東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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第7話 疑惑

博麗神社

10:32 a.m.

 

 ─―ズ・グムン・バとの戦いから数時間。

 すでに日は高く昇っており、傷を負った霊夢と五代も博麗神社にあった救急箱を使ってある程度の手当を終えている。霊夢の腕を止血していた蜘蛛の糸も、今は白く清潔な包帯に置き換えられていた。

 簡単な朝食を済ませ、縁側に座る。霊夢は失血のせいか体調が優れないようだが、戦いのあとにもう一度布団に入ってしばらく休んだ結果、少しだけ顔色が良くなった気がする。

 さすがに全快とまではいかないが、五代の手伝いもあって二人分の食事は用意できた。

 

 五代も温泉を借りて身体を清め、新しい服に袖を通す。普段から慣れ親しんだ自分の服。幻想郷には存在しない、外の世界特有の素材で作られた現代の洋服。冒険家として、十分な荷物に着替えを用意しておくのは当然である。

 この服は五代自身が買った私物であり、幻想郷のものではない。が、五代はどこか遠慮がちに自分の服に袖を通していた。

 理由は一つ。――五代には、この服を、この荷物を。幻想郷に持ち込んだ覚えがない(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 ここに来る前。記憶に残る最後の戦い。グロンギの族長、第0号との死闘を終え、五代は吹雪の中、バイクも荷物も置いてそのままの足で冒険に出たはずだった。

 みんなを心配させないため、先に別れを告げて。自分の名を呼ぶ男の声も、自分の帰りを待つ人々の笑顔も、吹雪の彼方に押しやって。

 あれから数ヶ月。気ままに冒険を続けていた五代は、気づけばこの(さと)(いざな)われていた。今は博麗神社に停めてあるビートチェイサー2000も、旅立つ前に決戦の地である九郎ヶ岳遺跡に置いてきたはず。本来ならば、ここに存在しているはずがないのだ。

 

 異国の海岸、波打つ砂の浜辺を歩いていたはずの五代は、刹那の闇を見た直後、幻想の境界へ落ち、その先の荒野で再び巡り逢った。

 無二の相棒から、同じ想いを抱く人々から託された、第4号(クウガ)のための――五代雄介のための超高性能マシンに。もう二度と見ることはないと思っていたビートチェイサーに乗って、無辺の荒野に蘇った未確認生命体第1号を倒すために、五代は再びクウガとなる道を選んだ。

 ただ無心に、ただひたすらに。求められる拳を振るい続けた。悲しみに打ちひしがれても、掲げる青空を涙に染めたとしても。そこに笑顔があるのなら。それを壊す者がいるのなら。

 

「あれ? あんたその服……持ってきてたの?」

 

「いや、持ってきた覚えはないんだけどなぁ……」

 

 博麗神社の縁側に戻る。この服は霊夢が用意したわけではない。当然、元から幻想郷にあったわけでもない。ビートチェイサーと同様、わざわざ用意した誰かがいるのだ。外の世界と隔絶されているはずのこの幻想郷に、外の世界のものを。

 霊夢はその犯人を考える。博麗大結界を超え、外の世界のものを持ってくることができる存在は限られている。心当たりはそう多くはない。必然的に、一人の妖怪を思い浮かべていた。

 

「……まさか、(ゆかり)……?」

 

 八雲 紫(やくも ゆかり)。霊夢もよく知る強大な妖怪で、この幻想郷を管理している『賢者』の一人だ。

 幻想郷を愛し、その均衡を維持しようとしている彼女が、わざわざ一人の外来人のために元の世界のものを用意してくれるとは考えにくい。

 だが、この青年を。五代雄介を連れてくることが紫の目的だったとしたら。外の人間である彼を利用して、何かを企んでいるとしたら。

 異変の影響で結界が不安定になり、そのせいで幻想郷に迷い込んでしまった外来人だと考えていたが、突如として現れた怪物――グロンギと戦えるような人間が都合よく幻想入りを果たすのは不自然かもしれない。

 その疑問も、紫がグロンギに対して対応を見せないことにも、すべて紫が仕組んだものだと考えれば合点がいく。しかし、彼女がどこまで異変に関わっているかは分からない。おそらくは五代を招いたのは紫であるとは思うが、まさかあのような怪物まで幻想郷に招いたのだろうか。

 

 縁側に正座しながら、霊夢は五代の隣で湯呑みの中のお茶を飲む。境内を覆う桜はどこまでも美しいが、今はそれどころではない。

 灰色のオーロラ、未知の怪物、そして、白い――否、赤い鎧の戦士クウガ。この異変を終わらせないことには、おちおち花見も(たの)しんでいられなかった。

 五代の分の湯呑みも用意してある。霊夢と同じく縁側に座り、静かに湯呑みに口をつける。グロンギとの戦いは忘れられない。束の間の休息でしかないが、満開の桜を見ながらの一時は痛んだ心に安らぎを与えてくれた。

 

 見上げる桜吹雪の中、晴れ渡る青空に一つの影が差す。黒い影はどうやら黒衣を装った一人の少女のようだった。さながら童話に登場する魔女のように古びた箒に跨って空を飛び、高度を落として博麗神社の境内に降り立つ。

 指をパチンと弾いて箒を消し去り、黒い帽子を被った豊かな長い金髪を揺らす少女は先日も人間の里で怪物と激闘を繰り広げた魔法使い、霊夢の友人である霧雨魔理沙だ。

 

「よう、霊夢。あれからどうだ?」

 

「散々よ。夜中だってのに怪物に襲われるし。それも二匹よ? 片方はなんとか倒せたけど……」

 

 悪戯(いたずら)っぽく笑う魔理沙の言葉に、霊夢は小さく項垂(うなだ)れる。連戦に連戦が続き、さすがに疲れも限界に達していた。

 あの戦いの後にすぐ布団に潜ったが、まるで疲れが取れた気がしない。スペルカードルールに即しない本気の戦闘がこれほど疲れるものだとは、幻想郷のルールに馴染みすぎてすっかり忘れていたようだ。

 博麗神社に現れた二体の怪物。クモの怪物とコウモリの怪物。そのうちの一体、人間の里にも一度姿を見せたクモの怪物――ズ・グムン・バの方は、赤い戦士(マイティフォーム)となった五代の協力もあり、なんとか撃破することができた。しかし、コウモリの怪物――ズ・ゴオマ・グには二体の怪物を同時に警戒していたのもあって、予期せぬ行動の変化に対応し切れず逃走を許してしまったのだ。

 

「もう片方には逃げられたんだな。まぁ、よくあることだ」

 

「あんたと一緒にしないでよ」

 

 魔理沙曰く、能力の酷使で倒れた慧音は無事に家まで送り届けることができたらしい。彼女と(えん)の深い、とある人間が介抱してくれたおかげで、魔理沙はその対応を委ねて異変の方に集中することができたようだ。

 霊夢の隣に座る青年――五代を見て、魔理沙は一瞬訝しんだような顔をするが、すぐにその顔を思い出す。彼女の中では戦士クウガの印象が強すぎて、生身の五代の顔はあまり記憶に残っていなかったらしい。幻想郷らしくない服装と合わせて、この男が例の『戦士』であると紐付ける。

 

「お前も大した怪我はなさそうだな。というか、あんな姿になってなんともないのか?」

 

 魔理沙は先日の戦いを思い出すと、段々と鮮明に記憶が蘇ってくる。この男は、異形の姿に変身した後、散々殴られ叩きつけられていたはずだ。それなのに、見たところ怪我と呼べる怪我は負っていない。それも疑問に思ったが、まだ些細なこと。

 今はそれより、この男がそもそも異形の姿に変身したことが気になっている。人間が魔法も何も使わず、肉体を捻じ曲げて形を変えるなど、幻想郷においても信じられないような話だ。

 

「なんともないってことはないけど、なんとかなるみたい」

 

 湯呑みを揺らし、何気なく答える五代。顔を上げ、心配そうな表情をしている魔理沙に気がつくと、五代は優しく笑顔を見せ、再びサムズアップを掲げる。

 真っ直ぐ目を見て、ただ一言。「大丈夫」と。これまで何度も口にした、五代雄介の言葉。ただの一度も約束を(たが)えず、誰かを裏切ったことのないその言葉。それは、この幻想郷の地において、彼の口から聞くのは二度目である魔理沙も、どこか不思議と信じられるような気がした。

 

「まぁ、本人が大丈夫って言ってるんだし、大丈夫だと思うけどね」

 

「言いました! だからもう、全然大丈夫!」

 

 博麗神社の縁側、日の当たる場所に並んで座る霊夢と五代。二人は同時に湯呑みを傾け、温かいお茶を口にする。

 胸に残る悩みをお茶の苦味で洗い流し、冷たい不安はその暖かさで氷解していく。湯呑みから口を離し、ほっと一息吐くと、目の前には呆れた様子の魔理沙が立っていた。

 

「霊夢は相変わらずだが、お前もお前でのんきな奴だな……」

 

 その目的すら判然としない異変の最中だというのに、二人には緊張感というものが見受けられない。昔馴染みの友人はともかく、出会って二日目にして、魔理沙は早くもこの青年――五代雄介の性格を掴み始めていた。

 この男は、霊夢とよく似ている。逆境に立ち向かう強さを持っているのに、弱さを見せようとしない。飄々と困難を切り抜けていくのに、辛そうな表情を見せない。でも、魔理沙には分かっている。霊夢は苦しみを隠すのだ。この男も霊夢と同様、仮面の下に痛みを抱えているのだろう。

 

「あんたも飲む?」

 

「いらん」

 

 座敷の中を指す霊夢。(から)の湯呑みはまだ残っている。霊夢はもう一人分のお茶を淹れてもいいと思ったが、魔理沙はそれを遮った。

 異変は何も解決していない。オーロラから現れた怪物を数体倒した程度で、この異変が終わるとも思えなかった。

 原因となる何かがあるはず。この異変を起こしている全ての元凶、幻想郷に名立たる妖怪たちにも比肩するほどの強大な力を持つ『何か』が存在しているはずだ。

 

 しかし、今はそれよりも。人の身にして異形の姿へと至ったこの男の方に興味がある。如何なる原理であの姿へと変じるのか。如何なる方法であの姿を身に着けたのか。様々な知識を追及する魔法使いとして、好奇心は尽きない。が、同時に、やはりどこか心配でもあった。

 幻想郷においては、里の人間が妖怪になることが最大の罪とされる。外来人には当てはまらないため、すぐさま退治の対象になることはないはずだが。

 それでも、人間と妖怪のバランスが何よりも重視されるこの幻想郷で、もしもその均衡を崩すようなことがあれば。調停者である博麗の巫女は、迷わずこの男の命を絶つだろう。霊夢にはそれだけの覚悟があるということを、魔理沙は長い付き合いの末に、知ってしまっているのだ。

 

「……見た感じは大丈夫そうだが、一応は医者に()てもらった方がいいぜ」

 

「あ、そうそう! 俺もそうしようかと思ったんだけど、さすがにマズいかなって」

 

 医者の診療。五代はかつて、この身体をある医者に診てもらったことがある。当然、身体の中に埋め込まれ、神経と一体化した未知の鉱物が──超古代文明から受け継がれた霊石アマダムが、驚かれないわけがなかった。

 だが、相棒の古い友人であるその医者はアマダムを調べた。彼の興味本位というのもあったが、死体の解剖を専門とする監察医であるにも関わらず、友人の頼みとあって生きた五代の身体を調べてくれた。そして、その結果として、五代雄介は思い知らされることとなる。

 

 自分の身体に起きている異常。それは霊石アマダムから伸びる神経状組織による細胞の侵食。同じく超古代から復活した怪物、グロンギとほぼ同じ構造で、五代の身体は戦士クウガの身体に作り替えられていたのだ。

 それでも、五代は戦った。自分の身体が自分のものではなくなっていく恐怖の中で、自分の身体がグロンギと同じ、戦うためだけの生物兵器と成り果ててしまう可能性すらも恐れずに。

 

 五代は、自分と同じ原理で異形の姿となるグロンギ、彼らを統べる族長である『第0号』を悲しき激闘の末に討ち果たした。

 その際に受けた一撃によってアークルに深い亀裂を負ってしまったものの、その戦いを最後として、すべての未確認生命体を倒すことができた。

 こちらも相手のベルト──第0号が身に着けていたゲドルードのバックルを砕いたことで互いに変身を維持できなくなり、最期は生身同士による決着となったため、その身を殴り殺した感触は今でも五代の拳に鈍く残っている。

 アマダムの自己修復機能によって、どうやらあの戦いから数ヶ月の間に白いクウガ(グローイングフォーム)になれる程度には変身能力が戻っていたようだ。そこへさらに霊夢の夢想封印を受けたことでアマダムの力が引き出され、その再生能力を取り戻してアークルの損傷を全快させたのだろう。

 

 知らねばならない。自分の身体が今、どうなっているのか。世界で唯一、アマダムのことを知っている掛かりつけの医者は幻想郷(ここ)にはいない。――だが。

 今なおこの身体に眠る、霊石アマダム。服の上から腹に触れる。この場所で、これを診せてもいいのだろうか。いくら神秘の栄える郷とはいえ、驚かれるのではないか。五代はどこか笑顔を曇らせ、相棒の友人である若き監察医――頼りがいのある、白衣の男の顔を思い出していた。

 

「心配するな。里ならともかく、竹林の医者ならそういうのにも慣れてるだろ」

 

 幻想郷には人間の里にある小さな診療所の他に、里から離れた竹林の奥深くに大きな病院が建っている。

 正確には高度な医療技術を持った人物が住まう古いお屋敷であるのだが、ここを訪れることのできる大多数の来客はこの建物を優れた医療機関としか認識していない。

 

 かつて幻想郷を襲った大規模な異変、永夜異変。表立っては『夜が明けなかった異変』とされているが、実際のところは『満月がすり替えられていた異変』だった。

 その首謀者が千年以上も前から幻想郷の竹林に隠れ住んでいた『月の民』であることが分かったのは、霊夢と紫がこれを討ち果たし、スペルカードルールによる弾幕ごっこをもって調伏(ちょうぶく)したからである。

 異変の実行犯だった人物は現在、結界によって秘匿された幻想郷の利点を鑑み、深い竹林の屋敷でそのまま隠れることなく住んでいる。博麗大結界のあるこの幻想郷なら月から追手が来ることもないと判断したようだ。

 今の彼女ならば、いきなり訪問したとしても快く五代の身体を診察してくれるだろう。

 

「で、霊夢はこれからどうするんだ?」

 

「……疲れたから、もう少し寝る」

 

「そう言うと思ったぜ」

 

 明らかに気怠そうな様子の霊夢は、あくびを隠そうともせず魔理沙の問いに答える。春眠暁を覚えず、とはよく言ったものだ。もっとも、彼女の場合は本気の連戦に加え、夜間の敵襲でろくに眠れなかったことも影響しているのだが。

 (から)になった二人分の湯呑みと急須を盆に置き、博麗神社の座敷へと片付ける霊夢。布団は片付けてあるが、霊夢用の座布団は出したままだ。おそらくはこのまま横になるつもりなのだろう。

 

「あ、そうだ。五代さん、あの乗り物、ちょっと見せてもらえる?」

 

 座敷から顔を出し、霊夢は五代に声をかける。その白く細い指先が指しているのは、博麗神社の傍に停めてある五代のバイク、ビートチェイサー2000だ。

 このバイクは警視庁開発の機体、すなわち白バイの一種であるため、端末部分には同じ警察機構との通信を可能とする無線機が設けられている。しかし、大結界によって隔てられたこの幻想郷においては外の世界との通信は叶わない。物理的な干渉は当然として、結界は電波や霊力波、意思すらも遮断してしまうのだ。

 霊夢はビートチェイサーの無線機の存在を知っているわけではない。が、何の偶然か、その手には八雲印の通信札――紫色の呪術印が刻まれた一枚のお札がひらひらと揺れていた。

 

◆     ◆     ◆

 

迷いの竹林

12:15 a.m.

 

 まだ日は高いというのに、高く伸びた無数の竹が空を遮り、薄暗い。古くは高草郡(たかくさごおり)とも呼ばれたこの『迷いの竹林』を、五代と魔理沙は歩いていた。

 歪んだ竹が景色を捻じ曲げ、緩やかな傾斜となった地面は歩く者の平衡感覚を狂わせる。よほどの強運がなければ、その名の通りに迷いに迷い、二度とここを抜けることは叶わないだろう。

 

「それで、五代さん……だっけ? この人が鎧の戦士に? なんだか頼りなさそうだけどねぇ」

 

 この土地に住まう住人、竹林の兎たちのリーダーである少女が笑う。

 小さな背丈と薄い桃色の服装は純粋な少女のようでもあるが、幼い外見に反してどこか老獪(ろうかい)さを感じさせる。短い黒髪の間、その頭頂部から垂れ伸びた白い兎の耳は紛れもなく、この少女が人ならざる者である証だ。

 地上に生きる妖怪兎、中でも最も長命な因幡(いなば)素兎(しろうさぎ)である 因幡(いなば) てゐ(てい) 。彼女はこの迷いの竹林に古くから住む妖怪であり、この竹林の所有権を主張するだけあって、迷い込んだ者を案内して竹林の外まで抜けさせてやることができる。

 彼女自身が並外れた幸運に恵まれている他、てゐが持つ『人間を幸運にする程度の能力』のおかげで、迷いの竹林においても迷うことなく自由に出入りが可能となるのだ。

 だが、今は彼女が向かう先は竹林の外ではない。魔理沙に連れられ、てゐに案内され、五代が目指す場所は迷いの竹林の奥深く。地上の兎たちが舞い踊る古い屋敷――『永遠亭(えいえんてい)』である。

 

「そうそう、なんて言ったか? 確か、リュウガだかオーガだか……」

 

「クウガだよ、クウガ! ほら、クウガのマーク!」

 

 歩く途中でも一度その名を聞いたが、どうやら魔理沙は戦士の名を正確に記憶していなかったらしい。

 五代は白いTシャツを引っ張って見せ、胸の部分にある紋章を見せる。クワガタムシの大顎を思わせるが、形から見てそれは二本の角でもあるようだ。

 太い黒線と直角で形成されたそのマークは、古代リント文明における『戦士』を表す文字。同時に、リントにとって唯一の戦士である『クウガ』を表す文字でもある。彼はこの文字を気に入り、自らの服にプリントしたのだ。

 魔理沙は興味深そうにそれを見ているが、てゐは一瞥(いちべつ)した後、すぐに正面に向き直った。

 

 五代は博麗神社から持ってきたビートチェイサー2000を引きながら、魔理沙は古びた箒を肩に掛けながら、竹林のことを誰よりも熟知しているてゐの案内に従って歩を進める。

 この竹林においてはバイクも飛行能力も意味を為さない。真っ直ぐ走っても、空を飛んでも、不思議な力によって強制的に迷わされるからだ。

 ビートチェイサーの端末部分には霊夢のお札が張りつけてある。今はそれを目視することはできないが、霊夢がお札を張った瞬間にビートチェイサーのボディに馴染み、霊的な力となって定着したらしい。

 このお札は特殊な霊力波を送受信する機能があり、遠く離れた場所においても通話を可能とするという。霊夢本人にも詳しい原理はよく分かっていないようだが、八雲紫から渡されたというこのお札の機能は確かなものだった。

 見た目こそ同じでも、今のビートチェイサーならばどこにいても霊力を通じて霊夢と会話ができるだろう。それはさながら、元より端末に備えつけられた無線機の代わりのようなものだ。

 

「ほら、着いたよ」

 

 薄暗い竹林の中、ぼんやりと光る大きな屋敷。『永遠亭』の門の前まで辿り着いた五代たちは、その周囲を跳び回る多くの兎たちに歓迎されていた。

 門を潜り、敷地に入る。建物はとても古い日本の木造建築のようだが、ここまで立派なものとなれば相当の年月を経ているだろう。

 それなのに、屋敷は古びた様子を見せるどころか、まるでついさっき建てられたばかりかのような真新しさを感じさせる。まさに『永遠』を体現するに相応しい神秘的な雰囲気が、日本人ならば誰もがよく知る平安の物語、竹林の中にぽつんと光る一本の竹を連想させた。

 

鈴仙(れいせん)ー! 患者だよー!」

 

 美しく整えられた永遠亭の庭園を抜け、正面玄関の前まで来ると、てゐは扉の前で大きく声を張り上げる。

 からからと扉を開き、屋敷の中から現れたのは(すみれ)色の長髪を整えた一人の少女だった。

 

「……もう、あまり大きな声を出さないの。お師匠様にご迷惑でしょ?」

 

 少女の頭頂部にはてゐと同じ白い兎の耳が真っ直ぐに伸びている。

 狂おしき月の光を思わせる真紅の両目は、やはりどこか兎めいた不気味な狂気を帯びているようだった。

 白いブラウスの上から装う服は外界の教育機関で古くから用いられる制服、紺色のブレザーに似ている。赤いネクタイや薄紅色の短いプリーツスカートも含め、この服は『月の都』と呼ばれる浄土、月面世界の幻想郷とも言うべき場所における兵士の軍服に相当するものだ。

 

 月からの逃亡者である 鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバ は、かつて月の都の兵士だった。

 地上で生まれ、地上で生きてきた妖怪兎であるてゐとは違い、鈴仙は月の都で生まれ育った月の兎、すなわち『玉兎(ぎょくと)』という種族である。

 地上に逃げ隠れて以降は大結界の恩恵に預かり、現在は千年以上もの遥か昔から幻想郷に先住していた月の民――今では師匠と慕う薬師(くすし)(もと)、人間の里に出向く薬売りとして暮らしている。

 

「よっ、患者を連れてきてやったぜ」

 

 鈴仙は魔理沙の言葉を聞いて、見慣れぬ顔の人物、五代雄介に軽く会釈をする。

 同じく返された鈴仙はどこか幻想郷らしくない服装と素直さを見て、一瞬で彼が外来人であると理解した。

 

「あんたがわざわざ連れてくるなんて、よほどの奇病なの?」

 

「そういうわけじゃないが、こいつの身体はちょっと訳ありでな」

 

 見たところ大きな怪我をしている様子もないし、笑顔で元気に会釈をする姿はとても病人には見えない。

 魔理沙が連れてきたのなら彼女にとってよほど興味深い状態なのだろうが、一見しただけでは鈴仙には分からなかった。

 自分には分からなくても、師匠ならば理解できるだろうと鈴仙は判断した。彼女の師匠は幻想郷の文明レベルでは考えられない医学知識を持ち、この永遠亭の名医として知られている。

 

「……? よくわからないけど、診察室はこっちよ」

 

 鈴仙は五代と魔理沙を招き、屋敷の中に入れる。てゐはまだ用事が残っていると言い残し、永遠亭を離れ竹林のどこかへ行ってしまった。五代の感謝の言葉を聞き届けると、手を振り笑顔で去っていく。

 竹林を飛び跳ねながらどこへと知れず遠ざかっていく姿は、まさしく兎そのものだ。

 

 永遠亭の内装は平安時代の貴族の屋敷を思わせる豪華な装飾が至るところに施されながらも、どこか質素な雰囲気にも満ちた不思議なものだった。絶え間なく連なる(ふすま)と木造の廊下には竹の意匠が施され、風雅な(おもむき)を感じさせる。

 迷路のように長い廊下を超え、一枚の襖の前まで来ると、鈴仙は足を止めた。部屋の中からは何とも形容しがたい様々な薬の匂いが漂ってくる。決して良い香りとは言えないが、五代はその匂いにアマダム関係で長らく世話になった関東医大病院を思い出し、懐かしさを覚えていた。

 

「お師匠様、診察希望の方がお見えです」

 

「ああ、ウドンゲ? 今は手が離せないから、勝手に入ってきて」

 

 鈴仙は襖の前に立ち、部屋の主に一声かける。部屋の中から聞こえてきた声は、若い女性のものだった。

 その言葉に従い、鈴仙は「失礼します」と断りを入れた後、襖の引き手に手をかけ、両手を使って丁寧に開く。五代と魔理沙を中に入れ、ゆっくりと襖を閉じた。

 

 部屋に入ると、より一層強い薬の匂いが鼻を刺激する。五代の視界に入ったのはまさしく診療所といった装いの、それにしては和風の色が強い屋敷の一室。

 奥には清潔な白い寝台(ベッド)が設けられ、それなりの広さを持つ部屋を彩る書棚には様々な書物や薬品が並べられている。

 板張りの廊下を歩いているときにも思ったが、日光を遮る外の竹林から差し込む光は少なく、近代的な電灯と呼べるものもないため、屋敷の中は薄暗い。

 それでも不思議と目が疲れないのは、この屋敷が持つ独特の雰囲気のおかげだろうか。

 

 部屋の中心にいたのは、鈴仙よりもやや大人びた印象を受ける一人の女性だった。女性は机に向かって高椅子に腰かけており、真剣な眼差しで何かを紙に記している。積み重ねられた紙の量は、数冊の分厚い本として束ねられるほどだ。

 筆を走らせる女性は長い銀髪を後ろで束ね、一本の三つ編みにしている。頭に被っている小さな青い帽子はナースのそれに似ており、中心に刻まれる赤い十字も医療従事者の象徴である。

 

「さて、と。ごめんなさいね。お待たせしちゃったかしら」

 

 一区切りついたのか、銀髪の女性は五代たちに優しく微笑むと、身体をこちらに向けて筆を置く。座っていて分かりづらかったが、その衣装は独特なデザインをしていた。形自体は中華風の装いを思わせる洋服であったが、一際目を引くのはその配色だ。

 腰から上は本人から見て右側が赤、左側が青と、中心を境に色が綺麗に二分されている。裾に白いフリルのあしらわれたロングスカートはその逆で、右側が青、左側が赤い色にそれぞれ分けられていた。

 全身に配された星座のラインは、(なが)(なが)い宇宙の歴史を思わせる。その様はさながら、彼女自身を天球儀――あるいは広大な銀河そのものに見立てているかのようなデザインだった。

 

 女性の名は 八意 永琳(やごころ えいりん) 。この永遠亭を取り仕切る実質的な家主であり、幻想郷において他に並ぶ者はいないとされる凄腕の薬剤師兼医師である。

 彼女は様々な医学薬学知識に加え、『あらゆる薬を作る程度の能力』を持っている。その名に誇張はなく、材料さえ揃えば如何なる効果を持つ薬をも作ることができる能力だ。

 

 気の遠くなるほどの遥か昔、永琳は月の都において、服用者を不老不死にする『蓬莱(ほうらい)の薬』なる禁薬を開発した。

 これを飲み、禁忌を犯した大罪人として地上への流刑(るけい)を言い渡された彼女の(あるじ)、月の都の姫君であった『かぐや姫』は、刑期を終えたにも関わらず地上の暮らしに執着し、月の都に帰ることを拒んだのだ。

 姫を迎えに来た月の使者たちのリーダーであった永琳はその意思を汲み、共に姫を連れ戻そうとしていた仲間たちを謀殺。その際に自らも蓬莱の薬を飲み、老いることも死ぬこともない永遠の存在、『蓬莱人(ほうらいびと)』として同じ罪を背負っている。

 幻想郷は博麗大結界によって隔離されているため、月から再び使者が現れることはない。もはや隠れる必要はないと知ったのは、幻想郷に辿り着いてから千年ほど後のことだった。

 

 永遠亭を訪ねてきた来客に向き直ると、永琳は少し呆れたような表情で小さく笑みを零す。

 

「診察って……魔理沙? 毒キノコにでもやられたの?」

 

「私はそんなヘマしないぜ。霊夢じゃあるまいし。……じゃなくて、診てほしいのはこいつだ」

 

 魔理沙は立てた親指で自分のすぐ後ろに立っている五代を指す。

 鈴仙と同じく、永琳は彼を一目で外来人だと理解した。妖怪でもない限り、人間の里に住まう者は基本的に和装である。外の世界ではどれだけ普遍的な服装でも幻想郷では珍しい。

 

「毒……キノコ……」

 

 永琳の放った『毒キノコ』という発言で、五代の表情に若干の曇りが生じる。永遠亭の薬の匂いも相まって、唇に嫌な感触を思い出してしまった。

 一度は仮死状態にまでさせられた未確認生命体第26号の事件。キノコの能力を持ったグロンギの胞子は五代の内臓を腐らせ、あわや死にまで追い込もうとしたのだ。

 しかし、古代リント文明から受け継がれたアークル――五代の体内にある霊石アマダムはそれを阻止すべく、五代の身体を意図的に仮死状態にすることで体温を下げ、毒胞子の活動を停止させることで彼を救っている。

 この霊石は五代にとっては苦難の象徴であると同時に、命の恩人でもあると言えよう。

 

「確かに、顔色が悪いわね」

 

 永琳の言葉に従い、彼女の前の椅子に座る五代。

 目の前にいる女性の腕を疑っているわけではないが、この場所で自分の身体を――霊石アマダムの状態を調べられるのだろうか。

 この建物は外を見ても中を見ても純和風の作りである。当然、どこを見渡しても五代が以前通っていた関東医大病院ほどの設備などあるはずもないし、近代的な設備としては大規模な医療機器どころかパソコンの一台さえも置いていない。

 博麗神社と同様、見た目だけではやはり明治相当の様式ばかりが目に入る。

 

 ――気になるのは、永琳の机に並べてある紙の資料だ。和紙とも洋紙ともつかない不思議な質感は、見ただけでは材質を特定できない。

 それ以上に、記されている内容に自然と目がいく。和風の屋敷であるこの永遠亭にはX線撮影や磁気共鳴撮影などといった設備はないはず。それなのに、その資料――おそらくはカルテに類するものには、精密な人体の透過画像を写し出した数枚のレントゲン写真が含まれていた。

 

「お腹、見せてもらえるかしら?」

 

「あ、はい!」

 

 永琳は聴診器を耳にかけ、溢れる疑問を抑え込む五代を触診する。未知の郷で、尽きぬ疑問が頭を埋め尽くしていることもあるが、この永遠亭の技術は五代の想像を遥かに超えているらしい。冒険家としての探究心に火がつき、心臓の鼓動を早めている。

 重ねて言えば、思わず息を飲むほどの美女がこれほど近くにいるのだ。聴診を行う際にはあまりよくない状態だが、月の頭脳とも(うた)われた永琳にとってはその程度、些事にもならない。

 

「……なるほど。これは大物ね」

 

 数分の触診で何かを掴んだのか、永琳は真剣な表情で耳から聴診器を取り外す。五代の後ろでその様子を眺めていた魔理沙も永琳の反応に気がつき、心配そうな表情を強めていた。

 

「あなた、名前は?」

 

「五代雄介です」

 

 その身体の状態に興味を示したらしき永琳が五代の名を聞くと、机の上に広げたカルテにその名を記し、五代の情報を書き連ねていく。僅かに触診をしただけだというのに、すでにその情報量は膨大なものになっていた。

 月の都の賢者として優れた医療の腕を持つ永琳は、幻想郷はおろか外の世界の名医ですら届き得ぬほどの天才である。

 その能力は、人智を超えた超技術を誇る月の都においてなお賢者と慕われ、月の重鎮たちに頼られるほど。彼女の技能は、もはや医療というレベルを遥かに超えている。

 

 ――しかし、それでも。天才たる彼女にも疑問という概念は存在していた。目の前の人間――五代雄介と名乗る男の身体には、不死の身に至る以前から幾星霜(いくせいそう)の時を生きてきた永琳でさえ、見たことがないものがあった。

 彼の身体データはすべて記録した。細胞の一つ一つから意識の構成情報に至るまで、永琳は自らの天才的な知識と経験を持ってそのすべてを診断した。

 たった一箇所、その腹部にある未知の異物――鉱物らしき材質を持つ謎の物質を除いては。

 

「五代さん、と言ったわね。奥のベッドに横になってもらえる?」

 

 先ほどまでの柔和な笑みはどこへやら、永琳の表情は優しい女医の顔から学問を(きわ)めようとする者の顔に変わっていた。知的好奇心に火がついた永琳の恐ろしさは、かねてより新薬の実験台にされている鈴仙がよく知っている。

 鈴仙は、おそらく幻想郷に迷い込んでしまったであろう罪もない外来人に心の中で同情しながら、師匠の探究心の餌食となろうとしている青年を見守ることしかできなかった。

 

◆     ◆     ◆

 

 机の上には、先ほどまではなかったぼんやりと光る板(シャウカステン)が立っている。和風の屋敷においては異彩を放つものだが、それ自体は五代自身も見慣れたものだ。

 ベッドに寝た直後というもの、不思議な光が身体を通過したときは驚いた。一瞬のことで何がなんだか分からなかったが、どうやらそれはX線のような特殊な電磁波であるらしい。どのような技術で行っているか五代には見当もつかないが、人体の透過画像はレントゲン写真として永琳の手に現像されていた。

 彼女はそれを光る板に張りつけ、椅子に座って五代たちに見せる。鈴仙も魔理沙も、五代の体内を写したその写真――特に、腹部にある謎の物質には興味を惹かれているようだ。

 

「さて、これを見てどう思う?」

 

 自身のレントゲン写真を見て、五代は驚いたようでもあり、安心したようでもある、不思議な気持ちを覚えていた。

 腹の内側に眠る帯状の有機物質群。五代の体内に深く根付いているベルトのようなものは、クウガへの変身に際して肉体の外側に現れるアークルだ。カルシウムやタンパク質などの有機的物質で構成されているこのベルトは、普段はバラバラに分解されて五代の身体の一部となっている。

 

 驚いたのは、九郎ヶ岳遺跡で身に着けてから長らく付き合ってきた腹部の異物――中心に輝く霊石アマダムに、一切の傷も残っていなかったからだ。

 最後にこれを見たときは、第0号の攻撃で深い亀裂が入り、ボロボロに傷ついていたはずだったのだが――やはり、あのとき霊夢から受けた不思議な力の波動によって修復されているのか。

 

「なんだこりゃ? 腹の辺りになんかあるな。真ん中の奴は……石か何かか?」

 

「それも気になるけど……これ、なんか全身に神経を広げてるような……」

 

 魔理沙が疑問を口に出す。続けて、鈴仙も永琳の下で修行した成果である優れた洞察力を持ってその状態を推察した。

 鈴仙の推察通り、五代の腹部にある霊石アマダムは全身に特殊な神経状組織を張り巡らせ、既存の神経系と一体化している。身体全体に広がった神経は両手両足にも及び、特に右脚の筋肉にはそれが密集しているように見受けられた。

 腹部の物質から伸びる神経には何らかの電気信号が送られている。筋肉の活動電位にも似ているが、さらに強力だ。こんなものが全身を走れば、雷に打たれたような衝撃が伴うはず。

 

「師匠、これはいったい……?」

 

 振り返り、鈴仙は師匠である永琳に問う。しかし、永琳は肩を(すく)めて小さく笑うばかり。人体を知り尽くしていると言っていい永琳の知識を持ってしても、その石の正体は分からないようだ。

 

「お前にも分からないことがあるんだな……」

 

 魔理沙は意外といった様子で永琳の顔を見つめる。頼りにしていた叡智にも分からないとあって、魔理沙と鈴仙は心配の様相を強めていたが、当の五代本人は納得のいった表情で己の腹部、霊石のある丹田(たんでん)の辺りに触れていた。

 これなら、まだ戦える。五代の安心は、ただ一つの宿命のために。この石がまだ()つのなら。石の力がまだ使えるなら。この地においても戦士と()れる。この拳を固めることができる。

 

 永琳は疑惑を確信に変えつつあった。地上と月の叡智を統べるほどの彼女に分からないものがあるとすれば、おおよそ、その由来に見当はつく。

 おそらくこれは、彼女の知識の及ばぬ世界――こことは異なる時空から現れたもの。外の世界や幻想郷の物質であるならば、彼女の知識を持ってその正体が判明するはずだ。無論、月の頭脳と呼ばれた八意永琳とて全知ではないが、その可能性は低くないと言える。

 

 今の永琳はこの物質を『異次元からの漂流物』と仮定していた。この青年――五代雄介は純粋に外の世界から流れ着いた外来人ではない。もっと外部の、それこそ『別の世界』と言える場所から現れた存在なのではないか。

 五代の身体に眠る未知の鉱物。この石は、ヒトをヒトならざる異形に変える。その意思に応じ、人間を超えた『何か』に作り変える力を秘めている。正体が分からずとも、彼の身体を調べる限りで得られた情報は、疑いようもなくその事実を示していた。

 幻想郷に現れた謎のオーロラについて、永遠亭でもその発生を確認している。こちらも正体を掴めてはいないが、霊夢と同様、永琳も五代とオーロラの間に何らかの繋がりを感じていた。

 

 真意を確かめるべく、永琳は永遠亭を訪れた外来人、五代に向き直り、静かに口を開く。

 

「……五代さん、詳しい話を聞かせてもらえるかしら?」

 

 そう問う永琳の表情は、個人的な知的好奇心を捨てた『月の賢者』のものだった。

 

◆     ◆     ◆

 

幻想郷 上空

01:28 p.m.

 

「戦士……か」

 

 晴天。されど風雨を纏う天空の化身は青空の彼方で膝を組む。白い雲に座すように浮いている女性は、古戦場を思わせる赤い衣装に身を包み、紫紺の髪を豊かに(たた)えて風を読んでいた。

 環状に束ねた太い注連縄(しめなわ)と数本の黒い柱のようなものを背負い、天下を見渡す姿は神々しささえも感じさせる。それも当然、この女性は紛れもない『神』そのものであり、人々の信仰を受けて昇華した『神霊』と呼ばれる存在だ。

 風を司る神、軍神の側面も合わせ持つ 八坂 神奈子(やさか かなこ) は自らの顎を撫で、どこか(うれ)うように独り言つ。眉間に(しわ)を寄せ、鋭く大地を睥睨(へいげい)する視線は、さながら蛇のようでもあった。

 

「やっと霊夢が重い腰を上げたみたいだね。ま、グロンギが本格的に活動を始めたみたいだし、動かざるを得なかったようだけど」

 

 白い雲から飛び出し、両手を着いて空に座す幼げな少女もまた、一柱(ひとはしら)の神である。

 青紫色の服には跳ね躍る数匹のカエルが描かれており、淡い金髪の頭に被る帽子もどこかカエルじみた二つの目のような意匠が目立つ奇妙なものだ。

 大地を司る古き土着の神、 洩矢 諏訪子(もりや すわこ) は余った白い袖を揺らし、けろけろと笑う。無垢な少女のように見えても、彼女は純粋な神性を持つ『八百万(やおよろず)の神』。腹の内では(おごそ)かに天下を見据える神奈子と同様、すでに幻想郷で起きている異変がもたらす真の意味を理解しているだろう。

 

「グロンギの目的が例の『遊び(ゲーム)』だとしたら、依然として里が襲われることになる。一応、すでに監視は置いてあるけど、本当にそれだけが目的なのかどうか……」

 

 立ち上がり、胸に掲げた鏡を揺らす神奈子(かなこ)。その瞳には幻想郷のすべてが映っている。認識される脅威は外部からのもの。灰色のオーロラから出現する怪物たちの存在だ。

 同じく諏訪子(すわこ)も白い雲の上に立ち上がる。二人が立ち上がったことにより、その身長差がより顕著(けんちょ)に現れた。互いの力は等しくとも、歴戦の軍神といった印象を受ける神奈子に比べ、諏訪子の身長はかなり低い。

 天と地。二柱の神は一度は国を賭けて矛を交えた関係だが、今は仲の良い友人同士である。

 

「奴らが動き出したとなると、次に動くのは……異教(あっち)で言う『天使(・・)』様あたりかな。……真っ先に狙われるとしたら、やっぱり『地獄鴉(あいつ)』だよね」

 

「……あの力は、私たちが与えた神の火。太陽の輝き。たとえ器が人間(・・)ではないとしても、その力に類するものであれば……『奴』が放っておかないだろうね」

 

 緩やかな風に吹かれ、黄金と紫紺、二つの髪が静かに揺れる。諏訪子も神奈子も、視線の先は己が立つ雲海の眼下。大地に広がる幻想郷。あるいは、その大地よりもさらに下にある世界。さながら『地の底』の果てを見ているようでもある。

 豊かな胸の前で腕を組み、鋭い眼光を地に落とす神奈子。諏訪子は何かを期待しているかのように、湛えた笑顔を崩すことなく、両手を大きく広げて余った袖をはためかせた。

 

「こっちも同じ『神様』として、しっかり見届けてやらないとね」

 

 それだけ一つ呟くと、諏訪子の姿は刹那と消え失せてしまう。雲の中に潜ったわけではない。文字通り、その場から姿を消したのだ。

 神奈子は組んだ腕を解き、空に背を向け振り返る。再び一陣の風が吹く頃には、神奈子の姿もそこにはなかった。

 白き海、揺れる雲間の天守閣に、もはや神の影などどこにもない。春風の吹き抜ける幻想郷の青空は、いつの間にか元の静けさを取り戻している。二柱の会話も、風の中に掻き消えていた。




 ツ  ヅ  ク(表音リント文字で)
ハーメルンにも古代リント文字フォント実装されませんかね(無茶振り)

次回、第8話『光の覚醒』
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