鳥籠の中   作:DEKKAマン

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誘い

 52の白と36の黒、それら合わせて88。

 

 それ以上でも以下でもない。たったそれだけのものから奏でられる音がいつまでも、俺を掴んで離さない。

 これはきっと呪いだろう。でなければ、こんな苦しいはずがないのだから。

 

 

 

「私と組んでほしい」

「断る」

「……どうしても駄目なの?」

「何度も言ってるだろ」

 

 はたして何度目だろうか、この会話は。正確な数は両の指で足りなくなってから数えることをやめた。

 それだけ断り続けてきて、だというのに目の前にいる銀髪の女はそれでも誘うのをやめようとしない。

 こうやって聞き流されているのはこいつだってわかっているだろうに懲りずに話しかけてくる。

 

「はぁ……どうやったらお前は諦めるんだ」

「あなたが私とバンドを組めばいいのよ」

「それじゃ駄目だろ」

 

 何を言っているのかわからない、そんな風に思っているかのように首を傾げてくる。

 ああ本当に、どうしてこうなったのだろう。別にこいつが全て悪いわけでもないし、だからといって俺が全て悪いわけでもない。それでいて第三者が絡んでいる訳でもない。

 運が悪かった、そうとしか表しようがない。

 

「で、今日はライブの練習はしなくていいのか?」

 

 そう聞くとあいつはしぶしぶといった感じで奥の部屋に消えていった。

 初めて会ったのは1ヶ月前くらいだったか、それからあいつはしょっちゅうこのライブハウスに来てる。たまには俺を誘うためだけにも。

 そも俺だって毎日バイトをしているわけではないのだからどれだけ来てるのかはわからない。

 

 俺がここでバイトしだした時にはこうやって受付で話すことなど出来ないくらいには客がいたのだが、近くにカフェがあるライブハウスが出来ただなんだで最近あまり客は来ない。

 まぁここ数年の流行りはガールズバンドなのだしそういう方が人気なのは仕方がないのだろうが。

 

 あいつはあんなでもここらでは有名人らしく『孤高の歌姫』とかいう呼ばれ方をされているのを最近知った。

 歌姫とは大きく出たものだなんて思うものだが、それを認めざるを得ないのもまた事実である。

 

 あいつはいろんなライブハウスに出演していて、今日もそれがあるらしく今はその練習中とのこと。

 そんななら最初からそっちで練習すればいいのにとは思うが、もし聞いたとしても俺を誘うためと答えてくるだろう。もしかしたらここが他所よりちょっと安いからというのもあるかもしれないが。

 

「暇なんだろうな」

 

 なぜあいつがそんなにライブ回りをしているのかは知らないし、これといって興味もない。あったとしても多分俺みたいに誰かを誘うためなのだと思う。

 少しばかりの自意識過剰。そんなわけあるはずないと笑い飛ばせばいいのだろうが、急に笑えば随分と声が響いてしまう。

 

 あいつはいつも一人だ。他のところで待ち合わせをしているのか、それとも俺みたく誘った全員に断られているのか。

 前者ならばそれでいい、他に見つかれば俺への誘いもなくなることだろう。しかし後者に関しては想像がつかない、あいつからの誘いを断るということが。

 あの歌声を聴いて、それでも尚あいつの誘いを断れるやつなんて……そんな多くはいないだろうに。

 

 なんてことを考えてしまったがどうせハードなライブスケジュール、それに見合った練習時間を受け付けないとかだろう。または単純にあいつの目にかかっていないだけか。

 興味なんてない、そう思ってはいるものの暇な時間というのはそのようなものでも考えてしまいがち。俺は次の客を待ちながらあの時の事を思い出していた。

 

 

 

 初めて見たあいつ、それはステージの上に一人立つ姿だった。対バンというやつで他のバンドは少なくても三人はいる中、あいつだけがたった一人でステージに上がった。

 俺は後ろの方にいたからあいつの顔は見えなかった。それは前にいた客の盛り上がりが急に物凄くなったからというのもある。

 

 ──だがあいつが歌い始めると、周りは一気に静かになった。

 

 ただ意識から外されただけなのか、それともすべての客が空気を読んで黙っただけなのか、どちらなのかは今では知りようもないことだ。

 まるで海の底、山の頂上、空の果て。静かで、綺麗で、だけどどこか恐ろしかった。

 

 それは聴いたこともない曲。こういったところでバイトしているということもあり流行りの曲、ちょっと古かろうと知らないことはあれど聞き覚えはあるものなことが多い。

 だというのに知らない曲。後で聞いてみればオリジナルの曲だと言う。

 誰が作ったのか。あいつの友人か、それともあいつが作ったのか。聞き忘れたそれだが今となっても大したことじゃない。

 

 その時の俺は、指を動かしていた。

 トントンと、人差し指と中指のみでリズムを取ってしまう。

 昔からいつもそう、知らない曲や好きな曲を聴いてるときには無意識にやってしまう。

 

 音が形を持って飛んでくる、そんな風に感じさせられたのはいつぶりか。恐らくそれは単純な上手さもあれど、その声量のせいでもあるのだろう。

 

 火傷しそうなくらいの盛り上がりの中、ヒヤリとした冷たい風が吹いた気がした。

 

 

 

 俺の過ちはその後、客が全員帰り軽く見回りをしていた時のこと。

 つい置いてあるキーボードに目がいってしまった。もう一年以上やっていないそれに、吸い込まれるように足が進んでいた。

 なんで、そんなことはあの時には考えられなかったが、今思えばあいつの歌声によって動かされた、と認めるしかない。

 

 浮かび上がったのはあの歌声、あの曲のこと。楽譜はない、だがなんとなくでこうなのだろうというのはわかってしまって。

 指が滑るように動いていた、一年という期間がまるでなかったかのように。その間何を思ったか、ついこの前のことだというのに覚えていない。

 

 そして弾き終えた時、閉めた筈のドアが開いていて一人の女がそこに立っていた。

 そいつは俺の方に近づいてきて、こう言った。

 

「私とバンドを組んでくれないかしら」

 

 それが、全ての原因だ。

 

 

 

「……指が動いてるわね」

「……行かなくていいのか?」

「まだ時間はあるわ」

 

 また気づかぬ間に指が動いていた。本当に嫌になる、いつまでもピアノに囚われている自分に。

 

「どうしてあなたは私と組んでくれないのかしら?」

「……突然だな」

「そうやってリズムを取っている以上、音楽は嫌いではないのでしょう?」

 

 その問いに対し返す答えは単純だ。息をするかのような短い言葉で返すことができるはずなのに、喉奥で何かが詰まるかのような不快感を感じて発することが出来なかった。

 

「……好きじゃないさ、特にピアノは」

 

 ゆっくりと、確かめるかのように答えを絞り出す。その言葉は誰に向いているのか、そんなことは考えたくもなくて。

 

「理由を聞いても?」

「人には知られたくないこともあるんだよ」

 

 人間知られたくないことの一つや二つある。勿論大事な物の隠し場所とか、性癖とか、そんな程度の物なら山のようにある。

 だがこれは違う、知られてないのならそれでいい。わざわざ誰かに教えようとも思わない。

 

「また来るわ」

「俺を誘わなければ歓迎してやるよ」

 

 そう言うとあいつは店の外に消えていった。銀色の長い髪を少しだけ揺らしながら歩くあいつの姿から、何故だか目を離すことが出来なかった。

 

「嫌い、嫌い。ピアノは……」

 

 ああ、声に出すことが出来ないどころか、思うだけで思考は靄がかかるかのように不明瞭。

 一体なぜなのか、それは自分でさえもわからない。

 

 

 

 バイトも終わり帰宅し、リビングに向かったところでうちで飼ってる猫が近づいてくる。

 手を洗ってから少しだけ構っていると眠ってしまった。本当に猫の行動は理解できない、さっきまで元気だったくせに急に寝始めたりするのだから。まぁそれがまたいいのだが。

 夕飯なに作ろうか、そう思い冷蔵庫を漁るがろくなものがない。ああ、そういえば今日何か買おうと思っていたのに忘れてしまっていた。

 

 本当に慣れない。二年弱もの間やっているというのにこうやって忘れてしまうことがいまだにある。

 自炊の方に関しては元からやることもあったのでそこまで酷くない。これに関しては母親が料理が壊滅的だったというのもあるのだが。

 とりあえずありあわせで夕飯を作って食べる。それを食べ終え皿を洗ってソファーに座り込む。

 

「……テレビでも見るか」

 

 することがなにもないのでテレビをつけると、そこには見たくない人物が映っていた。

 ほぼ反射でテレビを消す、それでもその一瞬は目に焼きついてしまうには充分すぎる程で。

 

「はぁ……」

 

 映っていたのは、俺の母親だった。

 何故映されたのかはわからない、がどうせピアニストの紹介等だろう。偶々つけたのにこれなのだから本当についてない。

 

 少し歩いてある部屋の前に立つ。そこは防音室で、我が家の開かずの間。鍵なんてないけど開ける気は更々なくて、中がどうなっていたかなんてもうあんまり思い出せない。

 扉に触れる。冷たくて、重たい。それでいい、もう開けることなんて二度とないのだから。

 

 ここで母親にピアノを教わっていた、物心ついた時からずっと。強制ではない、単純に好きだったんだ、ピアノの事が。

 楽しくて、新しい曲を弾けることが嬉しくて、時間を忘れるかのようにやっていた。コンクールに出ていい結果を残すのも勿論だが、それで母親に褒められるのも嬉しかった。

 

 でも母親は一年前、俺が高校に入る前に家を出ていった。

 理由は知らない。聞かされていないし、聞きたくも。

 

 あの時の父親は見ていられなかった。普段飲まない酒を飲んで、大人の癖に泣いていた。それでも母親を、その相手の事を責めることはしなかった。

 昔から仕事熱心だった、でもそれからはまるで母親の事を忘れるためかのように更に仕事に力を注ぎ始めた。

 

 俺は……どうだったか。泣いた、悲しんだ、強烈な印象を植え付けられている癖してそれは、まるで夢であったかのようにふわふわと、非現実的なものとなって残っている。

 

 俺の人生においてピアノは全てだった。だけどそれ以上に俺の人生においてのピアノは……母親からのものだった。

 母親の事は嫌いだ、母親の事が嫌いだ。だからこそ……

 

「ピアノは……嫌いだ」

 

 くだらない、そんなことはわかっている。

 でも俺はそう思うことしか出来なかった。

 

 


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