東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm. 作:時間ネコ
それは、不思議と慣れ親しんだ感覚だった。無意識のうちに空と空との境界を超える感覚。ただ真っ直ぐに飛んでいるだけなのに、彼女を見る者はそれを異質だという。
実在と非実在の境界。そこにあるのにそこにないもの。彼女は──博麗霊夢は。そうして空白の隙間を飛び越える。そんな何もない境界の中で、聞き覚えのない誰かの声を聞いたような。
「────」
一瞬の静寂に聞こえた声は言葉足り得ず。紅白の巫女装束を纏う姿は、同じく紅白の巫女装束を纏う霊夢にとって、鏡映しのような同一存在にも見えたが──
その髪の色彩は明らかに異なる。黒髪である霊夢とは似つかない、
否、彼女から感じられる印象は和でも洋でもなかった。その手に持つは中国の楽器。弦を震わせ奏でる音色は伝統的な旋律を感じさせ、少女の装いもまたどこか和や洋の要素を取り入れながら、その本質は中華風のものに見える。
見ることができたのも聞くことができたのも僅かな時の間。それは記憶にも残せなかった。
博麗神社。乱れた四季に春の息吹を残す境界の敷地。桜の花びらはひらひらと境内に舞い落ちて、今はいない巫女の帰りを待つ普通の魔法使いが見上げる青空を飾っていく。
箒を賽銭箱に立てかけて、霧雨魔理沙は黒い帽子で陽の光から目を守りながら空を見た。
「あの妙なオーロラは出てない……よな」
魔理沙の思考に映るは幻想郷に悪意を呼び込む灰色の幕。
フリルを伴うエプロンと緩やかな金髪を揺らす暖かい春の風。桜の花びらを纏うそれは本来なら心地よく感じられただろう。だが、今は歪んだ空気の中に異質なものを感じざるを得ない。
「……っ!?」
不意にその風が鋭さを変える。魔理沙が警戒したのは、緩やかな空気の流れがどこか方向性を持って捻じ曲がったように感じられたから。一瞬の変化の後に訪れたのは、神社の境内を貫くように現れた時空の裂け目。またしても怪物の出現か──と身構えたところ。
すぐに違和感に気づく。現れたのは例の灰色のオーロラに相違ない。だがそれは今まで目にしたものとは少し様子が違っていた。灰色の向こうから感じられる彼方の風には、今まで灰色のオーロラから感じられていた外の世界の風がない。
幻想を否定する怜悧な空気を伴わぬどころか、むしろ同じ幻想郷の空気を。幼い頃より慣れ親しんだ故郷の風を。かつて魔理沙が暮らしていた人間の里のそれに似た気配を持っていたのだ。
「……っ、ここは……博麗神社?」
灰色のオーロラから吐き出されるように姿を見せたのは魔理沙がよく知る者だった。この神社の巫女である博麗霊夢はオーロラから流れる空気に押し出されるようにふわりと宙を舞っては境内に軽やかに着地し、外来人の五代雄介はバランスを崩しながらも何とか体勢を整える。
「お前ら、いったいどこから……!?」
怪物が現れると思っていたところから知り合いが現れて困惑する魔理沙。霊夢も自分がどういう状況に陥ったのか把握できておらず、きょろきょろと周囲を見回して間違いなく博麗神社の境内に立っていることを認識する。見紛うはずはない。生まれ育った家だ。
すぐに霊夢と五代は魔理沙の存在に気がついた。どうやら博麗神社を模した別の場所、ということもないらしい。よく知る彼女の怪訝な表情は霊夢にとって、馴染みのある安心感があった。
「あ、魔理沙ちゃん。そっちはどうだった?」
五代も状況を把握しかねながら、顔と名を知る魔理沙を案ずる。どうやら霊夢も五代も特に変わったところはないようで、魔理沙は安心したような表情を浮かべてほっと息をついた。
こっちも特に変わったことはない、と五代の問いに返そうとしたとき。彼女は表情を変える。
「……誰だ、お前? 敵か?」
灰色のオーロラからゆっくりと歩んできたもう一人の影。霊夢と五代、二人の間を抜けるように背後から歩み出てきたのは黒いコートにマゼンタ色のトイカメラを提げた何者か。
魔理沙の記憶にはない。どこか破壊的な威圧感を感じさせる外の世界の旅人。見た目こそはどうやら外来人らしいとも思えたが、その男──門矢士が放つ気配はただの人間とは言い難い。
「いや、たぶん味方……とも言えないけど。少なくとも、今は敵ではないわ」
「……そ、そうか。すまん、早とちりしたな」
霊夢は絶妙に信頼の置けない表情で士へと振り返って魔理沙に告げる。不愉快そうに眉を歪めた士はこういった扱いに慣れてはいる様子で溜息をついた。
魔理沙は魔力を込めようと構えていた手を下ろし、霊夢の意を
どういうわけか境内を撫で上げるように吹き抜けたオーロラは五代のビートチェイサー2000と士のマシンディケイダーも博麗神社に呼び寄せていた。前者は境内の傍の木にもたれかかるように送り込まれ、後者は鳥居の下に現れた直後、また別のオーロラを伴って消失した。
ディケイドのマシンとして開発されたマシンディケイダーは次元を超える。おそらく今は必要ないと判断したマシンディケイダー自身のプログラムが世界の法則に干渉し、オーロラを開いたのであろう。士は一瞥のあと、すぐに別の思考をする。
自分たちをこの場に引き寄せた灰色のオーロラは見た目こそ各世界で確認された時空の歪み、世界を超える境界に相違ない。だが、やはり違和感が残る。これまでも幾度となくオーロラを介した移動をしてきたが、あの感覚はどちらかというと──八雲紫のスキマに近いものだったような。
「お前も外来人だよな? 霧雨魔理沙だ。見ての通り、普通の魔法使いだぜ」
確かに敵意は感じないと判断した彼女は士に歩み寄ろうという意思をもって名を名乗る。難しい顔で考え込んでいる様子の士であったが、その意思に気がついたようだ。
相変わらずぶっきらぼうな態度で首から提げたトイカメラを弄り、上部のファインダーに視線を落としてカメラ越しに魔理沙と向き合いつつ、無配慮にシャッターを切って写真を撮る。
「そうか。まぁ、だいたいわかった」
鴉天狗の写真機で知っているものとはいえ、いきなり写真を撮られては心地良い想いはしない。魔理沙は不躾な男の態度に少しばかり苛立ったものの、やはり向き合っている男の雰囲気にどこか全身が強張る感覚を覚えた。無意識のうちにこの男を恐れてしまっているのか──
「……こいつは門矢士。通りすがりの仮面ライダーらしいわ」
そんな雰囲気を察したのか否か、霊夢は小さく溜息をついては助け船を出すように士の名を魔理沙に紹介した。男の名こそ分かったが、魔理沙は聞き馴染みのない霊夢の言葉に首を傾げる。
「仮面ライダー?」
「ほら、俺が変身するクウガとか、他にも変身する人がいるみたい」
魔理沙の疑問に答える五代もまた仮面を纏う戦士の一人。彼が生きたクウガの世界において、彼以外に該当する戦士は存在していなかったのだが、この幻想郷という幾多もの世界が交わる座標において異世界のそれらはクウガと同じく仮面を纏う者、仮面ライダーと定義できた。
全ての世界において仮面ライダーの名が用いられるわけではない。五代や霊夢もその名を知ったのは龍騎の世界を出身とする城戸真司の口から聞いたため。まったく異なる法則を持つその力に、戸惑いもあった。
無論、クウガただ一人のみを該当者とするクウガの世界において、仮面ライダーの名は存在しない。それでもどこか『仮面ライダークウガ』の定義を無意識に受け入れた五代の心理には、自身がそうあるべきとして選ばれた因果による影響なのか。
幻想郷に接続された世界は九つであろう。単純に考えれば、霊夢たちが出会った彼ら戦士たち、クウガと龍騎を除く七名の仮面ライダーもこの幻想郷のどこかにいる。
法則外の存在。イレギュラーたる十番目の戦士──仮面ライダーディケイドを例外として。
「例の仮面の戦士のことか。ってことは、こいつも仮面の戦士に変身するのか?」
魔理沙は五代の振る舞いを見て、思考にクウガの姿を映す。そのままちらりと士に向けた視線に隠し切れない訝しみを乗せて、小さな恐れを拭うようにその在り方を問うた。
「そういうことだ。今この
士は語る。幻想郷に繋がった法則の数は九つ。それらの世界から招かれた楔、法則の接続点として機能している仮面ライダーは九人。それに加えて自身が世界の法則そのものであり、世界固有の法則を持たないディケイド、門矢士を番外存在として計十人。
八雲紫の目的は未だ曖昧で不明瞭。それでも士はかつても同様に、不明瞭な目的のままに行動を求められてきた。それが士の役割であり、旅路であるなら。此度もあるがままに従おう。
「──その世界の法則を得て仮面ライダーになった、
腕を組んで小さく溜息を零す士の表情は、関係ない者を巻き込んでしまったという憂いなのか。あるいは面倒なことに巻き込まれてしまったという苛立ちの発露なのか。
もはや、八雲紫が彼に語った通り。この幻想郷は──引き返せないほどに染まっているのだ。
博麗神社の居間。障子の隙間より差し照らす陽だまりの中で。交わる座標の代行者たちは少しばかりの言葉を交わして、自らが知る情報を共有していた。
戦いを共にした霊夢も五代も未だ士のことを何も知らない。共に戦ってすらいない魔理沙はディケイドの姿さえも見たことがなく、その名さえも知らなかったのだ。互いに語る口調は滑らかとは言い難かったが──
やはり底知れぬ威圧感は滲み溢れる雰囲気からのみ。こちらを欺く意思もない。初対面で信用できないのはお互い様だ。無愛想な態度は生まれつきのものなのであろう。
魔理沙は少しだけ警戒を緩めることにした。見るものすべてを威圧する異変解決中の霊夢に向き合ったときのような感覚は今はない。世界の破壊者だの、謎の男が警告したというディケイドなる存在だの、考えさせられることは多々あったものの、今はとにかく情報を整理すべきだった。
「世界の破壊者……か」
霊夢や五代と共に里を守ってくれたという門矢士は、一旦は敵ではない。里で初めて五代雄介、クウガと出会ったときも、ただ怪物と仲間割れしている怪物と認識したものの、自分たちと同じく怪物と戦うために力を振るう味方と理解した。
どこか別の外の世界。異なる法則を持つ並行世界から現れた者。彼らが幻想郷に呼び寄せられた理由は、それら怪物に対抗するためか。紫の言っていた計画とやらの全容も未だ掴めていないが、少なくとも彼ら──外来人の戦士たちは味方と見ていいのか。
物騒な呼び名は今は置いておく。彼が語る破壊とはいったい何なのか。なぜ悪魔と呼ばれ恐れられているのか。それよりも今はまず幻想郷のことだ。魔理沙は理解した認識を改めて確認する。
「つまり、今の幻想郷には外来人の他にも、仮面ライダーになれる奴らがいるんだな?」
未知の怪物は幾度も目にした。未知の戦士も噂に聞く。クウガ以外の存在も何人かいるらしいことは、実際に目にしたことはなくとも知っている。話によると、どうやら霊夢と五代は霧の湖にて龍騎なる戦士と出会っているらしい。
気になったのは、幻想郷に招かれた外なる世界の人間たち、九人の仮面ライダーだけではない。士曰く、どうやらその力を持つのは外来人だけではないというのだ。
霊夢や五代は驚いた様子を見せない。彼女らはスキマ空間に引き込まれた際に、八雲紫が幻想郷の法則に由来しない未知の力、ディケイドライバーを用いて変身し、様々な姿の仮面ライダーとなった瞬間を見ている。
紫はどういう理由かディケイドライバーを士に返却し、今は仮面ライダーに変身する力を失っている様子。だが、おそらくは紫と同様、仮面ライダーの力を得た者は他にも存在する。
仮面ライダーの法則を持たない世界にて、仮面ライダーの力を与える存在。士は多くの世界を巡ってきた。だが、そんな存在に心当たりがあるとすれば、ただ一人しかいない。
しかし妙だ。あの男はディケイドによる世界の破壊を何よりも恐れ、憎悪している。自ら世界の均衡を崩すような真似をして何になるというのか。士の思考は、紫色の闇の中へと沈んでいく。
「やっぱりそういうことだったのね。変だと思ったわ。夢の中では明らかに何十人もいたし」
「そんなに……? っていうか、夢の中って?」
真剣な表情で口を開いた霊夢の言葉に、五代が疑問を浮かべる。霊夢が見た夢の内容では、紫がディケイドの力で変身していた九人の仮面ライダーの他にも、数え切れないほど多くの戦士たちが戦っていた。そのどれもが異なる意匠を持ち、どれもが異なる意志を伴って。
「……何度か見るのよ。大勢の仮面ライダーたちが一人を相手に戦って、散っていく夢」
無論、夢の内容など鮮明に思い出せるような記憶ではない。霊夢はその夢がただの夢だと片付けられるものではないと分かっていながらも、どうしようもなく不明瞭に曖昧に消えていく──その心象風景を思い返す。
九人の戦士たちがいた。彼らと共に武器を取る、さらに多くの戦士たちがいた。スキマ空間で戦った紫が変身した戦士の姿は、はっきりとではないが覚えている。
それらと似た法則と力を持ちつつも、まったく別の戦士として並び立ち、あるいは呉越同舟し。たった一人の仮面ライダーに滅ぼされていく光景は──地獄絵図と呼ぶ他にないものだった。
「夢の中にはクウガもいたわ。でも、あれは五代さんじゃなかった。そんな気がする」
「俺じゃない、クウガ? もしかして俺の前にクウガだった、リントの人かな?」
霊夢の発言に自身の世界にあった歴史を想起する五代。本来、クウガは古代リント文明の男性が変身していたとされ、現代に未確認生命体──グロンギが復活することを予見して、自らをも棺に封印し、来たる
クウガの世界における西暦2000年、最初の冬。九郎ヶ岳遺跡で発掘された棺から未確認生命体第0号が復活してしまい、第0号は封印されていた同族を蘇らせる傍ら、忌まわしきクウガからアークルを引き剥がして2000年の眠りに引導を渡し。先代のクウガとして戦ったリントの男は、その長い生涯に終止符を打つこととなった。
五代雄介がそのアークルを手にし、新たな時代における新たなクウガとなったのは、ただの偶然であったのだろうか。ただそこにいた人の笑顔を守りたいがため。ただ意味も理由もなく無慈悲に壊される笑顔を守りたいがため。
何人もの人が殺された。そんな一瞬から零れ落ちた、未知の発掘物として警察に回収されたアークル。それが見せた遥か古代の戦いの
まだアークルに触れてすらおらず、それを一目見ただけ。何の縁もないはずの、ただの冒険家であった五代にアークルが何かを伝えようとしたのは──いったいどんな巡り逢わせだったのか。
「おそらく、それは別の世界のクウガだ。俺はそいつと世界を巡る旅をしていたことがある」
士は重々しく口を開く。いくつもの世界を巡った長い旅路。原典たるクウガの物語から生まれた別のクウガの物語、再編されたクウガの世界でクウガとして戦っていた男。彼もまた誰かの笑顔のために戦える男として、士と共に戦ってきた。
傷つき、成長し、怒りや悲しみを乗り越えて辿り着いた先。旅の果て。それは門矢士の否定であった。世界を繋ぎ、絆を育み、記憶も居場所もない自分に仲間という拠り所ができて。ようやく辿り着いた場所で下された無慈悲な答え。自分の行いは『大きな過ち』だったと。
──今から僕の仲間が、貴方の旅を終わらせます。何の感情もなく、ただ写し損ねた写真を捨てるように。キバの世界の代行者は告げた。
向かい来るは九人の戦士たち。自分たちが仲間にしてきた再編存在とは違う。おそらくは原典の力を持つ九つの物語たち。それらが本当に原典の歴史と共に在る本来の仮面ライダーたちなのかは分からなかった。
旅路を共にしていた女性も霊夢と同じ夢を見ていたという。その夢の内容が現実になることは、きっとずっと前から決まっていたことなのだろう。
世界の破壊者、法則の否定者である悪魔、ディケイドを滅ぼすべく、士に旅を求めたあの青年はキバの鎧を身に纏った。同じく原典と等しき力を持つ戦士たちは次元を超えて、それぞれの世界が抱き持つ多くの戦士たちを呼び寄せて。ただディケイド一人を倒すために戦争じみた激しい戦いを繰り広げ──戦いの果てには、いつも気がつけばすべて元通り。
何度繰り返したのか。記憶を失って力を手に入れて、旅を続けて否定されて、地獄のような戦いの中でただ一人勝ち残って。そして再びすべての記憶が感光して、また最初に戻るだけ。
繰り返しの果て、士は気づけば本当の悪魔になっていた。世界を破壊する存在として玉座に祀り上げられていたかつての自分。記憶を失って仲間たちと出会って、人間らしい自分の在り方を見つけることができたと思っていた矢先。
否定、否定、否定。もはや自分が何を目指していたかさえも見失って、迫り来る戦士たちを退け続けて完膚なきまでに叩きのめして、湧き上がる激情に身をやつして戦い続けて。
九つの理を巡る終わりなき円環。それを打破したのは紛れもなく仲間たちの存在だった。破壊しかできなかった自分を、ディケイドの物語を。愛してくれた──かけがえのない者たちの祈り。
「そして、そいつらが戦っていた相手は、たぶん。……俺だろうな」
「…………」
小さく零された想いに、五代は口を閉ざす。士の表情は五代にとって、他人事ではない何かを感じさせた。振り絞るように自らの覚悟を滲ませる雰囲気は、五代がこの幻想郷に招かれてまだ間もない頃。霊夢に対して語った想い、戦いの過去を話したときに似ている。
異なる地平、異なる物語。何もかもを違えた因果の果てであろうと、変わらないのだ。門矢士と名乗ったこの青年もまた。五代雄介と同様に数え切れない苦難を乗り越えてきた。
それが仮面ライダーと呼ばれた戦士たちの歴史であるのだろう。自分や彼だけではない。きっとこの世界に招かれた九人の戦士たちは皆、それぞれ秘める想いに覚悟を宿している。自分の知らぬ戦いの歴史。異なる世界の物語。それは誰にも否定されるべきではない、それぞれの生き様だ。
「俺は世界の破壊者。……悪魔だからな。紛れもなく、俺は多くのものを破壊してきた」
霊夢が見た夢の内容を証明するかのように、士は自らの過去を語る。長い旅を幾度も繰り返した末の冬の日。自分の存在をようやく肯定することができた日。夏の日にも一度だけ出会った二人の探偵は、仮面ライダーの歴史を次の時代へと繋ぐ新たな風となって旅立っていった。
破壊のための
ようやく自分自身と呼べる存在を掴み取ることができたあの旅路を忘れることはない。たとえ世界を破壊するために生まれた悪魔の如き力であろうと。それは自分そのものだ。世界の破壊者であることを否定したりはしない。自分自身を肯定し、向き合ってきた世界たちを肯定するために。
「ただの夢……とは言えないよね」
「ま、そういうこと。夢だと楽観視するには、ちょっと気になる内容だったかも……」
五代の懸念はもっともであった。霊夢としてもやはりそれを単なる夢として片付けてしまう気はない。同じ内容の夢で見た光景には確かにディケイドの姿があった。それに見たことのない無数の仮面ライダーの姿も。それらは確かに、あの世界の破壊者を倒そうとしていた。
神社で出会ったあの男が警告していたディケイドという存在が門矢士という人物を指すのであれば、こうして自分たちの目で警戒していればいい。だが、霊夢は小さな違和感を覚えていた。まだ現実で目にしたのは一度だけだが、里で彼の変身を見た際は夢の中で見たものとはほんの少しだけ印象が違っていたような──そんな気がする。
夢で見たディケイドは、底知れぬ破壊衝動に満ちていた。額に秘める紫色。歪に捻じ曲がった緑色の複眼。里で肩を並べて戦ったディケイドとは比べ物にならないほどの激情を放ち、視界に映るものの何もかもを破壊しようとしているとさえ思わせる、有無を言わさぬ破壊という力の具現。
「……本当に大丈夫なのか? お前が夢ですら警戒する相手だ。本当に破壊者なんじゃ……」
「だったら、そのときはそのときよ。幻想郷に仇為す存在として、退治すればいいだけ」
押し黙っていた魔理沙が不安そうに士の表情を見やる。不快そうに眉をひそめた士からはやはり只者ではない雰囲気が感じられるが、今は普通の人間にしか見えない。
魔理沙の言葉に対し、霊夢は相変わらずのんきな態度で返す。彼女とて何の警戒もしていないわけではない。それは神社で出会った謎の男から受けた警告によるものではなく、長年の異変解決と妖怪退治で培った経験と──天性の直感がもたらす懸念。
門矢士。仮面ライダーディケイド。この存在はここにいる五代雄介や霧の湖で出会った城戸真司という男とは大きく隔絶した何かを感じさせる。
霊夢には幻想郷とは異なる座標に宿った世界の法則について詳しくは分からないが、その直感が訴えるのだ。この男には、幻想郷に結びつくだけの何かがないと。その世界の、その物語の法則。幻想郷とその世界を繋げるための楔たる所以とでも呼ぶべきものが存在しないのだと。
「あんたも気をつけなさい。ちなみに五代さんも。傍から見たら未確認生命体と一緒だから」
愚直な努力家を揶揄するように、霊夢は魔理沙に警告する。士は目線を逸らしながら溜め息をついて、不服だが致し方ないといった素振りを見せた。五代に対する警戒も、まだ完全に消えてなくなったわけではない。
複雑な心境を表情に滲ませ、こちらもまた自分に納得をつけた素振りを見せる五代。握りしめた拳が成し得るのは暴力のみ。誰かの笑顔を守りたいと戦い続けても、それは結局、グロンギという別の誰かを傷つけることでしか実現できない自己矛盾の極致だ。
ならばせめて戦士としてではなく、ただの冒険家、五代雄介として。今は握った拳の親指だけを立てる仕草を見せて、戦士としての仮面ではない、偽りのない笑顔で青空たる意志を示すのみ。
「まぁ、あいつらと一緒だとは思わないけど。……ん?」
相変わらず無垢な振る舞いの五代に怪訝な表情を見せる霊夢だったが、居間の外、境内のほうに見知った霊力の波動が灯ったことに気がついた。
神秘的ながら親しみやすい神獣の像。一対の狛犬と獅子である高麗野あうん。彼女は神霊としての魂を分割し、二体分となって片方の自分を狛犬像に残したまま。博麗神社を結界で守護したままもう一体の自分を幻想郷中の様々な神仏の社に宿して探索することができるのだ。
霊夢たちは再び境内へと出る。仄かに神秘の波動を放つ一対の像にはあうんの存在そのものたる神格が灯っているだけ。そこにあうん自身はいるとも言えるが、同時にいないとも言える。
『けほけほっ。……霊夢さん、帰ってたんですね』
「……? あんた、誰?」
『嫌だなぁ、コマ犬の高麗野ですよぉ』
石像に灯った神秘の波動から聞こえてきたのは振動数の高い不思議な声。まるで空気よりも軽い気体が肺を満たしているときのような独特の声だったため、霊夢はそれがあうんの声だとすぐには認識できなかった。
慣れ親しんだ霊力の気配から聞き慣れぬ異質な声が聞こえてきて、さすがの霊夢も訝しげな顔で石像に向き合っていたものの、狛犬の石像から彼女以外の声が聞こえてくることなどあるまい。
「あうんちゃん? その声、どうしたの?」
『いやぁ、境内にカッパが現れたじゃないですか。あの固まった粘液を掃除してたら……』
掠れた声で話すあうん。博麗神社に未知の怪物が現れたとき、その中に含まれていた響鬼の世界より来たる怪異。魔化魍と呼ばれる自然の具現のうち、幻想郷の河童によく似たものは、まさしく同じカッパの呼び名を有していた。
魔化魍カッパが吐き出した白い粘液が境内の石畳に付着し、その粘液が凝固したものはカッパの死後も消えることはない。あうんは境内に残された白い粘液を光弾などを駆使して破壊し、境内を綺麗に清掃しようとしてくれていたらしいが──
どうやらその粘液が曲者であったようだ。ただ自由を封じ込めるだけではなく、気化した粘液は吸い込むことによって生物の喉に不調をきたす性質があったという。
かつて響鬼の世界にて戦い抜いた鬼が同じ症状に苛まれてしまったように、あうんもカッパの粘液が気化したガスを吸い込んで、機械的な加工を施したような甲高い声になってしまっていた。
『さっき、永遠亭で
「……よくわからんが、新種の河童が出たのか。まぁ、なんだ。お大事にな」
石像越しに話すあうんは声こそ明らかに異常をきたしているようだが、喉の不調のほかには特に大事はないらしい。あうんの言うカッパについて魔理沙は知らなかったものの、いつも通りに話している様子からさほどの心配はいらなさそうだと判断し、連絡してきたあうんの言葉を待つ。
『ああ、それと報告です。魔法の森の近くで謎の飛行体が発見されたとか。人間の里から北へ飛び去っていったのを目撃した天狗がいたみたいで、現在は鴉天狗たちが調査中らしいです』
真剣な声色──と呼べるかは疑問だが、相変わらず甲高い声で続けるあうんの言葉に、五代は思考の中によくないものを過らせた。
人間の里で戦った未確認生命体のことを思い出す。オーロラで逃げることなく自らの翅を震わせ飛行していたスズメバチに似たグロンギ。未確認生命体第14号、メ・バヂス・バは、この幻想郷において未だ撃破できていない。あれが再び確認されたのならどこかで犠牲者が出てしまう。
「里から飛び去ったって……もしかして第14号?」
「何号だか知らんが、飛ぶってことはあのスズメバチみたいなやつのことか?」
五代の焦燥に続いて問うは門矢士だ。彼がかつて訪れたのは再編されたクウガの世界。原典たるクウガの世界とは異なる因果と物語を抱き有し、現れた
たとえ一致していたとしても士はそれをいちいち記憶していないだろう。怪物の出現タイミングなど彼にとってはどうでもいいことだ。クウガの法則に確定された因果というわけではない。また別の物語を紡ぐクウガの世界を訪れてみれば、さらに異なる番号が振られているはずだ。
「……あ、そうだ。14号に対抗するには拳銃がないと」
「そういえば拳銃がどうとか言ってたわね。銃ならこいつが使ってたのを貸してもらえば?」
思い出したように語る五代。霊夢はその真意を深く知らないが、門矢士、ディケイドが銃と思しき武器を使っていたのはこの目で確認している。
メ・バヂス・バの飛行速度は脅威だ。空を飛ぶ未確認生命体は過去にも第3号──コウモリの能力を持つズ・ゴオマ・グがいたが、あちらは夜間にしか行動できず、相応の飛行速度を有していたものの、上空から攻撃するには滑空という接近の過程が必要であったらしい。
針を飛ばすという遠隔攻撃手段を持っていた14号とは違い、3号は獲物を狙う際に地上に降りてきていた。しかし高空からの攻撃手段を持つ未確認生命体第14号と交戦するには、こちらも遠距離射撃武器が必要不可欠となる。
一般的な拳銃では、未確認生命体に対して有効打にはなるまい。警官隊の銃撃でさえ、ズ集団に所属する怪物たちの外皮に傷をつけることさえできなかった。
だが、クウガには一般的な銃をリントの叡智へと作り変えるだけのモーフィングパワーがある。手にした者が『射抜くもの』を
「……誰が貸すか。こいつにはカードも入ってるんだ。俺が戦えなくなるだろうが」
「まぁ、無理にとは言わないけど……いやどうしようかなぁ……」
士は不服そうに五代を見る。ライドブッカーはたしかに銃としての姿もある。だが、それ以上にディケイドの力の欠片であるライダーカードを収納するための箱という役割をも備えているのだ。一時的にでもこれを失うことは、可能な限り避けたい。
ただ射撃を行うだけであれば霊夢や魔理沙の弾幕でも事足りるだろう。それでも未確認生命体第14号、メ・バヂス・バの速度と針は脅威だ。こちらの照準を待っている間にも、あちらはスズメバチの毒を帯びた針で人体を射抜き、
緑の戦士、天馬の如き感覚を持つクウガになれば、飛行する未確認生命体の微かな羽音や空気の流れを感じ取って捕捉できる。その一瞬を狙って一撃で未確認生命体を討ち取ることが可能だ。
「そういうことなら、お誂え向きの場所があるぜ。ちょうど場所も魔法の森のすぐ近くだ」
人間と妖怪が神秘的な関係を築く幻想郷には近代的な兵器などほとんどない。だが、稀に常識と非常識の境界を越えたものは博麗大結界を越えて幻想郷へと流れ着く。そういった外の世界からの外来品を蒐集している知り合いの存在を、魔理沙は思い出した。
幼い頃からよく知る者。古くは自身の父親とも親交があったという半人半妖の古道具屋。魔法の森の入り口に店を構えるあの男は、変わり者ながら有用なものを売ってくれるのだ。
外の世界から流れ着いたよくわからない道具を取り扱うあそこなら、あるいは拳銃として扱える何かも見つかるかもしれない。
あの男は気に入ったものを商品ではなく自分のものとして扱う。使い方の分からなかったものや役に立たないものばかり売ることが多いのだが──それは彼にとっての話。魔理沙にとって価値のあるものやマジックアイテムには事欠かぬ、魅力的な道具屋であることに変わりはなかった。
「魔法の森……それって
「箒で飛ばせばすぐだぜ。って、ああ。お前はその乗り物だったか」
それなら小半刻くらいかと付け加えて魔理沙は境内に泊まったビートチェイサー2000を見やる。このバイクの最高時速は知らないが、地上を進むのであれば最高速度など出せまい。障害物のない空とは違って、森への道は当然ながら真っ直ぐではない。
魔法で手元に出現させた古い竹箒を握りしめつつ、魔理沙は北の空を見る。博麗神社から北へと進めば魔法の森に辿り着けるが、二度目の四季異変の影響で今の魔法の森には雪が積もっている。春らしい五代の服装では寒かろうと思い、魔法で暖かい服でも用意してやろうかと考えつつ。
「緑の感覚で白に戻っちゃったから、ちょうどあと1時間くらい変身できないし……」
移動には大した時間は掛からないだろう。向かうべき場所に第14号がいるのだとするなら、今のままでは些か心許ないかもしれない。先ほど天馬の感覚を得ようと緑の戦士に移行しかけたとき、その微かな感覚が
緑のクウガはその鋭敏すぎる感覚の負荷から僅か数十秒しか変身を維持できない。さらにその状態を限界まで駆使したり、多大なダメージに耐えられなかった場合、アマダムの力は負荷によって器質変化を起こし、一時的な機能不全に陥るのだ。
力を失った状態の白い戦士、すなわちグローイングフォームを経て生身へと戻った五代の霊石は力を取り戻すまでに最大で2時間もの休息が必要となる。その間は当然、変身は不可能だ。今回は緑から白に戻ったわけではない。緑の戦士へと微かに遷移しかけていた赤の状態から白へと至り、そこから生身に戻ったため、限界を迎えた緑から白の状態よりは短い時間で力が戻るだろう。
「え、そうなの?」
「まぁ、いろいろあって」
霊夢は五代の言葉に意外そうな声を上げる。この男は変身できない状態ながら、まるで何の心配もないといった振る舞いでいつも通りの朗らかさを絶やしていないのだ。
かつての戦いにおいても幾度かその無力さを経験していた。最初は第14号との戦い。初めて緑の力へと至り、訳も分からないままに聞こえ感じる世界の騒音と目まぐるしく乱れ狂う万華鏡の如き視界に思考を掻き回され、高所から落下して気を失ってしまった。
戦うことができなくても──自分にできること。未確認生命体に父親を殺されてしまった少女の嘆き。悲しみに堪え切れずにいなくなってしまった彼女を探すため、五代は駆けた。
そして潮騒のもと。少女の気持ちに寄り添って、水面に石を切り投げて。不可能を塗り替える言葉と共に、五代は空から迫り来る第14号──メ・バヂス・バへと天馬の如く向き合ったのだ。
「変身できない五代さんを魔法の森に連れてくのはちょっと……心配ね」
「私がついてるんだから心配ないだろ?」
「妖怪ならまだしも、
霊夢の懸念に魔理沙が返すが、未確認生命体の脅威は何度も見ている。朽ちかけたバックルを持つミジンコに似た最下級の個体であれば本気の弾幕で難なく撃破できるだろうが、赤銅色のバックルを持つ個体に対しては生身では対抗が難しい。
空を飛ぶスズメバチ──あの白銀色のバックルを持つ個体はそれよりもさらに強大な個体であるように見えた。霊夢は変身できない五代と魔理沙だけで行かせるのは危険だと判断したが──
「おい、俺は関係ないだろ。だいたい1時間くらい、じっと待ってりゃ……」
「……大丈夫! 2000の技で生身でも戦えるように鍛えてるから!」
士は霊夢の言葉に対して怪訝そうに眉をひそめて言った。力強く親指を立てて言葉を返す五代の自信は、クウガとして戦ってきた経験がゆえか。あるいはどれだけ心に雨を降らせても雲の上では笑顔でいようという理念の表れか。
自分が笑顔でいれば誰かの心の雨に寄り添うことができるだろう。かつてと同様に、まだ自分がクウガになるよりも前から変わらぬ五代雄介の心の在り方。
悲しみに包まれ、笑顔を忘れてしまえば。きっと誰も笑顔にはできない。心の空はいつまでも曇ったままかもしれない。誰かの笑顔のために、まずは自分が笑顔になることを、五代は大切にしていた。それが彼が13年の月日で得た2000の技の、最初の一番目の技である。
せめて、誰かの笑顔のために。懸念や不安を振り払うために──五代雄介は青空になる。
「それより霊夢ちゃんと……えっと、士くんには、ここであうんちゃんを待っててほしいんだ」
「あうんって……この狛犬から聞こえてきた声のやつか」
五代の言葉に士が一対の石像を見やりながら呟く。高麗野あうんの姿こそ見てはいないものの、なんとなくその石像からは清らかな神秘の波動が伝わってくるような気がした。
その神秘の波動は今は感じられなかった。どうやら本体と呼べる少女の魂はまた別の場所にいるのだろう。士には高麗野あうんという妖怪の性質は分からなかったが、そう結論づけられた。
「また何か報告があるかもしれないし、また誰もいなかったらきっと寂しいと思うから」
爽やかな笑顔を湛えつつ、士と同様に狛犬を見やる五代。帰る場所を守ってくれる者がいるというのは、冒険家にとって何よりも代えがたい安らぎだ。本来であれば高麗野あうん本人こそが博麗神社の守護者なのであろうが、たまには彼女の帰りを待つ者がいてもいいのだろう。
母校たる大学の、その研究室。あるいは異国風の香りが漂う馴染みある店。五代雄介にも帰りを待つ居場所はあるのだ。冒険の果てを夢見ることができるのは、彼らの笑顔を思い出せるから。
それは混沌の領域。ただ渦巻く怨嗟は法則も因果も
おぞましく赤い体躯は呪われた血を帯びたよう。赤茶けた歴戦の獣毛に王たる誇りを示す黄金の装甲を身に纏いしは──とうに忘れ去られた一匹の『狼』であった。
赤き狼はただ闇の中に燻るように唸りを上げ、己が存在を訝るように目を開く。その瞳に映し出されるのは絶え間なき闇。深い緑色の眼球は瞳孔も光彩もなく、ただ宝石のように研ぎ澄まされたそれをぎょろりと目の前の『何か』に向けて。
姿を見ることはできる。だが彼にはそれが何なのか分からなかった。薄く虚ろにぼんやりと佇む影は輪郭さえもはっきりとしない人影。この闇の中には光源の分からない謎の光しかないからか。あるいは自分の覚醒が不完全であるがゆえに、この異形の目が上手く機能していないからか。
……なぜ 俺は目覚めた
「……バゼ ゴセパ レザレダ」
異形の怪物は影に問う。狼の如き大顎をゆっくりと開き、生まれ持った民族の言語で。遥かな過去に王の座を追われ、二度と目覚めぬはずの眠りに就いては幾星霜を重ね──
一度だけどこかの境界でその眠りを妨げられたこともあった。あれは己の記憶か。それとも別の可能性を辿った己ならざる者の夢なのか。
ここには無数の因果が蠢く。一度は王として君臨していたこの身も、すでに役目を終えている。腰に誇り高く輝く黄金のゲドルード、クウガの世界におけるグロンギの頂点たる者の証さえも今はただ虚しく。光源などないはずのこの闇の中、無為なる光を鈍く照り返しているだけだった。
貴様が この俺を……
「ビガラグ ボン ゴセゾ…… 俺の役目は終わったはずだ……」
赤き狼は目の前に立つ何かに苛立ちを込めた視線を向けながら、かつて耳にした異民族の言語で返す。かつて何かの間違いで目覚めてしまった自分に、破壊という名の引導を渡した男。あの男は自身の知るリントとは違う何かを持っていた。
ただの一度、あの男が発した言葉を聞いただけ。それなのに自分も同様にリントの言葉を操れるようになったのは、この
本来ならばその歴史は眠ったまま。闇の中から目覚めることはなかった。そこに新たなる役割を与えたのは自身の知らぬ何者かの意思によるものなのか。
目の前に揺れる不快な人影は淡々と告げる。狼の目にはリントのように見える金髪の女。紅白の装束を身に纏う姿は、かつて神に祈りを捧げていた弱き民の神官めいている。
──祈ることに意味などない。力ある限り、この世に争いが絶えることはない。ただ傷つけ合い、殺し合う。それがグロンギの掟。それが命ある者の宿命だと。狼は魂に刻み込んでいる。
「世界の破壊者……か……貴様も俺も……あの男と同じ……」
狼の記憶に残っているのは深く研ぎ澄まされたマゼンタ色の輝きだ。自分と同じ、そこにいてはならない、存在してはいけないモノ。共に異物と糾弾され、その世界にあってはならない存在だと否定されるだけの何か。
それでも、あの男は立ち上がることを諦めなかった。居場所などなくても、旅を続ける。誰かの笑顔だの誰かを守るだの、惰弱なるリントどもの在り方を誇りと掲げて。
黄金のゲドルードはグロンギの王たる『ン』の証を刻むもの。赤き狼は原典たるクウガの世界においてそうあるはずだったのかもしれない。だが──彼にはその居場所はなかった。ディケイドと同様、存在するべき世界──己が物語と呼べるものがない。
原典の世界に居場所がない。ゆえに彼は再編されたクウガの世界に追いやられた。元より原典の物語の先として紡がれたその力を振るい、等しく紡がれた別の物語を地獄に変えるため、赤き狼は最強のグロンギとして君臨した。
──それも、すでに意味を失った自分を誤魔化すだけの無為な振る舞いだ。だが自分が生まれた役割を果たすため、破壊と闘争をもたらすだけの己が存在を呪いながらもそれを成すのみ。
門矢士が空虚な自分を埋めるために破壊者であろうと振る舞ったのも──同じなのだろうか。
「…………」
金髪の巫女は小さく呟く。その言葉が赤き狼に届いたか否かは定かではない。顔も分からぬほど虚ろに曖昧に波の中を漂う影は、ぼんやりと姿を変えたように見えた。
赤き狼の記憶に残る、誇り高き戦士の姿。かつてのリントがようやく見せた戦う意思。クウガとなった男の姿。そして歪み変わるはまた別の男。異なる理に紡がれる因果、また別の物語にて己に立ち向かった黒衣の男。マゼンタ色の意思を持つ戦士の姿。
そして最後に見せたのはリントならざる大男。屈強に鍛えられた筋肉に赤茶けた髪。もはや遠く遥かな過去。己が記憶にさえ曖昧な、グロンギにおいて最強の戦士だった男の姿。
二度と戻ることはできない。赤き狼は同胞たちの根源である『究極の闇』を手にしてしまった。それはゲゲルの最果てに与えられる禁断の力。魔石ゲブロンの能力を己が手足と同様に操り、神に等しい権能を振るうことができる。
その代償は重い。究極の闇そのものに至った者は人の身を失うのだ。永劫に近い時をゲブロンの怪物として、殺し合いにより数を減らしたグロンギを『増やす』ための
……再び 世界を 究極の闇で 覆い尽くす 時が来たか
「……ドググ ダビ ゲバギゾ ゴゴギヅ ブグ ドビグ ビダバゼ…… キュグ キョブン ジャリ」
いつの間にか姿を消していた人影も思考から消え去り、赤き狼は闇を見上げた。王であった自分さえすでに役目を終えている。ただ永久に滅び得ぬ肉体のまま、二度と目覚めぬ眠りの中にいればいいだけのはずだった。
再び、否。
究極の闇は、すべてを染め上げる。リントもグロンギも関係なく、ただ闘争と殺戮だけを求める暴虐の徒へと塗り替えてしまうことができる。
この身はすでに最強のグロンギがもたらすべき『究極の闇』そのものだ。宿す力は魔石ゲブロンの根源そのもの。すべてのグロンギがゲドルードに宿すゲブロンの特性、リントが生み出した封印エネルギーによって激しい爆発を起こす性質も強く宿している。
だが、赤き狼は自身こそがゲブロンである。封印エネルギーへの接触によって輝きと共に爆発を起こす力をも、自在に操ることができる。彼はおもむろに右腕を掲げると、その手に込めたゲブロンのエネルギーを激しく輝く雷鳴の如く赤き光へと変え、力強く前方の闇へ振り抜いた。
闇を裂く雷光は紅く。赤き狼の視界を眩く染め上げるほどの閃光と共に、闇には大爆発が起こる。そして吹き荒ぶ爆風の奔流は闇を掻き分け、そこにクウガの法則を刻み込んだ。
やがて世界は一つの法則を抱く園と化す。波動関数は収縮し、実在と非実在の境界を曖昧に行き来していた量子的な波の中に、さながらクウガの箱庭とも称すべき光を灯す。
赤き狼は古びた遺跡の最奥にいた。薄暗く微かな光が差し込むだけの洞窟の中。そこは原典たるクウガの世界において、グロンギたちが封印されていた墓標。彼とは縁のない場所だったそれは、あの少女との繋がりを楔として──
失われたはずの異物は幻想郷のスキマに結びついた。誰も知り得ない、現実と幻想のスキマに。ただ今一度、実在の表層へと召し上げられた過去の幻想として、新たなる因果を拓くために。
人間の里から博麗神社へのオーロラは霊夢の亜空穴と士のオーロラが相互作用したもの。
士が紫のスキマっぽさを見出したのは力の源流がスキマに似てるからで、紫の力ではないです。
クウガの物語のその先、本当はあるはずだったらしいですね。でも、なぜかなくなってしまった。