東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm. 作:時間ネコ
十番目の世界。それは九つの世界を一つに集約し、歴史の特異点となった場所である。ここには今の幻想郷と同様に、これまで物語として刻まれてきた九つの法則があった。
それは絶えず流れ移ろう。まるで世界そのものが遍く世界の帳を、旅しているかのように。
「……いよいよか」
喪服めいた漆黒の装い。憂いを帯びた表情を蜘蛛の巣めいたベールで覆った女性は、旋律を紡ぐかのような美声で小さく呟いた。
1999年、カブトの世界に舞い降りた高位のワーム。その細胞は自身が選んだとある人間──
彼女はその擬態を一時的に解く。現れた真の姿は成虫体のワーム。かつて擬態元の記憶と人格に自我を塗り潰されていたとき。自分でもある彼女が愛した男によって殺された、真っ白な美しさを湛えた甲殻類の遺伝子。
地球の蟹の一種、シオマネキに似た『ウカワーム』としての身を晒して、擬態
「この計画が完遂されれば、俺たちの目的に一気に近づく」
低く雄々しい声で返すのは異形の獅子。僅かに青錆びた黄金の装甲を有するは、その右腕に鋭い鉤爪を装った『レオイマジン』だ。すでに契約を達成しており、完全体としての肉体を伴いここに立つ彼は、イソップ寓話『金のライオンを見つけた男』のイメージから実体化している。
「まるで仲間にでもなったかのような口ぶりですね。……人間の精神如きが」
「……何だと?」
黄金の獅子は異形の相貌を歪めて振り返った。そこにいたのは、出現したオーロラを潜り抜けてこの場に現れた誇り高き魔の血族。漆黒の牧師服を揺らしながら歩んでくる男は、指先で丸眼鏡を押し上げながら早口で述べる。
キバの世界において王家の宰相としての座を持つ男、ビショップ。彼はそのままレオイマジンの傍を通りすぎると、ウカワームが見上げた光──選ばれし者だけが触れられる力の塊を見た。
「この力は偉大なキングの復活にこそ相応しい。人間の想像から生み出されたような空想の産物に与えるなど、愚かしいにも程がある……」
「……勘違いするな。それを決めるのはお前たちじゃない。それに……」
ビショップは絶大なエネルギーを収束しつつある巨大な光の塊から目を下ろし、レオイマジンを蔑むように笑う。それに明確な不快感を覚え、レオイマジンは白い砂を零しながらビショップに近づいた。
右腕の鉤爪でこの男を貫けば容易く潰れてしまいそうな長身痩躯。不健康そうに骨ばった外見をしているが、その身に湛える魔皇力はキングに直接仕える者として不足はないだろう。
不遜な獅子の在り方に不快感を覚えたのは彼も同じ。痩せこけた頬から顎へとステンドグラス状の模様を浮かべたかと思うと、その姿は煌びやかな彫像じみた怪物となる。エメラルドの如き色を美しく輝かせ、双角の如く生えるは白鳥の首の意匠──
その顔面に抱く蝶のレリーフは無貌となり。ビショップは生まれ持った姿、アゲハチョウによく似た至高の芸術たる『スワローテイルファンガイア』としての肉体を晒した。肩に象られた女神の彫像も伴い、彼の誇りはインセクトクラスにおいて最高の貴族階級たる在り方を表している。
「あくまでこの身体が人間のイメージを元にしているだけだ。俺たちは消えた時間に繋がる過去を得るために未来から来た人間の精神体。好きでこんな姿をしているわけじゃない」
スワローテイルファンガイア──ビショップは表情の伺えない不気味な無貌でレオイマジンへと向き直って見せる。
誰もが求める究極の力、自分たちに再び命を与えた奇跡の祝福。彼らの頭上にて輝ける揺り籠の如き安寧──女神の名を冠したその力の一端は、アゲハチョウめいたステンドグラスによって反射し、ビショップのファンガイアとしての姿を美しく煌かせた。
その名は禁欲家と左足だけの靴下。歪んだ陶酔をもって成し得る秩序は、ビショップの高潔でありながら神経質、美しくも醜い精神と同様、敬愛すべき王を屍として蘇らせる矛盾を孕む。
「人間の文明は我らワームのものだ。あの
「人間など、我々ファンガイアの家畜として生きていればいいのですよ」
ウカワームとスワローテイルファンガイアは、それぞれ純白の甲殻と極彩色のステンドグラスを力と共に収めては人間の姿に戻っていく。どちらも怪人態とは似つかない漆黒。間宮麗奈としての姿は喪服を装い、ビショップとしての姿は牧師服に身を包んでいた。
どちらにとっても人間など利用すべき生き物でしかない。肩を並べて生きることなどありえないのだろう。振り返ることもなく自分たちの領域へとオーロラを超えていく二人を見て、レオイマジンは溜息をつかずにはいられなかった。
なぜ人間を見下す種族、ワームとファンガイアが人間の姿に至れるというのに、元より未来の人間であるはずの自分たちイマジンが人間の姿を取れないのか。過去の時間すら持たず、己が実体すら人に頼り。人間の身に憑依しない限りは人間として生きることさえも許されないというのか。
「……あまり人間を蔑ろにされると、俺たちイマジンの存在にも影響が出るんだがな」
電王の世界だけで完結していた元の法則ならいざ知らず。今は九つの物語に連なる法則が一つの座標で混ざり合っている状態。女神の名を冠したあの叡智によって『記憶の檻』に閉じ込めている九つの世界の人間が死に絶えれば、イマジンの未来もない。
過去に生きる人間がいなくなってしまった状態で、どうやって未来の人間に繋がるというのか。レオイマジンを含むイマジンたちにとって、人間とは守るべきとも言うまいが──
少なくとも存在してくれなければ、過去の時間も姿でさえも、自分たちにはないのだから。
「皮肉な話だ……」
見上げる輝きは黄金の装甲を輝かせる。彼らイマジンの悲願は、自分たちを西暦2007年の時代に送り込んだ未来の特異点の復活。どうやらあの青年は自身が生み出し契約した最後のイマジン、死神たる『デスイマジン』と同化しており、未だ時間の中で眠っているようだ。
ワームの目的は種を束ねる傀儡の復活であるという。人間であったはずのその男は、ワームとも敵対する種となり、最強のネイティブたる『グリラスワーム』へと至ったようで、ワームはそれを復活させ仮初めの指導者とするのだと。
ファンガイアは今ある王の存在が気に入らない者が多いらしい。宰相たるビショップの権限でライフエナジーを献上させ、かつての王──先代のキングたる『バットファンガイア』の自我を伴う再生を果たし、今の王を打倒して本来あるべき誇りを取り戻すことが目的なのだという。
レオイマジンは疑問を覚えていた。どうやら彼らとも別の世界の存在、グロンギやアンノウン、ミラーモンスター。そしてオルフェノクやアンデッド、魔化魍。彼らもまた、自分たちの頂に立つ存在の具現化による復活を目的としていると聞いている。
なぜ多くの怪人たちが復活を遂げているというのに、その最果ての存在と言える者たちだけがこうも
あの組織の者は『楔となる者はその力ゆえ復活に必要なエネルギーが多くなる』と言っていた。彼らが何を知っているのか、自分たちは利用されているだけなのではないか。考えても答えなどは出せない。レオイマジンは灰色のオーロラを超え、電王の世界を写した領域へと戻っていった。
昼下がりの博麗神社。博麗霊夢と五代雄介が共に愛した快晴の青空はそこに。桜舞い散る境内において、幻想郷全体に見られる乱れ歪んだ季節の影響はなかった。
否。本来の季節である春と重なり、四季異変による春が芽吹いているのかもしれない。
「…………」
縁側に腰かける霊夢は日課の掃除を終わらせ、帚を立てかけたまま一枚のカードに視線を落としていた。それは五代が初めて博麗神社を訪れたあの日、賽銭箱に入っていたらしいのを彼が見つけてくれたもの。ぼんやりとした仮面らしきものが描かれたカードである。
無彩色であるのにマゼンタ色の威圧感を放つそれからは、どことなく八雲紫の妖力が残っているように感じられた。
書かれた英字は明治時代の文化で令和の時代を生きる幻想郷の住人にとって読み取ることは造作もない。しかし、英単語としては存在しないその言葉に、文字は読み取れども確証は持てず。
「(
仮面ライダー。その言葉は霊夢にとっては馴染みのないものであった。五代雄介が変身する戦士クウガと似た仮面の存在、霧の湖で出会った紅美鈴と共にいた者──城戸真司。彼が変身するものが、仮面ライダーなる鏡像の騎士であるのだと、本人から聞いている。
──おそらく世界と法則を隔てれど、五代が至ったクウガも等しき存在なのだろう。そして紫が語った『九つの物語』というものが世界を指すのなら、それらはきっと、全部で九人存在する。
「(やっぱり、五代さんの名刺とも違う感覚……)」
不気味な仮面のカードの他に、その手に取り出すは五代から受け取った名刺だ。彼の名前と共に朗らかな顔の親指が描かれたその一枚は、奇しくもカードという形状としては似ているもの。この仮面のカードがクウガの世界を由来としているのなら、触れて伝わる微かな気配も五代雄介の持つ気質と似ているのではないかと思ったが──
やはり異なる。霊夢はその名さえ知らぬ『ライダーカード』は、クウガの世界より来たるものではない。霊夢とて気質を読み取ることは得意ではないが、それでも推測はできた。
スペルカードとは違う未知のカードといえば、霧の湖で会った鏡像の騎士、仮面ライダー龍騎。あの戦士もまた、カードらしきものを使って戦っていたはずだ。
ただ、それとも違うように感じられる。気質に関してもそうだが、確証はないにしろ霊夢の勘が同じものではないと訴える。あるいは、九つの物語のいずれにも該当しないのでは、と──
「まぁ、いっか」
深く考えることは得意ではない。彼女はいつだって天性の勘に従い、異変を解決してきたのだ。それに情報が少なすぎる。八雲紫が語った九つの物語が仮面ライダーと呼ばれるものの法則を持つ世界、そして外来人を指すのなら、霊夢が知るのはまだ二人だけだ。
霊夢は無彩色のライダーカードと五代の名刺を懐にしまうと、縁側に後ろ手をついて透き通るように晴れ渡る青空を見上げる。
雲一つない青空。晴天。かつて幻想郷の人妖から気質が溢れ出し、様々な天候が繚乱した異変があった。二度に渡り博麗神社が倒壊してしまった『
日照り続きだったのは神社の周りだけであった。とある『
緋色の空は、大地を揺るがす
幻想郷全域を滅ぼしかねないほどの大地震は未だ訪れていない。ただそのエネルギーは消滅したわけではなく、あくまで博麗神社の要石に抑え込まれ、封じられているだけ。
誰の意思によるものではない、自然災害たる地震を防ぐためには天人の要石が必要だった。だが天人は博麗神社を自らの好きに作り変えることで、天界だけでは飽き足らず地上の博麗神社さえも自らの領域としようと目論んでいたらしい。
せっかく建て直された博麗神社だが、それを良しとせぬ八雲紫によって、天人との戦いの余波で神社は再び倒壊。今度は天人の手が加えられていない、博麗神社らしく地上らしい元の在り方で、萃香たちの手で再び建て直された。大地震を封じてくれる要石だけはしっかりと残したまま。
「良い天気だよね」
霊夢の隣に腰を下ろし、同じように後ろ手をついて青空を見上げる青年。五代は禍々しい漆黒の雲も、地震の兆したる緋色の雲もない、清々しい晴天に笑顔を零して嬉しそうに呟いた。
「ここまで真っ青だとちょっと気持ち悪いけどね。まぁ、嫌いじゃないけど」
人妖の身より昇り出でた気質。かつて緋想異変に苛まれた幻想郷で、小野塚小町は霊夢に言った。快晴の空には雲がない。日光も地上の生気もすべて素通り、昼は暑く、夜は冷える。曲がったことはしないが、融通は効かないし無慈悲で優しさの欠片もないと。
何もかもが真っ直ぐで、遮るものなど何もない。そんな霊夢の気質があの異変の際、とある天人の力によって緋色の霧となり昇り、彼女の頭上だけを快晴の空に晴れ渡らせていたのだろう。
「緋想異変……か。まったく、こんなに天気も良いのに。嫌なこと思い出しちゃったわ」
ふぅ、と小さく溜息をつく霊夢。あれ以来、博麗神社には鬼や天狗の技術を用いてさらなる強化が施された。たとえ直下型の大地震が起きてもそう簡単に倒壊はしないだろう。それに博麗神社の地下には要石が埋め込まれている。どんな地震も抑え込んでくれるはずだ。
ただ一つ心配であるのが、蓄積されたエネルギーは要石を抜いた瞬間に爆発するということ。もし抜かれてしまえば、これまで抑圧され続けてきた大地の怒りは一瞬で幻想郷を壊滅させてしまうかもしれない。
抜かなければいいのよ。あっけらかんとそう言った天人と同様に、霊夢もさほど大して深刻に考えていない。博麗神社の地下に埋め込まれた要石は、極めて巨大なものであるのだ。掘り起こして抜くことなど到底できるはずもない。それを自在に操るのが、かの天人だけであるがゆえ。
「……よっと。たしか、日照り続きの夏でしたよね? 私もずっと見てましたよ」
本殿裏の森からふわりと飛んで石畳の上に降りてくる高麗野あうん。彼女は少し前、摩多羅隠岐奈が引き起こした最初の四季異変に際して、その背中の扉から妖力を受けたことでただの石像から妖怪の身となった狛犬だ。
緋想異変の当時は彼女はまだ妖怪として成立していない、ただの一対の狛犬像。ただしそこには確かに守護者としての魂が宿っており、あうんは妖怪になる以前から博麗神社を見守っていた。
「おかえり、あうんちゃん。それで、そっちの様子はどうだった?」
霊夢はあうんに振り返ってその帰還を歓迎する。彼女には博麗神社からの偵察として、幻想郷に起きている異変を調査させていた。本来なら霊夢が自ら調査に向かうべきだったが、小さな不安が拭えなかった。自分は今、
あうんには己が魂に宿す
「守矢神社にはそれらしい人はいなかったです。命蓮寺の方ですが、こっちには五代さんみたいに仮面の戦士に変身して怪物と戦う外来人がいました!」
喜々として報告するあうんは尻尾を振りながら自分が見てきたものを伝える。狛犬に宿った神霊として博麗神社を長く見守ってきたとはいえ、彼女はまだ生まれて数年程度の妖獣。大した妖力も持ち合わせず、知能も一般的な下級の妖怪程度にしか持っていなかった。
記憶を辿って足らぬ言葉で説明するが要領を得ない。命蓮寺にいた人間の青年は秦こころたちと共に怪物と戦っていた様子。赤や青や黄色の面を切り替える姿は、面霊気にも似ていたという。
「桃みたいな仮面がパカっと割れて、空を飛ぶ列車に乗ってどこかへ行っちゃいましたけど……」
「も、桃……? 列車……? よくわからないけど、それが本当ならそいつで三人目……か」
あうんの説明を聞いてもいまいちその様子はイメージしづらい。霊夢が思考に思い浮かべるは、まさに桃の果実を頭に被って変身を遂げる奇抜な戦士。まさか果物を頭から被って変身するような奇特な戦士などさすがにおるまい。
なぜか舞台に踊る秦こころが喜びそうな、オンステージな想像を再びやり直し、霊夢は桃という観点からまたしても天界の我がまま娘を思い出してしまった。
天界は何不自由ない楽園だと伝えられている。だが、祖先の功績から修行することなく天人へと至った『天人くずれ』──本来あるべき高潔な在り方を持たぬ少女は、その空虚な楽園に退屈し、天界の秘宝を無断で持ち出して地上に赴き、傍迷惑な『異変ごっこ』を繰り広げた。
自分勝手な理由で異変を起こすだけならば幻想郷でもよくあることだ。霊夢はそういった妖怪を何度も調伏している。それでもあの天人は別格であろう。天界で暮らしながら、ただ暇潰しだけが目的で地震を起こしたのだ。
博麗神社を倒壊させ、あまつさえ自分のものにしようとした。天界という無限にも等しい広大な領地を持っているというのに、地上にまで別荘を求めた。あろうことか、幻想郷の最大の要である博麗神社に。
お遊び気分でそのような暴挙を行った天人に、八雲紫が怒るのも無理はない。彼女は自ら望んだ通り、多くの人妖と戦い、敗北し。やがて八雲紫の手によって天界へと追い返されたのだった。
「あれ、いいの? 霊夢ちゃん。あうんちゃんって、神社を守ってくれてたんじゃ?」
「この子には狛犬の能力があってね。狛犬に自分を宿したまま、別の場所にも行けるのよ」
五代の疑問に対して霊夢は縁側から降りながら返す。あうんは博麗神社の狛犬、守護神獣としてその存在自体が結界の強化に繋がり、守護者としての役割を果たしている。彼女が調査に向かったことで博麗神社の結界が弱まってしまうのでは、と五代は懸念した。
しかし、問題はない。高麗野あうんは単独にして一対の神獣。狛犬でありながら対となる獅子の性質も併せ持っているため、その身は一人で二人。元の自身たる石像、狛犬に本体を宿したまま、具現させた分身を別個に存在させられる。
今この場に実体化しているのは本体である狛犬から分離したあうんである。たとえ彼女が神社を離れたとしても、本体を残している限り、博麗神社にもあうんがいる。誰かが侵入しても、すぐに気づくことができるだろう。
──もっとも、あうんは妖怪としてはあまり強くはない。ただ狛犬と獅子という守護神獣として博麗神社の守りを強化するだけ。外敵と交戦した場合、勝利はほとんど期待できないが。
「……そっか。なんか……すごいね。幻想郷の子って」
長らく冒険をしても巡り合えぬであろう、妖怪という存在。神や妖精、幽霊など。霊夢の語った通り、この小さな秘境には想像も及ばぬ力を持つ存在が多くいる。未確認生命体第4号と呼ばれた自分もまた、あるいは幻想郷の人妖たちと等しき力を持ってしまったのだろう。
「そうね。でも、五代さんだって──」
霊夢は博麗神社の境内、土色の上をゆっくりと歩みながら口を開く──その瞬間だった。
「……っ!?」
これまで数多くの異変を解決してきた直感。天性の勘。霊夢の感覚を貫くような、全身の神経が引き裂かれんばかりの凄まじい負の予感。
この身の肌で感じる何もかもが一瞬で書き換わったかのような。首筋に流れる冷たい汗を拭わぬままに、霊夢は空を見上げるが──そこにあるのは先ほどと変わらぬ快晴の空。
気のせいであったのか。否、そんなはずはない。確かに変わったのだ。この博麗神社境内の空間そのものが。幻想郷すべての空間そのものが。本来あるべき理の座標から別の場所に──
再び霊夢の知覚に戦慄が走る。今度は霊夢だけではなく、五代とあうんも共に気づいた物理的な音の波長。ビートチェイサー2000に備わった霊夢の霊力的な通信札を伝い、永遠亭の者に渡しておいた同様の通信札からの通信が入ったのだ。
霊夢が意図したわけではないのだが、お札がビートチェイサー2000の機能を模倣し再現したのだろうか。奇しくもその音は、五代にとっては馴染み深い、元ある通りの無線通信の接続音。
「はい、五代です!」
本殿前まで回って向かい、賽銭箱の傍に停めてあるビートチェイサー2000へと近づく。端末を指で操作して本体と同化した通信札をビートチェイサーの無線として起動すると──
『……っ! 五代さん? 霊夢はいる!? 永遠亭に、大量の怪物が……!!』
切羽詰まった雰囲気を感じさせるのは鈴仙・優曇華院・イナバの声。その背後では激しい戦闘の音が聞こえてきた。爆ぜ散る弾幕の音に紛れて聞こえてくるのは、怪物の鳴き声だろうか。日本語としては聞き取れぬ複雑な言語を聞くに、未確認生命体もそこにいる。
五代はすぐに表情を変え、霊夢へと振り返った。その通信の内容は霊夢にも聞こえているだろう。霊夢はそちらも気になったが──先ほど感じた感覚は永遠亭で起きた変化によるものか。
「れ、霊夢さん! 大変です! 守矢神社にも命蓮寺にも、怪物が出現してます!」
間髪を入れずにあうんも声を張り上げる。神仏の守護者として、あうんは守矢神社や命蓮寺に霊体として赴いた際に、簡易的な接続を成しておいた。あくまで自身の妖力を分けた疑似的な結界であり、戦闘能力と呼べる力はない。
その結界でもって感じ取ったのはおびただしい数の怪物の出現であった。山の上の守矢神社にも、里に近い命蓮寺にも、同時に怪物が出現している。怒涛のように流れ込んでくる情報量に耐え切れず、あうんはすぐに接続を切ってしまったが──その光景は脳裏から拭えなかった。
「な、何、これ……」
視野を広げて博麗神社境内から幻想郷を見下ろす。霊夢の目に映るは秋めく紅葉の山に雪化粧に彩られた冬の森。じりじりと日差しの照りつける真夏の湖や竹林は、変わらぬ二度目の四季異変の様相であった。
そこに広がる無数のオーロラ。幻想郷の至るところに、あの忌まわしき灰色のオーロラが出現している。山も、森も、湖も。ありとあらゆる場所にそれが出現しているのだ。
幻想郷中にそのオーロラが出現しているということが示す事実は一つ。あのオーロラが何をもたらすかを、霊夢もあうんも五代も知っている。
最初にそれを見たときと同様、霊夢は人間の里の方角を見た。里にも人間の自警団やワーハクタクの上白沢慧音がいるが、彼らだけでは灰色のオーロラから出現する未確認生命体に対抗するには不足だろう。加えて、霊夢たちはグロンギ以外の怪物も確認している。
何の情報もない未知の怪物まで出現しているのなら、里の人間に何があってもおかしくない。
「里が……!」
焦燥に心を焼かれ、霊夢は境内の石畳を蹴り上げる。急いで里へと向かおうとするが、視界に広がった灰色に空への道を阻まれてしまった。
揺蕩い移ろう灰色の極光は、鈍き幕壁となり。霊夢は咄嗟に退いて、再び境内の石畳に着地。
「霊夢さん! やっぱり
「……こいつらも未確認生命体……じゃないみたい……」
あうんと五代の二人に振り返る霊夢は、博麗神社にも等しく現れた灰色のオーロラ、そこから出現する怪物たちを見た。
揺らめく灰色より零れ落ちるは二つの影だった。歴戦のクウガである五代曰く、そのどちらもが未確認生命体として過去に現れたものではないらしい。霊夢が肌で感じた感覚の違い、直感が示すは、それらが異なる世界から現れたまったく別の生物であるのではという予感。
「グゥォォオ……!」
「キュル、キュルルッ!」
不死の皮革を纏いし異形は百獣の王たる獅子の如く。荒々しい毛皮に漆黒の装甲を帯び、どこか美しささえ感じさせる流麗な金色の
細やかな鋲の意匠をその身に刻むはライオンの祖たる不死生物。ブレイドの世界の法則を運命と宿した『ライオンアンデッド』は、スペードスートのカテゴリー3として右腕の鉤爪を撫でながら博麗神社の境内に降り立ち、低く唸りを上げて威嚇の意を示す。
湿度に濡れた緑色の皮膚を持つ異形は、まさしく語り継がれる『
「あれって……もしかして河童ですか?」
「たしかに似てるけど……たぶん幻想郷とは別の世界の河童ね……」
霊夢たちは幻想郷において河童という妖怪を知っている。妖怪の山の麓、川や沢に存在するは、幻想郷における天狗や鬼と変わらない少女の姿で在る妖怪たちだった。しかし、今目の前にいるは紛れもなく河童の妖気を持つ怪物。それらは幻想郷にあるべき幻想を一切有しておらず、少女とは似つかぬ異形の相貌でもってこの場に存在している。
もう一体の怪物もやはり未知。霊夢たちは知り得ぬカッパという魔化魍が生き抜くための本能に満ちているのに対し、こちらもまた知らぬライオンアンデッドという不死の生物は、自分が生きることに対してではなく──ただ湧き上がる闘争本能に従って荒々しく鉤爪を振り上げていた。
「……湖で出会った変な怪物たちとも違う……よね。もっと生き物っぽい感じ……」
五代は振り下ろされたライオンアンデッドの鉤爪を後退して回避。霊夢と目配せしつつ、そのまま自身の腰に手をかざし、己が体内に秘められた霊石アマダムのモーフィングパワーをもって腰にアークルを現す。
ただの直感でしかなかったものの、霊夢も同意見のようだ。妖怪でも、グロンギでもない未知の怪物たち。それらは霧の湖で出会ったミラーモンスターのような無機質さも無い。
──片や生物の祖たる不死。片や自然の具現たる魍魎。どちらも滾る生命力に満ちている。
「クルゥパッ!」
秩父のカッパが吐き出す透明の粘液はライオンアンデッドと向き合っていた五代に迫っていくが、あうんが咄嗟に解き放った光弾によって境内の石畳に散らされる。粘液は空気に触れて固まっていき、やがて白く変質しては石のように硬質化した。
即座に反応した霊夢が大地を蹴る。秩父のカッパの側面から飛び蹴りを見舞い、五代の隣に立ち構えて。左手で取り出した数枚のお札に霊力を込め、それらをライオンアンデッドに放つ。
「こいつらを倒さない限り、里には向かえそうにない……か……」
霊夢もあうんも、五代も同じ考えだ。幻想郷中に出現している謎のオーロラ、博麗神社にも現れたそれは境内を覆うように張り巡らされている。まさしく、この幻想郷の要たる境内を結界として隔絶するかのように。
秩父のカッパとライオンアンデッドを前にし、五代はそれらが怯んだ隙に腰のアークルに力を込めた。右腕を鋭く突き伸ばし、慣れ親しんだ動きで秘めたるアマダムの力を解放する。
「変身っ!」
両腕を広げる一瞬、その身は戦士と変わり果てる。古代より受け継がれた戦士の力。五代雄介の肉体は霊石アマダムのモーフィングパワーにより原子・分子レベルで再構築され、人間の在り方を超えた強靭なる鎧の異形、戦士クウガとして生まれ変わった。
霊夢の封印を司る霊力に呼応し、かつての戦いで砕けた霊石は万全に戻っている。今のクウガは基本的な形態として十分な力を発揮できる赤い姿。マイティフォームと呼ばれる形態であった。
「これじゃ助けを呼びに行くことも……!」
あうんの焦りは必定。境内の周囲は揺らめく灰色のオーロラに覆われ、境内を出ることも、ここから空へ飛び立つこともままならない。オーロラに突っ込んで向こう側に出られる保障はないし、もしこちらの常識が通じない異世界に出てしまい、取り残されてしまえば厄介だ。
この怪物たちを倒すことで灰色のオーロラが晴れるかどうかは分からない。それでも、今までは現れた怪物たちを撃破し切る頃にはその幕壁は消えてなくなっていた。いつの間にか消えていた、という方が正しくはあるが──
いずれにしても、ただこのオーロラが消えるのを待つわけにもいくまい。怪物たちはグロンギと同様に自分たちに襲いかかる。希望を捨てず、この未知の怪物たちを倒すべきと判断した。
「あんまりモタモタしてられないわ! 五代さん! 一気にケリをつけるわよ!」
飛び交う弾幕。カッパの放つ粘液は空気に触れれば固まり、あれに当たれば身動きを封じられるだろう。ライオンアンデッドの鉤爪は極めて強靭で、あうんが放った妖力のエネルギーを野良犬の形と成して放った弾幕も、右腕の一振るいで掻き消された。
奴らの狙いは時間稼ぎなのか。自分たちをここに足止めしておくことが目的なのかと思うほど、決定的な攻撃をしてこない。ただの勘だが、微かにその可能性が脳裏を過り、霊夢は早々に大技を放つことにした。
五代はその声に小さく頷いて返す。クウガの赤い複眼に映るは、グロンギならざれどグロンギに似た動植物の特徴、猛き獅子の遺伝子を宿した怪物。言うなればライオン種怪人とでも形容し得る異世界の始祖──ライオンアンデッドの姿。
霊夢の赤黒い瞳が映し出すは、妖怪ならざれど妖怪に似た伝承の具現、河童の特徴を持つ怪物。言わば異世界の河童と呼べ得るは魔化魍と呼ばれし自然の猛威──秩父のカッパの姿。
「おりゃぁああっ!!」
「──霊符、夢想封印っ! 『
足に熱を込めて駆け出した五代は石畳を蹴り上げ飛び上がり、空中で前転。そのまま右脚を鋭く突き伸ばし、ライオンアンデッドに渾身のマイティキックを炸裂させる。
幾度の打撃を交わし合い、それなりに確かなダメージを与えた上での渾身の一撃。如何に未知の怪物であろうと、生物としてこれだけの衝撃には耐えられまい。
スペルカードと定義したお札を掲げて、練り上げた霊力を七つの光球として具現させた霊夢は、通常の霊符「夢想封印」を発展させた【 霊符「夢想封印 集」 】を発動した。
湧き上がる霊力の光球は霊夢の意のままに秩父のカッパを追いつめる。ただでさえ対象を逃がさない夢想封印にさらなる誘導性能を加え、そのすべてを一点に集中させる『集』の名。見たところ異質な妖気とはいえ、幻想郷の河童と相違ない妖力量の怪物なら一撃で仕留められるはずだ。
「……っ!?」
怪物を蹴り飛ばした五代。お札と光球の奔流を叩き込み切った霊夢。二人は蹴りの反動と霊力の鎮静化に伴い境内の石畳に着地するが──やがて見やった怪物の反応に息を飲む。
──ライオンアンデッドと秩父のカッパ。どちらも、損傷を負いながらも立ち上がったのだ。
「倒し切れない……どうして……!?」
「嘘っ……! 霊力は十分に込めたはずなのに……!」
クウガのマイティキックは未確認生命体──グロンギに対して封印エネルギーを注ぎ込み、その内なる魔石ゲブロンに干渉して肉体を爆散させる刻印を放つもの。されど相手がグロンギではなくとも、強大な衝撃と封印エネルギーの奔流により、並大抵の怪物であれば十分な致命傷を与えられるだけの威力はある。
霊夢の夢想封印 集も同様だ。純粋な威力という面ではマイティキックに及ばぬながら、多重に展開される霊力の波動を確実な追尾をもって一点に集中させている。たとえ封印という干渉に縁のない存在であろうとも、その怒涛の霊力であれば並みの妖怪などひとたまりもないはず。
「グゥ……ォオ……」
「クルル……クルルル……」
ライオンアンデッドは裂けた胸の皮膚から緑色の血を流しつつも、軋むバックルを強引に手で押さえつけ、そのまま五代に向き直る。秩父のカッパは夢想封印の直撃を受けた直後こそ硬直していたが、すぐに立ち上がると、石畳の上にどろりと緑色の細胞を零した。
二人は知らない。アンデッドという存在は如何なる攻撃でも倒すことができないと。それを無力化するためには封印が必要だが、霊夢の力とは方向性が違う。あらゆる封印を問答無用で解く力はあれど、あらゆるものを無条件に封印する、という能力は持ち合わせていない。どちらかといえば霊夢の力はクウガの持つ封印エネルギーに近いのだ。
仮に夢想封印をアンデッドに当てたところで、ラウズカードとして封印することはできなかっただろう。無論、そのような法則自体、霊夢たちには知る由もなかったのだが──
秩父のカッパは零れ落とした自身の細胞と共鳴する。春色の昼下がり、渇いた石畳の上でなお湿度を失うことなく。分かたれたそれはカッパの妖力を伴い、瞬く間に魔化魍カッパの姿を形作っていく。
やがて完全に二本の足で立ち上がったそれは、落ちた細胞の塊の数だけ成長を遂げる。本体たる親のカッパを含めて、その総数は四体──
夏にのみ出現する魔化魍は異質。通常の魔化魍と同様に清めの音でしか浄化できないという点は等しいが、それ以上に厄介な点がこの分裂能力だった。夏の鍛錬を帯びた鬼の『音撃打』以外の音撃、さらには当然ながら音撃以外の攻撃に対しても反応し、自らの細胞を分離させて自身と同様の異質な妖気を分け与え、新たなる個体として単純にその数を増やしていく。
魔化魍は元より幻想郷の妖精に等しい自然の具現。自然の妖気の塊そのもの。乱れ歪んだ不浄の邪気は自然から成る力の源流が断たれぬ限り、いくら身を分けても力の減衰は起こり得ない。
「ふ、増えちゃった……!? こんなの、どうやって倒せば……!?」
あうんはじりじりと後退った。分裂したカッパは分身体などといった幻ではない。ただ純粋に秩父のカッパが能力をそのままに四体に増えた。口から吐き出す粘液も四体分となっており、如何に弾幕ごっこに慣れた彼女といえど回避に専念せざるを得ない。
ライオンアンデッドも先ほどと変わらぬ動きで霊夢たちへと迫って来る。振り下ろされる鉤爪は風圧だけで木々を裂くほど。相変わらずあうんの弾幕による妖力の犬たちはいくら噛みつけど振り払われ、霊夢の弾幕もクウガの打撃も──完全なる不死の生命体であるアンデッドを殺すには至らない。殺すことは不可能なのだ。
アンデッドを封印するには、対応するプロパーブランク、あるいは対象を指定しないコモンブランクといった空白のラウズカードが必要となる。唯一の例外として、ジョーカーの能力であれば撃破したアンデッドを強制的にプライムベスタとして封印できるが──
そのいずれもここには存在しない。霊夢たちはそもそもその存在すら知らない。倒すことができないのならばせめて、と。霊夢はお札に込めた霊力の方向性を変え、封印という干渉を押しつけるのではなく、霊力で拘束することにした。
夢符「封魔陣」。このスペルカードならば結界化した霊力の力場で、封印という理論ではなく霊力の波をもって物理的に対象を縛りつけられる。河童に似た怪物──秩父のカッパのほうは下手に攻撃をすれば再び分裂するかもしれないと判断し、霊夢はライオンアンデッドに向き直った。
「──夢符、封魔陣!!」
あえて接近しつつ、ライオンアンデッドの足元にお札を叩きつける。光が周囲を取り囲み、ライオンアンデッドが鉤爪を振り下ろす直前。足元に形成された結界の陣が上空へ向けて霊力の奔流を立ち昇らせた。怪物を焼く清らかな光は確かなダメージを与え──
本来の目的はそこではない。霊力の波はしっかりとアンデッドを縛りつける。動かなくなったライオンアンデッドの処理はすぐに思いついた。封魔陣の余波が消えぬ段階で、霊夢はすぐに行動に出る。
倒せない怪物ならば、倒す必要はない。霊夢は普段から意識しておらず、実行できるかどうかすら分からなかったが──今はそれしか思いつかなかった。
空間の接続。霊夢は自らの意思に依らず空間を繋ぎ、瞬間移動めいた挙動を可能とする。普通に動いたらできていただけで、改めてどうすればいいのかは分からない。だが、この力ならば。さながら八雲紫のスキマめいた方法で、この怪物を別の場所に転移させられるかもしれない。
思考はまだ途中である。いったいこれほど危険な怪物を、どこに飛ばせばいいのか。その答えを一瞬で出すことができなかった。怪物は封魔陣の拘束を振り払い、鉤爪を振るう。
咄嗟に石畳を蹴って後退。今度は、あることに気づいた五代が霊夢に向けて声を張り上げた。
「霊夢ちゃん! あの河童みたいなの……!」
攻撃すれば分裂する。秩父のカッパに対して霊夢はそう判断した。だが、実際には『攻撃しても分裂する』であったらしい。ライオンアンデッドの拘束に際して放っていたカッパたちは、二体が五代とあうんと交戦していた最中、残る二体は後方へ退避していたようだ。
それらはなんと地に伏せ自らの首を伸ばし、あろうことか頭を丸ごと石畳に落とした。べちゃりと不快な音を立て、頭部は首から下を生やして成長し、もう一体のカッパに。頭を失ったカッパはすぐに元の頭を再生してしまう。
放置したところでカッパは分裂してしまうらしい。しかも、本体である最初のカッパからではない。本体から分裂したカッパからさらに増え、おそらくは増えたカッパからさらに増え──
「ああ、もう……! いったいどうすりゃいいってのよ……!」
不用意に攻撃することは憚られたが、拘束すべきはカッパのほうであったのか。霊夢は六体もの数に増えてしまった緑色の異形を見渡しながらも、背後に迫るライオンアンデッドが振り下ろす鉤爪を手元に現した大幣の柄で受け止める。
吹き込む風の色。今度はブレイドの世界とも響鬼の世界とも違う境界。灰色のオーロラは再び波打ち、また別の怪物を現した。
咄嗟に正面のライオンアンデッドを蹴り飛ばし、後退しては再び距離を取る霊夢。あうんも五代もカッパたちと距離を取り、新たに現れた怪物に対して視線を向け、それらと向き合った。
「……フッ……」
「ハァ……ァア……!」
死灰の色に染まりし異形は野に立つツクシの如く。ツクシの特質を備えた『エキセタムオルフェノク』は、その名の通り両肩や頭部にスギナの胞子茎である
鈍き極光を返す煌びやかなステンドグラスを纏いし異形は、さながら紫色や橙色の輝きを帯びた美しきハサミムシの彫像。両肩にはアーチめいた意匠を、その頭部と両腕には己が誇りを掲げるが如き鋭い鋏を設け。インセクトクラスに分類される『イヤーウイッグファンガイア』が運命に刻む真名。──封印された化石、もしくは縫製機械。その名は語られることもなく。
やはりそれらも霊夢たちは知らない。ファイズの世界の法則を由来とする人類の進化系、死者が蘇って灰の細胞を得たオルフェノクという存在。キバの世界の法則を由来とする魔族の頂点に立つ種族、ファンガイアという存在。
エキセタムオルフェノクが構える長槍は自身の特徴に似たツクシの意匠。イヤーウイッグファンガイアは両腕に突き伸びた鋏状の刃を重ね合わせ、ハサミムシたる意匠のままそれを構える。
「また新手……!?」
「こっちのライオンと河童も、まだ倒し方が分からないのに……!」
五代とあうんは冷静な立ち回りで周囲を見渡した。不意に現れた怪物を警戒しながらも、すでに存在していたライオンアンデッド、六体ものカッパに対する警戒も疎かにはせず。
不死の怪物は殺せない。不滅の怪物は倒し切れない。アンデッドと魔化魍。それら特定の手法を用いることでしか撃破できない存在に加えて、現れたのは新たなる種族。速度に優れた使徒再生で対象の心臓を焼き尽くす脅威に、吸命牙によって対象の死角から
「……っ!?」
どうやって対処すべきか。そう思考した瞬間。境内の石畳が大きく揺れた。身体の芯まで震わせるような激しい揺れが身を襲う。奇しくも先ほど想起したばかりの、緋想異変と同様。博麗神社を倒壊させるほど──というわけではないが、明確な規模の地震。
その揺れは収まったかと思えばさらに激しく訪れる。耐震性を強化した博麗神社が揺れに耐え、強靭な木々で組んだ柱や屋根瓦からぱらぱらと木々の欠片が零れる。怪物が引き起こしているわけではないのか、どうやら揺れによって使徒再生の触手と吸命牙の狙いを定め辛いようだ。
「……ちっ……!」
揺れを踏みしめながらエキセタムオルフェノクがツクシの長槍を杖代わりに立つ。虚無僧めいた面を霊夢に向け、その籠の隙間より使徒再生の触手を放った。イヤーウイッグファンガイアも狙いが定まらないながら、霊夢の背後に吸命牙を現す。
そこへ突っ込むは下級アンデッドと自然の具現たる魔化魍が故に、人の進化したオルフェノク、魔族の一種として長い年月を生きたファンガイアほどの高い知能を有さぬ二種。
ライオンアンデッドの鋭い鉤爪と、秩父のカッパたちが吐き出した透明の粘液が迫り。
──その瞬間。博麗神社に激しい轟音が響き渡り、すべての視界は湧き上がる土煙に染んだ。
「今度は何が……!?」
晴れぬ土煙の中、霊夢は覆っていた顔を上げ、周囲を見渡す。立ち込める土煙の中ではあうんの姿も五代の姿も見えないが、声を聞く限り、その安否は確認できた。
ただ危惧すべきは視界の悪さ。土煙のせいで視界は閉ざされてしまい、これでは増えたカッパを含めて九体にも及ぶ怪物たちの動きに対処できない。霊夢は一瞬だけ焦燥に焼かれるが──
濁り染まる土煙を伝う、青空の如く清く透き通った声。凛とした覚悟の中に、どこか傍若無人な力強さは、荒々しくも遥かなる在り方を高らかに。
舞い降りた人影は長い髪を振り乱す。手にした剣は煙の中でも誇り高く真紅に輝き、残光を引きながら振るわれたそれは、同じく土煙の中では輪郭の影しか見えぬ怪物たちを切り裂いた。
アンデッドを切り裂けば緑色の血液が飛び散る。オルフェノクを切り裂けば鈍く淀んだ灰が噴き上がる。魔化魍を切り裂けば白い体液が零れ落ちる。ファンガイアを切り裂けばステンドグラスの破片が砕けて煌く。
人影はそれらをその程度の斬撃で倒すつもりなどなかった。ただ、自身の在るべき場所に蔓延る下賤な愚物たちを取り除き、自らに相応しき足の踏み場を用意しただけに過ぎない。
「この声……」
土煙はやがて晴れゆく。五代とあうんも広がる視界の中に、さっきまではいなかった人物の姿を見た。霊夢が呟いた心当たりの通り、その荒々しい在り方に似つかぬ美しい声は、まさしく天界の楽園に座す雲の上の存在──天人が抱くもの。
振るわれた剣圧にふわりと舞い上がっていた彼女の長髪。雲の上の青空を映し出したかのような鮮やかな色のそれが腰へと降りゆく。頭に被った黒い帽子には、天界の桃、その果実と葉を乗せるようにあしらい。
その身に纏う衣服、雲の色が如く白いそれは天衣無縫。同じ白を帯びる前掛けには七色の極光を虹と刻み、広がるロングスカートは雲より下の人々が見る青空の色。
石畳を踏みしめるブーツは茶色く、大地の色。加えて自身が最も誇り高く胸に宿すは、己が瞳と同じ緋色のリボンを結び。己自身が『天にして大地』であると力強く掲げるかのようだった。
「──人の緋色の心を映し出せ」
緋色の瞳は真っ向からライオンアンデッドを見る。広がる天の在り方に──青空に。恐れるものなど何もないのだと言わんばかりに。
その手に輝くは揺らめき燃え上がる炎。否。それは剣の形をしていた。白く美しい手に握り締められた金色の柄。その先から刀身の形をした炎が揺れている。
それは炎のようであれど、炎に非ず。万物の本質である『気質』。生物や非生物、事象や概念を問わず、ありとあらゆるものに存在するそれを、長剣の形に圧縮し押し固めたものである。
「げっ、あんた……!」
霊夢は晴れた土煙の先の人物に露骨に嫌そうな顔をした。かつて博麗神社を倒壊させた張本人。クウガの姿でそれを見る五代雄介にとっては知らぬ者。かつての四季異変に際して生まれた高麗野あうんにとっては妖怪として初めて見る者。
彼女の一族が仕えた者は神霊となり。仕えた彼女の一族もその恩恵を受け、天へ至った。仙人を経て修行の果てに天人となった者たちとは違う、紛い物の天人くずれ。それでも選ばれし者の力は天人として揺るぎなく。
自信に満ちた表情で手にした
「博麗神社が面白いことになってるって聞いたから降りて来てみれば……何よこれ?」
合計九体にも及ぶ怪物を前にしても
比那名居天子がその身に宿す気質は『極光』。極地の空に光と架かる磁場の乱れ──すなわちオーロラである。
彼女はその手に握る天界の秘宝──あらゆるものの気質を司る『緋想の剣』を持ち出し、天界の最上層たる『
緋想の剣に秘められた能力は『気質を見極める程度の能力』。その剣は向き合う相手の気質を見極め、気質を緋色の霧として具現化し、それが如何なるものであろうとも必ずその本質を切り裂き弱点を突くことができる、最も効果的な気質へと変化する。
加えて、天子の気質である極光は他のあらゆる天候の影響を一つに纏めた万能の気質。すべての気質の力を混ぜ、完全なる無の気質に塗り替える力を宿して、灰色のオーロラさえ打ち破った。
「オルフェノクにアンデッド、魔化魍にファンガイア! 怪人たちの宴会かしら?」
切り裂かれた灰色の裂け目は小さい。だが、隙間から差し込む極光により七色の揺らぎが灰色の裂け目を広げていく。快晴の青空に揺らめく七色のカーテンは不可思議な光景だが、数多の天候が繚乱した緋想異変においては霊夢も赴いた雲上の有頂天で目にしていたものだ。
「オル……? 魔化……? あんた、こいつらを知ってるの?」
「
霊夢の問いに振り返らず答える天子。河童の吐き出す粘液もそうだが、エキセタムオルフェノクが飛ばす使徒再生の触手も、イヤーウイッグファンガイアが突き立てる吸命牙も、如何に弾幕ごっこで回避に慣れた少女たちとはいえ、この数を相手に余裕はない。
粘液攻撃にはほとんど殺傷性はないだろう。石畳に着弾したそれは白く固まるが、石畳が砕ける様子はない。
厄介なのはオルフェノクの使徒再生とファンガイアの吸命牙だ。前者はその速度ゆえに避け切れず、霊力の消費を伴う防御手段を強いられ、後者は必ず背後という死角に現れるがゆえに後方まで警戒していなくてはならない。どちらも、霊夢たちには当たった際の影響は計り知れなかった。
「気をつけてください。あの河童、攻撃してもしなくても分裂して……!」
あうんは粘液を回避しつつ、秩父のカッパの行動に注視した。不用意に攻撃すれば分裂を促してしまう結果となるが、かといって他の怪物との交戦に意識を割きすぎれば、その隙にカッパたちは能動的な分裂を始めるだろう。
されど天子は不滅の魔化魍にも不死のアンデッドにも。他者を同族に変えるオルフェノクに対しても、魂の髄から生命力を吸い上げるファンガイアに対しても、恐れを抱くことはなかった。
「あの河童みたいなのは魔化魍の一種。特定の音でしか倒すことはできない。でも──」
天子はニヤリと口角を上げる。緋想の剣を天に掲げると、その揺らめきはより緋く。六体ものカッパから緋色の霧を立ち昇らせたかと思うと──
「緋想の剣よ! 不浄の邪気を清め祓う音を! 響く自然の気質をその身に宿せ!」
カッパたち魔化魍の気質を見極め、緋色の刃には本来そこにあるはずのない気質が宿る。鍛えに鍛え抜いた鬼たちがその魂に抱く清らかなる音。響鬼の世界に伝わる音撃という気質、属性が剣となり、そこに清めの音を具現させる。
それは音として聞こえてくるわけではない。極光と揺らめく炎に似た気質の塊。緋想の剣の刃を振るい、尾を引く緋色の軌跡を纏いて、天子は清めの音の属性を持ったそれを構えた。
「はぁぁああっ!!」
己が霊力を込めた緋想の剣を横一線に薙ぎ払う。長大化した気質の刃により、六体のカッパは纏めて一気に切り裂かれた。
白い体液が噴き上がる余地もなく、それらは歪んだ妖気の髄より清められ。さながら元の世界において鬼による音撃打を受けたときと同様に、邪気を失った土塊や枯れ葉となって砕け散る。
「す、すごい……あの怪物をこんな簡単に……!」
ぱらぱらと降り注ぐ枯れ葉の破片を見やりながら感嘆する五代。あれだけひしめいていた秩父のカッパたち。霊夢の夢想封印でも倒せず、あろうことかその衝撃を利用して分裂してしまうほどの異形も、清めの音によって跡形もなく。爆散を遂げては自然の一部と還り去った。
「……まったく、相変わらずね」
霊夢は柔らかな苦笑を浮かべながら天子の目立ちたがりっぷりを見る。一度目の出会いこそ最悪だった。緋想異変の首謀者として、博麗神社を打ち壊し、幻想郷そのものを人質に取り、ただ退屈凌ぎのために異変ごっこに付き合わされた。
それでも彼女は天人。正式な修行を経た真の天人ではないとはいえ、実力も教養も、その誇りも天人の名に相応しいほど持っている。
深秘異変と共に発生した都市伝説異変、その影響で発生した、人妖の魂が他の人妖に憑き重なる完全憑依異変の際はどうやら天界の催事に必要な
その後は茨木華扇の本体たる奸佞邪智の鬼、茨木童子を打倒すべく、共に肩を並べて戦ったこともある。彼女の助言と力がなければ、霊夢とてあの四天王の一角には勝てなかっただろう。
「緋想の剣が再現できるのは、清めの音だけじゃない!」
天子はその緋色の目で怪物の動きを見切る。振り抜いた緋想の剣で背後に浮かび上がった吸命牙を斬り払うと、直後の隙を狙われ突っ込んできた使徒再生の触手を上体を反ることで回避する。視界に映るはオルフェノクとファンガイア。それらの気質も刃に集め──
だん、と境内の石畳を踏みしめる。天人のみが扱える緋想の剣とは別に、天子が継承した大地を司る者の能力。生まれ持つ『大地を操る程度の能力』で地面を揺らし、怪物の足を取る。
そこへ振り抜くは緋想の気質。オルフェノクの気質を見極めた刃には緋色の霧を紅き血と流れる光子、フォトンブラッドの光熱を纏わせ。ファンガイアの気質を見極めた刃には、奇しくも同じく真紅の波動、誇り高き魔皇力の力強き奔流を纏わせ。
フォトンブラッドはオルフェノクの灰色の細胞を焼き切った。魔皇力はファンガイアのステンドグラスの体組織を斬り砕いた。どちらも最も効果的なエネルギーとして、緋想の剣は己が能力によって相手の気質からそれを再現する。
エキセタムオルフェノクとイヤーウイッグファンガイアはそのダメージに後退。零れる灰とステンドグラスに胸を押さえ、忌まわしき揺らめきを持つ真紅の剣を睨みつけるように顔を歪めた。
「……ちっ……!」
「……ぐぅっ……っ!」
その隙を見逃す霊夢ではない。彼女は手にしたお札に霊力を込め、ホーミングアミュレットとして放つことで怪物たちを吹き飛ばす。まだ大技のスペルカードを放てるだけの霊力は練り切れていない。しかし、天子のおかげでかなり戦況は良くなった。
この灰色を帯びたツクシの怪物や七色の煌きを持つハサミムシの怪物は、その立ち振る舞いからどうやら不死というわけではない。自分たちの攻撃でも問題なく倒すことが可能と確信した霊夢は、心の中で小さく安堵する。
そもそも倒すことが不可能だと思われていた河童の怪物も、緋想の剣であるならば浄化して消滅させられるらしい。あとは不死身のライオンだが、こちらも彼女の剣ならばあるいは──
「……っ、ちょ、ちょっと! 後ろ!」
「ん?」
「グォォオッ!!」
天子の隙は一瞬だった。それを突いて迫りゆくライオンアンデッドの鉤爪。彼女は灰色の触手と極光色の吸命牙を斬り払う傍ら、そちらまでその意識が回っておらず。
──あわや引き裂かれるその瞬間。天を劈く雷鳴が轟き、迸る紫電の光が獅子を穿ち貫く。
「総領娘様、あまり勝手に行動されては困ります。また緋想の剣を持ち出して……」
オーロラの裂け目より舞い降りたのは、地上と天界を結ぶ狭間の雲間──『
黒い帽子に触角めいた長さの紅いリボンを結んだ彼女は『竜宮の使い』と呼ばれる種族。天界の重鎮、比那名居一族の末裔として名高き天子のお目付け役として、
長いスカートは荒れる空の如く黒く。柔らかな雲に似た優雅さの中に秘めた、荒れ狂う雲海の在り方も隠すことなく。
「こんなに楽しそうなこと、黙って見ていられるわけがないでしょ?」
天子は緋想の剣の柄を握る手に力を込めながら答えた。地上から見れば何不自由ない楽園の頂、有頂天。長らくそんな世界で生きてきた彼女にとっては、いつまでも変わらぬ楽園は退屈で空虚なものでしかなかった。
その淀んだ空を切り裂いたのが境界揺らめく紫色の雲だった。天子は不意に天界を訪れた妖怪の賢者、八雲紫にあることを頼まれたというのだ。
緋想の剣が秘める能力を引き出すことができるのは天人だけ。それも選ばれし一族のみが気質を見極める力を操ることができる。ただの人間や妖怪が手にしたところで、それは炎の如く揺らめく気質の刃を振るうことができるだけの、ただの長剣でしかない。
本来の持ち主である天人が持つことによってのみ発揮されるその力。八雲紫はその能力を求めたのだろう。数刻ほど前に姿を見せた彼女は、かつて天子が博麗神社を我が物としようとしたときに見せた怒りを向けてくることもなく。
やがて少し先の未来で、博麗神社に怪物が集まる旨を告げ。霊夢たちの力では打倒できぬ不死と不滅。あるいは苦戦を強いられるであろう灰色と七色に、天の威光を見せてほしいのだと。
「あの紫が……ねぇ」
話を聞いた霊夢にとってもそれは意外だった。幻想郷を誰より愛し、結界の管理者として自身と役割が被っている──八雲紫。あいつは天人を嫌っていると思っていたのだが。
どうやら天子もそう思っていたらしく、天界に八雲紫が現れたときはかなり驚いたらしい。
「……やれやれ。地上の妖怪にも困ったものだわ」
衣玖は迫るイヤーウイッグファンガイアに向けて指先から青白い稲妻を放つ。迸る雷光は雷鳴を伴い、ステンドグラスの細胞を打ち砕くが、込めた妖力が足りていないのかファンガイアは怯むことなく接近してきた。
ならばと光を込めた一撃。衣玖の右手に渦巻き纏われゆく羽衣は螺旋となりて。右腕を引いては接近してきたイヤーウイッグファンガイアの腹を目掛け、ドリルとなったそれを突き出す。
「はぁっ!」
「ぐぅ……っ!?」
激しい稲光を伴う螺旋の拳、掘削機めいた【 龍魚の一撃 】によって腹を穿たれたイヤーウイッグファンガイアは煌びやかなステンドグラスの破片を散らしながら後退していく。
やはりスペルカードに満たぬ程度の技では威力が足りず、まだ撃破するには至らない。
「すべて断ち切れ! 非想非非想の剣!!」
天子は緋想の剣に込めた自らの霊力を気質として噴き上げた。スペルカードと定義された天子の技能、万物の気質を断ち切る【 非想「非想非非想の剣」 】によって、巨大な気質の光刃となった緋想の剣の刀身を勢いよく一閃。
この剣技を放った理由は怪物を撃破するためではない。あらゆる気質や天候の影響を無効化する気質をもって、灰色のオーロラを斬りつけたのだ。
切り裂かれたオーロラは非想非非想の剣の効果でその力を失い、断絶される。境内を覆っていた灰色の幕壁は綻び消え、やがて本来そこにあった通りの春の日差しが博麗神社を彩り始めた。
「これって……」
「今なら里に向かえる……! 天子! ここは任せたわ!」
五代が見上げた青空には相変わらず雲一つない。ただ周囲に沸き上がる緋色の気質、霧となったそれらが浮かび上がったものを除いては。
霊夢は幻想郷中に現れた怪物の対処、特に戦う手段を持たない人間たちが多く住まう人間の里に向かうべく、境内の石畳を蹴り上げて空へ舞い上がる。
いざや空気を蹴り飛ばし、里の方角へ飛び立とうと思い立った、その瞬間のことだった。
「……っ!?」
「あっ、霊夢ちゃん!?」
天子に対して声をかけては正面へと向き直った目の前。霊夢の視界が闇に染まったかと思うと、ぎょろりとこちらを見つめる無数の目玉がひしめく裂け目の中へ吸い込まれる。その光景に驚いた五代はクウガとしての姿のまま、足元に開いた裂け目に気づかず。
突然の出来事に反応することもできず、五代雄介はそのまま闇の中へと落ちていった。
「えっ!? れ、霊夢さん!? 五代さん!?」
どちらの闇もすぐに閉じ。あうんはいきなり両者が消え去ったことに慌てふためく。ついさっきまで傍で戦っていたはずの二人は、もはやどこにもいない。
「ん? あれ? 霊夢はどこ行った……?」
「……あの見覚えのある
エキセタムオルフェノクとイヤーウイッグファンガイア。さらに残ったライオンアンデッドの殺意を相手にする天子もようやく気づく。霊夢たちが消える瞬間を見逃さなかった衣玖は冷静にその事象を理解し、幻想郷の管理者──妖怪の賢者たる存在を思考に浮かべた。
八雲紫。地上に生きる彼女の思考は天上の存在でさえ掴み取れぬもの。境界を曖昧にする紫色の雲を掴むが如く、その在り方は誰にも分からない。
幻想郷に怪物を蔓延らせる灰色のオーロラ。天子がもたらす極彩色のオーロラ。奇しくもそれらに似た灰色と極彩色。オルフェノクとファンガイアは境内を駆ける。
あうんは咄嗟にスペルカード、犬符「野良犬の散歩」を発動して現した数体の野犬たちを怪物に襲いかからせ、弾幕めいたそれらは噛みついていくが──やはり足止めにしかならない。
「電符、
衣玖は胸の前で構えた両手を一気に突き出す。あうんによって足止めされた怪物たちが一瞬動きを止めた隙に、周囲の空気から静電気を掻き集めて自身の妖力と掛け合わせた。彼女の手元から落雷めいた轟音が鳴り響くと同時、青白い電撃の光球が飛び出す。
バチバチと稲光を迸らせながら解き放たれた【 電符「雷鼓弾」 】はすぐさまあうんの野良犬を振り払ったエキセタムオルフェノクに接近すると、激しい雷鳴を轟かせて雲と散り消えた。
「ぐぁああっ!!」
オルフェノクはその光球を手にしたツクシの槍で叩き落そうとしたのだろう。だが、光球はその意図が行われる前に自ら拡散し、電撃を弾けさせる。
不意なる光に目が眩み、対応できなかったエキセタムオルフェノクは正面から衣玖の電撃に身を焼かれ、灰の細胞の悉くを破壊され。青白い炎を上げては、さらりと灰へ還った。
「……ちぃっ……!」
光と電撃は拡散したため、イヤーウイッグファンガイアにも影響を与えた。腕に生えたハサミの刃で電撃こそ防御できたものの、煌びやかな身体に反射する光までは無視できない。怪人態の身は複眼ゆえに目を閉じるというわけにもいかず、視界は青白い光に染まる。
それも一瞬のこと。あうんの野良犬はすべて蹴散らされているが、天子がその一瞬を無視するつもりはない。
イヤーウイッグファンガイアの視界が元に戻ったとき。彼が見た比那名居天子は周囲に小さな岩を浮かべて立っていた。下部の尖った岩の台にも似たそれは神聖な天の在り方を表す注連縄を飾り。まさしく小型の『要石』として、天子の
「……いざ仰げ! 我らが天の在り方を!」
腕を組んで経つ天子に、イヤーウイッグファンガイアは慢心という名の隙を見た。自らは相手と距離を取り、その要石を警戒していると見せかけて──
彼女の背後に浮かび上がったのは極彩色の双牙。魔皇力で形成されたそれは瞬く間に天子の首に迫り、その牙を突き立てる。あうんも衣玖も、どちらも声を上げる暇もなく。
「何っ……!?」
イヤーウイッグファンガイアの牙が感じ取った音は、ズブリと肉を貫く音に非ず。キン、と刃がぶつかるような、不快な金属音にも似た音。あろうことか、どれだけ鍛えた強靭な筋肉であろうと貫き穿つファンガイアの吸命牙は、天子の首の皮膚に弾かれたのだ。
天人は、天界に成る仙桃を食べている。天界の桃は食べた者の身を鋼のように硬くし、如何なる刃も通さない強固な鎧の如き肌を与えるという。
もっともそれは強く気を張っていなければ成し得ぬこと。普段の生活ではそこまでの強度はないものの、こと戦闘時において周囲の気質を理解し、力を込めれば。それは彼らファンガイアが知るキバの鎧の強化皮膚、名高きドラン族の革で造られたスーツの如き堅牢さを誇ることだろう。
「ふふん。背後なら隙だらけだと思ったか? 天はすべてを見ているんだよ」
にやりと笑みを浮かべる天子は腕を組んで慢心を強めた。やはり隙だらけにも見えるが、彼女の周囲に浮かんだ小さな要石はそれを補う
ハサミの刃を構えて接近するイヤーウイッグファンガイアはそれに捉われた。いくつもの要石を同時に浮かべ、それらは気質の具現たる緋色の光熱を解き放つ。細く射出された気質の塊はレーザーのように真っ直ぐに敵へ向かい、イヤーウイッグファンガイアの装甲を焼き貫いた。
「気符、天啓気象の剣!!」
石畳を踏みしめる焦げ茶色のブーツは大地と共に。天子は力強く駆け抜け、振り抜いた緋想の剣に込めた願いを緋色の気質として。紅く滾るエネルギーはフォトンブラッドにも魔皇力にも似ているが、それは万物の気質を収束させた幻想の光。天子自身の波動である。
天子の持つスペルカード【 気符「
この札は特定の気象が生じているときに使えばより強い力を宿す。今は天子自身の気質から成る極光の天気と灰色のオーロラの残滓があり、緋想の剣はその気質を纏めて吸収、二つのオーロラのどちらをも強制的に終了させては絶大な破壊力を得ている。
緋想の剣に金属質の刃はない。ただ燃え上がる気質の炎を刃と成して。切り裂かれた対象は物理的なダメージよりも気質に対する霊的なダメージ、炎熱の如き痛みを感じるだろう。
やがてステンドグラスの極彩色には鮮やかな七色の輝きが強まり、その身に深い亀裂が宿り。
「……がぁ……ぁあ……っ!!」
激しく砕け散るイヤーウイッグファンガイア。煌びやかなステンドグラスの破片を撒き散らしながら絶命するその姿は、儚く散りゆく灰となって死ぬオルフェノクとは対照的。
奇しくも長命な種族であるファンガイアと急激な進化ゆえに短命であるオルフェノクとは、見た目の華やかさ以上に対照的なものがあった。
青白い炎を上げながら白い灰と朽ちるオルフェノクも、極彩色の輝きを伴いながらステンドグラスと砕け散るファンガイアも、激しい轟音と共に爆散するわけではない。
灰色と七色の二種は倒した。そして同じ色を持つ二つのオーロラもここにはない。残っているのは長命でも短命でもない命にして命ならざる命のみ。
老いることも死ぬこともない存在──天人めいた在り方を生まれ持った始祖。スペードスートのカテゴリー3、ライオンの祖に当たる不死生物、ライオンアンデッドだけであった。
下級アンデッドとはいえ、数万年単位で封印と復活を繰り返し、幾度も戦いを見ている遥かなる生物進化の起源。人間が生まれ変わったオルフェノクや、長寿といえども数百年から数千年程度で老いてゆくファンガイアとは歴史の長さが違う。彼は天子たちの戦いを観察していたようだ。
「お前、生まれつき不死なんだって? 修行もせずに不老不死なんて、大した身分だ」
「総領娘様が仰っても、あまり説得力がありませんね」
「私は大した身分だからいいんだよ。なんたって、大地を司る
天子は鉤爪を撫で上げるライオンアンデッドに向き合って呟く。衣玖の言葉通り、彼女も同じく修行せずに不死となった者だ。
ライオンアンデッドは両腕を掲げた先に光を輝かせ、広げた手の平にエキセタムオルフェノクの灰とイヤーウイッグファンガイアのステンドグラスを吸い上げる。一時的にオルフェノクの記号と魔皇力を宿した獅子は、天子にゆっくりと向き直った。
本来なら宿るはずのない力。一度は封印されたはずの身から如何なる技術か具現化され、解放され。何らかの変化を施されているのか。
不死の肉体という種族の利点を活用した怪物の身に走る絶大な負担。人類を進化させるオルフェノクの記号。魔族に在るべき魔皇力。アンデッドの身に、それら二つは余りある。
「グォォオ……ォオオ!!」
苦痛に呻いているのか。目に映るものすべてを破壊する意思か。ライオンアンデッドはその血に相応しき獅子が如き咆哮を上げ、左手からは使徒再生の力を帯びた灰色の触手を。右手からは紅き魔皇力を帯びた極彩色の吸命牙を撃ち放った。
やはり馴染まぬ力。アンデッドの力を加えて強化されてはいるが、本来の使徒再生ほどの速度はなく、吸命牙は対象の背後に浮かび上がらず直線的に放つことしかできない。
衣玖の雷光は灰色の触手を撃ち抜き、焼き払う。あうんの野良犬は極彩色の牙に喰らいつき、咬み砕く。どれだけ冷静に物事を観測できる経験と遥かなる記憶を持っても、ライオンアンデッドはカテゴリー3に当たる下級アンデッドでしかないのだ。
天子と衣玖。そしてあうん。三人の少女を恐れた結果として、身に余る力を取り込んだ結果、獅子としての敏捷性と余裕があったはずの体力を不用意に失い、比那名居天子の接近を許す。
「はぁぁああっ! 気炎万丈の──剣っ!!」
振り上げられた緋想の剣は燃ゆる気質を滾らせ輝く。もはや触手も吸命牙も意味を成さぬ場まで踏み込んだ天子の威光は、金色のたてがみに美しく照り返った。
あるいは黄金。あるいは鉄の塊。それがいくら不死なる始祖であろうと、皮革を纏いし獣如きに遅れを取るはずがない。
一閃に次ぐ一閃は絶え間なく獅子の皮革を裂き緑色の血を撒き散らしていく。瞬くような速度で激しく刃を振り乱し、反撃を許さぬ猛勢で攻め立てる。
天子が発動したスペルカード【 剣技「気炎万丈の剣」 】でバラバラに引き裂かれたライオンアンデッドは全身から緑色の血を噴き出し、取り込んだ細胞から灰の残滓とステンドグラスの破片を溢れさせ。やがては成す術もなく、腰に帯びたアンデッドバックルを展開した。
仰向けに倒れ込んだライオンアンデッドにはもはや戦う力はない。バックルの中には『♠3』のスートとカテゴリーが刻まれているが、天子のもとにはそれを封印することができるラウズカードがない。プロパーブランクもコモンブランクも存在しない。
それでも天子は余裕の笑みを崩さなかった。あらゆるものの気質を写し取る緋想の剣があれば、封印のためのカードは要らず。ライオンアンデッドが持つ不死の闘争心、バトルファイトの法則は気質となり、その炎の如き刀身へと宿っていき──
天子がそのままバトルファイトの法則という気質を宿した緋想の剣をライオンアンデッドの胸へ突き立てると、獅子の始祖たる怪物は淡い緑色の輝きを放ちながら封印されていく。
舞い落ちた一枚の札はプライムベスタ『ビートライオン』となって、天子に拾い上げられた。
「……何だこれ? ライオンのカード? ふふん、偉大な私にはピッタリだわ!」
彼女の記憶の中には存在しないラウズカードという太古の札。されど勇猛なる獅子の絵柄を抱き有したその一枚に雄々しき誇りを感じ取り、満足げにそれを懐へしまう。
八雲紫から聞いたのはアンデッドという存在が不死であるという事実に加えて、その法則と気質を用いれば倒せぬながら封印は可能だということだけ。ラウズカードについての説明は一切受けていない。
──不意に博麗神社に訪れた空気の流れ。それを感じ取り、衣玖が表情を変えた。彼女は地震を伝える竜宮の使いとして、大気の流れを読み取り、生物の気配や気象の兆候をある程度ならば予測することができる『空気を読む程度の能力』を備えている。
彼女の黒い帽子から伸びるリュウグウノツカイの触角に似たリボンが風に揺れ、緋色の瞳で彼方の空を見上げた瞬間。そこには先ほど天子が切り裂いたものと同じ灰色のオーロラが現れた。
「どうやら次が来るようですね。連戦になりますが、休んでいる暇はないみたいです」
「ま、また新しい怪物ですか……? 霊夢さんたちはいったいどこに……」
袖に揺れるは深海魚のヒレめいたフリル。パチパチと迸る紫電を携えた右手に、いつでも螺旋を穿つ構えを取る。あうんは慣れぬ戦いで疲労して、怯えるように立ち竦んだ。
灰色を破るは三体もの怪物。ゆっくりと境内に降り立つ姿はおぞましき殺意に満ち溢れた異形を備えた、クウガの世界において未確認生命体と呼ばれる存在である。そのどれもが、腰には悪魔の形相を思わせる赤銅色のゲドルードを帯びていた。
未確認生命体第9号、ウミウシ種怪人『ズ・ミウジ・ギ』は濡れた鮮やかな皮膚を揺らめかせ、ぐじゅりと不快な音を立てて軟体動物の遺伝子を持つ触腕を掲げる。未確認生命体第10号、ウツボカズラ種怪人『ズ・ガズボ・デ』は壺が如き食虫植物の遺伝子を持つ口を開き、迎える少女たちを威圧する。
そしてもう一体。未確認生命体第11号、タコ種怪人『ズ・ダーゴ・ギ』もやはり、ズ・ミウジ・ギと似た軟体動物の身体を不気味に揺蕩わせると、吸盤を持つ八本もの触手を振るい上げた。
「グロンギまでお出まし? 退屈嫌いは気が合いそうだけど、生憎、殺戮の趣味はない!」
疲労の募る身体で対峙しても、天子は臆さない。三体のグロンギから立ち昇る緋色の気質を緋想の剣に纏わせ、その刃には古代リント文明が生み出した叡智の光を灯らせる。
天子自身が意識してその気質を選んだわけではない。気質を見極め、切り裂く。緋想の剣自身が持つ能力でもって、自らの刀身に封印エネルギーを宿したのだ。
それは彼らグロンギにとっては忌むべき輝き。同族たちの悉くを封印せしめた、西暦2000年のクウガの世界においては、蘇った自分たちに封印ではなく死という終焉をもたらした光。
皮肉にもそれが明確な弱点として定義されてしまったのは、彼らの悲願である
そのままだと53000文字くらいあったので、さすがに分割することにしました……
緋想の剣、分かりやすく言うとレジェンドプレートを持ったアルセウスのさばきのつぶて。
夏の魔化魍の音撃打以外の攻撃による分裂ってドロタボウくらいしか出てこなかったような気が。