東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm. 作:時間ネコ
──男は、一族の王として産まれたのだろう。弱き者を狩り、力と血の掟で支配する。最も強く偉大だった男は、その鍛え上げた肉体に魔たる石の起源を埋め込んだのだろう。
原初の『ン』は『究極の闇』そのもの。後に語られる『究極の闇をもたらす者』とは理が異なる魔石ゲブロンの法則の源流。その権能は後の世においてモーフィングパワーと呼ばれる特殊な相互作用により物質を構成する原子の構造を変異させ、エネルギーや質量の保存則に影響を及ぼすことなく、まったく別の物質へと再構築してしまう力をもって──
人間だったものを、異形の怪物にする。グロンギという民族はそうして異形の姿を手に入れた。やがてグロンギとは文明を意味する名から怪物を意味する名へと変じていき、グロンギ族ならざる民族までもを究極の闇の力で染めていった。
その闇の犠牲となった者の中には戦いを忌避するリントもいたのかもしれない。あるいは原初のゲブロンを埋め込んだ王でさえ、人間であった頃には戦いを忌避していたのかもしれない。
もはやそんな記憶すら闇の果て。身体に刻まれた王の歴史が、正しく存在した本当の歴史なのかどうかさえ、今の王には認識することができない。奇しくもそれは、大ショッカー大首領としての自分という過去しか覚えていない、あの青年──仮面ライダーディケイドの記憶と同じように。
「グゥゥゥ……ッ!! ……ォォォオ……オオオッ!!」
眩く光が迸る。ただ闇の中に委ねていた身に、遥か二千年の時を経て、どこか懐かしくも記憶にない、暖かくも忌まわしい、古代リントの封印エネルギーが満ち渡る。
二つの封印エネルギーを纏いし剣によって穿たれた腹の穴は、それらのエネルギーを受け止めるだけの力を残していない。濛々と零れ落ちていく闇は、自分自身のすべてなのだろうか。
──否、まだだ。ン・ガミオ・ゼダは残る最後の力で高らかに吠えた。もはや力の残されていない両腕を振り払いつつ、自身の胸を蹴りつける二人の戦士を究極の闇で吹き飛ばす。
この身を挟み込むクワガタムシの大顎も無理やり抉じ開け、そのまま蹴りつけて遥か後方へ。
「……っ!! くっ……!?」
ディケイド──門矢士と博麗霊夢は空で怯んだ。霊夢はそのまま空中に留まり、士には飛翔する能力がないため、爆風に乗りつつ一番近くにあったビルの窓ガラスを背中で割って中へ。
クウガゴウラムとなっている五代雄介もまた、蹴りつけられた衝撃を殺しながら空中に留まる。
「……グォォオ……」
追撃に備えて身を守る一同だったが、その兆しはない。それどころか、ン・ガミオ・ゼダ自身にも空中に留まる力すら残ってはいないようで、そのままぐらりと体勢を崩し、黄金のゲドルードから漏れる黒煙を引きつつ遥か地上へと自由落下していった。
少し遅れて、赤き狼の質量は地表へ激突。激しい衝撃音と土煙を上げたのを目視し、霊夢はクウガゴウラムと目を合わせて息を飲む。
ビルの中からその光景を見下ろしていた士もクウガゴウラムの背中に飛び乗り、五代の意志のままにゆっくりと降下。霊夢も自らに残された少ない霊力のまま、クウガゴウラムを追って降下。
「た、倒したんですか……?」
「……油断するな。今までの奴らは倒したら爆発してたはずだ」
地表に落下したままの状態で動かないン・ガミオ・ゼダの周囲を取り囲み、十分な距離をもって警戒するあうんと魔理沙。二人とも戦えるほどの妖力や魔力はほとんど残ってはいない。せいぜいスペルカードに満たない程度の単純な弾幕を放てる程度の余力があるかどうかだ。
肩で息をしていることを悟られぬように、魔理沙はミニ八卦炉を、あうんは野犬の光弾の残影を構えて、じりじりと時を待つ。
士がクウガゴウラムと共に降りて来たのと同時、霊夢もふわりと地に足をつける。クウガゴウラムとなっていた五代はファイナルフォームライドの効果が切れたのか、元のクウガに戻った。
微かな一瞬。全員が等しくそれを見下ろしているとき。怪物は腕を動かし、上体を上げていく。
「……っ! こいつ、まだ……!」
「待て」
明確に立ち上がる動きを見せたン・ガミオ・ゼダに、魔理沙は震える手でミニ八卦炉を向けた。だが、士はディケイドとしての緑色の複眼で静かに怪物を見下ろしたまま、彼女を制止。
「……どうやら、もう戦う意思はないらしい」
士の声色にも疲労の色が滲んでいる。警戒を解いたわけではない。お互いに全力を出し切ったことを理解している。これ以上の戦いは無益と判断したのだろう。ゆっくりと立ち上がり、倒れ掛かるように近くの瓦礫に背中を預けたン・ガミオ・ゼダは、腹部を押さえたまま。
胸に輝く二つの紋章は静かに消えていった。それでも身体の奥深くに刻み込まれた封印エネルギーは確かに届いている。確実に魔石ゲブロンに到達しているはずだが、その身が激しく爆散するような兆しはない。
それ以上に痛むのだろうか。神経と直結している黄金のゲドルードに開いた風穴、もはや再生不可能なまでにズタズタに引き裂かれた神経組織が。ぽっかりと穿たれた穴から立ち昇る黒煙は魔石ゲブロンの粒子、究極の闇の残滓。グロンギの真髄たる魔石ゲブロンの、決定的な致命傷の証。
「……ガ……ラパ……」
「ん?」
微かな声がディケイドの耳に届く。ン・ガミオ・ゼダの力強い大顎から発せられる言葉に、世界全体を揺るがす気迫は欠片もない。だが命乞いをするような弱々しさもまったくない。
くすんだ緑色の双眸はディケイドの姿を捉えてはいなかった。闇の中、微かな光を手繰るかのように発せられた言葉。どういうわけか、士はそれが自分に向けられた言葉なのだと理解できた。
……貴様は……どこから来た……
「……ビガラパ……ゾボ バサビダ……」
士の耳に届いたのはかつての戦いで耳にしたものと同じ問い。形こそ保っていれど崩れゆくその身にはもはや戦いを続けるどころか、立っていることさえ瓦礫に背を預けなければ成し得ぬように見える。ン・ガミオ・ゼダの全身の皮膚や装甲は、再生が追いついていないようだ。
もはや再生を諦めた様子の怪物は低く唸るような息だけを零している。士はそれを見て剣を振り上げる気にはなれなかった。鋭く伸ばした刃を消し去り、ライドブッカーを己が左腰へ戻す。
「前に言ったろ、忘れたって。たぶん、お前と同じだ。そもそも俺は──」
「……通りすがりの仮面ライダー、だったか……」
ン・ガミオ・ゼダは黒煙混じりの血反吐を吐きつつ言葉を遮る。期待した答えが得られなかったのはかつての戦いと同じ。今の士はかつてとは違い、本来の記憶を取り戻しているが──
灰色のオーロラ、病弱な妹、大ショッカー大首領の玉座。思い出した、という実感がない。どちらかと言えば、クウガの世界では警察官として未確認生命体の殺人を捜査していたように、キバの世界では名もなきバイオリニストとして弦を奏でていたように。己が世界においては、ただ大ショッカー大首領という役割を与えられていただけのような気もする。
あくまでそんな気がするというだけだ。実際にそれが本当の記憶だったような気もする。少なくとも大ショッカー大首領として怪人たちを指揮していた実感はあるし、妹もいた。それは事実だ。だが、どこか空虚さが拭えない。まるで、自分の記憶というアルバムをただ一方的に見せつけられたような違和感。自分の過去を思い出した──というより、自分の過去を知った、という感覚。
「なんだ、覚えてたのか」
記憶を失ってから最初の旅での記憶ははっきりと思い出せる。夏海の写真館に居候し、世界を撮り、滅びの現象を目にし、あのバイオリンの似合いそうな青年に会った記憶。
九つの世界を巡り、さらに続く世界を巡っていき、やがて凄惨なる大戦を見届け、どこかで因果が継ぎ接ぎになったかと思えば、また最初の夏海の世界に戻っている。それまでの記憶と力が失われた状態で、だ。
そのループを踏破した記憶もある。だからこそ自分が大首領だった記憶を取り戻せている。親代わりの月影を砕き、さらに激情の先で、地球の記憶を取り込んだ生命体も倒した。
そう、夏海の世界からライダー大戦の世界、そして疾風と切り札と肩を並べた記憶。自分自身の歩んだ旅路とはっきり胸を張って言える記憶はそのくらいなのだ。大首領の記憶や幼少期の記憶、妹の記憶は頭の中でこそはっきりと残っているものの──
それほどまでに鮮烈な記憶が心の中のアルバムでは色褪せて見えるなどということがあるのだろうか。確かに自分の人生、歩んできた過去として感じられるはずなのに。
自分ではない誰かの記憶を引き継いでいるのではないか、という根拠のない思考が揺れ動く。
『……霊夢、早くそいつにトドメを刺しなさい』
「えっ? でも……」
静かな表情で赤き狼の言葉を聞いていた霊夢の傍ら、ぼんやりと浮かんだ陰陽玉が紫色の妖力を伝えてきた。今までの不気味に柔らかく見通しの悪い雲のような声ではない。鋭く刺し貫く一条の光。普段の胡散臭い微笑みの一切を削ぎ落としたような、不条理な切れ味を思わせる声。
「……ディケイド……貴様もまた『統合』の犠牲者というわけか……」
「何……?」
燻るようなン・ガミオ・ゼダの声に士が聞き届けたのは、どこか哀れみのような言葉。翡翠色の眼は相変わらずくすんで虚空を捉えているが、ディケイドに対する言葉は、確かに。
そして赤き狼は続けて霊夢のほうに視線を向けた、気がした。それが気のせいかどうかが分かる前に、しばし与えられた猶予は無慈悲にも紫色の妖力によって断ち切られることとなったが。
「……グゥ……ァア……!!」
ン・ガミオ・ゼダの腹の中より突き出るは白い手袋に包まれた美しい女性の手。その手には彼らグロンギ族が遥かなる太古の時代より受け継いできた原初の魔石があった。
究極の闇を湛えて禍々しく脈動するは赤黒く唸る石塊。それもまた、本来の魔石ゲブロンではないのかもしれない。ン・ガミオ・ゼダという、存在しなかったはずのグロンギが身体の中に宿すと仮初めの定義を与えられた──便宜上の究極の闇と言うべきか。
赤き狼の体内に繋げられたスキマより伸ばされた手は、その手に持った魔石を握り、砕く。もはや肉体そのものと同様に単なる情報の投影でしかなかったであろうそれは、破片や瘴気を解れさせるように虚ろに消滅させていき、欠片も残さず、手の平からその存在を失わせてしまっていた。
「おい、何だ……!?」
「ちょっ、紫!?」
士も霊夢もその目を見開いた。何かを伝えようとしていたグロンギはついぞ言葉を発し切ることなく、微かに残っていた緑色の複眼に灯りし小さな光を消失させる。
白い手は狼の腹の穴に戻っていくと、スキマごと消える。腹の穴より瘴気だけを上げて。
やがて 闇は 晴れる…… これで 俺の 役目も 終わる……
「ジャガデ ジャリパ ザセス…… ボセゼ ゴセン ジャブレロ ゴパス……」
赤き狼は肩の荷が降りたように小さく呟いた。その言葉が士以外の者に理解されることはない。独り言ちたグロンギ語は、誰に向けたものでもなく、ただ彼自身の心の発露として──
「あ……」
五代もまた、赤き狼の最期に受け入れ難きものを覚えていた。グロンギへの怒りは消えてなどいない。何の罪もない子供たちを楽しみながら虐殺したヤマアラシのグロンギに対するあの怒りも、頭のどこかでは憎悪の欠片としてちらつくこともある。
怒りや憎しみでは拳を振るわないと決めた。誰かの笑顔を守るために、自分が辛い想いをしてもグロンギと戦うと決めた。だが、このオオカミのようなグロンギは、何かが違うと思ったのだ。
日本語を話すグロンギは確かに存在した。それでもこの個体とは大きく違った。今までの者はただ人間を挑発するためだけに日本語を話していたはずだ。あえて狩りを楽しんでいることを話し、あえてクウガの拳を賞賛し、あえて究極の闇をもたらす己が楽しみを語るために。
ン・ガミオ・ゼダはそうではなかった。その心に深い闇を抱えていようと、狩るべき獲物であるはずの人間と対話する意思があった。少なくとも、士とは確かに、意思の疎通をしていた。
何かを言い残そうとしていたように見えたのだが──その可能性は紫の手によって閉ざされた。
「……どういうつもり? 紫」
陰陽玉へと目を落とした霊夢の目は、士や五代が向き合うことのない博麗の目。魔理沙やあうんがあるときは並び、あるときはその後ろから見ることもある、あの目。
紛れもなく、退治すべき妖怪に対する者の目。陰陽玉越しに通信をしている紫がその目を見ているかどうかは定かではないが、霊夢の声色はすでに、背中を預けるべき者に対する声ではなく。
『さぁ、世界が閉じるわ。衝撃に備えなさい』
紫色の妖力を引きつつ空へ舞い上がっていく霊夢の陰陽玉。紫の声には相変わらずいつもの柔らかさはない。鋭く張り詰めたような冷たく緊張感のある声。
重く立ち込める暗雲のような声。霊夢の言葉は突き抜けていったのではない。ただその底知れぬ紫色の雲に絡め取られ、深く虚ろに包み込まれ、その姿が見えなくなってしまっただけ──
「……っ!!」
魔理沙もあうんも、そこにいた誰もが、ぐらりと揺れる世界の在り方に眩暈を覚えた。空や建物が捻じ曲がり、時間と空間が螺旋状に巻き込まれるように渦を巻いていく。
遠ざかっていく世界の中に、ン・ガミオ・ゼダの力なき骸が、闇と消えていく様を見届けて。
──何も感じられない。紫のスキマ空間とは正反対の真っ白な世界。自分の身体さえも曖昧な夢現の意識の中で、霊夢は不意に顔を上げた。
ここはどこなのか。みんなはいったいどこに行ってしまったのだろうか。何も、分からない。
「魔理沙……? 五代さん……?」
まるで水の中のような抵抗を感じる。ゆっくりと前に進むも、どこまでも白い世界。何も見えないまま手探りで歩んでいくが、己が行く道に伸ばした手すらも視界に入らない。
色も形も何もないまま。自分の一部と言えるほど馴染んだ霊妙なる朱い巫女装束も見えず。
「なんか、頭が痛い……ような……」
視界がぼやけるのは目に見える景色が無辺の白亜であるがためか。あるいはどこか遠くで自分を呼ぶかのような声にも似た鋭い頭痛が脳髄を苛んでいるからか。
少しずつ前に進んでいる。そう思っていいのだろうか──霊夢にはその実感もなかった。
「……あー?」
白しか見えなかった目の前の景色に影が二つ。どちらも曖昧で不安定な輪郭。だが霊夢はそれが誰であるのかなんとなく分かった。彼らとの付き合いはそう長くはないが、何度も肩を並べて戦ってきた。直感で理解するのには十分だ。
霊夢から見て左側に立っているのは春らしからぬ黒衣を纏った茶髪の男。首から提げたマゼンタ色のトイカメラは、その色だけでどこか鬱陶しいほどに破壊的な主張を感じさせる。
そして右側に立っているのはラフなチェック模様の衣服を纏った黒髪の男。朧げな輪郭だけの姿では見て取れるはずもないのに、先入観がそうさせるのか、白いシャツには双角の紋章が一つ。
「ったく、何なのよ……」
二つの影はどちらも距離が離れていくようにも見えた。頭痛のせいで幻覚でも見えているのか、そこに立っているはずの二人は何も語ってはくれず、ただ霊夢を見つめるだけ。
左側の男を見る。遠く離れていく姿は、多くの仲間たちに背中を預け、たとえ世界の敵となってでも己が信じた道を往ける、旅人の力強さがある。
──右側の男を見る。そちらの姿もまた同様に遠く離れていく。だが霊夢には何かが違って見えた。こちらには背中を預けられる者がほとんどいなかった。正確にはいるのだろう。だがそれらも肩を並べて戦うには
「…………」
霊夢は再び左側のほうに視線を向けた。その姿は果てしなく遠ざかっている。だが先ほどまでと姿が違う。マゼンタ色の威光に包まれながらも、力強き双眸には緑色の光が灯っている。その姿もまた、何度も見てきた戦士の鎧に相違ないが──それは悪魔でもあった。
続けて右側のほうを見る。こちらも遥か遠くに消えていく。よく見慣れた赤く猛る鎧に包まれた姿に雄々しき複眼を赤く輝かせながら。
溜息を一つつく。霊夢はくしゃくしゃと頭を掻き、頭痛を堪えながら一歩を踏み出した。無理をしているくせに大丈夫と強がって、泣きたいくせに笑顔を見せる、晴れ渡る青空の冒険心へと。
博麗神社。少し前までは世界を塗り潰すような強大なエネルギーが見えざる確率振幅となり波動関数として秘められていた境内も、今は朗らかな桜の木々が華やぐ通りの呑気な空気。
そんな普段の幻想郷らしい温かな日差しを引き裂くように、スキマは空に風穴を切り開いた。
「うおっと……!」
魔理沙は一瞬の意識の寸断から帰還し、不意に足づく石畳の感触に声を上げる。八雲紫が繋げるスキマ空間を経由した瞬間移動は彼女とて何度か経験したことがあるが、何度味わったとしても慣れることはないのだろうと、肝が持ち上がる度に思い知らされる。
どれだけの速度を求めても届かない光の道。長年の研究で星の引力を振り切る速度にまで到達したことはあったが、霊夢や紫はそんな努力を飛び越えるように、理を超えた瞬間移動、非局所的な相互作用をもたらしてしまうのだ。
自力で瞬間移動などできたらどんな気持ちなのだろう。ふらつく身を立て直す一瞬の間に思考に浮かべた憧れの火も瞬きの間に。自分が無力な人間のままでいるから届かないのかと考えたこともあったことを思い出す。すぐ隣で自分と同様にふらついているあうんを見て、苦笑いと散るが。
「博麗神社……ですね。そういえば、春でしたねぇ」
尻尾のような長い緑髪を緩やかに振りつつ、呑気な口調で桜を見上げるあうん。ひらひらと舞い落ちる花びらは石畳を飾っていくが、巫女にとってはその美しさも掃除の対象だろう。
あれだけの激闘を経て、なおも彼女らしく暖かな狛犬の在り方に、魔理沙は思わず自分の悩みが小さく思えてきて、口角を上げる。だが妙だ。いつもならそんなあうんの振る舞いに呆れたような溜息混じりの声が聞こえてくるのだが、魔理沙の耳が聞き馴染んだあの紅白色の声は届かない。
「おい、大丈夫か?」
先に聞こえてきたのは低く威圧的ながらも誰かを思いやるマゼンタ色の声。魔理沙もその声につられて振り返った。そして魔理沙は思わず目を開く。苦痛に伏せ、表情を歪める紅白の姿に。
「……っ……ぐぅ……あ……!!」
石畳に片手を突いたまま、立ち上がることもできずにこめかみを押さえて呻く霊夢。額に浮かべた脂汗、震えるその身の激しさから尋常な状態ではないのだろう。
すぐに士もディケイドライバーのバックルを開き、飛び出すカードがモザイク状に別の空間へと消える様を見届けることもなく生身の姿に戻る。黒いコートの裾を広げつつ霊夢へ駆け寄り、同じ目線にしゃがみ込んで様子を伺うが──目立った外傷のようなものは見つけられない。
「霊夢!? どうしたんだ!?」
「れ、霊夢さんっ!? しっかりしてください!!」
魔理沙とあうんもその様子に狼狽えずにはいられなかった。クウガの姿のままだった五代も戦意を解いてアークルの力を収め、五代雄介としての生身に戻って少女を見やる。
自分も手を差し伸べたいのは山々だった。相手が苦しんでいるのなら、少しでも寄り添って苦痛を和らげたかった。だが今の五代は彼女のもとへ駆け寄ることすら難しい状態。立っていることさえできない霊夢と同様に、五代のほうも思わず膝を着くほどの激痛に苛まれていたからである。
「……ぐ……まさか……霊夢ちゃんも……この痛みを……!」
先ほどあの世界で感じた謎の感覚を何十倍にも鋭くしたような頭痛。博麗霊夢という存在のすべてが自分に流れ込んでくるような、あるいは逆に、五代雄介という存在のすべてが引き剥がされていくような。自分一人だけの重さではない。関わった人々全員分が、激しく廻る。
自分と相手が無数の糸となり、滅茶苦茶にもつれ合う。無限小の単位を持つ『ひも』となって、継ぎ接ぎに交じり合う。どこまでが自分で、どこまでが相手なのか、分からなくなるほどに。
「「……っ……ああ……っ!!」」
やがて収束が始まった。これまで張り詰めていた二つの何かが、ン・ガミオ・ゼダという楔のようなものを失ったことを切っ掛けとしたのか、互いが互いへと流れ込んでいく。
だがそれは少しだけ偏りがあった。もつれあう二人は完全に重なり合い一つになるのではなく、一方だけが存在を失っていく。ここが幻想郷という、霊夢の側の法則に基準を持つ世界の箱庭であったためだろうか。物質的な三次元世界の肉体を失いつつあったのは、五代だけであった。
「霊夢ちゃ──」
消えゆく身体でせめて少しでも、痛みに伏せる少女に手を伸ばす。自分が自分でなくなっていく恐怖よりも、誰かの笑顔が苦しみに曇ってしまうことに、少しでも救いを求めたくて。
そんな願いも露の如く。霊夢の頭痛が不意に消え、その意識を手放したとき。五代雄介はついぞ彼女に笑顔を向ける余裕もないまま。──己の存在を世界から完全に消失させてしまっていた。
「……くそっ! いったい何がどうなってんだよ……!!」
魔理沙は気を失ってしまった霊夢を支えながらも混乱のままに声を漏らす。たったいま目の前で人間が消え失せた。この幻想郷では人間が神隠しの被害に遭うことは多々あることだろう。妖怪の餌食となって帰らぬ者となってしまう者は少なくない。だが──
これはそんな次元の話ではない。妖怪など影も形もなかったはずだ。そして霊夢が頭痛に悶え、それが収まったのだとはっきり分かる束の間の眠りと同時、希薄化した五代が消滅した。
無関係のはずがない。霊夢が感じていた痛みを五代も感じていた様子があった。あの戦いの中で起きていた二人の反応とも何か関係があるのだろうか? 魔理沙は星の瞬く思考をまとめられず、どうしようもなく霊夢に助けを求めてしまいそうになった己に叱責めいた苛立ちをぶつける。
「……おい、あの喋る玉はどうした? あの胡散臭い妖怪の声がする変な玉だ!」
士はその光景に得体の知れない恐怖と嫌な予感を覚え、少しでも何か知っていそうな者を問い詰めようと試みた。候補を探すまでもない。どうせあの胡散臭い紫色の妖怪は、すべてを見通しながらこの光景を見下ろしているはず。八雲紫なら、きっと──間違いなく何かを知っている。
「あん? 陰陽玉ならどっかその辺に……」
その言葉を聞いて魔理沙も少しだけ冷静な思考を取り戻せた。霊夢を肩に担ぎながら博麗神社の境内を見回してみるが、いつも霊夢の傍にあるはずの陰陽玉の姿が見当たらなかった。
霊夢はそれを出しっぱなしのまま気絶したはずだ。ならば、勝手に消えるはずはないのだが。
「ない……だと……?」
本殿のほうを見ても見当たらない。鳥居のほうを見ても見当たらない。ましてや陰陽玉が霊力も伴わず独りでに動き出すことなど考えられない。ここの立地を考えれば球体であるがゆえに傾斜を転がって鳥居の下の階段を転がり落ちたという可能性もなくはなかったが──
魔理沙は鳥居側に立っていたあうんの顔を見る。彼女は目を丸くして首を横に振った。そちらへ転がっていれば、あうんが気づかぬはずはないだろう。だとすれば、考えられる可能性は一つ。
「……ますます怪しいな、あのスキマ妖怪」
黒いコートのポケットに手を入れながら吐き捨てる士。暖かく肌を撫でる淡い春色の風も、今はどこか、白く不気味なあの細腕に撫でられるような不快感を感じずにはいられなかった。
マゼンタ色のトイカメラのシャッターを切る。──見ているだけと思うな、と敵意を込めて。
どこまでも広がっていく虚数の深淵。万象の観測者たる無数の眼を抱く漆黒の空間で、八雲紫は想定よりも遥かに早い段階での憑依現象に一人、溜め息をついていた。
クウガの物語を始めとし、すでに幻想郷には九つの世界の物語が幻想として存在している。博麗霊夢という幻想郷の要たる存在が、九つの物語の基点たる『クウガの物語』を受け入れる器として機能してくれているおかげで。
──幻想郷はすべてを受け入れる。八雲紫はそう言った。それは、博麗霊夢はすべてを受け入れる、と同義である。だからこそ紫は五代雄介と博麗霊夢を接触させた。霊夢が受け入れることで、五代雄介は正しく幻想となり、確かな存在でありながらこちら側に定義できるようになる。
そう、あくまでもその繋がりは仮面ライダーの物語を幻想郷に結合させるための引き金でしかないはずだったのだ。
楔以外の仮面ライダーとの限定憑依は認識していた。最も近い波長を持つ者たちが道具を通じて繋がってしまい、記憶の混線が生じてしまうことは予測できていた。だが、誤算だったのは九つの世界が十番目の世界に取り込まれてしまっていることと──
これまで元々の仮面ライダーとの記憶の混線という単一の現象と認識していた限定憑依。それが鳴滝の言う『クロスリンク』なる憑依現象とは大きく異なっていたという事実である。
あの男はきっとこう言うことだろう。──私にとっても計算外だった、と。それが信用に値する言葉かどうかは紫自身も深く理解している。なぜなら、きっと紫も同じように振る舞うからだ。
「限定憑依、いえ、完全憑依。……それとも違う。クロスリンク、だったかしら」
紫はいつになく神妙な面持ちでスキマ空間の暗闇を歩んだ。万物の境界と定義できるこの場所は例えるなら量子の世界に似ている。時間も空間も曖昧で、ここにあるものはすべて確率的なものでしかない。もっとも、本来のそれとは違い実際に紫自身が小さくなっているわけではないが。
「これはもう憑依だなんて次元じゃない。完全統合ね。それも世界や因果のスケールで」
彼女の脳内に映っているのは無数の計算札から送られてきた膨大なデータだ。銀河が瞬くような数式の渦の中、彼女にだけ理解できる波と粒の螺旋が一つの道に収束する。
今や博麗霊夢はクウガの物語と一体化してしまった状態にある。紫が当初予定していた『法則の流入』という道としての役割を逸脱し、五代雄介という一人の人間から、クウガの世界に存在したすべての因果が博麗霊夢と『量子もつれ』を起こしている。
幻想郷に生じた九つの巨大な歪み。その一つであるン・ガミオ・ゼダを破壊したことが引き金となり、押し留められていた何かが激しく流れ込んできてしまったのだろうか。だがあれを破壊しなければ幻想郷は耐え切れず、いつか次元ごと破り抜かれていたであろうことは想像がつく。
紫が介入していなければ霊夢はクウガの物語という膨大な情報に飲み込まれ、存在を失っていたかもしれない。当初の予定では霊夢には十番目の法則を背負ってもらい、十番目の世界を破壊する破壊者の役割を担ってほしかったのだが──
紫は再び溜息をついた。もう何度目かの計画の修正案を練る。すでにそれは苦にもならないほどの日常となった。まるで予定通りに進まない物語のプロットを忙しなく書き換えるかのように。
「
左手に取り出した扇子を横一文字に一閃すると、そこには瞼のような裂け目が開く。闇に満ちたこの空間から見れば、暖かく光を差し入れる外側への裂け目。ゆっくりと広がったその彼方には、春の彩りに満ちた博麗神社の境内、今は誰もいない石畳と鳥居の光景があった。
霊夢たちは博麗神社の中にいることだろう。黄昏の陽が差し金色に染まった景色を見やりつつ、紫はスキマの縁に両肘を置いて上体を預ける姿勢を取る。
クウガの物語との統合によって意識を失った霊夢は、おそらく仲間たちに心配されながら布団の上に横たわっている。その隣には魔理沙やあうんがいるだろう。今が慌ただしい異変の最中ではなかったのなら、きっともっと多くの妖怪や亡霊などの顔ぶれも揃っていたかもしれない。
ただ、そこに五代雄介の姿はなかった。彼はクウガの法則の流入を堰き止めていたと考えられるン・ガミオ・ゼダの撃破によって溢れ出した法則と同化、情報としてクウガの世界に還元されたことで、クウガの世界に生きた他の人々と同様に、物理的には消滅を遂げた。
だが完全にこの世から消えてなくなったわけではない。それもまたクウガの世界に生きた人々と同様だ。十番目の世界に取り込まれ、情報、あるいは記録としてとある時空に封印されたのだろう。その証拠として、霊夢の中にはクウガの世界とほぼ同じ数値の波長が観測できる。
クウガの世界そのものは十番目の世界、ディケイドの世界と融合している。だがクウガの世界の中身は霊夢の中にもある。次元や距離さえ隔てて、非局所的に二つの粒子が互いを見るように。
「記憶や想念だけじゃなくて、歴史ごと一体化したのね。それはそれは、残酷な話だこと」
紫は脳の酷使で疲れた身体に酸素を取り入れるように大きなあくびを零した。霊夢のことは心配ではあるが、紫とてこの世界のあらゆるスキマを観測してはスキマ空間を己が身に宿す統合者。情報の密度こそ異なれど、今の霊夢と同じような状態と言ってもいい。
霊夢は一度に膨大な情報を受け入れてしまって脳の負荷に耐え切れなくなっただけ。五代雄介ならその感覚に共感を覚えるだろう。ペガサスフォームへの初変身時に、情報量に耐え切れず意識を失った出来事を、今も覚えているはずだ。
世界一つ分の情報を取り込み、それだけの負荷で済んでいることにも理由は存在する。あくまでクウガの物語を宿しているのはクウガの世界であり、その世界の本来の座標は現在はディケイドの世界の中にあるからだ。霊夢の中にあるのは、その情報の転写、滲んだ染め物の模様。
意識を失ったのは頭の中にそれらを叩き込まれた衝撃によるものだと考えられる。目が覚めれば普段通りに振る舞うことができるだろうが、やはり五代雄介との記憶の混線による混乱は避けられないだろう。
五代雄介のほうにも霊夢の物語が流れ込んでしまっているのは、やはりこの二人の間に量子もつれが生じているためか。博麗霊夢が幻想郷と同義であるように、五代雄介もまた、クウガの世界と同義と呼べる存在と仮定すべきか。
もつれあっているのは霊夢と五代の二人であり、同時に幻想郷とクウガの世界そのもの。正確に言うのならば、霊夢の物語と五代雄介の物語そのもの──と称すべきかもしれない。
たまたまクウガの力を手にしたとはいえ、なぜただの人間であるはずの五代雄介が世界の根幹として成り立っているかのような性質を持つのかは、紫にも分からない。奇しくも霊夢にも同様の性質がある。こちらは博麗の巫女が幻想郷の要であるからとも考えられるが──
霊夢の言葉を借りるなら、ただの勘だ。紫は幻想郷という秘境を宿す『この世界』にまで尺度を広げて考えていた。博麗霊夢はその根幹を成している。クウガの世界の五代雄介と同じように。
「逢魔の境界で重なり合っていく、幻想の物語。交わるはずのない、存在しない英雄譚」
クウガの世界も、幻想郷を秘匿された結界として内包する『この世界』も、その構造はほとんど同じである。創世の瞬間より宇宙が広がり、星々が広がり、地球に生命が生まれ、文明が生まれ、社会が生まれた結果、今の地球には多種多様な生態系と人類の歴史が繁栄している。
九つの世界を含めた多くの並行世界は同じ歴史で成り立っているだろう。霊石アマダムの有無や幻想郷の有無といった差異を除けば、ほぼ同一の世界と言っていい。
あるいはパラレルワールドとも、あるいはマルチバースとも呼称される世界。幻想郷を抱くその世界には霊石アマダムは存在していない。霊石アマダムが存在するクウガの世界には、幻想郷は存在していない。アギトの世界や龍騎の世界なども、そういう構造になっている。
並行すべき世界は歪に交差し、複雑に絡み合っている。次元を超えて存在する世界の破壊者が、さながら光を歪めるブラックホールの如く、道を曲げて衝突を招いてしまったのだという。
あの男、鳴滝はすべてを語ってはいないだろう。紫はそれを承知の上。幻想郷を内包する世界がいくつあろうと、紫が愛した幻想郷は、この小さな小さな一つだけ。
たとえどれだけの世界を犠牲にしようとも、この名もなき世界だけは失われてはならない。
「彼らの新しい物語に、相応しい名前をつけるのなら──」
スキマの縁に両肘を預けたままの姿勢で、紫はスキマの中から鳥居のほうを見る。幻想郷の最東端に建つ博麗神社、そのさらに東の方角に設けられた鳥居の先に見えるのは、幻想郷と外の世界の境界に他ならない。無論、大結界越しでは外の世界の街並みが見えるはずもない。
ここから見える東の空にあるのは、西に沈んでゆく太陽が残した薄明の残り香と、少しずつ夜が降りてくる濃紺の闇。それらが曖昧に交じり合い、幻想的な『逢魔』の色をもたらしている。
「──『逢魔幻譚』なんて、いいかもね」
東方の空に想いを馳せながら。この世界が織り成す綾模様を観察する。昼と夜の境界、光と闇の境界。やがて夜へと移り変わっていく空を見送るように、静かにスキマを閉ざして。
この名もなき世界をあえて呼ぶなら、幻想郷の世界、だろうか。あるいは霊夢の世界とも呼ぶべきか。否、きっと紫は最初から答えを持っていたのだろう。それこそ霊夢が生まれるずっと前から。この世界が意味を持って始まりを告げた瞬間から。
霊夢や魔理沙たちが幻想郷にて弾幕を交わす、ある法則のもとで続いていく世界。その原典たる最初の世界は、ある観測者たちが『東方』と呼ぶ方角にて時を刻み始めた。
紫にとっては誰でもない、彼らにとっても誰でもない、おそらくは仮面ライダーの世界に名前をつけた、最果ての観測者と同じ次元を生きる者たちなのかもしれない。紫はそれらの正体を知らないが、きっと境界を越えたどこかで出会っているのだろう。帽子と眼鏡が特徴的な、彼の者と。
虚ろに静止した人間の里に建つ異質な建物。どことも言えぬ時空を彷徨う特異点である光写真館は今、幻想郷に存在している。門矢士は愛用の自室で夜を明かし、朝を迎えていた。
慣れた過程で服を着替え、先日の霊夢に起きた異変を想い、心配しながら居間へと降りる。
「…………」
昨日までの記憶が確かであれば、この光写真館は人間の里に存在していながら、博麗神社へと直通する扉があったはずだ。本来は裏口に繋がる扉であるはずのそれは、どういうわけかその向こう側は博麗神社の居間にある壁の一つと同化していたのだ。
このまま裏口の扉まで進めば博麗神社の居間へと出ることができるだろう。だが士は何か奇妙な胸騒ぎを覚え、裏口の扉ではなく、旅の最中での憩いの場として使っていた光写真館の居間へ。
「こ、これは……!」
背景ロールの部屋に来た士はその壁に掛けられている絵に目を見開く。先日までは確かにいくつかのビルと舗装された道路、青空の下には灯溶山、そこへ向かうパトカーという絵柄を持つ一枚の背景ロールがあったはず。それは確かに『クウガの世界』を表していたものだ。
だが──今ここにある背景ロールはそれとは違う。絵柄は確かに見たことがある。かつての旅路においても、クウガの世界での旅を終え、この光写真館に戻ってきたとき。何の気なしにフックを外した瞬間──その絵はやはり唐突に現れた。
深き夜へと落ちた現代の街並み。一際巨大な高層ビルは夜空を掠め、背を飾るようにして大きく真円を描いた満月が輝く。そしてビルの上層に宿るは、魔たる力を秘めた雄々しき竜の姿。
ビルそのものを自身と一体とするかのように、紫色の鱗を持つ竜が夜空の月を見つめている。
「……キバの世界……だと……!?」
士が零すはよく知る世界と物語の名である。かつてと同じ、クウガの世界を旅したあとに訪れたのは──紛れもなく『キバの世界』だった。背景ロールに宿る絵柄もまったく同じ。ただ、ここが幻想郷の一部である人間の里に繋がれた光写真館だという点だけを異として。
クウガの世界の背景ロールが現れていたときでも、士が立つ世界自体は幻想郷──神秘と幻想の法則を宿す世界であるという点は変わらなかった。
此度もそれと同じなのだろう。かつての旅のように世界が切り替わったわけではない。士は直感的にそう判断できた。であれば何が変わっているのか。幻想郷の内部だという事実は変わらない。ここから見える外の景色も先日と変わらぬ人間の里の光景として見て相違あるまい。
そこで士は先日の出来事を思い出した。霊夢のことだ。激しい痛みに苛まれついぞ気を失ってしまった彼女は、今は博麗神社の自室でゆっくりと眠っているはずである。
すでに目を覚ましたのか、それともまだ深い昏睡の中にいるのか。士はキバの世界を表す背景ロールの部屋を去り、博麗神社と繋がった裏口──光写真館の『
落ち着きある和室に繋がるべき扉。その窓に映る彼方の色は、
迷いの竹林、上空。頭の中を染める不快な叫びと全身に走る灰化の痛みに耐えながら、恐ろしき波動たる吸血鬼の少女は夜明けを迎えつつある薄明の中を飛翔していた。
宝石を思わせる美しき翼に明けの日差しが突き刺さる。強靭な肉体を持つ吸血鬼であるがゆえにすぐにそれが致命傷に至ることはないが、灼けつく痛みは少女の表情を苦痛に歪めさせた。
「ぐっ、ううっ、うううっ……!」
紅魔館の地下室に現れたあの男に妙なエネルギーを与えられてからだ。悪魔の妹、フランドール・スカーレットは全身の細胞が少しずつ灰と朽ちていく現象に苛まれ続けている。だがそれ自体は別にどうでもよかった。己が肉体の破壊など、彼女にとっては日常茶飯事と言っていい。
吸血鬼が持つ生来の再生能力に加えて彼女自身の圧倒的な魔力。そして姉であるレミリアやメイドである咲夜から与えられるミラーモンスターのエネルギーを貯蓄していたおかげで、灰化による肉体の崩壊はすでに大した問題ではない。
それよりも彼女にとって度し難いのはやはり虫の羽音めいた龍の咆哮だった。全身を走る青白き灯火のエネルギー、オルフェノクエネルギーなる力が仮初めの心臓を形作ろうとその手を伸ばし、フランドールの思考と記憶に冷たき狂気を帯びた龍人が如きオルフェノクの意思を重ねてくる。
「うるさいっ! うるさいっ! ……こんなものっ!!」
フランドールの理性は日差しを浴びた肉体のように蒸発しつつあった。全身の神経を這うような不快感は植えつけられたオルフェノクの記号による記憶もそうだが、デルタギアを使用し続けた影響、脳内に流し込まれる悪魔の意思──デモンズ・イデアの侵食が耐え難いのだ。
すでに変身を解いて生身のままになっているにも関わらず、デルタの衝動は赤き稲妻となりてフランドールの精神を掻き乱す。それが自身に脅迫的な狂気と暴走を求める声となり、休むことなく聞こえ続けている。
最初は己が狂気と同調したそれは心地良かった。だがすぐに自分の思考を蝕む毒のように広がり始め、龍の記憶と合わさり不快なノイズとして彼女の旋律を乱し始めた。確かに声が求める通り、退屈は嫌い。されど無差別な破壊がしたいわけでは断じてない。
その原因となるデルタギアを歪めた空間から取り出した。銀色のアタッシュケースにはスマートブレインのロゴが刻まれている。フランドールは苛立ちをぶつけるように、振りかぶる。
まるで自身にまとわりつく害虫を払うかのように、彼女はデルタギアのケースを放り投げた。
「はぁっ……ぅぐ……っ」
東の空より差し照らす太陽の光。煌く翼を焼く痛みは、この不快な思考さえも焼き払ってくれる気がして、むしろ心地良く思えるほどだった。しかしこのまま日光を浴び続ければ、さしものフランドールといえど肉体の再生が追いつく前に全身を灰と帰してしまうだろう。
ゆっくりと竹林に降りつつ、もはや捨て去ったデルタギアへの未練をも痛みの中に掻き消して。昼間でも薄暗く感じる竹林の木漏れ日の中、日陰に身を隠しては己が在るべき紅き館を想う。
「……日傘、持ってくればよかったな」
竹の葉の下から見える青空は悪くない景色だとも思えた。すでに焼け落ちた翼の宝石は瞬く間もなく治癒している。日光を浴び続けている状況でさえなければ指を振るう程度の魔力で完治できる。それも精神の不調に対しては何の役にも立たないが。
妖怪とは肉体よりも精神が主体であるとされる。一般的な妖怪よりも物理的な現象に近い吸血鬼でさえその本質からは逃れられない。ゆえに日光や銀といった物理的なダメージを引き起こす弱点よりも、流水などの精神的な弱点のほうが致命的であると言えた。その弱点はデモンズ・イデアによって一時的に克服できたが──
割に合わないと言わざるを得ない。流水など雨でも降っていない限りは迂回できるものだ。そんなもののために、四六時中こんな不快な感覚に耐え続けなければいけないなど。
フランドールは何度か自分の肉体を粉微塵に『破壊』してしまおうかとも考えていた。自身が持つ能力であれば細胞の一片に至るまで粉々にしてしまえる。だが彼女は本来、極めて冷静な思考を持つ理知的な人物である。どれだけ外付けの狂気に苛まれようとも、根底に残った冷静さで答えを出すことができる。
いくら吸血鬼といえど不死身ではない。それは弱点という伝承が死を証明してくれていることで理解できる。形も残らないほどに消し飛ばしたあとに再生できる保障などはないのだ。
彼女が開いた手の平に紅い視線を落としていると、ぱたぱたと小さな影が目の前に降りてきた。
「ファンガイアの魔皇力を追って来てみたが……申し分ない逸材だな」
紅い瞳の中に映し出されたのは、一見するとコウモリのような何かだった。だがフランドールが知るそれと違い、深き夜の如き漆黒を帯びた楕円形の胴体に長い耳、大きく底知れぬ月色の複眼。両の翼と両脚は呪われた血を思わせる暗紅色を呈している。
それはフランドールの知り得ぬ『キバの世界』よりの来訪者。漆黒と真紅を帯びるその体躯は極彩色の捕食者に仕えるキバット族の中でも、選ばれし血の気高さをもって歴史に名を残す姿。
「あんた、誰……?」
「俺はキバットバットⅡ世。闇の鎧を守る者とでも言っておこう」
フランドールは身体の痛みに溜息をつきながら太い竹に背を預けつつ問う。焼けつくのはすでに癒えた日光による痛みではない。この身体、紅き血の中を流れる不快なる電気信号だ。
目の前のコウモリもどきは己の名を少女に告げる。王に仕えし一族の二代目たる者の名前。誇り高きキバットバット家の嫡男にして当主たる存在として。だがすでに彼はファンガイアに仕えるという本来の役割を放棄していた。
キバの世界における西暦1986年。ファンガイアの王は圧倒的な力として君臨していた。しかしその非情なまでの冷酷さは同族に対する振る舞いさえ無慈悲を極め、王の伴侶たる自らの妃さえも道具として使い捨てるかのように愛もなく虐げた。
正しくは彼なりの愛もあったのかもしれない。しかし傷つく妃の姿に堪えかね、キバットバットⅡ世は当代の王から離反。──お前がしたことが気に食わん。そう言い残して。
王に仇為す人間の男に与したキバットバットⅡ世は、その人間の男に闇の鎧を与えた。ファンガイアの命すら奪う禍々しき鎧に、人間が耐えられるはずがない。されど男はその前提を覆して闇の鎧を纏い、真の姿を見せたキングに一矢報いることに成功したのだ。
男は王妃であるクイーンを愛していた。そしてその間に生まれたのがキバの世界における現代の時間──西暦2008年のキバである紅渡であり、キバットバットⅡ世の子が、彼の友たるⅢ世だ。
「そう、じゃあ、キバットって呼ぶわ」
竹から背を離しつつフランドールがコウモリもどきを見る。キバットバットⅡ世。家名に誇るその名を呼ばれることはあまり多くはない。かつての戦いにおいても、キバットバットⅡ世は人間からはコウモリもどきと呼ばれ、ファンガイアからはただの道具としてしか見られなかった。
互いが見やるは魔たる存在の証たる異形の双眸。フランドールの吸血鬼としての真紅の眼。そしてキバットバットⅡ世のキバット族としての黄金の眼。飾る色彩こそは異なれど、秘める底なしの魔力には等しき魂を感じさせて。
──不意に二人の翼を揺らす風が吹いた。四季の異常により不快な湿度を纏う夏の暑さの中に、どこか鋭く拒絶的な意思を含んだ外の世界の空気と──異質な魔力を伴って。
それぞれ真紅と黄金の眼がそちらを見やると、そこに現れていたのは灰色のオーロラ。こことは別の時空に繋がっているらしきそれの中にはいくつか、やはり奇妙な魔力を持つ獣の影が数体。
「ギギィッ! ギギギィッ!」
波打つオーロラから姿を見せたのはステンドグラス状の煌びやかな体組織を持つ異形の怪物たちだった。夏の日差しの下で美しき輝きを放つそれらは芸術品を思わせる耽美的な意匠を宿すものの、その獣じみた形相が睨む目つきに理知的なものは感じられない。
その名は『黒い死』。あるいは『ラットファンガイア』とも称されるビーストクラスの魔族である。同一の能力を持つ個体が珍しいファンガイア族において、極めて希少な、まったく同じ姿と能力でもって群れを成す一族の生まれであった。
数体のラットファンガイアはその姿に相違なきネズミにも似た鳴き声と共に数を増やしていく。その不躾極まりない振る舞いを見てフランドールは翼の宝石と瞳を光らせ、溜め息を零す。
「今はそういう気分じゃないの。見て分からないかな……」
「ちょうどいい。あれらと少し遊んでやれ。絶滅の手伝いをしてやるがいい」
己が魔力でそれらを破壊しようと右手を掲げるフランドールの殺意に呼応して、キバットバットⅡ世が提案した。そのまま翼を羽ばたかせ、暗紅色の脚でフランドールの白く細い腕を止まり木とする。その瞬間──フランドールの思考にはキバの世界の記憶が流れ込んできた。
──限定憑依の一種なのだろうか。少女の紅き魂に重なり宿るはかつてキバの世界においてファンガイアの王であった男の記憶と想念。誇り高き一族を統べる者として、黒衣に身を包んだ紅き血の君主、キングは闇の鎧の力で他種族を圧倒した。
様々な種族を絶滅へと追い込み、己の気まぐれで希少種族の最後の生き残りを城の飾りと貶め、最期には自らが憎悪し見下した人間の親子の意地によって引導を渡された王の憤怒と慟哭。
それだけではない。王たる闇の鎧を纏いし正統なる純血の継承者であるキングの記憶の他にも、フランドールの思考に流れ込んでくる別の者の記憶があった。
人間の身でありながらファンガイアのキングに仇為し、クイーンを愛し、その間に混血の落胤を設けた音楽家。誰よりも強く、誰よりも誇り高く、誰よりも情熱的な愛に生きた男の血に滾る魂の叫びが、重なり合う。
どちらも等しく闇の鎧に相応しき強者である。キバの世界の法則がそれを真と認めたのだろう。深く交ざり合う記憶に灯る紅き眼に、フランドールは受け継がれし暗黒の鎧の威光を垣間見た。
「絶滅? 悪くない響きね。……そして、誰もいなくなるんでしょ?」
「……そういうことだ。少しはその気になったか?」
記憶の中に落ちた一滴の血はフランドールの好奇心を湧き立たせるのに十分なだけの魔力として機能したようだ。それを感じ取ったキバットバットⅡ世もまた、フランドールの静かなる魔の力に身を震わせ、彼女の腕に止まったまま鋭い牙を覗かせる。
紅き血の君主。情熱的な愛を奏でる人間の音楽家。二つの意思が混ざり合い、フランドールの中に燻っていた不快な龍の波動が柔らかく形を変えていく。まるで不機嫌な龍が心地良い旋律に瞼を下ろしていくように。身体中の血を走っていた電気信号の苛立ちも、消えていくようだった。
「ええ、退屈はしなさそうだわ。ちょうど、新しいおもちゃがほしかったところなの」
月を満たすが如き真紅の音色にしばし酔い痴れる。強大なる力を振るう王の記憶。麗しく情熱を奏でる愛の旋律。どちらもフランドールの思考に血染めの薔薇を咲かせて。
手の平に灯していた紅き魔力は少女の意思のままに消え、やがてその眼は等しく獣を見やり。
「……絶滅、してくれる?」
紅く輝く双眸を合図としたかのように、ラットファンガイアたちは本能的に怯んだ。底なしの威圧感に震える身体に屈さぬよう、自らを爪で傷つけ始めた者もいる。二つの記憶と重なった少女の威光は紛れもなく、彼らファンガイアが仕えるべき王の風格。
されどここで逃げ去るわけにはいかない。彼らはファンガイアの使い魔。力ある者に命じられた通りに、在るべき世界から姿を消したキバットバット家の二代目当主を再び捕えるために。
「ありがたく思え、絶滅タイムだ」
黒き翼を翻してはくるりと舞って少女の腕から離れるキバットバットⅡ世。低く告げたる言葉の通り、それはかつて仕えていた王の意思を代行するもの。
今一度くるりと廻り少女のもとへと牙を剥ける。白く細い手は、彼の知る王のものではない。
「ガブリ……!」
鋭く突きたてられた牙に滴る血の色はなく。ただ黒き身に秘める魔皇力の波動が少女の身へと容赦なく流れ込んでいく。常人であれば一瞬で魂を灼き滅ぼされよう。絶大な力の奔流、その一片が内なる魂の解放を求める引き金、アクティブフォースとして研ぎ澄まされる。
白く細い手にいくつもの血管が浮き上がったのが見えた。そのすべてに吸血鬼の血の力を超えた凄まじき力、王でさえ求めた禁断の魔皇力が黒く迸っていく──
フランドールの紅き瞳には極彩色のステンドグラスに似た煌きが灯された。それに伴い首筋から顎へ、そして頬をも染めるはファンガイアの証。王に相応しき芸術を飾るが如く、フランドールの全身に満ち滾る魔皇力を示すが如く。
そして彼女の腰に現れるは幾重もの黒き鎖。それらは重厚な音を立てながら細い腰を縛るように巻きついていき、やがてそれは漆黒に染まりし『ダークキバットベルト』となった。
彼女の身に宿っていた不快感の根源、龍の意思たるオルフェノクの記号、そしてオルフェノクエネルギーも、デルタギアの使用によって燻っていた不愉快なデモンズ・イデアでさえも。
地獄を思わせる激しき旋律が掻き消していく。もはや少女の思考には灰被りの龍の記憶はない。
「変身……」
小さく呟かれた少女の声を聞き、キバットバットⅡ世は再び翼を広げて飛び立つ。そのまま逆さ吊りになるようにダークキバットベルトを構成する正面の
それは王にのみ許された紅き血の契約である。闇を司るその鎧は、最初に造られた運命の鎧さえ上回るほどの圧倒的な力によって絶対の王座を約束した。されどその強すぎる力は世界そのものを破壊しかねないほどのものだったのだ。
──キバの鎧と名づけられたそれは深き闇だった。かつて古き一族との決戦において王が禁断の旋律をもって長き闘争に終止符を打ったとき、その一撃は同族をも巻き込んだ。忌まわしき一族の王を封印することこそできたが、それはファンガイアにとっても大打撃だったのだ。
その力を恐れた鎧の工匠たちはキバの鎧に厳重な枷を設け、鎧が持つ力を大幅に制限することでキバの鎧を正しく運用できるようにした。さらにその上で新たに黄金のキバの鎧を造り、今度は最初から鎖で封印することで王が安全に使える鎧と成した。
運命の鎧に次いで造られた最初のキバの鎧は後に造られた黄金のキバの鎧と区別し、今ではこう呼ばれている。黄金に至る前の暗黒、すなわち『闇のキバの鎧』。あるいは『ダークキバ』と。
「ギ……ギギィ……!」
フランドールが闇の鎧を纏った余波により、迷いの竹林には恐ろしき波動が解き放たれた。その威圧だけで、すでに戦意を失ってしまったラットファンガイアも少なくはなかった。
もはや勝負が成立する力の差ではない。それを悟った者は背を向け、逃走を試みたが──
「……私からは逃げられない」
暗き音を奏で、一歩、悠然と歩む。王たるその身を包む漆黒の外皮は悠久を知る黒き龍の皮革。少女の全身を覆う真紅の装甲は奇跡の産物とも称された絶大な魔皇力の具現。そして背に引く黒き外套は『ダークネスベール』の名の通り、深き闇の中に月を抱くが如く。
また一歩、漆黒の足が迷いの竹林に禍々しき呪いの跡を刻む。紅き双肩が秘めるは夜を引き裂くような血染めの刃。胸を飾る漆黒の鎧を含め、その全身には偉大なる力を抑え込む暗澹の闇が塗り込まれている。
王の相貌を覆う兜には満ち滾る魔皇力を制御するための双翼の意匠。複眼は深緑に染まり、フランドールの紅き瞳と重なり、今は亡きかつてのキングの威光を錯覚させるかのよう。
ダークキバの手から放たれた紅き光弾はラットファンガイアの背を的確に撃ち抜いてみせた。
「ギィ……ァア……!!」
たったそれだけで一体の怪物は魔皇力に耐え切れず、ステンドグラスと砕け散る。それを見た他の個体も死を悟ったのだろう。ただ背を向けるだけでは無意味な死。しかし如何に無力な身であろうとも、王の鎧を奪われたままではファンガイアの誇りが朽ちる。
ラットファンガイアたちは決死の覚悟で己が身を砕き、ステンドグラスを零して長剣を象った。それを振り抜き、フランドールが対応できないであろうほどの全方位から一斉に迫っていく。
「あら、そんなことしていいの? この黒い鎧、大切なものなんでしょ?」
優雅に微笑み、振り返る。そこには構えすら存在しない。これは戦いではないのだ。ただ相手が殺意を持って剣を振りかざしてきているだけ。闇のキバの鎧を纏いし者にとって、それは脅威でもなんでもなかった。──もっとも、それは生身の彼女にとっても同じことであろうが。
長剣が鎧に叩きつけられる。その結果は彼我の両者の予想通り。最下級のファンガイアが自らの細胞で作り上げた剣が当たったところで、剣のほうが無惨に砕け散るだけ。次々と迫り来る全ての剣も、同様に。
一瞬の隙を突く必要すらもなく。フランドールはただ魔力を込めた右腕を軽く払った。それだけで周囲にひしめいていたラットファンガイアの数体は呆気なく砕け散り、残った三体も激しく薙ぎ飛ばされて竹林を圧し折って飛んでいく。
フランドールは王の記憶を頼りに闇のキバの魔皇力を足元に束ねた。やがて暗緑色に浮かび上がったキバの紋章は大きく広がり、それは王の意のままにラットファンガイアを追い詰める。
「ギァァアアッ!!!」
一つ、二つ、三つ。逃れた個体を紋章の魔皇力に捕え、それを垂直に掲げては腕を引く。すると紋章は激しき力を解き放ち、ラットファンガイアを一体ずつフランドールのもとへ。
身動きの取れないまま激痛に苛まれ、今度は打ち返されるように闇色の脚に蹴り飛ばされた。
「ギィィ!」「ギゥウウ!」「ギィァア!!」
蹴り飛ばされては再び紋章に捕らわれ魔皇力に身を焼かれて、そこから腕を引かれることでまたフランドールのもとへと引き寄せられ、また蹴られ、紋章へ叩きつけられ、またしても腕を引かれてはフランドールに蹴り飛ばされ、また魔皇力の満ち滾る紋章へ──
絶え間なき連鎖から逃れる術はたった一つしかない。最初にそれを叶えることができた個体は、もはや望みつつあった己が死によって【 ロイヤルパニッシュメント 】の呪縛から脱す。
最後の二体はもはや虫の息だ。
二つの紋章で挟み潰す【 インペリアルデストラクション 】により、怪物は無惨に圧壊された。
「……あーあ。もう終わっちゃったのね」
不服そうに仮面の下で溜息をつくフランドール。腰に帯びるダークキバットベルトの両腰に備えつけられた三対のフエッスルは、ついぞその音色を奏でられることなく。
紅渡が纏うキバとは違い、それらはすべて本体たる部分が王の威光たる黄金を呈している。
「そろそろ
闇の鎧を纏っていれば太陽の光が身体を焼くことはない。ダークネスベールを纏った状態なら、真昼でも深夜の月下にも勝るポテンシャルを発揮できるだろう。だが彼女が最も嬉しかったのは、与えられた魔皇力によって、あの不快なデモンズ・イデアの衝動が消え去ったことである。
迷いの竹林の上空で投げ捨てたデルタギアがどこに落ちたかは分からない。もう彼女にはあれに対する興味はなかった。今はもっと面白い、何より己に合う旋律がこの身に心地良く流れている。王の記憶の同調も、染められるというよりは重なり合う感覚。
悪魔の思想によって汚染されていた精神が本来の在り方を取り戻してしまったがゆえに、今まで通り流水を拒む気持ちも戻っているだろう。だが今はそれでも構わなかった。
吸血鬼らしい在り方が愛おしい。あの龍の言葉に唆され、力を受け入れた自分が忌まわしい。
「…………」
フランドールが闇のキバとしての深緑の複眼で紅魔館の方角を見たとき。彼女の腰に控えていたキバットバットⅡ世の鋭い感覚が遠き果てにて異様な力を感じ取った。
魔皇力に相違ない魔力。だがその強さが桁外れだ。ここまで距離が離れていても身体を震わせるほどに感じられる圧倒的な気配。それこそすべての同胞を束ねる
そんなはずはない。キバットバットⅡ世が抱く疑念は一つ。これほどまでに絶大な魔皇力を持つ存在など、ファンガイアの頂点に君臨するキングだけ。それは確かに死んだはずだ。かつて過去の時代にて父と子の二重奏を受け、一度目の死を迎えた王の姿は強く覚えている。
二度目もまた同じことだ。王の死によりその息子が次なる王となった時代。新たなる王を認めぬ男の企みによって、かつての王が自我なき骸として復活したとき。絆を取り戻した兄と弟、二人のキバが王の骸を打ち砕いたはず。
キバの世界における現代の時間、西暦2008年の時代でキングとなったあの男なのか。否、それとも違う奇妙な魔皇力。少なくともこんな魔皇力は、キバットバットⅡ世の記憶には存在していないものである。
あるいは、先代のキングよりもさらに過去の時代の君臨者、ファンガイアの歴史において最初に力を束ねし存在となった伝説の男、初代のキングだとでも言うのか。キバットバットⅡ世が生きた時代にはすでに初代たる男は存在していなかったため、知る由もないが──
朧に揺れる月の如き魔皇力であっても息を飲む。キバットバットⅡ世はそれが確かな形を得てしまうことが少しだけ恐ろしく感じてしまった自分に気づかないフリをして、翼を畳む。
フランドールはそんな彼の様子を知ってか知らずか、帰るべき紅魔館に対し、口角を上げた。
「……
砕け散ったステンドグラスの破片を背にして静かに歩む。煌びやかな光の道は竹林の木漏れ日を受けてキラキラと美しく王の凱旋を祝福する。上空を飛んでも迷うと言われる、この迷いの竹林。これほどまでに狂おしく、鮮烈な魔皇力があれば道標としては申し分ない。
吸血鬼の少女は生まれ育った紅き館を目指す。黒き鎧と重なり合い、二つの記憶が混ざり合い。愛しき居城に小さな傷を残す、どこか親しみやすいような──『破壊』の音色に誘われて。
『東方紅魔郷:New Classic』、発売おめでとうございます!
令和の時代に最新環境で紅魔郷がプレイできるなんて、こいつはびっくりだぁね……
せっかくなので紅魔郷と合わせてキバ編と行きたいところでしたが……
筆の遅さがね、それはもう、いつもの通りなので1mmも間に合っていませんね。(←のんき)