好きってなんだろう。ふとそう思わされたのは何故だろう。
単純に自らがそれについてわからなくて、そうであるかのような感覚を覚えたからだろうか。それともそういったものを、誰かから向けられたと思ってしまったからだろうか。
「……ありえねぇよな」
日が沈み、うっすらとした雲に覆われながらも月はそんなもの関係ないと自らの存在を見せつけてきている。
否定して、そんなことはないと言い聞かせて、わかっているにも関わらずこんなにも考えさせられる。
カーテンを閉じ布団をかける。ああ、こう思われても向こうからしたら厄介極まりないし気色が悪いだけ、勘違いなんてものはされるだけで気持ち悪いものだ。
そうわかっていれど考えることをやめることは出来なくてため息一つ、部屋は明かりがほぼなく暗くなっている。しかしそれでも目を閉じて、手で覆って。
風邪でも引いたのか知らないが思考が収まる気配がない。寝てしまえばいいと思ったがそんな状態で眠れる筈もなくて。
好きってなんだろう。俺が湊に対して抱いているこれはそうなのか、燐子さんが俺に向けているのはそれなのか。
はたして俺がピアノに対して向けている気持ちは……本当に嫌いという感情なのか。
思考をやめようと考えてもその考えがある時点でどうしようもない。少しの頭痛を感じながらも頭の中ではピアノの音が流れ続けていた。
昨日の夜はよく眠れなかった。だからといってバイトは休むわけにはいかないので気合いで乗りきったのだが、こういう日に限って人が来るのは何故なのだろう。
しかし忙しいのも悪くはない。お陰様で頭の中からピアノの音は抜けきってくれたし二人の事を考えることもなかった。それに眠気も既に薄れてくれたし。
店から出れば日差しが肌を突き刺してくる。正午はとっくに過ぎているというのに元気なものだ、雲一つない空を見上げながらそう思う。
本を貸してあげるとリサに言われたものの昨日の今日で渡されるわけもなく、予定と言えるものは何一つとして存在しない。
帰って寝るか、それとも猫と戯れるか。どちらも魅力的ではあるが……本屋にでも寄るとしよう。
理由らしい理由はないが、パッと浮かんだそれ。あえて意味を付け足すならばどうせリサに貸してもらえるのだからとは思うものの、やはり自分でも少しくらい見ておいた方がいいなんて程度のもの。
まぁ、それを店員のところに持っていけるのかとなれば別の話だが。
「おや~? こんなところで奇遇ですね~」
さっそく本屋に向かおうと歩きだそうとしたところでそんな声をかけられる。
こんなゆったりとした口調の知り合いなんていただろうか、まだ曲の流れていないイヤホンを外し、そんなことを思いながら振り向くと二人の少女がいた。
「……リサの後輩か」
「モカちゃんって呼んでくれてもいいんですよ~?」
「モカ、知り合い?」
二人の内の一人はこの前リサと一緒にバイトをしていた女の子、どうやらモカというらしい。しかしもう一人は完全初対面。赤のメッシュが特徴的で俺の事についてモカに聞いていた。
「もち~。後リサさんとも仲がいいんだよ~」
「新庄蒼音です」
「……美竹蘭です」
どうやら二人は同じバンドのメンバーらしくこれから練習に向かうとのこと。
知り合いの知り合いなど気まずいだけだろうに。そんなことを考えながら、それなら早く行った方がいいだろと言ってその場を去ろうとしたがモカに呼び止められた。
「蒼音さんって~、音楽出来るんですよね?」
「……どこから聞いた、それ」
「リサさんが色々教わってるって言ってましたよ~」
余計な事を言ってくれた。別に言うなというわけではないけれど、あちらこちらに知れ渡ってほしいというわけでもない。昔から面倒事になりそうなことは嫌いなんだ。
「それで?」
「アタシ達来週の土曜にライブやるんですけど来ませんか~?」
「悪いがその日は予定ありだ、客が欲しいなら他を当たれ」
え~、と納得いかないようにモカは声を漏らす。教えてくれというものでないだけで、予定がなかったのなら行ってもいい。最も初対面に近い人間に教えを乞う人間などそうはいないだろうが。
まぁ何も予定があるというのは嘘ではない、その日は湊に誘われたRoseliaのライブがある。
元から約束していたものだから被せるわけにはいかない。それに……どちらを優先したいかと言われてもそちらだし。
「ちなみに~、予定ってなんなんですか~?」
「ちょっとモカ、聞く必要ないでしょ?」
「別にいいよ、隠す程の事でもないし」
Roseliaのライブがあるから。そう漏らした途端、面倒そうにしていた蘭ちゃんが食いぎみに俺に対して聞き返してきた。
「……それって、向こうの本屋の近くのライブハウスでですか?」
「そうだけど」
「お~、それならアタシ達と同じ場所だ~」
偶然というのは思わぬところで起きるらしい。まぁライブハウスが多いとはいえ被ることくらいあるだろう、そんなことを考えているうちに蘭ちゃんはモカの手を引っ張ってさっさとその場を離れていった。
モカが待ってよと訴えていたが蘭ちゃんは聞く耳を持たなかった。時間がまずくなったという可能性もあるが……Roseliaの話が出た途端だ、多分原因はそちらだろう。
理由はわからない。あの二人のバンドはRoseliaとライバル関係なのか、ただ蘭ちゃんが一方的にそう思っているだけなのか、俺は部外者だからわかるはずもない。
それに知る必要もない、気にはなるがそれだけだ。二人は何の楽器担当してんのかなと思ったが最後、俺はイヤホンをつけ本屋への歩みを再開した。
恋愛小説とは簡単に言ったものだがやはり王道とも言えるジャンル、その数ははかりしれない。それこそライトノベルとかまでにも広がってしまうしどれがいいかなんてわかる筈もなくて。
本のタイトルを見ながら偶に目に止まった物を手に取り元の場所に戻す。そんなことをしているだけで時間は一瞬にして過ぎ去っていく。
埒が明かないので今人気の恋愛小説は何かと検索し、出てきた本はどこにあるのかと探し回ってようやく見つけた。
今人気となればリサからそれが貸される可能性があるので見る必要だってないが、そう思いながら手を伸ばすとその本に向かって一つ、俺以外の手が伸びていた。
「あ、ごめんなさい」
「いえ、大丈夫で……」
その声は聞き覚えがあり、相手も同じなのか少し驚いたような表情をこちらに向けてきていた。
「新庄さんは……こういう本に興味、あるんですか?」
燐子さんの困惑した表情とゆったりとした服、普段気にしていないそんなところに意識が行ってしまう。だからこの問いにどう答えるか、そんなことも考えさせられてしまう。
興味があると答えてしまえばいい、今恋とは何なのかと迷っているから気になったと答えてもよい。でもそういうことを言うことは出来なくて。
「……リサから本を貸して貰うんで、知識として持っといた方がいいかなと思ったので」
嘘ではない、そうわかってはいるのに目をそらしてしまう。もしかしたら好かれているのではないのか、そんなことを考えさせられてしまっているから……昨日とは全く別、燐子さんを、意識してしまっている。
互いにそれ以上話すことはなく、しかしその場から離れることもなく。先ほどの本のことなど全く意識の外、視線をあちらこちらに彼女は向けている。
どうしたものか、居心地が悪いわけではないが空気は悪い。何かしら話すことがあれば、そう思いながら辺りを見回していると、奥の音楽雑誌コーナーに見覚えのある髪色。
もしやと思い少し身体を動かして全体を見てみれば、何の偶然か、そこには湊の姿があった。
驚きで一瞬体が止まる。離れているから確信はないが、音楽雑誌を立ち読みしているのでこちらには気づいていないと思う。もっとも、あの様子では隣にいたって気づきはしないだろうが。
急に一点を見つめたままの俺を不審げに思ったのかどうかしましたかと燐子さんは俺に声をかけ、後ろを振り向いた。
「あ、あの……この後お時間って……ありますか?」
「え……まぁ、あります」
「それなら、どこかに寄って……いきませんか?」
それを見た途端にそんなことを言ってきて、後ろの湊の方をチラチラと見ながら俺の答えを待っている。
ぞわぞわと背中を何かが昇ってくるかのような感じがした。虫が入ったわけではない、汗をかいたわけでもない、それは今まで感じたことのない不思議なもの。
了承すると燐子さんは俺に向けて先ほどの本を差し出してきたが、買わないので大丈夫ですと答えると、燐子さんは迷うかのようにその本を見つめた後レジに向かっていった。
「ほんと……なんなんだろうな」
この気持ちは、好きとは、恋とは、本当になんなのだろう。仮に俺が湊の事を好きだとしたら、今燐子さんに向けているこれはなんになるのか。
一人待っている間湊の方を見続ける。ほんとに音楽に真剣らしく飽きずに音楽雑誌を読み続けている。そんな姿から目を離せなくて……
「……新庄さん?」
「えっと、どこに行くとかあるんですか?」
「いえ、特には……決めてないですけれど……」
本を買い終えた燐子さんに声をかけられ湊から目をそらす。行きながら考えましょうと、彼女は逃げるようにその場を離れた。
本当に不思議だ。他の人になら気もかけないような些細な事が燐子さんに対してのみ気になってしまう。服や声、手に持つ鞄やその視線の動きにも。
それは……湊に対して感じたことがあっただろうか。そんなこと、向けていたとしても半ば無意識のためわかるはずもない。
ふと振り向くと、湊は丁度読み終わって帰ろうとしていたのか、こちらの方を向いていた。
チクりと、何かが胸に刺さったかのような気がした。それが何かはわからない、それが何故かもわからない。
湊から目を離し燐子さんと並んで外に出る。湊に対して抱いていた苛つきのようなものは感じない、だけど何か似ているようなこの感覚。
「どうか……しましたか?」
「……なんでもないです」
ああ、わからない。迷路か、推理か、難問か、ミステリーにででくるようなどれとも違う。
好きって、なんだろう。
そんな疑問が、いつまでも頭の中で暴れていた。