異性と、それも好きな人と手を繋いだ。
不思議な感覚だ。時間が経って尚それは、手を洗っていないわけではないのにハッキリと残っている。
熱を、感触を、寸分の狂いなく今ここにあると錯覚しかねない程に覚えていて、でも何も手では触れていないという事実が物寂しさを与えてくる。
異性と手を繋いだ、今までで一番なかったかと言われたら勿論そんな筈がない。じゃあ、好きな人とというのは?
……これも初めて、なのかもしれない。
友希那と手を繋いだ事がある、それは事実だ。それはだいぶ前、更にアイツの事を好きでなかった時。
だとしても、そうしたという事実と記憶は残っていて……
「あの時は……どうだったんだっけ」
そもそもどっちの手でしたのかすら覚えていない。ただ恥ずかしい、そうは思っていなかったということだけは明確に思い出せる。
帰った後はこんなにも悶々としたか、そのことについてこんなにも考えたか。燐子さんと繋いだのと反対の方の手を見て、ため息をついてからソファーに倒れ込んだ。
「……気にしてんの、俺だけなんかな」
燐子さんもこんな風に考えてしまっているのか、友希那は……そもそも覚えているのか。
きっと、好きというものはこういうものなのだろう。気になって、気になって気になって仕方がない。それはなんでも変わらない。
「好き……か」
それで言うなら今の俺にとってピアノは何なのだろう。好き、そう言うことは簡単だ。嘘ではなく事実なのだから。
じゃあ心の底からそうかと言われたらどうだろう。一番かと聞かれたら……どうなのだろう。
引っかからないものが何もないかと言われたらそれは違う。でもそれは関係ないと思えているのだし、ピアノは好きだって心の底からそう言える。
でも俺は、全て投げ出してピアノだけを取る事ができるかと言われたらそんなことはない。何もかもにおいて一番かと断言できるかと言われたら、言うことは出来なくて。
そもそも一番以外捨てろというのがおかしいものだ。そんなストイックにいたらおかしくなってしまうし、それについて誰も怒ることはない。
でも好きな人というのはそうもいかない。俺は一番を選ぶ、選ばないといけない。
「…………」
二人のこと、どちらも好きだ。好きなところは日に日に増えて、頭の中はピアノ以上に二人が占めている。
何もかもが違う、そんな二人を好きになった。二人の共通点なんか、それこそ音楽をやっていることくらい。
「……俺からも、なんかしないとなぁ」
何処かに誘って、手を繋ぐにも俺から伸ばして。出来る事したい事全部やりきってから決めたい。そうせずに決めたくない。
中途半端で、なんとなくで後悔なんかしたらそれはなによりも酷いことで最低で、それだけは絶対に嫌だ。踏みにじるようなことはしたくない。
「……寝るか」
二人のうちどちらかを選べたとして、もう一人はどう思うのだろうか。
納得するのか、怒ってしまうか、それならいい。じゃあ、悲しんでしまうのか。俺の選択はその可能性を含んでいるというのが怖くて、恐ろしい。
もしかしたら母親も最初はこんな風に考えていたのかもしれない。目を閉じて、ずっとそんな事を考えていた。
長期休暇というのは常に望みに望んでいるもので、その中でも一番長い夏休みというのは特別だ。
友達と遊んだり家族と何処かに行ったり、楽しみになるような事が大量なのだが、それでも時間はまだまだ余る。暇かと聞かれればそうでもないと答えるが、忙しいかと聞かれれば暇と答える。
世間ではそうなのだろうが俺の夏休みは今のところ暇一色だ。積極的に遊ぶ友人はいないし家族とのあれこれもない。予定というものがあるとするならばそれこそバイトくらい。
「……はぁ」
だからこそ俺には理由がない。忙しいからと言うことが出来ないから言い訳が出来ない。二人のこと、誰にではなく自分に対して。
気持ちに嘘はない、でも行動に表せるのかどうかは全くの別物。恥ずかしいと強く思うわけではなく、何をすればとわからないからでもない。自分でもどうしてそうできないのか、全く分からない。
「ため息なんかついちゃって~、幸せが逃げちゃうぞ?」
「……嫌なもん出してるって思ってるからいいんだよ」
「偏屈だな~。なにか悩みでもあるの?」
「お前は関係ないさ」
信号を待っている間、隣にやってきたリサに話しかけられる。信号が変わって歩き始めても隣を付いてきて、渡り終えたところで前に出られ道を塞がれる。
「アタシはってことは、友希那か燐子のこと?」
「だったらなんだよ」
「別に、気になっただけだからさ」
その後近くの日陰を指さされ、どうと首を傾げてくる。リサは話したりないらしいし、俺も暇なので大丈夫だと伝えてそこに移動した。
「で、燐子とはどうだったの?」
「…………」
手を繋いだ、なんて言えるはずがない。同じバンドなのだし既に彼女から聞いている可能性もあるがそれでもだ。答えられず目線を外せば追及してこない。
流石に悪いかとリサの方をちらりと見れば、ニヤニヤと、なんだか馬鹿にされていそうなほどの顔を向けられていて。
「……お前、知ってるだろ」
「なんのことかな?」
「顔に出さない努力くらいしろ」
「蒼音だって、全然隠せてないよ」
何を馬鹿なと思えどカメラで撮っていたわけではないし確かめる方法などない。試しに顔を軽く触ってみたところでわかるはずもなく。
恥ずかしさを感じながら文句の一つでも言ってやろうかと思っていたところ、一つの声が割り込んできた。
「あなた達、何してるの?」
驚きもあれ、今を表す丁度いい言葉もないから黙り込む。リサの方を見ると目が合って、察してくれたのか彼女が友希那に説明してくれた。
「偶々あったからさ、特に何をしてたってわけじゃないよ」
そう、と形だけの返事をして友希那は俺の隣に来る。聴こえてくるのは目の前を通り過ぎる人の足音と車の音ばかり、隣からはなんの話も振られてこない。
燐子さんと繋いだ手、その反対の方に友希那がいる。手を繋がないか、なんて言えるはずもない。恥ずかしいからというのもあるが、ただ道行く人を眺めている奴にそう言うのが癪だから。
何を思ってそうしているのかはわからない。暇なのかそれとも観察でもしているのか、どうであれこいつは俺の事を視界の隅にすら入れてないということが、より強く友希那の事を意識させてくる。
「お前」
「貴方は」
そんなだから声をかけたけれど、それは突然こちらを向いてきた友希那の発したものとが重なった。
予想だにしなかったことで言葉を飲み込む。それは彼女も同じな様だったが、俺が続きを話さないからか一呼吸して、言った。
「貴方が私の告白に答えない理由……燐子の事を好きだから、で合ってるかしら?」
騒々しい程に思えていた周りの音が一気に遠くのものになった。知っていたのか、だとするならとリサの方を見るが首を横に振られる。
ならば……勘だろうか。ああでも、友希那の顔はそんな風ではなく、確かな事実を確認するかのようなもので。
そうだと単純に返す事も、だからどうしたなんて言うことは有り得ない。どのように言うべきか考えていると、なんとも陽気な音楽が流れ始めた。
その音源はリサからで電話がきたとのこと。数分程してそれを終わらせたリサは俺たちの方を見た。
「ひまりから会おって言われたんだけど……二人はどうする?」
「あー……俺はパス」
「なら私もそうさせてもらうわ」
そう言ってリサはこの場を去って二人きり。気まずさに戸惑いながらも友希那の方を見ると、彼女はハッキリと、目をそらさずにただこちらを見ている。
嘘は、つけない。どうせ通用しなさそうだし、そうしたくない。先程の問いに対しそうだと告げると彼女は目を瞑り、暫く考えるようにして再度問いかけてくる。
「貴方は燐子の事、どう思ってるの?」
「好き……じゃ足りないか?」
「いえ……それでいいわ」
好き、簡単で、それでいてどこまでも真理である答え。何がと聞かれたらどれだけ出るかは予想もつかない、どれくらいかと言われたら表し方がわからない。
でも求められているのはきっとこんな単純なものではない、そう思っていたのに彼女は何やら考え込んでいる様子。声をかければそれで大丈夫よと言ってきた。
その後また無言の空間が出来上がる。引っかかるものでもあるのか、友希那は手を口元にあて何かを考えている様子。
流石にこのまま時間がただ悪戯に過ぎていくのは望むとこではない。それにいつまでもこうして立っているのも疲れてきた、喉も乾いてきたしどこかによりたい気分だ。
それら全て先程言おうとしたことと丁度いい。
「お前、この後暇か?」
「そうだけど、それが?」
「なら……カフェでも行かないか?」
「確かに立ちっぱなしでいるのも疲れるし、そうしましょう」
隣り合って歩き出す、手は……繋いでいない。そうしようなんて言い出せるはずもなく、すれ違うカップルらしき人がやってるそれを見て手が少し寂しくなり握り込む。
こいつはそうしようと言えばしてくれるだろう。恥ずかしげなく理由もわからず、ただそうする。正反対だ、彼女達は本当に。
「なぁ……お前は燐子さんのことどう思ってるんだ?」
「感謝しているわ。同じバンドとしては勿論、衣装とかも全部やってもらってるから」
大きく息を吐く。正直安心した、そう思えるなら、それだけしか思わないのなら。
もし俺が思うような事を抱くのなら……いや、それは自意識過剰というやつか。それに、そういうのはコイツとは縁遠そうだ。
好きと言った。その言葉、決して軽んじていない。だけど選ばなくてはならないという事実は余りにも大きくて、逃げようにも逃げ道はないし間違えてもコンティニューなど存在しない。
ふと隣を見るとどうかしたのかしら? と聞かれたので、なんでもないと返していた。