東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm. 作:時間ネコ
すべてを破壊する。それは門矢士の揺るぎない在り方。ファインダー越しでしか世界と向き合えなかった青年は、旅を続け、仲間を作り、遥かな旅そのものが己が世界だと見出した。
そこに生まれてしまったのはディケイドの物語。ありえるはずのなかった、マゼンタ色の旅路。彼は最後に、何かを破壊することでしか存在することができなかった悪魔としての無慈悲な己自身さえも破壊してみせた。
──その破壊は、否定に非ず。何かを肯定するための破壊。創造のための破壊。それは破壊とは逆の『すべてを受け入れる』という能力を持つ博麗霊夢と同じ理である。
世界の破壊者として振る舞わなくていい。いつも通り、世界を写す旅人として気ままに──
晴れ渡る青空の下、春色の風が境内に花びらを散らしていく。数多の怪物が一同に会した博麗神社は、今や戦火を収め平穏を取り戻していた。
もはやそこには怪物の影はない。幻想郷のすべてに出現していた灰色のオーロラ、境界を超えるオーロラカーテンもすでに姿を消しており、ただ幻想郷らしいのんきな在り方だけがある。
「……うぅ……痛たた……」
縁側に腰かけたまま紅白の巫女は目を覚ました。右手でこめかみを押さえ、走る痛みに顔をしかめつつも、ゆっくりと開けた瞼に
博麗神社。霊夢の記憶に新しい戦いの場。されど怪物たちとの戦闘中、彼女自身と、彼女と肩を並べていた戦士クウガは境界の深淵に飲み込まれた。
闇の中で弾幕の光を交えた記憶。九つもの仮面を装う旧知の妖怪。混乱の連続と脳髄への負荷で頭痛は絶えぬが、それ以上に超常的な仮面の戦士の蹴りを生身で受けたのだ。頭の痛みよりも先に内臓が潰れかねんばかりの衝撃をまともに受けた痛みに苛まれているはずなのだが──
「夢……? そんなはずは……」
巫女装束の裾を持ち上げて自らの腹を確認するが、痣らしきものはない。確かに凄まじい激痛と共に腹部への蹴りを受けた感覚はあるのに、もはや痛みさえ残っていなかった。
あれはただの夢であったのだろうか。それにしてはこの目で見たもの、この身体に受けた感覚の記憶が鮮明すぎる。あるいは万物の境界を操る彼女のことだ。夢と現実の境界を曖昧にし、起きた事象を夢として処理してしまったとしてもおかしくない。
微かに覚えている夢の終わり。八雲紫と話していた女性の姿と声は霊夢の交友関係にある人物のもの。かつて幻想郷が月の都の遷都先に選ばれ、生命力という穢れを厭う月の民たちの侵略行為によって『浄化』という名目で地上が
一切の生命力を持たない機械仕掛けの蜘蛛。山の巫女曰く火星探査機にも似たそれらが幻想郷を這い回り、月都の最先端技術、ルナテクノロジーによって幻想郷の生命力は
古来より月への恨みをぶつけては己が純化した憎悪を振りかざす狂気の仙霊は、もはや千年前の出来事により月の頭脳たる八意永琳も、永遠と須臾の姫君たる蓬莱山輝夜をも失った月の戦力では撃退することができなかった。
その理由は先の二名を地上に追放してしまったがゆえだけではない。自らの存在さえ名もなき憎悪に純化され、無名の存在と成り果てた狂気の仙霊は、同じく月への恨みを持つ『地獄の女神』と手を結んでしまい、地獄を由来とする穢れた生命力の先兵たちで月を満たした。
月の都が地獄の穢れに汚染されてしまうことを恐れた月の賢者は、少しでもその進行を食い止めるために、夢の管理者たる『
本来の月の都は賢者の力によって凍結され、穢れの蔓延を防ぐことで無人の都とした。その間に幻想郷を第二の月の都とするべく、地上へと使者を向かわせていたのだが──
当然、そんな勝手な理由で幻想郷を奪われることを良しとする霊夢たちではない。彼女らは夢の世界の通路を使い、凍結された月の都へと向かい、月を侵略した元凶である異変首謀者たる狂気の仙霊と地獄の女神を幻想郷流のスペルカードルールでもって撃退した。
夢の支配者、 ドレミー・スイート 。月の民たち自身にさえも気づかれぬまま彼らを夢の世界に再現した月の都へと移し、一時的な避難所として夢を操っていた獏という妖怪。
霊夢が先ほど見た夢の中にも、彼女らしき姿を見た気がする。紫と会話をしていた内容は上手く思い出せないが、夢の世界と幻想郷、それぞれを管理するほどの権限と能力を持つ彼女らが一緒にいるというのはどうしても嫌な予感が拭えない。
普通ならば夢の内容にわざわざ一喜一憂したりしなくていいのだろうが──紫とドレミーは共に夢の世界へと踏み込むことができる存在。そして霊夢も月の都遷都計画に際して、月の民が使っていた連絡通路から生身で夢の世界へと踏み入ったこともある。
ただの夢だと捨て去れない。ここは幻想郷なのだ。夢の内容でさえ、現実に確かな影響を及ぼすこともある。外の世界から夢を通じて幻想郷にドッペルゲンガーを形成した存在が現れたことや、抑圧された夢の世界の人格が完全憑依異変の影響を受け現実で暴れ出したこともあったのだ。
「……っ、そうだ、五代さんは?」
霊夢はふと縁側から振り返って座敷を見やる。座布団を枕代わりにして眠りこける青年の姿は、まさしく霊夢が夢の中で肩を並べて戦った戦士クウガの変身者に他ならない。
昼下がりの陽光が差して照らす明るさに満たされた部屋、陽だまりの中で気持ちよさそうに眠りこける五代雄介を揺すって起こす霊夢。
寝ぼけ眼を擦ってのんきにあくびをする五代を見て、どこか自分に似た朗らかな波長、争いなど無縁であるべき柔和な笑顔の彼に、痛みやダメージは残っていないのだと安心した。
「あれ? 霊夢ちゃん……? さっきの人は?」
「私にもよく分かんないんだけど、夢ってことになった……のかな」
九つの仮面を自在に纏う八雲紫と戦った実感は、もはや夢に等しい幻の彼方。彼女が夢の世界で語った言葉も気になるが、今はそれ以上に確認しておくべきことがある。
スキマの中に引きずり込まれる直前、霊夢たちは博麗神社境内で怪物たちと戦っていた。その結末を、彼女たちは知らないのだ。すぐに縁側から降りた霊夢に続いて五代も靴を履き、庭園から神社の正面に回って拝殿前の境内へと向かっていくが──
すでに比那名居天子や永江衣玖の姿はない。灰色のオーロラも、怪物たちの姿もどこにも見られなかった。
霊夢の霊力で倒せなかった河童も、クウガのキックで倒せなかった不死身の獅子も、二人抜きで倒してくれたらしい。たしかに天人が持つあの緋想の剣ならば、特定の攻撃手段でしか倒せない怪物であろうとも、対象の気質を吸い上げて変化させることで無条件での撃破が可能であろう。
「あれはいったいなんだったんだろう……」
霊夢の思考に浮かぶのは、神社に怪物が現れる直前の一瞬、幻想郷全体の空気が切り替わったような感覚だった。灰色のオーロラが現れる感覚ではない。空気が捻じ曲がる感覚は確かに似ているのだが、どちらかというと接続というより、強制的な転移に近い。
幻想郷そのものの座標が切り替わった。上手く言葉にできない感覚だが、霊夢は何となくそう感じた。幻想郷自体が丸ごと、別のどこかに位置を変えてしまったような奇妙な感覚。
先ほど思考に思い返した月の都遷都計画の内容に繋がりを覚える。まさか紫が言っていた『里への対処』とは、そういうことなのか。
ありえない話ではないだろう。夢の支配者たる獏の力を借り、無力な里の人間に気づかれることなく彼らを夢の世界へと避難させたということなのか。月の民と同じ方法を選ぶなど、一度は月の都に大敗を喫して力の差を思い知らされている彼女らしからぬ手段と言えよう。
だが、もしそうならば、彼女の目的は何なのか。当初は紫が幻想郷に怪物たちを呼び招いているのかと思ったが、この異変が始まってからの彼女の振る舞いを見ても、どうやら彼女は怪物たちを倒してもらうことを望んでいるらしき素振りであった。
彼女は言っていた。幻想郷を破壊することが目的ではないと。無論、長く幻想郷を愛し見守ってきた彼女が幻想郷の終焉などを望むはずがない。
──だからこそ分からない。霊夢の勘をもってしても、この謎の異変の真相に辿り着けない。
「あうんちゃんもいないみたいけど……」
「大丈夫。妖力は感じるわ。狛犬に自分を宿したまま別の場所に行ってるみたい」
今や博麗神社にいる者は霊夢と五代の二人のみ。狛犬の高麗野あうんは自身の能力を使い、博麗神社の狛犬に己が存在を残したまま神霊である魂のみを他の神仏のもとへ飛ばしている。山の上の守矢神社や、里に近い命蓮寺を再び見て回っているらしい。
霊夢自身も一度境内からふわりと宙に浮く。空へ舞い上がり、幻想郷の最東端に建つ博麗神社、高く上がれば幻想郷を一望できる高台の上空から幻想郷全体を確認してみるが、どうやら怪物を出現させていたあのオーロラはどこにもない。ひとまず安心すると、霊夢は地上へと降りた。
「あれだけたくさんあったのに……逆に不気味ね」
あうんの報告では守矢神社にも命蓮寺にも。ビートチェイサー2000の通信では永遠亭にも。幻想郷中に出現していたオーロラ、おそらくそれが意味する事実は怪物の襲来。それが今は一つたりとも現れていない。
自分たちが紫のスキマの中にいた間に幻想郷で何があったのか。考えたところで答えは出まい。霊夢は一度小さく溜息をつくと、あうんの守護を帯びた博麗神社を振り返り見上げた。
「……仮面ライダー、か」
腕を組みながら神社を見上げ思考する霊夢。五代はその名を知らなかった。彼の生きたクウガの世界において、クウガはクウガ、あるいは未確認生命体第4号と呼ばれる。
仮面を纏う異形の戦士の法則は、クウガの世界以外にもあった。そして霊夢たちが実際に会ったことがあるそれは、霧の湖で出会った龍騎のみ。彼が存在した世界では、同様に仮面を纏う戦士は仮面ライダーと呼ばれているらしい。
霧の湖に赴いてグロンギと戦った際に僅かな時間、肩を並べたのみ。もう一度彼に会えれば少しは他の法則について何か分かるかもしれない。語り聞いた情報はあまり多くなかったが、出会った場所と、彼と共にいた紅美鈴の存在を考えれば、おそらくは紅魔館にいるはずだ。
霊夢はそれがただ『龍騎』とだけでなく、仮面ライダーという別の名を持っていたことについて少しだけ考えてみた。例えばクウガの世界のように戦士がクウガだけであれば、クウガという名前以外には必要な名前はない。
だが、もし仮面ライダーと定義できる者が同じ世界に複数いたなら。ついさっき現と交わる夢の中で見た光景、あるいは最初に夢で見た地獄絵図を思い返す。
そこにひしめく仮面の戦士は九人どころではなく、何百人単位で戦ってはいなかったか。それもただ一人、たった一人であの地獄の光景を生み出した最悪の存在、世界の破壊者を相手として。
「俺も仮面ライダーって名乗っていいのかな? ほら、仮面するし、バイクにも乗るし」
「まぁ、間違ってはないんじゃないかしら」
五代は爽やかな振る舞いで自分のシャツに刻まれたクウガのマーク、古代リント文明における戦士を表す象形文字を見下ろしたり、博麗神社境内に停められたビートチェイサー2000の傍で己が腰に眠るアークルを服の上から撫でるような仕草をした。
はしゃいでいる、というよりは少しだけ気持ちが楽になったのか。あるいは自分と同じような、ただ戦うために選ばれた哀しき宿命の担い手が自分の他にいてほしくないと思いつつも、心のどこかでは孤独に戦い続ける異形の戦士としての自分に寂しさを感じていたのだろう。
英雄はただ一人でいい。涙と血に染まった拳で切り拓ける未来など痛みに満ちているに決まっている。誰も拳を振るわなくていい、ただ青空のような笑顔が広がる世界。
ようやく戦いを終えて冒険家としての日々を取り戻したというのに、倒したはずの未確認が蘇ってしまっており、未知の世界に招かれては未知の怪物とも戦わなくてはならない。そんなどうしようもない痛みが豪雨となりて心を濡らす。
それでも五代は自分の拳を再び涙に染める覚悟を決めた。自分一人が悲しみを背負っていけば、やがていつかは青空になる。そう信じて再びクウガとして立ち上がった。
──たった一人。異形の仮面を帯びて。そんな孤独な世界に灯る、異世界の龍の咆哮。自分と同じく仮面を装い人々を守るために戦っている戦士が別の世界に存在しているのだと知ったときは、彼もまた拳を涙に染めてしまうのだと悲しくもあったが──同時に嬉しさも覚えていたのだ。
「超変身、仮面ライダークウガ! ……なんか、不思議としっくりくるなぁ……」
のんきにポーズを決める五代の笑顔は、痛みに耐える仮面ではない。心の底から誰かの青空足り得る温もりとなる、彼の2000の技の一番最初の特技である。
その笑顔を見ていると、霊夢も自然と笑顔になれた。思わず零した笑みは、霊夢自身も五代がたった一人で戦い続けた苦しみをその振る舞いから感じ取っており、無意識のうちに彼の在り様に救いを求めていたからだろうか。
正確には五代は本当の意味で一人で戦っていたわけではない。五代の傍にはいつも仲間がいた。自分を信じてくれた刑事。古代碑文を解読してくれた友。幼き頃の恩師に、この身の異常に親身になってくれた、あの刑事の友たる司法解剖専門医。
彼らの助けを得て、五代は彼らの意志と共に戦った。だが、戦士としてはただ一人。クウガの世界、五代雄介が生きた世界において、仮面ライダーと定義できる者はクウガ以外には存在していないのだ。拳をもってグロンギと戦うことができる者は、五代雄介をおいて他にいなかった。
「とりあえず、一応は里の様子を確認しておいたほうがいいかな。五代さんも──」
まったく信用がないわけではないとはいえ、紫の言動には底知れぬ不安と不信感がつきまとう。念のため人間の里の様子を確認しようという旨を告げようとしたとき。
不意に、博麗神社の境内に不気味な風が吹き込んだ。霊夢の黒髪と巫女装束の裾を揺らすその一条の冷たさに、今は春の温もりに満たされた桜の木々に似つかぬ違和感を覚える。
季節の違和感ではない。その風は間違いなく、人間の里で薔薇の匂いと共に感じたあの空気と同じもの。紫のスキマから感じたものにもよく似た怜悧な風──
鳥居の方向、幻想郷に向き合うように拝殿を背にして振り返った霊夢は一瞬だけ浮かび上がった灰色のオーロラカーテンを見た。境内を撫でるように過ぎ去ったそれを帳として、鳥居の下に現れていたのは人間の男。ベージュ色のコートを纏った、外来人と思しき眼鏡の男性だった。
「……っ、誰……!?」
人間らしからぬ不気味な気配。不敵な笑みを浮かべ、何の前触れもなくそこに立っていた男に対し、霊夢はすでに消え去った灰色のオーロラへの警戒も合わせて身構えた。
五代も同様にその存在に気がつき、クウガへの変身こそせずとも拳を構えては男に向き直る。
「博麗霊夢、そして五代雄介。もうじきこの世界には『ディケイド』が現れる。自分たちの世界を守りたいと思うのであれば……用心することだ」
男は鳥居の下からその先に踏み入ってくることもなく、どこか現実味のない響きを伴う声色でそう告げた。霊夢と五代、それぞれの顔を見つつ、眼鏡の奥から覗く双眸でもって彼らの歩む未来を見定めているかのような振る舞いで。
彼が何を伝えようとしているのかは分からない。目を離したつもりはなかったのだが、気づけば男は五代の背後に立っており、その気配に驚いた五代は咄嗟に振り返って飛び退く。
「ディケイド……?」
告げられたその名を思わず零す五代。彼には心当たりはない。しかし、同様にその名を耳にした霊夢は記憶にこそないはずのその名に何かを感じていた。
自らの意思ではない。それは己が記憶ですらない。ただ虚ろで曖昧な夢の中、凄惨な地獄絵図の中に佇む悪魔の如き戦士の姿。マゼンタ色の威光でもってあらゆる世界を貫き砕いていた圧倒的な力の具現。霊夢はその眩き姿に対して夢の中、無意識のうちに幾度となくその名を口走っていた、ような気がする。
「そう。あれは世界の破壊者であり、すべての仮面ライダーの敵だ。すでに仮面ライダーの法則が接続されたこの世界も、奴の手によって破壊されるだろう。それを阻止できるのは──」
謎の男の不敵な笑みはいつの間にか消えている。揺蕩うオーロラの如く神出鬼没な振る舞いで、それこそ霊夢がよく知る八雲紫にも似た妖しき挙動で。
男は再び霊夢と五代の視界から姿を消した。博麗神社境内を通り抜けるように吹き抜けた灰色のオーロラカーテンの揺らめきを伴って、幻想を否定する不快な風の残滓だけを残して。
「──君だけだ、博麗霊夢」
すでに消え去った男の声が博麗神社の境内を吹き抜ける。不自然なほど近くで、真後ろから聞こえたようにすら感じて思わず振り返ったが、拝殿があるだけで誰もいない。
狐につままれたよう──と表現するのも癪だ。霊夢は眉をひそめ、あの胡散臭い境界の大妖怪を思い出しながら謎の男が言っていた言葉を脳内で反芻する。
「まったく、どいつもこいつも──」
どうしようもなく、溢れ出るのは深い溜め息。わけのわからないことに付き合わされることには慣れている。これまでも多くの異変、多くの災禍を巫女として解決してきたのだ。ただ思わずにはいられないのが、八雲紫を始めとした大いなる存在どもの語り口。
霊夢は苦笑する五代の傍ら、彼と共に青空を見上げた。幻想郷の守護者、博麗の巫女。空を飛ぶ不思議な巫女とも呼ばれた己が天性の能力で、幾度も舞い上がり一つとなった世界。
彼女の『主に空を飛ぶ程度の能力』はただ文字通り空を飛ぶことができるというだけではない。博麗霊夢という存在そのもの、彼女の在り方そのものが、幻想郷に等しい。
ありとあらゆる法則から宙に浮くという法則。法則に縛られないという独自のルールを持つということ。それは重力でさえ、結界でさえ、封印でさえ。博麗霊夢という存在を縛りつけることができないということを意味している。
奇しくもそれは『彼』とよく似た在り方だ。あらゆる法則を受けつけない。逆に言えば、それはあらゆる法則に干渉されず、その絶対性を破壊してしまうということ。
法則、すなわち世界の破壊者。加えてそれは霊夢自身の存在そのものでもある。自分自身の存在そのものを己が力としているのは、霊夢だけではない。おそらくあの男はそこに可能性を見出したのだろう。かの破壊者とはまったく逆の、全てを受け入れるという在り方に期待を込めて──
優しく吹き抜ける暖かい風。忘れ去られ否定された者さえも受け入れる、どこか現実味の感じられない風に黒いコートをはためかせて佇むは、あらゆる世界から拒絶された異物だった。
これまでも何度も経験してきた世界の境界を超える感覚。歪む光、移ろう空。そんな空気の切り替わりと共に、青年──門矢士は脳裏を染める不快な雲の在り方に溜め息をついた。
「──もっと分かりやすく伝えられないのか」
思わず口をつくは奇しくも霊夢と同じ意思の発露。この身に何かを伝えようとする意思たちは、なぜどいつもこいつも遠回しで分かりにくい伝え方しかできないのか。あの男も、もう少し丁寧に説明してくれれば少しは運命も違ったかもしれないだろうに。
それはこの名もなき世界に訪れてからも同じこと。八雲立つ紫色の妖気を纏ったあの女、人間ならざる存在もまた、自らに旅を促したキバたる青年と同様に、その語り口は要領を得なかった。
「ここがあいつの言っていた
見上げる青空に不気味な虹霓はない。ただどこまでも吹き抜ける爽やかな色、その晴れ渡る笑顔のような世界には灰色のオーロラも現れてはいない。
舞い散る桜の花びらと肌を撫でる暖かさは、この場所が春色の陽気に包まれていることの証左。時空を超える世界間移動の旅路において、士はこれまでも様々な時間、様々な空間を渡り歩いてきた。自分がいた冬の時間との差異もすぐに受け入れ、コートの肩に乗った花びらを払う。
「…………」
士はあの女に言われた言葉を思い返していた。黄昏が如き金髪の女。逢魔が如き紫色の瞳。その在り方に惑わされず、自分と世界のピントを合わせるように──カメラのダイヤルに指を添える。見下ろすファインダーの中、幻想郷と呼ばれた小さな楽園へと向き合って。
自分に与えられた役割。それはあるがままの服装から考えるに、自分自身、門矢士であれというものだろう。それが世界の破壊者としての自分なのか、それとも世界を渡り歩くただの旅人としての自分なのかまでは、分からない。
八雲紫は、こう言った。ディケイドは必ず世界の歪みを引き寄せる。ディケイドの存在によって誘い出された世界の歪みの根源──『本来の物語には存在しない異物』を破壊しろ、と。そうすることで自ら希釈化してしまった物語たちへの贖罪とせよ、と。
幻想郷に誘われた九人の仮面ライダーの法則に対応する九つの異物が、遠くないうちに現れるのだという。士にはその異物とやらが何を意味しているのか分からなかったのだが、まぁ、だいたい分かるだろうとあまり深く考えないことにした。
これまでも多くの世界を旅し、多くの物語を繋いできたのだ。
──異物が混入したら、排除しないと。
去り際にそう呟かれた八雲紫の言葉。意味など理解できるはずもない。言葉通りに受け取れば、それは世界に侵入した歪みとやらを取り除く意思なのであろうが──
八雲紫の在り方に詳しくない門矢士でさえ。どこか、その言葉に不気味な意図を覚えていた。
幻想郷、人間の里。霊夢と五代はそれぞれ飛行とビートチェイサーの疾走をもってこの地に辿り着いた。本来ならば活気に溢れているはずの場所であったが、そこにはもはや人々の気配はない。上白沢慧音の能力によって里の歴史が隠されているというわけでもなかった。
開けっ放しの門の前には誰もいない。その先を超えて進んでみても、やはり人の姿は一切見られない。霊夢はなんとなく予想がついていたが、その光景が意味する事実に一人で辿り着いた。
「やっぱり……里の人たちはみんな夢の世界に……?」
かつて月の賢者が獏に依頼したように、紫も同様に無力な里の人間を夢の世界に避難させているのだろう。たしかに夢の世界であればドレミー・スイートの思うがままだ。現実と寸分違わず同じ人間の里を夢の中に再現し、誰にも気づかれることなく安全に保護することができる。だが、無力な人間たちは長時間の夢によって精神を蝕まれてしまいかねない。
もしも紫が彼らを夢の世界に避難させていたとしても、安心はできないのだ。霊夢は力強く拳を握り、誰もいなくなってしまった無人の里で、活気の名残である家屋を見渡してみた。
そこで違和感に気づく。どうやら五代も気づいたらしい。そこに人が存在しないのは言わずもがな、自然の変化さえも滞っているのだ。
月の都の幻想郷遷都計画を阻止しに月へ向かった際に、月の都が凍結されていた光景を思い出す。無人となった月の都はさらなる変化を停止させるために月の賢者の権限で一切の変化を引き起こさないよう時間の流れや空間そのものが『永遠』という形で止まっていた。
凍り付いた永遠の都。物理的に冷凍されていたわけではないが、そう錯覚させるほどに変化なき冷たい都には寒々しさが感じられた。幻想郷における人間の里も幻想郷の賢者によって凍結されているのだろう。現に、自然な風の一つも吹いていなければ、舞い散る桜の花は止まっている。
「…………」
かつて幻想郷の満月が遥か太古の月にすり替えられていた異変の折に、八雲紫は月の異変を暴くため己の能力で明けない夜をもたらした。表立っては永夜異変と呼ばれたあのときの異変と同様、彼女は今回も里に何らかの術を施しているらしい。
幻想郷全体の夜を止めたときとは違い、人間の里の時間と空間を論理的に停止している。ここはもはや昼も夜もなく、過去も未来も存在しない、独立した時空として定義されているようだ。
「じゃあ、ここにいた人たちはみんな安全な場所に避難できたってことだよね」
帰る場所も安心みたいだし。と楽観的に呟く五代。彼には永夜異変についての知識も月の都の遷都計画に関する知識もほとんどないが、霊夢が落ち着いている様子からさほどの心配は必要ないと判断したのだろう。
実際に保護されている夢の世界の人々を確認したわけではないが、紫とて里の人間は幻想郷の心臓とも呼べ得るほど大切に思っているはず。
人がいなければ妖怪は存在できない。夢を通じて幻想郷の妖怪たちに里の人間の恐れを供給できれば、実際に彼らが現実の幻想郷に存在していなくとも妖怪との繋がりは果たされる。
長時間の夢による精神への悪影響だけが心配だ。彼らにとって帰るべき場所であるこの地を守り抜き、笑顔と青空が広がる人間の里を無事に取り戻すため、五代と霊夢はこの戦いを終わらせるという覚悟を、その胸に強く抱く。
ふと、霊夢は疑問を覚えた。無力な人間は避難させられている。何の確証もないが、八雲紫への無意識の信頼と夢の中で見たドレミー・スイートの存在から霊夢は勘でそう確信している。だが、里にも人間に扮して生きている妖怪はいるはずだ。
昼は人間の酒場として、夜は妖怪のための酒場として営まれている店の看板娘。里の子供たちが通う寺子屋の教師たる半人半獣。その他にも妖怪の身分を隠し里に踏み入る妖怪も多いが──
「慧音や他の妖怪はどうなってるのかな。ちょっと寺子屋まで様子を見に──」
里に何かあれば霊夢が五代雄介と初めて会ったあのときのように、幻想郷の歴史を編纂するワーハクタク、上白沢慧音が里の歴史を喰らって外敵から里そのものを隠すだろう。だが、おそらくは賢者の意思で里の人間そのものがいなくなったこの里で、彼女らはどうしているのか。
「……っ、霊夢ちゃん!」
不意に五代が少女の名を呼ぶ。その声に意識を引っ張られてようやく気づくことができた。停止した里にあるはずのない風が髪を撫でていたことに。
やはり冷たく怜悧な風。その正体は紛れもなく灰色のオーロラがもたらす外の風。寺子屋の方角とは少し違うが、里の中心に近い場所の上空にそれが現れているではないか。
霊夢と五代は互いの顔を見合わせて頷くと、それぞれ己が霊力と愛機をもってそこへ向かう。
閑散とした人間の里。大通りと言える場所にはやはり灰色のオーロラが広がっていた。虚ろに揺らめくその帳はここではないどこかと繋がっており、時間も空間も停止してしまった無人の里に冷たい外の世界の風を送り込んでいる。
オーロラはその彼方に三つの影を浮かび上がらせた。一つはその中心から帳を裂くようにその姿を現し、その左右に付き従うように、残る二体がゆっくりと誘い出てくる。
不気味な形相は地を這うヤモリが如く。中心の一体は爬虫類めいた意匠を帯びた異形の怪物であった。その手の平には壁に張りつく吸着機能を備えた滑り止めを持ち、腰にはやはりズの階級を表す赤銅色の悪魔を模したベルト状の装飾品、鈍く輝くゲドルードが装備されている。
未確認生命体第13号、ヤモリ種怪人『ズ・ジャモル・レ』は無人なる人間の里の地を踏みしめて周囲を訝った。肌身に伝うその感覚は直感的な違和感として里の異常を伝えさせたのだろう。
なんだ? いったい 何が 起こっている?
「バンザ? ギダダギ バビグ ゴボ デデギス?」
なぜ誰もいないのか──ではない。ただ彼の地より送られる怪物たち、下級のグロンギたちには幻想郷の構図や地理などは伝えられていないため、人間の里の機能さえ知らない。原始的な文明しか持たぬ彼が違和感を覚えたのは、この地の時空が停止していることだ。
遥か太古の時代。リントとグロンギが争い合っていた世界において、彼らは細かな自然の変化を感じ取れるほどに鍛えられていた。この肉体が、明らかにこの場所の異変を感じている。
風がない?
「バゼグ バギ?」
妖怪の仕業なのか?
「ジョグ バギン ギパザ バボバ?」
ヤモリめいた怪物の左右に控えるは同じくズ集団に属する二体の怪物。それらは鏡映しのようによく似ており、さながら双子のネズミとも呼べ得るような哺乳類の意匠を持っていた。
二体はそれぞれ未確認生命体第12号と定義され、極めてよく似たその姿から警視庁により一度は同一個体と誤認され捜査に影響を及ぼしたこともある。
第12号Aと呼ばれた一体はネズミ種怪人『ズ・ネズマ・ダ』と呼ばれる存在。もう一体はその死後に現れた同個体の血族であるのかもしれない。かつてはゲゲルの遂行を果たせず時間切れによってゲドルードの機能が作動し、自爆という形でその命を散らしてしまったが、その直後にゲゲルを始めた同種の怪物がいた。
こちらは第12号Bと称されるもう一体のネズミ種怪人。その名を『ズ・ネズモ・ダ』と称され、ほとんど同じ外見、能力をもってゲゲルを進めたが、五代の活躍によって倒された者だった。
ここは リントの 匂いがしない 別の場所に 行くべきだ
「ボボパ ギバギグ ビゴギン リント デヅン ダショビ ギブデビザ」
待て そう焦るな それに 俺たちの 目的は 今は リントじゃない
「ラデ ゴグ ガゲスバ ゴセビ ゴセダヂン ログ デギパ ギラパ ジャバギ リント」
殺意の享楽に逸るズ・ネズマ・ダの言葉を制止するズ・ジャモル・レ。同じくズ・ネズモ・ダも無力な人間を殺害することに餓えている様子だが、その手首に備わった腕輪──グゼパが意味する通り、彼らの目的はリントならざるリント、妖怪の力を奪うことだ。
あえて人間の里に現れたのは彼らの意思なのか、あるいは幻想郷の二つの結界によって灰色のオーロラの座標を狂わされ、この地に現れてしまったのか。
ズ・ジャモル・レたちはそこへ耳に聞き慣れぬ忌まわしき異音を聞く。古代には存在しなかった機械仕掛けの馬の嘶き。ビートチェイサー2000のエンジン音とタイヤが土を駆る音を聞き、空を舞ってこの地に降り立った博麗霊夢の傍に立つリントの男──五代雄介の姿を見やった。
「あいつら、また性懲りもなく里に……!」
「未確認生命体第12号……! やっぱ二匹いたのか……! それに第13号も……!」
霊夢にとってはやはり未知なる怪物。五代にとってはやはり過去に戦ったことのある相手。ズ・ネズマ・ダに関してのみ言えば形式上は警官隊の銃撃で倒したという報告になっているが、実際はゲゲルの時間切れによるゲームオーバーが引き起こした自爆による死だ。
残る二体は赤い戦士──マイティフォームのクウガとして紛れもなく引導を渡している。すでに一年以上も前の記憶ではあるが、この拳に伝う悲しみと暴力を振るう辛さは拭い去れていない。
リント それも 二人もだ
「リント ゴセロ ドググビン ロザ」
ようやく 殺せる 俺の獲物だ
「ジョグ ジャブ ボソゲス ゴセン ゲロボザ」
僅かな警戒を見せたズ・ジャモル・レの反応を気にすることなく、五代と霊夢の存在に気づいた二体、ズ・ネズマ・ダとズ・ネズモ・ダはすぐに駆け出した。霊夢は咄嗟にお札を構え、五代はビートチェイサーから降りるや否やアークルを現す構えを取るが──
すぐに二体のグロンギは動きを止める。ネズミの聴覚か、それとも本能的な感覚か。二体のネズミ種怪人だけではない。様子を伺っていたズ・ジャモル・レまでも、自身の視界の先にいた五代と霊夢ではなく、背後を振り返って何かを警戒し始めた。
その理由を、すぐに五代と霊夢も悟ることになる。今は人間の姿ではあるが、体内に埋め込まれた古代リント文明の遺物、霊石アマダムによる神経状組織による力か。生身のままでも強化された五感に伝う、元の世界でよく聞いた、自動二輪車が唸る音。
霊夢はその身こそただの人間である。ゆえに一瞬の反応が遅れた様子。それでも音という明確な変化はすぐに聴覚に届いてきた。霊夢と五代、二人は等しく怪物たちと同じ方向を見る。
「…………」
里の彼方より現れた『その男』は里の大地を擦り止めるタイヤの音を奏でた。黒と白に彩られた異質なバイク、派手なマゼンタ色を前面に装うマシンディケイダー。
次元さえも超えるその叡智よりゆっくりと降り、黒いコートを纏った青年はその地に立つ。
「……! 人間……!? いや、あの格好……外来人なの……?」
霊夢はいざ戦おうとした二体のグロンギが別のものに振り返ったことに拍子抜けしたが、現れた男が外来人であることに気づいた。彼が乗っていた乗り物、霊夢が知る五代のビートチェイサー2000と等しい『バイク』という機体を見て、それは揺るぎなき確信へと変わる。
青年は漆黒のコートを春風に揺らし、恐れ怯むことなくグロンギたちを見渡した。微かな疑問を抱きながらも、自らの在り方に迷いを持たぬその姿。霊夢は一瞬だけその在り方に奇妙な既視感を覚えた。
──門矢士は世界を超えた。在るべき世界から因果を超えて、幻想郷に踏み込んだ。誰もいなくなった人間の里を次なる己が世界とし、向き合う異形に新たなる物語を見て。
霊夢と五代もその男へと意識を向ける。彼が何者なのかは分からない。あるいは何の力も持たぬ人間であるなら、わざわざこの場に現れはしまい。加えて現代的な衣服と乗り物を有している点を見れば、霊夢にとってもそれが五代と同じ『仮面ライダー』であるのだと推測できたが──
丁度いい あいつも 俺が 殺してやる
「チョグゾ ギギ ガギヅロ ゴセグ ボソギデジャス」
ズ・ネズマ・ダはその佇まいに苛立ちを覚えたのだろう。霊夢と五代を無視し、そのまま大地を駆けて漆黒のコートを纏う青年に向かっていく。
同じくネズミの能力を宿したズ・ネズモ・ダも共に駆け出した。二体はそれぞれ鏡映しのように息の合った動きで同時に爪を振りかざし、何の構えもなく立つ青年へと襲いかかる。
霊夢は一瞬だけ息を飲んだ。青年は怪物に対し一切の恐怖を抱いていない。それどころかまるでネズミたちのほうが追い立てられるべき獲物だとでも言わんばかりの、森羅万象を圧壊せんとする破壊的な衝動に、どこかおぞましきマゼンタ色の威光を垣間見る。
青年──門矢士に無駄な動きはなかった。迫り来る二体のグロンギ、ズ・ネズマ・ダとズ・ネズモ・ダの動きを完璧に見切ると、ただ僅かな動きだけでその爪の舞いを難なく避けてみせた。
何の工夫もない単調な動き。遥か古代の、それも戦いを知らぬ民族であれば一方的に虐殺できただろう。されど戦うために生み出されたリントの戦士はその弱き拳を赤子のように捻ったという。それはきっと、長く続いてきた英雄たちの物語の始まりだったのかもしれない。
あるいは太陽の如き神の代行者にも、鏡の世界で生き残る龍の咆哮にも、ただネズミの遺伝子をもたらす魔石ゲブロンに頼っただけの怪物は勝てはしない。
その系譜は連綿と続いている。灰の使者を灰へと還す紅き閃光。不死の運命と永遠に戦い続ける紺碧の剣。自然の祈りに己を捧げ鍛え抜いた鬼。さらには天の道を往く真紅の一本角にも、過去と未来を正しく繋ぎ流るる桃の列車にも、誇り高く血の音色を奏でる夜色の牙と翼にも。
「──グロンギか」
門矢士はその名をよく知っている。その姿をよく知っている。ヤモリとネズミという個体こそ知らずとも、クウガの世界において遥か古代の戦場を血に染めた彼ら殺戮種族のことを、世界の破壊者という役割を拝命した瞬間から理解している。
彼らと刃を交わしたこともある。されど彼らの文化圏で育ったわけでも、その法則を学んでいたわけでもない。だが、振るわれる爪を避ける傍ら、士は小さく溜息をついてはその口を開いた。
悪いな 俺はそう簡単にはやられない
「パスギバ ゴセパ ゴグ バンダン ビパ ジャサセ バギ」
口を開いたのは十番目の法則。すべてを破壊し、すべてを繋ぐ因果の調停者。青年、門矢士は不安定で曖昧な過去という記憶を、己が在り方をその身に宿し、どこで学んだのか、あるいは特異な能力なのか。ついぞ判然とすることがなかったグロンギの言葉でそう告げた。
「「……!?」」
長い脚を振り上げ、眼前を一閃すれば二体のネズミ種怪人は蹴り倒される。魔石ゲブロンで強化された肉体、生身の蹴りを受けたところで何のダメージにもならないが、ただの人間、ただのリントだと思っていた男がグロンギ語を話したことに怯んだのだろう。
すぐに体勢を立て直し、二体はそれぞれ向き合ってはそれが聞き間違いでないと知る。彼らにとって、それは今までに前例のないこと。グロンギ語はグロンギにしか扱えない。グロンギ以外の生物がグロンギ語を用いて発声することなど、クウガの世界の因果にはあり得ぬことだった。
「……っ! 今、あいつ……!」
「うん、俺にも聞こえた。あの人、グロンギの言葉を……」
霊夢と五代も聞き逃すことはなかった。紛れもなくクウガの世界を生きた五代雄介にとっても、それは信じられぬこと。原典たる彼の世界でも、物語の希薄化によって『再編された』クウガの世界においても、グロンギ語とは言語学者にさえ解明できなかったとされる。
同時期に用いられていた古代リント文明の言語であれば解析し、その意味を解読することはできたが、彼らリントと敵対していたグロンギの言語については文献が一切残っていないのだ。
それで お前たちの 目的はなんだ?
「ゴセゼ ゴラ ゲダヂン ロブデビ パバンザ?」
二体のネズミ種怪人を見やりながらパンパンと手を払う。理論上は普通の人間の滑舌でも発声し得る音だが、グロンギ以外の者にとってその言葉は文字列として脳に入ってこない。
青年の言葉を遠くで聞いていた五代と霊夢はそれを複雑な音の羅列としか聞き取れなかった。
貴様 リントの分際で なぜ
「ビガラ ヅン ザギゼン リント バゼゾ ボドダン グロンギ」
「さぁな。たまたまそういう役割だった、ってだけだろ」
向き合うグロンギ、士にとってはどちらでも良い。ズ・ネズマ・ダか、ズ・ネズモ・ダか。そのどちらかが己が言語をもって士に問いかける。すでに相手の言語に付き合うのに飽きてしまったのか、士は自らの世界、渡り歩いた世界において馴染み深き一般的な日本語で返した。
ただゲゲルに興じるだけの下級のグロンギには見下すべきリント共の言語を理解しようとする意思はない。そもそもズ集団程度の者はそれを理解できるだけの知能を持つ者が多くない。かつての戦いにおいても、リントの言葉を学ぶことができた個体は僅かだった。
ネズミ種怪人たちは首を傾げるだけで士の言葉に返答しない。やはりグロンギ語でなければ意思の疎通はできないのだろう。もはや交わす言葉さえも不要だと判断して、士は黒いコートから白く楕円を帯びたバックル──灰色のレンズを持つディケイドライバーのバックルを取り出した。
「あのベルトは……!?」
士の腰に押し当てられたそれを見て霊夢が目を見開く。間違いない。あれは夢の中で見たもの。そして、誘われたスキマの闇の中で八雲紫が腰に帯びていたもの。
鋭い音を立てて士の腰には銀色のベルトが巻きつく。正面の白い楕円を留め金とし、腰帯として機能したディケイドライバー。霊夢の思考には不安と焦燥の光と影がオーロラの如く瞬く。
「ちっ……あいつ……肝心のカードを……」
自身の左腰に装うライドブッカーのページを開き、士は苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。クラインの壺へと繋がる無限空間の書架、仮面ライダーの物語という膨大な歴史をアーカイブしたその世界を探るものの、士の指先に伝わるそれは彼が求めた
一度は奪われた上で返還されたディケイドライバー。それに付随するライドブッカーもこの手に取り戻すことができたが、かつての戦いでも用いた最も大切な一枚、門矢士自身を他の誰でもなく揺るぎなく仮面ライダーとして定義するものが、ここにはない。
世界の破壊者と呼ばれた。すべての仮面ライダーの敵だと恐れられた。そして、存在そのものが悪魔だと蔑まれた。それでもかけがえのないもの。失いたくないもの。
すべてを破壊するだけの墓標たる仮面でも──それはすべてを繋ぐただ一つの祈りなのだ。
「ディケイド……」
生身のままグロンギと戦う青年を見て、霊夢が胸に抱いたのは小さな恐れだった。あのベルトは間違いなく夢の中で見たもの。そして紫が使っていたもの。世界の破壊者と呼ばれたマゼンタ色の仮面ライダーが用いていた装備に相違ない。
博麗神社に現れた男の警告を思い出す。ディケイドは世界を破壊する。すべての仮面ライダーの敵であると。それを鵜呑みにしていいほど信用できる男ではないかもしれないが──
ただ、己の勘だけは他の何より信用に足る要素である。霊夢は冷たい汗の流れを感じ、ぎゅっと握り締めた拳の中に己の不安を振り払う力強さを込めることができなかった。
その様子を訝った五代は彼女を心配するように、いつも通りの優しさを込めて声をかける。
「あの人も……仮面ライダーなのかな?」
「分からないけど……あの感じ……たぶん……」
脳裏を過った悪夢の光景に判断が鈍っていたものの、五代の声に気づいた。確かに不審な外来人だが、見た限りは生身の人間。楽園の巫女たる霊夢の保護対象である。
腰にベルトを装えど、青年は仮面の戦士に変身しようとしない。もしあれが紫が使っていたのと同じものであれば、九つもの仮面を変幻自在に纏うことができるはずだ。否、しないのではなく、できないのかもしれない。
スキマ空間で見た紫の変身した姿は、九人の英雄たちの姿。ベルトこそ同じなれど、あの凄惨な悪夢の中で見たマゼンタ色の戦士の姿はなかった。それに気になるのは、あの言葉。
十番目の世界。九つの物語の先に、十番目の物語があるのなら。博麗神社の賽銭箱で手に取ったあのカード、あの一枚の写真に描かれた存在。ただ虚ろな輪郭だけが灰色に描かれたあれは。
霊夢の直感が導き出した答えは、その懐に眠る一枚のカードへと指先を伸ばしていた。
「……! 他のカードまで……どうなってる……?」
二体のネズミ種怪人を相手にしても上手く立ち回れていたが、さすがに生身では限界がある。だが、纏うべき仮面の叡智はライドブッカーの中にはなかった。幾度ページをめくり、その指先でもって無限の世界を辿れども、手に入れたはずの歴史の欠片が──
長い旅路で得た友との絆。繋ぎ束ねてきた数多の世界。かけがえのない歴史を証明する欠片が。もはや色褪せた空虚な残滓と化し──士の心には失意に濡れた悔恨の念が溢れ出した。
「──っ!」
迫る拳はネズミ種怪人のもの。されど、その一撃が士を襲うことはない。迸った弾幕の光が輝き爆ぜ、ズ・ネズマ・ダとズ・ネズモ・ダを爆風で吹き飛ばしたのだ。
そのまま士の前に着地する霊夢の隣に五代が立つ。構える二人の瞳には力強さが灯るのみ。
「その力……弾幕ってやつか。あんたが博麗の巫女なのか?」
左腰に開いていたライドブッカー ブックモードを閉じ、士は霊夢の背中に問いかけた。霊夢はその言葉に僅かばかりの驚きを覚えたため、思わず背後の士へと振り向いてしまう。
「私を知ってるの? いや、それより、そのベルト……」
霊夢の視線はやはり士が腰に帯びるディケイドライバーへと向かう。だが、グロンギたちは悪魔も巫女も区別はしない。ただ狩るべきリントとして殺戮の対象と成すだけ。その荒々しく残虐的な闘争心は、遥か太古の時代から絶えず血生臭い享楽だけを滲ませて。
士は左腰からライドブッカーを引き抜いた。一瞬の隙を見せた霊夢と五代の狭間を縫うように、ガンモードへと変形させたそれの引き金を軽く引く。白く輝き溢れる光弾は怪物を怯ませた。
「ぐっ……!」
本来ならば仮面ライダーとして用いるべきものを生身で撃ったために、士の右腕には軋むような痛みが走る。微かに眉を歪めただけで、その表情は仮面の如く痛みを見せることなく。
風の消えた人間の里。その銃撃で生じた爆風により、一瞬だけ風圧が生じた。舞い上がる硝煙に混じり、エネルギーの波動に紛れて揺れる霊夢の巫女装束。その揺らめきが灰色のオーロラを思わせるのか。紅と白の装いに古代の戦士を垣間見たのか。
不意に士の視界に飛び込んだのは霊夢が右手に持つ一枚のカードであった。それは灰色の絵柄だけを持つカードとして力を失っているが、感じられる気配は紛れもなく士の記憶にあるもの。
「そのカードは……! どうしてお前がそれを?」
「はっ? な、何? この不気味なカードがどうかしたっての?」
士に問いかけられた霊夢は目の前で起きた光の炸裂と士の言葉に混乱を見せた。彼女の思考の中では未だに答えが定まっていない。この男がただの人間であるのなら博麗の巫女として守るべきだろう。だが、あの乗り物やベルトを見るに、紛れもなく仮面を装う戦士の一人。
加えて己が勘が警鐘を鳴らすのだ。オーロラから現れた男の言葉に従うわけではないが、天性の直感が告げている。悪夢の中で見た地獄絵図。世界の破壊者という災禍を見過ごすなと。
「霊夢ちゃん! 前!」
五代の言葉に再び正面へと向き直る霊夢。迫り来るネズミ種怪人たちを蹴りで突き飛ばして距離を取るものの、その間を縫って現れたズ・ジャモル・レの鋭い爪には後退せざるを得なかった。五代は変身する隙すらも見出せず、二体のネズミ種怪人を相手している。
一体は霊夢が弾幕をもって相手することができるが、残る二体を同時に相手取っている状態ではアークルを現すこともままならない。
せめて少しでもその隙を設けてやろうと考え、霊夢は込めた霊力を圧縮したお札をばら撒き、博麗アミュレットと成して三体のグロンギに向けて撃ち放った。ライドブッカー ガンモードの射撃を上回る爆発が発生し、再び停止した人間の里に一瞬の爆風が吹き荒れ──
そこへ光が灯る。五代雄介の知らぬ彼らの新たな力。かつての戦いにおいては備えていなかったはずの、ズ・ジャモル・レによる攻撃が迫る。
怪物はその腕に装った腕輪──グロンギがゲゲルにおいて狩った獲物の数を数える際に用いるグゼパという装飾品の、その内に溜め込んでいたエネルギーを解き放ったのだ。
数多の妖精や妖怪の力を吸い上げてきた叡智。それを破棄することで、その力そのものを妖力の光弾としてさながら弾幕の如く。五代と霊夢の前で炸裂させ、二人を爆風でもって吹き飛ばす。
「うぁあっ!」
油断していたつもりはない。だが、戦士クウガと言えどグロンギのすべてを知るわけではない。かつての戦いでは見せなかった謎の光に対応できず、背後の士の傍に叩き伏せられる。
霊夢も同様であった。未知の妖怪を相手にしても決して隙を見せず、悠然と立ち向かう博麗の巫女でも、この地に現れた青年の存在がゆえか。脳裏を染める悪夢の光景に微かな懸念を覚えてしまい、一瞬の反応が遅れたのだろう。
五代と共に士の傍らに倒れ伏した霊夢はズ・ジャモル・レの姿を睨み見上げる。彼らは幻想郷の存在する世界とは別の、クウガの物語を有する世界から現れたはず。霊夢が違和感を覚えたのはその力の質だった。肌身に伝わる妖力の波は、紛れもなく幻想郷の妖怪が持つ気と同じもの──
「くっ……」
その手に取り出したはずの一枚のカードは手元にない。爆発に際して取り落としてしまったのだろうか。霊夢はそんなことを気にする余裕もなく、すぐに体勢を立て直す。
懐から取り出そうと試みるは別の一枚。それは博麗の巫女としての覚悟を込めたスペルカード。五代も立ち上がり、眼前の敵への隙を最小限にしてアークルを現そうと腰を両手で覆う。
「……そういうことか」
濛々と走る土煙さえもが風のない里で停止する。不自然に消えたそれらを前に、門矢士はただ神妙な表情を浮かべて佇んでいた。ズ・ジャモル・レはその在り方に苛立ちを覚えたようで、左右のネズミ種怪人に目配せし、それらを士に
そこへひらりと舞い落ちるはたった一枚のカードだった。幻想郷の少女たちが交わす弾幕の名を刻んだスペルカードではない。鏡の世界の契約を表すアドベントカードでも、太古の戦いにおいて切り札となるラウズカードでもない。
それは色を失った写真。あるべきマゼンタ色の光を喪失してしまった、ただ虚ろで希薄な仮面の輪郭だけを持つ『カメンライド』のためのライダーカード。停止した人間の里において、それでもなお重力に従うようにひらひらと舞い落ちるそれを、門矢士は己が右手の指先で掴み取った。
「っ!?」
霊夢と五代は息を飲む。視界に満ちるはマゼンタ色の光。幾何学的に歪み始めた人間の里には、先ほどまでなかったはずの自然の風が吹き抜ける。
どこか灰色のオーロラのようにも見える、揺らめく時空の乱気流。まるで迷走するパラレルワールドに飛び込んでしまったかのような、万華鏡のような視界の変化に戸惑いを隠せない。
「この世界も、俺たちの世界も。みんなまとめて救ってやる!」
ただ己が在り方を貫く。その揺るぎない宣言と同時に、士が手にする
現れた絵柄は先ほどまでの輪郭の真の姿。門矢士が真に装うべき仮面。マゼンタ色の兜、漆黒のバーコードめいたそこに、ただ力強く万物を睥睨する緑色の複眼を設けた破壊者の姿。
士は腰に装うディケイドライバーのサイドハンドルを掴み、白い楕円を垂直の形に展開する。
「あんた、いったい何者なの……?」
不意に吹き荒れた未知の風に佇むは黒衣の旅人。灰色のオーロラは万華鏡の如く揺らめき移ろい瞬いて。さながら砕けたレンズ越しの世界のように里の空を歪み捻じ曲げていく。
指先にカードを掲げ、士はゆっくりと右腕を持ち上げながら顔を上げた。向き合うは彼の世界に由来せぬ異物。クウガの世界の理より現れた三体の怪物。その中心に立つ一体たるヤモリ種怪人、ズ・ジャモル・レは、ただのリントならざる威圧的な気配に一歩、後退る。
九つの物語。その道の先に歩み見た、真実の
あるいは纏う仮面に異なる意味を宿した伊達なる姿の五侍もいた。振るう真剣に込めた願いは、その名に仮面ライダーの法則を持たずとも、一つの世界の要となりて在り続ける。士はその久遠の旅路の果てに掴んだのだ。どこまでも己がままに。ただ遍く世界を渡り往く、旅人として──
「通りすがりの仮面ライダーだ、覚えておけ!」
己が在り方を疑うことのないように。自分の存在を確かめるように。力強く噛みしめたその想いは、これまでも幾度となく自身に刻み込んできた揺るぎなき意思。
──見上げる星に、それぞれの歴史は輝いている。それらを線で結んだ先、破壊と創造の輪廻を超えた先で、彼らの物語は紡がれ続ける。
目の前に広がっていた九つの道。今は振り返れば思い出せるその道が、やがて一つに重なって。新しい夜明けへと続く道を、新しい風が通り抜ける道を──切り拓いていくのだろう。
「……変身!」
『カメンライド』
高らかなる宣言と共に翻す。指先に掲げたライダーカードの裏側を彼方に向け、それをそのままディケイドライバーの本体へと叩き込む。灰色のレンズは真紅に染まり、そこに悪魔めいた意匠を刻んだ破壊者の紋章を写し出した。
唸る旋律と高鳴る光明に手慣れた様子でサイドハンドルへと両の手を沿える士。勢いよくそれを閉ざすと、写し出されていた紋章は角度を変えて正しく輝く。
『ディケイド!』
破壊の棺は雄々しく謳う。その淵より瞬き溢れた幾重もの虚像が士の身へと束ねり集い、やがて無彩色のスーツとなり。真紅のレンズから前方へ飛び出した数枚の薄い板、次元の境界を定義するそれら『ライドプレート』が戦士の仮面を刺し貫き、その身をマゼンタ色に染めていく。
万物を睥睨する緑色の複眼は力強く輝き。額を
黒と白を刻む胸の十字は罪業の証。大いなる玉座に祀られし悪魔の象徴。掲げる十字架に背負う意味は、それがただ世界に仇為す者であることを示すものではない。
己を『十番目』と成す楔。九つの世界を破壊するだけのものではなく、自らを十番目の道として物語を紡いでいく意思。彼の鎧に満ち滾る最果ての鉱石『ディヴァインオレ』が叫ぶ理に、もはや門矢士は大鷲の双翼に縛られぬ極光を見た。
終わりなく歩むは彼の物語。これからもずっと続いていく数多くの世界を見守り、破壊と創造を繰り返す。それが世界の破壊者という存在が往く己が世界、旅路という名の物語なのだ。
ただ、我が道を往く。誰もが旅の途中。本当の自分自身に出逢うために。それぞれの世界が戦うことを恐れるなと。通りすぎずに向き合うことを求め、道を探し選ぶ意思を問う。
その瞬間に決断するすべてで、未来は理想にも絶望にも変わっていくだろう。だからこそ、己が信じた道を走り続ける。レンズ越しに切り取ってきた景色を、涙で濡らさないために。
世界は目撃する。九つの物語を繋いだ最果ての理。十年紀に刻まれた遥かなる旅路の物語を。
── 私の処へやってきたあんたは全てを破壊する目をしていたわ! ──
あらゆるものを破壊する少女曰く、在りし日の博麗の巫女は破壊者の目をしていたようです。
全然関係ないですが『
すなわち現実と空想。実数と虚数。数学に長けたゆかりんならやりかねないネーミング。
普通に考えて神仏のお告げや予知夢を意味する霊夢からでしょうが、考察は楽しいですからね。