混譚~まぜたん~   作:ラゼ

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フォスフォフィライト・フィアフォレスト

 午後十時までにはベッドにインし、午前六時に起床する。猫たちのご飯の補充、トイレの掃除をした後に家を出て──時計の長針が一周りするくらいの時間、ランニングに(ふけ)る。戻った後に熱いシャワーを浴び、家族の食事を用意し始める……それが僕の日常だ。

 

 世界が違ったとしても、それは変わらない。起床時間とランニング、そしてお風呂だけは欠かせないし欠かしたくない。いつもと同じ行動をすることで、日常を逸脱した状況からくるストレスの軽減も狙いだ。

 

 新しい出会いや楽しさはあるにしても、それとこれとは別なのだ。人間というものは、ストレスに無自覚な生物である。体に異常が出始めてようやく気付くなんて話は、枚挙にいとまがない。自分で平気だと思ってはいても、予防のために行動しておくのは大事だ。

 

 体感でしか時間が計れないのは痛いが、僕の体内時計はかなり正確な方だ。走った時間は、一時間プラマイ五分以内に収まっているだろう。ついでに近場の地理もかなり把握できた。ご近所さんとの立ち話も何度か挟んだため、外に出ていた時間は一時間半といったところだろうか。

 

 街中に水路が走り、畑と住居が混在している様子はなんとも奇妙だ。街中に畑があることも、都会っ子からすると違和感しかない。どの場所でも、なんの植物でも育つという特殊性が、街の構造にも影響しているのだろう。

 

 見たところ排水は水路に垂れ流しの様だけど、しかし流れている水は澄んでいる。どういう浄水システムなのか興味深いな。江戸時代なんかは、リサイクルの理想形とも呼ばれるほどゴミが出なかったらしいが──この街もそうなのかな?

 

 色々と考えさせられる街並みを、クールダウンしながら見回す。物行き帰り共に視線を向けられまくったが、手を振ると振り返してくれる人も多い。人と人との距離が、現代より幾分か近いように思える……と、そんなことを思っている内にコタ君の家へと戻ってきた。

 

 ──しかしなにやら騒がしそうで、いったい何事かと首をかしげながら部屋へと向かう。縁側を通ると、庭には見事な家庭菜園があった。見たことのある野菜もあれば、よくわからないものもあるごった煮状態だ。朝ご飯に出てくるのだろうかとワクワクしながら通り過ぎると、部屋に近付くにつれ言い合いの声が大きくなってきた。

 

「お前! 双樹をどこにやったんだよ!」

「い、いや、だからね? ボクも知らないんだよ……朝起きたらいなくなってるし…」

「…だいたいテメエは誰だ? 人の家でぐーすか寝こけて……招いた覚えはねえが」

「だ、だだ、だってここで寝ていいって双樹が言うから…!」

「双樹お兄さんは~、私たちと一緒に寝たのよ~?」

「わざわざ真夜中に外へ出て、知り合ったばっかの女を連れ込んで──それで自分はいなくなったってのか? 信用できるかよ」

 

 …ほほう、なにやら面白いことになっているようだ。あの後、外で野宿しようとしていたロゼを引き止めて、お屋敷へ連れ帰ったわけだが……わざわざコタ君を起こしてまで了解を取るのもなんだったので、事後承諾でいいかと部屋へ連れ込んだのだ。まさかこんなことになるとは。まあちょっと思ってたけど。

 

 とにかく誤解を解くために、ふすまを勢いよく開けた。ふらつきながら片膝をついて、息を荒げる。そしてそのまま力尽きたように畳へ倒れ込んで、息も絶え絶えにロゼを指差した。

 

「…やら……れた……そこの……女に……気をつけろ…!」

「まさかすぎるんだけど!?」

「テメエ…! うちの客人に何しやがった!」

「ごかっ、ごっ、誤解だよ! 双樹がボクを陥れようとしてるんだ!」

「ミーナ、ツバキ! ふん縛るぞ!」

「くっ……仕方ないな…! ──“トレィスプレゼーチェ”!」

「──っ!? …いっ──痛っだぁぁぁっ!?」

「ぐっ…!?」

 

 おお、ロゼがなにやら言葉を発したと思えば、全員が片足を押さえて跳び上がった。まるでタンスの角に足の小指をぶつけたような騒ぎだ。そしてその隙をついて、彼女が僕の方へ飛びかかってきた。寝転がっていたままだったので上手く避けられず、背中に馬乗りされてしまった。いや、馬乗りとは言えないか。重すぎて潰れてしまったので、『下敷きになってしまった』が正しい。

 

「重くない!」

「僕はなんの力も持ってないんだぜ? 君の体重を五十キロ程度だと仮定して……いま、ロゼは二メートル先から放物線を描いて僕の背中に飛び乗ったんだ。か弱い僕にとっては、ちょっとした事故レベルだよね」

「え、う……そ、それについては謝るけど…」

「じゃあ利息をさらに──」

「ダメー! これ以上あがると一生揉まれ続けちゃうよ!」

「それの何が悪いって言うんだ!」

「なんで怒られてるの!? ──というか、双樹が僕を嵌めようとするからだろ!」

「証拠はあるのかい?」

「君の心だよ!」

「おお、なんかちょっと感動的なセリフだ」

「…はぁ。ほんと、涙がちょちょぎれそうだよ」

「ところで、さっきの『トレィスプレゼーチェ』っていうのは…?」

「え? ああ、あれは『ボクが過去に体験した痛み』を他人に追体験させる技だよ。実際に怪我させるわけじゃないから、牽制に便利なのさ」

「いや、そうじゃなくて技名の方。声に出さなきゃ技も出ないのかい?」

「へっ? あ、いや……な、なんだよう! 技にどんな名前を付けようが、ボクの勝手だろ!」

「…」

「なんなのさ! 思春期特有の病気って…! そっ、そういうレッテル貼りが個性を失わせるんだ!」

「…」

「納得しながら憐れむのはやめてよ!」

「…」

「だっ…! ま、またエッチなこと考えてぇ…!」

「…」

「えっ? なに? ボクが頭おかしい人になってる…? ──はっ!」

 

 僕の背中の上で、ブツブツと一人で喋っているヤバい奴……それが今のロゼを客観的に見た時の評価だ。彼女がバッと振り返ると、四人全員が一斉に目をそらした。意思疎通のできない、不気味な力を持った存在に対しては、大変に適当な行動と言えるだろう。

 

「はは、冗談だって。ごめんねみんな、ロゼは僕の友達なんだ。こんな風に……ちょっと頭のおかしいところもあるけど仲良くしてあげてよ」

「そんなひどい紹介ってある!?」

「つーかお前、いつの間に連れ込んだんだ…?」

「そりゃあね、コタ君。良い男の傍には良い女が寄ってくるもの……ん? …良い男の傍には、女が寄ってくるもんさ」

「わざわざ『良い』を外さなくてもいいじゃないか!」

「良い男には、都合の良い女が寄ってくるもんさ」

「だからって増やさないでほしいんだけど!? …はぁ……流石に突っ込み疲れてきたよ…」

 

 なんとも言えない表情でへたり込むロゼを見て、何かを察したようにため息をつくコタ君。とりあえず不法侵入者ではないことを理解してもらえたようで何よりだ。事後承諾になったことを謝罪すると、肩をすくめてニヒルな笑いを零された。様になっていて実にかっこいい。

 

 朝食の用意が整っているそうで、汗を拭いてから居間へ来いとのことだ。シャツを脱いで上半身裸になり、濡れたタオルで体を清めていると──ツバキが近付いてきて、僕の体をクンクンと嗅ぎ始めた。もしや匂いフェチなのだろうかと彼女の将来を心配し始めたところで、なにやら訝しげな表情で問いかけられる。

 

「…なんで双樹から、ちよの匂いがするんだ?」

「え? ああ……桃千代の布団で寝てたから、匂いが付いちゃったのかな」

「ぶっ──!? おまっ、なっ……どういうことだよ!」

「いやほら、ロゼは僕の布団で寝てもらったからさ。僕にも寝る場所は必要だろ?」

「だからってなんで私なんだよ!」

「だって、ミーナとツバキを畳に放り出すのは忍びないし…」

「私、追い出されてたのか!? 同衾(どうきん)よりひどい!」

「冗談冗談、ちゃんと僕の腕の中でスヤスヤ眠ってたさ」

「どっちだよ!」

「どっちがいいの?」

「どっ…! どっちって……そりゃ…」

「よし、今だロゼ。読んでくれ」

「今までの人生で一番ゲスい頼みだよ…!」

 

 ロゼは人の思考が漠然としたものだと言っていたが、それは正しくもあり、しかし全てを伝えてはいないと思う。思考に耽っている時や、問いに対する答えを用意する時、人は言葉には出さずとも脳内で形象(けいしょう)しているものだ。

 

 特に、僕が桃千代に問いかけたような二者択一の問題であれば、明確な答えが心の中に映し出されていることだろう。さあ! 早く教えるんだロゼ──ぐっふぅぅ!!

 

「卑しい行為はダメだよ、双樹」

「いやらしい行為と言ってほしいな」

「もっとダメだろ!?」

 

 お腹を殴られるのは別にいいんだが、もし力加減を間違えられると、上半身と下半身が泣き別れるのは間違いないだろう。なるべく控えてほしいものだ。

 

 とまあ、そんなこんなで食堂へ向かうと、立派な朝食が用意されていた。湯屋とは違って野菜も豊富に使われている。みんなできっちり手を合わせた後、食事が始まった。『いただきます』は六百年先の異世界でも使われているようで、文化というものの根強さを感じられる。屋敷の格式に反して、作法に厳格というわけでもないようで、みんなで(かしま)しくお喋りに興じる。テレビも何もないと、団欒(だんらん)の大切さがよくわかるものだ。

 

「…あ、そうだコタ君。なにかお手伝いできることとかある?」

「あん? なんだよ急に」

「お世話になってるのに何もしないってのはちょっとね。雑用でもなんでもやるぜ」

「…つってもなぁ、力仕事は向いてねえだろうし……なんか特技とかあるか?」

「うーん……炊事、洗濯、お裁縫(さいほう)とかかな」

「オカンかお前は」

 

 不思議パワーがある時点で、男女の能力差は無意味なものになると思うが──それでも家事は女性中心のようだ。となると、これは単純に『男は家事が下手くそ』という話に帰結するのかもしれない。

 

「ま、そのへんは気にすんなよ。客人は客人らしくもてなされときな」

「うん、わかった。おかわりもらえる?」

「『居候(いそうろう)三杯目はそっと出し』って知ってるか?」

「そっ…」

「口だけじゃねーか! …ったく、ほらよ」

「ありがと。いやあ、上げ膳据え膳でなんだか申し訳ないね」

「全然申し訳なくなさそうなんだが」

「行動じゃなくて、言葉で示すのが大事なんだよ」

「逆だ、逆! 行動で示せ!」

「オカズが足りねえなあ、虎太郎」

「態度まで逆にすんじゃねえよ!」

 

 切れの良い突っ込みを入れつつも、お漬物をこちらに寄越してくるコタ君。オカンなのは彼の方ではなかろうか。そしてお漬物の方はというと、丁度いい漬かり具合でご飯がすすむぜ。細かく刻んだ高菜の醤油漬けを白米に乗せ、お茶漬けで食事を締めくくる。

 

 熱いお茶を啜りながらふと横を見ると、桃千代が満足そうな表情で畳に寝そべっていた。仰向けになるとぽっこりしたお腹がキュートで、つい触りたくなっちゃうな。胃下垂気味なのかな? いや、単純に食べ過ぎなだけか……コタ君含め、今まで出会った人が全て大食いだったことを考えると、強さの代償として燃費が悪いのかもしれない。

 

 …いや、違うか。あれだけの力を出しているのにこの程度の食事で済んでいるのだから、むしろ消費カロリーと摂取エネルギーの関係は、最効率を叩き出している筈だ。原種との格差がますます理解できて、悲しい限りである。

 

「桃千代たちはどうするんだい?」

「私たちは外でなんか狩ってくる。肉も食いたいしな」

「…大丈夫なの? いくら強いっていっても、子供だけであんな魔境に出るのは…」

「大丈夫だろ。ガキっつっても、十三支族の系譜だしな」

「ぎくっ」

「な、なんで~?」

「着物に『猫柳(ねこやなぎ)』って刺繍(ししゅう)してんじゃねーか」

「勝手に見るなよー! 変態!」

「手入れしてやったんだっつーの。袖口(そでぐち)掛衿(かけえり)も汚れ散らかして、着物が泣いてるぜ……悉皆屋(しっかいや)としちゃ、そのままにしてらんねぇな」

 

 うーん……ツンデレもここに極まれり。洋服と違い、和服のお手入れは非常に面倒なのだ。そもそも頻繁に洗濯するようなものではないのだから、彼女たちのように動き回ったり、ましてや狩りに出るような人間が普段着にするものじゃないんだけど。

 

 ただ素材が僕の知るどんなものとも違うようだから、手入れも実は簡単なのかもしれない……しれないが、コタ君が気遣いのできる男という事実は変わらない。迷惑をかけられた相手に食事を施し、寝間着を貸し与え、着物の手入れまでしてあげる優しさよ。というかあの風貌で悉皆屋って意外すぎるな。

 

「ロゼはどうする?」

「ボクは……どうしようかな」

「やること無いんなら、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」

「…! ──ああ、なんでも言ってくれ! と……友達の、頼みごとだからね…!」

「ありがとう。じゃあまず、僕に服従を誓ってくれるかい?」

「友達じゃなくなってるんだけど!?」

「転移した辺りを調べてみたいんだけど、一人じゃ遠すぎてさ。そもそも辿り着く前に死んじゃうだろうし」

「護衛と、足代わりになってほしいってことかい? そのくらいならお安い御用さ」

 

 拳で胸を叩き、任せろとでも言うように胸を張るロゼ。ちょくちょくと芝居がかった動作をする姿は、見ていて少し恥ずかしくなってしまう。とはいえ外に出る以上、彼女が僕の生命線だ。機嫌を損ねないよう、お世辞の一つでも言っておこう。

 

「いやあ、ロゼは本当に頼もしいねえ」

「全部聞こえてるからね!?」

 

 おっと、しまった。仕方ない、誤魔化すために妄想を膨らませよう。ロゼの着物は見たところ──桃千代たちのものよりも、更に謎の素材で出来ているようだ。フルたちと同じく、最先端の技術によって作製された代物なんだろう。真っ白な出で立ちでありながら、染み一つ見当たらないのがその証拠だ。

 

 そして着物と同様に、見えている部分の肌には傷一つない。潤いたっぷりのキメ細やかな白い肌は、シルクのような滑らかさを覚える。本来、着物とはスタイルの良さも悪さも引っくるめてわからなくしてしまうものだが、しかし彼女の立ち姿を見てしまえばそんな常識は霞んでしまう。

 

 厚めの(たん)越しでもわかる均整の取れた肢体は、新雪のような美しさを魅せる着物ですら、引き立て役に成り下がる。顔立ちは日本美人を思わせるが、どこか欧州の血を感じる美麗さも伴っている。細く小さな手は、まるで白魚のようだ。

 

「あぐっ……や、やめ──うぅ…! 顔から火が出ちゃうよ…!」

 

 しかし……なんというか、アレだな。わざわざ言ったりはしないようだが、心を読めることを隠そうとはしないんだ。他の場所でも『追い出された』と言うからには、ことさらに隠そうとはしなかったんだろう。己を装いたくはないってことかな? だったらおっぱいも隠さずにいてほしいものだ。

 

「どういう結論!?」

 

 しかしロゼがこのままの態度を貫くなら、遠からずコタ君たちも察してしまうだろう。彼等の度量が低いなんて言いたくはないけれど、そう簡単に受け入れられるような能力じゃないのも確かだ。最悪の場合、僕の分のおっぱいを分ける可能性も視野に入れておこう。

 

「どんだけおっぱいに可能性感じてるの!?」

 

 とりあえずみんなが怖がっているから、独り言はやめてほしいものだ。たとえ怖いもの知らずの不良でも、壁に向かって話しかけている人間には恐怖を覚えるものだ。客観的に見て、今のロゼはそんな感じである。

 

「う…」

「あー……その、なんだ。大丈夫か? 色々と」

「ごめんね、コタ君。できれば優しく見守ってあげてよ」

「お、おう…」

「くっ…!」

「まあ、なんつーか……外に出るんなら気をつけろよ。命あっての物種ってもんだ──過去だか未来だか知んねえけどよ、帰れねえってんなら居着いちまやいいさ。住めば都って言うしな」

 

 コタ君の優しさが身に沁みるぜ。しかし帰還を諦めるつもりは毛頭ない。家族も友人も愛猫も、とても大切な宝物だ。簡単に諦められるほど安いものじゃない。ま、悪縁契り深しとも言うし、それを信じるならば、元の世界との縁はきっと続いてる。

 

 切っても切れない“絆”ってやつが、僕にはある。最近では前向きなイメージが強いが、“絆“とは元来、呪縛や束縛といった意味合いが強い言葉だ。それに苦しめられたこともあるし、感謝したこともあるが──なんにしても大切なことには変わりはない。

 

 兎にも角にも、帰還のためには心当たりを片っ端から調査していくしかないのだ。フルたちが帰ってきてからの予定ではあったが、ロゼが彼女たちと同じくらい強いというなら、前倒しで進めてしまってもいいだろう。

 

 余りご飯でおにぎりを作ってもらい、竹の水筒を頂いて外へ向かう──そこでふと気付いたのだが、ロゼの荷物はいったいどこにあるんだろう。まさか手ぶらでここまで来たわけでもないだろうし。コタ君に見送ってもらいながらそんなことを考えていると、思考を読まれたのかすぐに答えが返ってきた。

 

「──もちろん手ぶらだよ。この服は形状記憶繊維だし、汚れも自動で落ちるからね。他に要るものなんて……ふふっ、希望と情熱くらいさ」

「うわぁ…」

「な、なな、なんだよ『うわぁ』って!」

「いや、うん……大切だよね、希望と情熱。わざわざ口にするのは(はばか)られるけど」

「むぅ…」

「にしても、だよ。着るものよりもさ、食糧事情の方が重要じゃない? 現地調達だけじゃいくらなんでも…」

「ああ、それは──必要ないから大丈夫なんだ。ボクたちの種族は、食事の必要がほとんどないし」

「…マジ?」

「マジもマジさ」

「でもさっき食べてなかった?」

「食べられないわけじゃないけど、食べなくても生きていけるんだよ。正確に言うなら、エネルギーの補給は『ウィス・ウィーウァ』に依存してる」

「ウィス…?」

「昨日説明を受けてただろ? 世界中に漂ってるエネルギーの総称だよ。場所によって結構呼び方も変わってくるけどね」

 

 …なんともはや、人間をやめかけていないだろうかそれは。世界中に漂っているエネルギーが生命の源だと言うならば、エコロジーなんてもんじゃない。もっとも世界に優しい生物とすら言えるだろう。

 

「…そうさ。まるで世界がそうあれと望んでるように……新しい異世界を発見する度に、人は変わっていく。人という種族が進化していく度に、どこか人間性を失っていくんだ。そして行き着く先は、遺伝子の記憶集合体……完全なる一本の系統樹が成った時、人類は──」

「うわぁ、うわぁ…」

「二回も言った!」

「そういう小難しい話は、学者さんとかに頼むよ。僕は壮大なストーリーより、小さな日常の話が好きなんだ」

「むむ……男の子なんだからさ、もっと夢見ようよ」

「平凡な日常にだって、ドラマは潜んでるもんさ」

「…ふふ、今の君が言うと説得力あるね」

 

 街の外に出ると、文字通りおんぶに抱っこで『最初の場所』へと運んでもらった。巨大樹というわかりやすい目印があってよかった。加えて、ロゼは心を読めるから僕の体調もお見通しなのだ。酔って吐き気をもよおす前に速度を緩めてくれたりと、至れり尽くせりである。

 

「うーん……何もないか。ロゼはなにか感じない?」

「ううん、特には」

「…そっか。無駄足だったかなぁ…」

「…」

 

 どうしたものか。というかここがダメなら、他に当てがなさすぎて困るんだけど。目を凝らして辺りを見回すが、やはりおかしいところはない。魔法陣とか祭壇とかあればわかりやすいのに、現実は非情である。難しい顔で考え込んでいると、ロゼが少し固い笑顔で僕の手を掴んできた。

 

「…そんなに気落ちしないで。ちょっとこの辺りを“読んで”みるから」

「…どういうこと?」

「──記憶は魂に宿り、ウィス・ウィーウァがそれを保存し、投影する。ボクたち“イニマ”はそれを読み取るだけに過ぎない……濃い血を受け継いで、強い能力を発現させたイニマは、空間の記憶すら読み取れるのさ」

「へぇ…!」

「…」

「じゃあやっぱり──『そう簡単に過去の記憶は読めない』ってのは、嘘だったんだ。空間の記憶が読めて、人の記憶が読めないってことはないよね」

「…っ……正確には……読もうとしなければ読めない、だね。表層の意識は、ボクの意志に関わらず流れ込んでくるから」

「なるほど」

「…嘘ついて、ごめん」

「うん、もう君とはやっていけない。さよならだ」

「ええぇっ!? こっ、こういう時は笑って許してくれるもんだろ!?」

「ふぅ……いいかい? ロゼ。いま君は、困ってる僕に手を差し伸べてくれた。たとえそれが元で、僕が君の嘘を暴くだろうと察していても、だ」

「う、うん──それでもボクは、双樹のためならって…!」

「あざとい」

「ひゅいっ!?」

「僕におためごかしは通用しないぜ。あたかも僕への献身に見せかけた君の行動は、実のところ──挺身(ていしん)を装っただけの、好意のおねだりに過ぎない。『笑って許してくれるもんだろ?』なんて言葉が、その証拠さ」

「うぐっ…!」

「浅ましい。卑しい。最初っから見返りを期待してる。そんな助平(すけべ)根性丸出しの善意に──僕が(ほだ)されるとでも思ったのかい?」

「すごく感謝してくれてるけど!?」

「くっ……やっぱり厄介な能力だ」

 

 ある程度、僕のことを理解はしたんだろうけど──それでも拒絶する可能性はゼロじゃなかったんだから、能力を披露するにあたってのリスクはあった。そのリスクと可能性の差し引きが僕への信頼だと言うならば、全力で応えたいところだ。

 

「そういえば……ロゼはこの先、どうするつもりなんだい? 外に憧れて出てきたって言ってたけど、ずっと当てもなく冒険するするつもりなのかな」

「ん……冒険したいとは思ってたけど、ボクがここにいるのは『ある男』を追ってきたからさ。自分の意志とは、少し違うんだ」

「へぇ……その割には急いでるようには見えないけど」

「ああ、もう大丈夫。ボクが追わなくても()()()()()()()()

「…」

「…っ! だ、だからぁ! 別に意味深に言ってるわけじゃないんだって!」

「…」

「うぅ……つまりね? わかりやすく説明するなら、僕は犯罪者を追ってここまできたんだよ。特級の“シン”……あ、シンってわかる? そうそう、それそれ。この街で流行ってるっていう狂方病も、たぶんそいつが病原菌をばら撒いたんじゃないかな。浮葉だけしかいない状況で、自然に発生するようなものじゃないしね」

 

 わざわざ未開の地にまできて細菌をばら撒くって、どんな人間なんだろう。頭の具合が異次元すぎて、理解したくもない。そしていったい、どこが大丈夫なんだろうか。ほっておけばさらなる被害が出そうな気がするけど。

 

「『ルミナス』の三人もいるし……他にも……こっちはすごく意外だったけど──いや、確定はしてないか……でも限りなく正解に近い……だとすると大発見──」

「…」

「──はっ! い、いまのは違っ……違うからね!」

「いや……ほら、創作物とかならよくあることだけどさ。実際に誰かを目の前にしながら思考に沈んで、ぶつぶつ独り言を呟くなんて人間は──中々いないぜ。ちょっと尊敬」

「うぅぅ…! ほんとに尊敬してるのが腹立つぅ…!」

 

 会話してるのに、いきなり黙り込んで考え込む人間に出会ったことはあるだろうか? 僕はない。なにかを考えたり思い出したりするにしても、一言なりジェスチャーなりはあるだろう。いったいどんな交友関係をしてきたんだ──あっ…

 

「憐れむなぁ!」

「まあそれはそれとしてだよ。こんなとこまで来た理由が消滅したんなら、なおさらどうするつもりなんだい? 悪いけど、僕は自分の世界へ帰るのを諦めるつもりはないよ」

「…着いてく」

「それは──正直、正気を疑うけど。出会って一日も経ってない男に、何もかも捨てて着いてくるってのかい?」

「至って正気だよ。家族との別れなんて、外へ出るって決めた時に済ませてる。だって、ボクが欲しいものは、一番欲しいものは──」

「…そりゃまあ、友情は大切だと思うけど……あんまり固執するのはよくないぜ。今の君はさ、飢え死にしそうな時におにぎりを見つけたようなもんさ。ごちそうには程遠いけど、今が“足りてない”から、元々の価値以上に良く見えるってだけだよ。いつかきっとありふれるものに、人生までかける必要はないと思う」

「…“いつかきっと”……それは必ずくる未来なのかい?」

「ワンチャンあるって」

「軽い! ──というか! チャンスが一つなら! 今がそれだよ!」

「うーん……まあ……最後に決断するのは自分だもんな。後悔しないなら、好きなようにすればいいんじゃない? 口出しする義理はあっても、否定する権利はないしね……君が着いてくるって言うなら、僕は僕なりに、君が後悔しないよう尽力するよ」

「う、うん…!」

「ベッドが狭くなるのも我慢するさ」

「ベッドの一つくらいは用意してほしいんだけど」

「え? うーん……ダブルベッド、部屋に入るかな…?」

「なんで同衾(どうきん)前提なの!?」

 

 “選べる”のなら。それは幸福以外のなにものでもない。選択肢すら与えられない人間など、世の中に掃いて捨てるほどいるものだ。そんな中で、自分自身の行く末を選ぶことができるのなら、たとえ何がどうなっても責任は自身が負うべきである。だからこそ、僕がロゼに言うべきことは、もう何一つとしてない。

 

「さて、と……じゃあ気を取り直して、始めるよ。何時間前くらい前かはわかる?」

「んー……最後にスマホ確認してから……一回気絶してるんだよな。丸一日は経ってないと思うけど…」

「了解。じゃあ二十四時間前から、ざっと読んでみるよ」

 

 そう言うと、ロゼは少しのあいだ眼を閉じて──次にその瞳が開いた時には、燐光(りんこう)を伴った蒼碧(そうへき)の目を輝かせていた。ゾッとするほど美しく、淡く、そして儚く朧気に明減(めいめつ)している。今ならおっぱいを触っても気付かないのではないかと思い至り、そっと手を伸ばしたら……パシンと叩かれてしまった。実に残念だ。




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