東方逢魔幻譚 ~ Never Cross Phantasm.   作:時間ネコ

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A.D. 2001 ~ 2002
それは、帰るべき居場所の物語。

目覚めろ、その魂



【 光輝の太陽進化 ~ Nuclear Evolution 】
第8話 光の覚醒


 幻想郷の地の底には、地上とは異なる一つの世界が広がっている。

 それは、すべての妖怪を受け入れるはずの幻想郷においてなお、嫌われ、(さげす)まれ、拒絶された者たちが集う場所。かつては文字通り、罪人の魂がその身を焼く地獄であったこの場所は、今や嫌われ者たちの楽園――『地底世界』と呼ばれていた。

 どこまでも広い地獄のコスト削減に際し、切り捨てられた『旧地獄』。そこに地上の妖怪たちが移り住み、独自の社会を成り立たせているのが、この地底世界の正体である。

 

 旧地獄の中心には、嫌われ者の妖怪たちの中でもことさら嫌われ者の妖怪がいた。近くにいる者の心を読み、何も喋らずともすべてを見透かされ、一方的な会話しかすることができない読心の妖怪。古来より『(さとり)』と恐れられた少女は、同じ地底の妖怪たちからも避けられていた。

 心を読まれても怯まぬ存在は、言葉を持たぬ動物たちだけ。気づけば彼女の周りには地底の動物たちしか残っていなかった。

 薄暗い地の底にぼんやりと光る孤独な居城。東洋の妖怪が住まう幻想郷の地獄には似つかわしくない西洋風の屋敷、『地霊殿(ちれいでん)』だけが、彼女にとってたった一つの『居場所』であるのだ。

 

◆     ◆     ◆

 

 立ち昇る業火は、ここが地底であることを忘れさせるほど高い天井の岩肌を焼きつけるかの如く激しく燃え盛っている。

 ここがまだ現役の地獄であった頃から罪人の魂を燃やしてきた灼熱地獄は、今は地獄のスリム化に伴って破棄され、『灼熱地獄跡(しゃくねつじごくあと)』としてなお地霊殿の直下で未だ火を(おこ)していた。

 

 火に触れても焼け落ちることのない地獄の木材で組まれた猫車(ねこぐるま)。これを操る者は葬儀の場より死体を奪い去る猫の化生、『火車(かしゃ)』と呼ばれる妖怪である。

 地上世界から持ち去ってきた新鮮な死体を炎の中に投げ入れ、灼熱地獄跡の火力を調整するのが彼女の仕事だった。

 暗い旧地獄の中で光る業火の如き赤髪を二つに結び、束ねた三つ編みの結び目と両の先端は黒いリボンでまとめられている。頭頂部には鋭く立った黒猫の耳が伸び、この少女が人ならざる身であることを如実に表すかのようだ。

 いくつものフリルがあしらわれた漆黒の洋服には万華鏡めいた緑色の模様が描かれている。腰の付け根から生える二本の尻尾はやはり黒猫の毛並みを持ち、陽炎(かげろう)の如く揺らめいていた。

 

「よいしょ……っと! ふう、今日はこんなところかな」

 

 地底の動物が妖怪化した『妖獣』の一種にして、地霊殿の(あるじ)に飼われているペットの一匹である少女、 火焔猫 燐(かえんびょう りん) が額の汗を拭う。彼女は仰々しく長い自身の名前を好まず、常に下の名を愛称として『お(りん)』と呼ばせている。

 たった今、今日の分の死体(ねんりょう)を全て投げ入れ終わったばかり。今朝までは火力が少し弱まっていた灼熱地獄跡の炎も今ではその激しさを取り戻している。このまま順調に死体が燃えていけば、この直上に建てられた屋敷、地霊殿にも十分なエネルギーが行き渡るだろう。

 

 少女の赤い瞳は、旧地獄の炎を映してより赤く鮮烈に輝いている。細く鋭い猫の瞳孔が、過度な光を吸収しすぎないようにさらに細く収縮していた。

 何人分もの死体を投げ入れたお燐は満足げに炎を見つめて小さく微笑む。死体の回収とそれを投げ入れるための旧地獄の炎は彼女が何より好きなものである。火車として妖怪の身に至った彼女は、その役割を、自分の存在しているこの居場所を。ただ、何よりも大切にしていた。

 

「さて、さとり様に報告を……おや?」

 

 妖気によって具現化した愛用の猫車を消し去り、お燐は灼熱地獄跡直上の地霊殿に戻ろうとする。主への報告を行うため燃え盛る炎に背を向けて歩き出したが、視界の端に見覚えのないものを見つけて立ち止まった。

 それは、人間の――おそらくは成人男性であろう一つ(・・)の死体だった。今日の分の死体はすべて炎の中に投げ入れたつもりだったが、入れ忘れがあったのだろうか。

 お燐の持つ『死体を持ち去る程度の能力』をもって手に入れられた死体は皆、彼女の猫車に乗せられて旧地獄へと導かれる。しかし、いくら燃料扱いとはいえ、さすがに人間の死体を落とせば途中で気づくはず。

 少し疑問はあったが、お燐は深く考えず、暗い地面に横たわる『それ』を見た。

 

「あちゃー……あたいとしたことが、一つ忘れてたのかな」

 

 青年と呼べる男性の死体に近づいてお燐は一人言つ。すでに灼熱地獄跡の火力は十分だが、一人くらい誤差に等しい。このまま投げ入れ、炎の一部と(とむら)ってやろう。

 

 お燐はパチンと指を弾き、旧地獄に漂う怨霊たちを呼び寄せる。火車としての能力の他に、彼女は地底の怨霊を統率する能力も持ち合わせている。旧地獄に残されてしまった浮かばれぬ怨霊たちならば、快くお燐に従ってくれるだろう。

 青紫色に燃え上がる人魂(ひとだま)めいた怨霊たちはゆっくりと青年の周りを回ると、青年はその身を宙に浮かび上がらせた。このまま灼熱の火炉まで運んでくれれば、お燐の仕事は完了だ。

 

「それじゃ、お兄さん。かわいそうだけど、来世で元気にやっとくれよ」

 

 死体の処理を怨霊に任せ、お燐は灼熱地獄跡を後にする。二本の黒い尻尾を揺らし、光差す地霊殿への道へと歩を進めようとした。

 その瞬間、背後で聞こえる鈍い音。ドサッ、といったような、重い何かが落ちる音だ。

 

「う……ううっ……うーん……」

 

 振り返ると、青年の死体――だったはずのものが、唸り声を上げながら苦痛に顔を歪めているではないか。青年を運んでいた怨霊たちは驚き、ついさっきまで死体だと思っていたそれを再び地面に落としてしまったらしい。

 灼熱地獄跡の炎の近くに連れてこられ、その熱に耐えかねたのだろう。額にはじっとりと汗が滲んでおり、苦しそうにただ悶えている。怨霊たちも、ただ困惑しているばかりだった。

 

「お、お兄さん? もしかして……生きてる?」

 

 その様子に、お燐はかなり驚いた。妖怪として人の姿を得て以来、長らくこの仕事を続けているが、まさか生きた人間を連れてきてしまうとは。やってしまった、などと考える間もなく、お燐は慌てて青年に駆け寄る。

 青年の身体は、暖かかった。旧地獄の炎に(あぶ)られた死体の熱ではない。紛れもなく、生きた人間の命の鼓動。流れる血の熱が感じられる。それは、生者しか持ち得ぬ命の灯火(ともしび)だ。

 

「えーっと……大丈夫かい?」

 

 よく見れば、その青年はお燐が持ち込んだ死体の一つではなかった。

 お燐はこの仕事に誇りを持ち、趣味としても死体を愛している。地上で手に入れてきた死体の顔は一人一人覚えているため、その一つであれば顔や服装を見てすぐにどこで見つけてきたものか思い出せるはずだ。

 しかし、お燐はその青年に見覚えがなかった。服装から察するに、おそらくは哀れにも幻想郷に迷い込んでしまった外来人だろう。それだけならば、地上において運悪く妖怪の餌食となり、死体となってしまう者も少なくない。お燐も最初はそのうちの一つだと思っていた。

 

 自分が持ち去ってきた死体の中に、この青年は存在しない。ならばいったいどうやって、この灼熱地獄跡に――生きたまま存在しているのだろうか。

 死体が息を吹き返したわけでもない。当然、生きた人間がこの旧地獄に、灼熱地獄跡に最初から存在するはずもない。考えられるとしたら、自分以外の誰かがここに連れてきた可能性をおいて他にはなかった。

 お燐に従う怨霊たちは地上には出られない。地上と旧地獄の間には、妖怪の賢者によって相互不可侵の条約が結ばれている。旧地獄の怨霊を決して地上に出さないという約束で、地底の妖怪たちは地上からの干渉を受けることなく平和な暮らしを謳歌(おうか)できているはずだ。

 

 お燐は一度だけ、大切な親友を助けるためにその条約を破ったことがある。地底の怨霊を地上に溢れさせれば地上の妖怪は必ず気づくと踏み、強大すぎる力を手に入れて増長してしまった親友の暴走を止めるべく、地上の妖怪に助けを乞おうとしたのだ。

 結果、地上から現れたのは妖怪ではなく異変解決を生業とする博麗の巫女だったが、彼女の活躍により友の暴走は止められたため、お燐の目論みは成功したと言える。

 以降の地上には怨霊と同時に吹き出してしまった間欠泉による温泉が増え、幻想郷の商売を潤わせた。この出来事は、後に『間欠泉異変』と呼ばれ、人々の記憶に残っているのだった。

 

「……ど……ます……」

 

「何? 何が言いたいんだい?」

 

 意識を取り戻した青年が、弱々しくも口を開く。未だ激しく燃え上がる旧地獄の炎は、今にも青年の服に燃え移ってしまいそうだ。お燐は慌てて青年の身体を掴み、炎のない壁際の場所まで引っ張ってやろうとする。

 やや長めに切り揃えられた茶髪の隙間から覗く青年の瞳は、おもむろにお燐の顔を見上げた。

 

「……火傷(やけど)、しちゃいますよ……」

 

 お燐は、青年が放ったその言葉の意味を一瞬では理解できなかった。

 倒れている青年から見れば、お燐は炎の傍に立って青年を助けようとしているように見えたのだろう。だが、お燐は炎と共に在るべき地獄の獣であるし、灼熱の環境においても熱によるダメージはほとんどなく、むしろ炎を操る側の妖怪だ。

 お燐は、こんな状況においてなお自分より人の身を心配している青年の意図に気づき、どこか呆れたような表情を見せていた。

 捻くれ者が多い幻想郷の中でも、特に避けられ嫌われた妖怪たちが集う旧地獄。その中心たる地霊殿直下において、ここまで素直で人を思いやれる存在と出会えたのは奇跡と言っていい。お燐はあまりにも貴重なこの男を、なるべく死なせないように気をつけようと強く心に誓った。

 

◆     ◆     ◆

 

 青年の手に握られた水筒は妖気に包まれているのか、この灼熱の環境においても冷たさを失っていない。

 不運にも灼熱地獄跡という文字通り地獄の環境に迷い込んでしまった生者の青年は、ところどころ焦げてしまったフリース素材のジャケットをそのままに、灼熱地獄跡の入り口近くの壁際に座っている。炎の近くから助け出され、お燐の持っていた水筒の水を分けてもらったことで少しは楽になったらしい。

 さっきまで死にかけていたというのに、朗らかな笑顔は太陽の如く地獄の闇を照らし出すかのようだ。無垢なる笑顔の輝きは、灼熱地獄跡の炎に勝るとも劣らない。

 素直さの際立つ青年―― 津上 翔一(つがみ しょういち) は、助けてくれたお燐と向き合い、爽やかな表情で正座している。

 この環境に慣れているお燐は気づいていないが、荒れた岩肌が突き出す旧地獄の釜底において丁寧に正座をしているその姿は、礼儀正しさよりもどこかズレたような印象を感じさせた。

 

「いやー、ありがとう! 君が助けてくれなかったら、完璧に死んでたね。きっと!」

 

「あはは! お兄さんも豪胆だねぇ! その性格、気に入ったよ!」

 

 翔一とお燐は灼熱の火炉から少し離れ、冷え固まった岩の壁際で談笑している。

 幻想郷に迷い込んだ外来人は皆不安そうな顔をしているが、こうやって楽しそうに笑う者も少なくない。

 それらは大きく分けて二種類あり、自分の置かれている状況を深く考えられないだけのただの能天気か、もしくは相当な大物かのどちらかだ。

 お燐はこの男を後者だと考えていた。自分が死にかけている状況で他者を心配し、かつそれを笑いものにできる者は、人間の中では、特に外の世界においては限りなく少ないだろう。

 

「あ、そうだ。君、俺のバイク知らないかな? さっきまで乗ってたはずなんだけど……」

 

 不意に何かを思い出したように、翔一はライディンググローブを着けた両手を打つ。唇を尖らせながら、不可解そうな表情を隠すことなくお燐に問うた。

 見渡す限りの痩せこけた岩肌。猛り燃え上がる灼炎は天盤(そら)にも届く。翔一はその光景を、地獄のようだと思った。吹き出す汗はどこまでも止まらない。さっき水を飲んだばかりだというのに、喉の渇きは早くも次の水分を欲しがっている。

 こんな場所に来る少し前までは、彼も確かに、彼の世界で生きる人間であったのだ。

 

 最後の記憶は、自身が経営する小さなレストランを出てからしばらく後。翔一は未熟ながらオーナーとして、一人のシェフとしてそれなりの腕前を自負しており、彼の店も多くの人から高い評判を受けていた。

 自家製の無農薬野菜を使い、極めた料理の腕でもってお客さんに提供する。それが料理人である津上翔一としての『居場所』であるはずだった。

 愛用のバイクを走らせていたのは、かつて記憶を失って倒れていた際、居候として大変世話になったとある家族の住宅へ顔を出すため。

 店を閉じ、看板を『CLOSE』に切り替えてバイクに跨ると、翔一はもはや自らの家族も同然な彼らの顔を思い出しながら、あるいは手塩にかけて育てた自慢の家庭菜園がまだ残っているかどうかを考えながら、ヘルメットの下で顔を綻ばせ、ハンドルを握りしめた。

 

 そこまでは、憶えている。だが、自分が今いる場所は個人経営の小さなレストランでもなければ一般家庭の住宅でもない。目の前に広がる灼熱の光景は、さっきまで自分がバイクで走っていた公道ですらなかった。

 目が覚めて、気づけば自分の周囲が炎に覆われていたときは、まさか途中で事故でも起こしてバイクが爆発してしまったのかと思い、天然ボケ気味の翔一といえどさすがに不安にならざるを得なかった。

 どうやらそうではないらしいと分かったのは、自分の身体に怪我の一つもなかったからだ。

 

「どこ行っちゃったんだろ……俺のバイク……」

 

「……さっきから『ばいく』って、何のことだい?」

 

 お燐は聞き慣れない単語に首を傾げる。それも当然、幻想郷には外の世界からの漂流物や幻想的な具現物(オカルト)を除き、バイクなる乗り物は実用化されていない。

 彼の世界では当たり前に存在するバイクを知らないというお燐に対し、翔一は目を丸めた。

 

「珍しいなぁ。今どきバイクを知らないだなんて。もしかして、相当田舎の人とか?」

 

「む……悪かったね。田舎者で!」

 

 翔一の遠慮のない言葉に、お燐は若干ムッとした気持ちを覚えた。

 この青年は柔和な笑顔を浮かべ、自分より他人(ひと)の身を心配できる優しさはあるらしいが、どこか無神経なところもあるようだ。彼の言葉に一切の悪意がないのは、子供のように笑うその顔を見れば分かる。

 変わらず無邪気な笑顔を見せた翔一は、どうやら自分が嫌味とも言える発言をしたことに気づいてすらいないらしい。

 先ほどまでは相当な大物かもしれないと思っていたお燐だったが、彼女は早くもその考えを改めていた。旧地獄に迷い込んだこの青年は、おそらく――ただ能天気なだけだ。

 

「お兄さん、探し物してるところ悪いんだけど、今はとりあえず安全なところまで――」

 

 長い間ここにいても人間である翔一は体力を消耗し、衰弱していくだけだ。お燐は人間の死体こそ好きだが、自ら人間を殺したり、見殺しにすることは好まない。

 死体になってくれる分には大歓迎なのだが、お燐はこの男を死なせたくないと思ったばかり。旧地獄は危険が多いため、比較的安全な場所である地霊殿まで案内してやろうとした。

 

「あっ! 俺のバイク!」

 

 すると突然、灼熱地獄跡を見回していた翔一が声を張り上げる。釣られてお燐も翔一の視線の先を見ると、地獄の岩肌にどっしりと横たわる等身大ほどの銀色の影が見えた。その場へ向かう翔一についていき、炎の光を受けて輝く銀色の近くまで来る。

 銀色の正体は外の世界の乗り物――特にその中でも大型自動二輪車に分類される『バイク』の一種だった。

 フルカウルに覆われた前面とオンロードタイプのタイヤは荒れた岩肌を滑ってしまったのか、ところどころ傷ついてしまっている。

 自分のバイクにこれだけの傷がついてしまったことに対して翔一は一瞬ショックを受けたような顔をしたが、ある程度バイクの様子を確かめた後、すぐにさっきまでの笑顔に戻った。

 

「よかった。タンクは無事みたい。気をつけないと引火しちゃうからね」

 

 どうやら問題なく動かせるらしいことを知ると、翔一は自分のバイクのハンドルグリップを掴み、ゆっくりと立て直す。

 近くに落ちていたヘルメットも拾い上げ、小脇に抱えてバイクのエンジンを切ろうとした。

 

 ――その瞬間、翔一の知覚が一つの『変化』を感じ取る。

 

「…………!」

 

 脳髄に走る鋭い光。翔一の笑顔を一瞬にして奪い去る、()まわしき感覚。

 

 翔一はバイクのハンドルを握り、その傍に立ったまま指を震えさせた。

 彼にとって、この感覚には確かな覚えがある。一度は自分に関するほとんどの記憶を失った翔一でさえ、この感覚までは忘れることができなかったほど。

 身体に染みついたもう一つの記憶。遺伝子に刻み込まれた光の因子。翔一の記憶は眠ったままでも、その感覚は、あるべき光の姿を否が応にも翔一の身体に目覚めさせようとする。

 

「この感じは……」

 

 もう、終わったはずだ。翔一は長い戦いの末に、自らの居場所と愛する者たちの居場所を守り抜いたはずだった。

 頭を貫く光を振り払おうとする。しかし、どれだけ拒んでも光は翔一の身体を突き動かす。

 

 逆らうことができない。翔一の肉体に、その魂に、深く刻まれた光の記憶に。

 

「……どうかした? 何か様子が変だけど……」

 

 先ほどとは明らかに様子の違う翔一を心配し、お燐が声をかける。翔一の額にじっとりと浮かんだ汗は、灼熱地獄跡の暑さから来るものではない。逃れたくても逃れられない、光ある宿命への苦悩。闇の中にあるしかない戦士の苦悩だ。

 翔一は手にしたヘルメットを素早く被り、バイクに跨る。炎に照らされてもなお暗く感じられる灼熱地獄跡は、翔一が乗るバイクのヘッドライトから伸びる光をより明確に、はっきりと映し出している。それはさながら、翔一を導かんとするが如き『光の力』の縮図でもあるようだ。

 

「ごめん! 俺、行かなくちゃ!」

 

 ヘルメットのバイザーを下ろし、それだけ言うと、翔一はバイクのハンドルグリップを握りしめて走り出す。力強く回転するタイヤが地面を削り、バイクは勢いよく灼熱地獄跡を飛び出した。

 

「ちょ、ちょっと! お兄さん! そっちは危ないってば!」

 

 お燐は未知の乗り物がいきなり唸り出したのにも驚いたが、翔一を乗せたバイクが向いた方向に肝を冷やす思いを抱いていた。

 彼が向かおうとしているのは地上でも地霊殿でもない。かつて強大すぎる力を手にしてしまい、その力に飲まれて暴走した結果、地上から現れた博麗の巫女によって調伏されたお燐の親友が働く場所だ。

 親友の仕事は、ここと繋がる場所に設けられたとある研究施設の管理。不用意に踏み入れば外来人とて容赦なく侵入者と見なされ、親友の手によって始末されてしまうのは明白だ。

 

 お燐は咄嗟に妖怪として人の身に至る以前の姿――すなわち地底の動物として長く生きてきた黒猫の姿に戻る。腹部の赤い毛並みが目立つ双尾の黒猫は、お燐が持つもう一つの身体にして、彼女の生来の姿である。

 バイクが動き出す直前、お燐はなんとかその後部にしがみつくことができた。身軽な猫の姿でなければ、すぐに振り落されてしまっていたことだろう。

 そんなお燐の姿に気づかず、翔一は真っ直ぐに銀色のバイクを走らせる。灼熱地獄跡を抜け、暗く狭い通路を真っ直ぐに駆けていく。

 たとえ一寸先も見えぬ闇の(みち)だとしても、未来への光(ヘッドライト)はその道を照らし指し示した。

 

◆     ◆     ◆

 

 旧地獄の中心に燃える灼熱地獄跡から、やや離れた位置。ここには、幻想郷らしからぬ近代的なエネルギー機関を備えたとある施設が存在している。

 妖怪の力を借りているとはいえ、未だ文明レベルの低い幻想郷に産業革命を起こすべく、地上の神が地獄の妖怪に与えた力、太陽の力である『核融合』。高い技術力を持つ外の世界の文明においてなお完全な実用化には至っていない核融合反応炉の研究と実験のため、地底と地上を繋ぐほどの深い縦穴として建設されたのが、この『間欠泉地下センター』と呼ばれる施設だ。

 

 この施設の管理、および侵入者の排除を任せられた妖怪の少女、地獄鴉(じごくがらす)である 霊烏路 空(れいうじ うつほ) は、旧地獄が現役の地獄であった頃からの長い付き合いを持つ親友のお燐と同様、共に妖怪でありながら地霊殿のペットとして飼われている動物の一匹だ。

 彼女はお燐から愛称として『お(くう)』と呼ばれるのを気に入り、他の人にもそう呼んでもらうことを好んでいる。

 生まれ持った(からす)の姿から人間の姿に至ったお空は、長い黒髪を緑色の大きなリボンでまとめており、白いブラウスに短い緑色のスカートを穿()いている。生来の鴉の妖怪として背中から突き出した巨大な黒い翼には、裏生地に広大な宇宙を描いた白いマントが覆い被せられていた。

 

 お空の胸には深紅に輝く巨大な眼が埋め込まれている。彼女の胸部全体を覆わんばかりに大きく開かれたそれは、太陽の化身とされる『八咫烏(やたがらす)』と呼ばれる神の眼だ。

 お空は地上の神に(そそのか)され、神の火である『核融合を操る程度の能力』を得て以来、姿が大きく変わってしまった。

 胸に輝く八咫烏の赤い眼も含め、その姿は普通の妖怪とは一線を画している。

 

 分解を司る左足を中心に回っているのは、電子のような小さな光。融合を司る右足は()けて冷え固まった鉄の塊で覆われたように重厚な外観をしており、それはさながら『象の足』にも似た様相を(てい)している。

 さらに右腕に装備された六角柱は核融合を操るための『制御棒』としての役割を持ち、それそのものが八咫烏を彷彿(ほうふつ)とさせる第三の足のようでもあった。

 間欠泉異変が起きていた頃においては強大すぎる八咫烏の力に増長して暴走してしまったが、今はしっかり反省してその力をコントロールすることができている。完全に使いこなせているとは言えないものの、今のお空には地上世界を焦土に変えてやろうなどという野望は毛頭ない。

 

「…………」

 

 陽炎揺らめく間欠泉地下センターの最深部。核融合発電所の中心で、今、お空が相対しているのは、見たこともない一体の怪物だ。

 妖怪と呼ぶには物質的で、妖獣と呼ぶには理性的。否、どちらかと言えば神に近い存在であるようにも見える、不思議な気配を放つ異形の何か。お空の目には、それは人間のように二本の足で立つ(ヒョウ)のように見えた。

 怪物はネコ科の動物特有の鋭い瞳孔を持ち、宝石の如き眼でお空の姿を睨んでいる。溢れる神性は高い知性を感じさせるが、怪物は未だ一度も言葉を発さない。

 黄色い毛並みにところどころ混ざる茶色い斑点模様はお空の見立て通り、この怪物がヒョウやジャガーなどの肉食哺乳類に通ずる存在である証。されど、首に巻く赤いマフラーと背中に残る小さな翼、古代神話の様式めいた格調高い装飾を纏ったその姿は、動物の範疇を超えている。

 

「……あなた、旧地獄の動物じゃないね。もしかして、地上から来た妖怪?」

 

 ヒョウの怪物が何を考えているのか、意思の疎通は可能なのか、お空にはまったく判らなかったが、彼女にとってそんなことは関係ない。この怪物が如何なる存在であれ、間欠泉地下センターに許可なく踏み入ったことは事実。

 ならば、核融合を操る力を持ってこの施設の管理を任された身、主に言いつけられた通り、この存在を、炉心の障害となる異物を排除するのみだとして、お空は戦闘体勢に入った。

 

「どっちにしても侵入者なら、容赦なく叩き潰すよ!」

 

 お空は左手にエネルギーを溜め、手の平に輝く核熱の光球を生成する。ふわりとそれを振りかざし、横一文字に腕を振るってヒョウの怪物に無数の光弾を撃ち放った。

 普段ならそれは弾幕ごっこに用いられる程度の弱い力だが、妖怪としての知覚が直感的に判断したのか、お空は無意識のうちに、未知の怪物に対して本気の攻撃を仕掛けていたようだ。

 

 光弾は容赦なく突き進み、怪物の身体に当たって炸裂する――はずだった。

 

「えっ……?」

 

 お空は手加減などするつもりもなく、ただ怪物を排除しようと弾幕を解き放った。しかし、光弾はヒョウの怪物の目の前で静止したかと思うと、力なく消え去ってしまう。お空の攻撃は、怪物の身体まで届いてすらいない(・・・・・・・・)ようだ。

 難しいことを考えるのは苦手なお空ではあるが、慣れ親しんだ弾幕の射程を見誤るわけがない。お空の光弾は、確実に命中する距離にあったはずだ。それなのに、怪物は何かした様子を見せることもなく、お空の攻撃を避けることすらせず無力化した。

 お空にとって、(たま)が当たらないということはよくあったが、弾が届かないという経験は初めてのことだった。

 戸惑うお空を見て何を思ったのか、ヒョウの怪物は自身の胸の前にその右手を持ってくる。お空に手の甲を見せ、そこに左手の指をもって何らかの紋章(サイン)を切るような動きを見せつけた。

 

「…………」

 

 ただ一息、ヒョウに似た姿を持つ超越生命体、『ジャガーロード パンテラス・ルテウス』は(しゅ)への敬意を示す。そこに言葉はいらない。不完全で曖昧なヒトの持つ言語など、必要ない。

 

「……だったら、今度はもっと火力を上げて!」

 

 お空は左手を空高く掲げ、手の甲を正面に向けて親指と人差し指を立てる。八咫烏の力で起こす核融合反応は、地獄鴉であるお空の妖力を高温高圧に圧縮し、その頭上に膨大なエネルギーの塊を生成した。

 輝く核熱の光球はすでにサッカーボールほどの大きさを優に超えている。お空の頭上に掲げられた光球はさながら小さな太陽の如く、間欠泉地下センターの最深部を照らしていた。

 

「黒き太陽、八咫烏様! 私に力をお貸しください!」

 

 内なる神に、太陽の分霊に願い立てる。最後に渾身の力を込め、左腕を大きく振り払うと、お空と八咫烏の力は無数の光線となって降り注いだ。

 一つ一つが高エネルギーの塊である光線状の弾幕が次々にヒョウの怪物、パンテラス・ルテウスを目掛けて解き放たれるが、怪物はそれを避けようとはせず、ただそこに立っているだけ。

 

 標的はまったく動いていない。それなのに、お空の放った弾幕は怪物に対し、掠りもしなかった。直線にしか動くはずのない光線は、怪物の近くに来る度に捻じ曲げられ、間欠泉地下センターの地面に矛先を変えられてしまう。まるで弾幕の方が怪物を避けているかのようだ。

 

「…………」

 

「な、なんで……!?」

 

 パンテラス・ルテウスの無言の威圧感に、さっきまでは何も感じていなかったお空も恐怖の感情を抱き始めている。妖怪でもなければ神でもない、まさに正体不明(・・・・)の怪物を前にして、お空は数歩後ずさった。

 恐怖を自覚するより前に、瞬く間に距離を詰められてしまう。次の攻撃を迷っている暇もなく、気がつけばパンテラス・ルテウスはお空の目の前まで接近していた。この距離では、自慢の弾幕もあまり有効ではない。

 間欠泉地下センターの壁際まで追い詰められたお空は自身の黒い翼が熱された鉄板の如き壁に触れる感覚に気がつき、後退の道が断たれたことを知る。咄嗟に制御棒を振りかざすが、怪物は持ち上げた左腕で容易くそれを受け止めた。

 目の前の怪物、パンテラス・ルテウスはしなやかな筋肉に満ちた己が右腕をお空の身体にかざす。直接触れられているわけではないのに、お空は首に見えない力が加わるのを感じた。

 

「ぐっ……!?」

 

 見えざる力によって呼吸を制限される苦しみの中、お空の視界に映るパンテラス・ルテウスの頭上に青白い光が浮かび上がる。

 それは薄い円盤の形を象っていたが、神々しく儀式的なその光は、さながら古代の神話や聖書などに登場する『天使』の光輪のようだった。

 直後、お空は自身の翼が燃え上がるような激痛を感じ、顔を歪める。振り返って翼を見ると、間欠泉地下センターの壁に自身の翼が()けていくではないか。お空は目を疑ったが、背中から伝わるこの痛みは疑いようもない。

 このまま力を加えられ続ければ、お空の身体は壁と一体化し、やがて朽ち果てるのを待つだけとなる。お空は感覚的にそれを予見し、そこでようやく恐怖の感情を自覚した。

 

「負ける……もんか……!」

 

 苦痛に歪む意識を堪え、渾身の妖力を右腕に注ぐ。地獄鴉として生まれ持つ自身の力と、神に与えられた八咫烏の力。二つを一つに混ぜ合わせ、制御棒の先端に輝く光の玉と成す。

 核熱のエネルギーに満ちた制御棒を怪物の胸に突き立て、壁に埋まりかけた自身の身体を砲台とし、接射の状態で力を解き放った。

 お空を中心に凄まじい爆発が起きる。それはパンテラス・ルテウスをも巻き込み、辺り一帯を白光に染め上げるほど。生じた轟音と爆風は、間欠泉地下センターの一部を打ち砕いた。

 

 砲撃の直撃を受けたはずのパンテラス・ルテウスは大したダメージを負っていないらしい。何らかの超常的な力に守られているのか、損傷と言える損傷は怪物が首に巻く赤いマフラーに多少の焦げ跡がついた程度だ。

 装飾に誇りを持つ怪物は、煙に包まれたお空に苛立ちを向ける。もはや命はないだろうと判断した様子で、怪物は張り詰めた力を抜いてトドメを刺そうと歩み寄っていく。

 

 黒煙を突き破り、現れたのは光熱のエネルギー弾だった。お空が続けて放った光弾は怪物の胸に命中し、再び大きく爆発を起こした。

 仰け反るように吹き飛ばされたパンテラス・ルテウスは胸に傷と焦げ跡を負い、晴れ広がる黒煙の中心に、五体満足で立っているお空を強く睨みつける。怪物の身体にはお空の放った光弾によるダメージがあるものの、あまりに微弱すぎるそれは深手を与えたとはとても言いがたい。

 

()ったた……もう少し抑えてもよかったかな」

 

 爆発により、砕けた壁から脱出できたお空が服の(すす)を払って立ち上がる。

 下手をすれば自身にも致命傷となり得る規模の爆発だったが、発射の瞬間に八咫烏の力が高密度の磁気シールドを形成してお空を守ってくれていたようだ。

 パンテラス・ルテウスに放った攻撃はすべて何らかの力によって受け流されていた。お空はそれに気づき、力の流れを利用することで壁を破壊、その拘束から脱出できたのだ。

 

 咄嗟に放った光弾は怪物に命中した。ならば、まったく攻撃が通用しないというわけではないはず。お空はなぜ攻撃が届いたのかを気にする様子もなく、自分の攻撃が怪物に当たったということに喜びを見出し、小さく笑う。

 エネルギー弾で怪物を吹き飛ばした際にそれなりの距離を稼ぐことができたため、今ならば弾幕のポテンシャルを十分に発揮できるだろう。

 怪物は飛び道具を持たないのか、お空の生存を確認すると、再び距離を詰めようとする。

 

「…………」

 

 ――しかし。怪物はお空を前にしている状況において、どこか別の場所に注意を向けているようだった。

 パンテラス・ルテウスの視線の先は、間欠泉地下センターに設けられた横穴の通路。お空が破壊した壁のすぐ近くである。

 お空はその行動を訝しんだが、すぐにその意味を理解した。豪々(ごうごう)と駆動する核融合炉の音に混ざって、別の駆動音が聞こえてくるのだ。唸るような機械のエンジン音は灼熱地獄跡へと通ずる通路の闇の中を突き抜け、この場所まで届いてきた。

 その音の正体を確かめるべく、お空も怪物と同じように横穴の通路に意識を向ける。

 

 深く暗い通路から姿を現したのは、銀色のボディを持つ大型のバイクだった。それは急ブレーキによって間欠泉地下センターの地面に摩擦を起こし、炎を上げんばかりの摩擦を帯びたタイヤでもって車体を急停止させる。

 停止したバイクから飛び出す小さな黒い影。影は放物線を描き、ゆっくりと宙を舞った。

 

「にゃうい!?」

 

 バイクが急停止したことで、慣性の法則に従って吹っ飛ばされた小さな黒猫――猫の姿になっていたお燐は素っ頓狂(すっとんきょう)な鳴き声を上げ、四肢を振り乱した。咄嗟に地面に足を向け、肉球に彩られた四足で着地する。猫の姿でなければ感覚が掴めず、背中を打ちつけていたかもしれない。

 

「また侵入者!? ……って、お燐? 何やってるの?」

 

「お空こそ! さっきの爆発は……っていうか、何その怪物!?」

 

 通路から現れた新たなる来訪者に対し、お空は一瞬警戒するが、慣れ親しんだ妖気と声は警戒心を緩ませた。お空の親友であるお燐は猫の姿から再び人間の姿に戻り、服の一部を焦がしたお空を心配して駆け寄る。

 パンテラス・ルテウスは一瞬だけお空とお燐を見るが、攻撃の対象はすぐに別の存在へと向けられる。その対象は無論、バイクに乗ってこの場に姿を現した人間、津上翔一だ。

 

「アンノウン……!」

 

 光の導きに従い、間欠泉地下センターに足を踏み入れた翔一が驚く。ヘルメットのバイザーを上げ、肉眼で『それ』を見た瞬間――無意識のうちにその名を漏らしていた。

 

 彼はこの怪物を──ジャガーロードに分類されるパンテラス・ルテウスの姿を知っている。そうでなくとも、この脳髄を(まばゆ)く染める感覚は疑いようもなく、己が魂に根付いた光の記憶がもたらすもの。相対するのは、これまで幾度となく戦ってきた怪物のうちの一体。

 人智を超え、自然の法則を超えたその存在は、過去に全滅したとされる『未確認生命体』を遥かに凌ぐほどの戦闘能力を持っていた。

 未確認を超える未確認。一切の情報もない正体不明の怪物。彼らと遭遇し、その存在を認識した警視庁は、それをただ正体不明の意味のまま『アンノウン』と呼称するしかなかった。

 

 バイクから降り、ヘルメットを外した翔一がお燐とお空の前に歩み出る。

 お空は突如として現れた銀色のバイクに、お燐は間欠泉地下センターに我が物顔で存在しているヒョウの怪物に目を奪われ、その場から動くことができない。

 揺らめく陽炎の熱に赤いマフラーをはためかせるパンテラス・ルテウスは翔一に向き直ると、彼の中にある光の力の存在を確信した。

 そして再び、お空にそれを見せたときと同じく、怪物は右手の甲に左手の指で紋章を切る。

 

「…………」

 

 ヒョウの姿をしたアンノウンはこの場において、翔一の存在を何より強く警戒している。怪物にとって、その内にある光はどんな物質よりも確かなものなのだろう。

 

 翔一は左手を左腰に添えると、そこへ右手を重ねるように突き入れる。すかさず右手を正面へ突き出し、間髪入れずに伸ばした右手を右胸の前まで引き戻しながら、翔一は頭の中に光の形を思い浮かべた。

 この身体に、この魂に。深く刻まれた光の記憶を。有史以前の遥けき過去より、大地と共に未来を歩むすべての人類が、どこまでも魂に宿し続ける――揺るぎなき輝きを。

 

 その意思に応えるように、翔一の身体に変化が起こる。腰の中心に黄金の光が渦巻き、黒く神秘的な留め金(バックル)を形成する。同時に力強く腰を一周する赤い帯は、まさしく光輝のベルト(・・・)として身に着けられていた。

 身体に秘めた光の粒子が具現化して現れた『オルタリング』と呼ばれるベルト。バックルの中心には黄金の輝きを持つ『賢者の石』が埋め込まれており、その左右にはそれぞれ風と火の力を宿した竜珠(りゅうじゅ)『ドラゴンズアイ』が組み込まれている。

 もはや翔一の本能は、このベルトがもたらす光の意思に導かれるかの如く、超然とした無我の境地に至っていた。ただ内なる声が呼びつけるままに、身体に馴染んだ構えを取るだけだ。

 

「はぁぁぁああ……っ」

 

 広げた手の平を閉じぬまま、手刀の如く鋭く立てた右手を右肩と共にゆっくりと正面に伸ばしながら深く息を吐く。芽生えた光を育てるように、限りない進化を促していく。

 大地そのものの脈動を思わせるオルタリングの鼓動。魂を響かせる心音はより大きく、翔一の身体に宿る光はより強く。

 息を吐き出し、脳髄を染める光に誓う。この身は人間であり、人間を超えるもの。願わくばもう一度、あの超常の存在に、アンノウンに対抗し得る『可能性』を、この身に(あらわ)すために。

 

「……変身っ!!」

 

 ただ一声。魂に秘める輝きを解き放たんと、叫び立てる。

 翔一は手刀と掲げた己の右手越しに睨みつけるパンテラス・ルテウスに、その輝きの真髄を証明するかの如く、声を張り上げた。

 伸ばした右手の手刀と左腰に添えた左手を自身の正面に突き出し、一瞬だけ交差させる。すぐさま両腕を腰の両端――腰に装うオルタリングのサイドバックルへと導き、それを叩いた。

 

 オルタリングから溢れる光をそのままに、翔一は怯むことなく悠然と歩を進める。向かう怪物、パンテラス・ルテウスも拳を握りしめ、豹の如き俊足をもってそれを振り抜くが、身を屈めた翔一はその一撃を容易く回避した。

 隙を見せた怪物に対し、翔一は屈んだままの状態で拳を低く構え、目の前にある豹の腹筋に拳を突き立てる。オルタリングによって強化された翔一の拳は、生身(・・)でもアンノウンにダメージを与えられるほどだ。

 加えて腹を押さえ後ずさるパンテラス・ルテウスに向かい、翔一は正面に真っ直ぐ蹴りを叩き込み、体重を乗せた一撃をもって怪物を吹き飛ばす。立ち上がった怪物は、どこまでも白く眩い光に包まれた翔一を見て、喉を鳴らした。

 琥珀色(こはくいろ)の瞳が憎悪に揺れる。そこに映るのは、パンテラス・ルテウスが(しゅ)(あが)める者の名を(けが)す、忌まわしき力。彼ら(アンノウン)にとって滅ぼすべきであり、人間(ヒト)が持つべきではない悪しき光。

 

ΑGITΩ(アギト)……!」

 

 パンテラス・ルテウスが怨嗟(えんさ)に満ちた声を上げる。光の中から現れたのは、黒曜石にも似た漆黒の強化皮膚を備えた超人(・・)だった。

 胸や腹には黄金に輝く神秘の鎧を纏い、その両肩には刃の如き白銀の装甲を装っている。同じく金と銀の装甲に彩られた膝と(すね)、手足の鎧や腰に着けられたオルタリングも含め、滲み溢れる光の波動は、その由来を知らぬお空とお燐でさえ神々しさを覚えるほど。

 頭部に掲げる黄金の双角。神の(ことわり)に喰らいつかんとする白銀の大顎。額には天地を見通す小さな青を輝かせ、両目となる複眼は人類が持ち得た原初の知恵、すなわち火を思わせるような赤に染まっている。

 それは津上翔一が持つもう一つの姿。同時に、彼の世界(・・・・)の人類が背負う未来の光であり、人間が持ち得る無限の可能性そのものとも言うべきもの。大地と共に歩むべき、大いなる光。

 

「…………」

 

 翔一が身に宿す『アギト』の力。金色(こんじき)の輝きを放つこの戦士は、遥かな神代(しんだい)の世において人類に与えられた『神』の力である。

 この力をもって翔一はアンノウンと戦い、やがて勝利した。有史以前から連綿と続く人と天使の争いに終止符を打ち、人類は限りない未来を約束されたはずだった。

 

 だが、目の前には倒したはずの(ヒョウ)のアンノウンが──ジャガーロード パンテラス・ルテウスが存在している。彼らは神に仕える正真正銘の『天使』であり、人類の中に芽生えたアギトの力を滅ぼそうとする者の使者として現れた。

 たとえこの身が人間でなくなったとしても、翔一の魂は人間としての誇りを捨てていない。天使が人類の可能性を否定するのなら、何度でも声を張り上げる。人の運命が神の手の中にあるなら、その力をもって奪い返す。己と人間の居場所のために。アギトとして、人間として。

 

 光と闇。人と天使の戦い。忘れ去られた幻想の果てで、終わりなき神話は再び紡がれる。




翔一くんのバイクってVTR1000F FIRE STORMっていうらしいですね。
トリニティフォームの必殺技のファイヤーストームアタックを思い出す名前だ。

次回、第9話『大地の記憶』

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