右腰のスラップスイッチを叩いて最高速の世界へ。全身に満ちるタキオン粒子の流れに身を任せ、自身と同様に時間の流れを捻じ曲げたバケガニと相対する。ぶしゅぶしゅと溶解泡を噴き出す甲羅のフジツボを警戒し、天道は接近を避けた。

 ゼクトマイザーの火力では不足。ならばと手元に現したカブトクナイガンの銃把(グリップ)を握りしめて、ガンモードの状態でイオンエネルギーを収束。高密度のアバランチシュートを解き放つ。

 

「ンギ……ギィ……!」

 

「……ん?」

 

 その一撃は紛れもなくバケガニの顔面に命中した。硬い甲羅ではなく、柔らかい部分を狙い射貫いたのだが、その身の一部を破壊することはできても完全な撃破に至っていない。

 見たところその巨体ゆえ生命力も並外れていることは分かる。それでもこれだけの火力をもってして生命力の減衰すら起こらないとは。天道は幽香が語った変わった妖力という言葉、その呟きに返された金髪の女性──勇儀の言葉を思い出す。

 

 響鬼(あいつ)の音でしか倒せない、その意味は。文字通り、倒すことができないものと考えれば、いくらクロックアップして追いついたところで魔化魍(あれ)に有効打はないこととなる。

 天道が気になった点はそれだけではない。あの魔化魍なる化け物は、一撃を受けた時点ですでに通常の時間流に戻っているのだ。クロックアップの制限にはまだ達してはいないはずであり、この状況でクロックオーバーを遂げることを選ぶ理由はないはず。それならば、あるいは──

 

『CLOCK OVER』

 

 様子見のため、天道もスラップスイッチを叩くことで能動的にクロックオーバーへ至る。共に通常の時間流に戻って冷静にバケガニの動きを見ると、一つの可能性に思い至った。

 

「ワームの細胞が馴染んでいないのか……?」

 

 いくら成虫体のワームを捕食してみせたとはいえ──異世界の法則。自身の身体に馴染ませるのには時間がかかるのか、魔化魍はランピリスワームの遺伝子を完全に自分のものにすることはできていないようだ。

 マスクドライダーシステムのそれと比べ、成虫体ワームのそれと比べ。どうやら力は半分以下。ワームのクロックアップが10秒ほどであるなら、魔化魍は3秒程度が限界らしい。

 

 ギチギチと間接を軋ませ、鋏爪を持ち上げては悠然と歩み迫るバケガニ。振り落ちるその一撃を避ける。鈍重な動きはクロックアップさえしていなければ回避は容易であろう。振り回されるそれらは勇儀も幽香も簡単に避けているが、飛び散る溶解泡が厄介だ。

 ヒビキもそこが懸念であった。勇儀と同様、彼らほどの腕力ならば、振り下ろされる鋏を自らの筋肉で受け止めて攻勢に出ることもできる。ただ考えなしにそれを受け止めれば、甲羅のフジツボから溢れる溶解泡の餌食となってしまうことは明白。

 クロックアップする魔化魍。カブトのクロックアップでなければそのスピードには対応できず、響鬼の清めの音でなければ自然の妖気を浄化することはできない。必要なのは、二人の力だ。

 

「ちょこまかと……! 喰らいな! 金剛螺旋(こんごうらせん)!!」

 

 勇儀は右拳に込めた妖力を黄金の螺旋と解き放つ。バケガニ自体は巨躯であり、その的は大きく当てやすいはずなのだが──

 心に砕いた光の札、鬼の力を波打つ鞭の如くしならせ薙ぎ払う【 光鬼(こうき)「金剛螺旋」 】の一撃を振るうが、再びクロックアップした房総のバケガニにそれが当たることはない。

 

「面倒だね……いっそこうなったら……」

 

 巨体に見合わぬ動きで駆け巡る房総のバケガニ。たった数秒程度の超加速ではあるが、連続して発動できるのは厄介だ。クロックアップによって物理的な速度や筋力自体は増大しないとはいえ、元々が大きな質量を持つ巨体。あれで殴られれば、相当の衝撃になる。

 動きを捉えられない敵への対処法など一つしか思いつかない。勇儀は切り札たるスペルカードを心の内にて輝かせる。湧き上がる太古の妖力は、勇儀の周囲に黄金の波動(オーラ)を立ち昇らせ──

 

「ちょっと、何をする気?」

 

四天王(わたしたち)の切り札だよ。こいつをぶっ放せば、文字通り──『必殺』だ」

 

お花畑(ここ)が更地になっちゃうわ。それに、あなたが言ったんでしょ? 音がどうとかって」

 

 幽香はその妖力に危機感を抱く。鬼という強大な存在が滲み溢れさせる太古の妖力、その絶大な気迫に微かに慄いてしまったのあるが、それ以上に。愛すべき花々の楽園、この地の向日葵たちが不条理な力の具現に圧し潰されてしまうことに。

 眉根を寄せて、不機嫌そうに声を返した幽香は勇儀の言葉を思い出させるように釘を刺す。鬼の本気を見たことがない幽香だったが、伝う気迫はそれが虚仮脅しではないと理解させた。

 

「……ああ、そうだったねぇ」

 

 口惜しくも妖気を収める勇儀。風と靡いてふわりと舞い上がっていた金色の長髪も、ゆっくりと落ち着いては重力に従い艶やかなるままに流れ落ちる。

 ランピリスワームの質量であれば、クロックアップを追えずとも攻撃を防ぐことはできていた。しかし、房総のバケガニは巨体。腕一本で防げるほど小さな衝撃ではなく、迫る鋏の衝撃に幾度となく全身が浮き上がる。

 加えて妖力で全身を保護していなければ、溶解泡までもが容赦なく皮膚を溶かし始めるだろう。幽香は鬼ほどの剛毅な肉体を持っていないものの、決して枯れることのない花たる日傘で溶解泡を凌いでいた。バケガニは鬼の妖力を厭うのか、勇儀とヒビキばかり狙っているが──

 

「あら? クロックアップの頻度が減ってきてるわね」

 

「ワームを喰らったとはいえ、その質量が仇になっているというわけか」

 

 幽香は勇儀たちにバケガニの相手を任せる。鬼の肉体ならば、ある程度の打撃には耐えられるだろう。囮と言えば聞こえは悪いが、それは幻想郷において最強を誇る種族に対する信頼という名の礼儀とも言える。

 ランピリスワームは、等身大の怪物。その一体を加速させるに足るタキオン粒子だけでは房総のバケガニほどの巨体を満足にクロックアップさせるには些か不足であったらしい。

 

 天道と等しくそれを理解する。幽香は飛散する溶解泡を日傘で受け止め、天道は首だけを微かに動かしてその飛沫を回避。

 マスクドアーマーすら溶かし得る泡でも溶けぬ日傘の強度に慄く天道であったが、それは人類やネイティブの科学力を上回る妖力という概念を帯びているのだろう。

 

 クロックアップは本来、生体にタキオン粒子を巡らせて時間の流れを捻じ曲げる事象。ワームもマスクドライダーシステムも等しく、やがて訪れるクロックオーバーがなければ、タキオン粒子の流れによって多大な負担を受け、細胞へのダメージとなる。

 その行使を想定された装備であれば連続して発動しても負担は抑えられるのだが、バケガニに関してはクロックアップなどできるはずがない構造でありながら、喰らった遺伝子とタキオン粒子で強引に発動しているのだ。本来の使用者たちよりも全身への負担が強いのは当然と言えよう。

 

「……いやぁ、参ったなこりゃ」

 

 ヒビキはなんとかバケガニの猛攻を凌いでいた。バケガニ自身もクロックアップに慣れていないのは当然。普段以上の軋みを上げる己が殻に戸惑う最中、フジツボから噴き出す泡でもって混乱を表現して見せている。

 それでも気づけば瞬く間に目の前に迫る巨体。振り抜かれた鋏に対して受け身を取るのが精一杯で、筋肉を張り詰めて少しでも溶解泡のダメージを堪えることしかできず。

 魔化魍の浄化のために必要な音撃の要、音撃鼓・火炎鼓をその身に設置する隙がない──

 

「隙がないなら、作り出せばいい。……クロックアップ」

 

『CLOCK UP』

 

 天道は再びスラップスイッチを叩いてタキオン粒子の真価を発揮する。舞い散る向日葵の花びらと溶解泡の飛沫。それらが視界で静止したように緩やかに浮かぶ中、ライダーフォームの機動力をもって房総のバケガニへと接近していく。

 たった数秒といえど、クロックアップを可能とするワーム以外の怪物と交戦した経験などない。この魔化魍なる未知の存在は、等身大のワームとは立ち回りも気配も何もかもが違う。

 

「……くっ……」

 

 クロックアップの世界にて置き去られぬスピードで落ちる鋏。見上げる巨体と戦うことなど天道の経験にあるはずもない。頭上より落ちる鋏は天道自身の戦闘センス、七年間もの鍛錬の結果もあって何の苦もなく回避することはできた。

 だが、ZECTが誇る装甲とはいえマスクドアーマーに及ばぬ程度のもの。機動力を求めた結果、流線形のフォルムと軽量のヒヒイロノカネで構築されたライダーフォームのそれは、純粋な打撃にこそ応じれど──

 ぶしゅう、という不快な音と共に緋色の装甲が白い煙を上げる。マスクドアーマーで受けたときとは明らかに違う、深く染み渡る音。鬼の皮膚すら溶かすその溶解泡は、ZECTの叡智をも容易く浸食し、バケガニの腹の下へと潜り込んだ天道を容赦なく襲う。彼はそれを覚悟の上として。

 

『ONE』『TWO』『THREE』

 

 背部の甲羅より零れる泡は腹の下にいれば直撃はない。細かな飛沫がライダーフォームの装甲を溶かしつつあるが、それは束の間のこと。天道は装甲の接続部、隙間たるサインスーツから肌をも撫でゆく泡の熱に仮面の下で顔を歪めながらも、冷静にフルスロットルを押下。

 

「……ライダーキック」

 

『RIDER KICK』

 

 カブトゼクターの角を引き戻してタキオン粒子を解き放つ。青白く迸る電流を身に纏い、天道はバケガニの腹の下にて背を向け、振り上げた右脚で回し蹴りを放った。

 硬い甲羅のない柔らかい部位に音速の右脚を叩き込み、その身体を下から蹴り上げる形となる。渾身のライダーキックを炸裂させたものの、バケガニは依然として生命活動を維持していた。

 

「ンギィ……! ンギギィ……!!」

 

『CLOCK OVER』

 

 蹴り上げた感触もワームとはまったく違う異質なもの。右腰のスラップスイッチを叩いて求めたクロックオーバーの感覚と共に、房総のバケガニも現実時間へと引き戻される。

 やはり、あの生物はワームとは違った意味で、地球上の生物とは根本的に違うのだ。妖怪という定義に等しい、生物的構造を持たない生物。まるで枯れ木や土塊でも蹴り上げたかのような奇妙な違和感に、特定の方法でしか倒せないという話に説得力を持たせる。

 

 それはすでに理解していること。天道がライダーキックを放ったのは、バケガニを倒すためではない。共にクロックアップの世界に追いつき迫り、その身に『隙』を生じさせるためだ。

 天道は己が蹴り上げを受けてひっくり返り、甲羅を地に伏せ悶えるバケガニから距離を取る。

 

「おお? 急にひっくり返ったぞ……? もしかして、そっちの青年がやったのか?」

 

 ヒビキは音撃棒を両手に、瞬く速度で後退したカブトを見やった。緋色の装甲はかつてヒビキが受けたときと同様、バケガニの泡によって焼け爛れている。

 鬼と違い、その装甲は皮膚の延長に非ず。ヒヒイロノカネを含んだ強靭な外部装甲であり、その損傷は必ずしも天道自身の傷に直結しているわけではないが、ライダーフォームゆえ装甲の範囲は狭い。機動力に長けた形態であるため、微かにスーツの中にまで浸透してしまったようだ。

 

「……思い切ったわねぇ。せっかくの綺麗な装甲が溶けちゃってるじゃない」

 

「無駄口を叩いている暇はないぞ。魔化魍(やつ)にはタキオン粒子の衝撃も効かないらしい」

 

 悠長に振る舞う幽香を一顧だにもせず、天道は肩や背中に残る熱と痛みを気力で振り払う。

 猛士に名を連ねる歴戦の鬼たちほどではないにしろ、天道総司とて太陽に選ばれるその瞬間まで七年間もの鍛錬を続けてきた男。その手に輝ける未来を掴んでなおも鍛える心身にこそ、天を往く者の道は在る。

 

 マスクドライダーシステムのスーツはゼクターから受けた信号を基にライダーベルトがその都度構築するもの。たとえ装甲に損傷を負おうと、再び変身すれば元に戻る。当然、鬼の治癒力を持たない天道自身の傷はそうもいかないが──

 この程度の痛みで膝を着くような鍛え方はしていない。天道はカブトとしての青い複眼をもって、未知なる自然の具現、それに対抗し得る力を持つであろう異世界の鬼へ一瞥を向けた。

 

「……だ、そうよ。鬼のお二人さん。素敵なお花を咲かせてもらえるかしら?」

 

 裏返ったままぶしゅぶしゅと溶解泡を噴き出すバケガニを見て。幽香はくるりと回した日傘の下、かつて妖怪の山を支配していた力の鬼と、彼女にとっては未知たる清めの鬼を見る。

 

「ンギギィ……!」

 

 バケガニが強靭な脚を地面に突き立てた。その原始的な怪異に知性があるとは思えない。それでも魔化魍の本能がそうさせるのか、すぐにでも起き上がろうとしていた。

 勇儀は滾る妖力を己が右の拳に束ねる。如何に威圧的な鬼の力。山を統べるだけの圧倒的な力の具現であろうと、魔化魍の身を砕き散らすには不足──否。力そのものが足りていないわけではないのだが、必要な力の種類が違う。

 

 故に、勇儀が放つ拳は怪物に向けたものではなく。美しき緑に映える太陽の畑の大地へと。己が直下の足元目掛けて、身を屈めた勇儀は。その絶大な拳でもって地面を殴りつけた。

 光に満ちる力。それらは地を伝い、青白く輝く妖力の波となってバケガニの身を縛りつける。

 

「よっしゃ、捉えた! 逃がしゃしないよ……! ヒビキ!!」

 

 勇儀が振り返るは機を伺っていたヒビキの紫色の無貌。山の四天王たる勇儀は純粋な力こそ山において最強を誇っていたが、妖術の類は他に劣る。それは彼女が正面からの一騎打ちを好む精神を有していたからだ。

 こんな状況でなければ、向き合うバケガニとも一騎打ちと興じたかった。瞬く速度に駆け巡り、泡を散らしてすべてを溶かす怪異とも、真剣勝負を果たしたかった。

 

 だが、それはまた次の機会としよう。今はそれ以上に力強い妖気を誇る異界の鬼がいる。いつか彼と本気の拳を交えるその日を心待ちにして、此度の戦いは彼に花を持たせよう。

 そのための光。バケガニの脚を拘束する青白い光輪は、旧地獄の地に現れた奥多摩のヤマビコを拘束した地獄の苦輪の極致。勇儀が誇る【 枷符(かせふ)咎人(とがびと)の外さぬ(かせ)」 】というスペルカード。

 

「……っ!」

 

 不得手とする妖術だからか。本来は光輪を攻撃の意図でぶつけるための弾幕。それを拘束に用いているためか。勇儀の青白い光輪はバケガニの溶解泡に耐え切れず、徐々にその形を失っていく。切れ目が生じた光輪が、少しずつ短くなっていったのだ。

 だが、それを見届けるつもりはない。勇儀がバケガニを拘束した瞬間を見計らい、ヒビキは間もなく大地を駆けた。鬼の脚力で跳躍すると、ひっくり返ったバケガニの腹に着地。

 腰の装備帯から外した音撃鼓・火炎鼓を魔化魍の腹に押しつけ、その巨大化を確認する。

 

「はぁっ!」

 

 両手に握りしめた音撃棒・烈火。その右手に振るう吽の鬼石。閉じた口を掲げた鬼面を火炎鼓の巴紋に叩きつけ、その一撃で響く炎の波動を滾らせて。

 軋み啼く房総のバケガニ。ぶしゅぶしゅと溶解泡を噴き出す甲羅のフジツボは、背中を地に向け仰向けになった状態では響鬼の身体に直撃することはない。それでも噴き出す泡の勢いは変わらず激しく、飛び散る飛沫が肌を焼く。

 かつての戦いでも肌身に染みたその痛み。音撃棒・烈火を振るい、続いて左の阿の鬼石を打つ。一つ一つの振りを大きく強く、交互に打ち鳴らす。その度に溶解泡の飛沫が舞い上がる。

 

「だぁっ! せやぁっ!!」

 

「ンギィイッ! ンギギギィッ!!」

 

 音撃鼓・火炎鼓を帯びたバケガニの腹に亀裂が入る。かつて戦ったときは真っ先に背中の甲羅に音撃鼓を取りつけてしまったため、溶解泡によって音撃鼓を溶かされてしまった。

 それだけではない。不用意に近づいたせいで左腕に溶解泡の直撃を受け、片腕が使えなくなってしまったのだ。

 失った音撃鼓は志を同じくする猛士の仲間に新しいものを届けてもらったが、激しく焼け爛れた左腕は鬼の治癒力をもってしてもすぐに元通りとはいかない。

 弾き飛ばされた音撃棒の片方も捨て置き、決死の想いで右腕だけを振るうことで、なんとか片腕だけで音撃打を叩き続け、房総のバケガニを浄化できたことを覚えている。

 

 だが、今は。すでに浄化せしめた相手との再戦。それも両腕、両の音撃棒を万全の状態で使える。勇儀のスペルカードによる拘束も重なり、音撃鼓による邪気の抑制も合わさって、バケガニはほとんど一切の行動を許されず。

 飛び散る飛沫は痛みを伴う。未知の法則による超高速移動能力も厄介だったが、こうして叩き伏せている状態ではその能力も行使できないらしい。

 ヒビキは鬼の筋力を最大限に活かし、左右交互の大きな振り──その終幕を叩きつけた。

 

「はぁぁああっ! 猛火怒涛(もうかどとう)の型ぁああっ!!」

 

 滾る烈火の気合いと共に、焔を帯びた鼓動が灯る。それまで交互に打ちつけていた連撃の締めとして、左右の音撃棒を同時に振り下ろす。

 細かな連撃でもって清めの音を流し込んでいた音撃打・火炎連打の発展形。左右交互の連撃という点では共通だが、それは手首の動きを活かした素早さではなく、鬼の肩の強靭さで振るい上げる大きな振りの左右連撃。波打つ炎の波濤が如き【 音撃打・猛火怒涛 】の銘を持つ音撃である。

 

「……ンギ……ギィ……!!」

 

 全身に響く清めの音がバケガニの邪気を打ち祓っていく。その力に耐え切れず、それは枯れ葉や土塊と化して砕け散り、流れる風のまま自然のもとに還っていった。

 落ちた音撃鼓を片手に受け止め、装備帯へ戻す。バケガニの浄化を見届けたヒビキは背中に残る痛みを堪え、微かに力を抜いて顔だけ生身の姿を晒した。その表情には、疲労の色が滲む。

 

「……お疲れさん。相変わらず良い響きだねぇ!」

 

 バシンと背中を叩いた勇儀の賛辞に思わず顔を歪めるものの、すぐに笑顔を形作って向き直った。溶解泡の飛沫で微かに溶けた背中の表層には鬼の身にしてなお痛みが残る。それでもそれを悟られぬよう、鍛えた心身で振る舞い、顔の前でシュッと右手の指を振り払ってみせる。

 

「あのオーロラも消えちゃったみたいね。それより、あなたたちについて──」

 

 幽香は眩い日差しに目を細め、すっかり元の晴天に戻った太陽の畑の青空を見やった。魔化魍やワームを出現させていた灰色のオーロラはすでに消失している様子。これ以上、今この場に怪物が現れることはないだろう。

 房総のバケガニが暴れたことで太陽の畑の花々は少し荒れてしまっていた。そのことに心を痛めるが、すぐに鬼たちに向き直り、天道を一瞥しては言葉を切り出す。

 ライダーベルトからカブトゼクターを引き抜き、変身を解除した天道。夏空の彼方へ飛び去って行くカブトゼクターを見送ることもなく、幽香と等しく鬼たちのほうへと向き直ったが──

 

「うおっ……また……!?」

 

「この感じ……旧地獄温泉街(もとのばしょ)に戻そうってわけか……!?」

 

 勇儀とヒビキ。そして幽香と天道。全員が感じた時空の歪みは、ここに再び生じる。四季異変の影響で真夏の空気を満たしている太陽の畑には相応しくない、冷たく鋭い冬の風。

 瞳を乾かすようなその凍てつきに顔を覆い、幽香はその視界に白雪を帯びゆく向日葵を見た。

 

「あら、もう行っちゃった。鬼ってのはずいぶんと忙しいのね」

 

 幽香は口惜しそうな表情で溜息混じりに呟く。冬の風を孕んだ時空の歪みの消失を見届けると、その歪みに巻き込まれた勇儀とヒビキはすでにこの場からいなくなっていた。最初に感じた空気と同じ感覚。恐らく、彼らは元の場所に戻ったのだろう。

 少し雲が出てきた空の陰りに気づき、幽香は白い日傘を畳んでは消失させる。歪みの近くにいた一輪の向日葵へと近づくと、黄色い花びらを染める雪の一片(ひとひら)を自らの指先で払い落として。

 

「…………」

 

 天道の思考には花を慈しむ幽香の姿ではなく、別のものがあった。この幻想郷には自身とワーム以外にも別の戦士や怪物がいる。それはすでに聞き及んでいた通りのこと。

 鬼や魔化魍なる存在。それらがそのうちの一つであることは疑いようもないだろう。そして、それはおそらく。自身が存在したカブトの世界に由来するものではない。ワームの侵略に抗う天道の世界に、鬼などという戦士がいた記録はないのだ。

 やはり当初の推測通りということか。カブトの世界から招かれた自身とワーム。それらに加え、また別の世界から現れた者。それがどれだけの数であるのかは、彼らには知る由もない。

 

◆     ◆     ◆

 

 無辺の闇。幾多もの扉が浮かぶ深淵の狭間にて、秘匿された神はその手に宿す白銀のカブトムシに視線を落とす。青白く時空を乱す波動に打ち震える輝き。最果てより生まれし究極のゼクター。過去と未来を覆すだけのその力に、摩多羅隠岐奈は忌むべき事象を垣間見た。

 キバの世界の法則を持つキャッスルドランがその身に抱く、時の扉。電王の世界の法則を持つデンライナーが備える、時を超える力。そして、カブトの世界の法則を持ち、タキオン粒子の干渉によって因果を否定する──このゼクター。

 

 その三つの力が、この世界、この幻想郷に多大な負荷を掛けている。隠岐奈はこの事態が起こる可能性に気づいていた。そのために、このゼクターの真の機能を使っていなかった。

 ──にも関わらず。このゼクターの影響が及んでいる。隠岐奈ではない。別の誰かがこの力を使ったのだ。隠岐奈が所有し、手放していないはずの──この白銀のゼクターが持つ力を。

 

「……まぁいい。まだ修正は容易である。二童子たちの働きに感謝しなくてはな」

 

 隠岐奈は椅子に座ったまま、左手の内にて眩く輝くカブトムシを消し去る。ジョウントによって在るべき未来へ返したのではない。究極の秘神たる隠岐奈が持つ絶対の神力でもって、彼女の所有空間にしまっただけだ。

 後戸の加護を持つ二童子たち──爾子田里乃と丁礼田舞。元は人間の少女であった彼女たちは、隠岐奈の神力によって人間の領域を超えて久しい。

 同じくカブトの世界から得たマスクドライダーシステムを使い、隠岐奈が想定した歪みの除去を担っている。時空の歪みの具現たる不純物──バグとも呼べるワームを撃破することで。

 

「…………」

 

 金色の瞳で見据えるは、幻想郷へと繋がる扉の一つである。後戸の国に浮かぶ無数の扉はどれも隠岐奈が管理し、その先の座標もすべて理解している。彼女が迷うことはない。

 闇の中に浮かんだ椅子ごとその扉へと近づく。仰々しい木製の開き戸は、どこか日本の城を思わせるような剣呑な雰囲気を放っていた。

 その取っ手に触れる必要はない。近づくだけで開いた扉を前にして、隠岐奈は自身を拒絶するように走った稲光(いなびかり)を無視し、そのまま彼方の世界、幻想郷の上空へと踏み込んでいく。

 

 扉の先は、紫電の立ち込める肌寒い雲間。九つの世界から流れ込んだ風による四季異変、かつて隠岐奈自身が起こしたそれに等しい影響に見舞われている幻想郷においても、四季など関係ないと言わんばかりに荒れ狂い乱れる嵐──雷雨の如き様相である。

 座標としては太陽の畑の直上に当たる。夏の影響が及んでいる場所だからか、この激しい嵐も夏らしいと言えば夏らしい。だが、隠岐奈は知っている。これは、自然に依るただの嵐ではない。

 

「この魔力……覚えがあるな」

 

 肌に伝うは古き魔力。太古の妖力と言い換えてもいい。吹き荒ぶ風も、轟く雷も。そのすべてが純粋なエネルギーによるものだった。

 この幻想郷上空でしか発生していない特殊な嵐。地上への影響は皆無であり、そして幻想郷上空においても極めて小さい一部の領域でしか発生していない特異点だ。魔力による嵐は特殊な結界に封じられており、地上たる太陽の畑からは確認できまい。

 

 かつて、とある妖怪が幻想郷を『ひっくり返そう』とした。幻想郷全体のヒエラルキーを丸ごと覆そうとしたその妖怪は、とある英雄の末裔を誑かし、その秘宝を振るって幻想郷中の力なき弱者たち、利用されるだけの道具や無力な弱小妖怪に強大な力を与えたのだ。

 強弱関係をひっくり返し、すべてを逆さまにしようとした小さな妖怪の企み。その下剋上は博麗霊夢や霧雨魔理沙、十六夜咲夜など、妖しき道具をも手懐けた者たちの活躍で阻止され、首謀者もお尋ね者として追われ続けているのだが──

 

 その『逆様異変(さかさまいへん)』の影響は首謀者たる『天邪鬼(あまのじゃく)』が英雄の末裔に使わせた秘宝の力の残滓という形で幻想郷に残っている。

 古き伝承において鬼を退治した一寸法師の一族。その末裔に当たる『小人(こびと)』の少女が受け継ぎし鬼の秘宝。所有者の願いを叶えるとされる『打ち出の小槌』は、それを己が欲望のために利用した愚かな一人の小人によって、彼が手にした城を逆さまにひっくり返してしまった。

 願いを叶える打ち出の小槌の代償によって、小人族は鬼の住む世界に真っ逆さまに落ちていった。そんな歴史を知らない今の当主、英雄と愚者のどちらの血をも等しく受け継ぐ少女は、小人が虐げられたという偽りの歴史を天邪鬼に吹き込まれ、天邪鬼の下剋上に同調してしまっていた。

 

「輝く針の城……か。虚栄に(すが)った名だ」

 

 嵐と言っても降りしきる雨はない。ただ雷鳴を伴う魔力の風が黒雲を吹き抜けるなか、隠岐奈はその雲海を抜けた。台風の目を思わせる静寂。嵐の中の不協和音。轟々と唸る風が止んだその一点にて、小人族が背負う戒めの象徴たる巨大建造物は在る。

 遥けき過去の物語。我欲に目が眩んで打ち出の小槌を振るい続けた愚かな小人がもたらした城。天守閣は地に向いており、その城は上下逆さまになった状態で嵐の空に浮かんでいた。

 

 隠岐奈は誰にともなく独り言つ。荘厳な椅子を後戸の彼方に追いやり、秘神の衣を揺らしながらゆっくりと。逆さ天守閣の頂──本来なら地に在るべき石垣の底面の上に立つ。

 その城の名は『輝針城(きしんじょう)』。奇跡の代償でひっくり返ったそれは小人族が手にした栄光も財宝も、すべて遥か地の底に打ち捨てて。その立派なだけの居城には、もはや何も残されてはいない。

 

「こんな激しい嵐の中、誰かと思ったら……賢者様が直々に来てくれるなんてね」

 

 輝針城の中で最も広い面積を持つ底面(いただき)の領域。石垣の底に立つ隠岐奈は、背後から聞こえてきたしなやかな雷鳴へと振り向いた。

 悠々と舞い降りるは桔梗模様のバスドラムに腰掛け、脚を組んだ女性である。魔力の嵐に波打ち靡く赤髪は肩まで伸び、白のジャケットとスカートを纏った姿。その内に装う黒地に赤いチェックの装束と周囲に浮かべた六角形のシンセドラムも合わさり、その様相はさながら雷神が如く。

 

「古臭い鬼の妖気を感じたもんでねぇ。案の定、再び小槌の魔力が溢れ出しているな」

 

 隠岐奈が金色の瞳で睨みつけた相手は自ら腰掛けていたバスドラムを妖気で歪めた空間に消失させる。同様に周囲に浮かべていた赤い巴紋のシンセドラムも消し去り、身軽になったその身のままの振る舞いで、隠岐奈と同じ輝針城の底面に降り立った。

 カチャリと鳴らして着地した靴は革製のブーツ。その踵にはバスドラムを叩くためのビーターが備わり、独特な形状をしている。女性は赤い目で隠岐奈に向き直り、口を開いた。

 

「貴方には感謝してるわ。ただの道具でしかなかった私に、妖怪としての命を与えてくれた」

 

 広い底面に共に立ちながらも距離がある。周囲に吹き荒れる嵐の中でも、和太鼓の付喪神として使用者を失わぬまま自我を得た彼女── 堀川 雷鼓(ほりかわ らいこ) の声は雷鳴のようにはっきり通った。

 和太鼓の付喪神であった雷鼓(らいこ)は逆様異変の折、その身に道具として強大な力が芽生えたのを感じていた。それは幻想郷において下剋上を目論んだ天邪鬼が小人の末裔に使わせた、打ち出の小槌による鬼の妖力。

 同時に、道具である身に湧き上がる、禍々しく凶暴な意思。雷鼓はその妖力に自我を乗っ取られそうになり、和太鼓である己が身を捨てて外の世界のドラマーの魔力を受け入れた。

 

 今の彼女はドラムを依代とした付喪神である。鬼の妖力を捨て、新たなる奏者を手にして小槌の呪いを振り切ったのだ。

 自分自身そのものを捨てかねない危険な賭けではあったが──その目論見は成功した。打ち出の小槌が魔力を回収する時期に入っても、彼女の力が奪われることはない。

 元より彼女は小槌によって付喪神化した存在ではない。元より太鼓の付喪神として存在していたときに、打ち出の小槌による強化を受けていた。その付喪神化は、あるいは秘神の力なのか。

 

「この魔力嵐は天邪鬼の仕業か? 長らく大人しかったが、また厄介なことを……」

 

「……そう。打ち出の小槌は再び力を取り戻した。その力で……幻想郷を真の楽園に変える」

 

 隠岐奈と雷鼓はそれぞれ金色と緋色の瞳をもって互いに向き合う。秘神と呼ばれた賢者の力も、外の世界の魔力を受け入れた妖怪も、どちらもその力は互いにとって未知数だ。弾幕が届く距離を保ったまま、彼女らは嵐の中にて静寂の間合いを貫く。

 雷鼓の思想は逆様異変のときと同じもの。小槌の魔力に囚われていた付喪神たち、彼女らに己と同じく自らの依代を別の力に置き換える方法を伝え、小槌の呪いを解いて回った。それは自分たち道具が自由に生きられる楽園のため。

 彼女の赤い瞳は本気である。鬼の妖力に乗っ取られている様子はない。彼女自身の意思だ。

 

「それは鬼の力だ。付喪神(おまえたち)の力じゃあない」

 

「あら、打ち出の小槌だって、付喪神(わたしたち)と同じ道具でしょ? 仲間みたいなものよ」

 

 隠岐奈は小さく溜息を吐きながら雷鼓に忠告する。気づいているのかいないのか、彼女はやはり、鬼の妖力か──あるいは別の何かに思考を汚染されているらしい。逆様異変に隠岐奈は直接の関わりを持たないが、賢者としてその顛末は知っている。

 和太鼓の身を捨ててまで自立を望んだ彼女は、『誰か』の記憶に思考を同調させているようだ。それも、人間に対する深い恨み。憎悪や殺意とすら呼べるほどの──禍々しい負の想念に。

 

 使用者を失わず、捨てられることなく付喪神となった──奇しくも隠岐奈と関わりが深い秦こころと同様の生い立ちを持つ妖怪、堀川雷鼓。彼女が人間への怨みを抱くとは思えない。

 となると──考えられる可能性は一つ。彼女は、九つの物語のいずれかに影響を受けている。

 

「……反逆者に何を言っても無駄か。はぐれ者(エクストラボス)同士……仲良くしようじゃないか」

 

「そうもいかないのよ、総大将(ラスボス)。鬼の妖力だって、今では道具(わたし)道具(ちから)だわ」

 

 雷鼓が懐から何かを取り出すのを見て、隠岐奈は微かに鬼の妖気が強まったのを感じた。彼女がその手に持つのは、ドラムを叩くスティックでも、太鼓を叩くバチでもない。それは音階の調節を行うための音叉らしき道具であった。

 燻る漆黒を帯びた鬼の角を宿す、遥か太古から受け継がれし音叉。戦国時代の技術で鍛えられたそれは、響鬼の世界の法則を持つ『変身音叉・音角』そのもの。

 雷鼓が持つ変身音叉は現代のものとは色も構造も違う。金色の鬼面の下には折り畳むための機構が存在せず、真っ直ぐ打ち延ばされた柄の部分と剥き出しのままの音叉部分が鈍く冴える。

 

「鬼の妖力……なるほど。そういうことだったか」

 

 隠岐奈は雷鼓が同調してしまった記憶の正体を理解した。それは遥か戦乱の時代、人々のために戦い、魔を祓う鬼として生きた男の記憶。

 されど、男は守ってきた人々によって最愛の恋人を殺されたのだ。それも、自分がただ鬼というだけの理由で。人ならざる鬼の身を持つという(おそ)れから、男は信じていた人々に否定され、たった一人の女性を失った。

 絶望と慟哭。人間への怨みに染まった鬼は、やがて魔に堕ちた。人間の生き方を捨てて魔化魍に与し、その身を悪鬼に貶めて。それが、今の雷鼓に重なる──とある鬼の記憶だ。

 

「今すぐにそれを手放さなければ……少し痛い目を見ることになるぞ」

 

 向き合うように隠岐奈も自らの右腕を持ち上げる。その手首に装うは漆黒の帯と円形の接続部を掲げた腕輪型のデバイス。カブトの世界の法則を宿した『ライダーブレス』と呼ばれるものだが、それは幻想郷に繋がった法則とは別の因果から手にした力。

 天道総司を招いた時間軸からではなく、隕石の被害が渋谷という地点だけでなく、地球上の海を干上がらせるほどの影響をもたらしたカブトの世界の別の時間軸。そちら側にしか存在しなかった叡智である。

 

 その思考の残滓は、隠岐奈の思考にも流れ込む。それを使っていた男の記憶。海を失った地球を統べるZECTの切り札たる男。彼は人類の未来も地球の存続も度外視し、ただ己が誇りと美しさに殉じようしていただけの不気味な武人だった。

 左手に取り出した魔力の具現、蒼く染まった一輪の薔薇を見やり、隠岐奈は再び視線を雷鼓へと向ける。青い薔薇を捨て、武道の型めいた動きで両腕を重ね、右腕を突き出し──

 

 そこへ舞い込んだ黄金の甲虫が一匹。雄大な三本角を掲げたカブトムシ型自律メカが、隠岐奈が右腕に装う黒いライダーブレスの接続部へと自ら斜め向きに留まる。

 嵐によって青い薔薇の花弁が舞い散る世界で。隠岐奈は自己愛と陶酔の金色に宿命を告げた。

 

「変身!」

 

『HENSHIN』

 

 起動した黄金の甲虫。三本角を持つコーカサスオオカブトを模したもの。海なき世界のZECTが誇る三機の叡智──『カブティックゼクター』における最強の一機。隠岐奈の宣言と同時、黄金のゼクターは独りでにカチリと回転を遂げる。

 光を灯したシグナルのままに、それは最強のマスクドライダーシステムを展開した。隠岐奈の全身に広がりゆく黄金の輝き。究極のゼクターの運用を前提に生み出された、神が祝福した力。

 

『CHANGE - BEETLE』

 

 漆黒の強化スーツに纏う黄金の鎧は強く大きく右肩を突き出し、頭部に掲げる三本角は威圧的な顔面を遮る牙の如く備わっている。

 時空の光を湛えた複眼は、光速を超えた証である透き通るような水色の輝きに満ち。腰に帯びたゼクトバックルが刻んだ文字が示す通り、カブトの世界の第二時間軸におけるZECTが誇る最強の戦力として、とある一人の武人に与えられた『コーカサス』の威光を示していた。

 

 その光を目にした雷鼓もまた、手にした音叉に禍々しい妖気を込める。右手でもって振り抜いたそれを見やることもなく、内側に振り上げた左脚の踵、ブーツのヒール部分に備わったビーターにぶつけて、遥か古より受け継がれし始源の音を打ち鳴らした。

 響く清らかな純音を耳に聴き、雷鼓は足を下ろして右手に持った黒い音叉を額に掲げる。

 

「……歌舞鬼(かぶき)

 

 小さく呟くその名と共に、静かに湧き上がる鬼の力。雷鼓の額に浮かび上がった鬼の面は金色に鈍く光を照り返し、その身を包み込む妖力でもって輝針城の底面に淡く美しく、薄紅色の桜吹雪を巻き上げた。

 ただ和太鼓の付喪神であったその身は染まる。外の世界の演奏者(ドラマー)の力。それすら超える異世界の鬼の力。禍々しくも清らかに、その力に共鳴して激しさを増す疾風と迅雷の喝采を聴き──

 

「んん~~っ、はぁっ!」

 

 さながら壇上にて魅せる歌舞伎役者の如く、上体をぐるりと廻しては右腕を払い、左腕を前へと突き出し見栄を切る。

 嵐の中、逆巻き舞い散る桜の花びらはその身を飾る。無骨な血の匂いに満ちた鬼の姿を。

 

「……派手な装いだ。能楽の神たる私に対する皮肉のつもりか……」

 

 桜吹雪を払い、己を晒す雷鼓の姿を見た隠岐奈は黄金の三本角を湛えた仮面の下で小さく笑う。それは奇しくも隠岐奈が祖とする伝統の能楽、歌舞伎の絢爛(けんらん)さを思わせる出で立ち。

 漆器の如き射干玉(ぬばたま)の肌は強靭な鬼の筋肉と張り詰め。胸に頭に、その腰元に。装う鎧は翡翠(ひすい)にも似た鮮やかな緑色。両肩や腰に煌く黄金色(こがねいろ)に加え、その右肩から歪に突き出した異形の剛角は血に染まっていた。

 

 黒き無貌の右半分は愛しき人間への義を宿す穏やかな翠色を隈取り、短い角を帯びる。反対側の左半分は、忌まわしき人間への怒りに滾る(あけ)染めに隈取られ、その怒りの強さを体現するかのように、左側の角ばかりが大きく乱れ突き伸びる。

 腰に纏う装備帯は金色(こんじき)。その正面に携えるは金色の(ふち)(あか)き巴紋を刻んだ音撃鼓。鍛えに鍛えてやがて人に裏切られ、心までもが鬼に堕ちた鬼の姿──音撃戦士たる『歌舞鬼(かぶき)』の姿である。

 

「私の薔薇に彩りとして加えてやろう。反逆者(うらぎりもの)の赤い血と、屈辱の涙をな」

 

「鬼の目に涙は似合わないのよ。それより私が、貴方への鎮魂歌(レクイエム)を響かせてやるわ!」

 

 眩き黄金は水色の複眼を。朱色と緑色を帯びる鬼は黒き無貌を。それぞれ己が正面にて向き合う異界の法則に向けた。

 輝針城の周辺にて激しく吹き荒れる魔力の嵐は城の底面に立つ彼女たちにとってそこまでの強風ではない。台風の目にも似た静かな地点。されどその影響は無風ではなく、隠岐奈が散らした青い薔薇の花びら、雷鼓が舞わせた薄紅色の桜の花びら。それぞれが美しく交錯する。

 

 深い青色は不可能を突きつける色。あるいは奇跡の証明。淡い桜色は人間の居場所を求める色。あるいは散りゆく未練の残滓。

 ──ひらり。その二つの花弁が神と鬼の狭間を抜け。異なる二色(ふたいろ)のそれらが重なった瞬間。

 

「「…………!」」

 

 隠岐奈(コーカサス)雷鼓(歌舞鬼)は輝針城の底面を蹴り上げ、互いの意思を否定すべく──己が力に身を任せた。




星熊勇儀と風見幽香。どちらも「ゆう」の名を冠す……強キャラのお二人。
そしてヒビキさんと天道も平成ライダー主人公の中では素のキャラで強キャラ感に満ちてますね。
幽香は一応カブト陣営だけどクロックアップできないからやること少なくなりがちです……

前回に引き続き、異様な長さはご容赦ください。クロスオーバー回ですので……!
せっかく導入編を書き切って邂逅&共闘させられるので、書きたいことを全部書いてしまいます。

強大なライダーには可能な限り6ボスやEXボスなどの強大な人物を充てたい所存です。
なかなか変身先の匂わせがないキャラは、高確率で平成二期以降のライダーに対応しています。

Open your eyes for the next φ's & blade
次回、第60話『誰がための剣 / 灰色の旅路』
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