東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第61話 果てしない炎の中へ / 光なき地殻

 本来は春のはずの幻想郷。同じ紡ぎにある地底の世界、旧地獄にも、地上と同様の四季異変は影響を及ぼしている。はらはらと舞い散る白い雪は、旧都の中心に建つ地霊殿の周辺を淡い冬景色に染め上げ、冴える空気で満たしていた。

 アギトの力を宿している翔一とお空が二人の鬼と一人の橋姫と共に戦った日から数日。その場において彼らから聞いた話を地霊殿にて共有し、さとりにもその存在は伝わっている。

 

「鬼……ですか」

 

 さとりは地霊殿の居間と呼べる空間で彼らの心を見ていた。向き合った状態でソファに座り、神経(コード)を伴い絡みついた第三の眼(サードアイ)でもって翔一を見る。

 彼の言葉を疑っているわけではない。彼が嘘を得意としないことは知っているし、何より地底に鬼がいることはさとりも承知の上。しかし──お空も同様に語った存在、人間から鬼へと変わり、自在に人へと戻ることができるような者など聞いたことがない。

 

 ただ人から鬼へと至る。嫉妬の感情によって橋姫というある種の鬼へと至った人間は旧地獄にも存在するし、あるいは妖気や霊を喰らって『人鬼』と成り果てた者も歴史上存在している。だが、それは不可逆的な変化のはずだ。仮に人間に戻ることができても、何百年、何千年もの時を必要とすることだろう。

 にわかには信じられなかったが、彼やお空の心象には紛れもなくその存在が映っていた。記憶と呼び得るほどに確立した妄想──ではない。お空と翔一はまったく同じ存在をその心に映し出している。その目で実際に同じものを見ていない限り、同じものが心の中に映ることはあり得ない。

 

「ヒビキ……って言ってました。あの(ひと)も翔一さんと同じ外来人って感じで……」

 

「……あのさ、お空ちゃん。その翔一さん……っての、ずっと気になってたんだけど……」

 

 さとりの第三の眼には彼らが心に思い浮かべる全てが映し出されている。それを忘れてしまっているのか、自分が見た記憶をどうにか説明しようとするお空に対し、翔一はこの地霊殿に来てから気がかりであったことを打ち明けた。

 その心の中もすでにさとりには悟られている。彼が言わんとしていることも、さとりにはすでに分かっている。その心象と同時に心に映る記憶を見るに、彼にとっては重要なのだろう。

 

「うん? どうかしたの?」

 

 翔一以上とまではいかないにしろ、さとりを大きく超える身長のお空。ソファに座ったその身を傾け、隣にいる翔一に向き合う。

 さとりと同様、その胸にはもう一つの眼が在る。ただしそれは覚が抱く読心の眼、瞼を伴うものではなく。その身に喰らった八咫烏の威光として(かがや)く赤の眼と呼ばれるもの。

 

「俺、ずっと翔一くん、って呼ばれてたんだ。そっちのほうがしっくりくるんだよね。だからさ、できればそう呼んでほしいなーって。お燐ちゃんが目を覚ましたら、あの子にも伝えて──」

 

 そう遠くない過去の記憶。この幻想郷、旧地獄に誘われる前。自分が生きたアギトの世界において、彼の居場所の象徴。記憶喪失の自分を受け入れてくれたあの家族は比較的年の近かった少女がそう呼んでくれたのを切っ掛けに、自分を『翔一くん』と呼んでいた。

 彼女は『翔一さんって感じじゃないでしょ?』と笑って。年上の自分を相手にしても、友達のように接してくれる。深い記憶の傷に苛まれたときも、その笑顔に救われ、輝きを取り戻せた。

 

「……っ、あたいなら、ここにいるよ」

 

「お燐……!」

 

 力ない足取りで地霊殿居間に降りてくるお燐。さとりは彼女の顔を見て、思わず立ち上がった。お空と翔一も彼女に気づき、壁に手をついて進む彼女の身を案ずる。

 間欠泉地下センターの戦いで、お空とお燐にはアギトの力が宿されてしまっている。お空は八坂神奈子という神の干渉によってその身の力が八咫烏の神性と習合し、発現こそ難しいものの安定はしているのだが、お燐の場合は何の神性も持たぬ妖怪ということもあってアギトの力が歪んだ形で根付いてしまっていた。

 歪んだ形で目覚めたアギト。それは翔一もよく知るあの男と同じ。己が身をアギトと成すのではなく、独立した力そのものが『ギルス』となって宿主を苛む、極めて不安定な在り方だ。

 

「……ごめん……俺のせいで……」

 

 翔一は己の浅慮を悔いる。パンテラス・ルテウスと戦う際に自分がもう少し周囲に気を配っていれば、彼女たちは力を宿さずに済んだかもしれない。

 己が拳を強く握る。姉と同じ痛みを背負わせてしまった。還らぬ家族と同じ、深い苦しみを。

 

「……津上さん」

 

 彼女らはあなたのせいだとは思っていない、そう伝えようとした。第三の眼で見て確かに確認したその想いを、翔一の憂いを拭うために告げようとしたところ、お燐とお空、翔一の三人が不意に顔を歪めたのを見てさとりは口を噤む。

 その場に倒れ込んだお燐を介抱しつつ、彼女の心に在る歪んだ光の渦を見れば認識できる脅威。それはやはり紛れもなく、アギトの力を抹殺するために現れるアンノウンの気配だった。

 

「さとりさん、また奴らが……!」

 

「お燐とさとり様はここで待ってて! じゃあ、行くよ! 翔一くん!」

 

 彼らが抱く光に伝う、魂を貫くような光の気配。翔一とお空は立ち上がり、アギトの力をもって感じ取ったアンノウンの気配を追う。

 廃棄された灼熱地獄の跡地。旧地獄全体のエネルギーを管理する、地霊殿深奥の炎へと。

 

「……さとり様……」

 

 額の汗を拭わぬままお燐が口を開いた。翔一とお空を見送ったさとりは、動物たちに手伝ってもらいながらお燐をソファに寝かせてやろうとする。だが、すぐに彼女の言葉を聞いて気を引き締めた。彼女曰く、翔一らが去った直後、また別のアンノウンの気配を感じたというのだ。

 

「戦うしか……ないのね」

 

 再び意識を失ったお燐を地霊殿の動物たちに任せ、さとりは妖力で歪めた空間から一本のベルトを取り出す。

 白銀を帯びた機械仕掛けの腰帯。正面にメーターを設けたそれは、かつてアギトの世界で人類の叡智として生み出されたもの。名をGバックルと呼ばれる道具。

 本来ならばこれだけでは何の意味もない。されど洩矢諏訪子の力によって書き換えられ、ベルトそのものをG3システムと定義し直されたこの力は、かつてと同じ信仰を宿す。

 アギトならざる人間(ヒト)の力。さとりはベルトを強く握り、不安を打ち消すように立ち上がった。

 

◆     ◆     ◆

 

 地霊殿直下、旧灼熱地獄。あるいは灼熱地獄跡とも呼ばれるこの場所に、滾る炎と光は宿る。亡者の罪を焼くことはなくなれど、その炎は死体を燃やしてさらに勢いを強めていく。

 火力の調整はお燐の仕事であったが、お燐が内なるギルスの侵食に苛まれて動けないため、その仕事を代わってくれているのは妖獣に近い進化を遂げた地底の動物たちだ。彼らはその場に現れた神秘の光、超常の悪意を警戒し、唸り声を上げている。

 

「…………」

 

 旧灼熱地獄の炎の狭間。広大な敷地の中に立つ影は二つ。雄々しき蛇が如き頭を掲げ、神官めいた装束を纏う、コブラに似た超越生命体。その手には大いなる翼を広げた意匠を宿す黄金の錫杖を持つ──『スネークロード アングィス・マスクルス』の威光である。

 もう一体は真紅の体躯にやはり神官めいた装束を纏いしヘビに似た怪物。神話に語られる怪物の如く、頭髪を無数の蛇と成し、雌々しき振る舞いと高い唸り声には女性らしさを滲ませるものの、その手に掲げる毒蛇めいた不気味な鞭より放つ悪意と共に、アギトの世界に依らぬ異界の動物への憐憫などないのだと示すかのよう。

 共に蛇の超越生命体と定義されるその怪物は『スネークロード アングィス・フェミネウス』と呼ばれている。アギトの世界において警視庁が定義したその名は仮初めのもの。元より神に仕える天使たちである彼らに、人間が呼び得る名などない。ただ種の頂点である誇りを除いては。

 

「やっぱり、あいつら……!」

 

 乱れ歪んだ冬の境界は地霊殿の外側ばかり。そのさらに深奥たる旧灼熱地獄は、そんな寒さとは無縁の灼熱に満ちている。

 翔一はお空と共にその地に降り立ち、不気味な気配を放ち佇む二体の怪物と向き合った。

 

ΑGITΩ(アギト)……」

 

 アングィス・マスクルスが己が手甲に神への忠誠を示す印を刻む。翔一が見るはコブラに似た超越生命体。その傍らに立つ雌々しき毒蛇もまた、彼にとって一度は戦ったことのある相手。かつて自身を受け入れてくれた少女、彼女の家庭教師として訪れた女性を襲った存在。

 

 じりじりと焼けつくような熱が翔一を襲う。灼熱地獄跡の炎は絶えず揺らめいており、八咫烏を喰らったお空の身にこそさほどの影響はないものの、アギトの力を宿すとはいえ人間である翔一の体力を奪っている。

 幸い、この場所はまだ灼熱地獄跡の炉に当たる深奥の最果てではない。地霊殿の空気が吹き込む余地のある断崖の岩肌。核熱の通り道でしかない。とはいえ──

 早々に決着をつけなければ、炎の熱によって消耗し、敵に致命的な隙を見せてしまうかもしれない。あるいは炎熱に耐性を持つ超越感覚の赤、フレイムフォームとなって戦うべきか。

 

 このような環境においては超高熱の力を自在に操る『燃え盛る業炎』こそが理想的なのだが──アギトの力が分散してしまっている今、あの姿に至ることはできないらしい。

 刹那の思考は熱に払われ。いざや怪物が動こうとした瞬間。旧灼熱地獄に風が吹き込んだ。

 

「……っ!?」

 

 荒れて渇いた地獄の果てに似つかぬ、霧に濡れた風。夏らしく湿った熱が籠ってはいるものの、旧き地獄の炎が揺らめくこの場においては即座に渇き散り消えて。

 歪んだ時空の彼方よりその姿を見せたのは現代的な衣服に身を包んだ人間の青年、城戸真司と、緑色の中華服を纏った赤髪の女性、紅美鈴であった。二人は不意に誘われた灼熱地獄跡地の光景に驚き、辺りを見回している。

 

 お空も翔一もまた彼らの出現に驚いていた。ただ時空の歪みを認識していたのだろうか、彼らを挟んで翔一たちの向こう側にいる二体のアンノウンは狼狽えた様子がない。

 考えてみれば奇妙だ。アギトの力を狩る目的ならばなぜこんな場所に現れたのか。お空やお燐、自身を狙う目的であれば地霊殿の周囲に現れるはず。なぜ、あえて距離のあるこの場所を選んだのか──翔一の思考は意図したものではなく、無意識に抱いた疑問と呼ぶべきものであった。

 

「痛ってて……! ってか熱っ!? な、なんだよ!? どこだここ!?」

 

「こ、ここって……! もしかして旧地獄の……? ど、どうしていきなり……!?」

 

 真司と美鈴は灼熱地獄跡の熱に苦しむ。されどすぐに立ち上がり、状況が理解できないながらも目の前の怪物を警戒。アングィス・マスクルスとアングィス・フェミネウスの二体から後退して、翔一やお空と並び立つようにその場に立つ。

 自分は先ほどまで紅魔館の正面にて未知の怪物と相対していたはずだ。不意に竜の咆哮や列車の警笛を聞いたかと思うと、気づけば歪んだ空間に巻き込まれてこの場所にいた。

 向き合う相手も未知ではある。だが、紅魔館で見たステンドグラス状の美しさとはまた異なる意匠。神々しさを思わせるような神官めいた装束。さながら神の使いが如き超常的な怪物──

 

「…………」

 

 ちらりと互いの顔を見やる二人。その面構えが紛れもなく戦士のそれであることを、彼らは考えるまでもなく理解できた。

 美鈴とお空も、互いのことはよく知っている。最初に出会ったのは幻想郷に超巨大な人型の影が浮かび上がった頃。正体は守矢の神々が誂えた単なる広告用の大型アドバルーンであったのだが、その存在を切っ掛けにして、幾度となく拳を交え、弾幕の光を交えたこともあった。

 

 正面に向き直り、二人はそれぞれ杖と鞭を撫でる二体の蛇の君主(スネークロード)を見る。

 真司が懐から取り出すは、終わりのない戦いを恐れぬ証。燃ゆる龍が刻印された漆黒のカードデッキ。何もない正面へと突き出し、己が腰にVバックルが装着される感覚を確かめ、右腕を鋭く左上へ突き伸ばす。

 翔一は右手を左腰へ突き入れ、前に突き出し胸の前へ引き戻す。己が腰に現れる真紅と金色の光、オルタリングは熱くなる身体と心、それに従う本能の証。

 そのまま深く息を吐きながら、右手の手刀をゆっくりと正面に突き出し──魂に光を灯す。

 

「「変身っ!」」

 

 熱き炎と燃え上がる鏡の闘志。眩き光と解き放たれる人類の可能性。二つの輝きは共に旧灼熱地獄の光と炎の中に溢れ、彼らの姿を変えていた。

 龍騎とアギト。決して交わることのない法則の中に在る戦士。真司と翔一はそれぞれの構えで立ち、二体の蛇に似たアンノウン──スネークロードと呼ばれる超越生命体へと向き合う。

 

「やっぱり、あんたも……仮面ライダーってわけじゃないんだよな」

 

「そういう君も、アギトじゃない……よね。見たところ、鬼でもなさそうだし」

 

 龍騎の格子状の仮面(ソリッドフェイスシールド)から覗く赤い複眼(レッドアイ)で見るは光を帯びた戦士の姿。この幻想郷に来て、クウガなる未知の戦士と共闘した真司は、自らの知らぬ、神崎士郎が開発した仮面ライダー以外の戦士を可能性と見た。

 クウガと名乗った戦士によく似ている。されどその身は黄金。清らかなる炎を思わせる彼に近い在り方は似るが、こちらは太陽めいた超常的な神々しさを放っているような。

 

 アギトの漆黒の頭部(ハードシェルヘルム)に設けられた真紅の複眼(コンパウンドアイズ)で見るは、鏡像と重なって変身を遂げた騎士の姿。翔一もまた、この幻想郷で未知の法則を宿す『鬼』──響鬼なる存在と肩を並べている。

 だが、隣に立つ騎士はどこか悲願に濡れた痛みを帯びているように感じられた。内に秘める炎の闘志は熱く滾るのに、その鎧は、どこか冷ややかな正義なき願い。

 無機質な金属。響鬼と名乗った鬼と違い、生体的な皮膚──あるいは肉体を晒してはいない。

 

「鬼ぃ……? 幻想郷(ここ)って、天狗や吸血鬼だけじゃなくて鬼までいんのかよ……!」

 

「びっくりするよねぇ。でも、ほら。今はそれどころじゃないみたい」

 

 翔一は賢者の如き静かな構えを崩さぬまま、しっかりと向き合う相手を隣の騎士に示す。翔一にとって、アンノウンはアギトの力を抹殺するために舞い降りた天使たち。彼らの目的がかつてと同じであれば、狙うのは自身やお空であるはずだ。

 微かな疑問は未だ燻っている。彼らが動物たちしかいないはずの旧灼熱地獄に現れた理由は何なのか。鬼と肩を並べて戦った際に鬼が狙われたことにはまだ納得できる。

 彼は鍛えて鬼へと至ったと言っていた。となれば、人間の領分を超えた進化を厭うアンノウンが鬼を狙うのも道理。解せないのは、そもそも人間ですらない妖怪まで狙われたこと。単にアギトの力を狩ることだけが目的ではないのか──そんな刹那の思考も、翔一の無意識の中に在りて。

 

「あれ? 真司さん! さ、咲夜さんが……! 咲夜さんがいません!!」

 

「なっ……!? 嘘だろ……? ここに飛ばされるときに、はぐれちゃったのか……!?」

 

 揺らめく炎の帳の中で美鈴が声を張り上げる。紅魔館の正面から時空の歪みに巻き込まれて旧灼熱地獄に飛ばされた真司たち。そこには確かに十六夜咲夜がいたはずだ。それなのに、同じタイミングで巻き込まれたはずの彼女がこの場所に存在していない。

 狼狽える真司の隙を突くように、スネークロード アングィス・フェミネウスが動いた。咄嗟に両腕を構えて防御するも、振るわれた禍々しい鞭──『邪眼の鞭』の一撃がその腕を払いのける。続けて腹部へ蹴りを受けてしまい、粗削りな岩肌に背中を叩きつけられてしまった。

 

「ぐうっ……!」

 

 美鈴はそんな真司の様子を案じるが、すぐに動き出した。拳に虹色のオーラを集め、アングィス・フェミネウスの顔面を目掛けて解き放つ。その一撃は怪物──彼女の蛇が如き頭髪に絡めとられ、美鈴は思わず腕を引いた。

 振るわれた邪眼の鞭を避けつつ、体勢を立て直して距離を取る。煌びやかな七色の弾幕を放って牽制しながら、背後より振り下ろされたアングィス・マスクルスの『審判の杖』を回避する。

 

「こいつらもモンスターの気配を感じない……!」

 

「モンスター? そいつらはアンノウンっていうみたい。私たちの力を狙ってるらしいわ」

 

「なるほど……湖で戦ったグロンギとかいう怪物ともまた別の存在みたいね……!」

 

 やはりというべきか。ブランクとはいえカードデッキを持つ美鈴でも、彼らからミラーモンスターの気配を感じ取ることはできない。美鈴の背中を守るように立つお空はその重厚な制御棒を伴う右腕でアングィス・フェミネウスの身を殴りつけ、牽制する。

 正面に向き合ったアングィス・マスクルスの審判の杖を両腕で受け止める美鈴は、怪物が長杖を振り下ろした隙を突いてその腹に正拳突きを見舞った。

 妖力で強化されたその拳は超常的な天使の肉体にも確実なダメージを与え、後退させる。

 

「はぁっ!」

 

 アギトの身をもってアンノウンに追撃を仕掛ける翔一。お空とのコンビネーションでアングィス・フェミネウスを岩肌に叩きつけるが、背後に立つアングィス・マスクルスの攻撃に対処を余技なくされたため、壁際に追いやった怪物にさらなる追撃を行うことはできなかった。

 

「……っしゃあ! 俺も……っ!?」

 

 すぐに立ち上がった真司は己が顔の前で拳を握り、再び二体のもとへ向かおうとする。しかし、異変に気がついた。

 美鈴たちのもとへと駆け出そうとしていた右脚が──なぜか地面に片膝をついているのだ。

 

「え……?」

 

「あれ……?」

 

 真司の身体も──アングィス・マスクルスと向き合う美鈴の身体も。まるで神経が石になってしまったかのように動かない。彼らは気づいていないが、アングィス・フェミネウスが持つ邪眼の鞭。アングィス・マスクルスが持つ審判の杖。そのどちらにも、打ちつけた対象の神経に蛇の呪いを付与し、石のように動けなくしてしまう能力があるのだ。

 翔一はそれを彼らに伝えていなかったのではない。知らなかっただけだ。その呪いは同じ天使の肉体、および同じ神秘を宿すアギトの肉体には通用しない。故に、かつて戦ったときにその効果を受けていなかったため、そういった能力があること自体、そもそも気づいていなかった。

 

「……っ! 危ないっ!!」

 

 お空は咄嗟に動く。再び審判の杖の餌食となろうとしていた美鈴を突き飛ばし、審判の杖が振り落とされるより先にアングィス・マスクルスの胸へと制御棒を突き立てる。その先端に核熱の光を輝かせ、瞬くような判断力で即座に弾幕を接射した。

 激しい爆発に吹き飛ぶ怪物。目の前でそれを起こしたため、お空の身にも爆風と衝撃が及ぶが、核融合を管理する彼女がその程度の反動でダメージを受けることはない。

 

 だが、吹き飛ばした先、岩肌に背を叩きつけたアングィス・マスクルスは怯むことなく動けなくなった真司を見る。ぎょろりと動く蛇の眼が、龍騎の格子状の仮面と向き合って──

 怪物は手をかざす。その瞬間、真司の背後に渦巻くような次元の断層が生じたではないか。

 

「うおっ……!? なんだこれ……!? また吸い込まれ──」

 

 紅魔館から自分たちを引きずり込んだ時空の歪み、その裂け目にも似ている。だが、それは原因不明の渦などではなく。目の前のアンノウンがもたらした天使の権能。漆黒の渦は周囲の熱気ごと真司を吸い上げ、彼を呑み込んでは消えた。

 美鈴もお空も、翔一も。不意にその場から消えてしまった龍騎の存在に一瞬だけ驚いたが、すぐに旧灼熱地獄の上空──揺らめく炎が立ち上っていく彼方の天盤からの叫びを聞く。

 

「うぉおおおっ!? な、なんだよこれ! どうなってんだよ!?」

 

「真司さん!? なんでそんな高いところに……!?」

 

 アングィス・マスクルスが捻じ曲げた次元断層、空間を貫くワームホールめいた風穴で、真司は遥か上空の天盤まで転移させられたのだ。

 かつてアギトの世界で超能力者たちを抹殺していたのと同じ手法。対象を次元の裂け目に吸い上げ、何もない天空へと転移させてはそのまま落下させて殺す。幸いにして、ここは天という概念のない地の底。空の高さには限りがあり、天盤の岩肌は彼らの目の届く先にある。

 

 呪いに苛まれ動けない身体に鞭打って真司は無理やり動いた。軋む神経は石の如く。されど抗う意思は炎の如く。何とか灼熱の岩肌にしがみつくことができたものの──

 騎士の仮面で見やるはアングィス・マスクルス。振り抜かれた審判の杖は、凄まじい突風を刃と成して放ってきたのだ。突風の刃は空中で動けない真司の身体を寸断しようとしたが、咄嗟の判断で岩壁から手を離したおかげで、落下による回避には成功する。

 

 ──砕けた岩肌に光を見た。真司がそれを訝る間もなく、突風の刃の衝撃によって砕けた天盤の岩が微かに零れ落ちる。それを合図として、灼熱地獄の天盤の一部が崩れ落ちてしまった。

 

「……っ!」

 

 呆気なく落下する龍騎の身を空中で受け止めるは、強靭な妖怪の身体を持つお空だ。美鈴も空を飛ぶ能力と妖怪の膂力を持つが、アングィス・マスクルスの審判の杖を両腕で受け止めてしまったため、その腕の神経に石化の呪いを受けてしまっており、飛行はできても真司を受け止めることはできなかっただろう。

 

 黒い翼を舞い上がらせ、赤き騎士の鎧を纏う者をゆっくり落ろす。お空はそのまま迫り来るアングィス・フェミネウスの邪眼の鞭を右腕の制御棒で打ち払った。

 制御棒はあくまでお空という炉の制御を司るもの。八咫烏の権能の一部であり、己自身の神経が通った腕ではない。言わば武装であるため、スネークロードの神経石化の呪いを受けないのだ。

 

「お空ちゃん、そっちの人のこと、頼んだよ!」

 

 翔一は一度は戦ったことのあるアンノウンに対して冷静に。されど自らの手で倒したことのあるわけではないそれらに対して慎重に。

 真司をお空に任せ、自身は天使の呪いを受けぬアギトの肉体をもって前に出る。神の光を帯びたその身であれば、審判の杖や邪眼の鞭を受け止めても動けなくなることはない。

 

 未だ燻る麻痺の呪いをようやく振り払い、立ち上がった美鈴も拳ではなく弾幕による攻撃を試みた。怪物が巻き起こした突風によって炎が揺らめくも、美鈴の七色の弾幕はその程度の風で弾道が歪むほど弱い力ではない。

 紅魔館に架かる虹の如き光。煌びやかに彩る【 彩雨(さいう) 】は、神の祝福を受けたアンノウンたちの肉体に炸裂し、翔一が鋭く解き放つアギトの蹴りと共に彼らを突き飛ばした。

 

 真司もようやく立ち上がることができた。全身の呪いを覚悟の炎で焼き尽くし、騎士の仮面で二体のアンノウンを見る。そこで、真司は己が頭蓋に馴染みある忌まわしき感覚が響いてきたことに気づいた。

 アングィス・マスクルスの杖に触れぬようにその身を蹴り飛ばした美鈴も、同じく表情を変えて砕けた灼熱の天盤、それらが崩れ落ちた瓦礫の山を見渡す。

 ──そこにあるのは、旧灼熱地獄上階、地霊殿の地下通路を渡す床を構成する材質である。美しきステンドグラスに彩られたそれは、灼熱地獄跡の天盤が崩れたことでこの地に砕けて降り注いだのだ。

 

 揺らめく炎の光がステンドグラスの破片に映り込み、幻想的な煌きを放っている。そこから感じられる気配、頭蓋を劈く金属音。デッキを持つ者にしか掴めぬ感覚。

 それらは当然、デッキを持たずアンノウンと戦う翔一とお空には感じ取ることはできず──

 

「ブルルォオオッ!」

 

 炎を映し出すステンドグラスの反射より、不意に飛び出す影。唸るような咆哮を上げ、アギトの背中に向かって激しい突進を繰り出す金属質の獣。

 真司は龍騎としての脚で駆け出し、その身に渾身のタックルを見舞うことで突き飛ばした。

 

「今度はモンスターかよ……!」

 

「また別の怪物……? いったいどこから……!?」

 

 ステンドグラスの鏡面を通ってミラーワールドから現れた怪物に、翔一は驚く。当然、アギトの世界においては鏡の中の世界など確認されていない。荒く鼻息を噴き立てるイノシシ型ミラーモンスター『ワイルドボーダー』に、真司は個人的な憤りを覚えた。

 あのモンスターが真司の同僚を誘拐した男を密室内から襲ったため、その場にいた真司が誘拐犯として扱われてしまった。喰い殺された真犯人への憐れみもあるが、何より真司の弁護を担当した男、仮面ライダーであったその男の策略で、あわや真司はドラグレッダーとの契約を履行できず、その餌として喰われかけたのだ。

 

 再びバカ正直に突進してくるワイルドボーダーの肉体を避ける真司。こちらもバカ正直に正面から受け止める──ような真似はしない。一度、それと戦っている真司は知っている。ワイルドボーダーの突進は自動車一台を突き飛ばすほどの破壊力を持つと。

 正面から受け止めようものなら、仮面ライダーになっていようと大ダメージは避けられない。

 

「あれはミラーモンスター。ガラスなどの反射物を通り、鏡の世界から現れる怪物です」

 

「鏡の世界……? なにそれ……すごい……!」

 

「確かに気になるけど……アンノウンも放っておけないよね……!」

 

 美鈴の説明で気を緩めていたお空も、翔一の言葉で再びアンノウンへと向き直る。魔化魍という妖怪に似た存在については共闘した鬼たちから聞いていたが、どうやらこれらはアンノウンとも魔化魍とも関係のない存在のようだ。

 アングィス・マスクルス、アングィス・フェミネウスはそれぞれの杖と鞭を手に再び迫り来る。お空は制御棒と弾幕で、翔一はアギトの肉体で。麻痺に抗い、それぞれへ向き合った。

 

「ブルォオッ!!」

 

 ワイルドボーダーの突進を再び避け、真司は転がりながらドラグバイザーを展開。旧灼熱地獄跡の岩肌に激突し、再び天盤が崩れ落ちてはステンドグラスの破片が煌く。

 Vバックルからアドベントカードを取り出し、それをバイザーに装填しては龍の頭部を閉じた。

 

『ソードベント』

 

 地の底たる旧地獄においてもその名は轟く。どこからともなく飛来した龍の尾、ドラグレッダーの尾を模した柳葉刀。ドラグセイバーの柄をその手に握り、真司は振り返ったワイルドボーダーの胴体を渾身の一撃で斬りつけた。

 ミラーモンスターの装甲は相応に硬い。だがミラーワールドにおいて上位に位置する力の具現、龍たるドラグレッダーの尾はそれを容易く切り裂く刃となる。

 

 ワイルドボーダーは自身の胸、突き出した砲門めいたそれに青白い光を灯した。一度この怪物と戦った真司はその意味を察して後退する。

 光は砲弾となり、その胸から解き放たれた。ガードベントのカードを装填してドラグシールドを装備する余裕はない。間に合わないと判断して、真司は咄嗟にドラグセイバーを水平に構える。

 

「ぐぁあっ!」

 

 ドラグセイバーの刀身をもって光弾を受け止めるが、その威力までは殺し切れない。炸裂した衝撃に吹き飛ばされ、真司はそのままドラグセイバーを手放してしまった。

 転がった先でアングィス・フェミネウスと目が合ってしまい、真司は慌てて再び後退する。

 

「ブルゥォオオッ!」

 

 ワイルドボーダーは突進の勢いをそのままに、今度は美鈴とお空のもとへ突っ込んできた。壁に激突するまで止まれぬほどの突進力ではあるが、もしそうなればその勢いは殺され、一瞬だけ隙ができるはず。しかし、怪物にはそれがない。

 美鈴は見逃さなかった。あのミラーモンスターは野生動物ほどの知能しかないであろうにも関わらず、その本能から巧みにミラーワールドの法則を利用しているのだ。

 

 突進の勢いを止めることなくそのままステンドグラスの破片に突っ込んでいき、ミラーワールドに突入。その後、別のステンドグラスを境界としてミラーワールドから突進してくる。

 結果として直線的な動きしかしていないのに、四方八方からイノシシの突進が迫ってくる形になっていた。それはさながら、真っ直ぐにしか飛行していないのに、空間を超えて様々な方向へと自由自在に舞うことができるあの巫女──博麗霊夢のように。

 もっとも、あのモンスターの場合はステンドグラスの鏡面という出入口に限られているが。

 

「全然追いつけないし、鏡の世界に入られちゃどうしようもないよ!」

 

「落ち着いて! 私ならあのモンスターの気配を探れるから……出てきた瞬間を狙う!」

 

 お空の嘆きは美鈴も感じていたことだ。ただでさえミラーワールドに入れるのはカードデッキを持つ仮面ライダーとミラーモンスターだけ。真司一人に任せるという選択肢もあるが、こちらにはモンスターならざる異形も二体。

 それならば確実に撃破できる方法を実行するべきだろう。美鈴は自らもカードデッキを持つ者であることを利用し、ワイルドボーダーがミラーワールドに戻ったことを確かめ。

 アンノウンの攻撃を避けつつ、脳髄に響く金切り音、ミラーモンスターの気配に集中し──

 

「そこだっ!」

 

 掴んだ気配はモンスターのもの。カードデッキ越しに伝わる鏡像の気配。それに加えて美鈴が生まれ持つ、気を使う程度の能力で感じ取ったモンスターの気。

 真司でさえ認識できないその感覚を掴み、美鈴は後方のステンドグラスに彩雨を放つ。

 

「ブルゥモォッ!?」

 

 虹色の弾幕を受けて怪物は足を止めた。背後のアンノウンたちが真司と翔一に気を取られている隙に、美鈴とお空は己が妖力を練り上げていく。

 輝き散ったステンドグラスの破片の如く、美しき七色に煌く虹霓の妖力。旧灼熱地獄に燃え滾る炎の如く、高温高圧に鍛え上げられた核熱の妖力。二人の力は二枚の光を形成し、スペルカードとなって砕ける。次の瞬間、美鈴とお空はそれぞれ己が力の奔流を激しき弾幕として解き放った。

 

「揺るぎなき気高さを、紅魔館の門番たる希望(いのち)をここに! 華想夢葛(かそうゆめかずら)っ!」

 

「熱くなる(からだ)(こころ)も本能も、一つに熔け合え! ニュークリアエクスカーションっ!」

 

 美鈴の周囲から放たれる青い光弾は砕け散る(かずら)のように乱れ溢れ、怒涛の弾幕となってワイルドボーダーを襲う。一つ一つの炸裂は小さいが、彼女が放った【 幻符(げんふ)「華想夢葛」 】はその圧倒的な物量で怪物の逃げ場をなくしていく。

 そこへ、一切の容赦なく降り注ぐ無慈悲な太陽。赤熱した巨大なる光球がゆっくりと迫り、動けなくなった怪物の装甲に触れてはその熱で金属質の身を融解させ。

 爆発。星の誕生を思わせる膨大な光。旧灼熱地獄の大地と岩のすべてを揺るがす勢いで、お空の放った【 核熱「ニュークリアエクスカーション」 】はモンスターの身を焼き尽くした。

 

「うおっ……すっげ……」

 

 再び手に取ったドラグセイバーでアングィス・フェミネウスの邪眼の鞭を払う真司は、その圧倒的な破壊力に感心していた。ワイルドボーダーの撃破に伴い、浮かび上がったエネルギーの光球を見て、紛れもなくモンスターを倒せたことを理解する。

 その一瞬の隙を突いて、アングィス・フェミネウスは真司の腹を蹴り飛ばした。そのまま翔一と戦っていたアングィス・マスクルスと共に、ミラーモンスターのエネルギーのもとへ着地。

 

「…………」

 

 ワイルドボーダーの光球は、ふわりと漂い二分される。ちょうど半分に分かれたかと思うと、アングィス・マスクルスとアングィス・フェミネウスの二体にそれぞれ吸収されたのだ。その顎でもって喰らうように、二体のスネークロードは己が肉体に光を取り込んでいく。

 

「あいつら、モンスターのエネルギーを……!」

 

 蹴られた腹を押さえながら二体の怪物を見る真司。その光景は紛れもなく、自分たちライダーが契約モンスターに餌を与える光景そのもの。

 しかし、それを喰らいし怪物は鏡像の世界に生きる絵空事の獣ではない。真司は知らぬ神の世界より舞い降りた天使たち。アギトの世界と龍騎の世界に直接的な繋がりはないが、奇しくもそれは神にとっての被造物たる人類、その人類が生み出した被造物たるミラーモンスターを喰らう、隔絶された捕食連鎖。

 アンノウンの肉体に満ちるミラーモンスターのエネルギーは、その鏡像の法則をも定着させた。真司と同様に怪物と向き合う翔一もまた、天使の身に滾る未知の波動に思わず息を飲む。

 

「よくわからないけど、あのイノシシが倒せたなら……!」

 

 お空はワイルドボーダーの遺したエネルギーを喰らったアングィス・マスクルスとアングィス・フェミネウスに向き合う。アギトの力を宿したこの身に感じられる気配は紛れもなくアンノウンの気配。だが、どこか鏡越しに映し出されたような、奇妙な感覚。

 ──アギトの力を持たぬ美鈴も、アンノウンが放つ歪な気配を感じ取っていた。美鈴固有の能力である気を使う能力による感覚ではない。カードデッキを持つ者としての、ミラーモンスターを知覚する感覚。それが、龍騎の世界の法則にはないはずのアンノウンから感じ取れている──

 

「……っ!?」

 

 不用意に駆け出したお空を制止しようとした美鈴は二体の怪物が境界を超える様を見た。時空の歪みや灰色のオーロラに消えたわけではない。先ほどのワイルドボーダーと同様に、周囲に散らばったステンドグラスの破片、その鏡面を超えたのだ。

 やはりワイルドボーダーと同様、等身大以上の体積を持つ怪物は手の平ほどの大きさの破片へと何の苦もなく通っていく。ミラーワールドの境界には、大きさの制約などないのだろう。

 

「あのアンノウン、ステンドグラスの破片に入っちゃった!?」

 

「まさか、ミラーモンスターの能力を身につけたの……?」

 

 お空の驚きはアンノウンの行動に対して。だが同じくその光景を見た美鈴は冷静に、アンノウンがミラーモンスターのエネルギーを喰らったという事実を考察した。先ほどのワイルドボーダーと同じようにステンドグラスの破片を境界としてミラーワールドへと踏み入ってしまったらしい。

 

「……ってことは、鏡の世界に入れるようになったってことだよね」

 

「えぇ……? マジかよ……!?」

 

 アギトの赤い複眼でもその光景は確認した。翔一もまたこれまでアンノウンが見せたことのない行動から、話で聞いただけのミラーモンスターの性質、ミラーワールドという鏡の世界についての関係性を結びつける。

 その意味を理解できぬ真司ではない。アンノウンという未知の存在、それも打ちつけた相手の行動を縛りつける二体もの強敵を相手にして、仮面ライダーとしてミラーワールドに踏み入ることができるのは──自分ただ一人。たった一人で──それらを相手にしなくてはならない。

 

「……って、迷ってる場合じゃないよな……!」

 

 意を決して拳を握る。今ミラーワールドに入れるのは龍騎(じぶん)だけだ。だが、何もミラーワールドの中だけで戦わなくてはならないわけではない。

 奴らはミラーモンスターの法則を取り込んだかもしれないが、純粋なるミラーモンスターではないのだ。9分55秒という制約。ミラーワールドの滞在時間という制限は、神崎士郎が造った仮面ライダーと同様にあるかもしれない。

 せめて時間を稼ぐだけでも。奴らを鏡の世界から追い出すだけでも。真司は覚悟を決め、いざミラーワールドへと踏み込もうとした。──そのとき、傍にいた美鈴が口を開く。

 

「待ってください! 私も……行きます。このデッキを使えば……変身できるんですよね?」

 

 美鈴は懐からカードデッキを取り出して真司に問うた。真司の腰、Vバックルに装填されている龍騎のデッキとは違い、美鈴が持つものには何の意匠も刻まれていない。契約しているモンスターの存在しない、ブランクデッキと呼ばれるもの。

 それを用いても変身することは可能である。だが、契約モンスターの恩恵を受けられない以上、人間が生身で戦うよりはマシ程度の戦闘力しか得られないという欠点があった。

 真司もその姿で戦った経験がある。どんなライダーよりも弱く、野生のモンスターの一体にさえ苦戦し、まともな戦いにもならない仮初めの鎧。それでも、戦うだけの覚悟を持てば、騎士として揺るぎなく鏡の世界に存在できる。

 

「……わかった。でも、そのデッキじゃ俺みたいには戦えない。分かってると思うけど」

 

「大丈夫です。せめてミラーワールドにさえ入れれば……あとは私の力で戦えます」

 

 真司は美鈴が変身するという想いに葛藤した。ただの少女であるなら、真司は間違いなく全力で止めただろう。しかし──

 紅美鈴は無力な人間の少女ではない。生身でも龍騎と肩を並べ、戦うことができる。そんな彼女であれば、たとえ無力なブランクデッキを使っても。並みのライダーと同等以上の戦闘力が得られるかもしれない。真司は淡い期待を抱くが、すぐに振り払った。

 ブランクデッキの騎士は弱い。それは真司が誰よりも理解している。美鈴に予め説明してあったその弱さを再度伝え、あくまで怪物を鏡の世界から追い出す目的でその機能を使うべきだと。

 

「……っ!」

 

 ステンドグラスの破片から気配を感じ取る。鏡の世界からの来訪者、脳髄に響く金属音は、美鈴と真司に。神の使命を抱く者の到来、魂を貫く光の感覚は、お空と翔一に。それぞれ四人は同時にその感覚を掴むと、背後からの攻撃を回避する。

 アングィス・マスクルスとアングィス・フェミネウスはすでにミラーワールドの法則を我が物としているらしい。流れるように素早く移動し、再びミラーワールドへ突入していった。

 

「考えている暇はない……! 真司さん! 私も……変身!」

 

 美鈴はブランクデッキをかざした。己が腰に巻きつけられるVバックルを見ず、目の前にあるステンドグラスの破片を真っ直ぐ見据えながら、左手のカードデッキをVバックルへと叩き込み、両腕を広げて己が心に覚悟を灯す。

 折り重なる鏡像が美鈴の全身を包む。そのスーツは色褪せた濃紺。何の力も灯らぬ色。名もなき騎士には意匠もなく、ただ無機質な金属の鎧を纏うのみ。

 

 その姿は仮面ライダー。神崎士郎が造り上げた鏡像の騎士であることは間違いない。ただし契約モンスターの能力を伴わぬその身は、本来の性能の一割程度の力も引き出せていない仮初めの姿でしかない、龍騎の世界において『ブランク体』と呼ばれる鎧であった。

 それでも構わない。ミラーワールドへ踏み込む通行証としての機能はある。あとは生まれ持った妖怪としての力で十分だ。真司と美鈴は互いに顔を見合わせ、同時に鏡の世界へ踏み込んだ。

 

「……っ、あれ?」

 

 境界を超えた先は先ほどと変わらぬ炎と岩の景色。動物や怨霊の姿が一つもなく、左右が反転しているという違いを除けば。

 本来ならば鏡面の先には現実世界とミラーワールドを繋ぐ狭間の領域、四方を鏡に覆われたディメンションホールと、そこを通過するためのライドシューターが存在するはずなのだが、どういうわけか今はその領域を超える必要なく、現実世界とミラーワールドが直接繋がってしまっているようだ。

 いつかそんな夢を見た気がするような。あるいは鏡を使わず変身できるようになったことと関係し、現実世界とミラーワールドの距離がさらに縮まって境界が曖昧になっているのか。

 

「ちょっと気になるけど、まぁいいか……」

 

 独特の環境音を響かせるミラーワールドには本来存在するはずのない怪物が二体。アンノウンであるアングィス・マスクルスとアングィス・フェミネウスだ。真司と美鈴は鏡像の騎士たるその身を構え、麻痺効果のある審判の杖と邪眼の鞭を警戒し、不用意に接近せぬよう気をつける。

 

「たしか、これをこうやって……」

 

 美鈴はブランク体の腰に帯びるVバックル、その正面に装填されたブランクデッキから一枚のカードを引き抜いた。緑色の光を背景に描かれた無骨な長剣は、ドラグセイバーのように龍の意匠を帯びているわけでもなければ何の迫力もない。

 それを視認すると同時に、ブランク体の左腕に装備された無機質な召喚機『ライドバイザー』が自動的に展開される。予期せぬその動きに驚くものの、すぐにカードを装填した。

 

『ソードベント』

 

 電子音声と共に虚空より舞い降りる長剣。何の力も持たない『ライドセイバー』は美鈴のもとへと飛来するが、あまりに大雑把な座標の指定のためか、その手に収まることなく美鈴とアングィス・マスクルスの間の大地に向かって。その力ない刀身を下にして突き刺さってしまう。

 

「えぇ……? あぁ、もうっ!」

 

 真司はすでにアングィス・フェミネウスと交戦を始めていた。美鈴は怪物と長剣、それぞれを交互に見た後、審判の杖を警戒しつつも、咄嗟に怪物に接近してライドセイバーの柄を握り、大地から引き抜いてはその勢いのままアングィス・マスクルスの腹を蹴り飛ばす。

 左手にライドセイバーを持ち替え、もう一度右手でデッキを探るが、どうやらモンスターと契約していないデッキには遠距離からの攻撃を可能とするカードは入っていないらしい。指先に伝うカードの内容には、あまり期待できなかった。

 そんな刹那の間に、アングィス・マスクルスは審判の杖を構えて接近してくる。両手でライドセイバーを構え持ち、その杖に触れてしまわぬように切り結ぶことで攻撃を防ごうとしたが──

 

 ──真っ直ぐ伸びているだけのシンプルな刀身は、その中心から呆気なく圧し折れてしまった。

 

「うわっ!? 折れた!?」

 

 打ち合わせた衝撃は確かに美鈴の手に伝わってきた。その衝撃を刀身で受け止めようとしたはずなのに、見るからに貧弱な長剣は刃ですらない杖と打ち合っただけで折れていた。これでは自らの拳で戦った方がマシなのではないかと思うほどに、ライドセイバーは力なく。

 折れた剣など持っていても仕方あるまい。すぐに柄だけとなったをそれを捨て、続けて振り下ろされる審判の杖に気の波動をぶつけて勢いを相殺。転がって怪物の背後に立ち、大地を蹴る。

 

天龍脚(てんりゅうきゃく)っ!!」

 

 右脚に込めた妖力を解き放ち、アングィス・マスクルスの腹へと飛び蹴りを打ち込む。溢れ出す虹の光を衝撃波と成した【 天龍脚 】の一撃で怪物の身を押し退けるが──

 アングィス・マスクルスはすぐに立ち上がり、またしても審判の杖を持ち上げる。美鈴は再びデッキに指を置くものの、たったいま使用したライドセイバーの他に残るカードは僅か三枚。盾を装備するガードベントのカードは今は使う必要がない。ミラーモンスターとの契約を可能とするカードは、契約対象となるモンスターがいない今は使えないだろう。

 

 残る一枚は、美鈴がブランクデッキを手にしたときに初めて目にしたカードだ。深い闇が渦巻くような絵柄を持つ『封印(SEAL)』の能力を宿したアドベントカード。

 彼女は咄嗟にそれを引き抜き、絵柄をアングィス・マスクルスに向けるようにしてかざす。

 

「…………!」

 

 本来はミラーモンスターを封じ込めるためのそれは、ミラーモンスターの法則を取り込んだアンノウンにも本能的な恐怖を覚えさせたようだ。

 アングィス・マスクルスは蛇のそれに似た不気味な眼をぎょろりと動かし、力なきブランク体の美鈴から距離を取ると、背後に落ちていたステンドグラスの破片を鏡面として消えていく。

 

『ストライクベント』

 

「だぁあっ!!」

 

 真司は右手に装備したドラグクローを正面に突き出し、背後に呼び出したドラグレッダーの火球を解き放ってアングィス・フェミネウスを背後のステンドグラスに押し出す。

 ミラーワールド内でも容赦なく燃え上がる旧灼熱地獄の炎と共に、猛き龍の咆哮は爆炎となってアングィス・フェミネウスに炸裂。そちらもまた、境界を越えて実像の世界へ戻った。

 

「……ごめん、伝え忘れてた。あの剣、あんま役に立たないって……」

 

「そ、そうですね……まさか折れるなんて……」

 

 二体のアンノウンを強引に実像の世界へと引き戻すことに成功した真司と美鈴。かつて、自身もブランク体の身でライドセイバーを折ってしまったことを思い出しながら、自身とよく似た姿でありながら龍の意匠と鮮烈な赤さを伴わぬ美鈴に向き合う。

 鏡映しのような騎士の姿。真司にとっては、それはまだ仮面ライダーとして戦う覚悟の灯っていなかった、鈍色にくすんだ弱さの象徴。美鈴にとっては、辛く苦しい終わりのない戦いに身を投じてきた、揺るぎない気高さの象徴。

 

 ドラグレッダーほど強大な個体がそうそういるとは思えない。美鈴はあくまでミラーワールドに踏み入るためだけにこのブランクデッキを使用したのだ。叶えたい願いも今は持っていない。契約すべきミラーモンスターを見つける必要もないだろう。

 格子状の仮面に覆われた複眼でもって見やるは、ミラーワールドにも等しく散らばったステンドグラスの破片。そこには、金色の戦士(アギト)と霊烏路空が戦っている姿が映し出される。

 

「…………」

 

 一瞬だけ気を緩めてしまったが、戦いはまだ終わったわけではない。真司と美鈴は自らが押し出したアンノウンを追撃すべく、鏡像の騎士たる身をもって、ステンドグラスを通り抜けた──

 

「あ、あれ? 割れちゃいましたよ?」

 

「……っ、そ、そうだった……! 来た道! 来たときと同じやつから戻って!」

 

「ええっ……!? そ、そんなこと言われたって……!!」

 

 赤い龍騎は小さなステンドグラスの破片を通り抜けられたが、ブランク体の美鈴が後に続こうとしたところ、その破片を踏み砕いてしまったのだ。

 ブランク体の仮面ライダーに限り、ミラーワールドからの脱出は最初に入った場所からに限られる。真司は小さな破片越しに声を張り上げ、それを美鈴に伝えた。もはやどこから突入したかなど覚えていなかったが、このまま留まればその身は粒子化を始めてしまう。

 

「……あれか!」

 

 無数に散らばった破片を探している時間はない。美鈴は自らが通った気を探り、それを掴むことで、最初に入ったステンドグラスの破片を見つけることに成功した。

 それが砕けていないことに胸を撫で下ろし、破片を割らぬようにそっと鏡面を通り抜ける。

 

「…………」

 

 ミラーワールドから現実世界に戻った美鈴はブランク体の変身を解く。アングィス・マスクルスとアングィス・フェミネウスはそれぞれ審判の杖と邪眼の鞭を振るうものの、すでに動きを見切ったお空と美鈴は容易くそれを回避した。

 お空は内に宿すオルタフォースの波動と共にアギトたる翔一の傍へ。美鈴は懐に戻したブランクデッキの祈りと共に龍騎たる真司の傍へ。それぞれ隣り合う戦士と並び、力を解き放つ。

 

「「スペルカード!」」

 

 重なる二人の少女の声に伴い、その指先に現れた虚像の札に妖力が灯った。輝き散った光と共に、お空と美鈴の周囲には核熱の炎と虹霓の光。奇しくも彼女らの隣に立つアギトと龍騎の誇りを示す光と炎。それぞれの力を逆転させたかのような、二人の妖力が湧き上がる。

 

「はぁぁあっ……!」

 

「……っしゃあ!」

 

『ファイナルベント』

 

 少女たちの力に呼応するように、戦士たちも己が力を解き放った。翔一は地につく足に力を込めて、龍が如き構えを取ると、足元に具現したアギトの紋章を脚へと束ね。真司は左腕のドラグバイザーを開き、腰のカードデッキから取り出した一枚のカードを装填しては力強く閉じる。

 

「──鴉符(からすふ)八咫烏(やたがらす)ダイブ!!」

 

「──気符(きふ)地龍天龍脚(ちりゅうてんりゅうきゃく)!!」

 

 お空は黒き翼を広げた。美鈴はその健脚で大地を蹴った。それぞれ二人は高く舞い上がり、同様に跳躍を遂げたアギトと龍騎と共に。鋭く突き伸ばした己が右脚を怪物に向ける。

 その光は、その炎は、どちらも奇しくも龍が如く。六本に開いたアギトのクロスホーンも、うねり舞うように踊る龍騎の炎も、語られる伝承こそ違えど共に龍を表すもの。そしてその力は重なる二人の少女と呼応し、より強く、より気高く──

 

「「はぁあああっ!!」」

 

 翔一(アギト)が放ったライダーキックは、お空が放った【 鴉符「八咫烏ダイブ」 】の核熱の炎と同時に、アングィス・マスクルスの胸を貫いた。八咫烏ダイブは本来両腕を広げて飛び込むように行うスペルだが、彼女に宿るアギトの力の影響だろうか。無意識的に、その力が集約された右脚を突き出し、ライダーキックと同様の飛び蹴りを放っていたらしい。

 真司(龍騎)が放ったドラゴンライダーキックは、美鈴が放った【 気符「地龍天龍脚」 】の虹霓の光と同時に、アングィス・フェミネウスの胸に叩き込まれた。どちらも元より飛び蹴りの形であり、それぞれの炎と光が混ざり合うことで、一つの技のように美しく怪物を射貫く。

 

 地獄の底にて爆散を遂げる、二体の天使。スネークロードたちは、その頭上に光輪を浮かべたのち、やがて唸り声を上げてはその肉体を失った。

 爆ぜ散った天使たちはそれぞれ小さな光球を浮かび上がらせる。それは本来アンノウンが持つはずのない、喰らった人間の生命力。ワイルドボーダーのエネルギーを得て、その身に留まっていたミラーモンスターのエネルギーが二分されて現れたのだ。

 真司が指示を出すまでもなく、旧灼熱地獄跡の天盤(そら)をうねり舞うドラグレッダーはそのどちらをも捕食。自らの身体に吸収することで、満足したようにそのままミラーワールドへ戻った。

 

「……今の龍……君の仲間?」

 

「ま、まぁ……仲間……みたいなもんかな」

 

 翔一はアギトとしての姿のまま、龍騎たる真司を見た。アンノウンを倒すや否や、鏡面から現れた赤い龍に驚いたが、それが光球を喰らっただけで元の世界に戻っていったのを見て、再び構えを取ろうとした気概を解く。

 真司にとって、ドラグレッダーは長らく戦いを共にした仲間、のようなものだ。だがそれはあくまで契約関係に過ぎない。契約に背く素振りを見せれば、すぐさま真司に牙を剥くだろう。

 

「さっきの怪物、アンノウンって言ってたけど──」

 

 美鈴がその正体をお空らに問おうとした。その名はついさっき聞いたばかりだ。戦闘中であったため詳しい説明は聞きそびれたが、自分たちの力を狙っている、とはどういうことなのか。真司も灼熱の環境で変身を解く。過酷な熱は身体を苛むが、命に関わるほどではない。

 同じく変身を解いた翔一からも、自分たちと同じ意思が感じられた。霧の湖にて龍騎の世界にはないクウガなる未知の存在と出会った真司や美鈴と同様、翔一とお空も旧地獄にてアギトの世界にはない響鬼という未知の存在に遭遇している。

 異なる世界の戦士や怪物。それらが一纏めに幻想郷に存在しているということ。それぞれの認識は、巡り合ったまた別の存在から、さらなる確証を持たせようとしていた。

 

「……っ!?」

 

 交わし合う言葉も僅か、その束の間。再び吹き込んだ風は旧灼熱地獄の渇いた空気を微かに湿らせ、冬の業火を夏の霧で濡らす。

 ふわり浮き上がった足では踏ん張ることもできず、真司と美鈴は時空の歪み(もとのばしょ)へ消えていった。

 

◆     ◆     ◆

 

 地霊殿正門前。荒れ果てた岩の大地にて、ばさばさと音を立てて舞い降りるはカラスに似た超越生命体。漆黒の骸を嘴と帯び、天使とは思えぬ禍々しき翼を抱いた異形の鳥獣。さとりが目にしたのは奇しくもペットたるお空と同じ、鴉の翼だった。

 

 Gバックルを腰に巻き、彼女は『クロウロード コルウス・クロッキオ』に向き合う。アギトの世界において、すべての鴉たちの創造元として君臨する黒き天使。

 だが、それはさとりが生きる幻想郷と、それに伴う外の世界には刻まれぬ理と因果である。

 

「……G3システム、装着」

 

 本来ならただのバッテリーメーターとしての機能しかないベルトに意思を込める。洩矢諏訪子の干渉により、アギトの世界で受けた信仰を束ねたその力は、Gバックルそのものに人類の叡智たるG3システムのすべてを統合させていた。

 大規模な設備など必要なく、さとりのその一言で、Gバックルは赤き光を灯す。さとりの全身に現れるは、蒼く力強い機械的な装甲。未熟ながら誠実な、かの『第4号』を模した力。

 

 胸には白銀の装甲を帯び、警視庁の誇りを示す桜の代紋を掲げている。未ださとり自身のままの顔で見下ろすは、自らの手元に現れた戦士の兜。

 蒼銀に彩られた曙光の如きオレンジ色の複眼に向き合い、さとりはそれを己が頭に装った。

 

「…………」

 

 コルウス・クロッキオの不気味な眼は、G3システムの叡智を纏い、揺るぎなく『G3』としてそこに立つさとりを睨みつける。

 臆することはない。さとりの第三の眼では、天上の意思たるアンノウンの心を読むことはできない。されど、この身には決して逃げぬ『ただの人間』の強さが宿っている。

 さとりはG3システムに込められた想念を肌で感じ取り、思考に浮かんだ名を口にした。

 

「GM-01、アクティブ!」

 

 その宣言と共にさとりが持ち上げた右手には一丁の短機関銃(サブマシンガン)が現れる。小さくとも確実な威力を誇る警視庁の武器。G3の状態での運用を前提に開発された『GM-01 スコーピオン』は、本来はG3システムと共に持ち運び使用するもの。

 それもまたG3の一部として信仰の一つと召し上げられた。神の力で統合され、今ではG3たるさとりの意思のままに。支援車両(Gトレーラー)との連携も必要なく、さとり個人でアンロックできる。

 

 引き金を引けば弾丸が旋回し突き進む。ただの人間の力はそのままではアンノウンには届かない。しかし、幾度も強化を重ね、神の力も加えられ、その力は理に喰らいつく。

 コルウス・クロッキオの黒き身体に数発の銃弾が当たるのを見て、さとりは追撃を試みた。

 

「ギュルルッ!」

 

「っ!?」

 

 背後から聞こえた両生類の如き鳴き声に気を取られる。さとりが振り向いて目にしたのは、地霊殿の窓、極彩色に輝くステンドグラスの鏡面から飛び出してきた一体の怪物。カードデッキを持っていない彼女には、それの出現を感知する術はなかったのだ。

 窓を砕くわけでもなく、境界から現れた異形──赤と黒の毒々しい体色を持つ人型の怪物。イモリ型ミラーモンスター『ゲルニュート』は、巨大な十字手裏剣を振るいさとりを狙う。

 しかし、目を瞑ったその刹那に、さとりの身体を引き裂く痛みと衝撃は襲ってこなかった。

 

「あ、あなたは……たしか紅魔館の……?」

 

 目を開けた彼女がG3のオレンジ色の複眼越しに見たのは、蒼く瀟洒なメイド服。揺れる銀髪は美しく冴え、コルウス・クロッキオとゲルニュート。二体の怪物が静止している時の中においても凛とした振る舞いを見せる。

 紅魔館のメイド長、十六夜咲夜。彼女もまた、旧灼熱地獄に転移した真司や美鈴と同様、時空の歪みによって旧地獄へ転移させられていた。ただ、彼らとは少し座標の違うこの場に。

 

「その声、地底の(さとり)ね。今は話してる余裕はないから……(ここ)を見てくださる?」

 

 咲夜はすでに動き始めた時間の中で、背中合わせのままさとりに告げる。微かに上体だけで振り返って自らの胸を指で叩くと、メイド服の懐から取り出したナイトのデッキを虚空にかざし、己が正面に立つゲルニュートを蹴り飛ばした。

 右拳を左側に構え、ミラーモンスターたるゲルニュートを見据えながら戦う覚悟を決める。

 

「変身!」

 

 Vバックルに装填したナイトのデッキが起動し、咲夜の身体を幾重もの鏡像が包み込む。濃紺のスーツを纏い、騎士の甲冑を装い、仮面ライダーナイトとなった咲夜は、襲い来るゲルニュートの十字手裏剣にダークバイザーの刀身を打ち合わせた。

 背後では翼を羽ばたかせ、滑空するように突進してくるコルウス・クロッキオに対し、さとりがGM-01 スコーピオンの射撃で対抗している。しかし、やはりそれを止めるには威力が足りず。

 

「ぐぅっ……!」

 

 さとりが纏うG3システムは、アギトの世界において運用された初期のもの。旧式の機体では大した戦力にならず、アンノウンと戦うには些か不足。更なる発展形と言えるG3の強化型たる機体は、今はまださとりの元にはない。

 それでも鎧に宿る信仰と叡智は確かなもの。華奢で力ない妖怪のさとりとはいえ、G3の装甲でもってなんとかコルウス・クロッキオの突進を受け止め、損傷は回避できた。

 

『アドベント』

 

 ダークバイザーでゲルニュートを切り伏せた咲夜(ナイト)が見かね、デッキから取り出したカードを装填。無機質な電子音声に続いて鳴り響いたコウモリの鳴き声を聞き届けると、虚空より舞い降りたダークウイングの突進によってコルウス・クロッキオは吹き飛ばされる。

 

 体勢を立て直しながら礼を告げるさとり。体力のない彼女だが、G3のバッテリーに込められた神の力と人間の信仰により、そのエネルギーは無尽蔵に近い状態を維持している。

 重厚なパワードスーツとはいえ、電子制御により運用は容易。過度な消費によってエネルギーが枯渇しない限り、機体の動きが鈍ることはない。

 ゲルニュートとコルウス・クロッキオは立ち上がる。不気味なイモリとカラスの悪意は旧地獄に満ち、さとりと咲夜を狙う。二人はそれぞれ己が持ち得る最大の力を放つ覚悟を決めた。

 

「この一撃で決めさせてもらうわ!」

 

『ファイナルベント』

 

「……GG-02、アクティブ!」

 

 奇しくも隣り合う異形の二体を前にして、咲夜はダークバイザーにカードを装填。さとりは手元のGM-01 スコーピオンを右手に構えたまま、また別の武器を具現した。左手に現れたのは武器というより簡易的な構造の筒。漆黒のフレームに覆われたそれを、さとりはGM-01 スコーピオンの銃口に接続することで小型のグレネードランチャーと成す。

 完成したのは今あるG3の中で最も威力の高い『GG-02 サラマンダー』である。さとりはそれを構え、再び突進の構えを取ろうとしたコルウス・クロッキオに向けて引き金を引いた。

 

「グ……ギュ……ッ!!」

 

 直撃。しかし、高威力とはいえ、人類の技術では天使に届かず。爆炎は散れど、GG-02の一撃はコルウス・クロッキオの鋼の如き翼に防がれてしまった。

 GG-02 サラマンダーも度重なる強化を受けて一度はアンノウンを撃破しているはずだが、この幻想郷に蘇った彼らもまた強化を遂げている。加えて、今のG3システムは神の力で信仰と妖力を性能に変える幻想の鎧だ。ただ無心で撃ち放っただけではその真価は発揮されない。

 

「……っ」

 

「はぁあああっ!」

 

 空中にてダークウイングの翼を纏い、手元に現したウイングランサーを骨子として螺旋の闇に包まれた咲夜。コルウス・クロッキオを仕留めきれず、隙を晒したさとりを守るように、自身を暗夜の槍と成して旧地獄の空を突き進む。

 やがて螺旋はクロウロードたるコルウス・クロッキオの黒き翼を穿ち貫いた。ナイトが備え持つファイナルベント、飛翔斬によって、GG-02の一撃を受けていた天使は激しく爆散を遂げる。

 

「戦い慣れていない様子だけど……本当に大丈夫?」

 

「……ええ。お気遣いなく。それより、見れば見るほど不思議な怪物ですね」

 

 ダークウイングの翼を解いた咲夜が立ち上がる。さとりはゲルニュートを見て、仮面の下で眉をひそめた。

 言語化不可能な神の理を宿していたアンノウンとは異なり、こちらは野生動物に近しい原始的な精神を宿している。咲夜の心を読んで確かめた限り、ミラーワールドなる世界を自在に行き来するミラーモンスターという怪物であるようだ。

 咲夜が時間を止めた状態で戦わない理由も彼女の心を読んで理解できた。どうやら普段であれば無制限に使える時間操作の能力も、スペルカードルールに従った遊びの戦いならいざ知らず。命を奪い合う本気の戦闘においては精密な調整が難しく、長時間の維持が困難であるらしい。

 

「(GG-02 サラマンダーの残弾は2発……仕留め切れるかしら……)」

 

 さとりの思考は一瞬のもの。即座に襲いかかってきたゲルニュートの十字手裏剣を手にした銃器で防ぐ。そこへ咲夜がダークバイザーを切り込むが、怪物は軽やかに大地を蹴り、旧地獄の岩肌に張りついてしまった。

 天盤に向けてGG-02を構えるさとりであったが、ゲルニュートが薄紫色にぼんやりと灯る石桜の煌きに触れ、ミラーワールドの境界へと消えてしまったことに小さく舌打ちを零す。

 

「どこから襲って……きゃあっ!?」

 

 デッキを持たないさとりにはゲルニュートの気配を知覚できない。咲夜が感じた気配をさとりに伝える前に、さとりは足元に落ちていた小さな石桜の欠片から飛び出した粘着性の液体により左腕を絡め取られてしまい、石桜に映るゲルニュートに捕捉されてしまった。

 咲夜がダークバイザーを構え、その小さな石桜を鏡面としてミラーワールドへと踏み込もうとするも、すでにその鏡面にはゲルニュートの姿はなく。

 

「くっ……」

 

 背後から迫った十字手裏剣の一撃をダークバイザーで受け止める咲夜。時間を止めながら本気の戦闘を行うことは難しい。スペルカードルールに慣れてしまったことに加えて、今は身に馴染まぬ異世界の法則を用いて変身しているのだ。

 それはさとりも同じ。野生動物に等しい思考とはいえ、その心を読んで攻撃に対応することはできる。だが、馴染まぬ力を纏っているためか、やはり本気の戦闘をしているためか。

 咲夜の時を操る程度の能力も、さとりの心を読む程度の能力も、普段のようには使えない。

 

「キュルルアッ!」

 

 石桜の欠片から飛び出すゲルニュート。咲夜がその気配を掴んだ頃には、すでにその十字手裏剣の刃はさとりの眼前に。彼女の左腕は粘着性の液体で絡め取られて拘束されているが、その右手に構えられるはGG-02 サラマンダーというグレネードランチャー。

 しかし、いくらG3の装甲を纏っていようとも古明地さとりは非力な妖怪。GG-02ほどの威力を誇る武器を片腕が使えない状態で撃ち放てば、その反動は彼女の右腕を破壊しかねない。

 

「……ぐぅ!」

 

 G3の堅牢な頭部ユニットがなければさとりの小さな頭蓋は砕かれていただろう。逆袈裟懸けに振り上げられた十字手裏剣によって、G3の頭部ユニットを弾き飛ばされてしまったさとりは、額から微かに血を流しながら叩き伏せられてしまった。

 無機質な兜に覆われていたさとりの薄紫色の髪が地底の空気に晒される。渇いた音を立てて転がっていくG3の頭部を見やることもできず、さとりは見上げる異形に息を飲む。

 右手には未だGG-02がある。これを撃ち放てば、少なくとも怪物に対してダメージを与えられるだろう。しかし、やはりその大きな反動は無視しがたい。

 

 一瞬の逡巡は明確にさとりの隙を生んだ。振り下ろされる十字手裏剣を防ぐ暇もない。咄嗟に目を瞑り、目の前の相手に対して視界を閉ざすという愚行を犯すが──

 ──その瞬間。怪物の悲鳴と共に、激しい銃声と炸裂音が鳴り響き、瞼の先に閃光が迸った。

 

「グギャアッ!!」

 

 思わず目を開いたさとりは、吹き飛ばされるゲルニュートの姿を遠く見る。振り向いてみるが、ダークバイザーを構える咲夜(ナイト)も驚いている様子。

 彼女が撃ち放った弾幕ではないらしい。周囲にはそれほど強大な怨霊も動物たちも確認できず、お燐やお空がこの場所に来てくれたわけでもない。馴染まぬ力の中、紛れるように感じられたのは見知った妖力であったような。

 さとりはそのどこか馴染みあるような力に、ぼんやりと浮かび上がる幻影の如き姿を見た。

 

「こ、こいし……?」

 

 幻影はその存在を認識した瞬間からゆっくりとその形を表していく。虚ろだったそれは、さとりの記憶にある姿に色と形を伴っていき──やがてさとりの妹たる古明地こいしの姿となって彼女の視界に現れた。

 黒い帽子に黄色い衣服。緑色のスカートには花柄の模様。ただ、そこにはさとりの知らぬ歪な妖力。こいしの瞳には彼女のものではない紫電の光と、明確な『感情』の色が宿っていた。

 

「……お姉ちゃん虐めたの、お前?」

 

 やはりこいしらしからぬ紫色のメッシュを揺らしながら、帽子の下から怪物を睨みつける。その首を彩る小さな黒いヘッドホンからは絶えず軽快な音楽が漏れ響き、場違いな旋律に地底の空気を震わせるかのよう。

 ゲルニュートはその問いに答えない。怪物に対する問答にさとりも咲夜も意図を理解しかねるが、どうやらその意図は──()()()()()()()宿()()()にとっても大したものではなく。

 

「お前なんだ。……じゃあ、倒すけどいいよね? 答えは聞かないけど!」

 

 こいしはその手に紫色の光を灯す。淡い緑色の光と交じり合い、独特の色を帯びたそれは、さとりにとってよく知る古明地こいしの妖力。だが、その半分は彼女も知らない。知るはずがないものだ。こいしに憑依したイマジン、リュウタロスという存在のオーラから生じるフリーエネルギー。電王の世界の法則から成る未知のエネルギーである。

 リュウタロスが憑依したこいし──『Rこいし』は光弾を解き放った。無意識の中に入り込むその一撃は、ゲルニュートの目の前で消失したかと思うと、次の瞬間にはその体表で炸裂する。

 

「グギュギュギャアッ!?」

 

 ゲルニュートは不意に炸裂した光弾の直撃を受け、吹き飛ばされた。何が起こったのか分からず、キョロキョロと周囲を見渡している。先ほどまでは認識していた様子だが、光弾を受けた直後からこいしの姿を見失ったのだろう。

 さとりには見えている。こいしの無意識は誰にも認識されなくなるほど強大なもの。されど、彼女がこいしの姉であるからか。今のこいしが帯びる歪な力に気がつき、その存在を今なお捕捉することができていた。

 こいしの存在に宿る違和感のようなもの。明確な自我と感情を振りかざしているその在り方は、見た目こそ(こいし)そのものであっても、彼女らしさなど微塵も感じさせない。

 

「……ギュ……!」

 

 どうやらゲルニュートは彼女の姿を再び認識し始めた様子。同様に見失っていたであろう咲夜もその姿を認識していた。こいしの完全なる無意識が影響しているならば、さとり以外の者が彼女を認識するのは困難であるはずなのだが──

 ゆっくりと歩み寄るRこいしを脅威に感じたのか、ゲルニュートは反撃することなく背後に落ちていた石桜の破片に飛び込み。そのまま戦闘を放棄してミラーワールドへと消えていった。

 

「……あれ? どっか行っちゃった。ちぇ、つまんないの」

 

 退屈そうに小石を蹴り上げ、Rこいしは唇を尖らせるように言う。ゲルニュートが去ったことを確認すると、さとりは右の手の平に込めた妖力の熱で左腕を絡め取る粘着性の液体を焼き払い、左腕の自由を取り戻すことに成功した。

 さとりはそのままGバックルを操作して首から下に装うG3システムを解除。遠く離れた位置にあった頭部ユニット共々それらは消失し、腰に帯びたGバックルへと統合されていく。

 

「まったく、どうしていきなり旧地獄(こんなところ)まで飛ばされたのかしら……」

 

 咲夜も同様にナイトのデッキをVバックルから引き抜き、変身している姿を解く。さとりに手を差し伸べ、優しく「立てる?」と声をかけた瞬間。

 彼女は思わず差し出したその右手をすぐに引っ込めた。咄嗟に振り向いたその背後にて、渦巻く時空の歪みが渇いた旧地獄の空気に霧染めに濡れた夏の風を吹き込んだのだ。

 

「……っ、また……!」

 

 旧地獄の冷たい空気ごと、時空の歪みの近くにいた咲夜はその渦に巻き込まれる。抵抗する暇もなく、彼女は微かに見えた歪みの彼方、馴染み深い魔力を帯びる紅き館のもとへと吸い上げられ、地霊殿正門前から姿を消した。

 さとりの能力で一瞬だけ見えたのは咲夜の心中。彼女はその歪みを見た際、ここへ来たときのことを思い出していたらしい。どうやら、あの歪みの影響は、今この瞬間に初めて起きたわけではない。十六夜咲夜はあの時空の歪みを一度通り、紅魔館から地霊殿正門前に現れていたようだ。

 

「いったい何が……」

 

「お姉ちゃん! 会いたかったよ!」

 

 さとりの思考を寸断するように明るく朗らかな声が響く。その声は、さとりも馴染み深い妹の声。いつも明るく振る舞い、心を閉ざした自我なき感情。ただ無意識の発露でしかないはずのその楽しげな声に、さとりは明確な違和感を覚えていた。

 姉に会えて嬉しそうなこいしはさとりに近づく。似合わぬ紫色のメッシュを揺らし、首元のヘッドホンから軽快な音楽を鳴らしながら。

 

 ──違うのだ。確かにどこか虚ろに楽しそうな振る舞いはこいしに似ている。姿も声も古明地こいしとして見て間違いない。だが、姉であるさとりには分かってしまう。

 最愛の妹である彼女。古明地こいしは、その楽しそうな心の中に自我など宿していない。

 

「あなた、こいしじゃないわね」

 

 自分のもとへ駆け寄ってくるこいしに一言、牽制の意を込める。こいしはその言葉に一瞬驚いた様子で目を見開いた。彼女らしい空虚な妖力の中に、微かに(ほとばし)る紫色のオーラ。その瞳を染める同じ色の光。無意識の中に宿る違和感に、さとりは確かに向き合う。

 

 こいしの心は、さとりにすら読めはしない。読心の能力を厭い、心を閉ざした彼女には、思考と呼べるものは存在しない。何も考えていない者の心など読める道理がないのだ。

 本来ならばそのはずであった。だが、今はこいしの精神を染める無意識というノイズに混じり、何か別の者の心の波長が見えるような気がする。

 ──こいしの中に、()()がいる。ここが旧地獄であることを思えば、あるいは怨霊に憑依されたという可能性もあったが──怨霊でさえ、こいしの存在を認識することは難しいだろう。

 

「……見つかっちゃった」

 

 Rこいしはニヤリと口角を上げた。不敵な笑みでさとりを見るこいしの表情には、明確な意識と感情が見て取れる。見慣れた顔の見慣れぬ表情に、さとりは心を凍てつかせた。

 さらり、零れ落ちる白い砂。こいしの身から溢れたそれは、さとりの前で姿を形作っていく。

 

「僕、リュウタロスっていうんだ。……よろしくね、お姉ちゃん!」

 

 龍にも似た白い砂の塊は人型の上半身を地面から生やし、その頭上に浮かぶ下半身、やはり龍のそれらしき両脚を揺らす。

 どこか紫電を思わせる異形の怪物は、電王の世界の法則を由来とするイマジンだ。野上良太郎と行動を共にしていたリュウタロスなる存在である。彼もまた良太郎との繋がりに己が過去と記憶を手に入れ、完全体を得ていたのだが、やはり他のイマジンと同様、未契約体に戻っていた。

 

「なっ……え……?」

 

「あはは! お姉ちゃん、びっくりしてる! リュウタは私の友達なんだよー!」

 

 人体であれば上下を逆転させたと言える異形の姿、その白い砂に困惑するさとり。ただ揺れ動く砂の塊は龍の如き怪物を象り、肉体と呼べるものはないらしい。

 砂の中に精神だけが宿っている。在り方は幽霊や怨霊に似ているのだろうか。たしかにこいしの中にあった心はこの怪物──リュウタロスと名乗った存在で間違いないのだろう。しかし、彼にはこいしの肉体を奪おうとする悪意がないように見えた。

 

 リュウタロスが抜けたこいしは笑顔を見せる。さとりが知るいつも通りのこいしの在り方。ただ無我であり無意識であり、自分のやりたいことだけを実行する夢遊病の極致。

 奇しくもそれは過去と記憶を持たず、ただ今ある想いだけでやりたいことだけを楽しむかつてのリュウタロスと同じ。されど今のリュウタロスは違うはずだ。良太郎との繋がりを経て過去を得た彼は、子供らしくあれど確かに成長したはずである。

 ──さとりはそんなことを知る由もない。リュウタロスの過去についても。こいしの無意識なる精神に影響を受け、リュウタロスがかつての在り方へと戻ってしまっていることも。

 

 こいしの能力は『無意識を操る程度の能力』。それは他者の無意識にも介入することで、自分を認識させなくしたり他者の無自覚の行動を促すことができる力。その影響を受けてリュウタロスを己の無意識の行動に従わせたのだ。

 それもまた無意識。こいしが意図してリュウタロスの無意識を操ったわけではない。お互いに同調し、その在り方が重なったことで、こいしは無意識のまま無意識を操った。

 彼女の空虚な自我にはリュウタロスの強制憑依も通用しない。リュウタロスの楽観的で享楽的な在り方にはこいしの無意識がよく馴染む。二人はそれを理解しないまま、意気投合していた。

 

「やれやれ、まさかG4システムを奪われちゃうなんてね」

 

「無意識というのは恐ろしいものね。よもや神の目すらも欺いてみせるとは……」

 

 不意に満ちるは神々の霊力。冷たい冬の旧地獄に満たされた空気をも強張らせるように、そこに現れたのは洩矢諏訪子と八坂神奈子。山の神社に祀られし二柱の神だった。

 諏訪子はこいしを見ながら興味深そうな笑みを見せるが、神奈子はどこか感心したような表情で腕を組んでいた。さとりもこいしも彼女らの降臨に気がついた様子。どうやら神々にとって今、用があるのはこいしの方だけであるらしい。

 こいしはその言葉にきょとんとした顔になるが、すぐにそれが何を意味しているのか理解する。彼女にとっては『それ』を奪ったという自覚はなかったのだが──無意識下の行動で気がついたら手にしていたようだ。姉のさとりと()()()()()()()を懐から取り出し、神々に見せつける。

 

「えへへ、お姉ちゃんとお揃いなんだー! このベルト、G4システムっていうの?」

 

 その手に在るはさとりのものと同型である機械仕掛けの腰帯。名も等しくGバックルと呼ばれるバッテリーメーターだった。これもまた、アギトの世界においてG3システムと同様に開発された対未確認生命体戦闘用強化外骨格及び強化外筋システム。

 第三世代たるG3の後継機として設計され、禁断の兵器とされた『第四世代(GENERATION-4)』である。

 

 その名は『G4システム』。警視庁のとある天才科学者によって考案・設計されたものの、人体の限界を無視し、強引な挙動でもって装着者に過度な負担をかけ、やがては死に至らしめてしまう悪魔のテクノロジー。設計者は自らその過ちを悔い、開発に着手することなく設計図を封印したはずなのだが──

 それを盗み出し、開発に踏み込んだのは陸上自衛隊だった。研究されていた超能力者との接続機構をも完成させてしまい、存在してはならない兵器、G4システムは自衛隊の手で運用された。

 

「まったく、G4の管理は神奈子の仕事でしょ? しっかりしてよね」

 

「返す言葉もないわね。でも、G4チップがなければ、あのシステムは動かない」

 

 さとりへと与えられたG3システムの管理を担当していた諏訪子が神奈子を叱責する。神奈子はたしかに守矢神社にてG4システムを厳重に管理していたのだが、どうやら気づかぬうちに地上に進出していた古明地こいしに侵入され、持ち出されてしまっていたらしい。

 本来ならば神の知覚によって、心を閉ざした覚妖怪の発見など容易。如何に誰にも見つからない無意識の存在とはいえ、物理的な存在である彼女は電磁波などのセンサーには反応するし、結界に踏み込めば自動的に感知される。

 それすらすり抜け、神の目を欺くことができたのは、神奈子が龍騎の世界の法則を由来とするカードデッキを手にして以来、その神格に流れ込んだ()()()()()()の記憶のためか。神の在り方にさえ影響を及ぼす()()()()()()()()()に、微かに囚われていたのか。

 

 自らの失態を悔いる間もなく、神奈子はただのバッテリーメーターでしかないはずの腰帯を腰に巻きつけながら楽しそうに舞い踊るこいしを見やった。

 あのベルトも神奈子と諏訪子の干渉によって、そのシステム全体をGバックルに統合。今のG3システムと同様、ベルト単体でG4システムを装着することができる。しかし、その起動には別途G4システムの制御AIたるプログラムを記録した『G4チップ』が必要となるのだが──

 

「G4チップ? もしかして、これのこと?」

 

 無機質で機械的。退廃的な死の想念を纏う呪いのベルトを腰に巻いたこいし。彼女はその無骨な腰帯に似つかぬ可憐な服から、一枚の小さな記録媒体を取り出した。

 透明なケースに込められたそのチップには、G4の文字と開発元の紋章が刻まれている。

 

「……諏訪子。どういうことかしら?」

 

「あーうー。私もやられちゃってたみたい。いやー、参ったね」

 

 装着者の脳神経とG4システムのAIをダイレクトリンクさせるプログラム。本来はG3の強化のために構築されたものだが、神奈子はそれにG4システムの根幹となるプログラムを移動させ、万が一G4が奪われた際の保険として残していたはずだった。

 諏訪子が管理していたはずのG4チップまでもが奪われていることに、神奈子は怪訝な目つきで彼女を見る。自身もGバックルを奪われている以上強く責めることはできないが、これではG4は完全な状態で運用されてしまう。

 

 妖怪がそれを装着した場合の負荷は未知数。あの兵器はAIの意思だけが主体。たとえ装着者が死んだとしても、G4は中の死体を無理やり動かして戦闘を続行する。フレームの中に脳と神経を持つ肉の塊が詰まっていれば、その生死は問わない。

 人間には不可能なのだ。常に最適化された挙動を強い続け、思考さえも許さぬほどの精密な動きを求め続け、ただ淡々と機械的な処理を行うAIの動きに追従するだけの無我に至ることなど。

 

「とにかくあれを取り戻すわよ。あれは人間には過ぎたシステム。無論、妖怪にもね」

 

「わかってるって。そのためにG4の反応を追って旧地獄(ここ)まで来たんだから」

 

 神奈子と諏訪子は真剣な表情で懐からカードデッキを取り出し、それぞれ左手で持って正面へとかざす。ミラーワールドと現実世界の融和が進行しつつある今の幻想郷において、鏡を必要とせず、彼女らの腰にはVバックルが装備された。

 神奈子のものは雄大な角を左右に伸ばしたバッファローのレリーフを持つ、深い緑色のデッキ。諏訪子のものは左右に大きな目を持ち、舌を伸ばしたカメレオンのレリーフを持つ明るい黄緑色のデッキ。

 左手のデッキを左腰に滑らせ、右腕の拳と入れ替え回すように構える神奈子は、右拳の甲を正面に向けた雄々しきポーズで。同じく左手のデッキを左腰へ持っていき、右手を右から左へと流しながら、その右手の指をパチンと弾き鳴らした諏訪子は、左に置いた右手を下ろさぬまま。

 

「「変身!」」

 

 それぞれ同時に右手を下ろすと共に、左手のデッキをVバックルに装填する。神奈子と諏訪子は幾重もの鏡像に包まれ──神崎士郎が開発したスーツを纏った。

 神奈子が纏うは機械的なバッファローの如き騎士。深い緑色の強化スーツを覆う鎧は鈍色の重厚さを呈し、複眼の存在しない頭部は歯車やキャタピラなど、メカニカルな印象を感じさせる。その姿、軍神たる神奈子に相応しき『ゾルダ』は、まさに軍事兵器めいた風貌だった。

 

 諏訪子が纏うは黒い強化スーツに鮮やかな黄緑色の装甲を纏ったカメレオンの如き騎士。その両肩は左右に突き出したカメレオンの角や尻尾を表しているのか。その全身に配された赤い意匠は、獲物を捕らえる長い舌を表しているのか。

 やはりカメレオンらしき巨大な両目は複眼にあらず。丸みを帯びたそれは大きく張り、左右それぞれに放射状のスリットがある。諏訪子は己が『ベルデ』の姿に、(カエル)らしさを抱くことなく。

 

「もしかして、私と遊んでくれるの? やったー! リュウタ、戻ってきていいよー!」

 

 閉じた第三の眼を揺らし、こいしは左右に伸ばした両腕を正面に向ける。変わらず楽しげに振る舞うリュウタロスもまた戦意を向ける神奈子(ゾルダ)諏訪子(ベルデ)に対して右目の前でピースをしてみせると、砂の身を崩し、紫色の光球となってこいしの身体に吸い込まれた。

 こいしの瞳に浮かび上がるは紫色の光。だがすぐにそれは消え失せ、元の緑色の瞳が戻る。リュウタロスはこいしの精神の深層領域に滑り落ち、彼女の無意識に主導権を奪われたのだ。

 

「(……やっぱり強制憑依できないや。こいしちゃんって、自我が強いなぁ)」

 

「逆だよー。私には自我なんてないもーん。憑依してもしがみつけないんじゃない?」

 

 傍目から見れば独り言。内なるリュウタロスの呟きに返したこいしは、特異点であろうとも抗い難いほどの憑依力を持つリュウタロスの憑依すら意に返さない。

 自我や意識を持たぬ彼女は、無意識こそが意識の主体。心の中にぽっかりと開いた虚無の空洞には、こいし自身があえて身を委ねない限り、イマジンの居場所すら存在しなかった。

 

 こいしは手にした透明のケースからG4チップを抜き取ると、Gバックルから伝う何者かの想念。死を背負う男の記憶から得た情報で、それをGバックルに接続する。やがてG4システムがそれを認識した瞬間、Gバックルのシグナルが力強く点灯した。

 同じくGバックルを帯びるさとりは息を飲む。自身が用いるものとは同じ見た目であれど別物。さとりが帯びるは生を背負う者の意地。こいしが帯びるは、死を背負う者の──冷たい覚悟。

 

「G4システム、装着」

 

 カラカラと廻る回転覗き絵(ゾートロープ)めいた記憶。一枚一枚を瞬く間に切り替えるそれは、こいしの無我の中で触れられることもなく静かに動き始める。

 彼女の身には強化スーツと共に黒く無機質な装甲が纏われていった。走る鈍色と黄色はそのシステムの危険性を示すのか。G3よりも重く堅牢な鎧、その左肩に刻まれるはG4の文字。こいしはGバックルのメーターに赤い光が灯るのを見届けることもなく。

 

 手元に現れた頭部ユニット。どこか冷たい死の色に濡れた青い複眼と向き合って、その兜を己が頭部へと装着する。後頭部で接続されたそれは、こいしの空虚な笑顔を無機質な機械で覆い隠し。オートフィットしたG4のスーツを纏った無我の申し子、こいしと一つとなったのだ。

 

「こいし……」

 

 生身のさとりが憂う。さとりは自身に与えられたGバックルに触れて以来、本来のG3システムの装着者の記憶が流れ込んできていた。アギトの力を持たずしてアンノウンに抗い続けた『ただの人間』の記憶。あるいは別の因果であればG4の恐ろしさを知っていただろう。

 しかし、今のさとりにあるのはG4システムが完成に至ることのなかった世界線、自衛隊がG4の設計図を持ち出すことのなかった因果におけるアギトの世界の記憶。本来のG3装着者であれ、G4システムがどのような兵器なのかを知る由もない。

 それでも伝わってくる退廃的な死の想念。こいしが纏う黒き鎧が帯びる深い悲しみ。あの兵器が自らの纏うG3のような希望の象徴ではないことはさとりにも理解できた。

 

 こいしはG4の感触を確かめるように右手を握り、開く。やがてこいしの無我なる思考に伝わるG4システムの制御AIは、目の前に立つ二体の騎士を認識した。

 アギトの世界にて開発されたG4にはゾルダとベルデという鏡の騎士の情報はない。神崎士郎が造り上げた龍騎の世界の仮面ライダー、それらを正体不明(アンノウン)として識別する。こいしはAIの動きに逆らうことなく、ただ無我のまま身を委ねた。

 右大腿部に装備された短機関銃(サブマシンガン)──G3のものと同型である『GM-01改四式』を右手に取ると、こいしは何も考えずに、余計な思考も動きも一切なく、その重い引き金を力強く引く。

 

「……っ! 躊躇なしか……!」

 

 神奈子は機動力の足りぬゾルダの身で何とか回避する。ゾルダのスーツに馴染んでいなければ、その重さに足を取られていたかもしれない。G4の挙動に思わず悪態を吐くものの、その在り方は最初から分かっていた。

 諏訪子もまた横に転んで回避。重い装甲を持つゾルダと違い、軽やかなベルデがGM-01改四式の射線から逃れること自体は容易であったが、少ない装甲では直撃のダメージは致命的だろう。

 

「あれ? 私、いま撃っちゃってたの? なんだか身体が勝手に動いちゃったみたい」

 

 相変わらずこいしの思考は空っぽのままだ。その空っぽの精神に、G4というAIの完全にして最適化された挙動が叩き込まれる。装着者はただ何も考えずにG4の動きに従い、思考さえ許さぬ絶対の動きに順応するしかない。

 少しでも逆らえば、少しでも余計な思考をすれば。G4は装着者の意思を無視して最適な挙動を強制的に実行し、甚大な負荷によって筋繊維や脳神経を破壊するだろう。

 

 だが、古明地こいしに限っては。そのようなことは一切なかった。彼女には余計な思考を馳せる自我などない。何もない空っぽの精神に付随するだけの肉体はこいしの意思によって動くものではない。故に、本来ならば同調不可能なG4に、ほぼ完全な形で同調することができているのだ。

 

「何も考えてない無我の妖怪と、完璧な計算で動くAI兵器。最高の相性だねぇ」

 

「……こっちとしては最悪だけどね。あのAIに同調できる奴なんて、彼女くらいかしら」

 

 諏訪子は左の太ももに巻きついた黄緑色のカメレオン型召喚機『バイオバイザー』の口から飛び出た赤い舌を掴み、伸ばし上げる。神奈子はVバックルの右腰、ジペット・スレッドに装備された中型拳銃型の召喚機『マグナバイザー』を手に取った。

 そうしている間にもGM-01改四式の銃口は絶えず神奈子たちを追いかけてくる。神の眼でもって反応し、その引き金が引かれるよりも先に射線から外れていなければ大ダメージは免れない。

 

「おもしろーい! 何もしてないのに、身体が勝手に動く! (らく)ちーん!」

 

 明るく楽しげに振る舞うこいしの声とは裏腹に、G4は冷ややかに精密に、完璧に計算され最適化された挙動で神奈子にGM-01改四式の銃口を向ける。神奈子が僅かな隙を見つけてマグナバイザーの引き金を引くも、G4は即座に対応し、堅牢な装甲で防いでしまう。

 ゾルダが持つアドベントカードには高威力のものもある。それこそ、爆撃に等しい砲撃を行うことも可能だ。だが、不用意な破壊力はこの旧地獄の天盤崩落にも繋がりかねない。こちらも精密な調整を行えれば威力を抑えることもできるが──

 

 常に最適な挙動でこちらを排除しにかかるG4を相手にして、そんな悠長な真似が許されるとも思えない。ならばせめて、少しでも時間を稼ぐことで機を見出すまで。

 神奈子はちらりと諏訪子を見やると、マグナバイザーの上部スライドを引き、マガジン部分のカードスロットを露出させる。デッキからカードを抜き、基底(そこ)に入れてはマガジンを閉じた。

 

『ガードベント』

 

 己が足元から鏡像を超えるが如く現れるは、屈強な鋼の盾だった。その大きさこそゾルダ自身の半分程度だが、厚みを持つ鋼の盾を軽々と持ち上げ、身を守る壁として構えた神奈子は、それから襲い来るGM-01改四式の凄まじい連射をそれだけで凌ぎ切る。

 アンノウンにさえ致命傷を与えるほどの威力の銃弾をこれだけ受けても、ゾルダのガードベントたる『ギガアーマー』にはほとんど傷もなかった。

 射撃は無意味だと悟ったのか。あるいは込められた信仰と装着者の妖力を残弾に変換する神の機能でも追いつかぬほど消耗が激しいのか。G4は手元の銃を大腿部に戻して接近してくる。

 

「神奈子! 悪いけど、しばらくそいつの相手を頼んだよ!」

 

 バイオバイザーの舌を伸ばした諏訪子は右手でデッキからカードを抜くと、左手に持ったバイオバイザーの舌、クリップ状になったその先端にカードを挟み込む。そのまま手を離せば、カードは自動的に縮みゆく舌に取り込まれ、バイオバイザー本体の中に装填されていった。

 

『アドベント』

 

 無機質な電子音声を聞き届けた諏訪子(ベルデ)は旧地獄の天盤を見上げる。迫り出した岩場には、石桜の破片が刺さっている。その煌きを境界としたのか、そこにはさっきまでいなかったはずの不可視の幻影が浮かび上がっていた。

 緑色の体色を伴って現れたのは、自らの体色を操ることで姿を消すことができる怪物。ベルデと契約しているカメレオン型ミラーモンスター『バイオグリーザ』であった。

 

 大きく張り出した両目と全身に配された赤い舌の意匠は主人(ベルデ)と同じ。よく似た姿のモンスターが傍らに降り立ったことを確認した上で、諏訪子は命令する。

 バイオグリーザは小さく頷き、生身のまま立ち竦むさとりを抱き抱えて高く跳躍を遂げた。

 

「……っ!?」

 

「安心していいよ。そいつは私の契約モンスターだから」

 

 額から流れる血を左手で押さえるさとり。ゲルニュートとの戦闘で傷ついた額の痛みが、同じく無機質で作り物じみた印象を受ける鏡像の怪物(ミラーモンスター)に本能的な恐怖を抱かせる。

 それを使役しているであろう黄緑色の騎士は言った。この怪物は敵ではないのだと。さとりも自身にGバックルを与えた諏訪子が変身する瞬間を見ている。神という存在がどれだけ信用できるか分からないが、少なくとも今の彼女に悪意はない。

 

 かつて自身のペットであるお空に無断で八咫烏の力を与えたことに関して、さとりはそれもまた旧地獄や幻想郷のためであると黙認した。八坂神奈子が語るエネルギー革命とやらに興味はなかったのだが、お空に与えられた能力で灼熱地獄跡の炎が再燃し、破棄された旧地獄に光が戻ったのも事実。

 あの二柱に対する心境は複雑だ。彼女らが幻想郷の未来を考えているのは理解している。自身を守るように立つバイオグリーザには野性的な本能は感じられない。自身もダメージによって激しい戦闘は行えそうにないため──今は守矢の二柱を信用して戦いを見守ることしかできなかった。

 

「悪いことは言わない。早くその(スーツ)を解きなさい。G4(それ)を使い続ければ、いつかは──」

 

 神奈子(ゾルダ)こいし(G4)の接近に伴いマグナバイザーを下ろしている。右腰のジペット・スレッドに戻すのではなく、あえてそれを打撃武器としても活用することで、驚異的な射撃性能で追いつめてくるG4の懐に潜り込んだのだ。

 漆黒の鎧を纏うこいしはただ脱力してG4に動かされているわけではない。こいし自身がG4のAIと脳神経を直結させられ、その電気信号によって脳からの命令で四肢を動かしている。そこにこいしの無意識的な行動によるAIへの追従が加わり──

 

 何も意識せず完璧な動きを可能とするG4。神奈子の警告も意に介さず、ただこいしは無意識に身を委ねたG4の動きに心地良さすらも感じている。ゾルダの近接格闘さえも凌ぎ、G4は既知のAIに陸上自衛隊の格闘術をも組み込んだ挙動による一撃で神奈子を殴り飛ばしてしまった。

 

「(こいしちゃんばっかりずるーい! 僕にもそれやらせてよ!)」

 

「んー? いいよー!」

 

 こいしは空虚な無意識の中に響いた内なる声に答える。リュウタロスはこいしの心の中が絶えず空っぽであることにすっかり慣れてしまったのか、あるべき意識を押し退けて強制的に憑依するのではなく、こいしに主導権を譲ってもらう形でその意識を表出させた。

 G4の青い複眼に一瞬だけ灯された紫色の光を見て、神奈子はゾルダとしての仮面の下で冷静に思考する。もしG4の挙動がこいし特有の無我による順応であれば。G3を、G4を設計した天才科学者が構築した『人間を超えた領域(AI)』に従うことができるのが、その無意識ならば──

 

「へへっ! 今度は僕が──」

 

 RこいしはG4として顔を上げる。右大腿部に装備されたGM-01改四式を再び手に取ろうと、リュウタロスの意思で右腕をそのグリップに近づけた。

 一瞬だけ生じた微かなタイムラグを見逃す神奈子ではない。すぐさま右手に持ったままのマグナバイザーを前方に構えていつでもG4を撃てるように引き金に指を乗せる。

 どのような動きを見せるのか。神奈子がその動向を見極めようとしたときのことだった。

 

「……っ!? ぐっ……ああ……っ!? うぁああっ……!?」

 

 ──その瞬間、G4の背部から不意に激しい火花が散り始める。肩部からは排熱のための白煙を噴き出し、こいしの声で響くリュウタロスの絶叫に思わず神奈子は銃を下ろした。

 G4は明らかに正常な挙動をしていない。自身にかかる凄まじい負荷に頭を押さえようとするものの、その動きはすぐに矯正され顔を上げると、神奈子に接近しようと右脚を前に出すのだが、苦しむ上半身の姿勢制御のためにすぐ左脚の位置が矯正され、それに応じて右脚も姿勢制御のために位置を変えた。

 

 標的である神奈子を排除すべく動くAIの意思。思考と動きを無理やり矯正し、その負荷に伴う苦痛によってそれどころではない装着者の意思。それぞれが相反し、どちらも実行できぬままただ無為に装着者の体力とG4システムのエネルギーが消費される。

 かつて、アギトの世界──第二の楔である津上翔一を招いた因果とはまた別の並行世界。そこで起きた悲劇と同じ。G4の装着者に、余計な思考は必要ない。AIが機能している最中に不用意な行動を取れば、システムは装着者に牙を剥き──『ただ肉の部品(パーツ)であれ』と負荷を強いるのだ。

 

「(な、何これ!? リュウタ! いったい何したのー!?)」

 

「……わかんない……っ! 身体が全然動かな……!! うわぁっ!?」

 

 過剰な駆動音を鳴らしながら装着者を無理やり動かすG4。その鎧に宿るはこいしの肉体だが、感覚を共有しているリュウタロスはG4の動きについていくことができず、予期せぬ方へ強制的に身体を動かされ、凄まじい負荷に苛まれている。

 リュウタロスにはG4のAIに順応するだけの無我の境地など初めから無かった。ただ無邪気に子供らしく、こいしの無垢さに同調していただけ。楽観的な『楽しさ』という自我はAIにとって邪魔な思考でしかない。

 G4とダイレクトリンクした脳の信号が自動的に機体の動きと同調する。先ほどまではこいしの無意識で順応できていた動きだが、リュウタロスには到底馴染めない。

 動く度に悲鳴を上げる身体。過度な負荷に関節が外れかけるも、G4はそれを考慮しない。

 

「こいしっ!」

 

 明らかに異常をきたしている様子のこいし(G4)に声を上げるさとり。バイオグリーザの傍を抜けて、傷ついた身体でふらふらと近づこうとするも、G4の危険性をよく知る神奈子はさとりをこいしに近づけまいとしてマグナバイザーの引き金を引いた。足元を掠める実弾の弾痕に後退り、さとりは神奈子を見る。

 小さく首を左右に振り、彼女の行動を制止。あれに近づけば命はない。あそこに古明地こいしの意思はなく、ただAIの動きに翻弄されているだけ。

 もっとも古明地こいしには元より大した意思などないのだろうが──完全な制御下にないG4はあまりに危険である。装着者のバイタルが正常ではない状態で誰かが近づけば、朦朧とした意識で見たものを敵と誤認した装着者の意思を認識し、AIは自動的に攻撃を仕掛けるだろう。

 

「「うぁぁああああっ!!」」

 

 こいしとリュウタロスの叫びが、彼女の中で重なる。周囲に聞こえているのはこいしの声だけ。だが、その声に乗せられているのはいったいどちらの痛みなのだろうか。

 完全で精密な動きが鈍りつつあるのを見て、諏訪子はバイオバイザーにカードを装填した。

 

『ホールドベント』

 

 ベルデの手元に現れるはバイオグリーザの眼球を模した放射模様の小さな玉。出っ張った円盤に近い掌大のそれを左手で掴むと、諏訪子は左腕を伸ばすようにしてそれを投げつける。

 手放しても繋がったまま。ヨーヨーのように伸びるワイヤーを伴う指輪が諏訪子(ベルデ)の中指に結び付けられた状態で、中距離武器として用いられる『バイオワインダー』は突き進む。この指輪と糸、そして先端にある楕円体(だえんたい)すべてが、ベルデの武器であるのだ。

 

 バイオワインダーはホールドベントの名の通り、円盤の重さを利用してG4の周囲を取り囲んでいく。強靭なワイヤーが全身に絡みつき、こいし(G4)はその身を拘束された。

 圧倒的なパワーに千切れそうになるワイヤー。諏訪子は何とかその動きを抑制して叫ぶ。

 

「神奈子! 今だ!」

 

 手にしていたマグナバイザーを右腰に戻し、神奈子は駆け出した。重厚なゾルダの身においてもその動きに遅れはなく。常日頃から神々しき注連縄や御柱を背負い奉る軍神の力は、兵器というものの重さをよく理解している。

 G4の冷ややかに青い複眼が接近する神奈子(ゾルダ)を認識した。その右腕の拳は彼女へと振り抜かれ、バイオワインダーの拘束を引き千切る。だが、諏訪子による拘束によってその動きには僅かな隙が生じていたのだろう。神奈子はその一撃を何とか寸前で回避し──

 

 懐に接近し、神奈子はGバックルの内側にある緊急離脱スイッチを押下する。装着者、あるいは神の力を帯びた者の手でしか起動できぬそれは確かにその信号を認識した。

 黒く重厚な装甲(スーツ)はそのまま消失。残されたのは、Gバックルを腰に巻いたRこいしだけだ。

 

「……うぁ……ぁあ……」

 

 過負荷によって甚大なダメージを負ったこいしが姿を現す。白い煙と火花を伴い、こいしはその場に倒れてしまった。

 紫色の瞳はすでにこいしらしい緑色の瞳に戻っている。ゆっくりと開かれ、朧気な視界の中で自身を見下ろす神奈子と諏訪子の顔を確認するも、まずは内なる友の存在に意識を向け。

 

「……()たた……リュウタ……大丈夫……?」

 

「(ご……ごめん……! 僕、何かしちゃったのかも……!)」

 

「どうして急に変になったんだろー……あんなに簡単に動かせたのに……」

 

 こいしはG4を操ることに何の意識もない。ただ無意識のままに空虚に在り続けていただけ。リュウタロスの自我には到底不可能であったそれを、こいしはただ、いつも通りで居続けるだけで容易に制御していた。

 倒れ伏した状態から起き上がろうとする。左腕を地面に立てるがそれは支えにならず、こいしの体重に耐え切れずにぱたりと地面に倒れてしまう。こいしはそれを他人事のように見ていた。

 

「あれー……? あらら……腕が動かなくなっちゃったみたい……」

 

 無茶な動きに順応し切れなかったこいしの肉体は見た目こそ傷がなくとも、神経や関節、骨や内臓などに甚大なダメージを負ってしまっている。動かそうとした方向とは逆に無理やり動かされた左腕の感覚はすっかり消えてしまっていた。

 痛みはあるのか、悲しみはあるのか。こいしはそれを残念そうな表情で眺め、ごろんと仰向けになる。

 こいしがリュウタロスの意識を表出させず、自身でG4を操っていたときも負荷はあったのだ。ただ、無意識によって完璧に順応できていたうえに、こいし自身の無意識と無自覚によって負荷に気づけなかっただけ。こいしの知らぬ間に、その身は確かにG4に苛まれていた。

 

「G4を返してもらうわよ。そのシステムの危険性は、身に染みて理解できたはず──」

 

 神奈子(ゾルダ)がこいしのGバックルに手を伸ばす。こいしは何を考えているのか。神奈子の顔をじっと見つめ、ただ抵抗もせずに仰向けに横たわっていた。

 きっと何も考えていないのだろう。心の中にリュウタロスを宿したまま、こいしは再び無意識の中に消えていく。神奈子と諏訪子の目をもってしても認識できぬ、空虚な意識の外側へと。

 

「ありゃ、また見失っちゃったか……まぁいいや。G4の反応は追えるしね」

 

 G4が装着を解除した時点で諏訪子(ベルデ)のバイオワインダーは解かれていた。その手にバイオワインダーの指輪がある以上、装備されていることは変わりなく、彼女の意思次第で再びそれを具現し、射出することは可能である。

 すでに誰の視界にも映らなくなってしまったこいしの姿を探るも、こいしを認識することはできない。何者かの気配が残っていることは分かるのだが──地底の妖気に紛れてしまっていた。

 

「いったい、こいしに何が起きて──」

 

 諏訪子の指示によってミラーワールドへと戻っていくバイオグリーザ。その消失を見届けると、さとりは神奈子と諏訪子に問いを投げようとする。

 その言葉が最後まで紡がれることはなく。さとりは不意に全身を襲った寒気と、凄まじい怨念の奔流に思わず口元を押さえた。怨霊の心を読んだときにも近い不快感。額から流れる血を押さえることもできないほど、今すぐに吐き戻しそうになるほどの、おぞましい感覚。

 

 こんな不気味な想念は旧地獄の怨霊にすらない。肌に伝う感覚はお空やお燐の放っていた輝きに近いものの、どこか神々しさのあったあの光とは比較にならない、呪われた闇を感じさせる。

 

「…………っ!?」

 

 顔を上げたさとりが目にしたのは、絶えず底知れぬ怨嗟を放ち続ける妖怪の姿。元より在るべき彼女らしい『嫉妬』の感情を無作為に撒き散らすは、橋姫たる水橋パルスィであった。

 その様子は尋常なものではない。何者かの想念に強い影響を受け、自身の在り方を曖昧にしてしまっているのか。彼女の緑色の眼は、普段の万物に対する嫉妬に加えて、ある特定の一つに対する強い妄執の意思を湛えている。

 

 剥き出しの嫉妬心と歪んだ妄執の想念がさとりの第三の眼を通じて流れ込む。怨霊の憎悪を直接流し込まれるような不快感に苛まれるが、さとりは吐き気に耐え切った。

 全身をビリビリと震わせる波動は、やはりお空やお燐、翔一が有していた神の光(オルタフォース)と同じ──

 

「やれやれ、今度は橋姫か……G4の想念に影響されちゃったかな」

 

「どうやら旧地獄の怨霊たちにも影響を受けているみたい。我々で対処するしかないわね」

 

 パルスィは地霊殿とは反対方向、旧都より歩いてきてはその歩みを止めた。冷静に言う諏訪子と神奈子は変身を解かぬまま、目に見えるほどの嫉妬に渦巻き、何者かの想念に苛まれている様子の彼女に向き合う。

 神奈子は再び右腰のマグナバイザーを手に取った。諏訪子は左手に装備されたままのバイオワインダー、その指輪から強靭なワイヤーを伴う円盤状の球体、ヨーヨー型の本体を出現させる。

 

「…………」

 

 緑色の瞳で地霊殿を見るパルスィ。嫉妬を込めたその一瞥の後、彼女は神奈子と諏訪子に向き直っては両の拳を握りしめ。

 手の甲を正面に向け、両腕を左右に広げると、そのまま腰の前で交差させるように両腕を下ろす独特の構えを取る。彼女の内に満ちたオルタフォースは、その腰にベルトを具現した。

 

 アギトのオルタリングにも、ギルスのメタファクターにも近しいような、神々しさと禍々しさを両立させたもの。くすんだ鈍色は瞼の如く、さながらさとりが生まれ持つ第三の眼の如く。

 賢者の石を秘めし『アンクポイント』と呼ばれるベルトは、不気味な真紅の眼球を見開いた。

 

「変身……!」

 

 パルスィの重く呪いを込めた一言で、腰のベルトに緑色の怨嗟が灯る。やがて一瞬のうちに解き放たれた神の光(オルタフォース)により、その身は歪に変異していく。

 黒く生物的な強化皮膚(ミューテートスキン)に加え、緑色に剥き出す外骨格。どことなくアギトらしき龍の様相をも感じさせるが、ギルスにも似た生々しい生物感、その境界を思わせる異形。胸部に鈍く輝くワイズマン・モノリスによってアギトの力こそ制御できてはいるようだが──

 赤い複眼は小さく、突き出す角はクロスホーンではなく、常に展開された形。枝のように乱雑に突き伸びた『アギトホーン』を掲げて、パルスィは下ろした両腕を再びゆっくりと構える。

 

「あれは……津上さんやお空が変身したのと同じ……? アギトなの……?」

 

 さとりにとってその姿は翔一やお空が至ったアギトと相違ないが、滲み出す歪んだ想念はノイズ混じりの濁流。力強く食い縛るような歯牙に、背中に抱く昆虫めいた異形の翼。その差異はどうしようもなく従来のアギトをアンノウンじみた存在に誤認させた。

 万物を等しく睥睨する神の眼には映る。心の在り様に左右されぬアギトの真の姿が。パルスィが至りし姿は、アギトとしては正しく覚醒していた。だが、その歪んだ心、嫉妬の奔流に加えられた()()()()()()の記憶、怨嗟が入り混じり──

 ギルスのように不完全な覚醒を遂げたわけではない。正しく覚醒し、完成した上で在り方を歪められたアギトは、黄金と白銀を湛えた光ある姿には至らず。汚濁に染んだ妄執に支配され、翔一やお空の至ったアギトとは異なる進化を遂げた『別の可能性のアギト』へと分岐して。

 

 光なき地殻の下の嫉妬心。翔一が魔化魍ヤマビコとの戦闘でアギトの力を含む光を跳ね返された際、その光の直撃を受けたパルスィはアギトの力を獲得していたのだ。ただ深層に眠るだけであったその力は、パルスィの嫉妬心と呼応してしまった。

 自分が選ばれし鬼ではないという劣等感か。奇しくも手にしたアギトの力との共鳴か。その力はパルスィにとある男の記憶を宿し。

 本来在るべきアギトとは別の形で進化を遂げて、正しく完成してしまった姿。津上翔一や霊烏路空の光ある姿とはまた別の──言わば『アナザーアギト』とでも呼ぶべき存在となっていた。

 

「……アギトは……私一人でいい……!」

 

 爛々(らんらん)と輝く真紅の複眼にぼんやりと緑色の光が灯る。すぐに赤へと戻り、アナザーアギトは己が思考を染める想念、本能。熱くなる心のまま、自らの嫉妬心に従う。

 その目的は自分以外のアギトの根絶。ただ自分だけがアギトで在ればいいという願い。脅迫的な正義感と使命感に駆られた、独善的な妄執であった。

 何かを訴えるように疼く右腕さえ気にせず、パルスィは全身にオルタフォースを滾らせていく。迸る嫉妬心のまま、ただ魂に湧き上がる本能と記憶、光なき衝動に突き動かされた。

 

 動き始める未来の可能性に、虚ろに褪せた意思。混ぜこぜになった感情に身をやつして──




アギトと龍騎といえばミラクルワールドを思い出す。ライドシューターないよ……(いつもない)

次回、EPISODE 62『極光』
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