アラームの音が部屋の中に鳴り響き、深くに落ちていた意識はつり上げられる。冬ではないので布団から出るのに覚悟がいる訳ではないのだがそれでも相変わらず誘惑は強い。
時間を確認してため息一つ、体を起こしてカーテンを開けると焼き焦がすかのような朝日に襲われる。
適当に朝食としてつまみながらスマホを確認していつもと同じ時間になれば、同じ格好に物を持って外に出る。
「めんどくせぇなぁ……」
今日は体育がある、それも一時限目から。憂鬱で仕方がない。動き回りたくねぇなと考え、しかしサボるというわけにもいかなくて。
目の前で色が変わった信号に足を止められる。今まで何度も経験したそれに今更どう思うわけもなく、周りに見える人と同じくスマホを弄って変わるのを待つ。
……ほんと、驚くくらいに普通だ。何がという訳ではない、俺自身の事。
好きと言われわからされ、決めなくてはいけないと思わされているのにこうやって普段通りに過ごしている。
勿論こうして考えているのだ、ほっぽりだしているわけではない。決めなくていいやと思っているわけでも。
悩んでいるのは本当だ、でも人生というのはそれだけじゃなくてしなくちゃならないことがそこそこある。これだってそう、したいしたくないとかそういうのじゃない。
でもこの時間に焦るくらいに考えて、なんてことは出来ない。朝だから頭が働かないせいか、焦っても出る筈がないと考えているせいか。
昨日と同じく連絡先一覧を眺めてみる。学校の奴らとバンド組、後は父親しかいないそれだけどそこに湊の名前は存在しなくて。
「……今度聞いてみるか」
自分から、恥ずかしいとかそんなもの感じない、と言えば嘘になってしまうのだろうがこの程度出来る……多分。
好きと思わされるのならばこうやって距離を詰めなければいけない筈で、その詰め方がよくわからないからこうやってわかるものからやっていくべき。
付き合いが薄いままならば決めようがない。もしもうちょっと踏み込んだらあいつなんて……となるかもしれないし、勿論その逆も。
「…………」
じゃあもう一人、それはそこに記されていて。こちらは湊と違って向こうもこちらの事が好きだとわかっていて、であるから名前を見るだけで妙に恥ずかしくて。
本当に好きなのかと何度も問いて、そして毎回好きだと結論が出て。疑いの思い、それは湊にも抱いたけれど同じ結果が出ていて。
どこが好きなのかと言われたら言い表しにくい、でもそれは湊にも言えること。
向こうが好きだから、それは否定しない。でも湊が俺の事を好きになったとしたらすっぱりといけるかとなればそれは別の話。
信号が青に変わり周りの人が動き出す。俺もスマホの画面を消して歩き出す。
今まではずっと向こうから。好きなのだから俺から誘ってみてもいいかもしれない。そんなことを思いながら学校への道を進んだ。
ああやっぱり二人の事を考えずにはいられない。前言撤回、普通なんて、そう思っているだけで形を変えてしまっていた。
帰宅後はピアノの練習を三時間くらいして、少し休憩と夜の町を散歩する。昔はこのくらいどうでもなかったのに、前が元気すぎたというのもあるだろうが。
締め切った部屋でやっているので外に出れば少しスッキリする。帰って再開するか、それともまた別の事をするか、そんなことをぼんやりと空を眺めながら考えていると後ろから声をかけられた。
「蒼音さん、こんばんは!」
聞こえてきたのはあこちゃんの声。こんばんはと振り向きながら返して、練習終わりなのか制服のままの彼女の隣にはもう一人。
「こ……こんばんは……」
声だけでドキリとして、顔を見ればそれはまた強まって。
変わっている。それは彼女を見る目か、それとも俺の思考なのか。どうであれなんだか気まづくて返す言葉を思い付かず頷くだけで。
あこちゃんはそんな俺を首をかしげ不思議そうな目で見て、燐子さんの方を見てまたおかしいなと首を傾げる。それがまた恥ずかしく感じさせてきて、多分それは燐子さんも同じで顔を伏せられた。
「……こんな時間まで練習?」
「はい! 実は今週末SMSっていうのがあって」
SMSとはこれまた大きなライブイベント、そこに招待されたとのことでそれに向けての練習、本番まで一週間を切ったということで練習時間も伸びてとのこと。
Roseliaは順調に勢いをつけているらしい。うちのライブハウスにやって来た客が話していたし、クラスでもその名が飛んでいた時には驚かされたものだ。
「そうだ! 今日イベントクエストやりませんか?」
「あー……確か明日までだっけ。でもそれやって大丈夫なの?」
「まだ全然やってなくて……でも三人ならすぐに終わらせられます!」
三人、それは当然俺とあこちゃんと、そして燐子さんということだろう。断りにくさもあれ、燐子さんの見上げるような視線によってか断りたくなくて。
断る理由もないのでそれを受ければ喜んでるあこちゃんに対し元気だなと感想を抱かされ、燐子さんも同じように思っているのか微笑んでいる。
意識せずともその優しい笑みに視線を吸い寄せられてしまって……
「よ~し。りんりん、早く帰ろ」
「え……あ……うん」
そう言ってあこちゃんが燐子さんの手を引っ張っていくとハッと我に返る。少し残念そうな顔を見せつけられた、もう少し話せたらと思わされた。
こんな感情を俺は湊に対して抱くのか。リサに手を引かれ湊が離れていったら残念だと思うのだろうか。
事実として起こらなければわかる筈もない、そんなものはどうでもよくてどう思わされるのか。だけど結局わからず仕舞いで頭を掻いて家に向かう。
ライブは今週末と言っていたが今週末はバイト、客としてはいけないけれど上手くいくことを願うことくらいはしてやろう。
目の前を何かが横切る。暗闇に隠れ、しかし2つの光るものがが見える。何かと思い近づきよく見てみればそれは黒猫で。
黒猫は不吉の象徴、迷信ではあるがそう言われる事がある。一体誰がそんなの言い出したのだろうかと思いながらも地域によっては幸運の象徴であるそれに、Roseliaのことを願ってやることにした。
「なんだ、今日はライブがあったんじゃないのか?」
「……」
SMSからの帰り、私は気がつけば新庄君のバイトしているライブハウスに向かっていた。
なぜオーディエンスが離れてしまったのか。それがわからなくて、それだけを求めて彼の元を訪ねることにした。
「新庄君は……私達、Roseliaが何か変わったと思うかしら?」
「突然なんだよ」
知らなければいけない。この前とは違うと言われたのだからそれをどうにかするために。
自分ではわからない、私達ではわからない。彼ならあるいは、そんな願いを込めて聞いてみたが彼は顎に手を当てたまま言葉を発しないでいて。
「……まぁ、仲良くはなったんじゃないか? この前もファミレスとか行ったんだろ?」
「……!」
それは思いもよらぬこと、音楽には一切関係のないことで……だけど聞いてしまえばそうとしか思えないこと。
仲良くなった、それだけならば聞こえがいい。でも言い換えれば? 緩くなった、ああ、いいはずがない、あっていいはずがない。
ああ、そういえば練習の時あこの私語が増えた、リサがクッキーを持ってくるようになった。紗夜がそれを学ぶようになって、燐子はなんだか緊張感が薄まっていって。
そして私は……それを、悪くないと思ってしまっていた。勿論百ある内の百悪いという訳ではないだろう、でもそれがほんの少しでも悪いとするならば……
「そう、ありがとう」
「で、他には?」
「これだけよ。それと……」
──これから私に話しかけないで
突き放すようにそう言った。彼は意味がわからないとこちらを見てくるが。言うべきことは言ったのでライブハウスを出る。
後ろからちょっと待てと彼の声が聞こえてきて、逃げるように私は走り出した。
どうしてもこうしてもない。甘えが悪いというならばそれを消そう、彼はRoseliaのメンバーではない、であるならば関わる必要はない。
たまに演奏を聴いて貰ってなどいたが……それだけ。元より彼と私の関係なんて何もなくて、であればなくなっても一切の問題があるはずもなくて。
胸が痛い。それは走っているから、そうであるはず、それ以外に原因なんてないのだから。
足が棒になったみたい、それでも走ることを止められない。振り返ってもし彼がいたら、何も変わらないままになりそうだから。
「はぁ……はぁ……」
川岸の手すりが見え、そこに体を預けて走るのをやめる。もう疲れた、手で支えなければ今にも崩れ落ちてしまいそうなほど。
どうして走ったのか、めんどくさくなりそうだから? 違う、怖かった。名前を呼ばれたこと? 違う、何がなのかはわからない、でもそれは確かなもの。
「ここって……」
息が整い始めて周りを見回せばふと気づく、ここはRoseliaが解散しそうになった時、新庄君に助けられた場所。これは偶然には思えなくて、それでも本当に偶然で。
彼にあんなことを言う必要はあったのか。
彼が関わるものじゃない、それはわかってる。でもそれは逆にその程度というもので、わざわざ口に出して伝えるほどのものではないはず。
そう、彼は私にとって、勿論その逆でもどうでもないはずだからどう思うこともないというのに、もう話しかけないでなんて言う必要は……
……いや、もうどうだっていいことだ、考える必要だってないだろう。今どうするべきか、それはRoseliaを昔のように、ただそれだけで。
「そのためには……」
明日の練習で全員にそう話そう。わかってくれるはず、わかってくれなくてもそうさせるつもりだ。
胸の痛みはまだ続いている。走っていたせいであると頭では思っていて、だけどそうじゃないと何かが訴えてきていて。
じゃあこれは何? それは誰も答えてくれなくて、胸にぽっかりと穴が空いたような気がした。