朝目が覚めると日付が進んでいた。
当たり前だ、寧ろそうならないことなんてありえない。日付をまたいでから寝ればとか、その日のうちに目覚めればとか、そういったつまらないものはまた別。
昨日のこと、湊から言われたことは未だに信じられない。あれは夢だ妄想だ、そんな風に考えたから日付を確認して。
でもあれを夢だなんて思えるわけも、間違えるわけもない。だというのにため息をつく。
好きと言っても大雑把だ、でもああいう風に直接言われたのだから、恋している……と思っていいと思う。
全部、全部わからない。顔を洗っても頭の中はスッキリせずにまた大きなため息がこぼれてしまう。
いったい何時から、どうしてなのか。そんな当たり前のものからあれは本音なのかなんてものまで考えさせられて、でもその中で最もわからないもの、それはアイツがこぼした言葉によるもので。
「燐子さんからって……」
聞き間違えるわけもない。アイツは確かに燐子さんに言われそうだと思わされたと言った。
アイツが俺と話したのはRoseliaにとって必要だったから。そうリサが言って、多分その場に燐子さんもいたのだろう。
どうして、どうしてそんなことを言った。不満があるわけではない、ただ本当に不思議なだけ。
ただの冗談で言った。まさか、彼女はそういったことは言わないだろう。平時であればまだしも、バンドの危機と言ってもいい状況で。
「……考えても仕方ねぇか」
猫が寄ってきたので膝の上に乗せる。こういったことは本人に直接聞いた方が早いし正確だ。なんで言ったんですかと、ただそれだけで済む話。勿論ごまかされなければであればだが。
なんならリサに聞いてもいい、その場にいたというならばアイツの性格上なんでと聞いていそうだし。本人に聞くのは引けるしそうさせてもらおうか。
「……遅いんだよ」
呟いたそれは昨日と全く同じもの。遅い、好きだと言うのが遅い。なにも自惚れているわけではない、ただ、本当に言われるのが遅かった。
俺が燐子さんを好きになる前なら、迷いはじめであったならばこんなに考えることも迷うこともなかっただろう。
俺は燐子さんの事が好きと確かに思えた。湊に嫌われてしまったならばとかそうではなく、好きだと、純粋にそう思えた。
問題が解決したらあの時言えなかった答えを、俺も好きですと言おうなんてものも思っていたのに……
俺は今、迷ってしまっている。
それは悪いことか、考えなくてもわかること。言っていないからまだ大丈夫とか、少しでもそうは思えない。
あぁ、好きって何だろう。何度思ったかわからないその悩みをまた考えていた。
「久しぶり~、元気してた?」
「少なくともお前は元気そうだな」
あの出来事から四日、それだけ経ってようやくリサがバイト終わりの俺の前に現れた。
もっと早く来いとかそういうものを抱いていたわけではないが、ピアノが手につかないくらいには気にならされていた。Roseliaのこと、湊のこと、そして燐子さんの事を。
そんなならばさっさと聞いてしまえばいい、そうわかっていてもなんて聞けばいいのかわからないからじっと聞き続け、でもその中にRoseliaの話、湊の事は一切なくて。
「あ、ごめんね。アタシばっかり話しちゃってた」
「じゃあ俺からも幾つか聞きたいことあるんだが……いいか?」
「それならどっか寄ろうよ、立ったままだとあれだしさ」
それに、と付け足すように振り向いて招き猫のように手を動かした。
「もう一人いるからさ」
リサがそう言うと壁の向こうから覗き込むかのようにこちらを見てくるのは、今最も気にならされていた人。
目が合えば逃げるかのように壁に隠れてしまい、そんな彼女の背をリサが押して俺の前にやってきた。そこでも視線は俺とは全く関係ない場所に、その姿は俺に告白をしてきたなんてものが嘘であると思えるほどのもので。
「い、今井さん……私、やっぱり……」
「いまさら何言ってるの~? それに、蒼音も嫌じゃないでしょ?」
言葉も発せず頷くと、それじゃあ行こうとリサが言って歩き出し、俺が後を付けその後ろを燐子さんが。
偶に振り向けばやはり顔を伏せられる。ああ、彼女はこんな人なんだ。恥ずかしがり屋、それも俺が今まで会ってきた人の中でも上位に入り込んでしまうくらいには。
だけど、そんな彼女が俺に告白してきた、あの時何を思ったのか、俺にはわかるはずもない。でも、勇気を出してそうしたというのは間違いないだろう。
なのに俺はそれに対して答えることができないでいる。それがどうにも俺の心を締め付けてくる。
「あの……」
「……どうかしましたか?」
「いえ……なんでもない……です」
今日初めてかけられたその声は消えてしまいそうなもので、言いたかったのであろう言葉も飲み込まれて。
俺は何もしていない、することができない。迷わされているから、待っていますと言われたから。そうやって言い訳をすればするほど辛くなるのは俺自身で。
燐子さんの手に目が行った。理由なんかわからない、そういう趣味があるわけでもない。俺達は立ち止まってしまっていたからリサはだいぶ先に行ってしまった。
どこの店に行くのか検討はつくが確実ではない、だからちょっと早く歩かないといけない。それは勿論燐子さんにも当てはまるから……
「ちょっと~、二人ともなにしてるの~?」
前方からそんな声が聞こえたので俺も燐子さんもちょっと早めに歩き出す。好きだと言う程の勇気を出され、こちらもそうだと思っているのなら、俺からもそう示す行為をするべきだとわかっていて。
「…………」
なのに、俺はこの手を伸ばせない。子供が注射を刺されるのと一緒で少し我慢してしまえば一瞬で済んでしまうもの、だけどそうすることすら出来ない。
ピアノを弾くことしか出来ないその手を見て、燐子さんの事を見た。そして俺は、燐子さんの歩く速さに合わせる以外何もできないでいた。
「それで、聞きたいことって何?」
「あー……Roseliaはどうなんだ?」
「それは……」
カフェに着いて注文するなりそう言われ、とりあえずとリサに聞いてみたら突然顔を伏せられた。
こんな風に誘ってきたのだし、どうせ上手くいったのだろうと思い込んでいたがもしかして……
「ばっちりだよ。蒼音と、燐子のおかげでね」
「お前なぁ……」
「そ、そんな……私は別に……」
「そんなこと言わないの。勿論二人だけのとは言わないけど、二人がいなかったらこうはならなかっただろうしさ」
引っかかったとでも言いたげにニコニコとしているリサを見ると、少しでもやってしまったかと思ってしまった自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
運ばれてきた珈琲を口にする。何故燐子さんは湊にあんな事を言ったのか、本人が目の前にいるのだから聞いてもいいのだが、やはり本人がいる場ともなれば気が引ける。そんな風に思っていたのだが……
「そういえば友希那に恋愛小説貸して欲しいなんて言われたんだけど、蒼音はなんか知ってる?」
突然言われたそれのせいでむせこんでしまう。大丈夫ですか? と燐子さんに心配されるが声が出せなかったので頷くしかなかった。
そんな俺の反応を見たのだから面白そうにリサは踏み込んでくる、と思ったのだがそんなことはなく俺が落ち着くのを待っていた。
「……どうした、いつもなら気にせず突っ込んでくると思ったんだが」
「失礼なこと言うな~。アタシだってそれくらいわかるよ」
それで、どうなの? それは俺に対して投げかけられているはずなのにその視線は俺の隣に向いていて。俺もそれにつられて隣を見れば妙に緊張したような様子でこちらを見ている燐子さんが。
これまた目をそらされて、そう思っていたのに今回はこちらの事をじっと見てきている。
隠せない。もとより隠す必要はないと思っていたが、そうすることは許されないとわかったから。
「……湊から、好きって言われた」
「……それから?」
「……それだけだ」
「もったいぶらなくてもいいんだよ?」
「何とも返してねぇよ」
納得していないかのような表情をリサは浮かべる。無理もない、俺がアイツの事を好きなことをコイツは知っているのだから。
それだからなんて返したか、何もなかったのか、それを聞き出したいのだろう。単純な興味もあるがそれは多分、燐子さんが最も気になることだから。
思い返せば燐子さんの事をどう思っているのかなんて聞いてきて、今から燐子さんが本を渡しに行くからと俺に伝えてきた。燐子さんが俺の事を好きなのだと前から知っていたのだろう。
そして知っているからこそ聞き出さなければと思っている。彼女は恥ずかしがり屋だから、知らなければならないから。
隣を見れば燐子さんは不安そうな表情を浮かべている。でもこれ以上に言いようがないと思っていると隣から声が飛んできた。
「蒼音さんは……友希那さんの事、どう思って……いるんですか?」
「……変わらないです。アイツの事はやっぱり好きで……」
「だけど、何とも返さなかったん……ですよね?」
「はい」
そう返すと燐子さんはほっと息をつく。一方リサはわかっていないのか俺と燐子さんの方を交互に見て、え? と声を漏らし続けていた。
「えっと……どういうこと?」
「そういう意味……です」
「ごめん、ぜんっぜんわからないんだけど」
「……そのまんまの意味だよ」
うーんと頭を抱えて唸っているリサを放っておいて残っていた珈琲を飲み干す。
不安そうな顔を見せ、答え次第でほっとした様子なのだ。きっと怖かったのだと思う、湊が俺に告白して、俺がなんて答えるか。
聞けない、そう思っていたけれどやっぱり気になりすぎるというのが本音。それにここまで答えてしまったのだし聞いてしまってもいい、そう思って聞くことにした。
「燐子さんは……なんで湊に俺の事が好きなんじゃって聞いたんですか?」
「ど、どうしてそれを……」
「……湊がそう言ってたので」
言葉を探すようにあちらこちらと視線を動かし、気づけばリサも頭を抱えるのをやめて燐子さんの方を見つめていた。
リサも知らないことなのか、どうにせよ俺もリサもただ待つことしかできない。
「えっと……ああでも言わないと友希那さんは……蒼音さんと話してくれそうに……なかったですから」
それが理由なのか、一体いつ湊が俺の事を好きなんじゃないかと思ったのか気になったがそれは聞かないでおこう。
Roseliaの為に仕方なく言った、そういうことなのだと思った瞬間、彼女はそれにと付け足した。
「もしそれで……蒼音さんが友希那さんの方が好きだと言ってたら……それまでですから」
彼女は笑みを浮かべながらそう言った。その笑みの裏に隠れた安心したように感じさせられる雰囲気も、俺には眩しすぎて見ていられなくて。
「えっと……さ、つまり蒼音は友希那の事が好きだけど、燐子の事も好きって事?」
「……まぁ、そうなるな」
最低だと罵られて当然だ、そう言われるようなことをしている、言っているのだから。今までそうでなかったのは燐子さんが飛びぬけて優しかっただけ。
そう思っていたのにリサは俺に対して、そっかとだけ溢しただけでそれ以上は何も言ってこなかった。
「そういえば夏祭り近いよね、その日って二人は暇してるの?」
「まぁ……予定はないな」
「私もない……ですね」
「じゃあ二人で行ってきなよ」
「そ、そんな……私なんかと……」
なんでもないかのようにリサはそんな風に聞いてくる。燐子さんは遠慮しているのかそんな風に言っているが、ちらちらとこちらを見ているのは俺も気づいている。
「俺は行きたいですけど……嫌ですか?」
「ほら燐子、蒼音もこう言ってるんだしさ」
「え、あの、その……私も行きたい……です」
それじゃ決まりとリサが軽く手を叩く。リサは来ないらしいので二人きりとのこと、燐子さんを見れば顔を赤くして俯いたまま。
ああ楽しみだ。夏休みなのだから楽しみなのは当たり前なのだが、好きな人と何かするとなればそれはより強くなるもので。
ああ、好きというのは心地好いものだ。こんなにも楽しみに思える、もう既に胸が高鳴り始めている。
早く夏休みになってしまえ、俺はそう思っていた。
好きというのは心地好いものだ。それは間違いない。
だけど胸に引っかかる何か、それも間違いなく好きというものによるものだった。