音楽というのは目を瞑って聴いた方がいいとされる。
視覚からの情報が遮断されて聴覚が敏感になる。なんて理論的な事が言われているが、自分でそう思って、子供の頃からそう教わっていただけだ。
Roselia、そう呼ばれたバンドがステージの上に出てきた。そこには俺のよく知る奴がいて。
どんな演奏をするのだろう。そう思いながら演奏が始まるのを待つが、物寂しさに指先同士を擦り続けている。ああ、どうやら俺は随分と楽しみにしているようで。
湊はここでも人気者なのか、バンドを組んでることについての疑問の声が聞こえてくる。まぁ、孤高と呼ばれていた奴が突然バンドを組めばこうなるか。
開始前だというのに少しざわついている室内、それを始まりを告げるドラムがかき消した……
音の粒が溶け合って一つになっている。一曲目、二曲目と進む度にRoseliaの世界に吸い込まれていく。下手なメジャーバンドなんかよりもよっぽどいい、そうさえ思わされるのは知り合いだからか。
まさか、そこを誤るほど腐ってはいない。
こいつらがバンドを組んでから初めてのライブ。だというのに緊張している様子は欠片もなく、まるで楽しんでいるかのようにすら見えてくる。
未だに聞こえてくる周りから聞こえてくる言葉からしてどうやら音楽ライター達の目にも止まるほどらしい。
視線が自然とステージの上に持っていかれる。そう、視線がステージに持っていかれる。
こいつらの曲は目を瞑ることが出来なかった。なんでなのか、どう思わされてなのかはわからない。
指の動きに注目していたから、それがないわけでもない。しかし前の方ではないからそこまで見えるわけではない。湊の、Roseliaの人達の表情から目を離せなかった。
楽しそうな表情、特に湊がうっすらとだが浮かべているその表情から、目を離すことが出来なかった。
「ラスト、聴いてください」
まるで風邪でも引いたかのように思考が纏まらない。心の奥底に火でもついたかのような熱さが感じさせられる。最後の曲を聴いていると、それがより一層浮かび上がってくるように感じられた。
これはなんなのか、どうして浮かんできたのか、それは俺自身でもわかることはない。
今日はバイトはなく、しかしながらこれといった予定もない。家にいるとなんだか落ち着かないから行く宛もなく外をぶらつきまわる。
昨日の熱は未だに引いておらず、渦巻くようにして胸の中で確かに感じ取れる。ファンになった、言うだけなら簡単だが実際にそうなるとは思わなかった。
確かに凄いとは思っていた、確かに気になっていた。でもそれだけで、ファンというには程遠かったというのにそうさせられてしまった。
「あれは……もしかして湊か?」
ふと目についたその後ろ姿。長い銀色の髪が背中にかかっているのでそうではないかと思わされたが、顔は見えないので確証はない。
しかしその周りには沢山の猫がいた。腰を落として猫用のおやつをあげていてそこそこ懐かれている様子を見るに俺の予想は恐らく当たりで。
「あの……」
「はい……し、新庄君! どうしてここに……」
「散歩してたら偶々」
「こ、これは……そう! リサから猫用のおやつを貰ったのだけど持って帰るわけにはいかないから……」
声をかけてみたらやはり湊だった。振り向いて俺の顔を見た瞬間に立ち上がり聞いてもいない言い訳を言ってくる。
この前の口振りからこいつは猫は飼っていないだろうし、そんなやつに猫用のおやつを渡すやつなんていないだろうからそんなことはすぐに嘘とわかる。
ほんの少し顔を赤らめられる。昨日と同じ人物だとは思えないその姿はなぜだか見ていられなくて、俺は猫の方に視線を向け腰を落とす。
「……そういえばあなた、昨日来てくれたのね」
「なんで知ってるんだ?」
「ステージの上からはよく見えるものよ」
湊は再びしゃがんで猫の方を見る。俺の方にも一匹やってきたが撫でることはしない。俺には家で買ってるやつがいるのだから浮気をするつもりはない。ただ眺めるだけだ。
俺と湊は顔を合わせることなく、それでも会話は続いていく。
「あなたが昨日のライブどう思ったか、聞かせてくれないかしら?」
「よかったよ、凄く」
「そうじゃないわ、感想じゃなくて改善案が欲しいの」
そんなもの見当たらない、というわけはない。音楽において完璧という事象は表現として出すことはあれど、事実としてはありえないし、音楽をやっていた身としてはそれに気付けないということもない。
個々の技術面はどうこう言うつもりはない。それこそリサが少し遅れてしまう事があったのが気になったくらい。
だが初めてということで緊張をしていたということもあるのだろう。それにこれに関しては練習をしていればどうにかなる、ライブの回数を重ねれば緊張だって次第に和らいでいくだろう。
そも俺はベース経験者でもないのだから言えることもないし、未経験者に言われてモチベが落ちる、なんて事を言われてしまったら困る。
唯一経験したことのあるピアノ、まぁあれはキーボードなのだが……あれはよかった。あの人も緊張していたのかわからないが、音が少し硬いように感じさせられた。
ああ、懐かしい。俺もコンクールに出始めた頃はあんな風に音が硬かったような覚えが……
「……ああ、思い出すな糞」
「どうかしたの?」
「なんでもねぇよ、強いて言うならまだ音を合わせられるかなって思った」
苦し紛れの嘘ではない。Roseliaが結成されてからそう時間は経っていないのだから完璧に音が合っているということはない。
そも、一人でやるのと他人と合わせるのでは大違いだ。バンドを始めたばかりなのだから伸び代というものはそこかしこに転がっているだろう。
「そう、出来ればもう少し聞きたいのだけど……どこかで休憩しないかしら?」
「バンドメンバーとやってりゃいいだろ」
「こういうのは多くの人から聞いた方がいいでしょう?」
断ってしまえばいい、だがそれは出来ないのは何故なのか。ファンになった故か、俺にはわからなかった。
俺はさっさと移動しようと思ったが湊は猫と離れるのが名残惜しかったのか、言い出しっぺの癖して五分くらいその場を動こうとしなかった。
「……なるほどね、次の練習ではそこも意識してみるわ」
この前と同じカフェで珈琲を飲みながら話をする。こいつの砂糖の量は相変わらずで、覚悟していたというのに胸焼けがする。
「あれは……燐子?」
会話も途切れ、帰ろうにもお互いにまだ珈琲を飲み干していないので帰ることもできず二人して外にいた猫を眺めていた。
しかし少し視点を上にあげればそこには昨日のライブでキーボードをしていた人がいた。誰かを待っているのだろうか、周りを見回しながら立っている。
視線に気づいたのかこちらの方を見てくる。しかし俺らを見るなり驚いた表情を浮かべ、逃げるように小走りでどこかに行ってしまった。
「あなた、燐子に何かしたのかしら?」
「してねぇよ」
よもや、俺がそういうことをする人物に見えるというのか。人を見た目で判断するなとは幼い内に学ぶものだというのに。
あの人は待ち合わせ現場を見られたくないのか。もしそうでないとするならば……やはりこの前のあれに気づかれてしまっていたのだろうか。
「どうとも思ってないの?」
「何がだよ」
「燐子についてよ、自分と同じ楽器をしているのだから少しは気になっているのかと思って」
なんとも思っていない、そう言うのは嘘になる。ではどう思わされたのかと聞かれれば自分でもよくわからない。
でもなんとなくだがそれは、俺にとって嫌なものだということだけはわかる。でなければあれほど甘く感じさせられていた珈琲の苦味が戻るはずもない。
いや、これは元のものより遥かに強いもので。
「……俺のことは別にいいだろ、もう誘うこともないんだし」
「……それもそうね」
「そもそも練習しなくていいのかよ、お前の目的通りならコンテストもそう遠くはないだろ?」
「今は個人で課題曲をこなして貰ってるわ」
こいつなら休みなしの毎日二桁時間練習とかやってるのではないかと思っていたが、どうやらそんなこともないらしい。
そもこいつらは高校生、全員の都合が毎日合うはずもないし、ライブハウスだってタダで使えるわけではないのだから当然といえば当然なのだが。
「そういえば……あなたの家の猫は元気にしてるかしら?」
「そりゃあもうな」
「え、えっと……またお邪魔してもいいかしら?」
もう隠す気もないのか、なんの言い訳もせずにそう聞いてくる。
こいつは素直じゃない、そして一度決めたことは絶対に曲げない、そんなやつだ。三ヶ月に満たない付き合いだがそれくらいはわかる。
でもこうして顔を赤らめ顔をそらされながら、しかしチラチラとこちらを見ながら言われるのは慣れていない。
自分で理解しているのかいないのか。人を見た目で判断するなと思ったばかりだが、こいつには自分の見た目を少しは鑑みてほしいものだ。
「……ああ、いいよ」
表面上はあまり変わっていないが、言った瞬間ぱぁっと湊の周りが明るくなったような気がした。
それを感じると何故か湊の事を見ることは出来なくて、外を眺めながら珈琲を飲む。
誤魔化すために飲み込んだその珈琲は、先程とうってかわって甘く感じさせられた。