東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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【 第二章 『 見上げる歴史(ほし) 2009 』 】
第71話 多重露光


 ──九つの世界。無限に枝分かれする並行世界。根源的な素粒子の一つ一つから宇宙規模にまで尺度を拡大した波動関数の海。実在と非実在の境界を漂う存在確率の波は、それそのものはただの確率を表す振幅でしかないはずだった。

 ある世界においては仮面ライダーという存在が架空の物語、絵空事として語られる世界もあったかもしれない。ある世界においてはそれらが姿もなく文章だけで語られたかもしれない。

 

 すべての世界は揺蕩う波。観測されて初めて実在する、サイコロの目のようなもの。そして重なり合う波はより大きく強い存在確率を持ち、いくつかの波束となり揺れ動く。

 無限の世界。そのハレーションをオーロラという形で垣間見た兄妹、門矢の家に生まれた彼らの宿命は、その微かな星の瞬きを、九つの世界を観測した瞬間から決定づけられていたのだろう。

 

◆     ◆     ◆

 

 その世界は『十番目』としての意味を持っていた。ディケイドの世界と呼ばれたそこは、本来ならば門矢士の世界と呼ぶべき因果の箱庭。様々な波の影響を外から観測できる座標にありながら、如何なる波の影響を受けることなく存在し続ける特異点だ。

 なぜその世界だけが既知の法則に縛られずにそのような在り方を得たのか。それを知るものは彼らの物語を別の次元から観測することができる最果ての観測者たちだけなのであろう。

 

 今やクウガからキバまでの世界をすべて統合した状態と化した歪な楽園の中心、世界そのものに法則と呼べるものを持たない空白の領域に、遥かなる超巨大建造物は在る。

 大ショッカー大要塞。かつてディケイドが大首領の座を取り戻し、その役割を終えて居場所を失った際に、数多もの仮面ライダーたちによって虚ろな月影の王ごと崩壊したはずのもの。それが大いなる双頭の大鷲の意匠をそのままに──

 力強く示すはやがて全世界を掌握せんと翼を広げる大ショッカーの威光。ディケイドの世界にて闇を統べし月の影も。また別の円環にてディケイドが辿り着いた凄惨なる大戦の世界、その果てで悪を束ねし太陽の如き亡霊も、すでにこの因果には存在していないにも関わらず。

 

 昭和(ふる)き神話の世界より大いなる悪は蘇った。今はその座に首領はおらず、空席のみを頂として、大鷲の如き野望は長き時代に渡る激戦の平成(とき)を超えて令和(いま)、ここに。

 本拠地たる大要塞の最上部、大首領を仰ぐための紅き玉座の間。そこには、偉大な影が四つ。

 

「……仮面、ライダー。その名を再び、聞こうとは」

 

 黒く力強い口髭と厳格な軍服を纏う男の姿。左目を隠す眼帯にも、薄暗き怨念の灯る右目にも、忌まわしき戦士への怒りを込めながら──『大佐』の階級を持つ軍人は狼の如く唸る。

 されど確かなのはその魂だけ。身体は亡霊の如く曖昧に量子的な狭間の存在として揺蕩う。どういうわけか、その顔も体格も安定せず。心には明確な自我を持ちながらも、彼の容姿は異なる波の在るがままに一定しない。

 共通しているのは軍人らしき帽子とそれに伴う軍服、右手の鞭と左目の眼帯。そして壮年の男としての特徴のみ。揺れる男の顔は、なぜかその中に鳴滝と思しき男の顔も重ねるようにして。

 

「たとえ幾年月を経ようとも、我々の意志と技術だけは……決して失われぬ」

 

 おぞましく震える声で告げるは白衣にも似た幽鬼の如きスーツの老人。肩より纏うは裏地に血のような赤色を配した漆黒の外套。銀髪とも白髪ともつかぬ頭髪と眉は深海の暗闇に潜むイカの如き不気味な冴えを秘めており、額やこめかみに浮かぶ青白い血管も闇に蠢くかのよう。

 やはり『博士(はかせ)』の学位を持つこの男も同様、存在が安定しておらず、暗い銀髪であったり長い白髪であったり、その顔立ちも不自然に移ろい続けている。その中にはなぜか光夏海の祖父である光栄次郎によく似た顔立ちもあったが──

 

 写真とコーヒーをこよなく愛するあの好々爺とは似つかぬ邪悪な目つきの中に、孫娘を思いやる愛情と慈悲に満ちた心優しい振る舞いなど欠片ほども感じさせることはない。

 ただそこに輝けるのは、あらゆる動植物の遺伝子も、人間の命でさえも。より優れた改造人間を造り出すための実験材料としか考えていないような恐ろしき遺伝子工学研究者の知性のみ。

 

「我々は必ず蘇る。……世界をこの手に掴み取る、その日まで」

 

 低く威厳ある声で宣言するは、さながら古代エジプト文明の王家が如き独特の装束を首から頭頂部へと覆うように飾り立てた奇妙な出で立ちをした男。

 赤いスーツに銀色の装甲を纏うような姿は生身のままにして異形の怪人じみた気迫を感じさせ、左手に宿す鉤爪もどこか人間離れした、蛇のような薄暗く鋭い威圧感を放っている。

 

 その名に『大使』の役職を拝命した男もまた、存在が不安定だった。大蛇らしき頭部の装飾から顔だけを出したその顔でさえも揺蕩う波の如く別人のものに変わっていたり、またすぐに元に戻ったり。彼の場合はより顕著に、全身の装甲が黒くなったり、触角らしき意匠が双角と化したり。

 

「悪しき同胞よ、我らが大ショッカーの御旗のもとに、憎き仮面を叩き割ってくれようぞ」

 

 不気味な面持ちを湛えた黒き軍服の男はその手に冴える細剣を振るい、確たる信念を穢す未練を拭い去るように己が覚悟の言葉を飾る。

 その身に栄えあるはいくつもの武勲と赤く雄々しきサッシュ。そして頭に装う誇り高き兜は彼が名に抱く通り、黒に染まり。帝国に名を刻む兵士の如く赤き羽毛を兜の頂に配していた。

 

 漆黒の軍人もまた存在を安定できておらず。他の三名と比べて幾許かは安定した存在を保っているが、瞬くように揺蕩う波長はよく似た別人とも思える姿をも映し出す。

 その様相はやはり他の者と同様に人間離れした不気味なものだ。血に飢えた目は獲物の生き血を啜る(ヒル)の如く。あるいは周囲の景色に消え去って命を刈り取るカメレオンの如く。されどいずれも波と揺蕩う曖昧な形。

 如何に『将軍』の称号をもって恐れられた男と言えど、歴史の中においては情報に過ぎない。

 

「…………」

 

 四つの悪意は意志を重ねる。大佐、博士、大使、将軍。それらはすべて、遥かなる過去の時代、どこかの時空にて栄光の仮面ライダーと戦って散っていった存在だ。

 最果ての因果が『平成』と呼ばれる時代を記録するよりも遠き以前の始祖の物語。ディケイドという悪魔を完全な形で生み出してしまった大ショッカーの、その母体となった大いなる悪の組織。禍々しき大鷲の双翼を掲げたその組織は、すでに遠き世に滅びを迎えているはず。

 

 一度の終焉を迎えては別の組織と手を結び、さらに巨大な悪意を創り出した。それさえも二人の栄光に引導を渡され、古き組織の首領であった男は己が身を捨てた。それより先の物語において、悪意は生まれ続けてきたが──

 それらは平成の因果とは結びつかぬ『昭和』の物語である。その歴史が過去より引きずり上げられたのは、大ショッカーが過去の記憶を楔と呼び覚ましたがためであろう。

 

 時間とはすなわち記憶。そして幾多もの世界の記憶を重ね合わせたこの世界、ディケイドの世界と称されるこの場所には九つの世界の他にも別の世界の歴史が統合され、交わっている。さながら写真一枚分のフィルムの隙間にいくつもの世界を重ねるように。

 今あるこの世界は記憶の虚像だ。十番目の世界に統合されたすべての世界のどこかの記憶を映し出した、言わば世界十個分の立体映像(ホログラム)と呼べるもの。クウガからキバまでの九つの世界、加えてディケイドの世界のみがそこに存在していた。

 隠された別の世界は深層に。ただ悪意の記憶の塊のみが具現化されて、大ショッカーの最高位に位置する『大幹部』という役割を与えられている。かつては古き組織の大幹部だった者たちだが、彼らの魂はそのままに、再構築(リ・イマジネーション)された別の歴史をもその身に重ね、形を成しているのだ。

 

「おお……」

 

 黒き外套を纏う白いスーツの老人が歓喜の声を上げる。科学者たるがゆえに波束の収縮を理解し感じ取れるのか、今は誰もいない空白の玉座に揺れる力を計算で見て取ったのか。

 やがて不安定なノイズは形を残す。黒いジャケットにマゼンタの配色。荒々しくも禍々しく遊ばせた茶髪は湧き上がる怒りと破壊衝動の証。乱れ歪む波束の収縮が玉座にて長い脚を組む。

 

 左胸には双頭の大鷲。不気味に『DCD(ディケイド)』の名を刻んだ紋章。男は高い玉座より見下ろす四人の大幹部たちよりもさらに不安定な波の中で揺蕩い、姿も心も幻の如き在り様。もはやその顔でさえ映し出されることはなく、ノイズ混じりの無貌はそれそのものが仮面であるかのようだ。

 偉大なる歴史の頂点に君臨する存在はこの最果ての玉座に。大いなる征服者──『大ショッカー大首領』は頬にて肘を杖とつき、赤き椅子へと背を預ける。

 

 それはどこか、かつて門矢士が抱いていた儚くも強い『激情』の色。その身に纏う黒衣に走るは紛れもなく情熱深きマゼンタ色だというのに、揺らぐ黒は魂さえも染め上げて。

 存在しているかさえ定かではない何か。もはや(それ)は、歴史の中にすら世界が残されていない。

 

「…………」

 

 不安定なノイズのままに揺らぐ希薄な存在という在り方は、他の大幹部と同じ。だが、大首領に至ってはその形さえも定かではない。妖怪よりもさらに儚く朧気に揺らめき、今にも消えてしまいそうな蜃気楼の如く虚ろな影。

 少なくとも性別や年齢までは一定していた四名の大幹部とは違い、彼の場合は揺蕩う波の狭間にまったく別の存在を映し出している瞬間がある。

 

 荒れた茶髪は柔らかな金髪に。青年らしき体格は麗らかな少女らしきものに。そして黒にマゼンタを配していたジャケットという装いでさえ、中華風の意匠を帯びた巫女装束へと。

 大幹部たちとは異なり、彼の場合は同一存在との揺らぎ合いではない。まったく異なる法則と結びつき、歴史から失われかかっていた虚ろな影を重ね合わせたのだ。

 

 世界の破壊者として存在するはずだった力そのもの、それは旅人として再定義された青年の別の可能性。そしてもう一つは幻想郷に宿るはずだったが何らかの理由により存在自体が掻き消され、幻想郷の法則においてなお在り得るはずのない幻想として失われていったもの。

 存在確率の波。二つの幻想はもつれ合う。黒衣の破壊者と、金髪の巫女。その二つは本来、ただ永遠に歴史の闇に眠り続けるだけの名もなき影。されど無限に紡がれる世界の記憶は、降り積もる因果という歴史の中で、奇跡的によく似た法則の幻想同士をもつれ合わせたのかもしれない。

 

「偉大なる大ショッカー大首領様の名の下に」

 

 古代エジプト文明の神王(ファラオ)が如き蛇の意匠を冠す男が告げる。右手の指先で懐を探り、取り出すは全長10cmほどの大きさを持つ長方形の補助記憶装置のような物体(デバイス)である。

 不気味に暗く骨の意匠をあしらい、その中心に宿るは己が『記憶』を表す叡智。それを見た他の大幹部たちも同様に、それぞれ自分自身を意味する象徴化されたアルファベットの一文字を刻んだ記憶装置をその手に取り出した。

 四人は等しく。眼帯の大佐が持つのは『Z』の記憶。銀髪の博士が持つのは『S』の記憶。神王めいた大使が持つのは『J』の記憶。そして漆黒の将軍が持つのは『B』の記憶。

 

 彼らは誰からともなく自ずとその手に持つ記憶を掲げる。それらは昭和の歴史にも、クウガからディケイドまでのいずれの因果にも存在し得ぬ別の時空の新たな力。

 かつてディケイドの世界と『その世界』が結びついてしまったときに、大ショッカーはさらなる次元へと歩を進め、そうして辿り着いた先で。とある『財団』の技術をも取り込んでいたのだ。

 

「「「「乾杯」」」」

 

 それぞれ四名の大幹部が掲げる四つの記憶装置。人差し指でそれを起動すると、装置が宿す地球の記憶──古き歴史から汲み上げられた情報が高らかに鳴り響く。大幹部たちは右手の記憶装置を自らの首筋に押し当て、その小さな直方体を己が身体の中へ受け入れていった。

 本来は秘める地球の記憶を人体に書き加えることで超常的な力を手に入れるために造り出された異界の技術。だが、彼らが宿すそれらは彼ら自身が過去に失った力と歴史、また別の因果の地球に刻まれた自分自身の記憶と呼べる昭和(ふる)き法則。

 

 ゆえに彼らの身体に現れる影響は異形の怪物への変化ではない。遥か過去の因果に取り残された自分の存在、かつて忌まわしき敵と戦って散った己の在り方を取り戻す。

 平成という歴史にリ・イマジネーションされた姿ではなく、波と揺蕩いては重なり合う不安定な形などではなく──何の揺らぎももつれ合いもない、自分自身という『存在』そのものを。

 

 大ショッカー大首領はその儀式を見届けた。四つの力が確たる実体へと回帰する様を、見下ろすすべての大幹部が揺るぎなき存在へと収縮を遂げる様を黒き無貌でもって確かめる。

 もはや四名の大幹部たちには微かな揺らぎも見られない。ただ、それを見やる大首領自身は未だ限りなく不安定で曖昧な波束だが、大首領はそれを意にも介していないようだ。

 完全な存在を取り戻した大幹部たちが(こうべ)を垂れる姿を見て、大首領も己が懐に手を伸ばす。

 

「…………」

 

 どうあろうとも自身が昭和の存在であることを望む大幹部たちに覚えるは皮肉か憐憫か。昭和に生まれ、昭和に死に、昭和の歴史に残ろうというのに。その力と存在を約束し、彼らを確かに彼ら足らしめるための叡智が、平成の法則より生まれた技術であるというのは。

 最果ての玉座に座すは黒衣の破壊者。同時に金髪の巫女であり、偉大なる双頭の大鷲を束ねてはその頂点に君臨する者。(かのじょ)がその手に取り出したのは──()()()()()()()()()()()()だった。

 

◆     ◆     ◆

 

 幻想郷、八雲の屋敷。外の世界との境界を意味する博麗大結界の隙間に位置する邸宅であり、最東端である博麗神社とは正反対の位置にあるとも、あるいは(うしとら)、すなわち北東の方角にあるとも言われている、極めて曖昧ではっきりしない座標である。

 大結界の創設に携わった賢者の一人たる八雲紫は数多もの端末を式神として幻想郷中に配置して計測を続けていた。古い木製のちゃぶ台に向き合いながら、暖かいお茶で満たされた湯呑みに口をつける。居間を飾る畳も障子も、何もかもが明治時代の日本らしき和風の振る舞いでありながら、紫の脳内では0と1が重なり合っていた。

 

 湯呑みをちゃぶ台に置き、紫が目を馳せるはちゃぶ台の上に並べられた七枚のお札だ。それらは結界をも超越する霊力波の通信を可能とするもの。一枚一枚が別の誰かの同じ札と霊的な繋がりを持っており、量子通信とまではいかずともそれに近い超高速の情報伝達を行える。

 紫から見て左端のお札がぼんやりと光を灯した。それは守矢神社の神である八坂神奈子の神格と繋がっているお札。紫は盆に積まれたお煎餅を手に取り、ぱりっとかじってそちらを見やる。

 

『……例のものは確認できなかった。おそらく、あの時間はすでに修正されている』

 

 お札越しに神奈子の声が聞こえてくる。溜め息混じりの報告を聞くに、やはり神としての権能をもって覗いた過去の時間の状態は望ましくなかったようだ。1986年の幻想郷で観測された電王の世界の法則の一部は、すでに当該時間座標から失われていたらしい。おそらく何者かの手ですでに回収されてしまっているという。

 

 理論上は過去に落ちたものを観測する際に、その時間より少し前に遡れば回収される前のそれが残っている。しかしそれが本来存在しない歴史として定義された場合、すなわち別の時間から持ち込まれたものであるものの場合は別で、回収された時点で元の時間へと修正される。

 そうなった場合、もはやその時間には別の時間から持ち込まれたものの痕跡すらも残らない。

 

『G4の反応は地上で確認できたよ。AIさえなんとかすれば、戦力に数えられるかもね』

 

 続いて諏訪子のお札が光る。無我の妖怪によって持ち出されたG4システムは一度は旧地獄にて暴れたが、その負荷に耐え切れずに一時的な機能不全に陥っているらしい。

 その隙にG4のAIに最終調整を加えることができれば、あるいは逆に古明地こいしの無我に最適化し、彼女を正式な装着員として認めることもできなくはないと。ただ、旧地獄の怨霊に感化された橋姫が不安定なアギトとして覚醒し、さらなる脅威と化したらしい。その妨害を無視しての調整は困難であったのだが──

 

 地霊殿の協力を得てこれを無力化した後、現在、G4は地上の守矢神社付近で確認されている。旧地獄の岩盤崩落を危惧しなくて済む地上においてであれば、諏訪子一人でもこれを無力化することは可能であろうとし、地上に出ている今を好機と見てG4の対処に当たってくれるようだ。

 

『輝針城にて観測された鬼の妖力についてだが、案の定、天邪鬼の仕業であるらしい』

 

 摩多羅隠岐奈のお札が光を灯す。厳格ながらも仰々しく大袈裟な口調はやや鼻につくが、彼女の手腕に疑いはない。彼女が調査に向かった幻想郷上空の魔力嵐は、やはりかつて幻想郷中の道具や弱い妖怪たちが狂暴化した逆様異変におけるものと同じだったようだ。

 輝針城周辺を覆う魔力嵐は鬼の妖力に相違ない。そしてそこで鬼の力に中てられて狂暴化したと思われる和太鼓の付喪神と交戦したが、そこに天邪鬼や打ち出の小槌そのものの存在は確認できなかったのだと。

 

 和太鼓の付喪神は響鬼の世界の戦国時代における鬼の力を有していた。隠岐奈もカブトの世界の第二時間軸におけるマスクドライダーシステムを用いて応戦したが、周辺に満ち溢れるあまりにも不安定な小槌による鬼の妖力と、クロックアップの発動に際して励起したタキオン粒子が反応してしまったらしく、一瞬だけ時空に重力の歪みが生じた。

 その波の影響でカブティックゼクターの機能が一時的に停止。微かな隙となってしまったことで付喪神、堀川雷鼓の逃走を許してしまい、鬼の力の奪取は叶わなかったのだが──

 

 隠岐奈は推察を述べた。堀川雷鼓は戦国時代の鬼と限定憑依を遂げ、その想念に影響を受けているようだが、人格まで汚染されているわけではない。しっかりと自身に向き合う目には言葉で語る以上の目的が見えた。確証はないが、天邪鬼たちに協力するフリをしているのではないか、と。

 

第一境界座標(クウガのきょうかい)に奇妙な不具合があったけど、修正は終えたわ。問題はないはずよ』

 

 今度は華扇のお札が光を灯した。彼女は藍たちと同様に幻想郷と九つの世界の境界に切り拓いた狭間の時空に流れ込んでくる異物の除去を頼んであり、同時に幻想郷で稀に観測される正体不明の何かを掴んでもらおうとその報告を待っていたところである。

 彼女の報告を聞き、紫は少し違和感を覚えた。ただいつも通りに歪みを除去するだけであれば、奇妙な不具合という言い回しをする必要はないだろう。

 左手に残ったお煎餅の欠片を口に放り込み、紫はその黄昏色の瞳で華扇のお札へと向き合う。

 

「……それ、もう少し詳しく。怪人出現による結界の揺らぎではなかったと?」

 

『貴方の言っていた観測できない変数かと思ったんだけど、すぐに消えちゃったのよ』

 

 華扇は気がかりな様子を帯びた口調で答えつつも、それ以上の調査でも何も見つけられなかったらしい。九つの世界と幻想郷が境界座標越しに相互作用していることを考えても、スキマを使って計測できた数値から見るに、間違いなくそれは幻想郷にあるはずだが──

 どこか別の境界に移動したという可能性も、紫は捨てていない。幻想郷と隣り合う境界は九つ。幻想郷そのものを含めて、そのいずれかに原因不明、観測不可能な未知の質量の正体が隠れ潜んでいる可能性を見る。

 藍たちや賢者の協力も借りて原因の特定を急いでいるのだが、やはりどうしても観測できるのは幻想郷全体の総合的なパラメータにおける不自然な数値のみ。極めて微細かつ奇妙な重力源を持つ相対的に小さな謎の質量反応。しかしそれは微視的な視点において誤差の範疇を超えている。

 

『一匹の蝶が羽ばたけば竜巻も起きよう。この程度の歪みであれば予測は容易い』

 

「……ええ、そうね。報告を続けてくれるかしら」

 

 隠岐奈の言葉ももっともだ。紫とてすべての時空のすべての情報を完璧に把握し処理できているわけではない。この世すべての粒子の位置と運動量を計測できる『魔眼』が実在のものとしても、不確定性原理やカオス理論による変数で結果は大きく変動する。

 蝶の微かな羽ばたきが地球の裏側で竜巻を引き起こすこともあるように、それ単体では無視できるほどの小さな誤差だろうと長期的な未来予測においては計算結果がまったく異なるものになってしまうのだが、膨大なパターンの予測演算によってある程度までは結果を絞れている。

 奇しくも蝶の翅にも似た形の軌道を持つ座標。その方程式はカオス理論における予測の困難性を表すもの。それは紫とて理解しているが、どうしても妙な胸騒ぎを抑えることができなかった。

 

『悪魔の妹じゃが、ひとまず刺激しないほうがよさそうじゃな。暴れられると面倒じゃろ』

 

 少しの静寂を挟んだ後、マミゾウのお札が光を灯した。彼女が悪魔の妹、紅魔館の吸血鬼であるフランドール・スカーレットを発見したという報告はすでに受けている。彼女は四番目の世界から持ち込まれた仮面ライダーの力を得て紅魔館から脱走してしまっていたという。

 それもやはり鳴滝の仕業なのか、それとも、十番目の世界からの介入であったのか。それよりも不都合であったのは彼女が手にした仮面ライダーの力が彼女の精神に良くない影響を与えていることだった。

 

 ファイズの世界から持ち込まれたのはライダーズギアの一つたるデルタギア。その波長に正しく適合できなかった者は悪魔の思想に苛まれ、精神を狂暴化させるのだ。

 フランドールの場合は元より悪魔めいた精神があったためか、かつて人間がそれを使ったときのような精神汚染は起こらなかったが、その影響が奇妙な噛み合いによってまた別の症状を見せてしまっていたようだ。

 狂気に重なる悪魔の思想、デモンズ・イデアなる特殊な電気信号。それはフランドールの脳波と正しい適合にこそ至ることはなかったものの、その狂気と親和性を見せてしまい、彼女が不安定な情緒には似つかぬ理知的な意思で抑制していた本能的な破壊衝動を増幅させてしまった。

 

 普段のフランドールであれば姉や隠岐奈、紫の言葉に冷静に耳を貸し、与えられた仕事をこなすだけの常識的な振る舞いができる。

 しかし今は違った。さながら本能に従う夢の世界の人格が如く、今の彼女に合理的な判断ができるとは思えない。不用意に刺激すればその破壊衝動に怒りという切っ掛けを与え、幻想郷に多大な被害を及ぼしてしまう可能性も考えられる。しばらくは監視を続けて様子を見るべきであろう。

 

『幻想郷と冥界の境界に入り込んでた列車のことだけど、そろそろ接続ができそうよ』

 

 続いて幽々子のお札が光を灯した。彼女に頼んでいたのは未だ不安定になったままの幽明結界の隙間、幻想郷と冥界の境界に位置する虚無の狭間を彷徨う列車の調査である。

 すでにそれが電王の世界の法則に基づく『時の列車』に該当するものであることは分かっているのだが──少し奇妙なパラメータを持っているのだ。というのも、本来ならば明確な質量と材質が判別できる紛れもない物質であるはずの時の列車であるにも関わらず、その列車は妖力波を当てた観測からでは正確な質量の数値が得られなかった。

 

 冥界に近い座標、それも実軸の世界ではない虚数の領域、さしずめ『死者の時間』とでも呼べる時空を彷徨っていることから考えるに、それは気質だけが独り歩きした言わば列車の幽霊なのだと推測できる。紫はそれを『幽霊列車』と呼び、貴重な時間転移の手段として回収を試みていた。

 

「危険を感じたらすぐに戻ってちょうだい。乗車券なんて用意できていないから」

 

『ええ、もちろん分かってるわ。紫ったら相変わらず心配性ねぇ』

 

 時の列車に乗車するためには専用のライダーパス、または時間座標が刻まれた正式なチケットが必要となる。しかし、時空の狭間、それも虚数時間領域に流れ着いた霊体的質量の列車に乗り込むためのチケットなどそう簡単に手に入れられるはずもない。

 だが、それはあくまでも時の列車を正しく利用するためのルールであるため、もはや時の運行に携わっていない廃線車両となった列車へのアクセスには適用されないだろう。

 

 幽々子は冥界という浄土の管理を担う亡霊だ。故に生死から成る穢れをほとんど帯びておらず、純粋な霊として存在の痕跡を残さず行動することができる。かつて紫が月へ二度目の侵攻を行った際、幽々子はその性質を活かして月の民に一切怪しまれることなく一月(ひとつき)も滞在できたのだ。

 その甲斐もあって、第一次月面戦争においては大敗を喫してしまった紫も、二度目の月面戦争においては二重の陽動をもって月の民を攪乱しつつ、本命である幽々子をこっそり忍ばせて精神的に一矢報いることに成功している。もっとも、幽々子がくすねたのが月の都の屋敷で管理されていたお酒だとは思わなかったが。

 

 死者の時間もある意味では浄土。穢れの少ない幽々子が適任だと判断し、紫は彼女に調査を任せている。同じく浄土である月の都とはやはり勝手が違うだろうことは想像がつくが、紫でも実軸の数直線を超えた虚数の領域に赴くことなどほとんどないと言っていい。

 幽明結界の原理を用いて死者の時間への道を開き、その座標を三次元空間上に安定させてはいるものの、隠れた変数(なにか)の小さな質量からカオス理論的にまったく予測のつかない事態も起き得る。

 

『お話し中のところ失礼。天魔との情報の共有は完了しました。行動は保留とのことで』

 

 微睡み揺蕩うような夢幻の声。ドレミーのお札に光が灯り、彼女の報告が紫のもとに届く。夢の支配者である彼女に依頼しておいたのは、この計画の情報を幻想郷のパワーバランスの一角である天狗たちの総大将、妖怪の山の頂点に位置している『天魔』と共有しておくことだ。

 天魔本人が実際に動くのは立場もあって難しいだろう。そのための手足となるのが数名の大天狗たちであり、さらにその手足となるのが多くの天狗たちである。天魔の協力もあり幻想郷全体への情報漏洩は抑えられてはいるが、すべてを秘匿し続けるのはこちらとしても望ましくない。世界が接続された以上、怪物については明かすことにした。

 

 計画の内容を知るのは賢者たちや幽々子に加え守矢の神々や萃香、マミゾウやドレミー、それに天魔など極少数の者だけ。天魔は妖怪の山、および天狗社会という巨大な情報網による情報統制を任せており、実際に計画の内容に従って動いているのは僅か数名である。

 天魔に伝えた計画そのものの存在は伏せて、天狗たちを経由して幻想郷全体に通達する。もはや怪物の存在や異変については噂や一部の天狗による私的な新聞によって知れ渡っている頃だろう。計画の漏洩を阻止しつつ、混乱を最小限に抑えるために情報を画一化させておくのが目的だ。

 

『永遠亭や地霊殿、それに命蓮寺や神霊廟の連中には計画を伝えておかないのか?』

 

「……あんまり広めすぎちゃうと動きづらくなると思ったけど、そうも言ってられないか」

 

 神奈子のお札が灯し伝える言葉に、紫は神妙な面持ちを浮かべて思案に沈む。ただでさえ鳴滝や門矢士といった未知数の存在を計画の視野に入れて膨大な変数を式に組み込んでいるのだ。考慮すべきことは少なく、動かしやすい駒だけで戦略を考えるべきだとも思っていたが──

 正体不明の質量体は放っておけばさらに大きな誤算に繋がりかねない。すでに当初の計画からは大幅に内容を変更してしまっており、予め決めてあった結果とは完全に繋がらなくなってしまっている状態にある。

 

 それでもある程度の予測は可能だ。蝶の羽ばたきによる無数の因果も多くの計算札や式神による多重並列演算により長い時間をかけ可能な限り算出している。ただ、無限のパターンのシミュレーションを無限通りすべて試行することなどできない。

 小さく溜息をつく紫。噛み砕いた煎餅を熱いお茶で流し込みながら、もう何度目かも分からない計画の微細な修正を脳内のみで行う。その思念が妖力となってお札へと伝わっていき、紫と妖力の経路を結んでいる賢者や協力者たちへと伝えては空っぽになったお盆をスキマの中に落とした。

 

『念のため、夢の世界を介して伝えるべきね。ドレミーさん、お願いできますか?』

 

『ええ、お安い御用ですよ。無意識下での介入なら情報の出所も気づかれにくいでしょう』

 

 華扇とドレミーのお札が光を灯した。夢の世界を経由して夢人格の彼女らに伝えておく方法なら、目が覚めたときにそれを夢として記憶の奥底に封印しておくことができる。計画の内容自体は頭に入っていながら、どうやってそれを知ったかを思い出せなくなるのだ。

 それもあくまで情報の出所を分かりにくくするためのカムフラージュ。実際の接触がなければ、鳴滝といえどその繋がりには気づけまい。紫は協力者である彼のことをほとんど信用していなかったが、おそらくそれはお互い様だ。

 

 月の賢者も地底の覚もお寺の住職も道場の仙人も聡明な人物だ。記憶に深く残る計画の内容が、知った経緯こそ忘れてしまっても夢の中で伝え聞いたものだとすぐに推測できるはず。

 その意味が理解できない彼女たちではない。わざわざ賢者に接触しようとはしないだろう。

 

『紅魔館の吸血鬼は? 上手く注意を引いてくれるかもよ』

 

『ああ、そっちにはおそらく、あの小さな白いコウモリが行ってくれてるじゃろ』

 

『白いコウモリねぇ。見た目の通り、吉兆の象徴だったらいいんだけどね』

 

 続けて諏訪子とマミゾウ、幽々子のお札が光る。紅魔館の吸血鬼、レミリア・スカーレットはかつての第二次月面戦争においても重要な陽動の一つとして上手く月の民の注意を引きつけてくれていた。もっとも、彼女は自身の興味を最優先にする。あのときもたまたま彼女の興味が月に向いていたからというだけで、月面戦争に乗り気だったわけではない。

 

 今回は鳴滝という男が連れていた謎の白いコウモリ、法則としてはキバの世界に由来するはずのキバット族のメス個体──少女と呼ぶべきか。彼女が接触するという。鳴滝を信用できてはいない以上、そちらも十分な信用に足ると言える存在ではなく、不安は拭えなかったが──

 吸血鬼に関しては聡明さとは別の方向性で計画への影響を期待している。レミリアには、未来を見通す能力による計算以上の不確かさの事象の確定(デコヒーレンス)、数値化不可能の『運命』というシミュレーション結果を。

 そしてその妹である禁忌の少女、恐ろしき波動と呼ばれた箱の中の波の申し子、フランドール・スカーレットには、ありとあらゆるものを『破壊』する能力を使わせてもらう。

 

 彼女には計画の最終段階となる第十法則の破壊という大役を任せたい。本来ならば破壊不可能であるはずの神獣、万物を喰らう『饕餮(とうてつ)』でさえ存在の根幹を破壊することで強制的に再構築させ、恐るべき剛欲(ごうよく)と凶悪性を発散させた彼女の能力であれば。

 その干渉は必ず最果ての星を暴き出す。九つの世界の接続、物語の記録と幻想化、そして天人の持つ緋想の剣とフランドールの能力、幻想郷の要たる博麗の巫女という空白の器を揃え。

 来たるべき逢魔ヶ刻はあと少し。あと少しですべてのピースが紫の手中に揃う──のだが。

 

「…………」

 

 隠れた変数と定義した謎の質量反応は己を誤差と認識させたいかのように振る舞っているとしか思えない不自然な挙動を見せている。明確に質量の数値が計測できるのに、その次元も座標も何も観測できず、電磁気力とも相互作用していないため見えも触れもしない。

 妖力波による計測や境界を用いた次元干渉でも質量が分かるだけ。位置や運動量どころか、その局所性や実在性すらも確定させることができず、どこへともなく消えていく。こうもするりと手の中を抜けていくようだと、まさに雲を掴むかのよう。

 

 紫はその数値を単なる誤差の拡大だと解釈しなかった。生と死が確定せず重なり合っている箱の中の猫のように、天隠す叢雲に染む月のように。それはきっと、どの因果、どの並行世界における幻想郷にも存在できる可能性を持たず、曖昧なまま漂っている別の染め物の模様──

 無限に続く多世界(マルチバース)にさえ実在性を持てなかった何者か。八雲紫の記憶という海にさえ存在しないもの。幾多の幻想郷の無限のアーカイブにさえ、検索する余地のないものではないかと思わされてしまっている。

 

 目指す夜明けと後ろ髪を引く小さな懸念。埋めがたい隙間(スキマ)は、黄昏を湛えているように見えた。




2025.01.30
仮面ライダークウガ、25周年おめでとうございます!
平成仮面ライダーシリーズそのものの25周年──あれおかしいな。
ついこないだ20周年を祝ったような気が。あれからもう五年も経っていたというのか……

ちなみに2025年は昭和100年でもあるらしいので、昭和の歴史も記念すべき年に。

しかも1925年にハイゼンベルクの行列力学から量子力学が続いたらしく。
量子力学も今年で100周年らしいです。東方とも縁深いですからね、量子力学……
あまり専門的ではないですが、この作品にも取り入れてます。便利なのでね、量子力学。

多重露光とはフィルムのコマを送らず二つ以上の光景を写すことで世界を重ねる技法。
九つの世界を巡る旅で士が撮ってきた不思議な写真みたいな感じになります。
この言葉を聞くと不死鳥の剣士と破滅の本の主題歌を思い出しますが、特に関係はないです。

今回から新章です。綺麗に言うと平成一期&ディケイド編。別名、平成一期お片付け編。

少しだけ言い回しとかに黒と緑の風が吹いてるような気がしますがまだ吹きません。
畳む予定の風呂敷はちょっとずつ広げていきます。具体的には先に広げたものを畳んでから……

次回、EPISODE 72『信頼』
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