東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm. 作:時間ネコ
博麗神社。相変わらず春の陽気に包まれたその光景は、本来の季節に相違なく。家主である博麗霊夢の在り方にも調和した、暖かく
境内の石畳を淡く飾る薄紅色を掃く素振りもなく、霊夢は居間にて黒衣の旅人を前にしていた。
「……つまり、何も知らないってことか」
「まぁ、だいたいそうね。あんたから聞いた話が全部かな」
門矢士は霊夢の前に楽な格好で座り、自身の手で並べられた数枚のカードを見下ろす。ディケイドライバーに伴うライドブッカー、無限の空間と永遠の時間を内包すると言われる超越次元の法則たるクラインの壺より、それらのカードは今、実軸の三次元空間に取り出されている。
仮面ライダーディケイドへの変身に際して用いられるはカメンライドのカード。まさしくディケイドの仮面が描かれたそれは、力強くマゼンタ色の威圧感を宿し。ディケイドとして振るう剣の斬撃、銃の発砲をもたらす攻撃の意図、アタックライドのカードはそれぞれディケイドスラッシュ、ディケイドブラストのライダーカードとして存在する。
他なるアタックライドにはディケイドの分身能力、そして不可視化能力。様々な効果を発揮するものがあるが、それらすべては大ショッカーが開発したディケイド自身の能力だ。
最後に見下ろすはこれまでのマゼンタ色とは色彩が異なる。黄色く縁取られたカードはディケイドの紋章を雄々しく誇示するファイナルアタックライドのカード。ディケイド本来の力を最大限に発揮し、次元をも蹴り砕く、あるいは切り裂く、あるいは撃ち抜く必殺技として放たれるもの。
「…………」
士はこれまで多くの世界を旅してきた。その旅路で多くの仲間と出会い、笑顔を見せ、居場所を見出し、願いを信じ、夢を疾け抜け、運命を切り開き、明日を語らい、正義を往き、時間を刻み、音楽を受け継ぎ、そして世界を繋いできた。
それなのに、ここに広がる数多の写真たち──世界の欠片たるライダーカードは。士自身であるディケイドの法則のみが輝き、それ以外は力なく灰色に褪せてしまっている。
クウガからキバまでの世界の法則を宿したライダーカードそれ自体は残っているのだが、彼らの仮面や武器、技の発動、異なる形態への変化や、その必殺技を放つために必要なカードの力のみがそこから失われているのだ。
もっとも、士にとってこういった事態は初めてではない。記憶を失っていたあのとき、初めての戦いでもカードの力は失われた。九つの世界を巡り、世界の
「紫が使ってたものに間違いなさそうね。でも、今は使えないのよね?」
霊夢はクウガの仮面が描かれたカードを手に取る。その絵柄はまさしくクウガそのもの。色こそ灰色に褪せてしまっているが、雄々しき双角は赤い戦士のそれに相違なく、力強い複眼も色がないのに赤さが伝わってくるような誇りのエナジーが熱く感じられる。
士と霊夢は、この時間で再びお互いの情報を交換していた。霊夢が博麗神社の賽銭箱からディケイドのカードを見つけた経緯と、五代雄介との出会い。そして士は鳴滝についての士が知っている情報と、カードについての簡単な説明を。
どちらも知っている情報は少ない。霊夢が最初にディケイドのカードを見つけたとき、このカードは今の他のカードと同様に灰色に染まり、威圧感こそあれど大した力を感じさせることはなかった。士が里でこれを手にしたときに輝きを放ち、力を取り戻したのがなぜであるのかなどは、知る由もない。
そして鳴滝についても同様。士は幾度となくあの男に遭遇してきているが、あの男について知っていることはほとんどないと言っていい。極めて謎に満ちた、行動も思想も読めぬ存在だ。
「ああ、ったく。あのスキマ妖怪が何かしたせいなんじゃないのか?」
「……まぁ、否定はできないけど」
再びクウガのカードを机の上に置く霊夢。士はそれを含めたすべてのライダーカードを束ねて、ディケイドライバーに近づけた。すると、取り出したときと同様に、説明のつかぬ法則外の力が働き、それらのカードはライドブッカーを通じてクラインの壺へと格納される。
霊夢は人間の里での光景を今一度思い返してみる。自身の手元から離れたディケイドのカードはひらひらと舞い落ち、士の手に捕まれて光と共に力を取り戻した。
そこまで考え、霊夢は妙案を思いつく。士自身を表すカードを士が手にし、力が戻ったのなら。もしかしたらクウガである五代雄介がクウガのカードを手にすれば、力が戻るのではないか?
「どう? どうせ減るもんじゃないし、五代さんが戻ってきたらちょっと試してみたら?」
気楽な考えで、そう告げる。士の表情はどこか納得のいっていないようなもの。その程度で力が戻るなら苦労はしない──と言わんばかりの目つき。だが、確かに霊夢の言う通りだ。すでに力の失われているカードに触れたとて、これ以上何が失われるというのか。
異なる因果における同一の力が重なり合うことで対消滅が起こるかもしれない──とも考えらえるが、考えても仕方のないこと。どうせ動かなければ始まらない。物語とは、そういうものだ。
春の陽光に包まれた博麗神社には、二つの乗り物が立てかけられている。星と光の魔力を帯びた竹箒。そして、ブルーラインの色に染まったビートチェイサー2000。
香霖堂で拳銃を入手した五代と魔理沙は博麗神社に戻り、今は士と霊夢と合流を遂げていた。
「んー、何も変わんないわね」
「何も変わらないな」
五代の手には色褪せたクウガのライダーカード。灰色に褪せているものの、そこに描かれた戦士クウガの仮面はそのまま。だが、やはり五代が手にしたところで、そこにクウガの力が戻る気配はない。裏を見たり、手の平で押さえたりしてみても、変化の兆しは何もなかった。
霊夢の小さな溜息に続いて、魔理沙も溜息混じりに頬杖をつく。すでにここに合流を遂げてから、博麗神社や玄武の沢に現れた怪物について、そして鳴滝という男の出現や、拳銃を入手したことによる緑の戦士への変身については情報を共有している。
霧雨魔法店で見たゴウラムについても、五代は士と霊夢に話しておいた。今はゴウラムは機能していないようで、ほとんど置物同然と言っていい。話した通りの活躍はまだ期待できないが。
「……その、ゴウラム? とかいうのについても気になるけど、今はとりあえず……」
クウガのカードを手に取って、士の顔を見る霊夢。彼は相変わらず太々しい振る舞いで腕を組み、霊夢の怪訝な顔を見下ろすように向き合う。
手にした一枚のカードを机に戻した瞬間、微かに指先に力を感じたような感覚に気づかずに。
「何だ」
「何だじゃない。あんたの寝床よ。
霊夢の指摘に眉を寄せる士。博麗神社は立派な建物だが、当たり前だが神社である。その構造のほとんどは拝殿、本堂といった神社本来の機能を有するものであり、霊夢が生活している居住スペースは外観から感じられる印象ほど大きくはない。
家主である霊夢もそれなりに広い本堂で寝たりと神社としての機能を居住に活用したこともあったが、あまり快適ではなかった。
衣服に関しては紫のおかげなのか五代のときと同様、士のものが用意されているのだが、食事に関しても問題だ。霊夢の分に加えて、五代の分、士の分といつまでも用意していては、簡単に底を突くだろう。
時空の停止した人間の里に人間はいない。人がいなければ買い物もできず、霊夢の生業たる異変解決による収入も得られない。緊急時だと己に言い聞かせてお金を置き、無人の里から停止状態で永遠に痛むことのなくなった食料をありがたく頂戴するのだが、いつまでもそうはいくまい。
「ちなみに、
自分を見やってきた霊夢に対して、魔理沙は牽制するように告げる。霊夢も分かっていたようで、小さく溜息をついた。
一人くらいなら泊められるスペースはないわけではない。実際、昨晩は五代を泊めた。問題はその立地だ。瘴気に満ちた魔法の森は、魔力に慣れない人間には過酷な環境なのだ。
「あっちに人里があったろ。適当にそこを探してみる」
「……んー、まぁ、人間の里ならそんなに危険はないと思うけど」
士は不自然に用意された自分の荷物を背負い、立ち上がる。自身が最初に幻想郷に現れた際、そこはやや時代遅れな景色だったが、人々が生活を営むに相応しい平和な街並みであった。
人間の里。この幻想郷で唯一と言っていい、人間が妖怪の脅威を少しのあいだだけ忘れて過ごすことができる場所。そのはずなのだが、此度の異変においては、人間の里にも未知の怪物は現れている。完全に安心できる場所とはもはや言い難い。
霊夢は悩むように士を見た。この男は世界の破壊者と呼ばれた仮面ライダー。並大抵の妖怪や怪物ならば返り討ちにできるだろう。だが、その戦いぶりは少しばかり物騒なものだ。
次元を砕くほどの一撃。本気の戦いを繰り広げれば、時空の停止している人間の里ごと破壊されてしまうかもしれない。そんな小さな懸念が、博麗霊夢の心の青空に雲のような暗影を見せる。
「あんまり派手に動かないでよね。……その力、何だか危険な感じがするわ」
いつになく真剣な表情で呟く霊夢は、門矢士の意思ではなく、ディケイドの力そのものに漠然とした不安の種を抱いていた。
確かにこの青年からは悪意は感じられない。世界を破壊する意思もないのだろう。それでも、あのマゼンタ色の威光。ディケイドの姿から感じられた底なしの威圧感は。本能的なまでに、どこか根源的なほどに。世界の破壊者という絶対的な説得力、有無を言わさぬ別次元の迫力があった。
「里に行くなら私もついてくぜ。こいつについて、いろいろと知っておきたいからな」
あぐらをかいた姿勢からゆっくりと立ち、魔理沙は士を見て告げる。霊夢と同じく生身の士の姿に対しては警戒を解いているようだが、やはりディケイドに対しては不安が拭えない様子。
「あ、俺も行くよ」
「五代さんは
立ち上がりかけた五代に対して霊夢が告げる。今までは外来人の正体や怪物への対応に追われ、実行に移せなかったこと。本来ならば博麗の巫女として保護した外来人への、真っ先にすべき対処となる行いである。
彼を元の世界へ送り返すためではない。紫の言葉通りなら、正しく元の世界へと繋げられる保障はないし、きっとその成功率も高くはないのだろう。
その目的は、『計画』とやらを語ったあの胡散臭い妖怪を再び呼びつけるために。彼女は普段は呼んでも来ないくせに、呼んでいないときにばかり顔を出す、迷惑な奴だ。
五代雄介という外来人の法則を辿り、クウガの世界を手繰り寄せる。かつて霊夢が行った、博麗大結界を意図的に緩めるという危険行為で紫を呼び出したときの、さらに世界の尺度を広げたものである。
九つの物語という紫の言葉は、九つの世界を指すのだと霊夢は解釈した。ならば、幻想郷と外の世界で行っていたあのやりとりをそれら九つと言われた世界にまで広げて行う。
繋ぐ世界はどこでもいい。彼女が今どこの世界にいるのかさえ、まったく分からないから。
人間の里。紫の境界を操る能力か、はたまた別の力によるものか。時空が停止しており、昼や夜といった時間の変化がなく、空間的な物理的損傷も起こらない。
舞い散る桜の花びらが止まり、逸れた光弾が家屋に当たっても傷つくこともない、にも関わらず、どういうわけかそこにあるものを手に取って、里の外に移動させることは可能らしい。
それも一時的なもの。かつて夜空の月が偽りの満月にすり替わっていた異変で、霊夢と紫によって夜という時間が引き留められていたとき。どこか張り詰めたような、廻る月と太陽を繋ぐ糸が、限界まで引き延ばされているような緊張を感じたのだ。
いつ千切れてしまってもおかしくない、そんな焦燥感を感じたような気がしていた。きっとこの止まった人間の里も、竹林のお屋敷が宿す真なる永遠には至らない、限りある永遠なのだろう。
「…………」
黒い帽子の鍔と手の平で陽光を遮りつつ空を見上げる魔理沙。あの太陽も、本物かどうか疑わしい。正午の時間帯を示す中天の輝きは、まだ朝であるはずの午前中の時間帯に相応しくない。
「相変わらず気味が悪いな。これもあのスキマ妖怪の仕業なのか?」
「私にも分からん。ま、こんなことができるやつは、そう多くはないだろうな」
愛機であるマシンディケイダーを人間の里の正門近くに泊め、魔理沙は愛用の箒を魔法で消失させてから人間の里を散策していた。時間はさほど経っていないはずだが、いつまでも頭の上から動かない太陽に照らされ、無人の里を歩き続けていると時間感覚が狂う。
ただでさえ二度目の四季異変の影響で幻想郷中の四季が入り乱れているのだ。里が春のままなのが唯一の救いだが、散った花びらが空中に張りついている様はあまりに正常とは言い難い。
「おい、あの建物はなんだ?」
春の雰囲気に似つかぬ黒衣の二人。士は少し気になった建物を見つけ、足を止めた。士が示した方向を見た魔理沙は、特に違和感の感じられない建物を目にしては首を傾げる。
「何って、普通の茶屋だぜ。気になるのか?」
魔理沙の目からは特に変わったところは見られない、ごく一般的な里の茶屋だ。時空の停止した今は茶屋として営業している様子はないが、一瞬を切り取った『写真』のような光景でありながら、
人間の里らしい明治後期の空気はそのままに。そこには誰も存在しない。ここの従業員も客も例外なく、人間の里という時空を丸ごと夢の世界に移され、今ここにあるのはただ感光した景色。
「……茶屋、か」
「たしか外の世界じゃ喫茶店っていうんだったか? 丁度いい、休憩がてら様子を見るか」
門矢士の思考に巡るはロールフィルムの光めいた記憶の巻き戻し。茶屋、喫茶店。そんな建物に大した縁はない。それでもなぜか惹かれてしまったのは、そこに微かな茶の香り。暗室での作業に用いる
明治時代の日本にはオランダ商人によってもたらされたコーヒーの文化があったという。大正時代を目前とした明治後期、その名残を受け継ぐ幻想郷、人間の里。その雰囲気が、停止した時空でありながらも、記憶の香りは宿りて。
──コーヒーの香りを持つ建物には縁がある。士はその喫茶店──否。喫茶店ではないにも関わらず、訪れる客に自慢のコーヒーを振る舞っていた店主──あの老人の好意で。
そこに安らぎを得ていた。
「っと、邪魔するぜー、なんてな」
暖簾を潜って戸を開いては、気軽に挨拶をする魔理沙。あくまでそれは形だけのものだ。すでにこの里も、この茶屋も。制止した時空、挨拶を聞く誰かが存在しているわけもない。
それはすでに弁えているはず──なのだが。魔理沙は思わず言葉を失った。硝子が組まれた扉の先には、それなりに顔馴染みのある茶屋とは似つかぬ──見慣れぬ光景が広がっていたからだ。
「……あれ? ここってたしか……茶屋のはず……だよな?」
扉を開けた先には、客を出迎えるための小さなカウンターらしきもの。そして奥には廊下が続いており、いくつかの扉と壁には額の数々が見える。擦り硝子と思しき窓に加えて、どこか生活感の感じられる『写真館』のよう。
──魔理沙はその光景に覚えはない。だが士は違った。自分自身とは切っても切り離せぬ場所。いつだって自分と共に世界を超え、法則を隔て、あらゆる因果を旅してきた己が世界。
幻想郷へと踏み入る直前、この写真館──『光写真館』にいたことを、はっきり覚えている。
「光、写真館……」
思わず口をついた士の言葉に、魔理沙は振り返る。先ほどまではなかったはず、その店先には、たしかに光写真館の看板があるではないか。
見間違いではない。たった今まで茶屋だった店の外装さえ、光写真館のものになっていた。
「な、なんだこりゃ……?」
魔理沙は頭の中に星が瞬くような酩酊感を覚えていた。奇妙なのである。記憶すら、その異常な光景に掻き回され始めているような、明らかにおかしいはずなのに、だんだんと違和感が薄れていくのを感じるのだ。
まるで最初からここが写真館であったかのよう。──何がおかしかったのだろう。ここは最初から写真館だったではないか。ただ、自分がここを茶屋だったと、
「…………」
「あ、お、おい! ちょっと待てって!」
そんな魔理沙を差し置いて、士はずかずかと光写真館へと踏み込んでいく。思わず魔理沙もそのまま中へと立ち入り、警戒を緩めることなく前へ進んでいく。
慣れた足取りで進んでいく士を追い、それでいて念のため入り口の扉を閉めることなく。外から吹き込むは魔理沙のよく知る幻想郷らしい春の風。だがこの建物の中は、どことなく外の世界そのものを切り取ったかのような、幻想を厭う鋭く否定的な空気、外の世界の空気が満ちているように感じられて、魔理沙は身震いした。
やがて廊下に並ぶ扉の一つ、古びた木製のそれを開き、士は広い部屋に入った。部屋の中心には年代物と思しき立派なカメラがある。倉庫には窓などないはずなのに、明るく光を差し照らす窓、来客用の椅子と、テーブルの上にはティーポットとカップまで。
そして何より目立つのが、カメラのレンズが向いている先の壁だった。おそらく写真を撮るための背景として用いるであろう一枚の大きなスクリーン。そこには通常、写真の背景に様々な彩りを加えられるよう、風景を描いた絵が飾られている。
この写真館の背景ロールもその例に漏れず。そこには味のある暖かい色彩の風景画、どこかの世界を模して描かれたであろう、どこか晴れ渡るような冒険心を思わせる雄大な山の絵があった。
「これは……外の世界か?」
魔理沙は背景ロールに大きく写し出された光景を訝る。肌身に伝わる空気は、室内であろうとも分かる。この場所には如何なる理由か、外の世界の空気が満ちている。つまり八雲紫のスキマめいた空間の接続か、あるいはそれに似た結界の超越現象が起きているのだろう。
ここは外の世界の法則を持つどこかだ。魔理沙の推測は的を射ている。そして目の前の背景ロール、描かれた風景画もまた、おそらくは外の世界のどこかの景色を描いたものだと。
彼女が抱いた感想はそれだけであった。しかし、士は違う。彼はこの風景画に見覚えがあるのだ。忘れるはずはない。大ショッカー大首領としての記憶を失い、ディケイドライバーをも失い、再び取り戻した力を手に、新しい旅路の第一歩を踏み出したときのこと。
待ち受ける景色は大いなる山へと続く道路に、民家を伴う現代的な街並み。そして道を往くのは日本の警察のものと思しきパトカーが二台。それらはその山へと向かっているようである。
間違いない。士の記憶は一度は失せたが今ある想いは揺るぎなく。その世界の名を想起する。
「……クウガの……世界……だと?」
士は小さく独り言つ。彼にとってこの背景ロールはただの絵ではない。クウガの世界へ向かうときにはグロンギを封じ込めた山とそこへ向かう警察車両、キバの世界へ向かうときには高層ビルに擬態した魔たる巨竜。そして龍騎の世界へ向かうときには鏡像めいた赤き龍──
そのいずれもが別の世界の接続点である仮面ライダーや法則を表しているのだろう。そして絵が切り替わった瞬間、世界の法則が切り替わり、光写真館は建物ごとその世界へ移動している。
──
士に原典のクウガの物語の知識はない。絶え間なき地獄絵図の世界、仮面ライダーたちの凄惨なる大戦において、原典のクウガ──五代雄介を捻じ伏せたことはあるのかもしれないが──
少し奇妙だ。あの戦場に立っていたのは再編されたクウガではなかったか。同一存在たる二人のクウガが同じ戦場にいたと考えるのは不自然。
士は九つの旅を経て、自らを剣崎一真と名乗る男に出会った。それは士と絆を結んだ再編世界の男とは別人の、原典の存在たる仮面ライダーブレイドに他ならない存在だった。
しかし、戦士たちの大戦に現れたのはそちらの男。士の旅路によって破壊された再編されたブレイドの世界とは別に、破壊者であることを受け入れた士によって──原典の法則を持つまた別の因果を由来とするのだろうか。原典の剣崎一真と同じ声の仮面ライダーブレイドは倒された。
それが二度目の破壊。旅路による再編の破壊に次いだ、激情による原典の破壊。キバの世界の代行者が望んだ本来の破壊にして、創造のための破壊。仮面ライダーの物語の修復と再定義である。
「……いったいなぜ……」
どうして幻想郷に光写真館が繋がっているのか、ではない。士の疑問は、いつも通りに世界の法則に楔を打ち込むかのように繋がった、この馴染み深きコーヒーの香り漂う居場所に対してのものではない。
──どうして、一度は旅を終えたはずのクウガの世界を意味する絵が宿っているのか。ここは無論、クウガの世界ではない。確かに原典存在たるクウガ、五代雄介は幻想郷に存在しているが、この世界自体は仮面ライダーの法則を持たない、名もなき世界であるはずだ。
それに、聞いた話の通りであれば、この幻想郷に存在する仮面ライダーは五代雄介だけではないはずだ。士が旅した九つの世界、その原典の法則を持つ存在が、九人全員存在しているはず。
単純に過去に旅したときの絵が再び飾ってあるというわけでもあるまい。この絵はそんな物理的で常識的なものではない。この写真館の家主である老人でさえ理解できない事象によって成り立っていると言っていいものなのだ。
誰が描いたとも知れず、買ったわけでもなく、そもそもそこに立てかけた者もいない。歩むべき世界が決まると、いつのまにか背景ロールの中に存在し、小さな衝撃で背景と現れ。
次なる絵が現れれば過去の絵はもはやどこにもない。クウガの世界を巡り終え、キバの世界へ至ったとき、どこにも存在していなかったはずのキバの世界の絵が出現し、そしてついさっきまで存在していたはずのクウガの世界の絵は、どこを探してもついぞ見つかることなく消えている。
「よく分からんが、お前はここを知ってるみたいだな」
「……ああ、俺が旅の拠点として使っていた。世界を繋ぐ、時空を超えた写真館だ」
魔理沙は頭を瞬かせる混乱を落ち着けるように写真館の居間たるこの場所、客人用にそのままにされている椅子に座る。
──部屋は掃除されている。テーブルの上のコーヒーカップはまだ暖かい。湯気が揺らめているところを見るに、里の時空停止の影響は及んでいないにも関わらず。
あまりにも不気味だ。士の簡単な説明を聞いて少しは混乱の星雲が晴れたものの、依然、目の前に広がる背景ロールの意味は分からない。原理なども当然、分かるはずもない。香しいコーヒーの匂いは魔理沙の視線を揺らすが、この暖かいコーヒーカップを手に取る気にはなれなかった。
「…………」
士は再び写真館の外に出ていく。外は相変わらず、生命の情報を感じさせない、完全に停止した永遠の楽園。時間も空間も止まった状態の人間の里のままだ。
完全で瀟洒な従者が指をかけた時計とも違う。永遠と須臾の罪人が手をかざした月とも違う。そこにあるのは、右と左、上と下、前と後ろ──そして過去と未来の境界を停止する力。次元という座標を再定義するかのような、まさしく神の御業と言ってもいい曖昧で胡乱な力。
神の力による停止の力といえば、日本の神話には古くから永遠を拒んだ者への罰がある。美しき花を司る妹たる女神を求め、醜き石を司る姉たる女神を拒絶したばかりに、石が持つ不変性を手に入れられずに老いて死んでしまった者の物語。
石が司るのは永遠。すなわち停止した一瞬という時間である。士は無意識にカメラを握りしめた。写真という名の不変の理を残すレンズの観測は、そのかけがえのない一瞬を切り取らんための記憶の旅路。
──西暦2020年、第135季の幻想郷。未だ訪れていないその物語は、令和という理に相応しい新たなる因果。奇しくもディケイドライバーが宿す永遠の秘石、トリックスターの役割と同様に。かの女神は遥か神代の世より石の如く変わらず、幻想郷のどこかで恒久をもたらすのだろう。
「……ちっ、またこれか」
士は愛用のカメラから手を離し、相変わらず変化のない人間の里に現れた陰りに舌打ちをもって迎える。士に続いて写真館の外へ出てきた魔理沙もすでにその招かれざる変化に気がついたようで、ミニ八卦炉を手に構えて青空を穢す灰色の歪みへと向き合った。
不気味に停止した里においても灰色のオーロラは揺らめきながら舞い降りる。ついこのあいだズ・ジャモル・レを含む三体のグロンギを撃破し、安寧を取り戻したばかりだというのに。
「ま、こっちのほうがありがたいぜ。何をすればいいのか、一発で分かるからな!」
魔理沙は不敵な笑みで、ミニ八卦炉に魔力を注ぐ。灰色のオーロラの揺らめきが強くなるにつれて、やがて波紋は何度も相対したのと変わらぬ邪悪な気配を滲み出し始める。
人間の里の停止。不可解な写真館の出現。異変にまつわる謎は魔法の道の研鑽と比べ、何の筋道もない。どうすればいいかさえ分からない混乱の連続だ。霊夢だったら、己が勘のままに真っ直ぐ突き進むのだろうが。だが、怪物の出現は単純明快。きっと、戦って、倒せばいいだけなのだ。
博麗神社、桜の芽吹き香る春の神社。暖かい気候とは裏腹に、五代と霊夢の気持ちはあまり晴れやかなものではない。
霊夢の管轄である大結界への干渉をもって、クウガの世界に接触しようと試みたのだが──
「……うーん、やっぱりダメね」
「やっぱりダメかぁ……」
五代雄介を境内の真ん中に立たせて、その身に宿る法則を辿って大結界の隙間を切り開いてみたのだが、霊夢の力をもってしても複雑に絡み合った世界の中は手に取れるものがない。
無作為に開くのも危険なため、霊夢は目を開けては集中を解き、大結界との接続を解いた。
「紫も出て来そうにないし、ここらでお開きね」
クウガの世界への接続はあくまでもし可能だったらという程度のもの。本来の目的である大結界への干渉による紫の召喚は成し得ず。いつもだったら、真剣な顔で注意してくるのだが、どうやら今はよほど忙しいのか、それとも本当に幻想郷とは別の世界に行っているのか。
霊夢としても悪戯に大結界を解れさせたくはない。下手なことをして幻想郷と外の世界の繋がりがさらに不安定になってしまえば、博麗の巫女として、余計に忙しくなってしまうことだろう。
「まったく、いっつも邪魔なときにいて……邪魔なときにいないんだから」
眉をひそめつつ腰に手を当てて、青空を見る霊夢。必要ないときばかり妙にくっついて絡んでくるくせに、何か困ったことがあったらどこにも見当たらない。清々しい晴れ空に一つ、雲のように浮かんではいつのまにか消え去っている。いてもいなくても迷惑な奴。
紫に対してはどこか、慣れ親しんた家族のような感覚だ。無意識の中で彼女がそれを認めようとしないのは、ただ紫が妖怪であるためだろうか。
私を呼んだことなんてあるの? と、胡散臭い笑顔で本心を逆撫でされたこともある。そのときは「ない!」と言い切った。本当は彼女を心の中で信頼していると、悟られるのが嫌だったから。博麗の巫女たる存在が、倒すべき妖怪を頼り、甘えているなんて思われたくなかったから。
「…………」
きっとお見通しなのだろう。それがどうしようもなく不愉快で、霊夢は思考の中を染める紫色の雲を振り払うように顔を振った。紫を呼ぼうとしたのは、心細かったからじゃない。ただ、何でも知ってるだろうあいつなら、少しくらいなら答えを教えてくれると思っただけ。
霊夢はその考えさえ甘えだったと捨て去った。ディケイドに変身した八雲紫は何も答えてはくれなかった。きっとまた顔を合わせても──「だいたい分かったかしら?」と惚けてみせるばかりだろう。そう考えると、自然と溜め息が零れてしまうのだった。
──そのとき。博麗神社らしい青空に、招かれざる揺らぎが現れる。それは八雲紫の便りなどではなく。相変わらず禍々しい悪意を放ってくる、境界を歪ませる灰色のオーロラの具現である。
「あー? また出たわね。毎度毎度、ご苦労なことだわ」
霊夢は面倒そうに左手に大幣を出現させ、びしっとオーロラに突きつける。紫も、あのオーロラくらい真面目に働いてくれればいいのに。と、心の中で小さく愚痴を呟くように。
あいつが普段どこで何をしているかなんて知らないが、きっとのんきに寝そべりながらお煎餅でもかじっているのだろう。そう思い至ったのは、自分が普段そうだからなどと、霊夢は決して自覚しないのだが。
五代もすぐに霊夢に並び、腰の正面を両手の平で覆ってはアークルを出現させる。鋭く伸ばした右腕は移ろう惑いを切り裂くように。左腰へと滑らせた左拳は心の怒りを抑え込むように。
──変身。その一声で、五代はアマダムの叡智に身を委ね、クウガとしての己を顕現させた。
「また……未確認生命体……!」
クウガとしての赤き複眼で見やるオーロラの彼方から舞い降りたのは、二体の怪物だ。それらは博麗神社上空に浮かび上がったオーロラから、霊夢たちのいる境内よりもやや距離のある場所に落ちたようだ。神社の裏にある山、博麗神社の敷地内である湖のある領域である。
境内に現れると思っていた霊夢は少しだけ面食らったが、すぐに石畳を蹴り上げて空へと舞い上がった。クウガの姿に変身している状態の五代も、賽銭箱の近くに停めておいたビートチェイサー2000へと跨り、エンジンに熱を灯らせる。
古代リントの叡智で自らの頭部そのものが再構築された強靭なる兜に、ヘルメットは不要。クウガとしての仮面のままでビートチェイサーのコンソールを操作し、車体の色を銀色に青のラインであるブルーラインから漆黒に赤のライン、クウガの紋章を刻んだレッドラインへと変える。
「五代さん、こっちよ!」
巫女装束の裾を揺らして空を飛ぶ霊夢についていくように、五代はビートチェイサーのアクセルグリップを握り、その初速の勢いゆえに微かに前輪を浮かび上がらせながら走り出した。
目指すは博麗神社の裏山。その原始的な神聖さを感じさせる場所に、小さな冒険心を秘めて。
博麗神社、裏山。山と言っても妖怪の山ほど広大なものではない。豊かな自然と小さな湖がある程度のものであるのだが、博麗神社の敷地内だけあって霊的な力はかなりのもの。
二人はそれぞれ山の入り口に舞い降り、バイクを停め、異界からの来訪者へと向き合った。
「あ、いたいた! なんだってのよ、わざわざこんな古臭い湖なんかに……!」
霊夢の視界にあるは二体の未確認生命体。裏山の中の湖近くに降りたらしきそれらは、この湖の異質な禍々しさ、不気味さに見合うような不快に湿った気配を持っている。
湖の水を裂くようにこちらを睨むのは、人の姿をしているとはいえ明確に人ならざる悪意を放っている、黒髪の男性二人。メッシュ状の上衣を水に濡らした男、そして異様な白の上衣と三角の帽子を濡らした男は、どちらも不敵に笑って見せ。
メッシュの男は右の二の腕にあるピラニアのタトゥを、白い三角帽の男は左手の甲にあるイカのタトゥを誇りと撫でると、その身は魔石ゲブロンの力で禍々しくも力強い異形へ変わる。
来たか 活きの良い リントだ
「ビダバ ギビンギギ リントザ」
ピラニアのタトゥの男が変化するは全身に翠色の鱗を纏った肉食の魚類。両肩にはオレンジ色の刃めいたヒレ、顔面には凶悪な大顎を持ち、頭部には背ビレのような意匠を持つ。
未確認生命体第23号、ピラニア種怪人のメ・ビラン・ギは、湖の浅瀬でざぶざぶと足を動かし、ゆっくりとこちらに歩み寄りながら右腕の鋭いヒレを払い、煌く水飛沫に歓喜の声を上げた。
殺したくなる 顔だな
「ボソギ ダブバス バゴザバ」
イカのタトゥの男が変化するは全身を白い軟体で覆った深海の狩人。頭足類らしく頭髪のように背後に垂れ伸びた触手は鋭く、両腕たる二本の触腕は軟体でありながら強靭な筋肉を誇る。
白銀の装甲を帯びた未確認生命体第21号、イカ種怪人であるメ・ギイガ・ギは、己が身体が浸る浅瀬の水、それが湖ゆえに淡水であることに苛立ちを覚えつつ、どこか愛おしくもこの幻想郷には存在しない海水を想い、二人のリントに殺意の言葉を漏らす。
どちらも等しく、ズのゲゲルを終えた上位のグロンギ。白銀のゲドルードを纏い帯びたメ集団に分類される怪物たちだ。
先に動き出したのは素早さと切れ味に優れたヒレを持つ淡水の虐殺者──ピラニアのグロンギ。メ・ビラン・ギは水中こそを本領としながら、陸上においても軽やかな瞬発力で地を蹴った。
「未確認生命体、第21号と第23号……! 霊夢ちゃん、気をつけて!」
赤い鎧を纏うクウガ、マイティフォームの身のこなしでメ・ビラン・ギのヒレを受け止めつつ、続けて首へと迫り光る大顎の牙、原始的な噛みつきを必死で抑え込みながらも背後の霊夢へと声をかける五代。大丈夫、この怪物にもかつて一度勝利している。油断せず、確実に。
「グゥ……ッ!」
五代の拳を腹に受けて後退するメ・ビラン・ギ。すでに何体か妖精や妖怪を殺害しているのか、手首に装うグゼパの勾玉はいくつかずらされており、牙やヒレには湖の水でも流れ落ちない程度に固まった血がこびりついている様子。
鋭いヒレの一撃は空気を裂き、強靭な顎による噛みつきは岩をも砕くだろう。まともに攻撃を受けてしまえばクウガの強化皮膚とて容易く引き裂かれてしまうことは想像に難くない。
彼らの殺人は、凄惨なものだ。時にはその殺人が現代社会に疲れた若者の心に良くない影響を及ぼし、グロンギへの憧れを抱かせてしまったこともある。そんな苦い思い出が、五代の拳に覚悟の火を灯らせ、マイティフォームの攻撃をより鋭く、その拳をメ・ビラン・ギの胸へと叩き込む。
「はぁあっ!」
その傍らで舞うは紅白の蝶。巫女装束を揺らして煌びやかな弾幕を放ち、炸裂する輝きの中にメ・ギイガ・ギの軟体が白く光っている。
ただのホーミングアミュレットでグロンギが致命傷を負わないことは分かっている。ゆえに霊夢はそのショットを目晦ましとして、あえてメ・ギイガ・ギに近づき、右脚に込めた霊力を解き放つことでメ・ギイガ・ギの軟体を強く鋭く蹴りつける【 昇天蹴 】の一撃を見舞ったのだが──
貴様の 攻撃は その程度か?
「ビガラン ボグ ゲビパ ゴン デギゾバ?」
その脇腹に渾身の一撃を与えても微動だにしない。まるで大木を蹴りつけたような重みに加え、霊夢の右脚に伝わってくるのは水に濡れた軟体動物にも似た奇妙な手応え。
物理的な衝撃はイカのような外皮に吸収され、まともなダメージになっていない。やはり霊力を伴う蹴り上げ、昇天脚ではなく、威力で劣るとはいえ当てやすい昇天蹴のほうを選択したことが仇となってしまったのか。
否、この感覚であればきっと大技の天覇風神脚を直撃させたとしても、本来の威力の半分も伝わらないだろう。霊夢は即座に脚を引き、脚を掴もうとしたメ・ギイガ・ギの腕から逃れる。
逃がす ものか
「ビガグ ロボバ」
「うえっ!? ちょっと!?」
──そう思った瞬間、メ・ギイガ・ギの頭髪めいた触手が霊夢の右脚を絡め取り、遠心力を込めた振り払いで放り投げられてしまう。たまたまそこにいたのは、湖の畔でメ・ビラン・ギと拳を交えていた五代、戦士クウガ。吹っ飛ばされた霊夢は、クウガと互いの背中をぶつけてしまった。
「うわ、霊夢ちゃん!? 大丈夫!?」
突如として背中に起きた衝撃に振り向いては霊夢を心配する五代。だが、目の前には依然として未確認生命体第23号、メ・ビラン・ギが存在する。振り下ろされるヒレの一撃から霊夢を庇い、両腕を交差させて腕の装甲で受け止めるが、金属質な嫌な音と共に、痛みが走る。
そのまま立ち上がり、霊夢は自分を守ってくれたことに礼を告げつつ、クウガと背中合わせになって二体もの怪物を同時に警戒。霊夢は追撃を覚悟したが、どうやらメ・ギイガ・ギはこちらに接近してくる様子はない。
まずい。霊夢は歴戦の経験からこの距離感が物語る怪物の行動を予測した。ちらりと背後を見ると、このグロンギとの交戦経験がある五代も同様に察知した様子。
メ・ギイガ・ギはその腹より熱く煮え滾るイカの墨を生成。それを喉へと昇り上げ、右手の平を相手に見せたあと、その手を己の口へと持っていくことで高熱の凝集を誇示するように笑う。
「気をつけて、霊夢ちゃん! あの白いの──!」
「ああ、あの嫌な感じ! 何をしてくるかは、だいたい想像がつくわ!」
五代はすぐにメ・ギイガ・ギを警戒し、霊夢の傍に控えるようにすぐ動ける体勢を維持。霊夢も吹っ飛ばされていた状態から急いで体勢を立て直すことで、何とか怪物に向き直る。
貴様たちも 俺の墨で 餌食に してやる
「ビガラダヂ ロゴセン グリゼ ゲジビビ ギデジャス」
邪悪な声でそう告げ、メ・ギイガ・ギは右手をどけると同時、口腔から凄まじい熱を持つイカの墨を吐き出した。暗く淀んだ墨は真っ直ぐに霊夢と五代へと向かっていくものの──
二人は咄嗟の判断で大地を蹴り、転がるようにして左右に回避する。墨はその場の地面に落ち、湿度と質量を帯びてぐちゃりと潰れる。次の瞬間、墨は地面を抉るような爆発を起こした。
「グゥ……!」
その爆発はメ・ビラン・ギを巻き込んで炸裂。爆風から顔を覆う霊夢と五代は、メ・ビラン・ギから距離を取りつつ、メ・ギイガ・ギをも警戒できる立ち位置へと移動。
メ・ビラン・ギは焼けつく痛みに強靭な顎を軋らせ、爆発する墨を放った怪物へと憤った。
俺を 巻き込むな!
「ゴセゾ ラビ ボルバ!」
そんなところに いるからだ
「ゴンバ ドボソビ ギスバサザ」
どうやら二体の連携はあまり上手くはないらしい。淡水と海水という生息域の違いからか、そもそもグロンギという種族が一人ずつのゲゲルを前提として成り立っているがゆえに、複数の個体が同時に狩りを行う今回のゲゲルに馴染めていないだけなのか。
霊夢は二体が諍いを繰り広げている隙に、練り上げた霊力でメ・ビラン・ギにホーミングアミュレットを放つ。さらにその光を目晦ましとして、亜空穴で背後に移動し、昇天蹴をぶつけた。
「グゥゥ……ガッ!」
油断していたところに急襲を仕掛けたからだろうか、こちらは霊力を込めた霊夢の蹴りが通った。よろめくように後退した第23号に対し、五代は隙を逃さぬと拳の猛攻を見舞う。
しかしやはりメ集団の敏捷性。すぐに距離を取ろうとするメ・ビラン・ギに、マイティフォームの能力では追いつけない。五代はかつての戦いを思い出して、すぐにアークルを手で覆う。
「超変身!」
波打ち揺蕩う水の心。複眼と装甲、そしてアークルに灯るモーフィンクリスタルを青く染め、戦士クウガは水龍の如く技を無に帰すドラゴンフォームへ。
山の木々が折れ落ちたものの一つである枝を右脚で蹴り上げ、それを掴んでドラゴンロッドへと再構築すると、五代は拳での猛攻から棍による連打、龍の如き水飛沫の舞いを怪物へ叩き込む。
「ふっ! はっ! はぁっ! おりゃああっ!!」
渾身の力を込めたスプラッシュドラゴンをメ・ビラン・ギへと解き放ち。メ・ビラン・ギの胸に突き立てられるドラゴンロッドの先端。青き宝珠が輝くとき、戦士の封印エネルギーは棍を伝ってグロンギのゲドルードへと流し込まれていく──はずだったのだが。
怪物はピラニアの如き執念で己が鱗を炸裂させた。全身に満ちていた妖力のエネルギーを一点に集中させて、それを爆ぜさせることで封印エネルギーの干渉を跳ねのけてしまったのだ。
封印の残滓が燻る胸を押さえつつ、後退して湖へと飛び込み、泳いで逃げようとする第23号。
「……っ! 逃がすか……!」
スプラッシュドラゴンを放った勢いでまだ息の整わぬまま、五代はクウガとしての変身に際して自身と一体化していた持ち物の中から一挺の拳銃を取り出した。コルト・パイソン.357マグナム。つい先日、香霖堂で手に入れた馴染み深い外来の品である。
その握り手の感覚に従うように、五代は再びアークルに片手を添える。今度は水の心ではなく、清らかながらも荒々しく吹き荒れる風の心。耳を澄ませ、感覚を研ぎ澄ませる天馬の如き意思。
「超変身っ!」
拳銃を持ったままの超変身により、吹きゆく風は緑の意思となりて、クウガの複眼と装甲、モーフィンクリスタルを緑色に染めた。第14号を撃ち抜いたときと同様、これより僅か50秒間の制約の中、五代は手にしたペガサスボウガンを構え、第23号が逃げた湖の波を見る。
その目で、その耳で、そのすべての感覚で的確に敵を捉え、迷うことなく引き金を引く。
「グゥ……ッ! グォォアアッ!!!」
放たれた空気の矢は風を切り、水を貫く。やや呼吸は浅く、込めた力も足りてはいなかったかもしれないが、先に放ったスプラッシュドラゴンが功を奏したようだ。咄嗟の判断で放ったブラストペガサスだったが、メ・ビラン・ギは見えざる風に背を穿たれ、光は腰帯へと到達。
水中で水飛沫を上げての大爆発。博麗神社の裏山、その飛沫は博麗神社の本殿からでも目視できそうなほど高く、ピラニアの怪物は封印エネルギーの奔流に耐え切れず、激しく爆散を遂げた。
「……はぁ……っ……!」
クウガとしての体力と精神力を大きく消費し、続けて二発の大技を放った。最初のスプラッシュドラゴンで仕留めきれなかったのは、かつて一度は倒した相手だという無自覚の油断からか、あるいは、やはり相手がかつてより強くなっているからか。
踏み込みが浅かったことは自覚していた。己の隣で戦う霊夢を気にしていたための焦りが生んだ軽薄さか。反省すべき点は多いが、今すべきことではない。五代はすぐに息を整え、少しの間だけ背を向けてしまっていた霊夢とメ・ギイガ・ギへと集中し直すこととする。
緑のクウガのままでは戦えない。五代はもう一度アークルに手を添え、今度は今一度、赤き鎧を纏うマイティフォームに戻って戦うことにした。
柔らかく弾性のある肉体を備えるメ・ギイガ・ギとの戦い方はすでに分かっている。必要なのは
だが、もう一つのクウガへ至るにはまだ機を伺う必要があるのだ。それを伝えるべく、五代はメ・ギイガ・ギの墨による爆撃を避け続け、霊力を練る隙も、接近する隙も見出せないままにただ悪戯に境内裏の山が焼けていく様に苛立ちの表情を隠せない霊夢へと近づいていく。
あの爆発性の墨は一度に一発ずつしか放てないらしい。だが狙いは正確だ。弾幕のように撒き散らされてはたまったものではないが、こうして的確に狙われても回避し続けるので精一杯である。
「霊夢ちゃん! 無理に近づかなくても、チャンスはあるから!」
「あ、そ、そう? このまま避け続けても
同時には一発しか放てないらしいとはいえ、その連射に限りはないのだろうか。一撃を回避し、一撃を霊力の結界で受け止め、受け流してもその衝撃は強く、軋む腕と脚を奮い立たせてはすぐに移動しなくてはいけない。連続して受け止めるには、着弾時に爆発する墨は脅威だった。
逃げ回らずに 死ぬがいい
「ビゲラパ サズビ ギブグ ギギ」
次から次へと墨による爆撃を放ってくるメ・ギイガ・ギ。五代と霊夢はそれぞれ避け続け、機を伺うが、怪物の手首、グゼパに宿る妖怪のエネルギーが出力を助けているのか、かつてこの怪物と戦った五代から見ても以前より遥かに火力が高いように感じられた。
二人を分かつように放たれた墨の一撃は、左右に転がった二人の間を抜け、激しく爆発する。
「……チッ……」
メ・ギイガ・ギの頭足類めいた口腔から漏れるは舌打ちのような音。己が身に取り込んだ妖怪のエネルギーに頼っていたため、かつてよりも強く、多くの墨を放てるようになってはいたが、その身体の構造までは過去の自分から大きく変化していない。
つまり、体内で高熱の墨を生成する際には全身の細胞が極限まで加熱されるため、一定回数以上の射出によって生命維持活動に影響を及ぼすほど体温が上昇してしまうという弱点はそのままであったのだ。
イカという生き物は変温動物である。体内でそれだけの熱が生じれば、自ずと生物学的な恒常性、ホメオスタシスは崩れ去る。グロンギであるがゆえに本物の軟体動物と比べて幾許かは融通が利くが、それでもこれほどの高い体温をすぐに下げるには外部からの冷却が不可欠だ。
あまりの高温に蒸気が揺らめき始めた身体を動かし、メ・ギイガ・ギはイカ墨による爆撃よりも威力は劣るグゼパによる妖力の光弾を牽制として放ちつつ、すぐ傍にある湖へと向かっていく。
「……っ! よし、今だ!」
「今って言ったって、あいつには体術も弾幕も……!」
五代はメ・ギイガ・ギの爆撃が止んだタイミングで声を上げたが、霊夢はその言葉の意味が分からない。ホーミングアミュレットなどの光弾は言わずもがな、渾身の霊力を込めた体術でさえ柔らかく弾性のある軟体に阻まれてしまい、大したダメージにならなかったのだ。
衝撃は通っているようだが、まずはあの外皮を突破しなければ始まらないだろう。霊夢はそれを五代に抗議しようとしたが、あろうことか五代はメ・ギイガ・ギとは反対方向に走り出した。
「ご、五代さん! どこ行くのよ!?」
悠々と湖に浸かっては自身の高熱を冷まし、次なる爆撃に備えて腕輪からさらなる妖力を取り込んでいる様子のメ・ギイガ・ギ。霊夢は五代の行動も訝ったが、メ・ギイガ・ギの回復をみすみす許してしまうわけにはいかないと判断し、右手の裾からお札を取り出しそちらへ向かう。
一方、五代は裏山の入り口に停めたビートチェイサー2000のもとへと辿り着いた。ここからでもメ・ギイガ・ギと交戦する霊夢の姿は見えるほどの距離。レッドラインのまま維持されている愛機、ビートチェイサーのハンドルグリップはそこに健在である。
五代はクウガとしての姿のまま、右のハンドルグリップを掴んだ。そのままグリップの引き金を引き、カチリと半回転させてロックを解除。それをさながら剣の柄のように引き抜く。
何の抵抗もなくするりと抜けた右ハンドルはビートチェイサーの起動キーとなる警棒型のデバイスである。純粋に鍵を持ち歩くよりはより安全であるし、仮にロックを突破されても片方のハンドルが失われたバイクは操縦のしようがない。
警察車両たるビートチェイサー、その前身となる白バイ、『トライチェイサー2000』の頃から運用されていることもあり、その起動キーは今なお『トライアクセラー』と呼称されている。
「…………」
この愛機もまた、懐に眠る拳銃と共に。相棒と言える刑事から託された大切なもの。言わばこの起動キー、トライアクセラーは彼の、警視庁の、人間の、信頼の証。
五代はそれを右手に握りしめ、霊夢のもとへと駆け出した。右ハンドルのグリップ上部、ブレーキレバーとなる引き手の先より伸びるは警棒としての役割を果たす電磁棒。人間を相手にするなら極めて効果の高いスタンロッドとなり得るが、未確認生命体に対してはただの拳銃と同様に大した効果は得られない。
それでも五代はこの警棒を欲した。否、それは棒としてではなく。握る柄、伸びる先、さながら西洋の長剣めいた振る舞いで、五代はそれを右手に持って境内裏の山を駆け抜ける。
この小さな意思は、長大な棍よりも直接的に。仇為すものを『切り裂く』ための武器として。
過去最大級にお待たせしてしまってすみません……! いろいろありました。……いろいろ。
本編登場グロンギなのにあっさりと倒してしまって申し訳ないです。メ・ビラン・ギ。
そのお詫びとして、クウガの必殺技相当の大技を二発も食らってもらいました。サービスだ!